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2006.02.09

説明と理解

 昨日は宿直だった。準夜帯(夕方から午後24時まで)は病棟からの患者変化の報告が2件あったくらいで落ち着いていたので、最近買った本とCDを聴いたりネットをふらついて遊んでいた。
午前0時からの深夜帯も何事もなく過ぎそうだな、などと考えながら0時過ぎに宿直室に入ったらまもなくしてポケベル(あ、ちなみにポケベルって商品名ですよ)がピーピーとなった(英語ではビーピーなるからBeeperと呼ぶ、または呼び出す事をpageということからPagerと呼ばれている)。
夕方から軽度の運動障害があったが軽いので様子を見ていたけれど改善しないということで深夜近くになって救急車で来院した。意識清明、麻痺もほとんどなし。MRI(DWI)で小さなまだ淡い虚血巣がわかる。
脳梗塞の診断で入院となった。
まあ、症状が軽い(独歩でトイレにも行ける、なんだか口の戻りが悪いくらいで痛いとか苦しいという症状がない)から「直ぐ戻るかも知れない」と思って様子を見る気持ちも分からないではないが、患者も家族も「脳卒中」を疑っていたらしい。
「これからは脳卒中だと思ったら直ぐ来なさい!」と説明する。
 いろいろな啓蒙活動や講演会やテレビでの特集などがあるにもかかわらず、まだまだ「寝てればそのうちよくなるべ〜」とか「半身不随みたいな症状じゃないからちょっと様子を見よう」とか「痺れが出たが家族にも黙って部屋に引きこもっていた」とかいう患者さんが後を絶たない。それには人それぞれ様々な理由がある。人間というものは「痛み」と「かゆみ」などの我慢出来ない症状では大した事なくてもすぐに病院に来るのだ。しかし、たとえば糖尿病で要治療と言われようが、高コレステロール血症で食事を改善しなさいと言われようが、血圧が高いから薬を飲みなさいと言われようが、「痛く」も「かゆく」もないので医者の言う事を無視してしまう人がいる。「何の症状もないから大丈夫さ」という思い込みである。
糖尿病や高コレステロールや高血圧で「症状」が出たらもう大変なのだ。こういった『生活習慣病』に対する認識は田舎に限らずまだまだ国民の意識が低いと思われ嘆かわしい事である。

 今日の外来も新患を5人診たが皆見事に「頭痛」、しかも慢性のものばかりであった。鎮痛剤などの薬で対症療法をする疾患であり「脳外科医」が治療に当たる「疾患」ではないとすら言える(反論はあるでしょうが、欧米の感覚での脳外科医では慢性頭痛の治療は守備範囲外のものです)。「家庭医」または「総合内科医」の仕事。
 こういうモチベーションの下がる仕事をしていると、脳外科医でいる事、医師でいる事をなんとかしたくなってしまう。重症疾患救急の緊迫感、緊急手術の高揚感、難易度の高い高度な脳手術の達成感はそういう事が好きであればなおの事、経験すると病みつきになる。私も嫌いではない。しかし最近考えが変わりつつある。
 もとより、単なる「慢性頭痛」が、いくら命に別状のない病状といえど、痛み止めを飲んで仲良く付き合うしかない病気といえど、当事者にとってみればそれで食事がとれなかったり床に臥せっていたり仕事ができなかったりする事まである「一大事」である。何もクモ膜下出血や脳深部の脳腫瘍が「高等な」病気な訳ではない。

 先日、救急外来の看護師に「先生の説明は本当に分かりやすいですね〜」と感心された事があった。脳卒中の患者さんの家族に画像を説明して、今何が起こっているのか、これから何が起こりうるのかを話した直後の事だった。そういう説明が苦手だと思った事はないが、そんなに得意と思った事もない。要するに他の医師、普通の医師に説明が下手な人が(または真面目に説明する気のない人が)まだ少なくないという事なのだろうか。私は私の師から「informed consentというのは、説明を聞いた相手が『理解』してこそ成立するのであって、「私は言いました」ではだめ!必ず紙に書いて専門的な言葉などは言葉を言い換えたりして噛んで含むように話をすること。そうしても伝わらない事は多いという事を肝に銘じておく事。」と教育されそれを守って実践しているだけである。特に脳外科は、患者自身は意識がない人や朦朧としている人や認知症の人が多いため家族にきちんと病状を説明しないと治療が始まらないし、急変してから説明したのでは「なんなんだ!」と家族の不信や怒りを買う事が多いので、我々のずっと先輩の代からきちんと説明する事が当然、仕事の大事な部分を占める診療科である。
 看護師から感心された事は裏を返せば他の医師の説明が分かりにくい、または説明が不十分である、という事になるのではないか?みんなちゃんとやってないのかよ。という思いである。

「慢性頭痛」という病気は、患者さん自身がその病態や症状を良く理解して上手く付き合う事が必要である。薬の服用に付いても症状に会わせて適宜という事が必要なので、その辺をうまく理解してもらうための「説明」というのはとても大事な治療である。おそらくあまり頭痛を診ない一般的内科医は、病態を知っていてもそれを微に入り細に入って説明する事まではしない人が多いのかも知れない。一方、CTなどの画像診断を気軽行って頭蓋内の疾患を否定し「慢性頭痛」の何たるかの知識を持ち、患者や家族にはきちんと説明する事を教育されてきた脳外科医はやはり「慢性頭痛」を治療するのに向いている医師なのかも知れない。
 頭痛だけを診る「脳外科」医も世の中には存在する。自分はまだ「頭痛」だけを診察治療する医師になりたいとは思わないが、宿直で疲れている自分の身体や精神に気付き、いろいろモチベーションの下がる事、考え方を変える必要のある事に気付くと、そろそろ自分の身体や心を犠牲にしてまで働く事から離れて、患者さんも自分も平和で幸せになる道を求めてもいいのかな〜などと考えてみたりする。

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コメント

たしかに 分厚い 頭痛の教科書を執筆していらっしゃるのは 脳外科の先生ですね。薄い教科書が好きですが、よく見たら これも執筆者が脳外科の先生でありました。
やはり 脳外科には 頭痛の患者さんが多いのでしょうね。

理解して頂くまで 説明するには 双方に時間的な余裕、精神的な余裕がないと 駄目ですよね。その意味では、疲れないくらいの診療であるのが良いのは間違いありません。
でも救急外来で カルテが山積みされると なかなか出来ないものですよね。。。。

投稿: suyasuya@頭痛患者が少ない病院 | 2006.02.09 22:06

うちの病院では内科医不足から頭痛、めまいなどの主訴の新患患者のほとんどは脳外科外来に一手にまわされます。そのおかげで新患、再来(予約外)受診の患者数は時に1日20人を超え一人外来の限界を超えているのでは?と週2回の外来日はストレス多いです。
いかに少ない時間でより多くの満足感を提供して問題なく帰って頂けるか、やはりサービス業なんだなと常々実感しております。
しかし、それも経験であり、自分の診断能力を鍛える機会だと言い聞かせ、日々奮闘しているつもりです。本当に力になってるのかな・・?
と書いている私は明日外来日です・・・。(T_T)

投稿: taka_o | 2006.02.09 23:06

すいません・・・私、そのモチベーションを下げる頭痛でずっと脳外かかってました。
と言っても薬もらうために病棟のDrに診てもらってたんですけど。

ムンテラ、そうですよ!
他の看護師もそう思ってたんですね。
でも脳外のDrは内科系のDrよりもムンテラが
上手(わかりやすい)と思います。

投稿: U | 2006.02.09 23:17

suyasuyaさん、taka_oさん、Uさん、おそらく「脳には痛覚がない」ということを患者さんにきちんと説明出来る医師は少ないと思います。
「頭痛」とは脳の痛みではない、つまり脳の病気で頭痛は直接は来ない、ということ、それなら何故クモ膜下出血や脳腫瘍では頭痛になるのか、なぜ脳梗塞では頭痛が起きないのか、などを理論武装している上に、CTやMRIを放射線科医の力を借りずに責任もって読影出来るのは脳外科医くらいだと思います。
自信を持って責任ある発言が出来るから、分かりやすくなるのだと考えます。
 しかし、一般の救急(=時間外外来)の現場では、次々と来る患者さんを「処理」することに追われてしまいます。そんな不十分な診察にフラストレーションを覚えながらやっていると突然爆発したくなる時があります。。。

投稿: balaine | 2006.02.10 10:12

外来受診って、患者にとっては(私限定かも)ちょっとした---鉄火場?違う、築地での仕入れ?もっと違う、カードテーブル?お見合い?少し近いかも…うまく言えませんが、ちょっとした勝負所なんです。
入院時ならともかく、外来では医師だけで無く、患者にも時間的ゆとりは許されていません。
初診は特にですが、多少の馴染みが加算されていく再診でも同様に思います。
そこはいわば、「一期一会」の空間・時間・シーン。
相互理解できたら最高ですが。
双方の表現力の勝負です。
こっちがボーっとしたテンションで受診すると、実のない受診結果に終わったりします。
軽めに言う時もあれば、重めに言う時もある。
それはその時の心理状態によるんですけど。
患者は無意識に感じ取ろうとしてると思いますよ、医師の正面・横顔見ながら、相性イイかなあって。

「分かりやすく説明してくれたからいい先生」、「話をじっくり聞いてくれたからいい先生」、「著名だからいい先生」、「部長先生だからいい先生」、「すべてお任せできるいい先生」、「信頼できるいい先生」…患者は色々言います。
そして「いい先生」という表現をよくします。
もちろんみんな当たってるかも知れ間せん。
でも、「どうぞこの出会いが、この病気を治してくれるいい先生との出会いでありますように。」という患者の願いと、「いい先生じゃなきゃあ困るんです」という、叫びのような気がします。


投稿: ダブル | 2006.02.11 00:43

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