地元紙のすすめ
新聞を取らなくなってからしばらくになる。職場で新聞が読める上、ネットで情報はいくらでも入るし、結構テレビのニュースは(緊急手術で遅くでもならない限り)ほぼ毎日観ているので全く困らない。
最近は、全国紙はパラパラっと目を通し、地元紙の朝刊だけでなく夕刊をわりときちんと見ている。全国紙のニュースは、インターネットで十分に取り上げられており重要なものはテレビで必ず報道する。一方、地元のニュースは地元対象のテレビニュースを見逃すとほとんどわからないが、地元紙を読めばおおよそわかる。インターネットがあれば辞書を使わずに言葉を調べる事も出来てしまうし、Googleなんかでは四則演算も「検索語」の枠に放り込むと結果が帰って来るのである。
これだけネット社会が発達すると、田舎に住んでいても情報過多となり、氾濫する情報をどこまで信じていいのか、どのように取捨選択するのか、情報を受け取るそれぞれの情報処理能力が問われる訳で、まるでインターネットから知的能力や判断力を試されているようである。
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昨日の地元紙夕刊に、特別記事としてピアニストの中村紘子さんのことが書かれていた。昨年、デビュー45周年を迎え、ますます活躍されている既に巨匠の域にある人だ。私が高校生か浪人中の頃、『赤頭巾ちゃん気をつけて』の著者庄司薫が中村紘子と結婚したと知って、どちらも好きだった私としてはなぜか凄く失望した覚えがある。余談だが、庄司薫氏は当時としては東大に一番入る高校で超名門の都立日比谷高校出身で、私の母校は「我が校は『東北の日比谷高校』との評判がある」というような文言がある『青葉繁れる』の舞台、その著者の井上ひさし氏と同じ高校である。そういう関係で、作家としてその文体が好きで憧れながら、勝手に「ライバル」として日比谷高校や庄司薫氏を意識していた面もある。
その中村紘子さんの言葉のいくつかが非常にぐさりと来たのでここに勝手に引用させて頂く。曰く
・「コンクールの審査員などしていて感じる事は、世界的に逸材というのはそんなにいないものだ」
・「音楽高校や音楽大学にはいってから鍛えても『優秀な素人』を育てる程度」
・「ショパンコンクールを単なる憧れで受ける人が多い」
・「苦労してピアニストになるより他に楽しい事がたくさんある、、、『先進国症候群』に陥っている」
彼女はピアニストだからピアノの事を中心に話されているのだと思うが、確かに一つ一つ「そうだな〜」と思わされる。『優秀な素人』という言葉は、ズブの素人である私からは「そうだ!」なんて言いにくいけれど、確かに世界中の音楽家の中で何らかの楽器のプロの奏者として活動している人達がたくさんいるけれど、その中の何人にお金を払って時間を使って仕事を早く終わらせてでも生の演奏を聴きに行こう!という気にさせる人がいるだろうか。
プロの奏者は上手い。ひとつフルートの事をとっても、プロの奏者は上手である。まあ、プロなのだからそれが当たり前である。ただ、上手なだけならアマチュアにもたくさんいる。凄く早いパッセージが苦もなく指が回り、スラスラ弾いて(吹いて)しまう素人はたくさんいる。『熊ん蜂の飛行』のフルート編は、素早く吹くと1分以内で吹けるらしい(私には無理である)。それができてしまう「素人」だっている。『優秀な素人』と『本物のプロ』の違いはどこにあるのだろう?
古い時代の人間と言われてしまうのかも知れないが、彼女は、今の時代、いろんな情報に振り回されて「全身全霊を打ち込んで」音楽に、ピアノに向かう人が少ない、と嘆いているのかも知れない。『先進国症候群』の定義はわからないが言わんとする事は理解できる。その反対の状態はおそらく、幼少期から国家的またはある組織のプロジェクトとして英才教育で叩き込まれた上に、ハングリー精神を持って音楽を学び自分の人生や命をかけるくらいのつもりで教師と自分の長期的戦略にもとづいたヴィジョンでコンクールを選んでそこに焦点を絞って挑んで来る、というようなことだろうか?まだ物質的には豊かとは言えない東欧諸国や中国などは、こういった音楽家、狙いを定めたコンクールで優勝したり上位に入って来る音楽家が伸びて来ているであろう。
逆に日本では、ホントにたっくさん音楽学校があり、子供の頃からの「お習い事」の延長で「まあ、音楽学校でも行くか」というようなノリで音楽を勉強して卒業して行く人も少なくないのかもしれない。医師の場合は、医学部を卒業しないと国家試験の受験資格がなく、ブラックジャックでもない限り、国家試験を通らないと「医師」とは認められない。しかし、音楽家は、必ずしも音大や音楽学校を卒業しなくてもいい。チャイコフスキー国際コンクールで初の女性優勝者、初の日本人優勝者に輝いたピアノの上原彩子さんや、今年の神戸国際フルートコンクールで、初の日本人優勝者になった慶応大学理工学部一年生の小山さんのように、日本国内でも音楽学校を出ていなくて名だたるコンクールで一位になる人は出て来ている。逆に「音楽大学は出たけれど、、、」というようなレベルの人は、これだけ学校が増えるとたくさん出て来る訳である。
全ての音楽家が、世界的なコンクールで優勝を狙うような、全身全霊を打ち込んで命をかけて音楽に向かわなくてはならないとは、私は全く思わない。田舎の音楽教室で「3歳児のリトミック」だとか幼稚園でオルガンや電子ピアノが上手な先生として活躍しても何にも問題ないと思う。音楽が好きで、本人がそれで幸せであるのなら、音楽大学を出て『優秀な素人』であってもいいではないか。
中村紘子さんが仰りたいのは、一流のプロの演奏家を目指そうとする「若者」の中に、考えが甘いというか長期的なヴィジョンも何もなく、ただ小さいときからやって来て人より上手だったから、というレベルのプロ音楽家予備軍がいる事を憂いているのではないかと思った。あ〜、私は早くに(中1くらいの段階で)自分の才能を見限って良かった。
地元紙の記者がリサイタルの折かなにかにインタビューしたものであろうが、地元記者だからこそ顔は見えないまでも書く人の責任感が感じられるような書き方だったように感じた。
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本日の地元紙朝刊で目についた、全国紙では取り上げられないであろう記事。
山形はフルーツ王国。中でも「さくらんぼ」はひと頃では全国の90%は山形で産出していたらしい。今は近隣はもちろん全国的に適合する土地で「佐藤錦」などの有名銘柄が栽培されている。その中で、「紅秀峰」という品種に対する農作物品種の権利保護を巡って、無許可でオーストラリアに芽の付いた枝を持ち出して接ぎ木増殖した事に対し、オーストラリア人と日本人を相手取って県が訴訟を起こしたらしい。
長い時間と労力をかけて開発した「農産物の品種」が貴重な「知的財産」であるという点が興味深かった。そうだよな〜、と思う。サクランボの中では伝統的に美味しく有名な「佐藤錦」(東根市の佐藤さんが開発したから、その名がついたらしい、「佐藤」なんて一杯いるのに、、、)は「品種登録」はされていないらしく、どこでも作れるらしい。しかし、キロ当たりの値段では「佐藤錦」をしのぐ高値をつける「紅秀峰」は、 『旧県園芸試験場が十余年を費やして開発したものであり、産地間競争が海外にまで拡大する中、厳密な権利保護の必要性を関係者に再認識させることも狙ったもの』らしい。
確かに、お米にしても有名銘柄の「コシヒカリ」や「ササニシキ」は全国どこでも生産される。その中で、「差」を明確にすべく、「魚沼産コシヒカリ」とか「庄内余目産ササニシキ」とか名前に更に冠をつけているのが現状。知的財産の権利保護は、農産物においても重要だとは思う。
ただ、こういう問題が起きた背景に、「とっても高いサクランボ」という事実がある。我々地元に住むものは、八百屋さんやデパートに並ぶサクランボを「自分の口に運ぶために」買う事などほとんどない。親類、知人への贈り物とすることがほとんどである。食べる機会があるとすれば、たまたま執刀した患者さんがサクランボ農家で、退院後外来に「せんせ〜、これ、おらがつくったさくらんぼだ〜。たべてけろ!」と持って来てくれるか、昔からの友人のサクランボ農家の家に遊びに行って「これ、もってけ!」とただでもらうか、位である(それでも贅沢)。あのバブルの頃、銀座のたっか〜いクラブでは初物の「佐藤錦」が一粒千円で客に出されたらしい。百粒で10万でだ!そんなこともあって、ハウスの早稲栽培をして大儲けを狙う人もいる。1月にサクランボを出荷すると、6、7月の旬に出るものの何倍もの値段がつくらしい。オーストラリアは南半球。だから日本とは季節がほとんど真逆。蕎麦が一年で一番まずいとされる夏場でも、オーストラリアやタスマニア産の蕎麦粉が「新蕎麦!」と言って入って来る。同じように、冬に「南半球育ちの美味しい旬の『紅秀峰』」ということにする予定だったのだろう。知的財産の権利に対する法的手続きを行って対価を払っていれば問題なかったのかも知れない。
地元ならではおもしろいニュースだった。
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もちろん、伝統ある全国紙にも、ネットではなくて紙上でしか読めないものもある。しかし、最近の大手全国紙のスポンサー大企業迎合型、庶民の味方的医師叩き的な「医療問題」の記事を読むのに辟易して来ているのは事実である。前にも書いたが、医療費を下げるには「薬剤」や「検査診断治療機器」の価格を下げれば、それに真面目に大幅に取り組めばかなり下げられるのではないかと思う。しかし、国も政府機関もマスコミも、高額納税者で政財界に発言権を持ち新聞やテレビの番組スポンサー常連である、製薬会社や電気通信機器開発販売会社に「薬を安くします」とか「器械をもっと安くしなさい」という事は言わないらしい。新聞の医療問題の記事の中に、「医療費の2/3は人件費」という言葉は出て来ても「クスリ代が諸外国に比べて大きな比率を占めている」というような文言を見た事がない。しかも日本製薬工業協会(製薬協)のサイトでは、「中医協が言っている日本の薬剤費比率29.5%は間違いである」「海外と比べるときの比率は20.8%である」と書いてある。ところが米国の薬剤費比率は11.3%、低めに計算しても日本のほぼ半分なのだ。米国の医療費は高い。GDP比は15%近く、日本の約倍になる。だから薬剤費比率は米国が日本の半分でも、GDP比にすればほぼ同じである。これはある意味、納得の行く数字である。
日本に製薬会社はたくさんあるが、自社開発自社販売のブランドは非常に少ない。あるにはあるが、病院で使う薬はほとんどがスイス、ドイツ、アメリカなどの製薬会社で開発製造されたものである。だからその値段はおよそ海外での販売価格に大きく影響されるから、だいたい同じ値段になるはずである。GDP比で日本の2倍の医療費を使う米国において、薬剤費比率が日本の約半分なのは「ちょうどあってんじゃ〜ん」と納得する訳である。
たとえば、お薬代が今より5%安くなったと(昨日の厚生労働省試算のように単純に)計算すると、30兆円の20%を占める薬剤費=6兆円、の5%=3000億円、の医療費削減になるのではないでしょうか?厚生労働省の研究班員殿!貴殿達の「禁煙外来効果」の倍以上の削減が可能だと思うのですが、これは誤っていますか?
地元紙の話しから脱線してしまった。つまり、大手全国紙では、記事を書く記者もその内容に責任を持つデスクやトップも、スポンサーの顔色を気にして記事を書かざるを得ないという事は決して否定できないと思う。そんな「眉唾」の記事よりも地元紙のやる気のある記者の書いた文章の方がおもしろい、と私は(勝手に)思う。
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コメント
こちらでは、はじめまして。balaineさんのおっしゃるとおり、お稽古事の延長上で音楽を専攻する人が多いように思いますし、それを一流の方々が嘆く気持ちも分かります(が、それも良いじゃないと私は思います)。
「プロ」と「アマ」の違いの一つには「いつでも同質の音楽を届けることができるか」ということもあるのではないかと思います。私の師匠は、音大を目指す子や音大生には「まずは職人になれ」とおっしゃっいますが、もっともだなあと思う言葉です。
投稿: kimuchimilk | 2005.11.17 21:49
うちの娘は中学、高校と修道院みたいなところに入ってたから、やることがなくてピアノを弾くしかなくて、その後はほかのやることがあって、そして今ごろになってまたピアノを始めてます。いろいろですね~
生活が少しでも楽しくなるのならば、なんでもいいですね。
投稿: @むーむー | 2005.11.17 23:38
kimuchinilkさん、こんにちは。
本来、音楽のような芸術では、素人とプロの明確な線引きは出来ないものだと思います。芸術の域に達する職工という領域がありますから、まずは「職人」という意識、これは大切でしょうね。何がプロかは不明瞭でも「プロ意識」というものはプロを目指す以上大事だと思います。
@むーむーさん、私も本当に音楽がやりたいと思うようになったのは最近のことです。時間があればピアノだって再開して、ショパンのワルツ更にスケルツォなどばんばん弾きたいと思ってはいます。「楽しむ事」これが一番大切ですね。
投稿: balaine | 2005.11.18 14:34