« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »

2007年12月

2007.12.31

良い年をお迎えください!(1年の鳥海)

この1年間は激動、移動、始動という「動」の年でした。
前半の3分の1は、大学病院での文部科学教官という立場での仕事(診療はもちろん教育、研究、大学医局運営、学会主催準備など)を頑張りました。昨年(平成18年)大学を辞職するという覚悟を決めてから教授に相談するまでにも数ヶ月悩みながら仕事をし、一つの大きな仕事を終えて思い切って相談する時も決めていた覚悟は揺らがないもののいろいろな事を考えて悩みました。自分のとっては一世一代の賭けにもなるような「激動」でした。
4月一杯で大学を辞し、酒田に移る前に人生に二度とないような大旅行をしました。人の縁はとても大切で有り難いものでした。
Photo_3(5月、田植え後の鳥海山)
5月末に酒田市民になりました。「移動」です。
なぜ酒田なのか、というのはこれまでのブログの記事に何回か書いているつもりです。新しい職場での、「脳神経外科医」というよりは、神経疾患治療の知識と経験を持つ内科医的な仕事になりました。自分自身が執刀医として手術に入るだけでも年間最低20件くらい(助手やその他を含めると100件くらいはあった)やっていたのですが、5月以降は手術0となりました。
Mikawagassan2(6月の鳥海山)

そして、6月から本格的に診療所開業を目指した行動を起こしました。
「医院を開業する」と言ってもいろいろな準備があります。
土地、資金、設計、建設、医療機器、周辺機器、人、、、準備計画するものはたくさんあります。
Photo_2(8月、稲穂が色付き始めた田と鳥海山)
幸い酒田市内の総合病院に勤務していた経歴と現職の関係で少しは信用があったので、人から人が繋がり、本当に「人の縁」でいくつかの候補の中から比較的すんなりと候補地が決まり、それに従って資金、建設会社、設計士、医療機器、、、とどんどん繋がって決まって行きました。
9(9月、稲刈り前の鳥海山)
問題は、「姉歯事件」の悪影響で改正された建築基準法のせいで「建築確認申請」が以前の2、3週で済むものが丸2ヶ月かかってしまいました。それからは、別ブログでご紹介している様に順調に建設が進んでいます。
Photo(10月、初冠雪の鳥海)
その間、8月の「全国アマチュアオーケストラフェスティバルinやまがた酒田」の開催。そのプレミニコンサートとしてフルート四重奏に出演させてもらったり、JAO大会ではピアニストのファルカシュ・ガーボールのお世話係をさせてもらって自分自身も楽しみました。
1105(11月初め、雪を戴く鳥海山と白鳥)

酒田市民芸術祭や様々な音楽関係イベントにフルートで出演する事ができましたし、12月には酒田フィルの定期でプログラムのメインであるチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」にトップを初めて吹かせてもらいました。
1129a(11月末の鳥海山)

開業準備も少しずつ前進し、年明けには急ピッチで建築も進み内部の準備も進みます。いよいよ「始動」と言う感じです。


この1年間、本当にいろいろな人にお世話になりました。様々な局面で助けて頂きました。人の縁の大切さを今年程痛感した事はありません。全ての事に感謝したいと思います。
そして来年はいよいよ開業、個人事業主となります。これからもこのブログ共々よろしくお願い致します。

皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください!
1226a
.

P.S.
今年最後のおまけ。
今年最後の外食。ラーメン、カレーとくれば、次は、、、
Photo_4酒田の中心街にあるデパート「清水屋」の1階に「海鮮どん屋 とびしま」の出店があります。そこで1000円の海鮮丼。(別に700円のランチ丼もあります)
実は、本家本元の「海鮮どん屋 とびしま」にはまだ行っていません。1時間も並ぶのが嫌だからです。平日の昼時を外せば大丈夫でしょうが、わざわざそこまでして、と言う感じです。
清水屋では男性もののブーツを買い求め、「山茶花」でお茶してきました。
年越しは「田毎(たごと)」のお蕎麦を自宅で戴きます。
お節は清水屋特製お重です。
酒田市中心街に貢献していると思います。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2007.12.30

年末に思い出す事

12月30日。
今日は日曜日でした。年末なので曜日の感覚が失われます。
酒田に来てから入会した、とあるスポーツクラブも年内は今日までなので、午前中行ってきました。これからは、これまで以上に体力勝負、身体が資本との意識は高くならざるを得ないのですが、意志の弱い人間、放っておくとすぐに怠惰になってしまいがちです。
入会はしても、週1回行けていない現状では、体重は減らず筋力も持久力も増えるよりも低下しているような気がします。テニス(高校、大学9年間、体育会系で真面目にやった)、ゴルフ(一頃、所属クラブの月例大会にも年数回出ていた)も丸2年以上やっていません。来年は時間を「作って」、テニスもゴルフも再開したいと思っています。
フルートに限らず楽器の演奏には身体を使います。身体が五体満足でこそ演奏ができるものです。まずこの事を感謝しなければなりません。私が高校時代にフルートを1年ちょっとだけ教わった先生は、私が硬式テニス部で忙しい事をわかっていて、「テニス、どんどんやりなさい。フルートは体力がないときちんと吹けないからね。でもたまにはフルートの練習もしなさい!」と言ってくれました。その言葉に甘えて、私はほとんど練習しませんでした。あの頃、もうちょっと真面目に練習していれば今頃は、、、と少し思います。
楽器の演奏における基本的技術の習得には、やはり適した年齢があると思います。フルートは、やはり10代からせいぜい20代中頃までに基本的な指の周りとか、超絶技巧的テクニックを身につけるものだと思います。脳の発達、小脳と運動系の発達からみてもそうだと思います。50代に足を踏み入れてしまった今では、どんなに練習しても(そんなにやっていませんが、、、)やっただけ上手くなるという事がないのです。
「あの頃、もうちょっとやっておけば、、、」誰でも何かしらそういう思いがあるのではないでしょうか。

大学対抗の定期戦で私にポイントがかかった試合がありました。シングルの試合で、他の試合(ダブルス3つ、シングル3つ)が全部終わって3対3。この試合に勝った方が定期戦の勝利となります。今から26年程前の事なのですがよく覚えています。3セットマッチで第1セット6-4で私、第2セット7-6(タイブレーク)で相手、そして第3セットもタイブレークになりました。テニスのタイブレークというシステムをご存じない方もいると思います。元々は1セットは6ゲーム先取ですが、2ゲーム以上の差がついていない場合、2ゲームの差がつくまで行われていました。7-5とか8-6というゲーム差にならなければセットを取れない訳です。場合によっては、11-9とか15-13ということだってあり得る訳です。これでは何時間やっても試合が終わらない可能性があるため、6-5から7-5にならずに6-6になった場合、「Tie Break」といって次の1ゲームは特別ルールで7ポイント先取で決着をつけ、7-6でセットを終えるというルールができた訳です。通常の1ゲームは、4ポイント(15,30,40そしてgame)ですがタイブレークは7ポイント。サービスを2ポイントごとに交替しながらゲームを続けます。これも6-6になると2ポイント以上の差がつかなければゲームになりません。8-6とか9-7とか11-9とかになる訳です。
他の試合が全部終わったので、両チーム、男女全員が私のやっているコートに集合して応援を繰り広げます。「ファイト!」「がんば!」「一本!」「ねば!」など大きな声援がかかりますが、疲れが限界に来ていてそれに応える力はありません。すでに6-4, 7-6, 6-6と35ゲームもやって来て、4時間半を超える試合になっていたのです。
最後は良く覚えていませんが、pointは確か8-6で勝ったんじゃないかと思いました。実は、ポイント6-5で一度相手のマッチポイントになった時に、「ああ、おわったな、、」と諦めました。試合を諦めたというよりも、勝ち負けへの執着を諦めたと言う感じでした。自分に対して「ここまでよく頑張った」という感情がわいて、相手に勝つとか、試合に勝つという気持ちなどどうでもよくなったのです。別に凄いエースを決めた訳でもなく、それまで相手も私もどちらかというと相手のミスを待つというプレースタイルでやって来て、あと1点で終わるという時になって、何か解き放たれたような気持ちがしました。すると、6-6と追いつき7-6と逆転して今度は私がマッチポイントを握りました。ここで1点に執着して、相手がミスをするまで繋いで繋いでというテニスをするという選択もありましたが、私は相手のセカンドサービスに対して無謀にもネットへダッシュしました。普通なら、私の両脇はガラガラなので相手はそこに狙えばエースを取れると思います。でも、その一本をミスしたら負けになる相手はそれができなかったと思います。私の正面に返してきました。私だってダブルスなどでいろいろ華麗なボレーを決めたこともあります(藤堂さん程カッコいいか、お蝶夫人程華麗かは?ですけど(笑))。でもその時は華麗なボレーなどできる訳もなく、なんとかボールを捉えてそれも相手の正面に返すのが精一杯。しかもいい当たりがせず、ボコッという情けない当たり。それが幸いして相手の正面ややフォアサイドに弱々しいボレーが飛んで、それを拾おうとした相手のフォアハンドストロークはネットにかかりました。8-6でタイブレークを制し、6-4,6-7,7-6で私の勝利となったのでした。すぐにネットの外で見ていたキャプテンが飛んで来て、「感動した!」と誰かさんのような賛辞を抱きつかんばかりに送ってくれました。私は勝てたことはもちろん嬉しかったのですが、とにかく4時間40分にも及ぶ試合で「負けなかった」ということが嬉しく、それよりもぐったりしていました(笑)。

いや〜、テニスの事、昔頑張った事を考えていたらこんなことを思い出してしまいました。(^^;;;
今では、運動不足のおじさんですが、ETVで今年チャイコフスキー国際コンクールのヴァイオリン部門で優勝した神尾真由子さんのドキュメンタリーを観ていましたら、ちょっと感じる事がありました。
強くなるために必要なもの、勝つために必要なもの、を思い起こさせます。最終的には、音程とか技術とかそんなことはどうでも良くて、「弾ける事がたのしくあるべきだ」という言葉が印象に残りました。
今は自分の中に、「強くなりたい」「人に勝ちたい」というものがないからだと思いますが、最近他人から表情が柔らかくなったと言われた事があります。体重が増えて丸くなっただけかもしれません。
今年の年末年始はそれなりにやることもありますが、のんびり読書をしようと思い、前から気になっていた西郷隆盛関連の本を数冊買いそろえました。『敬天愛人』の言葉などで知られる「南洲翁遺訓」は、庄内藩士によって編纂されたものであり、酒田市内に「南洲神社」として祀られてさえいるのです。官軍の司令長官であった西郷どんと奥羽越列藩同盟で無敗のまま最後の最後に恭順した庄内藩との関係は良く知られているところですが、西郷どんの教えをなぜ庄内藩士が編纂し神として祀りまでしたのかを勉強したいと思っています。

さて、真面目な話をかいてしまったので、今年最後(ではないかも)のグルメのお話。
PhotoPhoto_2Photo_3先日ラーメンの話でちょっとだけ触れた旧松山町にある食堂「四十番」。テレビ番組の取材や有名人の来店もあったらしく、左の写真は店内に飾られた色紙や写真など。
真ん中が私のお勧め「平打ちラーメン」。
限定30食とか書かれていますが、ほんとに限定なのかどうかはわかりません。饂飩まではいきませんが、超極太の平たい縮れ麺。パスタのリングイネよりはフェットチーネに近いくらい。食べ応えは満点。スープの味も具もシンプルでとてもあっさりしています。量が多いかな、と思うのですがあっという間に食べてしまいますね。
一番右はこの店の有名メニューの一つで今回初挑戦の「焼肉ラーメン」。なんと三元豚の焼肉がどか〜んとラーメンの上に載ってちょっとピリ辛になっています。美味しいのですが、そうですね、やっぱりラーメンとしては邪道かな?私は「平打ち」に軍配を上げます。

これは昨日のこと。
今日は、スポーツクラブの後、何を食べようということになって、大宮町の「ナーランダー」にしました。このカレー専門店のことは以前も記事にしています。「秋の真夏日」9/22
Photo_4Photo_5久しぶりに行きましたが、ここのカレーはやはり美味い!
今日は私はキーマカレー(鶏の挽肉)をナンで。連れ合いはここの定番ティーンカレー(マハラジャ、マトン、ヴェジタブルの3種のセット)をターメリックライスで。玉葱を焦げる直前まで煮込んで焦げ茶色のマハラジャ、行けます!
これで今年の締めに、ラーメン、カレーは食べましたので、明日は、、、?(笑)

今日のおまけ。
122912/29のクリニック建設現場です。年末にも関わらず今日も工事はしています。
2月第1週までの引き渡しの約束で工期を守って仕事して下さっています。それが守られないと、種々の申請、審査、許可、認可などの関係で3月の開院が不可能になってしまいます。
屋根ができて、壁の一部ができつつあり、内部の工事が進んでいるようです。
冬の最中にご苦労様です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.12.28

上棟式

年内かな?と思っていたら、カウンターがあっという間に17万ヒットしていました。今回は無警戒だったので、どなたなのかわかりません。(^^;;;

Photo_3Photo_412/28(金)大安、曇りでしたが比較的暖かく、何とか雪や雨に降られる事なく来年3月オープン予定のクリニックの「上棟式」を行いました。槌打ち等の儀式の後、足場を使って1階の屋根の上に上がり、散銭・散米(餅)を行いました。
Photo_5Photo_6この儀式のために初めて現場の中に入りました。設計図面は頭に入っているので、「ここが処置室か」「こちらが廊下で向こうがMRI室だな」などと考えながら儀式を行いました。1階の屋根に上るときも「この下がMRI操作室だな」などと考えていました。

23足場を浸かって2階より高いところまで上がりました。左の写真は西側(酒田駅方面)を見たところ、右側の写真は南側のゴルフ練習場方向です。

2_23_2左の写真は1階屋根の上から鳥海山を見たところ。右の写真は2階屋根の高さから鳥海山を見たところ。
あいにくの曇りで空が暗いのですが、鳥海山は何とか頂上まで見えました。

Photo_7Photo_8
あと3日でお正月です。当家でも正月を迎える準備をしています。
先日、鶴岡であった「達磨市」で求めた小振りのだるまさんに、上棟式終了後、片目を入れて飾りました。開院後、両目を入れたいと考えています。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

La x Panフルート・デュオ・リサイタル

12/25に山響の「ドイツ・レクイエム」を聴くため山形往復したばかりだったが、昨27日もまたある演奏会を聴くため、往復3時間超の山形ー酒田間をドライブした。

Lapan1LaxPan(文字間の"x"は必要らしい)という、フルート・デュオのリサイタルが、文翔館議場ホールで行われた。彼女たちの仲間と思われるフルート奏者のサイトにおいてこの若い女性二人のユニットのことを「スーパーフルートアイドル、新進気鋭の萌え萌え美少女軍団、ハイパーツンデレフェロモンフルートデュオ」と、とっても長い修飾語で形容していた。
武蔵野音大フルート専攻卒の西村麻里さんと永留結花さんの二人でフルート・デュオを形成している。これに同音大ピアノ専攻卒の浅見由加梨さんを加えて3名での演奏活動を主に東京でされているらしい。
今回山形で初のリサイタル。というのも、西村さんは山形出身で、山響首席フルートの足達先生のお弟子さん。一昨年の足達門下の夏合宿に私も参加させて頂いたが、西村さんとはその時夜の余興の時間に「椅子取りゲーム」ならぬ「座布団取りゲーム」で決勝を争った仲である。(^^)

今年、フルートリサイタルは、ゲーリー・ショッカー、山形由美さん、そして高木綾子さんを聴いたが、いずれもソロリサイタル。今回は、デュオ、さらに後半は足達先生も加わったトリオが聴けるという事で仕事を4時半に切り上げていそいそと出かけた。
Photo西村さんの母校である北高(音楽科がある)や地元楽器店(お母様がエレクトーン講師をされているらしい)、そして足達門下の応援があったとは思うが、写真のようなお客さんの入りで、開演時間ギリギリに到着したため左端の前の方しか席が空いていなかった。

プログラムは、前半が
1)J.S.バッハ:トリオソナタニ短調 BWV1036
2)矢代秋雄:2本のフルートとピアノのためのソナタ
3)日本の四季メドレー(編曲 LaxPan)
4)F.ドップラー:アンダンテとロンド op.25
の4曲。
Laxpan2ピアニストと3名、色を合わせたようなブルー系のロングドレスを着て登場。写真のような雰囲気でとても華やかで可愛らしい。上記友人のなが〜〜い修飾語の先入観もあって、言葉は悪いが、ちょっと「ちゃらちゃらした」女の子達かと思ったがどうしてしっかりとして基礎的演奏技術に素晴らしい音楽性を身につけていて、聴いていて楽しかったし「ああ、フルート吹きたい!」と思わせるような演奏だった。
1と4は、フルート2本ではよく聴かれる演目で耳馴染みもあるし、彼女たちの実力もよく示された。二人の呼吸もピッタリでバランスも良く、これまでに何度も一緒に演奏した経験を感じられる。
2曲目の矢代秋雄の曲は私は初めて。とてもおもしろい!「これ、演奏してみたい」と思わされた。楽譜を探そうと思う。
3曲目は、よく聴かれるメドレーであるが、途中ジャジーなアレンジもありなかなか素敵だった。あっという間に40分ちょっとの前半が終わった。

休憩後の後半は、足達先生も加わってフルート3本にピアノで
5)G.P.テレマン:ターフェルムジークより第2番ニ短調
フルート3本のみで
6)J.カステレード:フルート吹きの休日
最後に、またLaxPan二人+ピアノで
7)F&K.ドップラー:ワルツ・デ・ブラヴーラ op.33

二人の息の合った演奏に、足達先生の風格ある笛が加わって、見ていても聴いていても安心感のある、楽しい演奏だった。後半の服装は、西村さんが淡いピンク、永留さんが淡い黄色のロングスカートで、ピアノの浅見さんは真っ白のドレス、みんな綺麗。
6の「フルート吹きの休日」は、一昨年の夏合宿で私もフルート4本版に混ぜてもらって合宿中の2日間だけでの練習で、最終日に発表会で演奏する機会を得た。あの時は、4人で1番から4番フルートを交替しながら演奏したがとても楽しかった。今回の3人の演奏は、十分に練習してリハーサルを十分にやった事が感じられるような演奏だった。また吹いてみたいと思った。
5も素敵な演奏だったが、7はドップラー兄弟の真骨頂のような曲で華やかでヴィルトゥオーソでこれもいつかは挑戦してみたいと思わされた。
大きな拍手の後、アンコール曲として彼女達が選んだのは、「星に願いを」とカーペンターズの「青春の影」を編曲したメドレーでした。バッハ、テレマンも素晴らしかったけれど、彼女達らしさというか音色や演奏スタイルからは、ジャズやポップスをアレンジした演奏が似合っていると感じた。これからも頑張って演奏活動を地道に続けて更に進化して欲しいと思った。

Photo_2クリスマスも過ぎた訳だし、仙台の「光のページェント」には比べるべくもないが、文翔館前から七日町商店街方向を望むとこのようなイルミネーションの装飾が美しかった。今日、クリニックの「上棟式」を控えていてすぐに帰らなければならなかったし、この1週間のうち3回(4日)も山形往復で疲れたけれど、(自分がフルートを吹くからと言う理由はもちろんあるが)とても楽しいリサイタルであった。こういう演奏会に足を運ぶのはまったく苦にならない。満足満足!


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.12.27

年の瀬です

もう12月27日になりました。
昨日の夕方、ちょっと夕陽を見る瞬間がありました。まだほんの少ししか動いていないはずなのに、なぜか「ああ、冬至から4日経ったんだなぁ」と思いました。
季節は冬。これから本格的な寒さが到来すると思うのですが、気象学的季節としては毎日「春」に向かっているのだと言えるのでしょう。
今朝はとてもいいお天気で、冬の最中の一瞬の眩しい太陽を朝から見る事ができました。出勤の時間、鳥海は眩しい位に輝いていました。

1226aこのような姿を見ると、思わず車を停め、車から降りて、見入ってしまいます。なんと美しいのでしょう。。。
この場所から同じようなアングルで10/25にも写真を撮っています。ほんの2ヶ月の違いです。
「愁色濃く冬近し(鳥海と白鳥)」の記事の最初の写真と比較してみて下さい。

1226陽の光が、鳥海の峰にあたり、くっきりとした陰影を現しています。のっぺりした二次元的な山肌ではなく、深く切れ込んだ谷や渓谷を想像させる影です。
「酒田市の鳥」=イヌワシはこんな渓谷に生息しているのでしょう。
太陽の光で眩く白く光る積雪と共に、やや銀色に淡い影を持つ積雪面も見えます。
ほんの30秒もなかったと思いますが、写真を撮りながらこの美しさを堪能しました。


何か、このブログで気安く触れる事もはばかられる話でしたので二日程経ってしまいました。
12/25、そうクリスマスの日は、庄内町(旧余目町)地内の最上川にかかる鉄橋を渡ったところで、JR羽越線の特急列車が脱線転覆し5名の尊い命が犠牲になった事故から丸2年が経ったのでした。
その年の秋に酒田から別の町に移動になっていた私にとって、余目の鉄橋でのJR事故は「対岸の火事」でした。しかし、9月まで一緒に働いていた病院の仲間が、クリスマスの夜に呼びだされ、寒風吹きすさぶ最上川河畔の事故現場で懸命の救出活動に当たっていたのです。もし私が10月に移動になっていなかったら、当然病院に呼び出され、救急救命活動に当たり、もしかすると現場に送り込まれて、普通ならば5分と立っていられない冷たい地吹雪の吹く現場で被害者の救出活動、医療活動に携わっていたのかもしれないのです。

実は、昨日の記事に書いたラーメンの話に出て来る旧余目の「八千代」から酒田の家に戻る道は、この事故現場のすぐに横を通っていて、保存された現場、慰霊碑、記帳ができる小屋が建てられているのが車の運転をしながらも確認できます。心の中で手を合わせて通り過ぎ、最上川に架かる橋を渡るとそこは酒田市です。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2007.12.26

最近食べたラーメン

オケの練習が多いと、昼休みに蕎麦やラーメンなどを食べる機会が増えます。
オケ仲間が知っている店ならばたいてい間違いないものが食べられます。
11月、12月の約2ヶ月の間にもたくさんのラーメン屋さんに行きました。

酒田市内の数多いラーメン屋の中で、比較的に気に入っているのが、「花鳥風月」。以前このブログで紹介しました。(10/25)「愁色濃く冬近し」という記事。

「三日月軒」の「東中の口店」は昔から好きです。あっさりしています。「ラーメン」というより、蕎麦に近い「中華」です。麺が小麦粉でできている、具がチャーシューなどが入っている、「かけそば」かな?清水屋デパートすぐ脇の「中町店」も市民に愛されています。メニューは中華そばのみ。小、中、大とサイズが3種類あるだけです。買い物などでぶらっと寄った、ご近所の初老(失礼かな?)のおばさまたちはオヤツ感覚で「小」を食べて帰ります。

こあら町の「新月」も忘れては行けません。業界でも有名なお店のようで、新しい「こあら町店」も外商のサラリーマンなので混み合います。酒田では「月系ラーメン」と言われています。満月、三日月軒、新月、半月、〆月などなど、別にチェーン店ではありませんがたくさんあります。まだ半分も制覇していないかも。

Photo「酒田のラーメン」からは離れていますが、「ラーメン哲」という近所のお店ではこだわりの「味噌ラーメン」を食せます。この、もやしたっぷり載せ味噌は美味しかった。

錦町にある「味龍」は昔から好きです。麺もスープもチャーシューも美味い。あの「ラーメンの鬼」佐野実が絶賛したという麺は味わう価値あります。10/14「ダーネル氏と練習」の記事を参照。

度肝を抜かれたのは、藤島の「原田そば屋」。すごい量のチャーシュー、でもさっぱりしていて美味しかった。心配なのはお店がいつまでやっているのか、という事。しょう油系のスープですが、酒田のラーメンのような煮干し出汁の香りは少なく、日本ソバのかけそば的な雰囲気です。12/10「庄内音楽フォーラム」の記事を参照。

先日、山形に行った際に、立ち寄ったのは「龍上海」。その「大学病院前支店」。休日のお昼時などは店の外まで行列ができます。本店は赤湯にあるので「赤湯ラーメン」として知られ、あの横浜の「ラーメン博物館」にも要請されて出店したお店です。「駅前店」では、ザク切りのキャベツがゴロゴロ入っているのとチャーシューがトロトロの厚切りなのが好きです。
Photo_2「大学病院前支店」のは、チャーシューも小振りで分厚くなくキャベツがゴロゴロもしていませんが、味が安定していて美味しいと評判です。大学病院勤務時代はたまに出前も取りましたが、医局の部屋から廊下まで匂いが漏れてしまい(煮干し臭さと味噌の香り)ちょっと遠慮するような感じ。
久しぶりに食べましたが美味かった。太めの縮れ麺には元々は店で余ったラーメンに自宅のみそ汁を入れて、「賄い」にしていたことから発祥したちょっと癖のある味噌スープが絡みます。パンチ効き過ぎくらいの「辛みそ」、これを自分で溶かしながらスープの味を変えつつ食べて行くのがいいのです。

写真がないので、今度撮って来て載せようと思いますが、酒田市旧松山町の食堂「四十番」。ここはテレビ局の取材や芸能人、有名人も訪れているようです。いろんな種類のラーメンがあり、定食もあり、駄菓子も売っている、という田舎の典型的な食堂ですが、「平打ち麺」というのが美味い。パスタでいうところの、フェットチーネよりはリングィネに近い感じ。スープはしょう油系で酒田のラーメンに近い煮干し出汁だとおもいますが、とてもあっさりしています。(他に同じ松山には「松山軒」という有名店がありますが、こちらは未踏破です、そのうち!)

Photo_3仙台の「光のページェント」を楽しんで、翌日酒田に戻る途中で寄ったのは庄内町(旧余目)の余目駅から車で1分ほど、元の中央通商店街的な場所にある「八千代」です。
いくら休日とはいえ、シャッター街というかゴーストタウンのように人気のない、開いている店のほとんどない余目商店街の中で、小さな店とはいえひっきりなしに客が入ります。私が寄ったのは午後2時半頃でしたが、次々にお客さんが入って来ていました。ここもメニューは「ラーメン」だけ。サイズが「小、中、大」あるのみです。9月に行った函館のラーメンのように澄んだきれいなスープで、細めのやや縮れ麺。具もシンプル。塩ラーメン系ですが、とってもしょっぱい。コップのお水をお代わりしてしまいます。血圧が20くらい上がりそうです。でも美味いです!

まだまだ行っていないお店もたくさんあります。
「龍上海」や「喜多方ラーメン」が好きだった私にとって(喜多方は医師になって半年間、一人医長で赴任していた時代があります)、「酒田のラーメン」は最初なんだか手応えが薄い、食べ応えの軽いラーメンに感じられました。量は多いけれど、アッサリしているのと、煮干し系出汁の香りがちょっと慣れていなくてあまり気に入りませんでした。最近では、この系統のしょう油系ラーメンは大丈夫。「満月」やそこから派生したお店での「ワンタン」は絶品。その他にも、清水屋デパート裏にある「川柳」、市文化センター前にある「来々軒」のラーメンやワンタンめんは行けます。ただ、個人的に「満月」は以前酷い目に会ったためそれ以降は行っていません。混雑する店のカウンター席に座り、「中華そば」を頼んで待つ事20分超、厨房にいた若いお兄さんが賄い的に自らラーメンを食べている姿を見ながら、「遅いな〜、、、」とイライラし始めていたところへ「お客さん、ご注文は?」と聞かれてしまいました。その時点で注文してから30~35分経っていました。二度と来ないぞ!と店の人にタンカを切って出てきました。それから3年近く経つのでそろそろ怒りも納まって来たところ、また行きたいと思っています。

その他、写真で紹介できなかったお店も近いうちに写真を載せたいと思っています。

それにしても、酒田はラーメン、とんかつ、カレーと日本人の庶民の大好物が美味い店が多くて、住むには危険な街かもしれません。(^^;;;;

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.12.25

「ドイツ・レクイエム」

12/25、2つ目の記事です。
今日は、山響と山響楽友合唱団、山形大学学生有志にソプラノ松田奈緒美、バリトン久保和範のキャストでブラームスの「ドイツ・レクイエム」の特別演奏会に山形テルサまで行ってきました。
午後5時ぴったりに仕事場を出て高速を飛ばし、6時35分頃テルサ近くの駐車場へ。会場に入って席に着いたら6時45分頃。まもなく指揮の飯森さんのプレトークが始まりました。
まず最初に、「ドイツ・レクイエム」は7曲から構成され、途中に休憩が無いので「ご注意ください」というお話。長いものでは1時間35分という演奏もあるが、自分はそんなにはならない、けれど途中でトイレには行けませんということです。ついでプログラム・ノートに触れながら、「レクイエム」について説明。本来、カトリック教会でラテン語にて行われる「死者のためのミサ」を意味するものであり、今回のブラームスのドイツ・レクイエムは、宗教改革で有名なマルチン・ルターが1537年に訳したドイツ語の聖書の中に「ドイツの信仰の源」を見いだし、宗教儀式や典礼ではなく、普通の音楽会においてドイツ語で歌う作品として作曲したものである事が説明されました。プログラム・ノートに続いて、全7曲のドイツ語歌詞と日本語対訳がついており、飯森さんはその一部を流暢なドイツ語で読みながら簡単に解説を加えます。10分を越えるプレトークでちょっと長いな、と思いましたが、飯森さんのこの作品に対する強い思いを感じさせるものでした。

演奏は、素晴らしいものでした。
「ドイツ・レクイエム」をホールで生で聴いたのは初めてです。そんなにしょっちゅう聴ける曲ではありません。オケも難しいですが、何より合唱が難しい。その辺の素人合唱愛好家が年末行事的「第九」に参加するような感覚で取り組めるものではないと思います。聞いた話では、これまでの練習において合唱が期待するレベルまで出来ていなかったため、飯森さんが「こんなんじゃ録音できませんよ」と怒って途中で帰ってしまった(一種のポーズらしいですが)ということでした。オケと合唱が一緒になった練習は、12/23からの直前2日半だけだったようです。そんな練習時間でよくまあここまでやったな、という事が一つ。大きな声でガ〜〜ンと歌う部分よりも、ppで繊細に、ささやく様に、または呻く様に歌う部分やアルペジオっぽい部分などは、プロの歌い手が集まっても難しいのではないかと思います。今回の合唱団は1年かけて一生懸命練習して来た訳で、「素人」(=歌で食べている訳ではない)ということを考えればかなりのレベルまで仕上がっていたと思います。ただ、「音」を出す「楽器」としての「声」が鍛え上げられて完成している人ばかりではないということが問題です。アマオケの弦楽器において、プロ並みに上手な人もいるけれどなんとかtuttiとして付いていくのが精一杯でまだまだ美しいボーイングで伸びやかな音を出せない人が何人か混じっていて、弦楽部全体としての音の塊がまとまっていないような状態に似ていると言えるでしょうか。それは、日本全国、余程のレベルの高い合唱団においても、全員がプロ並みに若いうちから声楽の基礎を学び声帯を鍛えて来たというような集団はまずいないと思いますので、それを期待する事が誤りなのかもしれません。そして、ドイツ語の発音がイタリア語やラテン語などよりも日本人には難しいと思います。母音も子音も基本的に日本語の発音と同じものは無いと考えていいと思います。どうしても日本語的発音のドイツ語が聞こえました。
でも、そんな細かい事(細かい事が大事ではないという意味ではありません)よりも、歌い手が心を込めて指揮者とオケに導かれながら最善の歌唱をしていることはよくわかりました。
ソプラノの松田さんとバリトンの久保さんは、それはもう素晴らしかった!
人間の声というのは最高の楽器だなぁとお二人の歌唱を聴いて思いましたし、お二人がそれぞれソロを歌う部分では、オケが聴こえない、飯森さんの指揮が見えない感じすらしました。そこは「山形テルサ」というコンサート会場ではなく、なんだか雲の上にいる神や天使たちの世界の様に感じました。

山響は、バロックティンパニ、ナチュラルトランペット、木管(グラナディラ製)のフルートなど「モーツァルト定期」の時と同じような楽器構成で、コントラバス4台が下手側、他の弦楽4部は下手から第1バイオリン、チェロ、ビオラ、第2バイオリンといういわゆる「対抗配置」になっています。合唱がはいるため、ホルンが下手側でその更に下手側にハープが2台置かれています。トランペット、トロンボーン、チューバとティンパニは上手側に置かれています。どのパートも素晴らしく、冷静に熱い演奏をされていました。個人的に、おお熱いぜ!とかいいなあと思ったのは、ビオラとトロンボーン。響きの厚みと和音の美しさが際立っていました。ビオラ首席のNさんの演奏中の動きは2階から見ていてもこちらの心を熱くします。トランペットは、普通のトランペットより長いためかベルを下に向けて吹いていて、そのせいか輝かしいラッパの音というよりは柔らかくややこもりがちの音だった様に感じます(それがナチュラル管を用いた理由かもしれません)。フルートはA先生の独壇場のように美しい響きが目立ちます。今回は、Tさんがセカンドフルートに徹し、ピッコロにA先生のお弟子さんで12/27(木)に文翔館でフルート2本のリサイタルを開く、N嬢が乗っていました。
コンマスはT氏、奥さんもまた4プルインに乗っていらっしゃいました。飯森さんの指揮中の表情は2階席からは伺えませんでしたが、その指揮をする後ろ姿から想像するに、相当に魂を込めた表情でオケと合唱を引っ張っていたのだと思います。その姿にオケも応えて熱い演奏をしたのだと思います。

演奏が終わった時、指揮者が動きを止めました。合唱も、オケも止まり、そのまま誰一人動きません。観客も誰も拍手もせず動かず、音の消えていった空間を無意識に感じながら、静寂の美しさに浸りました。10秒くらいだったと思うのですが、1分くらいにも感じられるような長い静寂でした。そして、パラパラと、すぐにホール全体の拍手へと広がります。オケに、合唱団に、ソリストに、そして指揮者に惜しみない拍手が送られました。
「ドイツ・レクイエム」は、「第九」のようにバ〜ン!!やった〜という感じの曲ではありませんし、終わった瞬間に「ブラボ〜」の嵐を呼ぶような曲でもありません。少し重苦しいような、もっと崇高な魂が昇華したような、言葉で的確に表現できそうにない音楽でした。ゆっくり音楽の余韻に浸っている訳にもいかず、直ぐに酒田に戻らなければならないのが少し残念でしたが、往復3時間以上をかけて頑張って聴きに行った甲斐のある演奏会だったと思います。

今日のおまけ。
1225終演後、駐車場に歩く際、霞城セントラルビルと周辺の「小さな」光のページェント?
そうそう、ブログのカウンターが17万まであと1000を切りましたので、年内にヒットしそうですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「光のページェント」(仙台)

私が仙台に住んでいた頃(中学、高校、浪人中)にはまだなかったクリスマスシーズンのイベント「光のページェント」。
今や全国的にも有名になり、仙台市中心部のいろいろな場所で電飾のデコレーションが観られますが、主となるのはやはり「定禅寺通り」。ジャズフェスもやるところです。
「杜の都」と呼ばれる仙台市内でも、青葉通りの大きな木々と共に見事な定禅寺通りの真ん中にある歩行者用の干渉緑地(というのでしょうか)。彫刻やベンチなどがあって、市民が散歩したりくつろげるような工夫がされています。
Photo私の安物デジカメでは、「夜景」モードにすると手振れで綺麗に取れないので、去年の写真を他サイトからちょっと拝借。あまりいろいろな色の電飾でゴテゴテとせず、シンプルなのが美しい!

Photo_2私が撮ったのは残念ながらこんなもの。やはり三脚立てて撮らなきゃ駄目ですね。
光のトンネルのような真ん中を歩きながら眺めるのが最高ですが、12/23は「サンタの行進」とかいうイベントのため、真ん中の遊歩道は閉鎖されていました。その代わり、定禅寺通り自体が「歩行者天国」になっていました。凄い人出で、まるで大きな神社の初詣に来ているような状態。人の流れに逆らって歩くのは大変で、同じ方向に歩きながらもたくさんの人とぶつかる始末。
仙台市は元々60万くらいの人口が、政令指定都市となるため周辺と合併して100万人を越えました。人口は酒田の10倍くらいある訳ですが、この日は、私のような県外ナンバーの車がたくさん(山形、庄内、秋田、福島、栃木、、、)見られました。
高校時代に良く立ち寄った「匂当台公園」(こうとうだい、と読みます)にもたくさんの電飾があり、野外音楽堂で何かのライブが行われていました。凄い人での中をしばし歩き、夕食はやっぱ「牛タン」でしょう!とばかりに、定禅寺通りから近いということで「利休一番町店」を選択。いくつか支店を持つ「利休」のお店の中でも初めて行くところ。「牡蛎料理」で有名な「かき徳」のあるビルの、一番町通り側、三越のむかいの2階にあります。
行ってみたら、店の入り口から階段をずっと1階までの行列。一瞬やめようかと思いましたが、今日の人出、有名な牛タン屋さんはどこに行っても同じようなものだろうと諦め並ぶ事にしました。時間が18:30過ぎとちょうど混む時間でタイミングが悪かったせいか、席に着けるまで1時間並びました。
Photo_3「利休」のタンは、前歯でスカッと噛み切れます。特にこの「芯タン」と命名されている部分は凄いです。仙台駅新幹線コンコース脇の通称「牛タンストリート」にある「利休」で食べたのと同じで、噛み応えがありながら柔らかく美味しかった。泊まりなのでお酒もOK、ということで、熱燗とモツ煮も頼んじゃいました。お通しも来てカウンター席にところ狭しと料理が並び、掻き込む様に食べては空いた皿を返すという感じになってしまいました。(^^;;;;

お店の人が、裏通りにも綺麗な飾り付けがありますよ、と教えてくれたので行ってみました。
B「かき徳」前を西に、国分町の大通りを横切って、国分町交番の前にある小さな公園(ブランコなどがある)です。なかなか素敵です。
B_2オカリナ、ケーナ、電子ピアノにパーカッションのトリオが小雨の中、頑張って演奏していました。
定禅寺通りから見ると、南に一本下がった裏通りで、「凱旋門ビル」という「お姉サン」達がたくさん働いているお店が4,50軒は入っていそうなビルの真向かいです。
B_3結構知られているらしく、ここもそれなりの人出。写真を撮るのを頼まれたりしながらちょっと見て回りました。

公園でちょっと寒くなったので、暖かい飲み物でも飲んでからホテルに戻る事にしました。
Photo_41杯が1000円からする高いコーヒーを出す事で有名なH珈琲店の本店に行ってみました。実は、先ほど行った牛タン屋と同じビルにあります。
私は「エクセレントブレンド」、家内は人気のオリジナルチーズケーキと紅茶のセット。ここの飲み物はほとんど1000円以上するのですが、その訳はおそらくほとんどが器でしょう。私のコーヒーはウェッジウッド、家内の紅茶はマイセンのカップで供されました。コーヒーは、苦みと酸味が強く、濃い味が好きな私にはまあ「アリ」ではあるのですが、ブレンドという割には口当たりが良くなく、バランスもいいとは思えませんでした。紅茶は、(家内が後日言うには)決して美味しくない、ということ。店の素敵な雰囲気と店員の恭しい態度に気分は良くなりますが、肝心のコーヒーや紅茶の味は値段に相応する程美味いのかというと、あくまで私個人の感想ですが、ちょっとガッカリです。もしかすると、たまたまその時に煎れたものが失敗だったのかもしれませんが、まあ、話題作りにものは試しと行かれるのは良いと思います。どこかのサイトで仙台市内の喫茶店のランキングの上位に出ていましたが、どうでしょう。美味い、不味いはやはり個人の好みの問題なので、好きな人は好きなのかもしれませんのであしからず。

今日のおまけ。
Photo_5何?
未来都市?
UFO?
小雨で霧がかかったような空中に浮かぶような灯りは。

Photo_6実は、宮城県庁のビルの上の方の灯りなのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.12.24

さようなら、「シネマ旭」

今日は、クリスマス・イヴ。皆さんはどんな日を過ごしていらっしゃいますか?

私は、12/21の「山響団員・FC会員合同忘年会」から出ずっぱりで、今日酒田に帰って来るまでいろいろなイベントに参加してきました。12/22は「山響ファンタジックコンサート」、医局同門会の忘年会があり山形に2連泊しました。
折角だから、12/23(日)に山形で何かないかな〜と思っていましたら、表記のように山形市七日町中心街にある映画館が閉館になるため、最後の記念上映会があるというのです。幸い、無料の整理券が手に入り、12/23の10時に「シネマ旭」に向かいました。

「シネマ旭」の前身「旭座」は1917年創業で90年になります。今の建物になって50年以上になるそうです。1階と2階で2スクリーンありますが、満席で800の座席数。最近では、余程のヒット映画でもない限り、客席はガラガラ。混む事を覚悟で行った映画でさえ余裕で座れてしまう低迷振り。それは、やはりアメニティの低さ。客席の広さの割にはスクリーンは横8mとそんなに大きくない。空調が悪くて冬場は寒いためコートを足に掛けないと震える位。専用の駐車場はなく、街中の駐車場と提携はしていても映画一本観るためにはやはり何がしかの駐車場代を払わなければなりません。最近流行の駐車場完備の「シネコン」のアメニティには全く敵わない訳です。
Photo_2(特徴ある波形の天井、「最後の日」で「無料」でも満席にはならない、この程度の人の入り。山形の中心部はどうなるのでしょう、、、)
昭和32年の裕次郎登場、35年の全盛時には800の客席数に対し1200人も入った事があったそうです(今なら消防法違反かもしれませんが)。
映画が庶民の夢で大きな娯楽であった時代から、最近の様にDVD全盛、テレビも有料チャンネルで映画観放題となって、街中心部にあるべき文化の香り高い硬派の映画館は消え去り、ショッピングモールとくっついたシネマコンプレックスで映画のヒット状況に応じて、客席数の大きいものから小さいものまで8〜10もの大小のスクリーンを持って運営しています。「シネマ旭」の経営母体であったM社から引き継いだMO社でも、山形市北部の新しい新興住宅地に新しいシネコンを作るのだそうです。
Photo(古い映画館らしい緞帳が時代の流れを物語ります。マスコミも4社程カメラが入って取材していました)
10時から閉館記念式典が行われ、M社社長、山形市長の挨拶に続き、50年以上シネマ旭と共に仕事をして来られたM社元社長の挨拶がありました。最後はこの歴史ある映画館の存続を果たせなかった思いを「悔しいです」と涙ながらに吐露され、閉館に至るまでにいろいろあったのだなあと思わされました。

酒田市の中心街がそれなりに頑張っていてもお客の足は少なく、三川町にあるJ社をはじめとするショッピングモールには庄内のみならず日本海側の秋田県南の人まで集客する時代です。酒田市と鶴岡市あわせて人口27万人程いるのにもかかわらず、両市の街中に映画館は今はありません。みんな、三川町のI社のシネコンに行くのです。
山形市の人口が25万、周辺の市町村をまとめて約40万人いても古くからある映画館は無くなってしまいました。市中心部にシネコンが2つ、そして郊外に大きなシネコンが新しくできる代わりに、大げさに言ってしまえば文化の殿堂のような由緒ある映画館が閉館されるのは寂しいという言葉だけでは不十分です。やはり「悔しい」となるのでしょう。
今後は、何らかの形でこの建物は残し、演劇やコンサート会場として使う道を模索しているようです。

この映画館に私が初めて来たのは、山形大学医学部受験の時でした。2日間の試験の前日だったか、初日の夜だったかは忘れました。「合格確実」と太鼓判を押されていたT大学医学部の受験に失敗して、失意のどん底で「できれば山形なんか住みたくないな〜」と正直に思っていた時でした。夜7時にはシャッターが降りてしまう、昔の山形市中心街。何もする事が無くて、一人寂しく歩いていて映画館の灯りが私を惹き付けました。たしか「パニック・イン・スタジアム」という映画を観たと記憶しています。以来、およそ30年の間にいろいろな映画を楽しみました。
この日、最後の上映は、山形に大変縁が深く興行的にも成功した、宮崎駿アニメの秀作「おもひでぽろぽろ」と、この映画館最大のロングラン(丸1年)の最大のヒット作「タイタニック」でした。私は、10:30からの「おもひでぽろぽろ」を楽しみました。映画が始まる時に、パチパチと拍手が沸き起こりました。感慨深く終わった時にもパラパラでしたが拍手がありました。昔、映画館ではこうやってよく拍手が聞かれたものです。

90年の歩みに幕を降ろして古き良き映画館がまた消えてしまいました。
12/23、「シネマ旭」閉館。


| | コメント (6) | トラックバック (0)

2007.12.23

山響ファンタジックコンサート

12/22(土)午後2時から、山形市の山形市民会館大ホールで「山形市主催」の表記コンサートがありました。これは、「親子で楽しめる」コンサートということで、なんと入場料無料!
昨年同じ頃に、前もって市内各所(公民館、コミセンなど)で「整理券」を配布し、大ホールの客席数よりも多い整理券を配布したにもかかわらず、当日は6〜7割の観客だった、しかもコンサートに行ってみたいと考えていた私のような者が「整理券が完売」していたために行くのを諦めたのに、後から聞いてみたら整理券なしでも当日行ったらガラガラで何の問題もなく入れた、ということがあり、多少この運営に対して怒りを感じたものでした。

今回、このコンサートに行くことになったのは2つの理由があります。
1つは、本日(すでに昨日12/22)の午後に大学脳神経外科同門会の幹事会、総会、忘年会があるため山形に出向く必要があった事(飲むので当然お泊まりです)。もう1つは、昨日(12/21)、山響団員とファンクラブ会員との合同忘年会があった(これも飲むので当然お泊まり)ためです。

この忘年会は、山響団員さんが30名程、FC会員が10名程という数で大変盛り上がりました。
山響FCの中では仙台からも2名参加、「わざわざ仙台からいらして下さいました〜!」と紹介されていました。我々夫婦は酒田から参加ですが、山形ー仙台は車で50〜60分。山形ー酒田は1時間半、距離も仙台からの倍くらいあるんですけどね〜。「県外」からの参加者には負けます!(笑)
楽しいビンゴ大会もあり、山形弦楽四重奏団の中爺さんのブログでもその商品が公開されていました。
中爺通信「忘年会」をどうぞ!
山響コンマス(ミス)で、酒フィル弦トレーナーでもあるA.I.さんはじめ主要メンバーが大勢いらっしゃいましたが、12/22のファンタジックコンサートのトラで来られたTuttiの方も数名参加されていました。中には、特別客演コンマスの高木さんの奥さん(Vn.、先日の酒田定期にも乗っていた)もいらっしゃいました。いつも元気で愉快なTp.のお二人にHr.のお二人、いつも素敵なVn.のSさんや大勢の方といろいろお話しできて楽しい時間でした。Fl&PiccのTさんとは出身地や諸々の事をお話しし、私よりイッコ年上だと判明し驚かされました(お若く見えるので年下だと思っていました)。
1次会の後、14,5名が2次会(ワイン飲んで酔いました)、更に10名程が3次会まで参加。私も、コンマスやTp.のIさんとの会話が楽しく(1/3くらい寝てましたけど、、、(^^;;;;)ずっとお付合い。諸事私用などで参加されなかった団員、FC会員もいらっしゃいますが、来年(気が早い)は参加されると楽しいですよ。私は、先日の恒例の馬見ヶ崎河原での「芋煮会」が酒田でのオケ本番と重なって参加できなかった事、来年からは開業に伴い、平日夜に自由になる時間は少なくなりおそらく参加できないであろう事などから、今回少し無理して(山形に2連泊)参加する事にしたのです。
ホテルの部屋で横になるときは2時を大きく回っていました。
そして、今朝(昨日)12/22、宿泊のホテルのレストランで朝食を取ろうとしていたら、ファンタジックコンサートの指揮者であるJ.S.さんにばったり。略語で隠す事でもないので実名を出しますと、指揮者佐藤寿一さんは高校の2年後輩で一緒にブラバンに所属していたので良く知っているのです。現在は様々な活動をするためフリーですが、1998年から2004年まで山響の指揮者だったのです。

午前中の仕事を終えて、コンサート(13:30開場予定)に行くため、十日町の蕎麦屋「三津屋」に久しぶりに行ってみました。するとそのお店で昨晩一緒に飲んだFl&PiccのTさん、Vn.のHさん、そして今回都合で乗らないFlのAさんの代わりにトラできた仙台フィルのAさんにばったり(隣のテーブル)。更に、パーカッション軍団が4名来られてばったり。「昨日はお疲れ様でした〜」という感じになりました。まだ時間は早いのですがする事もないので、その足ですぐ近くの市民会館へ。13時ちょっと過ぎでしたが、開場されていて着た順に中に入っています。入り口の外には「最後尾」という、もしもたくさん並んだ場合の事を想定した立て看板がありましたが、ちょっと虚しい感じ。会館の外では、どなたが扮装していたのでしょう、サンタさんが来場した子供たちに愛想を振りまいていました。

開演は14時なので約50分、プログラムを眺め、客席で子供たちのキャッキャッという喧噪を子守唄に少々仮眠。5分前に、まるで小学校のチャイムのようなキンコンカンコンというお知らせがなり、14時丁度にコンサートスタート。山響に指揮は寿一さん、そして「歌のおねいさん」森みゆきさんが真っ赤なドレスで登場。本人が尊敬するアーティストの一人としてあげているジュリー・アンドリュース歌う「サウンド・オブ・ミュージック」の歌やご本人作詞のお母さんの歌などを山響の演奏をバックに熱唱していました。映画「サウンド・オブ・ミュージック」が大好きでビデオは100回以上は観たという家内と私は今年の5月の旅行の際にザルツブルグを訪ね、お決まりの「サウンド・オブ・ミュージック・ツアー」に参加したのですが、その事を思い出しながら聴きました。
平成16年に、今の希望ホールになる前の、古い、築41年の酒田市民会館解体直前の「さよなら市民会館」記念コンサートで、三枝成彰氏とプロの女性MCの司会で元宝塚の真琴つばささんをゲストに酒フィルが演奏した事を思い出します。真琴つばささんの歌に合わせて指揮は榊原栄さん(平成17年に急逝)で、今回森みゆきさんも歌った「踊り明かそう」などのミュージカルナンバーなどを演奏しました。私もフルートで乗りました。比較するのは論外なのですが、演奏する立場としてはそういう耳でも聴いてしまいます。弦の統制の取れた美しさ、管の柔らかい音色、アーティキュレーションの良さ、指揮や歌に合わせる見事さなどを学び、彼我の差をあらためて感じました。
森みゆきさんはさすが元NHKの「歌のおねいさん」だけあって、MCもなめらかです。歌声はやはり子供向けの発声法ですが、結婚して米国に在住というだけあって英語の発音はなかなか素晴らしい。小さい子供がオーケストラを聴いていて飽きて騒ぐ時間がわかっているようで、質問をしてみたり、「音楽なぞなぞ遊び」など楽しい企画がたくさんありました。
オケの楽器を紹介する際にも、「この楽器は何かわかるかな〜?」と聞くと会場内の子供たち(小学生以下、未就学児童が大半)からは「ヴァイオリ〜ン!」とか「ラッパ〜!」という声が。ヴィオラやチェロをちゃんと答えていた子がいたのに、コントラバスを「これは何でしょう?」と聞いた途端、元気に大きな声で「ヴァイオリ〜〜ン!」と答えた子がいて会場内爆笑。森みゆきさんも「コントラバスと言っても走らないんですよ〜」と受け返し、ちょっとシーンとした会場に「ここ、笑うところですからね〜」と笑いを取ります。
「山の音楽家」の歌で、いくつかの楽器を紹介し、演奏者を紹介し、独奏を聴かせてくれました。クラリネットの紹介では山形弦楽四重奏団演奏会にも良くゲスト出演されるG先生が、「クラリネットのお兄さん」と紹介されていたので、つい「お兄さんかい!」と客席で突っ込みを入れてしまいました。(^^) クラリネット・ポルカは素敵でした。
ラッパ=トランペットの紹介では、昨日(当日?)夜中の2時まで一緒に飲んでいたIさんが紹介され、Tp.3名でメンデルスゾーンの結婚行進曲の有名なパパパパ〜ンというファンファーレ、かっこ良かった。他にはフルート、ホルン、シロフォン、ハープにチェロが紹介されました。そうそうハープとチェロでは有名なサンサーンスの「白鳥」、昨日の1次会で私の前に座っておられたKWさんが見事な演奏をされました。KWさんはプラハ帰りなのでちょっとプラハのお話などもできて楽しかったです。
音楽で動物を当てるというクイズでは、会場まで降りて来てこどもたちに「今のは何かわかったかな〜?」と聞き、元気なこどもたちが「うさぎ〜」「きつね〜」などと解答。正解は、なんと山響団員手製か?大きなうちわのようなものに「うさぎ」や「かえる」などの絵を書いてVnやVaの団員がそれを高く掲げて正解を示していました。ある曲の途中で、ホルンのYさんとOさんの二人が舞台上手袖から消えていったな、と見ていたら、その1分後くらいに観客席後方から耳をつんざくようなホルンの咆哮。「象」の音楽のところで、うしろからお二人で「パオ〜〜〜ン」と登場されました。これにはちびっ子のみならずお父さん、お母さんも振り返ってびっくり。素敵な演奏をありがとうございました!

一番面白かったのは、森みゆきさんがリズムの事をこどもたちに歌いながら教えていた場面。3拍子の歌を、4拍子、5拍子と変えていくために、「お休みも音楽なんですよ〜」といいながら身体を使ったリズムの取り方をこどもたちに教えます。その時に、「今、冬ですけど、風邪をひいている人いませんか〜。風邪を引いた時に「出る」ものはなんでしょう?」と聞いたら、(当然、咳という答えを期待していたと思うのですが)会場の子供の一人が大きな声で「鍋!」と答えたのでした。これには会場はもちろん爆笑、オケ団員もステージでずっこけていました。3拍子に休符を一つ加えて4拍子にして歌う際に、「ゴッホン」と咳を入れるつもりだったんでしょうが、「ナベ!」と言われたのです。ところが森みゆきさん、さすが長年子供と付合って来られたベテランらしく、「鍋〜?!え〜、それ、面白い!」と言って、ワン・ツー・スリ−+「ナベ」と全身を使ったリズム取りに「鍋」を入れてしまったのでした。感心させられました。
15分の休憩後はクリスマスメドレー中心で、全部で15曲の歌を歌っての楽しいコンサートでした。私は、4時の会議出席に遅れない様に3時半には会場を後にしたので最後まで聴けませんでしたが、子供たちを最後まで惹き付けて楽しく終わったようです。

山響は先日のショスタコや今年始めのブルックナーに今年から始まった「モーツァルト定期」など、本当に高い音楽性の素晴らしい演奏を聴かせてくれます。今、日本でオケでモーツァルトを聞こうと思ったら、本当に山形に来るべきでしょ!というような素晴らしいコンサートが聴けます。
その一方で、年間100にも昇るような小中学校を主とした「音楽教室」もあり、依頼公演もあり、そして今回のような無料のこどもたちのためのコンサート。すべて音楽家として仕事をされている姿は本当に尊敬に値し、音楽を愛する姿に惚れます。私の大好きな言葉である「敬愛」という文字を山響、山響団員に対して送りたいと思います。


| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007.12.17

山響第6回酒田定期(長文、、、)

12/14(金)は米沢の「伝国の杜」ホール、12/15(土)は山形県民会館、そして昨日12/16(日)は酒田市民会館「希望ホール」と3日間同じプログラムで、山形交響楽団の演奏会が行われた。

山響のHPによれば、12/14は「米沢演奏会」として「その他の演奏会」に分類され、12/15は「第185回定期演奏会」に分類されている。そして昨日の酒田公演は、庄内公演の「第6回酒田定期」になっている。これは、平成16年に新しい市民会館が落成し次の年の平成17年から酒田公演が庄内定期になったからである。音響では県民会館よりも良くないと思われる鶴岡の文化会館での庄内定期は今年で5シーズン目なので、次のH20年3月15日(土)(オペラ「ラ・ボエーム」の前日)で第10回になる。

指揮は、山響音楽監督飯森範親氏を「のりちか」と呼び捨てにし、自ら「親友」という、サッチーこと藤岡幸夫氏。日本では音大を出ていない(慶応の文学部卒、しかも中等部から慶応だったそうで本物の「Keio Boy」である)が、話が前後するけれどコンサート後の交流会ではみずから「小学校2年生の時から指揮者になりたかった。誰よりも指揮者になりたいと思ったのは早かった。」とおっしゃっていた。
年の上では藤岡さんが飯森さんよりも2,3才上のはずだが、指揮者としてのデビューは飯森さんが22,3才に対して藤岡さんは33,4才と遅かったとおっしゃっていたが、プロフィールをみると20代後半から指揮はしているようで、「日本デビュー」の事を言いたかったのかもしれない。経歴の上では、飯森さんがヴォルフガング・サヴァリッシュの弟子であったのに対し、藤岡さんはサー・ゲオルグ・ショルティの弟子であったというところも後の二人の指揮者としての違いに影響を与えているはずである。

演奏は基本的に同じですが、12/15の県民会館でのプログラムの内容や的確な感想は、こちらを参照下さい→「電網郊外散歩道」第185回山形交響楽団定期演奏会を聴く

指揮:藤岡幸夫、マリンバ:三村奈々恵
1)エルガー;セレナード ホ短調作品20
2)黛 敏郎;シロフォンのためのコンチェルティーノ
ー 休憩 ー
3)ショスタコーヴィチ;バレエ組曲第1番
4)ショスタコーヴィチ;交響曲第9番変ホ短調作品70

日曜のためか、17:45開場、18:30開演と少し早めの時間。考えてみれば、山響団員はコンサート終了後、車やバス(山響専用)で山形市まで帰らなければならず、20:30に出ても着くのは22:30頃になる可能性がある(しかも昨日は日中は雪だった)。
18:20過ぎから、ステージに藤岡さんが登場し「プレ・トーク」が始まった。飯森さんの熱烈なファン(特に女性)や追っかけが多い事は知られているが、サッチー、もとい藤岡さんにも熱烈なファンがいるそうである。トークをする姿を拝見してもその事は納得できる。渋い二枚目俳優のようなお顔、スタイルが良くて足が長い、そして低音で渋くちょっとニヒルな感じを漂わせながらもはきはきした大きな声で優しい笑顔で話される。
「指揮者同士はたいてい仲が悪いと良く言われるんだけど、僕とノリチカは本当に仲がいいんです。」「お昼に酒田の美味しいお鮨屋さんに連れて行ってもらってね、満足です。」というようなことや、「今日初めてこちらに来てね、噂には聞いていたけど、素晴らしいホールですね。日本でも有数なホールだと思います。」と地元客の心をつかむお世辞が半分にしても嬉しい事をおっしゃいます。
「メインのショスタコーヴィチの9番は、本当に命をかけた曲なんです。」「山響の団員には、観客席にスターリンがいると思って演奏して下さい、と言ってあるんです。」とのこと。およそ10分にわたるお話でした。

1曲目は、弦5部のみの構成。今回は、マリンバの迫力を間近で味わいたいという事で1階席の前方7列目に陣取りました。一番前の列には、酒フィル団指揮者のYさんとVnのY氏夫人、3列目にはVaのMさん、我々の2列後ろには夫婦でVc奏者のYさん家族が座っています。

曲が始まった瞬間に陶酔しました。なんと甘い美しい弦の調べ。ああ、山響はここまでになったのか、と「ガタ響」と揶揄された20年以上前を知っているだけに思いました。それと同時に、酒フィルとの違い(プロとアマですから比較する事自体が山響団員に失礼ではありますが)をあまりにも明瞭に突きつけられます。私は管楽器奏者ですから勝手な言い分かもしれませんが、オーケストラの基本はやはり弦楽器。そして4プルト、5プルトいる奏者が一つになって同じ音を奏でる難しさと美しさをあらためて思い知らされました。酒フィルの弦楽器にも名手はたくさんいます。彼らの名誉のためにもあえて書きますが、プロを目指しても良かった(またはプロだった人)もいます。ただ、例えば第1ヴァイオリンというグループとして、曲によって6~12人位の集団で演奏する訳ですが、その技術や経験の幅が余りにも広く、ひとつのまとまった「音」として聴こえて来ないことが少なくありません。定期演奏会直前にエキストラが加わると、フルートの席から見て右の方(第1,第2ヴァイオリンの後ろの方)から美しい音色が聴こえて来て、弦楽の塊としての音が「変わる」ということを良く経験します。本来、コンマス(コンミス)から4、5プルトの奏者までそれほどの技量の差はなく高い精度を持った演奏が出来なければ、作曲者が意図している演奏はできないと思います。しかし、それをアマチュアオケ、特に人口の少ない地方小都市のアマオケに求めるのは無理というものでしょう。
いや、本当なら、アマチュアと言えど、全楽団員が高い志と希望を持って練習に勤しみ、時には仕事やプライベートを少々ないがしろにしてでも練習して自らの演奏技術や音色を高め、それを持って「管弦楽団」としてのパファーマンスをもっと上げる様に一人一人が努力すべきです。しかし、アマチュアの悲しさ、一人一人の団員は音楽を愛する心は共通でも「志」とか「想い」ということになると皆違います。簡単に言うと演奏活動に対する「温度差」ということになります。だからといって、練習にあまり来ない人や上手に弾けない人を本番の舞台に上げないとか参加させないなどという余裕がある団ではありません(都会のアマオケや学生オケなどでは、熾烈な乗り番争いや激しい競争があるやに聞きます)。

話が大変ずれてしまいましたが((^^;;;poripori)、とにかく弦5部全てのパートが美しいまとまりのある響き、切ない程のppや胸に迫るcrescendoを聴かせてくれました。美しくて目を閉じて聴き惚れましたが、「希望ホール」の響きの良さが山響の弦の美しさをさらに際立たせてくれていることが感じられました。県民会館や鶴岡の文化会館ではこの響きは得られないだろうと思います。たとえが適切かどうかわかりませんが、素晴らしいお料理が、適当な皿に載せられ事務机の上に置かれているのではなく、作家物の器に綺麗に盛りつけられ美しい花などの飾りと共に料亭のお座敷で頂いているような感じでした。料理自体は同じなのですが、それを味わう環境も設定も違うと別の料理の様に感じたり、美味しさが一層引き立つという事があると思います。先日(12/3)のブログ記事でも書いた様に「希望ホール」自体が何十億円もする「楽器」そのものであり、お料理の「食器」にあたるものかと感じました。ずっと目を瞑って聴いていると寝てしまいそうだったので団員を観察しながら音楽に酔いました。
コンミスは犬伏さん。目の前、そして会場のあちこちにいる酒フィル団員に気付いてすこし微笑まれた様に思いました(犬伏さんは、酒フィルの弦のトレーナーをされています)。山形弦楽四重奏団のVn.中島さんがセコバイの1プルに、Vc.の茂木さんがチェロの1プルに、Va.の倉田さんがヴィオラの3プルアウトに座っています。直前情報(「らびおがゆく」倉田さんのブログ)で、腰さらに肩を悪くしたということで心配していましたが、右腕よりも体全体を使うようなボーイングでカバーして頑張っておられたようでした。演奏そのものは何の問題もなかったようですがご本人は結構辛かったようです。
おや!あの顔は、、、プログラムのメンバー名を確かめて納得。1st Vn.の4プルのインに客演特別首席コンサートマスターの高木和弘さんの奥さんが乗っています。旦那さんが出ないステージにも乗るんだな〜と思うと共に、山響にこうやって新しい風、力が加わって更にパワーアップする事を願うものです。
藤岡さんはエルガーの曲についてプレトークで、女性の事、奥さんの事、最近になってようやくエルガーの様な夫婦愛について少しは理解できる様になった事などを話していました。

2曲目。マリンバの三村さん登場。
三村さんとは国立音大で同学年(学科が違う)と言っていた合唱のS先生の息子さん、MSさんが1列目、目の前に座って聴いています。(笑)
マリンバは、今年5月に名月荘で、ハープの早川りさ子さんのサロンコンサートを聴いた際に、りさ子さんとN響仲間のパーカッション竹島さんの演奏を間近で聴きました。特に低音の場合、普通の木琴と違って反響、増幅用の管があるためまるでパイプオルガンのような倍音の多い響きが聴かれます。ボワボワボワ〜〜ンとかブルブルブル〜ンという感じで、耳で聞くというより身体でbody sonicに感じるという音です。これが「希望ホール」の音響と相まって素晴らしい音です。その技術はもちろん高い音楽性で聴衆を魅了します。曲は初めて聴きましたが、黛敏郎らしく日本的で随所に民謡や村祭りを思わせる旋律やリズムがちりばめられた美しいものでした。目の前の演奏は迫力十分で、あっと言う間に終わった感じがします。万雷の拍手に2回程カーテンコールをされた後、先ほどの赤いマレットのバチ2本ではなく、白いマレットのバチを4本手に登場され、アンコールです。自分が好きで尊敬するというエンリコ・モリコーニの映画音楽から1曲(曲名を忘れましたので、判明したら後で書きます)。広い希望ホールに、三村さんの奏でるマリンバだけが響きます。時にバチの音が鳴ります。pppでも豊かに鳴り、fffでは息を停めてしまう程の迫力。プロの演奏会でも滅多に涙を流す程は感激しないという家内も、ウルっとを通り越して涙を浮かべていました。
マリンバというのは打楽器なんだ、と演奏している三村さんを見ていて再認識。細身で長身のスタイル抜群の美女ですが、演奏中は肩や二の腕の筋肉がぐぐっと盛り上がっていますし、繊細なp~ppでは肘を固定して腕の動きは押さえつつ、前腕の筋肉にギュッと力が入って指でガシッと握りしめたマレットを柔らかな手首の動きで絶妙にコントロールします。1曲演奏するだけでかなり体力も使いそうです。そう言えば、太めのホルン奏者やチューバ奏者などは珍しくありませんが、パーカッションで肥満の人は見ません。体育系というかラテン系というか、とにかく立ち仕事で体全体を使う演奏です。
三村奈々恵オフィシャルサイト三村さんのHPです。
NANAELOGこちらは三村さんご自身のブログです。どうぞ参照して下さい。
前記narkejpさんの12/15のコンサートレポートでは「銀色がかった白のロングドレス」だったようですが、昨晩は左半分が白で右半分が赤という大胆な切り返しでウェスト部分をまるでチョゴリのように高い位置で絞ったような優雅なロングドレスをお召しでした。演奏中、右に左に動きますし、体全体を使うのに影響の少ない、そうですね言ってみれば社交ダンスでも着られるようなドレスでした。知的できりっとしたお顔と力強く時に繊細な演奏にピッタリでした。

休憩を挟んで、3曲目。楽しいバレエ音楽。藤岡さんは、指揮台の上でピョ〜ンと飛び跳ねます。指揮者と楽団員の間に微笑みが交わされながらの「楽しい音楽の時間」です。この言葉で思い出す、「のだめカンタービレ」(先日のブログ記事で新春のスペシャル番組の事を書きました)で、主人公の一人千秋真一がパリ(だと思った?)で受けた指揮者コンクールに参加していたもう一人の日本人指揮者片平(この役はアリtoキリギリスの石井正則さんだそうですが)が、指揮中にピョ〜〜ンと飛び跳ねるシーンを思い出してしまいました。最後はギャロップで終わったのですが、聴衆はこの曲を聴くのが初めての人ばかりだったらしく(私も初めて)、終わってもすぐに拍手が出ません。元気に明るくバ〜ン!と終わったのでこういう場合はすぐ拍手をしてもいいのですが、お行儀の良い酒田の観客は「あ、終わったんだの」と確認するまで拍手が出来なかったようです。

4曲目は、本日のメイン(?)、と言っても交響曲で20数分しかない、ショスタコの9番。ファゴットに高橋あけみさんが加わり、フルートも3本になります。ショスタコーヴィチが、スターリン及びソビエト連邦礼賛時代に、「9番」としてベートーベンの『合唱付き』に並び称される壮大な曲を当局から期待されていた事を見事に裏切って、最後の5楽章で効果的に使われるタンバリンでスターリンの横っ面を引っ叩くような事までやってのける、軽妙で皮肉な曲想です。ピッコロの竹谷さんが大活躍。演奏する立場から見れば、美味しいけれど難しくて大変そう。さすがにピッチにも寸分の狂いもなく、他の楽器と調和しながら難しいアルペジオなど超速いパッセージを吹いています。4楽章のファゴットの高橋さんのソロも白眉でした。ただ、曲としては、ショスタコーヴィチを良く知りもしないのに大胆に言わせて頂ければ、随所に面白い部分があるのに全体としてはつまらない曲に聴こえてしまいます。演奏する立場から考えても、ショスタコの5番などは是非演奏したい!と思いますが、この9番は「そうですねぇ、機会があれば一度位はやってみてもいいかな、、、」という生意気な感想になってしまいます。スターリンの前で命をかけたドゥミトリィ君には申し訳ないですが、ショスタコの音楽はまだ私には理解できません(頭が固いのか心が固いのか、両方かも、、、)。
面白い音楽だな、とか、ピッコロ凄いな、とか感じながら私はこの短い曲の途中で2回程意識を失う程睡魔に襲われてしまいました(前日に19〜21時までオペラの練習でその後指揮者、演出家を交えて懇親の席で23:30頃まで飲み、当日も10〜16時までびっしり練習で、脳が疲れたと感じていました)。心と身体の疲れもあったでしょうが、演奏は素晴らしいのに私の心をつかんで揺さぶるようなものが感じられなかったのです。それこそがショスタコーヴィチの狙いだったのかもしれません。

この曲も初めての聴衆がほとんどだったようで、演奏が終わってもすぐには拍手が出ません。藤岡さんが身体の動きを緩めてからようやく拍手。1回目のカーテンコールで、真っ先に立たされたのはファゴットの高橋さん、続いてピッコロの竹谷さん、二人の女性木管楽器奏者でした。トランペットやトロンボーン、ホルン、オーボエ、フルートも素晴らしく、それぞれ藤岡さんの指名で立って観客の拍手を浴びていました。
おそらく藤岡さんの考えがたくさん反映された(やるならショスタコはやりたい、と言ってあった、と仰っていました)意欲的なプログラムで、この組み合わせ(エルガー、黛、ショスタコ)の演奏会は日本でも珍しいのではないでしょうか。黛敏郎が知られていないであろう海外ではおそらく絶対に聴かれる事のない音楽の組み合わせだったと思います。
満ち足りた気分や、深い想いを抱いて幸せな気持ちで帰路につく演奏会と違って、満足したのだけどなんかちょっと物足りない感じ。有名ないいお鮨屋さんで美味い握りを食べてお腹は満ち足りたのに、なんだかトロとマグロの赤身とウニと玉を注文せず、バイ貝とサヨリと新子(コハダ)とのどぐろだけ食べたという感じがしました。

Photoそうそう、山響の演奏会で恒例になった終演後の「交流会」。音楽監督飯森さんの方針だと思いますが、アンコールはしない、その代わり終演後にロビーで指揮者やソリストとファンの交流会をするという形が採られています。
なかなかいい写真が撮れませんでしたが、合唱指導者S先生がインタビュアになって私服で登場した藤岡さんと三村さんにインタビュー。二人共スタイルが良くてカッコ良く、上下黒でシックでスタイリッシュに決めていらっしゃいました。なんというのでしょうか、韓流スターというよりは香港映画スターが二人現れたようでした。本当にクラシック音楽を知らない人に、「映画スター」ですと紹介すれば、そのままキャーキャー言われそうな雰囲気でした。
藤岡さんが小学2年からずっと指揮者を目指しながら、高2で彼女が初めて出来て、オフコースが好きだった彼女の影響を受けて「だって「音楽はベートーベンだ!」とか言えないでしょう」と言っていた人間臭いお話や、でも夢を追い続けてかなえたことなどをお話しして下さいました。現在関西フィルの首席指揮者である、藤岡さんの事は藤岡幸夫オフィシャルサイトを参照ください。しかし、藤岡幸夫オフィシャル「ファン」サイトには、ご本人からのメッセージが掲載されています。山形市での定期演奏会の事も既に書かれていますね。

ということで、長大な、とりとめのない感想文になってしまいましたが、山響が凄かった事、三村さんが素晴らしかった事、藤岡さんがかっこよくて素敵だった事、そしてやはり「希望ホール」がお世辞抜きで素晴らしいホールであることを感じました。ここで年に数回演奏するチャンスを頂ける我々酒フィルは恵まれているなあとあらためて思いました。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2007.12.14

旧暦12/14は忠臣蔵、そして

太陽暦では1月30日のことながら、旧暦12/14(正確には日付の変わった未明)に赤穂浪士が吉良邸に討ち入り主君の無念を晴らした美談とされる日にあたります。
単に四十七士を褒め讃える物語から、最近ではいろいろな立場で表現される様になっていますが、どうしても「判官贔屓」とか「勝てば官軍」的な要素が多い様に思います。一方、悪者として扱われ続けた吉良上野介ですが地元では名君の誉れ高く、吉良の実子が養子に入り第4代の君主となった上杉家の米沢では、今でも12/14に「忠臣蔵」の話をするのは御法度らしいです。四十七士(実際は46人)が吉良邸に討ち入りした際に、実の子である上杉綱憲は父親である上野介を救うために出兵しようとした、しかし幕府や家臣などに止められて思いとどまったということになっています。そのため、父親を救うこともせず見ていた弱虫上杉との揶揄や批判もあったようです。おそらく出兵していれば、上杉家は取り潰されていたかもしれません。
藤沢周平の作品「用心棒日月抄」(NHKでは『腕に覚えあり』というドラマになった)では、主人公の青江又八郎は赤穂浪士方にも吉良方にも組する用心棒として登場します。面白い設定で、この歴史上の事実を語るのです。それは、同じ山形でも庄内出身の藤沢周平だからできたことでしょう。米沢出身の作家には考えられない事だと思います。
12/14といえば、どこかのテレビ局で「忠臣蔵」をやっていたと思われるのですが、今日のテレビ欄のどこを見ても忠臣蔵の忠の字もなかったのでこんな事を考えてしまいました。

ところで、あと1週間程で「冬至」ですが、冬将軍は幸いまだやってきません。11月末にちょっと雪が降り、その後は冷たい雨と時折雹や霰混じりの強い風が吹いています。

Photo最上川に飛来した白鳥たちは、冬を越すために毎日毎日「落穂拾い」をしています。酒田周辺の郊外を車で走らせていると、白鳥の集団が一つの田圃の区画に集まってごそごそ。違う区画では違う集団がごそごそやっています。違う日に同じ場所を通りかかっても同じ区画にはもう白鳥はいません。別の田圃に飛んで行って新たな餌を探しています。

Photo_2西からの強い風で、1分とじっとしていられないところである白鳥の群れを見つけました。みな丸々と太り首も何だか太いようです。近づくと(と言っても50m位の距離はあります)、少し警戒した様に多くの白鳥たちが首を上げて様子を伺っています。その中でも悠然と餌を啄み続けているちゃっかり者もいます。数羽が強い風に向けてその大きな羽を拡げた瞬間があったのですが、残念ながらシャッターチャンスを逃しました。次のチャンスを、と思いましたが冷たい風が強くてそのまま顔が固まってしまいそうだったので少しズームアップして諦めました。
越冬のために今はたくさんの脂肪を蓄えているのでしょう。優雅に飛び回る事は難しいのでは?と思うようなでっぷりした身体を見せています。

別のブログで、この冬のさなかの医院建設現場の記録を書いています。こちらのブログではあえてその事にはあまり触れずに来ましたが、今日は素敵な写真が撮れたので紹介します。
今日の昼過ぎ、現場を通りかかった時、天気雨というか小さな霰混じりでしたが、なんと綺麗な虹を久しぶりに見ました。
1214道路を挟んで南側のゴルフ練習場の駐車場から撮った物ですが、医院全体を包むような虹に感激しました。祝福を受けているような気持ちにさせられました。
季節は、冬。冷たい雨や雪が降りますが、冬至を過ぎればだんだん日が長くなり確実に「春」に向かいます。そして3月には開院します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007.12.11

新聞記事、その功罪

12/2(日)の酒フィル定期演奏会の模様が、山形県内で21万部以上発行されている地元密着の新聞「山形新聞」になんとカラー写真入りで記事なりました。
Photoこの記事を取材し綺麗なカラー写真を撮って載せて下さった、山形新聞さん、その記者の方に感謝申し上げます。ありがとうございます。(写真送って下さったボリジさん、ありがとう!)
さすが、地元に密着して、地元ネタを取り上げて下さっています。

山形市在住時は購読していた「山新」ですが、酒田に住む様になって「違う新聞も取ってみようか」という気持ちがあったところに、全国紙A新聞の販売店の人が最初に来られたのでそこからとる事にしました。「腐っても鯛」だと思っていたのですが、やはり腐っていたのか、残念な特集がありました。
「大新聞に噛み付く」を参照ください。
この「事件」は個人的には強い印象を残し、購読期間も過ぎそうだったので、A新聞は二度ととらない!という気になり、今はY新聞にしてみました。

マスコミとは言っても、必ずしも「マス」の意見を集約している訳ではありません。取材したある一人の記者、その記者を管轄する上司、デスク、そして新聞社の方針のようなものが記事に反映されます。その結果、新聞に大きな広告を載せる「大スポンサー」にすり寄り、購読者である一般大衆に媚びるような記事も見受けられるような気がします。これはA新聞に限らずY新聞などもそういう傾向にあると思います。新聞に限らずテレビもそうですが、その運営を確固たるものとするには資金が必要で、スポンサー様々であり、スポンサーの顔色を窺わざるを得ない事は推測できます。
医師や医療職個人が新聞やテレビなどのスポンサーになることは少なく、ブラウン管(古い表現ですね、今や液晶かプラズマが主ですから)に登場する医師は、美容形成外科医や「この人、医師の仕事してるの?」と疑ってしまう「先生方」。マスコミの多くは何か問題が起こると、「それ、医療ミスだ」「ほれ、医師の不正だ」と突っつく傾向があるのに、製薬会社や製薬業界、大きな医療機器製造販売会社を批判したり攻撃する記事はほとんど目にしません。
一国民として公平公正な判断に基づいて、事実とそこから派生する問題を記者のインテリジェンスの元に料理して記事にするはずの新聞も、知性や品性の正しい記者が減ったのか、デスクが悪いのか、新聞社が悪いのか、「おお、さすが、○○新聞!」というような記事を目にする事は少ない様に思います。

一般市民は、新聞、それも全国紙の歴史ある新聞に掲載された記事は「事実」だと信じます。正しい事を書いてあると盲信してしまう傾向は否めません。マスコミにはそれだけの影響力があり力がありますから、それを間違った方向に行使されると大変危険なことになる事は、たとえば太平洋戦争中の「連戦連勝」「皇国常勝」などのようなアジテーション目的の記事のことを取り上げるまでもなく、自明の事だと思います。しかし、現場の記者やデスクはその責任の重さや、ある意味で「公人」とすらなりうるニュースを伝える者としての立場を本当に理解されているでしょうか。

今や、インターネットでもニュースは配信されます。Newという意味で言えば、印刷されてから配布される新聞よりも、テレビやインターネットの方が早く「旬」のニュースが得られますので、私も新聞よりもネットでニュースを得ることが多くなっています。
ネット上の情報にしても、それを書いて発信している「人」がいる以上、盲信は危険です。「これは正しい情報なのかな?」「他のニュースソースでも同じ事を言っているのだろうか」と批判的に読み、検証する事が個人に求められています。しかし、正しい判断力が国民に広く備わっているとは限りません。同じ記事を読んでもそれに対する判断や感想は人によって変わる可能性があります。
いずれにしろ、ニュースや情報というのは一方通行の「発信」ではなく、双方向の「コミュニケーション」であるべきだと思います。
新聞などのマスコミでも読者投稿、読者の広場、インターネット上のご意見箱のようなものを設けて、「双方向性」を維持しようとはしているようですが、どこまで真面目に、本気で一般市民の意見を「公平に」「公正に」取り上げているかは、これまた「現場」の「人」次第と思います。どんなに会社や組織に素晴らしい歴史、伝統があっても、現場の人がだめであれば「ダメ」なのは、最近の数ある食品偽装問題や防衛省元事務次官の不正(ああ、なんと、あの人、高校の先輩でした、情けない、嘆かわしい)、厚労省の薬害肝炎問題などなど、本当に枚挙にいとまがない程、「ダメダメ」の例がたくさんあります。

今や、国際化、グローバル化で、ニュースソースも幅広く、毎日いろんな事件、事故、ニュースが飛び込みます。当事者でなければ、あと10日余りで丸2年を迎えるJR羽越線特急脱線転覆事故(旧余目町)なども、「え?2年前だっけ?」という感覚になるのではないでしょうか。
本当に情報が溢れ、しかもその中のどれだけが正確で公平で公正なのかというと、訳が分からなくなりそうです。今や、本当に欲しい情報は、地元の、居住する地区から車で行ける範囲の近郊のローカルなものとなっています。
今回の山新での酒フィル定期の報道を見て、山形に住む人、特に庄内に住む人は「ほお、そんな活動してるんだ」「次は行ってみっかの」となるかもしれません。美味しいお店の情報、リニューアルした温泉旅館の情報、どこかのお祭り、イベント、そんな地域に密着した情報も、常に目を光らせてアンテナを張っておかないとすり抜けて行ってしまって、「あれ?そんな行事あったんだ。知らなかった〜。」となりかねません。

インターネット時代、高速ブロードバンドが浸透し、地上デジタルで文字放送も普及するこの時代、紙に印刷され翌朝配布される新聞というものは、自己の存在意義を真剣に考えて取り組んで行かないと存在自体が危ぶまれるのではないかと心配します。山新のような、地元密着型の新聞は、日本や世界のニュースはもちろんのこと、いよいよ地元の情報を細かく、しかも公正に取り上げて行ってこそ、その存在意義が高まりこそすれ、インターネットに負けることなどはないのではないか、それにおいて大切なのは、現場の人、つまり一記者でありデスクである、と思うのです。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007.12.10

庄内音楽フォーラム

恥ずかしい事をする訳ではありませんが、告知する程でもなかったので終了してからの報告です。

12/8(土)に藤島町の東田川文化記念館 明治ホール(山形弦楽四重奏団のコンサートや山形由美さんのフルートリサイタルなどを行っている)で「庄内音楽フォーラム」というのがありました。
Photo_8正確には『「音楽により創造する庄内」フォーラム〜庄内に一つの風を・Harmony in 庄内〜』というものでした。そこに、パネリストの一人として、また休憩時間のフルート演奏要員として呼ばれて参加してきました。

庄内と言っても、南は温海の鼠ケ関から北は遊佐の吹浦〜三崎公園まで、東は旧立川の清川や月山頂上まで庄内です。南北で言えば、朝日村の山奥は「朝日連峰」連なる山の中、新潟県まで食い込んでいるところも「庄内」に入ります。人の住む地域としては、平成の大合併以後、鶴岡、酒田、庄内町、三川町、遊佐町の2市3町で構成されています。酒田と鶴岡の間に存在するライバル意識というか、つい反目する感情というものは、江戸時代を含めての何百年という歴史がありますのでそう簡単に無くなるものではありません。更に合併を経て行政単位として縮小された、旧町村である藤島、櫛引、羽黒、温海、の4町に朝日村などの「新」鶴岡地区や、八幡、平田、松山3町の「新」酒田地区にはそれぞれの思いがあるようです。
今回、藤島でこのフォーラムの「第1回」が開催されたのも、音楽活動などの文化面がもともと盛んである事に加え、新しい市に併合されてからの変化と今後についての危惧が一つの引き金にもなっていそうです。地理的にも藤島は酒田と鶴岡の中間でやや鶴岡より、庄内町の隣であり、庄内の中心に位置しています。「明治ホールコンサート」と銘打ってプロの音楽家の演奏会を開いたり、永らく文化活動を行って来た背景があります。合併後は予算などの関係で、年5回開催していたこのコンサートが、年に3回に減らされたのだそうです。そういった危機意識と共に、地理的関係だけではない、「むら」意識といいますか、小さな単位で固まってしまいがちで、広い交流が乏しかった事を反省し、時代を担うこどもたちの事も考えて、庄内を音楽で結びつけたいという想いを持った人達が集まった会だったと感じています。

フォーラムにパネリストとして参加しましたが、気の利いた事も、建設的な意見も言えず、「私で良かったんだろうか?」という思いはあります。どう考えても、小一時間の討論で結論が出るようなものではありませんが、今までの個々の活動を尊重して大事にしつつもっと情報交換を計って交流を広げよう、広げたい、というのがまとめであった様に感じています。今回は主催された方々の面子からしても庄内の、というより鶴岡地区の合唱関係者が主体だった様に思います。本当は、酒田の合唱、遊佐の合唱、酒田、鶴岡の吹奏楽団体、オケなども参加して交流を図れれば良かったのですが、この時期、例えば遊佐混声合唱団の演奏会とか鶴岡では渡辺啓三先生と先生率いる鶴岡室内合奏団(?)の演奏会が重なっていて、30近い団体に声はかけたのだそうですがどこまで「交流」「情報交換」が出来たのかは疑問なところもあります。

Photo_10私としては、いろいろ気を遣って本音トークはできませんでした。しかも、ちょっとヘボな演奏をしてしまった後でしたので、あまり偉そうな顔もできませんでした。(^^;;;
本音としては、「酒田とか鶴岡とか、競うのは良いけれど、変な対抗意識を持つよりも、もっと協力し合い、参加し合って行ってはどうか?」ということが言いたかったのですが、合唱関係者が多いようでしたのでピント外れになりそうで控えました。合唱、歌というのは、楽器もいらず、一人でも「その場」で音楽が作れます。二人いればコーラスになります。4人いれば「4声」ができます。もっともシンプルで、しかも人の心に訴えかける音楽を作りやすいものです。それだけに、安易になったり、小さくまとまりすぎる弊害も起こりやすいかもしれません。
オーケストラは、まず楽器が弾けないと駄目です。定年後に60の手習いで楽器演奏も出来ない事はありませんが、それでオーケストラに参加することは余程の努力をしないとなかなか出来ないことだと思います。酒フィルを見ても、小さい頃からピアノとかヴァイオリンに親しんで訓練を積んでいたり、遅くても高校生で楽器を始めた位でないと、オケの中では周りに迷惑をかけることになりかねません。そう言う訳で、ちょっと敷居が高い、取っ付きにくいというのが「アマオケ」に対する正直な感想ではないかと思います。更に、楽器を持つにはお金がかかりますし、先生についたりレッスンに通ったり、そういう意味でも「気安い」ものではありません。それを楽しめる人しか活動を続けるのは困難です。
「酒田」と冠のついている我が酒フィルですが、旧酒田在住の団員は半分いません。遊佐、庄内町に鶴岡からも多く参加し、更に新庄市、山形市から通う団員もいますし、秋田県の由利本庄市、にかほ市からも練習に通ってきます。先週の定期演奏会も、それに加えて秋田市、湯沢市、新潟市など広くオーケストラ活動愛好者が集まりました。そう言う意味では、「酒田だ」「鶴岡だ」と対抗している余裕はなく、庄内を中心に幅広く参加しまとまって行かなければ活動が成り立たない団体です。今、楽団の中心になっている人達、創設期からいる人達が、あと10年から20年もするとほとんどいなくなる(この世からと言う訳ではなく、オケの現役メンバーとしてという意味です)可能性が高いので、アマチュアオーケストラとして、地域に根ざしたレベルの高い積極的な活動を続けるためには、20代、30代の人達が、地域を越えて繋がって志し高く頑張って行かなければならないと思います。

庄内の人口減少、高齢化も懸念されます。加えて、不況のため第2次産業を主とする雇用減少で、比較的若年の労働年齢層の都市部(東京、仙台方面)への流出が現実のものとしてあり、酒田市は毎年1000人前後の人口流出(酒田市から他の地区への転出)があるのだそうです。

「庄内にひとつの風を」という考え方は大変素晴らしく、賛同し、協力したいと思うのですが、背景に上に述べたような行政単位の変化と人口減少、高齢化という問題、経済不況があることは無視できません。どんな活動も「無料」ではできませんし、人が動き集まる以上はそれなりのエネルギー源が必要となります。
第3次産業(特に、アル・ケッチャーノや海鮮どん屋「とびしま」や寿司屋、そして酒田ラーメンなどの飲食業)が活況を呈し、藤沢周平ブームや山居倉庫、本間家旧邸などの文化的歴史的建造物が豊富にあり、美しい自然に囲まれ、食べ物、水など全てが美味しい庄内地域には、「エネルギー源」となるものは少なくないと思います。

行政には何らかの形で携わり支えてもらう事が必要ですが(できればこちらから行政を巻き込んでいく)、「音楽」の喜びを伝え分かち合いたいという志を持つ人達が力強く立ち上がって、商工会議所や青年会議所と共に、そして潤っている一部の産業の援助を得れば、「合唱」「オーケストラ」「吹奏楽」「ギター」「邦楽」「ジャズ」などなど、様々な音楽シーンが交流し合い、刺激し合い、力を貸し借り合い、参加し合って「庄内にひとつの風を」起こせるのではないかと夢想しています。

心配なのは、下手なフルート演奏「音ブログ:フルート演奏」をしてしまったので、もう二度と呼んでもらえないのではないかとか、「酒フィルってあんな程度か」と思われないかということです。(^^;;;;
(下手といいながら、公開するところが「自惚れ」の真骨頂ですね)

今日のおまけ。
明治ホールの近く、JR藤島駅前通りにあるラーメン屋さん。
Photo_3Photo_7Photo_4YBC(山形放送)の「ピヨタマワイド」でも取材に来たというローカルな有名店。
店構えからいい感じ出ています。地元の人に教えて頂いたのですが、「今、やってっかや?」と言われる様に、ちょっと高齢の御主人一人で切り盛りしていました。注文を受けるのも、ラーメンを作るのも、ドンブリを運ぶのも、片付けるのも、会計するのも、全部一人でやっているので、土曜日の12時半過ぎ、我々が食べている最中に、暖簾を片付けてしまっていました。
右は、オーソッドックスな「中華そば」600円。都会の店なら「チャーシュー麺」と言えそうですね。

Photo_5Photo_6こちらは、800円のチャーシュー麺。
大きなチャーシューの御陰で、麺もスープも良く見えません。酒田のラーメンに比べると、あまり煮干しの出汁が効いていないオーソドックスでシンプルで美味いスープです。レンゲもおいてないのでドンブリを両手で抱えてスープを飲みます。麺を食べるためには、まずチャーシューをどかさなければなりません。麺は太麺でやや縮れ気味。ゆで上がって、器に盛って、注文を席に運んで来るまでに2、3分かかったような感じでしたので、多少柔らかめになっていましたが、けっして「のびた」感じはせず、歯ごたえもちもちの美味しい麺でした。
食べ進んで行くと、「お!メンマ、入ってたんだ」「あ!ナルトもあった」「この黒いの、海苔だったんだ!」「ネギもあるよ」と言う感じで、発見があります(笑)。普通のラーメンの具は全て載っているのですが、器を覆い尽くす大きなチャーシューのせいで全然見えないのです。このお店に行くなら、やはりこのチャーシュー麺をお勧めしますが、普通のラーメンもこれだけのチャーシューの量なので結構食べ出がありました。
最後にお願い。他のお客さんがそうしていたので我々もそうしたのですが、食後はお盆ごと器を店主のところまで持って行ってあげましょう。
藤島の「原田そばや」。このラーメンを食べるために、わざわざ遠回りをしてもいいお店です。ということはミシュランの評価では☆☆ですね!

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007.12.09

オペラのチケット

販売、始まっています。

2何回か触れて来た、来年3月に「希望ホール」で上演する、プッチーニの名作『ラ・ボエーム』。
先日の酒フィル定期の日、12/2からチケット販売を開始しました。「希望ホール」ほか、市内外のいくつかのプレイガイドで購入できます。また、酒フィル団員にもチケット割当があり、団員からも購入できます。「チケットぴあ」でも扱っています。
希望ホールは1300席弱ですが、今回は「オケ・ピット」が必要ですので前方5列がなくなります。よって、1100足らずになり、S席とA席の「全席指定」になりますので、3/16(日)を楽しみにされている方はご注意ください。A席はたったの1000円なのですが、TCC(トヨタコミュニティコンサート)担当の方によると「希望ホールは、ほとんどの席がS席として通用する」とのことで、わずか100席も用意されていないはずです。残りは全部S席3500円。
主催が酒フィルで、演奏も酒フィルとはいえ、二期会の素晴らしい歌手が歌い、本物の演出、舞台装置付きの本格的オペラです。

Photoチラシの裏には、簡単な解説、キャスト、そのプロフィールなどが載っています。
「全幕・原語上演・字幕スーパー付」とクレジットされている様に、イタリア語での歌ですから余程精通した人以外は歌手が歌う意味が解らないので、ホール上方に電光掲示板で日本語の歌詞(対訳)が出ることになっています。
出演者プロフィールに「管弦楽:酒田フィルハーモニー管弦楽団」と掲載されていて、ちょっと誇らしい気分になります。
文字が読める様に部分的に切り取って拡大してみましょう。

Photo_2指揮:中橋健太郎佐衛門、演出:大島尚志、お話・音楽監督:三枝成彰の紹介が載っています。
ミミは、大貫裕子さん、ロドルフォは水船桂太郎さん、マルチェロに与那城敬さん、そしてムゼッタに安達さおりさん、コルリーネに谷茂樹さん、ショナールに岡崎智行さん、ベノア&アルチンドロに宮本聡之さんという布陣です。合唱は地元のコーラス団体「コーロ・プリモ」、2幕目の子供たちは同じく酒田マリーンジュニア合唱団が出演します。実は、家内も大学で音楽を専攻し歌も歌えるということで、コーロ・プリモのS先生に頼まれて、子供たちの補助役で出演する予定です。

「希望ホール」はあらゆる演劇、公演に対応するホールなので、ちゃんとしたオケピットができます。いわゆる「奈落」が電動で作られます。言ってみれば、ステージと座席の下に一部「地下」がある訳です。この「奈落」や「オケピット」もお客さんに公開すると面白いのではないかと思います。
開演前の一定時間に「ステージツアー」などが企画できると良いのですが。


12/2の定期演奏会でちょっとホッとしたのは正直なところですが、今週末も土日2日間、オペラの練習がありました(通常の酒フィルですと、定期演奏会の翌週は「おつかれさん!」でお休みになります)。それ以外に、私は公私に予定があって忙しくしており、ブログの更新が6日振りになりました。
さるところから招待(?)されて、フルート演奏をしてきました。庄内地区の音楽シーンの未来を語り合う会に参加してきました。
それらのことは明日以降書こうと思います。
フルート演奏は既に「音ブログ」に載せました。
「音ブログ:ヘンデルフルートソナタ」です。その他の演奏や、先日の定期演奏会のリハ録音も少しずつ公開する予定です。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2007.12.03

何十億もする楽器

昨日は、酒田フィルハーモニー管弦楽団の第35回定期演奏会でした。

酒フィルの前身にあたる合奏団が結成されて40年を経過しているそうです。活動の盛んなアマオケの場合、定期演奏会を年に2回、3回とやっているところもあり、レギュラーコンサートとして既に100回を越える定期演奏会をやっている楽団もあります。
酒フィルの場合は、定期演奏会は毎年11~12月頃に1回、ファミリーコンサートと銘打ったもう少し気楽な感じのコンサートを春(2~3月)に1回というのが主な活動で、それに依頼演奏会(小学校の式典、大学の入学式、市民芸術祭開会式など)が入るくらいです。
全国にアマチュアオーケストラというのはたくさんありますが、酒フィルの場合、不文律というのか、農繁期(4, 5月から10月、苗の準備、田植え、メロンなどの果物栽培、畑、そして稲刈り)にはコンサートを避けて来た歴史があります。主要メンバーの中に農業従事者、関連事業者がいることは大きく影響していると思います。
私のような職業の場合は、特にこのシーズンが駄目という事はなく、お盆でも正月でも演奏しろと言われればいつでもOK!という感じなのですが、「団」として集団行動をする場合には、酒フィルには「季節」がとても重要な訳です。

そう言った訳で創設以降40年を経過していても、定期演奏会はまだ35回。なので草創期からいるメンバーでも、まだ演奏した事がないという「名曲」がたくさんあるのです。
一方、昨日のメインであるチャイコフスキー作曲交響曲第6番「悲愴」などのように、定期演奏会で既にやった曲を繰り返してしまうこともある訳です(人数、構成などが大きく関わります)。アマオケとして、たとえばショスタコをやりたいとか、「春祭」をやりたいとか希望しても、団員の数、楽器の構成、使用する楽器(たとえばハープにグロッケンシュピール、チェレスタなどという一般アマオケにはあまりよく見ないことの多い楽器)などで制限があります。自分たちの身の丈に合った(演奏の実力と所有楽器、楽団員数)曲を選択する傾向にあるのは仕方のないところもあります。草創期からのメンバーでこれまでの演奏記録を見て「まだ、こんだけしかやってねぇんだのぉ」という感想を漏らした人もいます。

昨日のコンサートは、団員に与えられたノルマを含め売れ行きの悪いチケット販売状況から懸念された様に、昨年を下回る観客数でした。公式発表では696名と聞きました。希望ホールは満席が1287なので6割を切っているわけです。料金は一律2000円の自由席なのですが、「音響が良い」という評判の2階、3階席はかえって7割以上の埋まり具合に見え、1階席は50%行ってるかどうかという感じに見えました。
Photo_2お客さんの数に関係なく演奏は真剣に熱く行いました。
最初に、今年5月に50代の若さで亡くなられた酒フィルの元事務局長であったM氏を追悼するため、モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が演奏されました。影アナにより「本演奏に対しての拍手はご遠慮願います」ということで、静かに音楽が捧げられました。(写真はリハ風景)

Photo_4そしてプログラムの1曲目、ベートーベンの「エグモント序曲」。昨日のリハーサルまで、まだまだ和音も音色もまとまりも課題だらけだったのですが、直前GPで急に仕上がって来て、本番では結構いい出来だったのではないかと思います。腕に覚えのあるエキストラが、秋田(秋田市、湯沢市、仁賀保市など)、新潟、山形市と参加して下さった事も大きいですが、本番に向けてスロースターターの庄内人がぐぐっと力を発揮したと言えるでしょう。セカンドフルート&ピッコロを担当しました(写真はピッコロの席から撮影)が、最後の4小節の前までず〜っとドキドキでした。N響オーボエ奏者の茂木大輔さんがそのご本に、そこまでのオーケストラ全員の盛り上がりと凄い努力の演奏を、「最後の「ピロリ」で一人で持って行ってしまう」美味しい楽器ピッコロ、と紹介している様に、確かに最後にピッコロの第3レジスター(フルートの実音ではその1オクターブ上)の「ドレミファ」の5回だけは「おいしい」です。でも逆に言うと、この一見何でもない「ドレミファ」をしくじったら、恥ずかしいで済むレベルの話ではなくなります。2度と演奏会に出たくなくなるのではないかと想像してしまう程の重圧でした。
開演3分前まで、控え室に一人残ってこの部分を、pやfで吹いたり、ゆっくり吹いたりリズムを変えたりしながら「おさらい」しまくっていました。御陰さまで、何とかミスなく、クリアに吹けたのではないかと思っています。
Vnプログラム2曲めは、指揮者のエヴァルト・ダーネルさんの「弾き振り」でモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」です。その時代の編成ということで、団員は半分以上「降り番」。第1ヴァイオリン6人、第2ヴァイオリン5人、ビオラ5人、チェロ4人、コントラバス2人の弦5部にホルンとオーボエが2名ずつの小編成です。ダーネルさんのVn.は、一言で言うと「エレガント」です。(写真はVn協奏曲GP中、1階席から撮影)
柔らかく、甘く、美しく、透明感のある響きを奏でていました。私は、3階席後方(ホールの一番上後ろ)で聴きましたが、繊細なppもクリアに聴こえてきました。希望ホールは、1287席のどこに座っても響きに大きな差の生じない素晴らしい音響設計がされています。大編成、大音量になると、ちょっと音の粒立ちやイントネーションが不明瞭になりがちな部分がありますが、とにかく良い響きです。
ダーネルさんの演奏が素晴らしい事はもちろん、少数精鋭の酒フィルメンバーも美しい音色で頑張っていました。

我々がこれだけの演奏が出来るのは、「希望ホール」という素晴らしいコンサートホールの御陰です。「希望ホール」の案内
残響時間1.9秒というデータ上のことだけではなく、ホールの隅々にまで音が行き渡り、しかもエコーやハウリングの少ない美しい響きを奏でてくれます。
そう、値段を付けるならば「何十億円」という金額になる素晴らしい楽器が我々を包んでくれているのです。遊佐の公民館や鶴岡の市民会館や山形の県民会館で演奏したら、昨日のようなパフォーマンスは出来ないのではないかと思われます。

Photoこの素晴らしい「楽器」を頭上に頂いて、3曲目はいよいよメインの「悲愴」。フルートトップを担当させてもらいました。指揮者のダーネルさんから11/30, 12/1, 12/2と本番が近づくにつれ練習時とは違う指示が飛ぶので少々戸惑いました。「インテンポ」で3連符を揺らさないで、と言われていた、第1楽章中間部の始まりのModeratoのフルートソロの部分。前日に、「もっとクレッシェンドして」「もっともっとコントラストが付く様に」と言われ、fでもないところをmfからfくらいの感じで吹きました。当日のGP時には、「もっとアッチェラレンドして!」と言われ、最初に指導された「スピードを変えず、譜面通りに、急がず、遅れず、クレッシェンドもpからmfくらいで」と考えて練習していたものを、「アッチェラレンドして、クレッシェンドをもっともっと強調して、アクセントをつけて」ということになりました。指示された通りに吹きたいと思っても、普段そういう風に練習していなかったのですぐにはうまく出来ません。
しまいには、マエストロから「あなたとわたしにはチャイコフスキーが『クレッシェンド』と書いたのはわかるけれど、それでは聴衆には届かない、聴衆にはチャイコフスキーの意図が伝わらない、respect Tchaikovsky!」と言われる始末でした。これも直前まで控え室で「コソ練」して本番に臨みました。ドキドキものでしたし、思った通りに吹けた訳ではありませんが、まずまずいい音が出せたのではないかな、と思いました。舞踏の第2楽章は、通常良く聴く演奏よりかなり速い演奏ですが、荒が目立たないという利点、ノリで演奏し切ってしまうという点は、我々の実力をよく理解されたダーネルさんの作戦の一つではないかと思いました。第3楽章は、「コンパでジュースはだ・め〜!」とか「さっちゃんのとうさんはだ・れ〜?」と言われる、マーチ的な部分。チャイコフスキーの生涯の中でも輝かしい栄光の時代を反映したものと言われています。ここも結構速い。最後は、オケ全体が一塊になってガ〜〜ン!っと熱い火の玉のような演奏だったと思います。熱演、というのでしょうか。いい演奏だったかどうかは今はまだ冷静には判断できませんが、凄い演奏であった事は確かです。
第4楽章にアタッカで入ろうとしたのですが、やはり拍手が少し聴かれました。ダーネルさんは意に介せず4楽章を振り始め、悲愴の悲愴たる所以の悲しい音楽が会場を満たします。フルートは低音で小さめに、しかし決して弱くなく呻きます。グァ〜ンという感じで全体が盛り上がった後、タムタム(どら)の音で「昇天」し、天国のコラールが鳴り響き、次第に楽器が少なくなって、最後はコントラバスだけになって、消えて行きます(ちなみに、「悲愴」の第1楽章、最初の音もコントラバスから始まります)。

ダーネルさんがタクトを降ろしても、拍手がありません。演奏に感動したのか、どうしたらいいのかかわらないのか、まだ続きがあると思っているのか、本当に誰も拍手してくれないのではないかとすら思いました。指揮者のダーネルさんが、指揮台の上で我々の方を向いて、「おまえたち、よくやったよ!いい演奏だった!」という表情をして、拍手をしてくれ、観客からもつられる様に拍手が出た感じでした。知人の中には、私の携帯に「数年前の○○フィル(註:東京のプロオケ)の酒田公演よりもいい演奏だったと思う」という褒め言葉を下さった方もいました。来年できるであろうDVDが楽しみです。
数回のカーテンコール、ダーネルさんへの花束贈呈の間、拍手は鳴り止まず、アンコール。
ドヴォジャークの「スラブ舞曲第2番」です。ダーネルさんはスロヴァキア人。スラブ民族です。
重苦しい、悲痛な「悲愴」で「死」を奏でた後、スラブ民族特有のリズム感で柔らかくエレガントなダンスのお時間。観客の皆さんはどう感じて下さったでしょうか。「悲愴」のまま、終わって帰途につくのと、「スラブ舞曲」で舞踏的リズムを身体に刻んで帰途につかれるのではだいぶ感じが違うものと想像します。

こうして、無事(?)、定期演奏会は終わりました。
Kibouhall1それにしても、酒フィルは酒田市民会館「希望ホール」に、庄内町「響ホール」という素晴らしいホールで演奏する機会に恵まれています。もしかすると、田舎の弱小なアマオケの中ではもっとも恵まれた環境にあるのかも知れません。音楽ホールという、何十億もする素晴らしい「楽器」とともに演奏する幸せをあらためて強く感じた一日でした。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2007.12.01

12月突入

1週程前はお天気悪かったのですが、ここ3日程とてもいいお天気。
1129a写真にすると肉眼で見る鳥海山の迫力はなかなか表現できません。
真っ青な空の下、酒田の街中を車で走っていると、建物の合間や曲がった道から突然正面に迫って来る迫力は言葉では説明できません。見た事のない方は、是非、酒田までおいでいただいて実際に見て頂きたいと思っています。
Photo_3今日から12月。
オンジェィ含むチェコフィルの面々は、昨日サッポロから台北に出発しました。香港経由でプラハに帰るようです。今回のツアーに間に合う様に、オンジェィ・ロスコヴェッツ氏のアルバム『コンビネーション』が発売されました(OctaviaレコードからCRYSTONというレーベルのSACDです)。
モラビア地方出身のオンジェィが、モラビア地方で穫れた白ワインをお土産に持って来てくれました。更に、友人の宝飾デザイナーの創ったアクセサリー、プラハの街並の小さな絵などのプレゼントをくれました。(家内の趣味で)ちょっと自宅に飾ってみました。

Photo_2そして、定期演奏会はいよいよ明日です。
昨日から、指揮者のダーネル氏も酒田入りし、「希望ホール」での最終練習が始まりました。
本日も午後から夜までずっと追い込みの練習です。1週間前はどうなることか少し不安に思いましたが、昨日の練習で「なんか、いいかも?」という感じになってきました。「悲愴」もよく聴く演奏と少し違うかもしれません。スピード感、イン・テンポへのこだわり、fやpの扱いなど戸惑いもありますが、明日の本番の演奏でどのような「作品」になるのか、演奏する立場なのですが楽しみでもあります。
美しい鳥海山に負けないような感動を観客の皆さんに届けられるよう頑張ります。

Photo_4今日のおまけは、昨日の医院建築現場。向かいにあるゴルフ練習場の駐車場から少し引いて撮ると、医院の向こう側に雄大な鳥海山が広がります。天気の良い日は、いつもこの雄大な景色を楽しむ事ができるので楽しみです。仕事のストレスや悩みも少しは癒される事でしょう。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »