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2007.06.04

♪⑧「中央ヨーロッパの旅」:5月13日、プラハ2日目

5月13日(日)、プラハ2日目(旅行8日目)
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さあ、今日はついに『プラハの春音楽祭』のコンサートを聴きに行く。
スメタナホールは、昨年1月に来た時に、ピッコロのスタニスラフ・フィンダ氏(以後スタンダ)にちょっとだけ見せてもらったが、演奏会は初めて。
コンサートは20時開始なので、それまで疲れないように観光しようということになった。

ゆっくり朝食を摂り、10時頃ホテルを出発。
とりあえず「プラハ城」へ行く事にした。城門での正午の衛兵の交代は見物なので、それまでにプラハ城のおよそを観ておこうと考えた。フラチャニの丘までずっと上りなので、歩いて30分くらいの距離ではあるが、トラムを使う事にした。ホテルのコンシェルジェにトラムの乗り方を聞いて、チケットを買って最寄りのトラム乗り場に向かった。ところが、トラムが来ない。観光客らしい人たちも、いろいろ街の人に聞いている。
今日は「プラハマラソン」もやっているため、交通規制をしていてトラムも一部の路線を除いて停まっているらしい。
駄目そうなので、近くの乗り場から地下鉄を使う事にした。プラハの地下鉄は3路線だけで単純なのだが、フラチャニの丘に一番近い駅に向かうには乗換えが必要。地下鉄案内の地図を見て、文字を確認し(チェコ語なので読めません)何とか着いた。
そこかから、プラハ城まで5分程登りの道。
お天気は「ピーカン」に近く日本人でもサングラスが欲しい位の強い陽射し。
プラハ城内、有名なカフカが一時住んでいたという小人の家のような軒先と天井の低いカラフルな家が並ぶ「黄金の小径」をささっと回り、プラハ城正門へ急いだ。時間はすでに11:50。
トラムを待ち、地下鉄を乗換え、しているうちに1時間くらい無駄にしてしまったようだ。
この「衛兵の交代」は昨年も観たが、1月初旬、真冬の厳寒の中で5分間じっと立っているだけで身体が固まってしまうようだった事を思い出す。今回は、季節の良い5月の快晴の日。ビデオを構えて見物した。

ここで嫌な気分にさせられる事があった。
結構日本人観光客もいるのだが、我々の後方に初老の男性が3名立っていて、そのうちの一人、年の頃65〜70才位の身なりもきちんとした一見紳士がとんでもない事を言い出した。
いわく
「チェコの軍隊ってのは、第2次世界大戦のとき、世界で一番弱いと言われたんだ」
「ヒトラーのナチス・ドイツがチェコに攻め入ったら、あっという間に負けてしまった。ドイツ軍は、チェコを蹴散らしてどんどん侵攻したんだ。」
「世界一弱いと言われた兵隊達だ」
同僚(?)達に知識を自慢しているのか、そんなことを滔々と述べていた。私は眉をひそめたもののかかわり合いにはなりたくないので無視するにしかず、と思っていた。
(馬鹿な親父、黙ってくれないかな、日本語だから他の国の人にはわからないけれど、そんな事を言うのだったら「衛兵の交代」なんて見に来なければいいのに、、、)
その一見紳士(背広を着ているだけだが)は、さらに少し移動して20〜30才台と思われる数名の日本人男性(会社の同僚なのか?)のところにも行き、また「チェコの軍隊ってのは、第2次世界大戦の時に世界一弱いって言われたんだ」としゃべっている。
(このオヤジ、相手に対してまず敬意を払うべきじゃないのか、、、まったく、、、)
私は、その整然とした儀式を眺めながら、あまりにも無礼なその男性の言葉にだんだん腹が立って来た。
(実際にあの当時、事実だったかもしれないが、それはそれ、これはこれじゃないか、、、まったく、、、、)
そして、そのオヤジはまた元の仲間のところに戻り同じ事を繰り返し始めた。
私はたまらず振り返ってそのオヤジ達を睨みつけたのだが、我関せずでしゃべり続けている。
「ロンドンの衛兵の方が格好いいな。チェコの軍隊は弱いんだ。」
私は、もう我慢がならなかった。
そのオヤジの方に歩み寄りついこう言い放ってしまった。
「あなた、うるさいよ。いい加減にしなさい。(こういうところでは)まず相手に敬意を払うべきでしょ!」
「だいたい、あなたが弱い弱いと言って威張っているけど、日本は第2次世界大戦で連合軍に負けたんでしょ?!負けた国の人間が何を偉そうに言ってるの。」
気分はすっきりしなかったが、そのオヤジは「すみません」と言って黙った。どうして日本人の中には、海外に出てくると偉そうな態度をしたり空威張りしたりする人がいるのだろう。
同じ日本人としてとても悲しくなる嫌な出来事であった。

その後、聖ビート教会を見物しようと思ったら、「ここはディズニーランドですか?」と言う位人が並んでいたのであっさりパス(後で、スタンダに聞いたら、何か普段は見せないものを解禁していたらしくそれで大勢の人が並んでいたらしい)。城内にあるバロックミュージアムをゆっくり見て回った。
ちょっと疲れたので、城内のカフェで喉を潤し休んでいたが、もう午後2時を回る頃だった。
Rudolfinum(写真は、フラチャニの丘から降りて来た橋(カレル橋ではない)を渡る途中から写したルドルフィヌム(芸術家の家)
デュシャンが午後から夕方なら会えるというので電話をし、午後4時にホテルロビーでということになった。
そこで、徒歩でフラチャニーの丘を降り、昨日ケイマルさんのトランペットを聴いたのとは違う、丘側の聖ミクラーシュ教会の脇からトラムを使って、旧市街広場近くまで行こうと考えた。ところが、やはりマラソンの影響で通常運行していないらしく、一本乗って乗換えを待っていても望む路線のトラムが来ず、番号をみて「これだ!」と思ったトラムが、また同じ聖ミクラーシュ教会の方を回ってしまい(つまり20〜30分かけて同じところに戻って来た)、仕方ないので歩いて「ルドルフィヌム」の方からヴルタヴァを渡って旧市街に入った。
Dvorakcastle(写真は、ルドルフィヌムを見守るように建つドヴォルザーク像とプラハ城)
旧市街広場で有名な仕掛けの天文時計を午後3時に観ようと少し早足で歩くと、すでに凄い人だかり。
ところが、、、3時になって、仕掛けはあっさり10秒位のもので終わってしまい、「あれが?」という感じだった。
正午とかだと凄いのかな〜、、、
モーツァルトの歌劇『ドン・ジョバンニ』を世界初演したエステート劇場の脇を通り、ホテルに帰って少し休んでいたら4時となり、デュシャンに連れられホテルから近いレストランで、ピルスナー・ウルクエル!コンサート終了後まで食事にありつけないので、私と家内は軽く食事もした。
5時にホテルに戻り、シャワーを浴びたり、マッサージを受けたりして家内は着物、私はタキシードに着替える準備。
午後7時、約束通り、オンジェ(チェコフィルのファゴット奏者、アフラートゥス五重奏団ファゴット奏者)がチケットをわざわざホテルまで届けてくれた。再会を喜び、プレゼントを交換しあう。
彼は、これから本番、私も急いで着替えて早めに市民会館スメタナホールへ向かう。

Smetanahall
昨年スタンダに案内された時は電気も消えていてよくわからなかったが、高い天井、シューボックスタイプだが壁や天井は非常にデコラティブである。アールデコ調というのか。
日本人は、やはり非常に多く、「音楽祭」目当ての団体客や旅行者に加え、地元プラハ在住らしい感じ(小学生くらいの子連れや着ているものが旅行者のそれではない人たち)も結構いた。着物を着ているのは、家内以外にも結構いらしたが、男性でタキシードの日本人はほとんど見なかった。

20時、スメタナ作曲『Ma Vlast』全曲は、「ヴィシェフラド」のあの2台のハープから始まった。
2曲目の日本人にとっては超有名な「ヴルタヴァ(モルダウ)」は、2ndフルートのロマンの音から始まるのかと思ったら、前半3曲にロマンは乗っていなかった。後半3曲では、ロマンが出ていたがやはりセカンドであった。
昨年、長年チェコフィルの首席をつとめたヴァーレク氏が引退(定年)した後、ロマンが首席になるのだと期待していたら、どうも上手く行かなかったようである。その事については別の項で触れるかも。

Czphilallとにかく、長い歴史のある「音楽祭」で、チェコの生んだ偉大な「国民楽派」スメタナの「我が祖国」を、スメタナホールで、チェコフィルによる全曲演奏。チェコ人ならずとも感激してしまうシチュエーションである。
ハンガリーと同じく海のないチェコであるが、つまり全ての国境が陸地続きであるため、常に侵略と戦争、被支配と屈辱の歴史だった訳である。そう言う事を考えずにこの音楽を聴く事は許されないとすら思う。最後の「ブラニーク」は、勇士達によって祖国が解放されるという物語であり、チェコの歴史そのものである。
Ondrejrise3長い長い拍手、カーテンコールが続き、オケの、特に管楽器メンバーが紹介される。
おお、オンジェが首席として一人でたっている。
Janarise2ああ、ヤナがオーボエ首席で立っている(他の男性に比べたら背が低いので目立たない)。
こんなにいたんだっけ?3管編成アシ付き?
Romanrise2おや、ロマンがフルート軍団でセカンドの位置でたっているが、トップは金髪の若い女性だ!?
そして、全員起立。
何度も繰り返されるカーテンコール。


感動を胸に、ゆっくりとホールを後にする。
前もってロマンに、「コンサートが終わったら、スメタナホールの1階の入り口で待っていてくれ」と言われていた。
まず、ヤナが、遅れてロマンとオンジェが笑顔で現れた。ハグをして再会を喜びあう。
クラのボイターは別の仕事で、レストランで合流すると言う事で、さっそく食事に行こう、ということになった。
と言っても、その時点で既に午後10を過ぎていた。

Kanpai2ゆっくりと7、8分歩いて着いたレストランは、客が一人もいない。どうも普通は閉める時間を無理を言って予約して開けておいてもらったらしい。一見スポーツバーの雰囲気であるが、丸いテーブルを囲んで座ると真ん中にビールサーバーがあって、自分たちでビールをジョッキに注いで飲む方式なのだ。最初はうまくいかず、泡だらけのジョッキを抱えていたが、次第にコツをつかみ、うまく7:3〜8:2くらいの割合で注げるようになった。私は、すぐに上着をとり、蝶ネクタイも外してくつろいだ格好になってしまっている。
Porkknee食べ物は、なんと言っても、ロマンが英語で「豚の膝」と説明してくれた、豚の下腿の肉がうまかった。写真のように(カメラのレンズに脂がついてぼやけているが)、足の肉を自分でナイフで削いで切って食べるという、豪快なバーベキュースタイル。とにかく美味で、今思い出しても口の中に唾がたまるくらい美味しかった。
Chikinprahaその他には鶏肉のロースト、チェコ特有のダンプリング、アスパラガスなどなど、、、
少し遅れて参加したクラリネットのボイターこと、ボイチェフ・ニードルは何をしていたのかというと、ルドルフィヌムの「ドヴォルザークホール」を舞台に行われている、「プラハの春音楽祭『指揮者コンクール』」の演奏を、プラハ室内管弦楽団PKFのメンバーとして演奏していたとの事。
予選では、なんと『我が祖国』の3曲目「シャルーカ」を32回も吹いたんだよ、と茶目っ気たっぷりのいつもの表情で聞かせてくれた。長いクラのソロがあるのだが、それをコンクールとはいえ2日間で32回も吹くなんて尋常ではない。後で他から聞いた話では、32回の間、少しの緊張感のゆるみもなく音楽的なソロだったとのこと。さすが、ボイターである。

23:30を過ぎてラストオーダーだという。お店の人は掃除を始めている。
我々はまだ1時間くらいしか飲んでいない。ビールは、テーブルの真ん中の4カ所のサーバーまとめて合計で何リトッル飲んだか表示されるようになっている。はっきり覚えていないが、5~6リットルは飲んでいたはず。合計で6人だが内二人は女性で量はチョピットだけ。男性陣は一人当たり、1〜1.5リットルは飲んだ勘定になる。
彼らは昨日始まったばかりの音楽祭で、明日も本番がある。
名残は惜しいが明日のためにも今日は帰って休まなければ行けない。
一緒に歩いてホテルの前まで送ってくれた。ハグして挨拶を交わす。
チェコフィルは今年の11月に中国を回った後、3週間くらい日本に来るはず。来年、平成20年は「アフラートゥス五重奏団」として(今日のメンバーにベルフィルのホルンのバボちゃんを加えて)また日本に来る、という。
再会の約束を固く交わして名残惜しくお別れをした。
深夜の0:30を過ぎていた。

明日は、ピッコロ奏者&製作者のスタンダと志保子さんにお会いする約束。楽しみ。

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