年末に思い出す事
12月30日。
今日は日曜日でした。年末なので曜日の感覚が失われます。
酒田に来てから入会した、とあるスポーツクラブも年内は今日までなので、午前中行ってきました。これからは、これまで以上に体力勝負、身体が資本との意識は高くならざるを得ないのですが、意志の弱い人間、放っておくとすぐに怠惰になってしまいがちです。
入会はしても、週1回行けていない現状では、体重は減らず筋力も持久力も増えるよりも低下しているような気がします。テニス(高校、大学9年間、体育会系で真面目にやった)、ゴルフ(一頃、所属クラブの月例大会にも年数回出ていた)も丸2年以上やっていません。来年は時間を「作って」、テニスもゴルフも再開したいと思っています。
フルートに限らず楽器の演奏には身体を使います。身体が五体満足でこそ演奏ができるものです。まずこの事を感謝しなければなりません。私が高校時代にフルートを1年ちょっとだけ教わった先生は、私が硬式テニス部で忙しい事をわかっていて、「テニス、どんどんやりなさい。フルートは体力がないときちんと吹けないからね。でもたまにはフルートの練習もしなさい!」と言ってくれました。その言葉に甘えて、私はほとんど練習しませんでした。あの頃、もうちょっと真面目に練習していれば今頃は、、、と少し思います。
楽器の演奏における基本的技術の習得には、やはり適した年齢があると思います。フルートは、やはり10代からせいぜい20代中頃までに基本的な指の周りとか、超絶技巧的テクニックを身につけるものだと思います。脳の発達、小脳と運動系の発達からみてもそうだと思います。50代に足を踏み入れてしまった今では、どんなに練習しても(そんなにやっていませんが、、、)やっただけ上手くなるという事がないのです。
「あの頃、もうちょっとやっておけば、、、」誰でも何かしらそういう思いがあるのではないでしょうか。
大学対抗の定期戦で私にポイントがかかった試合がありました。シングルの試合で、他の試合(ダブルス3つ、シングル3つ)が全部終わって3対3。この試合に勝った方が定期戦の勝利となります。今から26年程前の事なのですがよく覚えています。3セットマッチで第1セット6-4で私、第2セット7-6(タイブレーク)で相手、そして第3セットもタイブレークになりました。テニスのタイブレークというシステムをご存じない方もいると思います。元々は1セットは6ゲーム先取ですが、2ゲーム以上の差がついていない場合、2ゲームの差がつくまで行われていました。7-5とか8-6というゲーム差にならなければセットを取れない訳です。場合によっては、11-9とか15-13ということだってあり得る訳です。これでは何時間やっても試合が終わらない可能性があるため、6-5から7-5にならずに6-6になった場合、「Tie Break」といって次の1ゲームは特別ルールで7ポイント先取で決着をつけ、7-6でセットを終えるというルールができた訳です。通常の1ゲームは、4ポイント(15,30,40そしてgame)ですがタイブレークは7ポイント。サービスを2ポイントごとに交替しながらゲームを続けます。これも6-6になると2ポイント以上の差がつかなければゲームになりません。8-6とか9-7とか11-9とかになる訳です。
他の試合が全部終わったので、両チーム、男女全員が私のやっているコートに集合して応援を繰り広げます。「ファイト!」「がんば!」「一本!」「ねば!」など大きな声援がかかりますが、疲れが限界に来ていてそれに応える力はありません。すでに6-4, 7-6, 6-6と35ゲームもやって来て、4時間半を超える試合になっていたのです。
最後は良く覚えていませんが、pointは確か8-6で勝ったんじゃないかと思いました。実は、ポイント6-5で一度相手のマッチポイントになった時に、「ああ、おわったな、、」と諦めました。試合を諦めたというよりも、勝ち負けへの執着を諦めたと言う感じでした。自分に対して「ここまでよく頑張った」という感情がわいて、相手に勝つとか、試合に勝つという気持ちなどどうでもよくなったのです。別に凄いエースを決めた訳でもなく、それまで相手も私もどちらかというと相手のミスを待つというプレースタイルでやって来て、あと1点で終わるという時になって、何か解き放たれたような気持ちがしました。すると、6-6と追いつき7-6と逆転して今度は私がマッチポイントを握りました。ここで1点に執着して、相手がミスをするまで繋いで繋いでというテニスをするという選択もありましたが、私は相手のセカンドサービスに対して無謀にもネットへダッシュしました。普通なら、私の両脇はガラガラなので相手はそこに狙えばエースを取れると思います。でも、その一本をミスしたら負けになる相手はそれができなかったと思います。私の正面に返してきました。私だってダブルスなどでいろいろ華麗なボレーを決めたこともあります(藤堂さん程カッコいいか、お蝶夫人程華麗かは?ですけど(笑))。でもその時は華麗なボレーなどできる訳もなく、なんとかボールを捉えてそれも相手の正面に返すのが精一杯。しかもいい当たりがせず、ボコッという情けない当たり。それが幸いして相手の正面ややフォアサイドに弱々しいボレーが飛んで、それを拾おうとした相手のフォアハンドストロークはネットにかかりました。8-6でタイブレークを制し、6-4,6-7,7-6で私の勝利となったのでした。すぐにネットの外で見ていたキャプテンが飛んで来て、「感動した!」と誰かさんのような賛辞を抱きつかんばかりに送ってくれました。私は勝てたことはもちろん嬉しかったのですが、とにかく4時間40分にも及ぶ試合で「負けなかった」ということが嬉しく、それよりもぐったりしていました(笑)。
いや〜、テニスの事、昔頑張った事を考えていたらこんなことを思い出してしまいました。(^^;;;
今では、運動不足のおじさんですが、ETVで今年チャイコフスキー国際コンクールのヴァイオリン部門で優勝した神尾真由子さんのドキュメンタリーを観ていましたら、ちょっと感じる事がありました。
強くなるために必要なもの、勝つために必要なもの、を思い起こさせます。最終的には、音程とか技術とかそんなことはどうでも良くて、「弾ける事がたのしくあるべきだ」という言葉が印象に残りました。
今は自分の中に、「強くなりたい」「人に勝ちたい」というものがないからだと思いますが、最近他人から表情が柔らかくなったと言われた事があります。体重が増えて丸くなっただけかもしれません。
今年の年末年始はそれなりにやることもありますが、のんびり読書をしようと思い、前から気になっていた西郷隆盛関連の本を数冊買いそろえました。『敬天愛人』の言葉などで知られる「南洲翁遺訓」は、庄内藩士によって編纂されたものであり、酒田市内に「南洲神社」として祀られてさえいるのです。官軍の司令長官であった西郷どんと奥羽越列藩同盟で無敗のまま最後の最後に恭順した庄内藩との関係は良く知られているところですが、西郷どんの教えをなぜ庄内藩士が編纂し神として祀りまでしたのかを勉強したいと思っています。
さて、真面目な話をかいてしまったので、今年最後(ではないかも)のグルメのお話。
先日ラーメンの話でちょっとだけ触れた旧松山町にある食堂「四十番」。テレビ番組の取材や有名人の来店もあったらしく、左の写真は店内に飾られた色紙や写真など。
真ん中が私のお勧め「平打ちラーメン」。
限定30食とか書かれていますが、ほんとに限定なのかどうかはわかりません。饂飩まではいきませんが、超極太の平たい縮れ麺。パスタのリングイネよりはフェットチーネに近いくらい。食べ応えは満点。スープの味も具もシンプルでとてもあっさりしています。量が多いかな、と思うのですがあっという間に食べてしまいますね。
一番右はこの店の有名メニューの一つで今回初挑戦の「焼肉ラーメン」。なんと三元豚の焼肉がどか〜んとラーメンの上に載ってちょっとピリ辛になっています。美味しいのですが、そうですね、やっぱりラーメンとしては邪道かな?私は「平打ち」に軍配を上げます。
これは昨日のこと。
今日は、スポーツクラブの後、何を食べようということになって、大宮町の「ナーランダー」にしました。このカレー専門店のことは以前も記事にしています。「秋の真夏日」9/22
久しぶりに行きましたが、ここのカレーはやはり美味い!
今日は私はキーマカレー(鶏の挽肉)をナンで。連れ合いはここの定番ティーンカレー(マハラジャ、マトン、ヴェジタブルの3種のセット)をターメリックライスで。玉葱を焦げる直前まで煮込んで焦げ茶色のマハラジャ、行けます!
これで今年の締めに、ラーメン、カレーは食べましたので、明日は、、、?(笑)
今日のおまけ。
12/29のクリニック建設現場です。年末にも関わらず今日も工事はしています。
2月第1週までの引き渡しの約束で工期を守って仕事して下さっています。それが守られないと、種々の申請、審査、許可、認可などの関係で3月の開院が不可能になってしまいます。
屋根ができて、壁の一部ができつつあり、内部の工事が進んでいるようです。
冬の最中にご苦労様です。
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