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2006年2月

2006.02.28

なんだかな〜

何だろう、、、
何だかつまらない、、、
何だかおもしろくない、、、

仕事はいつも通りしている。
先週木曜に執刀したクモ膜下出血の患者さん、今日で術後5日であるが、主食は全部、おかずを半分くらい食べている。もちろん意識は清明で運動麻痺など何もない。前脈絡ソウ動脈の循環障害が心配されたが何も起きなかった。これから『脳血管攣縮』の時期であるので、更に要注意ではあるが今のところ非常に順調である。
今日は、三叉神経痛の手術だった。私の上司が執刀で、私は助手だった。
「顕微鏡下血管減圧術」という手術がある。あのDr. Fも得意としている手術である。私はその手術の「生みの親」であるDr. Jの元へ留学していた。Dr. Jの手術を学びに世界中から脳外科医が来ていて、サイン帳みたいなのがあって、Dr. Fも手術を見学しにきていた。
三叉神経痛とは、顔の感覚の神経である「三叉神経」の支配領域である、顔面から一部の頭皮のどこかに激痛が走る病気である。時々「顔面神経痛」という言葉を聞くが、このような病名はない。顔面神経は「運動」神経なので感覚の異常である「痛み」は起きない。痛みが起きるのは「三叉神経」である。
で、本日の症例は、右の上瞼から右側の額が酷く痛む、という症状であった。三叉神経痛は、鼻の小脇の頬から顎、耳たぶの下にかけてズッキ〜ン!と痛む事が多く、額(つまり三叉神経の三本の神経束のうち第1枝支配)だけ痛む事は稀である。非典型的といえる。
術前のMRIで、上小脳動脈という、もっとも一般的な血管が神経を圧迫している事が疑われたが、内側でループして三叉神経の内側、下よりに血管が走行している点が気になる。普通の三叉神経(頬や顎が痛くなる)では、血管が三叉神経の上内側を圧迫している事が多いのだが、この症例では十分にいろんなところを見る必要があった。
開けてみると、案の定、三叉神経の根元の上、内側に血管が食込んでいるが、問題はここではなく、神経の根元の下内側、顔面神経に近いほうである。回り込んできた血管が神経の内側の下の方から神経を圧迫して神経の走行が歪んでいる。ここが「額が痛い」原因だと考えられる。
通常の上内側の減圧をしていた上司に、その下内側の血管を大きく外さなければダメではないかと思う、と私見を述べた。そして、少々大変であったが頑張ってその血管を全周性に神経の根元から浮かす事ができ、神経の走行もまっすぐになった。これで、苦しんでいたあの額の痛みも和らぐと予想する。明日が楽しみだ。
手術は上手く行ったし、自分が執刀した患者さんの状態も良いし、問題はないのであるが、何かモヤモヤしている。移動まであと1ヶ月ない。書類、引っ越しなどなど気の重い事が目の前にたくさんある。一つ一つ片付けるしかない。
にしても、やはりこのブログと音ブログは、今までのペースでは続けられそうもない。
大学病院の勤務医師というのは、一般の人が想像している以上に多忙というか、いろいろな仕事が山の様にあって、一人3役、4役をこなしているのである。「臨床医」としてちゃんと働いていればいい、一般病院の医師がどんなに楽に思えるか。気が重い。。。

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2006.02.27

トリノ五輪閉幕に考える

オリンピックはお祭りです。スポーツの祭典です。でも、演劇やコンサートと違って、順位を争う「競技」です。
真剣に順位を争うからこその緊張感と不安と喜び。だから勝者が美しく輝くのです。

選手+役員あわせて238名も送り込みながら、メダルが「しーちゃん」の金一個に終わった事に対して、選手団団長から「各競技団体は猛省をしなければいけない。選手団のスリム化にも手をつけなければならない」という発言があったそうです。

オリンピックは『参加する事に意義がある』だったはずですが、LA五輪辺りからかなりショービジネス化してきて、「金儲け」の対象にもなってしまいました。企画立案実行に莫大な費用がかかるのですから、それを最低限の赤字で、可能なら黒字にしようとすることは運営者側の考えとして当然理解出来ます。
ただ、上記選手団団長の発言は少し気になります。
要するに、世界レベルで闘えないような競技は最初から参加するべきではない、もっと国内で代表選考を厳しくして「参加枠」があってもレベルが高くなければ出ない、という考えを示したのだと思います。この考えを一概に「おかしい」とは決めつけられません。
選手団の派遣費などがどのように支出されているかは、いろんな問題があるのか明瞭になっていませんが、一番大きいのは「競輪団体」からの補助金のようです。これが全選手団派遣費用の7割を占めるとも言われています。「競輪」=ギャンブル、というイメージが強いのであまり公にされていないのだと思います。
更に、JOC公式スポンサーの大企業からの寄付補助金。テレビのCFでたくさん見ましたね。ト○タなんか、今や世界一の企業なんですから、当然と言えば当然、もっと出してもいいんじゃない?という感じですが。
残りは国民の税金です。

具体的な数字は知らないので、例えば一選手平均トリノ選手村や周辺の直前合宿などもあわせて(合宿どころでない選手もいますが)、大雑把に10日間滞在するとしましょう。よく分かりませんが、一人当たり食費などを含めて一日10000円かかるとすると、10日で10万円。往復の旅費が一人平均10万円。その他、ユニフォームなどなどあわせて一人当たり10万円、さらに競技によってはかなり前から合宿したり、現地でリンクを借りて練習したりしているので全体にならして一人当たり+10万円として、計一人40万円となり、全選手団(役員含む)で9520万円。およそ一億円となります(きわめていい加減な概算ですが)。
五輪代表を選ぶまでのもろもろは無視して、単純に選手団を結成して派遣して解散するまでに一億円かかると考えたとき、「費用対効果比」はどうでしょう?
一億円で金メダル一個だけです。

こういう結果を突きつけられれば、世界レベルで闘えない競技は参加しない、選手団をスリム化する、すなわち選手派遣にかかる費用を抑えて「費用対効果比」を上昇させるようにする、という発言をされた事になります。
これでいいのでしょうか?難しい問題ではあります。
ボブスレーの選手達。オリンピック参加条件のギリギリの成績だったため、直前まで行ける、行けないで揺らいでいました。もとより世界トップレベルからは遠く及ばなかったはずです。誰もメダルなど期待していませんでした。
メダルを期待出来ない選手、せめて入賞するレベルにない選手は最初から派遣しない、ということにしてしまっていいんでしょうか?順位をあらそう競技である以上仕方ないのでしょうか?

日本の代表として、国民の税金を使って、いろいろな賛助援助補助を得て参加する以上は、良い成績を期待されて当然だと思います。そういうプレッシャーとも闘うのが彼ら選手の使命でもあります。
2/24のブログで書いたように、やはり「かね」がかかります。
世界レベルで闘うためには、10年以上の単位での長期的視野にたった選手の育成が必要です。「かね」がたくさんかかります。自分の企業の宣伝になるスポンサーはいいのですが、これも「費用対効果」を考えた場合、費用ばかり嵩み効果が少ない場合は、スキー部、スケート部の廃止、選手へのサポートの停止となってしまいます。選手層が薄くなり、コーチも少なく、練習場も限られ(フィギュアやスピードのスケート選手専用の通年使えるリンクなんて一つもない)、遠征にも何もかにもお金がかかります。
あるテレビ番組で、「金」を獲った荒川静香選手の御両親が、子供の時からスケートにかけた費用が試算されていました。5歳からスケートを始めて19年間で2億円近く注ぎ込んだ事になっていました。
そうだろうな〜、と頷く数字でした。
同時に、あるフィギュアスケート選手で全日本4位くらいの実力の人が、親の定年退職を機に競技生活を引退した、とも報じられていました。金がかかるからこれ以上選手でいられない、ということです。もし、才能ある荒川静香選手でさえ、何らかの家庭の事情などで経済的に選手活動が継続出来ないということでもあれば、長野五輪を最後に終わっていたかも知れないのです。

これはスポーツのみならず、音楽などでもそうです。ピアノやバイオリンを3、4歳から始め、楽器を与え、教室に通い、上達したら良い先生につき、新幹線で東京に月一回レッスンに行き、もっと良い楽器を買い与え、音楽高校に行き、コンクールに出場し、音楽大学に行き、特別課外レッスンも受け、海外に講習に参加し、コンクールを受け、大卒後海外留学をし、コンクールを受け、、、
こんなことをしていたら、1億、2億なんてすぐかかってしまう事でしょう。まして、ストラディバリなんて楽器だけで2億円からするんです。チャイコフスキー国際コンクールでバイオリン部門で日本人初の優勝者となった諏訪内晶子さんは、おじいさまかおばあさまが裕福で(さる大企業の会長だか相談役だかなんかの役員だった?)彼女のためにストラドを買い与えたと聞きました。もちろん楽器が凄いのではなく、それを弾きこなす技術を身につけるために、血の滲むような、いや本当に血を滲ませて一日8時間も10時間もバイオリンを弾いて練習をした彼女の努力と才能があればこそですが、でも金をかけて努力すれば誰でもチャイコフスキーコンクールで優勝出来る訳ではないでしょう。世界で一位というのは、素晴らしい事ですが2位以下が凄く劣る訳でもない。たとえば音楽コンクールで優勝した人がその後伸び悩み、入賞くらいだった人が世界から賞賛される音楽家になるなんてこともあります。コンクールはひとつの尺度であり登竜門に過ぎません。

今回のトリノで、入賞もできず予選敗退した選手もたくさんいましたが、「惨敗」だとか、「甘い」という意見もあるようですが、個人的にはスポンサーがある限りは上を目指して闘い続けて欲しいと思います。日本選手団にしても医療における構造改革と同じように「無駄」を省いてスリム化は必要でしょうが、今回の結果を受けてメダルが期待出来ない種目は参加しない、という考え方がおこるようでしたら大反対したいと思います。

お金にまつわる事ではありますが、医療費抑制とは土俵が違いすぎて医療問題に導入出来ませんが、無駄や華美を排して、しかし、世界で闘える選手を育成するためにはお金はフンダンに注ぎ込まなければならないと思います。
メダルを獲ると日本全体が明るくなるし、獲れなくても頑張っている選手の姿は我々へ励ましになります。あわせて経済効果もあるようですし、メダルの数が少なかった(5個獲れると予想)からといって「費用対効果比」だけで選手派遣や育成を制限する方向に向かう事のないように希望します。

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2006.02.25

病院の建て替え

今日は当番と宿直です。
朝っぱらから重症頭部外傷の方が搬入されました。
宿直は夕方の5時から明日の朝まで。なので本日もオケの練習には参加出来ません。ソルノク交響楽団との合同演奏会まであと2週間になってしまいました。
ーー
さて、最近金に絡む話ばかりでちょっと自分でも嫌なんですが、また続きます。
先日新聞で、大手ゲームソフト会社任○堂の相談役の方が、京都大学に何十億(80億だったかな?)円を寄付されて、それで京大附属病院が地下一階地上8階建ての新病院が建てられる、という記事をみました。

「おー、日本にもこういう人いるんだ。」という感想とともに
「いいな=、京都だけ。他にも回して欲しいよね。」という気持ちになります。

京都大学医学部といえば、良きにつけ悪しきにつけ、東大と並ぶ日本の医学研究の最高峰の一つ。が故か、知人の京都の人から話を聞くと、「京大の医者は威張ってはる」という噂もありましたし、近畿一円の医療界では「京大にあらずんば人にあらず」のような発言を聞いた事もあります。すべて噂話ですけど。

しかし、国立大学。いくら地方の小規模な医学部に比べれば優先的に予算が回って来るとは言え、国家予算で運営している病院。なかなか新しい建物にも建て替えられなかったのでしょう。独立行政法人化によって、国からの縛りがゆるくなり、収支関係において各大学にかなりの自由と責任が持たされるようになりました。
それまでの単なる「国立大学附属病院」であれば、個人の篤志家の寄付を受けて建物を建てるなど認められなかったと思うのですが、独法化によってそれが許可されるようになったんだと思います。
任○堂といえば、昔は「トランプ売ってるとこ?」位のイメージでしたが、いつだったか15〜20年位前に、ゲームソフトの莫大な利益によって、特別ボーナスの一部として社員全員とその家族でハワイ旅行を行ったというニュースがありました。相当な利益をあげたはずです。そこの相談役の方ですから、相当の収入と資産があることは理解できます。ただ、日本は税法上、多額の寄付をしてもそんなに税金に優遇が得られないのと、それほど莫大なビリオネアがいないことから米国に比べて、病院への寄付などあまり聞いた事はありませんでした。
一方、米国では凄いです。
頭にターバンを巻いたアラブの石油王見たいな人が空港からリムジンで有名病院にやってきて、「1億ドル寄付するから、ここで治療を受けたい」という感じなんです。次の日から、その人の入院した病棟に、たとえば『アブドラ・アリ・モハメッド3世病棟』などと名前がついたりします。
病院の前の通りの名前に寄付した篤志家の名前がついたり、病院の建物がいくつもあって、その内一つのビルの名前に寄付した人の名前がついたりします。
日本円で100億円とかポーンと寄付するんです。病院は、その金で新しい器械を買い、病棟を全部個室にして綺麗な調度品をしつらえ、スタッフの服を変え、勤務体制を変え、豊かに余裕のある治療をして行きます。

上記、京大の病院建築のための寄付は、私の想像では、おそらくその相談役の方は京大病院で治療かなにか受けられて、日本の最高学府の附属病院があまりにボロボロで建て替える予算もなかなか貰えないという事を聞いて、「京大病院がこんなんじゃあきまへんな。何?国が金をくれない!ほんじゃ、私がちょっと寄付しまひょか?」と寄付してくださったんではないか、と思います。素晴らしい事です。何か、京都市内の他の芸術的な組織にも寄付をされているそうです。
でも、こっちにも少し(10億円くらいで良いですから)回してもらえませんかね?新しいMRIに脳の機能を検査するMEGや手術中にMRIを撮れる術中MRI装置を装備して、より高度の脳外科治療を行いたいのですけどね?(^^
結局、金がないと病院はボロボロ、器械は買いたくても買えない、でも医療費は抑制されようとしているから、ますます利益などあがらない。利益が上がらないので新しい器械を買ったり、病院を新しくしたり出来るはずがない。
数年前、私自身、ちょっとした病気で大学病院に入院していた事があります。大学病院と同じくらいの規模の県立病院が新しく建て替えられて1年後くらいの事だったと思います。エレベーターに乗っていた時の事です。病衣を着ていたので私の事を医師だと思う人は誰もいません。ある人が喋っていました。
「しかし、大学病院も古いよね。今時、6人部屋なんてないよね。県立病院は個室も多いし、二人部屋かせいぜい4人部屋だぜ。だめだね!」
と言っていたのを聞きました。
国立大学附属病院として建築されて約30年。新築されたばかりの病院と比較する方が無理があるとは思いますが、一般人なんてそういうアメニティしか分からないのです。中で働いているスタッフがいかに優秀であるかとか、いかに世界的な仕事をしているかとか、関係ない。ただ、建物が古く、部屋が6人部屋だからダメだ。という感じです。でも理解は出来ます。やはり、どうせ入院するなら、綺麗な個室がいいです。各部屋にトイレとシャワー、できれば風呂がついている事を望みます。ちょっとくらい入院費用が高くたって構いません。日本の医療制度の中では、高くたって数千円、特別室だって数万円の差額です。個人で加入している保険からも賄えますし。・・・・

新しく、綺麗な病院も20年も経つとあちこち傷んできて、30年も経つとボロボロになり、40〜50年経てば建て替えなければなりません。大学病院クラスなら建て替えに100億円はかかるでしょう。40年で100億円とすると、一年あたりに換算して2億5000万円です。建物だけでですよ。全国に大学附属病院だけで、私立もあわせれば100くらいありますから、毎年大規模な大学病院の一年平均あたりの建築費だけで、250億円はかかるんですよ。国民の税金で賄うしかないんですよ。
それに加えて、設備費、いろんな器械、そしてスタッフの人件費などなど、どんなにお金のかかる「産業」なのか想像できないくらいの額です。
 日本の誇る、ノーベル賞受賞者を輩出している、大学附属病院すら、古くなっても建て替えに私人の篤志家の寄付をもらわないとできないというのもちょっと悲しい話ではありませんか?

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2006.02.24

スポーツ選手育成と金

(タイトルの金は「かね」です、「きん」ではない)
ーー
荒川静香さん、金メダルおめでとう!(今日のGoogleは、gの字が女子フィギュアスケーターになっていて綺麗!)
日本人として、とかではなく、純粋に美しい演技で、『金』に値するスケーティングだったと思う。
今回のトリノで初、というばかりか、8年前の長野オリンピック以来冬季五輪で初めての「君が代」は美しかった。編曲(コード進行)と演奏が素晴らしく厚みのある国歌だった。
「あ〜、そうか、参加全国と地域の国歌を演奏して録音してあるんだな。どこの楽団なのだろう?大変な作業だよな〜。」と思ったのは私くらいだろうか?
イギリス、米国、ロシア、ドイツなどなど「国歌らしい国歌」が演奏される中では、「君が代」はなんとなくおとなしいというか、皆で声を張り上げて斉唱する感じの曲ではない。だまって心の中で歌うようなメロディーである。
しかし、荒川選手の演技と金を獲ったという快挙と相まって「君が代」が、心震わせる熱い素晴らしい曲に聴こえた。

さて、荒川静香さんは鎌倉の生まれだそうだが、高校は仙台にある東北高校出身である。ここは、ゴルフ部にあの宮里藍選手がいたし、硬式野球部には「大魔神」佐々木主浩がいた。
そうそう、忘れるところだった。スケート部には本田武史選手もいたのだ。一演技で3度も「4回転」ジャンプを成功させた、長野とソルトレーク五輪の日本代表である。怪我で引退し今回のオリンピックで彼の演技を見られなかったのは残念である。
こういった、「世界的」スポーツ選手を輩出している高校である。私立だから、ということはあると思う。優れた人材を全国から集めて来る、という事もあると思う。なかには指導者ごとスカウトする事もあるのではないかと思う。やはり練習環境を含めて資金的な援助が凄いのだろう。

たとえば、団体競技ではあるけれど、野球やサッカーが中学生や高校生レベルでは世界的に見て高い位置にある日本でも、大学生から社会人になると世界の最高水準について行けなくなることが少なくないのはどうしてなのだろうか?
環境なのか?資金なのか?コーチングなのか?日本人の体格特性なのか?
私は答えを持っていない。でも個人種目ではあるが、上記のように、高校を卒業し社会人になってからも優れた選手が出ている事を考えれば、他のスポーツ、たとえばサッカーだって世界的な(世界で一番になるとか、それに匹敵するような成績を出す)選手が出てもいいのではないか、と思う(プレミアにいる中田やスコットランドの中村だって、世界的とまで言えるかどうかは?)。
そこで考えが及ぶのは、逆に何故外国選手は、中学や高校の頃にパッとしなくても大学や社会人になってから頭角を現すのかということ。それはもちろん本人の才能と努力によるのであろうが、それを支える周りの環境が大きく違う可能性を指摘したい。

中学や高校で世界トップクラスでも、注目は集めてもほとんど金にはならない。社会人になって世界のトップクラスになれば金になる。つまりビジネスである。だから本人も頑張るし周りも資金援助をする。今回の日本のジャンプやスキー陣の成績を考える時、スキー部やスケート部やアイスホッケー部を持っていた企業の衰退、部の廃止が与えた影響はやはり多大なものがあると思う。ある程度は世界で闘える選手がいるのに、それをサポートできる力が国や地方自治体や企業になかった。スキーやスケートというスポーツがフィギュアスケートを除けば、ビジネスになりにくいという事もあるだろうが、日本という国全体の景気低迷も影響しているだろう。あの食中毒事件も大きかった。
日本で観客がたくさん入ってその興行収入によって経営が成り立つスポーツって何だろう。野球、サッカー、テニス???結局、スポンサー、マスコミや企業の宣伝にならなければ金が入らない。金がなければ満足な練習、合宿もできず、選手強化も難しいというのは事実だろう。練習だけではない。国内はもとより海外の試合への遠征、海外での合宿、など、金がなければ出来る事ではない。スポンサー企業からの資金以外に、我々国民の税金も使われているはずである。
今回のオリンピックではメダルを獲った選手に対する各国の『報奨金』の話が出ていた。
イギリスやカナダなどは「0」らしいが、ロシアは金で3千万、イタリアで1820万円の報奨金がもらえるらしい。一方、日本はJOCの規定で、金300万円、銀200万円、銅100万円となっているが、その金額はなんと14年も変わっていない。1992年アルベール五輪当時に決まったもので、「世間から多すぎると非難されず、子供だましでもない金額」とこの額に決めたそうである。共産圏では、家が一個もらえたり一生年金が支給されて何不自由ない暮らしを送る保障があるらしい。

当の選手は、こんなものの為に闘う訳ではなく、自分をより高めより上を目指して日々の地道な努力を続けているものだと信じる。「報奨金」もいいけれど、日本を代表するレベルの選手には、せめて遠征や道具を揃えたり日頃トレーニングする上で、資金面でも設備面でもコーチングや心的援助でも世界レベルのサポートが必要であろう事は論を俟たない。この事なしに、本人の努力だけで『根性論』で世界一を目指そうとするのはあまりに考えが甘いと言わざるを得ない。外国のテニスのトッププレーヤーは、専属のコーチが常に帯同しているのはもちろん、体調管理のためのトレーナー、食事管理の専属栄養士、精神面のサポートをする精神科医、更にウェアや普段の服のサポートをするスタイリストや、メイクアップアーチストまでつれている選手もいると聞く。トッププロにはそれを常に背後で支えるその道のプロが4、5人常駐しているのだ。
こんなことは、「かね」がなければ出来る訳がない。そこまでやらないまでも、世界を相手に闘う日本を代表する選手には、もし世界の舞台で勝って欲しいのなら、オリンピックでメダルを獲ってほしいのなら、その育成、維持、開発に「かね」をかけなければ世界には太刀打ちできないと思う。金の話ばかりで美しくはないが、現実はこうだ。

似たような事は医療にも言えるのであって、質の高い、世界でもトップの水準の医療を達成しそれを維持しようとするのなら、現場の医師や看護師の『根性』に頼るのではなく、政府、自治体、企業その他の資金的援助が必要なのだと強調したい。
『患者中心の医療』を、などとお題目を並べるのではなく、「患者中心」とはどういうことなのか、患者が何を望んでいるのか、政府も官僚も自治体も知らなければならない。
皆が皆ではないと思うけれど、もし私が患者の立場で患者中心の医療を考えるなら、
「清潔で明るく綺麗で設備の整った個室の多い、待ち時間のない(せめて少ない)、腕の良い医師が揃っていて感じのよい看護スタッフが充実していて、食事がおいしくて、できれば安い病院」が良いと思う。
医療スタッフはストレスの少ない環境で快適に働き、ことさらに「笑顔で応対」だとか「患者の立場に立って」だとか、「思いやりを持って」だとか、あほらしい標語を控え室やロッカールームなどに貼らなくても、自然にソウ出来るような環境が必要である。大体、(どんな世界でも例外はあろうが)医師や看護師を目指す人というのは、元々病める人を救いたい、弱い人を助けたい、人のために役に立ちたい、世の中の役に立ちたい、というような高邁な精神を持って医学部や看護学校を目指す人がほとんどだと私は思う。
そういう人達をして、「おもいやりをもって」とか「患者さんに優しく」なんて言われるような状況にしているのは、そうなりたくてもなれないような環境(=多忙、休日の少なさ、ストレスの多さ、仕事の責任の割に賃金の低い点)なども影響しているという事を誰か否定できようか?

あ〜、またまた話が脱線しちゃったので今日もこの辺で。
でも、し〜ちゃん(お友達でも何でもないが)、よかったね〜。

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2006.02.23

手術中の脳の機能をみる

昨日救急入院したクモ膜下出血の患者さん、手術終わりました。
昨日は検査が終了した時点で夕方で、手術室は予定手術がまだ終わっておらず麻酔医が一人しかいなかったため、安静にして寝かせ本日の午後手術となりました。
今日は麻酔医が3名いるのですが、でも予定手術がすでに組んであるので、少し変更を加えて3時前に手術室にはいり、3時45分頃から手術を始め約3時間で終了しました。
脳動脈瘤は直径10mm位あり、前脈絡ソウ動脈という、太さは1mmもないのですが、これが詰まると半身不随になってしまう血管が動脈瘤の壁に固くくっついていてググっと曲がっていたためちょっと難渋しました。親動脈と、動脈瘤の壁と、この前脈絡ソウ動脈の間を丁寧に剥離してクリップが十分入るスペースを作り、丁寧にクリップをかけました。

予想通り、つぶれた動脈瘤にくっついている前脈絡ソウ動脈が引っ張られて曲がりが強くなりました。血管の壁は赤くちゃんと血が流れているようですが、このままにしておいて大丈夫なのかどうかは不確実です。
MEPという、運動機能を手術中に調べる電気刺激の検査を行いながら手術をすればいいのですが、今日は行っていませんでした。クリップがしっかりかかった瘤はもう破裂しないので、その太さ1mm以下の血管を瘤の壁から剥がしにかかりました。約20分かかりましたが、ていねい前脈絡ソウ動脈を壁から剥がして曲がりをとる事が出来ました。手術終了後、今、まだ1時間くらいで麻酔から完全には覚めていませんが運動麻痺はなく、術後経過は良好だと思います。

MEPの様な検査の事を脳に対する電気生理学的な「術中モニタリング」といいます。どちらかといえば、私の専門分野ではあります。ただ、一般市中病院では、使用する器械の問題、電極の問題、マンパワーの問題、そして一番大きいのは緊急手術などバタバタする中でのモニタリングの煩雑さゆえ、よほど問題が起こると予想される疾患や手術でない限り(たとえば、聴神経腫瘍の手術における顔面神経のモニタリングなど)ルーチンにやろうという気にならない点は問題です。
術中モニタリングというのは、手術操作などによって脳や神経にダメージが起きないように「見張る」作業であり、モニタリングで何か変化が起こって注意信号が出たら、たとえばその時にやっている手術操作を一時休止するとか、脳にかかっている脳ベラという道具を緩めるとか、血管にかかったクリップを外すとか、そういうことを考える根拠になるものです。それによって、手術中に術後に問題が起きないように判断したり対策をとったりするものであり、(ものによりますが)脳の手術にちとって大事なものです。
 通常の術中モニタリングというのは、電気的な刺激と記録を行うコンピュータ(脳波計みたいなもの)を使いますが、これを使うのは「脳外科医」そのものです。電気で脳を刺激し記録するのも「脳外科医」です。その記録を見て判断するのも「脳外科医」です。これらの作業は手間がかかります。手術操作の中断を必要とする事もあります。スムーズにさっさと手術を済ませたい時には、多少迷惑な気持ちにもなります。でも、患者さんのためです。
手術後に「あれ〜、なんでこんな症状が出たんだ?!」という事のないように手術中に行うものです。しかも「タダ」でやっています。正確には、検査費用を請求していないと言った方が正しいです。なぜなら日本の保険診療の点数表に「脳外科の手術中のモニタリング料金」という項目はありません。電気的刺激による「筋電図」とか「聴覚反応」などの項目はありますから、その検査を手術中に「1回」したことにして(実際は30回とか40回やってる訳ですが)料金を請求する事は出来ます。が、その費用はせいぜい保険点数で800点。つまり保険本人の2割負担の場合、患者さんがこの「大事な」「術中モニタリング」に対して支払う料金は、1600円程度です。ちょっとタクシーに乗ったら払ってしまうような金額でしょう?
だから、バカバカしいのでいちいち請求していない脳外科医も少なくないと思います。

米国では保険点数制度ではないので、施設や医師によって手術や検査の料金が違いますが、私が以前留学していた先での「術中モニタリング」(聴神経腫瘍手術などにおける顔面神経や聴神経のモニタリング)の料金は一回の手術中に日本円に換算しておよそ80万円請求していると聞きました。手術料金も、ものによって違いますが、手術一個あたり300万円から1000万円くらい請求していたようでした。モニタリング一つとって見ても、米国では専属の検査技師、電気生理学者や神経内科医がやっていて、脳外科医ではありません。脳外科医は「脳」の「手術」をする人です。
日本では、これを器械を手術室に運び入れて電源を入れて線を接続したり、終わった後に片付けたりするのからすべて「脳外科医」がやってしかも「無料」です。こんな凄いサービスの医療は、おそらく世界中で日本だけだと思います。

お金の事ばかり言ってせこいようですが、日本の医療というのはこういった「医師によるある意味ボランティア」的な仕事によって支えられているのは事実です。そうして、より安全性の高い高度な手術を目指して行っているのに、医師の技術料を値下げする「診療報酬の4%減」が来年度から始まるのでしょう?
なんだか、バカバカしくて、もう医者なんかやってらんない、というような気持ちにもなりますね。
話がだいぶずれたのでこの辺で(まあ、こういった愚痴は4月からは書けないでしょうね〜)(^^;

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2006.02.22

合掌。。。

本日は、先日記事にさせて頂いたN先生の告別式でした。
私は仕事もあり、参列出来ませんでしたが、遠く北の地よりお祈りしていました。
でも午後遅くクモ膜下出血の患者さんが救急来院しパタパタしてしまいました。
明日、オペという事にしました。(明日にするという訳は麻酔科の都合。今日は一人しかいないのです、予定手術も夜まで終わらない、、明日は3人いる)

@むーむーさんのご報告によると、告別式は無宗教式で、N先生自らが選曲していたジャズを背景音楽に献花するだけのシンプルでしかし心のこもった温かい「お別れの会」だったようです。
あらためて御冥福を深くお祈り申し上げます。

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2006.02.21

祝!退院!

約1ヶ月の入院でした。
今日退院し私のところに帰ってきました。
愛する18K Goldフルートです。(^^;;;;

前回の短期ドック(入院なし)は昨年の10月だったのですが、それから11月にオケの定期演奏会、12月にプライベートなフルート発表会(シャミナーデを吹いた奴)、そして今年1月のハンガリー演奏旅行と酷使しました。
頭部管と足部管に凹みを作り、ジョイントが歪み、キーなどに傷が付き、成田ーウィーン間の高高度飛行の影響でタンポが歪んでいました。いつも診て下さる主治医の先生(上野のパー○フルー○ギャ○リー)に診てもらったところ、本格的入院が必要だという事で、千葉にある総合病院(パー○フルー○の主工場)に転院となり、その後も「思ったより重症だった」ということで、少し手間取り1ヶ月近い入院加療となった訳です。

今日、ピカピカになって戻ってきました。まだ吹いていませんのでこれから急ぎ家に帰って吹いてあげようと思います。
退院、おめでとう!と一人祝杯をあげる事でしょう。。。v(^^

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2006.02.20

お天気のこと

昔から、差し障りのない会話をするときは「お天気の話題」と決まっているようです。
何という事はないのですが、いろいろ考える事もあり、書くべきポイントが絞れないので、お天気の事でも書きます。
昨日、こちらはとてもよいお天気でした。朝方は、ほとんど雲一つない快晴で青空がまぶしいと思いました。こんな晴れ間を見たのはおそらく2ヶ月半ぶりかもしれません。
おかげで道路の雪も、日陰部分の大量積雪を除きほとんど溶けました。病院に来ると、久しぶりに駐車場の区画の線を見たような気がします。本当にこんな天気は久々です。

以前、同じような病気はあたかも伝染するように発生する事がある、と書いた事があります。
この快晴のお天気のせいではないと思いますが、昨日、今日と入院中の患者さんが二人、立て続けに「胸部大動脈解離の破裂」で亡くなられてしまいました。最初の患者さんは、胸痛などの症状もなく突然の事でした。二番目の患者さんは、腹部大動脈瘤破裂に対する手術の既往があり、胸部大動脈瘤もある事は分かっていましたが、高齢である事、それによる症状がほとんどない事、脳卒中患者である事から心臓血管外科にも診てもらいながら脳外科に入院し治療中でした。数週間前に、「胸部大動脈瘤はほぼ固まったと言っていいでしょう」と言われていた程で、胸部症状はなく安定していた方でした。
突然、心肺停止状態で発見され、すぐさま挿管の上、心マッサージ。ACLSに則って蘇生処置が行われました。心電図上、PEA(電気的に心拍は認められるものの実際は心臓は拍動しておらず血液の拍出がない状態)で、御家族が到着するまで心マッサージは続けられましたがついに心拍は再開しませんでした。胸部CT上、明らかな胸部大動脈瘤破裂による上向・弓部・下向大動脈の拡大と血腫による心臓圧迫が認められました。

どうして病気、疾患というのは、まるで伝染するかのように同じものが同じ時期に出たりするのでしょう?これは医学の七不思議だと思います。
まあ、晴天のため放射冷却現象で冷え込みが厳しく寒かったのは関係するかもしれませんが、二人とも室温24℃程に保たれた病室にいて発症したのでした。

考えてみれば、ようやく2月の下旬に入るところ。4月上旬まで、まだ数回結構な雪が降るのが例年のパターンです。でも今年は「例年」という言葉が通用しない年ですからね〜。

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2006.02.17

N先生の事

(追記:2/18御遺族様からこのブログの事をご了解頂きました)
ーー
(御遺族様の許可も得ずにブログに書く事をお許し下さい)

脳神経外科医N先生が亡くなられました。
昨晩の事だそうです。

N先生、といってもご存じない方が多いと思います。既に故人とは言え、簡単にどこのどなたかを明かす訳には行きません。が、日本の脳外科医はほとんどの方はN先生のことは知っているはずです。
私より学年は確か一個上(N先生は現役で私は浪人しているので、2個違いか?)です。
手術の好きな脳外科医というイメージが強いと思います。
脳外科関係の本をいくつか書いています。中でも2003年10月にだされた『脳神経外科手術の基本手技ーー糸結びからクリッピングまで』は名著でかなりの部数が売れたと聞いています。私も愛読しています。看護師さん向けの本も書いていますから御存知の看護師さんもいるとおもいます。

わたしのような凡庸の外科医とは違い、「メスの切れる」名医でした。あの「神の手」とマスコミがもてはやすF先生もその著書の中で信頼出来る後輩医師としてN先生の名前を挙げていたと記憶しています。
でもバッタバッタと脳を切り刻むのではなく、その根底には溢れんばかりのヒューマニズム、患者さんへの愛があった方とお見受けしておりました。
時々学会などでお会いすると、ちょっと面識があったもんですから、「やあ、K先生、元気?」とお声をかけて下さいました。
あれは昨年の脳神経外科コングレスだったと思います。小倉で催された時です。たまたま宿泊のホテルが一緒でした。朝、7時半頃朝食をとるためレストランに行った時にお会いしました。
私をみつけたN先生は「ニヤッ」と笑って
「先生、ひげ鯨。僕、ひげゴジラ、ははは、、、」
と仰ったのを覚えています。実はそれまでN先生がHPを書いている事は知らず、N先生が僕のブログを知っているなどとつゆ知らずいたので、もの凄く恥ずかしい感じがして
「え〜、先生、やめて下さい。内緒ですよ、内緒!」
と会話したのが個人的な会話としては最後のような気がします。
昨年10月の日本脳神経外科学会の時には、お顔をお見かけはしたけれどお話はしなかったと思います。私は、同時通訳や脳外オケの練習などであっちこっち飛び回っていましたし、まさか先生が余命の限られた病気と闘いながら、医師として医学者として人間として精一杯生きていらしたとは知る由もありませんでした。

私なんか、いろんな事に不平不満を漏らし、仕事の多忙をいい訳に忍耐を欠き、患者さんを怒ったり看護師さんを怒鳴ったりする事もあり、N先生から見たら最低最悪の医師ではないかと思います。とても恥ずかしい思いです。私のような無能の、怠惰な者が長生きをしています。
人の命には限りがあるのはわかります。しかし、時に神様は有能な人程、頑張っている人程早く天国に連れて行ってしまわれる。N先生を頼りに生きている患者さんが大勢いるというのに。N先生に手術してもらう事を一縷の望みとして病気と闘っている人が大勢いるというのに。
N先生も大変心残りではあったと思います。でも、苦しい病気との戦いの中で、最後まで医師であろう、優れた脳神経外科医であろうとしたその姿を見て育った後輩の医師がたくさんいるはずです。その人達に、手術の技術だけではなく脳神経外科医としての「こころ」を大きな遺産として残されたものと信じます。

今はただ安らかにお眠り頂く事をお祈りするとともに、御苦労様、お疲れ様、偉かったね!と声をかけて差し上げたいと思います。N先生、ありがとうございました。
合掌。。。。。。。。。。。。。。。。。

(N先生の御霊を私なりにお送りする音楽は、これにします)

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空床警報

戦争を体験されている方には、言葉の響きが不快に感じられるかも知れない。
電子カルテが導入されている当院では、病院全体の空きベッドが少なくなって来ると(全体で10床を切ると)「空床警報」というのが画面に出て来る。
ここ数日毎日のように出ていた。
ベッド数残り現在6床で、どこどこの病棟に男性ベッドが2床、どこどこに女性ベッドが何床あいていてあとは満室だ、という風に病棟ごとに表示されるものである。

今朝、ついに空床が「0」になった。正確には、病院の一般ベッドの空きが「0」で、救命救急センターのICUに1床、HCUに2床しかない状態にまで来てしまった。

理由はいくつも挙げられる。
たまたま急患が多くて入院が非常に多かったのに比べ、退院が少ない。特に「救命救急センター」を持つ当院は、緊急患者は断る事が出来ない。一次、二次救急の患者でも100%受け入れている。本来は、三次を100%受け入れ、その他は周辺の病院に振り分けても良いのだが、その周辺の病院も満床または満床以上(ベッド稼働率100%超)に陥っている。他で受け入れられないから、ここに来る。周辺病院に転院させられないから退院が進まない。それで空床がなくなるわけである。
空いてるベッドがなくて患者が多いのなら病院は儲かるでしょ?いいじゃない?って一般の人は思うかも知れない。
しかし、本当に緊急で重症で運ばれてきた人を入院させるところがないのである。
今はそれほど重症ではないけれど入院して注意深く観察しなければ急変するおそれのある人を入院させるベッドがないのである。じゃあ、そういう人はどうするのか?一つ地域を越えた、救急車でも30分はかかるような地域の総合病院、救急指定病院に送ってもらうしかない。場所によっては、当院をまたぐように通り越して転送しなければならないので、救急車でも1時間近くかかってしまうところもある。
つまり三次救急を担う救命救急センターとしての役目が果たせないのである。病院というものは、それが国立、公立、私立にかかわらず「公的」な施設である。公的施設として地域住民の健康管理および増進に資するように、税金を大量に使って建てられている訳である。それなのにその役目が果たせないというのは、ある意味で税金の無駄遣いになる。

空床がない理由は、入院が多く退院が少ないからだ、と書いた。当たり前である。
じゃあ、何故入院が多いのか。それは上記のように周辺病院も入院させるベッドがないのだ。つまり周辺病院も退院患者が少ない。
なぜ退院患者が少ないのか。入院が必要だから入院しているのではないの?
それが違うのである。
最近は雪も少なくなり気温も緩んではきたが、この地域は雪が多い。屋根の雪下ろし中転落して、という急患がほぼ毎日運ばれて来るような土地柄である。しかも、老夫婦二人暮らしとか老人一人暮らしが多い。一旦入院すると、病院は暖房がきいて暖かく3食きちんと食べられる。同じような境遇の仲間もいて一人ではない。
患者にとって居心地が悪くはないのだと思う。
子供達は成長して、多くは東京、神奈川、千葉などにいたりする。同じ県内でも離れているところに住んでいたりする。自分たちのところに引き取るのは大変だ。生活が変わる。病院に入院させておいてもらえるなら有り難い。
「もう少し、なるべく長くいさせてもらえると、、、」
我々は「う〜ん」とは言うものの、患者やその家族の希望を無碍に断る事はできない。

病院ではなくて、老人ホームとかそれなりの施設はないのか?あるにはある。あるにはあるが、そこも混んでいるのだ。何を好き好んで雪の多いこの季節に、家に戻ったら雪かきを、屋根の雪下ろしをしなくちゃならない寒い家に、しかも老人二人暮らしの、または一人暮らしの家に帰らなくちゃならないのだ、という感じである。

病院とは、病気の人が外来治療では管理出来ないために入院の上治療を行うところである。
グループホームなどの施設は、障害のため、高齢のため、その他の理由で自宅での生活が困難である人を受け入れているものである。
しかし、実際は、冬で寒い、雪が多い、病院は暖かくて快適である、そんなこんなでなかなか退院したがらない。そういう人が一人二人増えるだけで、地域の病院がパンクしてしまうのである。

おかしいんじゃない?!
そう思うでしょうか?もし、自分が、自分の年老いた親がそういう状態になって病院で治療を受けていて、そろそろ退院可能ではあるが、自宅に帰っても一人暮らし、施設も満杯で受け入れがない、となると、「もう少し置いておいてもらえたら、せめて春まで」という気になりませんか?なっても責められないでしょう。
そして、これを可能にしているのが、やはり日本の国民皆保険制度に基づく診療報酬の点数制度。入院費用が、特別室とかでない限り、一人一日数千円です。食費込みです。冷暖房完備でバストイレ付きで、医師と看護師がいて治療設備があって、それで一日数千円です。
ずっと前にも書きましたが、保険制度の違う米国の医療制度の中では、病院や病室によってかなり値段に差があります。ちょっと質の良い病院だと入院費用だけで一日数万円から10万円です。だから保険会社が長期入院を許可しません。だった入院費用は保険をかけてある保険会社が払うからです。ですから入退院の条件に着いてはとてもシビアです。
もし患者や家族の希望で、既に入院治療の必要のない人が「もう少し」「せめて暖かくなるまで」という本人の希望で入院した場合は、全額自己負担です。その負担額が一日10万円です。10日で100万円、100日で1000万円です(だから、臓器移植のために渡米する日本人家族が3000万〜4000万円を募金して行く訳ですが)。

長期入院している患者さんのすべてがこういう訳ではないけれど、今、脳外科に入院している50人以上の患者さんのうち、もういつ退院してもいいです、という人が5,6人いる。胃瘻を作って流動食を胃に直接流し込んで寝たきり状態の人が4,5人いる。呼吸器をつないで管理しているだけの人が2人いる。
本来、急性期の脳疾患を扱う脳神経外科の病棟には不適合の患者さんがこれだけいる。なぜ置いておくのって?移す場所がないのです。
まず呼吸器をつけている、交通外傷で半年以上昏睡の人と自殺を図って2年昏睡の人。呼吸器をつけている以上病院以外に行くところはありません。きちんと管理出来るところはありません。胃瘻を作っている人達は、施設入所を待っています。3、4ヶ月は空きません。ですから施設の近くの病院に一旦転院した上で、施設が空くのを待っています。でもこの病院も満床です。これらの人は仕方ありません。
いつ退院しても良さそうな人、5、6人。この人達には様々な理由がありますが、多くは80、90才という超高齢者でしかも一人暮らし。自宅に戻って生活も出来そうだけど家族は心配はするけれど引き取りはしない。本人も自宅に帰る気でいるけれどまだ雪が多い、という人達も含まれます。
一日の入院費が数千円だからこんな事が可能なのだと思います。もし10万円もするのなら、家族は無理をしても一旦自宅に引き取り様子を見て一人暮らしをさせるとかいろいろ行動すると思います。金がかからないから放っておくのです。

弱者である病人や高齢者に優しい日本が世界に誇る医療制度ですから、八方丸く納まっているのなら良い事なのですが、そのために空床がなくなって本当に重症の人が入院できない危険性があるのだ、というのをこれを読んだ方全員が「我が事」としてちょっと考えて頂きたいな、と思いました。
ーー
p.s. 私の移動が早まりそうです。もしかするとそれを期にこのブログも書かなくなるかもしれません。立場が変わると、このように感じたままを好き勝手に書く訳に行かなくなる可能性があるのです。

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2006.02.15

オリンピックに寄せて

オリンピックを見ていると、日本人選手の活躍が気になる。
メダルの期待がかかりながら今一の成績に終わると、期待していただけに少しがっかりもする。岡○朋○選手のスケートなど見ると、美人だからなどという理由ではなく、その必死の頑張りにご褒美をあげたい、神様メダルとらせてくれたって良いじゃない、と思う。
スタート前の問題で絶対滑りに影響が出たと思われる、地元期待の加○条○選手は、「それは関係ないです」といい訳をしなかった。ちょっと軽そうな感じで「?」と思っていたが骨のある奴らしい。有言実行でこの悔しさをバネに4年後に金メダルを獲ってくれる事を期待する。

オリンピックは、基本的には選手対選手の戦いのはずなのに、そこには「国家」と「国家」の戦いが見える。国旗、国歌を否定はしない。勝者を讃える事に異議はない。しかし、敗者が賞賛に値しないものなのか?
サッカーでもそうだ。
私は基本的にはサッカー大好き少年だった。中学時、ブラバンに所属しながら「サッカーマガジン」を買っていた。ペレ、ベッケンバウアーに憧れる世代だった。高校入学時サッカー部入部を熱望したが、テニスをやる父親に諭されて泣く泣くテニス部に入ったくらいである(結果的にはうちの高校のサッカー部は野球部とサッカーの試合をして負けるくらい弱かったし、テニスではインターハイに行けたのでテニス部で良かった訳だが)。サッカーそのものは大好きだ。
しかし、ワールドカップを見ていると、予選から、これはもう国同士の戦いだと思う。ナショナリズム極まれり、という印象だ。国旗を振って選手を応援し、「国の代表」「国の威信をかけ」という感じの戦いである。韓国チームを見ているとナショナリズムの強さは日本の比ではなさそうである。どこかの国では、ワールドカップでオウンゴールで負けたため、その選手が帰国後怒り心頭の市民に射殺されるという事件まであった。
一生懸命プレイする選手を一体感を持って応援する事は悪い事ではない、しかし、行き過ぎは良くない。サッカーのゲームなのに政治問題までちらついてきたり(某朝鮮半島の国など特に)、一市民が国を背負ったかのような錯覚で、相手国をなじったりけなしたりバカにしたり、という行き過ぎ。まったく醜い。
ゲームなんだから勝ち負けは必要だ。勝つものがいれば負けるものがいる。喜ぶ者の陰で涙に暮れる者がいる。勝った者たちは勝利に値する努力を継続してきたのだろう。勝負事には運不運も必ずつきまとうが、「負けに不思議の負けなし」という言葉もあるように、敗者には敗者になってしまう原因があるはずである。
その原因を追及し克服して更に努力を続けるから進歩するのであり、人類の歴史の中で、オリンピックやサッカーワールドカップが果たして来た事を否定はしない。

だけど、僕は行き過ぎたナショナリズムは大嫌いだ。地球上から戦争が絶えないのも宜なるかなである。
国の代表というプレッシャーと闘いながら、国旗を背負って、現場で頑張る選手は鼓舞したい、応援したい。しかし、「日本のために」とか「国別のメダル獲得数」とか競ってどうするのだろう?誰が得をするのだろうか。
スキーが好きで、ジャンプが好きで、ボードが好きで、スケートが好きで、子供の頃から頑張って頑張って頑張って来た人達が晴れ舞台で活躍し、喜び、悔しい思いをする。その人間ドラマを知って感動するだけでオリンピックは十分だと思いたい(でも本音は、誰か金メダル一個くらい取れよ〜!、ですけどね)。

頑張れ、日本!(あれ?これナショナリズム?)

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2006.02.14

コンサート情報

今日は、午後、未破裂脳動脈瘤のオペなので、手短に(いそいそ)。

SakataConcert
ハンガリーでお世話になった、ソルノク市のソルノク交響楽団があと4週間で来日します。
酒田市、遊佐町で2公演、そして東京で1公演します。その宣伝です!


3/10(金):遊佐町の「遊楽里(ゆらり)」という温泉付き宿泊施設のホールで、弦およびピアノのコンサート。
3/12(日):酒田市民会館「希望ホール」で、1/5にソルノク市で行ったのと同じ曲目。
 すなわち、モーツァルトの「魔笛」序曲、ショパンのピアノコンチェルト第一番、そしてベートーベンの交響曲第五番「運命」です。(一枚目の写真参照。クリックすると大きくなります)
この「酒田公演」には私も出演予定です。

更に
3/14(火):東京は豊島区の豊島公会堂「みらい座いけぶくろ」で、遊佐と同じ曲目で
(1)ヴィヴァルディ/「四季」より春、
(2)モーツァルト /ディベルティメントニ長調 K.136、
(3)バッハ/ピアノ協奏曲ヘ短調 BWV1056、
(4)モーツアルト /交響曲第29番イ長調
を、ソルノク響と酒フィルの弦パート合同でやります。
ハンガリーでは指揮はマエストロ井崎正浩、ピアニストは藤井亜紀でしたが、今回は指揮はソルノク響の常任指揮者バリー・ヨーゼフ氏、ピアニストはハンガリー人のファルカシュ・ガボール氏です。
ToshimaConcert3
左の写真は東京公演のチラシですが、記載の曲目に誤りがあります。上記が正しいそうです。
「みらい座いけぶくろ」は行った事無いのですが、全席自由で1500円のチケットです。そりゃ、ベルフィルとかウィーンフィルと比べるべくもないですが、プロの演奏会(我々アマもちょっと混ぜてもらうのですが)です。
お時間に都合が付く方は、今日からちょうど1ヶ月後の3/14の18:00、コンサートにお出かけになりませんか?
しかし、チラシを見る限り、遊佐も酒田もチケットは2000円なのに、東京が1500円というのは、、、?(だって、サントリーホールでベルフィルなんていったらチケット一枚およそ3万円ですよ!あのチェコフィルは18000円だった。欧米ならシーズンチケット(年間通し券)が買えます。この差額はどこに行っているんでしょう?勧進元かな〜、、、)
今回の東京公演がこの値段で済むのは、おそらく豊島区とか「としま未来文化財団」の「主催」というのが違う点なので、そこから援助があるんだろうな〜。

私は?まだスケジュールが読めないのですが、午前中の仕事を終わらせてコンサートに行こうかな?と思っています。ソルノク響の皆さんは翌3/15成田から帰国するのでコンサート終了後さよならパーティもあるからです。
私の行動は未定ですけど。

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2006.02.13

いい訳

書く事がありません。
いや、書こうと思えばいろいろあります。
嬉しい事もありました。
でも今日はブログに書くことがありません。
疲れた時はとっとと帰って休みましょう!

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2006.02.11

ニュースいろいろ

 始まりました!トリノ・オリンピック!(Googleのロゴがカッコいい!)
 いろいろな競技に注目ですが、地元出身の加藤条治選手。中学(山形六中)、高校(山形中央高校)とも私と多少の関係があります(私の出身じゃあないですよ)。当然一番に注目し応援しています。
頑張れ!ジョージ!!!
地元のテレビでも、彼が子供の頃から滑っていた屋外スケートリンクで滑っている少年達が「ジョウジ先輩、頑張って!」と応援メッセージのCFの様なものが毎日流れます。金メダル候補が、自分の滑っているリンクで滑っていたと思うとモチベーションがあがることでしょう。同様の事は、名古屋の女子フィギアにも言えるようですね。大都市にもかかわらずスケート場が少なくて、子供がスケートに行く普通のリンクでミキティやまおちゃんが練習していれば、子供達も憧れモチベーションがあがる事でしょう。
 毎日明るいニュースが届く事を期待しましょう!

 明るいニュースから一転、心配なニュース。2月初めから報じられていますが、世界のオザワ、マエストロ小澤征爾氏の「病気療養」。ウィーン国立歌劇場監督として、1/27のモーツァルトの誕生日から生誕250年を祝ういろいろな企画があったのですが、それを全て降板した上、「4,5ヶ月の療養が必要」との医師の診断で今年の仕事を全てキャンセルしたと報じられています。
 一昨年、新日フィルを率いて酒田の希望ホールでベト7などを演奏しました。その時も体調を崩されていて、点滴をうってゲネプロをやり、旅館で休んでから本番を迎えたと聞きました。その時は単なる風邪だったかもしれませんが、今回も「気管支炎」とか「帯状疱疹」とか言われています。全体的な体力が落ちた時にかかりやすい疾患名です。考えたくはないですが悪い病気ないといいですね。一日も早い全快をお祈りしたいと思います。
 私が歩いたウィーンのケルントナー通りを一人でぶらぶらしている姿も現地日本人なんかに目撃されたりするそうです。また、あの素晴らしい指揮を、笑顔を我々に見せて頂きたいと思います。

 さあ、頑張れ、日本!

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2006.02.10

秋の定演

 私の所属するアマオケの今年秋の定期演奏会のプログラムが決まりました。
日時:2006年12月3日(日)(いつもは11月なのに、今年は12月だ)
場所:酒田市民会館『希望ホール』
曲目:(1)ブラームス  「悲劇的序曲」
   (2)ウェーバー  「ファゴット協奏曲」
   (3)ドボルザーク 「交響曲第8番」

 結構濃いです。
ここ数年ずっと序曲、協奏曲、メイン(主に交響曲)の組み合せでやっています。
平成15年は国民文化祭のため定演中止(そのかわりベルリオーズの幻想交響曲)、平成16年のメインは「ベト7」、昨年平成17年は「ブラ4」、そして今年は「ドボ8」です。メジャーな直球勝負な大曲です。どれもフルートが活躍する名曲です。
 協奏曲は、平成16年はソリストにVn.漆原啓子さんを迎え、ラロのスペイン交響曲(バイオリン協奏曲)、昨17年は記憶に新しく、ソリストにGuitar福田進一氏を迎え、ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」でした。 今度のソリストは初(?)の海外奏者、チェコフィルのファゴット奏者オンジェ・ブロコヴィッツ氏の予定です。先月、プラハを訪ねて食事をした際に、当団のファッゴット奏者T氏とオンジェの間で「密約」(?)が交わされました(通事は不肖balaineです)。
ファゴット協奏曲。はっきり言ってマイナーです。おそらく聴いた事なかったと思います。そこでiTunesを使ってiTune Music StoreからDLしました。ウェーバーは歌劇『魔弾の射手』で有名ですが、協奏曲もいくつか書いています。その中に、"Bassoon Concerto F-dur Op. 75"があります。18分程度の長さですがファゴットの哀愁を帯びた音色と比較的広い音域を活かした面白い曲だと思います。ちょっとモーツァルトのフルート協奏曲に似たようなところを持っています。チェコフィルで、アフラートゥス木管五重奏団で世界的に活躍する彼がどんな演奏を聴かせてくれるのか、そして我々がうまくバックを務め共演するのが楽しみです。
 序曲は、平成16年はシャブリエの「スペイン狂詩曲」、昨年はベルリオーズの「ローマの謝肉祭」でした。比較的軽快な曲を選択してきたのですが、今年はブラームスの「悲劇的序曲」。重いです。(笑)
弦の皆さん、気合いです。でも音楽は気合いだけでは何ともなりません。力=テクニークです。そして数です。弦楽器を弾く近隣のアマチュアの皆さん、どうぞ入団して下さい。

 メインのドボジャークの交響曲第8番、通称「ドボ8」。本当にフルートが目立ちます。
「今年は誰がトップを吹くのかな〜?」と私はすでに他人事です。本当は、「俺が!」、「おらが!」位じゃないと行けないのかもしれません。練習は謙虚に、本番は「俺が吹かなきゃ誰が吹く!」という感じで天上天下唯我独尊的でないとやって行けない面がある事は確かです。
でも私、練習に通うのにちょっと大変になりましたし、仕事上これからも練習を休まざるを得ない事が多くなるであろうと予測され(内緒ですが、4、5月にまた移動の予定)、他のフルート奏者とテクニックや経験が同等だとしても遠慮せざるを得ない状況です。まして、フルートパートの中では私が一番経験も浅いのです。

 3曲のうち、どれか1曲くらいはトップを吹きたいな〜。希望はあくまで希望です。

 バボちゃんのCDが届きました。
Wachet Auf, Ruft Uns Stimme"『目覚めよ、と呼ぶ声あり』です。
ううむむぅ〜、声を失います。
簡単に「天才」とか呼んで良いのでしょうか?
昨日は、彼の別のアルバム『バッハ:無伴奏チェロ組曲第1〜3番 』を聴いていました。ライナーノーツの中に書かれていた彼の言葉、「音楽よりも先にホルンが聴こえるような演奏はしたくない」には、バッハの高潔さも相まって恐れ入りましたとひれ伏したくなります。ホルンってこんな風に演奏出来るんだ。狩りの時のホラ貝の代わりじゃないだ、進軍ラッパみたいなんじゃないんだ。そこには本当に「音楽」が見えるようでした。(でも無伴奏チェロ組曲は「フルート版」の楽譜も出ているし私もいつか挑戦したいな。)
 ホルンのソロなんて聴いた事がない人で、少しでもバッハに興味のある方には、この『目覚めよ、、、』はお勧めです。是非お求め下さい。
 この「天才」バボちゃんと共にアフラートゥス木管五重奏団のベースを支えるオンジェが今年の我がオケのコンサートのソリストというのは、「すごくなぁい?」って感じ〜、なんである。

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2006.02.09

説明と理解

 昨日は宿直だった。準夜帯(夕方から午後24時まで)は病棟からの患者変化の報告が2件あったくらいで落ち着いていたので、最近買った本とCDを聴いたりネットをふらついて遊んでいた。
午前0時からの深夜帯も何事もなく過ぎそうだな、などと考えながら0時過ぎに宿直室に入ったらまもなくしてポケベル(あ、ちなみにポケベルって商品名ですよ)がピーピーとなった(英語ではビーピーなるからBeeperと呼ぶ、または呼び出す事をpageということからPagerと呼ばれている)。
夕方から軽度の運動障害があったが軽いので様子を見ていたけれど改善しないということで深夜近くになって救急車で来院した。意識清明、麻痺もほとんどなし。MRI(DWI)で小さなまだ淡い虚血巣がわかる。
脳梗塞の診断で入院となった。
まあ、症状が軽い(独歩でトイレにも行ける、なんだか口の戻りが悪いくらいで痛いとか苦しいという症状がない)から「直ぐ戻るかも知れない」と思って様子を見る気持ちも分からないではないが、患者も家族も「脳卒中」を疑っていたらしい。
「これからは脳卒中だと思ったら直ぐ来なさい!」と説明する。
 いろいろな啓蒙活動や講演会やテレビでの特集などがあるにもかかわらず、まだまだ「寝てればそのうちよくなるべ〜」とか「半身不随みたいな症状じゃないからちょっと様子を見よう」とか「痺れが出たが家族にも黙って部屋に引きこもっていた」とかいう患者さんが後を絶たない。それには人それぞれ様々な理由がある。人間というものは「痛み」と「かゆみ」などの我慢出来ない症状では大した事なくてもすぐに病院に来るのだ。しかし、たとえば糖尿病で要治療と言われようが、高コレステロール血症で食事を改善しなさいと言われようが、血圧が高いから薬を飲みなさいと言われようが、「痛く」も「かゆく」もないので医者の言う事を無視してしまう人がいる。「何の症状もないから大丈夫さ」という思い込みである。
糖尿病や高コレステロールや高血圧で「症状」が出たらもう大変なのだ。こういった『生活習慣病』に対する認識は田舎に限らずまだまだ国民の意識が低いと思われ嘆かわしい事である。

 今日の外来も新患を5人診たが皆見事に「頭痛」、しかも慢性のものばかりであった。鎮痛剤などの薬で対症療法をする疾患であり「脳外科医」が治療に当たる「疾患」ではないとすら言える(反論はあるでしょうが、欧米の感覚での脳外科医では慢性頭痛の治療は守備範囲外のものです)。「家庭医」または「総合内科医」の仕事。
 こういうモチベーションの下がる仕事をしていると、脳外科医でいる事、医師でいる事をなんとかしたくなってしまう。重症疾患救急の緊迫感、緊急手術の高揚感、難易度の高い高度な脳手術の達成感はそういう事が好きであればなおの事、経験すると病みつきになる。私も嫌いではない。しかし最近考えが変わりつつある。
 もとより、単なる「慢性頭痛」が、いくら命に別状のない病状といえど、痛み止めを飲んで仲良く付き合うしかない病気といえど、当事者にとってみればそれで食事がとれなかったり床に臥せっていたり仕事ができなかったりする事まである「一大事」である。何もクモ膜下出血や脳深部の脳腫瘍が「高等な」病気な訳ではない。

 先日、救急外来の看護師に「先生の説明は本当に分かりやすいですね〜」と感心された事があった。脳卒中の患者さんの家族に画像を説明して、今何が起こっているのか、これから何が起こりうるのかを話した直後の事だった。そういう説明が苦手だと思った事はないが、そんなに得意と思った事もない。要するに他の医師、普通の医師に説明が下手な人が(または真面目に説明する気のない人が)まだ少なくないという事なのだろうか。私は私の師から「informed consentというのは、説明を聞いた相手が『理解』してこそ成立するのであって、「私は言いました」ではだめ!必ず紙に書いて専門的な言葉などは言葉を言い換えたりして噛んで含むように話をすること。そうしても伝わらない事は多いという事を肝に銘じておく事。」と教育されそれを守って実践しているだけである。特に脳外科は、患者自身は意識がない人や朦朧としている人や認知症の人が多いため家族にきちんと病状を説明しないと治療が始まらないし、急変してから説明したのでは「なんなんだ!」と家族の不信や怒りを買う事が多いので、我々のずっと先輩の代からきちんと説明する事が当然、仕事の大事な部分を占める診療科である。
 看護師から感心された事は裏を返せば他の医師の説明が分かりにくい、または説明が不十分である、という事になるのではないか?みんなちゃんとやってないのかよ。という思いである。

「慢性頭痛」という病気は、患者さん自身がその病態や症状を良く理解して上手く付き合う事が必要である。薬の服用に付いても症状に会わせて適宜という事が必要なので、その辺をうまく理解してもらうための「説明」というのはとても大事な治療である。おそらくあまり頭痛を診ない一般的内科医は、病態を知っていてもそれを微に入り細に入って説明する事まではしない人が多いのかも知れない。一方、CTなどの画像診断を気軽行って頭蓋内の疾患を否定し「慢性頭痛」の何たるかの知識を持ち、患者や家族にはきちんと説明する事を教育されてきた脳外科医はやはり「慢性頭痛」を治療するのに向いている医師なのかも知れない。
 頭痛だけを診る「脳外科」医も世の中には存在する。自分はまだ「頭痛」だけを診察治療する医師になりたいとは思わないが、宿直で疲れている自分の身体や精神に気付き、いろいろモチベーションの下がる事、考え方を変える必要のある事に気付くと、そろそろ自分の身体や心を犠牲にしてまで働く事から離れて、患者さんも自分も平和で幸せになる道を求めてもいいのかな〜などと考えてみたりする。

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2006.02.08

時の流れ

 世の中には、どんなに頑張っても物事が上手く行かない場合もあれば、特に努力もしていないのにトントン拍子に物事が好転して行く事もある。 
先般来、いまだ毎日のようにニュースを賑わせている(と言うか、私に言わせると薄汚れた話で世の中を汚している)話題に、マンションの耐震強度偽装事件(要するに嘘つきと詐欺とも言うべき犯罪とそれに騙された可愛そうな人達の話)、某ホテルチェーンの条例違反(要するにこれも嘘つきと欺瞞の物語)、そしてラ○ブ○ア事件(これは微妙だけどたとえ法的には問題がなかったとしても倫理的には問題ありそう?)がある。
 常々思ってはいたが、自分という人間を振り返ってみると、そんなに偉そうに人の事を後ろ指させる程の人物ではないのであえてこのブログでは触れないできた。でも、大きくとらえると、こういった事件は日本という国に古来根付いていたはずの「儒教的思想」の崩壊を現すほんの一部の出来事であるとも言える。

 儒教思想はとうの昔に崩壊していたのかも知れない。それから派生した精神論や尊王攘夷的思想などが極端な洗脳教育に利用されると(鬼畜米英などの発想を生んだ)「偏執的軍国主義」にまで影響を与えたかも知れず、戦後大きな声で「儒教」「儒教」と叫ぶ人は少なかったように思う。
 儒教は、その生まれ故郷である中国、伝わってきた韓国朝鮮、そして日本という東アジアに根付いた。細かい事はいろいろあろうが、おおまかにいってしまえば「道徳」に等しいと私は思う。五常(仁、義、礼、智、信)という徳を教え広め体得する事により、五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持する道を教えるものである。上記の汚らわしいとさえ言える話は、結局、礼とか義とか信の欠如である。長幼の序とか君臣の関係というのは強調しすぎると問題があるが、要するに「信」と「親」の世界であり、西洋化著しい現代日本に於いていまだ大切な事であると考える。
小さな頃から学校で教わり親から教わって、不文律のように日本の隅々に保たれていたと思われるこういった儒教に影響を受けた一般市民の道徳観が、日本を資源が乏しくとも勤勉で国土が狭く人口が多くとも清潔で安全で独自の文化も外来文化もうまく共存させて繁栄する国にしてきたと言える。戦後、ほとんど全国の日本人の目は米国を向いた(向かされた)。ヨーロッパを向いた。アジアを無視したとも言える。同時に儒教思想なども軽視された。米国のAmerican Dream神話や自由主義経済圏ヨーロッパの豊かさ、かっこよさに憧れ、東洋の精神を置き去りにした。年長を敬うのは見かけだけ。実力主義との謳い文句で成り上がり、のし上がり、利益追求、経済至上主義的な発想が多くの国民に浸透してしまった。しかし、欧米が富んでいるのは過去に植民地支配で搾取した文化文明に基づく富が国内外に備蓄されていたり、奴隷制度などで富める者と貧しい者を明らかに「差別」した時代があったからこその今であることに対して、多くの日本人は認識が甘い。米国で成功する人が讃えられ名が売れている一方で、どれだけ多くの人が虐げられ蔑まれ屈辱を受けてきたかは表には出にくい。米国の表面を見習っては行けないのだ。米国に暮らした経験から見て、米国の模倣は危険なのである。(何だか国粋主義者のような発言だなぁ〜)

 私は、上記の3つの事件にかかわっている人達、個人個人がそんなに悪人のようには思えない。だが、道を、徳を忘れてしまい、またはそんな事を考える事すらバカバカしいという風潮の中で生き抜いてきて「悪人」に育て上げられてきた「愚か者」だと思う。本人達にもちろん大きな責任はあるが、国、学校教育、地域社会、親たち、などの「悪人(愚か者)」を育て上げた社会環境の問題を考えないと、今後どんどんこういう人達が出て来るような気がする。米国的経済至上主義、「金持ってる者が偉いんだ」的発想の危険性を社会が考える必要がある。「力があれば成功する」という考えは認めるとしても、「成功」とは一体何なのか、成功した後どう社会貢献するのか、という文化が日本にはまだ十分に育っていないと危惧する。

 悪い事は連鎖して悪い事を呼んでしまうようで、上記以外にも幼児・小児の悲惨な事件も続いている。
 しかし、良い事は良い事を連鎖して呼ぶ、「好回転」も起こるだろう。秋篠宮家に第三子のおめでたが確認されたそうで誠に目出度い。もうすぐトリノオリンピックであるが、国内の暗いニュースが隅に追いやられるような明るいニュースを期待している。
 先般、私はヨーロッパで「これでもか!」という位いい思いをさせてもらった。いい事はいい事を呼ぶ、幸せの連鎖を身を以て体験した。しかし、一般論として何もないところからは何も生まれない。楽しく幸せな時間が持てるだけのことを自分が今までしてきたのだと信じたい。「時の流れ」は神の意志かも知れず、これには逆らっても仕方のない事が多いが、我々医師は、突然倒れたり具合の悪くなる人を何とか「負の連鎖」から救い出し、好転させようと努力しているつもりである。幸い上手く行く事もたくさん経験するが、運悪く悪循環から救い出せない事も少なくない。自分でもよく経験した事であるが、状態が悪くても何か一つ明らかな改善の兆しが見られると次々に状態が好転して行く事がある。人事を尽くし、、、のこころである。
 自分の名前の一部に、儒教の生みの親である孔子の名前が付けられている事も手伝って、かねがね儒教、儒学には少なからず興味を持っていた。仁、義、礼、信、智という五常をこれからも意識して、「時の流れ」に乗って生きて行きたい。暗いニュースと明るいニュースの事を考えていたら、珍しく何だか少しく哲学的な話になってしまった。

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2006.02.06

自動ドアが、、、(第300記事目)

(今、気がつきました。このブログを書き始めて300個目の記事でした。。。)

今日の明け方の事でした。
時間は午前5時50分頃。病棟からポケベルと電話あり。電話に出ると、看護師が焦った声で「Aさんが呼吸停止していて、血圧が70台です」と言う。Aさんは、重症の外傷で意識障害があり努力様呼吸をしている方でした。酸素マスクと鼻腔エアーウェイ(空気の通り道を確保するチューブ)を挿入していました。
 まだパジャマでベッドの中にいた私は、一瞬のうちに頭を整理し、指示をしました。
「今、この雪の中、僕がどんなに急いで行っても病棟に到着するまで20分かかる。宿直医に頼んで挿管してもらい、僕が着くまで呼吸循環状態を維持してもらっておくように。」その他にもいくつか指示をして、急いで出かける用意をしました。
とにかくまず着替え。顔を洗ったり髭を剃っている暇はない。飲み食いしている暇もない。鞄、鞄。
コートを着て、長靴を履いて、アパートの3階から階段を急いで降りる。あ〜、駐車場の車には雪が積もってるよ!
と、アパートから出ようとした私ですが、玄関の硝子の自動ドアが開かないのです。外からは暗証番号、またはインターホーンで室内からオープンする方式のセキュリティーを考えたドア。内からは人を感知して開く方式の奴で、ドアの上にあるセンサーの光が緑から赤に変わるのは確認。しかし、ドアはウンともスン言わない。
「あれ?もしかして、凍ってんじゃないの?」
確かにドアの開け閉めの通る溝に氷が張っています。吹き付けた雪が溶けて朝の寒さで凍ったのでしょう。手で押したりひいたりしても動きません。数分経過。これは溶かすしかない。
部屋に戻り、まず病棟に電話。
「アパートの入り口のドアが凍っていて出られないので時間がかかりそう。当直医は?」と聞くと
「今、病棟に来てくれてところ」という。
ポットのお湯を空いたペットボトルに入れて再び玄関へ。溝の氷にかけるとすぐ溶けた。でも開かない。
多分、下のレールも凍っているんだろう。ドアの裾の方にジャバジャバとお湯をかけた。
そしてドアをガタガタ押したりしていたら、少し動いた。合計10分位格闘したと思う。
ゆ〜〜っくり、スーーッとドアが開いた。
次は車の雪。積雪量は多くないが凄く寒くて凍りついている。窓の氷が取れない。デフロスをかけながら氷をかいてようやく出発。まだ外は薄暗い。駐車場を出たところの道でFRの私の車はスタック。「動け!」と念じながら、バックに入れたり少し前進したりしてちょっと段差のある高い部分にあがり、後は勢いで発進。
やっとの思いで病院につき、コートに長靴のまま、8階の病棟に駆け上がると宿直医の一人の救急救命医(たまたま昨日の宿直医は消化器内科医と眼科医と救命救急医の組み合せ)にばったり。
「挿管しようと思ってバッグもんでたら自発呼吸が戻って血圧も安定したので、挿管しませんでした。」
「あ=、どうもありがとうございました!」
病棟には眼科医がカルテに状況を記入していてくれた。
「先生、すみません。ドアが凍ってて時間かかっちゃって。」
結局、病棟から電話があって私が病室に着くまで、今回は40分かかってしまいました。ドアが凍ってなくても20分では着かないと思います。でもこのあたりの1分、2分は患者さんにとって大切と言うか、死活問題。
それが20分も遅れたのですから、自動ドアの凍結は大問題です。
このアパートを官舎としている病院の施設係に報告したのは言うまでもありません。

(365+31=396日間に300日はこのブログを書いていた計算になる。我ながら大したもんだ〜(笑))

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2006.02.05

復活

って何からの復活?って思われるでしょうが。
こんな私でもたま〜〜〜に体調を崩します。木曜あたりからちょっとだるくて、金曜日は早めに家に帰り、珍しくフルートもピッコロも触らず、早めに食事をして薬を飲んで寝ました。熱も無いし風邪症状も乏しい。ちょっとだるいのと頭痛がするくらいでした。
 金曜から今日にかけて、断続的に雪が降っていて外に出るのも大変です。
 昨日、土曜日は非番だったので天気がよければアマオケの練習に行こうと思っていたのですが、体調もよくないし天気も悪いので早々にやめました。ヨーロッパ旅行で壊れたおニューのラッゲージが、販売会社エー○の方で無料で修理がなされたとの連絡があったので、購入したお店にとりに行くつもりでしたが、急ぎ使う予定も無いのでそれもとりやめ。
 結局、金曜の夜から今朝日曜の朝まで一歩も外に出ず、半分以上はベッドの中でダラダラと過ごしました。
 風邪気味と思った時に、私は『ニンニクたっぷりパスタ』というのを自分で作って食べます。青森県産(ここが大事、中国産ではダメ)ニンニクの3、4かけをスライスしてオリーブオイルでゆっくり焦がさないように火を通し、あとはベーコン(できればバラ肉から作ったパンチェッタの方が良い)を炒め、鷹の爪を2、3個いれて茹でたての麺をあえるだけ。アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーニ。
これはいいですよ。下手な風邪薬よりはずっと効きます。手早くニンニクだけ食べたい時は電子レンジで「チン」してホクホクのお芋みたいにして食べる事もあります。ニンンクパワー侮るなかれ!
これと十分な休息で「復活」し、今朝は8時半には病院に来ました。
外の雪は本当に大変です。一日車を外においておくと、立てたワイパーが昆虫の触覚のように雪で塩竈状態の車の中から突き出ているようです。気圧が低いのでしょうか?この2日で脳卒中が4人、痙攣発作が1人入院し、入院中の患者の中で痙攣発作が2人、高熱(38.5℃以上)が3人発生しています。
振り返ってみると、「風邪引いたので」などという体調不良を理由に病院を休んだのはいつの事だったか、、、多分4年くらい前に一日休んだ事があったくらいです。私が体調を崩す位なんだから患者さんもそうなんだな〜と思いました。

ーー
な〜んて言っているうちに、また病棟の患者さんが全身痙攣を起こし、そうこうしているうちにまた一人脳卒中が入院で、もうすぐ午後2時半になりますがまだ昼食も摂れません。
まあ、今日、こうなる事は予測していた(想定の範囲内、って奴)ので、昨日しっかり寝ていた訳ですけどね。
はあ〜ぁぁぁ。。。。

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2006.02.03

「ま・め〜は、、、」

山形市に『でん六』という会社があります。一企業の宣伝をするつもりではありません。
ここのサイトに本日の節分についての「豆」知識がありました。とても面白いのでURLを載せます。
http://www.denroku.co.jp/elder/setsubun.htm

 このブログをご覧くださっている皆様、みなさんの地方では「ま・め〜はでんろく!」というTV CF流れていますか?私は子供自分に、倉敷だったか高松だったか記憶が定かではないのですが、このコマーシャルを見たような記憶があります。だから『でん六』というのは、東京かどこかに本社のある全国的企業だと思っていたのですが、山形市内に本社・工場のある会社だというのはこちらに住むようになってから初めて知ったのでした。
会社のキャラクターというか鬼の顔などに、あの漫画家赤塚不二夫さんの絵を採用したりしているしTV CFは全国に流れているようだし、全国的企業には間違いないのですが。

 さて、「節分」。
本来は、立春、立夏、立秋、立冬の各季節始めの前日が全て節分なのですが、一年のはじめという意味での「立春」の前日(=旧の考えの大晦日)を特に「節分」と意識して、前年の厄をはらう儀式としての豆まきが今の世にも続いている事のようです。
「独り身なんで豆まきなんて何年もしてないな〜」と言っていたら、今日のお昼の弁当に豆が袋にはいって添えられていました。中国産の大豆で浅○屋○業とかいてあります。
「な〜んで、『でん六』じゃあないの?!」と思いました。
今日はアパートに帰って豆まきをしましょう!

ということは明日は「立春」ですね〜。でも外はこの冬一番か?という大雪です。
昨日の夜はまだ雪が降っていなかったのに、朝目が覚めたら車の上に40cm程の積雪。水分の少ないサラサラの雪で、払うのは時間がかかりませんでしたが、また「長靴出勤」になりました。
明日はオケ練習に行けるかな〜?先週より厳しそうです。

先日、このブログを読んでいる父親から、「おまえのブログは長い。半分くらいにして2、3日に分けて書いたらどうか?」というアドヴァイスとも文句(失礼!)ともいえないメールが届きました。
たしかに、文章を推敲もせず、ダラダラと思いつくままに書き綴っております。下書きして、誤字脱字を改め内容を遂行して無駄を省き、もっと簡略、簡潔な文も書けない事は無いのですが、そんなことをしている時間が無い事、頭にどんどん文章が浮かんできて凄いスピードでパソコンを打って書いている事などから今のところ改める気はないです。(^^;;; (すまん!親父!)
確かに自分自身で後から確認しようと思って読むと、「ふぇ〜、なっげ=!」と思いますし、どこに何かいてあったか分かりにくくもなります。読んで下さる方も、こんな長いの、大変だろうな〜、凄い忍耐力のある方ばかり読んで下さっているんだろうか〜、などと考えます。

 文章を書くのが苦手と思った事はありませんが、「得意」と考えた事も無いのでよくわかりませんが、とにかく浮かんできた事をつらつら、だらだらと書いているだけです。ちょっと読み返して「ここは個人情報保護法上まずいんじゃないの?」というようなところと、明らかな誤字などは直していますが、あまり読み返してもいないのです。
 ブログがそのまま本になって売れていらっしゃる方々もいるようで、その方々にとって喜ばしい事と思います。私の場合は、自分のための日記でありストレスのはけ口であり、普段ほとんど消息を連絡しない両親への「元気だよメール」みたいなものなんです。
いつもなが〜〜〜い文章にお付き合い頂きすみません。
今後、少しは読みやすい長さというのも考慮してみたいと思います。
は〜、まだ雪、どんどん降ってますよ。

P.S. お!地震だ!
宮城県沖らしい。震度は大した事ない。
宮城と言えば、先日某国営放送の「試してガッテン!」という番組でインフルエンザの事をやっていた。
その中で、仙台の国立病院機構ウィルスセンタ−長N氏がかなり長い時間でてきた。
「ン?N村H一?」おお〜!同級生じゃん!って気軽に呼ぶ程の仲ではないが、偉くなったんだな〜。
嬉しかった。

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2006.02.02

うっかり

といっても大した事ではないのですが、既に2月になっていました(笑)。(^^;;;;
『一月はいぬ、二月はにげる、三月はさる、、、』
昔の人は本当に上手い事言ったもんです。
一時間の長さ、一日の長さ、一ヶ月の長さなんて物理学的には同じはずなのに、どうしてこの季節は時が過ぎるのが速いのでしょう。ヨーロッパ旅行から戻って、明日で早くも3週間経ちます。
 そうそう、うっかりといえば、このブログを始めたのがH17年1月6日だったので、いつの間にか(ハンガリーにいる間に)、一周年を過ぎてしまっていました。あはは、、、(^^;;;

 先週オケの練習に行った時に、ある方から「一年の24分の一旅行してきた感想はどうですか?」と面白い表現をされました。ふむ、2週間の旅というのは一年の24分の一か〜、と変に感心してしまいました。私の一生の何分の一なんでしょうね。
 限られた人生、医師として、脳神経外科医として社会に少しでもお役に立つ人間でありたい、と同時に「自分の時間」「自分の幸せ」というものも最近意識しています。
 『医者のQOL(=Quality of Life)』、という表現を用いられる事もあります。病気や怪我という社会的ハンディを負った人達に救いの手を差し伸べ人生を豊かにするお手伝いをする、理想的には清貧に甘んじても利益を追求せず奉仕の心で働く、のが医者のあるべき姿でしょう。しかし、自分の家を建てる、いい車に乗る、いいスーツを作る、いい鞄を持つ、美味しい料理を楽しむ、旨い酒を嗜む、幸せな家庭を築く、子供に恵まれる、孫が出来る、健康で長生きする、etc.etc...。
医師も人間ですから様々な『欲』があります。上記のような「望み」「欲」の例は、世間一般の人、中流意識が強いと言われる多くの日本人が似たようなものを持っていると思います。誰もそれを否定する事は出来ません。まして、「医者なんだから、、、」というような文言で規制というか抑圧される事はおかしいでしょう。ただ、我々医師は本来、医療活動に身を捧げ自分の患者の事を第一に考える(WMAジュネーブ宣言の一文)ように己で宣言し、また世間からも期待されている者たちです。
 豊かな時代に生まれ育った現代の10代後半から20代前半の若者達に、自分の人生を犠牲にしても弱者のために働く覚悟がある人、自らの愉しみ(快楽)や欲よりも患者の事を常に優先するような考え方で生き抜いて行ける人がどのくらいいるでしょうか?
 「初期研修義務化」が実施されて初めての初期研修医がもうすぐ2年間の「初期研修」を終えます。(土日病院当直などの)アルバイトが禁止され、代わりに最低限の給与が保証され(私が研修医の頃の4,5倍もらっている)、プログラムやカリキュラムを自分で選択希望して研修病院とのマッチングが行われましたが、あきらかに田舎の病院は人気がなく、都会の病院に集中しました。若者は、選択する判断基準として病院や指導医のことと同様に(同じくらいの給料なら)暇な時間に自分が遊べる、楽しめる、刺激的な都会を選択したとすら言えます。
 しかし、これを誰が批判出来るでしょうか?私だって、コンサートとかいろんな事を考えるとこのネット社会の今でこそ、東京や横浜などの大都市圏に住みたいな、と考えてしまいます。
 そんなことを、ボンヤリ考えていると、いつの間にか3月になってしまうのでしょうが。(笑)

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