近い記憶、遠い記憶
先の日曜日、出先から帰ってテレビをつけたら『N響アワー』をやっていた。それにつづいて『芸術劇場』があるのだが、何だかデジャブというか偶然の連続だった。
話題としてでたのは、(かけあしの紹介だったが)まず、マエストロ、ジャン・フルネの引退公演の話し。マエストロの事について私が云々する資格は無い。記憶に残るのは、2003年のチェコフィル日本公演でマエストロが振ったラヴェルの「ボレロ」。若々しく気持ちのよい演奏だった。90才?!え!っという感じであった。アフラートゥス木管五重奏団の団員のうち2人は現在はチェコフィルの団員ではないが、あの時はフルネの指揮でロマン、ヤナ、ボイト、オンジェが吹いていたな〜、と鮮烈な記憶が蘇って来た。バボちゃんはベルフィルなんでいなかった。
フルネのインタビューの内容が大変興味深かった。フランス人として、フランス音楽を世界に広める大使としての意識は強いけれど、肩に力のはいった物腰ではなく(92才なんだから柔らかくて当然かも知れないが)、本当に自然に「私はフランスの音楽に抱かれて、身体をゆだねて生きている」というような雰囲気だった。ドビュッシーの「海」似ついて触れたとき、「音楽をどう分析するとかそんな風に考えなくていい。ただ「海とはどんなものか」を考え感じるだけ。」と表現されていた。マエストロフルネの事を考えるとき、この方は、指揮者としては有名であるがパリのコンセルヴァトワールではフルートを学んでいたという事を知る人は多くないと思う。
単純に憧れる。
次に話題になったのが、先のショパンコンクール。優勝は、クリスチャン・チンマーマン以来30年ぶりにポーランド人のラファウ・ブレハッチ。この方、浜松国際では確か2位だった。響ホールにも来た事があって、社交辞令だろうけれど「田舎が好き」「もう一度庄内に来たい」と言っていました。
3月のソルノークフィルとの共演でもショパンのピアノ協奏曲第一番をやるのですが、プレハッチ君だったら凄いのにね(ソリストはすでに決まっていますが)。
本選の模様も少し放送されたが、Pコンが出て来ると自分の身体と心が過剰に反応してしまう。あれだけ緊張して気合い入れて集中したのだから、20日過ぎてもまだ鮮烈な記憶の残る曲である。
最後にベルフィルの2005年のヨーロッパ公演の話題が出た。毎年、ギリシャの神殿跡とかいろいろな名所で演奏を行っているのだが、今回はなんとハンガリー国立オペラハウスだった。私がオペラデビューした、あのブタペストのオペラ座である。ああ、あそこ、あそこの席に座ったんだよ。あー、あの通路歩いてあの天井をこの目で見たよ、という映像であった。
ほんのわずかな間にこれだけ最近の自分にかかわるものばかり映像と音で出て来ると興奮せざるを得なかった。本当に私のとっては鮮烈な記憶なのだ。
人の記憶のメカニズムというのは、複雑であるが、あえて単純化するならば、1)外界からの刺激による入力、2)その信号の記憶装置への定着、3)短期間の記憶の保持、4)長期間の保持、5)想起(思い起こす事)ということになる。このどの段階が障害されても記憶はあやふやになる。
外来によく「最近ボケて来たので心配です」という方が来られる。しかし、神経学的にはまったくボケなどない。どういうことかというと、財布をどこに置いたか直ぐ忘れる、とか、さっき話していたことがなんだったかすぐに忘れる、というようなことである。このような事は、その強弱はあっても誰にでも起こる事であり、私も時々経験する。
ボケではない、記憶の障害ではないとすると何なのか?それは、まず1)または2)の段階の問題なのである。つまり何か他の事に気を取られていたり、別のより大事な用件がはいってその直前の事を忘れてしまうのであるが、記憶すべき事柄を入力する刺激が不十分だったり刺激そのものがなされていなかったり、されていても記憶装置へ定着する前の段階で他の事象によって取り除かれたりするためである。
なぜ今回の「芸術劇場」で紹介された事柄が「私にとって」鮮烈な記憶であったかと言うと、1)2)の段階から関係する。そこには、強い緊張とか、苦しみとか、その後の大きな喜びとか楽しみとか笑顔とか、感激とか感動と言った、「心」が強くはいっている。英語で言うならemotionが強くはいっている。強いemotionのはいった事柄は、「覚えよう!」と意図しなくても、努力しなくても、自然に頭の中に入りクリアに定着し感激とともにすぐに蘇り(短期記憶)、喜びとともに長期保存され、幸福感とともに容易に想起する事が出来るのである。
よって、物事を記憶する際には、記憶法とかいろいろなテクニックももちろんあるけれど、それを知る事、覚える事が感動的であったり楽しい場合は、苦もなく頭にはいり容易に忘れる事がないのである。ついさっきの事(短期記憶=近い記憶)でも、むか〜しの事(長期記憶=遠い記憶)でも、感情、emotionを伴ったものはいつまでも鮮烈に蘇るのである。
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