鶴岡の街
庄内地方の2大(小?)都市、酒田と鶴岡。
なにかと地元の人はお互いを牽制したり厳しく評価している。
酒田の人は「鶴岡の人だば、ニコニコしででも何考えてっがわがんねもの」と言うし、鶴岡の人は「酒田の人はの、気が荒いっていうがの、、、何とも言われねのぉ」などと仰る方もいます。こんな狭い土地「庄内地方」で何を言い合っているのかと、よそ者は思うのですが、これには歴史的背景がありますから簡単ではありません。
鶴岡は、藤沢周平作品でおなじみ「海坂藩」のモデルになった「出羽庄内酒井家」が代々殿様をつとめる庄内藩がありました。酒井家は『徳川四天王』の一人酒井忠次を藩祖とする由緒ある譜代大名のであり、鶴岡市中心部にある「荘内神社」は城跡です。酒田に亀ケ崎城という枝城を持っていました。
一方の酒田は、商人と貿易と漁師の街で、日本一の大地主として知られた「本間家」や 『日本永代蔵』にも登場する「鐙屋」は今でも観光名所となっています。このあたりの歴史については以前にも触れているので、そちらを参照にしてください。
「2005.11.11『歴史と人』」へどうぞ。
さて、先日の「寿司の長三郎」の後、近場を少し回ってみた。実は、鶴岡市の荘内病院には昭和61〜63年の2年間と平成9年の約半年の2回、勤務した事があるので、鶴岡の街は結構知っている。
「鶴が岡城」の跡地である荘内神社のある公園に行ってみたところ、以前はなかったものを見つけた。
写真の(見にくいですが)「雪の降るまちを」の歌詞の書かれた碑とセンサーが人を察知すると『雪の降るまちを』の旋律が自動で流れる装置があった。
最近更新がなかなかできない「音ブログ」ですが、『雪の降るまちを』をフルートで演奏していますので、良かったら聴いてみてください。
balaineの音ブログ「194. 雪の降る街を」へどうぞ!
この公園の隣には、旧藩校である「到道館」など興味深い建物があり、向かいには慶応大学鶴岡キャンパスや裏には鶴岡一の進学校である鶴岡南高校などがあり、落ち着いた雰囲気の良いところです。
今は、近所に新築移転したのですが、旧の荘内病院があった地区に大変有名なカトリック教会があります。
実は私はここを訪れた事がなかったのですが、先日のヨーロッパ旅行で教会をたくさん見て来たこともあり興味がわきました。併設する幼稚園を横目に、教会の中に入ってみました。
こじんまりとした可愛らしい木造の教会で、礼拝堂は畳が敷き詰めてありその上にパイプ椅子が並べられていました。写真のように、小振りながらちゃんとしたパイプオルガンもありました。国の重要文化財に指定されています。
ここの教会が有名な理由の一つである「黒いマリア像」。残念ながら現在修復中であり、その写真だけ飾ってありました。
明治時代に建てられたこの教会に、フランスの修道院から黒いマリア像が送られて来たのだそうで、「黒」と言っても正確には木造のチョコレート色である。しかし、キリスト教が中東にその発生地があるにもかかわらず、主にヨーロッパの白人の宗教として発展して来たためか、世界中でマリア様は白人女性的に描かれ塑像されて来た訳であり、この鶴岡にある「黒いマリア像」は歴史的にも大変興味深いものである。
鶴岡には、まだまだいろいろ興味深いものがあるが、今日はこの辺にしておこう。
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