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2007年11月

2007.11.29

美しいもの

昨日の記事に掲載した写真はどれも(?)美しかった(自画自賛)。
今朝は、とても寒く、綺麗に晴れていて久しぶりに眩しい青空が広がっていた。
鳥海はいつもの様に美しく、M病院へ向かう国道112号線が途中でまっすぐ月山に向かっている場所では、朝陽を浴びた月山の雪がまるでダイヤかクリスタルガラスに当たった光が反射する様に眩しく光っていた。

Photoいくら「鳥海山」が美しいと言っても、やはり「富士山」にはかなわない。昨年の今頃、富士吉田某所で行われた国際学会のため宿泊したホテルから見えた富士(要するに山梨側から)。自分の発表もあったが、厚生労働省と文部科学省の公務が入ったため急遽欠席となった上司の名代であるセッションの座長も務めた。なんと、「神の手」としてテレビにたびたび登場されているF医師と二人で座長をやったのだった。ずっと忘れていたが、この美しい富士山の写真とともに記憶が蘇った。変な事を思い出すものである。

Photo_2とはいえ、やはり鳥海山も負けずに美しい。
今朝の鳥海はこれよりも更に雪を冠り上の方はもっと美しい白銀の輝きがある。

Photo_4「銀」とくれば「金」。
これは昨年10月に京都で学会があった際に、おそらく37年振りに観た鹿苑寺『金閣』。
絵はがきのようですが、たくさんの外国人観光客(欧米人に加え韓国系の方が多かった様に記憶している)の間をすり抜けて、ちょうどタイミング良く周りに人が映り込まずに撮れたもの。
天気も良く、手前の鏡湖池(きょうこち)に美しく金閣が反射して映えています。

Photo_5「京都」と言えば「東京」。
トウキョウと言えば「東京タワー」。
ということで、無理矢理繋げてる。これもさる全国学会で泊まったホテルの部屋から写したもの。丁度、脳外科オケの演奏もあったのでフルートを持参。私の現在の愛器、18金フルートということで金繋がり。部屋の中でこんな写真を撮っているなんてちょっと怪しい人である。

誤解を生じない様に解説するが、学会出張は仕事。特に国立大学病院勤務の場合、旅費も宿泊費も出ないし、なんと学会参加費(高いものでは2万円を超す)も自腹だし、当然入会費や年会費も自己出費。私立病院や一部公立病院では、たとえば年間20万円という上限を設けて「研究費」の名目で学会出張の補助を出してくれる。しかし、例えば福岡で3日間学会に出席すると1年の学会参加補助の半分を使ってしまう。でもまだ出るだけいい。大学に居た頃、盛んに学会発表をしまくっていたときなどは、年間に20を越える学会に参加し、その参加費、旅費、宿泊費の総額は150万円くらいになっていた。すべて自腹だった(医局によっては、医局員で互助的にお金を積み立てて学会出張する医師の援助をしたり、研究費の中から出張に使えるお金をあてることもある、仕事している人に恩恵をという考え方)。

どこぞの省庁の元事務次官が、仕事上の出張ではなく、地面で玉を転がす、元はイギリスの羊飼いの遊びが世界中に広がった遊びのためだけに「出張費」「宿泊費」「参加費」を他人(企業)から出してもらっていたというニュースを耳にした。
大学病院で朝から夜遅くまで真面目に働き、患者の診察をし、手術をし、研究してその成果をまとめ、学会で発表するのも全部薄給の中から自腹でやっている国家公務員の医師がたくさんいるのに、同じ国家公務員でも、しかも偉い人なのにこんなに他人様からお金をもらう(出してもらう)ことが出来るんだと驚きました。まさに「儒教思想」の崩壊を現すような出来事だと考えます。

美しい話からちょっと話が捩じれてしまったので、少し戻す。
Photo_7酒田市の「土門拳記念館」にある小さな池「拳湖」の白鳥。
翼に傷を負ってしまい春に大陸に渡る長距離飛行が出来なくなった雌に寄り添って、ともに土門拳記念館の裏手に巣を作って残り、今年で3シーズンか4シーズン目を迎えるはず。これまでにいくつかの卵を産み孵化して雛を育て巣立ちを経験していますが、この夫婦はずっと年中ここにいます。
土門拳記念館を訪れれば必ず会える白鳥です。
今年も、既に9000羽を越える飛来を記録している最上川河口の白鳥飛来地。その中に、このツガイの子供たちが混じっているのかはわかりません。

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2007.11.28

プラハ、スメタナ、のだめ

世の中は年の瀬が迫り、相も変わらず物騒な事件や悲しい事故や腐敗などが毎日の様に報道される。
映画「三丁目の夕日」や「佐賀のがばいばあちゃん」などに見る様に、昭和30年代がもてはやされるが如くメディアに登場するのはどうしてなのだろう。あの頃は、皆、貧しくても美しかった、とでも言いたいのだろうか。

昨日の記事の続きで、これまでブログに載せていなかった、または載せても結構時間の経っている写真を眺めていろいろな想いに耽っていた。それらの写真を少し載せて、せめて世俗の美しくない話をしばし忘れよう。。。
Photo_3Photo_4プラハ市民会館内の『スメタナホール』。
建物全体が「アール・ヌーヴォー」様式の美術品のような建築物であるが、ホールの壁にはチェコの画家ムハ(ミュシャ)の絵が描かれ壮麗な事この上ない。左が1階席から正面ステージを見たところ、右は上手側のバルコニー席を見たところ。下手側にもほぼ対称的に同じようなバルコニー席がある。天井の高さ、柱の美しさなど、音楽を聴かずに内装を見ているだけでも美術館にいるような雰囲気である。
「のだめ」の新春スペシャル番組にこのホールでの演奏シーンが映るのではないかと想像している。
プラハ放送響のクラリネット奏者ボイターは、アフラートゥスのメンバー。
Photo_5Photo_10写真は昨年庄内町の「響ホール」に来たときのリハ風景。下手側から、フルートのロマン、オーボエのヤナ、ホルンのラデク、ファゴットのオンジェィ、そしてクラのボイターである。もしかすると、彼のもじゃもじゃ頭がお正月に観られるかもしれない。

プラハが出て来るのなら、こんなシーンも映し出されるかもしれない。
Photo_8これは平成18年の正月に訪れた時に撮った写真。モルダウ(ヴルタヴァ)越しにプラハ城のあるフラッチャニを望む。河にかかる橋は有名な「カレル橋」であり、河のこちら岸の右手前に見える建物は「スメタナ記念館」。建物の前にスメタナの銅像がある。
プラハは別名「百塔の都」とも呼ばれる如く、プラハ城内にある聖ヴィート大聖堂をはじめ、教会などの塔を持った建物が非常に多い。城の丘(フラチャニ)から市街地を眺めるとそれがよくわかる。

Photo_9格調がぐっと下がるようだが、この写真は私の愛器の一つ、ヤマハの高級なピアニカ。その楽器ケースに横たわるのは、「のだめ」に出て来るマングースの着ぐるみ(ピアニカを吹いている)と漫画中に登場する漫画である『プリごろ太』のキャラクター妖精「プリリン」である。マングースのマスコットはまだ大事に持っているが、この素晴らしい「プリリン」が、カウンター15万ヒットのA氏に贈呈されたものである。
まあ、「のだめ」を知らない人には、「???」な話なのだが、これも来る正月の新春スペシャル番組を見て頂ければ解決する。

さて、恒例になった(?)おまけ。
Photo_2といってもしつこく「告知」です。
12/2(日)、あと4日に迫った定期演奏会のチラシ。
団員チケット販売担当の小生が把握している限りでは、まだ希望ホールの座席数の3割ちょっとしか売れていないチケット。これに招待や当日券のお客さんが加わっても5割を切ってしまうのではないかと大変心配している。
演奏はおいておいて(は?)、曲はみな素晴らしい名曲です。
どうぞお近くの方は、今度の日曜日、「希望ホール」へおいでいただければ嬉しいです。
お待ちしております!

p.s.
チェコフィルJapanツアーは、本日札幌へ移動。明日、スメタナの『我が祖国』全曲演奏をして今回のツアーを終了し、明後日台北に飛ぶことになっている。昨日、サントリーホールでドヴァジャークの9番「新世界から」の演奏を終えて赤坂のどこぞで飲んでいるオンジェィと我が団のT氏(ハンガリー、プラハ旅行を共にした酒フィルファゴット奏者)から電話が入った。
今回はロマンやヤナとは会えず残念。来年、アフラートゥスの日本公演が実現すると良いのだが。。。
マニアックな世界である木管五重奏では、いくら彼ら程の音楽家でも客が入らず興行が成立しにくいのだそうである。うちのホール(?)で演奏してもらうか。。。

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2007.11.27

『のだめ』新春スペシャル

これは「カテゴリー」、音楽でいいのか?一瞬迷いました。
何度か話題にしている漫画「のだめカンタービレ」のテレビドラマの事です。

昨年の10月だったと思いますが、フジ系列全国ネットで「月9」枠で放送されたコメディタッチのラブストーリー、解説的に表現すればこんなことになります。原作は、女性漫画誌「Kiss」に平成13年から連載されていて、単行本はつい先日第19巻がでているロングランの人気漫画です。
万が一、「のだめカンタービレ」の事をあまり良くご存じない方は、「のだめ」のWikipediaをご覧下さい。

私が、平成16年にこの漫画にはまってしまった理由は以前に書きました。
クラシック、オーケストラ、ベト7、クロキン、福岡と、大袈裟に言えば「私の琴線」に触れるキーワードが満載でした。
東京の私立音大生(武蔵野音大が舞台と言われている)の主人公野田恵と千秋真一、そして黒木泰則(やすのり)らはパリに留学し、現在では音大仲間から国際的な友人、ライバルが加わった、いわゆるヨーロッパ編が展開されています。クラシック音楽に興味の無かった若い世代に、クラシック音楽のブームを起こし、ヨーロッパロケのツアーまで組まれてしまうような社会的に強大なインパクトを与える程の力を持つ漫画なのです。
同じフジ系で今年アニメも放送(全23話)されたのですが、「さくらんぼテレビ」では何故か放送されず、「千秋様」をお慕い申し上げる「もじゃもじゃ」ことティンパニ奏者の「真澄ちゃん」(奥山真澄、註、男の子だけど乙女系)の出身地である山形としては、全く不覚の極みであります。(笑)
(追記、しかも東北6県でアニメ放映がされなかったのは山形だけですぜ、さくらんぼさん!)

山響音楽監督の飯森範親氏のブログでも時々話題になりますが、今年発売されたTVドラマ「のだめカンタービレ」のDVDセットのオケの音源は、昨年飯森さんがわざわざプラハまで行って、ルドルフィヌムのドヴォジャークホールでチェコフィルを振って録音されたそうです。更に、今回の新春スペシャルでは、ヨーロッパツアーと同時期に飯森さんはプラハに行って、今度は市民会館のスメタナホールでプラハ放送響を振って音源を採り、千秋真一演じる俳優玉木宏さんに指揮の稽古をつけたとのこと。大活躍です!
チェコフィルとプラハ響には知り合いがいるのですが、プラハ放送響にはいないと思っていたら、先日酒田、遊佐に演奏に来たチェコフィル・ファゴット奏者のオンジェィから聞いた話では、「アフラートゥス五重奏団」(難関ミュンヘン国際コンクール優勝、ホルンにはベルフィル首席の天才ラデク・バボラックを擁す)のクラリネット奏者であるボイター(ボイチェフ・ニードル)が今はプラハ放送響に所属している事を聞きました。もしかすると、この新春スペシャルでスメタナホールでの演奏会が映った際に、クラリネットの席にボイターがいるかもしれないと思ってワクワクします。

「のだめ新春スペシャル」は、何と平成20年の正月に、2,3日と2日連続で昨年のドラマ全11話の再放送(合計11時間)を行い、続く3,4日で今回の「ヨーロッパロケ」を含めた「続編」を2夜連続5時間半に渡って放送する事に決定したそうです。
「のだめで新春!」フジ16時間半放送をご参照ください。

私自身が福岡出身なので、博多弁というか福岡弁満載の「のだめ語」にも心が騒ぎますし、素敵なクラシック音楽満載で演奏も素晴らしい上に、今回は今年5月に訪れたばかりのスメタナホールまで出て来るとあっては、興奮してしまいます。ぎゃぼ〜、ですぅ。ううん(咳払い)、失礼。
ご存じない方のために、もう一度申し上げますが、これはコメディドラマです。
でも、音楽はけっこう真面目です。
「のだめ効果」で酒フィルのコンサートにも注目が集まるといいですね。

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2007.11.24

定期1週間前

昨日の深夜から朝早くにかけて、カウンターが16万をヒットしたようです。ヒットした方、おめでとうございます!
記念の15万をヒットした方にプレゼントしたのは、『のだめカンタービレ』の中に出て来る主人公のだめが大好きなアニメ「プリごろ太」に登場する妖精「プリリン」のマスコットでした。
連載コミックの第18巻に付いて来た非売品です。Yahoo!オークションに出品している人もいる位の貴重(?)なものですが、栄えある15万ヒットでプリリンをゲットしたAさんはその有り難みがわかっているかどうかは不明です。(笑)

さて、12/2(日)の酒フィル定期まであと8日となりました。
Photo_2もう一度、チラシを載せます。
演目は、1)ベートーベンの「エグモント」序曲、2)モーツァルトのバイオリン協奏曲第5番「トルコ風」、3)チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の3曲です。
今年の定期では、メインのチェイコではトップを吹かせてもらいます。

Photo左の写真は、11/3の市民音楽祭でエルガーの「威風堂々」を演奏した時ですが、この時と同じく、フルートパートは3管です。素晴らしい名曲でトップを吹かせてもらう事は大変嬉しいことです。それなりに練習していますが、練習でどのように吹けたかではなく本番でどれだけいい演奏ができるか、です。
時間の芸術である「音楽」は、過ぎてしまえばやり直しがきかず、「こういう風に演奏するつもりだった」とか「あそこでああするはずだった」などという言い訳はききません。ゴルフの「たられば」と同じようなものですね。
今週末も土曜、日曜ともに練習です。
本番前の追い込みで普段より大勢のメンバーが揃ってオケ全体の音が変わると期待しています。
お近くの方で、12/2の午後、ご都合の付く方はどうぞ定期演奏会においで下さい。
お待ちしています。
(追記:酒田市広報やコミュニティ新聞など一部のメディアにおいて、今回の定期演奏会のチケット代の記載に誤りがありました。「一般1500円」と記載されていますが、正しくはポスター、チラシ、チケットそのものにも書いてあるように『一般2000円』です。よろしくお願いします。)

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2007.11.22

ありがとう!オンジェィ!

Photoついに雪が積もりました。
チラチラと雪が降る日はありましたが、ここ何日かは本当に天気が悪く、庄内空港の飛行機も飛ぶのか飛ばないのかと心配するような風も吹いています。

そんな中、11/19に庄内入りしたチェコフィルのファゴット奏者オンジェィ・ロスコヴェッツ氏を迎えて、連日飲み会。もちろん、日中はリハーサルをしているのですが、食事をするわけなので、関係者で歓迎の会を月、火と行いました。

Ondrej今回の会場は、遊佐町の公民館なので、吹浦にある「遊楽里(ゆらり)」という施設へのお泊まりです。ここは、2年半前に私の中学の同級生たちとも泊まったところ。目の前が日本海ですぐ反対側に鳥海山が聳え建つロケーション。シーズンによって、有名な「岩ガキ」が堪能でき、海水浴ができ、コッテージもあってキャンプもできるいいところです。
しかし天気が悪過ぎ。誰の行いが悪いのか、、、(苦笑)。
酒フィル、遊佐関係者で「和式」の歓迎会を行いました(11/19の夜は『ル・ポット・フー』でしたからね)。
「豚肉の豆乳しゃぶしゃぶ」などはまだ「pork-shabushabu with soy-bean (cake) soup」などと適当に説明できますが、「だだみ(きくわた)」=鱈の白子の鍋料理などは説明が難しく、testis of cod fishなどと即物的に英語で説明し、オンジェィが「チェコ・英辞典」で自分で調べるというパターンを何回か取らざるを得ない状態でした。

2日間のリハは、藤井亜紀さんと手探り状態(ホールの響き、ピアノの状態、初顔合わせ)で、ピアノの蓋をどのくらい開けるのかなどもその場で考えてやったようです。
そして本番。
Ondrejaki1曲目、テレマンのソナタ ヘ短調。元来は、通奏低音とブロックフレーテ(アルト・リコーダー)のために書かれたとも、いやファゴット用に書かれたとも言われています。
「バスーンとピアノのためのソナタ ヘ短調」の楽譜は←こちらで見る事が可能です。
オンジェィの美しく柔らかい音に、聴衆は一瞬で魅了されます。平日の夜、お天気の悪い田舎の公民館。悪い条件は揃ったため、200人どころか100人いるかどうかという聴衆の数。ああ、もったいない、と言う気持ちとオンジェィと亜紀さんに申し訳ないという気持ちが心を支配していましたが、音楽が始まってしまうとそういう下世話な気持ちは次第に消えて行きました。
1曲目が終わって、ここでマイクを使って挨拶(写真)。
いきなり「オバンデス、オアイデキテ ウレシイデス、モッケダノ」とオンジェィの片言の日本語で会場は爆笑。つかみはOK!藤井亜紀さんが英語で質問し通訳を兼ねてMCをされました。

2曲目はモーツァルトのファゴットとチェロのためのソナタ変ロ長調K292。可愛らしく美しい高音が魅力的です。休憩の後、ウェーバーの「アンダンテとハンガリー風ロンド」。これは本来ファゴット協奏曲になる予定だったらしいのですが、1楽章に着手する前に発表したと言われています。ヴィルトゥオーソ的上下向の多いウェーバーらしい作風で、難しそうな曲ですが、聴く者には楽しい曲でした。
そして4曲目はサン=サーンスの「「ファゴットとピアノのためのソナタ ト長調」。緩徐楽章の優しさ、ピアニッシモで奏でる繊細さ、やわらかさと元気で爽やかな印象の速い楽章の対比が美しかった。

Ondrejaki_3アンコールに、「シシリアーノ」を演奏してくれました。鳴り止まない拍手に応えて、もう1曲アンコール。4曲目の最終楽章の途中から元気に終わるところを演奏してくれました。

Ondrejaki_4ピアノ伴奏をしてくださって藤井亜紀さんは芸大ピアノ科卒で、我々酒フィルの昨年正月のハンガリー公演の際に、ショパンのピアノ協奏曲を弾いて下さった方。偶然、お父上が酒田出身ということで、8月のJAO酒田大会にもご両親を伴って来て下さいました。今回の観客の中には親戚も見えていたようでした。写真はありませんが、3曲目と4曲目の間に、亜紀さんのソロで、リストの『ラ・カンパネラ』を弾いて下さいました。
慣れない環境で、悪天候の中、一生懸命演奏してくれた二人に対して、少ない聴衆で申し訳ない気持ちでしたが皆いつまでも拍手をしていました。いい演奏会でした。

その後、経費節約(?)のため、公民館の一室で立食の打ち上げパーティ。楽しく談笑しました。
ファゴット奏者にとっては、特別な存在であるオンジェィ。風雪の中を秋田から車でいらした中学教師のフォゴット奏者の方や、出身が酒田とはいえ横浜からわざわざ来られた女性ファゴット奏者などとも交流ができて、オンジェィも楽しそうでした。
その後、公民館から「遊楽里」に送り、もうラウンジなども閉まっていて結局オンジェィの部屋でビールを飲みました。夜の10時半に店が閉まっている、周りにやっている店など無い、と説明すると「日本でそんなことないでしょ?」と驚いていましたが、ここは遊佐なんです。ここは庄内なんです。
3回目の庄内訪問、初の遊佐訪問でしたが、ようやくここが「田舎」なんだということがわかってもらえたかもしれません。

今朝、風雪でちゃんと飛行機が飛ぶかどうか心配されましたが、無事東京に戻ったようです。
今晩は墨田トリフォニーでスメタナの『我が祖国』全曲演奏にトップ奏者で乗るはずです。
ありがとう、オンジェィ。
また、プラハかサカタかトウキョウで!と再開を誓い合い、お別れしました。

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2007.11.20

チェコフィルとオンジェィ・ロスコヴェッツさん

チェコの誇るオーケストラの一つ、チェコフィルが来日した。

Rudolfinum(写真は今年5月に撮った、チェコフィルの本拠地ルドルフィヌム(=芸術家の家))
そのスケジュールは、来日日と離日日の2日を除いた10日間で8公演という強行軍である。演奏するのが「仕事」だから仕方ない。
フルートのロマン・ノヴォトニーからメールで知らせてもらったチェコフィル日本ツアーの日程は以下の通り。
11/14:プラハ出発、11/15~18:中国、上海で公演。
11/19:上海から日本へ。
11/20:新幹線で名古屋経由福井へ。「ハーモニーホール福井」にてチェロ堤剛でドヴォジャークのチェロコンやムソルグスキー「展覧会の絵」など演奏し、その日は名古屋泊。
11/21:新幹線で盛岡へ。「岩手県民会館」にてピアノ吉田裕子でラフマニノフのPコン2番と「新世界から」。盛岡泊
11/22:東京へ。墨田トリフォニーで「我が祖国」全曲演奏。
11/23:オフ日
11/24:新幹線で京都へ。「京都コンサートホール」でマーラーの3番。
11/25:新幹線で横浜へ。「みなとみらいホール」(マチネ)で「ヴルタヴァ(モルダウ)」、ドボ8と展覧会の絵。
11/26:「サントリーホール」でマーラー3番。
11/27:「サントリーホール」でチェロコンと「新世界から」など。
11/28:札幌へ、移動のみでオフ
11/29:「札幌コンサートホール キタラ」で、「我が祖国」全曲。
11/30:札幌から空路台北へ。

 Castlenight(写真はモルダウ(ヴルタヴァ)対岸から臨む夜のプラハ城)
ほんの18年前までは社会主義国であったチェコ(当時はチェコスロヴァキア)なので、美しいプラハの街中にもその陰や歴史はくっきりと残っているものの、社会主義から資本主義の荒波に乗り出して、その中で揉まれて変わらざるを得ないところがあるだろう。チェコフィルにとってアジアツアーは稼ぎ時のようである。昔のチェコフィルの事をわかっている訳ではないが、その弦の緩やかに押し寄せる波のような柔らかさと重厚さ、管の輝かしさと美しさは多くの人を魅了した。最近のチェコフィルは変わったという人もいる。魅力的なオケである事は変わりないのだが、昔のような「いぶし銀」的な響きが影を潜めて、西欧諸国のオケとあまり変わりなくなったという印象を受ける人もいるらしい。
Czphilall(写真は、今年の『プラハの春 音楽祭』でのチェコフィルinスメタナホール)
伝統あるオーケストラには、その「色」というものが確かにあって、観客はそれを期待して、または過去の幻想を追い求めて行くのかもしれない。しかし、時代とともに団員は若返り、楽団貸与のものでない限りは楽器も変わり、指揮者、音楽監督が変わればその特色も変化するのは避けられない。
Dvorakstatue1(ルドルフィヌムを見守るように建つ、ドヴォジャークの銅像)
更に、チェコフィルのように社会主義国の中で保護され、ある意味型にはめられていたオケが、西洋諸国の資本主義の世界に乗り出せば、変わらざるを得ない所もあるだろう。上記日程を見ても、「チェコフィル」に期待される演奏は、毎年のように代わり映え無く『我が祖国』であり、『新世界から』であり、『ドボ8』なのである。この方が、高くても(S席18000円とか)人が集まるからである。

たまたまオケ団員に友人がいるわけであるが、彼らは「チェコフィル団員」であることを誇りに思っている。日本ツアーは楽しみだし、大切な演奏旅行と考えているようである。その大切な公演を2つ「降り番」にしてまでも、ファゴットのオンジェィ・ロスコヴェッツは酒田・遊佐に来てくれた。
昨日、成田に着いて、一旦都内のホテルに荷物をおろし、羽田から庄内空港最終便で、雪のちらつく寒い酒田に入った。3年前のアフラートゥスの「響」公演、昨年1月のプラハ訪問、昨年9月のアフラートゥス「響」公演と(私の場合はこれに本年5月のプラハ訪問が加わる)、度々の交流で親しくなった酒フィル団員と遊佐の音楽協会関係者とともに再開を喜び合い、『ル・ポット・フー』で夜遅い(10時過ぎの)おいしい食事を共にした。
不覚な事に、デジカメ持参しながら写真を撮るのを忘れました!残念!
Photo今日から、ピアニストの藤井亜紀さんとのリハーサル。今日の夜も、明日のリサイタル後もパーティの予定なので、そこでは写真を撮り忘れないようにしよう。

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2007.11.18

冬突入の、その前に

ちょっと旅行に行って参りました。
目的地は、花巻と近くの「鉛温泉」。
花巻はご存知、宮澤賢治の里です。「宮沢賢治記念館」で彼の生涯を再確認。たくさんの直筆の原稿を見る事が出来ました。コンピュータが普及して、作家の多くもパソコンで原稿を各時代になっているようですが、万年筆で原稿用紙に書かれ朱が入れられた賢治の原稿を見ると、手書きの良さがしみじみとわかります。

Photo_2Photo_3Photo_4賢治記念館と同じ敷地内に「山猫軒」というレストランとお土産屋さんがありました。
賢治の代表作の一つ『注文の多い料理店』にちなんだお店です。ここで昼食を頂きながら、久しぶりに『注文の多い料理店』と『セロ弾きのゴーシュ』を読みました。
よく知っている物語ですが、久しぶりに読んでみると、「ああ、こういう出だしだったっけ、、、」とか「おお、こんな終わり方だったっけ?」という風に新鮮な気持ちになれました。
写真は、山猫軒の正面、入り口に掲げられた看板(ユーモアのセンスに溢れています)、そして店に置いてあった本の中表紙です。
新渡戸稲造の記念館も見てきました。とても勉強になる所でしたが、特に夫人であったメリーさんの生涯に関する展示がされていてあらためて、新渡戸稲造とその家族、有名な『武士道』の事などを学び再確認できました。稲造の『武士道』は、ルーズベルト大統領はじめ歴代の米国大統領が日本や日本人を知る元になる大切な書物として尊重されていますが、その内容を考えれば考える程、「さむらい」の「道」としての武士道というよりも、先日ブログ記事に書いたような、中国に興り朝鮮半島を経て日本に根付いた「儒教思想」を思い起こさせるものでした。これを「武士道」とか「日本人のことわり」と考えることには少し違和感を覚えた事は事実です。

Photo_5さて、花巻から酒田へ戻る途中、1年半振りくらいに新庄市内のお気に入りのラーメン屋さん「末広」に行きました。
新庄のラーメンは「愛をとりもつ(鶏モツ)ラーメン」と銘打って宣伝されていますが、鶏のモツの生臭さを無くしてすっきりあっさりしたシンプルな旨さに仕上がっています。
Photo_6Photo_7鶏もつラーメンは「スタミナラーメン」とも呼ばれます。まったく生臭くなく、モツのこりこりした食感も麺のもっちり感とスープのさっぱり感を引き立てます。さらに「めんまラーメン」。普通にあるメニューですが、ここ「末広」のメンマは今まで食べたメンマの中でも抜群の味でした。昔(数年前)に比べて、ちょっと長さが短くなり、量が少なくなったような気がしたのは気のせいでしょうか。

ここ数日、冬型の気圧配置で、日本海側では初雪が降り、嵐に雷と荒れた天気でした。ただ土曜日の日中はその合間をぬってとても美しい秋晴れの空が広がりました。
Photo_8花巻を後にして、東北自動車縦貫道路から秋田自動車道に入り横手湯沢道路を南下します。進行方向右手、すなわち西側に積もったばかりの白い雪を美しく陽に光に反射させる大きな山が見えます。
鳥海山です!
いつもと違って、鳥海山をその東北東側から眺めている状態です。車を走らせながら料金所の手前で速度を落とした時に撮ったのでいまいちアングルなどが定まっていません。

Photo_9その後、国道13号線を南下して秋田県境から山形に入り、まもなく新庄という所で見えてきた鳥海山です。
東南東から見ている形になります。これはさすがに運転しながらは撮れないの、運転席後部座席の窓を開けて、助手席の家内が撮影したものです。いつもの鳥海山を、違う角度で見るのも楽しいものです。

Photo_10新庄から戸沢村に抜け最上川沿いを走り、先日読んだ藤沢周平の『義民が駆ける』で、「三方領地替え」が沙汰やみになった事を鶴ケ岡城に伝える早駕篭が舟から岡に上がってまた走り出した地点、「清川」を抜けます。車を走らせながら、当時の駕篭に乗った庄内藩士の高ぶる気持ち、驚喜して伴走する農民の心に思いを馳せました。
国道47号線をずっと走るのではなく、酒田市内へは庄内町清川と狩川との間にある赤い橋(名前は何でしたっけ?)を渡るのが近道です。そこを通って旧松山町に入った所で、右手にパッとまた鳥海山がその美しい姿を現します。
これはあまりに美しく、また迫力満点なので、車を停めて撮影しました。

1117そこから旧平田町を過ぎて旧八幡町から通称「生石街道」と呼ばれる道をまっすぐ西へ(市内へ)目指します。この道路が来年開院予定のクリニックの前の主要道路でもあります。その途中でまた車を停めて鳥海山を撮影しました。微妙に角度が違い、距離が違い、そして時間が違うため陽のあたり方も違います。日没まで30分くらいだったでしょうか。若干茜色に近づいた空と、西陽を浴びた新雪、そして日陰によってその山肌の彫りが浮き立つような雰囲気が見えるでしょうか?(安物デジカメと素人の腕ですから限界がありますけど)。
寒かったけれどしばし見とれていたいような光景でした。

最後に、おまけ。
Photo_111117_2上記、「赤い橋」を渡って、旧松山町に向かうと、進行方向左手、最上川の対岸の庄内町(旧立川町)狩川にある「風車群」が目に飛び込んできます。「風の町 立川」と言われる程、風の通り道強風が吹きます。それを利用した風力発電の風車群です。
右側の写真は、旧松山町で鳥海山を撮った同じ場所で、東および東南東を振り返ると見える、「月山」と上記「風車群」です。写真中央下に見えるのは最上川です。
晩秋の鳥海山と庄内の風景をご紹介しました。v(^^)

昨日の夜と今日は、2週後に迫った「定期演奏会」の練習でした。特に昨夜は天気も悪く、小旅行から自宅に戻ってまもなく練習に出発するという感じでしたが、好きでやっている事なので疲れなどは感じません。それよりもあと2週間、団として合わせて練習するのは直前のリハを含めて後4回しかありません。
頑張っていい演奏会にしたいものです。

1117_3おまけのおまけ。
昨日のクリニック現場。つかの間の晴れ間が広がりました。
よく見ると、杭打ち後の地面に潜って作業をしている人がいます。ちょうどMRI室の場所にあたると思います。
ここに15トンもの重量の永久磁石型MRI装置と磁気シールドルームが置かれることになります。
そして、電信柱の向こうに雪を頂いた鳥海山。2階の院長室の窓からこれが眺められるように設計しています。

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2007.11.15

YouTube

(本日のリンク先は、高速ネット環境の方以外は厳しいかもしれません)
インターネットの世界で、最近幅を利かせているヴィデオ映像の配信サイトのひとつ「YouTube」。
中にはいかがわしいものや、間違うと「有料サイト」に誘導されてしまう危険なものもある。
映像と音声がインターネットで配信されるようになったのは新しい事ではないが(私がインターネットを始めて2、3年目の1996年頃にも映像を用いた会議なども試験的にやっていた)、これだけ広まったのは一般に高速インターネット回線が普及した事が多い。
NTTの肩を持つつもりはないが、光通信を用いた一般家庭用の高速ネット通信は全国津々浦々に張り巡らされていて、上記YouTubeのようなヴィデオ配信サイトの恩恵に与れる良い時代である。

繰り返しになるが、いかがわしいものもたくさんある。
しかし、こんな素晴らしいものが観れるので、ずっと続いて欲しいと思う。
『鉄腕稲尾伝説」

これは、昨日の記事に書いた元西鉄ライオンズの稲尾選手の現役時代の投球である。
プロ野球新記録の「20連勝」(20勝ではなく、『連勝』です)を達成した時のインタビューで40数年前の稲尾が白黒映像ながら肉声も鮮やかに蘇る。
更に、同じところからたどると、稲尾が対巨人の日本シリーズ3連敗した後の第5戦でピッチャーながら「さよならホームラン」を打ったシーンを観る事が出来る。
「昭和33年日本シリーズ第5戦」

さらに、同じ所から、その年、昭和33年の日本シリーズ第7戦、昔の後楽園で西鉄がV3を果たした映像が見られる。
「昭和33年日本シリーズ第7戦」

堀内から4番中西がホームランを打ったシーン、稲尾から新人長島が「ランニング・ホームラン」を打ったシーンなどが観られる。「知将」と謳われた当時の西鉄監督三原脩氏もいる。

そして感動の博多駅凱旋、優勝パレードなど、当時福岡市内を走っていた西鉄の市電まで見られる(私は当然しょっちゅうこれを利用していたのです)。涙、涙、です!
「昭和33年、優勝パレード、三原監督インタビュー」

こんな貴重な、元西鉄ファンにとっては落涙もののお宝映像が「無料」で拝見できる。
横浜に住む父にも是非観てもらいたい。私を西鉄ライオンズの本拠地平和台球場に連れて行ってくれた父は会社の野球チームでセンターをやっていた。体格も小さく余り上手ではなかったが、私も子供の遊びとしての「三角ベースボール」などは毎日のようにやっていたように記憶している。
今のように娯楽が多くなく、テレビも発達していなくて、野球や相撲を観る事が最高の楽しみであった時代。
ステレオ装置が欲しくてもあまりに高いので買えず、電蓄のようなものでSPのレコードでベートーベンの「運命」などを聴いていた時代(2楽章が終わると裏返すんですよ)。
まさに映画「三丁目の夕日」が蘇る時代である。

最後に、今日はYouTubeのおまけ。
「ゴールウェイの演奏」
Sir James Galway、そうフルート界の至宝、ゴールウェイが「シランクス」を演奏している映像である。
「無料」で、危険のない映像である事をお断りしておく。

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2007.11.14

さらば!鉄腕!

「神様、仏様」と来れば、次に続くのは「稲尾様」でした。
福岡市生まれの私にとっては、野球と言えば西鉄、ピッチャーと言えば稲尾、4番といえば中西。憧れの選手は西鉄のショート船田選手でした。巨人は「敵」でした。長島も王も敵でした。

「巨人、大鵬、卵焼き」
昭和30〜40年頃の、男の子の好きなもの、といえばこれでしたが、私は「西鉄、柏戸、目玉焼き」でした。
「黒い霧事件」で西鉄はなくなり、柏戸さんも亡くなられました。ちなみに柏戸は現鶴岡市(旧櫛引町)の出身で、実のお兄さんが鶴岡市で「柏戸銀寿司」という有名なお鮨屋さんをやっています。目玉焼きは、これは亡くなりませんね。(笑)

ピッチャー稲尾和久の伝説は枚挙にいとまがありませんが、子供の頃から漁師の親を手伝って小舟を立ち漕ぎしていたので足腰が異常に強靭だった事とか、最盛期には1シーズンに78試合も登板し42勝もしたとか、いろいろあります。冒頭の言葉が生まれたのは、昭和33年の日本シリーズで、巨人に3連敗し、誰もが今年はもうだめだと思った後、4試合連続登板し4勝してしかもピッチャーとしては初の日本シリーズでのさよならホームランまで打って優勝してしまったからです。私が平和台球場で観た記憶があるのは、全盛期を過ぎてしまい(投げ過ぎで肩を壊し、登板0の年もあった)力の衰えた頃でした。昭和31年、高卒でプロ入りしいきなり21勝上げて新人賞を獲って、昭和38年までの全盛期9年間で234勝もしているのです。その投球スタイルと戦績から「鉄腕」とあだ名がついたのですが、その頃、私の記憶ではテレビで「鉄腕アトム」をやっていましたから、それも関係していたのではないかと思います。

先日は、水泳の木原光知子さんが59才で、そして昨日は70才で稲尾和久さんがお亡くなりになりました。
今の時代ではまだまだ若く勿体ない。人の世の儚さを痛感しますが、彼らの人生は普通の人の2倍くらいの密度があるので、残念ではありますが可哀想とは思いません。
神様、仏様、稲尾様、ありがとうございました。
謹んでご冥福をお祈り致します。

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2007.11.13

「のだめカンタービレ」

本日、単行本第19巻発売だそうです。
今まで、あえてあまり触れて来なかった人気漫画。天の邪鬼の私としては「人気がある」と聞くとちょっと恥ずかしい気持ちもあり、好きだ、愛読している、とは言いがたく。。。(笑)

以前、本ブログでも書いた事あると思いますが、3年前の酒フィルの定期の練習で「ベト7」をやっていたとき、たまたま本屋で見かけた単行本。確か既に11巻まで出ていたので、1〜11巻「大人買い」してしまったのでした。
主人公のだめがおもしろいのはもちろん、出身が福岡で、脇役のオーボエ奏者通称「クロキン」の名前、そして学生たちのオケが「Sオケ」と言う名前で「ベト7」を練習していた、というあまりにも符合する、はまる要素が多くて一気にはまってしまいました。
以来、女性漫画週刊誌「Kiss」は購読できないけれど、単行本の発刊を楽しみにして買い続けていますが、連載開始からもう8年経っているらしいですね。山形では、アニメの「のだめ」の放映が無くて、どうして?!との思いがありましたが、約1年前フジ系でやっていたテレビドラマが思いの外良く、主役のだめ演じる上野樹里(山形を舞台にした映画『スィング・ガールズ』でサックスを吹いた主役)や王子千秋真一を演じる玉木宏(近頃はTV-CFなどでも引っ張りだこ)のコミカルな演技は、「実写は無理だろう」と言われた漫画のぶっ飛んだキャラクターを見事に演じ切っていました。
オケのシーンでは、漫画だと、本物のオケの演奏に合わせて漫画のオケ団員が動くようなアニメは難しいらしく、静止画でごまかされている所もおおかったようです。第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが違う弓の動きをしたり、強弱で弓のスピードや使う長さが変わったりするのはアニメでは難しいでしょう。テレビドラマ版では、音大生やプロを集めた「のだめオケ」というのを作り、本物の演奏を演じたのですからばっちりだった訳で、そういう点でも実写版は高く評価されました。私もつい毎回録画して観てしまいましたね。

その『のだめカンタービレ』ドラマ版が来春に2日連続のスペシャル番組で帰って来るそうです。今度は、舞台をパリやプラハに移して、ヨーロッパでの活躍を演じるようです。漫画の方は、パリに行ってから、すでに単行本だけで6,7巻進んでいるのですが、テレビドラマでそれは難しく、ファンの要望に応えて「スペシャル番組」として放映されるのだそうです。「孤高のオーボエ奏者クロキン」もパリ留学中ですから、また出演するでしょう。
「クロキン」を演じていたのは、NHKで毎週木曜日に放送している藤沢周平原作の『風の果て』で、主人公桑山隼太の若い頃を演じていた福士誠治という俳優です。私は結構テレビを観る方ですが、福士さんという俳優さんは他に何に出ているかは知らなかったので、「のだめ」のクロキン役が強烈に印象に残ってしまいました。ですから、『風の果て』を観ても「クロキンの人だ」となってしまうのです。
山響音楽監督の飯森範親さんのブログによると、今回のヨーロッパロケでは、プラハのスメタナホールでプラハ放送響を使って、飯森さんが玉木宏さん(千秋真一)に指揮の指導をして音楽をまとめて作り上げたのだそうです。観ていないのでわかりませんが、今年発売された「のだめカンタービレ」ドラマのDVDボックスでは、その演奏の音源を飯森さんがプラハのルドルフィヌムのドヴォジャーク・ホールでチェコフィルを振って録音したのだそうです。
チェコフィルのロマンやオンジェに会った時に、少しだけそんな話もしました。
来年の「スペシャル番組」には、ですから、昨日のブログ記事でも写真を出した「スメタナホール」が出るのだと想像しています。楽しみです。
プラハには、チェコフィル、プラハ響、プラハ放送響、プラハ室内管弦楽団、チェコ・ナショナルフィルなどなど、プロオケだけでもたくさんあるのですが、チェコフィルには、ロマン、オンジェィ、ヤナの3人、プラハ響にはピッコロのスタンダ、プラハ室内管にはクラのボイターと知己の友がいます。ドラマに出て来ると想像される「プラハ放送響」には残念ながら知り合いがいません。アフラートゥス五重奏団は、来年(平成20年)にまた来日するので、日本のテレビドラマに出るなら録画してDVDで見せて上げたいと思ったのですけど。

と言う訳で、来週の、オンジェィのリサイタル、プラハとのだめの話が繋がった(無理矢理繋げた?笑)のでした。
ちっとぉもしぇのぉ。

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2007.11.12

しつこく、告知る

変な日本語使ってすみません。
来週の月曜日、いよいよオンジェが酒田に来ます。チェコフィルのJapanツアーで中国経由で来日する訳ですが、昨年の酒フィル定期に来日できず、その時に果たせなかったファゴットリサイタルをやります。PhotoOndrejrise1左は先日も掲示した、オンジェ・ロスコヴェッツのファゴットリサイタルin遊佐のチラシです。
右は、5月13日(日)、『プラハの春 音楽祭』2日目のスメタナホールにて。スメタナ作曲「我が祖国」全曲演奏の後、指揮者ズデニェク・マーカルの指名で立ち上がり、会場を埋め尽くした観客の万雷の拍手を浴びているオンジェです。この時のブログ記事は、「中央ヨーロッパの旅」:5月13日、プラハ2日目をご覧下さい。
チェコフィルのトップ奏者が遊佐でリサイタルを開く、しかも自ら「酒田で演奏したい」と言って来てくれるのです。平日の夜、遊佐の公民館という悪条件なのですが、これを観た方で興味を持たれた方は、是非いらして下さい。とても素晴らしい演奏会になると思います。

酒フィルの仲間から「いつも美味いものばかり食べて、病気になるよ」と「医者の不養生?」を指摘されました。
いい訳ですが、そんなにいつもいつも外食ばかりしている訳ではありませんよ。週に1回か多くて2回です。後は家で質素に(ごはんに納豆にみそ汁とか、、、)やってます。(^^;;;;
でも、まだグルメ写真で未掲載のものはたくさんある訳で、、、
Photo_2Photo_3うちの近く、「こあら町」の蕎麦屋さん。
左の写真は、「二八の蕎麦に天ぷら」で右は「十割蕎麦と麦きり」です。
麦きりはとても美味しかった。二八は喉越しが良く、十割は風味豊かでしたが、少々雑味がある感じ。先日の記事に対するコメントで話題に出た「ルチン」などは、苦み成分に含まれているので、栄養価が高いものは「雑味」に感じるキライがあるかもしれません。

なんでそんな話(医者の不養生)が出たかというと、昨日もオケの練習で、昼食は余目の「蕎麦工房せき」にお邪魔した時の事でした。土日で計7時間程、オペラ「ラ・ボエーム」を全幕練習しました。指揮・指導の中橋健太郎佐衛門(名前からは想像しにくい若々しい30代の指揮者)さんは、本当に我慢強く、丁寧に、時にユーモアを交え、的確に、指導をして下さり、「まだまだ」の下の「まだまだまだ」位ですけれど、オケの演奏として形が見えてきました。
プッチーニは面白い!
プッチーニの音楽は、本当に楽しいです。やりがいが、ありすぎます。
たぶん脳の老化防止にもとてもいいと思います。「ラ・ボエーム」の練習をしていたら、きっと認知症にはなり難いのではないかと思います(それくらい、頭を使います)。

でも、第35回定期演奏会まであと3週を切りました。
Photo_5しつこく告知る、第2弾。プッチーニはしばし「お預け」して、頭を切り替えて、ベートーベンとモーツァルトとチャイコフスキーです。『悲愴』です。
「ラ・ボエーム」との共通点は、最後は死で終わる、というところでしょうか。でも全然違う音楽です。フルートで出す音色も神経を使って変える必要があります。12/2(日)までは、私の頭の中は、「エグモント序曲」のあのピッコロ(茂木大輔さんの本で一番最初に紹介されている、「ピロリ!」っていうあれです)と、「悲愴」のフルートに切り替えて、練習する時は本番を想定して音楽に集中する必要があります。

JAO酒田大会で、1曲で1時間20分にも及ぶ「マーラーの9番」が終わったとき、指揮者の本名さんがタクトを持った手をゆっくり静かにおろしていく10秒くらいの間、咳一つ聞こえず静寂だけがホールに満ちて、手を下ろし終わってから、パラパラと、そしてゴォ=!!!という拍手が沸き起こった酒田市民会館「希望ホール」。
酒田の市民(もちろん周辺市町や遠くから来られた方もいた)は「すっげぇ〜な」と思わされました。でも、『悲愴』ではよくあるんですが、3楽章(「コンパでジュースはだ・め〜!」か「さっちゃんの父さんはだ・れ〜?」の曲)が激しく終わった後に、拍手がでるんです。思わず拍手したくなるような3楽章の終わり方です。そして「死」を迎える4楽章が始まるのですが、先日N響アワーで観た『悲愴』でも、東京の観客ですら、3楽章が終わったところで拍手している人がいました。あの演奏会ではアタッカで4楽章が始まったのですぐに拍手はやみましたが、12/2の酒フィルの演奏会ではどうなるのでしょうか?楽しみでもあり、不安でもあります。
楽章毎に拍手をしてはいけない、と言う決まりなどはありません。
モーツァルトの時代などは、演奏「中」でさえ、お気に入りの部分で観客は喝采を叫んだり拍手をしたと聞き及びます。しかし、一応、4つの楽章で「一つの曲」なので、演奏する側としてはできれば3楽章と4楽章の間を拍手で中断されたくはないのです。
誰か拍手するかな〜。
多分、するでしょうね〜。

最後に恒例(?)のおまけ。
うちの医院の設計担当の建築士さんのブログを紹介します。
評価の高い「山形国際ドキュメンタリー映画祭」の市民賞のボランティアを以前からされていたり、「劇団山形」に所属するアマチュア演劇家でもあり、しかして本職は一級建築士。私と全く同じ日に、同じ鳥海山とスワンパークの白鳥に感動して写真をブログに載せられたりといううれしいコーインシデンスがあり、失礼ながら、感性というか波長が合う方なのです。
「青木建築設計室のブログ」の昨日の記事は、私の医院建築現場を建築士の立場と目で見たリポートになっています。

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2007.11.10

秋の一日

11月も中旬を迎えますね。
今週末も、土日2日とも来春のオペラ『ラ・ボエーム』の指揮者練習で、週末も余りのんびりできません。

そんな日、秋の一日を感じさせるシーンを少し。
Photo今の季節、庄内中、どこに行っても柿の木はたわわに実っています。この柿の木が裸になると「いよいよ冬か〜」と身構える季節ですね。
Photo_2家のお隣の倉庫に反射する太陽の熱を利用するように、近くの2匹の猫がヒナタボッコをしていました。朝晩は冷え込みますが、日中、陽が射すとまだまだ結構ポカポカする時もあります。


Photo_3改正建築基準法のせいで、申請してから確認済み証が発行されるまで2ヶ月を要した医院建設もようやく着工され、基礎工事が急ピッチで進められています。別ブログにも書いていますが、永久磁石式の最新型オープンMRIは撮像装置だけで15トンもあるため、その下の地面の基礎工事は特に重要です。長さ10mの太い鉄とコンクリートでできた杭が10数本打たれます。MRI室のしただけで4本はいるそうです。
その杭打ちのための重機は非常に大型で背が凄く高いため遠くからでもよく見えます。周りには送電線以外あまり高い建物の無いこの地で一番目立つのは、ゴルフ練習場です。国道7号線を北から市内に向かった場合は左手、南から秋田方面に行く時は右手(7号線の東側ということ)に背の高いゴルフ練習場のネットがすぐにわかります。その練習場の駐車場の向いが医院開院場所ですが、今だけ、この基礎工事のための杭打ち重機が練習場の北側に見えます。
この重機が現場になくなったら、地面の工事、そしていよいよ建物が建ち始めることになります。

のどかな秋の陽を浴びる柿や猫を見ながら来年の春を想います。

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2007.11.09

ハラクチーナ

イタリア語みたいに聞こえるかもしれませんが、これは「庄内弁」です。
「お腹いっぱい」という意味の庄内弁「はら、くっちー」(お腹がきつい)をイタリア語もどきにもじったものです。
JR東日本の新潟ー酒田間を走る「きらきらうえつ」車内で無料配布されている情報地図のことなのですが、これが大人気のようです。こちらの記事をご覧下さい(なお、新聞記事は時間が経つと消失する可能性があります)。
庄内弁の食マップ気分はイタリアン
食の都庄内食材マップ「ハラクチーナ」
写真入りで紹介されていますが、『情熱大陸』で取り上げられて一躍有名になった鶴岡のレストラン「アル・ケッチャーノ」のオーナーシェフである奥田さんが山形大学農学部(農学部は昔から鶴岡市にあります)の江頭准教授と組んで作ったこの小冊子。
Photo絵本作家のつちだよしはるさんの絵を使いながら、酒田市で月刊タウン情報誌「SPOON」を発行しているSPOON編集部が編集して、「おいしい山形」ということで山形県庄内総合支庁がJR東日本とともに作成したもののようです。
土田義晴さんは鶴岡在住で、絵本、イラスト作家であり、「庄内米ファンクラブ」の絵を描かれています。

Photo_2奥田シェフのアイデアと土田さんのイラストがふんだんにちりばめられた、見て楽しい「食の庄内マップ」。人気なのもうなづけます。庄内地方の自然が育む旬の食材を地図に網羅している訳ですが、海、山、河、平野に育まれて獲れるその食材のバラエティの豊富さにはあらためて驚かされます。
Photo_3地図だけ切り取りました。拡大してご覧頂けます。
食材に通し番号が振ってあるのですが、1番の庄内米、56番の岩ガキは当然ですが、75番は「熊」でした。私は食した事がありませんが、山間部では熊汁というものを食べるそうです。

国勢調査の結果、庄内、特に酒田市の人口減少が進んでおり、不況の影響で他県・他市への流出も増えているそうです。
素晴らしい自然と恵まれた食材、それをうまく使う料理人のおかげで食品関係、外食産業は注目され、藤沢周平人気や吉永小百合さんを起用したJR東日本の「大人の休日倶楽部」(えきねっと(JR東日本)大人の休日「夢・日本海美人紀行」)などで観光面では盛り上がっているように見える庄内ですが、地元に暮らす一般市民に広く恩恵がある訳ではないようです。不況に曝された産業も多く、失業者も増え、全体的に盛り上がっている訳ではありません。
高齢者の割合が更に高くなっているようです。庄内の大きな売りである農業も、慢性的な後継者不足があり、「ハラクチーナ」と喜んでいられる状況がいつまで続くのか、不透明な所です。

Photo_4Photo_5今日のおまけ。
「酒田のラーメン」が注目されている酒田市内で、「家系」をうちだしている「よこはま軒」。そこで「東京ラーメン(とんこつ)きゃべつ」と「よこはまラーメン・スパイシーネギ」を食べました。こってり、がっつりという感じで、麺はチャンポンのような、細いうどんのような、太めのやや縮れ麺で、背脂が振り掛けられパワフルな、酒田ラーメンとは対極のような感じでした。美味かったですよ。

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2007.11.07

大新聞に噛み付く

家では、今、朝○新聞をとっている。
こちらに引っ越してきて、最初に新聞の勧誘に来たのが朝○だったからである。地元紙として山形新聞や発行部数は少ないが、荘内日報というのもある。山形市にいた時は山形新聞を取っていた。全国紙は数種類職場で読めるし、地元の記事は地元新聞が最も豊富で楽しく読んでいた。
まあ、新聞なんてどこも偏りのある記事を載せたりするし、最近は新聞に余り期待していないので(ニュースはネットやテレビの方が早い)どこでもいいや、と思って朝○をとった。特に、医療関係者に辛く一般読者に媚を売るような全国紙には辟易しているところもある。

今朝、11/7の朝刊記事を見て、朝○の購読を辞めようと思った。
朝○め!二度ととらないぞ!、という気持ちにさせられる記事があったのだ。
「日本一の旅」というシリーズ物で、山本一力という俳優?とアスパラクラブという朝○新聞のネットで運営している無料の会員制組織メンバーによるアンケート調査の結果が大々的に出てきた。
「日本一のそば」を20000を超える「複数」回答で選んだ物。新聞では1〜10位までの紹介であったが、アスパラクラブでは20位まで紹介されていたのでここに転載する。

1位 信州そば【長野】 12,056人
2位 わんこそば【岩手】 6,276人
3位 出雲そば(割子そば)【島根】 4,081人
4位 出石そば(皿そば)【兵庫】 3,971人
5位 にしんそば【京都】 3,733人
6位 深大寺そば【東京】 3,619人
7位 へぎそば【新潟】 2,810人
8位 茶そば【静岡】 2,775人
9位 江戸そば【東京】 2,030人
10位 越前おろしそば【福井】 1,787人
11位 板そば【山形】 1,536人
12位 瓦そば【山口】 943人
13位 祖谷そば【徳島】 876人
14位 檜枝岐そば(裁ちそば)【福島】 767人
15位 新得そば【北海道】 651人
16位 けんちんそば【茨城】 629人
17位 幌加内そば【北海道】 526人
18位 常陸秋そば【茨城】 424人
19位 津軽そば【青森】 332人
20位 水そば【福島】 320人

私は、単なる蕎麦好きである。そば「通」ではない。でも出雲そばも信州そばもわんこそばもにしんそばも深大寺そばもへぎそばも、「現地」で食べた事がある。山形蕎麦というブランドは微妙だが、山形市の数ある店はもちろん、周辺市町村、特に村山の「あらき」、大石田の蕎麦街道の数店、荻の「源蔵」など銘店は何度も訪ねた。
はっきり言う。
「わんこそば」を美味いと思った事が一度も無い(モリオカの方には申し訳ないが)。
松本で学会があったとき、「信州そば」の有名店に行ったことがあるが、正直すこしがっかりした。
新潟のへぎそばはつるつるしていて美味い。美味い、不味いは人の好みでありこれをランク付けする事は難しいし問題がある。それにしても、この朝○新聞にのった「日本一のそば」のランキングは何に対して順位を付けているのだろうか?
「知名度」?それなら少しはわかる。
「わんこそば」というのは、食べ方であって蕎麦の種類ではない。山形の「板そば」だって、食べ方の問題であって「板」で蕎麦を供するところは山形以外にもある。蕎麦の本当に美味い大石田では、「板」ではなく丼で出す店もある。「源蔵そば」や上山の「原口そば」は「皿」で出て来る。「わんこそば」「板そば」という食べ方でくくるなら、「丼そば」「皿そば」というものも対象にならなければおかしい。
食べ方で分類したのでないとすれば、「にしんそば」とか「茶そば」というのは何だろう?
メニューで分類したのだろうか?山形市内の銘店でも美味しい「にしんそば」が出る。「茶そば」を出す所もある。にしんは京都、茶は静岡というくくりは正しいのだろうか?

小学生の研究課題じゃあるまいし、天下の大新聞がこんないい加減なアンケートを大紙面を使って、載せている事に腹が立ってきたのである。山形の人間だから、山形の蕎麦が美味い事を知らしめたい、とか地元の身びいきということも多少はあるが、自分の舌に賭けて、山形の蕎麦は美味い!
これがなぜ「わんこそば」のずっと下に来るのか、この調査結果はまったく解せないし受け入れられない。
おそらく山本一力という人も、朝○のこの編集部の担当も山形に来て蕎麦を喰った事が無いのだろう。
それにも関わらず、「そばをたぐる」とか「蕎麦の食べ方を褒められた」とか読んでいて吐気をもよおすような記事だった。彼の書いた物など、逆立ちされても読む気はない。

あんまり頭に来たので、可能な限り冷静な文章で文句のメールを新聞社のネット編集部宛に送ってやった。
さあ、大朝○新聞がこれを無視するか、受けてたつか、アンケートをやり直すか、興味深い。

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2007.11.05

今日の鳥海、昨日のライブ、そして驚き!

1105まずは今日の鳥海。
朝晩はグッと冷え込み、5℃くらいになったりします。雪もはっきり8合目以上真っ白になりました。
そろそろスタッドレスに代えるタイミングを考えなければなりません。


昨日は仙台で、中学の同級生岩崎佳子さんのライブを聴いてきました。
Photo片平の東北大学の近くにある『カフェ・モーツァルト・アトリエ』が会場で、一杯入れても60人程度の、ちょっと隠れ家的ないい雰囲気のライブハウス。
彼女の4枚目のアルバム『Heart to Heart』発売を記念して、故郷仙台で初のライブでした。
とても暖かい、真にアットホームな雰囲気に包まれた楽しいライブでした。途中で、彼女が東京で教えているコーラスのメンバー14名が加わったジャズ・コーラスもありました。録音とは別物のグルーブ感溢れる素晴らしい演奏を満喫しました。

Photo_2Photo_3(これらの写真は、最初のチューニングの時のものです。演奏中には撮影していません。)
ライブがアットホームな雰囲気に溢れていたのは、知人友人が多かったことに加え、彼女の仙台のご家族がいらしていたこともあったでしょう。たまたま私の隣にお父上、その隣にお母様が座っていらっしゃり、東北大学理学部教授で気象学が専門のお兄さん(なんと後で高校の先輩と判明)もいらっしゃっていました。
30何年前、彼女の自宅でピアノ伴奏をしてもらってフルートの練習をした事があったので、おそらくお母様とは初対面ではなかったのですが、お父様は初対面。名刺をいただいてその肩書きに驚きました。
「日本学士院会員」
なりたくてもなれるものではありません。

早速ネットで調べて驚愕の事実が判明しました。彼女のお父様、岩崎俊一さんは、東北大学の教授や電気通信研究所所長を務められた研究者・学者だったのですが、その業績の凄さ!
何と言っても「垂直磁気記録方式」という、現代コンピュータのメモリ、ハードディスクの記録方式を開発された人だったのです。iPodも多分入ると思いますが、いわゆるHDDオーディオプレイヤーや大記憶容量の携帯電話を我々が使っていられるのも、おそらく彼女のお父様の研究の成果なのです。
彼女とは中学の同級生というだけなので、それぞれ自分の親の事など話した事はありません。彼女は、一人の音楽家、ジャズピアニストとして生きているので、ご両親に感謝はしていても、それと音楽とは関係が無いのでそんな事は話さない訳です。驚きました。
「岩崎俊一 オフィシャル・サイト」をご覧下さい。

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2007.11.04

文化の日の週末

昨日11/3(土)は文化の日で国民の祝日でした。
大学を離れ、土曜日も仕事をする体制にしているため、土曜の朝に出かけずに家にいるのはちょっと拍子抜けでした(大学病院は土日休みですが、考えてみれば自主的に、当然の事として土日も行っていましたね、ただ「何時出勤」という決まりがないだけでした)。お天気は今ひとつでしたが、酒田市平田地区(旧平田町)で開かれている「めんたま祭り」に行ってみました。
「赤葱」が有名らしいです。いろいろなイベントが行われており、11/3にあわせて街ぐるみの「文化祭」もやっていました。
食いしん坊の私は食のテントに注目。平田町に嫁いで来られたのでしょうか、フィリピン、韓国、タイなどの女性がお国の料理を販売していましたので、早速「フィリピン風春巻き」「チヂミ」「グリーンカレー」「パッタイ」をお買い上げです。「模擬上棟式」では雨にも関わらずたくさんの人が、まかれるお餅(?)を競って取り合っていました。私のクリニックも年内に上棟式の予定なので、その時には餅を捲くのかな〜などと考えながら見ていました。

Photo_2午後からは「酒田市民音楽祭」。
まず午後1時集合で練習。2時から音楽祭。昨日コメントを下さったうちゃまさんも合唱で参加。(写真は、酒田吹奏楽団メンバー中心の金管アンサンブルのロビーコンサート)

Q酒フィルは「トリ」で最後の最後。一昨日、某所で一緒にフルート四重奏をやったHさんは、酒フィル関係のヴィルトゥオーソばかりを集めた五重奏(Pf., Vn.,Va.,Vc., Cb)で素晴らしいシューベルトの五重奏曲を披露されていました(写真)(五重奏の録音はありません。フルート四重奏の録音は『音ブログ』にそのうちアップする予定アップしました。)
ハイドン作曲「セレナーデ」音ブログをどうぞ!
「モーツァルト・フルート四重奏ハ長調1楽章」をアップしました(11/6)。
「同フルート四重奏2楽章」もアップしました(11/7)。


Photo(写真は残念ながらピンボケです)
酒フィルの演奏曲は、エルガー作曲『威風堂々第1番』。10分ちょっとなのであっという間に終わり。
はっきり言ってあまりいい出来ではありませんでした。12/2の定期演奏会、3/16のオペラ「ラ・ボエーム」の練習がけっこうきつくて、「威風堂々」はそれらの練習の最後にちょっとだけ2回程合わせた程度で、演奏者全員が初めて揃ったのが本番当日という有様。お聴きになった皆さんには大変失礼な話です。まあ「お祭り」ということでお目こぼしを。
さあ、それでお疲れさまということになればいいのですが、定期演奏会まで1ヶ月を切りましたので、その後午後5時から7時まで練習がありました。ベートーベンの「エグモント序曲」とチャイコフスキーの「悲愴」です。時間も少なかったので、練習したというよりは「通した」と言う感じ。平日仕事をしている人の集まりですから、連休の週末は家族サービスとなったり、地元の地区の催しに義理があったり、いろいろな人がいる訳です。徳島の国民文化祭にはるばる参戦しているメンバーもいます。そのせいで、オーボエとファゴットとクラとホルンのトップがお休み。チャイコの「悲愴」では特にこの4本は大変重要な役割を担っているので、歯抜けの演奏でした。私は内心(本番まで1ヶ月切ってこのレベルかよ〜)と思いながら演奏していました。しかし、毎度の事、酒フィルは残り数週間でぐぐっとレベルアップするのです。極端なことを言うと、本番3日前の練習で「え?!これがあの音を出していたオケなの?」と目を丸くし耳を疑う位良くなります。今年もそうなる事を信じたいです。

ということで、「文化の日」らしい過ごし方でしたが、ひとつ残念だったのは仙台に行く時間がなかった事です。
その代わり、今日出かけます。
以前、このブログでも書いた、私が中学生の時にフルートで出た「東北なんだかコンクール」仙台地区予選(ダッタと思う)でピアノ伴奏をしてくれたK.I. さん。国立音大を出て、今は素敵なジャズピアニストです。これも前に書いたと思いますが、私が個人的に世界一(?)カッコいいと思う職業、ジャズ・ピアニスト。
だって、ビル・エヴァンスとかオスカー・ピーターソンとか憧れます。日本でも現役で山下洋輔さんとか小曽根真さんとか、素晴らしい方がたくさんいます。岩崎佳子(あ、名前出しちゃった、いいか宣伝だし)は、そういったビッグネームではないです。世間的に名前の知られていない素晴らしい音楽家はたくさんいる訳で、彼女も園一人です。自主レーベル(いわゆるインディーズ)でこれまでCDを3枚出しています。その中には、友人の「小野りさ」さんが「友情出演」されているものもあります。
300706(写真は、ちょっと小さいですが、彼女の3枚目のアルバム『My Ship』です。私も音ブログに録音をアップしていたのですが、JASRACに指摘されて消去しました)
その岩崎さんがこの度4枚目のアルバム『Heart to Heart』を出すことになりました。
東京、横浜を中心に活動している彼女が、このアルバムを記念して生まれ故郷の仙台で「初ライブ」を開くことになり、それが11/3と4日なのです。昨日は、私は行けなかった訳ですが、同級生もたくさん集まったらしいです。

今日、夜7時から。場所は『カフェ・モーツアルト・アトリエ』、 tel 022-266-5333。
演奏は、ピアノ岩崎佳子、ベース稲葉國光、ギター田附靖です。今晩ならまだチケットあるかもしれません。

仙台まで高速道路を使っても2時間半はかかります。往復5時間で大変ではありますが、同級生のアルバム発売を祝したいですし、何より彼女のライブ(昨年5月に横浜馬車道で聴いて以来)が楽しみです。
まあ、牛タンを食べるという当然!の目的もある訳で、、、(笑)

Q_2Photo_3今日のおまけ。
11/2の夜、某所で演奏したフルート四重奏。知人のお願いで、ある会の始めに3曲演奏しました。「音ブログ」に載せる予定です(まずは1曲目ハイドン作曲「セレナーデ」です)。
おまけのおまけ。チェロ奏者で楽団指揮者でもある「タビの親父」さんのイチゴです。
素晴らしい色、形、そして味(!)でした〜。御馳走様。

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2007.11.01

『義民が駆ける』

藤沢周平の小説です。
しかし、実際にあったノンフィクションですし、様々な史実、資料を元にしていますので「小説」という範疇に入るのかどうか、人によって考えが違うかもしれません。
以前にも、荘内藩の関係した『三方領地替え』のことを書きました。ブログ記事「歴史と人(まとめ?)」

はじめてこの話を聞いたのは、高校の日本史だったかな?「理系進学コース」でしたが、日本史と英語が得意で、数学と物理が苦手な「文系」な私でした。その後、何回かこの『三方領地替え』の史実を読み聞きしましたが、「他人事(ひとごと)」でした。
庄内に住むようになって、またこの話をどこぞで読み聞きし、荘内酒井藩と庄内の領民との素晴らしい関係を思っていました。今でも、酒井家当主は鶴岡に住んでいて、町の人から「殿様」と呼ばれています(少なくとも先代の17代忠明さんは呼ばれていた)。
鶴岡と酒田が牽制しあったり陰でいがみ合う事があると言っても、酒田には亀ケ崎城という枝城があって、荘内藩の一部であり、本間家を始めとする富豪商人が酒井家を助けていたことは事実です。武家と商人の街の違いはあっても、「庄内」という一つの地域として江戸時代から300年以上続く関係です。

藤沢周平が、自分の出身である鶴岡や庄内を舞台にした小説をたくさん書いている事はつとに知られており、最近は「蝉しぐれ」「隠し剣鬼の爪」などなど映画化、テレビドラマ化が盛んです。その中で『三方領地替え』を題材にした、「義民が駆ける」は、最初に書いたようにほとんどがノンフィクションであり、地元の美談を必ずしも美談として捉えずに、少し醒めた目で観察し、しかしやはり地元への深い愛に基づいて書かれた話です。
ずっと前から読みたいと思っていました。
なかなかチャンスがなかっただけですが、実際に本を手に取ったことはなく、話だけはおよそ聞いていました。
そして最近、ついに本を手にとり、一気に2日程で読み終えてしまいました。
内容をご存知の方にだけ通じる話ですが、最後から少し前の「沙汰やみ」になった事を江戸から伝える早駕篭に乗った使者が、清川口(清河八郎の出身地であり、最上川沿いに新庄最上地区からいよいよ「庄内」にはいった、と実感する場所、友人の「タビの親父」さんもこの近くの狩川に住む)から庄内領に入って、その駕篭の意味を知った百姓が駕篭を伴走し、次第にその数が膨れ上がり、雄叫びを上げながら駕篭とともに鶴が岡城を目指すというシーンでは、熱いものが込み上げて来る事を禁じ得ませんでした。
庄内の領民が殿様を慕い思い、領地替えに反対するため自分の命をかけて江戸に昇り、江戸城登城中の老中たちに直訴する「駕篭訴」や、秋田、仙台、米沢、会津などの周辺外様大名(酒井は徳川四天王なので高位の譜代大名)に願訴に出かけて行く話などは、やはり美談と考えたくなります。江戸時代のことです、庄内から江戸に出るだけで10日から2週間もかかるのです。最初の「駕篭訴」は成功しても、「領地替え」が覆る気配や知らせはなく、その後も庄内百姓は訴えに出かけるのですが、幕府の目を気にする荘内藩自身が「国を出る」彼らを捕えて連れ戻そうとします。そのため、道のない沢伝いに鳥海山麓から秋田領や新庄領に抜けたり、船で新潟領に出るため酒田から出航しようとして役人に見とがめられて、秋田領に抜けて結局徒歩で江戸に向かったり、山形領を抜けられず、鳴子から仙台領に入って結局「大量の国外農民の通行まかりならん」と返されたり、と簡単ではなかったようです。その辺を藤沢周平は、史実を冷静に伝承する様に、比較的淡々と書いているように思えます。しかし、江戸時代、冬の山越え、装備も貧弱で、家に家族を残し、農作業を中断して、「殿様に残ってもらいてちゃ」という思いで江戸や周辺の大名領地に徒歩で行くというのは相当辛いものだと思います。
単に「殿様」を思い慕う美談ではなく、別の所から新しい殿様が来たら、今までの安定した生活が立ち行かなくなる、年貢米の取り立てが厳しくなり、不作の時には餓死者も出るだろう、という自己防衛のための行動であったという説明は、理解は出来ます。でも、こんなに大変な事をするだろうか、と我が身に置き換えて考えてみます。
当時の百姓の気持ちを、最後の方で藤沢周平は次のように記述しています。
「昨日のように今日があり、今日が何ごともなく明日につながることに、彼らは暮らしの平安をみる」
「帰ってきたのは、手垢に汚れた変わりばえもしない日々であるはずだった。」

変わらない事、平々凡々な事、貧しくても安定している事。時代の流れの中で、自ら望まないのにいくらでも、変化は起こりうる。江戸時代天保年間のこの庄内の話だけではなく、いろいろな時代に戦があり、天変地異があり、一般市民は翻弄されて生きるしかないことは少なくない。変化が起こってもそれを受け入れてじっと耐え、何とか乗り越えて行くのが、一般的なA型人間の日本人だと思っていたが、「変化を望まないため」に闘って、その結果、自分たちの思い通りに幕府や領主をさせてしまったとすら言える庄内の百姓たちのパワーは恐るべきものがある。それを陰で支え、ある意味で操った酒田の本間家の力というのも恐ろしいものである。
『三方領地替え』が沙汰やみにならず、実際に行われていたら、きっと今の庄内は違う雰囲気だったであろうし、私は今ここに暮らしていないかもしれないとまで思う。

まだお読みでない方で興味を持たれた方は、是非ご一読をお勧めする。(手紙や条文や訴状などが書かれているため)ちょっと「候文」が多くて読みにくい所も多いのですが。
最後に、私のお気に入りの部分を引用します。
初めて、江戸へ駕篭訴に上がる、第1陣の百姓たちの会話。老中の駕篭に近づくのだから格好もちゃんとしなければ行けないと考えて羽織を持参した者に、「百姓の格好のままがいいのだ」と指導的立場の者が説明した事に対する返答です。
「ンだども、そえでは少ししょすようだ気もすんどものう」
(ですけれど、それでは少し恥ずかしいような気がするんですけどね)

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