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2008.01.23

グランド・ピアノ

子供の頃、ピアノを習っていました。
4,5才の時にオルガンを始め、6才頃から14才まで習っていました。
ピアノは今でも好きですが、「ピアノの練習」は好きではありませんでした。自分でやりたくて始めた訳ではなく親の意向だったこともあります。毋が女学生の頃、余りの音痴故に歌の時などは同級生に失笑され大変恥ずかしい思いをしたらしく、「子供には(自分のような)恥ずかしい思いをさせたくない、音楽を習わせたい」と自分の暗い過去故に考えていたらしいのです。
要するに「親のエゴ」で始めたピアノでした。

昭和30年代、団地暮らしの普通のサラリーマンの子供でピアノを持っている人はまだ多くありませんでした。3DKの狭い団地にあったのは、オルガンです。ピアノ教室に行っているのに自宅にはオルガンしかありません。昔のピアノ教室は、ハノン、ブルグミューラー、ツェルニーといったいわゆるピアノ教則本、練習曲をひたすら正確に演奏するというものだったような気がします。「ひたすら正確に演奏する」という訓練は今だって大切な事で、決して間違っている訳ではありません。正しい指の形、正しい腕の形、「手の中に卵を持っているような形で!」とか「手首を下げないで!」とか、かなり厳しく指導された記憶があります。軽くだと思いますが、手・指の形の指導の過程で手の甲をピシっと叩かれた記憶もあります。
しかし、その練習をする自宅にはオルガンしかありません。オルガンの鍵盤は「叩く」のではなく「押す」ものです。その当時のピアノの先生が命令するような形を守らなくても音は出ます。そういうこともあり(習っている本人の理解力がなかったのでしょうが)、「正しい手の形」はなかなか身に付きませんでした。
4つ下の妹がピアノを習う様になって、確か小学3年か4年の頃に、団地の我が家に「アップライト・ピアノ」がやってきました。サラリーマンの親としては当時どのような思いで買ったのでしょう。相当な覚悟が必要な買い物だったと思います。とにかく4年間程オルガンだけで練習していた私は、ようやくピアノの曲をピアノで練習できる様になったのです。
オルガンを使った練習で身に付いた悪いクセはなかなか良くなりませんでした。腕は固くせず、手首を柔軟にして、腕の重さや時に体重もかける様にして、指をしっかり丸くさせて、「鍵盤を叩く」のがピアノの弾き方だと思うのですが、指の強さや腕の重さや体重をかけるかけないに関わらず、同じ音の強さ(足で踏むペダルで音量が変わる)のオルガンを使っていたクセはなかなか取れませんでした。
特に私の先生が怖かった訳ではないのでしょうが、覚えの悪い生徒だったのか良く怒られた記憶があります(「厳しからざるは師の怠りなり」を実践されていたのでしょう)。小学校から家に帰ると毋からは「すぐ練習しなさい」「遊びに行く前に、30分でいいからピアノの練習をしなさい」と言われました。このため、私にとってピアノは「楽しい」ものではなかったのです。嫌々練習していた様に記憶しています。
「ああ、早く野球しに行きたい」「早く行って友達と遊ばなければ、仲間はずれにされたくない」そんな事ばかり考えていたような気がします。今のピアノ教室がどうなっているか詳しくは知りませんが、私が習った頃の様に「ブルグミューラーだ」「ツェルニーだ」「ハノンだ!」などという感じではない様に聞いています。とにかく、おさらい、おさらいです。そして発表会などに出演します。小学生のbalaine少年にとって、ピアノの練習も発表会も楽しいものではありませんでした。それでも「継続は力なり」なのか、転校で変わった教室の先生が良かったのかわかりませんが、小学校6年生の頃には、K音楽教室の小学生ピアノコンクールで中国・四国地区の決戦に出場する位になりました。残念ながら優勝できず、「全国大会」出場はなりませんでした。と思っていたら、その年の「小学校高学年」クラスで全国大会に出る子供の中に「男の子」がいなかったらしく、「どこかに男の子はいないのか?」という話になったらしいのです(後から伝え聞いた話です)。
「中国・四国地区」で次点だったbalaine少年に白羽の矢が当たり、その年の全国大会(上野の東京文化会館大ホール)に出場することになってしまいました。演奏曲目は、ダカン作曲「かっこう」とバッハ作曲「6つの前奏曲」から第6番ホ短調でした。昭和44年8月の夏休みの事でした。

なぜこんなに鮮明に覚えているかというと、自宅にその時の演奏を録音したSPレコードがあるからです。銀座の「富士録音」という会社名の印刷された紙に包まれて、レコードの中央にはK音楽教室の「第2回全国音楽コンクール」と書いてあります。今から39年も前の事でした。その演奏は、自分の演奏とは言え「ぷっ!」と苦笑してしまうような稚拙で子供っぽい(子供だったんです!)ものです。その全国大会では、仙台から出場した女の子が優勝したと記憶しています。オマせな子だったのか、出演順番が彼女の後だったせいもあって、親同士が親しくしていたのを見たからか、演奏を終えた彼女は舞台袖に戻って来た時、次の順番を待っていた私に「頑張ってね!」と言いがてら、ほっぺたに「チュっ!」としていきました!私は、何が起きたのかすぐにはわからず、とにかく次が演奏の順番だったので、カチンコチンに緊張して、歩く足と同じ側の手が出るような感じでひろ〜〜〜い東京文化会館の大ホールのステージに出て行きました。(そういえば、何の因果かその3年後に私は仙台に住むことになったのでした)
よく覚えている事は、賞の発表後の講評で審査委員長を務められた女性(たぶん偉いピアノの先生だったのでしょう)が、開口一番「今年はレベルが低い」と仰られた事でした。balaine少年は、「あ〜、次点の僕なんか出たからかな〜」なんて考えていた様に思います。

まがいなりにも、限定された音楽教室とは言え全国大会に出たのですから、もっと喜んでもいいし、そこからピアノが好きになっても良かったのですが、練習はやはり嫌いでした。その頃になると、モーツァルトのピアノソナタやベートーベンの初期のソナタなどを練習する様になっていました。たまに聴くレコードやラジオのピアノの音楽として、ショパンに憧れましたが、練習はモーツァルトでした。今でこそ、モーツァルトの音楽は大好きですし、その良さも難しさも楽しさも少しは理解する様になったと思いますが、中学生になったばかりのbalaine少年にとって、モーツァルトのピアノソナタはそんなに楽しいものではありませんでした。
Mozpiano小学校高学年の部で全国大会に出た「男の子」として、小学校の音楽の先生や周りからそういう目で見られ、中学にすすんで(そこで倉敷から高松への転居がありましたが)K音楽教室側でも「全国大会に出場した子」という対応だったようです。高松市内にある女子大か女子短大で、中央で活躍されているピアニスト(誰か忘れました、、、)の「公開レッスン」が開かれることになり、生徒の一人として白羽の矢がまた当たってしまいました。
その時使っていた楽譜が自宅にあります(物持ちが良いのです)。春秋社の黄色い表紙の楽譜で、MOZART Sonaten[I] 編集・校訂 井口基成 ¥800と印刷され、「1971.4.11(日) ○○」と鉛筆で私が書いています。公開レッスンを受けた曲は、8番のK.310のソナタ第1楽章でした。
Mozpiano8aまたまたbalaine少年が鉛筆で、「5月1日休み」と「快速に 荘厳に マエストーゾ」と書いています。第1楽章冒頭に付いている音楽表記のAllegro maestosoの意味を書いたものです。途中にcalandoと書いてあるところがあって、また鉛筆で「カランド だんだん遅く そして段々弱く」と書込んであります。その他に、運指やアクセントや呼吸(ピアノにも呼吸はあります)、注意する場所などが書込んであります。懐かしい楽譜です。この公開レッスンで、大勢の大人や女子大の「おねいさん」が見つめる中、紅顔のbalaine少年は講師の先生に「男の子なんだからもっと元気に弾きなさい!」と言われてしまいました。結構傷ついた言葉だったので、37年前の事ながらよく覚えています。

こんな事があったため、あまりピアノの練習、ピアノを弾く事が好きになれずに過ぎてしまい、中学校3年で親の転勤に伴って高松から仙台に転校する際に、「ピアノのレッスン、どうする?続けるか?」と親に聞かれた私は「ピアノ習うのもお金かかるし、、、」などと人のせいにして辞めてしまいました。妹がピアノ教室通いを続けていましたし、その頃すでに私はフルートを買ってもらっていて、独学ながらフルートの練習の方が時間も多く、中学でもブラスバンドに入っていました。ちょうど、テレビで故吉田雅夫先生を講師に「NHK教育 フルート教室」が始まった頃でした。
そうして、私はピアノから次第に離れて行きました。
男の子として最も興味があるのはサッカーで、一人でサッカーボールを蹴って遊んでいました。中3で仙台に移ってからも、ブラスバンドに所属してフルートを吹いていましたが、ピアノが弾ける「男の子」ということで、学校のクラス対抗合唱大会の時には伴奏のピアノを弾くはめになっていました。そういう「ノルマ」がなければピアノには触らなくなってしまい、次第に演奏技術は衰えて行きました。
高校時代はほとんどピアノに触らず、授業時間以外は朝から晩までテニス、テニス、テニス。同級生に凄い奴が二人いたので、高3の時にはテニスでインターハイにも行きました。同時にブラスバンドに所属していたので、フルートは吹いていましたし確か1年くらいは先生にもついてならいました。その当時、仙台○高で一緒にブラバンにいた仲間でその後芸大に進んで中退したコントラバス奏者(現在も音楽関係の仕事をしているらしい)や今、私のクリニックに導入するMRIを作っている会社で偉くなっているホルン奏者の同級生もいますし、2年後輩ですがその後指揮者になって時々山響も振っている佐藤寿一氏などがいます。
浪人して大学に入った所、山形大学の医学進学過程(昔は教養課程が2年、医学過程が4年だった)がある小白川キャンパスには伝統のある音楽科を擁する教育学部、いわゆる「特音」があり、練習用のアップライトピアノが一部屋に一台の練習室がずらっと、記憶では30部屋以上ありました。大学に入って、一人暮らしを始め、バイトでステレオ装置を買い求め、最初に買ったのはピアノのレコードでした。憧れていたショパンです。たしかルビンシュタインによるノクターンかワルツだったと思います。自分でもまたピアノが弾きたくなりました。下宿が小白川キャンパスの裏門すぐ前で、教育学部のピアノ室が近くにあったせいもあって、テニス部で忙しい合間を縫って(おそらく講義をさぼって)ピアノを弾く日々となりました。
「昔とった杵柄」よろしく、独学でショパンのノクターン、ワルツ、プレリュードなどなど楽譜を買い求め、勝手な解釈で弾きまくっていました。その頃には、子供の頃嫌で嫌で仕方なかったピアノの練習を、何とか続けさせ教室に通わせてくれた親に感謝する気持ちを持つ様になっていました。あの頃の練習があったから、大人になって、誰からも習わなくても、上手ではないけれどショパンのノクターンやワルツが弾けるのです。エチュードも部分的になら弾く事が出来ました。

それから、また長い長い年月が過ぎて、アマオケでフルートを吹いている自分がいます。
自宅にはロー○ンドの電子ピアノはありますが、本物のピアノはありません。家内のチェンバロが一台ありますが、チェンバロはまた演奏法が違うのでほとんど触りません。小学校4年の時に我が家にやって来たアップライトピアノは横浜の実家の居間に、写真や書類を積み上げられた「置物」として鎮座ましましておられます。ちょっと勿体ない。

再来月開院するクリニックに開設するリハビリ室は、60帖(=30坪)の広さがあり、最も高い所で5m半以上の高さの天井を持ちます。リハビリ以外に、サロンコンサートや講演会もやりたいと思っています。そこでピアノが欲しいな、とずっと考えていました。念じれば通ず、なのでしょうか。知っている楽器屋さんのピアノ倉庫に、ヤ○ハのグランドピアノ G7(今のC7)の中古があるのを正月明けに知りました。弦やアクションを完全にオーバーホールして、筥体、響板などはそのまま、なんと今では得られない本象牙の鍵盤が使われているものです。まったく新しいアクションと弦なのに、どことなくオールドな響きがする味わい深いピアノだと直感しました。そして、ついにこれを買い求める事にしました。今、C7の新品は300万円するそうですが、いろいろな経緯を経た40年物のG7を結構破格なお値段で手に入れられることになりました。これも「縁」だと思っています。

おそらく、下手は下手なりに、でも今度は楽しんでピアノを弾くbalaine「おじさん」が、そこにはいることでしょう。。。(笑)

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コメント

ピアノいいですね♪♪
今更ながら私も練習してます..
小学生のときにやりたかったのを覚えております(o´∀`;o)a

balaineさんのピアノを聴いてみたいですね(´∀`)アヒャ

投稿: ハチ | 2008.01.24 06:49

いずれも庄内に関連する内容の二点
昨日の日経の夕刊に広告がありました。
すでに皆さんお手元に?
特に最初の一点はこちらでも関連の内容が
よく取り上げられますね。


わたしも次回の庄内訪問までに読了させようかと・・・

http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2143607&x=B

http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2879220

投稿: 潤 | 2008.01.24 08:19

ハチさん、どもっす!ショパンのワルツの難しくない奴とかならお聞かせする事も、、、開院したら遊びに来て下さい。ピアノ弾いてもらってもいいですよ!

潤さん、佐藤久一氏は私にとっては「伝説の人」ですが、確か1986年頃「ル・ポット・フー」で食事した事あるので、その頃はいらしたはずですね。庄内近海で捕れた「エイ」のムニエルなどを食べた覚えがあります。
実は、映画館「グリーンハウス」は、昭和51年の酒田大火、丸一昼夜燃え続けたあの火事の火元だったんだそうです。あの火事によるただ一人の死亡者は、その日非番でたまたま市街地にいた消防署長さんが逃げ遅れている人はいないか?と火元を確認に行って犠牲になられたとお聞きしています。「大川周明」氏は、名前をどこかで見た事があるかな?というくらいでほとんど知りませんでした。勉強します。
ありがとうございました!

投稿: balaine | 2008.01.24 10:44

貴方が当時泣きながら福岡の公団住宅で練習したピアノは倉敷・高松から仙台へ行き、そこで地震に遭った後一緒にこの地に移り、今は弾く人も無くリビングの隅で余生?を過ごしている。

偶々昨日、東京文化会館でのコンクールの写真が出てきたので、葉書大にコピーしたばかり。

音楽の基礎をピアノで勉強したお陰で今の貴方があるのだと思う。教室に連れて行く役目だったから私もやれば良かった!!(今更)

投稿: 横浜の父 | 2008.01.24 15:16

父上様、母上様、深く感謝しております。
3/16のオペラ、楽しみにしていて下され!

投稿: balaine | 2008.01.24 16:19

はじめまして。
読んでいて同じ様な境遇の方がこの世の中にいるんだなあと思いました。
私も下手は下手なりにピアノを弾いている小太りおじさんです。

投稿: まげざえもん | 2008.01.25 10:11

ん~~いい話しですね。

私も、小学5年生の時に友達が行ってるからと習い始めたエレクトーンが、音楽を好きになったきっかけです。
でも、先生がとっても厳しくって、間違うと手を叩かれて、また叩かれるんじゃないかという恐怖感で、好きだった筈なのに、エレクトーンが嫌になってしまいました。
先生選びは大事だなと、大人になった今は思うけど、あの頃は選べなかったから。
でも、今、こうしてヴァイオリンを始めたのは、あのエレクトーンがあったからだと思います。
balaineおじさんのピアノ、聴きに行ってみたいです♪

お父さんから、コメント入ってたのにも、感動しました!!

投稿: なおみ | 2008.01.25 12:48

まけざえもんさん、はじめまして!ようこそいらっしゃいました。コメント書込みありがとうございます。
音楽は、人に聞かせるためではなく、演奏する本人が自ら楽しみそして癒される効果があります。私なんか「自惚れ」なので、自分のフルートの音色に「うっとり」してますよ(笑)。またいらして下さい!

なおみさん、どもっす!お店の方も、アメリカ製品一杯増えていい感じですね。Vnはいかがですか?
開院したら、患者ではなくどうぞピアノを弾きに遊びにいらして下さい!お待ちしています。m(_)m

投稿: balaine | 2008.01.25 16:37

こんばんは♪真夜中にお邪魔しております。
横浜のお父様、コメント初参加でいらっしゃるような?最近、親の有難さを改めて感じてる私、お父様のコメントに反応してしまいました。

投稿: ボリジ | 2008.01.26 01:00

ボリジさん、お母様、そろそろ退院されましたか?
オペはF院長が関与されたのかな?

投稿: balaine | 2008.01.27 00:40

balaineさん、もしかして年明け初コメかもしれないので、あけましておめでとうございます♪いや、寒中見舞いのほうがよろしかったかどうか。

ピアノ、という文字を読み、反応してしまいました♪なんとbalaineさんはコンクールまで行かれたのですね!
奥様もチェンバロをお持ちのこと。チェンバロをお持ちの方は初めてです♪


リハビリ室にG7が入るなんてうらやましいです!3クラスとは音の深みが全く違うんですよね・・・象牙の鍵盤とは・・・
よし、完成された暁にはbalaine家に音楽三昧ツアーにしましょ♪

投稿: まーちゃん♪ | 2008.01.28 21:27

まーちゃんさん、いまさら「あけおめ」ですか。(笑)
どうぞどうぞ、庄内の「んめもの」食べついでに、3/16はオペラでも観て、クリニックでピアノでも弾いて行って下さい。まーちゃんさんのP発表会庄内部会なんてこちら開いて下さってもいいですよ。SteinwayやBoesendorferはご用意できませんが。。。(^^)

投稿: balaine | 2008.01.28 22:23

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