プラハ最終日
今はチェコ時間で1月10日の早朝4時過ぎです。また目が覚めてしまいました。
オケ仲間の「タビの親父」さんや皆さんからのコメントは読んでいます。ありがとうございます。
レスを付けたいのですがどうも携帯からではコメントが書けないようなのです。ですから、新しい記事としてレスを兼ねて書いてみます。
すでに書いたようにハンガリーの人達、特にソルノークの人々の歓迎にはビックリです。
単に食事やパリンカを始めとする酒の量が凄いということではありません。我々を歓迎しよう!という心が熱く感じられますし色々な企画と心使いに感謝の気持ちが自然に湧いてきます。と同時に「3月の日本での歓迎は大丈夫かいな?」と心配になります。
20年にわたるソルノークと遊佐町あるいは酒田市との交流、特に人と人の個人的繋がりがあってこその今回の歓迎であることはいろんな局面で伝わってきます。私のようにまだ新米の部類に入る団員でさえ感激しているのですが、この感動と感謝を日本にちゃんと持ちかえられるのかどうか。
また、同じ感動を味わっていない留守番組との温度差が出そうで心配です。
一番大事なことはきちんと練習をして日本での演奏会を成功させることですが、酒田、遊佐そして東京の3ヶ所で計画されている演奏会とそれに付随するもてなしがどのようにしたらできるのか、アマオケである我々には厳しいものがあると思います。まず皆仕事を持っている訳ですし、農業従事者の多いうちのオケで3月の上旬から中旬というのはきつい時季だと思います。土砕き(という呼び方でいいの?)、種蒔きなど一年の農業の始まりの大事な時期にあたります。サラリーマンには決算の忙しい時期です。中心になって企画運営をする人が重要です。ある程度以上の個人的負担は必要でしょうが、ごく少数になると思われる実動部隊だけに大きな責任と負担がかからないように皆で知恵を出すことが肝要だと思います。
ま、この辺のことは帰国してから、ですね。
今回の演奏会のCDを聴いてみました。うーん、、、という感じです。
言い訳はいろいろあるでしょう。二つのオケがたったの三日間で溶け合うなんてプロでも容易な事ではありません。アマオケである我々には練習や集まりに制限や限界もあったでしょう。しかし、自分のことを置いておいて考えるに、今回の演奏会ツアーに参加したのは我々団員のベストメンバーではないのも問題です。普段の練習が不足していたりもともと実力のあまりない団員もツアーに参加しています。大きな目的が『国際交流』ですから、交流をきちんとできたのならそれでも全然構わないとは思います。ただ参加したメンバーは私も含めもっと練習をしてくるべきでした。様々な状況や条件の中で、ツアーに参加したくてもできなかった人、どうしても仕事で休暇がとれなかった人には大変申し訳ない言い方かも知れませんが、本当にもうちょっと無理をしてでも来れなかったのか、ツアーに参加するために無理をしたり工夫することを避けてしまったのではないか、ちょっと考えて欲しいと思います。
演奏会のビデオを観てもCDを聴いても、あの感激が甦るとともに恥ずかしい気持ちが一杯湧いてきます。弦の音程がずれているのは間違いなく我々団員の音でしょう。まあ、ここだけの話、『運命』の出だし、あの「ジャジャジャジャーン」で飛び出したのはうちの団員ではありませんでしたが。
参加者が決まってから、管楽器では三つの曲のどれに乗るのか、希望のアンケートがありました。私は個人的にショパンに思い入れがあり、他の2曲、『魔笛』の「序曲」と『運命』は乗らなくてもいいから、ショパンは是非に!という思いを込めて、Pコンのトップを希望していました。しかし、調整されて返ってきた暫定的な乗り番は、Pコンのセカンドでした。なので事前の個人練習もセカンドをやっていました。でもTacetが多くてつまらないのでトップもちょっと齧っていました。オケ練習の時に笛は私一人しか参加しなかった時があって、トップを吹いてみたら気持ち良くて出来そうな「錯覚」をしました。
ソルノークの笛の二人と初めて会って簡単なパート会議を開いた時に、うちの笛の他の二人は希望がすんなり通りました。私は、折角元日の朝まで働いて少し無理をしてハンガリーまで来たのだし、と勇気というよりいつもの厚顔無恥で「ショパンのトップを」と言ってみたところ、すんなりOKが出て、内心「えぇ?いいの?」と思いながらも「よし!頑張るぞ!」という気持ちに切り替えました。
しかしここからが大変でした。練習不足は歴然です。歓待につぐ歓待で今更さらえません。初日の練習ですぐに馬脚を現しました。とても恥ずかしかったです。指揮のマエストロ井崎正浩、ピアニスト藤井亜紀さんにはもちろん他の演奏者、特にソルノークフィルの笛の二人に申し訳ない気持ちになりました。都合三回のリハで間違えずに吹けたのは一回もなく、周りの木管奏者からも苦笑をかっていました。音楽を創るレベルには程遠く、楽譜をなぞって間違えずに吹くことで精一杯という「学芸会」レベルになっていました。
ビデオを観ると、本番で隣に座ってアシストしてくれたソルノークのバルボラが、もう自分が吹いているように身体を揺らし気持ちを込めながらアインザッツをいれてくれました。CDを聴くとピッチがずれていてちょっと気持ちが悪いのですが私の笛もそこそこ、と思いました。
本番ではかなり集中しました。練習不足、実力不足は気合いで補うしかないと思ったからです。立ち見も出た程の超満員の聴衆(在ハンガリー日本大使やソルノーク市長を含め)の中に、脳の手術が出来る人がいるだろうか?いや、俺以外に人の脳に触ったり、脳の中の出血や腫瘍を取り除いた経験のある人はいないだろう、そういうスペシャルな仕事をこなしているんだから、、、
変な事を考えていたんですね、と言われるかも知れませんがそれ位必死だったのです。気持ちを落ち着けた後、破裂脳動脈瘤にクリップをかける時の自分をイメージし静かに集中しました。その結果、二ヶ所ミスしましたが大過なく(と勝手に思っている)演奏できたと思います。「高名の木登り」じゃありませんが、最後の小節の第三レジスターのGisをGを出してしまい大失敗!練習でも間違えたことなかったのに、「なんでこんなとこで間違えるんだ?!」と自分で自分を殴りたくなりました。Tuttiなので目立ちはしませんでしたが。
隣のバルボラが満面の笑みで私の右膝を叩きながら私の演奏を讃えてくれました。Tacetが多いためか私の左隣で目を閉じて眉間に三本位縦ジワをいれて難しい顔をしているオーボエ奏者のイムレも控え室で笑顔で私に歩み寄ってきて「マエストロ!」と言いながら握手して讃えてくれました。まあ、練習があまりにヒドカッタので心配してたけど「なんだお前、笛吹けるんじゃないか!」という事だったと思っていますが。
こんなところが現時点の感想です。
今日の夜はスークホールで『アフラートゥス木管五重奏団』のコンサートです。チェコフィルのフルート奏者ロマン・ノボトニーに招待されているのです。日本で二回、プラハで一回飲んだ仲で、ロマンやオーボエのヤナはもう友人です。幸せな事です。今日もルドルフィノムでのコンサート後にまた飲むことになっています。
昼には私の吹いているピッコロを創った「プラハ交響楽団」ピッコロ奏者のフィンダ氏と奥様でフルート奏者のシホコさんと食事をすることになっています。とても楽しみです。これもロマンの手配のお陰です。
いやー、携帯電話でこれだけ書くのは二時間かかります。
明日はウィーンです。
また報告します。
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コメント
日本時間20時。雪もだいぶ落ち着きました。
この間は最低気温-17℃を記録し驚いております。ブロ楽しく拝見しております。
素敵な経験を体験してこられ、おいしい食事・素敵な人たちとの出会い、歓迎があり音楽を通じ国境を越えた感じですね・・・。
もうすぐ帰国です。気温の差、時差もあることでしょうがお気おつけて帰国して下さい。
投稿: chibiami | 2006.01.11 20:06