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2006年7月

2006.07.31

7月だと思っていたのに

あと数時間で8月ですね。
職場の環境が変わってから4ヶ月になります。
忙しい!
っていうか、暇がない。本当に何かしらいろいろ仕事があるのです。
学会や研究会や出張などはまだ仕事らしいし、手術や病棟の管理も脳外科医として仕事している感じがする。
しかし、大学という所は、本当にadministrationの仕事がたくさん。
私なんかはまだ仕事してない部類に入る。楽させてもらっている所もある。
でも、暇=自由に出来る時間、が圧倒的に少ない。その上、収入は前職のおよそ○0%減である。

あまりにブログを書いていなかったら、親から「元気なのか?」とメールが来た。
息子が元気でいるかどうかをブログで判断するのもどうかな、と思うけど面白い現象ではある。
ブログに書く内容がないわけではない。話題はたくさんあるが、触れられないこと、触れたくないこと、などもいろいろある。
元気でいることを伝える意味もあり、先月はサクランボを送り、最近はメロンを送った。産地直送どころか、どちらも生産農家が友人なので、「生産者」直送の素晴らしいものである。

12月のオケの定期の練習も少しずつ進んでいる。
土曜日は、初めての指揮者練習(本番の指揮をして下さるプロの指揮者)だった。
万難を排して練習に駆けつけた。
指揮者練習は、土曜の夜と日曜の日中(午前午後)であったが、さすがに2日続けては行けなかった。
アマオケの普段の練習の中でも、定期演奏会の練習は大事であるが、特に本番の指揮者の練習は直前まで数回しかなく大変貴重な時間なので、本当に万難を排して集合し教えを乞いオケが進化するのだ。

今の仕事の状況では、指揮者練習の度に練習に参加するというのも厳しそうである。
いや、それより12/3の本番に乗れるのだろうか。
ブラームスの悲劇的序曲とドボルザークの第8番の交響曲。どちらもフルートは大活躍する魅力的な作品。
私にとって、フルートを練習する時間、オケの練習に参加する時間、演奏会に出演する時間、これらは趣味の時間だからいわゆる「余暇の活動」なのである。
余暇ってのは「余った暇」と言うことなのだろうか?
今の私に、余った暇など非常に少ない。まあ、うちの教室で一番働いている上司に比べれば、まだ余った暇が作れる方ではあるのだが、私なりに真剣に取り組んでいて、簡単に「趣味」などと呼ばれたくないものである。音楽活動を突き詰めていきたいのだが、そのための時間が乏しい。

『医療崩壊ー立ち去り型サボタージュ』という本が売れているそうである。
内容はおよそ知っているけれどまだ読んでいない。この本を読んで欲しいのは、医療職よりも一般市民、そして厚生労働省と文部科学省、政府、某国総理大臣である。
今の状況で、日々余裕などなく忙しくしかも(この際、収入は多少低くても良いから)自分の時間、自由に使える余暇などごくごく限られていては、私も「立ち去る」しかないな、と真剣に思い悩んでいるこの頃である。
サボタージュではないぞ!と言いたいけれど。。。

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2006.07.18

ミンククジラ

調べりゃわかることだから、ブログにつらつら書くのもちょっと辛くなって来たので、この辺で一旦打ち止めにしましょうか。

「ミンク」は、クジラ目ヒゲクジラ亜目ナガスクジラ科に属します。定説ではノルウェーの新米捕鯨船砲手のマインケ君が、いつも小さな鯨ばかり撃っていたことから、「マインケの鯨」とあだ名されるようになったため「ミンククジラ」と呼ばれるようになったことになっています。
ナガスやセミなどの大型鯨をとっていた頃は、ミンククジラは小さくて(体長7, 8m)動きも敏捷なため、商業捕鯨の対象外でしたが、大型の捕鯨が禁止されて以降、久しくいわゆる「鯨刺し」として生で食用に供される鯨肉の代表となりました。セミクジラ、ナガスクジラの商業捕鯨、そして調査捕鯨が禁止されて以降、日本の食卓に上ることが出来るのは、大型の冷凍庫に保存保管されていた「捕鯨禁止」前の鯨肉か、南氷洋で許可されていたミンククジラの調査捕鯨によって得られた鯨肉、さらに近海で捕獲される「イルカ」に属する小型クジラでした。
立場や調査年によってそのデータにも差があるため、どのデータを信頼して良いのか判断が難しいのですが、南太平洋ではミンククジラは何十万頭(76万頭という試算もあり)と生息していて、もはや保護の対象ではないという立場もあります。ミンククジラが増えすぎると、イワシなどの小魚が大量に食べられるため漁業や海洋の生態系に大きな影響を与えると危惧されています。日本海近郊にも生息していますが、過去の乱獲の影響からまだ回復しきっていないというデータもあるようです。
よって、たくさんいそうなのだけど、商業捕鯨再開への道は閉ざされたままです。日本政府は、ミンククジラが定置網などに間違ってかかってしまった場合、商業流通を許可することにしているため、こうした鯨肉も食卓に上る可能性があります。

 ナガスクジラ科なので、セミクジラやナガスクジラには及びませんが、生肉を刺身にして食する対象になります。しかし、近年ではこの調査捕鯨による捕獲や近海での捕獲も減少したため、代わりに捕鯨禁止対象になっていない、ツチクジラやゴンドウクジラなどの体長2,3mの小型ハクジラが食用の対象になって来ています。
残念ながらこれらの鯨肉は、ハクジラ亜目特有の空気に触れると黒っぽくなって悪くなりやすい特徴を持っています。鯨肉は、一般的にスーパーや魚屋さんでいつも見かける訳ではありませんが、昔からの流通で「鯨肉あります」などと小さな看板を掲げている所もたまに見かけます。
IWCで調査捕鯨から商業捕鯨再開の決定を得られずにいる日本政府としては、過去に捕鯨基地として賑わい、捕鯨の出来ない今や寂れて来た太地や鮎川(宮城県)といった土地に、調査捕鯨で捕獲したミンククジラの肉を優先的に回している(いた?)ようです。ですから、太地や鮎川などにいくと、まだ街中に「クジラ刺身定食」とか「鯨肉あります」などの看板を見かけますし、民宿で夕食にクジラの刺身が出て来たりします。

鯨を愛する立場の私として、鯨肉を食べる話ばかりで少々気がひけるのですが、実はこれには訳があります。
捕鯨、鯨肉食などはある意味で民族の歴史であり文化です。これは、一民族として、一独立国家として守り受け継ぐべきものだと考えます。しかし、世界の中の日本という立場を考えた場合、自己の主張を認めさせるためにはそれなりの手続きや手段が必要です。それがまだ成功していないのです。
反捕鯨の立場の人達は、ファナティックに「捕鯨反対!」と叫んでばかりいる訳ではなく、それなりの理由や根拠をちゃんと持っている人達もいます(そうでない人達も多いようですが)。

問題は、たとえば、ミンククジラも保護すべき鯨としてこのまま増え続けていくと、同じ海域に生息するナガスクジラなど他の「もっと」保護しなければならない鯨のエサが相対的に減少して、保護すべき鯨の絶滅への道が加速される可能性があるということです。
地球上に生息する動物の単なる一種としての「ヒト」は、地球上の他の動物の生息や絶滅をコントロールする権利をもつのでしょうか?人間が会議を開いてコントロールすると、地球上の生態系はうまく保たれるのでしょうか?
過去にいろいろな事例があります。保護しようとした動物が、過剰な(?)保護が原因でかえって減少してしまったこともあります。全ての鯨の肉食を禁止し、ミンククジラを保護し続けて、それによって他の絶滅に瀕している鯨の減少を加速させ、海の生態系を壊し、魚類の分布にも変化をもたらす恐れが指摘されています。

知能の高い(と推測される)クジラを食べるなんて野蛮だ、と切り捨てる人もいます。
私も過去に米国人と、日本の鯨肉食の歴史や文化の事をdiscussionしたことがあります。
私「日本の捕鯨には歴史がある。狭い国土で限られた資源の中で生きる日本人にとって、海の恵みは有り難いもので、大きな鯨の捕獲は神からの贈り物であった。骨や歯まで工芸品にしたり、ヒゲクジラのヒゲは人形浄瑠璃の人形の関節のバネに使ったりなど伝統がある。」
米国人「鯨を食べるなんて野蛮だ。日本のように科学技術が進んでいるなら、鯨のヒゲに相当する物も科学的に作り出せるはずだろう。」
私「では、欧米人が牛を食べるのは野蛮ではないのか。牛にだって相当の知能がある。だいたい、知能があるから食べてはいけない、知能が低いから良い、などという考え方が人間の傲慢である。」
米国人「牛は飼育出来るが鯨はできない。」
というような、噛み合わない議論でした。

地球上には65億人の「ヒト」が存在します。今も増え続けています。このまま増え続けられるのでしょうか。
医師は、病める人を助けようと働き、命を落としそうな人を救うために懸命に努力します。
日本人の平均寿命は女性は世界一です。長生きすることは悪いことではありませんが、医学がどこまで人類の幸福に貢献出来るのでしょうか(一人一人の幸福には多少かかわれたとしても)。世界中の人が等しく富み等しく健康で長生き出来る世の中など実現可能なのでしょうか。何かを無視していないでしょうか。人類も地球上に生きる生物のひとつに過ぎないのではないでしょうか。
鯨をコントロールするように、「ヒト」が「ヒト」の生息をコントロールするような時代が来ないことを祈ります。

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2006.07.15

ザトウクジラ

というわけで(昨日のブログのコメントに理由あり)、今日は「ザトウクジラ」。
直球勝負で、漢字では「座頭鯨」です。

クジラ目ヒゲクジラ亜目ナガスクジラ科に属します。
「ナガスクジラ」って別のクジラじゃないの?と思われるでしょう。
ナガス=長須というのは、下顎の下の蛇腹のような「長い」「畝須」のことなので、これをもっているクジラは皆ナガスクジラ科です。
おそらく、ザトウクジラは、クジラ目の中でも最も人間の注目を集め研究が進んでいるかもしれません。
「ヒュ〜ン、グゥ〜ン、ギィギィギィ、プヮ〜ン、、、」
と言う感じで「歌を歌う」事でも良く知られていて、ソプラノサックスかなにかでザトウクジラとセッションをした人もいたはずです。地球外の知的生命体へのメッセージとして、人間の声とともにザトウクジラのこの歌(声)を録音してヴォイジャー1号、2号に載せたのも有名な話です。

このクジラは、英語俗名をhumpback whaleといいます。
Humpbackとは「せむし」(脊椎後彎の障害用語なので一般に使う言葉ではありませんが)のことですが、日本名の座頭というのも「座頭市」などで有名なように、背中に何かしょっている人(傘とか琵琶とか)の俗称です。ザトウクジラは背中に小さな背びれと瘤があるため、これが背中に琵琶を担いだ「座頭」に似ているからと言う理由での命名だと思います。
よって、英語俗名と日本語俗名は、このクジラの場合それほど差がありません。
学名は、Megaptera novaeangliaeといい、まるで羽のように大きな胸びれを持っているためについた名前です。体長のおよそ3分の一におよぶ、長く大きな胸びれを上手く使いながら泳ぎます。ブリーチングと呼ばれる大きなジャンプをすることでも有名です。
私は、ボストン沖で4回、ハワイ沖で1回、whale watchingをしたことがあるのですが、ザトウクジラは必ず見ることが出来ました。それだけ、回遊している場所がおよそ決まっているのと、IWCによる商業および調査捕鯨禁止によって保護され頭数が十分いるためだと思います。幅がこれまた体長の3分の一にも及ぶ大きな尾鰭(尻尾)を持っていて、その裏側の文様が一頭一頭全て違うため、研究者はこの尾鰭の文様を写真に記録して個別の名前を付けて研究しています。(ケープコッドの研究所では、数百ドルのdonationをすれば自分の好きな文様のクジラに名前が付けられるということをやっていたと記憶しています。私は名付け親にはなりませんでしたが。)
私自身が観察したザトウクジラで一番印象的だったのは、ケープコッドから出たwhale watchingの船から見たのですが、生後間もない赤ちゃんクジラが船に興味津々でどんどん船に寄って来たため、(おそらく)母クジラがそれを制御するため、船と赤ちゃんクジラの間に割って入り、もう手が届くくらいまで近づいていた赤ちゃんクジラを船から遠ざけようとして、そのため赤ちゃんクジラが癇癪をおこしたのか、イヤイヤをするみたいに尾鰭を3、4回、バシャバシャと海面に叩き付ける動作をしたことでした。
赤ちゃんクジラ(と言っても体長5mくらいあった)の可愛らしさとお母さんクジラ(体長14,5m)の愛を感じた出来事でした。船上の米国人もそれを見て、みな「Beautiful!」と言っていましたね。

そうそう、「バブルネットフィーディング」の事を書かなきゃね。
最近はテレビでも時々見ることが出来るので有名になりました。
ザトウクジラに特有の「食事法」のようですが、数頭で組んでやるんです。噴気孔(頭の上の鼻の穴)から、少しずつ息を出して気泡を作ります。それを水深数十メートルの位置から、数頭でゆっくりと円を描くように泳ぎながら出していくと、気泡が円筒形に海面まで達するため、その領域にいた小魚(ニシンやシシャモ、+オキアミなどのプランクトン)が逃げられなくなって、その気泡で出来た網(バブルネット)の中に閉じ込められます。
そこへ、海底から大きな口を開けたまま急浮上すれば、バブルネット内に閉じ込められた小魚やオキアミたちを一網打尽に口の中に海水とともに捉えることが出来ます。これを数頭で繰り返して、一日に何トンという量の食事をする訳です。
この際、下顎の畝須が大切な役目をしていて、大量の海水を呑み込んだ口の中が蛇腹のように大きく膨らみ、続いて、口を軽く閉じて海水を少しずつ吐き出し、その際に上あごから縦に並んでいるヒゲ板(だからヒゲクジラと呼ばれる、けっして髭が生えている訳ではない)を漉器代わりにして食物だけを口の中に残し、それをゴクリと呑み込む訳です。
私が知る限りでは、バブルネットフィーディングをしているのはザトウクジラです。
歌を歌ったり、子供に泳ぎを教えたり、スパイホッピングをしたり、バブルネットフィーディングをしたりということでかなりの知能を持つのではないかと考えられて、クジラを研究する者にとって大変興味の湧く対象としていろいろ調査されているようです。
私も大好きな鯨です。

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2006.07.14

マッコウクジラ

先日、某国営(?)放送の特集番組で、マッコウクジラのことをやっていた。
いろいろ問題を起こしている放送局ではあるが、N響アワーを始めとする優れた音楽番組や、上記自然などを対象にした番組の密度の濃さ、内容の深さはピカ一であるから許してあげる。(は?)

さて、マッコウ。
漢字ですぐ書ける方がどのくらいいるのだろうか。
クジラ目ハクジラ亜目マッコウクジラ科に属する。
昨日の、セミクジラはヒゲクジラ亜目で、口の中に歯の代わりにヒゲ板という、およそ「髭」には見えないものがある。これは上あごから下向きに生えていて、口の中に「こし器」のように縦に並ぶのである。セミクジラなどのヒゲクジラ亜目は、大きな口をあけて畝洲と呼ばれるアコーディオンの蛇腹様の下顎を膨らませて大量の海水とともにオキアミなどを口の中に一旦納めた後、ゆっくりと海水をヒゲ板の間から口の外に吐き出して、結果口の中に残った食物をペロリと舌を使って呑み込むのである。
一方、ハクジラ亜目は歯のような器官を持っているが、マッコウではこれが下顎にしかついていない。上あごには歯がなく、下顎から生えた歯が納まるような凹みがあるだけである。しかも、下顎は、大きな頭には似つかわしくないくらい細く長い。要するに、ハクジラと呼ばれながら、人間のように食物を食べるために歯を使っている訳ではない。単純に言えば、好物のダイオウイカなどを捕捉するためにこの下顎に並んだ歯でくわえるのである。
弱ったダイオウイカは、そのまま噛まずに呑み込むと考えられている。捕まえるために使っているだけと考えられる。
さて、マッコウ、漢字では「抹香鯨」と書くのである。
「抹香臭い」という、あの抹香のことである。
ダイオウイカなどを胃や腸内で消化吸収する過程において、吸収出来ない成分に胆汁などが混ざって石のように蝋状に結石化させたものである。この結石化した物質のことを「龍涎香」と呼ぶ。
龍涎香は、乾燥させて火にくべるととても良い香りがすることと、他の自然物には無い色と形などから、古来中国で『龍のよだれが固まったもの』であると考えられたためついた呼び名である。この龍涎香から、お寺などで焼香に使われる抹香(=モクレン科のシキミの葉を粉にして作った香)に近い芳香が得られるため、貴重品としてもてはやされた。江戸時代ならば、大きめのマッコウクジラのこの「結石」を手にいれると「同じ重さの金と交換される」とか「三代遊んで暮らせる」と言われるくらい高級なものだったようである。
日本人の情緒というか、クジラを海からの贈り物として畏敬の念を込めて感謝の心から名付けた俗名が「抹香鯨」と言う訳である。

ところが英語による俗名には、日本人としてちょっと首を傾げる。
Sperm whaleと彼らはいう。直訳すると「精液クジラ」ということになる。
マッコウクジラは、大好物のダイオウイカなど深海の大型の生物を捕食するために、長時間深海に潜っている必要がある。しかし、ほ乳類であり人間と同じく肺を持ち呼吸する生き物なので、一息で素早く水深1000〜2000mまで潜るために体にいろいろな工夫が凝らされて来た。その一つが、でっかい頭に貯蔵している「脳油(のうゆ)」と言われる液体である。
脳油の凝固点は摂氏29度。通常のほ乳類の体温においては液状になっているのであるが、海を潜り始めて海水温が下がって来ると、この脳油が蝋状に固まって密度が重くなり、海水から受ける水圧で体を縮めて体積当たりの質量が増加して、ますます深海に潜りやすくなるための重りの役目をするのである。まるで、潜水艦が深海に潜航するための働きである。

クジラという生き物が「脂の原料」に過ぎなかった(もちろん海の幸の一つとは考えていたであろうが、海とともに生活する日本人とは発想が違う)欧米人に取って、マッコウクジラの頭(正確には、たんなる頭部であって、脳の中ではない)から出て来る液体が、29度以下で蝋状になる、その白色でドロドロした状態を以て、sperm(精液)と名付けたのである。
ちなみに、深海から浮上して来る際には、脳油の詰まった頭部のタンクのような装置に、頚動脈の枝の血管から暖かい血液をたくさん回すことによって体温に近づけて、固体から液体にすることで浮力を得ている。
さらに、長時間(30〜40分も!)一呼吸で深海に潜っていられるように、マッコウクジラの筋肉には酸素をくっつけて話さないミオグロビンという組織が多く、そのためにマッコウクジラの肉は解体されて外気に触れると黒く変色しやすいうえに早く悪くなりやすく更に固いということで、食用にするには向かないのである。
マッコウクジラの尾の身の刺身などというものはなく、せいぜい甘辛く煮て缶詰にするか、竜田揚げやステーキなどの「火」を通した料理として食されることになる。

一方のヒゲクジラ亜目、特に昨日記載したセミクジラなどは、海水表面近くを遊泳してプランクトンや小魚を捕食して生活するため深く潜ることはほとんどなく、安全な場所では一分間に数回の呼吸をしている。だからその肉は赤味が鮮やかで落ちにくく、鮮度が良ければ刺身で楽しめるのである。

私の好きなCWニコルの小説『勇魚(いさな)』にも、嵐に巻き込まれて遭難した(久しく鯨が獲れなかったため、先祖伝来の教えに背いて子連れのセミを深追いして外海まで大きく出て行ってしまった)太地の鯨取りが米国の捕鯨船に助けられて米国に戻る際に、マッコウクジラを見つけ、日本人が「マッコウ!」と叫び、アメリカ人(カナダ人だったかもしれない)が「スパーム!」と答えるシーンがあったと記憶している。

もう一つ、蘊蓄。
普通、鯨というと皆さん、鯨の潮吹きを想像されるだろう。
あれは、海水を噴き出しているのではなく(もちろん少しは海水も混じっているが)、頭のてっぺんの最も海水表面に出やすい位置についている鼻(噴気孔と呼ぶ)から、肺の中の暖かい空気を吐き出すため海水表面の冷たい空気に触れて霧状になるために「潮」を吹いているように見えるのである。
通常の鯨は、目と目の間の真上当たりに、人間の鼻と同じように2つの鼻の穴(噴気孔)がついているのだが、マッコウクジラは「脳油」をためる大きなタンクが頭にあるため、噴気孔は左前方に押しやられて頭の前の方にしかも一つだけあるのである。
よって、マッコウクジラが呼吸をすると、その潮吹きは、左前方に比較的細長く一個の鼻の穴から出て来るため、他の鯨達との違いが容易に見分けられる。
鯨取り(や鯨研究家)たちは、洋上遠くからこの鯨の「潮吹き」を見て、その形、方向、高さなどから鯨の種類を判別するそうである。

最後に、マッコウクジラの学名Physeter macrocephalusの、macrocephalusとは「大きな頭」と言う意味である。マッコウクジラの頭部は体長の3分の一あると言われる。そして、筋肉質なその体を潜航時には更に細く固くして、本当に潜水艦さながらに潜って行き、さらに深海で光の届かない場所では潜水艦のソナーよろしく超音波を出して獲物や障害物をとらえているらしいと言うことがわかっている。
本当に、魅力的で素晴らしい動物である。
(他の鯨の話へ続く)

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2006.07.13

セミクジラ

イルカ(鯨目の中で小型の歯鯨の総称)を含めて、鯨目はおよそ100種類あるのだが、その中で私が一番好きなのは「セミクジラ」である。
「なに?セミ?ミーンミンとかって鳴くの?」
などという人もいるかも知れませんね。

セミクジラは漢字では、「背美鯨」と書くのです。
クジラ目ヒゲクジラ亜目セミクジラ科(Balaenidae)の中でも、「北太平洋セミクジラ」のことは、学名でEubalaena japonicaと表記される。かつて、日本の商業捕鯨の最適品種のひとつであった。
「北大西洋セミクジラ」は学名でEubalaena glacialisと表記される。19世紀中盤にペンシルバニア州で石油が発見されるまで、ランプの油の原料となって珍重されたため、米国を中心に乱獲されて、北大西洋には現在1500頭程しか確認されておらず、絶滅は必死と言われて久しい。
学名ではない俗名の英語表記は、right whaleとなる。北大西洋のright whale、北太平洋のright whaleということになるが、日本語の俗名が「背美鯨」なのである。

これは、日本式の古来の捕鯨法である「突取捕鯨法」や「網掛突取捕鯨法」は、スピードの出る、美しい装飾を施した小型の手漕ぎ船(勢子舟という)で鯨を追い込んでいくのだが、セミクジラは背鰭がないため海面に現れるつるっとした漆黒の「美しい」「背中」に敬意を表して、「背美鯨」と日本人は呼んだのである。
一方、英語圏を中心とする欧米人にとってのセミクジラは、ずんぐりむっくりの図体で良質の脂をたっぷり持っていて泳ぐのが遅いので追っかけて捕まえやすくとらえた後は体の脂が多いため沈まないので船で曳航しやすく、「漁(猟)に最適」な正しいrightな鯨、right whaleと呼んだのである。

真っ黒で背鰭を持たない背中が海水で濡れた姿を「美しい」と思った日本人と、脂たっぷりで漁に最適だから「right」と考えた欧米人の情緒の違い、自然や動物に対する見方の差というのが現れていると思う。

最後に白状しなければならない。
何故わたしがあらゆる鯨目の中でセミクジラが一番好きなのか、その理由。
セミクジラの「尾の身の刺身」がとっても美味しいのである。
今まで人生で2回しか食べたことがないし、最後に食べたのは私の記憶では昭和58年、今から23年も前のことである。渋谷道玄坂の「くじら屋」だった。
その味を言葉にするのは難しいが、敢えて言うなら、大間の本マグロの大トロと三田(神戸)牛か前沢牛の最上級の牛刺しと肥後熊本の最高級の馬刺霜降りを足して3で割ったような味。脂が豊富で野性的だが生臭くなく舌の上でトロッと溶けてしまった後は、鼻孔に脂の香が甘く漂いその後爽やかに消えていくのである。
商業捕鯨が禁止されて20年以上が過ぎ、今や手に入ることはないと言えるが、実はない訳ではないらしい。IWC(国際捕鯨連盟)から脱退した捕鯨国が捕獲したものを輸入するという手段があるようである。IWCに加盟している日本は、調査捕鯨の継続、商業捕鯨の再開を、綿密な調査と日本の捕鯨および食文化の伝統の面から主張しているが、前記のように絶滅に瀕した種もあり(そういう道に追い込んだのは日本だけではなく、実は反捕鯨の中心になっている国の過去の誤った乱獲なのだが)なかなか難しい面がある。

セミ鯨の尾の身の刺身が食べたい私ではあるが、whale watchingを何回かしたり、本やビデオなどで鯨の生態を勉強するにつれ、鯨を守る立場の気持ちが強くなっているのは事実。
でも、旨いものはうまいのである。

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2006.07.11

お詫び

Cocologが、その悪評高い(?)メンテナンスに入るらしく、その直前のためか、非常にアクセスに時間がかかり、サーバーが混乱しているようです。
記事の内容を書き直したり、TBをつけてアップし直したら、3つも同じ記事がアップされました。
そのうち2つを消そうとしたら、コメントをくださった方まで消えてしまったようです。
申し訳ありません。
ココログが落ち着いたら、再度コメントを頂けますようお願い申し上げます。
どうも、7/11の午後2時から7/13の午後2時まで、丸々48時間もメンテに入るようです。
困ったものです。。。

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バレーヌのこと

「納豆の日」も過ぎた。
ワールドカップも終わった。
そういえば、しばらくF1ちゃんと見てなかったぞ。キミ(ライコネン)は、今どうなってるんだ?
ーー
ものは試しと、仏語ではなく、カタカナで「バレーヌ」としてググって見た。
いくつかレストランの名前が出た。
その中に、横浜港南台の洋食屋さん「バレーヌ」の名を見つけた。懐かしかった。
懐かしい、と思うのに、私のこのお店にまだ行った事がない。

話は14年前になる。
私は、米国ピッツバーグに留学していた。
その年のゴルフの全米女子オープンが、ピッツバーグ郊外(私の住まいから車で15分くらいの所)で開催されることを知り、しかも参加する選手が岡本綾子さんに小林浩美さんという超一流選手だったので、練習日から見学に行きたいと思った。
今や一年以上クラブも握っていないが、ちょっと前はゴルフに結構一生懸命だった時があった。
忙しいので毎日練習は出来ないが、週に一回くらいは練習場に通い、一ヶ月に一回くらいはラウンドして、ゴルフクラブの月例大会に出て優勝したり、ワンラウンド70台で(レギュラーティですけど)回ったこともあった。
女子選手ではあるが、岡本綾子さんのゴルフスタイルが好きだった。フォームというか、そのスイングのリズムがとても参考になった。練習出来ない時は、岡本さんのスイングをスロー再生で何度も繰り返し見て、頭の中にスイングのイメージを形成するだけで、本番で上手く行くことを実感していた。
だから、本物の岡本さんを日本で見たことのなかった私にとって、目の前で彼女のプレーを見ることが出来るのは大きな喜びだった。

練習日というのは、本番の試合が始まる前に、選手がそのコースの特徴等を調べるためにラウンドすることである。岡本綾子選手のスタート時間を確かめて、休みを取って(平日だったので)コースに出かけた。
日本の報道陣、ゴルフ解説者が多数来ていた(N○Kの解説関係者、京大出身のS氏や実姉が女優篠ひろ子さんのN氏など)。
岡本綾子さんと一緒に練習ラウンドを回っていたのは、高校を卒業したばかり、当時若干18才の福嶋晃子さんだった。彼女がジュニア時代から活躍していたのは知っていたが、まさかあの時、全米女子オープンに参加しているとは知らなかった。コース脇に、見覚えのある男性が立っていた。
福嶋久晃さん、そう晃子さんのお父様であった。
福嶋久晃さんは、元大洋ホエールズ(現、横浜ベイスターズ)の名キャッチャーとして活躍し、確かコーチを最後に引退されていたはず。私にとって、プロ野球といえば「西鉄ライオンズ」なのであるが、実家が横浜にあることもあって、また「鯨」が好きであることもあって、「大洋ホエールズ」は応援していたので、福嶋久晃さんを見分けることが出来た。
正確には、その時点では晃子さんのことはわかっていなかったのだが、先に福嶋久晃さんのことを認識して、「失礼ですが、元大洋ホエールズの福嶋さんですよね。」と私から声をかけて挨拶をしたのだった。そうしたら、久晃さんが「娘の晃子が出るので一緒に日本からやって来たんですよ」と気さくに応えて下さったのだった。

私が報道関係でも解説者でもなく、何故ここに来ているのかを自己紹介すると、「これから18ホール、岡本さんと回っていくので、一緒に見ませんか?」と久晃さんに誘われたのだった。
その後は本当に楽しい一日だった。
「これからドライバー打ちますけど、見てて下さい、ちょうどこの目の前に飛んできますよ。」と久晃さんがいったあと、遥か彼方、ティーグランドで放たれた晃子さんの打球は晴天の空を切り裂いて絨毯のようにふかふかのフェアウェーに着地した後、計ったかのように転がって久晃さんの立っている数十ヤード先のフェアーウェー中央に止まった。
「さすが!」と思わず唸ったものだ。

レストラン「バレーヌ」の話が出たのは、そうやって楽しく久晃氏と、岡本さん晃子さんのラウンドを追いかけていっている最中だった。私の両親が横浜に住んでいることを話すと、「私、横浜にレストランをやっているので、帰国されたら良かったら是非よって下さい。『バレーヌ』っていう店です。」と仰った。
「あ、バレーヌってひげ鯨っていう意味ですよね。」と私が答えると、「おお、よく御存知ですね。その通りですよ。」と言われる。
「いや、昔から鯨に興味があって、、、実は鯨肉を食べるのが好きだったんですけどね、、、最近は獲れなくなったのでその理由を調べていたら、鯨にとても愛着がわいていろいろ研究しているんです。」と私。
「私は、ホエールズでしたからね。それに、生まれが和歌山県の太地なんですよ。」と久晃氏。
「おお、あの捕鯨基地の太地といえば、何年か前に大阪で学会があった時に、太地の国民宿舎「白鯨」に昼だけやっている鯨の刺身定食を食べるために特急で行った事がありますよ。」
「いやいや、「白鯨」は私が結婚式をあげたところですよ。」と久晃氏。
ラウンド中、ちょっと休憩に入っていた晃子さんも会話に加わり、「太地は大好き、おばあちゃんもいるし、いいところ」と言う話に。

私が、その数年前に、CWニコル氏の書いた「勇魚(いさな)」という小説を読み、太地の岬に行って太平洋を見てみたかったことなどを話すと、久晃氏も晃子さんもそれはもう懐かしそうな表情で太地のことを語って下さった。
こんな、偶然というか、出会いってあるのだろうか。
向こうは、現役時代勇名を馳せた名キャッチャーとその遺伝子を引き継いで女子プロゴルフ界をこれからしょって立つと期待されている大器。わたしなぞ、へなちょこアマチュアゴルフ愛好家で、お近づきになどなれるはずもない方々。
たまたま、「業界」以外の日本人が私しかいなかったという幸運で話ができ、話がつながり、大変仲良くして下さった。
もちろん、本番3日間とも、岡本さんそっちのけで晃子さんの応援に回った。
なんと、日本の誇る名選手である岡本さんと小林さんが予選落ちしたのに、高卒ルーキー(正確には、日本ではまだプロテスト合格前)の晃子さんが堂々と予選を通過し、私の記憶によると27位か何かに入ったのだ。プロとして初めての国際大会で世界で27位である。賞金も出た。
そうしたら、最終日の日曜の夜、久晃さんから食事のお誘いまで受けてしまった。
「晃子は賞金をもらいましたからご馳走しますのでご家族一緒に」ということで、久晃さん、晃子さん、晃子さんのキャディーをつとめた地元カーネギー・メロン大学ゴルフ部の男性とそのガールフレンド、福嶋さん親子をLAの予選から助けていた通訳の日本人女性、そしてうちの家族4人で、ピッツバーグのダウンタウンに食事に出かけ、食後は夜景が有名なMt.Washington(山といってもケーブルカーで5分くらい登るだけの、ダウンタウン目の前の小高い丘)に皆で行って、ピッツバーグの美しい景色を思い出に眺めてもらって記念写真等も撮ったのだった。

福嶋晃子さんは、その後、日本でプロテストに合格し、スポーツ用品のミ○ノと確か何億円と言われる契約を結び、国内外で活躍されて来ている。ちょっと腰を悪くされたことがあり心配しているが元気で活躍して欲しい。

私は1994年春に帰国して、それからもう12年が過ぎてしまった。横浜港南台のレストラン「バレーヌ」は、気になりながらも一度もお邪魔出来ずに過ぎてしまった。
ウェブで見る限り、福嶋久晃さんは経営から手を引かれてしまったようである。
「バレーヌ」という言葉から懐かしい思い出が蘇った。

そうだ、これから少し得意の(?)鯨の話でも書いてみるか。。。

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