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2006.06.14

語ること少なし

いろいろな話題がある。
まずは、指揮者の岩城宏之さんが亡くなられた。
クラシックやオーケストラに詳しくない方でも、某インスタントコーヒーメーカーのTVCFで「違いのわかる男」の初代を務めた人と言えばわかるかも。
「ダバダ〜〜バ〜ダダバダ〜ダバダバダ〜、、、」
という音楽が懐かしい。
多くの病と戦い、何度も手術を受けて、ステージに、指揮台に上がって来られていた。
これは本当の話だと思うのだが、山響の創設者の一人で現在「創立名誉指揮者」を冠されている村川千秋氏と、既にお亡くなりになられた山本直純氏と併せて海外留学から帰国後まもなく「芸大卒若手指揮者三羽烏」と言われたことがあったらしい。個人的なイメージとしては、N響を振って大活躍の頃が思いだされる。
その他にも、地方のオケの中でも群を抜く質の高さという評判の「オーケストラアンサンブル金沢」、通称OEKの創立に関わり、同音楽監督を務めておられた。
世界的に認められた日本人指揮者としては小澤征爾氏と並び「新世代」と呼ばれるらしい。

今丁度、『近衛秀麿 日本のオーケストラをつくった男』という本を読んでいた。
この近衛氏辺りが世界に認知された日本人指揮者の第一世代なのであろう。近衛秀麿の本にも登場する、斎藤秀雄の門下が、この岩城宏之さんであり、故山本直純氏であり、小澤征爾氏である。
音楽などというものは、芸術の一分野なのだから、その本人の才能と運と努力で世界に進出し認められるものと思われがちだが、「近衛秀麿」を読んでみると、今と時代が違うとは言え、実に興味深いのである。
もちろん、マエストロ岩城も才能と運と努力で世界に認められたのであるが、音楽の世界は特に人と人と人の関係で成り立つような世界なので、人柄とか性格とかが大きく物を言ったはずであろう。
レコードから楽譜をおこすアルバイトのような事をしたり、オケで太鼓を叩くなど(芸大打楽器科卒)して食べていく時代もあったと聞く。とにかく音楽が好きだったのだろう。武満徹などの世界初演なども多く、武満が世界的に有名になった一因は、岩城さんが積極的に演目に取り上げたことも関係あると思う。

音楽を、クラシック音楽を愛する者の一人として深甚なる哀悼の意を表する。
ーー
武満といえば、没後10年を迎え、今週一杯、東京は初台のオペラシティで「武満徹展」をやっている。
実は、この前の日曜日、私はこの「武満展」に行って来た。
クラシック音楽関係者には非常に有名な人ではあるが、一般にそれほど名前が通っているとは思えない。都心の日曜の午後なのにもの凄い人出と言う程ではなかった。
数日前のブログに書いたように、6/11は銀座の山○楽器にピッコロのフィンダ氏が来た。
ピッコロの展示、紹介、そして予約制の調整会である。私は、グラナディラとパリサンダーの2種類の材質のファインダピッコロを持っている。一台は山○で、もう一台はプラハで買い求めた物である。「生みの親」のスタニスラフ・フィンダ(愛称スタンダ)に見てもらえる二台は幸せ者である。
楽器の調整で、そうそう「生みの親」に見てもらえる楽器などはないものである。
忙しい時間をぬって、スタンダ、奥様とともに銀座の近場で食事も出来、1月以来の旧交(というにはおこがましいが、、、)を暖めることも出来たし、山形らしいちょっとしたお土産も渡せて良かった。なにせ、1月にプラハを訪ねた際には、いくらロマン・ノボトニーの知り合いだからと言っても、それまで見ず知らずの日本人に本当に親切にして下さったのだった。そのお礼をするのが今回の銀座訪問の主目的であったのでそれが果たせて良かった。

話が前後したが、そのピッコロ調整会の後、初台に行った訳である。
武満の楽譜の実物を目にするのは初めてだった。
「鳥は星形の庭に降りる」の楽譜は強烈だった。
「楽譜」であるが、「五線譜」ではない。ハトくらいの大きさの鳥の軍団が飛んで来て、星形(実際はペンタゴンと呼んでいるし五角形だった)の庭におりていこうとしている絵が書かれていた。
「Nculear」(おそらくNuclearの誤り)と文字が書いてあり、そこからエネルギーが発して音楽が始まる様な、まさに『絵』である。
さらに、有名な「ピアニストのためのコロナ」などは、一個の大きな丸(円)の周りに、まるで太陽のコロナのように音楽をあらわす図形が描かれているのだ。
映像、自分の目に触れたものと音楽、映像的ストーリーの展開に伴う音楽の変化発展を創っていた人のように感じた。「音楽」って何なのだろう、と考えさせられた。
確かに、楽譜というのはほとんど数学の世界である。
音符、拍子、強弱、テンポ、すべて数学的に表現出来る。だからシンセサイザーというコンピュータを楽器にすることが可能だった訳である。この数学の世界を、ファジーな部分なしに、そのまま直裁的に数学として表現してしまったら、それこそ「シンセサイザー音楽」の世界なのだが、バイオリンにしろフルートにしろ、また誰が叩いても同じ音がする(はず)のピアノでも、どう弾くか、どう吹くか、どう叩くかによって同じ楽譜を元に演奏しても皆違う表情を出すのであり、同じ人が演奏しても二度と全く同じものが出来ないというのが、楽譜を元にした「瞬間芸術」である音楽のいいところである。
だからCDよりも、実際の生の演奏の方が断然いいのである。
私自身は、武満の楽譜、絵、なによりもその生き様に今回非常に刺激を受けた。
いつかは私も作曲を、、、と思っている。
ーー
あまり誰も触れたがらない、サッカーの話題。
オーストラリアに負けた時点で、予選突破はかなり厳しい、というかはっきり言ってもう無理だろうと思っている人が多いのだと思う。
日本のサッカー選手も昔に比べりゃ上手くなったし強くなったと思う。昔、というのは、私が強くサッカーに憧れていたおよそ30年前である。
毎月「サッカーマガジン」なんか買っていた。時代はペレとベッケンバウアーの時代である。メキシコオリンピックで杉山のアシストで釜元がゴールを決め、どうどう銅メダルに輝いたその少し後くらいの時代である。ヨーロッパのサッカーなんて、ただ憧れるだけだった。映像で見れる時代ではなかった。
その憧れの舞台で活躍する、わずかな俊英を擁したジーコジャパンの出だしは、非常に悲しいものだった。
勘違いをしちゃいけない。
ジーコジャパンは強くなった。うまくなった。
でも、それ以上に、相手国も上手くなり強くなっているのである。
そして、「勝つ!」という気持ちの強さと基本的なフィジカルの差が今回のオーストラリア戦には出たように思う。
日本選手だって「勝つ!」という気持ちを持っていたと思う。もしかすると、それが強過ぎて慎重になりすぎたり固くなったり思い切りが足りなかったりしたのかもしれない。でも、要するに「死ぬ気で頑張る」「負けたら国に帰れないという位の気持ちで闘う」という気持ちと、90分間倒れるまで走り回るというフィジカルの面の両方ともオーストラリア選手に劣っていたような気がする。
いくら暑い気候とはいえ、前半で足がつって(筋肉痙攣)退場とは。
ゴールに近づけば近づく程アグレッシブになるべきなのに、技に溺れアタックする気持ちの低いフォワードを見ていて、「ははは、、、」と苦笑せざるを得なかった。
「こんなことでは、今日勝っても、クロアチアにもブラジルにも惨敗だな、、、」
と後半35分くらいまで観ていたら、残り10分で(最後の一点は仕方ないとしても)ボロボロになってしまっていた。
日本人だから、日本チームには勝って欲しい。
応援している。頑張れ!ニッポン!
しかし、君たちの実力は、この試合通りだと思うよ。
予選敗退は仕方ないけど、できれば「3戦全敗」だけはしないで欲しいな。
希望するのは、残り2試合ともに引き分けの勝ち点2をとること。これでもF組最下位は決定的だけど。
ブラジルに負けて失う物のないクロアチアが本気でかかって来たら、この間のような、気力と体力、特に90分持たない体力じゃ、残り10分まで0−0か1−1でも、またそこから2点ぐらい取られちゃうんじゃないかと心配。
心配しても仕方ないけど。
ジーコがどういう風に選手を交替させるかにかかっている。
日本人選手はメンタルが弱く体力的に劣っている、とジーコがきちんと認識していないと勝ち目はない。

ーーー
今日のお昼、正午が締切りだった。
10月に京都で開催される、「(社)日本脳神経外科学会総会」の発表演題募集。
数年前からインターネットを用いたオンライン演題応募が当たり前になっている。だから、パソコンから打ち込んで、締切り時間前なら何度でも修正も出来る。
うちの医局員も先週末から今日の昼までは、通常業務や手術をこなしながら、この「総会」の演題応募の準備に大わらわであった。私も一演題応募した。
「総会」は、8000名を超える日本の脳神経外科医のほぼ全員が参加している、日本最大の脳外科の学会であり、この学会が行う厳しい試験(ペーパーと面接)を通った者だけが「認定専門医」と称される、文字通り日本の脳神経外科の総本山、本家本元の学会である。
昔は、ワープロやタイプで原稿をつくって、それを規定の大きさの紙に切り張りしたりして、それを郵送して演題を応募していた物であるが、IT化のおかげでずいぶんと便利で楽になった物である。

しかし、「仕事は忙しい人に頼め」という言葉があるくらい、人間という生き物は、暇があるとすぐずるしようとか休もうとする怠惰に生き物である。IT化で便利になった分、早く仕事を進めればいいのに、6/14の正午までだから、まあ大体の形が6/14の朝までにできてればいいや、という考えを持ってしまいがち。
昔だったら、6/14消印有効とか必着ということであれば、ワープロやタイプで前日までにつくって推敲に推敲を重ねてギリギリまで打ち直ししなんとか間に合うように郵便局に持っていくという感じであったのだが、まだ余裕があると思うと、余裕のあるうちに始めたりせず、切羽詰まって「もう今やらないと間に合わない」という時間くらいになってから始めたりするものである。
仕事のできる、本当に忙しい人は、分刻みで仕事をしているから、誰かから頼まれ物をして期限を切られた時に、その期限近くなってから始めても他の仕事もあって間に合わないことがわかっているから、すぐに開いた時間を見つけたり重要度を考えてやる順番を変更して、頼まれ物を先にやってしまい、切られた期限よりもずっと早く仕事を終えることが多い。もともと仕事が速いから、ソツがないから、たくさん仕事をしている訳だ。
時間の使い方に無駄が少ないからたくさんの仕事をこなせる訳だ。
だから、「仕事は忙しい人に頼め」と言われるのである。
ーー
私はと言うと、怠惰な生き物の最たる物。
できるだけ楽をしたい。人からなるべく仕事を頼まれたくない。
でも昨日のうちには仮登録は終わっていた。まだ600番目くらいの演題登録順であった。
今日の昼近くには、その数字が1200近くになっていた。約18時間くらいのあいだに600近い新たな演題の応募が全国からあった訳である。
日本全国の脳外科医、みんな忙しい中頑張っているんだな〜と「総会」の演題登録をしていても思うのである。

結局、なんだかんだ語ってしまった。
少し自己嫌悪である。

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コメント

『語ること少なし』ですか、名タイトルですね。よっしゃ!と、長文読解に燃えます。

岩城氏の訃報のニュース、そのお姿を拝見し変わりように、「あれ?コーヒーの人よね(私の認識はここです)、確か…」とちょっと驚きました。

「武満徹展」の記事は興味いものでした。そのようなイメージ・インスピレーション・ストーリーを表したものも楽譜なんですか。そういうものを音で表現するんですか。感性の宇宙みたいです。
絵画も同じように宇宙を抱えるとして、絵は最終的に色と形で、視覚的に現実的に具象化される。もちろんそれを見る人の感性で変幻自在になる。音楽の場合、色と形の部分が音。音は見えない(楽譜が色や形へと変換出来る人は別として)。
発信元の形態の違い。絵は目を凝らしたくなる気がしますが、音楽は目を閉じたくなる気がします。上手く言えないけど、その違いが…ん?広がり?

投稿: リスペクト | 2006.06.14 19:06

楽器
話しが飛んでしまいますが・・・A^ ^;)
県内でバイオリンを制作している方は知りませんが、アルペンホルンを制作している方ならいます。今まで数十本とつくってきたとか。自分の山から根曲がりの木を切ってきて、完全手作り、演奏もするそうですよ。ヒメサユリ(乙女百合)の群生地の近くに住んでおられるそうです。

山形にもアルプホルンをつくっている方がいたような気もしますが・・・、豪雪地帯なら根曲がりの木はいくらでもありますしね(^ ^;)

投稿: ふなゆすり | 2006.06.15 12:59

貼り付けたつもりが、そのまま送信してしまったので・・連投・・

ああ~、この人もか・・・
どんどん、いなくなてゆくなぁ。
残された作品を見ながら、聴きながら
この人を継ぐ人は現れるのだろうか、とも考える。

受け継がれてゆくもの、巡り巡るもの。

再度、貼り付けながら、ふと、
もし、渡辺茂夫さんがアメリカで倒れることなく、
バイオリンを弾き続けることが出来たら、
亡くなるその時まで、演奏することが出来たら。
どんな存在感を見せてくれただろう。
年を重ねた、音色を聞いてみたかった。

投稿: ふなゆすり | 2006.06.15 18:22

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