『ハンガリー演奏旅行&プラハ、ウィーンの旅』(7)(プラハ3日目)
・旅行第10日目(2006年1月10日);プラハ3日目(最終日)
ついに旅もラス前という感じである。
ファゴットのT氏とヴィオラのH氏およびそのお嬢は本日帰国。私は今日デュシャンのアパートを出て、ホテルパレスプラハにチェックインしYS氏と同室となる予定。
今日はビッグイベントが2つ。
一つ目はピッコロのフィンダ氏夫妻にお会いし昼食をともにする事。二つ目はアフラートゥス木管五重奏団の今年初のスークホール(ルドルフィヌム)でのコンサートである。
午前中は個人行動とした。デュシャンは、朝6時半には出て病院へ行くので、私は自由にしていてくれ、と言われていた。遅起きすることにした。9時半頃ベッドを出て、まずシャワーを浴び髪を洗いヒゲを剃り、さっぱりしたところで簡単な朝食を作った。(写真は私の作った朝食)
食べ終えた後、何をしようか考えた。12:30にホテルのロビーでフィンダ氏夫妻と待ち合わせをしている。2時間はあるから、ちょっとぶらぶらして来る事は出来る。私は笛を吹く事にした。だって1/5のコンサートから4日以上、全く笛に触っていないのだ。ぐっすり寝たせいか笛は気持ち良く鳴ってくれた。1時間程吹き散らかして、夕方のホテルへの移動に備えて荷物を整理し、少し早めにアパートを出てホテルのロビーについたのは12:15頃だった。
Ms. Shihoko Findaから12:25頃携帯に電話があった。道が混んでて少し遅れるという。大丈夫ですよ、ゆっくり来て下さい、と伝える。そう、Finda氏の奥様は日本人。しかもフルーティストである。日本語が話せるのはやはり楽だ〜。
YS氏から12:30頃焦った声で電話が入る。午前中旧市街に出かけてホテルに戻ろうと思い迷ってしまったという。もうすぐ着きます、ということだったので、焦る必要なし、と伝えた。
12:35にYS氏が、12:40にFinda御夫妻がロビーに到着。初対面の御挨拶をした。ロマンから紹介されてすでに電話でお話しはしていたし、Finda氏は日本のフルート、ピッコロ業界では有名な方なので雑誌などでお顔は拝見し知っていた。フィンダ氏の車でフィンダ氏お気に入りのお店に昼食に行きましょう!という事になった。
おお!写真撮るの忘れた。フィンダ氏は無類の機械好きらしい。奥様によると何でも自分でやってしまわないと気が済まないのだとか。で、車は1960年代、いわゆる「縦目」のメルセデスだった。見た目はボロボロ、内装もはげはげ、ディーゼルエンジンで音も大きい。今時メルセデスで窓を手でくるくる回して開けたり、ドアロックが手動でポンという奴はなかなかない。しかし、乗り心地は(素晴らしい)とは言えないが、外観からすれば滑らかで驚いた。こういう車をしかもいじくり倒すのが好きなのだそうだ。
昼食はダック。フィンダ氏お気に入りのお店。ここのピルスナーウルクエルが更にお気に入りだと。先日も書いたように、チェコの人は、ビールのブランド名ではなく、どこのお店で管理し保存しているビールなのか、で飲みに来るのだそうだ。だから、そこのレストランのピルスナーが好みだったら、それを飲むためだけに食事ではなくビールを飲むためにそのレストランに通い詰める事になるらしい。
ダックは、Half of the Duckつまり一人前が半匹。志保子夫人はサーモンを注文したので、男3人で一匹半のダックを食べる。昼からこれだ!でも美味しかった。
話しが弾んで、フィンダ先生を「スタンダ」とfirst nameの愛称で呼ばせてもらう事になった。彼らも私の事を○○とロマン達と同じように呼んでくれた。
ピッコロをレストランで見てもらった。銀座の山○に別のピッコロを見に行って、試奏だけさせてもらっていろいろこれから試してみよう、と軽い気持ちで行ったところが、Finda piccoloにで出会い、吹いてみてその音色が他のピッコロとあまりに違う、柔らかさ、渋さ、丸さを持っているのに惹かれ、当初の候補であったバー○ー○やハ○ミッ○やフォ○ク○、更にサ○キョ○から心が完全にフィンダに行ってしまった。2時間程迷ったあげく、その日のうちに購入してしまった、「運命の出会い」を感じるようなピッコロだったのだ。スタンダも言っていたが、「小さなフルート」のようなピッコロが多すぎる。確かにでっかい音が出たり、吹きやすかったり、フルートとの持ち替えでもストレスが少なかったりというピッコロが一部で好まれ売れているが、スタンダはそういうピッコロの音色に全く満足出来なかったという。世界中に自分が気に入るピッコロが無い以上は自分で作るしかない、とドイツの職人に弟子入りして自分で作り始め、まず頭部感だけが有名になっていた。私もFindaという名前だけは知っていた。
初めてFinda piccoloを吹いてその低音を聴いた時、まるで日本の篠笛とかそういう笛を吹いているような、えも言われぬ「哀愁」を感じさせる渋い音に惚れてしまったのである。
更にYS氏の後輩で新宿ム○マ○でフルート修理調整を担当しているI氏は、フィンダ御夫妻のお気に入りでいつも困ったらI氏に相談しているということで、またまた偶然の繋がりがあった。
そんな話しをしていたら、スタンダが家に帰ってピッコロ七つ道具と家にあるパリサンダーのピッコロを持って来るから市民会館で会おう、と言い出した。
え?市民会館って昨日入りたかったスメタナ・ホールである。そう、プラハ交響楽団の本拠地だ。スタンダが車で自宅に往復して来る間、私とYS氏はShihokoさんとの話しが弾み、スメタナホールの中ではなくその向かいにあるホテル・パリだったかな、そこのカフェで3人でお茶を飲みながらスタンダからの連絡を待った。今日は火曜日。時間帯によって車が混むのだそうだ。郊外に住んでいるスタンダが戻って来るまで思いのほか時間がかかった。
彼が到着してから、4人で市民会館の裏口から中に入った。
ここはスタンダがいつも使っている楽屋。名前がある。木管楽器群の部屋らしい。
そこで、まず私のグラナディラのピッコロを生みの親であるスタンダが吹いてみた。
「素晴らしい!私の楽器よりいい!」とスタンダ。私が吹いてみる。そこでピッコロの吹き方を教授される。なんと生みの親の前でその子供であるピッコロを吹いてレッスンを受ける事になってしまった。また緊張である。
「力を抜いて」「腹圧をかけて」「お腹を下げて」「肩をリラックスさせて」いろいろ言われたが、一番感銘を受けたのは、喉の奥から唇までの息の通り道をまるでリコーダーの頭部感のように感じであとはピッコロの歌口に息が出て行くだけのようにイメージする事、唇をしめて息のスピードを上げるのではなく、喉の奥で咽頭と舌で息の通り道を狭くして(しかし喉に力は入れないで)息のスピードをあげるということ。
こういう事を文章で表現するのは限界がある。その場でスタンダがやってみせて身振り手振りで指導してくれるからこそ理解は出来た。理解と実践はまた別なので、私は「これから一生懸命練習します。」と今できないいい訳をした。
スタンダが持って来てくれたピッコロを何本か試奏して楽しんだ。何よりも間近に彼の演奏を聴けたのは大きな喜びだった。今度はオケの中での彼の音色を聴きたい。スタンダが強調していたのは、ピッコロはピッコロという楽器で小さなフルートではないという事。オーボエやファゴットや弦やその他の楽器の音に融和して、しかも大きな「うるさい」音を出さなくても、「金切り声」で鳴らさなくても音色がしっかりしていれば十分に聴こえるし、音程も他の楽器と合わせやすくなるというのだ。そしてそういった面でのパリサンダーの良さを強調された。
これにはYS氏も感銘を受け、ついに一本買う事になった。たくさんある中でベストを選ぶのは難しく、しばし迷っていた。そうこうしているうちに6時を回りそうになった。なんと5時間近く彼らと一緒にいるのだ。
今日の夜はロマン達のコンサートだしその前にホテルにチェックインをしなければならない。19:00にルドルフィヌムのpersonnel entranceでロマンと待ち合わせをしている。
YS氏がピッコロを選んでいる間に、私はスタンダの案内でスメタナ・ホールを見せて頂いた。フロアと2階席を案内してもらい少しビデオを撮った。あ〜、なんという幸せ。今度はここでプラハ交響楽団の演奏を、スタンダの音を聴きたいな。
そうしてまた部屋に戻ってピッコロを見ているうちに、次第に感激して来て私も一本欲しくなってしまった。グラナディラのFinda Piccoloを持っているのにパリサンダーをもう一本、である。そうして求めた楽器を手にスタンダと一緒に写真を撮った。「この写真がこの楽器の証明書ですね!」
そこから慌ただしかった。スタンダは私をデュシャンのアパートまで送り荷物と一緒にホテルに連れて行ってルドルフィヌムまで行ってくれるという。そんなつもりも無かった私は、デュシャンにアパートからホテルまで荷物を運んでもらうのを手伝ってもらった後は、YS氏とタクシーでルドルフィヌムまで行くつもりでいた。
とりあえず、車でデュシャンのアパートまで送ってもらった。YS氏をスタンダと志保子さんにホテルまで送ってもらってホテルでチェックイン手続きをしてもらい、その間私は着替えて荷物をホテルに持って来る、という手はずにした。スーツに蝶タイにした。この時点で18:30を回っている。ロマンに電話をするが通じない。
私は車でルドルフィヌムまで送って欲しいと頼んだ。デュシャンは荷物をゴロゴロ押してホテルまで行こうという。彼の車を停めてある場所が離れているのだ。プラハは市内での駐車権利証を車に貼ったものだけが指定の地域に駐車が許されているが、それは駐車するスペースを保証する事にはならず、古い石畳の街の路地の中から駐車スペースを自分で探し出さなければならないのだ。
5分くらいゴロゴロとスーツケースを押して彼の車に乗せそこからホテルを目指す。歩けば目と鼻の先なのに、一歩通行のお陰で一旦正反対の方向に向かうような感じ。この時点で18:50過ぎ。19:00にはとても間に合わない。ホテルに着いた。急いで自分のスーツケースをおろしフロントに向かい、ベルボーイにチェックイン済みの部屋へ運んでおいてくれるように頼む。こういう時に気の利いたチップが渡せればいいのだが、あいにく小銭が小さいのしかない。知らないふりして急いでYS氏とデュシャンの車に乗る。
ルドルフィヌムまでも遠くないのだが、車で行くには遠回りをしなくてはならない。19:00にロマンと電話が繋がった。いろいろあって遅れる事を謝り、19:15頃になりそうだ、と伝えた。ロマンは、19:30開演だからそれまで待っている事は出来ないので入り口の守衛にチケットを渡しておくから、演奏会が終わったらバックステージに来てくれ、と言って電話を切った。
予想通り19:15にルドルフィヌムに着いた。デュシャンとはこれでお別れである。買ってもらってあったお花を受け取る。お別れの挨拶、お礼を言う。言葉では足らないくらいの感謝である。(後で気がついたのだがこの時慌てていて950コルナのお花代を渡すのを忘れた。ウィーンから電話して誤ったらそんなのいいよ、と言ってくれた。ありがとう、Dusan!)
花を持ってあわててチケットを受け取り、そこからホールを目指す。ところが正門から入った訳ではなく裏口なので、間違えてドボジャークホールに入ってしまった。入り口でチケットを見せたらこっちだ、と係に案内されたので素直にしたがって席に座った。あれ?と見渡すとステージはオケの準備(コントラバスが寝かせておいてあるし椅子がたくさんある)。ホールを見ると、「あ!ここドボジャークホールだ。スークホールじゃない!」
あたふたとドボジャークホールを後にして隣りの広間に移動すると、そこがスークホールへの前室になっていた。クロークにコートを預け席に着いた。
バタバタしたけど、かえってロマンに花を用意しているところを見られなかったし、まちがってドボジャークホールの席に座っちゃったし、よかったね、とYS氏と会話する。
彼らの演奏は、なんと表現するといいのだろう。まろやか、さわやか、心地よい〜、という感じ。演奏には人柄が現れる。テクニックが凄くパワフルな音と的確なリズムで五重奏をリードするロマン。哀愁漂う甘い音と時に聴かせる通る強い音、柔らかいのに結構主張のあるヤナのオーボエ。これファゴットの音?え?あ!ホルンだよ、凄いな、と七変化自由自在の音で五重奏を支え引っ張るバボちゃんのホルン。芯があってそれでいて周りがボワ〜ンとぼやけたような、つまり角ばっていない音で個性を出しテクニックも抜群のボイトのクラ。そして、柔らかく、他の4人を包み込むようにいつも控えめだけど存在感のあるオンジェのファゴット。
今日の演奏会では彼らの仲間で、プラハで主に編曲の仕事やジャズの仕事をしている、XX氏(名前を忘れたので確認して後から記載します)の初めての木管五重奏用の曲の「世界初演」があった。他はモーツァルト、ダマーズ、など定番。楽しかった。
二度目のカーテンコールで主催者側が用意したのか一人一人に花が渡された。そのタイミングで私は真ん中当たりの席から出て行って、花をヤナにわたしほっぺの御挨拶をした。アンコールの後も数回のカーテンコール。
その後、彼らは地元テレビ局の取材があった。YS氏とクロークでコートを受け取ってホールの中をウロウロしているとロマンが探しに来てくれた。バックステージに入って待っていてくれとの事。バックステージには、スークホールで演奏した人達が写真とサイン入りで飾られていた。彼らの写真も見つけた。
大きな紙に、本日の公演のスケジュールと曲順を書いて用意してあったのは興味深かった。余計な事に気を使わないで演奏に集中するためにはプロだからこそこういう工夫が必要なんだろうな。
テレビの取材が終わり、ロマンが「さあ!ビール飲みに行こう!」とあのさわやかな笑顔で言う。風邪はやはり一昨日が最悪で、昨日は一日中寝ていたのでもう治ったという。旧市街中心部のお店に連れて行かれた。
そこには、アフラートゥスの5人以外に、バボちゃんの奥さんのハナさん、ヤナの旦那さん(なんとプラハ響のVn奏者だった)、クラのボイトのGFと親戚、世界初演の作曲者とそのGF、チェコフィルのビオラ奏者の若い女性の計12人もいて、さらに我々二人。
生肉喰えるか?とバボちゃんが聞いて来る。上に生卵の黄身を乗せてくるくるかき混ぜてパンに乗せて食べるんだ、と。え?!それって韓国料理のユッケじゃん?その他にもなんか頼んだが楽しくて忘れた。
ビールはもちろんピルスナー。もうこの黄金の色から離れられないかも。。。日本に帰っても指定銘柄になっちゃうかもね。24時を回ってそろそろお店も閉店。(ここはコンサートなので、ビデオもカメラも持って行かず写真なし。残念!)
ロマン以外の皆にお別れの挨拶。また今年日本で会いましょう!そう、彼らアフラートゥスの日本ツアーが今年の9月に決まっているそうである。是非また庄内にも来てもらえるように梶○音楽事務所と交渉を開始してもらわなければ(この辺はT氏の得意技)。
ロマンは徒歩で我々をホテルまで送ってくれた。
雪がちらついていた。もの凄く寒かったが身体とこころがポカポカしていたのは、ピルスナーのお陰だけではないだろう。ありがとう、ロマン、そしてアフラートゥスの友人達!。
庄内公演を是非実現してもらって、今回の歓待のお返しをしなければ。前回は彼らは一泊しただけでゆっくり出来なかったから是非庄内の名所の観光もしてもらいたいものだ。
ホテルの部屋に戻ったら、YS氏がいうには、「本当に寝付きがいいですね」という感じで10分で寝てしまったそうである。明日はウィーンだ!
(つづく)
(10日目の食事)
朝食:デュシャンの家で自炊。上の写真の通り。塩っ辛いベーコンと卵でオムレツ。あとデュシャンのお母さんが焼いてくれたというアップルパイとチーズ。
昼食:フィンダ御夫妻と鴨肉。あとはdumplingにザウアークラフト。うまい!
夕食:アフラートゥスのコンサートの後、パブで。いろいろ食べたけど覚えていません。
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コメント
いやー、楽しそうですね。
まだまだ続きますか。
こちらではこんどは歓迎の準備です。
baraineさんのところにホームステイ、遠すぎて無理ですよね。
酒田近辺の方で、音楽が好きでハンガリーの方を泊めてもいい方大募集中です!
投稿: タビの親父 | 2006.01.22 08:50
至福の時を過ごされたのですね。
先生の人柄もあってか、よい方向へよい方向へ、いろんな出会いがあって、ふれ合いがあって。ちょっとしたハプニングああっても、思い出のスパイスになっているみたいで。
本当に良い旅ですね。
投稿: むかご | 2006.01.22 10:40
タビの親父さん、「運命」の冒頭はどのように振られたのかな〜。
ソルノークの方には大変お世話になったのでお手伝いはしたいのですが、独り身&車で2時間&勤務医ではお役に立てそうにありません。
そういえば前任地の患者さん(元気な方)で、定期演奏会後楽屋まで花を持って来て下さった方がいたけど、ああいう人なら受けてくれるかもしれません。
調べてみます。
むかごさん、ある程度は計画してた事ですが、思っていたよりも歓待されたり共通の知り合いがいたり、嬉しいことばかりでした。
ああ、うれしい、楽しい、幸せだ、有り難い、ありがとう、と感謝の心を多く持っていると益々幸運が回って来るように感じました。「うれしい」「たのしい」っていう気持ちは大事なんだな、とあらためて思いました。
投稿: balaine | 2006.01.23 13:26