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2007年6月

2007.06.28

炎のコバケン

平成19年6月26日(火)、酒田市民会館「希望ホール」(酒フィルの本拠地、と勝手に呼んでおく)で、「希望音楽祭」の一連の事業の一つとして、「新日本フィルハーモニー演奏会」が催された。
思えば、平成16年の「こけら落とし事業」の際には、先日ウィーンで会った(?)マエストロ小澤征爾の指揮で、「新日」の演奏会があったのだった。その時に、「新日の王子」こと、フルートの荒川洋さんに初めてお会いした。
H16/12/17 新日の荒川洋さんと
荒川さんは仙台出身で、秋田にも縁が深く、確か高校から関東の方に移られてはいるが「根」は東北の人だと思っている。心根の優しさとか暖かさという意味。
とても柔らかい、深みのある音色が魅力的な笛吹きアーティストである。
アフラートゥスも、上原彩子さんも、ミシェル・デボストも、N響のK田さんも東響の相澤さんも、フルート・クライスの上坂さんも、その他、あの人も、この人も、笛をやっていなかったら一生お会いする事も言葉を交わす事もなかったような人達。皆、芸術家で皆暖かい心を持っている人達。
荒川さんもそういう大切な人達の一人。しかも酒田という縁で食事やお酒までご一緒する事ができて大変嬉しかった。
Arakawasan3写真、あえて小さめです。
年の差が15もあるし、「王子」と一緒では私のみすぼらしさが目立つので、小さくしちゃいました。(^^;;;
今回のコンサートは、そうそう、タイトルの通り、コバケンこと小林研一郎氏の指揮でした。
この事を書こうと思って書き始めたのでした。
プログラムは、モーツァルト『フィガロの結婚』序曲、チャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」、そしてドボルジャーク「交響曲第9番『新世界から』」という、定番中の定番でした。
ピアノは、なんと仲道郁代さん。美しく、可憐で、ピアノはダイナミックで迫力満点でした。
「希望音楽祭」の企画段階では、仲道さんサイドの希望ではモーツァルトのPコンだったそうですが、「是非、チャイコをお願いしたい」というこちら側のわがままを通して受けてくださったそうでした。薄いブルーのドレスも素敵でしたが、残念ながらステージの写真はありません。
1曲目のフィガロ、これは我が酒フィルも今年の春の「ファミリーコンサート」でも演奏したばかり。5月の脳外科医学会の開会式典演奏でも早川正昭氏の指導指揮で演奏しました。「コバケン」のモーツァルト、実はこれが一番面白かったかもしれない。勝手な先入観ですが、コバケンとモーツァルトは相容れないような印象を持っています。とにかく、最近流行の「ピリオド奏法」とか「ノンヴィブラート」とか全く関係ない、現代奏法、現代解釈的で、聴いていてでも身体が自然に踊るような感じでした。
3曲目の「新世界から」。これは、もう何も言う事はありません。
私は、オーケストラのコンサートにおいて、記憶する限り人生で2回目のBravoを叫んでしまいました(1回目は、それも今年、山響のブルックナーの4番「ロマンティック」でした)。『炎のコバケン』と人は呼びます。その理由が今回、更によくわかりました。
コバケンさんの指揮を実際に生で聴いたのは、平成16年11月のサントリーホールでのチェコフィルによるスメタナ『我が祖国』全曲演奏でした。あの時は、ホールが大きい上に席がステージから遠くて、コバケンさんの迫力はあまり伝わらなかったのですが、今回は2階バルコニー最前方で聴いたので、指揮中のその「唸り声」からほとばしる汗、震える髪、などなど渾身の指揮ぶりを間近に拝見できました。
コバケンさんは、本当に熱い指揮で知られていますが、その物腰は拝見する限りはとても謙虚でやわらかく慈愛と尊敬に満ちた眼差しで、楽団員や観客を見ているようです。
私も、昨年、秋の脳外科総会で「新世界から」の4楽章をやりました。フルートトップを吹かせてもらいました。
ですから4楽章は、荒川さんと一緒に呼吸を(息継ぎ)をしていました。数週前に、訪れたドボルジャークの生家、その近くにあった駅舎、線路を思い出しながら、4楽章のSLが走るような出だしを聴いていました。中央ヨーロッパの旅(ドボルジャークの生家)
そして、クライマックス。最後の一音が、「希望ホール」の中に消えて行き、コバケンさんが指揮棒を降ろすまで、誰も拍手せず息を停めていました。そして万雷の拍手。コバケンさんは、観客の方を向かず、まずはコンマス、とコンマスアシスト、セコバイ、チェロ、ビオラの最前列の二人ずつに握手と礼をし、コントラバスのところまで歩いて行って前列二人と握手、指揮台の方に戻りつつ木管群、金管群、パーカッションの団員に礼と賞賛を投げかけて、やっと観客の方に向きなおりました。拍手はその強さをffからfffくらいにあげ、私はここでBravoと声をかけました。コバケンさんがよくやるポーズの一つ、両手をクロスさせるように両胸にあてて、笑顔でのお辞儀。
何回もカーテンコールがあった後、拍手を制するような仕草で面白いように観客の拍手がピタっと止まりました。
一字一句覚えている訳ではありませんが、コバケンさんが一言、あの少しうわずったような高い声で
「みなさま、ありがとうございました!この、嵐のような拍手の中で、わたくし自身、感激にうち震えております。アンコールに、、、」
あれ?曲名忘れました。弦パートのみの演奏で、美しく、静かに、「新世界」の興奮を鎮めるような曲でした。
私がとても感心したのは、アンコールも終わったとたんの拍手ではなく、弦の音がホールに消えて行ってまだコバケンさんが指揮棒を降ろさずじっとしている間、観客は身じろぎもせずにいて、腕を降ろし始めてから嵐のような拍手を始めた事。山形テルサで山響のブルックナーを聴いた時は、残念ながら飯森さんが指揮棒を降ろし始めるよりもかなり前に拍手を始めた人もいて、曲が完結した余韻に浸る暇がなかったのに比べて、酒田の観客は素晴らしい!と思った。

アンコール後も拍手は鳴り止まず、コバケンさんは7、8回は舞台袖と指揮台の間を往復させられるはめになった。最後は、コンマスの西江さんに声をかけて、オケ全員が観客にお辞儀をしてステージを降りることになったが、ほとんどの団員が下がるまで拍手を続けている観客も少しくいた程だった。後で、荒川さんに聞いた話では、最後に団員が全員お辞儀して帰るのは、「日フィル」方式らしく(コバケンさんは本来の日本フィルハーモニーの指揮者でコバケンと言えば日フィルというくらいの関係)、Obの○部さんが「あ、日フィルだ!」と言っていたそうです。また、冗談で、「お辞儀じゃなくて全員でイナバウアーすれば」などと楽しく会話していたそう。こういうことも、終演後に一緒にお食事させて頂いたからこそ聞けた、「内緒話」(内緒になってない!)ですね。

そうそう、何故、このタイトルにしたかと言えば、5/13に「プラハの春音楽祭」でチェコフィル演奏をスメタナホールで聴いた後、食事をした時に、チェコフィルをよく振っているコバケンさんの話がでたのでした。Fgのオンジェが、「コバケン、ファイアー!」と英語で言ったので大笑い。何かの曲のリハの時に、文字では現しにくいのですが、fffのところで、団員に与えたコバケンさんの指示は、「ダァ〜!!ノーォ。」「ドゥグゥバァァァ〜〜〜!!!」と言ったそうです。チェコ語やドイツ語で、「激しく、エスプレッシーボに」とか言うより、よほど熱い想いが伝わると思います。
やはり「炎のコバケン」です。

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2007.06.27

カウンターが、、、

あれれ、あっと言う間に11万件を超えて、もうすぐ111111になりそうです。
もし、111111を踏んだ方いたら、どうぞご連絡ください。
何か、考えます。v(^^)

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2007.06.26

蕎麦「田毎」(酒田)

なんだかグルメレポート・ブログになってしまって様ですが、今日は大好きなお蕎麦の話。
庄内には、「麦きり」といって、讃岐うどんより細く稲庭うどんより太い小麦粉から作った麺が特徴で、美味しい店がたくさんあるのですが、いわゆる日本ソバは(かつては)あまりいい店がなかったのです。

酒フィル団員のある女性なんか、「蕎麦なんて、あんなもの貧しい人の食べ物でしょ」と暴言を吐いたこともあった(酒の席だから許すけど、、、)。
今や、お蕎麦、特に山形の名のある美味しい蕎麦屋に行って、たとえば自家栽培の蕎麦畑から「4たて」(採れたて、挽きたて、打ちたて、茹でたて)のお蕎麦を板ソバ(一人分でも、板に広がっていて量は多め)で頼もうものなら、「蕎麦」のみで一人前1000円以下ということはまずありません。高いところでは、一人前で1500円くらいします。
以前、山形市内の西蔵王という地区の、蕎麦を自家栽培している有名な店に友人と6名で行って、大板(板の大盛り)3枚と板3枚に採れたて揚げたての山菜の天ぷらを2皿頼んだら、28000円くらいしてびっくりした事がありました。それのどこが「貧しい人の食べ物」でしょうね。
確かに、かつて、蕎麦は米が冷害で駄目になった時の備えの雑穀と一緒に、やせ細った土地でも収穫できるものとして栽培されていたと思いますが、今や「高級品」というイメージすらあります。
土地の肥沃な、米どころの庄内では畑で野菜を作る事はあっても、農地を蕎麦畑に転用する事など考えられなかった事と思います。そういう土地柄ですから、信州や山形の内陸に見られるような「蕎麦文化」のようなものはありません。

さて、酒田市内にもわずかながらいい店があります。お隣の旧余目町、現庄内町にも2軒程いい店を見つけました。今日紹介するのは、酒田市内、中心商店街の近くにある「田毎(たごと)」という名店です。
先日、無性に蕎麦が食べたくなり久しぶりに行ってきました。
Tagoto3私は、シンプルに「せいろ」を一枚。といっても、これはせいろの大盛りです。
せいろ一枚は840円で、大盛りは半額の420増し。
よって「せいろ大盛り」は1260円ということになります。
一番粉の切れのよい風味の、粋な蕎麦です。

Tagoto2家内の注文はこちら、「鴨せいろ」です。お値段は忘れました。
鴨はなぜだか「蔵王鴨」と書かれていましたが、そんなブランドは知りません。
でも脂身の適度に付いた、くせのない、臭みのないおいしい肉でした。この鴨肉の入った温かい蕎麦つゆに冷たいせいろの蕎麦をくぐらせて啜り込むと、蕎麦の野菜的な甘い香りと鴨肉の動物的な脂の香が渾然としていい感じなのです。
ここの蕎麦は、私、好きです。

レジには、お店を訪れた有名人の写真が飾ってありました。
先日、映画『おくりびと』の酒田ロケがあった訳ですが(私もエキストラに呼ばれたけれど都合で行けなかった、オケの解散シーンなど)、主演のモックンこと本木雅弘さんがお店の人とおさまった写真も飾ってありました。


さて、このお店のある地区は「日吉町」という歓楽街近くにあります。
そこから歩いて行ける距離に、日和山(ひよりやま)公園というのがあります。江戸時代に西回り航路を開いた河村瑞軒の銅像が建っていたり、北前船が再現されて池に浮かべてあったり、海運業、貿易の町として栄えたかつての酒田のシンボル的な公園です。下を参考に。
「日和山公園」のこと
Todai木造では日本最古のものと言われる「六角灯台」が、公園に移築されて保存されています。この小さな灯台の明かりが、日本海を航行する船にとっては命の灯火として輝いていたのだろうなあ、と当時を偲びながら眺めました。
この日和山公園は、港を望む高台(といっても砂丘の盛り上がったところ)にあり、近くには山王神社や名のある料亭、寿司屋、鰻屋などもあり、かつての酒田湊の賑わいを思い起こさせるものですが、今は静かな、ちょっと寂しい街になっています。

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2007.06.25

夏至+3日

ブログを始めて3回目の夏になる。
そういえば、毎年「夏至」の話題で書いていたのに今年は忘れていた。もう夏至を過ぎて3日目である。
ということは、その分、日の出、日の入りの場所は南に下がって来て、太陽の昇る高さも低くなっている訳である。
昼が最も長く、太陽が最も高い日から3日も「冬」に向かっていることになる。
けれど、季節は「梅雨時」で、サクランボの佐藤錦の収穫期で、これから「夏本番」である。
新居である借家には狭いながらも庭がある。街中から少し外れているので、夜には星がよく見える。
今は半月くらいになっているけれど、1週間程前の新月の頃、夜空には「天の川」がよく見えた。
「夏の大三角」は真上に見える。
それでも、気象天文学的には日に日にどんどん日が短くなって行くのだな〜。
ちょっと不思議。

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鶴岡の街

庄内地方の2大(小?)都市、酒田と鶴岡。
なにかと地元の人はお互いを牽制したり厳しく評価している。
酒田の人は「鶴岡の人だば、ニコニコしででも何考えてっがわがんねもの」と言うし、鶴岡の人は「酒田の人はの、気が荒いっていうがの、、、何とも言われねのぉ」などと仰る方もいます。こんな狭い土地「庄内地方」で何を言い合っているのかと、よそ者は思うのですが、これには歴史的背景がありますから簡単ではありません。
鶴岡は、藤沢周平作品でおなじみ「海坂藩」のモデルになった「出羽庄内酒井家」が代々殿様をつとめる庄内藩がありました。酒井家は『徳川四天王』の一人酒井忠次を藩祖とする由緒ある譜代大名のであり、鶴岡市中心部にある「荘内神社」は城跡です。酒田に亀ケ崎城という枝城を持っていました。
一方の酒田は、商人と貿易と漁師の街で、日本一の大地主として知られた「本間家」や 『日本永代蔵』にも登場する「鐙屋」は今でも観光名所となっています。このあたりの歴史については以前にも触れているので、そちらを参照にしてください。
「2005.11.11『歴史と人』」へどうぞ。


Yukifuru1さて、先日の「寿司の長三郎」の後、近場を少し回ってみた。実は、鶴岡市の荘内病院には昭和61〜63年の2年間と平成9年の約半年の2回、勤務した事があるので、鶴岡の街は結構知っている。
「鶴が岡城」の跡地である荘内神社のある公園に行ってみたところ、以前はなかったものを見つけた。
写真の(見にくいですが)「雪の降るまちを」の歌詞の書かれた碑とセンサーが人を察知すると『雪の降るまちを』の旋律が自動で流れる装置があった。
Yukifuru2最近更新がなかなかできない「音ブログ」ですが、『雪の降るまちを』をフルートで演奏していますので、良かったら聴いてみてください。
balaineの音ブログ「194. 雪の降る街を」へどうぞ!
この公園の隣には、旧藩校である「到道館」など興味深い建物があり、向かいには慶応大学鶴岡キャンパスや裏には鶴岡一の進学校である鶴岡南高校などがあり、落ち着いた雰囲気の良いところです。

Catholictsuruoka今は、近所に新築移転したのですが、旧の荘内病院があった地区に大変有名なカトリック教会があります。
実は私はここを訪れた事がなかったのですが、先日のヨーロッパ旅行で教会をたくさん見て来たこともあり興味がわきました。併設する幼稚園を横目に、教会の中に入ってみました。

Catholic2こじんまりとした可愛らしい木造の教会で、礼拝堂は畳が敷き詰めてありその上にパイプ椅子が並べられていました。写真のように、小振りながらちゃんとしたパイプオルガンもありました。国の重要文化財に指定されています。

Kuromariここの教会が有名な理由の一つである「黒いマリア像」。残念ながら現在修復中であり、その写真だけ飾ってありました。
明治時代に建てられたこの教会に、フランスの修道院から黒いマリア像が送られて来たのだそうで、「黒」と言っても正確には木造のチョコレート色である。しかし、キリスト教が中東にその発生地があるにもかかわらず、主にヨーロッパの白人の宗教として発展して来たためか、世界中でマリア様は白人女性的に描かれ塑像されて来た訳であり、この鶴岡にある「黒いマリア像」は歴史的にも大変興味深いものである。

鶴岡には、まだまだいろいろ興味深いものがあるが、今日はこの辺にしておこう。

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2007.06.24

カウンター新設しました

このブログを始めたのは、2005年の1月のことでした。
すでに2年半が過ぎようとしています。
バックのデザイン以外にはあまりこだわっていなかったので、ココログの「設定」の方もあまり注意してみていなかったのですが、いつの間にかアクセスカウンターをサポートするようになっていました。
「アクセス解析」は以前から、たまにしていました。誰が(人はわからないけどIDがわかる)、どのコンピュータから、いつ、どこを経由してアクセスしてきたかがわかります。
変なコメントやTBをしてきても、それを投稿したパソコンが特定できます。
さらに、ココログに「報告」して、こちらが不適格と判断したIP adressからのアクセスは制限することもできます。

ということで、これまで全部でいくつのアクセスがあったのかは知りませんでしたが、ココログ側で私のこのブログへのアクセス総数は把握されていたわけです。

すでに10万件を超えておりました。
ちょうど100000アクセス目だった方、誰かな~。
ま、何も出ませんけど。

というわけで、今頃になってアクセスカウンターをつけてみました。

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2007.06.23

カレーのALBA(酒田)

食べ物の事ばかりで恐縮です。
医療関係の事を中心に書いていたブログですが、少々趣味と食べ物に偏重して来ていますね。

先日、酒田市内のゆたか町にあるカレー屋さん「Alba」に行ってきました。
酒田市内には、本格的カレー屋さんが2軒(うち一軒は夫婦ともインド人)があるのですが、Albaは全然本格的カレーではなく、どちらかというとバラエティカレーで、 全国チェーン「CoCo○番屋」みたいなメニューです。
しかし、カレーは濃厚でカロリーが高そうな上に、大盛りのボリューム、そして全部入れると100はある豊富なメニューが売りです。
Alba1ということで、早速、食べたカレーの紹介です。
これは家内の注文した「ハンバーグ入り焼きカレー」。
ハンバーグがのったカレーは珍しくありませんが、それにチーズを載せてオーブンで焼くんです。
熱々で美味しくて、超高カロリーです!


Alba2こちらは私の注文した「ダブルカツカレー」です。
最初は違うのにしようかと思ったんです。
が、「ヒレカツ」に惹かれて、更に「ダブルカツ」というまたまた超ハイパー激高カロリーメニューを選んでしまいました。
メタボリへの道を着実に進んでおります。
運動しなくちゃ。。。

お味は、濃厚こってりカレーは、インドカレーなどのような本格的カレーではありませんが、ホテルのカレーと給食のカレーの中間くらいの絶妙な庶民風カレーで、その上半端じゃない量でした。
大満足です。
酒田って、港町でもあるので、なんだか食べ物の量が多いのです。
ラーメン屋さんに言っても、大、中、小とありますが、小で普通のラーメンより少し少ない位で、中はやや大盛りという感じです。「大」なんて選んだら普通の人は食べきれない可能性もあります。

ということで、Alba、いつも混んでいて、地元の人に愛されているいいお店です。

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2007.06.21

寿司の長三郎(鶴岡)

私はグルメではないが、食いしん坊である事は確か。
旨いものがある、いい店がある、と聞くと駆けつけたくなる。
「蕎麦好きは遠きを厭わず」と言う言葉ある。
確かに、おいしい蕎麦があると聞けば、上山、南陽、新庄、大石田、村山、その他山奥、いろいろ行っている。

今回は、寿司。
寿司は、関西系の押し寿司も大好きで、特に「鯖棒寿司」なんて言葉を聞いただけで涎が出そうである。
江戸前握り寿司も大好き。ネタは何でも好き。特に「光り物」には目がない。
鶴岡、酒田を始め庄内には旨い寿司屋が異常な程多い。異常というのは、人口の比率にして多すぎるし、それがそこそこ成り立っている。更に、安くて旨い店が多い。やはり、目の前に日本海があり新鮮な、そしてバラエティに富むネタが手に入る事が大きい。
愛する鳥海山も大きな存在である。
山が海の幸に関係あるのか、というと、大有りくいむしである。
鳥海山は夏でも雪が残っている。原生林の中にしみ込んだ雪解け水は、四方に滋養豊かな川を作る。
庄内米ササニシキ、特に最上川より北側の、鳥海山からの伏流水や川の領域に米がうまいのは鳥海山の御陰である。(漫画「美味しんぼ」にも庄内米ササニシキの旨さの事が書かれてあったと思う)
そして大好きな大きな「岩ガキ」。
これこそ鳥海山が生んだものである。
遊佐町吹浦や裏松島と呼ばれる秋田の象潟(遊佐のすぐ北)では、鳥海山の伏流水が海の底から沸き上がってくる。海水浴場にそのわき水が出るところもあるが、とても冷たくてみんなそこでスイカを冷やしたりしている。
この滋養豊かで冷たい水が、ここ庄内の岩ガキを「夏」の食べ物にしている。
普通、牡蛎はRの付く月に食べるもの、夏は危険と言われているが、ここでは逆なのである。

さて、話が脱線しすぎたので寿司に戻る。
Sushimise今回、初めて伺った、鶴岡市の中心部、市役所からも歩いて数分のところにある、『寿司の長三郎』。元は温海町に店を構えていたらしい。ここを知ったのは、庄内の旨いものを紹介している幾つかのブログの御陰。

Suchihachi平日の昼間やっている「ランチタイム」の大出血サービスメニュー「開運丼」。
開運橋とたもとにある店なのでこういうネーミングなのでしょう。
2階のおお広間に案内されると、まず入り口に丼がおいてあり、小、大、特大がこのように900, 1200, 1500円と表示されている(最近100円ずつ値上がりした模様)。自分の好みの丼サイズを注文すると、お店の方ですし飯を入れて持って来てくれるシステム。

Sushi1私は「大」、家内は「小」を注文。このように、刻み海苔が敷いてある。まあ、見た感じ「妥当な量かな」と最初は思う。あとはセルフサービスで、ここに寿司ネタを盛り込むのである。

Sushibuffetホテルの朝食のビュッフェのように、寿司ネタが並べてある。この日は、目玉が地物の「メバチマグロ」だった。他に、地物の大きなヒラメに、マグロの赤身、アジ、何か白身の魚(すみません、わかりません)、イクラ、トビッコ、貝(トリ貝?)、甘エビ、タラバガニ(ゆでたもの)、卵、あと何種類か覚えていません。それにワサビとガリが置いてある。

Sushi2どんなに盛り込んでも載せられるだけ載せて自由にネタを選べる。たとえば、イクラが大好きならイクラだけ、他に何も載せなくてイクラだけ丼からこぼれる直前まで盛る事も可能だろう。
まあ、普通は海鮮チラシというかんじにするのでしょう。
私の丼。
性格が現れます。好きなだけ載せていいのだからと、一つのネタを平面ではなく、上に、狭い土地に高いビルを建てるように積み上げています。少し見えるイクラも、後でわかりますが、実は下の方に敷き詰めています。

Sushi3こちらは家内の方。控え目に美しく「小」の丼に「大量に」盛り込んである。イクラと赤身が好きだという嗜好が出ていますか?
見た感じは、「余裕」で食べられそうですね。
これで900円!
Sushi57階建て位になっていた、ネタをまず「どかす」ために刺身として食べて行きます。結構ぱくぱく食べて、少し海鮮丼らしくなったところで、撮影。
どこが減ったんだろ?卵1個食べただけ?って感じです。

Suchi6ここからは、ガツガツと食べて行かないとなかなか減りません。
お上品に頂いたのでは「開運丼」に申し訳ない。
結構食べたな、というところでこんなものです。
家内は、もう「苦しくなって来た」と言っています。
店の名誉のためにも、ネタもシャリも美味しいのですよ。ただ、多いだけです。(笑)

Suchi4やっと寿司飯も見えて来て、「お刺身」という感じではなく、海鮮丼として食べる事ができました。
そして、最終段階で見えるのは、最初に敷き詰めたイクラ。これだけでもイクラ丼を食べている途中のように見えますよね。

Suchi7そして、ようやく完食です。
胃が、(もともと大きいけど)また大きくなりました。
忘れていましたが、ガサエビのお味噌汁も付いてきます。これも美味。
家内は、大好きなイクラは頑張って食べたものの、シャリが少し残りました。
子供の頃から、お百姓さんに感謝して米粒一つ残さず綺麗に食べるように躾けられて来た私としては、丼に残されたシャリが可哀想でなりません。
苦しいお腹を我慢して、家内の残したシャリも頂きました。
ごちそうさま〜!

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2007.06.20

山形弦楽四重奏団藤島公演

6/16(土)、鶴岡市の旧藤島町役場すぐそばにある「東田川文化記念館 明治ホール」での第55回演奏会は、私の愛する「ヤマゲン」こと「山形弦楽四重奏団」のコンサートでした。
Fujishima1ここは、旧藤島町の町役場、昨年合併した新鶴岡市の藤島庁舎の一部で、「東田川文化記念館」という名称です。
2つの明治時代建設の建物の一つが「旧東田川郡会議事堂」と言われており、その2階を通称「明治ホール」と呼んでいて、オール木造の建物がかえって弦楽器を主とした室内楽にぴったりの響きの良いホールと言われているようです。
「ヤマゲン」が主たる演奏会場としている、山形市の旧山形県会議場の「文翔館議場ホール」は一部石造りであることと、椅子を一杯に並べれば300名は入る会場で、響きも雰囲気もだいぶ違いました。
「明治ホール」は、パイプ椅子をぎっしり並べても150名はいるかどうかと言う感じで、天井も高くないのですが、残響時間は長くなくても木の響きが柔らかく豊かな感じでした。(自宅に音楽ホールを造るのの参考になるかも、などと考えながら見渡していました)。

演目は3曲。
1)モーツァルト:セレナード 第13番 ト長調 KV.525、通称「アイネクライネナハトムジーク」
2)佐藤敏直:弦楽四重奏曲のための「モルト・アダージョ」
3)ドボルザーク:弦楽四重奏第12番ヘ長調 作品96「アメリカ」
アンコール2曲
「おぼろ月夜」、「春よ来い」(だと思った、、、)

Yamagenfujishima写真は、プログラム終了後、花束贈呈が終わってアンコールでの演奏中の「ヤマゲン」です。会場の響きの心地よさ(単に響きがいいとか、残響が長いということではなく、「合う」という感じ)と観客の暖かさに、メンバーもノリノリの笑顔で演奏されていました。

2曲目の「モルト・アダージョ」以外は超有名曲です。
「アイネク」は、1st Vn.があんなに大変なんだ、とライブで聴いて初めてわかります。チェロやビオラは余裕でモーツァルトを楽しんでいる感じなのに、Vn.は忙しいんだな〜。
「アメリカ」は、私、以外に弦楽四重奏を生で聴くのは生まれて初めてでした。
「アフラートゥス木管五重奏団」が十八番にしていて、CDにも入れているし、庄内町「響ホール」のでコンサートでも2回演奏しています。だから、変な感じですが、String Quartetを聴きながら「あ、ここはオーボエだな」「ここはフルートだ」「チェロはホルンとファゴットで分担してるのかな?」などという、捻った聴き方をしてしまいました。
緩徐楽章である2楽章の有名な1st Vn.の旋律に寄り添うような2nd V.の「おいしい」感じも、観る事によってよく理解できるんだな、と思いました。K嬢もノリノリでした。
(余談;アフラートゥスの「アメリカ」を聴いてみたい方は、ExtonのCD『Sings Czech』がお勧めです。特に2楽章のヤナのオーボエに泣きそうです、時折主張するバボちゃんの柔らかいホルンにも心が震えます。もちろんオンジェのファゴットも素晴らしく、ロマンのフルートも美しく、ヴォイターのクラも魅惑的。素晴らしいアンサンブルです。)

2曲目の「モルト・アダージョ」。
ビオラがノン・ヴィブラートでゆっくりテーマを奏でると、チェロが「ブン!」と間の手をうつような感じで、非西洋的な香り、あえていえば東北の民謡的な雰囲気をしっかり持っています。4つの楽器で奏でる不協和音や激しいピチカートが鮮烈で心の奥の方にググンと入って来るように感じます。
そして、鎮魂的に静かに終わります。
鶴岡市出身の作曲家佐藤敏直(1930-2002)は、慶応大学工学部卒の異色の作曲家。
彼がニューヨークでピカソの『ゲルニカ』を見たときの衝撃と、丸木美術館の丸木夫妻の原爆の図と重なって、レクイエム的な発想で作られた曲ということでした。4月にヤマゲンの第23回定期演奏会(文翔館議場ホール)で取り上げられ、おそらく山形初演でした。その際には、作曲者佐藤敏直氏の未亡人も演奏会にいらっしゃってました。私は、実はこの方のことは存じ上げず、4月の演奏会で凄い方だったのだと初めて認識したのです。
今回、私自身聴くのが2回目だった事、「ヤマゲン」も2回目の演奏でより深い理解とアナリーゼがされていたような印象でした。
いい、演奏、でした〜(森本レオ風に)

主催者など藤島地元の方々と演奏会終了後に打ち上げがあり、庄内特産の「特大岩ガキ」など地物の食材や酒に舌鼓をうたれたとのことが、メンバーのブログに書かれていました。
ヤマゲンの男性3名は山響奏者でもあり、オケでもいつも素晴らしい演奏を聴かせてくださっています。紅一点のK嬢は、山響のコンサートにもトラで出たり、地元の大学オケの指導をしたり、いくつかのアンサンブル、ジャズセッションはもちろん山形以外でも幅広く活躍されている魅力的な方(しかも家の奥の後輩)。
昨年、山形市でうちの教授が会長として主催し、私が事務局長として雑用係をやった全国学会3つのうち、2つでは『会長招宴』というフルコースのディナーパーティをやりました。その2回とも、K嬢に、そしてヤマゲンメンバーにお世話になりました。パーティの合間に(お客様のお迎え、乾杯後の談笑時間、お帰りの時など)素晴らしい弦楽四重奏を奏でてくださいまして、パーティの格調を5段ぐらい高くして頂きました。
私も、地元の、知り合いの奏者を列席者に英語で紹介しながら、「鼻、た〜かだか!」という感じだった事を思い出します。
これからも、庄内でも演奏会を開いて頂きたいものです。


さて、9月の第56回明治ホールコンサートは、フルートの山形由美さんだそうです。
昨年でしたか?東京駅のロッカーに置いたフルートが盗難にあって、幸いすぐに見つかったと話題になりました。その24Kフルートの音が聴けるのだと思い、今から楽しみです。(なんじゃ、そりゃ!)

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2007.06.19

☤投票:脳外科開業医に関する調査(その4)

久しぶりにまたアンケートです。
脳神経外科医として、地域医療に貢献すべく、「脳神経外科、神経内科、内科・循環器科、(心療内科)」を標榜して開業する計画です。
候補地が決まりそうで、上手く行けば年内に開業できる見込みとなってきました。
そこで、私の医院の名称をいくつか考えているのですが、それに関して一般市民の方のご意見を伺いたいと思います。どうぞ、 balaineのセカンド・ブログ「開業アンケート(4)」へ飛んで、投票をお願いします。
選択し5つの中にあう答えがない場合は、コメント記入をお願いいたします。

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2007.06.18

今日の新聞記事から

まず、地元の山形新聞20面。
ボリジさんのコメントにあったように、今年8/16~19の4日間、酒田市で開催される「第31回全国アマチュアオーケストラフェスティバルin やまがた酒田」の実行委員会が、昨日、酒田市民会館小ホールで開催され、私も参加してきました。
私は、「街角コンサート」(今大会で今までとは違うユニーク企画)の中の招待ピアニストファルカシュ・ガボール氏のお世話係という軽い役ですけど、大会名誉総裁高円宮妃殿下も酒田にお出でになるご予定ですので、委員会には大会長である県知事の名代として庄内支庁長や副会長の酒田市長も参加して真面目に行われました。
酒フィル団員による、弦楽四重奏とクラリネット五重奏が会の始めと終わりに演奏され雰囲気を盛り上げていました(この四重奏、五重奏には「タビの親父」さんも参加されていました)。
このブログでも何回かこのフェスティバルの事は書きました。
オケAとオケB合わせると300名近いメンバー。
オケBがやるマーラーの交響曲9番は、全曲1時間40分にも及ぶ超大作。
指揮者もコンマスも豪華ゲスト。
この8/19のオーケストラコンサート(オケコン)以外にも、毎日のように酒田の街中で(ちょっとした中心街の広場やデパートの1階とか、山居倉庫のレストラン脇とか、小さな会場が多いのですが)アンサンブルなどがあり、ファルカシュ・ガボール氏によるピアノの公開マスタークラスもあります。

移り住んで感じる、酒田、庄内の衰退。
山形県自体が人口減少で120万人を切るとか切ったとか言われています。酒田も昨年隣接3町と合併したにもかかわらず10万人ちょっとしかいません。
元気なのは、幅広い意味での外食産業。「アル・ケッチャーノ」や「ブリラーノ」などは予約必須のお店でぶらっと行って入れる事は少ない位。「酒田のラーメン」は結構人気があって、土日の昼時などは店の前に行列もできています。有名な「さかた海鮮市場」内にある「海鮮どんや とびしま」などは、1050円でこんな凄いの!という新鮮な大量のネタの載ったどんぶりを目がけて、県外からも人が来ます。朝7時開店で、早く行けば大丈夫なようですが、土日の昼時なんか行っても1時間待ちくらいの行列ができています。
ところが、街のど真ん中、中心商店街やデパートには、何か特別な催しでもない限り、「酒田ってこんなに人がいないの?」と心配してしまう程、日曜の昼でも人が歩いていないのです。
上に書いたように、有名な食事所には東京からでも人が来るのに、街の真ん中には人が寄り付かないのです。
たいていは郊外の大型量販店(あのIグループのJという店など)に人が流れています。これは、酒田に限らず全国的に地方都市が陥っている、中心商店街衰退化ですね。

昨日の実行委員会には、酒田市の商店街、商工会議所、物産関係の代表者も参加されており、この音楽のフェスティバルで庄内一円どころか県内はもちろん、県外からも400~500名の人が集まる事に多いに期待しているようなのでした。


今日の読売新聞の1面の「理不尽な親 学校苦慮」と言う記事。
前から話題になっている、理不尽というか「病気」としか思えないような親に苦労してうつ病にまでなってしまう学校教師、教育現場の事。
「頼んだ覚えはないから、給食費など払わない」
「お金を払っているんだから子供に「いただきます」や「ごちそうさま」を言わせるな」
という偉い親御様からの依頼は笑い事クラスなのでしょうか。
「うちでは、こどもに掃除をさせていないので、学校でも掃除はさせるな」
「こども同士のトラブルに対して、「相手の子供をどこかに転校させろ」と依頼」
「こどもが自転車で軽い人身事故を起こしたら「学校の自転車指導が悪い」と主張」
などなど、枚挙にいとまのない問題外の言動。
こういう親がいるからそういう子供が育つのでしょう、という感じである。
以前、ブログにも書いた理不尽な患者さんもこれに通じるものがあるが、学校の現場ではこういった親に対してもまず「話を聞く」「真面目に対応する」という事で頑張っているように、病院ではどんなに理不尽でも「患者様」として真摯に応対するのが基本となっています。
今、ちょっと精神関係の病院でも仕事をしているのですが、上記のような話を聞くとここの患者さんの方が話の内容は筋が通っていてまともです。

これらの親御さんは、精神神経科を受診させてきちんとその精神状態を診てあげる必要があるのではないかと思うくらいです。もし、精神的に異常がないのであれば、こんな人が増えて行くこの日本という国は「うつくしい国」になどなり得ないと思います。
「美しさ」というのはいろいろありますが、見かけというのももちろん大事なのですが、こころ、精神の美しさがなければ、日本は美しい国になどなるはずがありません。

郊外型量販店は、広大な土地に広い駐車場と、地元の行政や土建業界と結びついて有利に店舗を展開し、周辺の地方都市の伝統ある中心商店街や歴史ある老舗の文化を破壊し利益を吸い取って成長しているモンスターのように私には見えます。
その、得た利益を、大きく「地元」に還元してもらいたいものです。
地元の文化、教育、福祉への還元を期待したいところです。
アマチュアオーケストラの祭典は、自分が好きだからやっているオケや音楽の活動を広め友好を深めるために、地元のオケ団員が、本来の仕事をしながら平日の夜や休日に集まって会議をしたり手紙を送ったり楽譜をコピーして送ったりボランティアでやっています。
好きだからやってんだろ、と言われればその通りです。県からも、市からも、JAOからも助成金は頂いています。しかし、たとえばそういった、中心商店街を衰退させる大きな要因となっている大型店のグループなどから目に見える形で何らかの貢献をして頂いているかというと、何もない、というのが実状です。

中央資本の経済活動が、日本の、特に地方の文化を衰退させる事のないように願いたいものです。

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2007.06.15

オークモント

第107回全米オープンゴルフ大会が始まった。
タイガー・ウッズに史上二人目の『トリプル・グランド・スラム』がかかっているそうである(もう一人は帝王ニクラウス)。

ゴルフに興味のない人には、「ふ~ん」という話かもしれない。
私も、一時熱中したゴルフに2年近く行っていないが、朝早く起きたのでテレビをつけて観た。
今回の会場を知らなかったのだが、なんだか見覚えのあるクラブハウスが写った。
リスがゴルフボールを抱えた可愛らしいクラブのマークも出てきた。

間違いない!
新聞には「ペンシルバニア州」としか書いてなかったが、これはOakmont Country Clubである。
1992年、米国ペンシルバニア州ピッツバーグのUniversity of Pittsburgh Medical Centerの脳神経外科、特に漫画『メスよ、輝け!』にも登場したPresbyterian University Hospitalに留学勉強中のこと。
ピッツバーグ市郊外の自宅から車で15分くらいの名門ゴルフ場、「オークモント・カントリークラブ」で全米女子オープンゴルフ大会が行われ、当時高校を卒業したばかりの福嶋晃子さんを応援して練習日から4日間連続で通った。このことについては、昨年7/11に「バレーヌのこと」という記事を書いたので参照してください。

あのゴルフ場にはアメリカに遊びに来た親を連れて行ったり何度か足を運んだ美しいコース。
イギリス風の作りのクラブハウス、何よりも可愛らしいリスのマーク。
ああ、なつかしい!
中継を見る限り、結構バンカーが効いている。
たしかコースそのものが難しくあまりバンカーのないコースだったように記憶しているので、多少手を加えて変更したのだろう。
グリーン周りやグリーンの難しさは変わらないようだ。
タイガー・ウッズが「4日間パーか1オーバーペースで行けば優勝圏内だろう」と言っているくらいだから、相当なものだと思う。

早起きしてテレビを観る楽しみができてしまった(昨日、ようやく自宅に「光」が来たので、夜更かしもしそうですしね~)。

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2007.06.12

新規開業に向けての気持ち

4月一杯で永らくお世話になった大学病院を退職しました。
それから早くも1ヶ月以上経ちました。
大学を辞めたのは様々な理由があり、一言で説明はできません。
アマチュアオーケストラなどでの音楽活動に時間を割きたいということは、真面目で大きな理由です。
でもアマオケの仲間からは、「こんな(レベルの低い)アマオケのために助教授職を捨てるなんて、、、」とも言われました(心配してくれた訳ですが)。

今、ちょうど6月号のAsahi Medicalという雑誌の『医師の過労死裁判』という特集を読んでいました。
真面目な医師(特に勤務医)は、過剰な勤務に耐え、「ノブリース・オブリージュ」という言葉を胸に献身的に働き、病院やそれを管理する自治体、国などからは、給与や手当を減らされても耐えて働いてきました。研修医の都会集中、一部病院集中なども影響した医師不足による仕事量の増加に逆行する労働環境の悪化と給与の引き下げ。
こういった「仕打ち」のような事に加えて、マスコミや世間の医師批判、病院批判。
市民から尊敬され慕われ頼りにされるからこそ、苦しくても忙しくても夜中でも風呂に入っている時でも連絡を受ければ仕事に向かっていた勤務医は、だんだんやる気をなくして来ています。
まだまだ頑張っている人も多いですが、本当に「立ち去り型サボタージュ」は現場で起こっています。

私の場合は「立ち去り型サボタージュ」ではないと自分では考えていますが、第3者の目から見ればそのように見えるところもあるかもしれません。忙しく、責任が重く、上から厳しく指導され、下からも突き上げられ、世間の目も厳しくなって己を律する度合いが更に強くなり、自分の時間がなかなか持てず、その上安月給で、、、
これらから「逃げる」ために開業しようと言う訳ではありませんが、「どんなに歯を食いしばって働いても、労働環境が我が味方となるように変わって来る気配はなく、どんどん逆風に曝される一方」で、学問的にも行き詰まりを感じ始め、新しい研究への意欲が減退し、一時国内をリードしていた手術や技術にも「この先、これだけでは面白くない」という閉塞感を感じていた事は事実です。

仕事が楽しければどんなに忙しくてもある程度は我慢が可能です。
週7日のうち7日間、つまり毎日病院に来て、およそ週70〜80時間働き、残業(と言う設定は国立大学附属病院にはありませんが)というか時間外労働(これもピンと来ない)だけで週に30~40時間、月にすると150時間くらいの時間外労働をしていても、その手当はほとんどなく、私が大学からもらっていた給与は月30〜45万円程(前年の年収に応じて所得税なども変わり、当直の有無によって追加の手当も変動するため、結構幅がある)でした。
それでも、研究や新しい検査、技術、手術の開発、そして学会発表など仕事に燃えました。楽しく頑張りました。しかし、ある程度自分に限界が見え始め、この状態を続ける事の虚しさを、世間の目の厳しさと私個人への批判、非難から強く意識するようになり、趣味であり生き甲斐でもある音楽へ時間を割く事の困難な状況を打開するためには、大学を離れるしかない、個人の責任のもとに開業して、個人の責任で趣味に時間を割くしかないと真面目に考えたのです。

「開業医は儲かる」という安直な考えはまったく持っていません。全然逆です。
今は、そういう時代ではないのです。
確かに一時代昔は、開業して患者さんがばんばん来て繁盛しお薬をたくさん処方すれば、「だから開業医はね、、、」という事もあったそうですが、今は「医薬分業」ですし「診療報酬改定(減額に継ぐ減額)」によって、開業医のメリットは減少しました。それでも、勤務医よりは開業医の平均収入はずっとずっと多いのですが、開業医は個人経営者、個人事業主ですから、自分が倒れたら「おしまい」です。開業するのに、誰もお人好しに助けてはくれませんから、ビジネスとして初期投資のための多額の借金をし、それを20年とか25年とかかけて返済して行かなくてはなりません。その間、医院を回転し維持し更に増改築したり新しい医療設備を整えるのにも、全て自己責任で借金をして導入する訳です。
ですから手にする収入のほとんどは、初期投資、維持、将来の整備のために消えて行き、手元に残るのはわずかばかりと言う人もいます。特に、専門性を活かすために、CTやMRIを導入しようとすれば、安い器械で2000万円、高いものでは2億円もする医療器機です。

Uクリニックの院長に、「一緒にやろう」と誘われたのは、そういった初期投資のリスク、準備にかける時間、そして必死に働いて借金を返済するために失われる自由な時間(=音楽への時間)を回避する事が大きな目的だったのです。ところがそのUクリニック自体がうまく立ち行かなくなりつつあり、私の立場も微妙になりました。
それならば、もともと考えていた通り、個人で事業主となって開業しよう、多額な借金が必要であるけれど自分の夢や計画もきちんとプランを建てて考えれば大丈夫そうなので何とかやってみよう、という状況に変わった訳です。
まあ、自己弁護につぐ自己弁護みたいですが、大学病院を辞め勤務医生活に終止符を打ち、個人開業を目指すという経緯は、今回解説した意外にもたくさんに要因がありますが、このような事によるものなのです。

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2007.06.07

名月荘ムーンライトコンサート

平成19年5月2日、GWのただ中というか、5/3からの連休直前、上山の有名な旅館『名月荘』で、毎月行われているムーンライトコンサートを目的に宿泊した。
平成15年には、(先日結婚されたばかりの)フルート奏者高木綾子さんの「ムーンライト・コンサート」を聴きに行った。
通常のホールでのリサイタルなどと比べ、30人も入ればいっぱいになるような蔵のなかでのサロン・コンサートで、奏者にすぐ手が届く距離での演奏会。なかなか普通では観られない光景であるし、距離的にも心情的にも観客と演奏者がとても近く親密に話ができたり、一緒に写真を撮ったりサインをもらったりできる点も非常に魅力的である。しかも、奏者は同じ旅館の中に宿泊しなければ帰る手段もない。翌朝、チェックアウトしようとすると、演奏者に会って、また挨拶したりする事も普通のコンサートでは考えられない。

Photo_11この日、演奏はN響のハープ奏者である早川りさ子さん。伴奏というか、マリンバとピアノが竹島悟史さん。この方もN響のパーカッション奏者であり、N響アワーなどで時々お見かけする。
りさ子さんは、先日の記事(4/22、ゲーリー・ショッカーを聴く)にも書いた、日本脳神経外科学会オーケストラ団指導者兼指揮者の早川正昭氏のお嬢さんでもある。

Risakomeigetsusou1ピアノならばこのサロンに置いてあるけれど、ハープはそんじょそこらには置いていない。今回、りさ子さんは千葉の自宅から自分の車に積んで自ら運転して上山まで来られたのだ。
演奏開始前に慎重に調弦を繰り返す。移動して来ているし、田舎の山の中腹のようなところにあるので湿度なども変化し、狂いやすいはずである。
竹島さんは、マリンバを持参。マリンバというのは、とても大きな楽器で、12個くらいの部分に分かれるらしい。
それをやはり車に積んで自ら運転して来られたのだという。
なんでこんな話がわかるかというと、翌朝、温泉の浴場で竹島さんと一緒になったのだ。
これも、こういう温泉旅館の泊まりがけサロン・コンサートでなければ考えられない。
お互いの出身地などの自己紹介をしたり、楽器や演奏会の話などを湯船につかりながらするという貴重な経験をさせて頂いた。

演奏会は、目の前で聴くハープの音色、特に結構大きく響く低音に圧倒され、きらきらした高音にうっとりし、半音の変化を付けるための7つのペダル操作を目の当たりにして、ハープ奏者の演奏の大変さがよくわかったとともに、グルディ、ファルカシュなどの初めて聴く作曲家の名前、名前は知っているけれど初めて聞いたヒンデミットの「ハープのためのソナタ」など新鮮な驚きとこの非日常感の連続が楽しかった。

この旅館は、何年か前にテレビ局で正月などに良くやる「日本の名旅館」番組で、上位に選出されたこともある有名旅館。全室数寄屋造り風離れで、ちょっとアジアンなテイストがいろいろなところにつけてある。
お料理も良かった。
Photo_12せっかくの
サロン・コンサートだからと着物を持参した家内。
先日、3/31の『オーケストラの日』に指揮者飯森範親さんの前で着ていて「お!着物ですね!」と言われた時に締めていた帯。高いものではないけれど、ウサギがオケの楽器を演奏している楽しい絵柄です。
この帯は、ヨーロッパ旅行には持って行きませんでした。

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2007.06.06

♪⑩「中央ヨーロッパの旅」:5月15,16日、帰国

5月15日(火)、最終日(10日目)。
ついに帰国の日を迎えた。
ウィーンからオーストリア航空機で成田へ向かうため、まずプラハからウィーンへ飛ぶ。
プラハ発11:50なのでホテルは9時半に出る事にした。
Palacepraharofufuホテルパレスプラハで3回目の朝食。
チェックインした日にエレベーターで挨拶を交わした老夫婦。毎朝、顔を見かけ、挨拶も交わした。
ほんの短い会話であったが、「日本は綺麗な国だ」と背の高い、元軍人っぽい(勝手な想像)ご主人の方が言っていた。「美しい国」という標語があるが、綺麗な、美しい国である事は認めるが、美しくない面もたくさんある。
特に人間の心が美しくなくなって来ているのが現在の日本である。
いくら、京都や奈良や鎌倉が美しく、東京や横浜が近未来的で、自動車や電化製品が優れていても、「こころ」が美しくなくなってはだめなんじゃないの?と、子供でも思う事であろう。。。

Prtowiさて、プラハからウィーンは双発プロペラ機。ボンバルディアではないだろうが、今度は前から乗り込むタイプ。
往復がビジネスクラスなので、このプロペラ機から「ビジネス」である。しかし、シートは通常と何らかわりなし。
Businesspra違ったのは、サービス。ドリンクとフードのサービスが違った。それと優先搭乗でさっさと乗れた。
プラハを発って40分もすると、もうウィーンである。
プロペラ機で1時間かからない距離というのは、山形ー東京よりも近い。それが隣の国の首都である。
あらためて、中央ヨーロッパの狭さと隣国との関係や歴史の事を考えてしまう。
Wienair1もうすぐウィーン空港に着陸というところでドナウ河を越えるところを機内から撮ってみた。
あとから、Googleの地図などで確認してみると、この写真でプロペラの間にドナウ河が二重の運河になっている部分、その上手に見える緑の地域が「ゴルフクラブ・ウィーン」やUnetere Praterで、その少し上方がリンクなどウィーン旧市街地と思われるが、さすがの聖シュテファン教会もわからない。多分、この辺でしょ、と言う感じである。

さて、ウィーン空港に着いて、成田への飛行機に乗り換える訳だが、搭乗までの40分くらい、特に何をする事もないので待合室で待つ。その間、携帯でクリスチーナやロマンやオンジェやデュシャンにメールや電話をかける。
メールをチェックすると、ちょうど日本からも3件メールがあり返事をする。
さて、搭乗。着たときと同じエアバス300系なので、それほど大きな飛行機ではない。

Fromsleepビジネスのシートはこんな感じ(全体は写っていませんが)。
フルフラットにはならないけれど、頭から足先までが30~40cmくらいの高低差を持ってほぼまっすぐにはなる。
これがスリープモード。
右下の、リモコン(ビデオや音楽用)と眼鏡が置いてあるところの手前にシートのコントローラーがある。

帰りは偏西風の影響もあり、10時間半くらいのフライトであったが、それにしても楽しみは映画と食事くらいしかない。あとは酒でも飲んで寝るしかない。
Fromyoshoku1食事は、アペタイザーからいろいろ出た。スープにサラダ、そしてメイン。私のチョイスは洋食の鶏肉。結構いける。
ワインは今回はイタリアワインをチョイス。
これも美味い。

Fromwashoku1家内のチョイスは、和食。豆ご飯ととんかつ(の卵とじ)。和食も前菜にスープにいろいろ出た後がこれ。そしてデザートもある。コーヒーは、10種類くらいのウィーンのカフェ風コーヒーを自由に選べる。
私はやはり一般的なMelangeを選択(実は、行きの飛行機で名前に引かれてマリア・テレジアというコーヒーを頼んだのだが、これがオレンジリキュールかなにかが入った癖のあるグラスに注がれる熱いコーヒーであったのだ)。
映画は、話題の「Queen」。故ダイアナ元王妃の事故の後の、エリザベス女王の苦悩と若きブレア首相などを肯定的に描いた作品。結構おもしろかった。
あとは、ワインを飲んで寝た。

途中で、チキンラーメンとおにぎりの夜食サービスがあったらしいが、私は熟睡モードでCAが来た事も知らず。
日本時間で6時くらいになり、あと1時間とすこしで成田というところで朝食が出た。
Frombf1これが写真のように盛りだくさん。さすがの私も1/3くらいは残したと記憶している。家内は半分以上残したはず。
7、8時間前に結構たくさん食べていて、ずっと1カ所に寝ていて、よくみんなこんなに食べられるものだなと思う。ヨーロッパ10日間で、毎日美味しくハム、チーズと食べていたので、早く日本で白い米の飯に納豆をかけて食べたいものだ。早く、細めの蕎麦をするするっとすすりたいものである。
日本時間の5月16日(水)朝7:20頃、予定到着時刻より1時間早く成田空港に到着。
入国も荷物受け取りも税関もスムーズに通り、レンタル携帯を返し、宅配便でスーツケースを送り出し、JRの乗り場まで行くと、予約してあったNEXまでまだ1時間以上ある。しかし、今日は用事で横浜の戸塚まで行かねばならず、大船まで直通のNEXは予約してあった便が一番早いため待つしかない。
空港ビルの食堂でドリンク・バーで時間を潰す。
これから海外に行くのだろうか、隣に座った女性が白いご飯に納豆に焼き鮭の「日本人朝ご飯」を食べているのを見て涎が出そうだった。

こうして、9泊11日(実質9日半)の中央ヨーロッパの旅は事故にも泥棒にも(最近プラハでは増えている?)あわず、いろいろな人の助けを得て(Sさん、クリスチーナ、シャンドール、ボルバーラ、シャンドールジュニア、レイカ、ガボール、デュシャン、ロマン、オンジェ、ヤナ、ボイター、、、)楽しく幸せに終える事ができた。
次の課題は、ソルノクに数日以上行く事、プラハにもっと宿泊する事、チェコからドイツなどに行く事など。
今度はいつになるのだろう。
そうそう簡単に12日(成田前泊から含め)も休んで旅行などできない。
今回は大学を辞め、新しい職場に移る直前に計画して敢行したこと。
次は、、、
待ってろよ、ソルノク。また行くよ、プラハ!

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2007.06.05

♪⑨「中央ヨーロッパの旅」:5月14日、プラハ3日目

5月14日(月)、プラハ3日目(旅行9日目)。

明日帰国するので、実質は今日が最終日である。
昨晩の音楽祭そしてロマン達との会食の興奮が残っている感じ。
ゆっくり起きてゆっくり朝食。
今日の予定は、午後にフィンダ志保子さんが迎えに来てくださって、ご自宅に遊びに行きスタンダとともに会食する予定だけである。午前中、余り活動する気もないので、11時少し前まで部屋にいて、ホテルのちょうど真向かいにある「ミュッシャ美術館」に行く。
ミュッシャとかムハとか呼ばれるが正しい発音は知らない。「アール・ヌーボーの旗手」として活躍したプラハ出身の芸術家の美術品を収蔵した博物館であるが、彼の一生を紹介するビデオ上映が興味深かった。

志保子さんとの約束は、ホテルロビーに12時だったので、少し前に部屋に戻って休む。
まもなく志保子さんから電話。近くで仕事していたので迎えに来てくださるという事。
そして、地下鉄に乗って市街地から少し離れたところの駐車場に停めてある彼女の車で、プラハ市郊外のご自宅へ向かう(市街地の交通状況が悪く渋滞が酷い上、容易に駐車場を見つけられないのがプラハという街の特徴でもある)。
スタンダが友人(同じプラハ響楽団員)から古い家を紹介されて買い取り、少しずつリフォームする予定との事。デュシャンもそうであるが、このように古い家を自分でリフォームして行く人が多く、日本のように「新築」「新築」とならないのが、やはり「石とレンガ」でできた家と「木と紙」でできた家の違いだろうか。

楽しみにしていた二頭の犬達との対面。
昔からいる、雑種の黒い犬、名前はバーバラ。もうだいぶおばあちゃんなのだそうである。
昨年、日本から連れて来た柴犬のアキ(この名前もいいね!理由はないしょですけど、、、)。
Standaflute1日本に帰ってから思いついた事だが、私が持っている二本のフィンダピッコロに、アキとバーバラという愛称をプレゼントしました。パリサンダーは茶色系で、グラナディラは黒なので、ピッコロ達のお父さんであるフィンダが飼っている犬達の名前をもらいました!v(^^)
写真は、スタンダの工房(?)のピアノの上のフルートとピッコロ達。

Shihokomenu出かけていたスタンダもまもなく戻り、皆で志保子さんの手料理を頂いて(本格的なチェコ料理だった!)、犬達とじゃれあってしばらく遊ぶ。外出。

目的地は、更に北にあるドボルジャークの生家。
Standamb行きも帰りも高速道路をスタンダの愛車(去年乗せてもらった「タテ目」のOld Mercedesではなく、写真のように少し新しい190になっていた)で30分くらいぶっ飛ばして着いたから、プラハからそんなに近いわけではなさそう。5,60kmは離れてる小さな町。チェコ語の発音には自信がないが、ネラホゼヴェスと読むのだろうか?
ここは1年半程前に、志保子さんの関係で、『ムジカ・ヨコハマ』というフルートオケ活動をされている日本人グループが指揮者の井崎正浩氏と共に訪れ、近くの教会でコンサートもしたということであった。
井崎さんといえば、昨年1月の酒フィルのソルノク訪問、そしてソルノク交響楽団との合同演奏で指揮をしてくださった方で、現在もハンガリーを中心に国際的活躍をされている方。
そういった繋がりで、今年の8月に酒田で開催される『全国アマチュアオーケストラフェスティバルinやまがた酒田』で、オーケストラAの指揮をしてくださることになっている。
Dvorakbplace1
写真は、生家を外から撮影したもの。
ムジカ・ヨコハマの人たちも、井崎さんもこの前で写真を撮られており、これはムジカ・ヨコハマのHPにも掲載されている。
Dvorakstatue1側には大きなドヴォルザークの銅像が建っていた。ルドルフィヌムの前に建っていたのよりもずっと大きく、みんなで何枚も写真を撮った。興味深かったのは、ドヴォルザークの生家と道路を隔てた目の前に線路があり、今でも使われている事。
ドヴォルザークが鉄道マニアであったのは有名であるが、彼の音楽にはあたかも蒸気機関車の走る姿が表現されているようである。たとえば、「交響曲8番」や「9番『新世界から』」にも、まるで SLが蒸気を吐きながら走り出し、ポッポーと汽笛まで鳴らすような部分が見られる。彼の生家の目の前をSLがたくましく走っていた事が影響している事は間違いないであろう。

Kolkovnaプラハ市内のレストランを予約してあるという事で、この静かで美しい町を後にした。
向かった先は、スタンダお気に入りのレストラン『コルコブナ』。
Threehalfduckここは昨年も連れて来てもらった、一人にハーフ・ダック一皿を食べたところ。
ビールはもちろんピルスナー・ウルクエル。


ここでも私のとってはとても嬉しい出来事があった。
元々スタンダとそこで会う約束をしていたようであるが、昨年までチェコフィルのフルート首席奏者であった、イルジー・ヴァーレクさんが現れた。
Valekfinda_1最近日本から戻って来たばかりのスタンダは、ムラマツの頭部管を何種類かヴァーレク氏に頼まれていたのか、試しに貸したのか、詳しくはわからないけれど、とにかく頭部管を渡していた。
まあ、日本人ならば、待ち合わせ場所で用事がすめば、すぐ立ち去るのかもしれないが、ここはチェコのプラハで、ビールの飲めるレストラン。スタンダが勧めるままにヴァーレクさんもビールをグビグビ。楽しくお話をし、私たちとも色々会話をしてくださった。ヴァーレクさんがなぜ昨年チェコフィルを退団したのかというと、65才の定年だったらしい。今年67才になるのだという。いや〜、50歳代後半くらいにしか見えない。
「若いですね〜」とお世辞ではなく感嘆すると、「知ってる!」と笑いながら答える。
「実は、私の兄は70才を越えていて、プラハでは70才以上はトラムなど公共交通機関が無料になるのだが、チケットなしで乗っていたら疑われたのだ。『私は72才だ』と言っても誰も信じてくれなかったんだよ。」
と言う話。ヴァーレクさんの実のお兄さんとは、プラハ放送交響楽団の指揮者をしていた、ウラディミール・ヴァーレク氏のこと。
「わたしはもう行こうと思っているのに、スタンダが3杯飲んで行けというんだよ、あっはっはは」と愉快に話してくれた。愛妻がなかなか禁煙しない事など話してくれたので、やはり肥満と喫煙は心臓に悪いですよ、とお話ししたら、すぐに奥さんに電話をかけて「日本人の医者がタバコは良くないと言っているよ」と伝えながら私にウィンクしてみせ、茶目っ気たっぷりの楽しい方であった。
今まで、ヴァーレクさんは顔写真でしか知らず、なんとなくちょっと強面でロマンの先生という情報しかなかったので「恐そうな人かな?」位にしか思っていなかったのであるが、人間の先入観というのはいい加減なものだという事がよくわかった。
Kolkovna2結局、ヴァーレクさんは、500mlの寸胴ジョッキでウルクエルを3杯飲んで陽気に帰って行かれた。私は美味しい料理とビール、そして楽しいお話で気分よく酔ってふわふわした感じになった。

明日は、いよいよプラハとさよならである。
「今度はもっと時間を取ってゆっくり遊びにいらしてね」と志保子さん。
有名なチェスキー・クルムロフはじめ見せたいところはたくさんあります、北に走れば2時間程でドイツはドレスデンに行けるとも。是非そうしたいものである(時間はとれるかどうかではなく、作らなくちゃね)。

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2007.06.04

♪⑧「中央ヨーロッパの旅」:5月13日、プラハ2日目

5月13日(日)、プラハ2日目(旅行8日目)
ーー
さあ、今日はついに『プラハの春音楽祭』のコンサートを聴きに行く。
スメタナホールは、昨年1月に来た時に、ピッコロのスタニスラフ・フィンダ氏(以後スタンダ)にちょっとだけ見せてもらったが、演奏会は初めて。
コンサートは20時開始なので、それまで疲れないように観光しようということになった。

ゆっくり朝食を摂り、10時頃ホテルを出発。
とりあえず「プラハ城」へ行く事にした。城門での正午の衛兵の交代は見物なので、それまでにプラハ城のおよそを観ておこうと考えた。フラチャニの丘までずっと上りなので、歩いて30分くらいの距離ではあるが、トラムを使う事にした。ホテルのコンシェルジェにトラムの乗り方を聞いて、チケットを買って最寄りのトラム乗り場に向かった。ところが、トラムが来ない。観光客らしい人たちも、いろいろ街の人に聞いている。
今日は「プラハマラソン」もやっているため、交通規制をしていてトラムも一部の路線を除いて停まっているらしい。
駄目そうなので、近くの乗り場から地下鉄を使う事にした。プラハの地下鉄は3路線だけで単純なのだが、フラチャニの丘に一番近い駅に向かうには乗換えが必要。地下鉄案内の地図を見て、文字を確認し(チェコ語なので読めません)何とか着いた。
そこかから、プラハ城まで5分程登りの道。
お天気は「ピーカン」に近く日本人でもサングラスが欲しい位の強い陽射し。
プラハ城内、有名なカフカが一時住んでいたという小人の家のような軒先と天井の低いカラフルな家が並ぶ「黄金の小径」をささっと回り、プラハ城正門へ急いだ。時間はすでに11:50。
トラムを待ち、地下鉄を乗換え、しているうちに1時間くらい無駄にしてしまったようだ。
この「衛兵の交代」は昨年も観たが、1月初旬、真冬の厳寒の中で5分間じっと立っているだけで身体が固まってしまうようだった事を思い出す。今回は、季節の良い5月の快晴の日。ビデオを構えて見物した。

ここで嫌な気分にさせられる事があった。
結構日本人観光客もいるのだが、我々の後方に初老の男性が3名立っていて、そのうちの一人、年の頃65〜70才位の身なりもきちんとした一見紳士がとんでもない事を言い出した。
いわく
「チェコの軍隊ってのは、第2次世界大戦のとき、世界で一番弱いと言われたんだ」
「ヒトラーのナチス・ドイツがチェコに攻め入ったら、あっという間に負けてしまった。ドイツ軍は、チェコを蹴散らしてどんどん侵攻したんだ。」
「世界一弱いと言われた兵隊達だ」
同僚(?)達に知識を自慢しているのか、そんなことを滔々と述べていた。私は眉をひそめたもののかかわり合いにはなりたくないので無視するにしかず、と思っていた。
(馬鹿な親父、黙ってくれないかな、日本語だから他の国の人にはわからないけれど、そんな事を言うのだったら「衛兵の交代」なんて見に来なければいいのに、、、)
その一見紳士(背広を着ているだけだが)は、さらに少し移動して20〜30才台と思われる数名の日本人男性(会社の同僚なのか?)のところにも行き、また「チェコの軍隊ってのは、第2次世界大戦の時に世界一弱いって言われたんだ」としゃべっている。
(このオヤジ、相手に対してまず敬意を払うべきじゃないのか、、、まったく、、、)
私は、その整然とした儀式を眺めながら、あまりにも無礼なその男性の言葉にだんだん腹が立って来た。
(実際にあの当時、事実だったかもしれないが、それはそれ、これはこれじゃないか、、、まったく、、、、)
そして、そのオヤジはまた元の仲間のところに戻り同じ事を繰り返し始めた。
私はたまらず振り返ってそのオヤジ達を睨みつけたのだが、我関せずでしゃべり続けている。
「ロンドンの衛兵の方が格好いいな。チェコの軍隊は弱いんだ。」
私は、もう我慢がならなかった。
そのオヤジの方に歩み寄りついこう言い放ってしまった。
「あなた、うるさいよ。いい加減にしなさい。(こういうところでは)まず相手に敬意を払うべきでしょ!」
「だいたい、あなたが弱い弱いと言って威張っているけど、日本は第2次世界大戦で連合軍に負けたんでしょ?!負けた国の人間が何を偉そうに言ってるの。」
気分はすっきりしなかったが、そのオヤジは「すみません」と言って黙った。どうして日本人の中には、海外に出てくると偉そうな態度をしたり空威張りしたりする人がいるのだろう。
同じ日本人としてとても悲しくなる嫌な出来事であった。

その後、聖ビート教会を見物しようと思ったら、「ここはディズニーランドですか?」と言う位人が並んでいたのであっさりパス(後で、スタンダに聞いたら、何か普段は見せないものを解禁していたらしくそれで大勢の人が並んでいたらしい)。城内にあるバロックミュージアムをゆっくり見て回った。
ちょっと疲れたので、城内のカフェで喉を潤し休んでいたが、もう午後2時を回る頃だった。
Rudolfinum(写真は、フラチャニの丘から降りて来た橋(カレル橋ではない)を渡る途中から写したルドルフィヌム(芸術家の家)
デュシャンが午後から夕方なら会えるというので電話をし、午後4時にホテルロビーでということになった。
そこで、徒歩でフラチャニーの丘を降り、昨日ケイマルさんのトランペットを聴いたのとは違う、丘側の聖ミクラーシュ教会の脇からトラムを使って、旧市街広場近くまで行こうと考えた。ところが、やはりマラソンの影響で通常運行していないらしく、一本乗って乗換えを待っていても望む路線のトラムが来ず、番号をみて「これだ!」と思ったトラムが、また同じ聖ミクラーシュ教会の方を回ってしまい(つまり20〜30分かけて同じところに戻って来た)、仕方ないので歩いて「ルドルフィヌム」の方からヴルタヴァを渡って旧市街に入った。
Dvorakcastle(写真は、ルドルフィヌムを見守るように建つドヴォルザーク像とプラハ城)
旧市街広場で有名な仕掛けの天文時計を午後3時に観ようと少し早足で歩くと、すでに凄い人だかり。
ところが、、、3時になって、仕掛けはあっさり10秒位のもので終わってしまい、「あれが?」という感じだった。
正午とかだと凄いのかな〜、、、
モーツァルトの歌劇『ドン・ジョバンニ』を世界初演したエステート劇場の脇を通り、ホテルに帰って少し休んでいたら4時となり、デュシャンに連れられホテルから近いレストランで、ピルスナー・ウルクエル!コンサート終了後まで食事にありつけないので、私と家内は軽く食事もした。
5時にホテルに戻り、シャワーを浴びたり、マッサージを受けたりして家内は着物、私はタキシードに着替える準備。
午後7時、約束通り、オンジェ(チェコフィルのファゴット奏者、アフラートゥス五重奏団ファゴット奏者)がチケットをわざわざホテルまで届けてくれた。再会を喜び、プレゼントを交換しあう。
彼は、これから本番、私も急いで着替えて早めに市民会館スメタナホールへ向かう。

Smetanahall
昨年スタンダに案内された時は電気も消えていてよくわからなかったが、高い天井、シューボックスタイプだが壁や天井は非常にデコラティブである。アールデコ調というのか。
日本人は、やはり非常に多く、「音楽祭」目当ての団体客や旅行者に加え、地元プラハ在住らしい感じ(小学生くらいの子連れや着ているものが旅行者のそれではない人たち)も結構いた。着物を着ているのは、家内以外にも結構いらしたが、男性でタキシードの日本人はほとんど見なかった。

20時、スメタナ作曲『Ma Vlast』全曲は、「ヴィシェフラド」のあの2台のハープから始まった。
2曲目の日本人にとっては超有名な「ヴルタヴァ(モルダウ)」は、2ndフルートのロマンの音から始まるのかと思ったら、前半3曲にロマンは乗っていなかった。後半3曲では、ロマンが出ていたがやはりセカンドであった。
昨年、長年チェコフィルの首席をつとめたヴァーレク氏が引退(定年)した後、ロマンが首席になるのだと期待していたら、どうも上手く行かなかったようである。その事については別の項で触れるかも。

Czphilallとにかく、長い歴史のある「音楽祭」で、チェコの生んだ偉大な「国民楽派」スメタナの「我が祖国」を、スメタナホールで、チェコフィルによる全曲演奏。チェコ人ならずとも感激してしまうシチュエーションである。
ハンガリーと同じく海のないチェコであるが、つまり全ての国境が陸地続きであるため、常に侵略と戦争、被支配と屈辱の歴史だった訳である。そう言う事を考えずにこの音楽を聴く事は許されないとすら思う。最後の「ブラニーク」は、勇士達によって祖国が解放されるという物語であり、チェコの歴史そのものである。
Ondrejrise3長い長い拍手、カーテンコールが続き、オケの、特に管楽器メンバーが紹介される。
おお、オンジェが首席として一人でたっている。
Janarise2ああ、ヤナがオーボエ首席で立っている(他の男性に比べたら背が低いので目立たない)。
こんなにいたんだっけ?3管編成アシ付き?
Romanrise2おや、ロマンがフルート軍団でセカンドの位置でたっているが、トップは金髪の若い女性だ!?
そして、全員起立。
何度も繰り返されるカーテンコール。


感動を胸に、ゆっくりとホールを後にする。
前もってロマンに、「コンサートが終わったら、スメタナホールの1階の入り口で待っていてくれ」と言われていた。
まず、ヤナが、遅れてロマンとオンジェが笑顔で現れた。ハグをして再会を喜びあう。
クラのボイターは別の仕事で、レストランで合流すると言う事で、さっそく食事に行こう、ということになった。
と言っても、その時点で既に午後10を過ぎていた。

Kanpai2ゆっくりと7、8分歩いて着いたレストランは、客が一人もいない。どうも普通は閉める時間を無理を言って予約して開けておいてもらったらしい。一見スポーツバーの雰囲気であるが、丸いテーブルを囲んで座ると真ん中にビールサーバーがあって、自分たちでビールをジョッキに注いで飲む方式なのだ。最初はうまくいかず、泡だらけのジョッキを抱えていたが、次第にコツをつかみ、うまく7:3〜8:2くらいの割合で注げるようになった。私は、すぐに上着をとり、蝶ネクタイも外してくつろいだ格好になってしまっている。
Porkknee食べ物は、なんと言っても、ロマンが英語で「豚の膝」と説明してくれた、豚の下腿の肉がうまかった。写真のように(カメラのレンズに脂がついてぼやけているが)、足の肉を自分でナイフで削いで切って食べるという、豪快なバーベキュースタイル。とにかく美味で、今思い出しても口の中に唾がたまるくらい美味しかった。
Chikinprahaその他には鶏肉のロースト、チェコ特有のダンプリング、アスパラガスなどなど、、、
少し遅れて参加したクラリネットのボイターこと、ボイチェフ・ニードルは何をしていたのかというと、ルドルフィヌムの「ドヴォルザークホール」を舞台に行われている、「プラハの春音楽祭『指揮者コンクール』」の演奏を、プラハ室内管弦楽団PKFのメンバーとして演奏していたとの事。
予選では、なんと『我が祖国』の3曲目「シャルーカ」を32回も吹いたんだよ、と茶目っ気たっぷりのいつもの表情で聞かせてくれた。長いクラのソロがあるのだが、それをコンクールとはいえ2日間で32回も吹くなんて尋常ではない。後で他から聞いた話では、32回の間、少しの緊張感のゆるみもなく音楽的なソロだったとのこと。さすが、ボイターである。

23:30を過ぎてラストオーダーだという。お店の人は掃除を始めている。
我々はまだ1時間くらいしか飲んでいない。ビールは、テーブルの真ん中の4カ所のサーバーまとめて合計で何リトッル飲んだか表示されるようになっている。はっきり覚えていないが、5~6リットルは飲んでいたはず。合計で6人だが内二人は女性で量はチョピットだけ。男性陣は一人当たり、1〜1.5リットルは飲んだ勘定になる。
彼らは昨日始まったばかりの音楽祭で、明日も本番がある。
名残は惜しいが明日のためにも今日は帰って休まなければ行けない。
一緒に歩いてホテルの前まで送ってくれた。ハグして挨拶を交わす。
チェコフィルは今年の11月に中国を回った後、3週間くらい日本に来るはず。来年、平成20年は「アフラートゥス五重奏団」として(今日のメンバーにベルフィルのホルンのバボちゃんを加えて)また日本に来る、という。
再会の約束を固く交わして名残惜しくお別れをした。
深夜の0:30を過ぎていた。

明日は、ピッコロ奏者&製作者のスタンダと志保子さんにお会いする約束。楽しみ。

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2007.06.01

♪⑦「中央ヨーロッパの旅」:5月12日、ブダペストからプラハへ

6月になりました。爽やかな季節です。
仕事も順調、、、と行きたいところですが、事情が大きく変わってなるべく早期に開業を目指すことになり、準備に入っています。土地探し、医院のデザイン、まだなかなか具体化しません。
でも、必ずちゃんとしたものを作るつもりです。意志の力を信じます。

さて、、、
旅の話に戻りましょう。

5月12日(土)、プラハ初日(7日目)
ブダペストの空港は市中心部からは結構離れている、タクシーで30分はかかる、国際線だから2時間前、などいろいろ考えて、ホテルのフロントに相談した。悪質なタクシー料金の事も話したら、ホテルや駅で呼ぶタクシーなら大丈夫だという。
ブダペスト空港9:05発だから6:30にはホテルを出なければ、と思ったら「7時で大丈夫」とフロントのホテルマン。タクシー料金も3600フォリントだったかな、一定料金だと言う。
駅から4900フォリント、オペラハウスから4000フォリントも取られたのに。
これが正規の料金らしい。100km前後のスピードで30分近く走ったのだから、日本だったら5,6000円かかっても不思議でない距離。8000フォリントくらいかかるはず。その半額以下だった!
ホテルの朝食は7時からだから、7時のタクシーじゃご飯にありつけないなと思ったら、6:45から食堂は開けるからよかったらどうぞ、という。なんと親切な!
御陰で6:45からゆっくりパンと卵料理とチーズにエスプレッソコーヒーを飲んでいたら、「あなたのタクシー来ましたよ。準備が良ければどうぞ!」とホテルマンが呼びに来てくれた。いいホテルだ〜。

で、順調に空港について、チェコ航空のカウンターに並びチェックイン。
時間はたっぷり1時間以上あった。双発プロペラ機で、乗降口は後方にあり階段で乗る。一列4席、左右に2席ずつの小さな飛行機。プロペラの近くの席だったので、「ブォ〜〜〜ン」という音がうるさいが仕方ない。
ハンガリーの草原の上を飛び、1時間と少しでプラハ上空へ。
左手に「百塔の街」と呼ばれるプラハ市外とブルタヴァ(モルダウ)河、そして対岸のフラチャニの丘のプラハ城が見える。結局、予定より20分位遅れて到着。
さらに空港では、機内預け荷物のスーツケースがなかなか出て来ず20分くらい待たされた。
10:15プラハ到着の予定が、荷物を受け取って到着ロビーに出た時は11時前だった。

すぐにデュシャンを発見!固い握手と再会を喜び合う挨拶。
彼とは1992年、ピッツバーグ大学脳神経外科留学中からの仲。
昨年プラハ初訪問の際は、彼のアパートに2泊させてもらって大変お世話になった。
彼の車で空港から、まず市内を目指さず反対方向にある彼の家へ。ここへ泊まるのではなく、彼が今リフォーム中という一軒家を見せてもらうことになった。
デュシャンのアパートは市中心部にあり、ここは近い将来移り住む予定らしい。
地下室には、ガンブリヌスの瓶ビールがケースで置いてあった。

そこから市中心部を目指し、ホテル・プラハに着いた時は12:30近かった。チェックインしたが、まだ部屋には入れないという事でティーラウンジで待つ。13:30頃部屋に案内された。
デュシャンが14:30頃訪ねて来てくれて、まずは軽く市内観光と言うことになった。
フラチャニの丘は明日という事にして、今日は「旧市街」中心に行こう。
私は1年4ヶ月前に訪れているので、街の雰囲気もだいたい覚えている。
ホテルから歩いてすぐのところに『プラハの春音楽祭』主会場である市民会館「スメタナホール」がある。
そこを外から眺め、火薬庫塔の脇から旧市街に入って歩いて行く。建築にも興味のあるデュシャンにいろいろ説明してもらう。旧市街広場近くの「聖ミクラーシュ教会」(同じ名前の教会は、プラハ城の丘の途中、トラムの駅近くにもあった)にぶらっと入る。荘厳なバロック様式で美しい。家内はすぐパイプオルガンに注目。

今日は日曜日、とにかく人が多い。
しかも音楽祭は今日から始まり(毎年、スメタナの命日である5/12に始まる)、やたらと外国人が多いようである。
今日の午後、教会でミニコンサートをやるという。どうせ観光客相手の商売だろう、とパンフレットを手にしたら、オルガンとトランペットでバッハやテレマンをやるらしい、トランペットは、、、、え?!うそ?!
と思った。
「ミロスラフ・ケイマル」と書いてある。
ケイマルさんって、あのケイマルさん?と私の頭の中は混乱する。
だって、チェコフィルにケイマルあり、と言われた名トランペット奏者なのだ。
それが、プラハ初日になんの心づもりもなくただ興味があってぶらっと寄った教会でこれから聴ける、というのだ。
家内は、国立マリオネット劇場の人形劇も観たいと希望していた。今は午後3時。喉も乾いた。教会コンサートが16時から1時間、人形劇が19時からということで、まず少し喉を潤そうということになった。
デュシャンが連れて行ってくれたのは、なんと『金虎亭』。
フルート奏者北川さんのブログで「世界一(宇宙一だっけ?)美味しいビール」と絶賛されている店である。
午後3時過ぎとはいえ、日曜で音楽祭の最中に3人がぶらっと行って座れたのはおそらくかなり幸運だったのだと思う。
Photo_10今年初の「ピルスナー・ウルクエル」を、しかも「ウ・ズラテーホ・ティグラ」で頂けるなんて。
ここでは、皆がピルスナー・ウルクエルを飲むことになっているから、注文は特に取らない(もちろん食事も出来るので、注文を取る事は取るのだが)。500mlの寸胴のグラス製ジョッキを飲んだ数だけ、鉛筆で紙製コースターに印を付けて行く。会計の時にその印の数の分だけお金を払うのである。
自分でお金を払わなかったのでいくらだったかはっきり覚えていないが、おそらく一杯40コルナ(クローネ)くらいだったはず。現在のレートで240円くらいであろうか。チェコの物価からすれば決して安いものではないが、日本で例えるならば銀座の有名店でビールを飲んでいるようなものなので、こんな美味しいビールを500ml飲んだら
1000円位取られても文句は言えない。
ピルスナー・ウルクエルのことは、一家言ある人がたくさんいそうなのであまり多くは語るまい。
しかし、ここ(金虎)のビールは確かに旨かった。喉を刺激するようなものは一切ない。苦みもすくなく口当たりが柔らかい。グビグビッと飲むとむしろ「甘さ」を感じる。香りが旨く焦がした麦の様。
うまかったという証拠に、ビールが苦手で日本ではまず飲まないビールを家内がここでは飲んだのだ。

幸せな気分で、教会に行き、ケイマルさんの明るい響きを、教会の残響の長い環境で聴いていたら眠くなった。
パイプオルガンも凄かった。(その日のプロを持って帰って来たはずなのだが、先週の引っ越しで今手元にないので、プロが出て来たら曲目を書きます)

5時丁度くらいに教会コンサートが終わり、外に出ると時間を見計らってデュシャンが来てくれていた。どこかで時間を潰してくれたのだろう。また、少しブラブラして、マリオネットの前に軽く食事をしようというので、彼について行く事にした。なかなか予約が取れないのだが、今日はうまく空いていたとのこと。
MLEJNICEという名前のそのレストランは、観光客には全く知られていないようで、地元の人だけという感じ。
そこで、またピルスナー・ウルクエルと鳥料理や豚料理をシェアしあって食べながらゆっくりお話をする。

国立マリオネット劇場はそこから歩いて2分くらいと近場なので、18:40頃向かう。
結構人気があり、reservedの席もある。真ん中の方はすでに埋まっている。100人も入れば満席の小さな雰囲気のある劇場だ。
Marioneette1幕が開く前に、いきなりモーツァルト(の操り人形、これは舞台前の下から操作している様子)が出て来て挨拶をする。動きがすごくリアル。困って汗をかきそれを拭う様子などまるで人間そのもの。
出し物は『ドン・ジョバンニ』。楽しいお話が、ユーモラスに過ぎて行く。
Marionette2写真ではわかりにくいかもしれないが、劇が終わる段階で、操っていた人形を並べて舞台を掃除するオジさん(これは本物の人間)が出てくる。ところが、人形達は生きているのでまだ動いて、いざこざの続きをやっている。
オジさんは、きちんと並べたはずの人形が掃除をしている隙に離れて座ったりしているので、やれやれと行った顔でまた並べ直す。人形は、操られているのではなく、本当は生きているのですよ、という感じで終わるところが素晴らしかった。
更に、カーテンコールでは人形と、それを操っていた人たちがモーツァルトが指揮をしていたところからヒョコっと顔だけ出して挨拶するのである。なかなか面白かった!

劇場を出たらすでに21時過ぎだった。
Castlenightデジカメではなかなか雰囲気がでないけれど、劇場から歩いてすぐのルドルフィヌム前に行き、ヴルタヴァ河をはさんでフラチャニの丘のプラハ城の夜景を撮ってみた。
そこからのんびりと歩いてホテルに戻り、プラハ初日は終わった。

明日は、月曜日でデュシャンは仕事(神経内科医)なので、二人でぶらぶら歩き、夜はいよいよコンサートである。チェコフィルのメンバー、フルートのロマン、オーボエのヤナ、ファゴットのオンジェに会うのは昨年の9月の「アフラートゥス五重奏団」来日公演以来である(たったの8ヶ月振り!)。
楽しみだ。

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