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2006.04.08

ロッシーニとハイドン(+医療の事もちょっぴり?)

昨夜、京都から戻り、今日も土曜の朝から仕事。
クモ膜下出血の緊急手術で、教授が執刀である。大学の教授といえど、休日でも緊急手術にはいる。これが日本の脳神経外科の実態。
独立法人化したとは言え、大きな「くくり」でいえば、大学附属病院は国の機関である(それが証拠に、医療裁判等になると原告=患者さん側、被告=国、と言う図式になる)。国民の税金で運営し国民、市民の期待を担っている機関としての責任を果たすべく、教授自ら率先して夜中だろうが休日だろうが働いているのである。
常に「最高で」「最善の」医療を提供するためである。
そして、この「休日」や「夜間」のお務めに対しては、「お手当」が出ないのが大学に勤務する医師の実情である。
国立病院の医師ならば「臨床医」としての立場と給与体系であるが、国立「大学」「附属」病院の医師は「大学の先生(=教師)」という立場での給与体系である(文部科学教官と呼ばれる)。
一般の方は、その辺りの違いもご存じないと思う。「国立病院」と「国立大学附属病院」に違いがあるなんて分からなくて当然である。しかし、現実は全く違うのである。仕事の内容もちがうのである。
「国立病院」には原則的に学生がいない。医学部ではないのだから。県立病院、市立病院となんら変わりない。国が経営する病院ということである。
「国立大学附属病院」は、もちろん病院ではあるが、医師を目指す医学部学生を教育する場であり、夏期休暇等でない限り、常に学生(医学生に看護学生)がうようよいるし、若い研修医や指導医等医師の数が圧倒的に多い。大学生が医学を学ぶ唯一の存在、医学部にくっついている「病院」ということである。

教師という職業は、それが小学校であれ、中学校である、高校であれ、まして大学であれ、基本的な勤務時間はあっても、それ以外の時間に働いている事が少なくない職業である。たとえば、クラス担任として、学年主任としてはもちろんのこと、ブラスバンドだとか野球部だといった、「クラブ活動」の顧問や指導者としても自主的(?)な役割がある。土曜や日曜に練習がある。大会がある。発表会がある。クラブ顧問はそれを引率し指導し共に行動するが、おそらく時間外手当など出ないはずである。
教師の場合、日本全国どこに行っても、公立でも私立でも、よほど特殊な事情や契約でもない限り、土日に学校に出勤したりクラブ活動の指導を行っても「時間外手当」は出ないと思う。
同じように、大学病院の医師が基本的に「教官」(=教師)であるなら、時間外の手当なんて貰えなくても当然だと思われるかも知れない。
問題は、大学附属病院以外の医師、つまり私立、公立(含む国立)病院の医師は、多い少ないはあれど「時間外手当」が出るのが普通だという事。大学の医師と仕事の内容に差はない。むしろ、「大学病院」ということで、より難易度の高い手術の必要な患者が紹介されて来る事が多いので、疾患自体、患者さんそのもの、手術などすべて「大学病院」のものは「ハイリスク」であることが多い。
より難しい疾患を、長時間の手術で夜中までやって、土日に働いて、救急部に緊急搬入された患者を診察診断入院させても、当直医がもらう当直料以外、オンコールの医師や緊急召集をかけられて休みの日に出てきた医師には、「手当」が出ないのが大学病院というところである。これが、若い、勉強中の身ならばまだ「修行」のためという考えもあろうが、「教授」という重責を担いながら指導をしながら、夜中に、休みに、働いていることを「修行」とは普通思われないであろう。しかし、現実には「手当」は出ないのである。

ハイリスクーハイリターン(高い危険性を伴う仕事には高額の報酬、という当たり前の考え方)は、「日本の」国立大学附属病院にはまだ取り入れられていないのである。海外では当然"high risk, high return"である。
よって、一般市中病院の、まだ数年目の医師で、当直もオンコール緊急呼び出しも夜中の緊急手術もガンガンしている若い医師の方が、大学教授より収入が多いという不思議な事態が生じてしまうのである。
「問題」と書いたのはこのことある。
一般市中病院よりハイリスクであることが多いのに、「ローリターン」なのである。苦労が多くても報酬が少ない、それが当たり前という現実が容認されている世界なのである。
でもそれは、自らのプライドと「公」に奉仕する心を支えに皆頑張っている。報酬のために働いている訳ではない、という心である。
それこそ「noblesse oblige」なのである。
ーー
 タイトルは音楽の事。前書きは簡単に書こうと思っていたら、上記のように『ついつい』力が入っていつものように長くなってしまった。
 明日、脳外科オケの練習は、先日少し書いたロッシーニの「セビリアの理髪師から序曲」を学会懇親会席上用としてやるが、もう一曲、懇親会が始まるまでの前座演奏として「ハイドンのトランペット協奏曲」も予定されている。その他に2曲練習の予定である。ロッシーニは私はピッコロなので、フィンダのグラナディラとパリサンダーで練習しているが、プラハでフィンダ自身から選んでもらったパリサンダーはまだ一回も調整していないので、時々音程というか音色がおかしくなる。おそらくタンポが歪んでいるのかも知れない。
パリサンダーの頭部管をグラナディラの本体につけて吹いてみるととても調子良い。本番はこれで行くか?
ハイドンの方は、フルートは1管なのかまだよくわからないが、一応フルートの練習をしておく。
ピッコロだけなら荷物も少なく(なにせ上着のポケットにはいってしまう)楽なのだが、フルートが吹けないのは寂しいものである。
弦、特にチェロの人達等、自分の背丈に近いケースを引きずって練習場に駆けつける訳であるが、飛行機で移動しようとすると楽器のためにもう一人分の料金をとられてしまう。新幹線でも座席が空いていれば良いが、ない場合は苦労されるらしい。コントラバスは最初から自らの移動は諦め、現地調達、どこかからレンタルして来る訳である。大きな管楽器、たとえばトロンボーンなども移動は楽ではない。皆、そういう思いをして集まり練習しまた地元に戻って行くのである。
それもこれも、皆、音楽が好き、オケが好きだから。それに尽きる。
明日、また音楽の好きな仲間達(仲間等と恐れ多くて言えないような偉い先生方もたくさん来る訳ですが)に久しぶり(昨年10月の横浜での学会以来)に会えるのが楽しみである。

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コメント

<音楽の好きな仲間>の方々との楽しい時間、如何でしたか?リフレッシュできました?
ひげ鯨さんの記事を読むようになっていろんな事をレクチャーしてもらっています。必ず講義には出席する、実に真面目な生徒だ!でもテストの点はお粗末かも。真面目な出席を評価して及第点頂くって言うのは甘い?

医療の最前線、高度医療、労働条件の過酷さ、崇高な精神…天秤の左右にそれらを振り分けるとバランスとれるのもだろうか、と。

投稿: リスペクト | 2006.04.09 18:45

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昨日の続きです。患者が発信しなくちゃってこと。プラスお医者さんもね。私たち知らないことたくさんあるもんね。あのテレビ番組、「NTVともに生きる」で、前から思ってたけど、さらに、そうだよ〜もっと言ってよ〜って思ったことね。患者の経済的負担に関して、お役所...... [続きを読む]

受信: 2006.04.10 12:10

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