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2007.09.17

1985年

昨晩、故夏目雅子さんのノンフィクションドラマがありました。
大竹しのぶさんとともに同い年である私。更に、治療を受け亡くなられたK大病院で主治医団の一人に私の同級生がいて、後々少し話を聞いたこともありました。もちろん、数々の映画で見せたあの魅力的な演技。今でも目の前に蘇ります。
白血病の治療、抗がん剤などの副作用で髪の毛が抜けてカツラが必要になる患者さんなどのために、こういうものが作られています。どうぞご覧ください。
「夏目雅子ひまわり基金」
彼女が亡くなられたのが1985年9月11日と聞いて、ああそんな前だったか!という気持ちとともに、いろいろ考えました。

まず9月11日。
6年前のこの日は、NYの同時多発テロの日でしたね。こういうのは単なる「偶然の一致」なのでしょうか。
1985年。昭和60年。この年、いろんな事が起きています。
JALジャンボジェットの御巣鷹山への墜落事故。8月12日のことでした。坂本九さんがこの飛行機に乗り合わせ520名の犠牲者の一人になられています。
阪神タイガースの優勝。タイガースファンの方には申し訳ありませんが、ありえない21年振りの優勝でした。
バックスクリーンへホームラン4連発など、通常起こりえないことが目の前でドンドン起きた事を覚えています。
その他、ちょっと調べてみると、日本人エイズ患者第1号が認定され「エイズ騒ぎ」が起きたり、「聖輝の結婚」と言われた神田正輝さんと松田聖子さんの結婚式もありました。
阪神は、日本シリーズで当時強かった西武ライオンズも蹴散らして日本一に輝いています。
山形では、非常にマイナーな話題で関係者は思い出して欲しくないであろう「事件」として、夏の甲子園大会で山形県代表の東海大山形がPL学園に29-7で記録的大敗をしています。1試合のPL高校の打率が6割近く、あまりの連続ヒット、連続得点は「拷問」とすら言えました。その当時、東海大山形の教頭をしていらしたという方とある縁でお知り合いになった事がありましたが、試合の途中から「山形の恥だ」「試合を止めさせろ」「二度と甲子園に出るな」なという抗議電話が矢のようにかかって来てその応対が大変だったとお聞きしました。
当時のPLは、4番清原、エース桑田を要し、セリーグ万年最下位でプロ最弱と揶揄されたヤクルトスワローズと入れ替え戦をしたらPLが勝つんじゃないかと言われたほど強かったのです。だって、その8ヶ月後に巨人や西武でどうどう一軍入りを果たす選手と普通の高校生が試合をしたのです。山形県の野球関係者は、その年から優秀な監督、コーチ、選手の獲得のため全国に目を広げ、今問題になっている特待生制度に拍車がかかったように聞いています。
この試合、よく考えるとあのPLから「7点」も取っているんです。1試合でPLからそんなに得点した高校はほとんどありません。あの時、余りの点差に桑田は途中で下がり、なんとサードの清原が「中学時代はピッチャーやったんや」とマウンドに登り、それを東海大山形は「打ち崩し」て結局7点を奪ったのでした。最後まで試合を投げずに9回まで戦い続けた選手たちは素晴らしいと思いました。

1985年、と聞いていろいろな事を思い出しました。
抗がん剤の副作用として正常な細胞を攻撃する、特に正常血球の再生能力低下、分かりやすく言えば白血球の殖える力を弱めてしまうことが大きな問題なります。夏目雅子さんは、最終的に抗がん剤が良く効いて、その副作用として白血球減少のため、直接的には肺炎を悪化させてなくなられたと聞いています。
医学は日進月歩。抗がん剤の副作用治療にも使われるG-CSF(白血球の仲間である顆粒球を増やす効果のある薬)が22年前にあれば、今も夏目雅子さんのあの素敵な笑顔にお目にかかれたのかもしれませんね。

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