家へお帰り
私と同郷のアーチスト、井上陽水氏の曲に「家(うち)へお帰り」というのがあったはず。
昨日書いたように、日曜の朝から(午後の3時間強を除いて)ず〜〜っと病院にいます。約31時間病院にいます。だから、今日はもう帰ります。
本日の新聞記事で、地方大学の地元優先の教育学部と医学部推薦入学の事が書いてありましたが、明日考えてコメントするつもりです。
でわ!
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私と同郷のアーチスト、井上陽水氏の曲に「家(うち)へお帰り」というのがあったはず。
昨日書いたように、日曜の朝から(午後の3時間強を除いて)ず〜〜っと病院にいます。約31時間病院にいます。だから、今日はもう帰ります。
本日の新聞記事で、地方大学の地元優先の教育学部と医学部推薦入学の事が書いてありましたが、明日考えてコメントするつもりです。
でわ!
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(病院。なんだかマンションみたいな外観です。救命救急センター正面から)
先週は日直。今日は宿直です。つまり夕方の5時過ぎから明日の朝までのいわゆる「泊まり」です。
何度か書いたように、この病院には救命救急センターがあるので、真の宿直医は内科系と外科系で各一名います。更に、私のような「ICU(管理)宿直」を含めて医師3名が泊まっています。救急患者さんというのは、いつどれだけ発生するかわかりません。(まずあり得ない事ですが)一晩に一人も救急患者が来ない事だってあり得ます。そんな時は、3名の医師は宿直室(この病院には医師が泊まれる個室が医局内も含めると10部屋もある)で寝ていれば言い訳です。しかし、現実は夜中の何時だろうと患者さんは来院します。発熱、腹痛、下痢に始まり、頭痛、腰痛、さらに急性腹症、心筋梗塞、脳卒中、交通事故、etc.etc.。「大物」の急患、すなわち本当に緊急性があっていろんな検査や素早い診断、治療が必要であったり、処置や手術が必要そうな患者さんには、医師、看護師、技師などスタッフ総出で対応する事になり、同時に来院していたより軽症の人は待たされる事になります。CTなどの検査も、緊急性の高い人が優先です。そんな時に更に緊急性の高い患者さんが救急搬入されてくると、「てんやわんや」になります。ICU/HCUもバタバタします。相応の専門家の当番医が呼び出され、ICUの部屋が満床にでもなれば、一番軽症の人が夜中でも一般病棟に押し出されます。手術になれば手術室のスタッフが緊急招集されます。内科と外科の二人の宿直医では手が回らずどんどん患者さんが溜まる事も起こりえます。「管理宿直」である私は、そんな時には交通整理(患者を診る順番を決めたりICUの部屋の優先順位をつけたり、さらに軽症の患者を診察したりして宿直医をサポートします。また、脳外科当番医でもあるので、宿直医は脳疾患の疑われる患者が来院した時は、気兼ねなく私に相談できます(同じ当番でも自宅待機の場合は、やはり夜中の2時とかいうと、呼び出しをかけるのは気がひけるわけです)。
今晩、これからどうなるかは全く予想つきません。日中暖かかったかわり、夜になってぐっと冷え込んで来たので、脳卒中も発生しそうです。今日は、朝9時まえから当番医としてICU/HCUと病棟の48名(週末にたくさん退院した)の回診をし、必要な処置と指示を出し、更に脳梗塞の患者を一人緊急入院させ、午後1時半頃一旦第二自宅(病院近くのアパート)に戻りました。近所でラーメンを食べた後、少し家でまったりしてフルートを2時間程練習して17時に病院に出て来た訳です。
そして、ご存知のように、二人の宿直医も私も明日の朝までの役目を終えたら、また朝8時半から通常業務に入る訳です。休みではありません。いつもの勤務です。外来もあれば手術がある時もあります。そうなったら「運が悪い」と諦めるしかないのですが、たとえば夜12時過ぎに宿直室で寝ようとしたら急患で起こされて対応して、2時頃に寝ようとしたら、病棟に呼ばれ、3時頃に寝ようとしたらまた急患が来て、4時過ぎにふとんに入ったら5時にまた急患が来てそのまま起きている、というような事もあります。日曜の朝から、午後の数時間の休みを除いて働いて、夜も宿直して、月曜も夜まで普通に仕事です。明日の夜だって7時頃の帰れるという保証はありません。これが医師の、当直、宿直の姿だで、全国津々浦々の病院でこのように頑張っている医師がたくさんいるから日本の医療は支えられているのです。これが我々の仕事なのですから、別に自慢するつもりもないのですが、「そんなの当たり前だろ!」という態度の患者さんや家族がもしいたら、何か一言いってやりたくなるってもんです。
むむ、急患だとれんらくです。脳出血らしいです。救急部に行ってきます。
ーー
急患は、50代の男性の脳出血。右の被殻出血でした。幸い、意識も良く麻痺はしっかりありますが保存的治療でリハビリに持っていけそうです。さて、さて、夕食をとりましょう(病院の検食だけどね)。
ーー
現在、23時ですが、夕食をとりながら「義経」を見てその後N響アワーものんびり観れました。自宅で「義経」をあまり観た事がなかったので新鮮な感動すら覚えました。あ〜、来週以降、義経主従は「都落ち」。日本海沿岸から庄内地方、最上川をのぼり平泉までのいばらの道。山形県内にも義経主従の足跡にちなんだ場所(温泉など)がたくさんあります。芭蕉は、平泉からその逆のコースに近い経路を辿ったのでした。
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音ブログのサイト「ケロログ」を運営しているVOICE-blogという会社からも、私の音ブログの演奏に関して、著作権侵害のおそれのあるファイル削除の依頼(指導?)が来た。メールの文面からは、JASRACからVOICE-blogにいろいろ指示、指導があったようである。JASRACが一体どれほど公的な団体なのかは知らないが、確かに「知的所有権」や「著作権」というのは大切で守られるべきものである。これは当然の事と認める。
しかし、「権利侵害の恐れ」の名の下に、個人の愉しみとか自由を奪うような高圧的な動きになって来ていないであろうか?少し心配だ。
スクリーンミュージックなどは、やはり著作権の侵害に当たるので、とても素敵な楽曲を結構素敵に演奏できた、と思っていたが、泣く泣くファイルを削除した。一度削除すると、再度アップしても既に楽曲に対する説明文を書いたり、それに対して聴いた(読んだ)方からの感想や励ましなどのコメントのところに戻せない。「新たな」ファイルアップになってしまう。
かなりの数のファイルを削除した。ところが、「ホルスト作曲『惑星』からジュピター」と「Amazing Grace」も「権利の侵害」に当たるので削除しなさい、という通達が来た。腑に落ちないので調べてみた。結果は、JASRAC側の判断の誤りで「権利の侵害」には当たらないということが判明した。こういうことである。
ホルストは今年で没後71年になる作曲家。当然、『惑星』に著作権はない。しかし、それを元に編曲し歌詞をつけた平原綾香嬢の楽曲には著作権が発生しこれはJASRAC管理下にある。私は、クラシックの、本来管弦楽曲としての『惑星』の中のジュピターをピアノ伴奏で演奏したのだが、その演奏に対する自己評価として「平原譲のような歌い回しになってしまった」という反省を込めた文章をつけた。JASRACはそれを読んで、「平原嬢の歌う『Jupiter』を私が演奏した」と誤ったというのである。本文をちゃんと読んでもらえば、演奏をちゃんと聴いてもらえば、彼女が謡う歌とは調性も音の高さもフレーズさえも違う(彼女のは演歌みたいにコブシが回ってる)ことはわかるはずである。
「Amazing Grace」は、18世紀にジョン・ニュートンという人が作詞したとされている。旋律は、新しくても19世紀に出来た、賛美歌、霊歌の類いである。それを今世紀、いろいろな歌手が自分の楽曲として歌い、また編曲されてレコードやCDになっているのである。JASRACのサイトを見てみると、Amazing Graceの権利者は、NEWTON JOHN、HAWKINS TRAMAINE、PAICH MARTIN L MARTY LOUISという3名の名前が書かれている。John Newton氏は300年近く前の人ですでに権利はない。JASRACは原曲を元にした特定の編曲・訳詞についての管理をしている、ということらしい。わたしがブログに「白い巨塔」の事をコメントしていたので特定の音源の演奏と判断した、ということらしい。これも本文をちゃんと読んでもらえばわかるし演奏を聴いてもらえばわかるはず。よって、JASRACが誤りを認め、この2曲(3演奏)の演奏は自由である、との回答が来た。
ーー
私としては「当然でしょう!」と声を荒げたいところであるが、まあ「よかった、よかった」という事にしておく。
それにしても、上記事例から考えさせられることがある。私が、JS BachやBeethovenの曲を元に何か編曲した場合、それの著作権を申請して認められれば「私の曲、私の編曲、私の権利」になるということである。確かに、編曲というのも知的作業である、知的所有権を主張してしかるべきかもしれない。しかし、あきらかに原曲があって、それが著作権を失っていて、それを勝手に(というのはおかしいが著作権がないから断る必要がないという意味で)使って何か曲を書いたらその人の権利で、それでお金を儲ける事もできる、という事になってしまう。もう少しこの辺りの勉強が必要であるが、何かおかしいんじゃない?と思ったことであった。
オシマイ
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千葉ロッテマリーンズが、前身のロッテオリオンズから考えて31年ぶりの日本シリーズ優勝を果たした。最近、プロ野球にも燃えるものを感じていなかったが、最近のロッテは良かった。
31年前、金田監督の下、ロッテが優勝したとき、私は仙台の高校生であった。今は「楽天」の本拠地となったフルキャストスタジアムが県営宮城球場と呼ばれていた時であり、県下一二の進学校であった我が母校の仙台一高と二高の定期戦はその宮城球場で行われていた。金田監督の言動が耳目を集めファンを楽しませている事は知っていたが、当時の私はテニス一辺倒であったので、ロッテの応援をしに球場まで行った記憶はない。
しかし、ロッテには、パリーグらしいいぶし銀の選手が多かった。後に監督になった有藤や、3000本安打の張本、「まさかり投法」の村田兆治、三冠王を3回とった落合。その他にも、現横浜監督の牛島(これは落合とのトレードで中日からロッテに)や甲子園を沸かせた横浜高校出身の愛甲などもいた。
私が、一番ロッテの勝ち負けが気になっていたのは、「サイちゃん」こと稲尾和久が監督をやっていた川崎時代である。稲尾は、その昔、「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた西鉄ライオンズの鉄腕投手であった。歴代一位のシーズン42勝を始め、昭和33年には巨人との日本シリーズで3連敗の後、全試合投げて4連勝。さよならホームランまで打った。私は、当時の福岡平和台球場で現役の稲尾の投げる姿を見た記憶がある。「西鉄」という名前がプロ野球から消えて、強く応援する気になる球団がなくなった。西武ライオンズは、西鉄縁の選手を抱えてはいたがあくまで「所沢」の球団であった。福岡ダイエー、そして現ソフトバンクホークスは、地元福岡に密着した球団ではあるが、私は南海ホークスのイメージが残る。
ロッテだって、今や「千葉」を冠し、オリオンズではなくマリーンズである。応援する気になる要素は、肩を壊して戦線離脱気味(今年は3試合に投げただけ?かな)のジョ○ーがいること。彼は父親の出身地と同郷で名前が同じなのである(おお〜、ネタバレ気味、、、)。彼の存在が、ここ数年私にとって、ロッテがいつも少し気になる球団で有り続けている理由である。
「引退しないで、カムバックして、もう少し頑張ってくれ!」
と思い続けている。今年は、確か2勝したはず。来年、投げててくれればいいのだが。
ーー
というわけで、私は比較的冷静にロッテの優勝を受け止めて喜んでいる。
阪神タイガースは気の毒だった。制度の違いで、セリーグ優勝を決めてから日本シリーズまで2週間以上、待たされすぎた。「ロッテの勢いに負けた」と評する人もいるが、ロッテは勢いで勝ったのではない。試合を見ていてわかるが、制球力抜群の投手陣、固い守りの内外野、緻密なデータ解析、そして打線の勢い(これは勢いでしょう、やっぱり)。実力の差が歴然としていた。同じ土俵で闘えなかった感じである。
とにかく、ロッテ、31年ぶりの優勝、おめでとう!!!
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都内に住む妹からメールが来た(勝手にネタの材料にするな!と後から怒られそうだが、、、)。
そのメールに「病院名からすると、そう大きな病院じゃなさそうだけど、、、」と書いてあった。
名前から、前任地よりも少し規模の小さな病院という印象を受けたらしい。
しかし、事実はベッド数は全く同じで、県内に2つ、全国に170弱しかない「救命救急センター」を併設する外観は立派な病院なのである。建物の高さで大きさが決まる訳ではないが、前任地は7階建て、新任地は8階建て。
中身はどうか。それは患者さんが判断する事であろうが、電子カルテの画面に「空床警報」(空襲警報みたいで変な感じ)が時々出る程、繁盛している。病院全体520床で、空きベッドが10床を下回ると出るものらしい。
ーー
昼食をとる休憩室のようなところに、都内のさる有名な大病院(S病院とする)の立派な診療案内がおかれてあった。ここの副院長先生は脳外科医で、数年前に米国の学会で私がある手術法を教えるコースの講師の一人を務めたときに初めて言葉を交わす機会があったのでその冊子に興味を持った。
S病院は、都内はもとより、関東近縁で非常に高い評価を受けていて、全国的にも名前が通っている。前任地で、その方が埼玉に住んでいた当時に未破裂脳動脈瘤が見つかったため高名を頼ってS病院で手術を受けた患者さんに会った事がある。上記の先生は当時脳外科部長であったはず。
東京近郊には名の通った病院はたくさんあるし、「あそこの脳外科なら」などと高い評価を受けている施設も一杯ある。その中から、そのS病院を選択したにはその患者さんなりの理由があると思う。そして結果的にそれは正解であった訳である。
ところがその「診療案内」を見てみると、脳外科医の数は私の勤務する病院の3名に比し5名と多い。しかし、外来患者数も、入院患者数も、年間手術件数も、私の病院の脳外科より少ないのである。単純に人数当たりで考えると、当然1.7倍の患者数と手術数があっていいことになる。もちろん、立地によって患者の数だけではなく質が違う事は考えられる。たとえば、我が方には脳卒中が多いがS病院は外傷が多いとか、脳腫瘍が中心であるとかといった、「質の違い」があるかもしれない。しかし、私が単純に感じた事は
「東京やその近郊の大病院の脳外科は、マンパワーがあるんだな〜」
ということである。翻って、我々と同様の地方の、あえて言うなら「田舎」の脳外科はギリギリのマンパワーで頑張っていると言えるのではないだろうか。
ーー
日本医師会の会報の中かどこかに、どこぞの議員様が「医療費の高騰の一因は、医師の過剰にあるのでは?」と宣ったということが取り上げられ、「こういった誤った認識を改める必要がある」というような事が書かれていた。
もしかすると、都会の一部の病院の一部の診療科には医師が過剰であるかも知れない。しかし、都会、地方に限らず小児科医や産科医の減少が危惧されているし、我々日本の脳外科医は、世界的に見て人口比で言うと世界一多いのであるが、その仕事の内容からして(海外では内科医が診ている脳卒中や家庭医が見ている頭痛患者や救急医が診ている外傷を全て診ていること)決して過剰どころか充足すらしていない、というのが現場の事実なのである。更に、都会と田舎を比べると、上記の事例のように田舎の脳外科医の数は不足の傾向にあると言わざるを得ない。
しかし、人は名前の印象で判断する事が少なくない。多分、東京の有名なS病院の脳外科の診療技術や内容は、私の勤務する田舎の、「妹がそれ程大きくないと思った」病院より格段に高く優れている、という風に一般の人は判断されるであろう。別に優劣を競うつもりはない。数の大小だけでも比較が難しい事は、前記の通りである。しかし、あえて書くけれど、我々の診療技術や内容が決して劣っているとか遅れているとは全く思わない。物によっては、日本国内の平均水準よりずっと高い診療技術を提供できると自負している(第三者の評価ではないので、勝手にほざいているだけと思われても仕方ないが)。
うちの教授がかねてから言っているように、「病気にニューヨークの病気も東京の病気もない。患者にボストンの
患者も、千葉の患者も山形の患者もない。」のである。病気や患者は、社会的な環境や家庭的な環境などの差異は多々あれど、違いはないのである。だから、東京の病院であろうが、我々のような田舎の病院であろうが、同じ程度の医療サービスを提供する義務が我々にはあり、それを目指して日々努力しているつもりである。
診療報酬に、地域差を考慮に入れて格差をつけるという動きもあるやに聞いているが、全くナンセンスだと思う。だけど、人は「名」に惑わされる。
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皆さんも、脳卒中にお気をつけ下さい!って何を気をつけるんだ?!
ーー
血圧の管理を始めとする「生活習慣病」の予防、治療、管理。幅広い意味での生活管理。睡眠とか規則正しい食事とか。
動脈硬化やそれが引き金になる脳卒中の危険因子の中で、しかし、最もオッズが高いのは何かと言うと
『加齢』
そう、年を取る事なんですね。高血圧がなくても糖尿病がなくても規則正しい生活をしていても、80才とか90才とかになれば血管は脆くなって来ています。広義の長寿薬でも開発されない限り、生物学的血管年齢はいかんともしがたいことであります。じゃあ、気をつけてもしょうがないじゃんか、って?
いえいえ、やはり脳卒中は「ある程度」は予防できるものです。更に、普段から生活習慣病に気をつけていれば、万一脳卒中に罹患したとしても、そうでない人に比べて軽くすむ(つまり後遺症も少なくすむ)可能性が高い、と思っています。データとしてこういうevidenceがあるかどうかは調べていないのですが、現場の人間としては、気をつけている人は軽くすむ傾向にあると思っています。
昨日は日中は2名だったのですが、帰宅直後に脳梗塞が一人。そして今朝からも既に3名の脳梗塞を入院させています。2日で6名の入院で、毎日2名ずつくらい退院させているにもかかわらず現在57名の患者さん。病床稼働率は単純計算で114%で、私がこの病院に来てから100%を切った事がありません。
気候の上からはますます患者さんが発生しそうです。皆さん、血圧に注意して暖かくして無理をしないように。
ーー
話題がガラッと変わりますが、先日話題にした映画「スウィングガールズ」、来週の土曜日11/5に全国ネットでTV初放送されるそうです。タイムリーでしたね。
興味のある方は、どうぞ私の病院が建つ辺りの「田舎」な「田園風景」をお楽しみに。病院の建物は決して映りませんけど。
更に、昨日のTVで「なまらガールズ」という、東京の女子高生に流行っている「方言」の話題が出ていましたが、僕は映画「スウィングガールズ」も多大な影響を与えたんじゃないか、と思っています。フジTVではない他局だったので、「スウィングガールズ」の事は「ス」の字も出てきませんでしたけどね。(^^
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今日は、この病院に勤めて初めての日直。
といっても、年齢的に優遇(?)されているのか救急部(ここは救命救急センターなので、『時間外外来』ではなく本当の『救急部』)の日直ではなく、「管理日直」といって「院長代理」のような立場。でも、決してふんぞり返っている訳ではなく、急患が立て込めば救急部に行くし、何かあればすぐ助けに行く「補佐」のようなもの。ICUが込んだりした時のベッドコントロールなどの役目も任される。
夜半より天気が悪く、朝方早々から病院の近くで車3台が絡む交通事故があり、脳外科でも一人入院させた。額に21針縫う傷を負ったが幸い頭蓋内には明らかな損傷はない。
脳外科の入院患者は現在55名。稼働率110%。商売繁盛(?)である。
ーー
昨日は土曜日なので、往復4時間ちょっとかけてアマオケの練習に行った。地元のブランド豚を使ったトンカツが食べたくなって、少し早めに行って、腹一杯ご飯を食べて練習に行ったのがまずかった。練習開始時間を2分程遅れて練習会場に着いたため音出し練習もできず、すぐにアランフェス協奏曲の練習に入った。
ピッコロは、フルートとはやはり違うので、ある程度音出しをして口や身体を慣らしておかないといけない。いきなりはダメだった。唇がこわばり、楽団指揮者の指導で「怪しい」部分の音を伸ばす時には、唇が「ブ、ブー」となってしまうような失態。思うような音が出せずに終わってしまった。ブラームスの4番も私は2nd Fl & Piccなのだが、よりによって第3楽章から。つまりピッコロである。しかも昨日の練習は、後半に11/3の「市民音楽祭」(私は出演しない)の練習をする事になっていたので、私のピッコロは不完全燃焼でモヤモヤした気持ちのまま終わってしまった。4時間かけて行って、練習は実質1時間半なく、しかも不満ばかりのこった。本番まであと4週。大丈夫だろうか。。。
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「ジャズ♪やるべ!」
で有名になったあの映画です。公式サイトは既に更新終了しています。
http://www.swinggirls.jp/index.html
今も更新されているのは、ロケ地になった山形のサイトです。
http://swinggirls.jan.jp/index.html
ロケ地マップなど写真入りでとても面白い(映画に興味ある人には、ね)。
どうぞ、お楽しみください。
なんで、Swing Girlsの話題なのかと言うと、私の新任地がロケ地近郊なのです。
「山河高校」の舞台になった、高畠高校の旧校舎は取り壊しが始まるらしく、明日10/22にはグランドで山形名物「芋煮大会」でお別れ会をするようです。
映画の中で、野球の応援に向かったブラスバンド部のお弁当を届けようとした彼女達が、間違って乗り過ごし次の電車が一時間後ということで駅から線路をとぼとぼ歩いてくるシーンがあります。あの小さな駅が「梨郷(りんごう)駅」というのですが、私の勤務する病院からすぐそこ、3kmくらいのところにあります。
つまり、私の勤務する病院は、映画で絵にしたくらい「絵に描いたような田舎」にあるのです。
前の病院は同じ敷地内とも言える隣に官舎があったので当然徒歩通勤でしたが、今回は車で5分はかかるところにある民営アパートを仮の住まいとしています。このアパートの窓から、フラワー長井線と米坂線の駅である今泉駅が見えます。よって、映画に使われたあのフラワー長井線の、単線で一両編成の電車が走っているのがよく見えます。
私はまだ乗った事がないのですが、Swing Girls and a boyの絵が描かれた車両があるらしく、一両だけ出演者の彼女達のサインが社内に書かれ、映画中出てくる猪の剥製がデーンとおかれた車両もあるらしいです。
今度、探してみようかな?
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デパートや駅などにある、あれ、である。
新任地の病院は来月で開院5年目を迎える比較的新しい病院である。外来棟は明るく広々としていて受付デスクなどもまだ新しく綺麗である。2階にも外来があるためか、外来のメインロビーにだけエスカレーターがある。脳外科の外来は1階なので、2階の医局からは階段を下りればすむし、8階の病棟からはエレベーターを使う事になる。ということで、エスカレーターに乗る必要性がなかった。
今日、外来が早めに終わったので病院見学という感じで、外来受付の方を少し回ってみて、「初めて」エスカレーターに乗ってみた。ちょっと恥ずかしかった。
人間というのはおかしなもので、新しく綺麗で外来棟にエスカレーターがあるような大きな病院は、進んだ医療をやってくれるような気がするものである。私が患者さんだったらそんな印象を受けてしまう。しかし、2市2町の公立病院を統廃合して、そこの職員を分散させ大学から新たに医師を派遣したもので、患者さん自体は元々の地元の人であるし中身は大して変わっていないのだ。そんなことをエスカレーターに乗っている短い時間の間に感じた。
わずか2週間の感想であるが、同じ田舎でも前任地に比べて当地では患者さんが医師を敬う気持ちというか、頼りにしてくれる態度により好感が持てる。医師側の勝手で傲慢な物言いかも知れないが、19日間の間に「このやろ!ムカッ!」と思うような患者さんに遭遇していない。地域の特性なのか、たまたまなのか、私が変わったのか、まだわからない。確かに同じ田舎でも「ひと」が違う感じは強くうける。言葉も全く違うのである。これはエスカレーターがあってもなくても関係ないだろう。「ひと」と「ひと」との関係なのだから、建物や内装に影響は多少受けても根本的なところは変わらないはずである。エスカレーターに初めて乗って、そんな事を考えた。
ーー
エスカレーターから待ち合いを見下ろした感じは、天井も高く、ここでフルートの院内コンサートでもやってみたいな、とまたそんな暢気な事を考えていた。(^^
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全く医学ネタでも音楽ネタでもありません。
他人様のサイトを紹介するのは、それが非営利の物であったり、公序良俗に反しない限り自分の趣味にかなう物であれば、自分のブログでやっても差し支えないと思って今までもいくつか紹介して来た。
小西真奈美さんという美しい女優さん(を素材にした?)の面白いサイトを見つけた。
結果的には営利目的のサイトではあると思うが、ユニークなコンテンツなので興味のある方はご覧ください。
10/1から始まったばかりですが、BBでないと映像を見るのは辛いかも。
http://www.himekuri.dti.ne.jp/index_f.html
ちょっと「クサイ」というか「演技」「演出」がハナにつく感もあるが。。。可愛いから許す(決して私のベストな好みのタイプではないが、こういう女医さんが同僚にいたら少しときめく、か・も?)
個人的には、10/9と10/11が好きかな。10/11は、他の日と違って鼻歌で始まってるし。
つい、デスクトップ・ウォッチもDLしてしまった。。。(^^;;;
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転居したアパートはまだ空けていない段ボールだらけで、段ボールの間を通り抜け段ボールに囲まれ生活しているような感じである。テレビとHDD/DVDだけはセットした。まだ一度も調理はしていない(電子レンジでチンはしたけど)。
病院の方も各部門の場所はようやく把握した(つもり)。電子カルテの使い方もかなり覚えた。少し「落ち着き」を取り戻した感じ。そこで「音ブログ」を再開してみた。
ーー
昨日は、うちの大学の医学部が「21世紀COEプログラム」に選ばれていて(2年前から)そのシンポジウムが開催された。COE=Center of Excellenceとは、教育や研究においてユニークで優れた施設を世界的に通用するセンター(拠点)として支援するための国家的プロジェクトである。早い話しがお金、何億という助成金がもらえる。しかし、国民の血税を使って研究を進める以上、それを世間に公表し世の中に還元する義務がある。
昨日のシンポジウムはその一環であった。医学部長から頼まれて、私は一人で同時通訳を行った。
医学部長と来賓の著明な医学博士、そして海外からの招待演者2名が英語で喋るので、それを参会者に英→日同時通訳をするよう命令された。医師はたいてい英語のhearingくらいはできる。自分の専門分野ならスライド見ながら英語を聞けばほとんど理解できる。昨日のシンポジウムは医学部を挙げて行ったため、検査技師、看護師などのパラメディカルも多く、医学部学生も参加した。彼らのために英→日の通訳を行ったのだ。
脳神経外科学会の同時通訳団としては、通常、日→英の通訳がほとんどである。学会に参加している海外からの脳外科医に、日本人の日本語による発表を通訳してdiscussionを援助する訳である。しかし、英→日同時通訳はほとんど行わない。私は日本人だから、生まれてこのかた日本語の中で生活して来た。するとretentionと言って、発表者が喋っている言葉を短時間の間、脳の中に保持しておく事が日本語の場合は簡単である。通訳というのは、特に日本語の場合、肯定文なのか否定文なのか、最後まで聞かないとわからない事が多い。発表者は通訳を待って喋ってくれないのでどんどん先に進んでしまう。一つの文を聞き終わってから通訳し始めると、その時には次の話しをしている。だけど、単語をいちいち置き換えるだけでは通訳(translateではなくinterpretという)にはならない。だからある程度の言葉の塊を頭の中に保持しながら、どう通訳して行くかを考えて言葉を発しないといけない。最後の最後になって、否定文である事がわかった場合、既に通訳を始めていると、英語の場合は文の最初の方に、動詞やbe動詞が出てくるので、既に肯定文で話し始めている場合、そのことを全否定しなければならない。いずれにしろ、ある程度の話しを脳の中に溜めておきながら(retention)通訳をして行く訳である。
これが英→日では難しいのだ。英語は母国語でないから、ある程度の塊をretentionすることが大変になる。今、発表者が口から出したばかりの言葉について行くのが精一杯になるのだ。複雑な数字や、聞き慣れない専門用語が出て来たらもうアウト!たとえば、two hundred & fifty milion peopleという言葉を聞き取って、その人数がどうした、ということを予測しながら聞いて、「毎年世界中で発症している」などという文になった時に、すぐに「2億5千万人の人が」というのが難しかったりするのである。日本人だから数の表現法が違う。「two hundred & fifty」と聞くと、その瞬間には「250」と頭の中で翻訳してしまう。次に喋っている事を聞きながら通訳を始めると、うっかり「250人が、、、」と言い始めて、(あ、違う違う!milionだった!)と思い、「250万人が」という風に間違ってしまう。そして一つの文を通訳した後に、(あ、milionは百万だ!)と気づき、「2億5千万人の患者が」とようやく言い直す。しかし、その時には次の事を喋っているから、そんなアタフタしながらも次に喋っている言葉をちゃんと聞いておいて、また脳の中にretentionしておかなければならない。アタフタが2個程続くと、2つの文章ぐらいはもう付いて行けなくなって、通訳はできなくなる。その時は、知らん顔してすっ飛ばすか、スライド見ながら(さっき、ここをポインターで指してたな)と考えてそこの事を簡潔に説明して、「今」発表者が喋っている事に必死で追いつく努力をする訳である。
そんな訳で、英→日の方が難しいのである。しかも、昨日の21世紀COEシンポジウムでは、挨拶のお二方のは問題なかったが、海外招待者が、一人は内科医で講演の内容は「C型肝炎ウィルスの分子生物学」というようなお話し、もう一人は病理学者で「パーキンソン病とレヴィ小体病の分子生物学」というようなお話し。
簡単にいえば、遺伝子とかレセプターとか免疫とかそういうお話しであった。脳外科の事ならまだ何とかなるとは思うが、全くの専門外(パーキンソン病は過去のsubspecialtyではあるが)のしかも英→日通訳。出来はどうだったんだろう。やっている本人は必死だし、助けがなく全く一人で通訳ブースに4時間入ってクタクタであった。疲れて誰とも口をききたくない心境だったので懇親会パーティにも参加せず、お気に入りの蕎麦屋で板蕎麦を手繰って早々に家(マンションの方)に帰り、のんびりした。
こんな時にもフルートを吹くと、精神の疲れ(脳が燃え尽きて真っ白になってしまったような感触)が癒される。音楽をやっていて本当に良かったと思う瞬間である。
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新任地に来て明日で2週間になる。
その間、世の中は3連休があったり、脳外科界では総会があったりであった。
患者さんはそういう事には関係なく発生してしまう。
満床で50ベッドの脳外科であるが、今現在58名入院中。その内9名は、ICU3名、HCU6名。単純計算で単科としての稼働率116%である。
この2週間で手術4件と普通のペースではある。
昨日は破裂内頚動脈瘤によるくも膜下出血のオペだった。朝7時に発症してすぐに救急搬入され8時半には入院したのだが、予定手術が立て込んでいて麻酔科医が都合付かず(前任地より麻酔科医が一人少ない)、手術は結局夜の8時過ぎになって始まった。お陰で帰宅したのは夜中の2時である。
麻酔科医がもう一人いて、手術場の都合さえ付けば午後に手術して夜7時には帰宅できたはずである。
緊急手術の時間は、患者さんの状態が最も優先されるが、余裕があるならばこういった理由で待たされる(くも膜下出血よりも緊急性の高い手術があるのである。たとえば急性汎腹膜炎など)。
この2週間に緊急入院した脳外科の患者さんは、21名である。一日平均1.5人入院している事になる。そのほとんどが脳卒中、しかも70才、80才という高齢者の脳梗塞が中心である。次いで多いのは60〜80才の脳出血、そして外傷である。くも膜下出血は2週間で3名、うち2名は手術をし、1名は脳底動脈先端部破裂脳動脈瘤であったため、来週手術予定で待機している。
脳外科医3名でてんてこ舞いしているが、転任したばかりの私に取っては、システムに慣れていない、人がわからない、場所がわからない、そして一番困るのが電子カルテがわからない。
患者さんでもカルテ(紙の)でもMRIなどのフィルムでも看護師さんでもなく、パソコンとにらめっこしている時間が一番多いような気がする。
はっきり言って「うんざり」する。嫌になる。
たとえばある患者さんに降圧剤を追加しようかと考えた場合、紙のカルテを見ても現在内服している薬や最近の血圧がわからない。担当の看護師さんを捜そうとしても病棟のどこにいるか、いないのかわからない(リハビリや検査に患者さんを連れて行っていたり不在の事も多い)。そこで電子カルテを見る。経過表を開く。血圧を確認する。これまでのオーダーをみる。内服中の薬を確認する。
組み合わせの良さそうな降圧剤を考える。処方画面を開く。薬の名前を打ち込む。容量を打ち込む。用法を打ち込む。日数を打ち込む。あっと、オーダー日は「今日」だが、処方日は「明日」だ。カレンダーで日にちを指定する。オーダーをチェックする。患者画面を終了して「カルテ保存」をする。
おや?アラームが出た。なになに、同日に同じ処方があります?
もう一度オーダーを確認する。先ほど見たのは、入院から今日までのオーダーだった。明日以降(未来)のオーダーは確認していなかった。あ!別の医師が既に降圧剤の追加をしている。なんだ、同じ事考えていたのか。コミュニケーションが悪い?だって別の医師は外来中だし。。。
結局、先ほど入力したオーダーを削除して終了する。
たった一個の薬を処方するにもこれである。
確かに間違いは減るかも知れない。手書きよりも正確であろう。請求漏れもなくなる。しかし、何か忘れていないか?医療は、医者などの医療職が患者さんに行う、人間と人間の間の行為なんだけど。そこには全く人間味が感じられない。
そうやって50名以上の患者のデータをチェックしたり画面で画像を確認したり、薬を出したり、点滴を出したり、「事後入力」(予測指示に従って発熱時に使った解熱の座薬などを看護師の報告に従い後から使った分だけ入力するような事)をしたり、処方などのオーダーの間違いを訂正したり、入院計画書を画面で書いたり退院証明書を画面で書いたり、他科への紹介状を画面で書いたりしていると、「俺は一日中コンピュータに向かって何をしてるんだろう?」という気になってくる。
ーー
まあ、電子カルテ、コンピュータの扱いに慣れればそういうネガティブな気分も少しは改善するかもね。いけない、いけない、文句は言わず「見ざる、聞かざる、言わざる」で行くんだった。
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前任地でアマオケに入れてもらって、フルートへの情熱が再燃しました。フルートを始めたのは10才でしたが、ほぼ独学で独善的に吹いていました。医学部に入ってから、医者になってから、フルートやクラシック音楽に対する情熱が少し冷めていた事もあり(その頃はジャズやポップスに心を奪われていました)、しばらく笛には触りもせずに放ったらかし。今のように、一日でも吹けない日があると何か大事な事を忘れているような気分になるとは、その頃の私には想像すら出来ませんでした。
オケやアンサンブルでは、なぜか管弦楽といっても管楽器、特に木管楽器の人と親しくなるようで(座っている位置が近いからか、同じような旋律を一緒に奏でたりするからなのか)、いろいろな演奏会にも誘ってもらったり、特権的に演奏者との打ち上げに参加させもらったりという「役得」を享受しました。
特に、私の本家サイトで写真を出しているように、チェコフィルの木管メンバー(ベルフィルのバボちゃんを含みますが)やピアノの上原彩子さんやフルートのミッシェル・デボストには、私の車に乗ってもらい空港やホテルに送り迎えをしたりもしました。
チェコフィルの若きフルート奏者、ロマン・ノボトニー氏とは特に親しくしてもらう事が出来、今や「メル友」のようにすらなっています。彼は才能あふれる「イケメン」フルーティストで、日本での公演の際には楽屋口で待ち伏せをする女性もいらっしゃると聞き及びます(イケメンという点では、ベルフィルのパユ「様」よりいい男かも知れません)。先月、初めて赤ちゃん(女の子)が生まれて大喜びしています。
そんな縁で、我々アマオケの有志が来年の一月にハンガリーのソルノクという都市へ演奏旅行に行くのを良い機会に、プラハに彼ら(アフラートゥス木管五重奏)に会いに行きます。ロマンが、「プラハに来るならSuk Hallでのコンサートに招待する」とメールをくれたので、1/2に成田を発って1/9に帰国する予定を変更しました。1/7まで楽団員と一緒に行動し、その後はフルートパートの仲間と二人でプラハに3泊、更にウィーンに1泊して1/13に帰国する予定です。
お正月とはいえ、13日間も(成田には前日入らないといけない)休みはなかなかとれません。最初の予定の9日間ですら厳しいです。普通の会社勤めの方でもとても困難を伴うと思いますが、医者が、まして病院の勤務医が、更に脳卒中シーズンまっただ中に脳外科医が13日も病院を空ける、というのは言語道断であります。当初は「行きた〜〜〜い!」という希望だけで「何とかなるかな?だめかな?」と考えていましたが、転勤に伴いかえってこれが可能になりそうで嬉しい限りです。
新任地の科長が理解のある人なので13日間という破格の休暇をもらえる事になっています。前任地では私が科長なので、若い先生一人を残して長期の休暇は取れません。おそらく大学に応援をあおぐ事になったでしょうが、それにしたって10日以上も手伝いが来てくれる訳には行きません(大学だって忙しいですから)。新任地は脳外科医3名体制で私がトップでない上、今いる3名は全て「脳外科専門医」「脳卒中専門医」でベテランなんです(ほんと、医局人事ではたまたまのことですが)。私は「クリスマスも年末も全て働きますからお正月から13日間お休みをください」と言っております。こんなチャンスは一生で何回あるか、です。ソルノク、ブタペスト、プラハ、ウィーンに行って、しかも知り合いがいるのでホームステイもし、上記チェコフィルの友人や米国留学中に友達になったチェコ人の神経内科医にも会う予定(12年ぶり)です。しかもSuk Hallでのコンサートへ招待付きです!!!
転勤のきっかけがきっかけだったし、11月の定期演奏会の事などを考えて少し落ち込みもしましたが、もしかしてこれは「音楽の神様」の仕業なのだろうか?と自分に都合良く解釈する現金な自分がいます。やはり常に
『Tomorrow is another day !』
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転勤しました。で、転居しました。
なので、ネット環境も変わりました。何となく繋がっていたのですが、本日まともに職場でのIP addressをもらい、正式に繋がりました(それまでは自動で何となく勝手に繋がったり繋がらなかったりしてたらしい、、、)。
ーー
10/1に引っ越しして10/2初めて回診をし、10/3から正規に働き始めたばかりです。
右と左くらいはわかるようになったかも。しかし、10/5〜7が横浜で「社団法人日本脳神経外科学会総会」が開催されたため、10/4から病院を不在にしました。さすがに転勤したばかりでこれは気が引けるため、フルには参加せず昨日10/6の午後で学会場を後にして夜帰ってきました。
学会は、目新しい事はほとんどないのですがそれなりに勉強になり刺激にもなります。一番面白かったのは、初日の夜にあった、Big Debateセッションの一つ「外科医の『技術料』はどうあるべきか」でした。
中医協がどのように手術料の点数を作っているのか正確には不明ですが、外科系学会側で作っている基準のようなものがどこかで参考にされているらしいこと、しかし間接的費用である「手術顕微鏡の値段」、「手術中に神経機能をモニタリングするための器械」、「手術をより安全で正確性を増すために使用しているナビゲーション」などといった、数百万から数千万円する医療機器の値段などはまったく算出に引用されていない事もわかりました。
米国の事例の説明もありました。米国に倣うことの危険性や問題点を指摘する声も上がっていました。
最も面白かったのは、出席者(その会場には200名弱だったでしょうか?)全員に端末が手渡されていて、座長の質問に答え即座にアンケート結果が写し出される手法をとったことです。
「日本の脳神経外科の手術料についてどう思いますか?」
1)安い、2)高い、3)まあまあ、4)どちらとも言えない。
予測通り8割以上の人が「安い」という答えでした。「高い」と答えた人が数%とはいえどいたのには逆に驚きましたけれど。
一つの手術に関わる人数(執刀医、助手、第2助手、モニタリングの助手、麻酔医、交代の麻酔医、器械出しのナース、外回りのナース、その交代要員)、種々の器械(手術器械はもちろん顕微鏡、そのモニターやビデオ装置など)、薬品類、そしてそれに関わるスタッフのストレス、特に術者のストレス、その手術が出来るようになるまでの訓練期間や努力、手術時間、そういったものを考えて行くと、現行の保険制度の中でも脳神経外科の手術料が高い方であるのは支払い側である患者さんや保険機構にも納得して頂けると思います。
しかし、それでも日本の脳外科医の多くは「まだ足らないよ。自分たちの苦労や努力や自己犠牲に見合っていない値段で安すぎる!」と感じているという事になります。
ーー
前にも書きましたが、医療において「理想的」には、
『高度先進の超一流の治療法を誰もが公平にしかも無料で受けられる事』
だと思います。もちろん、そこには心の通った、当たり前に暖かい、普通の優しさの(異様に患者におもねったりへりくだったりする事なく、しかし真に思いやりを持った)接遇や清潔で快適な設備というものがあって、更に一般的に普通な正常の診断治療などの医療行為が遂行されていて、さらにその上に、という事であります。それがすべて「タダ」であること、これが理想的です。
進んだ技術には、それを開発したり実現するための「人」の努力や献身というものが必要です。それをしかし「タダ」で享受するのを当たり前とするのは調子が良すぎる気がします。やはりそれに見合った対価が必要でしょう。
最新型のMRIで診断して、最新式のナビゲーション付き手術顕微鏡を使って術中MRIなども用いながら高度な術中電気生理学的検査を行いながら多人数で手術を行えば、一つの難しい脳腫瘍の手術摘出に1000万円かかっても不思議ではありません(MRIなどが6〜8年で減価償却される値段も入れなければならない)。しかし、現実は、脳表に近い優しいところの小さな脳腫瘍で2時間ぐらいで終わるようなものでも、脳深部で境界も不明瞭で種々の先進機器を併用しても困難な10時間以上かかる大手術でも、「頭蓋内腫瘍摘出術」の名の下に「同じ料金」というのはやはりおかしいと思います。
ーー
「何から書き出そうか、、、」
と考えていたのに、すぐに医療ネタ、脳外ネタになってしまうところは全く変わっていません。(^^;;;
ペースは落ちると思いますが(なんせまだ新しい病院に全く慣れていません)、少しずつ書いて参ります。
前の病院と大きく違うのは、ここには「救命救急センター」があります。救急患者はずっと多いです。しかし、「小物」(たとえばちょっと転んで頭を切った)で脳外科医が呼ばれる事はありません。救命救急外来で「救急医」または「救急当直医」が、診察し処置をし場合によっては傷の処置から抜糸までしますので、ちょっと切っただけで脳外科医が呼ばれ外来でフォローアップする必要があった前の病院とは大きな違いです。私のストレスはずっと軽減されます。あとは通常の外来での「(脳外科でなくてもよい)頭痛の患者」をいかに診ずにすませるか、または診るとしてもいかに手を抜くか(というとかなり語弊がありますが、脳卒中や脳腫瘍の疑いが強い人とは区別して診察に手心を加えるという意味です、これでも語弊がありますけどね、、、)
アマオケの地元からは車で2時間くらいと離れてしまったので不便ですが、オケの仲間は私が練習に来る事に敬意を表し歓迎してくれる(10/1も引っ越し荷物を搬入したその足で2時間かけて練習に行ったので皆驚いていました)ので、行ける間は続けるつもりです。
新しい病院の科長に、オケの練習に行きたい事、来年の1月にハンガリー演奏旅行がある事、ハンガリーに引き続いてプラハに寄る事の内諾ももらいました。9月までいた病院では、私が10〜14日も留守にする事は非常に困難を伴うため諦めなければ行けなかったかも知れず、もしかするとこういうところに神様の御差配がおよんでいるのか?と自分に都合良く解釈しているのでした。(^^;;;;;
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