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2005年12月

2005.12.31

地元ネタなど

 蔵王の樹氷が例年より20日も早く完成してすでに夜間のライトアップが行われているそうです。「樹氷原コース」といって、小さなゴジラが並んでいる様なところを滑って行くのは気持ちいいし面白いですよ。

 あの、忌まわしい、列車事故。現場になってしまった庄内町は今年、旧余目町と旧立川町が合併して出来ました。オケの仲間が何人も住んでいますし、新町長もちょっとした関係で知り合いです。余目といえば、あの漫画「美味しんぼ」で築地の寿司の銘店が指定するのは、庄内米の中でも余目町でとれた「ササニシキ」というブランド米を産します。そして、我らが誇り、「響ホール」があります。アフラートゥス木管五重奏団も上原彩子さんも村治佳織さんも福田進一さんも演奏されました。その他数多くの音楽家が演奏しています。私もオケでステージに上がりました。650席程度の中規模ホールですが、残響1.9秒の美しいホールで、あの中村紘子さんもホールのスタインウェイとその響きには満足されたと聞いています。立川町は、先日も書いたように「風の町」で風力発電の風車があり、新撰組の結成にかかわった幕末の志士清川八郎の出身地でもあります。
 庄内町では町の忘年会を中止し、合併後の新しい町として初めてになる響ホールでの新年会も中止が決定したそうです。あのような悲惨な事故を目の当たりにして、とても酒を飲んだり大声で笑ったり歌ったり踊ったりしている気分ではない、ということだそうです。庄内町や住民には一片の落ち度もない今回の事故ですが、犠牲者やその家族を思う時浮かれて入られないという心情はよく理解出来ます。でも残念ですね。
 私が今回参加する「国際交流演奏会」は、来年3月にはハンガリーからオケが来て演奏会をやります。平和で暖かい風が吹いてくれる事を期待しています。

 今年から来年にかけて「日本におけるドイツ年」が続いています。
 山形交響楽団は、ミュージックアドバイザーで常任指揮者の飯森範親氏がこれまた常任指揮者を務めるドイツのヴュルテンベルグ交響楽団とのジョイントコンサートを来る2月に予定している。「ヴュルテ、、」は日本各地で公演するが、ジョイントコンサートをするのは山形だけだと思う。これも飯森さんのお陰だ。彼は、「題名のない音楽会」で故本田美奈子さんと競演したり、売れっ子のイケメン指揮者(こういうくくり方は本当はしたくないが)なのであるが、山形という「田舎」から発信するようなイベントを企画して、山響を地元に足をどっかりとおろしながらもすこしずつ「垢抜け」したオーケストラに変えて行っている。何も具体的にはしていないけれど私は応援している。
ーー
 このブログを始めたのは平成17年の1月6日である。あと1週間で丸一年だ。
 ただ一周年の日には日本にいない。国際携帯電話サービスでココログにアクセスするつもりだが出来るのかどうかは言ってみなければわからない。

平成17年。波瀾万丈とまでは言わないまでもいろいろな事があった。嬉しい事、いい事もあったし、残念な事、悲しい事、悔しい事も少なくなかった。私は運命論者ではないのだけど、全ての物事には意味があり世の中の事は神の意志という意味ではすべて必然なのだ、と考えるタイプである。尼崎や庄内町の列車事故が必然なのか?と問われると犠牲者の無念を考えた時にそれを肯定する事は困難だが、そういう事象は世の中に大変たくさんある訳である。阪神淡路大震災も新潟中越地震も犠牲になったり被害を被った人にとって、必然などであるはずがない。ただ「宇宙の中の一現象」と考えた場合、それを否定する事は出来ない。

 Tomorrow is another day !をモットーにして生きている。
 御存知『風とともに去りぬ』の最後の方の台詞。「明日は明日の風が吹く!」と日本語では意訳されている。
私はいくつかの捉え方をしている。
「明日出来る事は今日やるな」:今日、無理してやるくらいなら明日きちんとやろう、という考え。
「明日はわからないから今日出来る事は今日のうちに」:上と全く反対だが、今日出来る事があるならやっといた方がいい、明日はまたどうなるかわからない。手を抜かずに出来るのなら今日やっておいた方がいい、という考え。
「明日はまた新しい日なのだから今日の事をくよくよ引きずらない」:その通り。前向きに、明るく。反省する事は大事だけどネガティブな考えにならないように努める事は大事だと思う。

 来年も引き続き、Tomorrow is another day !で行きます。
 一年間の御愛顧に感謝致します。来年も本ブログならびに音ブログもよろしくお願い申し上げます。
皆様に幸せで満ち足りた一年が訪れますようにお祈り申し上げます。
Have a happy new year 2006 !!!

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2005.12.30

大晦日イブ

 病院の管理宿直中です。夕方5時から、すでに脳外科だけで二人入院させその他にも一人救急外来で診察し、HCUと病棟に行って、先ほどやっと検食にありつきました。年末のほんとに最後まで病院での生活です。
明日も診療科当番なので、緊急手術にでもならない限り一人で頑張る事になります。

 それもこれも1/2からの旅行のためですが、どうもヨーロッパも「大寒波」の模様です。
(CNNニュースから)『欧州全域に29日、寒波が襲来し、英国北部では夜間の気温が、氷点下10.8度まで下がった。オランダやドイツ、イタリア北部など欧州全域で、積雪のために道路が封鎖されるなどの被害が出ている。各国の気象機関によると、寒波は今後も勢力を保つとみられ、各方面に引き続き警戒を呼び掛けている。
(中略)
オーストリア・ウィーンでは、雪で電線が切れ、300戸が停電。ウィーン郊外では、凍結した路面で少なくとも車11台の玉突き事故が発生し、死者1人が確認された。
チェコでは、プラハ・ルズイニェ空港で29日午前、夜間に降り積もった雪の影響で一部封鎖となった。また、プラハ─ブルノ間の高速道路で28日、トラック4台が交通事故を起こした。』

ありゃりゃ〜。そのウィーンとプラハ、そしてブタペストに行くんですけど。。。飛行機大丈夫?列車大丈夫?バス大丈夫?
まあ、心配してもダメなものはダメ、大丈夫なものは大丈夫。あまりというか全然深刻に受け止めていません。
国際通話サービスのFOMAをレンタルして行くので、うまくいくと(エリアさえ合えば)ヨーロッパからブログがかけるかもしれません。パソコンは持って行きませんので。楽器がありますから。。。

 明日は、全国各地、世界各地でジルベスターコンサート。ベルフィルもそうですしウィーンでもそう。日本でも各地であるようですね。私は、出発の準備をしながら病院待機です。最近は、ベルフィルなどのジルベスターはテレビで放送されますし、有名なウィーンの新年コンサートも毎年のように放送される幸せな時代です。
http://www.nhk.or.jp/bsclassic/crs/index.html

毎晩のように最近のジルベスター、やってます。1/1深夜にはほとんどライブでドイツ時間12/31のジルベスターコンサートですが、来年は「モーツァルト生誕250年」ということでAll Mozart programのようですね。期待でワクワクします(ちゃんと荷造り出来るかな〜)。
でも音楽はやはり「生」がいいですよね〜。
ーー
『案内』(覚え書き)
酒田フィルハーモニー管弦楽団・ソルノク交響楽団国際交流演奏会
公演「その1」(註:その2は、3/12に酒田で公演予定)
期日:2006年1月5日(木)ハンガリー時間
会場:ハンガリー共和国 ソルノク市文化会館
指揮:井崎正浩
ピアノ:フジイアキ
プログラム
 1. モーツァルト 歌劇「魔笛」序曲
 2. ショパン ピアノ協奏曲第1番
 3. ベートーベン 交響曲第5番

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2005.12.28

私の好きな話

 多分、高松に住んでいた中学生の頃だったと記憶している。紫雲中学という地元では有名な中学に行っていた。
 国語で『徒然草』の授業があった。その時、生まれて初めて「高名の木登り」という有名なお話を聞いた。
どうしてかわからないが、当時のbalaine少年はその話にいたく感動し、内容が脳の中に深く刻み込まれた。その後、徒然草など目にした事はないのだが、このお話はず〜〜っと覚えていて、たまに、本当にたまにであるが、後輩に執刀医をさせているときなどにその医師に聞かせるように、あえて器械出しをしているナースに向かって話すことがある。

「ねえ、看護婦さん、知ってる?「高名の木登りといいしおのこ」っていうお話。」
今まで、「はい、知ってます。」とか「あ〜、聞いた事があります。」という人にまず出会った事がないのが不思議であった。
 今日、何かのことで見つけてTBをした「TOEICハイスコアラーの英語」というサイトに遭遇した(私はまだ5年位前に一回しか受けた事がないが、2度の米国留学経験や通訳経験があったためか900点を超えるまずますの出来だった、、、自慢?!)。そこに、英語学習に因んで本居宣長の『うひ山ぶみ』という随筆の中に書かれた「長く倦まずおこたらずして」のことが解説してあった。多分、以前、私もブログのどこかで、「一つの事を続けられる事も一つの才能だ」というような事を書いた覚えがある。凡人は、少し頑張っても結局諦めてしまうのに対し、天才はある意味愚直なまでに継続する力、続ける心を持っている、というようなことである。
 この「長く倦まずおこたらずして」を読んでいたら、つい上に書いた「高名の木登り」の話が思い出された。
 万が一、御存知のない方のために簡単に解説すると
『弟子が高い木に登っているのを見守っていた「木登りの名人」が、危険な高いところに弟子がいるときには何にも言わなかったのに、地上まであと少しの軒先くらいまできた時に「気をつけろ」と言ったのを聞いて、そばで見ていた人が 「危険な高いときに注意しないで安全になってから注意するのはどうしてですか?」 と尋ねたところ、「高くて危険なところでは誰でも注意する。低く安全な所にきた時に油断して怪我をすることが多いから、その時こそ注意してやることが大切なのです。」 といった。』
というお話です。

 そうしたらWBOXという、(既に有名なのに私が知らなかっただけかもしれないが)外科医が作ったと思われる素晴らしいサイトを見つけた。そこにも、この「高名の木登り」の話が書かれていた(それ以外にものすごく為になる事がたくさん書かれています)。URLは、
http://www.netwave.or.jp/〜wbox/index.htm
です。残念ながらブログではないのでTBできません。(〜は小文字です、ご注意!)
 これを読まれた方でお時間のある方、特に医師や医学関係の方はこのWBOXに行ってみて下さい。日本中の医師、特に外科医がこれを読んで教えに従えば、「医療ミス」や「医療訴訟」というものは格段に減少するのではないか、と思いました。
 しかし、現実は、医師も人間であり、人間には様々な性格や特性を持った人がいて、ばっちりの適性のある人ばかりが医師をしているわけではないし(適性に関しては我ながらかなり疑わしい方です)、医学部や医学・医療教育機関で「人を育てる」ことの難しさは世界共通のものだと思う。何も医師に限った事ではなく、適切な人材を育てる事は優しい事ではない。一番いいのはモデルになる、素晴らしい先輩、熱意と実力の兼ね備わった指導者がいることだろう。「高名の木登り」の弟子は多分皆優れた「木登り」に育ったはずである。
 だから、学校に限らず、「先生」というのはとても大事なものなのだと思う。
 私は自分に与えられた仕事をそれなりに真面目にこなして来たとは考えているが、こういった面から、後輩にとってのいいモデルになって来たか、人が付き従い学ぼうと思う様な指導的役割を果たして来たか、と考えると非常に心細い思いになる。もういい年なのだし、自分の腕が、とか能力が、とか考える以上に「人を学ばせる、育てる」こともある程度の経験を積んだ医師には要求される事だという事を(今更で多少恥ずべき事ではあるが)思いめぐらせている。

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2005.12.27

今年は酉年でしたね。

 そんなことも忘れそうでした。年賀状を書くにあたって(まだ今頃!しかも始めたばかり。。。)、来年が犬年で今年が、「そうか、、、年男だったんだったな〜」と変な感慨に耽っております。

 毎日、雪、よく降ります。お天道様に文句言っても始まりませんが、いい加減にして欲しい、と思います。
 毎朝、車から雪をかき視界を遮るものを取り除いて積雪渋滞の道を病院に向かうと、それだけで気力がそがれます。朝から「もう帰りたい」と正直なところ思ってしまいます。
 雪は『災害』です。
 酒田(正確には庄内町)の列車事故だって、突風がどうとか、盛土がどうとか、言っていますが、もちろんそういった解析とその結果に基づく対策は必要ではありますが、もともとあの辺りは風が強いのです。今に始まった事ではなく、おそらく日本という国が生まれる前から風が強いのです。そんな事はわかっていたはずなのです。今まで事故が起きていなかったから人間が気づいていなかっただけなんです。確かに、例年よりも強い風、多い雪で庄内の人も大変だと思いますが、庄内地区の道路の西側(日本海側、つまり強風が吹いて来る側)には地吹雪対策の開閉式の柵が張巡らされていますが、線路にもあの様なものが必要だったはずだと思います。

 にしても、雪、多いです。この辺りでこんな事を言っているんですから、山間部や元々雪の多い地区はもっと凄いと思います。都会の人には想像できないと思います。スキー場の中で毎日の生活を送っている様なものです。スキーに来ているのなら嬉しいですが、出勤のため車に乗りゴミを出し買物に行かなければならないのですが、すべてやる気をなくします。東北の人というと、一般に寡黙で引っ込み思案で我慢強いという印象がありますが、確かにこんな風土の中で長年暮らしていればそんな感じにならざるを得ません。最近は変わって来てますけどね。
 庄内の人に比べ、ここ置賜の人は、より「人がいい」という感じです。裏がない、というか、素朴と言うか、いい人が多い様な印象があります。いや、庄内にもいい人はたくさんいますが、ちょっと意地悪というか、「?」という人もいましたからね。

 土日と無理をして、車の総運転時間としては9時間ちょっとですが、車の中で過ごした時間が仮眠時間も含めて12時間ぐらい。25の深夜から26日の早朝にかけて、0泊2日の東京往復はやはり身体にきました。24日土曜日の朝、7時過ぎに目覚めて、昨日26日の月曜日に病院から帰宅して夕食をとって、涌かした風呂にもはいらずベッドに倒れてしまった22時頃までの62時間くらいの間に、キチンとお布団に寝たのは3時間だけ。車中仮眠など合わせてこの間に合計6時間くらいしか寝ていなかったんです。それもすべてフルートのため。
 我ながら凄いというかバ○というか。。。
 それでも昨日は昼間に交通事故で、開放性陥没骨折の方が運ばれて来て、頭皮からピューピューでている動脈性出血を救命救急外来で停めて、緊急手術をしました。手術は頭皮の外傷部をデブリードマン(傷を適宜切除したりブラッシングして綺麗にする事)して陥没した骨の周りを開けて硬膜に傷のない事を確認し骨を整復して戻すだけなので50分位で終わりましたが、どっと疲れました。昨日の夜はさすがに8時間以上寝たのですが、まだ今日も引きずっています。これでは行けませんね〜。(^^;;;;

さあ、年賀状。。。

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2005.12.26

クリスマスの夜の悲惨な事故

 私が発表会に行って笛を吹いていたちょうどその時間に、JRの大きな事故が起きていました。
 庄内町(旧余目町と立川町が今年合併したばかり)は、このブログでも何度か紹介しましたが、我々がコンサートをやったり、今年の夏には『庄内国際ギターフェスティバル』を開催した、優れた音響の中規模ホール「響ホール」のある町です。
 旧立川町は別名「風の町」と呼ばれるくらい風の強い町で、海沿いでもないのに風力発電のでっかい風車が8〜10機、最上川沿いに突然にょっきり立っているので、近くを車で通るとその異様な光景についつい見とれる様なところです。事故が起きたのは、その少し西、最上川が酒田から日本海に注ぐ手前の、旧余目町にあたる場所にかかった最上川を渡る陸橋のすぐ南。現場の地図はこれが(↓)わかりやす。
http://www.asahi.com/national/update/1225/TKY200512250225.html

不幸にも亡くなられてしまった方の御冥福を心よりお祈り申し上げます。そして負傷された方の早期の御快癒もお祈りします。個人的に気になるのは、事故現場から近い救急指定病院は3つ。ニュースによるとそれぞれに分散して負傷された方が搬入されている様子。一番近い病院は、脳外科の常勤はいない。次に近いのは私の前任地。事故の時間からすると、緊急搬入は早くても午後8時頃になったと想像する。日曜日の夜。救命センターではない救急外来という名の『時間外外来』。内科系と外科系の宿直医が一名ずつ。
 重症度にも寄るけれど、そこに一度に10人の外傷患者が搬入された時の救急外来の様子は想像に難くない。誰か強いリーダーシップが取れる、しっかりした医師か看護師(師長クラス)がいないとウロウロするばかり。トリアージをする医師、看護師、受付をする事務員、カルテを準備する事務員、最重症患者を診る医師、看護師、検査をする放射線技師、検査技師、その他たくさんの「人」が必要である。
 日曜日の夜。どこの病院でも人は少ないはずである。人が少なければどうするかというと、一人が複数の役目をしなくてはならない。更に、たまたまでもいいから、何かの用事で院内にいる医師をかき集める必要がある。いなければ、緊急召集をする必要がある。強いリーダーシップを発揮できる、修羅場をくぐり抜けて来た経験のある医師がいないと、みんながオタオタする事になりかねない。きっと誰か相応の人がいて、上手くやってくれただろうと思う(思いたい)。でも、自分がその現場にいたらどうだろうか?リーダーシップを発揮できるだろう?
 もちろん、生命にかかわる大緊急の患者、その場ですぐに蘇生術が必要な方がいたりしたら、まず何はさておきその方の救命にあたり、他は後回しになる。しかし、この時に、自分では別に心臓マッサージをしたり点滴をとったりなどしくていいから、現場を指揮する指揮官が必要である。

「Aさん、この人の採血。Bさん、放射線科に至急電話して!大至急CT撮るよ!Cさん、院長に至急連絡。Dさん、ICUとか医師のいそうなところに連絡して緊急召集。Eさん、この患者さんを奥のベッドへ。Fさん、あの患者さんから話しを聞いて。Gさん、あの患者さんをそこのベッドへ。、、、」等々

現場がスムーズに動くように機転を利かせ先先を読みながら指示し命令し、そうしながらトリアージを行って治療にも当たる。こういうのが本当の「救急の医師」であると思う。自分でちゃんとできるのかと自問すると、少々疑問である。こんな経験は、一人の医師の医師人生がたとえば40年あるとして、一回あるかないかだと思う。たとえば、サリン事件、たとえば阪神淡路大震災。一度に数十人という重症患者が搬入される様な病院はパニック、なかばパンク状態になる可能性がある。しかも、その他の入院患者さんや軽症かも知れないが普通に時間外外来に来た「救急」患者さんもいる。事をスムーズに運ぶためには、「できないものはできない」「診れないものは診れない」という事をはっきりさせる事である様な気がする。
 風邪症状とか打撲程度で救急外来に来ている「その他大勢」の患者さんは、他院に行くかあきらめて帰って頂くしか無い。事故現場から搬入された最重症の患者を優先するのは当然としても、たくさんいる重症患者の中でどの人を一番に、どの人を二番に優先するのか、真のトリアージが必要になる。最重症でも重症すぎる方の場合、(最初から諦めていいのか、という疑問も残るが)頑張っても助けられない可能性が高い方は、後回しになるのがトリアージである。今、その現場で助けられる可能性の高い、助ける努力をする価値の高い患者を「選択」し、差別するのがトリアージである。博愛主義的にみんなを平等に扱おうとすると助けられるはずの患者を失い、助かるはずの無い患者に時間を浪費してしまい、診療に当たっている「人」が疲弊する。
 トリアージ、言葉で言うのは私にでもできる。しかし、経験を積んだ脳外科医ならまだしも、医師になって数年目の眼科医や皮膚科医や精神科医などが宿直しているのが、日本の救急病院のまぎれもない現状。こういう医師が、「数日前から風邪気味で夜になったら熱が出た」と言って来院する人や、「今朝から下痢気味で夕方から腹痛と吐き気がありご飯が食べられない」という人や、「雪道で滑ってころんで腰を打ったと」いう人を診ているなら、まだ対応のしようがあるが、昨晩の様な悲惨な大事故で一度に大勢の外傷患者が搬入されその中に重傷者や瀕死の方もいたとしたらどうであろうか?重症の事故で大切なのは、胸・腹・頭である。手足の骨折などはすぐに生命にかかわらない事が多いが、体幹部特に心臓、肺、そして腹腔内の臓器、特に大きな血管などが損傷すると大量の出血や、出血による心臓の圧迫などであっという間に命が危なくなる。人間の臓器に優劣はないかも知れないが、もしつけるとすれば「脳」が一番大切な臓器であろう。「人が人たる所以の臓器」であるからだ。
しかしながら、脳の重症外傷の場合は、助けられない可能性が高かったり、助けうるとしてもその処置は「脳外科医が」「手術場で」「開頭」するような大掛かりなもので、「すぐに!」と言っても、先日の急性硬膜外血腫の手術の事例でもわかるように手術を決定してから手術開始まで1時間はかかってしまうし、なんだかんだでもっと時間がかかる事がおおいのが現実。胸、腹、などは病変部位へのアプローチは、頭蓋骨を開けなければならない脳外科手術に比べれば、アッという間に到達しうる。
 最悪の場合は、救急外来で緊急開胸、開腹して、出血している血管を鉗子で挟んでとにかくそれ以上の出血を食い止め、そのまま手術場で本格的手術治療となるものである。
大緊急の現場では、救いうる重症患者はその損傷の部位からみると「胸・腹・頭」または「腹・胸・頭」の順番になる事が多い。つまり、一番大事だと思われる「脳」は後回しにされるのだ。いや、「後回し」というと語弊がある。意識障害のある患者や頭部/顔面などに傷のある患者は当然脳への損傷を考え緊急に神経学的所見をとるとともにCTなどの緊急検査が必要である。そこで重大な損傷が見つかった場合、当然脳外科医が招集される訳であるが(最初から現場にいれば一番良いけれど)胸、腹の外傷の大緊急の患者(なおかつ脳に損傷のない人)が最優先される。なぜなら、今すぐやれば助けられる可能性があり助かった後に脳などの後遺症がなく、今、まさに今何かしなければ命が危ない人だからである。 
 脳の損傷の場合は、即死に近い状態でなければ、数時間の猶予は間に合うこともある。脳に到達するためには、手術を決定し頭を剃り手術場に運び麻酔をかけ手術器械を揃え頭部を消毒し皮膚を切開し筋肉を切開し頭蓋骨に穴を幾つか空けそれらの穴をつなぐようにドリルで切り頭蓋骨を外して脳を包む硬膜を切って、これだけの手間をかけてようやく「脳」が見える。どんなにベテランの脳外科医がスムーズにやっても、手術の決定から「脳」が見えるところまで1時間はかかるだろう。
 一方、腹部の場合、手術を決定し手術場に運び麻酔をかけ手術器械を揃え腹部を消毒し皮膚を切開し筋肉を切ると、その下はもう内蔵である。ここまでで20分位、救急外来でやれば5〜10分位で出血部位に到達する事も可能であろう。この『時間』というのはとても重要で、翌日手術していたのではまるでダメ、必要な部分が手術野に現れてもそれまでに無用の時間を費やした場合、すでに処置なし!となるか、やっても助けられない可能性が高い。だから、「胸・腹・頭」などという緊急性の順番があるのである。
 願わくば緊急に搬入された方々が軽症で生命にかかわらない状態である事を、緊急の現場で必死に努力された医師、看護師その他の職員の努力が報われますように。前任地の病院では、BLSやACLSについて非常に(異常なくらい)積極的に講習会や勉強会をおこなっていたところなので、きっとその成果が現れただろうと信じている。

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2005.12.24

Season's Greetings !!!

I wish You All Merry Merry Christmas !
世界の平和と皆様方のお幸せをお祈り申し上げます。
ーー
今晩から都内某所にちょっと出没致します。ほぼ日帰りに近い様な(宿泊なし)車での往復です。(^^;;;
今日の音ブログは『聖しこの夜』です。
初めてのダブル音源公開です。

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2005.12.23

天候は小康状態

です。
 昨日はよく降りました。結局、車で帰れました。時間がたつと結構すいすい車も動いていました。
 でも、帰る前に、駐車場から車を出すのに少し苦労。(左下の写真)
 隣りの車はワゴン車、っていうのがわかるだけ。奥に病院の窓の明かりが見えていますが、降っている雪の粒の大きさにご注目!
SnowFall1222
 膝まである長靴でも足らないくらい雪が積もっていました。連日の雪でニュースで発表しているよりも実際に積もっている量は多いと思います。駐車してある車の周りを歩くと長靴の高さを超えて雪が靴の中に入って来るとは想像もしていませんでした。車に積もった雪をはいても、今度は「出られるのか?」という心配がありましたが、他の車が来ていない事を確認して勢いで出しました。
SnowFall1222b
 今日は、昨日の夜、急患室に来れなかった患者さんも合わせてセンターはごった返しています。ここから車で30分程離れた山奥の方面にある病院に夜中に入院していた脳梗塞の患者が搬入されて来て、当科で入院治療する事になりました。紹介して来た病院には脳外科も神経内科もないのですが、昨晩の雪では仕方なかったのでしょう。
 長○茂○氏と同じ様な、心房細動を持つ患者さんで心源性塞栓症と考えられます。今朝のCTでは、既に2カ所の脳梗塞巣(2カ所とも左中大脳動脈領域の前頭部と頭頂部)が淡く黒くなっています。脳卒中、特に脳梗塞の治療開始は、Time is money.で一分を争って欲しいのですが、交通事情で来れない場合はどうしようもないですね。一般内科医が脳卒中、特に脳梗塞を診れるようにならないと(診るだけではなく、もちろん治療も)、これkら高齢化社会、欧米型食生活でますます脳梗塞が増えるはずですから、これを全部脳外科医が診ていた診療が成り立たなくなる可能性もあります。90才ならまだいい方、100才の脳梗塞患者を「脳卒中」だから脳外科、という単純な振り分けは見直す必要があると思います。
 さあ、早く帰って笛の練習しなくっちゃ。

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2005.12.22

いやはや。。。

 お天気、凄いですね。
 大雪の時に「大雪だ〜!」とわめいても虚しい感じですが、病院周辺も大変な事になっています。まず、外来に来た人達が帰れないでいます。バスが走っていない、いや走ってるけど来ないのです。一時間以上遅れで来たバスもありますが、ある方面からのバスはいち早く運休になったそうです。ロビーにいる人達に病院で何か食事を出すという話しも出ています。
 病院の駐車場から外の道路に出るのに、まず渋滞しています。外の道路から主幹道路に出る信号のところで大渋滞で、その主幹道路は数kmに渡って車が停車しているに等しい様な渋滞をしているのが、8階の脳外科病棟の窓からはよく見えます。日勤帯のナースが、「準夜のナースが来ないので帰れない」と言っています。準夜のナースは車の中から、「病院は見えるところまで来てるけど動かない」と電話をかけて来るそうです。
 なかには、道沿いの喫茶店の駐車場に車をおいてそこから30分歩いて来たナースもいたとか。強者です。
 私の仮のアパートがある方面は、バスが運休になった方面で、「車、ほとんど動いてないよ」とか「さっきよりは少し動き出したみたい」といろいろな情報が錯綜しています。
 今日みたいな日に病気になったら大変です。道路が大渋滞なので、病院に近づきたくても来れないでしょう。当院にはヘリポートがありますが、ヘリコプターも飛べません。救急車の音をこの数時間聞いていないような気がします。多分、救急車も呼ばれても出動できないのではないでしょうか?

 ネットで天気図は衛星写真を見ると、シベリア方面からの寒気が中部日本めがけてグサッと突き刺さるように入り込んでいますね。なんと愛知や三重で「大雪警報」が出ています。東北も日本海側は軒並み大雪です。
 さあ、音楽でも聞きながら少し本でも読んでから、車で帰るか歩いて帰るか諦めて病院に泊まるか(寝るとこ、あるかな?)決めたいと思います。

 大雪に被害に遭われている地域の方々にお見舞い申し上げます。
 夏頃、「今年は暖冬だ」と言っていたのは誰だったんだ???

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2005.12.21

祝!音ブログ100曲アップ!!!

 Voicebankというところで運営している「ケロログ」という音声ブログがあります。もう御存知ですよね。
 H17年7月6日に、『お初!「翼をください」』というタイトルで1曲目をアップしました。その後、簡単な曲、3、4分以内の曲を目安に、自分の演奏を自己評価し成長するために録音を重ねアップを続けてきました。
 途中、JASRACという団体から、「著作権保護のある楽曲のインターネット配信には使用料が発生する」という通達を受けました。その結果、39曲(主に、映画音楽、ジャズ、ポップスなど、いい曲ばかり!)のファイルを削除する事になりました。『ハウルの動く城』から「世界の約束」、ジャズの定番My Funny Valentine、名曲「雪の降る街を」など、楽曲も素晴らしく私の演奏も比較的満足の行く出来のものを削除しなくてはならなかったのは残念でした。

 そうして、地道に録音、ファイルアップを続け、ついに「100曲」に到達しました!
 始めたときから、「出来れば100曲くらい」と思っていたので達成感はあります。しかし、誰かの言葉ではないですが「100という数字は単なる通過点なので」と思っています。自分に演奏できる、録音できる曲があればもっとアップを続けたいと思っています(ケロログの許容された容量は500MBなのでこれも限界がありますが)。

 昨日までアップした曲は99。といっても、同じタイトルの曲でアレンジや伴奏が違うというものも入っています。同じタイトルで複数録音しているのは、『Amaing Grace』が3曲、『亡き王女のためのパヴァーヌ』も3曲、その他、Ave Verum Corpus, Ave Maria(Caccini), 愛の挨拶、主よ人の望みよ喜びよ、G線上のアリア、庭の千草の6曲が2曲ずつ、計10曲は同じタイトルの物が含まれた全部で99曲です。ですから、110曲目のアップのときは、タイトル別での「真の」100曲目としてまた報告したいと考えています。
 
 さて、私が記念すべき100曲目に選んだ曲は、次のどれでしょうか?
1)発表会で演奏する、シャミナーデ作曲Concertino
2)3回目のアップとなるG線上のアリア
3)初アップで軽快なラ・セレナータ

 答えは、こちら!
(先にケロログに行った方は答えがわかっちゃってますね)

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2005.12.19

以外と、かえって楽かも。

 何が?っていうと、実は今日「も」管理宿直です。
 土曜日に救急外科系日直をやって、しかも緊急手術が二日連続で入り、昨日は午後少し買物(今頃になって、ハンガリー旅行用の鞄など買った、ホームステイ先への簡単なお土産も)とフルートの練習&ケロログ用録音をしましたが、今日はまた泊まりです。そんなに多い訳ではなく、他のドクターの都合で宿直日を変更したので続いただけです。でも今月は病院の泊まりだけで4日あります。お正月にいないので、12/30に当たっている4年先輩の日直を代わったからです。7年後輩の同僚には12/28までは普通に働いてもらって、12/29, 30, 31は私が一人で脳外科当番です。お正月遊ばせてもらうのですからこれくらい当然ですね。

 で、なにが楽か、って、今日みたいな大雪の場合、家に帰って明日また朝出て来るのも結構しんどい。病院に泊まれば、寝るところはあるし(ベッドは狭くて硬くて最悪だが)、食事はあるし(病院食の検食だが)、暖かいし(確かに暖房が効いていてチンケなアパートよりず〜っと暖かい)、なにより急患で夜中に呼ばれて寒い中病院まで駆けつけるのも結構大変なものである。
 でも、泊まりだとフルートの練習が全く出来ない。仕方が無いのでプロの演奏でもiTunesで聴いて表現を勉強する。『発表会』まであと6日。昨日の練習では、まだまだダメな部分が何カ所かある。もとより完璧は目指していないが、やる以上は格好良く素敵な「音楽」にしたい。速いパッセージで指が回らないとかいうレベルでは、「音楽」にならない。しかし、練習が出来るのは実質あと4日だ。なんとかするしかない!

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2005.12.18

大雪です

 外は凄い雪です。今年初めて長靴(よりももうちょっとお洒落な?)履きました。
 朝、車を発進させるまで10分近くかかりました。積もった雪を払い凍った硝子の氷をかき、曇が取れて視界が確保できるまでこのくらいかかります。病院までは車で5分ですが、なんだかんだで20分くらいかかっちゃいいます。
 タイトル通り、大寒波による大雪でも、日曜日でも、非番の日でも出勤です。一昨日、昨日と自分が執刀した患者がいるので当然の事です。
 一昨日手術したクモ膜下出血患者は、時々見られる事ですが低ナトリウム血症といって血液中のナトリウム濃度が下がっています。そのため、ちょっと不穏になったり静かになったりと軽度の意識障害がみられますが頭蓋内は問題ないようです。点滴を変更してナトリウムを身体に保持しやすくする(尿中に流れ出にくくする)薬の内服を開始しました。そう、もう経口摂取も可能です。順調だと思います。
 昨日手術した、急性硬膜外血腫。一番厚いところで3cm以上の血腫の厚みがあり、テント上下に広範にわたって脳を圧迫し、横静脈洞を損傷する骨折を伴っていました。手術は上手く行ったと思っていましたが、横静脈洞の出血は抑えられたと思っても不安が残りました。
「まだジワジワ出血が続くのではないか?」
しかし、今朝のCTで血腫は全くなし!脳の形も戻っています。薄い外傷性クモ膜下出血はありますが、術前より薄まっている状態です。何よりも意識が清明です。JCS 0です。会話がスムーズに出来、水も飲みました。お昼から様子を見て食事も開始します。手術直前はJCS30〜100だった人がです。数時間で命が危なくなる状況の人が、翌朝には喋って水も飲んでいます。
 手術承諾書を書きながら涙ながらに「先生、お願いします!」と叫ぶように言われた家族の方も、この姿を見たらきっと喜びの涙を流してくれるでしょう。残念ながら、ICUの面会は午後からですのでお会いできませんでしたが。
 この雪の中、普通の人は自宅でじっとしているでしょう。のんびりコタツでみかんでも食べながらテレビでも見ていたいところです。私も昨日は日直+脳外当番だったのですから今日は休んでも文句は言われないと思います。
 でも、脳外科冥利に尽きる破裂脳動脈瘤と緊急の急性硬膜外血腫の手術をした患者の様子を見に来ない手はありません。偉いとかそういう意識はありません。当たり前、とも思いません。自分の手で治療した患者さんがこんなに良くなっているのを見る事が出来るのは、医者冥利、外科医冥利。脳外科医冥利であり、自分が幸せになれます。
「あ〜、やってよかった〜」
という感じです。
 あとは術後全身管理に気を抜かない事です。

 きょうは安心してフルートの練習(発表会まであと6日)とケロログ用録音が出来そうです。きっと音に表れるでしょう。

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2005.12.17

12/17続き

です。
 で、夜中に帰って本田美奈子さんの追悼特集番組を見ました。なので就寝は3時になってしまいました。ゆっくり後で見ても良かったのですが睡眠時間を削ってでも見たかったのです。
ーー 
 そして朝8時半から日直。車の硝子が凍っていて見えないので、Defつけて5分以上経たないと発進できない状態でした。最初は救急外来ものんびりしていたので昨晩の患者さんを診察。もうぱっちり目を開けていて、なぜ自分がここにいるのか、手術した事などは全くわからないが、「わからないということがわかっている」ほぼ覚醒した状態でした。昔の脳卒中の既往で右半身に軽い麻痺があるのですが、それ以外は全く無症状。術後CTも問題なし。非常にいい結果でした。
 救急外来は、昼前から俄に活況を呈してきました。活況ではない方がいいのですが、めまい、頭痛、転倒、その他の患者に加え、外傷が立て続けに救急車で搬入されました。

 40代の男性。2mの高さから転落し、左頭頂部を打撲、左耳から血を流しているが意識はあるとの救急隊からの連絡。20分で到着。意識はJCS10くらいである!
 え?これはおかしいよ。
 救急隊によると、受傷直後一瞬意識を失ったが自分で消防署に連絡をして来て、救急隊到着時は立って歩いていたとのこと。それが救急車の中で一回嘔吐して少し反応が鈍くなったとのこと。救急外来でも痛み刺激を与えて起こすと、生返事をする。目を開けさせると目の前にかざした私の指の数を答える事が出来るが、放っておくとすぐに閉眼する。
 これはおかしい。意識障害が進行している。
 すぐにCTをとる。
 あった!
 急性硬膜外血腫。頭蓋骨の骨折が、左頭頂後頭部から静脈洞部を横切るように側頭部まで伸びている。血腫は左頭頂後頭部から静脈洞を超えて後頭蓋窩まであり、しかも厚いところでは3cmを超えている。
 これは緊急手術である。もたもたしていると患者はあの世行きである。CT後、すぐに手術室看護師、麻酔科医に連絡。家族はまだ到着していないが会社の同僚(仕事中の怪我)が来ているので、その方達に説明する。
「正しくは家族が来てから承諾をもらいますが、出血のため緊急手術をしなければ生命が危険です。家族の到着を待たずに手術の準備を進めます。髪も剃ります。よろしいでしょうか?」
と(有無を言わせない様な迫力があったかも知れないが)同僚に断り、髪を丸坊主にした。
 麻酔科医になかなか連絡がつかない。こちらは1分を惜しんで準備を進めているのに、周りがついて来れない!休日当番ではない別の麻酔科医に連絡するように指示。どうも、休日当番の麻酔科医は、遊んでいるのではなく、外科で腸閉塞の緊急手術を行うために既に連絡が入ってこちらに向かっている途中らしい。しかし、大雪で時間がかかっている模様。
 そうこうするうちにようやく家族が到着。既に準備しておいた、手術承諾書、輸血承諾書、状態の説明の紙を見せながら短時間に簡潔に説明。要するに手術しなければ死ぬ、ということ。すぐに承諾を頂く。輸血の準備も終わった。血圧持続モニターのための動脈ラインもとったし、点滴ラインは2つとった。後は、麻酔科医の到着を松だけ。やきもきしながら待っていた。30分たってもまだ麻酔科医と連絡がつかない。脳外科の同僚は到着した。二人だけで始めちゃおうか?とも話したが、もうすぐ麻酔科医が来るのだろうからと待つ事にした。
 本当の大緊急の場合は、救急外来で穿頭して血腫をとる事すら考えたが、マンニトールを300ml投与したところ、JCS30〜100の状態が10〜20くらいに改善した。
 「緊急手術」を私が決定してから、1時間たって麻酔科医が到着した。「なんか緊急手術という事ですが、私は別の緊急手術で呼ばれて来たんですが」と麻酔科医。
私:「何でもいいから今から手術したいのでお願いします」
麻:「もう一人麻酔科医呼ばないと対応できないのですが、ちょっと待って下さい」
私:「・・・」

すぐに、すでに別の麻酔科医も連絡が行っていて病院に到着し、手術室準備OKとなった。
私が手術を決定してから1時間15分、患者の家族に承諾書をとってから50分が経っていた。しかし、まだ患者の意識はJCS20くらい。
まだ大丈夫!
それからすぐに手術開始。大きな皮膚切開の後、頭を開く前に、まず後頭蓋窩と頭頂部に1個ずつ穴をあけ、そこから可及的に血腫を取り出す。これで、あとは慌てる必要は無い。
ゆっくり大きな開頭。やはり横静脈脈洞から強い静脈性の出血あり。止血に少々手間取る。硬膜を開くと、薄い外傷性クモ膜下出血はあるが硬膜下血腫はなかった。左の後頭蓋窩と頭頂部の大きな開頭と静脈洞の止血で約2時間の手術だった。術後の経過は?今さっき終わったばかりなのでまだわからないが、感触としては大丈夫だと思う。自発呼吸しているし手足も自発的に動かしていた。
 私は、手術直後の患者さんをゆっくり観察する暇もなくまた救急外来に呼ばれた。私が緊急手術に入っている間、外科系日直医がいなくなっていたので、管理日直医が代行してくれていたのだが、内科系日直医とあわせて急患に対応しても仕切れないくらいのパンク状態だという。救急車が立て続けにきた。
 救命救急外来に行くと、丁度一台の救急車が入ってきた。頭皮から激しく出血している。
 なんと70代のおばあさんが3mもの高さの屋根で雪下ろしをしていて転落したとの事。しかし、下は地面ではなく大雪なのでどこも骨折など無いのだが、転落する際にトタン屋根の角に頭をぶつけたらぱっくり切れてしまったらしい。しかも悪い事に浅側頭動脈という皮膚にしては比較的太い血管が切れている。強い圧迫止血をされていたが、それを解除して傷を見ようとしたら動脈性の出血がピューと私の白衣にかかった。そこをモスキート鉗子で2カ所挟んで止めた。そして、消毒、麻酔をし絹糸で動脈を結紮して止血した。CT上は異常がなかったが、多量の出血をしていたので入院させる事にした。
 私が診てない(手術中)間にも、つららが落ちて来て頭皮に当たり出血したとか、歩いていた屋根の雪の塊が頭に落ちて来たとか、雪道で転んだとか、今回の大雪による怪我が多数来ていた。
 私は、昼食はもちろん水も飲まずに緊急手術をしてその足で救急外来に来て出血患者の処置をして入院させ、ようやく医局に戻ってコップ一杯の水を飲んだ。検食の昼ご飯を食べようと思ったら既に片付けられていた。
悲しすぎる。。。
ーー 
 今日は何時頃帰れるかな?
 昨日の患者さんの手術創の消毒もしてないし、さっき入院させた患者の指示も完成してないし。
ああ、でもこの3日間。フルートの練習をまったくしていない。というかできなかった。どうしよう、来週は発表会だよ。。。

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手術終了、そして日直

 クモ膜下出血の手術、無事終わりました。今、12/17(土)の0時20分過ぎです。
 予定手術が立て込んでいて、麻酔科医が足りず、手術申し込みをしたのは午前10時頃だったんですが、その後2回電話で催促したにもかかわらず、他科の予定手術(胃全摘とか乳がん手術とか前立腺の手術とかその他複数)をどかすわけにはいかず、「じっと我慢の子」で待ちました。4時、5時は過ぎるでしょう、と言われていたのですが、結局、手術場入室は午後6時半。9時間近く待たされました。
 手術開始は午後7時半。終了が11時前。ICUに戻ったのが午後11時半。脳室ドレナージをセットしたり、オーダーを出したり家族に手術の説明をしたりして、今になりました。
 今、医局に戻ってパソコンの前に座ったところです。皆さんは、本田美奈子さんの番組をご覧になりましたか?私はこれから帰って録画を見ます。
 そして、明日(というか今日)は、全館の外科系日直です。管理日直ではなく、本当の救急外来日直になります。あーあ。早く帰ろう!
(続く)
ーー

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2005.12.16

寒さと脳卒中(+本田美奈子さんの事)

 以前にもちょっと書いた様な気がするが、寒い時季や気候の激しい変動時などに脳卒中が頻発する事は確かである。月単位とか年単位でならしてみて行くと一年間にまんべんなく脳卒中患者は発生していて、多少冬に多い、という印象はあるが、統計学的な有意さが出るのかどうかはわからない(統計上既に明らかなデータがあったとしたら私の不勉強です、すみません)。
 北海道や東北に脳卒中が多く、九州四国や沖縄には相対的に少ない印象はあるけれど、脳卒中は寒い地方だけの病気ではない。そんな事になるのなら、過疎だろうが何だろうが、東北の山間部の人は村を捨て都市部に住むか関東以西に転居する事が「予防医学」上、推奨される事になる。

 昨日の夜から今日の午前中の約20時間の間に、脳梗塞が二人(うち一人は来院時JCS200の重症)とクモ膜下出血が二人緊急入院となった。今日の予定手術が立て込んでいるため、夕方からしか緊急手術がいれられず、多少やきもきしながら我々は待つしか無い。クモ膜下出血は、なんと3週間ぶりの来院だと思ったら続けてもう一人緊急搬入された。一人は60才台でグレード3、急性水頭症もあるので本日すぐ手術をする。もう一人は、82才!しかも、未破裂脳動脈瘤が半年以上前に外来で見つかっていた人である。82才という事で予防的な手術はしないでMRIなどで経過を追いましょう、という事になっていた方だった。場所は右の中大脳動脈分岐部の瘤である。
 手術をする立場からいえば、困難な場所ではなく、むしろ積極的に手術治療を考える。血管内治療でもいいかも知れない。しかし、82才。常識的には予防的な手術治療は行わない。
 でも、破れたのだ!出血したのだ!
 未破裂脳動脈瘤の年間破裂率は、出典によって幅があるが、(頭蓋外の瘤まで母数に含めるなど、杜撰な解析と考えられ無視してもよいデータではあるがNEJMに出たので)最低0.05%/年から、高いものでも3〜5%/年とされ、中間報告でまだ確かなデータにはなっていないが日本の調査中の参考値として、1%/年というのがある。つまり、未破裂の脳動脈瘤を持っている人100人の中で、一年間経過を追うと確率的に一人だけ破裂してクモ膜下出血になり残りの99人はそのまま健康だ、ということになる。
 しかし、現場にいる我々の実感としては、当然倒れて運ばれて来る人を診察していて、健康な人は年に一回くらいしか診ないから印象が違うのであろうが、「もっと破裂率は高いんじゃないの?」という印象である。
 
 そもそも、脳外科医がなぜ「脳ドック」で未破裂脳動脈瘤を検索して適応のある人には手術をすすめて予防をしようとしたかというと、クモ膜下出血で運ばれて来る人のうち、3割は死亡(手術にも至る事無く)したり、残りの患者の半数近くが後遺症を残す姿を見て来ているからである。病院に搬入されずに亡くなる方や、脳外科の無い病院で「脳卒中」とか「心筋梗塞」という誤った診断名で突然死として扱われている重症クモ膜下出血の方がまだまだいるはずである。折角、腕と設備のある脳外科の施設に搬入されても、重症クモ膜下出血では手術の適応はほとんどない。手術治療にもっていけずに目の前で亡くなっていかれる患者さん達を見て来た脳外科医は、
「なんとかしなくちゃ!」「破れる前に、倒れる前に助けよう!」
という医師としての気概と脳外科医としても誇りを胸に思った訳である。
 しかし、中には技術の確かではない、判断力や治療方針の正しくない、またはinformed consentをきちんと取れていない脳外科医がいた事も否めない事実である。ごく少数に過ぎないと信じたいが「0」ではなかった。そうして問題が起き、「未破裂脳動脈瘤に対して予防的に手術をするなんて、脳外科医の傲慢だ」のような捉え方をされた方もいた訳である。「少なくなった患者をなんとか脳ドックで増やして無理矢理手術をして飯の種にしている」というような言われ方をされている人もいるようである。
 血管内治療が進んで来ているが私は必ずしも、血管内治療の未来が明るいものとは思わない。ことに脳動脈瘤の治療に関しては、血管に出きた瘤の中にプラチナのコイルを詰め込んで中から詰め物をしているだけなので、瘤自体がその後に成長すれば詰め物をした意味が少なくなり「破裂」は防止できなくなる危険がある。瘤の部分では正常の血管に「穴」が開いている様なものなので、その穴に中から詰め物をする血管内手術と、外から穴全体を塞いで穴をなくしてしまうクリッピング術では根本的に別のものである。短期的な効果に差がなくても10年、20年という長期的効果の差については何もわかっていないのである。
 マスコミを中心に医療を批判する事だけに終始したり、厚生労働省を中心に特殊な訓練と厳しい教育を受けて来た脳外科医の技術を他の医師と差を付けずに扱っているままでは、今後の医療の先行きが非常に案じられる。
 『偽装』なる言葉が賑やかにテレビでも新聞でも雑誌でも踊っているが、ようするに『うそつき』である。かなり前の話しになるが、遺跡発掘に関して「偽装」していた大学教官がいた。韓国で、人の細胞からES細胞を作り出したと「偽装」論文を世界の一流紙に載せている大学教官がいた。韓国の医学界のお偉方が、論文データ捏造の発表会見の席で「国恥の日」と宣ったそうである。
 科学者が、大学教官が、なぜ「うそ」をつくのだろう。功名心、出世欲、金儲け、、、いろいろあろう。しかし、真の意味でのプライドがないのだろう。

 日本も韓国も従来は『儒教精神』で教育されて来たお国柄である。そんな国で、こんなにも「うそつき」が横行している。どんな犯罪も認められる訳ではないが、うそつき、人をだます、科学データの捏造、人の命に関わることの偽装、などは許されるものではない。私の心の中では「死罪」に等しい罪という気持ちがある。
 真冬の田舎の末端の病院で、一人の患者の命を救うために努力している医師がいるのに、なんでこんなに世の中はいい加減なんだ!と怒鳴りたくすらなる。
ーー
 本日、フジテレビ系列(あえて宣伝します)で、故本田美奈子さんの特集番組があります。確か、21〜23時のはずです。本当は、来春にも復活した彼女が再びステージに立つまでのドキュメンタリーとして番組を計画し作っていたのだそうです。私は、勘がよくて、今日は遅くなる気がしたので、朝出勤前に録画予約をして出てきました。先日来、本田美奈子さんのことを何度かここにも書きました(11/27「音楽の意味」など)。音ブログにも書きました。
 もう一度、彼女の壮絶な闘病姿を見ましょう。彼女の歌を聴きましょう。そして、今生きている事への感謝の心を持って、周囲、家族、親兄弟、神への感謝の気持ちを捧げましょう!
 本田美奈子さんにあらためて哀悼の意を捧げます。彼女のCDに収録された曲の中で、唯一彼女自身が詩を付けた曲、『タイスの瞑想曲』を聴いてみて下さい。私の演奏ですが。。。(^^;;;

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2005.12.15

旧暦の話しですが

 11/8の本ブログ「置賜の歴史編、その1」に書いた、吉良義央と上杉のことである。伝聞上は旧暦の12月14日、本当は深夜から明け方の話しなので12月15日のことだから今日になるのだが、実は元禄15年12月14日は現代太陽暦では1月30日らしい。だから江戸でも雪が降っていたのか(雪が本当に降ったかどうかはしらない)。
『時は元禄15年、、、』の「忠臣蔵」である。
 そう、11/8に書いたように、吉良上野介は米沢上杉藩第4代藩主綱憲の実父で、第9代藩主名君鷹山公の実のおばあちゃんのおじいちゃんにあたる(鷹山公の祖母が綱憲の娘ということ)。だから、米沢を含むこの地方ではこの時期に「忠臣蔵」なんて言葉は耳にしないし目にもしない。昨日、NHKで四十七士に入らず家族を守る道を選んで武士を捨てた人の事を取り上げていた。そう、赤穂藩浅野家取り潰しの後、苦労をした人はもっと大勢いいるのである。
 私も、物事を知らない小中学生の頃は、テレビで赤穂浪士のドラマをやっていると、結果はわかっているのに大石内蔵助に与する気持ちになり「悪人吉良上野介」と思い込んでいたものである。浅野内匠頭が我を忘れて殿中で斬り掛かるような原因を吉良が本当に作ったのかも知れないが、よく考えてみれば内匠頭の短慮は明白で、刃傷御法度を破った悪人は内匠頭なのである。しかし、「忠臣蔵」以降、民衆は赤穂浪士=忠義の志士、吉良=悪者という図式を作り上げてしまっており、テレビドラマもその流れで作らなければ視聴率も取れないのであろう。
 赤穂浪士にしても、忠義の志士などではなく、天下の法を無視し武士としての「一分」を立てるための自己満足の行為であったとの見方もある。討ち入りは忠義にもとづくものではなく、江戸幕府への抗議であり、「かぶき者」として無頼の心性に根ざしたものとの考証もある。
 はたして本当の、真実を伝えているものは無いのだろうか?
 だいたい、旧暦の12/14だからといって、現代の12/14やその前後に赤穂浪士や忠臣蔵の事をマスコミが取り上げる事もおかしな話しだと思う。1月30日にやればいいのではないか?「第九」と同じように、年末の恒例行事のようになっていはしないか?
 おそらく、赤穂の地元、兵庫県や赤穂市あたりでは、昨日今日は忠臣蔵のお祭りだろう。N響練習場近くの泉岳寺では、毎年新暦12/14に義士祭をやっているという。昨日も内匠頭そして内蔵助以下45(?)名のお墓を清めお祭りをしたのであろう。私を捨て公、大義のため献身働く事を奨励するのは悪くないが、曲解すれば戦前戦中の「お国のために」とか「欲しがりません、勝つまでは」みたいなことにならないかと懸念するのはあまりに心配性過ぎるだろうか。助命せずに切腹を命じたがために、忠義の志士として祀られる事になった四十七(六?)の赤穂浪士は今の祭りやドラマをどのように観るのだろうか?

 今や置賜の人である私は、忠臣蔵を観たとしても冷ややかな目でみるであろう。短慮が故に家臣一族郎党に多大な苦労をさせたバ○殿内匠頭、御家再興が真意ながら果たせなかったら天下の法をおかして時の政権にたてついた内蔵助始めとする浪人武士、そしてこういう混乱を招く元を作った、ときの将軍綱吉や柳沢吉保を始めとする幕閣の人間。地元では名君とされているが、実際はどうだったのか、旗本高家の鼻持ちならない態度で内匠頭をいじめたのか?義央。ま〜、時は「封建時代」なのである。

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2005.12.14

大寒波

 話題に困ったら天気の話し、という訳ではないのだが、典型的冬型の気圧配置と上空の強い寒気の影響で、日本海側の地域を中心に大寒波による被害が出ている。九州でも中国地方でも大雪だったらしいですね。
 こちらは、当然雪の季節、当たり前という気持ちはあるけれど、こんなに毎日雪が降ると「あ〜あ!」という感じになる。
South1211
写真は、先の日曜日、自宅マンションの南側ベランダから大学病院方面を望んだもの。
ベランダの柵に20cm近い雪が積もっており市内も真っ白に雪化粧。この日あたりからず〜っと降っている。特に今の勤務地は雪の多い地域であり山間部に行くと1m近いらしい。山形蔵王スキー場も積雪140cmとなっている。

SnowCar1213
左の写真は、昨夜、帰宅しようとして朝から駐車していた車が、危うく『岩塩包み焼き』状態になりそうになっているところをパチり。なんと、この後、雪カキ棒で雪を払っていたら、車の前部ボンネットについているエンブレムというのかマスコットというのか、マークが凍っていてポキリと折れて取れてしまった!ガ〜〜ン。ま、しゃあないな〜、という感じである。

 それより、ヨーロッパも大寒波で死者まで出ているそうである。あと2週間ちょっとでその中央ヨーロッパに行くのであるが、大変かも知れない。十分な対策(コート、手袋、荷物など)が必要だろう。
 メインの訪問先はハンガリーであるが、ウィーン、プラハにも行く。そういえば、来年はモーツァルト生誕250年。各地で記念式典や催し物があるのだろう。日本では最近特に「脳に効く」とか「頭によい」といった理由でクラシック通でもなくモーツァルトが好きな訳でもない人が、コンピレーションアルバムなどを購入したりするらしい。それはそれで決して否定される事ではないと思う。その中で、クラシックやモーツァルトの良さを認識して音楽が本当に好きになる人が多くなれば、とも思う。ウィーンは当然モーツァルト縁の地であるが、プラハは「ドン・ジョバンニ」の初演ほか、交響曲第38番「プラハ」があるなどモーツァルトにとっても好きな街であったと思われる。
 映画「アマデウス」の監督はチェコ人で、プラハで結構ロケがあったらしいので、行く前にもう一度映画を観て確認しておきたい。
 生誕250年といえば、王妃マリー・アントワネットが今年生誕250年であったとのこと。先日、某国営放送の人気番組『プ○ジェ○ト△』で宝塚の特集をしていた。そういえば、20年以上前になるが、宝塚の「ベルばら」を観に行った事があった。新しい「ベルばら」をやるらしい。ウィーンのシェーンブルン宮殿でマリア・テレジアに招かれた当時6才のモーツァルトが、ふざけて(?)床で滑って転び、それを助け起こした当時7才のマリー・アントワネットに結婚を申し込んだという逸話は有名である。映画『アマデウス』にも確かそんなシーンが出て来た様な記憶がある。
 御存知のようにアントワネットは38才で断頭台に消えるのであるが、モーツァルトはその2年前に35才の若さでこの世から姿を消したのである。35年の間に、モーツァルトは交響曲だけで41、ピアノ協奏曲を27、数々の室内楽曲、コンチェルト、歌曲、歌劇を作曲している。真偽の程は?としても、まさに天から降りて来たメロディーがモーツァルトの身体の中を通って楽譜の上に瞬時に記録されたとしか言いようの無い程の量である。
 良く知られているように、最後は共同墓地に葬られたためその遺骨も詳細不明らしいが、ウィーン大学が父レオポルトの遺骨とともに、「モーツァルトの頭蓋骨」と言われている骨のDNA鑑定を行って「生誕250年」の来年2006年にその結果を発表するのだそうである。

 好事家には興味深い事かも知れないが、私はあまり興味が無い。時間がたっぷりある訳ではないが、ウィーン、プラハでは是非モーツァルトの足跡を少し辿りたいものである。

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2005.12.13

あ〜、困ったな。

12/9の記事に対する「脳卒中学会」という名前でのコメントは、日本脳卒中学会事務局の調査では学会とは全く関係のないものである事が判明しました。学会理事長(ガイドラインの「脳出血」の項も担当された)のところまで話しはあがり、学会の名前を語った事に対して不快感を表明されたとの事。「徹底的に調査する」とうことです。
 「学会がこんなことするはずないな」と思っていたのですから、私のところで止めておけば良かったですね。ただ私の診療上の判断を「誤り」と公に指摘された訳ですから放置する訳にはいきませんでした。個人的にメールでこっそり「先生、間違ってませんか?」と問い合わせる様な形なら、「いえ、これこれこういう事ですよ」と説明しわかって頂けたと思っています。「脳卒中学会」を語ってコメントを書かれた方、人の名を、しかも公的なものの名前を勝手に使っては行けませんよ。ジョークではすみません。謝罪し反省して下さい。
 しかし、私としては問題を大きくしたくないですね。このブログもやめたくないし。
 しばらく医療ネタは御法度かな〜。(::)
ーー
 件の患者さんは、術後4日目。術後脳腫脹が最も強くなる時期ですが、意識レベルは「昏睡」と同じ様な用語で言えば「傾眠」傾向。JCS 10ぐらいですが、右上下肢ともに挙上可(運動レベル4/5)で、ジャンケンが弱いですができます。左は上肢が2、下肢が3で、これも術前よりいいです。リハビリを開始する予定です。
「手術適応がなかった」とはとても考えられません。「いけるかも」と思ったのも、術前に開いていた瞳孔が術後小さくなり、消失していた角膜反射や対光反射が弱々しくも戻って来たので、手術による血腫除去が脳に不可逆的変化を起こす前に間に合った、との思いを現してるのです。あらためて「不謹慎」などと言われた事に対しては軽くヤバイ、じゃなくて怒りすら覚えます。
 
 ウ〜ン、音楽ネタを探そう。。。(^^

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2005.12.12

興味深いコメント

 先日の記事に対して、興味深いコメントを頂き現在いろいろ検討中であります。
 ココログのブログに限らないでしょうが、ブログの世界には傍若無人で無責任な、または誹謗中傷するようなコメントもあるかもしれません。世の中いろんな方がいらっしゃいます。
 しか〜し!コメントすると、それを送信したパソコンのIPアドレスがわかるのです。ですからその気になれば、コメントした「個人」を特定できます。そうでなければ、「言いたい放題、書きたい放題」ですからね。

 まだ「日本脳卒中学会」事務局からのお返事を頂いていないので確定的な事は申せないのですが、昨日「脳卒中学会」との名前でコメントされた方のIPアドレスは個人のパソコンでした。まあ、学会事務局が個人のパソコンを使っている事もあり得る訳なので、それだけで「学会」からのコメントではない、とは言い切れませんが調べればすぐにわかる事です。
 しかも、「学会」事務局が、日曜日の深夜(時間は月曜の0時過ぎ)に、私のような個人のブログ宛にコメントするのか、はなはだ疑問であります。使われている言葉にも内容にも疑問が多々あります。事の真実が判明しましたら私なりの対処を考えます。本当に「日本脳卒中学会」からの「公的」なコメントであれば、それはそれで大きな問題をはらみます。
 
 なお、ご存知の無い方、あまりなじみの無い方は、
http://www.neurology-jp.org/guideline2003/contents.html
をご覧ください。
 今回の件は、「III. 脳出血」の4. 脳出血手術治療法の選択、の部分が問題になっています。
 『ガイドライン』というものは、国家ではなく医師会でもなく、学会が自ら率先して、エビデンスの高い論文などを元に独自の組織で作り出した、現代日本における最良と考えられる治療の「指針」です。我々、脳卒中を扱う医師はこの「脳卒中治療ガイドライン」を隅々まで読んでその指針を把握し正しい医療を行うよう最善の努力をすべきですが、法的拘束力も無ければ罰則もありません。
 この脳出血の項目には、まず『推奨』と書かれた上で、「1. 一般論として、血腫量、、、、」というような書き方がなされています。その中に、「意識レベルが昏睡の症例は、手術の適応にはならない。」と書かれてあります。
 つまり、一般論として、推奨する指針として、です。
 我々医師は現場で患者さんと相対しています。家族と向き合っています。そこには、血が流れ涙が流れ感情が溢れています。それでも、医師はサイエンティストとして、科学的根拠に基づいた診断や治療法を選択し実践する訳です。まじないやうらないやまやかしではなく、「西洋医学」だからです。 
 ここで書かれている「昏睡」という状態には、ある幅があると考えています。意識障害の程度による幅とその持続時間による幅です。意識状態というのは、誰がいつどういう状態で診たかによって違うものです。ですから「昏睡」という少し曖昧な言葉ではなく、日本ではJCSが国際的にはGCSが使われています(以前に書きましたね)。
 発症からどのくらいで搬入されたか、診断まで、治療開始までどのくらい時間がかかりそうか、かかったか、家族が来ているのか、まだなのか、これから来るならどのくらいかかるのか、患者の年は?職業は?家族構成は?手術場は空いているのか?麻酔医は空いているのか?合併症は無いのか?血液データは?血液型は?手術がそこそこ上手く行っても寝たきりになって家族は困らないのか?誰が患者の面倒を見る事になるのか?経済的な力はあるのか?手術をしなければ本当に助からないのか?助手に入る同僚の先生の外来は終わりそうなのか?マンニトールに対する反応は?家族への説明に対する家族の反応は(上っ面の言葉だけではなく、内面の心は)?Informed consentが本当に取れたと言えるのか?
 これらの事を、救急外来でほんの10〜15分の間に考え判断し指示し行動する必要が、救急の現場ではあるのです。そして、一つでも条件が整わなければ、大緊急の手術というわけにはなかなか行かないのです。
 先日の脳出血の患者さんは、発症時まだ喋っていて3回くらい段階的に悪くなっています。家族が救急車を呼んだ時にはまだ喋っていたのです。救急隊到着時には、昏睡状態(JCS100くらい)になっていますが、20分で救命救急センターに搬入され即座にCTが撮られ、すぐに私が呼ばれています。そして上司、同僚とも検討し、我々の方針を決めた上で、家族に説明し、説明しながら上記種々の条件が整っているか、看護師やその他の人に指示して確認させ、手術にGo!サインを出すまで、来院して30分、手術場に搬入されるまで約1時間、手術開始まで約1時間半、血腫が全部取れるまで約3時間半から4時間でした。
 脳出血の手術治療は、出血を取り除く事が主たる目的ではないのです。もちろん血腫をとらなければ始まりませんが、きれいに血腫を全部とったところでそこは既に爆発して壊れている部分なので元に戻す事は困難です。血腫をとるのは、血腫による圧迫で息も絶え絶えになりそうな、周囲の壊れていない脳を守るためです。血腫の圧迫によって、また浮腫による歪みによってまだ生きて働いている脳への血液の流れが悪くなり、そのまま時間が過ぎれば不可逆的になって回復しません。ですから、時間がたてばダメなのです。今回の症例も、もし家族の到着が遅かったり、手術に迷って結論が出せなかったり、手術場も麻酔医も空いていなくて待たなければならなかったりで、6時間も8時間もたってから「手術」と言ってももう助けられる見込みはありません。それまでの間に、血腫周囲のまだ壊れていなかった脳が壊れて回復しなくなるからです。
 こういった、適切で素早い対応が出来なければ、JCS30くらいのもっと意識状態の良い人でも助けられない事はありえます。この患者さんは、ある意味で運がまだいいのです。夜中に倒れたら、気づかれるまで時間がかかり、救急搬入まで時間がかかり、脳外科医が呼ばれるまで時間がかかり、手術場の準備ができるまで(看護師の配置とか)時間がかかります。夜中の1時に発症したと仮定すると、当院ではどんなに頑張っても来院が2時頃でしょうし、手術適応があっても開始は明け方の5時頃になるかもしれません。発症から血腫が取り除かれるまで、6時間くらいあっという間に経ってしまうのです。
 いくら50才台でも、いくら右側の出血でも、JCS100〜200なら絶対手術しない、という脳外科医もいるかもしれません。家族が、術後寝たきりの状態に消極的であるとかそういう問題があります。
「手術しても助かるとは限らないが、患者さんが寝たきりになっても家族が面倒をみれますか?大丈夫ですか?」
こう聞かれて「できません」とはなかなか言えないかもしれませんが、ちょっとの間とか逡巡というのはわかります。今回の患者の家族には見かけ上それはありませんでした。家族の強い気持ちに後押しされるように私は救急外来で自らバリカンで患者さんの頭を手術が出来るように綺麗に数分で丸め、そのまま手術場に直行したのです。
 ですから、コメントに書かれた様な「不謹慎」とか、「こんなことをやっているから脳外科医は脳神経内科医にバカにされる」などの文言ははなはだ心外であります。だいたい、脳外科医が神経内科医にバカにされているのですか?それはどこの病院の話しなのでしょう。我々のところでは、(内面までは知りませんが表面上は)神経内科の先生達は我々脳外科医を尊敬しその多忙さを気遣ってくれる様な良い関係だと思います。

 興味深いコメントを頂いたので、ちょっと過剰に反応してしまったかしら?
 でも、本当に興味深いのです。
IPアドレス、211.129.128.86様。

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2005.12.09

緊急手術

 久しぶりの緊急手術で武者震い、という程ではなかったが、少し緊張した。緊急手術はそこそこやっているが、最近の難しい脳動脈瘤の症例は5年先輩の上司が執刀し、慢性硬膜下血腫などは7年後輩の医師がやってきた。12月に入って私が執刀したのは実は今日が初めてだ。
 今日の症例は、日中発症した50才台の脳出血。大量で来院時既に右の瞳孔が開いており、意識は昏睡状態で痛み刺激に除脳硬直を呈し始めていた。手術をしても寝たきりを作るだけかも知れない。しかし、若い(50才台なんてとっても若い!)し、右側の出血なので言語中枢のある論理的脳である左が大丈夫かも知れない。マンニトール(抗脳浮腫薬)を300ml急速滴下したところ、手足の反応が少し良くなった(痛覚で逃避するようになった)。
 家族に説明したところ、「是非手術をして欲しい」という強い希望があったため、麻酔科の先生にお願いして予定手術を一個どかして緊急で手術した(麻酔を依頼したところ、既にやっている手術もあるので何時になるかわからない、と言われたので『今やらないと確実に死ぬ!』と伝えたら麻酔を引き受けてくれた。感謝!)。
 開頭後、顕微鏡を用いて型通りに脳室穿破を伴うmassiveな出血をほぼ綺麗にとった。術後、挿管したままICUに戻ったが、自発呼吸も十分だし開いていた右の瞳孔もまだ左よりも大きいが4,5mmになっているし、術前消失していた右の角膜反射や睫毛反射がみられるようになり、右手は自発的に動かすようになったので紐で縛って抑制するくらいになった。下肢も痛みで素早く膝をたてる。
これは、いけるかも。
命を助けることが目的の手術ではあったが、合併症をおこさず急性期を乗り切ればリハビリして車椅子生活くらいには持って行けないだろうか?大いに期待したい。

今日は大学のある街で大事な研究会があったが、手術終了が6時前。ICUで指示を出したり診察したり家族に説明したりしていたら、7時を過ぎたので出席を諦めこれを書いている。

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2005.12.08

まあまあ

 訳のわからないタイトルですね。
 ボーッとしています。すみません。飲み過ぎです。昨日の忘年会、新任地に来て初めての公的飲み会&お泊まり。水曜の夜、つまり平日のど真ん中に忘年会するか!?って感じですが、久しぶりに同世代や若い先生達と楽しく馬鹿話をしました。興が乗ってしまって、0時を過ぎて旅館を抜け出し近くのスナックで飲み直し兼カラオケ。 
 私、歌は嫌いじゃないですが、カラオケってあまり好きじゃない。うるさいし、下手な人が多いし(オイ!)。(^^;;;
なんと約2年ぶりのカラオケ、してしまいました。井上陽水、玉置浩二、浜田省吾、郷ひろみ、チューリップなどを久しぶりに歌ってしまいました。私を含めて弾けた集団の中に研修医の可愛い(ちょっと恐い?)女医さんが混ざっていたことも深夜まで遊び歩いた誘因でしょう。。。
 脳外科医にとって、睡眠時間4時間なんて、「平気の平左」。いつもの事。7時には起きてもう一度お風呂に入り、しっかり朝食をとって8:15には出勤しました。今日は予定手術も無かったので、外来を2時頃までしっかりやって、急患も2名入院させ、普通に(自分ではそのつもり)仕事しましたよ。年とると酒に強くなるのかな〜?いつもはお酒を飲むと眠くなる事が多いのですが昨日は元気でした。上杉縁の900年の歴史を持つお湯が身体と心を癒してくれたのかもしれません。私が知らなかっただけですが、かなり有名な温泉宿だったようで、故近衛文麿元首相、故吉田茂元首相他各界の著名人が宿泊したり立ち寄ったらしく、明治天皇まで御巡幸の際に行在所として御使用になられた由。新しくは、宮崎駿さんも立ち寄られたのか泊まったのか、トトロが「龍神の湯」(重さ100tの蔵王の原石をくりぬいて作った石風呂)に浸かっている絵が氏のサインと日付入りで2枚も飾られていました。
 蔵王温泉が強酸性で皮膚病などにいいものの肌の弱い人には厳しい強いお湯であるのに対し、ここ「赤湯」は柔らかいお湯だったようです。男湯も女湯も室内に大きな石造りの湯船が一つあって、屋外(いわゆる露天)に上記のような一枚岩をくりぬいた岩風呂や大木一本をくりぬいた檜の風呂や源泉風呂などいくつもの湯船がありとても楽しかったです。人気がある理由がわかりました。
 今年の憂さを忘れる事ができたかどうかは?ですけど。
ーー
 真面目な話しも。Asahi.comから。
 米国の大学の研究で『夫婦げんかは傷の治りを悪くする』という報告。
「心理的ストレスが人の免疫にどのように作用するかをみる研究。夫婦円満を勧めるだけでなく、手術時に患者のストレスを減らすことで術後の回復を速めることができる、とも指摘している。」
実験結果では、けんかをしたときの傷の治りは、夫婦が前向きな語らいをした時より1日長く、激しいけんかの場合はさらに時間がかかったらしい。血液の検査から、前向きの語り合いの時よりけんかの時の方が免疫細胞の間で情報伝達を担うたんぱく質の発生が少なくそれだけ治癒が遅れるとの結果が出た、ということらしい。
『病は気から』というのは、病気は気の持ち方が悪いからなる、というのではなく、病気の「治り」は気の持ち方で変わる、ということであろう。自分の身体を守ったり修復したりする働きを持つ免疫担当細胞は、いつも華々しい活動をしている訳ではなく、むしろ陰に隠れてひっそり行動しているのだが、必要な時には情報を交換して傷ついた細胞の修復や外的退治に立ち向かわなければならない。その際に情報伝達を担うタンパク質が必要になるのだが、それが十分な量産生されなければ免疫活動に支障を来しかねない訳である。
 ストレスの少ないリラックスした状態や、明るく楽しい気分や、心穏やかに優しい気持ちの場合、その必要なタンパク質の発生がきちんとしていて、逆にストレスフルで悲しく暗くイライラ怒りの気持ちを抱いているとその発生が少ない、というのは大変興味深い結果である。
 「音楽療法」という言葉が一人歩きしていて、私などその定義すら十分理解できない面もあるのだが、精神機能の働きの障害に関係する病気そのものの治療に音楽が果たす役割はもちろん、この研究結果からは精神的な安定や活力をもたらす事によって自己の免疫システムの改善まで期待が出来る訳である。
 実験結果をしめされるまでもなく、あいまいな感覚ではあるが「そうなんだろうな〜」という感じは抱いていた。それは自分が音楽をやるから、音楽を楽しみ、音楽をする幸せを感じ、音楽によって自ら癒されていると実感しているからでもある。私の音ブログも、上手に格好良くという気持ちも少しはあるが、「吹いている本人がとにかく気持ちよく、それが聴く人の気持ちもよくする」と考えて吹いている。癒されたい方は、どうぞ音ブログを聴いて下さい。
 不幸にして病気になられた方も、音楽の力と幸せと感謝に満ちた穏やかな心によって、病気を克服して頂きたいと希望する。

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2005.12.07

忘年会

 世の中、景気回復が思わしくないと言っても、忘年会シーズン突入です。皆さん、酒を飲みます。私も、飲みます。
 今日は、勤務する病院の医局の(つまり医者だけの)忘年会です。近く(車で15分位)の温泉旅館に泊まりがけの飲み会です。何でも上杉ゆかりの温泉宿だそうです。
 10月にこちらに赴任してから初めての職場での飲み会です。ここはあまりにも田舎で周りにお店が無いので、よほど「飲みに行く」のが好きな方でない限り、仕事帰りにどこかで一杯、という雰囲気がありません。前任地の病院は、12月になると、2つの病棟、ICU、手術室、外来、医局と少なくとも6つは「公式の」忘年会があり、その内3つくらい泊まりがけでした。飲んで帰るのは大変なので(田舎は公共交通機関がありませんからみんな『代行車』になってしまうので)それなら泊まろうよ、となる訳です。
 なにせ山形県はすべての市町村に(ちょっと前までは、44市町村と言っていたのですが、合併が進んで今いくつなのか知りません)温泉が出るのです。確か、何年か前の話しでは県内全市町村に温泉があるのは全国でも山形だけ、という話しを 聞いた事があります(今は違うかもしれません)。ですから、温泉旅館泊まりがけの忘年会は非常に盛んです。都会の(酒好き、温泉好きの)人から見れば羨ましい環境でしょうが、普段遊ぶところが無い訳ですからね(自然は一杯ですが)。
 海外からの音楽家だけではなく、国内で活躍する音楽家の演奏会で聴きたいものがあってもほとんど行けません。行くときは、かなり無理をする事になります。演奏会は大抵夜なので、その日にどこかに泊まらないと行けません。幸い、両親が横浜、妹家族が23区内に住んでいるので泊めてもらったりはするのですが、年に1回位のことです。
 今年、いろいろいい事も悪い事も嬉しい事も嫌な事もありました。まだ20日以上あるのですし、「今年を忘れる」という状態にはなれませんが、鷹山公を始め代々の上杉の殿様も浸かったと言われる湯にゆっくり入ってきましょう。

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2005.12.06

勤務医の実態

本日のAsahi.comニュースから抜粋:
『医師免許がないのに医療行為をしていたとして、警視庁は6日、Y容疑者(33)を医師法違反の疑いで逮捕した。偽造した医師免許証のコピーを提出し、97年ごろから病院の勤務医や宿直医を転々としていた。
Y容疑者の銀行口座には97年以降、病院など約20の医療機関から現金が振り込まれており、昨年の1年間では都内の3病院などから約2000万円の収入を得ていた。』

このY容疑者は高校中退だそうである。どのようにして医学的知識を学び、どのようにして医者に成り済まし、どのようにして診療行為を行っていたかは不明であるが、つごう9年間ニセ医者を演じて稼いでいた訳である。
ここから書く事は想像が中心で裏付けは無いが、医師である私が想像するに、Y容疑者は外科的な事はしないはずである。危ないし、ウソがばれやすい。専門的知識や技術が無いのはすぐにばれる。ということは、内科系の宿直や救急の現場で働いていた可能性が高い。それも常勤医ではなく、非常勤で当直や宿直をメインにして病院を転々としたり、会社などの診療所の非常勤医として健康診断をしたり、日赤が管理する血液センターの献血ボランティアを診察する医師として働いたり、労働基準局などが管轄する企業などの職員健康管理の仕事に携わったのではないだろうか?
私が医師になって一年目、二年目の頃、血液センターや健康診断のいわゆる「バイト」というのがあった。大学の研修医や医員(国家の予算や枠があるため助手にもなれない立場)は、月給4、5万円ということがざらだった。それでは一人での生活もできない。血液センターや献血車に乗って診察すると一日働いて数万円という(今は時代とともに報酬も上がっているはず)「バイト料」をもらえた。会社の健康診断は数が多いと一日200人とか300人とか診察しなければならないが、20年前で大学を夏休みをとって1週間(実質4日間)田舎の健康診断に回ると(看護師さんや放射線技師や運転手と一緒に旅館を泊まり歩く)20万円くらいの「バイト料」がもらえた。
 逆に言うと、大学病院で脳外科を学んでいる立場としては、こういったバイトや病院の当直をやって稼がなければ食べて行く事すら困難であった。東京とかで伝統もあり有名なK大学病院などは、医員の月給は2万5千円、TJ医大は4万円、と聞いていた。「まだ、国立の方がまともだな〜」なんて思って5万円の月給(日給x労働日数)をもらって喜んでいた。
 こういったいわゆるバイトの仕事は、医師として修練を積んでいなくても資格があればそこそこにできる仕事だった。血圧を測って問診、聴診、必要に応じて打診などして「はい、大丈夫ですよ」と言っていればいい。医学的な知識が無くても、演技さえ出来れば確率的には病気の人にあたるなんてことは1%以下である。なぜなら、自分は健康だと思ってるから献血をしに来る訳だし、病気ではないから労働している人達が対象なのだ。
 私も、せこい事に、こんなバイトでの報酬を計算して、「もし、献血や健康診断のバイトばかりやっていても、週6日、月25日くらい働けば、月80万円くらい稼げるんじゃん!」なんて情けなくも考えた事があった事を白状しなくてはならない。実際は、医師としてのモチベーションとか使命感の希薄な、こういう仕事を若いうちからライフワークにしようなんて考える人はいない訳で、いないからこそ、大学の若い医師へアルバイトとして回って来るのである。
 Y容疑者は、偽の医師免許を使って、大学の医局に属しない、一匹狼医師として、健康診断や会社の診療所や病院の当直医としての契約を結んで9年間、無難に「仕事」を演じて来たのだろう。言っちゃ悪いが、一般内科とか特に風邪の患者を診るくらいだったら、医学部を出ていなくてもできる。いわゆる『家庭の医学』のレベルである。「頭痛にセ○ス」といって、お薬を処方すればいいのだ。だいたいの感染症は、患者さんが元々健康体なのにちょっと体調を崩して風邪をひいたとか熱が出たとかなので、薬なんか飲まなくても「自己免疫」の力で治る。寝てれば治るのだ。だから、お医者様が偉そうに「あ〜、頭痛薬と風邪薬と、それからばい菌を殺す、抗生物質も処方しときましたからね。3日たっても熱が下がらなかったらいらっしゃい」なんて『家庭の医学』を読んでもできるような診療内容なのである。
「頭が痛い?じゃ、風邪だね。はい、風邪薬を出しておきましたから様子を見て下さい」
優しく接すれば「ああ、いい先生だ〜」と素人は思う訳である。ところが、これがクモ膜下出血の見逃しであったりする事がままある。本物の医者でも、見逃したり難しい病気はいくらもある。逆に医者でなくてもできることはたくさんあるが、医師免許という国家資格の元に、診断したりアドバイスしたり処方したり処置することが許可されているのが、『お医者さん』なのである。本当なら(悪平等の不公平でなければ)、一般内科医が患者を診察して「頭痛」に対して投薬したら、患者は1500円くらい支払い、脳外科専門医が診察してCTもとって投薬したら20000円くらい支払う必要があるくらい、専門的知識や技能には差があるものであるが、実際は、誰がやっても何年目の医師が診ても、脳外科医が診ても内科医が診ても、「頭痛」という診断で「鎮痛剤」を処方したら、『何点』というのが決まっていて、これが日本国内どこに行っても、東大病院でも田舎の診療所(田舎を蔑視している訳ではありませんよ、私自身が田舎にいるのですから)でもすべて統一の同じ値段、というのが日本の制度である。
 内科的なコモンディジーズを扱うだけなら、悪いが高卒でもできそうだということになる。そして、いろいろな手口で病院や施設を転々として、年収2000万円も稼げるというのだ!20年前に私が「こんな仕事で月80万か〜」と考えたのだから、今なら月120万円くらい軽く稼げるんじゃないだろうか?
 一方、絶対にニセ医者では勤まらない、演技をしようにも演技も出来ない、脳神経外科医や心臓外科医などが一体年収どれくらいあるのか?2000万円なんて夢の又夢。大学病院の医師だと年収1000万円もいかないのだ。教授や助教授でも大学からの給与だけでは、そんなものである。ところがニセ医者を演じていたY容疑者は2000万円稼いだという。
 ここに見えるのは、前から書いている、日本の格差付けのない、悪平等の不公平である。厳しい専門的教育を受けて専門的知識を持ち特殊な技能を持って資格を持つ医師、たとえば脳神経外科専門医が、別に特殊な技能もなく厳しい教育も受けず、(決して劣るという意味で言っているのではないが)コモンディジーズを相手に、確率的には1%くらいの誤診をしたとしても、薬を間違って出したとしても患者の身体が自分で治すため、症状は良くなって喜ばれたりする普通の医師と、同じ様な待遇で同じ様な収入なのだ。脳外科医などは、むしろ急患や長時間の手術などでプライベートな時間を削って働いているので、医師としてのQOLは、一般内科医、一般開業医よりず〜っと低い、そして収入も低い。これは日本の医療制度が、旧態然とした保険診療制度、診療報酬点数制度でやって来て、どのような技量を持った特殊な医師なのか、ということは全く勘案されていないから起こることなのだ。だから、高卒のニセ医師でも年収2000万円も稼げてしまうのだ。
 力の無い医師、特殊な技能や知識の無い医師は年収が500万円位で、脳外科医や心臓外科医の年収が3000万円くらいというような「格差」がつけば、3K(キツい、汚い?、暗い?)の脳外科医だって目指す若者が増えるはずである。
 でも現実は何科を専攻しても大きな差はなく、開業を考えて稼ぐなら眼科や皮膚科が楽で儲けられそう(真面目な眼科や皮膚科の先生方、すみません)だと考えてしまう若い医学生が生まれて来るのである。人間の仕事に対するモチベーションは、収入だけではないから、まだまだ捨てたもんじゃないけれど、結局、そういった事は若者を社会を蝕む可能性がある。
「努力したって同じじゃん!っていうか、努力しただけ、損じゃん!」
なんて考えて専攻する診療科を選択されかねない。

ニセ医師事件を読んで、このY容疑者の事ではなく、日本の医療における悪平等の不公平のことをまた強く考えさせられた。

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2005.12.05

この病院の日常など

 年も押し迫り、気持ちが少しそわそわするのは、1月2日からハンガリー・チェコ・オーストリア旅行を控えているからであろう。世の中は、人間不信に陥る様な情けないニュースばかりやっている。建築士の件しかり、なすりあいの建築業者しかり、女児の殺害も続き、「何なんだろう」と思う。医療問題の話しも、自分で書くのも少し辟易という感じなって来た。私の様な(政治や医療問題などに関して)地位も権威も立場も無い人間がここで騒いでも何も変わらないのではないか?
ーー
 現在入院の患者さんには特に話題の材料もない。相変わらず、この地域では80才台の脳卒中患者をたくさん診ている。現在脳外科に入院している最高齢者は92才の女性、次が89才。こんな高齢の患者さんに脳神経「外科」が何をするの?という感じであるが、92才の方は「慢性硬膜下血腫」なのでオペである。ただ、症状が出始めたのが1週間くらい前で、3日前食事中に左手に持った茶碗を取り落としたというくらい。一昨日、昨日は症状も軽いので自宅で様子をみていたというのだ。様子を見ていた、と説明してくれたお嫁さんが70才だし、特にこの病院から車で小一時間かかる山間部に住んでいらっしゃるのでやむを得ないのだろう。午後、救急外来に来て、話しが理解できる(責任の持てる家族)を呼んだところ、家長である長男が来たがこれがついさっき。症状も軽いので手術は明日する事にした。
 89才の女性は脳梗塞。既に何年か前に軽い脳梗塞で、自宅でベッドとデイサービスの往復の様な生活であったが、新たに軽い右手の麻痺が出た。型通りの脳血栓症の治療をしてリハビリ中であるが、軽い認知症もあるし近々自宅退院の予定である。
 ここに来て2ヶ月があっという間に過ぎた。急患は多いが相変わらず「高齢」の「脳梗塞」が中心で、緊急手術や大きな外傷であるとか「脳外科医としての手腕を発揮した!」という事が前任地より低い感じがしている。脳外科医はメスを持ってなんぼのもの、という考え方は間違いではない。本来はそうである。ただ、日本の医療現場では「脳」というだけで他の医師は敬遠する。頭蓋内の緊急性のある病気の診断をできる医師は脳外科医以外にはいない(一部の神経内科は大丈夫です)。「頭痛」というだけで「脳外科に診てもらいなさい」といって自分で診断しようとすらしない。だから、慢性頭痛、生活習慣病、陳旧性の脳卒中など、まるでファミリードクターのような立場の診療の比重が高くなっている。こうした仕事が大事ではないとは思わない。元々、きちんとした脳外科医は全身管理の達人でなければならない。なぜなら「ここが痛い」とか「ここが苦しい」とか訴える事が出来ない意識障害のある患者さんの治療管理をするのが仕事であるからである。メスを振り回すだけが脳外科じゃない。と上で書いた事と矛盾するがそれも脳外科医。そして、高齢化社会でお年寄りの内科的治療を行っている、これが「日本」の「脳神経外科専門医」の実態である。
 毎日、手術ばかりして一日のほとんどを手術室とICUで過ごし、回復期や慢性期の患者は内科医が診るかすぐに転院し、外来も手術の患者さんだけ、などというのは、都会の一部の選ばれた脳外科医だけである。こういった脳外科医の生活は、米国の脳外科医のそれに少しは近い(米国の場合は、もっと特化して、ICUや病棟で患者を診るのも研修医と一部の指導医で執刀医はちょっと回診するくらい)。そして、日本では、たとえ米国の脳外科医に近い華々しい仕事をしていても、収入は米国の一般の脳外科医のそれの1/5から1/10くらいかも知れない。むしろ、田舎にいて、「家庭医」みたいな仕事をしながら認知症のある脳梗塞のお年寄りを治療している脳外科医の方が収入が多かったりする。この辺が、日本の医療システムのまたおかしなところなのである。ただ、その田舎にいる脳外科医も、もし場所が与えられれば(私の事ではありません)、力さえ持っていれば(当然これが大事ですが)、米国のトップクラスの脳外科医に負けないくらいの腕は持ってるんだ、と自負している人は全国に少なくないはずである。学会での発表の態度とか成績とか実績とかうわさとかを見ていると、日本にも「神の手」とかAngel Handと呼ばれてもおかしくない脳外科医はたくさんいる。
 ただ、日本という国柄、そういう話しは嫌われる。大学や大きなセンターの中にいて、一匹狼ではいられないし、自分の力だけで仕事ができる訳ではない。だから「上から打たれないくらい飛び出て」しまわない限りは「出る杭は打たれる」のである。それよりも、口を閉ざしてじっとしている方が問題は生じない。日本では、どんなに実力があって手術がうまくても、「俺はうまいんだ」「天才だ」とか言っていては仕事がなくなる。というかそういう風に頑張ったところで、日本の脳外科医が稼げる収入は、アメリカのトップクラスの脳外科医の1/10以下なのである。ある有名な米国の脳外科医は、今まで5人以上の女性と離婚経験があり(何も肯定している訳ではありません)、全ての「元妻」に億単位のお金を払い、更に別荘をいくつか持ってクルーザーに自家用飛行機を持っていたりするのである。IT企業の社長さんではなく、「お医者さん」がである。日本のトップクラスの脳外科医はどうだろう?多分、自宅のローンが何十年とあり、少し高級な日本車か安めのドイツ車か何かに乗っているのが関の山だろう。手術の上手い人程、収入にはそれほど頓着しない様な気がする。「サムライ魂」的なのである。
「自分の腕で困っている患者を助ける喜び」「その使命感」を感じて働いているのであって、高収入を得たくて脳外科を選択した訳ではないからである。日本でもっと楽に高収入を得ようと思えば、(腕と評判が良くなければダメであるが)「美容形成外科」か「眼科」「皮膚科」辺りがいいかもしれない。
 日本で働く勤務医の中で、「高い収入を得るが目的」で医者になったとか、ましてそのために勤務をしているなんて人は皆無だと思う。なぜなら、高収入が目的ならもっと他に楽に稼げる道がたくさんあるからである。
 というわけで、収拾のつかない愚痴で終始してしまわないよう、今日はそろそろ引き上げよう。
 日本の勤務医は収入は高くないけれど、仕事にやりがいと使命感を持って生きている、ということは伝えなければ。その勤務医の心を腐らせる様な医療政策は避けて頂きたいな〜。

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2005.12.03

コンピュータ断層撮影

いや〜、寒いです!昨日、深夜にアパートに帰って暖房機をオンしたところ表示された室内温が『6℃』でした。6℃ですよ!しばらくコートも脱げずヒーターの前に震えながら立っていました。冬に脳卒中が増えるはずです。
 雪が本格的に降りました。今朝、管理日直のため病院に出勤する際、車の窓に積もった雪を今年はじめて「雪カキ棒」で払い落としました。う”〜、すぁぶい”っす。
 日中もしんしんと降っており、外は全くの銀世界(といえば聞こえはいいが)。
『刻々と 手術はすすむ 深雪かな』(歌人瑞穂、新潟大学脳外科初代教授中田瑞穂先生詠む、最初に書いたのは間違っていました。御指摘頂いた方ありがとうございました。間違えてすみません。)
ーー
 タイトルは、そうCTのことです。ご存知Computed Tomographyの略ですが、一般に脳外科の外来で患者さんが「CTをとって調べてもらいたい」というときは、X線コンピュータ断層撮影のことをさしています。Tomography=断層撮影というのは、実は古くから行われているX線検査の一手法であり、それを応用して1960〜70年代にコンピュータでデータを解析していかにも人体を輪切りにした様な画像を「合成」するようになったものです。開発経緯や発展には興味深い話しがあるのですが、詳細は省きます。X線が人体を通り抜ける時に(通常の胸部レントゲンとか頭蓋骨のレントゲンはこれです)、身体の組織の厚みや構造(密度や構成要素、例えば骨とか筋肉とか空気とか)によって通過するX線の量にムラができるのですが、それを感知する装置で得たX線通過量を身体の回りをぐるりと回りながらコンピュータで解析するのです。まだ世に出た当時(昭和50年代中頃)のCTは、X線管球も貧弱、装置も貧弱、コンピュータは大きいけれどノロマな亀でした。まだパソコンという言葉がなく、「マイコン」なんて言っていた時期です。昭和55年に初めてNECのPC 8001というパソコンでグリーンモニターに円が描けただけで感動していた時代です。断層の一スライス(一断面)を撮影してそれが画面上に現れて来るまでに2分以上もかかっていました。だから準備から撮影そしてフィルムが出て来るまでに一人の患者さんに30分以上かかっていたのです。今や、お手持ちのノートパソコンや携帯電話の機能を考えて頂ければ容易にわかるように、現代のCT装置は素晴らしいものです。1秒程度で一度に数スライスを同時に撮影し、どんどん画面に表示されます。単純な撮影であれば一人5分もあれば終わります。しかも20年前のCTの画像とは雲泥の差です。
 CTが世に出たばかり頃の値段は、公称2億円といわれました。その後、医師、企業、その他の努力と開発競争により、廉価なCTは数千万円という値段になっています。しかし、今はただ断層を取るだけではなく、それを3次元処理したり、造影剤を注入して脳の血管だけを画像化したり血流量を計算したりモニターで3次元に見えるようにしたり、血管や腫瘍に色を付けたり、というような「付加的」機能がたくさんついています。救急の現場で「出血があるのかないのか」とか「脳梗塞なのか、脳出血なのか」という判断をするためだけのCTなら1500万円程度で購入できる様な代物でもいいのでしょうが、結局、3次元再構成画像が「綺麗に」「早く」撮れる機種が「欲しい」と病院側(使う医師、主に放射線科医と脳外科医)は当然考えます。そのような最新鋭の機種は、画像ネットワーク機能であるとか含めると総額で2億円くらいになります。
 こういう機器に「定価」というものがあるのかどうか私にはわかりません。公的病院では高額機器の購入に際して各社のデモンストレーションの後、「入札」という方法がとられます。私的病院ではその辺は自由なはずです。何年か前ですが、ある私立病院で新たに億単位のMRIを購入する事になった時、数千万円相当のCTが「おまけ」についてきた、という話しを聞いてたまげたことがありました。

 MRIは本名をNMR-CT(核磁気共鳴コンピュータ断層撮影)といいます。英語で表記するとNuclear Magnetic Resonance Computed Tomographyとなり、nuclear=核、という言葉にあまりいいイメージがないため、Magnetic Resonance Imaging;MRIという呼び方に変更されました。X線はまったく使っていないのですが、「放射線学的検査」に分類されています。大きな強い磁石によって体内のプロトン(水素原子)のランダムな動きに変化を起こしそこに新たに加えたRF波(ラジオ波)に反応した変化をとらえる事によって、水の密度や物質の密度とその変化をセンサーでとらえて、それをX線CTと同様にぐるりと身体の回りを回ってデータを集めそれをコンピュータで解析して断層像を造り出しています。NMR現象の研究は、実はX線CTが開発されるよりもかなり前から解明され実用化されていたのですが、それをコンピュータによって断層撮影にして人体に応用したのはX線CTの開発の後になります。永久磁石では生じる磁場に限界があるので、高い磁場を作り出すために超伝導現象を応用した超伝導コイルによる磁石が必要になり、そのため液体窒素であるとかそれを注入するタンクの様な装置などかなり大掛かりで高価なものになります。通常の超伝導MRIで一台1億円から3億円はします。

 さて、こんな「何億」という金額の器械を使った検査に我々はどれくらいに医療費を払っているのでしょうか?
 身体の部位によって値段が違うし、造影剤を使った分は別料金、更に検査が複雑でたくさんの写真を撮れば使ったフィルム(シャーカステンにはる奴です)の値段分高くなるため幅がありますが、一回のCT検査で10割の支払いが15000〜20000円+α。つまり保険本人外来での支払いならば、個人の負担はおよそ5000+α円です。この「料金」の成り立ちですが、たとえばMRIの検査料自体は1140点。それに医師の放射線診断料が450点ですから、あわせて1590点(=15900円)。これに上記のように、造影剤を使ったか、特殊な撮影法を追加してフィルムをたくさん使ったか、などによって+αがあるのです。
 ところが、一般市民がおそらく知らないであろう事があります。同じ検査をしたのに値段が違うときがあるはずです。実は、余計な検査(?)を控えるよう診療報酬の制限があって、ひと月に何回も検査ができないような料金の仕組みができています。同一部位(頭なら頭ということ、1回目が頭で2回目が腹部の場合は別の検査と見なされます)のCTまたはMRI検査をひと月に2回以上行った場合は、2回目からの点数が減額されるのです。たとえば、脳卒中が疑われる患者さんに頭のCT検査を行いさらに詳しく調べるためにMRIをすると、その検査がおなじ月(同じ日でも同様)に行われた場合は、MRI検査の料金は1140点→600点に大幅に減額されます。つまり、脳梗塞を疑う患者が運ばれて来てCTを撮ったら所見がなく、MRIを撮って脳梗塞と診断した様な場合、MRIは6000円(保険本人の負担は外来なら1800円、入院なら1200円)ですんでしまうのです。
 資本主義経済、消費社会の中では、5400円も値引きされちゃうなら検査をしない、という発想があってもおかしくないと思います。しかし、「正しい診断をつけ速やかに治療を開始するための必要な検査」として、我々はそのような「診療報酬の減額」などは意に介さず検査を行っているのです。なんでこんな同月2回目以降の同一検査の減額が行われるのかというと、必要以上に何度も検査をして病院が金儲けをしようとするのを防ぐ意図もあるのでしょう(どこぞの病院で必要もないのに入院患者に毎週一回脳波をとったり、毎週一回CTを撮ったりというようなことが過去にあった)が、正しい治療を進める上で必要な検査まで料金を削られるというのはどうなんでしょう?
 また上記の放射線診断料ですが、医者がフィルムをみて異常かどうかを診断する技術料に当たりますが、これが450点(=4500円)です。しかし、診断料はひと月に1回しか算定できず、月に何回行っても診断料は1回分しか取れないのです。別のいい方をすれば、2回目以降は医者はタダで診断している、つまり医師の技術料は「0円」ということになります。
 こういう仕組みになっているのです。そして、どんなにたくさん検査をしたくてもCT検査で一日40人、MRIで同20人位しかできないでしょう。中には複雑で特殊な撮影が必要なため、一人に一時間かかる患者さんもいます。そうやって、制限の中に制限が加えられた検査料で「稼いで」も、人件費、ランニングコスト、フィルム関連費、その他に莫大なお金がかかります。CT装置のレントゲンの管球(カメラの球)は高いものだと一個2000万円くらいするといいます。これを数年に一回取り替えないと行けないのです。おおざっぱな試算をしても、1億5000万円のCTの元をとるのに8年から10年かかってしまいます。しかも毎年の診療報酬改定で、CT/MRI代は年々下げられており、いわゆる「儲け」はますます少なくなって来てます。すると病院側としては、高額な機器であるCT/MRIの更新(新機種導入)はなるべく遅らせようとするのが事の理でしょう。いや、早く導入したくても買う予算がない、組めない、ということになります。
 結果、「古い」「診断能力の低い」検査器械を10年以上も大事に使って『脳ドック』なんてやっているところまで出て来る始末なのです。「こんな質のMRIで脳ドックをやってるの?」と首を傾げたくなる様な施設も中にはあるのです。私が脳ドック反対派でも賛成派でもないと言ったのは、脳ドックの理念(脳卒中で倒れる前に発見して元気な身体で元の生活に戻ってもらってみんなが幸せに)にはもちろん大賛成なのですが、これを儲けの手段にする様な病院も世の中にはないわけではなく、自分がやるのなら現時点で最先端、最上級のCTやMRIを使ってやりたい(そうでなければ脳ドックを受けている方に申し訳ない)と思うからです。もちろん、「最先端」「最上級」の機種でなくても十分に脳ドックはできます。それはドックをする側の「心」の問題です。

 今回取りざたされている、診療報酬の4%マイナス改定(=医師の技術料の減額)は、こういうところにも必ず影響を及ぼします。新しい優れた器械を購入し装備するのに「足かせ」になります(高い器械を買っても儲からない)。場合によっては「赤字」になるので「買わない」とか最新検査機器装備を諦める(つまり少しランクの低い器械に替える)ということだって起きます。これがじわじわと、進歩した、世界に誇る日本の医療技術を弱体化させ、「世界一」なんて威張れなくなってくることが懸念されます。患者さんは近い将来弱体化した医療を甘んじて受ける事になるというのが、先日から書いてる診療報酬減額による医療レベルの低下の心配についてほんの一部を説明している事になります。

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2005.12.01

医療制度改革大綱決まる?

 医療制度改革の骨子が各紙に報じられていました、
1)高齢者の患者負担は2008年度から原則、70歳未満3割、70〜74歳2割、75歳以上1割。70〜74歳の低所得者に特例措置
2)2割負担となる乳幼児は08年度から対象を3歳未満から未就学児に拡大
3)診療報酬は引き下げの方向で検討
4)医療給付費の伸びを検証する数値目標を策定
5)出産育児一時金を30万円から35万円に引き上げ
6)75歳以上を対象とする新高齢者医療制度を創設
 やむを得ない方向である事は認めます。「少子高齢化社会」の歯止めと「社会保障費の増大」抑制を何としてでもやる、ということでしょう。
 先日も書いた「診療報酬引き下げ」について一言。骨子は政府の発表のはずですが、新聞によって微妙に文言が違うのです。地元紙には、「経済動向に応じ診療報酬を引き下げる」と書いてありました。
 つまり、診療報酬は不況、デフレ傾向の経済情勢に呼応するように、「下げる」のだ、ということでしょう。
 あれ〜?日本の健康保険制度は戦後の混乱期、一部を除いて誰もが貧しく苦しんでいた時に、「国民皆保険制度」として造り出した、日本国民一人一人の互助的医療保険制度です。戦前ならば、家族が大病すると「田畑を売ったり」「娘を身売りしたり」「借金して夜逃げしたり」ということが少なくなかったのですが、国民に等しく健康を享受する機会を提供する世界に誇れるシステムを作り維持して来た訳です。経済情勢にかかわらず、その財源は公的負担(国、地方の税金)、保険料(事業主と加入者負担)そして患者負担(受診時一部負担金)で成り立ってきました。政府の考えは、「医療費が嵩むから、まず患者負担を増やそう」、「医療費の増大を抑制するために診療報酬を減らそう」です。
 財源を増やそう、とすると「税金をあげる(消費税率の上昇)」事に繋がりますが、患者負担を増やす(制度を変えたり、高齢者の負担を増したり)事よりも、どうして『事業主』負担の増を考えないのでしょうか?事業主負担を増大する事は景気活性化を妨げ不景気を長引かせるからということなのでしょう。公的負担である税金を、国民から消費税で徴収するのではなく、何故法人税を引き上げないのでしょうか?景気活性化を妨げ失業者を増やすからでしょう。このように、医療費の財源は時の経済情勢に大きく左右されるという事はわかります。
 だから、診療報酬を引き下げる、という考えには疑問が生じるのです。それじゃ、バブル時代とか好景気の時に「経済情勢に応じて」診療報酬がばんばんあがったか?というとそんな事はなかったはずです。だいたい、診療報酬に関する要求などは、末端の我々勤務医がいくら声を上げてもなかなか政府には届かず、学会が医師会に進言し、医師会が中医協に要求し、という形で進められて来たので、ある治療法が保険収載されるまで何年もかかったり、診療報酬がなかなかプラス改定されずにいたのです。このように時の経済情勢とはほとんど無関係に決定されて来ていた診療報酬が、急に「経済動向に応じて下げる」とされているのです。
 日本の国民医療費がGNPで世界17位と「低い」位置にある事は周知の事実です。その位置だけではなく、過去何年、何十年の総医療費の伸び率でみても先進諸国中最も低いと言えます。にもかかわらず、平均寿命世界一(男性は4位に後退)、乳幼児死亡率世界一低い、WHO発表による健康寿命や健康達成度総合評価はいずれも世界一です。これらの事が成り立って来たのは、世界トップレベルの水準の医療技術を誇りながら、一部の医師を除けば「医者や病院が儲けていない」から成り立って来た、と考えるのはあまりに我田引水なのでしょうか?先日来言っているように、これまで消費社会、自由競争経済と一線を画す形で運営されて来た日本の保健医療が、急に「経済」の側面から変更を余儀なくされているように思うのです。国際的に見れば如何にこれまで「決して高くない医療費でやってきたか」という点などは無視して、「医療費が嵩んで来ているのに経済情勢は不景気なのだから、医療もデフレになるのは当然だ」のような考え方が、政府、与党、担当者会議の中にあるのではないでしょうか?そうやって社会保障問題を資本主義、自由競争消費経済とすりあわせる様な考え方を続けて行って大丈夫なのでしょうか?
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 さて、12月になりました。こちらでは、雪も降りました。山は白くなっているところもありますが、里には積もっていません。今年もあと30日。「師走」というのに(違う師ですが)、緊急手術になる様な大出血やクモ膜下出血が来ません。なので走る必要があまりありません。来ないのはいいことです。あと31日でハンガリーです。ソルノクでの合同演奏、ブタペストでのオペラ、プラハでのコンサート、ウィーン、、、これらを夢に見ながら本年の残りも頑張ろう!

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