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2006.02.24

スポーツ選手育成と金

(タイトルの金は「かね」です、「きん」ではない)
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荒川静香さん、金メダルおめでとう!(今日のGoogleは、gの字が女子フィギュアスケーターになっていて綺麗!)
日本人として、とかではなく、純粋に美しい演技で、『金』に値するスケーティングだったと思う。
今回のトリノで初、というばかりか、8年前の長野オリンピック以来冬季五輪で初めての「君が代」は美しかった。編曲(コード進行)と演奏が素晴らしく厚みのある国歌だった。
「あ〜、そうか、参加全国と地域の国歌を演奏して録音してあるんだな。どこの楽団なのだろう?大変な作業だよな〜。」と思ったのは私くらいだろうか?
イギリス、米国、ロシア、ドイツなどなど「国歌らしい国歌」が演奏される中では、「君が代」はなんとなくおとなしいというか、皆で声を張り上げて斉唱する感じの曲ではない。だまって心の中で歌うようなメロディーである。
しかし、荒川選手の演技と金を獲ったという快挙と相まって「君が代」が、心震わせる熱い素晴らしい曲に聴こえた。

さて、荒川静香さんは鎌倉の生まれだそうだが、高校は仙台にある東北高校出身である。ここは、ゴルフ部にあの宮里藍選手がいたし、硬式野球部には「大魔神」佐々木主浩がいた。
そうそう、忘れるところだった。スケート部には本田武史選手もいたのだ。一演技で3度も「4回転」ジャンプを成功させた、長野とソルトレーク五輪の日本代表である。怪我で引退し今回のオリンピックで彼の演技を見られなかったのは残念である。
こういった、「世界的」スポーツ選手を輩出している高校である。私立だから、ということはあると思う。優れた人材を全国から集めて来る、という事もあると思う。なかには指導者ごとスカウトする事もあるのではないかと思う。やはり練習環境を含めて資金的な援助が凄いのだろう。

たとえば、団体競技ではあるけれど、野球やサッカーが中学生や高校生レベルでは世界的に見て高い位置にある日本でも、大学生から社会人になると世界の最高水準について行けなくなることが少なくないのはどうしてなのだろうか?
環境なのか?資金なのか?コーチングなのか?日本人の体格特性なのか?
私は答えを持っていない。でも個人種目ではあるが、上記のように、高校を卒業し社会人になってからも優れた選手が出ている事を考えれば、他のスポーツ、たとえばサッカーだって世界的な(世界で一番になるとか、それに匹敵するような成績を出す)選手が出てもいいのではないか、と思う(プレミアにいる中田やスコットランドの中村だって、世界的とまで言えるかどうかは?)。
そこで考えが及ぶのは、逆に何故外国選手は、中学や高校の頃にパッとしなくても大学や社会人になってから頭角を現すのかということ。それはもちろん本人の才能と努力によるのであろうが、それを支える周りの環境が大きく違う可能性を指摘したい。

中学や高校で世界トップクラスでも、注目は集めてもほとんど金にはならない。社会人になって世界のトップクラスになれば金になる。つまりビジネスである。だから本人も頑張るし周りも資金援助をする。今回の日本のジャンプやスキー陣の成績を考える時、スキー部やスケート部やアイスホッケー部を持っていた企業の衰退、部の廃止が与えた影響はやはり多大なものがあると思う。ある程度は世界で闘える選手がいるのに、それをサポートできる力が国や地方自治体や企業になかった。スキーやスケートというスポーツがフィギュアスケートを除けば、ビジネスになりにくいという事もあるだろうが、日本という国全体の景気低迷も影響しているだろう。あの食中毒事件も大きかった。
日本で観客がたくさん入ってその興行収入によって経営が成り立つスポーツって何だろう。野球、サッカー、テニス???結局、スポンサー、マスコミや企業の宣伝にならなければ金が入らない。金がなければ満足な練習、合宿もできず、選手強化も難しいというのは事実だろう。練習だけではない。国内はもとより海外の試合への遠征、海外での合宿、など、金がなければ出来る事ではない。スポンサー企業からの資金以外に、我々国民の税金も使われているはずである。
今回のオリンピックではメダルを獲った選手に対する各国の『報奨金』の話が出ていた。
イギリスやカナダなどは「0」らしいが、ロシアは金で3千万、イタリアで1820万円の報奨金がもらえるらしい。一方、日本はJOCの規定で、金300万円、銀200万円、銅100万円となっているが、その金額はなんと14年も変わっていない。1992年アルベール五輪当時に決まったもので、「世間から多すぎると非難されず、子供だましでもない金額」とこの額に決めたそうである。共産圏では、家が一個もらえたり一生年金が支給されて何不自由ない暮らしを送る保障があるらしい。

当の選手は、こんなものの為に闘う訳ではなく、自分をより高めより上を目指して日々の地道な努力を続けているものだと信じる。「報奨金」もいいけれど、日本を代表するレベルの選手には、せめて遠征や道具を揃えたり日頃トレーニングする上で、資金面でも設備面でもコーチングや心的援助でも世界レベルのサポートが必要であろう事は論を俟たない。この事なしに、本人の努力だけで『根性論』で世界一を目指そうとするのはあまりに考えが甘いと言わざるを得ない。外国のテニスのトッププレーヤーは、専属のコーチが常に帯同しているのはもちろん、体調管理のためのトレーナー、食事管理の専属栄養士、精神面のサポートをする精神科医、更にウェアや普段の服のサポートをするスタイリストや、メイクアップアーチストまでつれている選手もいると聞く。トッププロにはそれを常に背後で支えるその道のプロが4、5人常駐しているのだ。
こんなことは、「かね」がなければ出来る訳がない。そこまでやらないまでも、世界を相手に闘う日本を代表する選手には、もし世界の舞台で勝って欲しいのなら、オリンピックでメダルを獲ってほしいのなら、その育成、維持、開発に「かね」をかけなければ世界には太刀打ちできないと思う。金の話ばかりで美しくはないが、現実はこうだ。

似たような事は医療にも言えるのであって、質の高い、世界でもトップの水準の医療を達成しそれを維持しようとするのなら、現場の医師や看護師の『根性』に頼るのではなく、政府、自治体、企業その他の資金的援助が必要なのだと強調したい。
『患者中心の医療』を、などとお題目を並べるのではなく、「患者中心」とはどういうことなのか、患者が何を望んでいるのか、政府も官僚も自治体も知らなければならない。
皆が皆ではないと思うけれど、もし私が患者の立場で患者中心の医療を考えるなら、
「清潔で明るく綺麗で設備の整った個室の多い、待ち時間のない(せめて少ない)、腕の良い医師が揃っていて感じのよい看護スタッフが充実していて、食事がおいしくて、できれば安い病院」が良いと思う。
医療スタッフはストレスの少ない環境で快適に働き、ことさらに「笑顔で応対」だとか「患者の立場に立って」だとか、「思いやりを持って」だとか、あほらしい標語を控え室やロッカールームなどに貼らなくても、自然にソウ出来るような環境が必要である。大体、(どんな世界でも例外はあろうが)医師や看護師を目指す人というのは、元々病める人を救いたい、弱い人を助けたい、人のために役に立ちたい、世の中の役に立ちたい、というような高邁な精神を持って医学部や看護学校を目指す人がほとんどだと私は思う。
そういう人達をして、「おもいやりをもって」とか「患者さんに優しく」なんて言われるような状況にしているのは、そうなりたくてもなれないような環境(=多忙、休日の少なさ、ストレスの多さ、仕事の責任の割に賃金の低い点)なども影響しているという事を誰か否定できようか?

あ〜、またまた話が脱線しちゃったので今日もこの辺で。
でも、し〜ちゃん(お友達でも何でもないが)、よかったね〜。

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コメント

し~ちゃん、おめでとう・:*:・゚'ヤッタネ!(v^ー゚)
みんなに元気をありがとう
♪♪♪ d(⌒O⌒)b♪♪♪サンキューー!
本当に同じく思います。お金はかかりますよ。うん。300万円ぽっちもらったって、なんじゃい!
そうそう、医療のこと、患者「様」ってナニ?何様?ガーハハハハ! SPの雑談のとき、教育室長とこれで大笑いしました。(その方は脳外科医さんです。)
患者は神様でもないし、医者もおなじでしょうってね。同じ人間同士で、医学知識があるかないかの違いってことで。それよりも、自然に優しい気持ちが表わせられるようなシステムづくりでしょう。

投稿: @むーむー | 2006.02.24 16:48

う~ん、思うに、スポーツじゃあなくて、体育としてスタートしてるのも大きい気がする。
学校教育における知育・徳育そして体育としての位置付けみたいなの。
こういうふうな位置づけでカリキュラムに取り入れてるのは、世界的に見てポピュラーなのかなあ。
体操服にきちんと着替えて、一つ一つが勉強のノリ、もしくは身体を作る・鍛える趣旨。
(最近はそういう日本式がアメリカで評価されてるってTVでやってはいたけど)
息子達は小学校の数年間アメリカでしたが、体操服なんて無かったし、時間割でもphysical education じゃあなくて、gymだったし…日本人の親が見たら<お遊びの時間>でした。靴飛ばしとかやってましたもんね。
同じことは図工の時間でも思いました。
日本の幼稚園のお絵かき時間みたいな気楽さと自由さで、これまた<お遊びの時間>みたいで…
スポーツとか、図工とか、音楽とかの学校での位置づけが全く違うと。
そこは個人の資質と意思との領域みたいな。
そういう個々の素養に関わるものは、個々の家庭での領域みたいな。
(まあ、アメリカは州ごとに違うので全体のこととしては言えませんが。
公立と私立でも違うだろうし)
日本で言えば、クラシックバレエ、ピアノ、バイオリン、プール、サッカークラブ、リトルリーグ…そう、お稽古事の領域。
ひげ鯨さんがおっしゃるように、才能とビジネスの世界に近いかも。
スポーツの能力と生業の密着も強いし。
プロになるのが貧しさからの唯一の脱出法であったりするし。

地盤ができてないことをしてもなかなかうまく噛み合わない気がする。
さりとて、<日本は日本ですから>式でいけば、スポーツでの欧州主流の世界への進出は難しい。
知恵が要る。工夫が要る。
個の意思で動くほうが賢いのかも知れない。

投稿: ダブル | 2006.02.25 01:35

(mayokoさんのコメント読んで)
オリジナリティの確立って、日本人は得手分野なのかなあって心配。
たぶん、医療もスポーツも福祉も教育も立たされてる場所、方向性決めなきゃぁって場所はは同じ気がする。
「さあ、どうするの?全部は無理よ、自分のサイズに合うとか、似合うとか考えないとね」とか、
「そんなに材料買っても冷蔵庫に入らないし、第一、メニュー決めてるの?」とかみたいな。
どーも、例えのレベル、ひく~っ!

投稿: ダブル | 2006.02.25 11:47

簡単に結論の出る問題ではないけれど、皆さんがいろいろ考えて頂くことが大事だと思います。
でも、「現実」は「金」です。けっして「拝金主義」ということではなく、何かのプロジェクトを立ち上げ運営遂行するのには、金がいりますね、当然。スポーツも音楽も医療もその点は変わらないと思うのです。

投稿: balaine | 2006.02.25 11:57

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