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2007.02.03

節分

今日は、節分。
豆まきはまだしていない。
「恵方巻き」は、夜に食べるものらしいが、今日は病院日直で夜はオケの練習なので、昼間に医局で「恵方」(今年は、北北西)を向いて大口開けて食べた。
九州生まれの両親のせいなのか、私は今まで節分の日に「恵方巻き」など意識して食べた記憶がなかった。
でも、今年は、私にとって「新しいことを始めるのに良い年」となっているので、このことを意識して大口開けて食べてみた。
美味しかった。(^^

ということは、明日は「立春」だ。
暖冬、暖冬、と言われ、本当に積雪のない1月が過ぎた。で、もう暦の上では「春」になるのだよ。
2月にはいったとたん、少し雪が降ってこちらでも市内に3〜5cm程の積雪があったが、今日の陽気で日陰以外はもう溶けてしまったようだ。
先日、テレビのニュースで、米沢の『雪灯篭祭り』のピンチのことが取り上げられていた例年にない暖冬とはいえ、祭りの実行委員長によると、米沢市内にうっすらとでも下雪(地面が見えないような積雪)がまったくない『雪灯篭祭り』は、過去に記憶にないそうである。
雪がなければ、雪灯篭は作れない。
そこで、福島との県境などから、トラックで700トンもの雪を運び込んで灯籠作りを始めているそうである。
「そんな、700トンなんて雪、運んだら急に雪が降るんじゃないの?」
とニュースを見ながら思っていたら、その日に雪が降り始めた。
それとは、別に、昨日2/2の朝○新聞には、ライトアップされた蔵王の樹氷のカラー写真が掲載されていた。

うちの病院から、蔵王のスキー場までは車で30分かからない。
スキー好きの事務職員などは、仕事を終えてから、「行くか?」「行くべ!」という会話の後、蔵王に向かって30分後にナイターゲレンデで滑っているという、恵まれた環境。
私もスキーは少しはやるけれど、事務職員のように、仕事後に「行くか?」とはならない。
だいたい、仕事が終わるのは早くても夜7~8時なのだから、それからナイターに行っても、ついたらすぐに終わってしまう。

ああ、そんな話ではない。

その、同じ朝○新聞の2/2の朝刊「文化欄」(全国版)に、山形交響楽団のことを非常に好意的に取り上げられていた。とても嬉しかった。(朝○新聞は、不祥事を起こしたけれど、このような文化欄の充実は素晴らしい!)
この演奏会は私も会場で聴いた。
感動して(知り合いのプレーヤーがその日が山響最後の演奏であることもあって)、standing ovationをした。
拍手は凄かったし、bravo!の声も度々掛かっていたが、standing ovationまでしている人はあまりいなかったように思う。
本当に、凄いブルックナーの4番だった。
それは、山響は、まだ若い、成熟過程のオケなのでいくつかの傷もあれば難もあったことは認めざるを得ない。
しかし、音楽というのは、生の演奏というのは、「完璧」を期待して聴きに行くものではない。
ヴィルトゥオーソとか名人と呼ばれる人は、それは確かに凡なる演奏家よりは圧倒的にミスがない。技術はほぼ完璧である。
しかし、そんなことを期待して聴きに行くのではない。
演奏会というのは、音楽家の心、魂、情熱、大袈裟に言えば、音楽家の音楽や聴衆への愛を感じに行くのだと思う。
もちろん、演奏者がカッコいい、とか、可愛いとか美しいとかヴィジュアル的要素もないよりはあったほうがいいし、今日の演目がいい、というようなことも、演奏会に足を運ぶ目的にはなるだろう。

山形のような地方小都市では、その抱える人口の割には音楽会の数は比較的恵まれているとは言っても、東京などの大都会の飽和しきってしまったような演奏会とは比べるべくもない。東京では、下手をするとベルフィルの演奏会のある同じ日に、別の会場でチェコフィルが、また別の会場ではN響が演奏会をしていて、更に別のホールでは超有名音楽家のソロリサイタルが開かれている、というような事がおこる。
しかも、チケットが2万円とかすることもザラ。酷い話である。
なかなか、コンサートを聴くためだけに東京に行く訳にも行かず、そう言う意味でも地元のプロオケは大変貴重でありがたい。
今回、1/26,27に山形テルサで行われた第178回山形交響楽団定期演奏会では、「常任」の飯森範親が渾身の指揮で、ベートーベンの4番、ブルックナーの4番と2つの偉大な交響曲を聴かせてくれた。
その音楽会の感想が、2/2の朝○新聞に大きく取り上げられたのである。私は嬉しくて、横浜の両親にメールで教え、電話までして、「読んだ?あの演奏会には私もいたんんだよ。」と伝えた。

今の世の中、CDがたくさん気安く購入出来、名演奏のDVDも金さえ出せばすぐ手に入る。
同じ芸術である絵画作品は、形として後世に残るものであるが、音楽は「楽譜」は作品として残るけれど、演奏がなければ「芸術」としては成り立たない。言うまでもないことが、「演奏」がなければ楽譜はインクのシミのついた紙に過ぎない。
「演奏」というのは、「瞬間芸」であって、その場で発せられた音は、物理現象としてその刹那に空気の中に減衰する振動波として消えて行くのである。
聴いた人の心の中には、様々形を変えて残るかもしれないが、それとて永遠ではない。
どんな名人の素晴らしい演奏でも、私のようなヘボのアマチュア音楽愛好家の演奏でも、楽譜を元に芸術としての演奏が成立し、そのすぐ後には消えて行ってしまうのが、「音楽」という芸術の宿命。
だからこそ、確固たる技術はもちろんのこと、そこに音楽家の心、魂が必須であり、だからこそ1000人という単位で人が集まってくるのが演奏会である。

先日の、山響のブルックナーは、本当に指揮者と演奏家の熱い心、魂が伝わって来た。
私は、実はブルックナーはそんなに好きではない。一番聴きやすいとされる交響曲4番だって、何だか普通の交響曲2つ分くらいの濃密さというか、しつこさというか、構成としては決して成功した交響曲だとは思えないのである。
とても美しい旋律やモチーフが随所にあるのであるが、4つの楽章全体を一つの作品として総合的に俯瞰するとき、(ネタはいいのに)何か悪い油を使った揚げ物を食べた後のような「胸焼け感」を禁じ得ない。
それはそれとして、でもこの、作品自体が熱い魂の塊のような交響曲に真っ向挑んだ山響の演奏会は素晴らしかった。一大新聞の文化欄で取り上げられなくても凄いものは凄いのであるが、やはり田舎(=地方都市)の弱小交響楽団としては、こういった話題に上ることは大切であると思う。

話が「節分」から大分脱線してしまった。
とにかく、音楽は、演奏会は生が良い(CDの存在価値を否定するものではありませんが)。
そして、聴くだけではなく、演奏する立場にいる私として、やはり人の演奏を聴くよりも自分が演奏する立場になることが幸せである。

3月4日は、酒田フィルハーモニー管弦楽団の春の「第30回ファミリーコンサート」である。
今回は副題に『愛にまつわる名曲の午後』と題して、酒田市民会館・希望ホール(←間違いです、正しくは→)庄内町文化創造館『響ホール』で演奏します。
曲目は、チャイコフスキー:バレー組曲「眠れる森の美女」, ビゼー:組曲「カルメン」より抜粋, メンデルスゾーン:結婚行進曲、モーツァルト「フィガロの結婚」序曲などなどです。
今日も、日直を終えたら、雪の月山を越えて練習に参加します。

1990年、モスクワで行われたチャイコフスキー国際音楽コンクールで、日本人初のヴァイオリン部門優勝者、当時初々しい18才の諏訪内晶子さんの、(魂のこもった)優勝記念ガラコンサート(ライブ)を聴きながら、久しぶりに長文を書いてしまいました。
修正やデジタル処理のない、一回きりの優勝者演奏です。
Bravo!

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