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2006年3月

2006.03.30

お断り

3月30日です。
3月もあと1日で終わりですね。
春は、別れ、そして出会いの季節。
私もこの病院と別れ移動します。
先程、最後の予約患者さんの診察を終えました。これから、パソコンを片付け、家に帰って引っ越しであります。
今度、ここに記事をアップするのは未定です。
未定ということは、明日かもしれませんが、来週京都で学会があり、引っ越しに加えてその準備もありますので、まあ、早くて来週、遅いと再来週くらいになるかもしれません。

平成17年の1月から、どうするつもりも深い考えもなく始めたこのブログですが、いろんな人に出会えいろんな人の声を聞けて大変勉強になりました。
7月から始めた、ケロログの音ブログでも、「こうなったら、、、」と意地を張ってやったところもあります。
4月からの「新天地」で落ち着いたら新しい視点で続けてみようと思っています。
読み返してみると、我ながら、結構良いこと書いてるんだよね〜。
(これが、典型的な『自己愛型人格障害』ですか、、、)v(^^

しぇばの!

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2006.03.27

山響演奏会感想

Yamakyoprog1 3/25(土)、山形市の山形テルサ大ホールで行われた、第171回山形交響楽団定期演奏会に出かけた。
曲目は、3/24のブログに書いた通りである。写真は、終演後高木綾子さんにサインを頂いた当日のプログラム表紙です。

飯森さんが山響のミュージックアドヴァイザー兼常任指揮者となってから必ずやっている事の一つに、演奏会直前の「プレトーク」というのがある。この日も、開演時間19:00丁度に誰もいないステージに飯森さんが登場。
挨拶と当日のプログラムの解説を軽快になさった。しかも、嬉しい事に、フルートソリストの高木綾子さんをステージに呼び、2日前からリハのため山形入りしていた高木さんと、「昨日はどこどこの蕎麦屋に行った」とか「昨晩は、どこどこの焼肉屋にいってスタミナつけた」とか「ついでに日本酒の品評会(利き酒会)に招かれたので、美味しい山形のお酒をたくさん(少量ずつ多種類(笑))飲んだ話など、演奏以外のことを楽しく話して下さった(このお蕎麦屋さんや焼肉屋さん、さらに利き酒会のことは、高木綾子さんのブログ(左下「音楽関係」のリンク)にも写真入りで出ています)。
飯森さんはいつもこのように「サービス精神」満点である。とっても得した気分にさせてくれる。

2曲目イベールのフルート協奏曲に登場する予定の高木綾子さんは、綺麗な濃いめのブルーのドレスでとても品があって素敵であったが、以前から某ファンサイトの掲示板でもいわれている「菅野美穂似」と言われる可愛らしい声で、飯森さんの質問などにも積極的に応えて下さった。ちなみに、あまりご存じない方のために、タレント菅野美穂さんは、様々なドラマなどに出ていますが、お茶の間で一番有名なのは出○石○という、『題名のない音楽会21』の主スポンサーのTV CFでウルトラマン相手に恋人役やそろばん教室の先生役で出ている可愛らしい女性です。も一つちなみに、マエストロ飯森範親氏は、この『題名、、、』に指揮者として頻繁に登場します。過日書いた、故本田美奈子さんがこの番組で歌った時の指揮者も飯森さんでした。
クラシックの音楽会で、その奏者がどんな服装をしているとか、どんな声で喋るとか、何の話をしたとか、こういうことは、パフォーマンス(=演奏ということ)そのものとは全く関係ない。しかし、クラシック音楽のファン層を拡大しもっと広めて行くために、こういった活動も大切だと思う。音楽には絶対にヴィジュアルな要素もある。特に現代では、ディスクが売れるとか、演奏会のチケットが売れるとかいう事は、必ずしも実力と比例しない物であるが、テレビ時代、マスコミ時代にヴィジュアル的にも利点を持っている、飯森さんと高木綾子さんならでは素晴らしいパフォーマンスであったと思う。こういうパフォーマンスに眉を顰める人もいるかもしれないが、私は声援を送りたい!

そして、1曲目。ハイドン作曲の交響曲第85番『王妃』。
「交響曲の父」には申し訳ないが、ハイドンの曲ってなんだかどれも似通っていて、聴いただけで何番だったか答えられる程精通していない。でもこの『王妃』、第1楽章の出だしは、まるでモーツァルトの『魔笛』の序曲を思わせる始まりである。クラシック通でない人に、「この曲はモーツァルトの作曲だよ」と言えばそう信じてしまわれそうな曲想である。
山響は、弦パートを中心に、創立時とは大分メンバーが入れ替わった。若い人が多い。
弦パートだけのアンサンブルとしてもまだまだ課題はたくさんありそうである。でも、まず音が澄んでいて美しかった。細かいアルペジオが合う、合わないよりも、まず「音程があっていて音が澄んでいる」ことはとても大切だと思う。これから飯森さん始めいろんな人の指導によって、より高いレベルに上がって行かれる事を期待している。
モーツァルトそっくりのハイドンの曲だから、ちょっとしたアンサンブルの乱れにアラが目立つ訳であるのでこれは仕方ない。でも「爽やかな」演奏だった。
期待していた第2楽章。直前に、私のフルートの師の一人であるA先生から「ちょっと体調がすぐれないので、ハイドンは降ります」という情報を貰っていたので驚きはしなかったが、フルートはスコア指定通り一本で、普段セカンドフルート&ピッコロのT女史であった。フランスの古い民謡「やさしくて若いリゼット」という歌を主題にした変奏曲形式で、この民謡を、後に断頭台の露と散った、王妃マリーアントワネットが好んでいたなどと言われている。第1変奏部ではフルートが大活躍するので、A先生の美音を楽しみにしていたのだが、いつもA先生の横で控えめにセカンド担当しているT女史の演奏が聴けて良かった。
第3楽章メヌエット、第4楽章ロンド・ソナタ通して、実に生き生きとした瑞々しい飯森氏の棒と、爽やかな山響の演奏に惹き付けられた。細かい事を言えばキリがないのであるが、ハイドンの交響曲がこんなにも楽しく聴けたのは初めてで、そういう意味で素晴らしい演奏であったと言える。
終わった瞬間、大袈裟ではなくホールに、サ〜っと爽やかな春風が吹いたように感じられた。

Yamashinat1(写真は、3/26山形新聞「社会面」に大きく載った綾子さんの写真入り記事。初日はこのドレスでした。)
さて、いよいよお待ちかねの2曲目、イベールのフルート協奏曲。これを生で聴くのは初めてだった。
ディスクでは、ランパルとパユを持っている。一昨年、N響をバックにサバリッシュの指揮で、ベルフィル首席のエマニュエル・パユ(高木綾子さんもマスタークラスを受講するような世界トップのフルーティスト)がサントリーホールで吹いたのはHDDに入っている。なので、予習をしてあった。楽譜も持ってるしね(笑)。
いろいろな感想がある。でも一言で言うと、大袈裟に過ぎるかも知れないがこの曲は、「高木綾子のために作曲された」んじゃないか、と勘違いしてしまいそうな演奏だった。
上に、「菅野美穂似の可愛らしい声」とわざわざ書いたのは、高木綾子ファンなら知っている、彼女のそのフルートの音色の、力強さ、太さ、倍音の豊富な重い、芯のあるパワフルな音と対比させるためである。
CD『海へ』の紹介の時にも書いたが、知らなければ男の人が吹いていると思うようなパワフルさである。
第1楽章の、跳躍の多い部分、一つ一つの音のいわゆる「粒立ち」が素晴らしかった。パユの一音一音の輝きも素晴らしいが、高木綾子さんの音は本当に一つ一つの音の「音出し」練習の延長のように、綺麗に全ての音価に等しいパワーが与えられていた。演奏後に飯森さんも言っておられたが、個性の強い音色の高木さんだけれども、「私がソリストよ!」というような独善的な演奏ではなく、オケとのアンサンブルをとても大切にしているのがよく理解出来た。ある意味、少しお互い探っている感じもしたけれど(リハもゲネプロもやっていても、客の入ったホールでの本番は初めてな訳であるから)。
第2楽章。これは、はっきりいって、ランパルよりパユより高木綾子に軍配である。あういう叙情的な、情感たっぷりの低音を吹かせたら、彼女の右に出る者はいないのではなかろうか?高木綾子さんによるイベールの第2楽章を聴いたら、パユの演奏が軽く感じられる程であった(といってももちろん私はエマニュエル・パユ氏をフルーティストとして大変尊敬し憧れていますよ)。コンサートミストレス犬伏亜里さんとの「愛のデュエット」の中間部の素敵だったこと。彼女のイベールコンチェルトのディスク、早く出ないかな〜、と思わせる演奏だった。
第3楽章。御自分のブログでも「スタミナ切れ」と書いておられたが、確かに途中怪しい部分や乱れもあったようであるが、ほとんど気にならなかった。パリ人の南欧、スペイン趣味というのか、そういった変拍子の明るい動きの速い、技術的に難しい楽章である。確かに吹ききるのには、「体力」がいりそうである。高木さんは循環呼吸が操れるのでよく分からないけれどもしかしたら使っておられたかも知れない。息継ぎ的にも厳しい部分が多いし、なかなか休めない楽章である。その中でカデンツァ、これは特筆に値する。ランパルだってパユだって当代一の名手である。さすがに彼らのカデンツァは素晴らしい。しかし、高木綾子さんのは何というのか、「カッコいい」のであった。
これがフルートから出る音なのか?!
会場の聴衆でフルートにそんなに詳しくない人はそう思った事であろう。「バリバリ」とか「ジョリ」っと擬音したくなるような、そんな摩擦感の強い重く豊かな音であった。それこそ『海へ』の中で吹いているアルト・フルートの音を思わせた。
高音から降りてきながらフラッターツンゲ(ルルルルルと舌を震わせる吹奏法)では、思わず「かっこいい!」と声を出しそうになって唸ってしまった。自宅に帰って早くフルートが吹きたくなってたまらなくなった。
最後のハイトーンは、ホールの中にしばらくとどまってそのまま天に昇って行ったような感じで、本当にブラボー、bravo!であった。

3曲目。「アルルの女」第1、第2組曲。
8曲全ての解説は避ける。何というのだろう、飯森さんはもちろん、山響全体が生き生きとしていて、聴いていて楽しかった。A先生の、メヌエットのあの美音も聴けたし、T女史のピッコロも素敵だったし、トラのOさんのサックスも格好良かった。この曲を締める大事なパートであるパーカッションも素晴らしく、マエストロも最後に2回、指名して拍手をしていたくらいであった。
オケの中でのハープは久しぶりに聴いた気がするが、ホールの音響のお陰もあるだろうが(山形テルサはフルオケには少し小さい感じである)「ハープってこんな大きな音が響くんだ!」と感激したし、全体を通して本当に春の息吹を感じるような熱の籠ったしかし爽やかな演奏だったといえる。最後の「ファランドール」が終わった瞬間、指揮台の上でタクトを振り上げたままポーズをとるように停まった形の飯森さんから、フワッと何か、「オーラ」なんて陳腐な言葉では呼びたくない何かが飛び出して行ったように見えた。確かに見えた。
あれは「音楽の魂」だったか。素晴らしいパフォーマンスを遣り終えて神に近づいた(大袈裟な話ではない、一昨年の酒フィル定期でのバイオリンの漆原啓子さんのアンコールの最後の音がそうだった)者だけが放ちうる、ある種奇跡的な輝きというのだろうか。飯森さんの周りを一瞬、ふわっと何か明るい光が包んだように見えた。
しばしの静寂の後、客席を向いて万雷の拍手に応え始めるまでの飯森さんは、プレトークの時に見せた素の飯森さんではなかった。おそらく、脳内エンドルフィンが大量に放出されたのであろう、というような表情をしていた。

Yamakyo1凄い拍手にもかかわらずアンコールはなかったが(飯森さんはアンコールをしない主義?ともお聞きしたような、、、)、終演後「ファンと楽団員との交流会」がいつものように開かれた。大ホール後ろの通路というか「交流ホール」で待っていると、まだ燕尾服のままの飯森さんが登場し、スタッフの質問に答えて演奏直後の曲の解説などをまたされた。そして、今度は私服に着替えた高木綾子さんも現れ、一緒にいろいろ話してくれた。
写真は、「交流会」で司会のKS女史の質問に答える綾子さんとそれを見守る飯森さん。

Yamakyoat1
この場では、写真も自由に撮れるし、終わった後はサインも頂ける。私もプログラムにサインを頂きちょっと考えておいたプレゼントも渡す事が出来たので満足である。(この時に撮った写真はそのうちここに載せましょう!)
山響の団員も、A先生、T女史始めホルンのOさん、VnのYさん、そしてエキストラで来られたアルト・サキソフォーンのO氏らともお話しが出来て楽しかった。
今回は高木綾子さんに夢中になってしまったので、飯森さんとお話しする時間がなかったが次回のチャンスではできれば飯森さんとお話しをしてみたいものである。
写真はファンにサインを頼まれ親しげに会話をしている綾子さんの横顔を並んだ列の間からパチり。人気者!(^^
Yamakyoat4
この定期演奏会は、初日の3/25が夜であったが、2日目はマチネで昼の2時からあった。高木綾子さんのブログによると、2日目はさらにイベールは素敵に吹けた、ということであるし、服装も初日と違い鮮やかなオレンジ色の肩出しドレスを着られたようである。
写真は、サインを頂いた後のツーショット写真。当然、隣りの私はカットです。(^^;;;
3日目は、今日、これから鶴岡市に移動して(車で1時間半くらいか)、夜、平成17年度の「庄内定期演奏会」の最終演奏会である。酒田の希望ホールに比較するのは気の毒であるが、古くて小さな音響の悪いホールである。昨年の千住明氏作曲の「交響曲第一番」の時にも聴きに行ったが、演奏している人達が気の毒に感じるようなホールなのである。「希望ホール」や「響ホール」のような音響の素晴らしいホールで演奏しているだけによくわかる。今晩は、どんな演奏をきかせてくれるのであろう。
(私は引っ越しの荷造り、そして明日は脳動脈瘤の手術であるが、、、)

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2006.03.24

明日は山響!

 来週引っ越しなのでそろそろ本格的にいろいろ片付けをしなくてはならないのだが、明日は楽しみなコンサートがある。
山形交響楽団・第171回定期演奏会
■指揮:飯森範親/管弦楽:山形交響楽団
■出演 フルート:高木綾子 
■曲目J. ハイドン:交響曲第85番変ロ長調Hob.I:85「王妃」
  イベール:フルート協奏曲
  ビゼー:組曲『アルルの女』第1組曲・第2組曲

 今、『王妃』の第2楽章を聴きながら書いている。この第2楽章は、特に、あのマリー・アントワネットと深い関係があるのだが、弦パートを伴奏にフルートがソロを奏でる美しい部分がお気に入りだ。
 更に、2曲目のイベールのフルート協奏曲。今や人気実力ナンバーワンの日本人フルーティスト、このブログでも何回か紹介した高木綾子氏がソリストをつとめる。今からワクワクしてしまう。
 イベールにはちょっとした思い出もある。2年ちょっと前、とある行きつけの楽器店で、イベールのフルート協奏曲の楽譜を見つけた私は、自分で吹く訳でもないのだが、欲しくなって購入した。曲が難しいだけではなく、楽譜の値段もかなり高い。レジの女性が、たまたま大学でフルートを専攻した方で、しかも私の友人である仙台のフルーティストの弟子であった。さらに、山響の首席フルーティストA先生の奥様(この方もフルーティスト)と仲が良く、「先日、うちで『イベール』の楽譜を買った男性がいる」と話題になってしまったらしい。
 後にそのことを指摘された私は、「いや〜、CDを聴きながら楽譜を眺めるために買ったんですよ!自分で吹く訳でもないのにお恥ずかしいですが。」と汗をかきかきいい訳をしたのである。でもこういったことも一つのご縁で、昨年の夏にはA先生主催のフルート夏合宿に参加する事になったのであった。
 そして、3曲目の「アルル」。クラシックにあまり精通されていない方でも御存知の曲が多い。実際は、第1組曲、第2組曲にわかれ、それぞれ4曲ずつの計8曲で構成されているのだが、なかでも第2組曲の3番「メヌエット」はフルート吹きなら誰でも憧れるフルートのソロが中心である。
(よく御存知の方は、決して聴かないで下さい!m(_)m)
balaineの自惚れコンサートから「アルルの女 メヌエット」
 フルートのA先生の美しいソロがホールに響き渡る事であろう。
 そう、明日からの3日間連続同プログラムのコンサートは、3曲とも私の愛するフルートが、敬愛するA先生と高木綾子氏が大活躍する曲ばかりなので嬉しくてたまらない。

 我らがヤマキョー(山響)のこと、イケメン指揮者(こういうくくり方をしては叱られそうだが、人気実力とも若手ナンバーワンの指揮者と言える)マエストロ飯森氏のこと、そして飯森さんの力で山響のコンポーザー・イン・レジデンスになっている人気作曲家千住明氏の事、などを昨年7/22のブログにも書いている。
 飯森氏は、いってみれば都会の人。その方が「一田舎」のオケを率いて、「地方から世界に向けてメッセージを発信する」とまさに八面六臂の大活躍をされている。
http://www.iimori-norichika.com/index2.html
(イイモリノリチカドットコム)

 「山響」に限らず、日本のプロオケ、特に地方オケの環境は厳しいものがある。ココログがメンテナンスで停まっていた時に、私の緊急退避用セカンドブログにこのことを少し書いた。
http://blogs.yahoo.co.jp/balaine710/28070955.html
 要するに、日本の芸術活動には公的資金の補助が少なく、大口私的寄付も寂しいもので、特に有名ではない地方オケなど、地元に根付く大企業も少ないため、企業や私人からの寄付などは極めて少ない。よって、その演奏活動は自己資金(ほとんどがコンサートのチケットの売り上げ)で賄わなくてはならない。団員の給与は低い。でも皆、志は高く心は熱いのである。

 山形交響楽団は、東北初のプロオーケストラとして、34年前、昭和47年(1972年)に誕生した。
http://www.dewa.or.jp/〜yamakyo/index.html
故松田優作主演映画や大都会IIIなどで有名な映画監督、村川 透氏の実の兄である、村川千秋氏(現山形交響楽団創立名誉指揮者)が私財を投じて楽器を買うところから始めた。村川氏は、芸大時代は故山本直純氏、岩城宏之氏とともに「三羽がらす」と言われた事もあったらしいが、「音楽は、オーケストラは、都会だけのものではない。人間の生活に密着してあるべきだ。」という強い信念から故郷の山形(村川兄弟の出身は、村山市)に戻り、何もないところからオーケストラを創るということを始めた凄い人である。お隣仙台市に仙台フィルの前身である宮城交響楽団が設立された1979年には山響の団員の3分の一が抜けるという危機に瀕し、財政難続き、文化庁の助成金見直しで国からの補助が「0」になった年もあったときく。村川氏自身、他のオケにという声もかかったりしたのを断り、「山形で、山形のオーケストラによる、音楽を」とのこだわりの一念をず〜っと通して来られた。
 地方に根付いた音楽活動ということで、小学校などを回る「巡回音楽会」を初期より精力的にこなしてきた。学校に楽器を運ぶのはもちろん、体育館に椅子を並べ譜面台を立て、終わったら片付けるのも全部楽団員自らやってきた(誰もやってくれる人がいないからであるが)。そうした地道な30年以上に渡る活動が、少しずつ世代に渡り地元に定着しつつあるのだと思う。30年前、小学校で「山響」によって初めて生のオーケストラに触れた少年少女は、今や「山響」が「巡回音楽会」にやってくる小学校や中学校の生徒の親である。そうやって、地道に田舎でのクラシック音楽普及を果たしてきた訳であるが、飯森氏はそれを更にステップアップさせ、田舎田舎と卑下するのではなく、都会にはなくて山形にしかないものを音楽とセットにして発信したりしている(その活動の一つが、ファンクラブと一緒に温泉旅行とか楽団員とファンの合同芋煮会など)。更に、山形にある一流、たとえばバレーボールVリーグ覇者の「パイオニア・レッドウィングス」や、J2ではあるがもう少しでJ1へというところまで行っているサッカーの「モンテディオ山形」のサポーター、ファンクラブを横断的に結びつけて、「山響」がモンテディオをサポートし、レッドウィングスが山響を応援する、というような活動をしておられる。

 一クラシックファン、アマオケ愛好家、フルート愛好家として、明日のコンサートはもちろん、これからも「山響」の活動を陰ながら応援し支えて行ければいいな、と考えている。

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2006.03.21

最後のオツトメ

 今日は「春分の日」。国民の皆さんは、野球でも観ているのだろうか。
 私は朝から病院日直。今日は「管理」ではなく、外科側の全館日直医である。この病院もあと10日。最後の日直なので、「最後のお務め」という感じである。
 救急外来に来られる「休日診療」を求める患者さんを診る事が主となるのだが、以前にも書いたように、本来の日直・宿直医の仕事は病院全体の管理であって、救急患者さんを診察するのは「いくつかの役割の中の一つ」にすぎないのであるが、形骸化して「日直・宿直医」=「救急外来当番」のようになってしまっている。
職員もこの辺を分かっていない。看護師も院内にいる私を呼び出し、「患者さん来てます」と告げる。だから、私は、「救急担当医ではないのだから、どんな症状を訴えた何の患者さんが来ているのか伝えろ!」と告げる。
ここは、救命救急センターがある第3次救急病院なので、救命救急外来を受診した患者さんは、「救命救急医」が診察するのが建前である。しかし、休日なので救命救急医もお休みなのだ(常勤が2名しかいないせいでもある)。
すると、救命救急医の代わりを日直医、宿直医がするしか他に方法がないからやっているのである。その辺をきちんと分かっている人達が余りにも少ない。そして、「救命救急」に来る患者さんの多くは、歩いて自家用車で来るような人であり、結局第3次救急の役割は少ししか果たしていない。ほとんどの患者さんが、熱が出た、お腹が痛い、足を捻挫した、などなどの1次または2次救急であり、ようするに「時間外外来」を行っているに過ぎない。

 今日最初に診た患者はこうだ。
ナース「患者さん来ているのでお願いします。」
私「どんな患者さんですか?」
ナ「昨夜から喉が痛い、痛くて眠れなかったということです。」
私「喉が痛いなら内科系じゃないの?風邪症状なんでしょ?」
ナ「いえ、風邪症状はありません。喉の痛みをみるのは耳鼻咽喉科なので、外科系の担当です。」
私「・・・」
そして、診察したその患者さんは、確かに風邪症状は乏しく熱もない。喉が外から見ても腫れているが、甲状腺の病気を治療中であるという。咽頭を診ても腫れてもいないし赤味も少ない。鎮痛剤を処方して帰そうと思ったが、「家族でどなたか風邪症状の方はいませんか?」と聞くと、
患者「夫が昨日から風邪症状で喉が痛くて関節痛と37度台の熱で、一緒に救急に来て診てもらっています。」とのこと。「なぬ!」である。しかも、今日の内科系の日直医は、本当にたまたまなのだが、この患者さんの平常の外来担当医であった。
 私は、その内科系の先生にこの患者さんの診察をお願いした。
 というより、受付の時点で、またはナースによる問診の時点で、患者の夫が風邪症状があり一緒に受診している事、内科系日直医がこの患者の主治医であること、一緒に受診した夫はその内科系医師に診察を受ける事を考えれば、この患者さんも最初から内科系診察で良かったはずである。
「喉が痛い」→「耳鼻科」→「外科系日直医」→「私(=脳外科医)」というマニュアル的発想と言うか行動が私には理解出来ない。何故もっとコミュニケーションをとって柔軟に考えられないのだろうか?
 ナースはナースで、多分、マニュアルがあって危険回避のためにそれを遵守する事が求められているのだろう。個人の意見とかアイデアと融通の利いた判断とかはこの際排除して、まずは型通り、という事になっているのかも知れない。種々雑多な症状を訴える患者さんが時には怒濤のように押し寄せる「救急外来」というところは、物事を単純化して、「頭痛」→「脳外科」=外科系、「腹痛」→「消化器内科」=内科系、というさばき方をして、患者を「こなして」いかないとたまってたまって大変な事になるのかも知れない。
とりあえず、喉が痛い=耳鼻科だから外科系を呼んでおいて、その後は診察した医師の判断に任せればいいのだろう。だから上記のナースの対応が間違っているとまではいえない。
でもどこかおかしくないだろうか?

その他にも、交通外傷後遺症であちこち痛い事を訴え、薬をくれ、注射してくれ、などなどいろいろ言うが結局は話を聞いてほしいプシコの患者さんも来た。主訴が「頭痛」だったので外科系日直の私が呼ばれた。
 慢性頭痛ではあるが、訴えからしても本当に頭痛で困っている訳ではない。私は脳外科のカルテの部分に押された日付などが入ったゴム印に大きくバッテンをして、精神神経科のカルテ部分に診察の記載をした。
何かおかしいけど、悩んでいる余裕はない。来た患者をさばいて行かなければ次の患者が待っている。手際よく処理して行かないと、患者がたまりみんなが困る。しゃ〜ないな〜!

そんな疑問ばかり感じながら日直医をしている。

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2006.03.20

在職証明書

 今度大学に勤務する事になるため、この数年間の市中一般病院勤務にかかわる『在職証明書』を求められた。大学職員は、独立行政法人化したとはいえ、国家公務員になる。市中一般病院もすべて県立、公立(市町村立)であったので、私はず〜っと「公務員」である。
 医師である上において「公務員」という意識はほとんどないが、退職や就職に当たってはそれをあらためて思い知らされる事になる。書類がたくさん必要なのがまず一つ。国家公務員共済組合員に変わるなどの保険証の変更も必要である。大学職員というのは、臨床医(医師)である前に、研究に従事する公務員という扱いであるから、職務内容が研究的でないと行けないらしい。
 頂いた『在職証明書』には、「職務内容及び研究内容:脳神経外科の外来・入院患者の診療に関する事」という簡潔な文言があった。これによって、私は官公立の病院で研究と臨床に従事していた事が証明される。よって、私が現在の病院を辞めるにあたっては「私儀、一身上の都合により、、、、」という『辞職願い』を書かされるのだが、退職金はもらわない。官公立病院で繋がっているためである。

 在職期間の下に「勤務態様」という項目があった。2つの公立病院における、私の勤務の様子である。
「一月平均22日、1週平均5日、1日平均8時間」
と書いてあった。
 労働基準法に定められた、週休二日の公務員の職務体制である。この通りに勤務したら、病院はどうなるのだろう?患者さんはどうなるのだろう?逆言うと、なぜこの「勤務態様」通りに勤務出来ないのだろう?
 少ないヒューマンリソースに無理を言って働いているからである。もし、この病院に脳神経外科医が常勤で5名いれば、上記の事も可能かも知れないが(当直の翌日は休み、夜間や休日に緊急呼び出しで働いたら代休がもらえる、などという、労働者なら当然のこと?)、3名でやりくりしているから「想定された勤務態様」の5/3倍働いている感じになる。
 実際どうだろう?3名で休みをきちんと分けているので、全く病院に顔を出さずにフリーにしてもらう時間が貰えるだけ私はまだ良い方である。今月に限ってみても、31日中26日は勤務、逆に言うと5日休みを貰っている。1週平均6日+αの勤務である。
そして、これが一番問題であるが、時間外の呼び出しや休日の回診、急患診察などを含めると、1日平均約12,3時間の勤務になる。労働基準法を遵守して上記勤務態様通りなら、週に40時間が基本的労働時間である。しかし、そんなに激務ではない、キチンと休みも貰っている私の場合で、週に12x6=72時間+αは最低仕事をしていることになる。週に約80時間、つまり労働基準監督局が指導しているほぼ倍の労働である。

 しかし、ここではっきりさせておかなければならない事がある。さる裁判において「研修医は労働者である」という判決が出て、医師もまた労働者なのだ、ということで研修医の過労死などが認められた。だが、「医師」は通常の「労働者」とは違う。時間単位で労働を「売っている」商売ではない、という意味である。時給いくら、と計算する仕事ではないという事である。このような仕事は他にもたくさんある。芸術家だって、時給いくらでは仕事をしていない。自分の納得のいく仕事に対して、他人の評価や契約などによって対価をもらうという仕組みであろう。
 医師の場合は、本来ならば、急患が多く発生して夜中に何回も呼び出されたり休日に診察したり緊急手術で家族団らんの時間が消えたりしても、本来そういう仕事である事を覚悟の上で奉仕する心を元にやっている事だから、多少の不満や不平は言っても、医師の中で誰も労働争議であるとかデモなど起こすものはない。
 ただし、そういういわゆる「時間外」の労働、「勤務態様」で定められた範囲外の労働が「無料」「無償」というのはあんまりだという事で、「時間外手当」とか「日額特勤手当」というものが支払われている。「お手当」である。決して基本給与ではない。そう出なければ、働いたものと働かなかったものに差がなくなる。何科とはいわないが、ほとんど緊急患者の発生しない診療科もある。たとえ休日に救急外来を受診しても、「来週の外来にまた来て下さい」ですむ診療科もある。一方で、脳神経外科の場合、救急外来を受診した患者は、軽症の外傷(頭皮を切って縫ったとか)、慢性期の脳梗塞患者の脱水とか、そういう事でもない限り、当番の脳外科医は救急外来に出向かずにすむ事はほとんどない。ほとんどの緊急患者が緊急入院になる。中には緊急手術になる。
 そういった患者を扱う診療科の医師と、そうでないあえていうなら「のんびり」している診療科の医師の給与が同じで良いはずがない。良いはずがないのだが、大学病院などでは同じなのだから驚きである。こんなことは一般市民は知らないと思うが、大学病院の医師は「臨床医」でなく、「大学の先生」なのである。「文部科学教官」という肩書きである。学校の先生は、残業しようが土日に部活などの子供の指導をしても、時間外手当などつかない。それと同じである。
 人の生き死ににかかわる、緊急時の診療を夜中や休日に行っても、それは学校の先生の教育活動の一環としての「ボランティア」的行動と同じにとらえられているのが大学病院の医師である。であるから、卒業年次とポスト(助手とか講師ということ)が同じであるなら、脳外科医も整形外科医も眼科医も皮膚科医も精神科医も皆同じ給料なのである。独立法人化となって、おのおのの大学および大学附属病院で自由裁量権が認められて、少額ながら時間外手当が出るようになったらしい。でも「月あたり1万数千円」と聞く。それでも「0」だったものが出るようになった事は大きな前進といえる。
 一般市中病院で、私程度に夜中、休日に緊急で呼び出されたり夜遅くまで手術したりしていると、もちろん月によってかなりばらつきはあるのだが、時間外労働に対する手当は「月あたり30万円から60万円」となる。
一般市民にとっては、一月に手当だけで60万円なんて信じられない!貰い過ぎだ!だから医師はまだ甘やかされている!と憤慨されるかも知れない。しかし、良く考えて頂きたい。これは「手当」だから、基本的給与の中に組み込まれていない金額。つまり「手取り」は結構あっても、賞与とか退職金にはまったく関係ない「手当」なのである。そして、それを貰っている理由は、夜中の2時に呼び出され吹雪の中を病院に出てきて患者を診察し入院させたり、日中から大手術で夜中に終了し患者をICUに入れて安定させて夜中の1時2時に帰宅したり、土曜日曜と言えど入院患者がいる以上、必ず誰かが毎日回診して指示を出したり投薬したり処置をしたり、そういった事をほぼ毎日何年間もしていることに対する手当なのである。
 さらに付け加えるなら、厚生労働省が参考にしている米国の医療システムの中で、脳神経外科医は専門医となって数年目で年収数千万円が当たり前、大学の教授でも年収数千万から多い人は1億、2億円という給与をもらうのである。それは「ハイリスク・ハイリターン」と言って、脳外科手術のように高度で専門的で危険性の高い手術はその報酬も多いのである。脳腫瘍の手術は一つにつき一般的に数百万から1千万円である。ところが日本の保険診療システムでは、脳腫瘍の手術は高くても82000点。保険のない人が全額自己負担しなくてはならないとしても82万円ですむのである。技術や成績に差がないのに(ものによっては日本の方が上だと信じる)、手術料は10分の1で、給与も3分の1から10分の1になっているのが現実である。
ーー
 在職証明書の事から、医師の勤務態様、労働時間、手当の話で、結局また金の話になってしまった。
 金の話になるとどうしても「せこい」イメージがつきまとうのが嫌であるが大事な事だと思う。以前にも書いたが、高校で同期の者が社会人になって同窓会などがあり、二次会、三次会と飲みに行ったとする。大学病院勤務の医師Aが「ここは俺が払うよ。」と二次会分を持った。同期生の銀行員Bと商社マンCが「お〜、さすが、お医者様は不況知らずだね〜」と持ち上げる。そして三次会で給料や賞与の話になった時、その医師Aが三人の中で一番稼ぎが少なかった。少ないどころかBもCも年収1000万円を軽く越えているのである。Aは医師になって20年も経つのに、年収1000万円いかないのである。これが現実である事を世間様にはすこし知って頂きたいという気持ちがある。
(医師一人当たりの年収が多いのは、あくまで個人事業主として働いている、いわゆる開業医の収入が多いからなのです)

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2006.03.17

WBC

ボクシングではありません。World Baseball Classicのことです。
私は、個人的に野球は好きです。
博多生まれですから、元はバリバリの『西鉄』ファンでした。稲尾が現役で投げたのを「平和台球場」で観ています。王、長嶋要する巨人軍とライオンズが平和台で闘ったのも、読売・西鉄連合軍対「ホワイトソック(だったとおもう)」が闘ったのもこの目で見ています。

うちの大学の医局は、野球を真面目にやっていて(「脳外科の父」と言われる、Dr. Harvey Cushingがテニスと野球が好きだった影響もあって、日本の脳外科医は野球を好む)、シーズン中は、毎週木曜の朝6時(!!!)から、グランドで「朝練」したりもする。当然、ユニフォームもマイシューズもマイグラブも持っている。

WBCでの日本の戦いは昨日で終わってしまった。選手は一生懸命やったのだから、負けたのは残念だけど健闘を讃えたい。勝負は時の運もある。
しかし、ニュースにもなっているように、運営と言うか、WBCの成り立ちに対する考え方自体がどこかおかしいと思う。「野球のワールドカップ」を自負しているらしい。野球、ベースボールって世界何カ国でやっているのでしょう?「世界規模」での戦いが成り立たないから、オリンピックからも消えてしまったのではなかったでしょうか?
元々、米国で生まれ、米国に縁の深い国に広まっただけなので、ヨーロッパの人々はほとんど関心がないと思います。「あの」タッチアップの判定にしても、関係する国のメディアで流れただけでしょう。おそらく、ヨーロッパの国々や関係ない国では、テレビでも新聞でもWBCの「ワ」の字も出ていないと想像されます。

私も日本人ですから、オリンピックやサッカーワールドカップやWBCでは当然日本選手を応援します。
2/15の『オリンピックに寄せて』で書いたように、しかし、行き過ぎたナショナリズムは大嫌いです。
昨日の夜のニュース番組で、なぜ韓国がこんなに強いか(ただ一チーム、予選から一敗もしていない)ということを解説する中で「人参作戦」というのが報道されていた。ベスト4以上になれば選手の「兵役免除」を政府(軍?)が検討しているという事だった。日本のように兵役のない国では実感がわかないだろうが、若い男性にとって、学問やスポーツや芸術に打ち込んでいる20代の大事な時期に兵役義務で2年間以上の時間を「失う」のはとても大きいものだと思う。もちろん、2年間の兵役義務をきちんと果たし、その上で、さらに自分の道を究めるために努力している人も大勢いるであろうが、本音を言えば「兵役なんて行ってられるか!」だと思う(誰も言わないでしょうけどね)。
日本のテレビ局の街頭インタビューに、韓国人の兵役経験者の若い男性ですら、「彼らは国家のために闘ったのだから兵役免除は当然だと思う」という発言まで聞かれた。
え〜!韓国の野球の選手って、大韓民国という国家のために野球をやってるんだ!、すっげぇ〜。
ワールドカップの時、イタリアなどを破ってベスト4になったサッカー韓国代表チームの選手は兵役が免除になったと聞く。かれらも「国のため」サッカーしたんだ!

野球やサッカーの日本チームの選手だって、「日本代表」の誇りを胸に、「日本という国の名誉にかけて」闘ったとは思うけれど、「日本という国のために」野球やサッカーをしてきたりした訳ではないと思う。
たかがスポーツである。何かおかしくないか?!
だから、私は、サッカーの応援などに見る、行き過ぎたナショナリズムを考えさせる応援活動というか興奮というか暴動などが嫌いなんだ。
人間には、動物の一種として本能的に闘争心、征服欲、支配欲のようなものがあるのは否めない。しかし、それを知性と理性によってコントロールするのが「人」と「人」との「間」に存在する価値なのではないだろうか。スポーツの勝ち負けを見て、興奮し喜び悲しみ、一喜一憂するのも悪くはないと思う。好きなチームの勝ちを祈り、一方ではライバルチームの負けを期待したりする。どこかの文部科学大臣ではないが、「ス選手がこけた時は、やった〜!って思いましたね」って気持ちは、下世話な一人間としては理解出来る感情である。
しかし、これが、米国憎し!韓国憎し!という感情になったり、韓国人にとってみれば「宿敵日本を打ち破ってアジア、そして世界最強を証明する、国の誇り!」とか、そういう気持ちになるのは何故避けられないのだろうか?

タッチアップセーフの判定を覆した審判は確かにアメリカ人だ。WBCを呼びかけ実施しているのもアメリカ人だ。しかし、問題は、あのアメリカ人の審判が「×」だっただけで、アメリカという国そのものが「×」なのではない(それは、日本に比べて「×」な面はたくさんある国であるが、日本にだってたくさん「×」あるでしょう?)。でも、スポーツの結果を、国威発揚や国の威信に絡めてしまう「大韓民国」という国は大変危険な国であるという印象を持たされる。それは中華人民共和国も同じである。真の意味での「自由主義国家」とは言えない(あ、もちろん中国は共産主義の国ですしね)。韓国に関しては、あのような騒ぎ(国の誇り、兵役免除、等々)を見ていると、共産主義国である北朝鮮とそんなに変わりのない国にさえ見えてしまう。
全ての人々がそうではないと信じる。韓国にだって、真の自由民主主義を理解し、知性と理性に溢れた人達がたくさんいるはずだ。報道というのは一部だけを誇張する事が多いから、その報道を受け身で見てしまう我々自身が理性を働かせ、考えなければならない。
こうしてみると、マスコミ、というのは、分かってはいる事だけど、本当に恐い存在である。マスコミの「公共性」とか「社会性」という言葉が、あのライブドア事件の時にも言われていた。公共的な存在であるマスコミを株売買で支配するような対象にしてはならない、という件である。そりゃそうだ。しかし、今、管理運営しているマスコミの偉い人達が、真に公共性、社会性を理解してやっているのかどうか。怪しい面も見られる。

そして、報道が国によって規制される北朝鮮や中国は当然(?)、そうではないはずの韓国ですら、自国の優位性であるとか、国威発揚ニュースを大きく取り上げるきらいが見られる。大丈夫なのか?
日本が軍国主義に陥ったのは、マスコミが国(軍)によって統制されたからではなかったのか?

WBCの報道を見て、そんな事を憂いている。
ーー
「終わった」と思っていたWBCですが、なんとなんと米国がメキシコに1−2で負けてしまい、日本が準決勝進出を決めたようです。米国が負けたのも驚きだが、この試合で、また「あの」タッチアップをアウトにしたD球審が一塁塁審をしていて、メキシコのボール直撃ホームランを2塁打にしちゃったようです。
マイナーリーグ審判の彼には、このWBCで(米国野球界に)認められればメジャーリーグ審判への復活の道でもお膳立てされているのでしょうか?おかしな話です。
WBCの存在意義が一人の審判によってほぼ消滅しているとさえ言えます。

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2006.03.15

第三種接近遭遇!

関東平野は気持ちのよい晴れ!で、私の乗る新幹線にも強い朝日が当たるので窓のカーテンをしています。進行方向左側の窓からは上州から那須高原へと連なる山が残雪を朝日に美しく照らされています。
昨夜は池袋にある豊島公会堂で、「ソルノク交響楽団演奏会」が催されました。心配されたお客様の入りも口コミが巧を奏したのか、主催者のみらい座いけぶくろがしっかりした組織を持っていらっしゃるのか、準備したプログラムが足らなくなるという盛況でした。
BorbalaBartok豊島公会堂には今回初めて行きましたが、ホールや椅子の作りから想像するに昭和30年代後半に建てられたものかと思います。懐かしい、古いホールの味わいはありますがお世辞にも褒められたものではありませんでした。
GaborPC音響的にも良くないしホールのピアノも傷みが酷く調律も?で、折角バッハのピアノ協奏曲を弾いたガーボルが気の毒な感じがしました。
二年前に建て替えられたばかりの酒田市民会館「希望ホール」の方が、当然ですが、残響1.9秒とクラシックコンサートに理想的で、ホール所有のピアノもスタインウェイの新品のフルコンです。3/12のコンサートでも、ガーボルのショパンは美しく鳴り響き、ピアニストだけのアンコールを二回も行った位でした。
池袋には既に世界に誇るような立派なホールがあるので、豊島公会堂は音楽演奏会用のホールとしての役目は終えているのかも知れません。
SSO1世界のN響の元団員で、鶴岡の御出身という縁で酒フィルの演奏会にも特別賛助出演頂いているビオラ奏者の渡○啓○先生も小平からいらしていて、「いやー、豊島公会堂なんて懐かしくてねー。」とおっしゃっていらしたのでむかーしむかーしN響なんかも使ったことあるのかなー?と想像しながらお話ししていました。
昨夜のコンサートは、このブログで親しくなった方にも初めてお目にかかるという嬉しい出来事もありました。
@むーむーさんとそのお嬢さん、そしてmayakoさんです。お会いしてお話ししてみて、あ、そういえばプライベートの事はほとんど知らなかったんだ!、と思い知りました。ブログの上での付き合いなのであまり立ち入った事は聞いておりませんでした。でも皆さん想像通りの素敵で楽しい方達でした!
ということで、ソルノク交響楽団演奏会が、バーチャルな関係を「第三種接近遭遇」へと進展させてもくれたのでした。

ソルノクの人達は本日昼前に成田を発って帰国します。私は9時過ぎには病院で仕事をしていることでしょう。楽しい時はあっという間に過ぎます。フルートのボルバーラには、私が音ブログで演奏したアルソのフルートの易しいデュエット集とトリムの「フルートでつづる日本の四季」をカラオケCD付きでプレゼントしました。バルトーク音楽学校で子供達に美しい日本のメロディを楽しんでもらいたいな、と思います。
次はまたソルノクで会いましょう!と、ボルバーラとご主人のシャンドールさんと別れを惜しみながら私は今朝五時半に起きるため、ベッドに潜り込んだのでした。
ーー
(ここまで新幹線の中で携帯で書き、送信しようとしたら福島を過ぎて峠にかかったため、峠を越えて米沢駅に着いてから送信したものです。現在、9:20過ぎ。病院に到着して最初にしたのが、ブログの記事がちゃんと登録されたかどうかのチェックでした。。。病気、かな?(^^;;;; )

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2006.03.13

明日は豊島公会堂!

昨日、雪の中を眠い目をこすりながら、疲れた体をなだめながらなんとか帰って来た。
やはり、急にトップを吹く事になって相当緊張したようだ。肩がパンパンになっている。そういうチャンスを貰った事は嬉しかったし有り難かったけれど(balaineなら練習してなくても本番でやってくれる、と思ってもらえたのか?うーん、かなり手前味噌ですが)。

知っていらっしゃる方も多いでしょうが、オケ仲間の「タビの親父」さんは、うちの楽団指揮者&チェロ奏者で、3/10の遊佐町の演奏会も、明日の池袋(豊島公会堂)の演奏会にも出演します。彼のブログで、この数日間、特に3/10の遊佐の小学校訪問演奏、遊佐町でのコンサートのリハ、3/12の本コンサートのための3/11のリハ風景などなど、たくさんの写真が見られます。ちょっとチェロに偏り過ぎですが、それは彼がチェリストなのだから当然ですね。
管楽器パートもこうやって撮るべきだったな〜。
ソルノク響 観光写真集

ソルノク響 滞在写真集

交流演奏会 の様子
をどうぞご覧ください。
「ソルノク響 滞在写真集」の一番したの写真に、私balaineもちらっと写ってはおります(本人くらいしかわからない)。
ー^ー
3/10(金)の「遊佐町コンサート」のことを少し書きましょう。先日、そのコンサートの後の打上げで飲んで、ロッジに雑魚寝で泊まり、明けた朝に携帯でブログ書きました。
鳥海温泉『遊楽里』の1階ホール(結婚披露宴などが出来る場所)に、ソルノク交響楽団のメンバー22名+αを迎えて、酒フィルから6名の助っ人(?)を加えた30名弱の小編成の演奏会でした。
曲目は(演奏順に)
1 J.S. バッハ「管弦楽組曲第二番ロ短調 BWV1067」
    フルートソロ:Pappne Fekete Borbala Eva
    (通称、ボルバーラ;勝手に私のお師匠さんです)
2 ヴィヴァルディ「合奏協奏曲 四季より『春』」
     チェンバロは用意出来なかったので、電子ピアノのチェンバロ音源で、鍵盤楽器奏者として、昨日のピアノソロを弾いた、リスト国際コンクール第3位のファルカシュ・ガーボル氏(というより、まだお兄ちゃんみたい)
3 モーツァルト ディヴェルティメント ニ短調 K.136
4   (あれ?なんだったけ。忘れちゃった。思いだしたら書きます)
5 モーツァルト 交響曲29番 イ長調 K.201
アンコールは、4番だった?もう一曲やったような。。。
あああ、、、その夜飲んだパーリンカによって記憶が、、、(^^;;;;

 ソルノク交響楽団側にも、予算や個人の家庭の事情やらいろいろあるでしょうが、今回はメンバーの半分も来てはいません。でも来られた方達は、オケをリードする立場にあり演奏能力も優れた人達ばかりです。
 昨日の、希望ホールでの本コンサートの直前に、ホールで「弦楽五重奏」を2曲披露してくれましたが、実に質の高い演奏でした。明日の池袋での演奏もどうぞご期待下さい!

 で、明日の演奏曲目の予定は、
1 ヴィヴァルディ「合奏協奏曲 四季より『春』」
2 J.S. バッハ ピアノ協奏曲第5番 ヘ短調 BWV1056
     ピアノ:ファルカシュ・ガーボル
3 バルトーク ハンガリー農民の歌(農民舞曲)
     フルート:ボルバーラ、
     ピアノ:ファルカシュ・ガーボル
4 モーツァルト ディヴェルティメント ニ短調 K.136
5 モーツァルト 交響曲29番 イ長調 K.201
です。
 曲目や曲順は変更になる可能性があります。
明日の『みらい座いけぶくろ』での見物は、3番目、ボルバーラとガーボルの2人による、バルトークです。
実は、この曲は私の好きなフルーティストの一人、高木綾子さんが一昨年リリースしたアルバム『Earth』に収録されています。目の前で、生の演奏を聴いた事もあります。
 ハンガリーでフルートといえば、有名なのはドップラーの「ハンガリー田園幻想曲」なのですが、この曲もなんとなく日本人、東洋人に通じるような響きのある曲です。面白い曲だったので、高木綾子氏の演奏を聴いてすぐに楽譜を買い求めました。組曲になっていて、12分くらいで終わる短いものですが、その他の演目が、ヴィヴァルディ、バッハ、モーツァルトという、クラシック音楽の正統派なだけに、異色の音楽に感じられると思いますし、ハンガリー人二人によるハンガリーの作曲家の書いたハンガリーの歌ですから、日本人がフルートとピアノで宮城道雄の『春の海』を演奏するような組み合せだと思います。

 ということで、私は明日午前中で外来を終わらせ、午後の新幹線に飛び乗り、池袋に参ります。

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2006.03.12

コンサート大成功!

 夕方5時頃から雪となり、一時強く降りました。
 午後2時からのコンサートは、無事成功し、5時半から「打ち上げ&サヨナラパーティ」が行われました。月山新道が大雪であるだろうこと、明日は通常の仕事があることから、私は、パーティが終わる前にみんなに別れを告げ、会場を後にして帰路につきました。予想通り、月山は大雪で、車はスリップしながら運転でしたが無事到着しました。
 今年の『春のファミリーコンサート』は、「酒田フィル・ソルノク響国際交流演奏会」。さる1月5日にハンガリー国ソルノク市で行われた「合同コンサート」と同じ曲目でしたが、指揮はソルノク交響楽団常任指揮者のバリ・ヨージェフ氏、ピアノはリスト国際コンクールでピアノ部門第3位の実績を持つハンガリー人、ファルカシュ・ガーボル氏でした。
 3/10の遊佐町におけるコンサートは、弦中心の小編成で、素敵な演奏会でた。私のホームステイ先であったフルートのボルバーラのソロで、JSバッハの『管弦楽組曲第2番』もあり楽しいコンサートでした。このコンサートのことは、また別の機会に書きましょう。今日は、今日のこと、です。

 ソルノク市からわざわざ庄内まで来てくれた彼らをもてなすため、毎日、コンサート、リハ以外にも観光やショッピング、ホームステイなどなどたくさんのイベントがあり、本日のコンサートのリハは昨日3/11の午後から夜にかけて行われました。既に、ソルノクでやったとはいえ、指揮者が違い、ピアノコンチェルトのソリストが違い、オケのメンバーもかなり構成が違います。ソルノクから来た30名弱に酒フィルのほぼフルメンバーとトラの方々で、総勢80名超のフルオーケストラ。
311c
311b
311


(写真は3枚とも私の視点から撮っているので、当然私はいません。一枚目は、フルート席から指揮者、ホール方向を見たところ。二枚目は、舞台下手側から管楽器群を見たところ。3枚目は、舞台下手側の客席側からステージを見たところ、です。)
 弦は全員3曲とも乗り番で、管は曲によって乗り番、降り番があります。1曲目の、モーツァルト作曲、歌劇『魔笛』から「序曲」は、ですから通常よりも人数上厚みのある弦なので、逆にまとまりというか統一感にかけるきらいがあります。リハでは、指揮のバリ氏の棒になかなか合わせられず、「?」というところもありましたが、本番はみんなが心を一つにした感じで、なかなかの好演だったと思います。私は、この序曲は降り番でした。フルートのトップはボルバーラで、曲中、軽快なアルペジオのところはさすがの安定感のある演奏でした。
 2曲目の、ショパン作曲ピアノ協奏曲第一番ホ短調。ハンガリー公演時のピアノ奏者であった、藤井亜紀さんがご両親を伴って東京からわざわざコンサートに来て下さるという、大変嬉しいハプニングもありました。本当に偶然なのですが、藤井亜紀さんのお父上が酒田の出身だったのです。ファルカシュ・ガーボル氏は、卓越したテクニックと力強いff、キラキラ光り輝くようなppの高音。ホールが誇る、Steinway & Sonsのフルコンサートピアノが気持ちよくなっていました。藤井さんの、繊細で、甘い、煌めく音色とはまた違ったピアノの美しさを聴かせてくれました。
 ハンガリーから帰国後、私が土曜日の練習に一回しか参加できていませんでした。仕事があったことはもちろん、この冬の大雪で練習に通うのも、一種「命がけ」のような所があったためです。ハンガリー、プラハ、ウィーンを共に旅したフルートパートのYS氏が、「ソルノクから来てもらうのだから、ボルバーラに全曲トップを吹いてもらいましょう。」と言うことでしたので、練習に参加できなかった私に異論はなく、どこか出番があったら吹きます、と言うくらいの気持ちでいたのですが、ある事情もあって、リハが始まる前に、「balaineさん、ショパン吹きませんか?」と言うことになり、ボルバーラと相談して結果、私がトップを吹くことになってしまいました。ハンガリーで一度本番を経験していたとはいえ、その後オケでの練習でピアノと合わせたのは「0」。やはり、リハで音は外すは、ピッチは合わないは、あげくに「入り」を「落とす」は。指揮者のバリ氏も「う〜ん」と渋い顔をしていたように見えました。でも、「折角のチャンス。やるしかない!」と気合いを入れた後半は結構乗ってきました。そして、本日のゲネプロを経て、本番は自分的にはソルノクでの演奏よりいい演奏が出来たように思いました。ボルバーラも喜んでくれ、オーボエのイームレ(あの「強面」と書いた長身の団長)も「あ〜!フルートパートのマエストロ!」とまた私をからかってくれました。結構、満足のいく演奏でした。
 3曲めは、ベートーベン作曲交響曲第5番。通称「運命」です。プロオケでさえ、あの出だしの「ジャジャジャジャーン」は緊張するそうです。この、ココログが故障中(?)だった間に、『balaineのセカンド・ブログ』に書いた「曲紹介」の通りですが、1楽章から4楽章まで通して、この「運命の動機」が繰り返し出てくるのですが、本番が一番良い出来だったと思います。最後の盛り上がり方は、まさに80名のオケが全員一つになった魂の演奏だったと思います。お客さんも喜んで下さったようです。

borbalagabor3/14の東京は池袋の豊島公会堂でのコンサートに行けないYS氏の提案で、コンサート終了後、パーティまでの間に、ボルバーラが東京で演奏する、バルトーク(ハンガリー出身作曲家)の『農民の歌組曲』を聴くことになりました。ピアノはファルカシュ氏、フルート独奏ボルバーラで、ハンガリー民族色豊かなこの素晴らしい演奏を楽しむことが出来ました。Bravo, Borbala !
 この曲は、高木綾子氏が『Earth』というディスクに収録しており、上山の名○荘でのサロンコンサートで、目の前で生演奏を聴いたこともあり、興味があったので楽譜を持っています。これを、また生で聴けるなんて感激でした。3/14にもう一度聴けるので楽しみです。

さて、リハ、ゲネプロ、コンサート、パーティ、そして大雪の中の山越えとかなり無理をした2日間だったので、そろそろ休みましょう。書き忘れたことや補足は明日以降にいたします。

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2006.03.11

吹浦にて(携帯電話から)

ココログ・サーバー、さすがになおったべ?とカキコミです。
昨日、病院を4時頃早退し、二時間半かけて酒田市の北隣の町、遊佐町の吹浦というところに来ました。

ここは、西に(といっても歩いて数分の目の前)日本海、東に鳥海山を臨む素晴らしい環境の小さな町です。
中学生の時、家族旅行で吹浦の民宿に泊まった記憶があります。吹浦(ふくら、と読む)のが珍しい感じがしたこと、民宿のおじさんが子供の足より大きな「岩ガキ」を採ってきたのを興味津々見ていたら「ぼうず!喰うか?」と聞かれ、遠慮のない中坊の私は「うん!」と答え、ドライバーでこじ開けてもらったそのでーっかい牡蠣を海水の塩味で食べさせて貰った、その強烈に濃い味が鮮烈な記憶として側頭葉内側に残った訳です。

昨日の「遊佐町コンサート」の後、会場となった「遊楽里(ゆらり)」の側にたつ、ロッジに皆で雑魚寝で泊まったのです。
朝日の明るさと近くを走る羽越線の列車の音で目が覚めたのでした。
ここ「ゆらり」は昨年六月に今でも仲の良い中学の同級生男女六人で泊まったとこ。このブログでその時の事を書いています。
そこのホールで昨夜コンサートだったのです。コンサートの中身はあらためて書きます。
で、コンサート後、立食のパーティーがあり、ソルノクの人たちと飲んでもりあがったのでした。我々がソルノクを訪問した時に受けたあの熱く心のこもった「毎夜」(笑)の歓迎行事に感激した仲間が、一生懸命準備をしたのです。
当然、ホームステイしたフルートのボルバーラとご主人のシャンドールさん達と熱い抱擁で再会を喜んだこと、パーティー後は二人の泊まる部屋(「ゆらり」のベッド付きの部屋)にあの(笑)YS氏と招かれ、当然(爆)パーリンカをご馳走になったのでした。

さて、そろそろ行動開始しなくちゃ。
続きはまた!

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2006.03.07

したたかな患者さん

今日はまた宿直である。
院長とかの立場でない限り、医師である以上20才台でも50才台でも、一ヶ月に3、4回は宿直が義務である。
うちでは、一応45才以上の医師は、本当の宿直は月一回くらいで、残りは「管理宿直」「管理日直」という、病院内にいなければならないが、よほど急患が立て込んで2名の宿直医では手に負えないとか超重症の方が運ばれて来るとかでない限り、ゆっくり寝ていられる宿直である。
私は、今週末から来週始めのコンサートの予定が分かっていたので、一学年下の医局長(学生時代から一緒に医学祭の事をやったりして結構親しかった内科医)にこの時期を外してくれるように頼んであった。更に、最後の週はさすがに引っ越しのため避けてくれていたので、先週木曜と今日という風に、珍しく宿直が接近してしまった。
いかに、管理宿直とは言え、老体(笑)には堪える。翌日の午前中はなんだかぼ=っとしている感じ。そもそも宿直室のベッドが酷すぎるのだ。固くて小さくて薄い。マットと掛け布団全部あわせて4000円くらいでかったんじゃないの?と思わせるようなチープなベッドである。大体、医局の狭さ、本棚の少なさ、医師用駐車場が確保されていない点などこの病院は医師に対するアメニティが低すぎる(その代わり、時間外労働は全額支払われるから給料は悪くない)。
ーー
さて、本題。
本日の外来に、2年位前に頭痛で一度当科を受診し、その際に「心配だ」という事でMRIも撮って「年相応で治療の必要なものなし」とカルテに記載されている方が来られた。82才。主訴は「頭痛」である。
一ヶ月くらい前から、頭のてっぺんの方がツツー、とかズキーンと痛くなるそうである。
吐き気もなく、食欲も落ちていない。82才であるし、腰は曲がっていて、膝が悪く、杖をついて来られたがそれ以外は矍鑠として元気なものである。
ちょっと話を聞き、普段の生活を聞き、それに対する受け答えを観察し、診察してどこも脳の病気を疑う所見がないので、「何も心配ない、単なる頭痛だから痛み止めをのめばいいです」というと、
「医者から12種類薬を貰っていて、痛み止めもあるから薬はいらない」という。
82才だし、誰か御家族と一緒に来られたかと思って聞いてみると、自宅からバスに乗って30分かけて一人で来たとの事。
「若い人に迷惑かけたくないし、じいさんに、病院行って来るよ!と言って一人で来た」と言う。
自宅近くの開業医から薬をたくさん貰っている上に、当院の内科外来にも通院中のようである。

2年前にMRIを撮って大きな異常がない事(80才相応の軽度脳萎縮くらい)、それから大きな変化のなかった事、頭痛は一ヶ月前からあるもので、脳の症状などを伴っていない事、今元気である事、からして特にそれ以上の検査や診察や治療を認めない患者ではあった。それを伝えると、不満そうな顔になり
「2年前はMRIを撮ってくれたんだが、今回はしてもらえないのか?」と仰る。
「念のためということで検査をする事は全く無駄とは言えないが、状況からして検査をしても異常が見つかるとは考えにくい」「検査を予約してまた来ますか?」というと
「今日、検査出来ないのか?」と要求された。

日本の医療制度では、医師には患者を拒否する権利も選ぶ権利もない。患者から望まれた検査や治療は、「患者中心の医療」という標語がある意味で曲解された「患者におもねる医療」によって可能な限り望み通りにしてあげないと、患者側がうるさい。投書する患者もいる。患者の望み通りに医師が従うことが「患者中心」と勘違いしている人も残念ながら中にはいらっしゃるようである。
82才の患者さんに、CTやMRIの検査が必要ないと考えられる事、それにかかる費用、自己負担と日本の保健医療の破綻の話などしても詮無き事。無駄の上に反感を買うだけ。ここは笑って
「あ〜そうですか。一人でバスで来たんだよね、おばあちゃん。じゃ、CT撮ってみましょうかね?」ということになった。私は、内心忸怩たる思いであるのだが、こんな人に医療費や保険診療の事を解いてもチンプンカンプンであろう。
無駄な努力をしないのが賢い医師なのか。。。。

結局、40分後、CTは、82才相応の脳の輪切りを写し出し、「特に脳卒中とか脳腫瘍とか、脳の中に病気はないですよ」(脳には痛覚がないんだから、頭が痛くても脳の症状じゃないんですよ、って言っても無駄だよな、、、と思いつつ)。
「頭痛いんだから痛み止め出しておきましょうか?」と私。
「いや、脳軟化とかでなければいいんだ。薬は○○医者からたくさんもらってるから。」と患者さん。

要するに最初から「脳の断層」を撮ってもらおうと思って病院に来ているのだ。
今後は、頭が痛いくらいで他に何も症状がないのだったら、かかりつけのお医者さんに話して必要だったら紹介状を書いてもらってきて下さい、と言ったら、「あそこにはCTはないし、この辺では「脳外科」はここしかないからここに来るんだ」とのこと。
ま、とにかく何も異常がなく、単なる頭痛でよかったね、と言ってお帰り頂いた。

今、病院に初診する初診料は高くなった(正確にいくらか知らない)。かかりつけ医がいるなら、紹介状を書いてもらってそれを持参して受診した方が安くなるし、普段飲んでいる薬もすぐわかるので診察のためにもその方がいいのである。しかし、82才の患者さんはしたたかだった。

要するに、かかりつけ医に行って紹介状を書いてもらってそれを持ってここに来るのは手間がかかり面倒である。自分は「脳外科」は2年ぶりだから「新患」扱いであるが、内科に通院中なので結局病院にとって「再診」扱いの患者さんとなる。だから初診料もかからない。薬は一杯貰っているから、結局頭の検査だけしてもらって何もないことが分かればそれでいい、のである。
まあ、この考えた方が間違っているとは言えない。自分の健康を気にして、病院で診察を受ける。正しい。
で、この方が今日病院に支払った金額は、1180円である。
内訳は、再診料72点(=720円)、CT診断料1106点(=11,060円)で、合計1178点(=11780円)。
老人保健で本人負担額は「1割」なので、ご本人の支払いは1180円(1円単位切り上げ)になるのだ。

収入の過多や考えた方次第ではあろうが、大きな病院の脳外科を受診して「脳神経外科専門医」で「脳卒中専門医」の診察を受けCTを撮って、「異常なし!大丈夫!」のお墨付きを貰えば、1180円は安い、と私なら思う。皆さんは、どう思われるだろうか?

そして、もう一度、上に書いた診療報酬(支払った金額の内訳)を診て欲しい。
どこに「脳外科専門医受診料」とか「脳卒中専門医受診料」とか「脳外科的診察料」とかが含まれているのだろうか?どこにもないのである。
要するに、「再診料」=病院をある一定期間以内に一度以上受診している人が病院に来たことで必要な最低限の料金のこと。カルテの準備だとかクラークの仕事、その他経済効率から言えば、一人の人が病院に来て受付しカルテ、資料が揃えられ外来に運ばれ看護師が問診し、医師が診察し、診察が終了して帰宅するまでが720円では元が取れているのかどうか怪しい。
「CT診断料」=CTの検査を受けた料金。1億とか2億とかするCTで、そのランニングコストや操作する技師の人件費やフィルム代や診断する放射線科医その他諸々の事を考えると、これだって元を取っているのかどうか。
その他は?
何もないのである。
私はどこにいるのだろう。このシステムからすれば、「私」は存在しない。
CTを今日撮る、という判断をし申し込みをするのは、医師でなければできない。看護師や受付のクラークではできない。本来は順番待ちの予約の検査を、「脳卒中の疑いもあるから」という医師の「判断」によって、即日検査をすることになるのであるが、そんなシステムも、患者さんに便宜を図るためにやっている事もわかっている患者さんは少ないと思う。そして、上のシステムからすれば、医師でありさえすればいいので、「今日CTを撮る」というオーダーを出すのは、卒後1年の研修医でもいいし、脳の事なんてわからない産婦人科医(産婦人科の先生ごめんなさい、私は婦人科の事分かりません、、、)でもいいのである。そして、医師が問診し診察し判断したことはなんと「無料」なのである。
もし、診察でお金を穫ろうと思えば(嫌ないい方だが)、「眼底を眼底鏡で検査する」「たたせたり、歩かせたりして平衡機能をみる」などの、何らかの「検査」をしなければならない。その上、そういう事をしたなら、「眼底出血の疑い」とか「頭蓋内圧亢進の疑い」とか「小脳変性症の疑い」とか、何らかの病名をつけなればならない。
いや、CTだって脳の検査をする以上は、「頭蓋内占拠性病変の疑い」(脳腫瘍疑いという事)などの『病名』をつけなければ日本の保険診療制度の中では診療報酬(つまり保険機構から病院への支払い)がなくなるのである。

今日の患者さんは、まさかこんなカラクリはご存じないと思う。意に介していないだろう。
自分は、バスで30分かけて来て1180円病院に払った。何も文句を言われる筋合いはなかろう!82才だ!
私もこの患者さんになんの文句もない。ただ、お金の事ばかりで申し訳ないけれど、厚生労働省の役人の方々、保険診療報酬制度にかかわる方々、おかしいと思いませんか?
医師になって20年以上の経験を持つ、脳外科学会と脳卒中学会の専門医を持つ者が診察しても、その「診察料」自体は『無料』なんですよ。
患者さんが支払って行った1180円の内訳は、病院に来た事に対する支払いとCT検査を受けた事に対する支払いです。私が、10〜20分かけて、問診したり診察したりカルテに書いたり出来上がったCTを読影しそれを患者に説明し安心感を与えたり、そういう作業技能能力は現行制度では『無料』なんですよ!

今日もなかなかしたたかな患者さんから勉強させて頂きました。

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2006.03.06

人気ブログランキング

こういう文章のブログの他に、「音ブログ」というのをやっている
真○かを○さんみたいに、「ブログの女王」とか呼ばれたいとか、あわよくばブログを本にして一儲けなんてことは考えてはいない(いや、ほんのちょっとだけ邪心はありますが、、、)(^^

このブログ、カウンターもつけていないので、今まで何人の方が読んで下さっているのか、書いている私にもさっぱり分かりません。Shinobiとか、どこからどういう経路でアクセスがあったのかを解析するサービスもあるらしいが、確かに少し興味はあるけれど、そんな機能を実装するために何か努力というか作業をする時間は、私にはもったいない。
コメントを寄せて下さる有り難い方達は、いつの間にか顔なじみのようになってしまって、読んでいるだけの方も大勢いるとは思われる。というか、知らないうちに、知り合いがたくさんこれを見ている可能性は常に考えなくてはならない。私が一番危惧しているというか、実際、そうなんだろうと思うのは、うちの大学の関係者がこれを読んでいるであろうことである。多分、これだけ「ブログ文化」が広まればここにアクセスするなんて簡単な事だ。

でも、私は、書きたい事を、公序良俗に反しないように、個人情報保護法に触れないように書いてきただけで、ウケを狙って書いたところはあるにしても、ランキングなどを気にした事はない。
しかし、音ブログの方は、公開している以上は、恥ずかしい演奏ではあるけれど、聴いてもらいたい、聴いた人から、肯定、否定の意見やアドバイスや感想をもらいたい、と思っている。
そして、それを糧に更に努力してもっと高い次元で演奏出来るようになりたいと思っている。そう遠くない将来には、作曲や編曲にかかわりたいとも思っている。ずいぶん前から思っていたが、基礎的な事を勉強する時間的余裕もないまま、「対位法」だとか「和声」だとか「オーケストレーション」だとかいう本だけは少しずつ増えて行っている。
今の私にとって、音楽はとても大切なものである。

そう、その「音ブログ」のことであるが、本日(もしかすると昨日?見てなかったので)、『人気ブログランキング』というサイトの「クラシック」部門で上位25位に入っていた。今現在は24位である。
興味のない人には、「なんのこっちゃ?」であろう。「ランキングなど気にした事ない」と言ってたじゃないか?と思われるかも知れない。
この音ブログの方は、ランキングが気になる。
上位25のサイト中、「女性音楽家」のサイトが10、「プロの音楽家(男女、個人団体問わず)」のサイトが17を占める。私のような、アマチュアの男性(しかも若くはない)のサイトは、多分2つか3つである。
更に、おおかたは、「写真付きの日記スタイル」「日々の徒然」であって、その文章に惹かれて多くの読者が集まっているようであるが、私のように、自分の演奏をほぼ毎日のように公開しているサイトは、上位50サイトの中でも一つか二つしかないのである。

けっして褒められた、上手な演奏ではない。それは自分でもわかっている。40才台後半に差し掛かる年になって、およそ35年ぶりに新しく総銀製のフルートを買って、20数年ぶりに自分なりに真面目に笛吹きに取りかかった、いわば「おじさんの挑戦」である。
夢だけはでかい。
プロコフィエフのフルートソナタをスラスラ吹きたい。
モーツァルトのフルート協奏曲やフルートとハープを、アマでもプロでもいいからオケをバックに演奏したい。
ヴィヴァルディやバッハを、チェンバロやピアノと一緒に「美しく」人前で演奏したい。

今のレベルでは、まだまだ、まだまだ、である。しかし、実現不可能な「夢」ではない。
少しずつ、日々の(毎日とは行かないが)練習の中に、プロコやモーツァルトを入れる事もあるし、バッハのソナタを練習する事もある。自分の今の力でギリギリ及ぶかちょっと力不足くらいの曲を選択して、人前で発表する機会を得れば、無理にでも練習するし、実現には近づくと考えている。
コメントも寄せずに「ふっ!下手くそが!」と思っている人や「よく、こんな演奏で恥も外聞もなく、、、」と思っている方も大勢いるとは思うけれど、そういう無言の批判も感じながら、恥ずかしいけれど、「もっと上手くなりたい」という気持ちを、想いだけにとどめず行動に移すためのエネルギー源、それが私にとっての音ブログの意義だと言える。
だから、ランキングが気になるのである。

ここ数日、ランキングがあがった要因を考えてみた。多分、バッハだろう。皆さん、バッハには惹かれるのだと思う。演奏する方にとっては、バッハやモーツァルトは難しい。それぞれに違った難しさがある。
バッハは単純な構成がおおいけれど、教会、宗教とは切っても切れないものであり、そういった「心」を確かな技術で表現しなくてはならない。だから、しっかり安定した音程、音色、きちんとしたアルペジオなど基本の基本が出来ていないといけない。すぐに実力がばれる。見せかけのテクニックだけでは太刀打ち出来ない音楽である。
モーツァルトも難しい。演奏していて楽しい曲が多いけれど、人前で演奏者が楽しんでいるように演奏してみせるにはプレッシャーのキツい音楽である。シンプルで美しいから、誤摩化しがきかない。

洋の東西、時代の新旧を問わず、人の心に「美しい」「素敵」と響くメロディーやフレーズは揺るぎがないようである。時代の趣味とか流行すたりというのはあるようであるが、「クラシック」の「クラシック」たる所以は、この流行すたりが少ない事であろうと思う。

演奏も、今月中にも、残念ながら毎日はアップ出来なくなるのであるが、もう少しは「アマチュアのおじさんの独りよがりの演奏」が上位を窺っている快感を味わっていたいな〜。(^^

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2006.03.04

今日は3/4です。

って、実は、丁度一年前の3月4日にも、同じタイトルでブログ、書いてます。
Happy Birthday !なんだか、今は韓国に勉強(?)に行っているらしいですが。
ーー
そして、同じ日だから当然ですが、2年前に長嶋茂雄さんが脳梗塞に倒れた日です。
あれから、一生懸命頑張ってリハビリをされて、最近は時々我々の前に元気なお姿を見せて下さいますね。
元々自らに限界を決めるような人ではなさそうだし、まだまだ頑張って頂きたい。
ーー
今日は当番だが、既に2名脳卒中で入院させた。一人は長嶋さんと同じ(というより故小渕首相に近い)、脳塞栓症だった。心源性の血栓が脳の血管に詰まって起きる脳梗塞である。心房細動がある。来院時は凄い頻脈で、一分間に180〜200回の心拍数を呈していた。脳保護の治療も大事だが、心臓の治療が中心になりそうである。でも「脳卒中」であり、失語症、意識障害があるので「脳外科」が診るのである。心臓が原因なのに循環器内科は、意識障害のある急性期の脳卒中など診たがらない。意識障害を扱えるのは脳外科医だけであるから。
新臨床研修制度で学ぶ卒後1年、2年といった「研修医」は、各病院のプログラムに従って、自分の希望と教育研修部との話し合いで、いろいろな科を2年間の間に回って勉強する。
必修の科もあれば必須ではない科もある。
「脳神経外科」は、必修ではない!脳外科と言う臨床科が「特殊」というイメージがあるからだろう。
ところが、先日も書いたように、『意識障害』の患者を最もたくさん扱うのは脳外科医である。脳が直接の原因ではなくて、たとえ心臓が原因でも低血糖でも、意識障害で救急外来に運ばれると脳外科がコールされる事がある。酒による意識障害でも呼ばれる事がある。
なぜかというと、意識のない人、意識が混濁してきちんと反応しない人を診察する技術や経験を持った医者は、脳外科医以外にはほとんどいないのである。救命救急医は当然こういった患者を扱うのであるが、救命救急医が常勤している病院は数少ない。そして、意識のレベルを判断し、その原因を鑑別し、正しい診断をつけ、速やかに適切な治療を開始する、という観点からすると脳外科医に優る臨床かはいない、と手前味噌ながら断言出来る。それなのに、研修医の必修科目ではない。
この辺は、全国的に反省して改めるべきである。
こころある教育研修部のある病院では、独自に考案して研修医が脳外科を必ず回るようにしている。うちの病院もそうである。

呼んでも返事をしない、叩いても目を開けない人の状態を調べるのは、知識と技術と経験である。何もまやかしや手品ではなく、勉強すれば誰でもできることなのだ。


今週は、三叉神経痛の顕微鏡下血管減圧術、脳底動脈ー上小脳動脈分岐部破裂脳動脈瘤のクリッピング手術、前交通動脈破裂脳動脈瘤のクリッピング手術と大物が3件あった上に、急患も少なくなく、忙しかった。
一昨日は宿直だったので、昨日手術が終わってICUで指示を出して患者の状態を診て、しばらくして帰宅するまで、約38時間ず〜っと病院の中にいた。
それでも、今日は当番なので8時半から病院に来て、ICUの術後患者、HCUの術後患者、病棟の患者を診て回り、指示を出し、処置をし、そして急患二人を入院させ、そろそろ帰宅しようかなと思っているところ。
昼食はどうしよっかな?

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2006.03.03

感動した!

昼食時に(昨日は宿直で、病院食の検食だったが、「楽しい雛祭り」のちらし寿司だった!)、医局談話室のテレビを観ていたら、荒川静香選手の事をやっていた。
オリンピックでの活躍を予測して、オリンピック直前に発行され、現在入手困難になっている、漫画『荒川静香物語』のこと、大学時代時給850円でファストフード店でバイトしていた事、しかもそこの店長もフィギュアの選手だとか長野五輪に出たとか全く知らなかった(しーちゃんが言わずに黙々と働いた?)こと、ファンサイトのこと、大好きなアイスクリームのこと、などなど取り上げられていたが、一番感動して不覚にも涙が出そうになったのは、お母さんのことだった。

フィギュアスケートの演技の後にファンが花を投げ入れるのは有名となっている(これも、実は日本で投げやすい花束を開発した花屋さんがいて、日本が初のものらしい)。荒川選手クラスになると、投げ入れられる花束も半端な数ではない。
よくチビッ子スケーターが出てきて花束を広い集めているシーンをテレビで見る。
そして集まった花は、楽屋というか控え室に届けられ、その後は処分されるのかな〜、と思っていた。
プレゼントした方だって、自分の花が選手の手に本当に届いているかどうかなんて分からないであろう。

ところが、荒川選手の母親は、驚いた事に、頂いた花を全部持って帰るのだそうだ。手で持って帰るのは大変なので、宅配便などで仙台の家まで送ると、時には花の送料だけ2万円もかかるのだと報道していた。
更に、その家に届いた花を全て自分の手でまた飾り付けているそうである。
驚いた。
普通、まあ、少し気に入った花を貰って、あとは欲しい人に分けて残ったものは捨てると思うでしょう。
届いた花を飾り付けるのに徹夜した事もあるというのだから、感心を通り越して驚嘆である。

あの母にしてこの娘あり、なんだなあ。
私もコンサートの時に花を頂く事がある。でも、知人からお祝いという形なので、多くたって4、5人である。メッセージが添えられていたりするので、捨てるには忍びなく、すべて車に積んで家に持ち帰る。そのままドライフラワーにしたものもあったが、引っ越しの時に申し訳ないけど捨ててしまった。
花を頂いて嬉しい、有り難い、という気持ちを母が態度で示せば、娘だって「私はトップ選手よ!」などという傲慢な態度など微塵もない、あの「しーちゃん」スマイルを振りまく素敵な女性になるのは頷ける。
彼女の「クールビューティ」たる所以は、素敵なお母様によって生まれているのだと思う。
感動した!(K首相風に)

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旧暦では2月4日

このブログを続けるのか、辞めるのか、別に決めていはいない。ただ、今までのようには気ままに書きにくくなる事は確か。医療問題を取り上げる事は控える事になるだろう。

さて、宿直の夜は更け、日が変わった。
3月3日、『桃の節句』である。

先日、細○和○の番組を見るとはなしに見ていたら、ひな飾りは「節分」を過ぎたら飾り3月3日の夜から4日の朝までには片付ける、などという話が出ていた。
ひな飾りを片付けるのが遅れると、婚期が遅れる、行き遅れる、という迷信がある。
確かに、「季節」を愛で祝う行事だから、季節が過ぎてダラダラやっていたのでは粋ではない。
しかし、こういう伝統行事は本来「旧暦」で行われていたもののはず。
今日、新暦の3月3日は、旧暦の2月4日である。では、旧暦の3月3日はいつかというと、新暦の3月31日となる。ということは、3月31日まではひな飾りをしまわなくてもいいのではないだろうか?

西回り航路の拠点港であった酒田は、最上川が日本海に注ぎ込む河口に位置する。このため、県内各地の米や紅花やその他の特産品は、最上川舟運によって酒田へ集められ、酒田からは京、上方の文化文明が各地に運び込まれた。
そのため、港酒田はもちろんのこと、最上川に近い各地に、江戸時代の京雛が大切に伝え残されている。有名なところでは、やはり酒田の旧本間家縁のものや、紅花の一大産地であった河北町などに、古いお雛様が伝わり現在でも観光客に公開される。有料のところが多いが無料で自宅の古いひな飾りを公開している家もある。
それらのお雛飾りは、大方、4月の上旬頃まで展示されている事が多い。旧暦の桃の節句すら過ぎてもまだ飾られている。百何十年前のお雛様を、ちょっと出して、直ぐ片付けるのが勿体ないのか。
とにかく、2月末から4月初めまで飾られている事が多いようだ。庄内や内陸の河北辺りをこの時期訪れるチャンスのある方は、是非、どこかで雛飾りを公開していないか、探してみられると良い。
行き遅れる、なんて、今の世の中、20代で結婚する女性が珍しくなってきているのではないだろうか?
医学的確率論からは少し問題であるのだが。

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2006.03.02

ついに、、、

昔から、よく親(特に母)が言っていました。
『一月はいぬ、二月はにげる、三月はさる』と。
こないだハンガリーに行って、プラハで楽しい思いをしたばかり、だと思っていたらもう3月です。
あと3週間もしないうちに「春分」です。本当に早いですね。
毎日陽が長くなるのを感じます。
少し早めに病院から帰宅する日は、「あれ?まだ空が少し明るいや。陽が長くなったんだな〜」と実感します。

そして、あと3週間少しで引っ越しもしなくちゃ、大学へ戻る準備もしなくちゃ。
大学へ戻ってから私に課せられている大きな仕事の一つは、既に準備が始まっていて2月の時点で前任者から引き継いで、外の病院にいるのに私が担当になっています。今日の午後は手術があるのですが、その仕事の準備として印刷屋に会わなければなりません。これから2、3週のうちに完成させてゴー!という仕事がひとつあるのです。
市中病院の医師は、臨床医としての活動をきちんとこなしていれば誰からも文句を言われる筋合いはないのですが、急に大学の仕事が加わりました。同時に全部を万全にこなす事は不可能なので、バランスをとりながら、優先順位をつけて仕事を片付けて行くしかありません。
どうしても、大学の仕事が優先されます。より公的な仕事だからです。
すると病院の仕事は後回しか、夜とか休みの日にやるしかありません。
当然、ブログを書いている余裕も減ります(今は昼休み、昼食前、手術開始は午後遅くの予定)。

そう。ついに、このブログも年貢の納め時が迫ってきたのでしょうか?
週に1、2回しかかけなくなってしまうかも。それ以下の頻度になるかもしれません。

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