♪⑤「中央ヨーロッパの旅」:5月10日、ウィーンからブダペストへ
5月10日(木)、旅行5日目。ブダペスト初日。
Wetnahnhof駅発のICEでブダペストを目指す。
9:52発ベオグラード行き(あれ?ベオグラードって何所の首都だっけ?)。
4泊したHotel Kaiserin Elisabethに別れを告げる。
フロントのオジさん達に、とても快適で満足していると謝意を告げチェックアウト。
次に来る時も出来れば泊まってみたいな。
荷物もあるので、少し早めに9:10少し前くらいにホテルを出る。ケルントナー通りにある、ホテルから一番近い、いつも使うシュテファンプラッツ駅への降り口には下りのエスカレーターがないので、聖シュテファン大聖堂を拝みながらグラーベン通りに入ったところに、上りも下りもエスカレータのある地下鉄駅への入り口へ回る。
ここなら大きなスーツケースも抱えずに降りられる。
既に身体が覚えてしまったように地下鉄U3に乗り、6、7分で「ウィーン西駅」へ。
今度は1等車なので少し期待していたのだが、2日前にザルツブルグに行った時の2等車の方が車両も新しく快適だった。日本の普通の特急のような、横4席で片側2席の座席。リクライニングもない。2等車と違うのは、プラットホームから近くごろごろ荷物を運ばずにすぐ乗れる事と、隣が食堂車という事くらい。
ここも、デジカメではなくビデオだったので、お見せする画像がない(残念!)。
ウィーンを出て間もなく、遠くになだらかな丘の見える畑や牧草地に入ったら、無数と言える程の風力発電の風車のある地域にさしかかった。半径数kmにわたって100を越えると思われる数の風車があるのは壮観だった。
1時間しないうちに国境にさしかかり、まずはオーストリア出国、ついでハンガリー入国と、2回のパスポート検閲+機関車マークのはんこをもらった。
なんとなく、景色を眺めながら、うとうとしているうちに、広大な牧草地、畑ばかりのハンガリー西部を列車は走っていた。国境を意識するような、高い山や、大きな河や、まして海などなく、いつの間にか隣の国。
ハンガリーの1000年にわたる歴史を理解することはこの景色を見るだけで半分くらいわかったような気になってしまう。どこからでも、いつでも、攻め入る事の出来るような地形なのだ。歩いて隣の国に行ける場所である。
列車で1時間程のところが、民族も言葉も風習も違う国であるところがヨーロッパの魅力の一つかもしれない。時間的に言えば、山形から列車に乗って仙台か福島に行ったらそこは隣の国で、3時間弱で着く東京の距離は、隣の国の首都ブダペストなのである。
12:48、ブダペスト着。
重いスーツケースをプラットホームにおろしたところに、革ジャンを着た「兄ちゃん」がいて、「タクシー?」と聞いてくる。どのみちタクシーでホテルに行くつもりだったので、「いくらだ?」と聞くと「メーター制だから走ってみないとわからない」という。
それなら安心だろうと思ったのが間違いだった。
お兄ちゃんがスーツケースを押してくれたので、小さい方のスーツケースを私が引っ張りながら駅の出口に歩いて行くと、若い男女がにこやかにはにかみながら近づいてくる。
最初、わからなかった。
連絡はしていたが返事がなかったので知らなかったのだが、昨年のハンガリー・ソルノク旅行でホームステイさせてもらった、ソルノク交響楽団首席フルートのボルバーラ&シャンドールの息子と娘が駅に迎えに来てくれたのだ。二人共ブダペストの大学に通っている優秀な子供達。笑顔がとても素朴で可愛らしい。
彼らは車を持っていないらしく、後でホテルに訪ねてくる、という。
タクシーでホテルに着いたら4800フォリントと言われた。ユーロしか持っていないというと、20ユーロだという。
3200円くらいである。
ブダペストの物価からするとちょっと高いな、とは思ったが、タクシーのメーターにそう出ているし、考えるのも面倒だったので20ユーロ+チップまで払った。
後からわかったのだが、ホテルや駅で呼んでくれるタクシーと違って、流しのタクシーは悪質なのがいるらしい。
ちゃんとしたタクシーのおよそ2倍は取っていると思った方が良い。
今回泊まるのは、王宮のあるブダ地区(ドナウ河を挟んで市中心部の反対側)で、「くさり橋」にも近い、「ホテル・カールトン」である。カイゼリン・エリーザベトから一転、アメリカ的チェーン店方式のホテルである。
魅力は、まず場所、そして値段。
部屋はやはりそれなりの(値段相応)もので狭かったが、まあ、日本のビジネスホテルのツインよりやや広めというところ。
14時頃、先ほどの二人、シャンドール・ジュニアとレイカ(Rekaと書く)が迎えに来てくれた。バスを使って来たらしい。そこから、徒歩でまずは王宮を観る事にする。
歩いて2、3分のところに有名なケーブルカーがあり、これで丘の上に登る。
彼らはケーブルカーの事を「フニクラ」と呼んでいた。「フニクリ・フニクラ」で有名なあれである。
山響がCDにも出したR. シュトラウスの交響的幻想曲「イタリア」の第4楽章にも使われている、あの曲はもともとケーブルカー「フニクラ」のコマーシャルソングだったもの。
(この曲の事は昨年ブログで記事にしました。)
フニクラであっと言う間に上に上がり、王宮や聖マーチャーシュ教会や「漁夫の砦」を観光する。
実はここは昨年の演奏旅行の際にすでに観光した場所であったが、季節が5月と爽やかで、家内は初海外旅行であり、まずは丘の上からドナウ河、美しい橋、ペスト地区を眺めるという算段であった。
夜は国立オペラ劇場に「タンホイザー」を観に行く予定なので、途中で軽食をとって早めにホテルに戻って休む事にした。
オペラは長いので、開演時間が18:30と早い。
18時少し前にタクシーを呼んでもらい7,8分程でオペラハウスに到着。
(これが2000フォリント=1300円くらいだったのだが、帰りにオペラハウス前で拾ったタクシーは同じ距離に4000フォリントを請求した。しかもメーター計算である。いくら夜間料金があるとはいえ、ちょっと悪質だと思うので、ブダペストでタクシーを使う人は、会社を確かめ、ホテルやレストランで呼んでもらうべきであると思う)
本日の歌劇『タンホイザー』は、ワーグナーの超有名なオペラ。
ストーリーには詳しくなくても、曲は様々な形で耳にする事が多く有名である。
近いところでは、数年前にテレビドラマになった『白い巨塔』にも使われていた「序曲」。
唐沢演じる財前五郎が、大きなオペの前に手術をイメージしながら両手を動かしているシーンで印象的に使われていた。
序曲の後にバレエが現れたのでこれは「パリ版」だったのだろう。素晴らしい舞踏だった。
オペラは全3幕、合計3時間を越す。
ドイツ語で歌われマジャール語(ハンガリー語の事)で字幕が上に出る。
結局、何を歌っているのか言葉がわからない。だから、バレエが終わってから私はすぐに眠くなって来た。
隣に座る家内に時々チョンチョンとつつかれながら、半分近くは夢の中だったような気がする。
第2幕だったか、壮麗な行進曲の際に、オケピットのトランペット以外に、3階バルコニー席の舞台に一番近いところ、上手と下手両方に4人ずつトランペット奏者が並び、計8名によるファンファーレが鳴り響いた時には、さすがに私もお目目ぱっちりでその素晴らしい音楽に聴き惚れた。
幕間の休憩時、冷たいものを飲もうとした時に、フォリントを持ち合わせずユーロしか持っていなかったため危うく飲み物にありつけないところだったが、我々の後ろに並んでいた素敵な紳士に助けられた。この事については、携帯からアップした5/11のブログに詳しく書いた。
オーストリア・ハンガリー帝国の栄華を彷彿とさせる豪奢な作りの国立歌劇場は、その内装を観るだけでも楽しめそうである。
連れの写っている写真しかないので、あまり大きくしないで写真を載せる。
正面玄関からまっすぐは広々としたクロークになっていて、ちょうどそこは休憩時に軽食を食べたり飲み物を飲んだりする2階のラウンジの下になっている。ホールは、入り口は行ってすぐ両脇にある階段を上がって行くと係の人たちが立っていて、チケットを見せると席へ案内してくれる。プログラムは、マジャール語とドイツ語と英語で書いてあった。これは案内してくれる人に金を払って買うことになる。
オペラが終わってホテルに帰り着いたのは、22時半近かった。
今日は、朝ホテル・カイゼリン・エリーザベトで、しっかり朝食を取り、ブダペストの王宮で夕方に軽くパンを食べたけれど、夕食は取っていなかった。でもお腹がすくと言う感じは覚えず、(半分寝ていたとはいえ)オペラに感動して休む事が出来た。
まあ、移動で疲れた上、タキシードと着物という格好で動いていた疲れも出たのかも、、、(^^;;;
明日は、ブダペスト観光といろいろな人に会う約束がある。
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コメント
わーい。
お着物だぁ~(^0^)
フォリントの持ち合わせが無いことが、別の出会いを生み。
旅にはいろんなことがありますね。
機関車マークのハンコは、飛行機や車のハンコとちがって可愛いかったので、何気に気に入ってます。
投稿: ふなゆすり | 2007.06.04 12:49
ふなゆすりさん、小さい写真ですみません。
この時締めていた帯とは違いますが、例の「ウサギが楽器を演奏している帯」、今度別の記事で載せようと思っています。
乞うご期待!
投稿: balaine | 2007.06.04 18:14