最近、医学ネタ書いてないな、と思う。
先日、全国紙読○新聞に、米国生まれの医療事故の際の謝罪マニュアルを全国の社会保険病院で採用した、という記事が載っていた。これに対して言いたい事は山ほどあるが、立場も変わり冷静な目で見る必要がある。
確かに、全国の医療機関の中で、ほんの一握りと思いたいが、何かトラブルが起きても隠蔽しうやむやにして来た事実はあるだろうし、今現在もあるかもしれない。まずは「情報開示」そして「謝罪」と「対策・対応」ということは、公立病院や大学病院に勤務した身としては、このご時世、こういう事は数年前から「当たり前」という印象なのだが、まだ一般的にはなっていないのかもしれない。
しかし、その全国紙の記事では、『医療事故の際、患者側に十分な説明をしない病院が少なくない中、』という書き方で、いかにも鬼の首を取ったかのようないつもの記事には辟易する感もある。デスク、編集部、新聞社全体が「医者=悪者」「病院=悪者」と言った論調で書くのだから、日本の医療崩壊はマスコミによって加速されているとすら言えるかもしれない。彼らは、真面目に働き、真面目に患者さんに向きあい、こんな「マニュアル」なんかなくてもきちんと説明する医師が日本にはいないと思っているのだろうか。
こういった「医療事故の際の対応」に関しては、確かに米国が進んでいる。かつての米国の医療界も隠蔽、逃避、患者の泣き寝入りだらけだった。そこから現在のように至った経緯は簡単には書けない。ただいつも思うのだが、すぐ米国をお手本にするのだけど、確かにいいものはいいけど、日本と米国では医療行政、保険診療などあまりにもシステムが違うのであるからその辺をちゃんと理解した上で議論してもらいたいものである。医療はボランティア的仕事とはいえ、医療関係者はそれで生活し、病院などの組織はそれで黒字を生み出さなければならない。しかし、日本の制度は国に管理されすぎていて(医療行為の料金が国家に管理されている社会主義的制度の中で世界に誇れる技術を持っている)、自由に改善がしにくいし(料金の自由な設定は出来ない(自由診療であれば可))、いいことをやって黒字がでるならばいいが赤字が増えるだけ(患者や家族への説明などは診療報酬もなく、時間を取られる割に1銭にもならない)、または直接の医療行為以外のボランティア的仕事が増える(会議ばかり)という状態である。
責任が増すならばその責任の相応する報酬であるとか、リスクが高いならそれに見合う診療報酬をつけるとか、そういったハイリスクハイリターンという、いわば当然の考え方が適応されないのが日本の医療行政なのである。医療費が嵩む、だから医者を減らせ、医者の給与を下げろ、看護師を減らせ、病床を減らせ、薬を安くしろ、減らせ、高度な技術も安くあげろ、いろいろ高度な医療行為を行っても自費でまたは無料でやれ、という状態で今まで来ている。たとえば、脳の手術中に脳波や血流量や術中MRIなどの高度の画像やナビゲーションなどを行っても、それに相応する保険診療の点数は「ない」。つまり無料で行っている。あえて、言えば「脳波検査」「MRI検査」という料金を取る事は出来るが、10時間に及ぶ手術中に執刀に関わる医師以外5,6名の高度な能力を持った医師がチームワークで当たっている仕事(たとえば、覚醒下の開頭手術など)はほとんどの医療行為が「無料」でやっているのだが、そんな事には目を向けず、それ医療事故だ、ほれ隠蔽だ、そら刑事事件だ、ということばかり取り上げるマスコミというのはどういう脳みそを持っているんだろう。。。
医療の基本は、医師と患者の間の信頼関係であり、それを壊す一因が医師側にあることは認めざるを得ない事であり、我々医師は深く反省し改善して行く必要はある。しかし、これだけ進んだ医療、世界一の長寿国となりながら、その原動力になっている医師や病院を悪者扱いにだけして、「患者側の視点」という大義名分で医療側の努力や我慢を無視する姿は納得いかない。。。
日本の医療水準が国際的に見ても高く、世界一の長寿国で、衛生環境も良く、快適な暮らしが出来るのは、医療行政と医療にたずさわる現場の人達(医師に限らず看護師、技師、薬剤師、医療事務職、その他多くの医療関係者)のおかげであることに、まず感謝と信頼、その上での更なる期待を寄せて欲しいと思う。
おっといけない。冷静な目で見て、あまり言わないのだった(見ざる、聞かざる、言わざる)。
閑話休題、というか本題。
できました!
JAO酒田大会のプログラム。
これが表紙です。(おっと、上記の全国紙山形支局も「後援」に名を連ねているのだった、書類上の処理に過ぎないけれど)
宣伝部分を含めて30ページも及ぶなかなか立派なプログラムです。
昭和51年の酒田大火以降、酒田復興のシンボルとなった「獅子頭」がシンボルマークに採用されています。
表紙を開くと、こうなっています。
希望ホールの写真の他に、山居倉庫や土門拳記念館や本間家旧邸や木造六角灯台など、酒田を代表するものの写真が飾られています。私のブログでも写真を紹介してきましたね。
8/16,17,18,19の日程、プログラムが書いてあります。

8/16のデュオコンと8/19のフェスコンのプログラムを並べてみました。
特に、19日のフェスティバルコンサートでBオケが取り上げるマーラーの交響曲第9番は、1曲で1時間20~30分もの大曲で、地方アマオケはもちろん在京プロオケでも滅多にプログラムに取り上げる事のないものです。
マーラーといえど、「交響曲作家は9番を書いたら死ぬ」というベートーベン以降のジンクスに勝てなかったものです。
バルトークは、ハンガリーが生んだ偉大な作曲家。マーラーはドイツ人のように思われていますが、ボヘミアという現在のチェコの生まれ。ウィーンに没しています。そしてピアニストのファルカシュ・ガーボールはハンガリー生まれ。
全くの偶然なのですが、私が5月に旅して来た、ウィーン、ブタペスト、プラハと全て繋がるプログラムになっています。
今日は大相撲の夏巡業酒田場所です。
力士の幟が街中にはためいています。
8/18(土)は、全国中学校剣道大会が始まります。
そういえば、酒田商業の高校生が佐賀インターハイの剣道個人で優勝しました。
世界陸上に出る走り幅跳びの池田久美子選手だけじゃなかったんだ。
凄いぞ、酒田!
今週、「酒田の街がウィーンになる」というキャッチフレーズで宣伝しているJAO酒田大会以外にもこんなにイベントがあるのでした(でもお盆期間中、ずっと仕事ですけどね)。
最後にもう一言。
最初に書いたマニュアル本の原題には「医療事故」という言葉はない。
これにあたる英語として、Adverse Effectという言葉が用いられている。直訳すると「反対の影響」と言う意味。治療行為をしていて、期待される効果とは違い、「逆に」「不利益な」影響が出てしまう事を広く指し、簡単には「悪影響」と訳されよう。
「患者に不利な状況(悪影響)が起きてしまった事に反応して、物事がうまく行かない時」というのが、原題英語のそのマニュアルの直訳になり、邦題の『医療事故・真実説明・謝罪マニュアル』というのとはかなりニュアンスが違う。「医療事故」という言葉の定義は一般には誤って解釈されている可能性があるのだが、「ミス」のことではないのである。一般的に結果が悪かった場合、治療行為の影響で死亡したり、後遺症が出たり、何か異常な事が起きた場合をすべて「医療事故」と称しているのである。「ミス」は「医療過誤」と称される。
この言葉のイメージがまず悪い。「悪影響」と「医療事故」が同列のものとは普通思わないであろう。
頭痛がいつもより酷いと車を運転して受診した患者を診て、熱もないし喉も赤くないのに「風邪」と診断して風邪薬を投与し帰宅させ、それが実はくも膜下出血で、その後、2度目の出血が大きくて命に関わってしまった場合、最初に診た医師は「医療事故」なのか「過誤」なのか。
最初の頭痛の時からくも膜下出血である可能性は非常に高いものの、それを証明する事が出来なれば、その時は本当に風邪に伴う頭痛だったかもしれないので、誤診とは断じる事ができないし、診断ミスが患者に不利益をもたらしたとは早計に結論できない。よってその医師には(医療のプロとしてのプライドや道義的責任を除けば)何の落ち度もないのである。
こういった事例ならば、日本国中至る所で掃いて捨てるほどある訳で、逆に言えば、それが医療現場の現実なのだという事を分からなければ、医師は医療行為をすることをためらうことに陥ってしまうのである。本来、困っている人を助けたい、苦しむ人を楽にしてあげたいという「善意の気持ち」から生まれる医療行為の結果、かえってまずいことが起こってしまったとしてもその心を非難することをしては行けないのである。
溺れた人を助けようとして、うまくやれば助けられたものを、知識や経験がないばかりにみすみす失ってしまった場合、助けようとした人を責めてはならないのである。
今の世の中は、特にマスコミは、医師や病院全体を非難する事で、この『善意に基づく心と行為』すら否定してしまっている危険性に気付いてもらいたいと思う。
ああ、一言で終わりませんでしたね、すみません。m(_)m
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