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2007年10月

2007.10.31

演奏会の告知3件

食欲の秋、芸術の秋、真っ盛りです。
日没も夕方5時前になり、帰宅時には真っ暗な季節になりました。
いくつか、私の関係する音楽会の案内、告知です。これをご覧になった方で、近隣の方で、お時間、ご都合の許す方は是非おいで下さい。

Photoまず1つ目。
今週の土曜日、11/3に酒田市民会館「希望ホール」で開催される、「第50回酒田市民音楽祭」です。9月に「開会式典」でオケと合唱の演奏をした「市民芸術祭」の一連の行事です。酒フィルの出演は、最後の最後16時過ぎから、1曲だけ10分程度。エルガー作曲の『威風堂々』を演奏します。
いつもお世話になっている酒田吹奏楽団が我々の前、最後から2番目に登場する他、地元の合唱団やアンサンブルの演奏などがあります。入場料は一般500円、学生200円です。


Photo_2続いて、11/21(水)に、「遊佐町中央公民館ホール」で午後7時開演の、「オンジェ・ロスコヴェッツ リサイタル」です。
チェコフィルのファゴット奏者である彼のリサイタル、実は昨年の酒フィルの定期演奏会に招待したのですが、事情があって来日できず果たせませんでした。今回、チェコフィルとして11月に「中国(上海など)ツアー」と「日本ツアー」のために来ることになったので、リベンジ!とばかりに演奏会をします。
オンジェは、先の「中央ヨーロッパの旅」で会ってきました。『プラハの春音楽祭』に夫婦で行けたのは、彼の招待に寄るものなのでした。「中央ヨーロッパの旅:5月13日、プラハ2日目」をご参照ください。
酒田ではなく、遊佐町の公民館です。ファゴットのソロ・リサイタルなど、非常に珍しいもので、特に田舎でそんなに人が集まらないという心配があります。チェコフィルトップ奏者の美しい、哀愁たっぷりの音色を楽しめる事は保証します。興味のある方は、平日の夜なのですがどうぞ遊佐までいらして下さい。
ピアノの伴奏は、ハンガリー中心にヨーロッパでも活躍されている若手の藤井亜紀さん。2006年1月のハンガリー・ソルノク公演で、ショパンのピアノ協奏曲第1番を酒フィルと共演してくださいました(海外公演で私が初めてフルートトップを吹かせてもらった時の事)。本当に偶然なのですが、藤井さんのお父様は酒田市の出身なのです。8月のJAO酒田大会の時には、里帰りを兼ねてわざわざ聴きにいらして下さいました。
オンジェと藤井さんの演奏、大変楽しみです。
一般は2000円、小中高校生は「無料」です!


Photo_33つ目。酒フィル定期です。
酒田フィルハーモニー管弦楽団第35回定期演奏会は、12/2(日)午後2時開演。会場は、酒田市民会館「希望ホール」です。
今年のプロは、指揮者がスロヴァキア人のエーヴァルト・ダーネルさんという点と、協奏曲はダーネルさんの「弾き振り」(指揮とソロを一人でやる)という点でユニークです。
1曲目はベートーベンの「エグモント 序曲」、2曲目はモーツァルト作曲 ヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」、メインはチャイコフスキー作曲「交響曲第6番「悲愴」です。
2曲目の「トルコ風」は、8/11の山響モーツァルト定期『アマデウスの旅』第1回でコンマスの高木和弘さんが本当に素晴らしい「弾き振り」をされました。ダーネルさんのヴァイオリンは、柔らかく優しい美しい音色が特色です。とても楽しみです。
メインの「悲愴」は、酒フィル定期のメインで私が初めてフルートトップを吹かせて頂きます。かなり気合い入っています。8月の酒田C高校定期の時のような失敗をしないよう、集中力を途切れさせないよう、落ち着いて演奏したいと思います。


Photo_4最後の写真は、小さなシャンパンとお気に入りの「フルートグラス」。
このシャンパンは、「高畠ワイナリー」という、山形県高畠町にあるワイン醸造所のもの。工場長の名前をとった「嘉」シリーズの一つ。Japan Wine Competitionで銀賞を獲った「嘉シャルドネ・スパークリング」や銅賞を獲った「嘉メルロ&カベルネ」赤ワインなど、手頃な価格で大変美味しいです。何本かまとめ買いした時に、景品のように付いて来た「嘉スパークリング・オレンジマスカット」というちょっと変わった品種の小瓶でした。甘口で爽やかな香りを楽しみました。
「建築着工」をささやかに自宅でお祝いしました。v(^^)

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2007.10.29

吉報2つ

まず一つ目。
医院建設の建築主である会社担当の方を通して、建設会社から「建築確認」が下りたという連絡がありました。
「建築確認申請」提出後、丸2ヶ月を経過しましたが、ようやく「着工」となるようです。

もう一つ。
山響(山形交響楽団)が、今年度の「地域文化功労者文部科学大臣表彰」を受けることになったそうです。
山形新聞のネットニュースから
1972年(=昭和47年)に、現山響創設名誉指揮者である村川千秋さんの情熱とそれに賛同する人々の協力によって、東北地方で初めてのプロのオーケストラとして発足し、いろいろ紆余曲折を乗り越えて地域に根ざした活動を続けて35年。現音楽監督である飯森範親さんの企画立案実践指導によって、新しいレーベルでCDも発売し(この12月に、ブルックナーの4番のライブ録音がCD化されるらしい)、「アマデウスへの旅」などユニークな演奏会を始めています。今年は、初めて『題名のない音楽会21』に2週登場して素晴らしい演奏を広く全国に披露しました。
昭和47年といえば、山形大学に医学部が出来たのが昭和48年のことなのですから、相当昔という感じがします。

飯森さんの力は大きく、そういった目先の変化や躍進だけではなく、オケの音が変わり、音楽が素晴らしくなった事は、昔の「ガタ響」と呼ばれた時代を知っているだけによ〜〜くわかります。メンバーの変化も、その努力も大きいでしょう。上手い人を、たとえばベルフィルとウィーンフィルとN響から人を集めてくればいい、というものではありません。山形のオケとして、特色ある、存在感のある「音」で勝負できるようになって来ていると思います。
そして、なによりも忘れては行けない事は、創設以来一貫して続けている「音楽教室」です。
山形県内の小中学校を中心に、県外までも演奏に出かけて、年間150回程の演奏活動を続けています。定期演奏会やそれに准ずる演奏会が年に10~20回程ありますから、あわせると2日に一回はコンサートをしている事になります。リハやゲネプロや移動を考えれば、ほぼ毎日のように練習か演奏会がある訳です。それを地道に30年以上に渡って続けて来たのです。
山形県出身で現在30才台くらいまでの人達は、コンサートに出かけた事はなくても、子供の頃学校で山響の生の演奏を聴いたことがあり、クラシック音楽に小さい頃から触れられるという非常に恵まれた環境にあります。福岡や倉敷で子供時代を送った私には、時代も時代であり、小学校でプロオケの生の演奏を聴くなどという機会はありませんでした。もし、小6の時に(既にフルートを始めていた)生でオケを聴いていたら、今頃は医者をしていなかったかもしれません。こういう恵まれた人達が既に延べ何万人もなっていて、今やその人たちの子供も学校で山響を聴いている、親子二代に渡って学校でクラシックを、本物の音楽を生で聴くということになっています。
35年前に、中央でのキャリアを捨てて、故郷の山形に「田舎の人には本物の音楽を聴く権利がないのか」という熱い想いから、自腹でコントラバスを買って安く手に入れたワゴン車に積んで移動音楽教室をやっていた青年「千秋先生」も70才を超えました。
そういえば、千秋先生は平成16年度の地域文化功労者表彰を受けておられます。上記の活動から考えて当然ですね。

11/1、現音楽監督の飯森さんが代表して、大臣表彰を受けられるそうです。
我が事のように嬉しいです。おめでとうございます!

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2007.10.28

音楽と癒し、そして

「音楽療法」という言葉があります。
その学会もあり、これをライフワークとして研究している人も、仕事としている人も大勢います。私も、小さい頃から音楽に関わり、今は日常のかなりの時間を音楽に割いています。仕事をしている時間以外では、音楽に割いている時間はテレビを観たりインターネットをする時間と同じ位だと思います。
昨年は、モーツァルト生誕250年ということもあって、クラシックに興味を持たない人でもモーツァルトの音楽を聴く機会があったと思いますが、生誕251年目にあたる今年はどうなのでしょうか。
テレビや雑誌などのマスコミで「モーツァルト」「モーツァルト」と狂騒的な演出めいた報道はなくなったと思います。昨年の過熱振りとは別に、音楽療法の世界、もっと幅広く「音楽による癒し」という意味でモーツァルトの音楽はかなり以前から注目されています。果物を栽培したり、お酒を造る蔵元で、モーツァルトの音楽を流し続けたら、成長が促進されたとか、美味しいお酒が出来たとか、「本当なの?」と眉唾物の話も出てきます。
Photo(写真は、今年5月の中欧旅行の際に訪れたザルツブルグで売っている「元祖モーツァルト・クーゲルン」の包み紙、ウィーンで良く見かけるものとは違うのです、フュルストというザルツブルグのお菓子屋さんでしか売っていない)

音楽が人の心(脳)を癒す効果があるかどうかということは議論の必要がないと思います。太古の時代から、人の暮らす所には音楽が必ずありました。モーツァルトの音楽が癒しになるか、これは音楽の種類と聴く人とその環境によるので一概には言えないと思います。
本日、酒田の中心街にあるSデパートの5階にあるリラクゼーション・サロンに行ってみました。来年3月のオペラのための練習が、昨日の夜と今朝も9時半から午後1時少し前まであったので、その疲れを癒しに行ったのです。狭い空間でCDプレイヤーにシャッフルでリピート状態で「モーツァルトの癒しのCD」がかかっていました。マッサージを受けながら軽い眠りには落ちたのですが、「フルートとハープのための協奏曲」や「フルートのためのアンダンテ」などがかかると、つい一生懸命聴いてしまう自分がいました。音楽として十分癒し効果のあるものではありますが、フルートの曲の場合、シンプルに演奏を楽しむとか、音楽に身を委ねると言う感じではなくなってしまうのです。モーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」などは、フルートを吹く者としては憧れの1曲であり、可能ならば死ぬまでに一度はステージで演奏してみたいなどと夢想するのです。マッサージが終わって、CDケースを見せてもらいました。誰が吹いているのか確認したかったからです。
「フルート:イルジー・ヴァーレク」と書いてありました。
「ヴァーレクさん!」思わず声を出しました。なんと今年5月にプラハで会って来た、一緒にビールを飲んだ方だったのです。ブログ記事「中央ヨーロッパの旅:5月14日」を参照。
こんなところで、ヴァーレクさんのフルートに癒されるとは、、、嬉しかったですね。

今日は、いくつかの周辺市町で「産業祭り」「秋の収穫祭」の様なものをやっていました。酒田の街中も、いつか心配したような人通りの少ない感じではなく、(けっして多くはありませんが)デパートや通りにも人がいました。何よりも、吉永小百合さんを起用したJR東日本の宣伝に出て来る「相馬楼」や山居倉庫の周りは、大型観光バス、県外ナンバーの車であふれていました。地元の人出よりも観光客の方が多いのではないかと思われました。
17時には暗くなって陽がだいぶ短くなりました。
最上川河畔に帰って来る白鳥を見に「スワンパーク」に行ってみたら、凄い光景でした。最上川の南から東から北から(西は日本海)、編隊飛行の白鳥が凄い数で飛来してきます。河に近づくと編隊は乱れますが、ある一定の集団がある一定の場所を目指すように飛んできます。もっとも圧倒されるのはその鳴き声です。「クワー、クヮー」「コォー、クワー」「コゥー、コォー」もの凄い鳴き声です。既に水面に休んでいる白鳥の集団からも、空を飛んでいる編隊飛行の白鳥からも、四方八方から鳴き声が聴こえます。既に陽は落ち、だんだん薄暗くなってきました。「鳥目」という位ですから、「有視界飛行」ではないのではないかと思います。言わば「レーダーによる誘導」だと思うのです。
中学の先生をしていた家内は、「まるで修学旅行のようだ」と言っていました。
「はい、2組、こっちこっち!」「はい、よそ見しない、話を聞く!」「ほらそこ!」「はい、1組はバスに乗って」「ほらほら、2組はまだ!座ってなさい!」って感じなんです。座っている我々の頭の上を、白鳥が飛んで行くと、バサバサバサという羽音がはっきり聞こえます。コォー、クァーという鳴き声は止む事を知らず、仲間を呼び寄せ、集団を確認し、信号を送っているようです。「凄い光景だな〜」としばらく(20分くらいでしょうか)見ていました。暗くて足下もおぼつかなくなる頃には、かなりの数の白鳥が着水したようで、鳴き声も少なくなってきました。川岸から見える範囲でも1000羽近い数の白鳥がいるようです(今年の飛来数は既に5000羽を超えているそうです)。昼間の間は周辺の田圃に「落ち穂拾い」に行っていた白鳥たちが睡眠を取るために戻って来るこの光景と鳴き声は、モーツァルトの音楽とは全く違うものですが、感激するとともに疲れた心が癒されるような気がしました。
動物の一種である人間にとって、都会のコンクリートジャングルではなく、自然の営み、光景を見ることで祖先の生活に近づくような気持ちが生まれるのかもしれません。美しい自然に囲まれ、美味しい食材の豊富な庄内に暮らす喜びを実感します。

庄内に縁のある人もない人も、少なくない数の都会の人達が、ただの「観光客」ではなく、住人となるために庄内に集まって来るという現象が、そう遠くない将来に起こるように思いました。

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2007.10.27

土門拳記念館

Photo酒田が誇る「世界初」の写真専門の美術館です。
土門拳が亡くなって17年が経ちます。酒田市生まれながら、幼少期から東京・神奈川に移り住んだため、神奈川二中(現在の横浜翠嵐高校)を出ています。3回脳卒中になっていて、初回は「脳出血」で確か東京警察病院に入院し、二度目も脳出血、この時は結構重症で九州に仕事で出ていたため九大附属病院に入院、3回目は「脳血栓」で虎ノ門病院に入院し、11年間寝たきり(遷延性意識障害)となりそこで亡くなっています。51才で右半身が不自由になってから70才までの間、大型カメラを三脚に立て左手で撮影していたそうです。リハビリを兼ねて書かれた絵や書もなかなか味のあるものです。その作品およそ70000点を生まれ故郷の酒田市に寄贈したことから、1983年、世界にも稀な美術館が出来ました。
建築設計は、谷口吉郎。中庭にはイサムノグチの作品も置かれています。

いろいろな作品を架け替え、企画展を行うので、何回訪れても新しい発見と感動があります。
今は、「土門拳の仕事 傑作展」と「女優と文化財」という展示に、第26回土門拳賞を受賞した秋田出身の「水中写真家」中村征夫さんの作品展をやっていました。世界中に多くの、水中写真家、水生動物、海中生物の写真家がいますが、彼の作品はいろいろな意味でユニークです。特に、水質汚染、海水温上昇など地球温暖化などの環境問題を視点に入れた写真の撮り方から、海中で生きる生物を通しての地球の歴史に対する畏敬の念が感じられます。
常設展示(?)されている室生寺などの作品群に囲まれるように「傑作展」がありました。川端康成や三島由紀夫などの著名人のポートレートも、対象の人物の性格や感性が見ているこちらに伝わるような写真です。個人的には文楽の人形の表情の艶やかさに惹かれました。

「女優と文化財」では、依頼を受けた時にまず断った事、担当編集者が2週間程土門の家に日参して頭を下げて頼んだ事、「女優を怒らせるが、いいか?」と言って引き受けた事が解説されていて興味深い話でした。
先頃なくなられた建築家黒川紀章さんの未亡人である若尾文子さんの若い頃の美しい事。息をのむような美しさと言うのでしょうか。黒川紀章が「君(の美しさ)はバロックだ」とプロポーズしたという気持ちがよく理解できました。
私の母校の高校の近所にある宮城第二女子高校に通っていた頃の事をフィクションにして、主人公の井上ひさしの小説『青葉繁れる』にヒロインとして登場して来ます。ちなみにこの高校の先輩井上ひさし氏は山形の生まれで、高校時代は仙台の寄宿舎にいたようです。更にちなみに若尾文子も仙台出身ではなく東京生まれ。もう一つついでに『青葉繁れる』のハンサムな転校生のモデルは井上ひさしの2年先輩にあたる俳優菅原文太だと言われています。
他には、最近JR東日本のコマーシャル(テレビ、ポスター)で酒田を大きくPRしてくれている吉永小百合さんの、「おぼこ!」と言いたくなるような、初々しい少女の面影たっぷりの写真や、日本初ボンドガールの浜美枝さんなど、美人ばかりの写真がありました。企画として一緒に写っていたはずの釈迦如来や寺などがかすむ程なのだから、やはり美人というのは凄いんだな〜と思ったりしました。

Photo_2この写真は、「拳湖」と呼ばれる土門拳記念館前の小さな湖に泳ぐ、大勢の鴨の中にたった2羽だけいる白鳥です。遠目でよくわかりませんでしたが、誰かが雨の中雨具を着て傘をさして白鳥たちの世話をしているように見えました。「拳湖(けんこ)のハクチョウ」と呼ばれるこのツガイは、羽をけがしてシベリアに帰れなくなったメスとともにオスが残って今年で多分3年、この間、卵を産み孵化し雛を育て巣立ち、ということを経て大変有名になっている2羽なのです。1年を通していつ来ても必ずいる2羽です。

Photo_3土門拳記念館のある「飯森山公園」の街路樹も、少し色付き始めています。土門拳記念館の裏手にあたる飯森山に意図しておかれた石(彫刻ではないと思うが)が、「女優と文化財」の展示室の窓から雨にぬれて美しく見えました。「雨もいいものだな〜」と素直に思いました。

さて、、、
建築確認、まだです。
役所としての仕事の大切さは理解できますが、丸2ヶ月を要しても終わらない細かい審査に、「必要十分ということと「過剰」は等しくないのだよ」と食って掛かりたくすらなります。
こういう「お上」の体質が経済の沈滞を招くことは、古今東西周知の事実だと思うのですが、地方行政はもうちょっと何とかならないのでしょうか?道州制を導入して集約化した方がいいのか、悪いのか、、、
とにかく前例のないことと変化に弱いのが役所の特質で、今回の改正建築基準法施行後の混乱がそれを如実に物語っています。

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2007.10.26

落ち穂拾い

といえば、ミレーの絵画が有名です。
何故、最上川河口が本州最大(今や国内最大らしい)の白鳥飛来地なのか。
昨年はもう少しで10000羽の白鳥の飛来が確認されています。年々増えて来ているのは、地元の「白鳥を愛する会」の皆さんの保護活動などが功を奏しているのだと思います。今年は、25日の時点で最上川河畔の「スワンパーク」には5000羽の飛来が確認されているそうです。

Photoそしてこの写真。
白鳥は夜の間は最上川河畔で集団で休んでいるようですが、日の出から日没の間は、酒田周辺の稲刈りの終わった田圃に「落ち穂拾い」に出かけるのです。「庄内米ササニシキ」の刈り入れの終わった田圃には、白鳥の食材が豊富にいるのだと思います。編隊飛行して、集団で一区画の田圃に仲良く並んで地面を啄んでいます。
美味しいお米が収穫される田圃、肥沃な土地、鳥海山、出羽三山からの雪解け水と最上川の流域の美味しい水の存在。この庄内の自然全て、これが多くの白鳥を呼ぶ大きな要素だと思います。
シベリアから渡って来たのだと思います。「おお、遠いとこ、ご苦労さん!」と声をかけたくなります。

そして、夕暮れから日没の時間になると、昨日の記事の写真のように、また編隊飛行をしながら最上川河畔に戻って行くのです。来年の春、またシベリアへ渡って行くまで4~5ヶ月間、美しい白い翼を広げた編隊飛行が見られる訳です。

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2007.10.25

愁色濃く冬近し(鳥海と白鳥)

朝晩冷え込む今日この頃。
気付いてみれば、10月もあと1週間で終わりです。
今日(昨24日)はいいお天気で、数日振りに鳥海山が頂上まで見えました。
Photo10日少し前に「初冠雪」の報が届いた鳥海山。ニュースソースは、頂上付近を空撮で捉えたものでしたので、麓から山に積もった雪は見えない状態でした。私のブログ記事「冬到来」へ
ここ数日の悪天候を経て、今朝、通勤途中の鳥海山に見事に雪が冠っていました。中腹より下の方まで紅葉も進んでいるようです。
美しい、、、車を停めて写真を撮ってしまいました。

1024夕方、午後5時10分頃、勤務先の診療所の2階の部屋にいた所、「クヮー、コォー、クヮー」という聞き覚えのある鳴き声が聞こえました。
「ん?白鳥?」と思って窓を開けると、南西方向へ(最上川の方向)綺麗な編隊の白鳥群が飛行して行く所でした。ざっと100羽はいるかな?というところ。その三角形の綺麗な編隊飛行に一瞬見とれて、「あ!写真」と思った時にはちょっと遅く、かなり向こうへ飛んで行ってしまった所でした。写真でわかるでしょうか?真ん中の電信柱の上に、へろへろ〜とゴミでも付いているように見えるのが、白鳥の編隊です。
誰がどうやって先頭の白鳥を決め、誰がどうやってその横に斜め後ろに付いて、誰がどうやって綺麗な三角形を保って行くのか、不思議な光景です。


Photo_2Photo_3美しい話の後には、美しい食べ物で「〆」を(笑)。
最近のお気に入り、『花鳥風月』のラーメン。左が「花鳥風月ラーメン(しょう油)」で、右が「エビワンタンチャーシュー麺(ゆず塩)」です。
元来の「酒田ラーメン」とはちょっと違いますが、活気あふれるお店で、美味いです。最近、有吉(猿岩石の一人)がレポートに来たり、マスコミにも登場したそうです。今週、開店1周年と書いてありました。

Photo_4最後は、先日バボちゃんから電話が来た夜に食べてしまった「す○家」の「メガ牛丼」。通常の牛丼の3倍の肉、1.5倍のご飯というのについつい惹かれてしまいました。あっという間に完食した事は言う間でもありません。家内は普通の牛丼でしたが、二人で1000円くらい。これに対して、上記ラーメンは二人で1800円位。ほぼ倍します。
元々、丼ものは好きですが、「吉野家」だって去年「牛丼復活」と騒がれるまでは1回も入った事すらなかった私。200円代で食べられる丼に対して信用していなかったというか、興味がありませんでした。この「メガ牛丼」はさすがに600円代ですが、このボリューム、小食な女性なら二人分あります。
ラーメンと牛丼、どっちの方が健康的なんだろう。。。(どっちもだめか、、、)(苦笑)

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2007.10.23

儒教的思想の復活を望む

「儒教」「儒学」は、紀元前の中国、春秋時代に孔子を始祖とする哲学、思想、宗教的「学問」です(ちなみに私は親から孔子=諸葛孔明亮の名前の一文字をとって名付けられています)。孔子は『論語』の基礎を作った人として、近現代の日本でも、諸外国でも学問の対象となってきました。
儒教の英語名である"confucianism"とは、孔夫子(孔子先生という意味らしい)の「こうふし(日本語発音)」の中国語発音から取られたものだそうです。

「五常の徳」として、仁、義、礼、智、信を保ちこれを拡充して、五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教えるのが儒教とされていますが、歴史が古いだけに様々な論争を経てきました。文化大革命時は中国共産党から革命に反する思想として弾圧を受けたり、日本においても第2次世界大戦後に戦前の教育、特に忠君とか忠臣とか献身という「国粋主義」や「神国日本」的な考え方を否定する上でも、教育の表舞台から排除された印象を持っています。
「儒教」を単に学問と捉えれば大きな問題はないのですが、「宗教」の一つと考える場合、様々な議論を持ちます。時代の中で、仏教や神道とも関係を持って来た「思想」ではありますが、神の存在を否定している面は、私も個人的には儒教のすべてを受け入れる立場にはありません。
しかし、タイトルのような事を書いたのは、特に今の日本の、様々な分野での余りの乱れ様、余りの不埒な出来事に憤慨せざるを得ないからです。

「比内地鶏よ、お前もか!」という事件が起きた。
赤福、白い恋人、ミートホープ、不二家、、、余りに多すぎる食品関係の不祥事に、ちょっと前に起きた事件など忘れてしまいそうである。そういえば、雪印事件というのもありました。
厚生労働省では九州厚生局長の不正、今回発覚した防衛省の事務次官の不正(公務員倫理規定違反)、社会保険庁の年金問題、記入漏れ、ミス、そして血液製剤による薬害肝炎被害者のリストの放置等々。どうしてこんなことが平然と(?かどうかはわからないが)行われて来たのか、嘆かわしいを通り越して情けないというか、真面目に仕事をして生きている普通の市民を馬鹿にしていると言えることばかりである。

確かに第2次世界大戦直前から中の日本の教育は、そのもたらした結果から見ても大きく間違っていたと思う。その教育を実際に受けた訳ではないけれど、歴史的事実から考えると、天皇を神と崇め、国のため、天皇のためには喜んで命を捨てる、それを成就させる上では敵国、属国(と当時考えた)の国民に対して、人道に悖る事を行う事を「正当化」した行為が方々で数多く行われた訳である。南京大虐殺や捕虜の生体実験などは言うに及ばず、朝鮮韓国の人々に対する弾圧や拉致、略奪、強姦を始めとする数々の犯罪が、「神国日本」とか「天皇陛下万歳」の名の下に行われたという厳然とした事実がある。
それらを「改革」するために、敗戦後、GHQを始めとする戦勝国側からの指令により、そういった「誤った」思想を導く教育や武道を含めた行為が禁止され排除された。その過程の一つとして、儒教的思想または哲学というものは蔑まれたと考えられる。

そして、現代日本の、上にあげた数々の事件や不正を始めとする問題は、ある意味ではこの儒教的思想を否定しようとした国の教育方針に影響されている所もあるのではないかと考える訳である。「仁、義、礼、智、信」さらには「仁義礼智忠信孝梯」と言った考え方を、もし一言で表せと言われたら、私は『愛』と考える。
自分に対する愛、家族に対する愛、他人に対する愛、社会に対する愛、仕事に対する愛、人生に対する愛だと思う。自分に対して、自分の仕事に対して「愛」があれば(それが仁であり義であり信であろう)、決して「偽装工作」だとか「不正行為」だといった行為を行う訳がない。逆に言えば、自らの仕事に対する愛や誇りがなく、自分という人間に対する愛や誇りが欠けているからこそできるのではないだろうか。

「姉歯事件」も最近の「遠藤一級建築士事件」(おかげで、建築確認申請提出から8週目に入った今も私の医院の建築の許可はおりません!)も「偽装」である。しかもミスではなく確信犯的犯罪である。国家から認可された資格を持つことに、誇りがあれば、資格や仕事に愛が生まれ、不正や偽装などするはずがないと、「性善説」的発想の私は考えたい。
国に対する誇りは、やはり教育で生まれるものである。「自由の国」米国では、小さいとき(幼稚園など)から教室には国旗が貼ってあり、堂々と国家を歌う。「愛国心」を教育され、時代や人生経験や家庭教育などによって多少の個人差はあっても、ほとんどの米国人は「アメリカを愛する」という心意気を持っている。もちろん、この教育や思想は悪い方にも働くのであるが、自分の生まれ育った国を愛し誇りを持つことは、別にサッカーの試合の時だけでなくても大切なものだと思う。

日本国内で医師として活動している人達は、国家試験を通って国から「医師」という資格をもらう。決して国に誇りや愛を持たなくても、この資格を持つ職業人として、「医師」であることに誇りと愛を持つからこそ、赤の他人の緊急時に献身的な仕事が出来るのだと思う。
世の中の人、特に昨今起こっている様々な事件や不正の当事者たちに、儒教思想を教育する機会はないのであろうか。

医学部に進学し、医師になって、他人のためよりも自分の人生を大切にする発想で、「田舎の病院には行きたくない」「忙しい科には行きたくない」「厳しい上司のいる科には行きたくない」「どうせ働くなら楽で金儲けの出来る科がいい」というような発想の若者も少なくありません。若者に限りません。
もちろん、自分の人生を苦しむ患者さんのために捧げるという考えで献身的に働く医師も数多くいます。人それぞれの立場で自由な考えを持つ事を否定しては行けませんが、「医師」という職業を選択する上においてはある程度の自己犠牲、献身という気持ちがなければなりません。「医師」という国家資格を与えるにあたって、こういう「思想」に重きを置く必要があるのではないかと思います。医学部の定員を増やそうとか、初期研修医の最低賃金を上げようとか、救急医療に携わる人の報酬を手厚くしようとか、細々した姑息な対応よりも、大本の「教育」を見つめ直し変える必要があると思います。

先日のコメントへの返事で書きかけた、「QOML」(=Quality of "My" Life;”自分”の人生の質)を追求する初期研修医の考えに対して、もうちょっとまともな事を書こうと思いましたが、問題が複雑な事、微妙な問題を孕んでいる事から、今日のところは、世界医師会が採択した「ジュネーブ宣言」を列記して終わりにしましょう。

『医師の一人として参加するに際し、
・私は、人類への奉仕に自分の人生を捧げることを厳粛に誓う。
・私は、私の教師に、当然受けるべきである尊敬と感謝の念を捧げる。
・私は、良心と尊厳をもって私の専門職を実践する。
・私の患者の健康を私の第一の関心事とする。
・私は、私への信頼のゆえに知り得た患者の秘密を、たとえその死後においても尊重する。
・私は、全力を尽くして医師専門職の名誉と高貴なる伝統を保持する。
・私の同僚は、私の兄弟姉妹である。
・私は、私の医師としての職責と患者との間に、年齢、疾病もしくは障害、信条、民族的起源、ジェンダー、国籍、所属政治団体、人種、性的志向、社会的地位あるいはその他どのような要因でも、そのようなことに対する配慮が介在することを容認しない。
・私は、人命を最大限に尊重し続ける。 
・私は、たとえ脅迫の下であっても、人権や国民の自由を犯すために、自分の医学的知識を利用することはしない。
・私は、自由に名誉にかけてこれらのことを厳粛に誓う。』

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2007.10.21

バボちゃん(ラデク・バボラック)

まずは、タイトルと関係ない話題。「カウンター」の件です。
2005年1月に始めたこのブログですが、2年9ヶ月と少しで15万アクセスを頂きました。そして、その記念すべき順番を踏んだのは、知り合いでした。HNを「タビの親父」と言います。ご本人から申告がありましたので、記念品を贈らせて頂きました。記念品は内緒ですが、まあ、大したものではありません。「非売品」かも。

1018写真は、10/18(木)の朝の鳥海山です(庄内空港から三川町のM病院へ行く途中の道から)。あまりに美しいので車を停めて写真を撮りました。
冠雪は見えませんね。昨日今日とお天気荒れていますが、雪はまだ見えません。次の日、10/19(金)は希望ホールでヴァイオリンとピアノのリサイタルがありました。ウィーンフィル第2ヴァイオリン奏者のティボール・コヴァーチ氏と後藤泉さんのデュオコンサートでした。素晴らしいテクニックを堪能できる楽しい演奏会でした。
その帰り、車に置いておいた携帯電話を見ると、コンサート中の18時過ぎから21時の間に知らない携帯電話から3回着信がありました。留守電も入っています。留守電を聞いてみるとなんと英語です。
「Hi、○○-san、This is Radek Baborak.」
以前にも少し触れました。アフラートゥス五重奏団のホルン奏者、ベルフィルの首席ホルン奏者で「天才」の呼び名を欲しいままにする、「バボちゃん」でした。
今日本に来ているそうです。電話が欲しいということなので掛けてみました。
How are you?と問うと、「残念ながらあまり調子が良くない」と言う返事。
10/11に来日していくつか演奏会をこなし、昨日(10/18)から名古屋に来ている。今まで経験した事のない位頭痛が強くて24時間続いている。昨日の夜は一回嘔吐もした。なんとか我慢してリハをして今日は名古屋で先ほどホルンコンチェルトを終えたばかりという。嘔吐するくらいの強い頭痛があっても仕事を休むわけにはいかない。彼の演奏を心待ちにして、期待している人達がたくさんいる事を彼も理解しているからです。
電話で話した感じでは、頭痛以外に症状はなく、状況をきちんと説明できるし記憶もしっかりしているし、何よりも無理しているとはいえオケとコンチェルトが演奏できるのですから生命に関わる頭痛ではないようです。まず話を聞いて、大丈夫そうだという事を伝え、「鎮痛剤を買ってもらって服用する事」「まず十分睡眠を取る事」「お酒を控える事(昨日、ワインを1本飲んだというから)」などアドヴァイスし、マネージングでサポートしている日本人のagentの人に薬局に行って買ってくる薬とか休息する事、アルコールを控える事などを伝え、「ホルン界の至宝」なのだから、鎮痛剤服用して今晩休んでも頭痛が改善しないなら明日病院に連れて行ってくれるようにお願いしました。
昨日、大丈夫だったか心配で電話をかけてみたら、今度は大阪にいました。大阪でもホルンコンチェルトをやったそうです。頭痛は続いているけれど少し良くなった、もう明日はベルリンに帰るということでした。ホッとしました。まあ、疲れとストレスによる偏頭痛(+緊張性頭痛)だと思います。近くであれば会いに行って実際に顔を見て話をしたい所でしたが、名古屋や大阪ではそれもかないません。
来年からはこんな事があったら、こちらに来てもらってすぐにMRIをとってあげるんだけどな。


Photo先日、コメントに書いたことの冗談半分、本気半分で思っている事の証明(?)です。(^^)
太古の鳥海山はこうだったんじゃあないかな〜?というものです。富士山のように一つの頂上で、今より数百m、もしかすると1000m程高かったのではないかと思うのです。これが、噴火して頂上が崩れて(もしかすると海に飛んで行って「飛島」になった?あり得ない?)、今の形になったのではないかと思っています。
1018_2こちらは、鳥海山を撮った場所から南東方面を見た所。一番高い山が「月山」です。庄内平野は、西に広く日本海に面し、北に鳥海、東から南東に出羽三山、南に朝日連峰に囲まれています。庄内空港のあたりから見渡すと素晴らしい景色です。

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2007.10.20

高木綾子フルートリサイタル2007.10.18(山形)

平成19年10月18日(木)、山形テルサの3階アプローズで行われた(つまり、山響定演をやる「テルサホール」ではない)、高木綾子フルートリサイタル『美しき女神との出逢い』(凄いタイトル!)に行ってきました。
高木綾子フルートリサイタルこちらをご覧ください(いつまで残っているかわかりませんが)。
彼女の演奏会は、昨年春の山響定期での「イベール作曲フルート協奏曲」以来です。
「山響演奏会感想2006.3.27」をご覧ください。

全席指定とはいえ、18:30会場、19:00開演なので、仕事は17:00丁度に終えてそそくさと出かけました。
酒田からは、少し飛ばしても夕方の帰宅時間帯ですから1時間半では着きません。会場に到着したのは18:45頃でした。
会場の「アプローズ」は、昨年11月にうちの教授が全国学会を主催した時に私が事務局を担当し頑張った懐かしい場所。舞台の裏の控え室、トイレの位置、厨房のようなところ、すみずみまで知り尽くしています。あの時は、山形テルサの3階全部を使い、メインの会場である「アプローズ」の他にサブの会場と、特に大変だったのは脳内視鏡のハンズオンワークショップを行ったため、ホワイエの他に2部屋を使い、その他に発表PC受付、本部、招待講演演者控え室、会長控え室、スタッフ控え室など、3階の全ての機能を使い倒した!という感じでした。そのため、メインの会場の裏からホワイエに抜けたり、会長控え室に行ったり、サブの部屋や内視鏡展示室に回ったりと、トランシーバーをつけて走り回った事を思い出します。

「テルサカフェコンサート」と銘打っていて、ソフトドリンク1杯付きとなっていましたが、なんとペットボトルのジュースかウーロン茶のどちらかに「柿ピー」の小袋一つという、わざわざ「付き」と言う程の事もない、はっきり言ってセコイ!と言いたくなるものでした。まあ、時節柄と言いますか、アルコールを出す訳に行かないのでしょうが、せめて紙コップではなく、喫茶店かレストランで出すようなサーブをして欲しかったです。
まあ、それは付随するものなのでどうでもいいのです。
コンサートは19:00丁度にスタート。

演奏曲目は順に
1)JS Bach「ソナタBWV1034」
2)マスネ「タイスの瞑想曲」
3)ラフマニノフ「ヴォカリーズ」
4)シューマン「子供の情景」
(ここで15分の休憩)
5)パガニーニ「24のカプリスから第24番」
6)ピアソラ「タンゴエチュード3番」
7)ピアソラ「タンゴの歴史:全曲」
8)ドップラー「バラキエの歌」
でした。
綾子さんは白のロングドレスに胸元からウェストまで黒いレースをあしらったシックな装い。適度なアクセサリーはどちらかと言えば控えめな感じ。その中でも左薬指の結婚指輪が目立ちます。伴奏の坂野伊都子さん。綾子さんとはよく共演されている有名な方。高木綾子さんのブログでも、何年か前のJ-Roomのライブヴィデオが紹介されていますが、その伴奏が坂野さんです。
J-Room高木綾子「Earth」ライブ演奏
綾子さんも仰っていましたが大変情熱的なピアノです。7曲目の「タンゴの歴史」の1曲目”タンゴの歴史 Bordel 1900”の出だしでは、床を踏みならしてリズムを刻んだりピアノを叩いてパーカッションも担当(元はギター伴奏の曲なので福田進一さんとのディスク『海へ』を聴けばわかりますが、福田さんが「タンッタッ、タラタン」とギターを叩いてます)。
グランドピアノとフルートの音量バランスを考えて、ピアノソロになる所以外では弱音ペダルを多用したり、情熱的ながらも抑制の利いた素晴らしい「伴奏」をしていらっしゃいました。以前、綾子さんのリサイタルを聴いた時は西脇千花さんという一緒にCDを出している方の伴奏でしたが、ピアノ伴奏の違いもあるなあと思いました。坂野さんも西脇さんも素敵なピアノ演奏家です。

綾子さんのフルートは、今更言うまでもありません。
「1号」なのか「2号」なのかはわかりませんが、旧東ドイツのヘルムート・ハンミッヒのヘビーな銀製フルートを豊かに鳴らしていました。アマチュアフルート奏者でも金のフルートを持つ事の多い日本のフルート界(わたしでも18金製を持っています)ですが、彼女はデビュー以来9年(?でしょうか?)はもちろん芸大に入る前から含めると10年以上ずっとこの銀製のオフセットのクローズドの、一見初心者用フルートに多い形態の笛で演奏されています。フルートというと「鳥のさえずり」とか「森の鳥たち」を表現するように使われたり、女性的な華やかで軽やかな高音楽器という先入観をお持ちの方もいらっしゃると思いますが、是非一度彼女のCDを、出来ればライブ演奏を聴いて頂きたいと思います。フルートに対する固定観念が変わると思います。
私自身も、10才で始めたフルートですが、医学部に入り医者になり、環境の変化の中で1年に1回触るかどうかぐらいまで興味が低下していました。確か2000年だったと思いますが、綾子さんの演奏するピアソラの『ブエノスアイレスの冬』(伴奏は西脇さん)を聴いて、「なんだ!この音は?!凄い!!!フルートってこんな音が出せるんだ!」と驚嘆し感激し、それがきっかけで「フルート熱」が再発してしまい、その後の数年のうちに総銀製、18金製フルートまで買い求め、今更のように教則本で独習し、東京まで先生に習いに行ったり、他流試合のように発表会に「殴り込み」(笑)したり、アマオケに入ったり、フルート四重奏で人前で吹いたり、という音楽活動が始まったのです。そしてアマオケを始めとする活動に力を注げるように、大学病院を辞め開業の準備をしている今、と考え
ると、高木綾子という人はある意味で私の人生を変えたとも言える人なのです。

話が逸れました。
彼女の演奏は、いつもの通り、安定した音色、卓越したテクニックで素晴らしいものでした。しかし、その程度の演奏ならば世の中にたくさんいるのです。彼女の場合は、やはりその音色、そして「歌心」というのでしょうか、簡単に言えば「音楽性」です。聴く者の心をグッとつかむ音色でたちまち引き込まれてしまいます。見た目が美しいとか、可愛い(一緒に聴いた家内は「綾子さん、可愛い」と言っていました)とか、服装が綺麗とかももちろん影響しないではないのですが、私は目の前に座りながら時々目をつむって聴いていました。
いくら綾子さんが美しくても、目の前にピアノとフルートを吹く人が見えて、譜面台に置いた楽譜を見ていたり、ピアノの譜めくり役の女性が知っている人だったりという「現実」があると、折角の素晴らしい音楽の世界が邪魔をされるので、時に目をつむって彼女の奏でる「音楽」に身を委ねてみました。ライブで、すぐ前(ほんの3m程度の距離の最前列中央の席でした)で聴いているのに目を瞑るなんてと思われる方もいるでしょうが、そうすると頭の中で彼女の音楽が物語を語るのです。特に、シューマンとピアソラは素晴らしかった。他の曲も素敵でしたが、特に物語性がイキイキとしていました。

MCしながらの演奏会で、フルート曲初心者の方を意識した曲の解説などもされていましたが、タンゴの歴史のBordelでは、「この曲は、(会場を見回して)小さなお子さんがいらっしゃると困るのですが、いわゆる、男性が女性をお金で買うという場所を舞台として、、、」とか、2曲目Cafeでは「私的には、少し太ったおばさんがいるバーというイメージで、、、」というような話(以前にもお聞きしたかな?)をして演奏していました。
今回の演奏会で個人的に一番気に入ったのは最後のドップラーです。「ドップラーといえば、『ハンガリー田園幻想曲』が有名ですが、ご存知ですか?」と言って、最初の触りの部分を独奏してくれました。素晴らしい音色!とっても得した気分です。
『バラキエの歌』は、起承転結の明瞭なとてもわかりやすい曲で魅力的な演奏でした。まだ吹いた事ないので楽譜を取り寄せて是非挑戦してみたいと思いますが、かなり技巧的に難しそうな部分もたくさんありました。

アンコールに、「シランクス」。演奏前に、ギリシャ神話の話もして下さり、知らない方にはわかりやすかったと思います。更に、熱烈な拍手に応えて2曲目は同じドビュッシー作曲の『美しい夕暮れ』、原題は確かBeau Soirです。彼女の初期のアルバム「シシリエンヌ」(まだ芸大の学生の時、2000年に発売)には、今回のプログラムの2と3、そしてアンコールの2曲が入っています。今のところ最新のアルバム(2005年発売)の『海へ』(福田進一さんのギターと)に7)が入っています。興味のある方は是非お買い求めください!

Photo_2さて、アンコールが終了した時点で夜の9時10分過ぎ。今回の「カフェ・コンサート」の目玉として、終演後ホワイエで演奏者との交流会がありました。抽選で景品ももらえるという事で「交流会参加者」には番号札が渡されました。高木綾子さんのブログに御主人が会場で携帯のカメラで撮影されていた「交流会」の様子が出ています。「高木綾子さんのブログ」
朝早く起きて、大学のオケに参加し、午後新幹線に飛び乗って山形に到着し、2時間以上に及ぶ演奏を終えて、更に交流会です。少し疲れた様子とは見受けられましたが、普段着に着替えてリラックスした感じでいろいろな質問にも丁寧に応えていらっしゃいました。また、6月の結婚式のときの写真でしょうか、白無垢姿の白黒写真にサインした美しい写真を10枚プレゼントとして持って来られ、サイン入ポスター、サイン入り楽譜(高木綾子選曲集)と合わせて12名にプレゼントが当たるのでしたが、坂野さんが回してくださった抽選(商店街などでやるガラガラと回す奴)では残念ながら私も家内も「ハズレ」でした〜。
Photo_3更に、その後サイン会がありたくさんの人が綾子さんのサインを求めて並んでいました。私も、ベルフィルのエマニュエル・パユのサインをもらった総銀フルートのケースに対称位置に綾子さんのサインをもらいました。
更に、今回のプログラム曲が入っている「シシリエンヌ」と「海へ」のCDプログラムノートにもサインを頂きました。
Photo(サインを頂いたフルートケースとCDのジャケット。注目は、実は真ん中に写っている「若い!」福田進一さんの写真です(笑))
1999〜2000年の芸大生の頃の可愛らしい顔と、2005年のプロとして逞しく成長した顔(お化粧とか写真の取り方とかもあるでしょうが)が対比できて興味深いです。
サイン会は何時に終わったのでしょう。10時を過ぎていた事は間違いありません。疲れた顔もせず全員に笑顔で応対され、まあプロなんだから当たり前と言っても、アーティスト、音楽家の場合はそうでもない人もいらっしゃいますから、素晴らしいと思いました。ますます活躍される事を期待しています。

Photo_4おまけにちょっとだけ。「ご結婚おめでとうございました!」とお祝いを申し上げたら、「ありがとうございます〜!」と本当に嬉しそうに応えて下さいました。ブログでも出て来られますが(手だけだったり、お料理だけだったりしますが)、優しそうで素敵で才能ある御主人とお二人、末永く幸せな家庭を築かれその中から素晴らしい芸術が生まれて来る事ををお祈りしています。
いい演奏会でした〜。


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2007.10.19

ついに、カウンターが

もうすぐ15万アクセスを迎えます。
今夜か明日早く、ですね。
普通にアクセスして、15万ヒットされた方は是非ご連絡ください。
(高木綾子さんのコンサートの事は後ほど、、、)v(^^)

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訃報(木原光知子さんとくも膜下出血)

木原光知子さんが昨日亡くなられました。
ある程度の年齢の方はオリンピック水泳選手として活躍したことをご存知でしょう。16才で1964年の東京オリンピックに出場され、国民的ヒーロー(ヒロインか)でした。
まだお若い59才だったとのこと。死因は「くも膜下出血」だそうです。

実は、私は木原さんと一緒に泳いだ事があります。しかも隣のレーンで同時にです。
小学生の頃、倉敷市の小学校で夏の水泳強化練習のようなものに参加していました(水泳部だったかも)。私はプールでの水泳を始めたばかりの頃、5mも泳げませんせんでしたが、この夏までに何とか25m泳げるようになっていました。そこへ、岡山県出身の英雄である木原光知子さんが指導というか激励に来て下さって、子供たちと一緒に泳いで下さることになりました。私の左となりのレーンが木原さんでした。クロールで泳いだのですが、私は息継ぎを左に顔を向けた時にする方法だったので、息継ぎの度に木原さんが隣で泳いでいるのが見えました。こっちは結構必死で全力で泳いでいるのですが、木原さんはほとんど足のビートもせず、手の掻きも休み休み行っているように見えるぐらいゆ〜〜っくり泳いでいらっしゃいました。決して子供たちを追い越さないように頭一つ後ろを狙っているようでした。当時身長130cmちょっとぐらいだった(はず?)のチビの私は必死に泳ぎましたので、泳ぎ切ったときはゼーゼーと言う感じでしたが、隣のレーンで「大きな」(背丈だけではなく肩の肉とか全身の感じです)色の黒い木原さんのニコッとされた白い歯が強烈な印象で残りました。
その時は、木原さんが元オリンピック選手だというくらいで後は訳の分からない小学生の坊やだったので、会話も何もしていないと思います。たしか「よく頑張った!」とか言って下さったように覚えています。その事はずっと記憶に残っていて、40年近く経った今でも脳裏に焼き付いています。
ん?38年前としても木原さんは21才だったということか?!じゃあ、「元」ではなく現役バリバリの選手だった訳ですね。引退した選手が激励に回っていたというのとは訳が違うと思います。イチローと一緒に少年野球の選手がキャッチボールをしたとか、川口選手の守るゴールにPKを蹴る練習をしたとか、陸上の為末選手と一緒に100mのトラックを走ったというような経験だった訳です。

水泳の指導中に倒れて運ばれた病院でその日のうちに亡くなったという事(後でニュースを確認したら、13日に倒れ18日に亡くなったそうです)は、重症くも膜下出血だったのでしょう。おそらく、グレード5という最重症の状態だったと推測されます。私も脳外科医としてくも膜下出血の患者さんをたくさん診てきましたが、グレード5の方で救えた人は一人もいません。というより、手術に至った人すら「0」です。
以前にも書きましたが、グレード0(未破裂)はもちろん、グレード1も2も、私が手術した患者さんは幸い後遺症もなく皆さんスムーズに退院して社会復帰されています。グレード3の方も一人を除いて全員自宅に退院されました。グレード3になると、軽い片麻痺やごく軽度の失語症状を残してしまった方もいます。自宅に退院できなかった方は、手術時80才と高齢で、手術は上手く行ったのですが、くも膜下出血に伴う「正常圧水頭症」の治療として行ったシャント手術の効果がうまく働かず、経管栄養で寝たきりになってしまいました。高齢で重症とはいえ残念です。グレード4(強い意識障害から半昏睡、すなわち出血量が多いために脳全体の機能が低下している)になりますと、発症当日手術したという方は少なく、全身状態の改善を待っての手術も多く、出血も重症のためほとんどの方が何らかの障害を残されていると記憶しています。自宅他院された方もいますが、完全自立生活をされている人は少ないと思います。合併症(胆嚢炎から腹膜炎)や肺塞栓を来して亡くなられた方など苦い記憶もあります。
発症して病院に運ばれて来て、その日または数日のうちに亡くなられたくも膜下出血の患者さんの事を思い出そうとしているのですが、ちょっと思い出せません。数多く経験しているはずですが、本当のグレード5(意識が深昏睡、つまり抓っても叩いても全く反応のない最重症)は、脳血管撮影も行えない程重症で、たいていは挿管して人工呼吸器に繋ぎ、昇圧剤で血圧を上げて(くも膜下出血の初期治療はまず高くなっている血圧を下げるのが普通)、あとは看取るだけ、即日からもっても1週間以内に亡くなられる方がほとんどですし、当然手術も行っていないので一人一人の患者さんの記憶が薄いのだと思います。
木原さんも残念ながらそういう状態だったのでしょう。
好きな事をしていて、その最中に倒れ、寝たきりになってだらだらと生きるより、ぽっくり逝って幸せではないかという考えも間違いではないと思います。でも、「59才」は若過ぎます。あまりにも若過ぎます。
とても残念です。

夏休みの小学校のプール、
照りつける太陽の下、
ユラユラと眩しく反射するプールの水、
隣りのレーンでニッコリ微笑んでくれた黒い顔と白い歯、
木原光知子さんのご冥福をお祈り申し上げます。

合掌。。。。。

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2007.10.16

またですか、、、

埼玉の一級建築士が、また、、、「また!!!」、耐震偽装をしたそうです。
「姉歯事件」であれだけ国民の信頼を失墜させたのに、また「一級」建築士が不正を働いたのです。
建築物の設計は「人命」に関わる仕事なのに、多分設計図と計算式を相手にそういう「倫理観」や「常識」が欠如してしまったのでしょう。同情しているのではなく、断罪しているのです。

私のブログで2日続けて「改正建築基準法」の事に触れました。(許可が下りるだろう時期を見越して)地鎮祭は終わったのに、まだ着工できないのです。まだ建築許可が出ていないのです。改正法のせいです。
「姉歯事件」の煽りを受けて改正された法律は、ただ基準が厳しくなっただけではなく申請料が凄く高くなり、認可までの期間が非常に長くなった(施行当初などは、どのくらいかかるか見当も付かないと言われていた)ので、高層の建築物に関わる設計は大変だとおもいます。実際、法改正後に新しい高層建築の申請はほとんどないと聞きました。
そして、今度の「遠藤事件」です。

言い訳は、「6/20の改正法施行の前に申請を出す必要があり、時間がなくてやってしまった」ということだそうです。予想されたことです。こういう事が起きるのではないかな?と素人の私でも考えました。「駆け込み申請」と言う奴です。
ところがニュースによっては「姉歯式手口、また素通り」と題して、「姉歯事件」と「遠藤事件」を法改正の前後の別の事件として扱っています。いわく「6月、改正法が施行されてから初めて、新たな耐震強度偽装が発覚した」と言う表現です。
これは誤った記述だと思います。もしくは、読者に大きな誤解を与える表現です。
遠藤一級建築士は、6/20の改正法施行の前に建築確認申請を間に合せるために「偽装」を意図的に行ったものです。ですから、改正法の元に申請されたものではなく、法改正前の申請基準に合うように「偽装」したということです。
改正法施行後であれば、高層のマンション建築などは、申請後有無を言わせず第3者機関のピア・レビューを受けることになっているので、「耐震強度偽装」をしていても見つかるはずなのですが、法改正前ならば「姉歯事件」と同じように役所の段階では見つからない(見つけられない)訳です。
それを見越して、間に合わせで、改正前に駆け込みで申請をしたのです。民間の指定確認検査機関「東日本住宅評価センター」が建築確認をおこなったそうですが、(3800ページもある分厚い構造計算書は)「手口が巧妙で見抜けなかった」と言い訳しています。
これが何故発覚したのか?!なんと建築主(施主)である積水ハウスが「任意」の住宅精度機能評価を再度使ったところ「構造計算書の改ざん」が発覚したという訳です。
現在、「遠藤一級建築士」の関わった建設は中止され、設計を一からやり直しているそうですが、全国にその波紋が広がっています。

繰り返し強調しますが、これはあくまで「改正法施行前」に申請した建築設計の「偽装」です。
改正法施行「後」に申請された建築設計ではありません。施行「後」は、こういった「偽装」を役場では見抜けないため、(高層建築物などある基準以上の建物に関しての建築申請は)第3者機関で再計算して評価しこれを通った場合に初めて申請が認められるそうです。そのために、これまでの何倍もの申請料が必要で、1ヶ月以内におりていた建築許可が「最低で」3ヶ月かかるそうです(ある容積、面積以下の平屋や2階建てなどはピア・レビューは不要)。
この「最低で3ヶ月かかる」、改正法施行直後は「何ヶ月かかるか、見当がつかない」という事は、建築を発注した施主に取ってみれば、「いつできるのかわからない」「工期、加えて工事費がどのくらい嵩むのかわからない」ということになり、人件費、手間賃、材料費の高騰に繋がり、結局は一般市民が建築物に支払う料金に跳ね返る訳です。だから、何とか6/20前に申請をして、これまで通りの短期間で認可を得て、建設着工にこぎ着けたい、という考えに至る事は理解は出来ます。
だからといって、「耐震強度偽装」が許されるはずがありません。むしろ、「姉歯事件」がありながら「またやったのか!」という憤りは強く感じます。
私の医院建設の申請は、改正法施行後のもので、提出されてから7週目を迎えていますがまだ許可がおりません。
今回のことで、「ほら、こういう不埒な奴がいるんだから、もっと厳しくしなきゃ」となって、もっともっと遅れるのではないかと不安な気持ちにさせられます。どうか、善良な市民、善良な建築士にまで悪影響を及ぼさないで頂きたいと思います。

今回の「また!」について、普通の、善良な、心ある、一級建築士の方々はどのように思っているのでしょうか。
医師の不正や意図的なミスがニュースになった時には、同じ医師としての憤りは感じるものの、「もって他山の石」とせよということで、「そんな馬鹿なことを私がやるはずがない」と思ってしまうのですが、どうなのでしょう。
相手が「人間」である仕事と、相手が「図面や計算式」である仕事の差なのでしょうか。図面の向こうにいる「人」が見えなくなってしまった原因はどこにあったのでしょうか。

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2007.10.15

冬到来

つい先日まで、今年は猛暑だ、とか、酷暑だとか言っていて、東北地方でさえ9月になっても真夏日などと言っていたのに、あっというまに寒くなり、朝晩など暖房を入れたくなる季節になりました。

そこへこのニュース。
「鳥海山、10/13に初冠雪」
こちら鳥海山で初冠雪by asachi.comをご覧ください。
迫力満点の取材飛行機からの空撮動画も見れます(期間限定と思われます)。

私はまだ未確認ですが(直接この目で見ていないということ)、本州最大の白鳥飛来地である最上川河口に今年も白鳥が来たそうです。初飛来は10/11と言われています。以前、住んでいた病院の官舎は、ちょうど最上川河口のスワンパークと白鳥が落ち穂を啄む田んぼとの中間点にあったため、「クヮ〜、クァー、クヮ〜」という白鳥の鳴き声を良く耳にしましたし、車の上によく「爆撃」を受けて閉口したものです。今年はまだ「この耳」で、直接白鳥の鳴き声を聞いていません。でも、もう彼らにとっては冬。越冬の準備が始まっている訳ですね。
「最上川スワンパーク」のHP
まだ去年の情報しか乗っていませんが、こちらもどうぞ。
「庄内白鳥情報」

今日は曇りなので×ですが、鳥海山の冠雪や最上川の白鳥などいい写真が撮れたらお見せしたいと思っています。

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2007.10.14

ダーネル氏と練習

我々Sフィルには団内指揮者はいるけれど、定期演奏会においては外部のプロの指揮者に指導をお願いすることになっている。通常、一人の指揮指導者に2、3年はお願いしていて、昨年まで地元酒田出身でもある山形交響楽団指揮者の工藤氏に指導をお願いしていた。工藤氏の指導指揮のもと、ベト7、ブラ4、ドボ8といった名曲を演奏して来た。
先に書いたように、今年は本当はJASRAC後援事業の演奏会が行えるという話が来ていて非常に期待していたのだが、我々が8月JAO酒田大会の直前準備で忙しくなる今年の4月になってもJASRAC側で本決まりにならなかったため、指揮者やソリストとの交渉なども難しいであろうし我々にも余裕がないので、こちら側からお断りしたという経緯がある。しかし、定期演奏会はちゃんとやりたいということになって、指揮者指導者、ソリストを決めなければならないということになったが、本番7ヶ月前で(本番および直前リハのため)12月頭の金土日連続の予定が空いている方などそうそういない。
Photo愛知県立芸術大学客員教授、秋田室内合奏団の客演指揮者で、スロヴァキア放送交響楽団のコンサートマスタ−などを務めた事のあるスロヴァキア人、エーヴァルト・ダーネル氏に指揮、指導、そしてVn.協奏曲の弾き振り(指揮兼ソリスト)をお願いする事が決まったのは、確か5月になってからと記憶している。
客演指揮者とはいえ、本来本番までに数回は練習をするのが普通である。例年は、夏前に1回、夏あけて1回、本番1ヶ月程前にもう1回、都合が付けば2週間程前にもう一回、そして本番直前のリハ、GPを経て本番というのが普通である。それでも「指揮者練習」は4回で、その他は団内指揮者で練習をする。ところが、今回は緊急事態で、この週末10/13,14のみたった1回の指揮者練習となった。後は、11/30, 12/1の直前リハと12/2当日のGPだけしか指揮者と合わせる時間はない。しかも、指揮者がソリストとして弾き振りをするので、これでは練習時間が本当に足らない。しかし、世の音楽家というのは、アマオケの都合に合わせられる程暇な人はほとんど居ないので「仕方ない」「これでやるしかない」という事になった。
昨日は、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番とベートーベンの「エグモント」序曲の練習だった。
これまでソリストなしで練習をして来た訳で様々な戸惑いはあっただろうし、ダーネル氏もいろいろ伝えたい事、指導したい事はあったであろうが、現実を直視して、今できることからそれをより良くすると言う感じの指導であった。つまり、今更技術的な事を細かく言った所で(もちろん技術的指導はあるけれど)、弾けない部分が急に上手くなる訳ではないので、ダイナミクス、テンポ、バランスなどの基本的な事を中心に「今、私達ができるレベルを探り、それを音楽にするための味付け」という感じの的確な指導であったと思う。
Photo_2Photo_3本日は定期演奏会のメイン、チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』の練習であった。10時から16時と言っても、昼食、休憩時間などを入れると実質4時間ない練習で、この大曲を一日で指導できるのだろうか、という不安もあった。何よりも、我々の練習がまだ余りに未完成な域であることを自覚しているからである。もちろん団員個人個人の技術的問題が大きいけれど、8月末までJAO酒田大会があり、団員の何割かは農業従事者またはその関係者であり、稲刈り、畑仕事などもある9,10月に練習にろくに団員が揃わなかったという事もままあった。
先日、分奏練習で「管」だけの練習日などは、1番フルートの私以外に練習に来たのは、2番クラ、2、3、4番ホルン、2番トランペット、1番トロンボーン、チューバの8名という悲惨な事があった。チャイコフスキーの交響曲なのに、オーボエとファゴットが0でクラとホルンのトップも欠席では練習にならない。ほとんどが第1楽章のホルンの難しい所の練習になってしまい、「ホルン練習日」のような様相を呈していた。かくいう私も、1番フルートなのにこれまで2回程「定期練習」を欠席している。
こんな感じだったので、今回の第1回で最終回の指揮者練習はどうなる事かと危惧していた。実際、そんなにうまくいった訳ではないが、皆、この日のために個人練習を積んで来た事はよくわかったし、ダーネルさんの片言の英語と日本語(流暢なのは当然スロヴァキア語、そしてドイツ語)と大きなジェスチャーで、彼が意図する所、オケに望むものは良く伝わった。「何小節目から」という言葉でさえ、たとえば「バーナンバー、フィフィティセヴン(=bar number, fifty-seven)」と英語なのだが、これがうまく伝わらない事はたまにあったが、団員は逆に普段の練習で時に見られるような無駄口や無駄音(団内指揮者がしゃべっている時に音を出したりする)もなく、必死にダーネルさんの言う事を聞き漏らすまいとするので集中力が高まったように感じた。時に、ジョークを言って皆を笑わせたり和ませたりしてくれるのだが、そのジョークまで一生懸命聞いているので、「な〜んだ、ジョークか!」ということもあったけれど。
先週までの我々の出来上がり具合では、もしかすると今日一日かけて1楽章も終わらないのでは?という懸念もあったが、細かい所にはあまり拘らず、テンポとダイナミクス、そこから生まれる音楽性、特に演奏者のハートとそれを伝える技術(弦なら、弓の使い方、身体の使い方まで)ていねいに指導して頂いた。フルートに対する技術的な指導はあまりなかったが、ダーネルさんは「モダン楽器の大きな音」が嫌いみたいで、f(フォルテ)は「普通に話す声の大きさ」という位、音量にはうるさかった。sf(スフォルツァンド)の部分では、特にトランペット、トロンボーンの金管群には、パーンという大きな音の後、直ぐに減衰してmfかpに落とすように指導していた。これを彼は独自に「デクレッシェンドシステム」と呼んでいたが、響きの良いホールで金管群がガ〜〜ンと咆哮すると、弦楽器がどんなに頑張っていても聴こえなくなるので、「Winds, big sound, Strings, no chance!」と言って、弦と管のバランスをうるさく指導していた。また、木管でもフルートに比べてクラが響くので(おそらく今日の練習会場のせいであろうが)、クラにもっと音を落とすように、バランスを考えるように、他のパートを聴くように指導されていた。言われている事は、すべて当たり前のことなのだが、この当たり前の事を普通に出来るのならば、定期演奏会の練習に数ヶ月もかける必要はない訳で、そこがアマとプロのオケの大きな違いであろう。
プロオケは、毎週のようにどんどん新しい曲の演奏会があり、場合によっては1週間でいくつかの別のプログラムをこなさなければならない。指揮者による練習は、本番直前の数日のみということもままある訳で、それまでにほぼ完成に近いレベルに個々の練習、団内練習で持って来ている訳である。
Photo_4指導指揮者が日本人の場合、一緒に蕎麦やラーメンを食べに行くのが常なのだが、ダーネルさんはお世話係担当者がどこかに連れて行くという事なので、私は団内指揮者でチェロ奏者のY氏と二人ラーメンを食べに行った。
Photo_5練習会場である広野公民館から車で5分ほどかかる錦町のラーメン「味龍」である。スープはご覧のように色が少し濃いめで味もしょっぱいけれど、私は酒田のラーメン屋さんの中でもここの麺が一番好き。(写真は、ラーメンとワンタン麺)
テレビでも有名な、あの「ラーメンの鬼」佐野実が酒田に来て何件かラーメン屋を回り、ここの麺を絶賛したということは通には知られている。また、チャーシューがとても美味い。月に1回くらい、不定期であるが桃園豚を使ったチャーシューを出す事がある。初めて来た時に「桃園豚のチャーシュー麺」と注文したら、「ごめん、終わったのよ」と言われ、仕方なく普通のチャーシュー麺(これも美味しいのですよ)を頼んだら、「ちょこっと残ってたから、一切れ桃園豚入れといたから」と言われて、それ以来、私はここの店のファンになったのであった。

午前中に1、2楽章、午後に3、4楽章と練習は進み、驚いた事に練習予定を20分以上切り上げて終わってしまった。ダーネルさんが諦めたのか?と思ったけれど、練習終了後の片付けの最中に、「今日、あなたからたくさんの事を学びました。とても良い練習でした。感謝しています。」と伝えた所(一応英語での会話です)、「それは良かった。音楽はシンプルなもの。大きな音はいらない。美しい響きが必要。」と話すので、「I understand. Simple is difficult.」と応えた所、「YES! Simple is difficult!」と笑顔で返してくれた。
もっとダーネルさんから学べる時間があれば良かったと思う。それだけは残念だけど、後は本番直前にまた集中して学び、それを本番でどれだけ出せるかである。12/2の本番定期演奏会は、結構いい演奏ができるのではないかな、という想いが湧いて来た。疲れたけど楽しい一日だった。

ーー
そういえば、今日のA新聞朝刊1面のトップ記事に私が昨日書いた「改正建築基準法」の問題が取り上げられていた。厳しすぎるチェック、現場担当者の混乱などで、6月以降の新築工事が例年の3,4割も減少しているということである。建設業界やその材料となる、鉄骨やセメントの需要も大きく落ち込んでいる訳で、景気回復を計っている産業経済界にも、この「姉歯事件余波」は凄まじい悪影響を及ぼしている。ホテルや高層マンションなどの大型建築物ならばいざしらず、平屋や一部2階建ての小さな住宅や店舗建設まで、改正法でがんじがらめに厳しい審査、無駄にかかる時間、現場のうろたえなど問題だらけなのである。そして、その情けない現場のために私達善良な一般市民は「税金」を納めている訳で、「どうなってんだ!」「どうしてくれるんだ!」と大声を上げたい所を、上げる相手もわからず(建築課の職員に文句を言った所で彼らも半分は被害者のようなもの)我慢しているというのが実状なのである。
地元の病院の脳外科医は、2つの病院の統廃合問題や重症患者、急患対応のために、通常一般外来をなるべく減らしたいと思っており、私の医院開設に大きな期待を寄せてくれているのであるが、開院したくてもこういう理由でどんどん遅くなって行っているのが現状である。私の場合、個人事業、自営業ではあるが、酒田地区に初のMRIを装備する個人開業医ということで公益的側面を大きく持っていると思うのだが、それが立法・行政のおかげでスムーズに開設もできないという事態に陥りつつある。
福田さん(首相)、斎藤さん(県知事)、阿部さん(市長)、なんとかして下さいね!

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2007.10.13

地鎮祭の続き、4,5日分

「姉歯事件」の煽りを喰って本年6/20から施行されている改正建築基準法。
実は、役所では担当者が混乱しているらしく、スムーズな事務処理が行われていないそうです。新しくなったのでどう対応したらいいのかがわからない(前例がない、これでいいのか誰も知らない、構造計算を行うソフトが認められたものがまだできていない)という「お役所様」らしい対応をなさっています。
だったら準備が整ってから改正法を施行してもらいたいものです。
私の医院建設に関しても、地鎮祭=起工式は終わったのですが、まだ着工できないでいます。おおまかな図面は8月中旬に出来上がり、8月末に酒田市役所そして庄内支庁の建築課に建築確認申請を提出して、すでに6週間になりますが、「まだ」だそうです。早ければ来年2月開院と考えていたのですが、これは絶対に無理ということになり、今は3月開院を考えています。
病院、医院というのは、保険診療を行うのが一般的(一部、美容形成、審美歯科など保険医療を行わないものは関係ない)。その許可をもらう前に、消防署と保健所の立ち入り調査が必要で、その申請をする前に「引き渡し」が終わっていないとなりませんので、建物が「出来た!」と言って次の日から開業できる訳ではないのです。しかも、この申請認可がまた「お役所仕事」なので、「開院予定の前の月の20日までに申請」という形ですから、21日を過ぎてしまうと、翌々月の開院となってしまいます。今のままで行くと3月開院も危うくなりそうです。

お役所仕事なので善良な市民はじっと耐えて待つしかないのですが、これが改正前であれば「3週間以内」に着工許可が出ているはずなので、9月20日頃には着工していて、年内か年明け早々には「引き渡し」ができたのかもしれません。「姉歯事件」の影響は日本国中いろいろなところに出ているようですが、私の医院開業にも大きな陰を落としてくれました。
でも細○和○さんの占いによりますと、来年私は新規事業に大変向いているらしく、焦らずじっくり構えてやるようにというご託宣でした。多少のいらだちはありますが、流れに任せてやるしかないな、と思います。でも、建築費が増大した事やいろいろ悩みもあり、最近はちょっと血圧も上昇傾向で体重も増えているので、「自己管理」をしなければなりません。もともと親から頂いたこの身体は丈夫で健康には自信があります。風邪をひいて仕事を休んだなどということは覚えている限り、5,6年以上ありません(風邪をひかない訳ではありませんが、仕事を休む程に悪化させた事もなく、頑張って休まず働いているということではありますが)。
でも、自分の身体が資本で財産となる個人事業主ですので、より健康に気をつける必要があります。グルメもいい加減にしておきましょう。
PhotoPhoto_2とは言っても、美味しいものは美味しいのです。
写真は、鶴岡の「アル・ケッチャーノ」と「イル・ケッチャーノ」の看板、右は「イル・ケッチャーノ」の正面です。先日、地鎮祭をして両親と湯田川温泉に泊まり、昼過ぎの飛行機で横浜に戻る親を「アル・ケッチャーノ」のランチに連れて行きました。テレビ、雑誌などメディアに引っ張りだこになった奥田シェフと「アル・、、、」。平日の昼ですら予約が必要ですし、連休が絡むと予約は2ヶ月前くらいにしないと駄目なようです。
いい店が人気がある事はいいことですけれど、気楽に行けないのは残念です。その「残念」と思うファンの心を少しでも解消するために隣に作った「イル・ケッチャーノ」(こっちにもシェフはいるけちゃのぉ)では、バリスタがコーヒーを入れ、石釜で焼いたピザとケーキを供していました。
Photo_3Photo_4この日のパスタランチのパスタは、「庄内豚のベーコンとつるむらさきのスパゲッティ」でした。つるむらさきという在来野菜(芋の茎のようなもの?)が、ねっとりしていて適度な苦みを持っていて、豚の脂やパスタに絡んだオリーブオイルの甘さと調和していて絶品でした。今度、ツルムラサキを買って来て家で真似してみようと思いました。
私は、九兵衛旅館で食べた「栗ごはん」の余韻が残っていたので、写真右の「栗と(何だか?の)クリームソースのフジッリ」を注文。皿に残るスープを1滴残らず舐めるように頂きました。
「アル・ケッチャーノ」の凄い所は、美味しいだけではなく、パスタランチの場合、パスタとサラダに飲み物(いくつかの候補から選べる)が付いて1030円(だったはず)ととてもリーズナブルなお値段なんです。4人で、ランチのAコース2つ(前菜も選べてドルチェもつく)、パスタランチ2つで5000円しないのです。比較しては行けないかもしれませんが、「鈴政」のお鮨おまかせ一人前より安いのです。

食べ物の贅沢というのは赤の他人からは疎ましく思われたり妬みの感情をも持たれるかもしれませんが、自分の健康を考えながら「自己管理」しなければなりません。
しかし、本当の「贅沢」と言うのは、実はその日(10/9)の夜の「響小ホール」のコンサートのようなものでしょう。
「プレコンサートのチラシ」PDFです。
「福田進一さんのHPの情報」をご覧ください。
「小」ホールなので、わずか150席程の限られた客席のコンサート。PAも使わず本当の生の音だけ。ギター演奏に集中するあまり、弾きながら声を出してしまう福田さんの「ウゥゥ、、、」という唸り声や「ヒュッ」とか「シュゥ」という呼吸音が良く聴こえます。演奏に集中している福田さんは自分がそんな音を発している事は(わかっていても)聴こえていないようです。プログラムは上のリンクと「福田さんのブログ」を参考にしてください。
素晴らしい演奏でした。音楽家と聴衆の「気」のあふれたコンサートでした。そして私は、10/6の「モーツァルト定期第2回演奏会」で飯森範親さんから頂いていたサインに加えて福田さんのサインを頂き、
Photo_5Photo_6写真のように、今年の「レコード芸術」9月号で「特選」に選出されたディスク『アランフェス』に両巨匠のサインを並べて頂く事ができました。福田さんに「重ねたら駄目よ」とご注意いただいたにもかかわらず、うれしく舞い上がってしまい閉じてしまったため、福田さんのサインが飯森さんのサインの上に転写されています。すみません!
右のディスクの方は大丈夫でしたが、持っていたペン(銀のサインペン)が良くなかったため飯森さんはサインを書くのに少し苦労されていました。すみません!マエストロ福田には、「to Mr. Balaine」とまで(頼んでいないのに)書いて頂きました!ありがとうございます!

Photo_7Photo_8「しめにラーメン」と飲みに行くと良く言いますが、今日の記事の締めは酒田のラーメンで有名な「新月」です。
風邪気味だった家内が復活して今日の昼はラーメンが食べたいというので、ちかくの「新月」こあら町店に行ってきました。8月のJAO酒田大会の時、Bオケ(マーラー)のゲストコンマスをして下さった山響の特別客演コンマスである高木和弘さんが、ご自身のブログに酒田でラーメンを食べたと小さな写真が出ていましたが、「つけ麺」だったので、この「新月」のではないかな〜と思っています。
さ、ダイエット!まず、運動と食事制限で体重を3kgは落としたいと思っています。

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2007.10.12

地鎮祭と美術館と湯田川温泉と藤沢周平

平成19年10月8日(月・祝)、大安吉日。
来年開院予定の医院の起工式(=地鎮祭)を執り行いました。
折からの風雨で、あまり起工式にふさわしくない前途暗い天候でしたが、「雨降って地固まる」とか「清めの雨」との慰めの言葉を頂きました。式自体は厳かに粛々と進みとても清らかで満たされた気持ちになりました。

Photo(写真は庄内空港に着陸する直前のANA旅客機)
両親もこれを機会に前日(10/7)から庄内に遊びに来たので、最近テレビドラマに出て更に人気が上がっているのか、予約も難しくなって来た寿司「鈴政」や、好みの蕎麦屋「田毎」や、平田牧場直営店に連れて行きました。ちょうど3連休でもあり、とんかつ屋さんは席が空くのを待っているお客さんで混雑していたので、近くにある直営店のショップで三元豚や金華豚を使ったカツカレー、カツ丼、豚丼、生ハムサラダなどを買って帰り自宅で食べました。

Photo_210/8の午後、「土門拳記念館」や東北公益文化大学がある飯森山地区にある「酒田市美術館」に出かけました。午後2時から、山形弦楽四重奏団のミュージアムコンサートがあるからです。
美術館は、ちょうど開館10周年(新しくこの地に移って)であり、特設展示は生誕100年を祝う画家森田茂氏の絵でした。森田氏は本年春に満100才になられなおお元気で創作活動を続けておられます。元は栃木の方ですが、庄内の「黒川能」を観て、代々農民の家に伝わる能の役目を子供から年寄りまでが守って土着的に継続しているこの特異な「能」に魅せられ、それをライフワークとして描いている方です。特に、「赤」をたくさん使って、能の舞を描いた絵が印象的で、ゴッホの「黄色」を連想させる、力強い生命力にあふれた絵でした。
Qその美術館のギャラリーの一角で、森田茂の絵をバックに、山形弦楽四重奏団の演奏がありました。美術館が用意した椅子が足らず、腰掛けられるところに腰掛けたり立ち見の人など10〜20人くらいおられました。
曲は、モーツァルト作曲の「ディヴェルティメント」、弦楽四重奏曲「狩」の他、J・シュトラウスのワルツ、サウンド・オブ・ミュージックのメドレーや日本の童謡など約1時間のコンサートでした。万雷の拍手に応えてのアンコールは、「千の風になって」。最初は、ギャラリーの特殊な形状と壁などによる反響に戸惑っていた4人も後半には「感じ」がつかめて来たように思えました。あいにくの天気にもかかわらずたくさん集まった観客は最後までたくさんの拍手で演奏を讃えていました。(写真は、アンコールの挨拶をしている所です)

美術館で絵を堪能し、その足で「湯田川温泉」に向かいました。地元の人に言わせると「また、渋い所を選んだね」となるのですが、今や藤沢周平のおかげで脚光を浴びています。
2今回のお宿は、それこそ藤沢周平縁の宿とすら銘打っている「九兵衛旅館」。藤沢さんが実際に泊まった部屋が今もそのまま残されており、客室としても使われている旅館で、おかみさんは病のためにわずか数年の教員生活しか送れなかった小菅留治先生(=藤沢周平)の教え子なのだそうです。
Photo_3写真のように、旅館の一角に「藤沢周平コーナー」があり、昭和61年から山形新聞夕刊に連載された名作『蝉しぐれ』の新聞や、その他の原稿、直筆の手紙などが展示されていました。
別のコーナーには、藤沢文学の単行本が置いてあって自由に読む事ができます。私も風呂上がり、スラッと「蝉しぐれ」と「盲目剣谺返し(=武士の一分)」を読んでみました。じっくり読みたくなるのを我慢してさらさらと読んだのですが、たとえば「盲目剣谺返し」の最後の場面などでは目頭が熱くなるのをこらえる事ができませんでした。そういえば、私は映画は観たけれど原作は読んでいなかったのですが、盲目の剣士が決闘で勝利するシーンなど、映画ではかなり重要な場面は、ほんの2,3ページ程度の記述で淡々と情景と心が綴られていて、かえって読者の想像力をかき立てるものでした。映画を観る前に読むべきだったと思いました。映画では、男鰥になって中間(=下男)徳平のまずい料理に辟易していた主人公が、徳平の連れて来た新しい「飯炊き女」の料理を一口食べてすぐに離縁した妻加世とわかり、「お傍にいてもいいんでがんすか?」と問いかける元妻を抱きしめるという感動的なラストシーンでしたが、原作では戻って来て料理や洗濯掃除などをしている元妻は一言もしゃべらず同席もしないのですぐに気がつく訳ではなく、数週間食事をしている間に「この味は、、、」と気がつくのです。しかし中間や「飯炊き女」に問い糾すこともせずにいます。ある日「蕨たたき」を準備する良い香りが台所から流れて来て、主人公新之丞は「去年の蕨たたきもうまかった。やはりそなたの作るものでなければだめだ。」というような言葉を発し、それを聞いた加世は台所に走ってそこで号泣する、という風な描き方をされていました。文章から読者に想像をゆだねる原作と、映像で観客に訴えかける映画での作りの違いを感じましたが、どちらも名シーンと思います。
旅館は、手が混んだと言うよりは地物の食材を活かした素朴な美味しい料理で、特にハタハタがこれから季節という事ですが大きくて美味でした。お湯もぬるめで私にはとても合っていました。

近くに、『たそがれ清兵衛』で宮沢りえ扮する「朋江」が清兵衛の娘達を村祭りに連れて来たというシーンを撮影した神社がありました。
12_2湯田川の人達も、村人役のエキストラで出演した人も多く、映画撮影の記念碑とともに集合写真が掲示されていました。庄内の風土が自然に薫るような鄙びた場所で、実際に地元の人も出演してロケが行われたと聞くと、映画のそのシーンが思い起こされます。単なる村祭りのシーンで、ストーリーの展開上決して重要な場面には思えないのですが、その実、後々清兵衛の後添えになる朋江と娘達の心の触れ合いを示しながら、村人達の中に進んで交わって行く当時の武士階級としては特異というか革新的な朋江の行動力を示していて、決闘の準備やまとまっていた再婚話を蹴って清兵衛の後妻になる朋江の優しさに包まれた強さを示すこの映画の大事な部分に繋がるよく考えられたシーンだと思われます。

PhotoPhoto_2すぐ近くに「湯田川小学校」があり、その正面玄関脇に藤沢周平記念碑とその解説の立て看板がありました(写真左の記念碑は写真を撮っている私の姿が写り込んだため明るさなどを変更しました)。山形師範学校(現山形大学教育学部)を卒業して、地元の中学校(当時は小・中併設)に勇躍赴任し今後教員として頑張ろうとしていた若き小菅留治先生とその後の藤沢周平文学の事を偲び、「ああ、藤沢周平はここでニコニコ笑いながら「小菅先生!」と生徒に慕われていたんだろうな」としばし勝手な想像を巡らせていました。

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2007.10.11

第2回モーツァルト定期

10/6(土)、山形テルサの「テルサホール」で、音楽監督飯森範親氏率いる山形交響楽団の本年からの新しい試みである、モーツァルト・シンフォニー・サイクル『アマデウスへの旅』第2回定期演奏会があった。定期会員であるので、東京でのNMCの記念演奏が終わるや山形新幹線に飛び乗り山形に向かった。
Photo_6Photo_7ちょうど「乳がん検診啓蒙活動」として「ピンクリボン運動」の展開中。
左の東京タワーはグランドプリンスホテル新高輪からの写真。右の「霞城セントラル」は山形駅西の駐車場からの写真であるが、ピンク色にライトアップされていた。

今回の演奏曲目は、1)交響曲第4番二長調 K.19、2)ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466、3)交響曲第31番二長調 K.297 「パリ」の3曲。
1)の交響曲4番は、なんとアマデウス9才の時の作品だとのこと。短いシンプルな3楽章で、後のような4楽章形式の大曲ではない。管もホルンとオーボエ2本だけで、室内楽の延長のような感じだが、十分に楽しめる。小学校3年生の書く曲ではないですね。
2)のピアノ協奏曲は、特徴的な「短調」の曲。モーツァルトの短調って何故にこうも美しいのでしょう。ピアノ独奏は、幼少時より家族でドイツへ移住されている河村尚子さん。先頃、「クララ・ハスキル国際ピアノコンクール」で見事優勝されたとの事。プレトークで飯森さんが話しておられたように、つい先日の事なので、残念ながらプログラムに優勝の事を印刷するのが間に合わず。山響のHPではしっかり明記されています。
河村さんのピアノは、年齢は若いのに年輪すら感じさせる印象。爽やかでチャーミングで落ち着きがあって詩情豊か。何よりも音が綺麗。粒立ちがはっきりしていて濁りがない。
本当に素敵。あれ程のモーツァルトはなかなか聴けるものではないと思われた。観客の反応は正直で、まったく拍手が鳴り止まず2回もアンコール(モーツァルトのピアノソナタ何番かの第1楽章と何かの小品)した上に、全然拍手が終わらないので最後には河村さんがコンマスの高木さんの手を取ってステージから下がるようにお願いするようなポーズ。

山響の演奏も凄かった。昨年から取り組み始めているピリオド奏法に磨きがかかって来た。何よりも弦の音が澄んでいて柔らかい。トランペットとティンパニはピリオド楽器。コンバスは最後列中央に3本でオケ全体を後ろから包むように低音が響いてくる。フルートは、二人共パウエルの木管を使っている。
3)の交響曲第31番は、その第1楽章だけなら実はNMC(脳外科オケ)でも演奏経験がある。あのニ長調のスケール、チャーンチャラチャラチャラチャンがとても難しかった記憶が蘇る。モーツァルトの音階は「勢い」では演奏できない。かといって、ただ正確に8分音符や16分音符を繋げれば済むという単純なものではない。「音階は音楽そのもの」と言う事をはっきり示してくれる。だからモーツァルトは難しい。シンプルな音階を組み合わせてメロディにしたり大事な所で単純な音階を使っている事が多い。フルートの名曲である2つの協奏曲や「フルートとハープ」の協奏曲なども総譜を持っていて、ちょっとだけ練習した事があるが、これを正確にそして音楽的に演奏する事は非常に困難である。まだ(自分は吹けないけれど)ハチャトゥリヤンやイベールのフルート協奏曲ならば「勢い」で吹ける所もありそうだが、モーツァルトとなると人前で満足な演奏など一生出来そうにない。モーツァルトのフルート四重奏曲などは何回か人前で吹いた事があるが、満足いくどころか、恥ずかしく、部分的には聴くに耐えない演奏しか出来ない。
世の多くの音楽家がモーツァルトを演奏して「いや〜、完璧!うまくいった!」などと思う事はほとんどないのではないかと思う。そういう意味では、この31番も素晴らしかったけれどこれ以上はないという演奏ではなかった。ただ、山響の特に弦楽器群の飛躍は素晴らしい。音が透明で柔らかく、ノンヴィブラート奏法でも音程がずれる事は少なく完成度の高い演奏だったと思う。河村さんのピアノに至っては、「これぞ完璧!」と言っても差し支えない程の演奏だった。
このような素晴らしい演奏を地元で聴けるということは大変恵まれていて、幸せな事である。

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2007.10.10

学会での演奏ほか

10月の第2週も中盤、10/10になりました。本来の『体育の日』(=東京オリンピック開会式の日)です。

10/2には、脳外科オケの一員として、参加者が揃うまでの前座の音楽として、チャイコフスキーの『白鳥の湖』から「ナポリの踊り」を演奏。私はピッコロ。なんだか音の粒が揃わないけど勢いで演奏してしまった。「会長招宴」での記念演奏は、ワーグナーの『ニュルンベルグのマイスタージンガー』前奏曲。フルートとピッコロで参加。
短い曲だが、いろいろアンサンブルの難しいところがある。これを8/25,6の合宿を除くと、当日の午後2時半頃からの練習でやってしまう所がこのオケの恐ろしさ。こうしか「できない」と言う所が本音。
私は仕事と飛行機の便の関係でどんなに頑張っても16時ちょっと前からの練習参加なので、実質1時間くらいしか練習できず。
Photo_2本番は、皆(一部にエキストラあり)脳外科らしい本番集中力と半端ではない度胸でやり切ってしまう。
写真は、10/3学会に参加し、同時通訳もして、最終の20:15羽田発で帰る機内で食した「空弁」。こういうものって、旅行中だからうまい、という風情があるもの。

「日本脳神経外科学会オーケストラ団」Musica Neurochirurgiana(MNC)の創設20周年記念演奏会。
これは、第66回日本脳神経外科学会総会記念「市民公開講座」に組み込まれて行われた。会長であるT女子医大(って隠さなくても一つしかないけど)教授のH先生とT大で同級生であるS医大副学長のM教授が、NMCの事務局をなさっておられ、さらにH教授の先輩で上司であるT女子医大学長(前)のT教授(元)がT大教授時代に「総会」を主催された時にNMCを創設されたため、今回、「市民公開講座」で記念演奏を行うことになった訳である(訳である、って訳わかりませんよね?)。M教授もT教授もVn.でずっと参加しておられる。私は、確か1996年の富山の総会の時から演奏に参加させて頂いている。

Photo指揮は、いつもの通り、T大オケからの関係で早川正昭先生。我々のような、寄せ集めのアマチュアのレベルを何とか少しでも高めようと、手を抜かず一生懸命指導して下さる。打ち上げ&反省会では、しかし、「もう辞めよう、と何度思った事か」とジョークとも本音ともつかぬ感想を漏らして下さった。ありがとうございます!
Photo_3今回の「白鳥湖」では、何と言っても本物のグランドハープの参加が凄かった。アマオケでは、ピアノなどで代用する事がままあるが、ハープの音色に敵うはずがない。
しかも!演奏するのは、N響ハープ奏者で人気実力とも国内随一といえる早川りさ子さん。早川先生のお嬢様だからこそ可能となったこの超超豪華エキストラ!翌日、「せんくら」に出演するため愛用のハープは仙台の送ってあり、今回は借り物のハープだったとのことですが、素晴らしい音色で譜面から頭が離れてしまいました。
1曲目の「情景」からハープが力強く響きます。極めつけは4曲目に演奏した「Pas d'Action」。ハープの素晴らしいカデンツァで始まり、Vnのソロとハープの甘い会話に管楽器が続いた後、チェロとVnの会話になって終わります。ピッコロはtacet。ハープのほぼ真横という特等席でりさ子さんの素晴らしい演奏をじっくり聴かせて頂きました。5曲目は「ワルツ」。途中、ピッコロの目立つフレーズがあるのですが、もたもたしながらあっというまに終わってしまい、不完全燃焼です。演奏後、りさ子さんとツーショット写真を撮らせて頂きましたが、私が大きく写っているので公開はしません。v(^^

打ち上げ&反省会を途中退席し、その日(10/6)、山形テルサで行われる山響の『モーツァルトへの旅』第2回定期公演を聴くため、品川駅から東京へ急いで移動し新幹線に飛び乗りました。
Photo_5山形新幹線の中で、「トランヴェール10月号」を読みました(写真右側の冊子。左は有名な米沢の「牛肉どまんなか弁当」)。今月号の特集は、北前船、特に秋田の土崎(家内の実家の近所)と酒田(現在の居住地)で私に直接関係する場所でした。大変興味深く読みしっかりお持ち帰り致しました。この「トランヴェール」はJR東日本管内の新幹線などで読めると思いますが、毎号なかなかおもしろい特集が組んであります。今月号の表紙の絵は、酒田の「山居倉庫」。JR東日本で宣伝している「大人の休日倶楽部」は、大女優吉永小百合さんを抜擢して、山居倉庫、相馬楼(元「相馬屋」)が出てきます。本間美術館でもロケしていたと聞きましたので、現在放映中のものと別バージョンがあるのかもしれません。とても評判の良い宣伝です。
西日本の方では観られないTVCFなのでしょうか?

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2007.10.05

学会総会最終日

10/2(火)から本日10/5(金)まで、都内某所(と隠すまでもないが)で第66回(社)日本脳神経外科学会総会が開かれていた。
今はインターネットに接続できないホテルの方が少ない位の時代である。10/2に宿泊した高輪東武ホテルは全室高速インターネット無料接続で部屋代も安かったのだが、本日泊まっている学会会場であり明日の「市民公開講座」会場でもあるグランドプリンスホテル新高輪は接続は出来るが24時間使用料1000円をとるし、部屋代もちょいと高い。
目の前なんだから10/2と同じ高輪東武にすれば良かったな〜。
でも明日は7:45集合なので少しでも近い方が楽だと思って、GPH新高輪にしてしまった。
これから、明日の「市民公開講座」での脳外科オケ演奏のリハが夜の9時まである。8/25,6に合宿をしているのだが、それを合わせても、全体合奏の練習はわずか6,7時間である。私は、地元高校の演奏会にトラで出た(ブラ2をやったやつ)ため、今年は三島合宿に参加できず。10/2の2時間と今日の3時間だけ。明日の演奏会の演目は、今日初めて合わせるものもある。
今日一番の楽しみは、指揮者である早川先生のお嬢さん早川りさ子さんの参加である。
6/7のブログ記事「名月荘ムーンライトコンサート」で書いた、N響ハープ奏者早川りさ子さんと共演するという幸せに恵まれた。チャイコフスキーの「白鳥の湖」から5曲を選択して演奏するのであるが、特に"Pas d'Action"では、私はピッコロなのでtacetなので、間近でりさ子さんのハープのあのカデンツァをじっくり聴く事ができるという超贅沢な状況になっている。
写真、撮れるかな〜。
早川りさ子さんは、この「脳外科オケ」での演奏が終わったら仙台に向かわれるとの事。「せんくら」出演のためである。「せんくら」のりさ子さんの出演については、
「仙台クラシックフェスティバル」早川りさ子
をご覧ください。


学会の方は、広い会場、ポスター発表や機器展示の会場も含めると10カ所以上に別れているため、とても全部などは見て回れない。プログラムとにらめっこで「ここは!」という会場に行く訳だが、総会なので皆練れた発表で聞き応えはあるのだが、よくよく聞いていると内容的にそれほど目新しかったり、「ほう〜?」と感心するようなものはなかなかない。どこかで聞いた、既に発表された内容に更に数が増えたとか方法をちょっと変えたというものも少なくない。
初日のメイン会場午前中一杯を使って「てんかん」について9名の国内外のトップクラスの脳外科医の講演が会ったが、これは世界やアジアのてんかん外科の歴史や、新しい治療法や様々な角度からの話が聞けてとても勉強になった。私は、たまたま日本脳神経外科学会同時通訳団員として、この「てんかん」のセッションを他に2名の英語の達者の先生方と担当したので、映像的にも音響的にも恵まれた環境で全て発表を真面目に聞けた(会場で聞いていると、ついウトウトしたり、プログラムを眺めて「午後はどこの部屋に行こうか」などと考えていると、講演を聞き漏らしたりしがちなのだが、通訳を担当していると必死に聞くのである)。
今日の午後のメインの会場では「最先端画像診断法」に関する3時間近いセッションであったが、どの発表も工夫が凝らされていて脳外科領域の画像診断が日々進歩していることを実感できた。特に、現在一般に使用されている最も高度な(よって最も高価な)CT装置である64列面撮影法CT(実勢価格で2億円くらいするはず)をずっと飛び越えて、その4台分の力を持つ256列のMDCTの画像が提示され、その威力をまざまざと見せつけられた。単純に4倍(=8億円)と言う風にはならないであろうが、まだ開発中であるにしてもとにかく高価な医療機器であることは間違いない。

私の医院に導入予定の、永久磁石を用いた「オープンMRI」だって静磁場の力は「超伝導MRI」に比べれば劣るものの、オープンならではの利点に加え発達したコンピュータ技術の恩恵で、10年前の超伝導MRIに負けるとも劣らない美しい画像が撮像できるし、ワークステーションンの発達で高速な3次元処理と画像再構成が可能となっている。このように、高額な医療機器の発達とそれを更に発展させようとする現場医師の情熱などによって、15年前では考えられない様な身体の隅々の美しい画像がほとんど痛みを伴わずに行えるようになっている。
これは、患者さんにとっては凄い事なのである。昔は、「試験開腹」とか「試験開頭」という術式が正式にあった(今でもあることはある)。外からポンポンしても聴診器あててもX線写真とっても「よくわからない」から「とりあえず開けて確かめてみましょう」という手術である。
今や、発達したCTやMRIのおかげで「何が何だかわからないけど異常がありそうだから開けてみましょうか」などということは、滅多にないはずである(人間、自然界のことだから、わからないということはまだまだたくさんあるけれど)。そして、その画像がどんどん高度に進歩して、美しく、高速で、正確になって行っているのである。それにもかかわらず、医療費の高騰を抑制するという国の施策のために、CTやMRIの検査料(=保険点数)は下げられ、更に細分化して安くされ、同じ月に2回以上検査すれば2回目は6割ぐらいの料金にしなくてはならず、その道で10年、20年研鑽を積んでいる「神経放射線医」や「脳外科医」が一生懸命に検査をして読影しても、その技術料は請求できず、わずかに一人の患者さんについて月に1回に限り「コンピュータ診断料」というものが請求できるという現状(複雑な検査だと一人に1時間くらいかけ、それを読影しレポートを書くのにまた1時間くらいかけたり、より多くの専門家が集まって合同検討会を開いたりしているのだが、「月に1回」しか請求できない)。
医療は基本的にはボランティア的活動であるべきだが、公立病院にも経営効率化や赤字解消を政府、自治体が強いている現状では、病院も個人医師も「稼ぐ」(=損をしない)ことを意識して診療をしなければならない。
2億円の器械を8年くらいで減価償却される間にどの位の検査を行ってどの位元が取れると思いますか?なかなか大変なものです。政府の方針ではさらに医療費を抑制するために高額な医療をもっと削って行く方針があるように聞き及びます。前から何度も書いているように、無駄は排除し過剰は抑制しなければなりませんが、必要な高度医療や先進医療を抑制するような事があっては行けないと思います。
以前、うちの医局に留学していたバングラデッシュ人の脳外科医に聞いた所では、人口1億人以上と日本とほぼ同規模の(関係ないけど国旗も似ている)バングラデッシュには、全国でCTが数台、MRIが2台しかないという。よって「頭の断層撮影」なんて受けられない脳の病気の患者さんがたくさんいる。それどころか、手術顕微鏡があっても使える脳外科医がいないので、開頭は40年前の日本のように肉眼で行っている訳である。いや、頭の病気で手術をした方がいいとわかっていても、設備の問題、経済的な問題で受けられずに諦めて悪化を待っているだけの患者さんがたくさんいるのである。数年前の話だから、CTなどはそれから少しは増えているかもしれないが、日本であれば大きな総合病院一つに所有している高度診断機器が国全体に揃っている程度とのこと。MRIなんか一台もない国だって世界中にはたくさんある。日本は、進歩した医療技術の恩恵を受けられる幸せな国なのだが、それが「当たり前」だと誰も思っている節がありますね。
今回の学会発表を聞いていると、医療の進歩と患者のために頑張っている医師達の努力を、政府や自治体は無視しているのか知らないのか、とにかく「削減」「抑制」という言葉を数字にしようと現場を無視したことをやっているように思うのです。世界一と言われる水準を保つ医療を実践していて、しかも高齢者の多い日本では、当然総額医療費が嵩む事は避けられないものだと思うのですが、一体これを「抑制」する方法があるのでしょうか?

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2007.10.01

楽しい演奏会

10月になりました。
今年もあと3ヶ月で終わりですか〜。早いものです。今週にも医院の建築確認申請が認可されて、来週地鎮祭、着工という運びになりそうです。

昨日、9/30(日)、2つの演奏会に行ってきました。
Photo家のすぐ近く、徒歩1分くらいのところに富士見小学校という小学校があります。この学校の学区であるために、酒フィルが練習でよく使用するコミセンも曙町にあるのに「富士見コミュニティセンター」と呼ばれています。
そこで、「花と音楽の街 富士見 合同演奏会」が催されました。
最初は、富士見小金管バンドの演奏です。近頃の子供は発育がいいですが、小学生は小学生。上手下手とかではなく、素直な可愛い子供たち!という感じでした。思えば、私も倉敷に居た小学生時代にはじめて「鼓笛隊」をやりました。音楽はピアノを習っていたので、普通の生徒たちよりは出来たと思いますが、小さな子供だったので小太鼓を叩いて一緒に行進していました。フルートを買ってもらって、小6の鼓笛隊での街中の行進のときは、もうフルートを吹いていたように記憶しています。どうだったかな?当時は、身長130cmちょっとのおチビさんだったと思います。
 小学生の金管バンドの後は、富士見コミセンの合唱団の人達が歌を披露して下さいました。昔若かった方々が中心でしたが、綺麗なお声でした。

 そして、メインイベント!
山形県警の音楽隊による演奏です。
Photo_2Photo_3お揃いの白い制服に身を包んで、さっそうと格好良く演奏して下さいました。
普段は、いろいろな部署で警察官をされていて、主に土日などを使って「県警音楽隊」として広報活動を行っているそうです。

Photo_4ブラスバンドと思いきや、パーカッションの人が「千の風になって」や「オー・ソレ・ミオ」や「フニクリ・フニクラ」などを熱唱され、やんやの喝采を浴びていました。
「皆さん、歌うおまわりさん、いかがでしたか?」とのMCの声に一段と拍手も大きくなっていました。舞台慣れされているというか、背筋のピシっと伸びた綺麗な姿勢で、ステージを横に移動しながらの歌で感心しました。

様々なジャンルでレベルの高い演奏を楽しませてくれましたが、なかでも「クレイジー・キャッツ」の『スーダラ伝説』というメドレーでは、植木等さん主演の数々の映画がヒットした当時は子供だった私でもなぜか歌詞を覚えていて、半分くらいは歌えたのが自分でも不思議でした。
Photo_6Photo_7Photo_8一番かっこ良かったのは、カラーガードの「おねいさん」達でした。
演奏に合わせて、旗を振ったりくるくる回ったりと大変華やかでした。米国あたりでは軍隊や州警察でかなり高いレベルで行われていて、全世界的にマーチングバンドとカラーガードの大会もあるように聞いています。
こどもたちもきっと憧れの気持ちで見ていたでしょう。
最後に、富士見小金管バンドと県警音楽隊で「荒野の七人」を合奏して終わりました。
楽しい演奏会でした。

その足で山形市に向かいました。
Photo_9「山形弦楽四重奏団」の第25回定期演奏会が、いつもの「文翔館議場ホール」で催されました。
開場時間前に着く事ができたので、余裕で"Ensemble Pino"によるプレコンサートも楽しむ事が出来ました。日曜の夕方だと酒田からも聴きに来れるので嬉しいです。
Photo_10山響や山Qの演奏会の感想をきちんと書いておられるHNはnarkejpさんの真似をして、写真は文翔館議場ホールの外観です。日も短くなりました。
プログラムは、前半がハイドンの弦楽四重奏曲 ヘ長調 Op.17-2。この曲は原題に「ディヴェルティメント」とわざわざつけられているそうです。当時の宮廷音楽家は、王様達が食事をする時間の音楽、お遊戯をする時間の音楽などなど、原題で言えばBGMとか環境音楽というものを「生」で提供するのがメインの仕事だったりする訳で、そういう感じの軽い楽しい曲でした。
2曲目は、ベートーヴェン作曲 弦楽四重奏曲 第11番 ヘ短調 Op.95 「セリオー ソ」。
今回解説役のVc茂木さんも言っておられましたが、難聴、弱視の上に「大きな失恋」をしてわずかな静養から戻った後に書き上げられた作品で、重い、苦しい感じの曲ということでしたが、演奏は大変楽しめました。「お、さすが、ベートーベン」と思わせるアンサンブルの妙が随所に見られました。
Photo_11最近、やたらテレビに登場する文翔館。元山形県庁です。
先日も村川透監督で、沢口靖子さんが主演する鉄道警察のドラマにしっかり登場していました。彼女(文翔館)も今や売れっ子女優という感じですね。「蔵王のお釜」にはまだ負けているかもしれませんけど。
後半は、モ ーツァルトの弦楽五重奏曲第3番 ト短調 K.516。
ヴィオラに山響のヴィオラ奏者田中知子さんを迎えての弦楽五重奏曲です。
山QのHPでは、(山形弦楽四重奏団HP参照)「曲全体は深い悲しみに満ちあふれており、フィナーレのロンドの長調でさえアインシュタインは「慰めなき長調」と評した」と書かれています。モーツァルトの音楽にしては、何か裏に重い悲しみや切なさを隠したような激しい感情を抑えているような、抑えきれないような心が見える感じでした。モーツァルトでも6曲しか書いていないという弦楽五重奏ですが、「ヴィオラ1本加わっただけでこんなに変わるんだ〜」、「五重奏っておもしろいな〜」というのが私の感想でした。
山Q団員とゲストの田中さんのアンサンブルもピッタリ。いつも一緒に練習しているような印象です。
それもそのはず田中さんは、山Qのプレコンサートをいつも行っているEnsemble Pinoのヴィオラメンバーであり、山Qの倉田さんの奥さんなのですから。

というわけで、一日というかおよそ6時間の間にとても楽しい演奏会を2つも経験できた、とってもいい日でした。
山Qの演奏会後に楽しみにして行った「竜馬」さえ、やっていてくれれば文句のないところでしたけど(残念!)。

P.S.
山Q(と最近呼ぶようになったらしい)の次の演奏会は、なんと酒田市立美術館で10/8(月・祝)の午後2時からです。同日午前中に私の医院建築の「地鎮祭」を終えて、お祝い!を兼ねて、横浜から来る両親も連れて行く予定。楽しみ!

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