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2006年4月

2006.04.30

脳外オケ

Mncさる4月9日の『脳外オケ』の東京での練習風景。指導・指揮は常任の早川正昭氏(新ヴィヴァルデぃ合奏団。お嬢さんは、N響のハープ奏者、早川りさ子氏。)

Nmc東京は、西新宿の「新宿村スタジオ」に集合。日曜とはいえ、多忙な脳外科医が集まるのは容易ではない。
しかし、皆、やる気は満々。

Nmc_1これだけの人数が、オケの練習のためだけに西新宿に集まるというのも実は凄いこと。
この中に、脳外科医で「ない」人(エキストラ)はわずか4、5人。
あとは全員現役の脳神経外科医。中には、学長、施設長、教授という偉い方もいらっしゃる。

Nmc4脳外科医を長年真面目にやっていると自然に備わる「集中力」と「行動力」がうりの集団。初めての合わせにもかかわらず、どんどん進化して行く(含む、願望、、、)v(^^

本番は、第26回日本脳神経外科コングレス総会の会員懇親会席上、5/13である。

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2006.04.28

アカウンタビリティ

英語です。綴りは、accountabilityです。
(参照web site )http://www.pref.hiroshima.jp/soumu/kikou/jouhou/keyword/keyword4.html

最近は「説明責任」というような意味で使われることが流行の言葉のようですね。
行政であるとか、政治家であるとか、そして医療職、特に医師にも使われる言葉のようです。

先日書いたクモ膜下出血のこと。破裂率だとか、死亡率だとか、手術の保険点数だとか、チタン製クリップの値段だとか、いろいろ数字を書きました。
本来、臨床医として外科医として、「そんな細かいことにこだわってる暇なぞない。もっと手術の腕を磨いて、俺たちは、切ってなんぼ、治してナンボの世界なんじゃい!」と言いたくもなります。
昔の(といってもほんの20年位前)豪快な先輩医師の話を聞くと、「あ〜、昔は良かったな〜」となります。

実際、目の前にいる患者を真剣に診察して必死に治療して、それでナンボという世界であることは事実です。
患者さん側も、術前説明等していると「私たちは難しいことは分からないから、先生にお任せします。」と仰るかたもまだまだいます。
昔はそれで良かったんです。
Dr.:「手術が必要です。精一杯やります。よろしいですね?」
患者:「すべて先生にお任せします。宜しくお願いします。」

というような図式でした。
しかし、今はそれではダメなんです。いろいろな情報を与えられる限り与え、患者側に納得してもらい、その上で同意をもらう、いわゆるinformed consent (IC)が常識です。正しい治療を行って行く上で、キチンと情報を患者さんに提供する「説明責任」が医師に「も」求められています(政治家に「も」だぞ!当然!)。
もし、十分な説明をせずきちんとしたICを取らずに手術等して、結果が良ければいいけれど、悪かった場合、医師側にその悪い結果を招いた医学的責任というか意図(もともと悪意等はないはず)などがなくても、「説明義務を果たしていない」として裁判で負けたり罰せられたりするのです。
これがアカウンタビリティというものです。

ということは、医師という職業は、患者さんを治療する上において、医学的知識や経験や技術はもちろんのこととして、その病気についての知識を患者さんや患者の家族に講義して理解納得してもらうだけの、講義力というか説得力とそれを行うための「たっぷり」した時間がなければならないということになります。
ところが、現場ではなかなかそんなに喋るのが上手な医者ばかりではありませんし、患者さんに「たっぷり」お話しを出来る訳でもありません。
勢い、紙に印刷した「情報」を患者に渡して「良く読んで下さい」などという方式になりかねません。
私は、紙に絵を描いて、なるべく事細かに直接口で説明する方式を好みますので、「説明書」みたいなものを渡すのは嫌です。でも現実、アカウンタビリティを追求され、ほんの少しでもそれを満たさないと全て罰せられて行くようになれば「説明書」式にならざるをえないかもしれません。
訴訟王国=米国の医療現場等はすでにこうです。事細かにいろいろなことが書かれている分厚い「説明書」を渡され、患者側はそれを読んで理解しサインすることが求められます。命をかけている、一分一秒を争っている現場でもそうなりかねません。

大事なことが忘れられています。
どうしてなんでしょう。
ーー
ちなみに、、、
昔のお医者さんの一例。

30年位前の某県立病院脳外科でのこと。
タバコ好きで、片時もタバコを離さないヘビースモーカーの脳外科医。
病棟回診時も患者の前でもタバコを吸う。
回診について回る婦長さんが灰皿を持って、後ろをついて回って灰が床に落ちないようにしていたというウソのような真の話。

もうひとつ。同じ病院で。
脳外科の外来が西日のあたるボイラー室の上にあった。昔なので、冷房などなく、扇風機がくるくる回るだけ。
夏のあつ〜〜い午後の外来で。
「○○さん、、、」
名前を呼ばれた患者がカーテンを開けて診察室に入って、3歩後ずさりした。
そこには、熱さのため、首にタオルをかけうちわで体をあおぎながら、上半身はランニングシャツ一枚の、汗だくになった脳外科医の姿。白衣なんてもちろん着てない。
そんな外来をしていたらしい。
今は、みなこぎれいなものである。かくゆう私もきちんとワイシャツにネクタイ締めて綺麗な白衣を着て診察をする。患者さんに「不快感」を与えないのも「医者の仕事」なのだと言われている。

けっしてこんな医師をいいとは思わないし、肯定している訳ではない。
しかし、本当に今の時代が良いのだろうか?
ーー
今日は内視鏡での下垂体手術。
1時間50分で無事に終了。小さな腫瘍で困難な物ではない。手術手技はほぼ完璧。患者さんはすぐに麻酔から覚めて感謝の言葉を口にされた。
術前、アカウンタビリティを果たすべく、この患者さんにも、手術や麻酔によって命に関わることが起こりうるとか、後遺症が出る可能性があるとか、手術しても全部取りきれずに治らないことがあるとか、そんなことを言わなければならない。それが当然のことなのである。
心の中では、「私に任せて下さい。ちゃんと治してみせますから。」と思ってはいるのだが、そんなことを言ってはいけないのである。無責任な発言であるから。「説明義務」を果たしていないから。

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2006.04.27

春本番、『Sakuraの日々』

当地はようやく春らしくなって来ました。
とは言っても朝晩はまだまだ冷え込み、コートを着て出勤しています。

4254/25(火)の研究室前の桜。
満開です。
風に花びらが舞っています。


426_14/26の桜。
毎日撮影初めて10日経ちました。
咲き始めたのが4/14でしたから、満開になるまでたっぷり10日はかかることもわかりました。途中で雪が降ったり、かなり冷え込む日もあったからでしょうか。

427今日の研究室前の桜。
建物の照り返しで開花が早かった枝はかなり葉っぱが目立って来ました。
木のしたを歩くと、一部では絨毯のように柔らかく散った花びらが堆積しているところもあります。


ーー
4月22日以来、自宅前の公園の桜をアップしていなかったので、ここでまとめてアップします。
423_24/23(日)の公園の桜。
まだ5分咲きくらい?
朝の光の中で、少しずつ存在感を出して来ました。

424_14/24の桜。
大分開いたのですが、小雨が降って冷え込んだので7分どまりかな?


425_14/25の桜。
まだ満開とまではいかないようです。
でも4/23と比べると、朝日を浴びた桜の陰の枝が分かりにくくなっています。それだけ花びらがひらいたということでしょう。


4264/26の桜。
毎日携帯のカメラで撮ろうと思っていたのですが、この日は忘れたので違うカメラでの撮影。
ちょっと色合いが違います。ほぼ満開です!

427_1本日の桜。
健気に今週末まで持ってくれたようです。
まだ葉っぱはほとんど目立ちません。頑張れ!桜。

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2006.04.26

ちょっとショックなお話

昨日はJR福知山線の悲惨な事故の一周忌。これについてコメントするものを持ち合わせない。
ただ、この事故を風化させないで欲しい。特に当事者のJR西日本にのぞむ。

ーー
本日の新聞記事等から、ちょっとショックなことを2つ。
(1)諏訪内晶子結婚していた
 バイオリニスト諏訪内晶子(34)さんが、昨年7月に47歳の整形外科医(K大医学部出)と結婚していたことが25日、分かった。諏訪内さんはパリを拠点に活動中で、別居婚の形。「結婚で話題づくりをしたくない」と公表しなかったという。

 諏訪内晶子さんといえば、チャイコフスキー国際コンクールバイオリン部門で日本人初の優勝者である。美貌でも知られる。もちろん実力はあったのだが、超一流のコンクールで優勝=つまり世界一になってしまって、その後苦労をされたようだ。ジュリアードで研鑽を積みながらも自分の音楽に迷いが生じた時期もあったように聞く。
 現在の彼女は、一皮、二皮むけた、むしろ円熟味というような音楽を聴かせる。私がピッツバーグに住んでいた頃、当時のピッツバーグ交響楽団音楽監督のロリン・マゼールの指揮のもと、たしかメンデルスゾーンの協奏曲を聴かせてくれた。ピンク色のステージドレスに長い黒髪をたなびかせ、当時まだ20才台前半のはずの彼女がステージに現れると、会場のそちこちから「綺麗」とか「素敵」という声が漏れ聞こえた(もちろん米国なので、beautifulとかgorgeousと言ったのですが)。
 可愛らしいお人形のような東洋の美少女がストラドを手にステージに現れたのだ。演奏は見事だった。技術的に問題はなかった。でも、なにか、もう一つ足りないものを、私ですら少し感じた。五嶋みどりと比較しては行けないかも知れないが、胸に迫り来る迫力とか感動というものが少なかったのだ。でもそれから10年以上を経て、彼女は確かに変わったし成長したし素晴らしい演奏家、音楽家になったと思っている。13年前に彼女にサインをもらった、1/8サイズのバイオリン(のケース)がまだ家にある。良家の御嬢様できちんと教育を受けた品の良さが如実に現れるサインである。試験の答案用紙や履歴書に書かれるような、まったく崩されていない文字が今もバイオリンケースに残っている。
その彼女も昨年結婚されていたという話である。おめでたいこと。ますます音楽に磨きをかけ素敵なバイオリニストになっていただきたい。
お相手が、「47才の脳神経外科医」でなかったのだけが残念である。(^^;


(2)山形由美さんのフルート盗まれる
フルート奏者の山形由美さんのフルート2本(計約1200万円相当)がJR東京駅のコインロッカーから盗まれていたことがわかり、警視庁が窃盗事件として調べている。

総14K金フルートとプラチナ製フルート、おのおの500万円、700万円相当らしい。
山形由美さんは、名前が山形ということで耳がピクリと動くこともあるが、デビュー当時、とても可愛らしい美人で注目され、その後、マスコミの三面記事的注目度は減ったかも知れないけれど地道に演奏活動をされて来たフルーティスト。美しさが故に注目され、美しさが故に妬まれたり誤解もされたりしたと思う。
でも本人の話を聞いたり文を読んだりすれば理解出来ると思うけれど、注目されることやちやほやされることを目指してフルートを吹いて来た訳ではない。フルートが好きで、音楽が好きだからプロとして20年も続けて来ている訳である。
 愛用の楽器を盗まれるのがどんなに悔しく悲しいことか。私もフルートを吹くからよくわかる。私だって、1200万円もしないけど、管体18K金のフルートと総銀製フルートにフィンダピッコロを鞄ごと盗まれたら、320万円相当の被害になってしまう。でも値段の問題ではない。愛用の楽器というのは、己の心、魂が籠っている。乗り移っているとも言える。同じ値段の、またはそれ以上の高額のものを代わりに渡されたからと言って解決する問題ではないのだ。
 多分、東京駅のコインロッカーをずっと張っていて、値の張りそうな物のはいった鞄とかそういうのを見分けの利く、プロの仕業なんだろう。ということは何らかのルートがあってすでに他人の手に渡っている可能性もある。
ただ、LAだったか、プロのオケの楽器(ストラドなどのチェロ)が盗まれた事件があったが、しばらくして戻って来たのだった。あまりに高価な、しかも鑑賞していくらという物ではなく、プロが演奏してなんぼ、と言う楽器には適正な闇の価格がつかなかったらしい。手に余った犯人が盗品を放置して発見されたのだった。
山形さんのフルートもはやく彼女の手に戻ることを祈っています。

彼女のオフィシャルサイトに、今回の盗難事件に関する本人のコメントが載っていた。
http://www.yumi-yamagata.com/yumi.html

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クモ膜下出血で思うこと

 人口約125万の当県において、クモ膜下出血の県内年間発症数は200前後だから、月に県内で16人強発生する計算になる。周辺人口35万人くらいの町だから、このあたりで発生するクモ膜下出血の患者数は、平均月に4,5人という計算になる。
この町には3次救急の病院が4つある。均等に割れば一つの病院に月に一人か二人のクモ膜下出血患者が来ることになる。これくらいなら大した数ではない。

ところが、いくら大学病院に救急医学講座があり救急部があるからとはいえ、4/20から5日間の間に3名のクモ膜下出血患者が緊急入院し、緊急手術を行った。月平均に直せば一月に18名という数になる。もの凄い数である。ほぼ毎日緊急手術という感じである。大学は、前にも書いたように、特に困難な脳腫瘍や重症症例が紹介されて来るので、そういう患者の治療の合間にこのように緊急手術が毎日はいると、皆、ヘトヘトになる。

救急患者が多いのは、季節の変わり目ということもあるかも知れないが、別の要因があるだろう。周辺人口35万人を超えて、もっと広いエリアから患者が紹介され救急車で搬送されているのである。実質的に対象としている人口は60万人くらいになるかも知れない。計算上は月平均8名、一つの3次救急病院あたり月2名の患者となる。しかし実際はその倍以上の数が大学病院に来ている。ということは、大学病院に集中して脳外科救急患者が送られて来ていると解釈できよう。周辺地区から信頼され頼られている、とも言える。

ということで、昨日も破裂脳動脈瘤の緊急手術であった。一昨日の患者さんには3つの脳動脈瘤があり(内2つは未破裂脳動脈瘤)、昨日の患者にはなんと4個の脳動脈瘤がみつかった。昨日の手術は、破裂側と考えられた左側だけであったので、破裂脳動脈瘤1個と未破裂脳動脈瘤1個の計2個の瘤が適切に処置された。夜の6時頃から始まって、終了したのは夜中11時半過ぎ(頚部の確保もおこなった)。
夜間の手術場には、看護師の数が限られてしまうため、手術の器械出しを行うナースがいない。結局、脳外科「医」がナースの代わりに器械出しをする。
手術によって血管の狭窄が起きて血流低下を来たし脳障害が起きたりしないように、電気生理学的にモニタリングを行った(ルーチンにやっている)。手術中に専門に電気生理学検査をする技師はいない。脳外科「医」が検査を行った。手術には執刀医を含め3名の脳外科「医」がはいった。結局、5名の脳外科「医」が夜中まで働いた。
医局や病棟では、手術にはいっている脳外科「医」のサポートの医師が数名いた。当直医もいた。
結局、夜中まで8名の脳外科「医」が働いていた。

脳動脈瘤の開頭による根治術の保険点数上の手術料は、瘤が1個の場合、68万円位、2個以上の場合80万円位である。瘤のある場所や難易度や誰が手術したかによらず、日本全国一律であることは前にも書いた。
昨日の瘤は2個。脳外科「医」8名、麻酔科「医」2名、手術場のサポートナース1名の11名で80万円を割ると、一人当たり72000円程度の働きになる。しかし、実際は「大学病院」での「時間外勤務」は認められていないので、「0円」の働きになる(うちの大学では、危険手当のようにHigh risk-High returnとして働くものに報酬を、と言う具合に変わりつつはある)。
瘤にかけたチタン製のクリップが一個2万円位するので、2個で4万円。閉頭する時に使うチタン製のプレートがネジも含めて全部で6、7万円する。そういう風に、手術に使う一回限りの材料費が軽く15万円はかかる。これらは材料費として請求は出来るが、これによる儲けは一切ない。
手術に使う、特殊な手術器械(ハサミやピンセットの類い)だって使い捨てではないものの耐用年数というのがある。高いものではハサミ一個20万円からする。
もっと言えば、手術用顕微鏡は1500万から高いものだと4000万円くらいする。執刀医が座り、手術顕微鏡と連動している電動の椅子は350万円くらいする。こういった、耐用年数のある器械全て併せると5000万円くらいになり、7年で使用出来なくなると仮定し、年間に150件の手術に使うと仮定すると、一件の手術の減価償却が8万円程度になる。
脳動脈瘤の手術を一件行って、いろんな諸経費をさっぴくと、いったい病院の「取り分」はいくらになるのだろう?ごくわずかなのではないだろうか?

4月から、診療報酬改定(減額)によって病院運営は更に危機的になっていると聞く。
破れたの人のうち、3人か4人に一人は命を落とすクモ膜下出血の手術をして、人の命を救って、それでほとんど「儲け」がないということで良いのだろうか。もちろん、医療は本来ボランティアであるべきで、この仕事をすることで「儲け」ようとか「稼ごう」という発想自体が間違っていると言うのが正論である。
しかし、病院は古くなれば建て替えなければならないし、最先端医療を患者に提供するためには最新鋭の診断治療機器を揃えメンテナンスしなければならないし、専門的技術を持った医師を雇わなければならない。そして、患者を看護するナースを始めたくさんの人員が必要な組織である。国や自治体が湯水の如く資金を提供してくれるなら、医療は全額タダで提供してもいい。しかし、国や自治体が赤字で、医療への予算を毎年大幅に減らしているのが現状。病院、医師は自分たちで「稼ぐ」努力を要求されてまでいる時代である。

果たして、脳動脈瘤の緊急手術一件の手術料が70〜80万円(保険点数はこの10分の一)で適正なのであろうか?(ちなみに米国では、病院や医師によって違いますが、脳動脈瘤の手術一件で600万円から1000万円が相場のようです。)
ーー
昨日手術を終えて帰宅したら、たまたま某国営放送の『試○てガッ○ン』とかいう番組(再放送?)で、「クモ膜下出血」を特集していた。私の良く知っているM先生も出演していた(そういえば、肩書きはあのN先生の後任になっていた)。
米国の医学雑誌に載った、「未」破裂脳動脈瘤の年間破裂確率「0.05%」という衝撃的な数字もとりあげられていた。出演したM先生は時間の関係かはっきりと反論はしていなかったが、あの論文はおかしいのだ。
破れたとしてもクモ膜下出血にはならない海面静脈洞内の瘤も計算に含まれ、追跡調査や統計にも問題がありそうである。そして「0.05%」という数字だけが一人歩きをしている。
「未」破裂脳動脈瘤を持っている人が10000人いて、その中で一年間の間に破裂してクモ膜下出血になる人はわずか5人という確率である。逆にいうと、9995人は大丈夫というのだ。
しかし、M先生を事務局に日本で行われている調査の「中間」報告では、日本に於ける「未」破裂脳動脈瘤の破裂率はおよそ1%、そして直径が大きいものや形のいびつなものなどでは破裂の確率が高い、ということになる。

実は、昨日大学で手術したクモ膜下出血の患者さんも、他院で5年前から「未」破裂脳動脈瘤を指摘されていたのである。年齢、場所、いろんな状況から患者さんが手術治療を望まなかったので半年に一回外来で3d-CTAの検査をして経過を追っていたらしい。しかし、近い親族に2名クモ膜下出血患者(1名死亡、1名寝たきり)がいたようであり、最初に発見された時点でもっと「危険性」を強調して手術をすすめてもよかったと、後になってからは言える。昨日の手術は成功したとは言え、これから血管攣縮や水頭症等の危険な時期を乗り越えなければならないし、その上、まだ2つ「未」破裂脳動脈瘤が残っているのである。

患者を助けること、命を救うこと、苦しみを和らげできれば喜びを与えることと「経済」とはそぐわないものである。
しかし、患者発生数や年間手術数や、手術料や入院費を含めた医療費という「数字」について、現場の我々医師でも意識していなければならない時代になっている。
テレビで視聴者に伝えていた、破裂率や検査と治療の確率等の数字を見ながらボンヤリ考えていた。
「医療で数字(経済、確率)を追求すると、社会主義的にみえるな」と。
だって、破れてクモ膜下出血になってしまえば、「その」患者さんにとっては1%だろうが0.05%だろうがもはや関係ないことなのである。70万円だろうか1000万円だろうが関係ないことなのである。
だって生きるか死ぬかなのだから。

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2006.04.24

大学病院の救急

 大学病院と救急というのはかつて相性が悪いもののように言われていました。その大学、附属病院の設備、周囲の環境、病院の体制、救急診療科の体制、救急隊との関係などなど、いろいろな要素によって違います。
ですから、ほとんど救急をやっていない大学病院もあります。
「時間外外来」くらいしかやってない訳です。
救急患者は、「救急救命センター」のある他施設に搬送され、大学病院は「のんびり」しているところもあります。

しかし、うちは違います。市内に「救命救急センター」を持つ県立病院があり、更に私の前任地も「救命救急センター」を持っています。人口125万人の県に2つの「救命救急センター」があります。
大学病院には、救命救急センターは併設されていません。しかし、診療科として「救急医学講座(=救命救急診療科)」があり、「救急部」があります。「時間外外来」科ではなく、完全な第3次救急病院です。

そのため、先週は予定手術と緊急手術で毎日手術、土曜も緊急手術でした。
今日、朝からやっていた予定手術が夜の7時に終わりました。一方、午後3時半に救急部にクモ膜下出血が搬入され、緊急諸検査の後、7時過ぎから手術になりました。ただいま、教授が執刀中です。
さらにその上に、関連教育病院にもう一人クモ膜下出血がいて、少し難しい形の瘤でもあり、今日は鎮静させて寝せて明日の朝、大学病院に搬送しまた緊急手術になる予定です。

うちの病院の救急部に来る救急車のうち、約1/3弱が脳外科の患者です。
救急車で来院する脳疾患の場合、入院にならないことはまずありません。非常に高い確率で緊急手術になります。先日も書いたように、一例一例をもの凄く大切に診察し治療することを教授や上級医から求められ指導されている現場の若手医師達は、睡眠不足や疲れでボロボロになりながら歯を食いしばって、土日も夜もなく働いています。食事を摂る時間も忘れるくらい忙しいのです。
そして、このように緊急患者も来ます。主治医でなければ遊んでいていい訳ではありません。自分が主治医にならなくても、自分の患者はもちろん、他の主治医の患者も一緒に診察したり診断や治療に当たったり、手術にはいらなくても手術場に行って、その手術を見学して勉強するのです。
今、夜の九時半ですが、教授が執刀中の手術室には、主治医以外の医師や医学部学生で総勢10名以上の、手術を見学している者達がいます。こうして人の技術を学び盗み勉強し成長して行くのです。

こういった、大学病院の、脳外科の、救急や緊急手術の実態、そして何故夜中まで人が一杯いるのかという事情も一般の方はあまりご存じないだろうと思って書いてみました。
私も2つ目の手術にははいっていないのですが、いろいろな側面でのサポートに回って大学に残って仕事をしています。
また、今日も帰りは午前様でしょうか。
ーー

心安らかにするため、また、桜シリーズ!
423昨日、日曜日の桜。
そろそろ風に舞い散る花びらが見えて来ました。


424今日の桜。
「花に嵐のたとえもあるさ。さよならだけが人生だ。」とでも言いたくなるような、強い風も時々吹いていました。


423_1おまけ。
昨日、医学部体育館前の道路に枝を一杯伸ばした桜がほぼ満開となり、まるで『さくら回廊』のように美しい姿を見せていました。

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2006.04.22

祝!自分

平成18年4月22日(土)は、私の第2の人生のスタートです。
「?」ですよね。
まあ、いつでも、だれでも再スタートは切れます。
「再スタートだ!」と思った時が「そのとき」です。
でも、一応、形の上でもきちんと再スタートとなったので、ここに記しました。v(^^]

(4/22の桜)422

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2006.04.21

今日の桜たち

421昨日に続いて、今日の臨床棟前の桜。
昨日の雪にも負けず咲いてはいるが、少しちった花びらが路上に見える。枝によっては満開である。


420_2自宅前の公園の桜。昨日の姿。
雪舞う中でも開花しました。
頑張れ!


421_1自宅前公園の桜。2〜3分咲きでしょうか。
満開は来週になりそうですね。

ーー


ーー
写真を整理していたら、出て来たもの。

20050212昨年2月のファミリーコンサートへ向けてのオケの練習風景。
H17年2月12日だった。
この時は、確か、チャイコのスラブ行進曲の練習中。途中にあのピッコロ2本のデュエットがあるやつ。
指揮してるのは、「タビの親父」さん。フルートトップはYS氏。
あの時のファミリーコンサートではルロイ・アンダーソンヒット曲集みたいなのでトップを吹かせてもらったな〜。
ああ、オケの練習に出たいな。。。

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2006.04.20

異常気象?

今日、なんと午後雪が降りました。
駐車中の車のフロントガラスが白くなるくらい降りました。
4/20ですよ!いくら北国でも異常です。

こんな日は、脳卒中の急患が来るんじゃないか、と思っていたら、いらっしゃいました!
クモ膜下出血!現在、脳血管撮影中です。明日手術でしょう。
でも明日は大きな脳腫瘍の予定手術もすでに組んであります。
また明日も全員遅くまで働く事になるのでしょう。。。

雪が降った証拠写真です。420病院の裏側。臨床棟との通路から駐車している業者の車を撮ったもの。
窓ガラスが真っ白なのがわかりますよね。
4/20にこんな雪!異常です。


420_1昨日、3枚の写真を並べたのと同じ、私の研究室の窓からの撮影。
桜はさらに5〜8分咲きなんですが、桜の木から下に並ぶ車の上に、まるで桜の花びらが舞い散るように白く見えるのはなんと雪なんですよ!

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2006.04.19

日々是好日?

日々、いろいろあるが、とにかく大学にいる時間が長い。
大体朝7:50頃から、夜23:00頃まではいる状態である。あとは、帰って寝るだけ。起きたら着替えて大学に出勤するだけ。味気ない生活が続く。しかし、こういう風に仕事ができる事こそ幸せなのかも知れない。
でもcreativityが乏しい。そのmotivationがない。そのためのincentiveがないのだ。
学問を追求し、研究の道を邁進する気概が失せたなら大学を去るべきだと思うのだが。。。
ーー
今日は久しぶりに執刀医。
大学病院の場合は手術が朝から始められるので(市中病院で脳外科医2,3人の施設では、外来が終わった午後からしか手術を開始出来ない)、術中ナビゲーションなどの諸々の先端医療機器を準備して執刀開始は午前10時。今日の手術は、3時間少しで無事終了。術後、帰室した患者さんも具合良くまずは上手く行きました。

臨床棟の目の前の桜は、木によっては5分から7分咲きになっています。4/17,18,19と私の研究室から携帯のカメラで撮った桜を並べてみます。
416aまずこれは4/16(日)に、臨床棟前に何本か並ぶ桜の木の中で、一番咲き始めのものを近撮影。バックは臨床棟で、丁度脳外科教授室の窓当たりが写っている。

417これは、4/17(月)に、私の研究室の窓から上記の木を含む桜達を撮ったもの。左手にちらっと見えるのは、医学部看護学科の校舎。


4184/18(火)の、同じ桜を同じ場所から撮ったもの。一日でこれだけ、花が開いた。
一番開いた枝で7分咲きくらい。遅い木や枝はまだ蕾もある。

4194/19(水)、本日の桜。同じ木を同じところから撮影。更に花は開いて、枝によっては満開に近いものもあるが、木全体としてはまだ5分咲き位か。
今週末が見頃と思われる。

419_1今朝、早く、自宅マンションから目の前の公園にある桜の木を撮影。
ここは、まだ大半蕾。明日には開花するかも。

日々、花は成長している。そして散るのである。。。
ーー
コロンビアレコードのプロデューサー岡野さんのサイトをみた。
明日、4/20に故本田美奈子さんの遺作アルバムとも言えるCD『心を込めて、、、』が発売になります。
「心を込めて、、、」と言う言葉は、彼女が手紙の最後に必ず書いていた言葉だそうです。
本来なら、デビュー20周年の昨年4月に発売するアルバムが、病に倒れ闘病中であったため延期され、不運にも11/6帰らぬ人となり、この4月にデビュー21年(丸20年)で上記アルバムの発売という事になったそうです。
詳細は下記を。
http://www.okanonet.com/gsblog/index.php

「生きてるだけで丸儲け」
誰が言ったのだったっけ。若くして、才能ありながら、惜しまれながら逝った本田美奈子さんのような人に比べれば、仕事が忙しくても、苦しくても、ストレスフルでも、フルートが吹けなくても、生きているだけまだまし。仕事があるだけまし。与えられた仕事、ポジションを真面目に考えて責務を果たせばそれなりに意義はある。
・・・
でもフルートが吹きたいな。
オケの練習にも出たいな。。。

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2006.04.16

「ひっかる〜うみ、ひっかる〜おおぞら、、、」

NTT東○本の宣伝している、「光B FLETS」のTVCFでス○ップが歌う、あれ、です。
今の若い人の中には『エイトマン』を知らない人も少なくなく、あの歌が『エイトマン』の主題歌であったとは知らなかったという人もいます。わたしは、バリバリの、白黒テレビで観た(というより放送そのものが白黒だった?)『エイトマン』世代です。
設置申し込みをしていた、「光」が昨日我が家にもやってきました。これで、職場のIP専用回線通信と自宅の「光」とネット環境は整いました。こういう「私的」なブログなどは、職場の回線を使う事は職務違反かもしれないのでね。。。
ーー
 昨日は、旧県庁の立派な建物をそのまま改築保存した、「文翔館」の『議場ホール』でフルートとピアノの『デュオ・リサイタル』がありました。
先日の山響のコンサートでも触れた、A先生、こと山響首席フルーティスト足達祥治氏のフルートと地元中心にピアニスト・ピアノ教師・高校音楽科講師をしているT女史の二人によるリサイタルでした。
曲目は、順に
1 J.S. Bach:フルートと通奏低音のためのソナタ ホ短調 BWV 1034
参照(http://fweb.midi.co.jp/~ferner/midi/1034.html)
2 L.V. Beethoven:ピアノソナタ『テンペスト』
参照(http://6911.teacup.com/egashirasound/shop/01_01_07/b-022/)
3 F. Chopin:スケルツォ第2番
参照(http://homepage3.nifty.com/principe_de_plaisir/music/fc_scherzo.htm)
4 S.S. Prokofiev:フルートソナタ 二長調

 「議場ホール」は雰囲気の良いところで、客席数は椅子設置でせいぜい300。昨日は、予想を大きく上回る客数で、慌てて椅子を追加してもたらず、違う種類の椅子が追加されるくらい大入りで、身内(?)としても喜ばしい事でした。
4番目のプロコのフルートソナタ。これは、真面目にフルートに再挑戦を始めた3年前からの私にとっては、憧れの曲であり、「いつかは自分も、、、」と思っています。技術的に難しい事はもちろんですが、フルートの持てる可能性を最大限に発揮するような曲です。プーランクのフルートソナタとともに、この曲をレパートリーに出来たらカッコいいだろうな〜と単純に憧れます。足達氏は、少し体調不良のところを押しての演奏でしたが、そんなことは全く感じさせない、素晴らしいテクニックと音色で観客を魅了してくれました。Bravo!でした。
1、2、3はそれぞれに魅力的な曲ですが、会場の響きがあまり良くないのか、客が多くなりすぎて残響が消えてしまったためか、ピアノがフルコンでないせいか、なんとなくバランスが悪く感じました。
1のバッハは「フルートと通奏低音のための、、、」というタイトル通り、本来はフラウト・トラヴェルソにチェンバロと古楽器系の弦楽合奏で楽しむものです。ピアノ伴奏では、いくらうまく編曲してあっても「味」が違う感じでした。
たとえが悪いかもしれませんが、中華料理をごま油ではなく、エキストラヴァージンオリーブオイルで炒めたような感じでしょうか。演奏自体は素敵なんですけど、やっぱチェンバロの響きには敵わないな〜とあらためて思ったものでした。
ーー 
 リサイタルには、ハンガリー・プラハ・ウィーンの旅をずっと一緒したYS氏(足達先生の弟子の一人)も遊佐から来ていましたし、足達先生愛用のマテキフルートのNさんもいつものように埼玉からわざわざいらしてました。
その他にも、山響の団員がスタッフ、観客にたくさん見受けられ、みんなで盛り上げようとしている「愛」を感じましたね。私の前任地の病院長のY先生(この方には、医学部学生の時からテニス部の顧問のお一人としても、医師の先輩としても放射線医学の権威としても大変お世話になった。Y先生の推薦状を持って、学生時代に女子医大の放射線科を見学させてもらった事もあったな〜)御夫妻やその他の顔見知りにもお会いしました。

昨日も大学病院では脳出血の患者の緊急手術。
今日も、脳出血の患者の緊急手術。これらは、皆、若手中心でやっています。
出張中の教授に携帯電話の写真添付機能を使って症例の報告相談をし、休日ながらほとんど出勤している医局員間で連絡を取り合って、手術のセッティングをしました。私も医局にいたのですが、医局長から連絡相談を受け、手術に関するアドヴァイスを少ししました。
病棟では先週手術した硬膜動静脈ロウ(漢字が出ない)の患者の脳循環と脳波、術後血管撮影についてdiscussionし、患者の診察を行いました。

なんだか、大学病院での超多忙、超ストレスフルな生活に、なじめないながらも既に慣らされてきてしまった感がありますが、フルートの練習がほとんど出来ないのが一番悲しい事です。食事をする時間も惜しんで吹いていた、その時間すらとれない、というのは異常としか言いようがありません。
しかし、これが、日本の、救急を真面目に扱っている大学病院の、脳神経外科の実態です。
何でも、昨年の救急部への「救急車」による患者搬入数が1500件弱ですが、そのうち500件以上が脳外だったとのこと。一日2名弱の救急患者が「救急車」で脳外科に搬入されています。
救急車を使わずに来る急患もいますし、外来から入院になったり、他院から紹介されてきたりする患者さんもいるのですから、緊急患者数だけでも(その大半が重症または困難な症例ですし)大変な労働になります。
これらをすべて「勉強」と受け止め頑張っている若い医師諸君には頭が下がります。
昔、私も若かった頃はああやってがむしゃらに働いたのです。今もまだがむしゃらに働く事を要求されているのですが、これでは若い人に夢が与えられないのではないかと気がかりです。
つまり「医者を何十年やっててもK先生みたいにいつまでも忙しく働かないといけないのかな〜」ということです。
うちで一番忙しく働いているのは教授なんですけどね。

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2006.04.14

サクラ、サク

合格発表ではありません。
当地では、本日ようやく桜が開花始めました。
医学部の研究室の前も、結構立派な桜の木が数本以上あるのですが、今朝方見た時は蕾が膨らんでも「今にも」と言う感じだったものが、お昼過ぎにチラホラとピンク色の花びらを覗かせ始めました。
学生達の「わぁ〜!咲いてる、咲いてる!」という歓声で気がついた次第です。

さて、京都から帰り、脳外オケの練習に東京日帰りし、月曜からまた忙しく働いています。
大学病院は、教授の腕(手術の技術)や集学的治療における充実度(高度な手術器械、手術中ナビゲーションや放射線治療、化学療法等)を期待されて、関連教育病院を中心に難しい症例が集まります。
脳動脈瘤の患者でも、瘤の直径が25mmを超える巨大なものや、運動野や言語野の近くにある脳腫瘍、小脳や脳幹等の出血した脳動静脈奇形や血管腫、繰り返し化学療法の必要な脳腫瘍(脳の「ガン」)など、一般市中病院で扱うには荷が重すぎる、普通のレベルの脳外科医にはちょっと扱えないような重症で手術の難易度の高い疾患が集まります。
だから、一つの手術でも、用意するもの、考える事がたくさんあって、朝から始まっても深夜に及ぶような、手術時間8時間、10時間、12時間といった「大」手術がざらです。
医者の数は多いので、当然チームを組んで、みんなで分担しますから一人だけ疲れ果てるというようなことはありませんが、それでも大変です。更に、教授がまだ執刀しているのに、自分の仕事が終わったからと言って帰宅するという訳にもいきません。
結局、月曜は0時、火曜は22時半、水曜は夜中の1時半、というような帰宅時間になります。
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ちょっと花見には早いですが、それでも、今日は病棟の「歓送迎会」です。
手術も終わったし皆でお出かけです。
出羽

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2006.04.10

学生講義

の内容を書くつもりではない。
3年生のチュートリアル授業で『外科全身管理』の中の「脳神経外科的診察法その3:救急患者の診察法」を担当するように言われた。
学生に授業するにおいて、「方法論」なども大事ではあるが、そんな事をグダグダ述べるよりも「自ら考えさせる」ことが大事だと思う。
一番最初に思いついた事は、先日「無罪」判決が出た、通称『割り箸事件』である。
公的な判決が出ているのであるから、事件そのものに直接意見を述べる事は避けたい。

医師は人間であり、完璧、完全な医師など存在しない。しかし世間が、「完璧」「完全」な医師を望みそれが「当然」と思われるのであれば、まず医学部卒業生が受験する国家試験の合格者(=研修医になる者)は、「満点」を獲ったものだけにすれば良いのである。「できて当然」と世間から期待される医師は、皆完璧に優秀でなければならないのだから。
医学部を出たからと言って完璧にほど遠いから「研修」するのであるが、完璧を目指す候補生は完璧に近く優秀でなければ困るから「100点満点」を獲った者だけ医師にすればいいのだ。
そうすれば『ヤブ医者』は世の中から一掃され医療事故は、少なくとも医師に原因のある事故は「0」になるだろう。めでたし、めでたし。。。
(果たして、日本全国で8000人以上受験する中、一体何人が満点を取れるのか、知りたいものだ)

今年の医師国家試験は、丁度第100回というキリの良い数字であった。
受験者8602人中、合格者は7742人で、合格率は90%だった。合格者はおよそ「60点」以上をとった者である。逆に言うと、医学部を出ていながら60点も獲れない人達が1000人近くいるわけである。
日本という国家が与える資格として、試験の6割以上ができたら他人をメスで傷付けたり針を刺してもよい、と言っているのである。法的に認められているのである。一方、医師である者たちは、「4割ミスしてもいいんだ」などと考えながら医療行為をしている訳ではないが、100%出来なければ医療行為をしては行けない、などと決めつけられたら誰も「善意に基づく行動」など起こさなくなると思われる。
基本的に、医療行為というのは、「痛い」「苦しい」「困っている」「心配だ」という他人の状況を改善または消失させてあげる善意に基づく行動であり、それらを為すためには論理的に100%完璧である必要はない。ただ、「間違った事はしない、または避ける」という注意力というか気配りが必要ではある。

救急医療の講義をするにおいて、私は医学部の学生に、「シャーロック・ホームズ」のようになることを心がけるように話をするつもりである。相手の言動を注意深く観察し、またはもの言わぬ相手(=意識障害患者とか失語症とか)の「心の叫び」に耳を傾け、周囲の状況や背景を鋭く洞察して、「今必要な事」を判断し、的確にそれに対応する、ということ。
文字にするとぼやけてしまうが、注意深く思慮深く行動力があれば決して難しい事ではないものの、救急の現場でこれができるなら「ほぼ」完璧に近い。

「ほぼ」と書いたのは、これで「完璧」ではないからだ。なぜなら、人間は完璧ではないから。
医学の事を全分野について、全ての病気の病態について熟知していて、どんな緊急事態にも対応出来る医師など存在しない(と思われます)。
どうすればいいのか?
『三人よれば文殊の知恵』である。一人で一生に経験出来る疾患には限りがある。手術の経験にも限りがある。正しい判断、診断、治療を行うために、複数の医師で知恵と技術と経験を出し合い、情報を共有し、事に当たる事が大事である。そうすると「神の手」を持った一人の医師よりも、「普通の能力」の3、4名の医師のチームの方が良い結果を出せる事だってありうる。軽々に「チーム医療」などというつもりはない。
どちらかというと「当たり前」のことなのだ。己を知ればわかること、できることである。
自分の力、限界を知っていれば、自分一人で何でも出来る訳ではない事、自分には分からない事がたくさんある事、出来ない事がたくさんある事は当然分かるはず。でもそれは決して恥ずかしい事ではない。出来る人、分かる人を呼び集めるなり、電話で知識を伝授してもらうなり、相談するなりすればいいことなのだ。
「報・連・相(ほうれんそう)」だ。

「診察法」などという方法論よりもこういう考え方を学生には伝えたいと思っている。

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2006.04.08

ロッシーニとハイドン(+医療の事もちょっぴり?)

昨夜、京都から戻り、今日も土曜の朝から仕事。
クモ膜下出血の緊急手術で、教授が執刀である。大学の教授といえど、休日でも緊急手術にはいる。これが日本の脳神経外科の実態。
独立法人化したとは言え、大きな「くくり」でいえば、大学附属病院は国の機関である(それが証拠に、医療裁判等になると原告=患者さん側、被告=国、と言う図式になる)。国民の税金で運営し国民、市民の期待を担っている機関としての責任を果たすべく、教授自ら率先して夜中だろうが休日だろうが働いているのである。
常に「最高で」「最善の」医療を提供するためである。
そして、この「休日」や「夜間」のお務めに対しては、「お手当」が出ないのが大学に勤務する医師の実情である。
国立病院の医師ならば「臨床医」としての立場と給与体系であるが、国立「大学」「附属」病院の医師は「大学の先生(=教師)」という立場での給与体系である(文部科学教官と呼ばれる)。
一般の方は、その辺りの違いもご存じないと思う。「国立病院」と「国立大学附属病院」に違いがあるなんて分からなくて当然である。しかし、現実は全く違うのである。仕事の内容もちがうのである。
「国立病院」には原則的に学生がいない。医学部ではないのだから。県立病院、市立病院となんら変わりない。国が経営する病院ということである。
「国立大学附属病院」は、もちろん病院ではあるが、医師を目指す医学部学生を教育する場であり、夏期休暇等でない限り、常に学生(医学生に看護学生)がうようよいるし、若い研修医や指導医等医師の数が圧倒的に多い。大学生が医学を学ぶ唯一の存在、医学部にくっついている「病院」ということである。

教師という職業は、それが小学校であれ、中学校である、高校であれ、まして大学であれ、基本的な勤務時間はあっても、それ以外の時間に働いている事が少なくない職業である。たとえば、クラス担任として、学年主任としてはもちろんのこと、ブラスバンドだとか野球部だといった、「クラブ活動」の顧問や指導者としても自主的(?)な役割がある。土曜や日曜に練習がある。大会がある。発表会がある。クラブ顧問はそれを引率し指導し共に行動するが、おそらく時間外手当など出ないはずである。
教師の場合、日本全国どこに行っても、公立でも私立でも、よほど特殊な事情や契約でもない限り、土日に学校に出勤したりクラブ活動の指導を行っても「時間外手当」は出ないと思う。
同じように、大学病院の医師が基本的に「教官」(=教師)であるなら、時間外の手当なんて貰えなくても当然だと思われるかも知れない。
問題は、大学附属病院以外の医師、つまり私立、公立(含む国立)病院の医師は、多い少ないはあれど「時間外手当」が出るのが普通だという事。大学の医師と仕事の内容に差はない。むしろ、「大学病院」ということで、より難易度の高い手術の必要な患者が紹介されて来る事が多いので、疾患自体、患者さんそのもの、手術などすべて「大学病院」のものは「ハイリスク」であることが多い。
より難しい疾患を、長時間の手術で夜中までやって、土日に働いて、救急部に緊急搬入された患者を診察診断入院させても、当直医がもらう当直料以外、オンコールの医師や緊急召集をかけられて休みの日に出てきた医師には、「手当」が出ないのが大学病院というところである。これが、若い、勉強中の身ならばまだ「修行」のためという考えもあろうが、「教授」という重責を担いながら指導をしながら、夜中に、休みに、働いていることを「修行」とは普通思われないであろう。しかし、現実には「手当」は出ないのである。

ハイリスクーハイリターン(高い危険性を伴う仕事には高額の報酬、という当たり前の考え方)は、「日本の」国立大学附属病院にはまだ取り入れられていないのである。海外では当然"high risk, high return"である。
よって、一般市中病院の、まだ数年目の医師で、当直もオンコール緊急呼び出しも夜中の緊急手術もガンガンしている若い医師の方が、大学教授より収入が多いという不思議な事態が生じてしまうのである。
「問題」と書いたのはこのことある。
一般市中病院よりハイリスクであることが多いのに、「ローリターン」なのである。苦労が多くても報酬が少ない、それが当たり前という現実が容認されている世界なのである。
でもそれは、自らのプライドと「公」に奉仕する心を支えに皆頑張っている。報酬のために働いている訳ではない、という心である。
それこそ「noblesse oblige」なのである。
ーー
 タイトルは音楽の事。前書きは簡単に書こうと思っていたら、上記のように『ついつい』力が入っていつものように長くなってしまった。
 明日、脳外科オケの練習は、先日少し書いたロッシーニの「セビリアの理髪師から序曲」を学会懇親会席上用としてやるが、もう一曲、懇親会が始まるまでの前座演奏として「ハイドンのトランペット協奏曲」も予定されている。その他に2曲練習の予定である。ロッシーニは私はピッコロなので、フィンダのグラナディラとパリサンダーで練習しているが、プラハでフィンダ自身から選んでもらったパリサンダーはまだ一回も調整していないので、時々音程というか音色がおかしくなる。おそらくタンポが歪んでいるのかも知れない。
パリサンダーの頭部管をグラナディラの本体につけて吹いてみるととても調子良い。本番はこれで行くか?
ハイドンの方は、フルートは1管なのかまだよくわからないが、一応フルートの練習をしておく。
ピッコロだけなら荷物も少なく(なにせ上着のポケットにはいってしまう)楽なのだが、フルートが吹けないのは寂しいものである。
弦、特にチェロの人達等、自分の背丈に近いケースを引きずって練習場に駆けつける訳であるが、飛行機で移動しようとすると楽器のためにもう一人分の料金をとられてしまう。新幹線でも座席が空いていれば良いが、ない場合は苦労されるらしい。コントラバスは最初から自らの移動は諦め、現地調達、どこかからレンタルして来る訳である。大きな管楽器、たとえばトロンボーンなども移動は楽ではない。皆、そういう思いをして集まり練習しまた地元に戻って行くのである。
それもこれも、皆、音楽が好き、オケが好きだから。それに尽きる。
明日、また音楽の好きな仲間達(仲間等と恐れ多くて言えないような偉い先生方もたくさん来る訳ですが)に久しぶり(昨年10月の横浜での学会以来)に会えるのが楽しみである。

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2006.04.05

今日は盛岡、明日は京都

ブログのサブタイトルに「彷徨える」を加えて数日経った。
仕事の上でも彷徨う感が否めないが、三次元の世界でも彷徨っている。
今日はお仕事で盛岡へ日帰り、明日は医学部進学式の後、伊丹へ飛び京都入り。明後日には空路戻って来る。
京都でゆっくりお花見?折角久しぶりに関西に出かけるのにそんな分けにも行かない。
烏丸線の電車の窓からどこかの桜が愛でられるだろうか?あ、地下鉄だっけ?
ーー
京都へとんぼ返りして来たら、9日(日)はまた東京へ日帰りである。
これは半分仕事、半分遊びのようなもの。
以前にも少し触れた事があるが、日本の医学系学会の中でおそらく独自のオーケストラ団を持つ唯一の存在である、『日本脳神経外科学会オーケストラ団』、横文字呼称は"Musica Neurochirurgiana"の練習が東京である。
5月に東京で開催される第26回日本脳神経外科コングレス総会の懇親会で会員や招待者を前に、今年はロッシーニ作曲「歌劇『セビリアの理髪師』から序曲」を演奏する。その他にも数曲練習する予定になっている。
ほぼ全員が現役の脳神経外科医。中には大学の学長、医学部教授、病院長、施設長などの重職を担っていらっしゃる方もいる。家族の方も数名「団友」と言う形で入ってはいるがほぼ脳神経外科医のみで構成されたオーケストラである(さすがにパーカッションはいないので、エキストラになりますけど)。
南は鹿児島から北は仙台、山形まで全国各地の脳外科医有志が、管弦楽団を形成すべく参集する。楽譜を送付して個人練習をしていても、さすがにぶっつけ本番でアンサンブルが出来るはずがないので、5/13の懇親会での演奏本番に向けて、4/9に一回東京に集まって練習をするのである。そして、本番直前に学会発表や先生によっては座長等の仕事の合間をぬって集合してリハーサルをやる。
結局、全体練習は2回、多くて3回くらいしかできない。
これで十分な訳はもちろんないのだが、各々の先生方が「予習」をしてきていることと、指導の早川正昭先生が上手くまとめて下さるので何とか形にはなる。
秋には毎年「日本脳神経外科学会総会」が行われるのであるが、会長の意向にもよるけれど、開会式典での祝奏や懇親会での演奏がある。これも前もって配布されたパート譜で個人練習を積んで、本番前に1、2回リハで練習をするのだがこれで十分な訳がないので、事務局長をされているS医大脳神経外科教授M先生の発案で何年前からから年に1回合宿を行っている。合宿と言っても単に1泊2日で、全体練習をするわけであるが、なんだかんだで実質の練習時間なんてトータルで6時間くらいしかとれない(皆、全国から集まって、また各地に戻って行くのだから)。それでもいきなり本番直前というよりは、合宿をする事によって問題点もわかるし練習への意欲もわく。
早川先生がお世辞半分いつも驚かれるのは、我々の集中力と本番で力を発揮する能力である。まったくの手前味噌であるが、普段全然一緒に練習していない者同士が突然集まって管弦楽をやるなんてはっきり言って無理なはずなのだが、脳外科医の集団はそれを実行してしまう。聴いている人達にとっては、「、、、」というところもあるかも知れないが、所詮プロではないし普段脳外科医として臨床にその他に活躍している者の集団なのである。
これは、脳外科医として若い頃から厳しいトレーニングを受け、チーム医療を実践し、緊急事変にスムーズに対応し難局を乗り越える訓練を受け術を身に付けていて、顕微鏡下手術という非常な集中力と精神の安定を必要とする微細な手技をこなしているという、職業上の鍛錬によって音楽、オーケストラという場面においても、集中力や本番の強さというものを発揮しうるのではないかと思う。
ーー
まあ、そんな感じで彷徨っている。
この文章も書き始めてから途中で仕事がいろいろはいりながらなので、文章として一貫性がないような不安感があるが、もうそろそろ出かけなければならないので今日はこの辺りで。

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2006.04.04

梅は咲いたか、桜はまだかいな、、、

こちらの桜開花予想は来週末の4/15です。見頃は再来週と予想されています。
もう散り始めた地方もあるのでしょうが、というわけで、音ブログも模様替してみました。
こんな事でもしてみないと、この『閉塞感』に耐えられなくなりそうで。。。(^^;

そういうことで、3/12(日)に演奏した(もちろん私はフルート)ショパン作曲ピアノ協奏曲第一番のライブ録音を音ブログに公開し始めました。
興味のある方はこちら↓をクリックしてどうぞ!
Chopin:Piano Concerto No.1-1a
続きは
Chopin:Piano Concerto No.1-1b

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2006.04.02

新天(?)地

 ということで、ブログデザインを変えてみました。
 本当はこのデザインではない、別の物にしたかったのですが、ブラウザーをSafari, Internet Explorer, FireFoxといろいろ変えてみても、デザイン変更が上手く行かないため、「暫定的に」このデザインです。
 音楽の話が多くなると思われるので、内容にはあっているのですが、私balaineという人間にはあまり似つかわしくない可愛らしいデザインなので、本人としてもちと御不満であります。
ーー
 いろいろ、コメント書いて下さった皆様、こうしてまた現れてみましたがいかがでしょう?
でも内部でもこのブログは知られているようなので、やはり「やばい」ことは書けませんし、個人情報保護に神経質に留意しなくてはならないと思います。

3/30、31で自宅の引っ越しを完成しました。ベッドがあるので寝ることは出来ます。
台所用品は段ボールに入ったまま台所を占拠しているので、コーヒー一杯入れるのも不自由です。
元々置いてあった冷蔵庫が、どちらからも扉の開くタイプだったので、こういう狭い状況にピッタリで良かった。

3年間の間にはからずも4回も転居をしたため、荷物が増えてしまいました。普通は引っ越しの度に荷物が減ると思いますよね。思い切り良く捨てられる人なら。
現状は、大きなテレビが2台(一つはブラウン管、一つは液晶)、小さなテレビが1台(液晶)、冷蔵庫は一台リサイクルしたので元々源マンションに置いてあったもの、テーブルは椅子付きの食卓/コーヒーテーブルが2つ、座卓が一つ、コタツが一つ。掃除機が2台に、クイックル○イパーが2本。。。
といった調子で、物がたまり溢れかえっています。更にここに荷物が増える予定があり、その際に思い切っていらないものを捨てなくてはならないでしょう。

本日は日曜なんですが、引っ越し荷物を片付けながら日常の体制を整えるべくいろいろやりたいことがあるのですが、午前中から仕事(?)です。一般市中病院と違って、出張しているドクター以外は日曜にもかかわらず全員大学に来て仕事をしています。それが大学というところです。
脳出血の急患が来て、ドクターA&Bは緊急定位脳手術をやっています。(この記事を書く前に無事終了)
明日の手術のため、別のドクターC&Dは電極を設置する仕事もしています。
ドクターE&Fは病棟と医局で仕事をしています。教授も教授室にこもって仕事中です。
日曜のお昼ご飯は近くの食堂からの出前。教授も含めて8人分。医局で昼食です。

3年ぶりの大学&大学附属病院での日常の仕事ということを、日曜日に医局に出前を取ってチャーハンなんか食する、という何一つ前と変わらない悲しい(?)事実から強く実感させてもらいました。
ーーー
昨日は、多少天候を気にしながら(4月になったというのにとっても寒い!雪もちらちら舞う!)、アマオケの練習に参加しました。今年の秋の定期演奏会は、ソリストの都合もありいつもの11月ではなく12月3日になっています。メインは「ドボ8」。つまりドボジャーク作曲 交響曲第8番作品88です。全部8の末広がりで縁起良さそう、なんてのは日本人の勝手な発想ですね。
楽譜は、山形交響楽団も使っていたものらしい。 "Symphony No.4"と書いてあります。

「エ?ドボ8なのに、4番?」
ドボジャークは『新世界』という別名で有名な交響曲第9番まで、数字通り9曲の交響曲を作曲しました。
しかし、貧しいフィドラー生活の中で作曲していた初期の作品は生前は陽の目を見なかったのです。
交響曲1番から4番までの4曲は、ドボジャークの死後に印刷されて世に出ています。ですから、元々、現在の交響曲第8番を「4番」と呼んでいたため、その名残が出版社によっては "Symphony No.4"という表記のまま、ということになるのです。
この曲は、一楽章一楽章たっぷりの内容のかなりヘヴィーな料理のしがいのあり過ぎるくらいの交響曲です。フルートも諸処に大活躍します。4楽章冒頭はトランペットのファンファーレが輝かしく鳴り渡ります。3楽章は、弦があま〜いメロディを奏でます。これから7ヶ月ちょっとかけて定期演奏会へ向けて作り上げて行く訳です。
ヘタッピィの素人の集まりなので、人からお金を獲って聴いて頂くためには、準備にかなりの時間が必要なのです。しかも、皆、会社員、農業、教師、医師、主婦等をしながらなので、週に一回の全体練習が関の山。毎週真面目にやっても12/3までは、あと34回、土曜日がありますが、お盆、休日、その他でいくつかつぶれます。
「30回も合わせてやれば素晴らしい物ができるでしょう?!」
そう信じたいです。そう信じてやっているのです。なんとかなる?でしょう。。。
でもそれより、私は今年は定期演奏会、出られるでしょうか?
いろんな行事のある大学、11月には学会もあります。
1曲くらいは出演したいな。。。。。

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