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2007年5月

2007.05.31

♪⑥「中央ヨーロッパの旅」:5月11日、ブダペスト2日目

5月11日(金)、ブダペスト2日目(旅行6日目)。
今日はいろいろな約束がある日。
まずは午前中は、クリスチーナと会う約束。
クリスチーナは、金髪の美人のハンガリー人。ブダペストに暮らし、日本人ガイドなどをやっている。
日本の大学、会社などで日本語を学び、遊佐町(酒田の北隣りで海と鳥海山の頂上を持つ欲張りな町である)にホームステイした経験があり、酒フィル関係者とは旧知の仲。昨年の旅行の際にも、またソルノク交響楽団訪日の際にもお世話になった人である。
中央市場で待ち合わせ。
ホテルから徒歩で「くさり橋」を渡り、トラムを使う。

中央市場を見学したが、あまり買い物をする気配のない二人に、クリスチーナは持参したお土産に加えて、「これはとてもおいしいでございますよ」と丁寧な日本語でパプリカを使った瓶詰めのペーストを買ってくれた。
昨年来た時には、有名なフォアグラのペーストや缶詰を買ったものだったが、うちの連れはあまりそういうものには興味を示さない。
そこからバスに乗って、聖イシュトバーン教会へ。
ここも昨年来たけれど、大きくて素晴らしい教会。聖イシュトバーンの右手(のミイラ)が展示されてもいる。
そこからすぐのところにあるお土産屋さんへ。ここも昨年も連れて来られた。
日本語も少し通じるし、なんと日本円も使える。私はあまり現金を持ち合わせておらず、クリスチーナの口利きでカード払いながら少し値引きをしてもらった。カローチャの刺繍をお土産に買い求め、有名なトカーイワインも3〜6プットの小瓶を適宜求めた(ヘレンドの小物も少し)。

お昼からは観光ガイドの仕事などがあるというクリスチーナとはそこでお別れ。
「また会いましょう。だからサヨウナラはいいません。」と流暢な日本語で言われてしまいました。
ありがとう、クリスチーナ。またね!

さて、あまりお腹は空いていないけど、午後2時に待ち合わせがあるので、それまでにお昼ご飯を、ということになった。家内はハンガリーの民族舞踊などが観られる食堂はないか、というので、先ほどお買い物をした店で情報を仕入れるがちょっと???。民族舞踊はないけれど、確かな食事が出来るのは、去年も行った「グンデル」のランチだろうということで、電話してみると2名予約可という。
地下鉄の乗り場を探して、3本しかないうちの1本に乗る。これが結構大変。
なんでもヨーロッパで一番古い地下鉄ということで、3本が交差する駅では、それぞれのホームの深さや場所が全然見当がつかず。有名な「超」高速のエスカレータに乗って下に降りて行き、色々迷ってやっと目的の地下鉄を見つけた。このヨーロッパ最古の地下鉄車両は30人も乗ればギュウギュウになってしまいそうな、可愛らしい車両が2つだけ。駅のホームもタイルや木がふんだんに使われていて、天井も低く可愛らしい。
ニューヨークや東京などの地下鉄などとはまったくイメージの違う乗り物であった。
「英雄広場」で降りて歩いて2、3分で「グンデル」。昨年来たので方向感覚の鋭いほうである私は迷う事なくみつけた。
Gundela1
Gundelm1
Gundeld1私の頼んだランチのコースは、前菜に旬のアスパラガスを使ったサラダ、メインにCatfishつまり鯰のピカタのようなものと温野菜、デザートはマスカルポーネチーズと何だかのアイスだったと思う。+エスプレッソダブル。

Gundela2
Gundelm2
Gundeld2連れのコースは、メインが鳥料理(とっても美味しかった!)で、前菜とデザートは写真の通り(内容は忘れちゃいました)。

天気もよかったので、レストランの裏庭のようなテラスで、心地よい風に吹かれながらワインにほろ酔いになりながら美味しい食事を頂きました。
次は、リスト音楽院にピアニストのファルカシュ・ガボールに会いに行く約束です。
先ほどの地下鉄を逆に戻り音楽院近くの駅で降ります。
地図を頼りに音楽院の方に歩いて行くのですが、どの建物かわかりません。外から見ると皆同じような幹事なのです。バイオリンやチェロなどを持って歩いている学生とおぼしき人を複数発見。どこに入って行くのか観察していると、ある建物のそれほど大きくない扉を開いて入って行きます。近づくと、"Liszt Ferenc"という文字が見えます。ああ、ここか〜、と扉を開けて入って行くと、1階のロビーのようなところでガボールが待っていてくれました。
Lisztfarkasガボールについては、昨年酒田フィルがソルノク交響楽団を迎えて酒田で行った演奏会で、ショパンのPコン1番を独奏した名手です。このことは、昨年3月12日のブログ「コンサート大成功!」をご覧ください。

ハンガリー人は、日本人と同じように、名前の順番が姓・名です。「山田太郎」と同じ順番でファルカシュ・ガボールと名乗ります。ですから彼の名前はガボールです。ちなみに、マジャール語は日本語と文法的に似ている部分が会って、否定形の質問に対し「いいえ」と答えるのは日本語と同じです。たとえば
「この本はあなたのじゃないの?」
「いいえ、私のです」
否定の場合は、
「はい、違います」
という感じになるそうです。
更に、有名な言葉として、料理の味が薄いことをマジャール語で「塩、足らん」と言います。(^^
Sio taranというのだそうです。

さて、ガボールにリスト音楽院の内部をいろいろ案内してもらいました。
Fagottliszt_1写真は、音楽院の中をいろいろ見て回っていたとき、たまたま見つけた像ですが、ガボールもよく知っている、酒フィルのファゴット奏者YT氏にそっくりだと3人で笑いました。
この音楽院の中に立派な音楽用ホールがあります。3階席まであって、1000人近く入りそうですし立派なパイプオルガンもあります。
覗いた時は、ちょうど混声合唱の練習中で、指揮者とは別に教授と思われる人がいろいろ指導をしていました。
プロを要請する専門学校ですからさすがにレベルの高い練習をしていたように思いました。
Lisztpo
現在のリスト音楽院は、リストの名前を冠してはいるものの、実際にはリストは教えていないそうで、歩いて4、5分のところにある、元のリスト音楽院(というのか、リストが住居とし音楽を教えていた)で現在リスト記念館になっています。ここには、リストが使用したピアノの他、写真のようなオルガンとピアノが一つになった変わった鍵盤楽器やリストの使用した調度品などが展示されていました。

その後、近くの賑やかな通りのカフェに移動して喉を潤しながら、ガボールと大事なお話をしました。
今年8月、酒田市においてJAOF「全国アマチュアオーケストラフェスティバル」inやまがた酒田が開催されます。
全国150を越えるアマオケ団体から参加申し込みがあり、編成を考えてセレクトし、2つの大きなオケ(3、4管編成)が交響曲などを演奏するのです。
詳細は、JAO告知版をご覧ください。
この中で、ガボールは、8/16(木)に(フェスティバルオケAのゲストコンマスを務める)東京フィルのコンマス三浦章広氏とプレコンサートとして、バイオリンとピアノのデュオコンサートを行います。(ちなみに、フェスティバルオケBのゲストコンマスは、東響のコンマスであり、山響の特別首席客演コンマスでもある高木和弘氏)
さらに、遊佐町でピアノ・ソロリサイタルを行う予定であり、この2つの演奏会の打ち合わせが今回彼に会う目的の一つであった。話は、まあ、あっという間に終わり、確認をしてあとは楽しいお話。
彼はこれからまたリハがあるという。
我々は、夜また人に会う約束があるので、カフェでガボールと別れてホテルに戻った。

夕方6時半頃、部屋の電話が鳴った。シャンドールの懐かしい声。
ロビーに行くと、シャンドール、ボルバーラ、娘のレイカが待っていた。再会を喜び合い、お土産交換会。彼らは、我々に会うために電車で約1時間半のソルノクから来てくれたのである。まあ、娘のレイカにも会える訳だが。
レストランを予約してある、徒歩圏内だが大丈夫か?と聞くので、もちろんと答える。
5人でまた「くさり橋」を歩いてわたり、ブダペスト一のブティック街を歩いて抜けレストランにたどり着く(20分は歩いたな、、、)。
Brestaurantレストランでは、まずは何はなくともパーリンカで乾杯。強いリキュールの飲めない家内とボルバーラ、レイカはウニクム(これだって薬草酒とはいえかなり強い)など他のもので乾杯。
エゲシェ・グングレ!プハ〜〜ッ(喉がや・け・る・)
パーリンカはハンガリー人が大好きなお酒。いろんな果物などで作るもので、昨年ソルノク訪問時には毎日どころか、毎食ごとに食前酒として勧められ正直閉口したものであるが、まずくはないので頑張って飲んでいた(いや、強い酒が好きな人にはかなり美味しいお酒ですよ)。
皆少しずつ違ういろいろな料理を頼んだけれど、私はパーリンカのお代わり何杯かでかなり酔ってしまい、内容は良く覚えていない。
残念ながら、民族舞踊はやっていなかったけれど写真の様な民族衣装に身を包んだ楽団が演奏をしていた。

レストランを後にし、シャンドールが楽しみにしているものがあるので、歩いてそこに行こうという。我々としてはついていくしかない。また20分位歩いて、昼間来た、聖イシュトバーン大聖堂近くの広場に着いた。凄い人の数で、ロックのライブかなにかやっていて凄くうるさい。
なんと『パーリンカ・フェスティバル』だ!
シャンドールの本当の目的はこれだったんじゃないか?という感じである。
彼がおごってくれたけれど、一人500フォリントの入場料を払うと小さなシェリーグラスのようなグラスとチケットを渡される。屋台のように、パーリンカや軽食を出す店が並んでいて、前に進むのも大変な位の人混みの中をシャンドールお勧めのパーリンカを置いてある店に行く。わたしにはまったくわからないが、ブランドがあるらしい。
スモモ、洋梨、ブルーベリーなどいろんな種類のパーリンカを試した。
高いものを頼むと500フォリント(300円位)のチケットなどすぐ無くなるのだが、5人中3人が女性であまりパーリンカを飲まないので、シャンドールと男2人で飲み比べをした。そのうち、立っていながら眠くなって来たのだが、酔ったとはいえ歩けるので頑張って飲んだ。
その時点で夜の10時半頃。明日は、9時台の飛行機でプラハに向かうので6時には起きて7時前にホテルを出なくてはならない。残念だけど明日早いので帰らなくちゃ、というと、送って行くという。また、歩きで5人でゆっくり20分以上歩いてホテル前までたどり着いた。

また、会いましょう。次回はもう少し時間を作ってソルノクにも行きます。期待している。
そんな会話をしてハグしてお別れした。
ボラバーラ、シャンドール、またね!
さあ、明日はプラハ。
今回の旅の、本当の目的である「プラハの春音楽祭」への旅である。

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♪⑤「中央ヨーロッパの旅」:5月10日、ウィーンからブダペストへ

5月10日(木)、旅行5日目。ブダペスト初日。
Wetnahnhof駅発のICEでブダペストを目指す。
9:52発ベオグラード行き(あれ?ベオグラードって何所の首都だっけ?)。
4泊したHotel Kaiserin Elisabethに別れを告げる。
フロントのオジさん達に、とても快適で満足していると謝意を告げチェックアウト。
次に来る時も出来れば泊まってみたいな。

荷物もあるので、少し早めに9:10少し前くらいにホテルを出る。ケルントナー通りにある、ホテルから一番近い、いつも使うシュテファンプラッツ駅への降り口には下りのエスカレーターがないので、聖シュテファン大聖堂を拝みながらグラーベン通りに入ったところに、上りも下りもエスカレータのある地下鉄駅への入り口へ回る。
ここなら大きなスーツケースも抱えずに降りられる。
既に身体が覚えてしまったように地下鉄U3に乗り、6、7分で「ウィーン西駅」へ。
今度は1等車なので少し期待していたのだが、2日前にザルツブルグに行った時の2等車の方が車両も新しく快適だった。日本の普通の特急のような、横4席で片側2席の座席。リクライニングもない。2等車と違うのは、プラットホームから近くごろごろ荷物を運ばずにすぐ乗れる事と、隣が食堂車という事くらい。

ここも、デジカメではなくビデオだったので、お見せする画像がない(残念!)。
ウィーンを出て間もなく、遠くになだらかな丘の見える畑や牧草地に入ったら、無数と言える程の風力発電の風車のある地域にさしかかった。半径数kmにわたって100を越えると思われる数の風車があるのは壮観だった。
1時間しないうちに国境にさしかかり、まずはオーストリア出国、ついでハンガリー入国と、2回のパスポート検閲+機関車マークのはんこをもらった。
なんとなく、景色を眺めながら、うとうとしているうちに、広大な牧草地、畑ばかりのハンガリー西部を列車は走っていた。国境を意識するような、高い山や、大きな河や、まして海などなく、いつの間にか隣の国。
ハンガリーの1000年にわたる歴史を理解することはこの景色を見るだけで半分くらいわかったような気になってしまう。どこからでも、いつでも、攻め入る事の出来るような地形なのだ。歩いて隣の国に行ける場所である。

列車で1時間程のところが、民族も言葉も風習も違う国であるところがヨーロッパの魅力の一つかもしれない。時間的に言えば、山形から列車に乗って仙台か福島に行ったらそこは隣の国で、3時間弱で着く東京の距離は、隣の国の首都ブダペストなのである。

12:48、ブダペスト着。
重いスーツケースをプラットホームにおろしたところに、革ジャンを着た「兄ちゃん」がいて、「タクシー?」と聞いてくる。どのみちタクシーでホテルに行くつもりだったので、「いくらだ?」と聞くと「メーター制だから走ってみないとわからない」という。
それなら安心だろうと思ったのが間違いだった。
お兄ちゃんがスーツケースを押してくれたので、小さい方のスーツケースを私が引っ張りながら駅の出口に歩いて行くと、若い男女がにこやかにはにかみながら近づいてくる。
最初、わからなかった。
連絡はしていたが返事がなかったので知らなかったのだが、昨年のハンガリー・ソルノク旅行でホームステイさせてもらった、ソルノク交響楽団首席フルートのボルバーラ&シャンドールの息子と娘が駅に迎えに来てくれたのだ。二人共ブダペストの大学に通っている優秀な子供達。笑顔がとても素朴で可愛らしい。
彼らは車を持っていないらしく、後でホテルに訪ねてくる、という。

タクシーでホテルに着いたら4800フォリントと言われた。ユーロしか持っていないというと、20ユーロだという。
3200円くらいである。
ブダペストの物価からするとちょっと高いな、とは思ったが、タクシーのメーターにそう出ているし、考えるのも面倒だったので20ユーロ+チップまで払った。
後からわかったのだが、ホテルや駅で呼んでくれるタクシーと違って、流しのタクシーは悪質なのがいるらしい。
ちゃんとしたタクシーのおよそ2倍は取っていると思った方が良い。

今回泊まるのは、王宮のあるブダ地区(ドナウ河を挟んで市中心部の反対側)で、「くさり橋」にも近い、「ホテル・カールトン」である。カイゼリン・エリーザベトから一転、アメリカ的チェーン店方式のホテルである。
魅力は、まず場所、そして値段。
部屋はやはりそれなりの(値段相応)もので狭かったが、まあ、日本のビジネスホテルのツインよりやや広めというところ。
14時頃、先ほどの二人、シャンドール・ジュニアとレイカ(Rekaと書く)が迎えに来てくれた。バスを使って来たらしい。そこから、徒歩でまずは王宮を観る事にする。
歩いて2、3分のところに有名なケーブルカーがあり、これで丘の上に登る。
彼らはケーブルカーの事を「フニクラ」と呼んでいた。「フニクリ・フニクラ」で有名なあれである。
山響がCDにも出したR. シュトラウスの交響的幻想曲「イタリア」の第4楽章にも使われている、あの曲はもともとケーブルカー「フニクラ」のコマーシャルソングだったもの。
(この曲の事は昨年ブログで記事にしました。)

フニクラであっと言う間に上に上がり、王宮や聖マーチャーシュ教会や「漁夫の砦」を観光する。
実はここは昨年の演奏旅行の際にすでに観光した場所であったが、季節が5月と爽やかで、家内は初海外旅行であり、まずは丘の上からドナウ河、美しい橋、ペスト地区を眺めるという算段であった。
夜は国立オペラ劇場に「タンホイザー」を観に行く予定なので、途中で軽食をとって早めにホテルに戻って休む事にした。
オペラは長いので、開演時間が18:30と早い。
18時少し前にタクシーを呼んでもらい7,8分程でオペラハウスに到着。
(これが2000フォリント=1300円くらいだったのだが、帰りにオペラハウス前で拾ったタクシーは同じ距離に4000フォリントを請求した。しかもメーター計算である。いくら夜間料金があるとはいえ、ちょっと悪質だと思うので、ブダペストでタクシーを使う人は、会社を確かめ、ホテルやレストランで呼んでもらうべきであると思う)
Ochepit2本日の歌劇『タンホイザー』は、ワーグナーの超有名なオペラ。
ストーリーには詳しくなくても、曲は様々な形で耳にする事が多く有名である。
近いところでは、数年前にテレビドラマになった『白い巨塔』にも使われていた「序曲」。
唐沢演じる財前五郎が、大きなオペの前に手術をイメージしながら両手を動かしているシーンで印象的に使われていた。
序曲の後にバレエが現れたのでこれは「パリ版」だったのだろう。素晴らしい舞踏だった。
オペラは全3幕、合計3時間を越す。
ドイツ語で歌われマジャール語(ハンガリー語の事)で字幕が上に出る。
結局、何を歌っているのか言葉がわからない。だから、バレエが終わってから私はすぐに眠くなって来た。
隣に座る家内に時々チョンチョンとつつかれながら、半分近くは夢の中だったような気がする。
第2幕だったか、壮麗な行進曲の際に、オケピットのトランペット以外に、3階バルコニー席の舞台に一番近いところ、上手と下手両方に4人ずつトランペット奏者が並び、計8名によるファンファーレが鳴り響いた時には、さすがに私もお目目ぱっちりでその素晴らしい音楽に聴き惚れた。

幕間の休憩時、冷たいものを飲もうとした時に、フォリントを持ち合わせずユーロしか持っていなかったため危うく飲み物にありつけないところだったが、我々の後ろに並んでいた素敵な紳士に助けられた。この事については、携帯からアップした5/11のブログに詳しく書いた。

オーストリア・ハンガリー帝国の栄華を彷彿とさせる豪奢な作りの国立歌劇場は、その内装を観るだけでも楽しめそうである。
Bopera連れの写っている写真しかないので、あまり大きくしないで写真を載せる。
正面玄関からまっすぐは広々としたクロークになっていて、ちょうどそこは休憩時に軽食を食べたり飲み物を飲んだりする2階のラウンジの下になっている。ホールは、入り口は行ってすぐ両脇にある階段を上がって行くと係の人たちが立っていて、チケットを見せると席へ案内してくれる。プログラムは、マジャール語とドイツ語と英語で書いてあった。これは案内してくれる人に金を払って買うことになる。

オペラが終わってホテルに帰り着いたのは、22時半近かった。
今日は、朝ホテル・カイゼリン・エリーザベトで、しっかり朝食を取り、ブダペストの王宮で夕方に軽くパンを食べたけれど、夕食は取っていなかった。でもお腹がすくと言う感じは覚えず、(半分寝ていたとはいえ)オペラに感動して休む事が出来た。
まあ、移動で疲れた上、タキシードと着物という格好で動いていた疲れも出たのかも、、、(^^;;;
明日は、ブダペスト観光といろいろな人に会う約束がある。


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2007.05.30

☤脳外科開業医へ望む事(調査その3)

調査その3は、これまでの1、2にも関係しますが、どのような診療体制を望むかをお聞きします。
しかし、これは地域によっても大きくニーズの変わるところです。
東京都心のど真ん中の方であれば、当然「専門家」としての能力に集中する事を求められるでしょうが、人口10万強の地方都市で、高齢者の割合の高い、いわゆる田舎です。
車で1時間くらいの距離(背景人口としては約25万人)の中に、脳神経外科医で開業しているのはわずか1名(それも昨年開業したばかり)。脳神経外科常勤医の居る病院も3つしかありません。
30分の距離(背景人口約12万人)となると、脳外科の診療所は「0」という場所です。

是非、 クリックしてアンケートにご協力ください。

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♪④「中央ヨーロッパの旅」:5月9日、ウィーン4日目

5月9日(水)、ウィーン4日目(最終日)。
時差7時間+3日間の疲れがたまって来た。
朝はゆっくり8時半頃起床してシャワーを浴びる。
朝食は9時半頃。日本時間なら午後4時半なので、時差ぼけはないがなんだか調子は狂っている。

この日のことも既にブログにアップしている。
5/10のブログに書いてあるのでご覧ください。

今日は、ゆっくり観光する予定。
昨夜から雨が降り出した。そうえいば、ザルツブルグで降ったりやんだりの天気になっていた。
10時半頃ホテルを出て、まずは美術史博物館へ。
歩いて15分足らずの場所にあるのだが、雨なので地下鉄U1とU2を使って行く。
美術史博物館は、絵画やローマ時代の石像を始めとする色々なものは素晴らしいのはもちろんだが、その建物自体が芸術品である。

Museumstepこれは正面玄関を入って、まず絵画の陳列された2階へ上る階段のところ。
アーチと柱の間の壁画は、クリムトの作である。
もうこんなところで圧倒される。
収蔵品は、多くが16~18世紀の作品。
栄華を誇ったハプスブルグ家がヨーロッパ全土から集めたものばかりで、ヨーロッパの3大美術館の一つとされている(あとの2つはどこだろう?あそことあそこ、かな?)。

Museumcafe絵画のある2階だけゆっくり歩き回ってもたっぷり2時間以上。
家内は、1階のローマ時代のものの収蔵品も観たいという。私は、ピッツバーグでカーネギー博物館に収蔵された数々のギリシャ、ローマ時代の建物の一部や石像と同じようなものと思い、歩き疲れたので、館内のカフェで休む事にした。
結局、このカフェ・ゲルストナーでコーヒーだけでなく簡単な昼食も摂った。
1階から3階まで円状に吹き抜けになっている2階に位置している。

Musumroofそこから見える天井はこんな感じ。
ハプスブルグ家の往時の力を偲ばせる。

美術史博物館を後にして、リンクの道路を挟んで向い側のブルク宮殿公園にあるモーツァルト像のところで記念写真。その日の夜に、楽友協会で行われる「Mozart in Historical Costume」という観光客向けのコンサートの宣伝マン(女性だったけど)が、モーツァルトのようなカツラと衣装で「コンサート、どうですか?」と日本語で!誘って来た。
We have already reserved !と言ったら喜んでいた。
ケルントナー通りの方向へ戻り、途中ゲーテ像、オペラハウスを眺めて、ついに聖シュテファン教会へ。
ウィーンの中心部の150m近い高さで聳え建ち、ウィーン市街のほとんど場所からその位置を確認する事ができる。内部は、大きく荘厳であったが、階段を使う南塔は避けてリフトで上がれる北塔に行った。
高所恐怖症傾向の私にはちょっと足のすくむような場所だったが、ウィーンの北半分が眺められるいいところだった。

その後、是非行ってみたかった、カフェ・ツェントラルへ。
オーストリアビールにアスパラガスを使ったオードブルを一品頼みのんびりした後、また地下鉄とトラムを使って「音楽博物館」へ。
ここは、様々展示品と仕掛けがあって期待以上の楽しさだった。

Tactwpo写真は、歴代のウィーンフィルの指揮者の指揮棒である。フルトベングラーはもちろんR.シュトラウスの指揮棒など歴史的価値が高い。
ウィーン縁の音楽家の歴史にはかなりのスペースを割いて、ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、マーラーのコーナーがあり、使用した楽器や手書きの楽譜などなど興味深いものがたくさん置いてあった。
子供達が遊んでいたので押し入って体験する事ができなかったのだが、ウィーンフィルの新年コンサート恒例の『ラデッキー行進曲』をウィーンフィルが演奏する映像と音が、赤外線かなにかで感知される指揮棒に反応して動くというおもしろいコーナーがあった。速く振れば速く演奏し、遅く振れば遅く演奏する訳である。
そして最後に万雷の拍手で終わる。

ここは、上記著名な音楽家が活躍し、数多くの日本人音楽家が勉強しそして活躍している場所。
ウィーンなのだな〜。
Operashop写真は、オペラハウスのMuseum Shopの壁に掛けられた音楽家のサイン入り写真達。
真ん中に赤い額縁に入ったマエストロ小澤の写真が見える。

この後、一旦ホテルに戻り、休んで、家内はまた着物に着替え楽友協会で20時からの「Mozart in Historical Costume」に出かけた。確かに観光客相手の「商売的」な出し物であったが、歌もオケもそれなりにレベルは高く楽しめた。
Mozhistcost客の多くが、「物見遊山的」気分を漂わせているのが気に入らなかった。途中で写真を撮りまくったり、空いている隣の席にもたれるように(良く言えばリラックスして聴いている)外国人さん、多くはアメリカ人であろう。まあ、わたしもこの写真のように、コジファントゥッテのアリア抜粋の最中に写真を撮った訳だが(フラッシュなし!)。
日本人も見かけたが、東洋人は韓国人、中国人、台湾人が多いような印象であった。
日本人の数としては。5/7のウィーンフィルの方がずっとずっと多かったと思う。

コンサートが終わったのは22時近く。それからホテルに歩いて帰る途中に、目を付けておいた日本食レストランがあったので、立ち寄った。ウィーン滞在4日目。飛行機の中から入れれば5日間程、肉、ハム、チーズ、コーヒーの世界だったので「米、麺、お茶」の世界に入りたかった。
Tenmayaudon私はきつねうどん、家内はたぬきうどん+ミニ鉄火丼。
このお店、『天満屋』というのだが、岡山のデパート天満屋の直営店らしい。
子供の頃、岡山(倉敷)に住んでいた私にとって名前も懐かしい。
味と値段については、「ここは、ヨーロッパ、ウィーンだから、、、」と考える事にした。

さあ、明日はウィーンにお別れ。
いよいよブダペストへ移動である。

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♪③「中央ヨーロッパの旅」:5月8日、ウィーン3日目(ザルツブルグ日帰り)

5月8日(火)、ウィーン3日目。
今日は、日本から予約してザルツブルグ日帰り旅行を計画していた。
バスツアーや鉄道、または飛行機を使用するか、レンタカーを借りて自分で行く方法もある。
一番手軽なバスツアーを考えていたが、ザルツブルグ市内の滞在時間が4時間程度になる事と、バスでの往復の途中で観光が入るものの、バス乗車時間が往復で9時間と予定されていたので却下。
鉄道に乗ってみたかったので、オーストリア鉄道OBBのサイトから時刻表を調べ、ザルツブルグ市内、周辺観光のツアー会社のサイトから時間や内容や価格を調べて自分なりにプランを立てた。
ウィーン在住のS氏の協力をあおぎ、チケットは現地で獲ってもらった現地清算としておいた。

ウィーン西駅発、ザルツブルグ経由チューリッヒ行きの鉄道の2等車の窓側の席を2つ予約しておいた。
早朝7:30Westbahnhof駅発なので、余裕を持ってホテルを6:45に出発。シュテファンプラッツ駅から地下鉄U3を使い、あっという間に駅に到着。まだ30分あるので、両替して食事を確保。
行きの列車の中の様子は、 5/9のブログに書いてあるのでご覧ください。

10:27予定通り正確にザルツブルグ駅へ到着。
誰も案内はいないし、二人旅だが連れは海外が初めて。自分しか頼りにならない。
地図を片手に東西南北を頭に入れて、歩き出す。
目指すは「ミラベル宮殿」。
しばらく歩くと地図に載っているホテルを発見。よかった、この道でいいんだ。
15分程歩くと、ミラベル宮殿が右手に見えて来た。
11:00集合の、最初のツアー、「モーツァルトの軌跡をたどって市内観光」。
日本語のツアーもあるのだが、時間的な事と料金の事も考え、あえて英語ツアーとした。
9人乗りの小さなワンボックスカーのような小型バスに案内された。ノルウェイとドイツからの客と一緒になった。
運転手兼ガイドのお兄さん(エーリッヒだったか名前忘れた)が、陽気に英語とドイツ語で解説して行く。
日本人を乗せた事があるのか、「さむい、さむい」を連発する。
きっと冬に来た日本人が、「寒い、寒い」と言っていたのだろう。
天気がよいので「あつい、あつい」と教えてやったら喜んでいた。途中、少し雨がぱらついた時に「雨、雨」と教えたら、最初「アーメン、アーメン」と聞こえたのか少しいぶかしげだったが、rain=ameと教えたら、「アメ、アメ」と繰り返していた。
ザルツブルグの街自体、特に旧市街は小さいので、慣れていればすべて独自に徒歩で行くところだが、ツアーで連れ回されるのも悪くはなかった。モーツァルトの生家や暮らした家、「Sound of Music」のドレミの歌などで有名なミラベル宮殿など見所はたくさんあるが、とにかく「その場にいる」という事が重要な気がして、あまり細かく見て歩くつもりはなかった。
ビデオで映像は結構撮ったし、写真は人物入りで結構撮ったけれど、建物だけという写真はほとんどない。
あるのは、これだけ。
Mariaこれは、映画『Sound of Music』で主人公マリアとフォン・トラップ大佐が結婚式を挙げた教会での内部、パイプオルガンである。
しかし、この教会はザルツブルグにはない。
車で小一時間程かかるモントゼーという街にある、シュティフト教会。
街はモントゼー湖に寄り添うようにこじんまりとしたもので、この湖が三日月の形をしていることか、「月の湖の教会」という別名もあるようです。
残念ながら内部は改装中のため、半分は工事中の足場や布に覆われていてちょっとがっかりでした。

Montosechurchこれだけじゃあんまりなので、連れの顔がわからない程度に縮小した写真だけ載せましょう。
これが教会の外から見た全体像です。
黄色い壁が印象的な教会でした。
内部は、荘厳なバロック様式でした。

Sartzmozart
写真がたった2枚というのも何なので、おまけ。
ザルツブルグ旧市街の教会前に建つモーツァルト像と私。
ここもすぐ横に工事車が停めてあり、あまり感じは良くなかったので、さぁ〜ッと流すように観光しただけ。


ツアーは前半に「モーツァルトの軌跡を訪ねて」、後半午後2時から6時まではその名もズバリ「Sound of Music Tour」に参加した。後半の方は、大型バス一杯のツアー客。8割はアメリカ人。その他、韓国人とおそらく台湾人に我々日本人2名。その他インド系のどこかの国の人。
よく言われている事だが、映画「Sound of Music」は、オーストリア人やザルツブルグの人にはほとんど知られていない。本拠地ザルツブルグでの初上映後、あまりに人気がなく3日で打ち切りになったというエピソードがある。
オーストリアがナチス・ドイツに併合されたという屈辱の歴史を思い出させる内容である事と、たくさんの風光明媚なロケ地を選んだためストーリーに無理があるため、「うそばかりだ!」と地元の人の反感を買ったらしい。
映画の最後にトラップファミリーがナチスの追ってを逃れて、「歩いて」国境を越えて亡命するシーンがある。
実際、本物のトラップファミリーは亡命してアメリカに渡り幸せに暮らしたのだが、あのシーン、ザルツブルグから歩いて越えた国境は、オーストリア・ドイツ国境なのだ。つまり追っ手のナチスのドイツに逃げて行くという変なシーンなのである。
スイス国境を越えて行くのが本当なのだが、ザルツブルグからスイス国境を徒歩で、しかも子供連れで目指した場合、1週間でも行き着かないというのがザルツブルグの場所である。ドイツ国境ならば車だと30分もかからないくらいの位置である。
まあ、そんなことで、アメリカ人と米国映画の好きな東洋人にしか人気のない映画らしい。

家内は、元々好きだった事と中学校の音楽教師として教材代わりに生徒達に見せていた事から、100回は観ているという。ほとんどのシーン、歌をそらんじている。
私は、「ああ、そういえば、このシーンはこうだったね」という位のもので、思い入れの差はかなりあった。でも、とても楽しく幸せな気分になれるツアーであった。(写真なくて残念)
写真の教会は、後半のツアーでザルツブルグ市街周辺の主要なロケ地を回った後、大きく郊外(ほとんど山を登って行く感じ)に出て、湖の見えるザルツカンマーグート地域に出てからググっと湖畔の街に降りて行く感じであった。初めて来た日本人に撮っては、とても自分たちだけで行ける場所ではなかった。
ツアーガイドのオジさんは、これまた陽気でジョーク好き。客を飽きさせず笑いを取っていた。


ツアー終了後、帰りの列車19:04ザルツブルグ発のICEに乗車し、21:43予定が少し送れてWestbahnhof駅に到着。U3でシュテファンプラッツに戻り、ホテルについたのは22:20近かった。

ーー
オーストリア鉄道とザルツブルグの旅は、この方のHPが充実しています。
http://www.geocities.jp/tabinoshasoukara/austria4.html

Sound of Musicのロケ地の写真が観たい方はこちらのHPが充実しています。
http://www.ne.jp/asahi/sugiyama/sorcer/SoundofMusic.html

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2007.05.29

<鳥海山>

Chokaia私が、庄内の地に、酒田に移り住もうと思った大きな要因として、鳥海山の美しさがある。
最初の写真は、自宅から毎日通うUクリニックへの道、国道344号線。
ま〜〜っすぐ鳥海山に向かって行くように見える部分がある。
運転しながら思わずデジカメのシャッターを切ってしまった。(^^;;;;
どうぞ、写真をクリックして大きくして鑑賞ください!

Chokaib1次の写真は、そこから八幡町の方面へ走ったところでの風景。
山の美しさに見とれ、車を停めて撮った写真。
電線がたくさん走っている事に後から気づいたが、写真を撮る時は山以外目に入らなかった。
電線を外し少し拡大して載せる。


Chokaib3次の写真は、遊佐方面へ向かったところ。
ちょうど日没時になり、山が薄紅というか薄紫に染まった。
この美しい山を見ているだけでもこの地に住む甲斐があるというものである。

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♪②「中央ヨーロッパの旅」:5月7日、ウィーン2日目

5月7日(月)、ウィーン2日目。
今日のハイライトはなんと言っても、夜のコンサート。
ニコラス・アーノンクール指揮ウィーンフィルである。
Hkebfastsetホテルの楽しみの一つに朝食がある。ここの朝食はビュッフェスタイル。美味しい。
コーヒーも美味しい。まずはこれから始まる長い一日の体力をつける。

Hkebfast2ちょっと取り過ぎなよう。
周りの人たちは余り大量には取っていない。このホテルは、団体客はなく、比較的年配者が多い。
有名な割には日本人客も少なく(我々以外に、1、2組)、落ち着いた雰囲気でゆっくり食事できる。

Hkeguestホテルの玄関口には、過去に宿泊した有名人の名前が刻印されている。モーツァルトの名前が一番上にあるが、宿泊したというよりは、ホテルのある番地にかつて短期間モーツァルトが住んだ事があったらしい。しかし、クララ・シューマンにワーグナーにブルックナーにリストにグリーグに、、、名だたる音楽家達の名前が誇らしげに刻まれている。

Shoenbrunbasha2昨日はホテル周辺を回ったので、今日はまずシェーンブルン宮殿へ。ゆっくりと10時過ぎに出発。シュテファンプラッツ駅はホテルから徒歩1分。地下鉄で到着。
あまりにたくさんの部屋があるため、半分程の見学コースにする。日本で言う、修学旅行生のような子供達もたくさん居た。
つい、馬車に乗ってしまう。。。(^^;;;;

戻るのは、路面電車でウェストバーンホフ駅へ。明日、鉄道でこの駅からザルツブルグに向かうので、駅の位置や雰囲気の下調べを兼ねる。
ここから地下鉄でシュテファンプラッツへ戻り、昼食はカフェ・オーバーラーの2階へ。ゆっくり食事を楽しむ。
Oberlaarウィーンにはカフェが多い。気候の良いこの季節は、特に店の前に席を広げてある。日本でも最近は目にするようになった光景であるが、ヨーロッパ人は天気の良い日は陽の光を浴びる事を好むらしい。
美白信仰の日本人(特に女性)は、戸外でお食事と洒落こむよりも紫外線対策の方が重要のよう。
私も強い陽射しを浴びるより、2階席でのんびりビールを飲んでくつろぎたかった。

オーバーラーを後にしたのは午後3時過ぎ。そこから、市中心部にあるブルグ宮殿へ。
特に見たいのはシシィ博物館。
ここも、シェーンブルン宮殿と同じようなものではあったが、その恐るべき数の銀食器や燭台などのコレクション。そして驚いたのは、伊万里焼などのJapanのコレクション。
ゆっくり見て歩いて、午後5時頃ホテルに戻る。


Konzh1今日のコンサートは、楽友協会大ホールではなく、コンツェルトハウス大ホール。
こちらも音響の優れた、収容人数の多い素晴らしいホール。

Konzh2私はタキシード、家内は和服で徒歩でホテルから出かける。
ゆっくり歩いても10分程度。早めについたので、いろいろ見て回った。

Harnoncour1写真は1曲目のアルバン・ベルクのバイオリン協奏曲が終わったところ。
独奏はギドン・クレーメルであった。バイオリン奏者で、かつ指揮者。
指揮者のアーノンクールはチェロ奏者でもあり旧知の仲。
素晴らしい演奏であったが、ベルクのこの曲は耳なじみがない。「12音技法」と呼ばれる、一見(聴)無調の音楽なので、いわゆる狭義のクラシック音楽と違って捉えところがない感じがするのである。

長めの休憩の後、後半の演目。ベートーベンの交響曲第7番。いわゆる「ベトシチ」である。
アーノンクールもウィーンフィルもノリノリで4楽章があっという間だった。楽しかった。
Ozawakonzerthこのコンサートには、写真のようにマエストロ小沢征爾も来ておられた。
2階バルコニー席の下手側の真ん中の立派な作りの部分が「ポコン」と空いていた。
何かと思ったがマエストロ小沢がいらした訳だ。
コンサートが終わって会場を後にする時に、物々しい警備と警察車両がホール前に縦に長く停まっていて、誰かが来たらダーッと走り去ってしまった。政府高官か大統領か貴族か、そう言った方が来ておられたのであおう。
小沢さんはそのお相手役だったのかもしれない。
それにしても、休憩中ロビーを歩いていたら、偶然貴賓用休憩室?から出て来た小沢征爾さんとすれ違う形になった。こちらが会釈をする前に、我々を見てすぐ日本人とわかったらしく(和服の女性ですから)、「ニコッ」というより「クシャッ」というような、あの目がなくなるような笑顔を向けてくださったのには感激した。

Wimperialコンサート会場を後にしたのは夜の9時半過ぎ。
歩いてすぐのインペリアルホテル1階のレストランで、感激を噛み締めながら料理を味わった。
ここにもシシィの肖像画はかかっていた。

Wimperialrestau_1写真は、私が頼んだ料理の最初、「何だか」のスープ。美味しかったけど覚えていない。確か何やらと言う名前の野菜のスープにイクラ(鱒の卵?)が添えてあった。少ししょっぱいけれど美味しい!
隣の席では、どうやら10才前くらいの可愛らしい女の子のお誕生日会。セレブな雰囲気が漂ってくる。
平日の、夜の10時過ぎて、高級ホテルの一流レストランで子供誕生会か〜。

我々は、素晴らしい音楽で感激し、おいしい料理で感激し、マエストロ小沢に会った(すれ違った)事に感激し、それらを噛み締めながらゆっくり食事をして23時頃ホテルに戻った。

ああ、いい一日だったな。

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♪①「中央ヨーロッパの旅」:5月6日、ウィーン初日

2007年5月6日から16日まで、9泊11日の旅行をした。
目的地は、ウィーン、ザルツブルグ、ブダペスト、プラハ。
iMode携帯で現地から部分的にアップした記事があるが、取りためておいた画像を少しずつ公開する。
すでに3週間が過ぎて記憶があやふやになりそうであるが、まずは写真を載せて、iModeで書き込んでおいた記事を参考に加筆補足訂正をして、ゆっくりと完成を目指すつもりである。

初日、5月6日(日)
成田からオーストリア航空でウィーンへ。ビジネスだったので快適な旅。
荷物も多いし二人旅なので、空港からはタクシーを使う。
ホテルは、「カイゼリン・エリーザベト」。
Hkeentrフランツ・ヨーゼフ1世のお妃にして、ハプスブルグ家最後の王妃。生涯を通して、王妃である事を喜ばず、美に懸ける情熱は凄かったらしく、何でもウェストは50cmとか。「シシィ」の愛称で親しまれた。
その名を冠したホテルであり、直前に読んだ小説『ウィーンの冬』にも登場していただけに、ここに泊まる事だけでもワクワクしていた。
写真はエントランス前のホテルの住所表示。

Hkeloundge2今年の冬から春にかけて改装されたラウンジ。
北川森央さんのブログで見るラウンジとは感じが変わっている。
シシィの肖像画も正面ではなく横になっている。
しかし、この部分は朝食をとるレストランから出てくると「正面」に当たる位置である。

Univchurchvホテル・カイゼリン・エリーザベトの、たまたま向いの会社にお務めである、秋田出身のS氏。昨年の旅行でもお世話になった。チェックインがまもなく彼から連絡があり、一休みした後、早速市内観光へ。
大学近くの教会に立ち寄る。椅子に座り心落ち着かせると同時に、素晴らしい内装にヨーロッパに、ウィーンに来た実感が湧いてくる。

Lvbeethoven1市民公園を北側から入り、シューベルト像、シュトラウス像などを見て写真を撮りながら、楽友協会方面へ歩く。
途中にベートーベン像があった。
楽友協会を周りオペラハウスの前を通って、ケルントナー通りへ戻り、シュテファン大聖堂方面へ歩くと、数分でホテル。今日はまずホテル近くで軽い夕食をとり、部屋に戻って、明日に備える事にした。
時差は7時間。夜の8時でも、日本では深夜3時。
バタンキューと寝てしまい、夜中に目が覚めて、携帯でブログをアップした。

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2007.05.28

☤投票:脳外科開業医に関する調査

すでに5/25の記事を見て、Yahoo!ブログに飛び、投票してくださった方、ありがとうございます。アンケート調査の項目自体が、誘導的というか変な項目ですが、該当しないご意見の場合は、是非コメントをお寄せください。

皆さん様々な背景をお持ちな訳で、個人のお考えは個人の数だけあると思います。そういう意味では投票結果を分析する事は難しいかもしれません。例えば少数意見に私の場合に適応できる貴重な意見もあり得るでしょう。
それにしても、投票結果を解析するには20からできれば30名以上の投票を頂きたいと考えています。
投票の締め切りは、だらだらしても問題なので、一応7月末あたりに設定しております。
是非、皆さんのご意見、ご希望を聞かせてください。
よろしくお願いします。
開業アンケート(1)へ。
開業アンケート(2)へ。


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2007.05.25

☤脳外科開業医へ望む事(調査その2)

引き続き、脳神経外科専門医の一般開業医に対する要望、希望などに関するアンケートです。
下記↓をクリックして投票をお願いいたします。
開業アンケート(2):脳外科開業医の役割は?(その1)へ。

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☤脳外科開業医へ望む事(調査その1)

さて、今日から(たぶん)数回にわたって、脳神経外科医が一人で開業する事に対する忌憚のないご意見や要望、希望などをお伺いしたいと思います。
このCocologではアンケート調査ができないので、以前から作って放置してあったYahoo!の方の「セカンドブログ」の「投票機能」を使ってご意見を頂戴したいと思っています。
第1弾は、『脳外科専門医の一般開業に望む事』です。
恐れ入りますが、↑ここをクリックしてYahoo!ブログに飛んで、質問事項にお答えいただければと思います。
投票項目に望む回答がない場合は、自由にコメントをお寄せください。
コメントは、Yahoo!ブログの方でも、こちらの方でも構いません。
よろしくお願いいたします。

(これと平行して、『中央ヨーロッパの旅:帰国後のまとめ』も始めようと思っています)

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2007.05.24

挑戦。前へ!

ネットの世界から長くは離れていられませんでした。
5日振りでしょうか?

新たな職場にもネット環境は完備されていたので、パソコンをつないで、設定するだけでした。
自宅の方には新たに「光」を引くので、こちらのほうはまだです。
で、ブログの書き込みもパソコンからできるようになりました(携帯電話からはずっとできる環境でしたが、疲れるんですよ、携帯の文字打ち込み、、、)。

いろいろな事情が重なり、当初の目論見よりも個人開業の準備を早めなくてはならなくなりました。
昨日は既に開業候補地の一つを視察してきました。
近くに開業医があり、挨拶もしてきました。
この先生は、大学時代のクラブ活動の先輩でもあり、以前同じ病院で働いた事もある、よく知っている先生でしたので、短時間ながらその土地の事や開業準備の様々な事を教えてくださるということで後日ゆっくり話をしましょう、と言ってくださいました。

一言で「開業」と言っても、単に資金の面だけでなく、人的資源、周囲の環境と将来の発展性や他の開業医と競合せず協力関係を築いていけるのかなど、深く考えなければならない事がいくつもあります。

今考えている事があります。
このブログを利用して、一般の方々の、開業医に対する要望、これから開業する、脳や循環器系を専門とする医師に対する希望とか注文とか、要するに「こんな医師に診てもらいたい」、「このようなことを相談したい」というようなご意見を伺いたいと考えています。
そのご意見を元に、新しいクリニックを開設することを計画したいと思っています。
よろしくお願いします。

おっと!外来から呼ばれました。
ではでは。

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2007.05.16

中欧「音楽への旅」最終章;10、11日目

帰国しました。
フライトは順調で0820到着の予定が0725に到着。
真っ直ぐ山形に帰りたいところですが、戸塚の実家に寄る用事があります。
出発前に母がちょっとしたオペを受けていたので、担当医に会う約束があるのです。
それらが終わったら、明日は昼から仙台でコングレス前日のハンズオンコース。私は全国から受講する神経内視鏡コースの講師(全国から選ばれた3名の一人)として参加する。
夜は翌朝のコングレス開会式での脳外科オケのリハーサル。

という訳で続きは落ち着いてから書きます。

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2007.05.15

中欧「音楽への旅」9-1:9日目

今日は9日目で実質的最終日。
ピッコロ奏者のスタニスラフ・フィンダ氏と奥さんの志保子さんに会う予定。
昨晩が遅かったので九時に起きだし、朝食は10時少し前から。
プラハ初日にエレベーターで一緒になった老夫婦が隣りのテーブル。とても仲睦まじい。ご主人は90近い感じで、テーブルにつく前にgood morning!とにこやかに挨拶をしてこられた。素敵なカップル。
朝食後うだうだしていたら1030を過ぎたので、計画していたムハ美術館を訪ねる。これが泊まっているホテル・パレス・プラハの真前にあり、玄関から小道を横切るだけ、わずか10秒の距離。期待を上回る展示と、半生を紹介する結構な長さのビデオ映像で楽しめた。ムハというと、アールヌーボーの旗手とかポスター画有名でそんな事くらいしか知らなかったが、ピカソの「青の時代」を思い起こさせるような油絵とか、鉛筆のみの異常な程細かく描かれたデッサンとか新しい発見がたくさんあった。
志保子さんが12時頃会議が終わったら電話をくださるということになっていたので、ホテルの部屋に戻って待つ。まもなく電話があり、ホテルロビーで待ち合わせ。彼女の車でプラハ郊外のご自宅へ。
その後の詳細は帰国後に。
ご自宅で犬と遊び、車でさらに30分程北にあるドボルザークの生家を訪ねる。その後、旧市街の予約してあったコルコブナというスタンダ行きつけのお店へ。
楽しく食事をしていると、スタンダと約束してあったという事で、昨年チェコフィルを引退するまで首席フルートだったヴァーレクさんが我々の食事をしている席に見えた。プラハ音楽院でロマンの先生をしていた人であり、フルート吹きにはよく知られた存在。スタンダが彼のために日本のM社の14K頭部管を二本預かってきていたようであった。
こんなところでお会いできるとは!
志保子さんとスタンダとの食事はとても楽しく、三時間を過ぎ私はビールで眠くなり、スタンダは3リッター程行っていたので、そろそろということになり、ホテルまで送って頂いた。
こんな一介のアマチュア笛吹きに、ただフィンダピッコロを二本持っているだけでこんなに善くしてくださって幸せである。
音楽を通した交流が、必ずしも幸せな関係とは行かないこともあるのに、今回の旅を通してこんなにも恵まれ、こんなにも幸せな時間を過ごせて、本当に感謝感謝である。
人の縁や友情は「計算抜き」で大切にすることで自分が幸せになれる。相手に敬意を払い愛する、つまり「敬愛」に尽きると思う。

楽しすぎた旅も終わりを迎え、明日は帰国である。今回のような旅行はそうそうできるものではないのだが、また近いうちに来たいな。
次回は、デュシャンやフィンダさん達を頼ってプラハに長く逗留して、チェスキー・クロムホルツやピルゼンのピルスナー造醸所など周辺にも行ってみたい。
ハンガリーのソルノクにボルバーラ達を訪ねなくてはならないし、一週間やそこらではすまない感じである。
ああ、いつ来れるんだろう。また来たいな。
また、来よう。さよならプラハ!デュクイ・バム!

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2007.05.14

中欧「音楽への旅」8-1:8日目

ついにその日を迎えた。
スメタナホールでスメタナ作曲の「我が祖国」全曲演奏byチェコフィル。
午前中ゆっくりプラハ城へ。12時の衛兵交替を見物。
ここで年の頃、70前後の日本人の親父の言動が気になったのできっちり釘をさしておいた。詳細は帰国後に。(^_-)
城内の大聖堂は「ここは日本のディズニーランドですか?」という長蛇の列だったので速攻で諦め、バロック美術博物館へ。
その後、旧市街へ戻り、時報の仕掛けが有名な天文時計を3時に見物。ちょっと拍子抜け。
日曜だが仕事のあった(医者はどこでも同じだ!)デュシャンと四時にホテルで待ち合わせし、近くの店で軽く食事をする。
いろいろ楽しい会話をして別れる。
ホテルで少し休む。
7時にオンジェがホテルまでチケットを届けてくれる。お土産までもらう。

0720、私はブラックタイで連れは着物に着替えいざ出陣。
ホテルからスメタナホールのある市民会館までゆっくり歩いて5分。
コンサートの事は書きたいことが山ほどあるので、帰国後のお楽しみに。
2000開始のコンサートが終わったのは2200過ぎ。着替えて出てくるロマン達を正面玄関で待つ。最初にオーボエのヤナ、少し遅れてフルートのロマンとファゴットのオンジェが来た。
固い握手と抱擁で再会を喜びあう。徒歩で彼らが予約しておいてくれたレストランへ。クラリネットのボイターは遅れて集合。
彼は彼で、ドボルザークホールで行なわれていた『プラハの春音楽祭、指揮者コンクール』の演奏をプラハ室内管弦楽のメンバーとして終えてきたところ。本選はポーランド人二人と日本人一人の計3人で行なわれたそうで、日本人の指揮者はドイツ留学中なのかドイツ語も上手で指揮もよかった、と言っていた。
後はホルンのバボちゃんがいれば(ベルリンだけど)アフラートゥス・クインテット完成である。
山響音楽監督の飯森さんが二ヵ月程前にドボルザークホールでチェコフィルを振った話(なんでも「のだめカンタービレ」のDVDのための録音とか)や、「炎のコバケン」小林研一郎氏の話など、話題はつきない。
楽しい時間はあっという間に過ぎるもの。店も終わりだということで、0時も大きく回ったところでお開き。歩いてホテル前まで送ってもらい、また固い握手と抱擁でお別れ。部屋に戻って時計をみたら、0030を過ぎていた。
あんな世界的な人達と普通の友人のようにお付き合いができるのは本当に夢みたいで幸せなこと。神様に感謝である。
もっと書くこともあるが、今日はピッコロ奏者アンド製作者のスタンダ・フィンダと奥さんでフルート奏者の志保子さんに会うので、この辺で。
楽しい旅もあと一日で終了だ。

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2007.05.13

中欧「音楽への旅」7-1:7日目

今回の旅も7日目。
佳境である。
最終目的地にして旅行の一番の目的であるプラハ訪問。
チェコフィルのオンジェから『プラハの春音楽祭』に招待を受けている。加えて、今年11月に来日公演を予定しているチェコフィルの行動に合わせて、昨年果たせなかったオンジェのファゴット・ソロ・リサイタルを遊佐で行なうことの打ち合せもミッション。
うむ、まるで音楽プロデューサのような事をしているのである。

ホテルにはタクシーを7時に呼んである。5時半に起きて熱いシャワーを浴び、さあパッキングである。
お土産をたくさん買ったし、クリスチーナからもボルバーラからもお土産をたくさん頂いて、荷物が膨れ上がってしまったのだ。
日本から持参した、風呂敷、扇子、浴衣などをお土産として渡してはいるが、もともと余りかさばらないようなものしか持ってきていないし、夫婦二人11日間を大きなスーツケース一つで済ませようとしたので厳しい。時間をかけて何とか詰めた。
7時からの朝食も0645から取れるようにしてくれていたので助かった。小さなホテルでほとんどアメリカ人宿泊客。日本人は我々二人だけ。実質的ないいホテルだった。
ブダペストのタクシーについては書きたいことが山ほどあるが、これも帰国後とする。

さて、ブダペスト空港には0725に着きチェックイン。フライトは0905発。
手荷物審査で失敗した!
これは国際線。一人あたり機内に持ち込める液体は100ml以下となっていることをうっかり忘れていた。プラハ空港に迎えにきてくれるというデュシャンにプレゼントするためとスーツケースの荷物を減らすため、手持ちのバッグにトカイワインを一本入れていたのだ。(;_;)
当然取り上げられ、そのままごみ箱行き。ああ、デュシャンへのお土産が!小瓶とはいえ、6プートンの最上級甘甘貴腐ワインで5000フォリント(約3000円)もするのに!
搭乗口でまっている間、「ああ、捨てられるんだったらあそこで開けて飲むんだったなぁ」と根が貧乏性なので悔しさが込み上げてきた。
ドンマイ!p(^^)q

プロペラ機はボンバルディアじゃなかった(ホッ)。少し遅れて1030プラハ着。
デュシャンが車で迎えに来てくれていた(横文字の登場人物が分からない方は)昨年一月のハンガリー演奏旅行の記事を参照して頂ければ幸いです。(*^_^*)

プラハは人でごった返していた。
音楽祭に合わせてさまざまなイベントがあるらしい。明日はマラソンとのことで、道路が既に封鎖されているところもある。市街地は石畳で道も狭く一方通行も多い。デュシャンは苦労してホテルまで連れてきてくれた。
今回宿泊する3つのホテルの中ではたぶんもっともランクが上の「パレス・プラハ」。
ベルボーイ(でかい!)の迎え方から違う。
まだちょっとチェックインには早かったらしく、ロビー脇のカフェでwelcome drinkを飲みながら待っていてくれ!という。
部屋の準備が出来たと案内してくれたのは、客室担当チーフマネージャー。大柄だけど一生懸命さの伝わる感じの良い女性マネージャーだ。連れが言っていたが、ウィーンでもブダペストでも女性スタッフが少ないようだった。プラハは違うようである。
少し休んでから、また迎えに来てくれたデュシャンに連れられて、旧市街見物へ。スゴイ人!
休日の新宿や渋谷よりも多いのでは?と感じさせる。片がぶつからないように歩くのに一苦労である。
昨年来ている私としては余り物見遊山的な希望はない。
マリオネットの劇を観たいという連れの希望で、国立マリオネット劇場を探す途中、聖ミクラーシュ教会へ立ち寄る。各地の教会、特にパイプオルガンを見るのが楽しい。
夕方五時から、オルガンとトランペットの教会コンサートがあるとのこと。マリオネットの方は『ドン・ジョバンニ』で八時からとのこと。ちょうどいい!
少しブラブラして喉も渇いたし、ビール!でしょう。
デュシャンが連れていってくれたのは、フルート奏者北川杜夫さんのブログでも紹介されていた『金の虎』。ああ、うまい!
詳細はまた。
教会コンサートは素晴らしかった。一人300フォリントでこんな演奏が聴けるなんて!絶対音感のある連れは「冷えた教会の中でハイトーンのHiFが出せるなんて!」と感動していたが、それもそのはず。チェコフィルのトランペット奏者で泣く子も黙る?ケイマールさんだったのである。
こんなところでケイマールさんのトランペットが聴けるとはラッキーとしか言い様がない。
その後、デュシャンが見つけてきてくれた旧市街のレストラン(名前は後で写真を見て書きます)で当然ピルスナー・ウルクエルを頂きながらゆっくり食事をした。同じビールでも微妙に味が違うのがチェコのビールのおもしろいところ。樽での保存の仕方、注ぎ方などでも微妙に変わるらしい。500ml一杯が42クローネ、約240円位と安いのもうれしい。飲む人がいるのかどうか疑問なのだか、メキシコのコロナやベルギー?のハイネケンは倍以上の値段だ。
さて八時からのマリオネット、これは予想以上に楽しく素晴らしかった。芸が細かいし演技が素晴らしい。指揮者のモーツァルト君なんて本当に生きているみたいだった。
こちらも詳細は帰国後に。
夜景のカレル橋と王宮を観て帰ったらまた23時だった。
明日はいよいよ「我が祖国」スメタナホールでの全曲演奏である。

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中欧「音楽への旅」6-1:6日目

旅の六日目の朝ば、ブダべストのホテル、カールトンで迎えた。
ここは今回の旅の中では二泊と短いので、ロケーションだけを重視して、少しランクの落ちるホテルである。
ベッドは小さいし部屋の調度品からみても、ビジネスホテルクラスということになりそうである。
華美な装飾も過度なサービスもないけれど、朝食は美味しく男性しかいないフロントの応対も愛想には欠けるが気持ち良い。
値段の事を考えると満足度の高いホテルと言える。

午前中はクリスチーナの案内で観光。午後はリスト音楽院にファルカシュ・ガボールを訪ねる。8月のJAO酒田大会の特別企画として招聘するピアニストとの打ち合せ。
実は彼に会う事も今回の旅の重要なミッションの一つ。話し合いは実に有意義に進み、彼が先生もしているリスト音楽院を案内してむらった。素晴らしい音響と装飾のホールでは、大学院生の合唱練習中。素晴らしい歌声を響かせていた。
リスト自身はここで教鞭を取ってはいないとのことで、歩いて5分程のところにあるリスト記念館へ。
リストのためだけに作られたというピアノなどもあり。詳しくは帰国してから追加します。
夜は、ソルノクからシャンドールとボルバーラがわざわざ会いに来てくれた。もしかすると、ソルノクでコンサートがあったにもかかわらず、それをキャンセルしてまで会いに来てくれたようなことを言っていた。
シャンドールには当然のようにパーリンカを勧められる。詳細はまた後程。
美しくライトアップされたくさり橋を徒歩で渡って歩いてホテルに戻ったらもう23時前。
明日はプラハ。
6時前に起きてパッキングしなくちゃ。
ということで、続きます。

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2007.05.11

中欧「音楽への旅」5-2:5 日目

オペラから帰ってきました。
ああ、素晴らしかった!
よく寝ましたけど。
だって歌はドイツ語で、舞台上方に字幕が出るけど、これがマジャール語でさっぱりわからない。
何を歌っているのか、歌詞内容が分かるほど通ではありませんから。

音楽はワーグナーらしい堂々としたもので、管弦楽の演奏がとても質の高い素晴らしいものだった。弦に粘りがあるし、ホールの響きも素晴らしかった。
このホールでは昨年にまたワーグナーだけれど「ニーベルンゲンの指輪」みたのだった。
私はタキシード。連れは着物。ホールは着飾った人達であふれていたし、日本人とおぼしき東洋系の顔もみかけましたが、着物で来た人は皆無で俄然注目を浴びていました。
カクテルドレスを来た御婦人には特に興味深い様で、結構じろじろと見てくる感じでした。幕間に私がちょっと離れていると、ある御婦人が寄って来て何か話し掛けてくるのですが、連れは何を言われているか分からず、多分着物の事を誉めてくれているのだろうけど?という感じで半分笑顔で応対していました。
戻ってきた私に話し掛けてくれるのですが、マジャール語で何を言われているか分かりません。
「、、、ナジョン、、、」
あ!確か、料理がとても美味しい時に「ナジョン・フィノム」て言ってたから「とてもきれい!」と言ってくれているんだとわかり、笑顔で「ダンケ・シェーン」と応えたら、「わかってくれたのね、とても嬉しい」という感じで去っていきました。(しかし何故にドイツ語なんだ>自分)

全3幕なので二回の休憩時間があります。一回目の時、まずは喉を潤そうとカフェテリアへ。皆考えることは同じで、すごい人。六ヶ所あるカウンターの一つに並びます。シャンパンや有名なトカイワインにカクテルもありますが、よく分からないのでビールとすぷら糸を注文。
「850フォリント」と言われたような気がする。「ユーロで」と言ったら、「ダメ」と言う。へ?ハンガリーはEU加盟国でしょ?だめ?と聞いても、カードは?と聞いても、「ごめんなさい。フォリントだけなの」と言われたので諦めて立ち去ろうとしたら、後ろに並んでいた男性から「May I invite you?」と言われた。フォリントを持たず困っていた私を見兼ねて奢ってくれるというのだ。
思いがけない申し出に少し困惑したけれど、男性の口調や身なり、そしてお連れの女性のドレス姿からも立派な紳士淑女であり、断るのも失礼かなと考えて申し出を受けることにした。
着いたばかりでユーロしか持っていなくてごめんなさい、ありがとう、ご親切に、すみませんなど言える範囲の謝辞を言って頂くことにした。
テラスに出てみたが、外の空気を吸う人、タバコを吸う人でごった返していたのでまた中に引き返すと、先程の紳士淑女とばったり。もう一度礼を言うと、恥ずかしいからそんなに言わないで、と言っていたようだった。改めて後ろ姿をみると男女とも夜会服の相当良いものを着ているようだった。
さて、オペラは半分近く寝たかもしれない。夕方の六時に始まって、終わったら十時過ぎ。二回の休憩が合わせて40分はあったと思うが、三時間を優に越す大作だった。
タンホイザーと言えば、序曲は先頃TVドラマになった『白い巨塔』で財前が執刀前にオペのイメージトレーニングをしている時に(実際の外科医はあんな事しないけど)流れていた。
途中、トランペットのファンファーレの時は、バルコニーの3階一番舞台よりのボックス席に左右4人ずつ配置して演奏していた。オケピットにもトランペット奏者はいたのでおそらくファンファーレのためだけの演奏だろう。
舞台裏から合唱が聞こえてきたり、ホルンが遠くからなったり、バレエダンサーを含めて合唱や主たる配役まで総勢80人近い大がかりなもので、それに質の高いオケが60人くらいいた。
館内は壁、柱、彫刻、飾りなど見事で、ウィーンの王宮にも負けないような美しく立派なものだった。

大分長くなったのでこの辺りでやめておく。
つづし、、、

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2007.05.10

中欧「音楽への旅」5-1:5 日目

4泊したカイゼリンエリーザベトを後に、すっかりお気にいりの地下鉄U3でウィーン西駅へ向かった。
市内の公共交通乗り放題の三日券をウィーン滞在二日目の朝、シェーンブルン宮殿に行くとき購入していた。最初の改札から72時間乗り降り自由。今朝の9:50まで有効。

ウィーン西駅を9:52にICEは出発。国際線らしく様々な人種の乗客。我々の後ろの席は韓国人らしい女性二人連れ。アメリカ人(発音から西海岸の人達かな)もいる。
ザルツブルグに行った一昨日と同じ西駅から出るのだか、目指すのは東の国ハンガリー。45分程で国境らしく、マジャール語?と英語のアナウンス(これがひどいスピーカーで声が割れて良く聞こえない)の後、POLIZEIという文字が目立つ制服が三名回ってきた。
パスポートに汽車ポッポのスタンプをもらったのでしまおうとしたら、また違う服の男性が二名乗り込んできた。さっきはオーストリア出国、今度はハンガリー入国だ。
さすがオーストリア・ハンガリー二重帝国の土地柄。歴史上、数多くの侵略、服従、支配、独立のための戦いを繰り返してきた場所と感心する。
スイスやイタリア国境に近い西や南オーストリアと違い、東にはただ畑、牧草地、たまになだらかな丘があるのみ。国境などという境目がまったくない。静岡から愛知に入ったような感じである。まだ山形・秋田間の方が山や川があり、境目らしい。
こんなに近く、境目もはっきりせず、歩いて往復できる国が、言葉も民族も歴史も違うのである。特急で2時間56分というのは、まるで山形・東京間である。二つの国の首都がその距離で結ばれている事に、千年の過去と現代のEUの必然を感じる。
そんな事を考えていたらドナウ河を渡り、ブタペスト東駅に近づいた。

駅では列車から降りるところ(ホーム)で客引きのタクシー運転手が待っていて、タクシー乗るか?と聞いてくる。料金を尋ねると、メーター料金だというのでボラレはしないだろうと、乗ることに決めた。荷物を一つ運んでもらい、ホームを出口に向かって歩いていると、見覚えのある顔が。
レイカだ!もう一人のお兄さんは、、、そう!シャンドールジュニアだ。
昨年ホームステイでお世話になったシャンドールとフルート奏者のボルバーラの子供たちである。

さて、今晩はオペラに行くのでこの続きはまた。

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中欧「音楽への旅」4-1.4日目

四日目のウィーンは朝から雨。当初の予定どおり、今日はあまり動き回らず、まずはゆっくり朝食後(このホテルの朝食は本当においしい!)、「美術史博物館」に10時頃でかけた。
雨足は結構強いので持参した携帯用折畳み傘(あ、これ、去年山野でスタンダ・フィンダと会った時、山野の一階で買ったんだった)では不十分。ホテルのフロントで普通の傘をかしてくれた。
シシィ好みのエンジ色でHotel Kaiserin Elisabethの文字が誇らしげにプリントされている。
雨の中、15分程の距離とは言え、歩くのも大変なので地下鉄を使う。シュテファンプラッツ駅のすぐ側なのは雨が降って初めて幸いだと理解できた。U1でカールスプラッツ駅へ、そこでU2に乗り換え、ミュージアム・クォーター駅へ、いずれも一駅だがスムーズに到着。地上に出るのにちょっと迷って美術館の入り口まで遠回りになったのはご愛嬌。
ここはレンブラントにフェルメール、アルチンポルドと多彩な展示が大量にあり、ウィーンに住むS氏によると一階のギリシャ・ローマ時代のコレクションなども真剣に観ていくと一週間必要かも、とのこと。
絵画を中心に駆け足で観たけれど三時間かかり足も疲れたので、館内のゲルストナーという老舗カフェで休憩しつつ感激を反芻した。
ありきたりかもしれないが個人的には、ベラスケスの「青いドレスのマルガリータ王女」が良かった。ラファエロの「草原の聖母」もその表情とともに控えめな鮮やかさの印象的な青いスカートと柔らかな青い空が美しかった。
宗教画や古代神話に基づく絵は暗い色調やグロテスクと感じさせるものも会ったが、ブリューゲルね「バベルの塔」などはさすがの名画と思った。

これは携帯で書いている。女子高生のような早打ちはできないのでパソコンで書く五倍位時間がかかるし、成田で海外用iModeのN900iGというのに換えてきているから文字入力の勝手が違う。
という訳で今回も途中で力尽きる。帰国後、追加捕捉訂正のためにメモしておく。
博物館を二時前に出て、リンクの大道路を渡ったブルク宮殿内の有名なモーツァルト像。そこからすぐのオペラハウスの間にある凄く大きなゲーテ像。連れは「これでゲーテって読むの?」と。私も正確な発音は知らない。
オペラハウスのガイドツアーは高いし(15ユーロ!!)混んでいたのですぐ諦めミュージアム・ショップへ。ぐるっと見て何も買わず(普通、モーツァルトの肖像画入りTシャツとか買うでしょう、、、)。
次にホテルから一番近い名所聖シュテファン大聖堂へ。モーツァルトの葬儀もここで行なわれている。中はもちろん素晴らしいが、南塔の階段登りを避けて北塔のリフトへ。一人4ユーロ払って地上135mの塔の外に作り付けられた足場へ。
ちょっと恐い、、、(^^ゞウィーンの北半分はよく見える。
外はまだ雨なのでまた地下鉄で一駅のヘレンガッセへ。行ってみたかったカフェ・ツェントラルヘ。
そこからまた地下鉄U3でスチューベントアに出て、リンクの時計回り市電の「1」に乗り換え、市民公園と楽友協会の間のシュヴァルツェン・ベルク・プラッツ(黒い山の場所?)で降りて、Haus der Musikという科学館のような博物館に行った。楽しかった。
ホテルに戻ったのは18時すぎ。小一時間休んで2015からの観光客向けの音楽会へ。ブラームスホールとは言え楽友協会を楽しむため、早めに1915ホテルから徒歩で出発。
連れは、先日のウィーンフィルに続き、着物。私は今度はタキシードではなくジャケットで。
コンサート後は目をつけておいた日本食屋「天満屋」へ。うどんが食べたかったの。岡山のデパートの出店らしいし、おきゃーまに住んどったワシとしちゃーちょっと寄ってみんにゃ、おえりゃーせんじゃろぅがぁ。
味は、、、ここはウィーンですから。高松ではありませんけん。
値段も、ウィーンですから。きつねうどん一杯が1400円ですから。
四日振りに麺を啜ってお茶を頂きました。
ホテルに戻ったのは23時でした。
お疲れ〜!

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2007.05.09

中欧「音楽への旅」3-1.三日目

日本で予約していたザルツブルグ巡りの日。
最初はバスツアーを考えていた。理由は、簡単だから。しかし、「オペラハウス」前に七時集合で、バスで5時間!かけてザルツブルグに12時着と書いてある。もちろん途中いくつかツアーとして寄る所や休憩があるのだろうがはっきりは書かれていない。そして肝心のザルツブルグには長くても四時間滞在するだけ。
そこで鉄道でザルツブルグ往復を考えてみた。ネットでOBBオーストリア鉄道のダイヤを調べ、到着と帰りの出発時刻に合うツアーを見てみた。日本語ガイドツアーは楽かもしれないが日本人だけでぞろぞろ行動するなんて最も苦手とする事。しかも時間的に一つしか選択できない。
いろいろ知恵を絞ってできたのが今回のパーソナル・ツアー。

ウィーン西駅0730発チューリッヒ行きのOBB。これに乗るためにホテルから徒歩一分かからない「シュテファンプラッツ駅」から地下鉄U3に乗り、五つ目の駅Westbahnhofで降りる。不慣れなので0645にホテル出発。「これじゃ、バスツアーと同じじゃん。」
何も問題なくスムーズにウィーン西駅の広い一階のフロアに着いて時計を見たら七時だった。発車まで30分もある。現金の持ち合わせが少なかったのだが構内に両替があり早朝からやっている。売店でいろんな種類のサンドイッチのようなパンを売っている。どんな固さでどんな味なのかはわからないけどはみ出して見える具財から味を想像して、W...なんとかとP...なんとかを選ぶ。私はコーヒーにmelangeを注文。カプチーノみたいに泡立てたミルクがたっぷりはいったウィーンを代表するコーヒー。妻は牛乳。これが500ml入りしかないしかも低脂肪乳のみ。コップでわけながら二人で飲んだら(日本人にとっては)大きなパンは一個で二人のお腹も満ちるので、もう一個とコーヒーは持ち込むことにした。
ヨーロッパの主要駅は本当のターミナルなのですべてが並んだホームに列車は入ってきて出ていく。通過する列車はない。10番ホームはすぐわかったけれど乗り込む車両は二等なので構内から先頭の方まで歩いて探す。機関車の後ろの先頭車両だった。席は念のため予約していたが、二等は適当に空いている所に座るものらしい。六席で一つのコンパートメントになっており窓側席を二つ予約しておいたので席を確認してほっと一息つき、パンとコーヒーを口にした。
発車直前に大学生らしい初々しい雰囲気のカップルが入ってきた。朝のアイサツを交わす。せの高い男の子は真ん中の席に腰かけるや対面の真ん中の席のシートをグイと引っ張って引き寄せて簡易ベッドのようにし、靴を脱いで(くちゃいよ、お兄ちゃん)長い体を横たわらせた。眼鏡をして愛らしい顔つきの細身の女の子は対照的に、通路側の席にきちんと腰掛けて何やら書き物を始めた。左手で鉛筆で何か一生懸命に書いている。
男の子の帽子に何か漢字が書いてある。よく見ると旧字体で「芸術」と読める。それは何という意味の文字なのか知っているか?と尋ねたら、芸と術の意味をそれぞれ答え、しかも文字が旧字体であることまで答えた。何をやっているのか聞いてみたら「建築」を専攻する学生とのこと。ウィーンは建築物も有名な都市でありなるほどと関心。ちなみに「旧字体」は日本でももはや使わず、漢字の本家の中国では若い世代は旧い文字は読めないこと、日本のアートを学ぶ代表的な大学である東京芸術大学は、旧字体を使っていること(入り口の看板のこと)を教えたら、ふーんと聞いていたが間もなく会話を拒絶するようにイヤホンでロックを聞きながら黒いグラサン(古!)をかけて真横に寝始めた。
(おいおいお兄ちゃん、僕らは通路に出るには君を越えて行かなくちゃならないじゃないか)
女の子は何か書き物を続けている。目が合うとほほえんでくれる。こういった見知らぬ人との交流?も旅の楽しみであろう。
リンツ辺りで乗り込んできたのかもう一人の男の子が登場し三人で別のコンパートメントに行く事にしたらしく、ふたりとも「チャオ」と言って出ていった。そういえばプラハのロマンもチャオ!と言っていた。若者コトバというところか?

さてザルツブルグに着く前までで長くなったので一旦休憩としよう。

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2007.05.08

中欧「音楽への旅」2-2、二日目

時差のせいか、二日続けて夜中の三時頃目が覚めます。日本では10時頃ですね。
メールのチェックや大事な用事への返信をしていたら四時を過ぎました。

アーノンクールのベト七は興奮しました。彼の著作を読んでいたので、彼が如何に聴衆のことを考えながら、しかしおもねる事なく演奏を追求しているか少し理解できたような気がします。
小澤征爾さんと同じ空間で、同じ二階席で感動を共有できたこと自体が感激的だったのに、人混みで混雑するロビーですれ違った時に、こちらが会釈をする前に「日本人」とわかったようで私の目をじっとみて、次の瞬間、ニコッとされたのも感激でした。
世界のマエストロとしてのオーラを発しつつも、あのどちらかというとクシャッとした(失礼!)人懐っこい笑顔で私の心をいぬいて行かれました。さすが、ボストンにウィーンと世界のクラシカル音楽のトップを行く人です。
アーノンクールの偉大さが薄れてしまうような、予期せぬ時間でした。

さあ、今日は鉄道でザルツブルグ。モーツァルトとサウンド・オブ・ミュージックの世界を訪ねます。

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中欧「音楽への旅」2-1、二日目

ウィーン二日目。
ホテルの朝食は、ビュッフェながらなかなか充実していて、コーヒーがおいしかった。

先程ウィーンフィルのコンサートから帰ってきたところで、明日朝は六時起きと早いので今日の記事は、備忘録として。

行った所。
シェーンブルン宮殿。
シュテファンプラッツから地下鉄U3からU4に乗り換えて。
宮殿の庭を回る二頭建て馬車に乗る。
戻りは市電58番でWestbahnhofまで行きU3で戻る。

オーバーラー二階で昼食。
その足で、王宮ヘ行き「シシィ博物館」。
結構朝から歩きっぱなし出足が疲れているので、ホテルに戻り休憩。

夜730からのコンサート。私はタキシード、妻は着物。草履でケルントナー通りを歩くと特に女性の好奇の視線ん浴びる(もちろん着物が)。
コンサートには、マエストロ小澤征爾も観客として来ていた。
終演後、インペリアル・ホテルのレストランへ。歩いてホテルに戻ると23時。
お休みなさい!

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2007.05.07

中欧「音楽への旅」1-3 、初日

ウィーンと日本の時差は今は7時間でした。
オーストリア航空のフライトは順調で、予定より早く1520頃タッチダウン。初めてのビジネスクラスは想像以上に快適でした。
食事やドリンクは普通(と言ってもシルバーのナイフ、フォークにグラスもワイン、シャンパンなど別々)ですがシートが良かった。
すべて手元のコントローラで自由に操作可能で、真っ平らにはならないけれど、スリープモードでは足置きが真っすぐ伸びて、頭の高さと爪先が30cm2位の差まで倒れます。マッサージモードでは背中をソフトにぐりぐりしてくれる機能もありました。
アメニティグッズも充実していて、用意されたスリッパを履きアイマスクをして、ウィンナワルツを聴きながら熟睡できました。

ホテル・カイゼリン・エリーザベトはこの春に一部リノベートされていましたが、この住所にモーツァルトが住んでいたらしく、入り口にモーツァルトの他にワーグナー、リスト、ブルックナーなど過去の著名な宿泊者がプレートに名前を刻まれていました。

昨年トランジット的に一泊だけした際にもお世話になったSさんと再会。お散歩がてらぶらぶらして簡単に夕食を取り、初日は終わりです。ホテルに戻った九時は、日本時間の朝四時でしたので爆睡しました。
で夜中(日本は朝ー午前中)に起きてしまい、これを書いた訳です。また寝ます。
お休みなさい!

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中欧「音楽への旅」1 ー2

ウィーン無事到着しました。詳細はまた。

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2007.05.05

中央ヨーロッパ「音楽への旅」1

DoCoMoのiModeを使って、記事をアップします。

明日の朝、出発です。
ウィーンには現地時間1600に着きます。日本時間では7日の零時となりますね。
明日から、時間を見て少しずつアップしていく予定です。

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