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2006.04.28

アカウンタビリティ

英語です。綴りは、accountabilityです。
(参照web site )http://www.pref.hiroshima.jp/soumu/kikou/jouhou/keyword/keyword4.html

最近は「説明責任」というような意味で使われることが流行の言葉のようですね。
行政であるとか、政治家であるとか、そして医療職、特に医師にも使われる言葉のようです。

先日書いたクモ膜下出血のこと。破裂率だとか、死亡率だとか、手術の保険点数だとか、チタン製クリップの値段だとか、いろいろ数字を書きました。
本来、臨床医として外科医として、「そんな細かいことにこだわってる暇なぞない。もっと手術の腕を磨いて、俺たちは、切ってなんぼ、治してナンボの世界なんじゃい!」と言いたくもなります。
昔の(といってもほんの20年位前)豪快な先輩医師の話を聞くと、「あ〜、昔は良かったな〜」となります。

実際、目の前にいる患者を真剣に診察して必死に治療して、それでナンボという世界であることは事実です。
患者さん側も、術前説明等していると「私たちは難しいことは分からないから、先生にお任せします。」と仰るかたもまだまだいます。
昔はそれで良かったんです。
Dr.:「手術が必要です。精一杯やります。よろしいですね?」
患者:「すべて先生にお任せします。宜しくお願いします。」

というような図式でした。
しかし、今はそれではダメなんです。いろいろな情報を与えられる限り与え、患者側に納得してもらい、その上で同意をもらう、いわゆるinformed consent (IC)が常識です。正しい治療を行って行く上で、キチンと情報を患者さんに提供する「説明責任」が医師に「も」求められています(政治家に「も」だぞ!当然!)。
もし、十分な説明をせずきちんとしたICを取らずに手術等して、結果が良ければいいけれど、悪かった場合、医師側にその悪い結果を招いた医学的責任というか意図(もともと悪意等はないはず)などがなくても、「説明義務を果たしていない」として裁判で負けたり罰せられたりするのです。
これがアカウンタビリティというものです。

ということは、医師という職業は、患者さんを治療する上において、医学的知識や経験や技術はもちろんのこととして、その病気についての知識を患者さんや患者の家族に講義して理解納得してもらうだけの、講義力というか説得力とそれを行うための「たっぷり」した時間がなければならないということになります。
ところが、現場ではなかなかそんなに喋るのが上手な医者ばかりではありませんし、患者さんに「たっぷり」お話しを出来る訳でもありません。
勢い、紙に印刷した「情報」を患者に渡して「良く読んで下さい」などという方式になりかねません。
私は、紙に絵を描いて、なるべく事細かに直接口で説明する方式を好みますので、「説明書」みたいなものを渡すのは嫌です。でも現実、アカウンタビリティを追求され、ほんの少しでもそれを満たさないと全て罰せられて行くようになれば「説明書」式にならざるをえないかもしれません。
訴訟王国=米国の医療現場等はすでにこうです。事細かにいろいろなことが書かれている分厚い「説明書」を渡され、患者側はそれを読んで理解しサインすることが求められます。命をかけている、一分一秒を争っている現場でもそうなりかねません。

大事なことが忘れられています。
どうしてなんでしょう。
ーー
ちなみに、、、
昔のお医者さんの一例。

30年位前の某県立病院脳外科でのこと。
タバコ好きで、片時もタバコを離さないヘビースモーカーの脳外科医。
病棟回診時も患者の前でもタバコを吸う。
回診について回る婦長さんが灰皿を持って、後ろをついて回って灰が床に落ちないようにしていたというウソのような真の話。

もうひとつ。同じ病院で。
脳外科の外来が西日のあたるボイラー室の上にあった。昔なので、冷房などなく、扇風機がくるくる回るだけ。
夏のあつ〜〜い午後の外来で。
「○○さん、、、」
名前を呼ばれた患者がカーテンを開けて診察室に入って、3歩後ずさりした。
そこには、熱さのため、首にタオルをかけうちわで体をあおぎながら、上半身はランニングシャツ一枚の、汗だくになった脳外科医の姿。白衣なんてもちろん着てない。
そんな外来をしていたらしい。
今は、みなこぎれいなものである。かくゆう私もきちんとワイシャツにネクタイ締めて綺麗な白衣を着て診察をする。患者さんに「不快感」を与えないのも「医者の仕事」なのだと言われている。

けっしてこんな医師をいいとは思わないし、肯定している訳ではない。
しかし、本当に今の時代が良いのだろうか?
ーー
今日は内視鏡での下垂体手術。
1時間50分で無事に終了。小さな腫瘍で困難な物ではない。手術手技はほぼ完璧。患者さんはすぐに麻酔から覚めて感謝の言葉を口にされた。
術前、アカウンタビリティを果たすべく、この患者さんにも、手術や麻酔によって命に関わることが起こりうるとか、後遺症が出る可能性があるとか、手術しても全部取りきれずに治らないことがあるとか、そんなことを言わなければならない。それが当然のことなのである。
心の中では、「私に任せて下さい。ちゃんと治してみせますから。」と思ってはいるのだが、そんなことを言ってはいけないのである。無責任な発言であるから。「説明義務」を果たしていないから。

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コメント

ちょっと質問です。ここ日本で、脳外科という診療科は何年前からあったのですか?myガンマDrが私達は第三世代なんです。のようなことをおっしゃってたので、、聞いてみました。ところで政治家には責任の「所在」あります?

投稿: @むーむー | 2006.04.28 16:55

@むーむーさん、
 法律上「脳神経外科」が一診療科として認められたのは、昭和40年(1965年)のことです。
しかし、それ以前から「外科学講座」の中に、頭を開いて手術をする人達=脳外科医、がいました。
故きを温ねれば、明治時代から脳外科医はいましたが、システマテックに「脳神経外科」が出来、大学に脳外科教授が出たのは41年前ということになります。
厳密にはその頃の脳外科医ですでに第2世代くらいです。その時を「第1世代」とすれば、今はその頃の教授の弟子の弟子の弟子、つまり第3か第4世代くらいになっているのでしょう。
http://square.umin.ac.jp/neuroinf/about/about0.html

投稿: balaine | 2006.04.28 17:22

balaineさん早速お答えいただき、ありがとうございました。それにしましても、この急速な医療の進歩!そして、やっぱり日本にいてよかったぁ~ だって、米国ではくも膜下出血になって急を要してても、何キロも運ばねばかかれないとか、書いてありました。でもみんな、ただではないのですよね。技術の継承や人も器械も進歩させるのって、どれだけ大変か。。

投稿: @むーむー | 2006.04.28 18:29

アカウンタビリティ、聞いたことあります。
そう、説明責任でした。(読んでやっと思い出した!ガンバレ、キオク領域!)
企業責任、刑事責任、国家責任、政治責任、連帯責任…無限に「責任」って付くのはあります(無責任っていうのもありますが)。文字として見ると、窮屈感・形式感は否めませんが、それが遂行されるシーンによっては、それぞれの様が…

●甲状腺の手術前日、オットへの説明&手術同意書へのオットのサイン要の場面。担当医は図を描いたりしながら説明→几帳面な性格のオット、しっかり理解できるまで食い下がる→(このやり取りの間、段々私は蚊帳の外になっていく)→担当医、最後はフルカラーの解剖学?の本を持ってきて、事細かに説明…
リアルな写真で、喉の皮が…参った!勘弁してよ!こっち、明日、手術なんですから。

医療に関わらず、諸外国の進んだ分野の事は積極的に取り入れる国民だと思う。でも良いところばっかし見ながら、の傾向あるように見える。「よそ見たら、こうなること、分かってたじゃん!」って、結末もあったりする。医療だけではなく種々行政活動に対し、ツッコミ入れるの、もっと前ななんですよね。任せっきりは危ない!万能・完璧を求めてはいけない!そこに国民の責任ってモノがあるんでしょうが。

投稿: リスペクト | 2006.04.29 11:39

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