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2006年5月

2006.05.27

大学病院の役割

昨日の夜遅くまでかかった、大手術。
手術場入室から病棟帰室まで16時間。御家族はどんな思いで待っていらしただろう。
顕微鏡下に腫瘍を摘出していた時間は9時間弱。
凄い手術です。
「脳外科の手術って長くて大変だな〜」
と思われますか?
そうですね。確かに総手術時間で13時間は長いです。でも、うちの教授が腫瘍摘出部分を執刀していなかったら(たとえば私が執刀していたら)、もっと、そうだな、顕微鏡下手技の部分だけで12時間位かかったかもしれません。

最大径7cmの巨大脳腫瘍。
そして、手術翌日(というより、帰室してまだ9時間くらいの時点)で、意識はほぼ清明で少し眠たそうにしているだけ。症状も手術前からあった、軽い左半身麻痺と左側の半盲のみ。
この症状も改善するでしょう。大成功です!
巨大な腫瘍でも、右側頭頭頂部にできたから症状も軽く、手術による障害も全くなくすんだのですが、それにしてもこんな大きい腫瘍は2年に一回くらいしかみません。
一般市中病院ではほとんどお目にかかることもありません。あっても、すぐに大学病院に送ります。

大きい腫瘍ということは、それだけで手術が難しいのです。
なぜなら周りの脳を守りつつ腫瘍だけ取り出さなくてはならない訳ですが、大きければ周りの脳が傷つく危険性が高いからです。しかも摘出に時間がかかります。出血量の増えます。出血すれば顕微鏡下の画面は血液で赤くなって、腫瘍と正常(少しは浮腫んでいるから完全に正常ではない)の脳の境界が不明瞭になります。不明瞭になれば、剥離操作で間違いが起こりやすくなります(つまり、正しい境界ではなく脳の方に切り込んでいってしまったり、腫瘍の方に切り込んで腫瘍を取り残したり)。
毎日外来に出て、小物から大物まで救急患者も多い一般市中病院で、外来の終わった午後からこんな手術を始めると、大学の教授に匹敵するくらい腕に自信があったとしても、手術の終了が深夜になり、帰室が明け方近くになり、ICUで患者を管理したらそのまま睡眠0で次の日の通常診療に突入ということになってしまいます。
特に地方の市中病院には、2人から多くて5人くらいの脳外科医が常勤しているだけですので、全員が疲れ果てて日常診療に影響します。

大学は、まず人がいる。そして長時間の困難な手術でも、途中で人が交替しながら全員が疲弊しないようにオペをすすめることができる。そしてなによりも、困難な手術の経験が豊富で腕に絶大な信頼がおかれている教授を始め上級医がいる。
だから、(3月までの私のように)大学病院勤務でない脳外科医は、大学の教授に絶大な信頼をおきながら地方一般市中病院で診療をし、上記のように困難な症例や手術に加え放射線や化学療法を加える治療の必要そうな人、滅多に見ない稀な疾患、診断に苦慮する患者、などなどは大学病院へ紹介するのです。
なぜなら、その方が患者さんのためになるからです。
車で数時間の距離でも、自宅から離れて慣れない土地の病院に入院し治療を受けるのをいやがる方もいます。その気持ちは当然です。でも、その方があなたのためだ、と説得するとたいていの人は理解してくれます。
一般市中病院で自分が十分質の高い治療が行えると判断した症例の場合は、多少難しい腫瘍などでも大学病院の紹介せずにそこで治療することもありますが、特に最近のように、医療過誤であるとか、説明義務であるとかが大きく取りざたされる時代になると、医師も必ずしも保身のためではなく、危険を冒して困難な症例に挑戦するよりは、紹介する余裕があるのなら、より高度の医療が展開出来る大学病院に、大学の教授に治療をお願いすることが多くなっていると思います。
脳外科治療集団としての「医局」は、よく悪の根源みたいな書き方をされることがありますが、教授がquality controlのできる見識と実力を持っている人であるなら、その地域の医療の質を高く保つためにはとても良い精度なのです。
一般市中病院で、己の力を過信したか、難しい症例に挑んでいい結果を出せない場合は、教授から叱責され反省を促され、その後はそういう難しい症例はちゃんと大学に紹介するように指導することもできます。複数いる医師の臨床医としての実力のバランスや相性などのことまで考えて、医師の派遣が行われているのです。

いや、今日書きたいのはそういうことではなくて、大学病院にはどうしたって難しい症例が集まるということ。
小児科や精神科や神経内科などが診察して、十分な治療が行えず、または診断も出来ず、大学病院に送られてきて、「なんで、もっと早く診断出来なかったんだ?!」という事もあります。
そういう、難しい症例を送りつけた医師、きちんと診断出来なかった医師、困難な症例は手を出さず大学に送っている医師と、10数時間という長時間の大手術を交替しながらまた脇でサポートしながら日々の臨床を行っている大学病院の脳外科医では、当然役割も違えば負うリスクも違う訳です。
High risk, high returnの考えならば、市中病院の一般内科医よりも市中病院の脳外科医、そしてそれよりも大学病院の脳外科医、大学の脳外科医の中でも下級医より上級医、上級医より教授という順番で、責任もリスクも重く高くなるはずです。それなら、その順に報酬に差があってしかるべきだと思います。

しかしながら実態は、時間外手当のつかない大学病院医師の給与が最も安く、当直をしていない教授の手取りが下級医より低かったりします。そして、難しい症例は大学に送り、診療可能なレベルの症例を治療している一般市中病院の医師の方が、大学病院の医師よりも高い報酬を貰う、というまったくリスクと逆転しているのです。

大学病院は、研究機関であり教育機関であるだけでなく、普通の病院よりもより高度で先進的な診療を期待されているところであり、より困難な、より高いレベルの結果を期待される患者さんが集められて来るところです。
普通の病院では滅多にお目にかかれない、珍しい疾患や診断・治療困難な疾患を扱うことが出来、勉強することが出来ることも大学病院の役割だと思います。
(とはいえ、医師になって24年目の私でさえ毎日22時、23時に帰るのが当たり前、若い先生の場合、毎日のように午前様か泊まりがけ、という生活はちょっと嫌になりますけどね)

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2006.05.24

情けない話

世の中、いろいろ情けなくなるような、悲しいというより呆れる話が続いている。
どこぞの郵便局で、「料金別納郵便」の別納を徴収していなかった、または徴収ミスがあったとかで約27億円の徴収漏れがあったそうだ。それで調べてみたら、全国ぞろぞろと30を超える郵便局で「別納」を徴収していなかったらしい。
郵便物を出すときいちいちではなく、まとめて納めるのに有利な「別納」はダイレクトメールなどに多用されている。つまり、企業などが中心になって当然払うべき郵便料を「未納」または「不足」のまま知らぬ顔をしており、郵便局側は徴収すべきものをきちんとしていない(未納の会社を相手取り裁判を起こしている事例もあるらしいが)。情けない。

そういえば、学校給食は「給食費」と言うものを親が納めて成り立っているはず。これを「未納」のまま、のほほんとしている親がいるらしい。貧困に喘いで、払いたくても給食費が払えないのではなく、パチンコなどの遊興をする暇や金があるのに払わないらしい。「払わないまま放っておいても平気だろう」という考えの親までいるらしい。「催促」や「督促」も無視を決め込んでいるらしい。
以前、ある病院の経営会議に出席したおり、「医療費未納、未徴収」が一病院で何千万という額になっている話も聞いて呆れた。多くは、貧困のために払えないのではなく、もともと払う気がないのである。また、何らかの理由で「払いたくない」と納付を拒否しているらしい。病院側が催促しようにも、引っ越してしまったり音信不通になってしまって未納のままどうしようもないケースもあるらしい。情けない。

どこの世界にもどうしようもない人達はいるんだろうが、真面目にやっている人が「なんだよ、これは!バカバカしくてやってられないね!」となるような事態はなるべく避けて欲しいものだ。
上記郵便局の例もそう。我々一般人は真面目に郵便料金払っているでしょ?
なんで、金儲けの手段でDMを使っている会社の郵便物の料金が未徴収なわけよ!!!

その上、あの社会保険庁の事件まである。未納率をみかけ上さげるための年金保険料の免除や納付猶予の勝手な手続き。これは「犯罪」だと思う。会社組織に置き換えれば「粉飾決済」に等しい。なぜ「ホ○エ○ン」同様に拘置所に送らないのだ!?情けない。

更にこれだ。
http://www.asahi.com/health/news/TKY200605230399.html
『初期臨床研修を終えた若手医師の3人に1人が、研修の前後で志望する診療科を変えていることが23日、厚生労働省の初めての全国調査(中間集計)で分かった。実際に体験してみて「大変そう」「自由時間が少ない」などの理由を挙げ、労働条件の厳しい診療科を敬遠する傾向も出ている。研修後、大学で勤務するという人はほぼ半数しかおらず、大学離れが裏付けられた格好だ。』

記事の内容は大部分事実だろうが、報道の仕方に偏りがある。
労働条件は私が初期研修をした頃に比べると、ずっといい。給与なんか、私がもらっていたものの3倍はもらっている。それでも勤務条件を診療科変更の第一の理由にするのだろうか。
私なりに考える大きな理由は、やはり「悪平等の不公平」と「適正な差別化のない不満」があると思う。

脳外科は楽そうだから暇そうだから自分の専門分野に選ぼう、などという学生や若い医師はいない。
厳しそうだし忙しそうだけど、それにも増してやりがいがあるとか、人間の脳のことが知りたいとか、脳卒中に苦しむ人を救いたいとか、そういう高邁な精神とかプライドというものがあるはずである。
ところが、他の脳外科より楽そうな科をちょっと見て知ってしまうと、人間そうそう楽な方から苦しい方には行けない怠惰な生き物なのだ。
「同じ給料もらってるんだったら、早く一人前になれそうで楽そうな眼科の方がいいな」
「皮○科の2〜3倍くらい働いて、厳しい先輩に怒られて、自由な時間がほとんどなくて、それで給料に差がないんだったら、こんな科嫌だな」
「人の生き死にや、人間としての生活の質にかかわる病気の治療を一生懸命やっているのに、そんなに生き死にの問題ではない診療科の医師と同等の世間的評価ならまだしも、場合によっては患者や家族にののしられたりして、こんなきつい科を続けるのは嫌だな」
初期研修の間にそういう印象を、若い医師が持ってしまったとしてもおかしくない。

何が悪いのか。ひとえに制度が悪い。
臨床研修の技能上も、修行の過程も、そして臨床の実践面でも厳しい科、たとえば脳神経外科のような専門科を専攻した場合、最初は給与も低く苦しくても(トレーニング期間なのだから)、頑張ってあるレベルに達したり十分な臨床能力を会得したら、他の科に比べて報酬が3倍にもなるとか、そういう「適正な差別化」もなく、「悪平等の不公平」をやっているから、「嫌になってくる」のであろう。
脳外科医を志して25年になろうとしている私だって、嫌になってきているのだから。
なんでも米国がいい訳じゃないが、米国の脳外科医の収入は、診療科別にみると2番目に高いらしい。ハーバードやUCLAなどの有名大学をトップクラスで卒業した優秀な若手医師が、「将来がある」からこそ、最初の数年は年収が数百万で、平均睡眠時間が一日4時間で、日に一食しか食べられない程忙しくても、歯を食いしばって頑張っていた。10年後には年収が数千万に、成功すれば億単位になるからである。

先日の「脳外科医志望が減っている」という記事にあった厚生労働省の担当者の弁。
「最近の研修医は専門医志向が強く、多くが臨床経験を望んでいる。本来なら専門技術が学べる大学病院に研修医が集まっていいはずだ。一部に魅力ある研修プログラムを用意するなど工夫している大学病院もあるが、多くは研修医のニーズに応え切れていない。臨床研修制度が医師不足の原因になっているとはいえない」
彼ら(官僚)は、制度ではなく現場が悪い、と言っている。
制度は変えるなら、抜本的に総合的に変えなければいけない。
しかし、現時点で厚生労働省が手を付けたのは「初期研修」の制度だけであり、その研修医を指導する上級医、指導医の立場や制度は変えていないし、医学教育カリキュラムもまだまだ改変中途のところである。
「魅力ある研修プログラムを用意」するための財源の確保は各病院に丸投げで、方法論は現場任せなのに、現場を批判しているのはおかしくないだろうか。情けない。

先日、ある病院の精神科で「うつ病」として約一年間外来治療を続けて来た患者さんが、最近頭痛が強くなって来たということで、CTを撮られ、その結果「脳腫瘍」ということで我々のところに紹介され入院した。
あまりにも大きなその腫瘍をみて、我々は呆れるばかりである。
なんで精神科で一年間の治療中、一回もCTやMRIを撮っていないのか。「心」の病気はどこに原因があるのか?脳ではないのか?
「うつ」という言葉で誤摩化されている、集中力の低下や持続力の低下や計算能力の低下は、すべて脳の中に出来た腫瘍が原因であったと考えられる。なのに漫然と(?)向精神薬を投与し続け、改善があったりなかったりの状態で、つまり正しい診断も正しい治療もしていないのに「診療報酬」を請求し給与をもらっていたのである。
そして、やっと強い頭痛の訴えがあって腫瘍が見つかり紹介して来たが、患者さんは明らかに正常ではなくボンヤリした軽い意識障害があるのである。これを脳の症状と見つけることも出来ずに治療をしている医師が、これから巨大な腫瘍に立ち向かい、術後に出るであろう患者さんの障害に向き合い、手術後も長期にわたってこの患者と付き合っていかなければならない我々と同等の評価を受け、同等の、場合によってはより高額の給与をもらっているのである。
患者は頭痛の訴えもなく仕事をしていたから頭の検査を一回もしていないことを「間違いだ!」とは決めつけられない。「うつ病」と診断し投薬により症状が改善した部分もあるから、完全な誤診でもない。でも「正しい診療」をしたとは言えないだろう。
我々は、この患者さんを良くするために、既に過ぎてしまったことには目をつぶって(本当はつぶりたくないが)「これから」の事を考えることに精一杯である。

「医療過誤」とか「医療ミス」とまで言われないような、でも問題のある症例は世の中にたくさんある。市民は我々医師に100%を求めているだろうし、我々も100%を目指しているが、人間である以上100%完全であることは無理である。医師国家試験だって60%取れば「合格」なのであるから。
なが〜〜い間「登校拒否児」として扱われて来た子供が脳腫瘍だったケース。
運動の得意だった子が、だんだん引っ込み思案になって来たのを「自閉症」としてカウンセリングして来て、ついに意識障害まできたして初めて脳外科に紹介されて来た脳腫瘍の子供。まだまだある。

脳というのは、病気になったら必ず手足の麻痺とか記憶の障害を呈する「一臓器」ではないのだ。
目が見える見えない、耳が聴こえる聞こえない、まっすぐ歩ける歩けない、などの症状はもちろん、精神や心を司っている臓器なのだから、「活気がない」「やる気がない」「ぼんやりしている」「ふさぎこみがち」などと言った「こころの病」と思われる症状だって、脳の異常で発生するのである。そういうことを見て来て知っている医師と、知らないから診断出来ない医師の間に「差」がないというのは、本当はとても悔しく残念なことであるけれど、患者の治療に専念するために、我々は叫びたい声を押し殺し、「情けないね〜」と言って今日も働くのである。

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2006.05.23

山響演奏会に寄せて

平成18年5月21日(日)、第 173回山形交響楽団定期演奏会に行った。
今、山響が「定期」の本拠地としているのは、山形市が管理する「山形テルサ」という複合施設の『テルサホール』である。ここは、車いす席4つを含めて806席という、どちらかというと小〜中型の複合型音楽用ホールである。
山形県民会館(竣工なんと昭和39年)「大ホール」が1503席、山形市民会館「大ホール」が1202席に比べて小さい。しかし、この両者はどちらも「音楽用」とはいえない。講演会などをメインに考えられた複合型の大ホールであり、音響は決していいとはいえない。昔聴いた私の経験(古い記憶)からは、県民会館大ホールではクラシック、特にフルオケのコンサートはやらない方がいいのでは?というくらいの音響の悪さである。
私の所属するアマオケの本拠地(?勝手に本拠地とか言うな!と怒られるかな?)、酒田市民会館「希望ホール」は、車いす席4を含めて1287席。平成16年竣工で、最新の音響設備を誇り、残響時間も1.9secとなかなかのホールである。(http://www.kibou-hall.sakata.yamagata.jp/flame_files/f_sisetu.html)
庄内町(旧余目町、昨年暮れにあの突風?JR脱線事故が起きた町)の「響ホール」は座席数504と更に小規模ではあるが、音響の良さには定評があり、それが証拠に福田進一氏を始めとするプロの音楽家のレコーディングに何度も使用されている。あのアフラートゥス木管五重奏団もお気に入りのホール。
鶴岡市には鶴岡市文化会館(席数未調査です)があるが、音響最悪と思う。ここで演奏する演奏家は可愛そうだと思う。あえて聴きに行きたいという気を起こさせないホールである。ソルノク交響楽団が東京公演を行った豊島文化会館に近いものがある。

現在山響が定期演奏会を行うのは、上記テルサをメインに、時に県民会館を使い、『庄内定期』と言う名称のコンサートで上記「希望ホール」と鶴岡文化会館を交互に用いているのが現状である。
すなわち、現在の山響には「専用」ホールはない。専用練習場もない。
地方オケの多くはこのような状況である。
座席数、音響から考えると酒田の「希望ホール」が現時点では県内で一番オケ向きのホールであると言えよう。でもここも、自ら演奏した経験から言うと、舞台が広くない。フルオケではパーカッションはかなり苦しい。後ろの反響板近くに陣取ったティンパニや大太鼓の音は、上に抜けずに「ズドン」と前に来る感じがする上、何となく抜けが悪い。大編成オケともなると全員舞台には載れないのではないかと思う。山形市からは2時間近くかかる。そうすると、わずか800席余りではあるが、現時点では「テルサホール」を本拠地とせざるを得ないという結論に容易に達する。
飯森氏が常任指揮者となってから、最近の山響は目覚ましい進化を見せていると思う。プログラムが意欲的で、演奏者が生き生きしている。指導する飯森氏の手腕が大きいと思われるが、「テルサホール」が演奏者を育ててくれているのではないかと思う。山響は専用の練習場がない代わり、ピアノソロや弦楽四重奏などのリサイタルに使われる、旧山形県庁「文翔館」議場ホールで練習しているらしい。音楽用ホールではないが、残響の豊かな小型ホールであり、ここで練習することもオケの成長に役立っている可能性がある。
音響の素晴らしい専用練習場と専用ホールを持つことが、オケの発展には必須のものであり、飯森氏もそのように強く希望されているようである。そう遠くない将来、そうなってくれることを願うが、地元で全国学会を主催する準備に携わって来た経験からして、講演会や音楽会用に使える公的施設を計画する行政側には、あまりそのような必要性をまじめに考えている人はいないような気がする。バブルが弾けて計画が中途になってしまったことも影響していようが、山形駅西口に立ち並ぶはずだった「新」県民会館などはどこへ行ってしまったのだろう。
前の市長は、「テルサホールはクラシックには最高の音響の素晴らしいホールだ!」と自慢していたが、どういうジャンルの「クラシック」を考えたのであろうか。フルーティスト工藤重典氏は「テルサホール」の事を褒めて下さったそうである。ピアノリサイタルも悪くなかった。
でも(3/24の本ブログで書いたように)、34年も前から山形で頑張って来た「山響」の事は考えなかったのだろうか?なぜ、もうちょっと大きくして大編成「フルオケ」に耐えられるホールにしなかったのだろうか。今の山響のサイズ(常任の団員数、弦のプルト数)からすれば、「テルサ」でモーツァルト、というのが最適な感じではあるが、それではオケの進化はない。
ーー
さて、前置き(?)が長くなってしまったが、日曜の演奏会のことである。
なぜ、上記のようなことを書いたかと言うと、「第173回」という演奏会は、実は5/20(土)と5/21(日)の2日を合わせていうからである。なぜこんな風にするのかと言うと、(おそらく)満席で806人では一回の定期演奏会として少ないからである。2日併せて満席でようやく1600人の聴衆が聴いたということになる。だから、「賛助会員」である私の元に届いた年間チケットは「テルサでのコンサートは、2日間のうちからどちらかご都合の良い方をお選び下さい」となっている。
これは、忙しい私にはかえって好都合であった。
5/20(土)は夕方5時から地元で脳卒中の研究会があり、私は一般演題の座長に指名されていて、決して抜ける訳には行かなかった。コンサートは18:30会場、19:00開演であったので、行くのは不可能だった。この一日だけであったなら、4/22に山形県民会館で行われた「第172回定期」(指揮:山響名誉指揮者黒岩英臣)と同じように、仕事で行けない私は誰か行きたい知人にチケットを譲らざるを得なかった。
しかし、5/21のマチネがあったので、最初から迷わずこちらを選択していた。
日曜とは言え、あの日は朝から仕事であった。しかも、教授の命令で、ある大事な仕事をする事になり、午後2時半からどこぞのセレモニーに出席される教授とともに、日曜の朝9時前から午後1時半まで大学で仕事をしていた。
午後1時半開場、2時開演であったので、私は昼食を取る時間も(別の方法で何とか食べ物を口にしたが)家に帰って着替える暇もなく、大慌てで「テルサホール」に駆けつけざるを得なかった。座席に着く前に、すでにマエストロ飯森氏のいつものプレコンサートトークが始まってしまっていた。
気持ちが落ち着いた頃には、新しく客演コンサートマスターになった高木氏と、新たに入団したホルン奏者の紹介が終わる頃であった。

1曲め。
「山響コンポーザー・イン・レジデンス」千住明氏による、山響委嘱作品。
『Breath and Rosary, for Orchestra』
 交響曲形式ではなく、自由な発想に基づく管弦楽曲と言う感じ。TVなどでも売れっ子作曲家である千住氏が、飯森氏とのコラボによって、意欲的に取り組んだ作品であると聴いていてわかる。 
 千住明というと、どうしてもテレビドラマなどのイメージがあるため、曲の途中部分で「あ!なんだかドラマに使われそう」などと下世話に考えてしまったのだが、交響楽作曲の伝統的手法の上にかなり実験的なものを取り入れているような印象を持った。げんに、コンサート後の「交流会」で飯森氏が「二日続けて聴かれた方はわかったかもしれませんが、冒頭の部分を今日は管を外して弦だけにしてみました。千住さんもそうしてみて、と言ってましたので。」という発言があり、いろいろ意欲的に二人で話し合ってやっているんだな〜、そういう現場を目撃出来て幸せだな〜、と感じた。

2曲目。
ブルッフ作曲バイオリン協奏曲第1番ト短調。
バイオリンソロ:川久保賜紀
これは、第3楽章を聴けば、「あ〜、あの曲!」と、クラシック通でなくても多くの人が思う曲。
ソリスト川久保さんの音は、伸びやかで艶やかで美しかった。先入観がはいるかも知れないが、さすが2002年チャイコフスキー国際コンクールバイオリン部門2位(1位なし!)の方である。
グレーがかった光沢抑えめの水色(で正しいかな?)のロングドレスで登場。山響の新しい客演コンマスである高木和弘氏と時にデュエットをするように演奏したり、指揮者と目を見つめあったりという感じであった。細い体で銘器を操り、時に魔力を感じさせる妖艶な音や痺れるような超高音やパワー溢れる低弦二重和音など、最後はまったく川久保賜紀の世界に引きずり込まれた。
盛んな拍手、拍手、拍手。土曜にはやらなかったらしいアンコールを弾いてくれた。
曲名はわからない(知っている方、いたら教えて下さい)。エスニックな曲想でおもしろい小品だった。Bravo!

3曲目。
R.シュトラウス作曲、交響的幻想曲「イタリアから」ト長調作品16
飯森範典氏の意欲を示す選曲である。国内では滅多に演奏されることのない曲らしい。
R.シュトラウスは、あのワルツ王、ヨハン・シュトラウスとは全く血縁関係もないドイツの人であるが、まだ亡くなって60年経っていない近現代の作曲家である。私も、バイオリンソナタのフルート版を2楽章だけ吹いてみたことがある。パユのディスクにはいっていて、余りにも美しいのですぐに吹きたくなってバイオリン用の楽譜を手にいれたものだ。
この「イタリアから」は生まれて初めて聴いた、と思う。4楽章形式だが、各楽章とも映像的なイメージを思い起こしやすい親しみやすい曲であった。聴衆の方は、「どんな曲なんだ?」とか「おっ、おもしろいな」とかワクワクしながら楽しめる曲であるが、指揮する側、演奏する側の立場に立てばなかなかの難曲のように思った。第4楽章は、あの『フニクリ、フニクラ』をモチーフにされている。何でも、南イタリアを旅行したR. Straussが、ナポリ近くのヴェスヴィオ火山の周辺で歌われていたこの曲を、イタリアの民謡と思い込んで曲の元に使ったらしい。しかし、事実は、ヴェスヴィオ火山の観光登山電車(ケーブルカー)であるフニクラーレの宣伝のために作られ広まった曲らしく、『世界初のコマーシャルソング』とも言われている。
知らない方は、『フニクリ・フニクラ』(balaineの自惚れコンサート)を聴いてみて下さい。
決して「鬼のパンツ」の歌詞で歌わないように!(^^

5/19の鶴岡、5/20、21の山形と3日続けて、この3曲を演奏したのかと思うと、さすがプロだな〜と思うのである。全て「ジャンルが違う」と言う感じであるし、編成も違うし、アナリーゼも苦労するだろうし、出す音色まで違いが必要な3曲の組み合せであったと思う。飯森氏の意欲に引っ張られて「山響」がまた進化していることを感じられて嬉しかった。

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2006.05.19

音楽は喜びの友 悲しみの薬

Sakuranbo1
何枚か撮ったままで眠っていた写真があった。


これは、5/6、隣町の有名な蕎麦屋に蕎麦を食べにいったとき、店の直ぐ側で撮ったもの。
何の花でしょうか?
形をみればわかりますよね。

答えは、この木です。
Sakuranbo2

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次に、5月の連休前にオケの練習に向かう途中、新庄のラーメン屋に行った時のもの。
Photo_1

先日写真を載せた「喜多方ラーメン」のような知名度はないかも知れないが、「スタミナラーメン」という名称でいくつか有名な店がある。
要は、鶏のモツの臭みを取っていれてあるのだが、なかなかいける。

Photo
でも、私が好きなのは、そのお店「末広」の「メンマラーメン」のほう。
細長く美しく柔らかいけれど適度な歯ごたえのあるメンマが写真のように載っている。
これはお薦めです。

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Photo_2ラーメンの写真なんかと並べちゃ怒られるかも知れないけど、まずはいつぞやの記事に書いた諏訪内晶子さんのサイン入りのバイオリン(1/8)ケースの写真です。


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最後に、最近うちに来たチェンバロ君(ちゃん?)の写真。
書いてある文字はラテン語
"MUSICA LAETITIA COMES MEDICINA DOLORUM"
その意味は
『 音楽は喜びの友 悲しみの薬 』

Photo_3

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2006.05.15

「あなたと、夜と、音楽と」

表題は、私の好きなジャズピアニスト、ビル・エヴァンスの数あるディスクの中の一枚、『Green Dolphin Street』の一曲目に収録されている、ジャズの定番の題名。
どれくらい前だったろう、フルーティスト中川昌巳氏がタバコの宣伝でフルートを吹いていた(以来、私はピースが好きになったのだが、、、)。その前だったか、後だったか、確かマイルドセブンのTVCFにこの曲が使われた。
何だか、以前から知っていた"You and the Night and the Music"とは違った雰囲気のかっこよさに虜になった覚えがある。
ーー
今回の、東京での学会。3泊4日の日程で出張したが、その内2晩は音楽が一杯だった。
昨年8月に音ブログで紹介したことのある、中学校の同級生でジャズピアニストである、岩崎佳子。
http://www.little-pumpkin.net/movie.html
彼女のライブを聴きにいった。
グルーヴィーな夜だった。ピアノの岩崎はもちろんベースも良かった。
しかし、凄かったのはドラムだった。 原田イサム氏。
http://www016.upp.so-net.ne.jp/tac_of_japan/isamu/index.html
今年、ジャズ/音楽生活60周年を迎えると言う。ジャズドラムの大御所。
昭和6年生まれとは信じられない、その気迫と喜びに満ちたスイングするドラム。パワー溢れる演奏に圧倒されんばかりであった。時に、MCやりながら歌も歌ってくれた。それが「上手」じゃないのがまたよかった。
歌う時は、片手にマイクを持つため、両手でドラムを叩けず、マイルドになるのだが素晴らしいリズムを刻みながら、歌は違うリズムでほのぼのと歌うのである。素晴らしかった!
ーー
その次の日は、「脳外オケ」、Musica Neurochirurgianaの演奏だった。
夜の「会員懇親会」の本番演奏を前に、大久保の「東京交響楽団本部」練習場へ出かけた。学会場で練習するための部屋が借りれなかったらしいのだが、大変であった。
会場の芝公園にあるホテルから、電車で大久保まで移動し、そこで約2時間の練習(リハ)を終え、また大久保から戻って来た。行きは、行き方が良く分からないので、とりあえずJRと思って、ホテルで運営するシャトルバスで浜松町駅まで向かった。たまたま、指導者兼指揮者の早川正昭先生が同じバスに乗っていらしたので、先生についていくことにした。浜松町から山手線で新宿まで行き、そこで中央線(同じホームの総武線?)に乗り換えて一つ先の駅、大久保で降りたら練習場はすぐだった(帰りはもっと早い方法を教えられた。大久保から総武線で代々木でおり、大江戸線を使って赤羽橋駅で降りるとホテルまで徒歩数分。行きより10分くらい早かった)。

東京交響楽団のフルート奏者は、相澤政宏さん。宮城県の出身で、彼が初めて音大受験を目指してまともに師事したフルートの先生は、仙台フィルにいる私の友人である。一昨年のパールフルートのサマーキャンプで、私は相澤さんの教えを受けた(この辺は、本家サイトの「自慢部屋」に写真入りであります)。
相澤さんが練習の時に座るであろう位置の、フルート奏者の席についてフルートとピッコロを吹いた。そうそう、東響といえば、正指揮者は、山響の常任指揮者飯森範親さんである。東響の本拠地はミューザ川崎に移ってはいるが、楽団事務局はいまも大久保にある。彼らが使う場所と同じ場所で練習が出来たということで、一人悦に入っていた。

会員懇親会の演奏は、まずハイドンのトランペット協奏曲の一部。T大の○山先生のTr. ソロ。懇親会場の扉が開いて、推定500人くらいの会員ががやがやどやどやと入って来る中、前座的に演奏されたが素晴らしいソロだった。続いて、会長の挨拶、主賓の挨拶などがあり、楽団の我々はその間、ステージの上でじっと我慢。そして、我々楽団の紹介の後、祝典演奏本番。
ロッシーニの「セビリアの理髪師:序曲」である。はっきり言って、全体練習が不足。個々のパートも(人のことはあまり言えないけど)「練習して来た?」と聞きたくなるような感じ。私と同じ大学の仲間で別のパート担当の者など、「練習したか?」と聞くと、「今朝、こちらへ来る新幹線の中で譜面をよみました」という調子であった。
私はピッコロだったので、どうしても音は目立つ。目立たないように吹く楽器でもないが、なるべく目立たないようにひっそり吹いていたかった。なんとか大きなミスはなく終了。そして、懇親会で少し飲み食いしてその後そのメインのホテルのバーに繰り出した。
そこでは、ジャズのライブをやっていたのだが、なんと昨日原田イサムトリオのベースを担当していた高○さんがベースだったので驚いた。いくら偶然とは言え、広い東京で、2日続けてジャズを聴いたら、たまたま同じベーシストに当たるなんて。

ということで、学会の内容はさておいて、夜は音楽、という学会出張だった。
ーー
今日のニュースは、ワールドカップサッカー日本代表のことで持ち切りであろう。
そんな中、毎日新聞の一面真ん中にあった記事が目をひいた。
『脳神経外科:大学から派遣の専門施設、4割近くが医師不足』と言う記事。
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/news/20060515k0000m040072000c.html
詳しくは記事の内容を見て頂きたいが、
「脳神経外科の手術が年間30例以上100例未満で大学などから医師の派遣を受けてきたと見られる285施設のうち、105施設(36.8%)が、派遣医師数を削減され日常診療に影響が出た、と回答」。
「臨床研修の必修化で都市、地方間の医師の偏在だけでなく、診療科間の不均衡なども加速している」
について、少々解説を加えてみる。
今更、なのである。私にとってみれば。
このブログで前から書いていた。
こと「臨床研修必須化」だけの問題ではないのである。
この新聞記事「だけ」を解釈すると、初期研修義務化の制度が出来てそうなったのであれば元に戻せばいいじゃないの、となりかねない。しかし、臨床研修の初期研修義務化は大切なものであり、そのためにいろいろな制度や病院の体制やバイトをせずに研修に専念して生活出来るように、初期研修を受ける「お医者様」の給料を確保するための財源を確保した(?)のだから、そんな簡単に破棄出来るものではない(昔、私がまだ初期研修とか後期研修の頃、身分の不安定な「医員」であった頃、月給の手取りが5万円のことがあった。私立の医学部では2万5千円というところもあった。生活が出来る訳がない。それを解消するため「お給料」の確保をしたのだ)。

「産婦人科など勤務が厳しい診療科は、04年度の臨床研修必修化後、希望する若手医師が減った。脳神経外科でも同様の事態が起きているためで、日本脳神経外科学会は「脳卒中などの救急医療が立ち行かなくなる」と危惧(きぐ)している。」
というような記事になっていたが、事は単純ではないと思う。
「勤務が厳しいから」減っていると言う簡単な話ではない。それでは、医師になろうと言う若手が「根性なし」だからという事にもなりかねない。そうではないと思う。確かに昔に比べれば、楽な方がいい、お金が欲しい、という風潮はある。それは、若者だけではない。医師だけではない。日本全体の危機的な風潮である。

苦労に見合う、努力に見合う、社会的評価や報酬はプライドを満たされる評価があるのなら、我慢して辛い勤務にも耐えられよう。患者さんの笑顔が見られるなら夜中の手術も苦ではない。
ところが、ごく一部の軽率な医師や不真面目な医療職のお陰で、医療界全体が「一般市民」から敵視されるような状況になり、それを賢くないマスコミが煽るような記事で新聞や雑誌の売り上げを伸ばそうと画策する。
夜中に急患で呼び出され、普通の人が映画を観にいったりコンサートに行ったり家族と買物に行く時間を削って救急診療を行い、緊急手術を行うことは、確かに楽ではないが、それが我々の仕事であるし、病気とか救急というものはそういうものであるし、そんなことは元々わかって医師になっているのである。ただ、我々も人間であるから、時間外に人の命を救うために働いたのなら、「御苦労様」とか「ありがとう」という一言はとても嬉しいし、時間外の手当がもらえれば生活は潤うし、「現場の医師は良くやっている」という社会的評価やマスコミ評などがあれば、少しは苦労も報われる気になるのである。しかし、実際は、多くはないけれど「あなた、医者なんでしょ、夜中だろうが休日だろうが患者を診るのが仕事でしょ」というような「患者様」もいるし(私は実際にそういう風に言われたことがあって、愕然とした)、病院の予算が一番最初に削られるのが人件費で医師の時間外手当が減らされ、新聞・雑誌を始めとして医療ミスや医師の落ち度をあげつらって喜んでいるような風にさえ見える点があり、こういったことが少しずつ医療界、医学部学生などの間に浸透していっているのが問題なのである。
現場の医師が「バカバカしくてやってられないよ」という態度を見せれば、敏感な学生は「こんな科には進みたくないな」と思うのであろう。
脳外科は大変であるが、人がひとたる所以の臓器を唯一直接扱える診療科であり興味の尽きないやりがいのある診療科なのである。学生の中にも大変だろうけど、脳の科学に、脳卒中に、脳腫瘍の研究に一生を捧げようという気概のある人達もたくさんいる。それを周りがよってたかって、モチベーションをそいでいる感じすら受ける。

なぜ、そうなのかは、保険診療の問題、妥当な格差の存在しない悪平等の不公平、現場の状況を知らず役所で決めていくような診療報酬の改悪、現実をみない数字合わせの医療行政、などというところに話はいくのである。今までなんどとなくこのブログで訴えて来たことである。

私がそういう風になりたいと望んでいるのではないが、米国の超有名な脳外科の教授であれば、年収は日本円にして10億円を超え、自家用ジャットやクルーザーや別荘を持っていて専用の秘書を何名も抱え、自分に所属する研究室を持ち、自分が統括管理して給与も支払う麻酔科医や精神科医や手術ナースを持っていて、自分の手術をしたい時に朝の6時からでも手術を行い、たくさん手術して金を稼ぎたくさん研究して世界の最先端を行きながら若手をたくさん育て、そして超多忙な生活を縫ってでも家族との時間を持ち、3週間とか1ヶ月という休暇を取ってバケーションに出かけたりするのである。
日本の大学教授は、国産の中型の自家用車を持つのがせいぜい。自宅を持たないよう(持てない)ような人もいるし、専属に秘書なんていない(皆、教授の仕事以外のこともこなしたりしている秘書を医局としてかかえる)。手術をたくさんやりたくても、麻酔科から「脳外の手術は長いので一日一件にして下さい」とか言われたり、夕方の5時を過ぎると手術場ナースは「時間外勤務をしないように」厚生労働省などから勧告を受けているため皆帰ってしまって、若手脳外科医が器械出しというナースの仕事をしながら頑張っている。そして、大学教授の年収なんて手取りにすると1000万円なんて遥か届かない低所得なのである。しかも、日曜だって病院に出て来て、休暇なんて年に1週間とっているかどうか、というのが実状。
責任が重く忙しくたくさん働いているはずなのに、米国の脳外科医と同じか場合によっては上のレベルで仕事をしているのに、収入という形の評価ではなんと「百分の一」以下ということになってしまうのである。
こんな可愛そうな人にはなりたくないな、と卒業を前にした医学部学生が思ったとしても不思議ではないと思う。

せっかく、楽しい音楽の話から、またこんな「つまらない」医療の実態の話になっちゃったので、この辺でやめておこう。

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2006.05.10

学会のこと

今週木曜から(総会は金曜から)東京で日本脳神経外科コングレス総会(通称コングレス)が行われる。
すでに5年前の事になってしまって驚きの感があるが、我々もこの田舎地方都市で上記の大きな学会を開催した経験がある。いろんな意味で大変であったし、勉強になったし、楽しかった。

「コングレス」は、日本の脳神経外科の関連学会の中では「日本脳神経外科学会総会」についで大きな全国学会で、開催地、開催期、プログラム内容、さらに役員選挙のあるなしなどによっても参会者数の変動はあるが、およそ2000〜2500人が参加する会である。ということは、メインの学会会場の収容人数が最大で2000人近く必要となる(最低でも1500人以上)。こうなると、なかなか地方都市では開催が困難となる。また、わずか3日間の学会に2500人程が参集するとなると、学会場周辺に2000人は宿泊可能なホテルや宿が存在しなければならない。一つの街に、2000人(そのほとんどが一部屋シングルユースのホテル)が泊まれる宿のある都市というのは、実はそれほど多くはない。我々の時には、比較的近隣の2市を含めて、温泉街の旅館やビジネスホテルなども全部含めて約1500部屋を確保した覚えがある。それでも宿がとれず仙台に泊まってバスや電車で会場まで来なければならなかった人もいたらしい。
今週の学会は、東京プ○ンスホ○ルのパー○タ○ーが主会場である。
学会は専門家が研究業績を発表し勉強するために集まる会であるから、アメニティや余興などは本来どうでも良いことではあるけれど、ある意味で「イベント」「お祭り」的な要素もあるから、会長や主催事務局(たいていは、会長の所属する大学の医局)の趣味によって、企画運営される側面を持つ。「田舎」はある意味田舎であることが「呼び物」であり、そこの名産、食材、酒といったものも人を集める魅力の一つとはなりうる。我々が学会を開催した時にも、「折角地方(田舎)に来てもらうのだから」と言う考えで、交通や宿など至らない点もあったかも知れないが、趣向を凝らしいろいろなことを企画運営した。
「都会」は、逆に、物珍しさや変わった食材はないけれど、交通の便など都会であること自体が呼び物かも知れない。しかし、東京などの大都会では、会場使用料も宿泊するホテル代も食事代も、地方都市に比べるとかなり高めになってします。学会を運営するには、そもそもかなりの費用がかかる。都市部では更に割高だ。これを会員の参会費(学会場の受付で、名札を貰う代わりに払う参加料)だけで賄うのは、かなり質素にやっても無理がある。
たとえば、会場使用料。
会場そのものに加え、椅子や机の使用料、冷暖房使用料、看板、垂れ幕といったもの、スライドを映写する装置(最近ではほとんどノートパソコンをプロジェクターにつなぐ)、それらの管理操作といった、最低限の学術会議の準備だけでも結構お金はかかる。公的な会館では使用料が安いけれど、机や椅子の設営、準備から片付けまで自らやらなければならない仕事が非常に多くなる。一方、ホテルを使うと、会場使用料は高いが準備や片付けまで会場使用に含まれるようである。会場となるホテルは当然そのために宿泊する人も多くなるしホテルにとってはそんなに悪い話ではないようである。

医学部を卒業した上で、労働基準法など無視の過酷とも言える仕事をしながら非常に特殊な勉強と訓練を実践し一生勉強しなければ一人前になって行けない脳神経外科医が、その最先端を学び確認し更に飛躍する場として、コングレスのような大きな学会の存在意義がある。
"Ancora Imparo"
「私は今でも勉強している」という意味。仕事中のミケランジェロを尋ねた人が、「あなたは今何をしているのですか?」と尋ねたのに対して、こう答えたらしい。コングレスのロゴマークの中に入っている言葉である。
全国から多忙の中を縫って集合し勉強するために、会場は最高で10箇所程にもわかれることするある。
「日本の脳外科医って真面目だよね〜」と我田引水したくなる程、朝から晩まで全ての会場に脳外科医がごっちゃり集まって勉強しているのが実際のこと。
田舎で学会をやったからと言って会場にも行かずゴルフをする人や、都会でやったからといって学会そっちのけで観劇したりなどという人は、(昔は少しはいたかもしれないが)少なくとも私の周りの脳外科医には一人もいない。皆、真面目である。

自分で旅費を出し、自分で宿代を出し、自分で参会費を払い(大きな学会だとこれが18000円とか20000円もする)、勉強しに行くのである(もちろん、以前にも書いたように、勤務する病院によっては、年間20万円位の上限を設けて「出張費」と言う名目で、これらの学会参加費用が援助されるところもある)。
たとえば、20000円の参会費を払う人が2000人集まったところで、4000万円である。準備から片付けまでいれれば4日はかかる(実際は一年以上前から準備を始めるのだが)コングレスのような大きな学会で、一日あたり1000万円ですべてをできることは非常に少ない。かといって、更に参会料を徴収することは躊躇される。真面目に勉強しに来ている人に「もっと出せ!」とは心情的には言いにくい(今後はそうなって行くのかも知れないが)。
いろいろな企業や団体からの、開催運営に資する寄付やプログラム集に載せる宣伝広告や学会場において治療診断にかかわる機器の展示説明ブースを設けることで不足を賄うことになる。学会は、誰かがやってくれるのではなく、会長に選ばれた医局の関係者が自分たちのために自ら企画運営に携わらなければならず(他人を使えばそれだけお金もかかる上、緻密な対応が出来にくい)、学会をやって利益をえることは全くなく、会員のためにそれこそ「身を粉にして」働かなくてはならない。医者として、臨床の仕事をこなし、教官として教育や研究に携わり、大学人として様々な仕事をしながら、更に、学会準備などという仕事をやって行かなければならないのは、正直言ってかなりの負担である。誰かがやってくれるのならやってもらいたいと切に思う。
実際は我慢して自分たちと仲間(全国の脳外科医)のため奔走し、学会を成功させるために運営資金を(参会料が主体になるとしても)集め準備をしなければならない。

殊に最近、医療職、特に医師が一般市民のまるで「敵」でもあるかのような扱われ方をすることがある。
我々も勢い敏感にならざるを得ない。
私腹を肥やすためにお金を集めようというのではなく、学会をきちんと企画運営するためにやっている。理由は、上記に書いたように、たくさんの会場を「きちんと」準備運営するにはお金がかかるのだからである。学会というのは、登録している会員が集まり勉強する場ではあるが、それはすなわち、その専門の疾患に悩む一般市民のため、全世界の医学の発展のために行っていることである。不正でも働くならいざしらず、「普通に」勉強するための学会を準備するために、(ただで出来る訳がないのだから)必要な経費を準備することにすら、後ろ指を指されそうなおかしな世の中になっている。
しかし、「李下に冠を整さず」なのである。

昔は、県や市といった地方自治体にも学会運営にかかわる「助成金」を依頼していた。今でもしているところがあるかもしれない。しかし、今では「市民オンブズマン」が、自分たちの税金がどのように使われているか目を光らせていて、脳外科学会のようなある特殊な閉鎖的(?)な特定団体のために使われたりすると「我々の血税を変なことに使うな!」と糾弾しかねないのだそうである。
ミクロ的に見れば、確かに税金をある学会運営のために投入するなどというのは、問題視する人が現れてもおかしくないかも知れない。しかし、巨視的にみれば、医学会、医療、世界の福祉の進歩・発展のために専門家が集まる会合に、一般市民の税金が投入されてもおかしくないのではないだろうか。
さらに、地方都市で開催するような場合、全国から集まった医師が、交通費、宿泊費、食費、飲み代、そしてお土産といったことにお金を使うため、学会開催地周辺に「観光物産」的な経済効果をもたらすはずである。たとえば、忙しい医師は、時間を惜しむため、駅から会場までバスでちんたら行ったりする人は少なく、タクシーを使う人が多い。少し離れた飛行場までタクシーを使う人も通常より増えるはずだ。タクシー会社は忙しくなり潤うはずである。小さなホテルまで人がたくさん宿泊し、たくさんのお金を地元に落として行ってくれる。
そういった経済効果をももたらす学会を、我々医師が自らの時間を削って準備するのに(前に全国学会を準備した時など、直前の3ヶ月は帰宅時間がほぼ毎日午前様だった)、準備資金を集めることにだけ目を光らせる人がいるのである。
あ〜あ、である。本当に大変な準備をしているのに全く嫌になる。

さて、明日から「コングレス」。久しぶりの大都会を満喫する時間はあるのだろうか。
そうそう、余興的な催しである「会員懇親会」において、先日紹介した日本脳神経外科学会オーケストラMusica Neurochirurgianaによる祝典演奏というのも、ちゃんとプログラムに載っている。ピッコロ、練習しておかなきゃ。(この祝典演奏のため、先日の東京での集合練習に加え、学会会期中にもリハが予定されていて、それらにかかる交通費なども自腹を切ってやっているのである。)


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2006.05.08

連休中の贅沢

少なくとも、5月3~5日の3日間は、国民的に連休だった。土曜に仕事がない人は、3~7日の5連休となった方もいたであろう。
私は、もらった休みも、半分は休養と久しぶりにの「長時間集中フルート練習」に費やしたりした。
そんな中でも、食い意地の張っている私としては、普段あまり出かけられない、そんなに遠くはない「うまいもの」を食べる小旅行に出かけた。


54
54_1「ラーメンと蔵の街」としていまや全国的に有名な、喜多方にラーメンを食べに行った。
医師になって2〜3年目のある時期、私は喜多方市内のとある病院の脳外科で「一人医長」をしていたことがある。今考えてみると恐ろしい感じであるが、数年目とは言え、その前任地の救命センターでガンガン鍛えられていたので救急患者が来ても恐くはなかった。ただ、自分では手に負えない患者は「的確に(?)」隣町の会津若松にある大病院に送っていたので、地元の救急隊と病院からはあまり評判は良くなかったと思う(あそこに患者を送ってもすぐ他院に患者を回す、という風評)。患者さんにとってみれば、2、3年目の若造医師に診られるよりは設備もスタッフも整ったより高度な病院で診てもらう方が良いに決まっているのだが、疾患の重症度や重要性がわからない、田舎の人や救急隊は「なんで○○病院で治療出来ないんだ」となり、病院幹部は「先生、ここで手術出来ないんでしょうか?」となるのであった。
脳外科医としてまだ初期のトレーニング中であるというだけでなく、たった一人で、看護師を助手に、外科や産婦人科の他科医師に麻酔をかけてもらって手術をすると言うことが、どんなに大変なことなのかはわからなかったようである。しかも、手術器械も手術顕微鏡も以前その病院に勤めていたけど辞めていなくなった脳神経外科医の残していったもので間に合わせるしかないのである。
まあ、22年前の田舎の小さな街での話として聞き流して頂きたい。

でも、そういう苦労をしたからこそ、鮮烈な印象として残っているし、当時まだまだ全国的には有名になっていなかった「喜多方ラーメン」を、ほぼ毎日食べていた身にとって、とってもノスタルジックな気持ちになるのである。
喜多方という人口3万人程の街に、電話で出前が頼めるラーメン屋だけで100軒以上あるとどこかのテレビ局が調べていた。いまや、各店凌ぎを削りそれぞれに特徴のあるラーメンを出すらしく、人それぞれ好みがあるようである。しかし、私は、上の写真の「そば」「肉そば」という名称でいまもラーメンを出している「坂内食堂」が一番のお気に入りである。その他に老舗「満古都(まこと)食堂」というところも好きだ。
大学のテニス部でダブルスを組んでいたパートナーの出身が喜多方で、学生時代彼の家に遊びに行った事があった。およそ28年も前の話。
「坂内食堂」の近所に住む彼の家に泊めてもらった翌日、「朝食」を食べに「そば」を食べにいったことを今でも思いだす。喜多方の人達は、今でも朝ご飯からラーメン屋でラーメンを食べてそれから仕事に行く人がいるらしい。だからラーメン屋は7時ころからやっている店もあるそうだ。
カウンターで、「そば」を注文して待っていると、目の前でチャーシュー(どちらかというと煮豚)を切っていた店員が、「それ、肉そばの大盛りね」と言われて、既に切っていた10枚程のチャーシューにさらに10枚程追加してラーメンどんぶりに盛りつけたのをみて仰天した。麺どころか汁も見えないくらい、一面のチャーシュー盛りであった。

上の、写真の右側は肉そば大盛りだったのだが、昔程のボリュームはない。麺も汁も見える。それでも10数枚のチャーシューは圧巻である。しかもトロトロでうまい。汁は塩ラーメン系である。麺は極太の縮れ麺。今思いだしても涎が出る。

この日、5/4、私は混雑する昼時を外して午後3時過ぎに行ったのだが、なんと店の前は凄い行列で、約1時間半並んではいった。注文して5分、そして5分で食べ終わり、あっというまに店を出た。
ーー
その日は、なんとなくまっすぐ帰りたくなくて、そのまま仙台まで高速を走り、連休で混んでいることを覚悟の上で、いまや仙台名物と言われている「牛タン」を食べにいった。以前、牛タンのことをこのブログで書いた。
あの時の危機的状況は改善しつつあるが、昔とはまるで違う。
昔は、牛タン定食(牛タン焼きに麦ご飯とテールスープがつく)で1000円しなかった。物価高騰、牛肉高騰のあおりで、じりじり上がっても定食は1100円から1300円くらいだったと思う。しかし、吉野家ショックというか狂牛病ショックで、牛肉とくに牛タンが手に入りにくくなって個人商店の牛タン屋はかなり店を畳んだ。畳まざるを得なかった。オージービーフを使った牛タン屋が主流になった。同じような味付けを施してもなんか少し、いやかなり違う。今やっているのは、大手の牛タン屋(倉庫を持っていて大量に仕入れることが出来、大量に生産(塩漬け)ができる)が多いようである。
この日は、あえて、老舗「太助」に向かった。案の定、店の前には長い行列。客のほとんどが県外からの観光客のようで、ガイドブックを開きながら待っているような様子であった。好き嫌いがあると思うが、私は「太助」の牛タンが好きだ。もっと柔らかく、食べやすく、旨い店もある。今は店を閉めているがもっとお気に入りの店もある。しかし「太助」には私は敬意を払って通うのだ。
もともと、山形の河北町出身の先代(故人)が、戦後のもののない時に奥さんと二人でリヤカーをひいて、焼肉屋の余り物の「タン」と「テール」で定食を出したのが、先代名物「牛タン」の発祥と言われている。だから、「仙台」の名物となっているが、「知ってるか?ほんとは違うんだぞ」という思いを抱きながら食べている変な奴なのである。
この「太助」の先代の弟子、暖簾別けの店がそこここにたくさんある。牛タン定食には、牛タンの横にキャベツの一夜漬けのような「お漬け物」がついて出て来ることが多い。「太助」は先代からの名残なのか、青菜(せいさい)漬けという山形のお漬け物がついて来る。これも私には嬉しい。

そんなこんなで、昼にラーメン、夜に牛タンという、「プチグルメ」の連休であった。(^^

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2006.05.03

連休中の仕事

世の中、ゴールデンウィーク。
5/3,4,5,6,7とカレンダー通りに5日連続で休める人も多いのだろう。
中には、5/1,2に年休などを取って、4/29から「9連休」という人もいるというから羨ましい。
でも土曜に仕事のある方などは、この連休も最大3連休なのだろう。

さて、医師、特に病院勤務医に連休があるのか、というと、ないわけではない。
それぞれの病院の体制、医師の数、扱う患者さんの重症度、緊急度によって千差万別。
大学病院の脳神経外科がどうか?というと、平日と違うのは「予定手術」と「外来」がないだけ。あと、大学特有の症例検討会、術前検討会、術後検討会、抄読会、医局会、教授回診、助教授回診、神経放射線カンファランス、脳卒中カンファランスなどといった、平日毎日のように何らかの形で行われる「会議」がない。
あ、それから、野球の朝練(6時開始)もお休みである。
要するに、緊急患者、緊急手術さえなければ、病棟の患者さんに集中出来る時でもある。
しかし、重症患者が多い。中には放射線治療や化学療法など副作用の出やすい治療を受けている患者さんもいるし、免疫力が低下していたり、合併症が多発したり、複数回の手術を受けていたりと全く目の話せない、油断できない患者が多い。この辺りが市中病院の脳外科よりもずっと「濃い」のが大学病院である。

今日から世の中連休だが、私が朝病棟にいくと、チーフ、病棟医長、主治医がすでに朝から働いていた。重症の患者さんが肺炎から心不全を併発している。そうなることが予見出来た患者で、手は打ってあったのだが、やはり薬の治療にも限界がある。あとはご本人の治す力に祈る。
病棟の主治医達は、5連休を前半、後半に主分けて公平に休みを取れるようにしている。今日から明後日の昼間で休みをとった医師の受け持ち患者は、残る医師達に均等に振り分けられている。口頭とカルテに文章で「申し送り事項」が伝えられている。病棟医長がそれを統轄し、各部門(脳血管障害や脳腫瘍など)のチーフが補佐し、わたしのような「ロートル」がそれをスーパーバイズしながら一緒に治療に当たり、教授へホウ・レン・ソウして治療がすすめられる。
ここは、「大学病院」なのだから、国民の信頼や期待に応える質の高い満足度の高い医療を提供するためには、主治医が頑張ることはもちろんのこと、その情報を教授まで揚げて、問題点の解決をあおぎ、常に教授クラスの高いレベルでの医療を実践することが大事である。主治医Aのレベルでの医療をしてはいけないのである。その医師Aが、スーパーマンのような素晴らしい医師ならばまだいいが、たいていは経験も技術もまだ超一流とは言えない。そこで働く「人間」と構築する「システム」。これによって医療の質が決まるとも言える。病院の見かけの美しさや設備の充実などではないのである。
ただ、「満足度」と言う話になると、医療の質がそんなに高くなくても満足は得られることがある。もっと良い、質の高い医療が展開されていると言うことを知らない場合は、設備の新しさや美しさや職員の「人当たり」が左右する。現に、市内の大きな某公立病院では、脳卒中を疑って緊急受診して入院しても、CTを一回撮っただけ。MRIで虚血巣の出現や血管を観ることもせず、「MRIは退院後に外来で撮ります」という対応らしい。知人が軽い脳卒中で入院した時に、現実にあった話。
症状が軽かったり、TIAで戻ってしまえば、結果さえ良ければ「これでいいんだ」ということになってしまう。
しかし、「なぜ」なったのか、「どこが」悪いのか、「今後」どうなるのか、ということも全く解明せずに退院させてしまう医師が脳卒中を観ているという恐ろしさに愕然とした。おそらく病院の体制のために、夜中や休日に緊急MRIを撮りにくいのだろう。「急ぎ」と連絡しても、「1週間後」などと言われてそのまま予約しているのかも知れない。
しかし、脳梗塞などは分単位、せいぜい時間単位で対応を迫られる疾患なのに、発症した日にMRIを撮らない、または撮れない病院では、脳梗塞を真面目に診療する資格さえないと思える。

我々の大学病院では、GWだろうが夜中だろうが、緊急にCTやMRIはもちろん血管撮影だってなんだってやれる。やるためには放射線技師も放射線科医も犠牲(?)を強いられているが、脳卒中患者が発生すればやはり一番働いているのは「脳神経外科医」だと思う。
私も5日間のうち2日休みをもらった。申し送りやその他のことがあるから、3日は休めない。
今更どこにも出かけられないだろうから、せいぜい、家でフルートを吹いたり、DVDを観たり、近場に出かけるくらいだろう。
さて、お天気はいいな。。。

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