トリノ五輪閉幕に考える
オリンピックはお祭りです。スポーツの祭典です。でも、演劇やコンサートと違って、順位を争う「競技」です。
真剣に順位を争うからこその緊張感と不安と喜び。だから勝者が美しく輝くのです。
選手+役員あわせて238名も送り込みながら、メダルが「しーちゃん」の金一個に終わった事に対して、選手団団長から「各競技団体は猛省をしなければいけない。選手団のスリム化にも手をつけなければならない」という発言があったそうです。
オリンピックは『参加する事に意義がある』だったはずですが、LA五輪辺りからかなりショービジネス化してきて、「金儲け」の対象にもなってしまいました。企画立案実行に莫大な費用がかかるのですから、それを最低限の赤字で、可能なら黒字にしようとすることは運営者側の考えとして当然理解出来ます。
ただ、上記選手団団長の発言は少し気になります。
要するに、世界レベルで闘えないような競技は最初から参加するべきではない、もっと国内で代表選考を厳しくして「参加枠」があってもレベルが高くなければ出ない、という考えを示したのだと思います。この考えを一概に「おかしい」とは決めつけられません。
選手団の派遣費などがどのように支出されているかは、いろんな問題があるのか明瞭になっていませんが、一番大きいのは「競輪団体」からの補助金のようです。これが全選手団派遣費用の7割を占めるとも言われています。「競輪」=ギャンブル、というイメージが強いのであまり公にされていないのだと思います。
更に、JOC公式スポンサーの大企業からの寄付補助金。テレビのCFでたくさん見ましたね。ト○タなんか、今や世界一の企業なんですから、当然と言えば当然、もっと出してもいいんじゃない?という感じですが。
残りは国民の税金です。
具体的な数字は知らないので、例えば一選手平均トリノ選手村や周辺の直前合宿などもあわせて(合宿どころでない選手もいますが)、大雑把に10日間滞在するとしましょう。よく分かりませんが、一人当たり食費などを含めて一日10000円かかるとすると、10日で10万円。往復の旅費が一人平均10万円。その他、ユニフォームなどなどあわせて一人当たり10万円、さらに競技によってはかなり前から合宿したり、現地でリンクを借りて練習したりしているので全体にならして一人当たり+10万円として、計一人40万円となり、全選手団(役員含む)で9520万円。およそ一億円となります(きわめていい加減な概算ですが)。
五輪代表を選ぶまでのもろもろは無視して、単純に選手団を結成して派遣して解散するまでに一億円かかると考えたとき、「費用対効果比」はどうでしょう?
一億円で金メダル一個だけです。
こういう結果を突きつけられれば、世界レベルで闘えない競技は参加しない、選手団をスリム化する、すなわち選手派遣にかかる費用を抑えて「費用対効果比」を上昇させるようにする、という発言をされた事になります。
これでいいのでしょうか?難しい問題ではあります。
ボブスレーの選手達。オリンピック参加条件のギリギリの成績だったため、直前まで行ける、行けないで揺らいでいました。もとより世界トップレベルからは遠く及ばなかったはずです。誰もメダルなど期待していませんでした。
メダルを期待出来ない選手、せめて入賞するレベルにない選手は最初から派遣しない、ということにしてしまっていいんでしょうか?順位をあらそう競技である以上仕方ないのでしょうか?
日本の代表として、国民の税金を使って、いろいろな賛助援助補助を得て参加する以上は、良い成績を期待されて当然だと思います。そういうプレッシャーとも闘うのが彼ら選手の使命でもあります。
2/24のブログで書いたように、やはり「かね」がかかります。
世界レベルで闘うためには、10年以上の単位での長期的視野にたった選手の育成が必要です。「かね」がたくさんかかります。自分の企業の宣伝になるスポンサーはいいのですが、これも「費用対効果」を考えた場合、費用ばかり嵩み効果が少ない場合は、スキー部、スケート部の廃止、選手へのサポートの停止となってしまいます。選手層が薄くなり、コーチも少なく、練習場も限られ(フィギュアやスピードのスケート選手専用の通年使えるリンクなんて一つもない)、遠征にも何もかにもお金がかかります。
あるテレビ番組で、「金」を獲った荒川静香選手の御両親が、子供の時からスケートにかけた費用が試算されていました。5歳からスケートを始めて19年間で2億円近く注ぎ込んだ事になっていました。
そうだろうな〜、と頷く数字でした。
同時に、あるフィギュアスケート選手で全日本4位くらいの実力の人が、親の定年退職を機に競技生活を引退した、とも報じられていました。金がかかるからこれ以上選手でいられない、ということです。もし、才能ある荒川静香選手でさえ、何らかの家庭の事情などで経済的に選手活動が継続出来ないということでもあれば、長野五輪を最後に終わっていたかも知れないのです。
これはスポーツのみならず、音楽などでもそうです。ピアノやバイオリンを3、4歳から始め、楽器を与え、教室に通い、上達したら良い先生につき、新幹線で東京に月一回レッスンに行き、もっと良い楽器を買い与え、音楽高校に行き、コンクールに出場し、音楽大学に行き、特別課外レッスンも受け、海外に講習に参加し、コンクールを受け、大卒後海外留学をし、コンクールを受け、、、
こんなことをしていたら、1億、2億なんてすぐかかってしまう事でしょう。まして、ストラディバリなんて楽器だけで2億円からするんです。チャイコフスキー国際コンクールでバイオリン部門で日本人初の優勝者となった諏訪内晶子さんは、おじいさまかおばあさまが裕福で(さる大企業の会長だか相談役だかなんかの役員だった?)彼女のためにストラドを買い与えたと聞きました。もちろん楽器が凄いのではなく、それを弾きこなす技術を身につけるために、血の滲むような、いや本当に血を滲ませて一日8時間も10時間もバイオリンを弾いて練習をした彼女の努力と才能があればこそですが、でも金をかけて努力すれば誰でもチャイコフスキーコンクールで優勝出来る訳ではないでしょう。世界で一位というのは、素晴らしい事ですが2位以下が凄く劣る訳でもない。たとえば音楽コンクールで優勝した人がその後伸び悩み、入賞くらいだった人が世界から賞賛される音楽家になるなんてこともあります。コンクールはひとつの尺度であり登竜門に過ぎません。
今回のトリノで、入賞もできず予選敗退した選手もたくさんいましたが、「惨敗」だとか、「甘い」という意見もあるようですが、個人的にはスポンサーがある限りは上を目指して闘い続けて欲しいと思います。日本選手団にしても医療における構造改革と同じように「無駄」を省いてスリム化は必要でしょうが、今回の結果を受けてメダルが期待出来ない種目は参加しない、という考え方がおこるようでしたら大反対したいと思います。
お金にまつわる事ではありますが、医療費抑制とは土俵が違いすぎて医療問題に導入出来ませんが、無駄や華美を排して、しかし、世界で闘える選手を育成するためにはお金はフンダンに注ぎ込まなければならないと思います。
メダルを獲ると日本全体が明るくなるし、獲れなくても頑張っている選手の姿は我々へ励ましになります。あわせて経済効果もあるようですし、メダルの数が少なかった(5個獲れると予想)からといって「費用対効果比」だけで選手派遣や育成を制限する方向に向かう事のないように希望します。
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コメント
<思い浮かんだこと>
スポーツ、音楽、絵などに秀でてて大成した人たち=スペシャルな人たち=gifted people
…才能、チャンス、お金の組あわせ。
我々はすっかり観客でいることに慣れっこです。
彼らは特別だからと、距離、置きます。
スポーツ、音楽、絵で生きていこうという決断はそれほど簡単ではありません。
スポーツ推薦で高校に行くのも芸術系の高校に行くのもためらいがあると思います。
走れなくなったらどうしょう、絵の才能なんかあるかどうかわからないと。
大学となるともっと、大きなためらいがあるでしょう。
食べていけるのか?って。
現実は、分相応、堅実、手堅くでの選択だらけだと思います。
スポーツ、音楽、絵、それらのポジションの在り処。
かつては書生っていうのがありました。
今もあるのかな。
見どころのある若者のスポンサーになる。
特別の分限者でなくても やってたと思います。
もちろんお金持ち度によって 人数は加算されたでしょうが。
ステイタスだったのかもしれませんし、
ひょっとして、芸術家志望の若者のスポンサーになることは道楽だったかもしれません。
でも、みどころのある若者を育てるのは当たり前のご時勢だったかもしれません。
ただ今より経済的な格差の大きい時代だったことは間違いないです。
だんだんと格差の少ない世の中になって行き、それは国民の経済生活の向上ってことです。
もちろん今もすっごいお金持ちはいますが、
質は変わりましたよね。
懐古趣味のつもりはありません。
ただ現実性のある方向性決めないと、
価値観ふらふらで、ブームに煽られて、なあんも実を結ばないようで。
でも、それって誰が決める!?
投稿: ダブル | 2006.02.28 00:22
ダブルさん、日本と欧米の差ですが、Gifted=神から何らかの才能や運を与えられたと思われるような有能な人、に対する周りの接し方が違います。これはやはり宗教の違いが大きいと思います。欧米でも「足を引っ張る」ということはあるにはあるでしょうが、日本のような「ムラ」意識、みんな一緒、みんな平等の農村社会では、一人だけ飛び抜けている事は時に周囲の平和を乱し疎まれる存在にすらなります。
Gifted personは、親・親類に資産家でもいて経済的援助が得られなければ、あたら才能を埋もれさせてしまう可能性があります。これが欧米では、「将来有望な人」という事で、学校や地域社会や篤志家が援助したりします。
早くに米国に渡ったからではありましょうが、五嶋みどりにロックフェラー財団からストラディバリが無条件貸与された話は有名です。日本にいる時は、誰も援助の手を差し伸べたりしてないでしょう。
「書生」の話は古過ぎだとしても、(^^、才能があり努力を継続する天才で夢と望みがある人には「世界の財産」として支援する動きがあって当然だと思うのですが、現実は費用対効果を考えた「見返り期待ビジネス」なんでしょうね。
投稿: balaine | 2006.02.28 13:16
(追加)
時代が違う、国が違うとはいえ、カーネギーやロックフェラー、更にノーベルなどは、ビジネスの成功で得た莫大な富を社会に還元する事を真面目に考えて、それをこの上ない名誉としたのだと思います。
IT産業など、本人の努力と期待以上に泡銭(は言い過ぎか?)を稼いだ人達は、社会から稼がせてもらったんだから社会に還元する、という気概を持って欲しいものです。任○堂の相談役は、数少ないそういう気概のあるお一人だったのでしょう。
投稿: balaine | 2006.02.28 13:19