地鎮祭と美術館と湯田川温泉と藤沢周平
平成19年10月8日(月・祝)、大安吉日。
来年開院予定の医院の起工式(=地鎮祭)を執り行いました。
折からの風雨で、あまり起工式にふさわしくない前途暗い天候でしたが、「雨降って地固まる」とか「清めの雨」との慰めの言葉を頂きました。式自体は厳かに粛々と進みとても清らかで満たされた気持ちになりました。
(写真は庄内空港に着陸する直前のANA旅客機)
両親もこれを機会に前日(10/7)から庄内に遊びに来たので、最近テレビドラマに出て更に人気が上がっているのか、予約も難しくなって来た寿司「鈴政」や、好みの蕎麦屋「田毎」や、平田牧場直営店に連れて行きました。ちょうど3連休でもあり、とんかつ屋さんは席が空くのを待っているお客さんで混雑していたので、近くにある直営店のショップで三元豚や金華豚を使ったカツカレー、カツ丼、豚丼、生ハムサラダなどを買って帰り自宅で食べました。
10/8の午後、「土門拳記念館」や東北公益文化大学がある飯森山地区にある「酒田市美術館」に出かけました。午後2時から、山形弦楽四重奏団のミュージアムコンサートがあるからです。
美術館は、ちょうど開館10周年(新しくこの地に移って)であり、特設展示は生誕100年を祝う画家森田茂氏の絵でした。森田氏は本年春に満100才になられなおお元気で創作活動を続けておられます。元は栃木の方ですが、庄内の「黒川能」を観て、代々農民の家に伝わる能の役目を子供から年寄りまでが守って土着的に継続しているこの特異な「能」に魅せられ、それをライフワークとして描いている方です。特に、「赤」をたくさん使って、能の舞を描いた絵が印象的で、ゴッホの「黄色」を連想させる、力強い生命力にあふれた絵でした。
その美術館のギャラリーの一角で、森田茂の絵をバックに、山形弦楽四重奏団の演奏がありました。美術館が用意した椅子が足らず、腰掛けられるところに腰掛けたり立ち見の人など10〜20人くらいおられました。
曲は、モーツァルト作曲の「ディヴェルティメント」、弦楽四重奏曲「狩」の他、J・シュトラウスのワルツ、サウンド・オブ・ミュージックのメドレーや日本の童謡など約1時間のコンサートでした。万雷の拍手に応えてのアンコールは、「千の風になって」。最初は、ギャラリーの特殊な形状と壁などによる反響に戸惑っていた4人も後半には「感じ」がつかめて来たように思えました。あいにくの天気にもかかわらずたくさん集まった観客は最後までたくさんの拍手で演奏を讃えていました。(写真は、アンコールの挨拶をしている所です)
美術館で絵を堪能し、その足で「湯田川温泉」に向かいました。地元の人に言わせると「また、渋い所を選んだね」となるのですが、今や藤沢周平のおかげで脚光を浴びています。
今回のお宿は、それこそ藤沢周平縁の宿とすら銘打っている「九兵衛旅館」。藤沢さんが実際に泊まった部屋が今もそのまま残されており、客室としても使われている旅館で、おかみさんは病のためにわずか数年の教員生活しか送れなかった小菅留治先生(=藤沢周平)の教え子なのだそうです。
写真のように、旅館の一角に「藤沢周平コーナー」があり、昭和61年から山形新聞夕刊に連載された名作『蝉しぐれ』の新聞や、その他の原稿、直筆の手紙などが展示されていました。
別のコーナーには、藤沢文学の単行本が置いてあって自由に読む事ができます。私も風呂上がり、スラッと「蝉しぐれ」と「盲目剣谺返し(=武士の一分)」を読んでみました。じっくり読みたくなるのを我慢してさらさらと読んだのですが、たとえば「盲目剣谺返し」の最後の場面などでは目頭が熱くなるのをこらえる事ができませんでした。そういえば、私は映画は観たけれど原作は読んでいなかったのですが、盲目の剣士が決闘で勝利するシーンなど、映画ではかなり重要な場面は、ほんの2,3ページ程度の記述で淡々と情景と心が綴られていて、かえって読者の想像力をかき立てるものでした。映画を観る前に読むべきだったと思いました。映画では、男鰥になって中間(=下男)徳平のまずい料理に辟易していた主人公が、徳平の連れて来た新しい「飯炊き女」の料理を一口食べてすぐに離縁した妻加世とわかり、「お傍にいてもいいんでがんすか?」と問いかける元妻を抱きしめるという感動的なラストシーンでしたが、原作では戻って来て料理や洗濯掃除などをしている元妻は一言もしゃべらず同席もしないのですぐに気がつく訳ではなく、数週間食事をしている間に「この味は、、、」と気がつくのです。しかし中間や「飯炊き女」に問い糾すこともせずにいます。ある日「蕨たたき」を準備する良い香りが台所から流れて来て、主人公新之丞は「去年の蕨たたきもうまかった。やはりそなたの作るものでなければだめだ。」というような言葉を発し、それを聞いた加世は台所に走ってそこで号泣する、という風な描き方をされていました。文章から読者に想像をゆだねる原作と、映像で観客に訴えかける映画での作りの違いを感じましたが、どちらも名シーンと思います。
旅館は、手が混んだと言うよりは地物の食材を活かした素朴な美味しい料理で、特にハタハタがこれから季節という事ですが大きくて美味でした。お湯もぬるめで私にはとても合っていました。
近くに、『たそがれ清兵衛』で宮沢りえ扮する「朋江」が清兵衛の娘達を村祭りに連れて来たというシーンを撮影した神社がありました。
湯田川の人達も、村人役のエキストラで出演した人も多く、映画撮影の記念碑とともに集合写真が掲示されていました。庄内の風土が自然に薫るような鄙びた場所で、実際に地元の人も出演してロケが行われたと聞くと、映画のそのシーンが思い起こされます。単なる村祭りのシーンで、ストーリーの展開上決して重要な場面には思えないのですが、その実、後々清兵衛の後添えになる朋江と娘達の心の触れ合いを示しながら、村人達の中に進んで交わって行く当時の武士階級としては特異というか革新的な朋江の行動力を示していて、決闘の準備やまとまっていた再婚話を蹴って清兵衛の後妻になる朋江の優しさに包まれた強さを示すこの映画の大事な部分に繋がるよく考えられたシーンだと思われます。
すぐ近くに「湯田川小学校」があり、その正面玄関脇に藤沢周平記念碑とその解説の立て看板がありました(写真左の記念碑は写真を撮っている私の姿が写り込んだため明るさなどを変更しました)。山形師範学校(現山形大学教育学部)を卒業して、地元の中学校(当時は小・中併設)に勇躍赴任し今後教員として頑張ろうとしていた若き小菅留治先生とその後の藤沢周平文学の事を偲び、「ああ、藤沢周平はここでニコニコ笑いながら「小菅先生!」と生徒に慕われていたんだろうな」としばし勝手な想像を巡らせていました。
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コメント
医院の起工、おめでとうございます。ご両親もお喜びのことでしょう。九兵衛旅館はいかがでしたか。少しぬるめの温泉ですが、これが実にあったまるんですね!ご両親も旅の疲れが取れたのではないかと思います(^o^)/
藤沢周平の本名は、たしか小菅留治だったと思います。お確かめください。
投稿: narkejp | 2007.10.12 06:47
narkejpさん、ありがとうございます。留吉ではなく「留治」先生でした。ご指摘いただき修正致しました。
九兵衛にはお泊まりになったことがおありなのですね?お部屋は指定して「桂」にされたのでしょうか?
投稿: balaine | 2007.10.12 07:16
地鎮祭、おめでとうございます。いよいよですね。
一国一城の主…意味合いが合ってるかどうか怪しいですけど、ふと浮かびました。
「武士の一分」映画に3回も足を運んだ私に、藤沢周平作品が好きな二男が「母さん、一度原作読んでみたらいいのに。短いから」と、言ってくれてたのを思い出しました。
話は飛びますが balaineさんの毎回の記事読みながら、きっと完璧な、ひょうっとしたらユニーク(?)な、カルテを作成されてるような気がしました。
投稿: リスペクト | 2007.10.12 22:55
リスペクトさん、是非お時間があれば原作をお読みください。武士とか戦とか決闘とかありますが、男性の読み物ではありません。とても情景描写、心情描写が美しいと思います。わりとすらすら読めると思いますよ。
そして、いつかは庄内へおいで下さい。
医院は完全にフィルムレス、ぺーパーレスにするので、カルテもキーボードで書きます。手書きの方がいろいろな「想い」も書けるのですが、時代の要請もあり仕方のないところです。
投稿: balaine | 2007.10.13 12:15