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2006.03.17

WBC

ボクシングではありません。World Baseball Classicのことです。
私は、個人的に野球は好きです。
博多生まれですから、元はバリバリの『西鉄』ファンでした。稲尾が現役で投げたのを「平和台球場」で観ています。王、長嶋要する巨人軍とライオンズが平和台で闘ったのも、読売・西鉄連合軍対「ホワイトソック(だったとおもう)」が闘ったのもこの目で見ています。

うちの大学の医局は、野球を真面目にやっていて(「脳外科の父」と言われる、Dr. Harvey Cushingがテニスと野球が好きだった影響もあって、日本の脳外科医は野球を好む)、シーズン中は、毎週木曜の朝6時(!!!)から、グランドで「朝練」したりもする。当然、ユニフォームもマイシューズもマイグラブも持っている。

WBCでの日本の戦いは昨日で終わってしまった。選手は一生懸命やったのだから、負けたのは残念だけど健闘を讃えたい。勝負は時の運もある。
しかし、ニュースにもなっているように、運営と言うか、WBCの成り立ちに対する考え方自体がどこかおかしいと思う。「野球のワールドカップ」を自負しているらしい。野球、ベースボールって世界何カ国でやっているのでしょう?「世界規模」での戦いが成り立たないから、オリンピックからも消えてしまったのではなかったでしょうか?
元々、米国で生まれ、米国に縁の深い国に広まっただけなので、ヨーロッパの人々はほとんど関心がないと思います。「あの」タッチアップの判定にしても、関係する国のメディアで流れただけでしょう。おそらく、ヨーロッパの国々や関係ない国では、テレビでも新聞でもWBCの「ワ」の字も出ていないと想像されます。

私も日本人ですから、オリンピックやサッカーワールドカップやWBCでは当然日本選手を応援します。
2/15の『オリンピックに寄せて』で書いたように、しかし、行き過ぎたナショナリズムは大嫌いです。
昨日の夜のニュース番組で、なぜ韓国がこんなに強いか(ただ一チーム、予選から一敗もしていない)ということを解説する中で「人参作戦」というのが報道されていた。ベスト4以上になれば選手の「兵役免除」を政府(軍?)が検討しているという事だった。日本のように兵役のない国では実感がわかないだろうが、若い男性にとって、学問やスポーツや芸術に打ち込んでいる20代の大事な時期に兵役義務で2年間以上の時間を「失う」のはとても大きいものだと思う。もちろん、2年間の兵役義務をきちんと果たし、その上で、さらに自分の道を究めるために努力している人も大勢いるであろうが、本音を言えば「兵役なんて行ってられるか!」だと思う(誰も言わないでしょうけどね)。
日本のテレビ局の街頭インタビューに、韓国人の兵役経験者の若い男性ですら、「彼らは国家のために闘ったのだから兵役免除は当然だと思う」という発言まで聞かれた。
え〜!韓国の野球の選手って、大韓民国という国家のために野球をやってるんだ!、すっげぇ〜。
ワールドカップの時、イタリアなどを破ってベスト4になったサッカー韓国代表チームの選手は兵役が免除になったと聞く。かれらも「国のため」サッカーしたんだ!

野球やサッカーの日本チームの選手だって、「日本代表」の誇りを胸に、「日本という国の名誉にかけて」闘ったとは思うけれど、「日本という国のために」野球やサッカーをしてきたりした訳ではないと思う。
たかがスポーツである。何かおかしくないか?!
だから、私は、サッカーの応援などに見る、行き過ぎたナショナリズムを考えさせる応援活動というか興奮というか暴動などが嫌いなんだ。
人間には、動物の一種として本能的に闘争心、征服欲、支配欲のようなものがあるのは否めない。しかし、それを知性と理性によってコントロールするのが「人」と「人」との「間」に存在する価値なのではないだろうか。スポーツの勝ち負けを見て、興奮し喜び悲しみ、一喜一憂するのも悪くはないと思う。好きなチームの勝ちを祈り、一方ではライバルチームの負けを期待したりする。どこかの文部科学大臣ではないが、「ス選手がこけた時は、やった〜!って思いましたね」って気持ちは、下世話な一人間としては理解出来る感情である。
しかし、これが、米国憎し!韓国憎し!という感情になったり、韓国人にとってみれば「宿敵日本を打ち破ってアジア、そして世界最強を証明する、国の誇り!」とか、そういう気持ちになるのは何故避けられないのだろうか?

タッチアップセーフの判定を覆した審判は確かにアメリカ人だ。WBCを呼びかけ実施しているのもアメリカ人だ。しかし、問題は、あのアメリカ人の審判が「×」だっただけで、アメリカという国そのものが「×」なのではない(それは、日本に比べて「×」な面はたくさんある国であるが、日本にだってたくさん「×」あるでしょう?)。でも、スポーツの結果を、国威発揚や国の威信に絡めてしまう「大韓民国」という国は大変危険な国であるという印象を持たされる。それは中華人民共和国も同じである。真の意味での「自由主義国家」とは言えない(あ、もちろん中国は共産主義の国ですしね)。韓国に関しては、あのような騒ぎ(国の誇り、兵役免除、等々)を見ていると、共産主義国である北朝鮮とそんなに変わりのない国にさえ見えてしまう。
全ての人々がそうではないと信じる。韓国にだって、真の自由民主主義を理解し、知性と理性に溢れた人達がたくさんいるはずだ。報道というのは一部だけを誇張する事が多いから、その報道を受け身で見てしまう我々自身が理性を働かせ、考えなければならない。
こうしてみると、マスコミ、というのは、分かってはいる事だけど、本当に恐い存在である。マスコミの「公共性」とか「社会性」という言葉が、あのライブドア事件の時にも言われていた。公共的な存在であるマスコミを株売買で支配するような対象にしてはならない、という件である。そりゃそうだ。しかし、今、管理運営しているマスコミの偉い人達が、真に公共性、社会性を理解してやっているのかどうか。怪しい面も見られる。

そして、報道が国によって規制される北朝鮮や中国は当然(?)、そうではないはずの韓国ですら、自国の優位性であるとか、国威発揚ニュースを大きく取り上げるきらいが見られる。大丈夫なのか?
日本が軍国主義に陥ったのは、マスコミが国(軍)によって統制されたからではなかったのか?

WBCの報道を見て、そんな事を憂いている。
ーー
「終わった」と思っていたWBCですが、なんとなんと米国がメキシコに1−2で負けてしまい、日本が準決勝進出を決めたようです。米国が負けたのも驚きだが、この試合で、また「あの」タッチアップをアウトにしたD球審が一塁塁審をしていて、メキシコのボール直撃ホームランを2塁打にしちゃったようです。
マイナーリーグ審判の彼には、このWBCで(米国野球界に)認められればメジャーリーグ審判への復活の道でもお膳立てされているのでしょうか?おかしな話です。
WBCの存在意義が一人の審判によってほぼ消滅しているとさえ言えます。

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コメント

テレビは茶の間に一台の時代に育った私は野球放送とボクシング中継の時間は大嫌いでした。他のチャンネル見せてもらえませんでしたものねえ。
野球のルールを覚えたのはなんと大学に入ってから。彼が高校時代野球部で、一から勉強、最後にはスコアブックを付けられるほどに。ふ~っ、ほんの30年前の過ぎ去りし青春の日々ですワ。
ところで、なんかイチロー変わりましたね。無言のコマーシャルから台詞アリに変わったし、今回はインタビューにも度々登場。サッカーの試合後の中田英寿とダブりました。イチロー、表情出すようになった。笑顔も悔しい表情も間(ま)も、とても魅力的!何が彼をそうさせた!? 

ひょっとして国際規模のスポーツにおいて国家を意識しない方が少数派かもしれませんよ。民族性とか価値観とか宗教とか、国家が認めるスポーツの位置付けの違いはどうしようもない気がします。アメリカの掲げる正義、中東でジハードと受け止められる日は千年たっても来そうにないし。全てがそれぞれなんです。移民国から大国にのし上がった国、常に国境に緊張感を持つ国、かつて文明の地であったことのプライドを固辞する国、そして周りを海で囲まれた国etc.
「万障繰り合わせてご出席頂いて~スポーツを!」の音頭とりの効果も最近はアヤシイ。なんかギスギスしてきた感あります。スポーツだけで無く、国際社会を意識すればいろんな事がもう目詰まり状態のような…閉塞感の中にいるような…
日本は確かに「のほほん」で外交下手ですが、それが日本なんでしょうねえ。これまた国民性でして策士がなかなか現れない。まっとうに生きてれば、ちゃんとお天道様は見て御座らっしゃる、と言う具合に国家間もいくといいんですがねえ。
WBC、そのうちアメリカの熱が冷めて、もっともらしい理由つけて、「や~めたっと!」にならなけりゃぁいいのですが。

投稿: ダブル | 2006.03.18 00:15

ダブルさん、私は高校大学と9年間テニスをやってました。最近やってないのですが、テニスというスポーツ、基本的に「大好き」にはなれなかったんですね。
凄いサービスやスマッシュには憧れますが、低レベルで「相手に勝つ」ためには、一球でも相手より多く返すこと、真ん中に返しても相手がミスすれば勝ち。相手の厭がるところへボールを打つのがテニスの勝負の基本。ドロップショットやロブなどで相手の予測を覆したり裏をかいたり。
スポーツでは当然の事ですが、それも技ですが、勝ち負けを争うためには「せこいこと」「こすいこと」をするのが当たり前、というのがどうも「大」好きになれない理由のように思います。
そこへ行くと、音楽はいいですよ。コンクールは「争い」ですが、「国を代表して演奏する」とかはありません。ポーランド人でもロシアの曲を、チェコ人でもドイツの曲を、韓国人でも日本の曲を演奏します。そこには(ほとんど)国と国の争いとか、国家の覇権とか、威信とかは存在しないと思います。
「鳥の歌」を演奏した時のカザルスの言葉を世界中の人々、特に争いの絶えない地域の指導者に聞いて欲しいです。
http://www.voiceblog.jp/balaine/52480.html

投稿: balaine | 2006.03.19 13:02

「こすいこと」…あはは、活字にすると妙な按配ですね。佐伯では「こしけーこと」、あは、もっと変だ!
毎日ひげ鯨さんのフルートを聞いてるせいか、どうやらそっち方面に開口部ができたようです。今日友達が送り迎え付きで吹奏楽の定期演奏会に誘ってくれました。ふらふらっとノッテしまいました。「ねえ、吹奏楽とオーケストラはどこが違うん?」と、そのピアノ教師をしている友達に尋ねるお粗末なレベルの私ですが、楽しかったですよ。家族向けに選曲もあらゆるジャンル。バーンスタインあり、フランツ・レハールあり、ディズニーのプリンスメドレーあり、サザエさんあり、アニトラの踊りあり、ミス・サイゴンあり、長淵剛の乾杯ありで。前の席の姉妹が楽しそうなのが見ててニコッ、でした。
あっ、そうか、SWING GIRLSも、東京スカパラダイスも吹奏楽なんだ!と。(あれ、でもスカパラはオーケストラって付くな???)
知識、すんごい低レベルですが、音楽はどこの国のでも十分楽しめます。

投稿: ダブル | 2006.03.19 19:03

>「せこいこと」「こすいこと」をするのが当たり前
 と言う点では、テニス以上に嫌われる、バドミントンをやっていました(笑)。
せこい事するためにも、技術がいりますし、技術を支える体力も必要で、また、相手が何処にどう打つのか予測するといった判断力も必要で・・・(ありゃ、言い訳がましい・・・)
 お互い全力を尽くし、精一杯頑張って、勝ち負け関係ない気分の良い試合というのは、1度しか経験してませんね。「いやらしい、ずるい、ひきょう」と言われるバドミントンと言うスポーツを互いに持てる力を出し切って、互いに悔いなく。勝ち負け関係なく。試合終了時に心から「ありがとうございました。」と言い、笑顔で握手して。そんな試合は一度だけ。なんか不思議な試合でしたな。あの時は勝ち負けなんか忘れていたと思う。何もなく真剣に試合に臨んでいたような気がする。
まあ、バドミントン自体、「いじわる・・・な」スポーツなんですがね(^_^;

ふと、バドミントンも昔はいろんなフォルトがあり、サーブの時だけでもいろんな制約があり、面倒な部分でもあったのだが(打つもうも返すほうも)、それが緩くなってきているそうだ。規制が緩和されるのは良いが、段々、試合がいい加減なと言うか。行儀が悪いと言うか、真剣みがなくなってしまうような気がする。勝ち負けだけの無法地帯に突入してしまったような・・・。

勝敗を決めるためにスポーツをするのではなく、スポーツ自体を楽しみたい(試合に臨む態度がいいかげんなのは、相手に対して失礼なので論外だけど)。音楽もスポーツも相手あってこそだとも思うから、互いに気分よく楽しみたいと思う。

投稿: むかご | 2006.03.19 19:59

ダブルさん、むかごさん、
まあ、スポーツも音楽も「観客」は楽しめればそれでいいのです。その楽しみ方は人それぞれであり、ピッチャーの過去のデータをすべて頭に入れているオタクレベルの人から、「バッターって打ったらなんで右にしか走らないの?」というレベルの人まで様々で良い。音楽も、その曲の作者のことはもちろん、どこで何をしている時に作曲されて誰に献呈されたとか、そんなことまで詳しくてももちろんいいし、モーツァルトって生誕250年祭ってまさかまだ生きてるの?などという人だって、純粋に楽しめればそれで良いと思います。
スポーツだって、せこい、と私が思うのはせこいプレーをしないと勝てないような低レベルだったからで、たいていの人は純粋にスポーツを愛しもっとさわやかにプレーされているのだと信じています。
 僕自身の経験で、一試合4時間40分かかったテニスの試合がありました。大学医学部のテニス部の対抗戦(団体)で、わたしにポイントがかかって、つまりその試合に勝った方が団体の勝ちという状況でした。雨も少し降っていました。相手のいないところへ打つというよりは、試合の中盤以降はミスをしないため、相手の正面であろうがなんであろうがもっとも安全性の高いショットをお互いに繰り返し、相手がミスをすると「よし!」という感じの試合。でも、4時間40分の末(幸い私が勝てた)、試合終了時には勝った喜びよりも、お互いこんな長時間良く頑張ったなと相手を尊敬しあう気持ちになっていました。そんな試合も経験した事はありましたね〜。およそ24年位前の話です。

投稿: balaine | 2006.03.19 20:36

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