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2006.04.16

「ひっかる〜うみ、ひっかる〜おおぞら、、、」

NTT東○本の宣伝している、「光B FLETS」のTVCFでス○ップが歌う、あれ、です。
今の若い人の中には『エイトマン』を知らない人も少なくなく、あの歌が『エイトマン』の主題歌であったとは知らなかったという人もいます。わたしは、バリバリの、白黒テレビで観た(というより放送そのものが白黒だった?)『エイトマン』世代です。
設置申し込みをしていた、「光」が昨日我が家にもやってきました。これで、職場のIP専用回線通信と自宅の「光」とネット環境は整いました。こういう「私的」なブログなどは、職場の回線を使う事は職務違反かもしれないのでね。。。
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 昨日は、旧県庁の立派な建物をそのまま改築保存した、「文翔館」の『議場ホール』でフルートとピアノの『デュオ・リサイタル』がありました。
先日の山響のコンサートでも触れた、A先生、こと山響首席フルーティスト足達祥治氏のフルートと地元中心にピアニスト・ピアノ教師・高校音楽科講師をしているT女史の二人によるリサイタルでした。
曲目は、順に
1 J.S. Bach:フルートと通奏低音のためのソナタ ホ短調 BWV 1034
参照(http://fweb.midi.co.jp/~ferner/midi/1034.html)
2 L.V. Beethoven:ピアノソナタ『テンペスト』
参照(http://6911.teacup.com/egashirasound/shop/01_01_07/b-022/)
3 F. Chopin:スケルツォ第2番
参照(http://homepage3.nifty.com/principe_de_plaisir/music/fc_scherzo.htm)
4 S.S. Prokofiev:フルートソナタ 二長調

 「議場ホール」は雰囲気の良いところで、客席数は椅子設置でせいぜい300。昨日は、予想を大きく上回る客数で、慌てて椅子を追加してもたらず、違う種類の椅子が追加されるくらい大入りで、身内(?)としても喜ばしい事でした。
4番目のプロコのフルートソナタ。これは、真面目にフルートに再挑戦を始めた3年前からの私にとっては、憧れの曲であり、「いつかは自分も、、、」と思っています。技術的に難しい事はもちろんですが、フルートの持てる可能性を最大限に発揮するような曲です。プーランクのフルートソナタとともに、この曲をレパートリーに出来たらカッコいいだろうな〜と単純に憧れます。足達氏は、少し体調不良のところを押しての演奏でしたが、そんなことは全く感じさせない、素晴らしいテクニックと音色で観客を魅了してくれました。Bravo!でした。
1、2、3はそれぞれに魅力的な曲ですが、会場の響きがあまり良くないのか、客が多くなりすぎて残響が消えてしまったためか、ピアノがフルコンでないせいか、なんとなくバランスが悪く感じました。
1のバッハは「フルートと通奏低音のための、、、」というタイトル通り、本来はフラウト・トラヴェルソにチェンバロと古楽器系の弦楽合奏で楽しむものです。ピアノ伴奏では、いくらうまく編曲してあっても「味」が違う感じでした。
たとえが悪いかもしれませんが、中華料理をごま油ではなく、エキストラヴァージンオリーブオイルで炒めたような感じでしょうか。演奏自体は素敵なんですけど、やっぱチェンバロの響きには敵わないな〜とあらためて思ったものでした。
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 リサイタルには、ハンガリー・プラハ・ウィーンの旅をずっと一緒したYS氏(足達先生の弟子の一人)も遊佐から来ていましたし、足達先生愛用のマテキフルートのNさんもいつものように埼玉からわざわざいらしてました。
その他にも、山響の団員がスタッフ、観客にたくさん見受けられ、みんなで盛り上げようとしている「愛」を感じましたね。私の前任地の病院長のY先生(この方には、医学部学生の時からテニス部の顧問のお一人としても、医師の先輩としても放射線医学の権威としても大変お世話になった。Y先生の推薦状を持って、学生時代に女子医大の放射線科を見学させてもらった事もあったな〜)御夫妻やその他の顔見知りにもお会いしました。

昨日も大学病院では脳出血の患者の緊急手術。
今日も、脳出血の患者の緊急手術。これらは、皆、若手中心でやっています。
出張中の教授に携帯電話の写真添付機能を使って症例の報告相談をし、休日ながらほとんど出勤している医局員間で連絡を取り合って、手術のセッティングをしました。私も医局にいたのですが、医局長から連絡相談を受け、手術に関するアドヴァイスを少ししました。
病棟では先週手術した硬膜動静脈ロウ(漢字が出ない)の患者の脳循環と脳波、術後血管撮影についてdiscussionし、患者の診察を行いました。

なんだか、大学病院での超多忙、超ストレスフルな生活に、なじめないながらも既に慣らされてきてしまった感がありますが、フルートの練習がほとんど出来ないのが一番悲しい事です。食事をする時間も惜しんで吹いていた、その時間すらとれない、というのは異常としか言いようがありません。
しかし、これが、日本の、救急を真面目に扱っている大学病院の、脳神経外科の実態です。
何でも、昨年の救急部への「救急車」による患者搬入数が1500件弱ですが、そのうち500件以上が脳外だったとのこと。一日2名弱の救急患者が「救急車」で脳外科に搬入されています。
救急車を使わずに来る急患もいますし、外来から入院になったり、他院から紹介されてきたりする患者さんもいるのですから、緊急患者数だけでも(その大半が重症または困難な症例ですし)大変な労働になります。
これらをすべて「勉強」と受け止め頑張っている若い医師諸君には頭が下がります。
昔、私も若かった頃はああやってがむしゃらに働いたのです。今もまだがむしゃらに働く事を要求されているのですが、これでは若い人に夢が与えられないのではないかと気がかりです。
つまり「医者を何十年やっててもK先生みたいにいつまでも忙しく働かないといけないのかな〜」ということです。
うちで一番忙しく働いているのは教授なんですけどね。

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コメント

忙しくて大変ですね。一昨日県立ガンマナイフセンターへ行ってきました。Drは永田先生のことに大変ショックを受けられてました。それともう一人ご自分の師匠が、同月に亡くなったとかで(それも同じ病名で)で、同じようにまではいかなくとも、あんなふうな医者になりたいって。そんな話をしてました。

投稿: @むーむー | 2006.04.16 16:28

@むーむーさん、マック使いの私が、ついにWindows使いにもなってしまい戸惑っています。
忙しいというのは、時間的な問題もそうですが、精神的にいつも追い込まれていてそれがなかなか辛いですね~。

投稿: balaine | 2006.04.16 17:47

久々のひげ鯨さん長文記事、しっかり・楽しく読ませて頂きました。
それにつけても、ナマ・スマ・エイトマンCMが見たい!!! 今は映像は無いのかな?歌だけかな?名曲です!エイトマン、ハンサムだったでしょ?ちょっと好きになった小学生の私でした。「くわたじろう」って名前ちゃんと認識してましたし、丸○屋のふりかけ食べてました。

>大学病院での超多忙、超ストレスフルな生活に、なじめないながらも既に慣らされてきてしまった感がありますが…
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そんな展開、予測されてませんでした?私は予測してました。きっとまた全力投球で頑張ってらっしゃるだろうなあと。

>これらをすべて「勉強」と受け止め頑張っている若い医師諸君には頭が下がります。
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段々とそうやって<医師>になっていくんでしょうねぇ。地道な難儀な、そしてイマジネーションを必要とする工程。がんばれ!(って、誰に?若いみんなに!)

投稿: リスペクト | 2006.04.16 18:06

フルート吹く時間が取れて、御飯もきちんと食べる時間取れて、いい具合にリズムとバランスが取れる日が早く実現するよう祈ってます。病気になりませぬよう…

投稿: リスペクト | 2006.04.16 18:17

医師は、超多忙、超ストレスフルな生活を続けていくうちに
一つ一つを丁寧に診る姿勢を失ってしまいそう!
これは、我々患者にも結局、損な事です。

フルートを吹いたり、音楽を聴いたり、
ゆったりとしたひとときを持つ、
大学病院の医師も人間的な生活をする。
どうすればそうなるのでしょうか?

投稿: mayako | 2006.04.17 15:45

リスペクトさん、mayakoさん、
違うんですよ。
何故大学病院が忙しいかと言うと、救急患者の「数」ではなく、その「重さ」なのです。最高学府として、学問の府として、附属病院として国民の負託に応えるためには、最高・最善の医療を提供するのが「当然の義務」な訳です。
ですから、教授始め指導医が主治医や若手医師を指導するにあたっては、日本で最高の、世界で最良の医療を提供すべく、検討し協議し実施するために特に厳しい要求をする訳です。ですから、一例一例にかかる手間や時間が一般市中病院とは違うのです。
言葉は悪いですが、一般市中病院で90才の軽い脳梗塞の方が来たら、ルーチンの検査をしてルーチンの治療をしてルーチンのリハビリをして、退院か転院というパターンです。これが大学病院に来た場合には、全て「患者さんから学ぶ」姿勢を貫き、可能な限りに詳しい検査を行って、脳外科、放射線科、神経内科、循環器内科などの複数科横断的に検討会でディスカッションし、その時に最善最良の治療を考察するのです。
大まかに見たら、結果はほとんど変わりないかもしれません(なんせ90才の脳梗塞)が、過程がかなり違うとお考え下さい。そのため、みんな毎晩深夜まで、土曜も日曜も病院で仕事を頑張っているんです。

投稿: balaine | 2006.04.17 18:21

追加です。
大まかにみて結果に変わりがないのに、何故手間ひまかけるかというと、もちろん「その」患者さんを良くするためではあるのですが、そうやって一例一例を大切にして診療をして行く中で、何か新しい発見なり知見なりサイエンスが生まれ、これが更なる医学の発展に繋がるからなのです。
ルーチンワークとはいっても常に「学問」を意識するのが「大学」病院であり、常に医学を進歩発展させることを考えて働く事が大学病院の存在意義の一つであると思います。

投稿: balaine | 2006.04.17 18:26

ふむふむ、なるほど!

>一例一例を大切にして診療をして行く中で、何か新しい発見なり知見なりサイエンスが生まれ、これが更なる医学の発展に繋がるからなのです。

つまり、忙しいから、
「一つ一つを丁寧に診る姿勢を失ってしまう」と言うことはなくて、
丁寧に診るから忙しくなるということなのですね。

投稿: mayako | 2006.04.17 22:05

つまり、大学病院にかかると言うことは、
①治療のために最善最高の医療を尽くしてもらえるということ、
②医師が必要と考える可能な限りの詳しい検査を提示される展開もあるということ、
③自分の疾患及び治療の情報は研究におけるデータでもあるということ…でいいんですね。
そこのところ、上手く患者に、いや患者として受診する以前に、大学病院の存在意義の正しい認識として常識レベルで分かってもらう必要がありそう。
病気を抱えていると、やっぱり気持ちも元気いっぱいとは言えません。ややもすると、「検査ばっかり、どーせ、研究材料よ」みたいな発想になりがちな気がします。

投稿: リスペクト | 2006.04.18 08:34

リスペクトさん、こんな書き方をするから、(ということは、そう考えておられるから)balaineさんたちが精神的に疲れてしまうのではないのでしょうか。そう考えていたとしても、それはこんなところに書かないで欲しいです。

投稿: @むーむー | 2006.04.18 11:40

@むーむーさんへ
えっ、そういうつもりは全く無いですし、そんなこと考えてもいません。
また表現が間違ってしまったのでしょうか。ごめんなさい。書き方が悪かったのでしょう。@むーむーさんが言うように感じる方がいることを配慮できずに書いてしまったようです。すみません。
読んだ方々及びBlaineさんが不愉快に感じたり、お怒りになったのなら、ごめんなさい。削除して頂いて結構です。
ただ大学病院のあり方に対する認識のずれを感じる機会があるものですから。何かの工夫で双方納得できる、より良い方向がある気がして。

投稿: リスペクト | 2006.04.18 13:16

リスペクトさん、@むーむーさん、
ありがとうございます。m(_)m
このような議論をされる事こそが、世間の注意を喚起する訳です。お二方のように、足繁く尋ねて下さってコメントを書いて下さる方は有り難いです。
でも、何も言わないROMだけの方もたくさんいて、お二人のコメントを読んで、更に内容を吟味して読んでくれるかもしれませんし、いずれにしろ「良い事」ととらえたいと思います。
私としては、@むーむーさんの「敢えて言わせて頂きますが」というお気持ちは有り難いですけど、よほど常識はずれか虚偽の事を書くとか公序良俗に反しない限り、どんな意見でもwelcomeでございます。v(^^

投稿: balaine | 2006.04.18 15:25

リスペクトさんの①②③のまとめに対して。

全ての大学病院が、この「大学病院の存在意義」を真面目に考えた診療研究教育をしていれば良いのですが、現実は疑わしい面もあります。
また、診療科によっても、そこを主宰する教授やそれに準ずる指導者によっても考え方、動き方が違います。
ですから、「大学病院なら間違いない」と胸をはれない辛さはあります。大学よりも一般市中病院に入院した方が、検査も治療も早く終わってスムーズに退院出来て良かった、建物も新しくアメニティも良くて良かった、ということもありえます。
高いリスクを負って、強いストレスと闘いながら、ベストを尽くそうとしている若い医師が、ため息をつかないですむような体制を創らなければなりません。
「独立法人化」に伴いそういう動きが出てきていて、そこにいる指導的立場の人の力(企画力とか実行力ということ)の差によって、大学病院と言えど格差が出て来ると思います。
次は、その「格差」が正当に評価され、苦しみながら真っ当な事をやっている者達が「報われる」システムが必要です。
プライドだけでは喰っていけません。

投稿: balaine | 2006.04.18 15:34

ひげ鯨さん、ありがとうございます。
@むーむーさん、どうも、言葉足らず、表現未熟で、不快をもよおす結末となり、申し訳ない限りです。

ひげ鯨さんの記事に書き込むコメントは、単に感想のみの場合と、自分の認識は別にして、このことについて触れて欲しい、解説して欲しいという二通りあります。後者の場合、勝手にひげ鯨さんの胸を借りてしまってる図々しさは否めませんが。
昨日のは、後者でした。

「」内の表現は露骨過ぎたのでしょう。
ただ、そういう声を耳にすることは一般的におありだと勝手に推測。そういう大学病院に関する、認識のズレから来る不具合みたいなのは、お互いの正しい認識で軽減していかなくちゃあと。それは双方にとって必要だなと言うのが、記事の感想だったものですから。
大学病院に限らず、疾患は、医師(医療技術)と患者(治療に対する意識)が一緒になって取り組むと効率アップ、そして効果的治療へと結びつくものだと思ったものですから。
しかし、しっかり考えて配慮して書かねば。反省!

投稿: リスペクト | 2006.04.19 06:21

balaineさん、私は「敢えて言わせて頂きますが」の気持ちでリスペクトさんへ意見をしたのではないです。あなたと私は違いますよ。の意味です。私は、大学病院その他で、自分の病気の資料がお役に立てればとっても嬉しいです。医療の進歩のためには、私も手伝わせてください。そのためだったら、どんな検査でも、新しい治療でも受けます。。。研究材料にどうぞ私を使ってください。せっかく私は病気になったのですから。

と、こう思ってる患者もいるのに、一緒にしないでと、言いたかったのです。

投稿: @むーむー | 2006.04.19 10:38

@むーむーさん、ありがとうございます。
いや、言いたい事は分かってはいたのですが、つまり、その、、、、ね!

でも、大学病院の我が科(脳外科)に入院されている患者さんは、「ここを頼りに来ています」という感じを受けます。特に、小児の脳腫瘍の母親なんて必死の感じです。当たり前ですね。
自分が医学の進歩に役に立つのなら、という崇高な意識を皆さんに持って頂く事を要請は出来ません。
助けてもらえるなら、治るなら、研究材料になろうが学生の教材になろうが、とにかく上手く行くならなんでもいいよ!というお気持ちの方も多いと思います。我々はその重い気持ちに応える責務があります。
だから毎日遅くまで仕事をしている訳です。

投稿: balaine | 2006.04.19 19:13

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