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2007.10.19

訃報(木原光知子さんとくも膜下出血)

木原光知子さんが昨日亡くなられました。
ある程度の年齢の方はオリンピック水泳選手として活躍したことをご存知でしょう。16才で1964年の東京オリンピックに出場され、国民的ヒーロー(ヒロインか)でした。
まだお若い59才だったとのこと。死因は「くも膜下出血」だそうです。

実は、私は木原さんと一緒に泳いだ事があります。しかも隣のレーンで同時にです。
小学生の頃、倉敷市の小学校で夏の水泳強化練習のようなものに参加していました(水泳部だったかも)。私はプールでの水泳を始めたばかりの頃、5mも泳げませんせんでしたが、この夏までに何とか25m泳げるようになっていました。そこへ、岡山県出身の英雄である木原光知子さんが指導というか激励に来て下さって、子供たちと一緒に泳いで下さることになりました。私の左となりのレーンが木原さんでした。クロールで泳いだのですが、私は息継ぎを左に顔を向けた時にする方法だったので、息継ぎの度に木原さんが隣で泳いでいるのが見えました。こっちは結構必死で全力で泳いでいるのですが、木原さんはほとんど足のビートもせず、手の掻きも休み休み行っているように見えるぐらいゆ〜〜っくり泳いでいらっしゃいました。決して子供たちを追い越さないように頭一つ後ろを狙っているようでした。当時身長130cmちょっとぐらいだった(はず?)のチビの私は必死に泳ぎましたので、泳ぎ切ったときはゼーゼーと言う感じでしたが、隣のレーンで「大きな」(背丈だけではなく肩の肉とか全身の感じです)色の黒い木原さんのニコッとされた白い歯が強烈な印象で残りました。
その時は、木原さんが元オリンピック選手だというくらいで後は訳の分からない小学生の坊やだったので、会話も何もしていないと思います。たしか「よく頑張った!」とか言って下さったように覚えています。その事はずっと記憶に残っていて、40年近く経った今でも脳裏に焼き付いています。
ん?38年前としても木原さんは21才だったということか?!じゃあ、「元」ではなく現役バリバリの選手だった訳ですね。引退した選手が激励に回っていたというのとは訳が違うと思います。イチローと一緒に少年野球の選手がキャッチボールをしたとか、川口選手の守るゴールにPKを蹴る練習をしたとか、陸上の為末選手と一緒に100mのトラックを走ったというような経験だった訳です。

水泳の指導中に倒れて運ばれた病院でその日のうちに亡くなったという事(後でニュースを確認したら、13日に倒れ18日に亡くなったそうです)は、重症くも膜下出血だったのでしょう。おそらく、グレード5という最重症の状態だったと推測されます。私も脳外科医としてくも膜下出血の患者さんをたくさん診てきましたが、グレード5の方で救えた人は一人もいません。というより、手術に至った人すら「0」です。
以前にも書きましたが、グレード0(未破裂)はもちろん、グレード1も2も、私が手術した患者さんは幸い後遺症もなく皆さんスムーズに退院して社会復帰されています。グレード3の方も一人を除いて全員自宅に退院されました。グレード3になると、軽い片麻痺やごく軽度の失語症状を残してしまった方もいます。自宅に退院できなかった方は、手術時80才と高齢で、手術は上手く行ったのですが、くも膜下出血に伴う「正常圧水頭症」の治療として行ったシャント手術の効果がうまく働かず、経管栄養で寝たきりになってしまいました。高齢で重症とはいえ残念です。グレード4(強い意識障害から半昏睡、すなわち出血量が多いために脳全体の機能が低下している)になりますと、発症当日手術したという方は少なく、全身状態の改善を待っての手術も多く、出血も重症のためほとんどの方が何らかの障害を残されていると記憶しています。自宅他院された方もいますが、完全自立生活をされている人は少ないと思います。合併症(胆嚢炎から腹膜炎)や肺塞栓を来して亡くなられた方など苦い記憶もあります。
発症して病院に運ばれて来て、その日または数日のうちに亡くなられたくも膜下出血の患者さんの事を思い出そうとしているのですが、ちょっと思い出せません。数多く経験しているはずですが、本当のグレード5(意識が深昏睡、つまり抓っても叩いても全く反応のない最重症)は、脳血管撮影も行えない程重症で、たいていは挿管して人工呼吸器に繋ぎ、昇圧剤で血圧を上げて(くも膜下出血の初期治療はまず高くなっている血圧を下げるのが普通)、あとは看取るだけ、即日からもっても1週間以内に亡くなられる方がほとんどですし、当然手術も行っていないので一人一人の患者さんの記憶が薄いのだと思います。
木原さんも残念ながらそういう状態だったのでしょう。
好きな事をしていて、その最中に倒れ、寝たきりになってだらだらと生きるより、ぽっくり逝って幸せではないかという考えも間違いではないと思います。でも、「59才」は若過ぎます。あまりにも若過ぎます。
とても残念です。

夏休みの小学校のプール、
照りつける太陽の下、
ユラユラと眩しく反射するプールの水、
隣りのレーンでニッコリ微笑んでくれた黒い顔と白い歯、
木原光知子さんのご冥福をお祈り申し上げます。

合掌。。。。。

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コメント

現役の女子水泳選手で初めて知った(顔と名前が一致した)方だった気がします。
ずっと頑張ってる・一生懸命・真面目すぎるほど真面目な人…
これが、木原さんに対してずっと抱いてたイメージです。
もっと年上の方だと勝手に思ってました。
人は誰でも死ぬという事は<公平な結末>なのでしょうが、
(あくまでも)第三者としての私には、その公平さで納得できる死と、納得できないものとがあります。
完璧にリタイアされてから、今度は違った形で<伝えるもの>をたくさんお持ちの方だろうにと思えてなりません。
残念です。合掌

投稿: リスペクト | 2007.10.19 12:26

リスペクトさん、死が終わりであるなら納得できる死などはほとんどないと思います。人智を超えた世界で死が終わりでないのなら、考え方も変わるでしょう。80才にもなればもう満足だ、あといつ死んでもいいと言う方もいますが、私は80才になれたならその時に満足しているのかな?と自問しています。欲張りな性格なので、最低90才、交響曲を作曲してから死にたいなどと馬鹿な事を考えています。
59才とは若過ぎますが、木原さんは水泳選手として、水泳界の指導者として、女性活動家として女性の地位向上にも貢献され、素晴らしい人生を送られたと思います。

投稿: balaine | 2007.10.20 07:17

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