バレーヌのこと
「納豆の日」も過ぎた。
ワールドカップも終わった。
そういえば、しばらくF1ちゃんと見てなかったぞ。キミ(ライコネン)は、今どうなってるんだ?
ーー
ものは試しと、仏語ではなく、カタカナで「バレーヌ」としてググって見た。
いくつかレストランの名前が出た。
その中に、横浜港南台の洋食屋さん「バレーヌ」の名を見つけた。懐かしかった。
懐かしい、と思うのに、私のこのお店にまだ行った事がない。
話は14年前になる。
私は、米国ピッツバーグに留学していた。
その年のゴルフの全米女子オープンが、ピッツバーグ郊外(私の住まいから車で15分くらいの所)で開催されることを知り、しかも参加する選手が岡本綾子さんに小林浩美さんという超一流選手だったので、練習日から見学に行きたいと思った。
今や一年以上クラブも握っていないが、ちょっと前はゴルフに結構一生懸命だった時があった。
忙しいので毎日練習は出来ないが、週に一回くらいは練習場に通い、一ヶ月に一回くらいはラウンドして、ゴルフクラブの月例大会に出て優勝したり、ワンラウンド70台で(レギュラーティですけど)回ったこともあった。
女子選手ではあるが、岡本綾子さんのゴルフスタイルが好きだった。フォームというか、そのスイングのリズムがとても参考になった。練習出来ない時は、岡本さんのスイングをスロー再生で何度も繰り返し見て、頭の中にスイングのイメージを形成するだけで、本番で上手く行くことを実感していた。
だから、本物の岡本さんを日本で見たことのなかった私にとって、目の前で彼女のプレーを見ることが出来るのは大きな喜びだった。
練習日というのは、本番の試合が始まる前に、選手がそのコースの特徴等を調べるためにラウンドすることである。岡本綾子選手のスタート時間を確かめて、休みを取って(平日だったので)コースに出かけた。
日本の報道陣、ゴルフ解説者が多数来ていた(N○Kの解説関係者、京大出身のS氏や実姉が女優篠ひろ子さんのN氏など)。
岡本綾子さんと一緒に練習ラウンドを回っていたのは、高校を卒業したばかり、当時若干18才の福嶋晃子さんだった。彼女がジュニア時代から活躍していたのは知っていたが、まさかあの時、全米女子オープンに参加しているとは知らなかった。コース脇に、見覚えのある男性が立っていた。
福嶋久晃さん、そう晃子さんのお父様であった。
福嶋久晃さんは、元大洋ホエールズ(現、横浜ベイスターズ)の名キャッチャーとして活躍し、確かコーチを最後に引退されていたはず。私にとって、プロ野球といえば「西鉄ライオンズ」なのであるが、実家が横浜にあることもあって、また「鯨」が好きであることもあって、「大洋ホエールズ」は応援していたので、福嶋久晃さんを見分けることが出来た。
正確には、その時点では晃子さんのことはわかっていなかったのだが、先に福嶋久晃さんのことを認識して、「失礼ですが、元大洋ホエールズの福嶋さんですよね。」と私から声をかけて挨拶をしたのだった。そうしたら、久晃さんが「娘の晃子が出るので一緒に日本からやって来たんですよ」と気さくに応えて下さったのだった。
私が報道関係でも解説者でもなく、何故ここに来ているのかを自己紹介すると、「これから18ホール、岡本さんと回っていくので、一緒に見ませんか?」と久晃さんに誘われたのだった。
その後は本当に楽しい一日だった。
「これからドライバー打ちますけど、見てて下さい、ちょうどこの目の前に飛んできますよ。」と久晃さんがいったあと、遥か彼方、ティーグランドで放たれた晃子さんの打球は晴天の空を切り裂いて絨毯のようにふかふかのフェアウェーに着地した後、計ったかのように転がって久晃さんの立っている数十ヤード先のフェアーウェー中央に止まった。
「さすが!」と思わず唸ったものだ。
レストラン「バレーヌ」の話が出たのは、そうやって楽しく久晃氏と、岡本さん晃子さんのラウンドを追いかけていっている最中だった。私の両親が横浜に住んでいることを話すと、「私、横浜にレストランをやっているので、帰国されたら良かったら是非よって下さい。『バレーヌ』っていう店です。」と仰った。
「あ、バレーヌってひげ鯨っていう意味ですよね。」と私が答えると、「おお、よく御存知ですね。その通りですよ。」と言われる。
「いや、昔から鯨に興味があって、、、実は鯨肉を食べるのが好きだったんですけどね、、、最近は獲れなくなったのでその理由を調べていたら、鯨にとても愛着がわいていろいろ研究しているんです。」と私。
「私は、ホエールズでしたからね。それに、生まれが和歌山県の太地なんですよ。」と久晃氏。
「おお、あの捕鯨基地の太地といえば、何年か前に大阪で学会があった時に、太地の国民宿舎「白鯨」に昼だけやっている鯨の刺身定食を食べるために特急で行った事がありますよ。」
「いやいや、「白鯨」は私が結婚式をあげたところですよ。」と久晃氏。
ラウンド中、ちょっと休憩に入っていた晃子さんも会話に加わり、「太地は大好き、おばあちゃんもいるし、いいところ」と言う話に。
私が、その数年前に、CWニコル氏の書いた「勇魚(いさな)」という小説を読み、太地の岬に行って太平洋を見てみたかったことなどを話すと、久晃氏も晃子さんもそれはもう懐かしそうな表情で太地のことを語って下さった。
こんな、偶然というか、出会いってあるのだろうか。
向こうは、現役時代勇名を馳せた名キャッチャーとその遺伝子を引き継いで女子プロゴルフ界をこれからしょって立つと期待されている大器。わたしなぞ、へなちょこアマチュアゴルフ愛好家で、お近づきになどなれるはずもない方々。
たまたま、「業界」以外の日本人が私しかいなかったという幸運で話ができ、話がつながり、大変仲良くして下さった。
もちろん、本番3日間とも、岡本さんそっちのけで晃子さんの応援に回った。
なんと、日本の誇る名選手である岡本さんと小林さんが予選落ちしたのに、高卒ルーキー(正確には、日本ではまだプロテスト合格前)の晃子さんが堂々と予選を通過し、私の記憶によると27位か何かに入ったのだ。プロとして初めての国際大会で世界で27位である。賞金も出た。
そうしたら、最終日の日曜の夜、久晃さんから食事のお誘いまで受けてしまった。
「晃子は賞金をもらいましたからご馳走しますのでご家族一緒に」ということで、久晃さん、晃子さん、晃子さんのキャディーをつとめた地元カーネギー・メロン大学ゴルフ部の男性とそのガールフレンド、福嶋さん親子をLAの予選から助けていた通訳の日本人女性、そしてうちの家族4人で、ピッツバーグのダウンタウンに食事に出かけ、食後は夜景が有名なMt.Washington(山といってもケーブルカーで5分くらい登るだけの、ダウンタウン目の前の小高い丘)に皆で行って、ピッツバーグの美しい景色を思い出に眺めてもらって記念写真等も撮ったのだった。
福嶋晃子さんは、その後、日本でプロテストに合格し、スポーツ用品のミ○ノと確か何億円と言われる契約を結び、国内外で活躍されて来ている。ちょっと腰を悪くされたことがあり心配しているが元気で活躍して欲しい。
私は1994年春に帰国して、それからもう12年が過ぎてしまった。横浜港南台のレストラン「バレーヌ」は、気になりながらも一度もお邪魔出来ずに過ぎてしまった。
ウェブで見る限り、福嶋久晃さんは経営から手を引かれてしまったようである。
「バレーヌ」という言葉から懐かしい思い出が蘇った。
そうだ、これから少し得意の(?)鯨の話でも書いてみるか。。。
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コメント
昼寝明けにすっごく楽しい記事でした(^_^)
記憶がほどけるとか、繋がるとかいう感じを楽しく読ませて頂きました。
なーんだ、バレーヌと読むんですね。
もう覚えられます。
バレーヌさん、半端なく引き出しいっぱい!
F1でも、ゴルフでも、鯨でも、そう、篠ひろ子さんでも(関係ないか)、どんどん引き出し開けて下さいな(^O^)/
94年春ですか、私はミシガンから92年夏に帰国しました。もう14年です。
投稿: リスペクト | 2006.07.13 16:45
鯨。
最近、また、気になりだしたことを・・・
「勇魚」の中だったろうか、「セミの子連れは夢にも見るな。」「鯨一頭、七浦潤す」という言葉が出てきたような気がするのですが、こういった、鯨に畏敬の念と言うか、感謝し敬っていたのは、日本人とイヌイットの方以外にどこかあるのだろうか?
お金を得るためではなく、狩と生きることが直結しているところでは、感謝する気持ちが自然と生まれるのかな。
星野道夫さんの写真集を見ながら、ふと・考えてしまった。
太地、「白鯨」かぁ。一度は行ってみたいです。
投稿: ふなゆすり | 2006.07.13 17:19
リスペクトさん、引き出し、もっとありますが、私は公務員なので(自分のために)開けない方がよいものもあります。やばいものはないですけどね。
ふなゆすりさん、鯨に関する引き出しもたくさんあります。
「子連れのセミは深追いするな」
「マッコウの胃石一つで三代暮らせる(原文忘れました)」
などというのもあったでしょうか。
日本人が鯨に払った敬意というのは、その名前からもわかります。その辺のことを今後書いていきます。
投稿: balaine | 2006.07.13 20:14