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2007年1月

2007.01.22

べんべこ太郎に寄せて

山形市の北隣りに天童市と言う、将棋の駒で有名な町があります。
その市街地からはずっとはずれた「山口」という地区に、妙見神社があってその境内に『べんべこ太郎の墓』というのがあるそうで、昨日のミュージアムコンサートの後、ちょっと足を伸ばしてみてきました。

道路の脇に、昔の小型の古墳を思わせる小さな丘の様な盛り上がりがあって、妙見神社はそこにあります。知らなければ毎日脇を通っていても気付かないような場所です。
Photo_4車を近くに停めて、神社に近づいて来ると写真左奥に赤い鳥居がわずかに見えます。真ん中やや右側に道路に面した斜面ギリギリに小さな墓標のような物があるのですが、これも知らなければまず気付かないと思います。

Photo_5神社に上がる階段の下まで来ると、真っ赤な鳥居が妙に目立ちます。
この奥にお社やあわせて文殊観音、弁財天などの神様が祀ってあります。


Photo_6鳥居をくぐって右手の方をみると、墓標が見えます。写真の真ん中辺りです。ここまで来ても、知らなければほとんど気付かれないと思います。そこへ到る道はなく、枯葉の積もった地面を滑らないように歩いて行かなければなりません。

Photo_7やっと墓の前まで来ました。墓石は、いつの時代の物なのか、大変古そうです。これが「べんべこ太郎の墓」であることを示す墓標は、比較的最近作られたもののようです。手をあわせて参りました。

さて、何故、このような物を見に行ったのかと言いますと、1/20(土)に山形市内で「陸上自衛隊第6師団音楽隊」の『新春コンサート』があり、その中で、音楽隊委嘱作品「天童風犬伝ー『民話べんべこ太郎に寄せて』」という楽曲の演奏があったからです。
実は、昨年の11月にこの第6師団音楽隊の定期演奏会があり、その演奏会で八木澤教司さん作曲のこの委嘱作品の「世界初演」を聴きました。民話の話に基づいた起承転結のあるドラマ仕立てのおもしろい曲でしたが、今回2度目の演奏では、初演の時に比べて演奏に余裕が感じられより練れているような印象でした。
山形に住んでX十年。天童にはしょっちゅう言っているにもかかわらず、この「べんべこ太郎」の事は全く知りませんでした。
ネットで調べるとなかなか面白そう。
http://www31.ocn.ne.jp/~denkidensetu/yds/murayama/myoukennjinnjya.htm
こんな紙芝居もあります。
http://lavo.jp/funayama/note?p=log&lid=21733
ちなみに、「〜けど」とか「したっけど」という表現は、標準語で使う「〜ですけど」という反意をあらわす表現ではなく、「〜そうです」とか「〜だそうです」という意味です。

 東北には、昔語りの人々が今も民話を伝えているそうですが、徐々に伝承する人も少なくなっていると聞きます。
しかし、さすが「日本のアンデルセン」、『泣いた赤鬼』などで有名な浜田広介を生んだ山形ならではの話だと思いました。
チャンチャン!

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2007.01.21

山響メンバーの木五

今日は、天童市にある天童市立美術館で『ベルク木管五重奏団』による「ミュージアムコンサート」に行ってきました。
木五といえば、私に一番なじみがあるのは、『アフラートゥス・クインテット』(あの、ホルンのバボちゃんのいる)ですが、この『ベルク、、、』は地元のオケ、そう山響のメンバーで構成されています。
フルート足達祥治、オーボエ竹谷 智、クラリネット牧 慎一、ファゴット鷲尾俊也、ホルン八木健史の5人。
天童市立美術館では、「吉野石膏コレクション 日本近代絵画名品展」をやっていて、横山大観、上村松園、東山魁夷、平山郁夫等の名画を鑑賞しました。
その美術館の一角に椅子を並べて約一時間の、基本的に無料(入館料のみ)のコンサートでした。
曲目としては、アーノルドの3シャンティーズ、モーツァルトのディヴェルティメント、日本の歌のメドレー、ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」メドレーでした。
木管五重奏(木五)には、そのための楽曲も結構あることはあるのですが、クラシック通でもなじみのない曲が多いと思います。私自身、木五やったことありますが、ホルスト(『惑星』で有名)の木五なんて、指導してくださったプロのクラリネット奏者も「聴いたことないのでどんな曲なのかわかりません、、、」と言っていた位です。
最初のアーノルドの曲は、「アフラートゥス」が4年前に余目(現庄内町)の「響ホール」でコンサートをしたときに演奏した曲なので知っていましたが、軽快なちょっとふざけた面白い曲です。作曲者のマルコム・アーノルドは、フルート協奏曲もひとつ作曲していて、いつか吹いてみたいと思って楽譜は持っているのですが、まだ実際吹いたことはないのです。映画音楽『戦場にかける橋』の作曲者と言えば「ああ!」と思う方も少なくないのではないでしょうか。
その他の3つは、もちろん「木五」用に編曲されたものです。どれも味があって素敵でした。

曲の合間の、オーボエの竹谷さんのMCもなかなかそのとぼけた(失礼!)雰囲気で和やかなコンサートになりました。私は竹谷さんからチケットを頂いていなかったら、このコンサートのことも知らずに終わっていたと思うのですが、どこで宣伝がいきわたったものか、美術館側が用意した80席の椅子では足らず、美術館の人が言うには美術館にある椅子をすべて出して130席用意しても立って聴いている方、二階の絵画展示場へ向かう階段の途中で聴いている人など、大盛況でした。
客席には山響コンサートでよく知っている顔もちらほら見ましたが、結構年配の、勝手な推測ながらあまり「木五」など知らないような方も多かったように思います。それを見越してか、曲の途中に、5種類の楽器の説明がありました。説明と共にちょっと音を聞かせるために演奏してくださった曲がまたおもしろかった。
Flの足達先生は、「山形の人にはちょっと有名な曲です」といって、ご自身がCFに演奏出演している地元企業の宣伝で吹いているテレマンのソナタをちょっと聴かせてくださって、「一部受け」していました。どんな曲かと言うと、
http://www.voiceblog.jp/balaine/159595.html
です。
オーボエの竹谷さんは、オーボエと言えばこれ、といってチャイコの「白鳥の湖」のあの有名なメロディーを美しく哀愁たっぷりに聴かせて、、、と最後は急に転調して「チャララ~ララ、チャラララララ~」というあのチャルメラの旋律で終わるという茶目っ気たっぷりなオチでしめてくれました。クラ、ファゴット、ホルンそれぞれ皆さん楽器の説明に小曲演奏と、なかなか普通のコンサートでは味わえない楽しい時間をいただきました。

木五というのは、それぞれに特徴を持つ5つの木管楽器(ホルンは厳密には金管ですが)が、その個性を主張しつつそれぞれに融和し、5つが溶け合ってさらに別の楽器がそこに存在するかのような錯覚に陥る大変面白いものだと思います。私自身は、一度しか経験したことがないので多くは語れませんが、やりだすとはまりそうな感じは受けます。
弦楽四重奏、五重奏だとチェロや場合によってはコントラバスなどの少し大きめの楽器がはいりますが、「木五」は一番大きくてもファゴット。これも分解して5,6個に分かれてケースに入るので片手で持って移動できる楽器です。バボちゃんなんか、いつもホルンを自転車通学の高校生よろしく背中にしょって軽快に移動していました。
フルート、クラ、オーボエはいずれもアタッシュケース一個程度の荷物で済みます。そんなことから、移動性の良さ、軽快さというのが「木五」にはあると思います。

「文翔館議場ホール」で時々行われる「山形弦楽四重奏団」やその他のアンサンブル、先日上山葉山温泉の「名月荘」ムーンライトコンサートで聴いた「山形チェンバーミュージシャンズ」の室内楽、そして本日の「木五」のミュージアムコンサート。
いずれも、山形に「山形交響楽団」があるからこそ、という音楽活動です。
こういった演奏に触れることのできる幸運を思いながら家路に着きました。
(いや、実は、昨日行った、自衛隊第6師団音楽隊コンサートで演奏された曲にちなんだお話があるのですが、それはまた明日以降ということで)。

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2007.01.10

庄内永住化計画その1

というわけで、
http://www.ques.co.jp/syonai/
こんな素敵なサイトがあるなんて、やはり庄内は素敵だ〜!

その中に、こんなのがあった。
http://www.ques.co.jp/syonai/elife/joshiki/index.html
あいや〜、「イヤミ」の「しぇ〜」が「庄内弁」だったなんて。
おもしぇのぉ。(^^


いや〜、今年、いつ、その行動を起こすか、まだ決定していないのに(内定?)、私の夢というか希望を口に出したり字に書いたりしていたら、なんだか勝手に(そんな気がするだけ)事が進んで行くのでおもしぇ、というか。

『プラハの春』音楽祭。
「プラハの春」とはチェコスロヴァキアで起こった改革運動。
この名を冠した音楽祭は、毎年、「チェコ音楽の父」と言われるスメタナの命日、5月12日に始まる。
オープニングの曲はもちろん"Ma vlast"、そう「我が祖国」である。
全部で6つの曲から構成されているが、我々日本人にもっとも馴染みがあるのは第2曲の『ブルタヴァ』。
旧姓(っていうのk?)『モルダウ』である。
モルダウはドイツ読み、ブルタヴァがチェコ語なのである。
平成16年秋、サントリーホールでチェコフィルによる「我が祖国」は聴いた。
でも、チェコで、プラハの市民会館(スメタナホール)で、チェコ人の中で、聴くのは格別であろう。

5月、連休明けにウィーン、ブタペスト、プラハと回って、「プラハの春音楽祭」で「我が祖国」を聴きたいな、ロマンのフルートで始まる、『ブルタヴァ』を聴きたいな、とボンヤリ考えていた。知人何人かには、「まだ未定だけど、そんな旅をしてみたいんだ」と伝えてはあった。
今朝、チェコフィルのファゴット奏者オンジェ、そう、昨年の定期演奏会に急遽来日出来なくなってしまった彼からメールが届いた。
「チケット2枚、確保したけど、オープニングじゃなくて2日目だけど、興味があるなら連絡頂戴」
というのである。
ピッコロのフィンダ氏の奥方からは、人気があるのですぐチケット売り切れるけれど、当日券などを求めて買える場合もある、とは聞いていたのだが、「そうしたいな〜」と思っていたら、まるで天から降って来るようにチケットが手に入ることになってしまった。
これは、もう、天啓というか、「はい、そうします」と素直に従うしかない出来事のように感じる。

はい、予定通り、計画通り、個人事業主となるべく話も進め、ヨーロッパの旅にも参ります。
庄内永住化計画その1の1、と言う感じである。

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2007.01.05

久しぶりの一家集合

昨年の12月。まだ一ヶ月にならないが、横浜の父が倒れた。
幸い脳卒中などではなかったが、「横紋筋融解症」という病名であった。
私自身も患者さんに「高コレステロール血症」の治療薬として処方する何種類かの薬がある。
その薬が原因になりうるのである。
痛風の薬などの中にも、その副作用として「横紋筋融解症」を起こすことがあるのは、有名ではあるが頻度としてそんなに多いものではない。
医師としてこれまで何人の人に高コレステロール血症、高脂血症、高尿酸血症の薬を処方してきただろうか。
おそらく数百人どころか千人を超えていると思う。
私の知りうる限りにおいて、その中で「横紋筋融解症」になった方はいない。
危険な、致死的な副作用として有名ではあるが、実際になかなかお目にかかれるものではない。

それが実の父に発症するとは!
ノロウィルスかどうかはわからないが、腹痛と下痢が先行したので、何らかの原因で体調を崩し、脱水状態になっていた所へ、以前から服用していた薬の副作用が表に出てきたのかもしれない。
症状が出始めて2日で全く立てない、歩けない状態となり、トイレから出てきて台所で倒れて動けなくなり、救急車で国際親善病院という施設に搬送された。
そこの内科医の説明(電話)が、非常に理解しやすく(私に医学的知識があるからではあるが)、実力のある先生だと分かったのでとにかく治療をお任せするしかない私としては、「よろしくおねがいします」というだけであった。

普通の方なら、親が救急車で運び込まれたと聞けば、取る物も取りあえず慌てて駆けつけるであろう。
しかし、冷酷な息子である私は、出張、自分が執刀する手術、その他の年末の行事などが立て込んでいたので、「横浜に行けるとすれば、、、う〜ん、ないな〜」と言う訳で見舞いにも行かなかった。
代わりに世田ヶ谷に住む妹、妹家族が毎日のように見舞ってくれた。感謝している。
私の執刀手術がなければ、2日くらい休みを取って横浜に行くことは出来たのだが、年末に手術を受ける予定の患者さんを私事で迷惑をかける訳にも行かなかった。
なによりも、すぐに病状が理解出来、原因がおよそ分かり、確実な対策がとられ、しかもそれが功を奏し、すぐに回復に向かったので慌てる必要がなかったのであった。
初日に30000から40000近くなったCPKや3から4くらいになったCreatinineが、もっと悪化するようだったら人工透析が必要であったかもしれなかった。その時は駆けつけただろう。
しかし、2日目にすぐに改善し、1週間程で落ち着いたのであった。
幸い3週間と少しで退院し、年の瀬には戸塚の自宅に戻れたのであった。

明日、私は岡山に行く。
小学校時代、倉敷に住んでいたことがある。
フルートを始めた頃だ。
○○音楽教室小学校高学年の部でピアノの全国大会(上野の文化会館)に出たのもこの頃だ。
倉敷の小学校時代の音楽の先生がとても熱心で素敵な(男性)先生だった。
自分で指揮棒を作ったり、バイオリンを作ったりしていた。
ヘンデルの「水上の音楽」。やったな〜(遠い目、、、)。(^^;;;
明後日岡山で妻方の親類の結婚式がある。それに出席するためなのであまり郷愁に浸っている時間はないだろうが楽しみである。
そして、明後日は横浜に行き、退院したばかりの父と年老いた母を連れ出して、中華街で身体に良い食事をたっぷりとろうと思っている。世田ヶ谷に住む妹家族も久しぶりに5人全員参加出来るので、大賑わいの食事なる予定。とても楽しみである。

先日、医師になってから正月元旦の朝に実家にいたことはない、と書いた。
それは本当である。勤務医の場合、なかなかうまく休みが取れない。
こうして、両親を含め皆が集まって食事をするのは久しぶりである。
親も年老いてきたし、私自身もけっして若いと言える年齢ではないので、こういった機会が今後何回あるか分からないと思うと、とても大切な時間である。
そして、私は、今年、今の多忙ではあるが安定している(公務員ですからね〜)立場を捨てようしている。
自由な時間を持つことが出来るとともに、自分自身が資本の自由業(?)となるから、遊ぶ時間はもしかすると少なくなるのかもしれない。夏休みなんて今までのようには取れないのかもしれない。
でも、愛する音楽のために頑張るのだ!

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2007.01.04

おすすめの映画

『敬愛なるベートーベン』
正月2日に観てきました。
秀逸な映画でした。
心に残りました。

「敬愛なる」と言う言葉は、ネタバレになりますが、映画中に一カ所だけアンナ・ホルツがベートーベンに対して、「私はあなたを敬愛しており、、、」というシーンがあるので、そこから取られたのだと思います。
原題は、"Copying Beethoven"。
直訳すれば、ベートーベンをコピーする、または引き継ぐ、というような意味です。
ベートーベンの書き損じや書き直しの多い見にくい手書き楽譜を、きれいに写して書き直す「写譜」という仕事があって、それをする人を写譜士=Copyistと言うのです。

もちろん、我々が普通使うように、コピーと言う言葉には、写すだけではなく、模倣する、真似をすると言う意味があり、悪い意味ではカンニングすると言うような意味もあります。しかし、良い意味としては、見習う、良い点をまねる、と言う意味もあり、ベートーベンの音楽や意志を真似て引き継ぐというような意味合いも含まれています。
原題と、邦題がかけ離れている訳ですが、これは良くあることですね。

あとは、御自分の目でこの映画の良さを確かめて下さい。
女性監督ならではの節度のある官能的なシーンもありますし、粗野で暴力的なシーンもありますので、ご注意を。
いや〜、映画って、本当にいいもんですね。。。(コピーだ!)

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2007.01.01

一年の計は、

元旦にあり、ですね。
あけましておめでとうございます。
皆様方にとっても、本年が健康に恵まれ(病の方は少しでも快癒に向かわれ)、幸せな一年でありますように。

さて、今年一年という短期的な目標ではなく、これからの私の人生について少し想いを巡らせてみる。
日本人の男性に平均寿命(0歳児に余命)から考えて、私には確率論ではあと25年以上の人生が残っている。しかし、肉体的にも頭脳的にも次第に衰えていくであろうことは、動物の仲間として避けられないものである。
医師としての活動も、趣味ではあるが生き甲斐である音楽の活動にしても、肉体と脳の衰えは明らかに影響を与える。
これまで、約23年、(自分なりに)一生懸命に働いてきた。
医師と言う職業の宿命として、プライベートを犠牲にすることも少なくはなかった。
元旦の朝に、実家の両親と一緒に居たことは、医師になって24回目のはずだが、一度もない。
休みをとって旅行に行ったり、遊びに出かけることはもちろんあるが、それは全くコールされない体制、つまり誰か自分の代わりがいる体制の時だけである。
この年末年始、医局ではチームを2つに分けて、病棟を守ることにした。
私は病棟主治医ではないが後半に休みを取る立場になった。明日から休みである。
といっても、28日に御用納めをしているから、29日から今日までだって、お休みはお休みである。
お休みと言うのは通常の外来や業務がないと言うことであって、病院には入院中の患者さんもいるし、救急患者さんも来る。この4日間、幸い脳外科の緊急入院患者は3人と少なく平和であった。
しかし、「休み」だからといって、何か急変や緊急手術があるかもしれないため、家に居てもあまりお酒に酔うことも出来ず、映画を観に行ったりも出来ない。
いや、正確には出来ないことはないかもしれないが、もし呼び出された時にすぐ対応出来るようにしておくことがノルマなのである。今日の夜からはこれがないので、今晩は酒飲むぞ!

で、これからの人生のことだ。
今回の年末年始のようなことを、これからもまだ何年、十何年と続けて行くしかないのであろうか。
私は、脳神経外科という仕事にプライドを持っているし、この職業の難しさとともに喜びを知っている。
人様の頭にメスを加え脳の中を手術するという、尋常ではないことを日常茶飯の仕事にしていることに、誇りを感じる。医学部に入る前から「ヒトの脳」に興味があり、医学部の学生の時には脳の勉強をすることは楽しかった。
医師になってからも脳外科を勉強し専門にしていることで、脳のことを良く知らない他科の医師に対する優越感(誤った考えかもしれないが)すら感じ、この職業を専門にしていることを後悔したことは少なかった。
しかし、今年、私はメスを置く事になると思う。
脳外科医としてバリバリ執刀するという立場から離れようと思う。
もちろん、私の手術で命を救われた方もいたと思うし、病気が治った方もいらっしゃる。
でもそれは私でなくても他にも優れた脳外科医はいる訳で、たまたま私だったと言うだけのことである。
脳外科の手術と言っても、本当にピンからキリで、15分で終わるものから15時間かかるものまである。
「神の手」にだって取りきれない、治せない病気がある。
これから、私が、今まで以上にプライベートを犠牲にして身を粉にして働いても、救える患者さんの数には限りがあり、どんどん手術の腕があがって誰にも出来ない手術が出来るようになると言う訳でもなさそうである。
若手にどんどん伸びて欲しいと思っている。
そして、私は、やはり離れがたい音楽の魔力に取り付かれ、アマチュアオケの活動にもっと力を注ぎ、音楽活動の中にもっと身を置けるようにしたいと考えている。単なる「趣味」ではないのである。もっと演奏活動やその他の音楽活動をしたい。
そのためには、大学病院医師、病院勤務医という立場を離れるしかないと思っている。
大学病院医師や一般病院勤務医のおかれた状況は、一般の方の想像を超えている。
もちろん、どんな仕事だってプライベートを犠牲にして働いている方がほとんどであると思う。
それにしても、自分で自分の時間として使える時間が極端に少ない。
残りの人生を考えたとき、このまま自分のために使える時間のほとんどない生活を続けて行くのは、ワガママではあるけれど耐え難いもののようにこの一年程考え続けてきた。そこで私は、大学を離れ、個人の責任において医師としての活動を続けて行く立場を選択しようと強く考え始め、そのことについて、上司に相談もし、知人に相談もし、考えに考えて、決断したのである。
春頃までは大学で仕事をさせて頂きその後のことは未定ながら、『庄内永住化計画』を密かに立案中であ
る。脳外科の学術雑誌や本を読むよりも、「古学奏法について」とか「指揮者というもの」と言った内容の本を読むことに喜びを感じ、手術書を見るよりもオケのスコアを見ることの方に幸せを感じる今の自分は、大学病院で教育や研究に当たる立場に相応しくないのである。
まったく、自分勝手な考え方かもしれないけれど、私はこれからの残り少ない「脳と身体がいうことを聞く時間」に想いを馳せた時に、一度しかない人生に悔いを残したくない、と思ったのである。
元旦に当たり、今年のこと、そしてこれからの人生のことを少し考えてみた。

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