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2005年9月

2005.09.30

お引っ越し

くたくたです。
医局の荷物を段ボール約20個に詰めて、自宅は「らくらくパック」とはいえ出来る範囲で片付ける必要があるし、台所の流し、ガスレンジ回りなどを磨きました。父親が転勤族だったため、子供の頃から何度となく引っ越しは経験している。今、ざっと数えてみると覚えている限りで、家族と一緒に引っ越しが7回。大学に入って医者になっての引っ越しが14回である。でもやっぱり面倒くさいし大変。筋肉痛である。

医局人事で病院を移る時は教授に挨拶に伺うのがうちの医局の習わしです。今週はいろいろと忙しかったので、昨日下の先生を挨拶に行かせ、夜中まで自宅の荷物整理をして2時過ぎにベッドに入り今朝5時半に起きて大学に向かいました。教授は7時半から医局で仕事をしていらっしゃるので、7時半過ぎに医局に伺い挨拶をしました。
「新天地で頑張るように」と暖かい励ましの言葉を頂き、病院に取って返しました。往復3時間。
そして最後の回診をし、11時から予約の外来患者さんだけ10数名診察しました。
ーー
外来受付に私の移動の告知がしてあるのでだいたいの患者さんや御家族は私が言わなくても移動の事を知っています。
昨年破裂脳動脈瘤を手術した69才の女性(Grade 3でした)は、こちらの方言で
「先生がいなくなるなんて、おもしゃくね〜の〜」
おもしゃくね〜の〜、何回も繰り返し言われました。
「面白くない」という意味もあるのでしょうが、微妙なニュアンスとして「つまらない」、「寂しい」、「嫌だ」という意味があるようです。
ーー
昨年手術した聴神経腫瘍の女性患者さん、今年手術した男性患者さんとは、あのDr. Fのお話しもしました。両方とも直径35mmを超える大きなそして嚢腫状(cystic)の腫瘍でした。二人とも術後に顔面神経麻痺が出ました。一年以上経過した女性の方は、左右どちら側を手術したのかわからない位に回復しています。3ヶ月前に手術した男性患者さんは、強く閉眼したり「アップップー」とやるとまだ手術側の顔面の筋力が弱いのですが静かにしているとほとんど左右差は無くなっています。
 大事な事は、術後神経障害の回復をみることと、腫瘍の再発の有無です。
「全摘しました!」と威張ってみたところで相手は「腫瘍」です。遺伝子の異常で発生したものですから、良性腫瘍であっても発生母地を含めて周囲の正常部分まで切除しなければ「全摘出」は達成できません。ですからいくら「神の手」と呼ばれる人が「全摘出」をしたとしても再発の懸念は0ではなく、5年、10年、それ以上に及ぶ経過観察が必要です。
「自分が手術した方を責任もって経過を追えないのは申し訳ないけれど、次の先生にきちんとお願いしてあるし、カルテに今後の方針を書いておきましたから大丈夫ですよ」と伝えたが、不安そうな表情が少し和らいだだけであった。「先生には良くして頂いて本当に感謝しています。ありがとうございました。」お二人ともそのように仰って深々と頭を下げられたので私も立って頭を下げた。
「よかったら11月の(アマオケの)定期演奏会に来てくださいね。私、出ますから。」というと「聴きに行きます」と言ってくださった。
ーー
私に手術を受けた患者さんから話しを聞いたという事で、他院で治療を受ける予定になっていた脳腫瘍の患者さんが昨日セカンドオピニオンを求めて私の外来にいらっしゃった。御家族とともに十分な話しをして、当院で治療を受ける方針となった。来週入院の予定である。私はもういない。その方も、外来受診以前に私の移動の事は聞いてがっかりはしたものの、「とにかく話しだけは聞こう」と外来に来られた。だから私も「実は私は今週一杯で転勤で別の先生に引き継ぎます。次ぎにくる先生は、信頼できる実力のあるきちんとした先生ですから、これこれこういう方針で治療すれば大丈夫ですよ。」「でも私は移動になるのだから、責任ある発言は出来ないので、元の病院に戻られてもいいし、大学病院に紹介してもいいし、次ぎにくる先生と十分に話し合ってください。」と説明したのだが、当院に入院して治療を受ける気になった、ということであった。
本日の外来に、その患者さんに私の事を話した、という張本人の患者さんもいらっしゃった。「昨日、先生に話しを聞いて、それまで電話口でめそめそばかりしていた人が『生きる希望が出た』と喜んでいましたよ」と教えてくれた。転任する身で無責任ではあるが、でも私の話しを信じて治療を受けようと前向きになってくださったようである。良かった、のだと思いたい。
ーー
入院時に生意気な(私よりも年上の方であるが)発言を繰り返すので、叱り飛ばした、というかちょっとぶつかった患者さんがいる。激昂した際に私の事を「この青二才が!」とまで言った人である。でもその方は、入院中に他の医師よりも私の言う事は信用してくれるようになった。多分、私が歯に衣を着せない代わりウソも言わない人間だと理解してくださったのだと思う。退院後は私の外来日に通院され、私が出張の日にあたると「○×先生の外来じゃないとダメだから来週来ます。」と言っていたそうである。
その方がどこからか私の転勤の話しを聞いて、外来が終わる頃に電話をして来られた。
「先生、転勤なんですよね。私、不安なんです。先生の移られる病院に行きますから教えてください。」
「△さん、僕も気になってたんですよ。電話しようかな、と。来週の月曜が外来予約日でしたよね。でも私の代わりに次ぎにくる先生は、実はその専門の一つがあなたの病気なんですよ。だから私に診てもらうよりずっといいですよ。教授にも信頼されている実力のある奴(註:私より後輩なので)だから大丈夫ですよ。」
こう説明すると、札幌出身で当地に単身赴任中のその方は、「札幌に転勤願いを出して、先生のお知り合いのいる中○記○病院に移ろうかとも考えたんですよ。でも先生がそう仰るのなら次ぎにくる先生に診てもらいます。ありがとうございました。」と安心したように電話を切った。
ーー
こうして何とか12時半過ぎに外来を終え、昼食を摂って、いくつかの部門と院長に退職の挨拶に伺い、午後1時半から引っ越し作業に取りかかった訳である。
先ほど、自宅および医局の荷物が全部トラックに積み込まれた。余裕がなかったため、今日明日の着替えまで詰め込まれてしまった。(><)
今時、下着くらいコンビニでも買えるし、今日はマンションに泊まるので大丈夫である。さて、お風呂に行ってマッサージでも受けよう。
気がかりな患者さんは、まだ入院中の方、そして上記のような外来の方、たくさんいるが仕方ない。さよなら・コンサートの宣伝効果があったのか何人かの患者さんは「定期演奏会、必ず聴きに行きますから」と言ってくださった。さあ、これでこの病院ともお別れ。医局でこのブログを書くのも最後。
次は来週末あたりに、新しい病院からブログを書く事になると思う。

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2005.09.28

サヨナラ・コンサート

 今勤務している病院も明後日で離任です。
 昨日と本日、脳外科の関係する病棟で送別会を開いてくれました。昨日は、市内のフランス料理屋さんのパーティ会場で、本日は院内の職員食堂でした。昨日は、フランス料理に合わせてタキシードなんか着ちゃって、それなりに「カッコだけは一人前」というか「馬子にも衣装」というか、そんな感じでした。
 選んだ曲は、テーマを『時』、『愛』、『約束』そして『希望』として曲に感謝のメッセージを込めて演奏しました。
1 As Time Goes By
2 Tema d'amore
3 世界の約束
4 Over the rainbow
の4曲。私の音ブログの中で自分でもお気に入りの曲たちでした。看護師さん達は、お世辞半分として「素敵な演奏でした」、「本当の先生がわかるようでした」などとべた褒めしてくれちゃって(そりゃ私が主役なんですから)、恥ずかしくて大汗かいてしまいました。
 本日は院内でやるという事もあり、20〜30分間椅子に座ったり車いすに座っていられる患者さんを指名して何人かの患者さんとその御家族にも演奏を聴いて頂く事が出来ました。演奏そのものは、まあ50点以下の出来でしたが(緊張で唇が震え、細かい不要なビブラートがかかったり音程が怪しくなりました)、心を込めて演奏しました。涙ぐんで感激してくださった患者さんもいて、演奏したものとしてかえって嬉しくありがたかったです。
 
あと2日でお別れか〜という感慨も湧きましたが、最後まできちんと仕事はしたいとおもいます。
あ〜それにしても引っ越しがメンドッチ=!なんでこんなにゴミがあるんだ。。。。

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2005.09.20

最近の出来事

久しぶりにブログを書きます。
さぼっていた訳ではなく、いろいろな事情があったからです。でも、立ち止まっていた訳ではなく、そこそこに前には進み続けている、と思います。
ーー
昨日は地元の女子高(なんと甘美な響きでしょう、、、)の管弦楽部(正確には「弦楽合奏部」)の定期演奏会にエキストラで出演しました。
弦楽合奏2曲に続いてオケとしては、ビゼー作曲「アルルの女」第一組曲と、チャイコフスキー作曲「交響曲第五番」(通称、チャイゴ)をやりました。ほとんどの生徒が高校に入ってからバイオリンやチェロに触ったというレベルで、つまり一年生などは初めてまだ5ヵ月たたないくらい。「そりゃあ、あんまりにも無謀なんじゃないの?」と思いましたが、厳しい練習に耐え全体的にレベルがどんどんあがったらしく、最後は立派な演奏でした。
「らしく」というのは、夏前から我々地元アマオケメンバーの中から有志でエキストラ出演する者との合同練習が組んであったのですが、仕事などでまったく都合が付かず、初参加が本番前日の9/18(日)という状態でした。
60名を越す女子高生の後ろで笛を吹くのは、嬉し恥ずかし、な感じかと思いきや、難しい曲ばかりなので自分のパートを間違えないように、落ちないように譜面と指揮者を見るのが精一杯。一回リハ、当日一回ゲネプロ、そして本番、というあり得ないテンポで進んで行くので(私にとってだけですが)、付いて行くのが精一杯。

で、本番はなかなかの好演。チャイゴには「Bravo!」の声もかかり、普段我々のアマオケでコントラバスを弾いている指揮者が高揚した表情で我々エキストラを立たせて拍手をもらおうとするところを、我々は立たずに指揮者に大きな拍手を送り、会場からも大きな拍手が沸いてちょっと感動しました。
我々が彼女達を助けてエキストラ出演するのは、リクルートの意味があります。田舎の街では、高校を卒業すると都会に出て行って戻ってこない若者も多いのですが、その中から少しでも地元に残る子や将来地元に戻って来た子が、我々のアマオケに入団して伝統を引き継いで行ってもらいたい、という意図があるわけです。
終演後、有志で飲み会が設定されたのですが、私は9/17(前々日)が日直だったりいろいろ疲れていたので、まっすぐ家に帰り部屋を暗くして少し寝ました。
ーー
さて、音ブログでは皆様にご心配をおかけしてすみません。またこのブログも「ちょっと、、、」と書いて放置しておりました。
急な話しですが、10/1付けで県内の別の病院へ移動になります。自分の希望ではありません。今の街を離れるという事は、今の私に取って大きな生き甲斐となっている演奏活動(アマオケ、フルートアンサンブル)がやりにくくなります。通って通えない距離ではないですが、片道2時間以上かかるとおもいます。
宮仕えなので医局の事情で転勤は仕方ないのですが、そのきっかけがおそらく先日「診断書」について書いた、クレーム、すなわち病院への投書にあります。実は、それ一つではなくこれまでにもいくつか私は投書でクレームを受けておりました。つい言葉が過ぎる、というか、患者さんや御家族を傷つけるような発言をして来たと思います。全くのいい訳ですが、それは自分の展開する医療に対する熱い想いの裏返しでもある訳です。
外来で私が診ている、手術したり入院治療をした患者さんに転勤が決まった事を説明したところ、手を握って「先生、いっちゃうんですか」と言われたり、涙を流さんばかりに「行かないで!」と言われたり、「転勤先まで付いて行く」と言ってくださった方もいます。でも「あんなヒドイ医者はいない!」「やめさせろ!」と書かれた事も事実です。
その内容には多少の粉飾があったとしても、書かれた私に責任があります。だって投書なんて全くされないドクターの方が多いのですから。
そんなことで、この病院で仕事をすることや、脳外科医として熱く仕事をする事に対するモチベーションが少し落ちました。転職やいろいろな事を考えました。自分が招いた事なのでここで書くのはとても恥ずかしいのですが、自分の責任から逃避してしまおうと考えたりもしました。首都圏に住む両親の近くに転職、転勤しようかとか、悩みもしました。昨日でしたか、テレビにあのDr. 福○が出ていましたね。実は、滞米中に私はあの方の手術にたちあっています。一つの手術でしたが最初から最後までずっと見学させてもらい、その時は日本人医師がわたし一人だった事もあって、手術後に一緒にご飯を食べに行きました。その番組で、コメンテーターが「一つの頭脳流出だ」「こんな人がアメリカに出て行くのを停められなかった日本の脳外科界にも問題がある」と言っていました。一部事実、でも一言では片付かない。私は多少事情を知っています。日本にいられなかった、いたくなかった、いろいろあると思います。そしてアメリカでも紆余曲折、苦労しながらもマスコミの寵児たる扱いを受けているのが現状です。Dr. 福○はマスコミが騒ぐような「神の手」を持っていらっしゃる訳ではないと思います。真面目に勉強し努力し研鑽して経験を積んだ脳外科医はかなりの数でDr.福○レベルだと私は思います。少なくとも私が自分の目で見た彼の手術は、綺麗でスムーズで上手でしたが、決して「神の手」のレベルではない。「神」なら人間にはなし得ない業をなせるはず。彼も人間。私も人間。レベルは多少違うけれど、わたしだって彼と比べてそんなに下手な脳外科医ではない。何よりも治療に当たっての適応とか判断力はまっとうだと思っています。私とDr.福○に大きな違いがあるとすれば、彼は自分がどうしたいか、何をしたいか、を明確に実現するよう努力されて来た方だと思います。その過程で、日本人的な感覚としてはバランス感覚に欠ける部分もあったらしいです(事実かどうかはご本人に確認していないのでわかりませんよ)。
私は今後どうしようか?いや、どうしようか、ではなく「どうしたいか」なのだと考えています。まずは、与えられた仕事をこなす。新しい職場に早く適合し、あまり無駄な労力を使わないように(燃えすぎないよう)しようと思っています。「見ざる聞かざる言わざる」で行こうと思っています。趣味であるフルートは続けたいし可能ならアマオケの活動も続けたい。しかし、脳外科医として手術の腕もふるいたい。これをどこかでバランスをとっていかなくてはなりません。なかなかバランスがうまくとれない。バランスを取るためには、我慢したり削ったり耐えたりすることも必要になってきます。音楽以上にプライベートな事もありました。人生、いろいろ。
でも僕には音楽があります。演奏する事で自分が一番癒されているんです。(笑)
ーー
恥ずかしい事を書きましたが、「ちょっと、、、」という事の内容と最近の私の動向をお伝えしました(誰に?)。(^^;;;

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2005.09.12

音ブログの事

 JASRAC(社団法人日本音楽著作権協会)という団体から私の音ブログに対し、著作権の侵害の恐れがあるからJASRAC管理楽曲はホームページから削除するか、JASRACに登録して使用料を払うようにという通達が来ました。
 その通達を送って来たのは、JASRACの「ネットワーク課」ということで、違法な音楽配信を管理取り締まっている部署らしい。ということで、JASRACの管理下にない楽曲以外は削除しなくてはならなさそうである。個人の趣味で開いているサイトなので使用料を払ってまで、他人に聞いてもらおうなどという強い意志はない。
 そもそも、個人の趣味でも非営利団体のものでも、とにかく他人の著作物を許諾なく使用できる訳はない。おそらく、個人が自宅で自分の趣味のために、または練習のためにJASRAC管理下の楽曲を演奏するのは全く問題ないはずである。それを少し拡大すると、結婚披露宴とか何かのお祝いのパーティでフルートが少し吹けるからと、友人や親戚、家族のためにJASRAC管理下の楽曲を演奏したら、使用料を払わなければならないのだろうか?
 入院中の患者さんや介護に疲れきった御家族を慰め励ます意図で、病院内コンサートを開いて、JASRAC管理下の曲を演奏したら使用料を払わなければならないのだろうか?サイトで、誰が聞いているか、何人が聞いているかもわからない、サイトで自分の演奏を流すというのは、この院内コンサートに近い意識なのだが、「ネットワーク課」というのがあるくらいだから、いろいろな対応をしているのだろう。
 しかし、今日(こんにち)、ネットで楽曲名でググってみたりするだけで、ものすごい数の曲の演奏やMIDI演奏や歌詞なども公開されている。海外のサイトが数の上ではずっと多い。これら全てに、わたしに届いたのと同じメールが送られているのだろうか?NHKの受信料ではないが公平にして欲しい。
 ネット配信が全て違法な訳ではなく、自社製品の宣伝や販売の目的で、自社のCDのコンテンツを配信するのは問題ないそうである。自己の営利目的はかえって問題がないのだ。私のように自己の営利目的は全くなく、著作権利者を褒め讃えて素晴らしい曲だ!と宣伝して、自分の楽しみのために吹いているのは、むしろダメなのである。なんかスッキリしない。
 まあ、面倒はごめんなので、JASRAC管理下の楽曲の区別がつけられない場合は、全部削除というか、音ブログを閉鎖するかもしれませんのであしからず。

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2005.09.09

ちょっと

いろいろな事がありまして、まずは数日お休みしますね。

(9/7の音ブログは『The Shadow of Your Smile「いそしぎ」』です。)

(9/8の音ブログは『IL Ferroviere「鉄道員」』です。)

(9/9の音ブログは『The days of wine and roses』です。)

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2005.09.06

また国民総医療費の話し

(9/5分Asahi.comより一部転用)
ニュースソースを解説、というか細かく批評してみます。
ーー
『公的医療保険からの給付費や自己負担分などを含めた医療費の総額「国民医療費」が、03年度に前年度比1.9%増の31兆5375億円となり、国民1人あたりの医療費も同1.8%増の24万7100円だったことが、厚生労働省のまとめでわかった。対国民所得比は前年度と同じ8.55%だった。国民医療費は、診療報酬のマイナス改定により前年割れだった02年度から一転して、人口の高齢化などを背景に増加に転じた。』

 増加に転じること自体はニュースでもなんでもない。当たり前の状況である。高齢者が増え、医療技術が進んでいるのにどうして「総額医療費」が減少し得ようか?!この文章をどう読むか。立場によって変わる。
 アメリカは対GDP比15%の医療費がかかっている。日本はその半分程度なのだ。よくやっている!とも言える。米国の医療は政府のコントロールの及びにくい、市場原理の働くビジネス的制度。日本は、社会主義的に平等を目指す制度。(米国の貧富の差や、受益する医療レベルの国民間の格差は、今回のハリケーンによる被害のニュースを見るだけでもわかりますね)。素晴らしい制度の中で医療を受けている、と考えてよいのだろうか。
 平等である事が本当にいいのだろうか。差別はいけないが、医療の値段に格差を付ける事は積極的に考えていくべきである。
ーー
『政府管掌健康保険や健康保険組合などに加入する会社員本人は、自己負担割合が03年4月に2割から3割に増えたため、前年度比12.8%減と大幅に落ち込んだが、高齢の加入者が増えている国民健康保険の医療費が同8.9%増加。さらに、生活保護受給者が増えたため、税でみる医療費も5.7%増えた。』

そうだった。「国民に痛みを強いる」保険制度の改定によって、「自己負担が3割」になったのだった。それによって病院の受診を控える人が出たのだろう。それで日本国民の健康状況が悪化している様子はないので、「安易な医療機関の受診を抑制する」効果は上がったように思われる。
 しかし、それも「焼け石に水」的効果であって、結局、老人や低所得者層の医療費の増大を抑制は出来ないということになる。
 上に書いた「差別化」。たとえば、開業医のクリニックの外来、一般市中病院の外来、地域の中核的病院の外来、大学病院などの高度医療を提供する病院の外来、これらを差別化する事が必要ではないか。現状では、2月や3月に一回の受診でいい、といって一日の外来患者数を減らそうと努力している大学病院や地域中核病院の外来診療費よりも、1週間や2週間ごとに外来受診をさせ処方箋料と外来指導管理料をとる開業医の外来受診が一番支払う金額が高くなるという逆転(?)現象が起こるのである。大学病院も地域中核病院も「地元に開かれた、敷居の高くない病院」を目指そうとスローガンをうたっている事が多い。すると、「大学病院を受診すると町の開業医にかかるより高くなるから嫌だ」というような「差別化」はそのスローガンには反する。しかし、医療の役割分担としては、こうなるべきである。風邪や、ちょっとした腹痛で大学病院を受診する状況はやはりおかしい。
ーー
『年齢別では、65歳以上の医療費が全体の50.4%を占め、1人あたりの医療費も65万3300円で、65歳未満の同15万1500円の約4.3倍にのぼった。70歳以上は1人あたり73万4400円、75歳以上は同80万9400円と高齢になるほど医療費も増大する。』

 高齢である事は、病弱である事に等しいのである。老化は自然現象ではあるが、「腰が痛い」「膝が痛い」「胸が苦しい」という症状だけで軽症の方から、実際に脳卒中や癌や心臓病などの致死的疾患の方までたくさんいる。いて当然なのである。老人医療費を抑制するには、老人特有の病気であまり致死的疾患ではないものの診療費を減少させる手がある。実際、すでに着手されている。一番打撃をうけるのは整形外科である。健康的な年寄りでも、「腰が痛い」「膝が痛い」人はたくさんいる。湿布や塗り薬や痛み止めの注射や飲み薬を要求する。医療費がかからないから、遠慮なく要求する。
 これまで日本の経済発展を支え頑張って来た、現在の老齢者層には申し訳ないが、「薬を控えなさい」「少し我慢しなさい」ということになる。湿布代金や塗り薬代を大幅に引き下げるべきである。老齢故の疾患の診断や治療は診療報酬を下げていかないと、ますます増大する一方なのである。国民総医療費の50%を使っている老齢者層が納得するだろうか。。。
ーー
『国民医療費の先行指標となる概算医療費では、04年度は03年度と比べて約6200億円(2.0%)増えており、同省は「04年度の国民医療費がさらに増えるのは間違いない」としている。』

 「としている。」だって。人事(ひとごと)みたいな表現ですね。突然大災害が起きて、数百万人単位で人口、特に老齢者の人口が減少しない限り、現行の制度では医療費が減少するはずがない、というのは最初に述べた通りである。
 結論的に述べるなら、「減らす必要はない」のである。医療費が増大する「程度」を抑えるよう努力は必要であるが、減少させられるはずはない。老齢人口が増え続けているのに国民総医療費を減らすというのは、必ずどこかに無理が生じるはずである。だから財源を増やすしかない。でも増税の前に、無駄に使われているお金を何とかできないものなのか!毎年、年度末になると急に道路工事がされたり新しく信号が付いたり道路の塗装が塗り替えられたり、役場で急に出張が増えたりパソコンが新しくなったり。。。
 本当に必要なものがどこまで行われているのか?「年度」で考える予算、前年の実績から考える予算案、というのを各方面(役場に限らず会社でも)で考えていけば、かなりの「無駄金」が私の推測では全国的に見て何兆円という単位で出てくると思う。それをすべて「医療費」特に老齢者層や低所得者層の福祉に充てるというのはどうだろう。。。口で言うのは簡単だが、、、
(今日の音ブログは『紅花「おもひでぽろぽろ』です。)

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2005.09.05

包括医療から先は?

 土曜日の夜に緊急手術をした小脳梗塞の患者さんは、呼吸状態も安定していたので今朝から人工呼吸器によるサポートは全く解除し、午後に抜管した。少し喉がゼロゼロして痰が多いのでナースに十分注意をするよう指示した。「こんにちは」というと「こ・ん・に・ち・わ」と返してくれた。土曜日の術直前よりもず〜っといい状態になっている。あとは、痰と嚥下、すなわち水分摂取や食事の問題が出てくる。そしてリハビリ。少なくとも生命に関わる状況は脱した。高齢者であるし、治療のヤマはまだまだ、これからである。
 病棟でも、退院を控える患者が増えて来た。しかし、まだあの椎骨動脈瘤解離によるくも膜下出血後の水頭症の患者さんは、脳幹の症状である「両側」の顔面神経麻痺と外転神経麻痺と嚥下困難が改善しない。CT上は脳室は小さくなり、ふたたびスリット状を呈しているものの脳幹に明らかな梗塞巣などのダメージはないように見える。ということは機能的には十分に改善が期待できるのだがどういうわけかなかなか改善してくれない。嚥下訓練は始まっていてすこしずつ口からは食べてもらっているがまだまだ十分ではない。リハビリ室でのリハビリも行っており、四肢のパワー回復を目指している。
 さて、現行制度では、同じ病名での入院期間がある日数を超えると「入院基本料」が下がり病院の収入は減少する。包括医療として「出来高払い」の対象ではなくなるため、現場では病院の赤字を減らすためにコストを削減し「無駄を避ける」治療を常に念頭に置く事になる。可能な限り病院側は90日以内、または疾患や患者によっては180日以内の退院を目指す。脳卒中の多くは最低でも一ヶ月の入院を必要とする。重症であったり合併症を併発したり複雑な病態の場合は数ヶ月に及ぶ事は珍しい事ではなく、呼吸不全で人工呼吸器を装着している場合などは半年は優に超える患者さんもいる。但し、180日を超えるような患者さんでもいわゆる「まるめ」と呼ばれている包括化を受けないですむのは、重度の肢体不自由や人工呼吸器装着中の方などである。こういった患者さんは「出来高払い」のままである。患者さん、家族の経済的負担は大きい。 
ーー
古い記事ではあるが、次のようなものを見つけた。
(http://www.coara.or.jp/〜gensin/intyou/zui-11.html#9)
『アメリカでは、経済ビッグバンに次いで医療ビッグバンが進行し、市場原理を活用しながら、猛烈な医療費抑制が進行している。そのため入院期間は平均6日であり、多くの手術が日帰り手術に向かっている。痛みを耐えながら、まだ麻酔もよく覚めないうちに、車椅子で家に帰される患者と不安げな家族を見ると、これが最先端の医療であろうかと疑問に思った。
 医師が手術を決めても、保険支払い機関の了解がなくては、入院手続きもさせられない。高名な人工関節の開発者である教授が決めても、手術適応が無いとか、もっと先に延ばせとかいわれるそうである。
 入院医療費は包括医療と呼ばれるまるめ料金のため、入院期間はますます短くなり、人工関節置換術をされた患者さんも6日で退院させられている。
 国民総所得の14%が医療費に使われているアメリカが必死に医療費抑制をしているのは分からないことではないが、まだ7%にも満たない日本がアメリカの物まねをして、財源が無いという理由で医療ビッグバンを進めているのを国民が納得するであろうか。』
ーー
 納得するか?ではなく、「知っているのだろうか?」であろう。 
 「まるめ」になれば、無駄な事をすればするだけ病院の損失になるので、確かに「無駄」を削減する方向に向かうだろうが、更に「有益な」ことも割愛する傾向や「経済的に人の生命を判断する」という事が行われる、という「負」の方向に進んでいく。手術に踏み切れば命は救えるが長期寝たきりまたは「植物」状態を作る事が予想されるため現場の医師が治療に「二の足」を踏むのである。これは現実問題、すでに現場で起こっている事ではある。医師としては患者の命は救いたい。しかし、手術をしても助かるかどうか、寝たきりを作るだけである事が予想される場合は、患者の家族の希望を聞き入れながら婉曲的に「手術をする事は無駄」であることを伝えるようなことも必要になる。
 くも膜下出血の超重症でない人達に限れば手術・治療が成功すれば高率に社会復帰できる一方で、脳出血や脳梗塞の中等症以上の人は自宅生活が関の山で社会(仕事)復帰出来なくなる方が多い。この人達は、社会全体から見れば、「医療費を使うだけで稼ぎがない=医療保険の支払いをしない=財源を減らすだけの人」である。高齢の中等症以上の脳梗塞の患者さんなどはまさにこれである。医療費を削減したければ、「高齢の中等症以上の脳梗塞」の患者で、「超急性期」治療に反応せず麻痺などの神経学的症状が残ってしまった人は、その後医療を受けられない、という事にしてしまえば、どれだけの医療費が削減できるだろうか。厚生労働省が目指しているのはそんな状態ではないのだが、もし医療費の削減を現行の制度のままで押し進め、「高度な医療を行えば損をする」というような状態が完成してしまったら大変な事である。脳神経外科医は「救急医療」を捨てるかも知れない。術中に覚醒させて言語中枢を調べる覚醒手術やナビゲーションを導入した顕微鏡手術など世界のトップレベルを行っている医療を捨てるかも知れない。そして高齢の障害者を病院から排除するように動くかも知れない。まさに「姥捨て山」である。包括医療から先はどこに向かっていくのだろうか?
(今日の音ブログ演奏は「Summertime」です。)

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2005.09.04

ブログランキング他、、、

 そもそも、本サイトやブログをはじめ、昔持っていたサイトにも「カウンター」などを付ける主義ではない。公開している以上は、誰かに見て欲しい、読んで欲しい、という気持ちがあるのは確かにそうである。しかし、「数」を競う気は毛頭ない。このブログだって「医療ネタ」が多かったりするので、あまり不特定多数の人に知られたくはないと思っている。
 音ブログのフルート演奏の方だって、自己満足のために吹いて記録のためにアップしているので、「何人の人がアクセスしてきた」というような「ランキング」にこだわりはなかった。でもいろんな人が聞いてくださるのは嬉しかった。それで、最近「人気ブログランキング」というサイトに登録してみた。よくわからないので、自分の演奏を「クラシック80%, Jazz 20%」とした。映画音楽とかがなかったので。
 本日、ランキングをみてみたら「音楽(クラシック)」のジャンルで26位になっていた!驚きである。あっという間にあがって来た感じ。こんなに多くの人が本当に聞いてくれているのだろうか?と疑心暗鬼にもなった。同じIP addressからは一日一回しか登録できないので、何回聞いても一ポイントのはずである。
 更に「ケロログ」のアクセスランキングでも「音楽」の部門で、本日ベスト10入りを果たした。これが快挙であるとかそういう意識はないけれど、やっぱり嬉しかった。
http://www.voiceblog.jp/car.php
にアクセスして、左側のボイスブログ検索でプルダウンメニューで「音楽」を選択し「検索」を選ぶとアクセスランキング「音楽」の1〜10位が表示されます。試してみてください。
ーー
 今朝、「題名のない音楽会21」にスタニスラフ・ブーニンと小山美智恵が出演していた。凄い顔ぶれでピアノの演奏ももちろん興味があったが、ハネケンのインタビューなどがおもしろかった。ブーニンが「ショパンの悲劇的な部分が、自分の心の底にあるものに働いて過敏に反応するところはある」というようなことを言っていた。ロシアから亡命したショパンコンクール優勝者ならではの言葉であろう。我々は、日本で、平和に、のほほんと暮らしている。私なんか「忙しい!」と文句を言いながら、笛を吹いて遊んでいる。食べるためでも芸術のためでもなく、「遊び」の範囲を抜け出ない。幸せな人間である事を再認識した。
ー−
 昨日の夜、緊急手術した患者さんは、小脳の腫れはもちろんまだあるが、脳幹の圧迫が改善していて自発呼吸で十分に反応もよくなった。小柄で高齢でもあり痰も多かったので、我慢してもらったもう一日挿管のまま、ICUで管理する。人工呼吸器はついているが、自発呼吸で器械でのサポートは本人が息を吸った時にちょっとだけ加圧するくらいである。病棟もそれなりにいろいろあり(痙攣を起こした人、嘔吐した人、手術後抜糸が残っている人、更に8月分のレセプトの山)、朝から2時間半程働いた。今日は、薬局長の所属する地元コーラスグループの発表会があるのでこれから「希望ホール」に出かける。
 今日の音ブログは、すでに夜中に、昨晩のオペが終わって帰宅する前にアップしていた。
(演奏は『愛と青春の旅だち』 Up Where We Belongです。)

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2005.09.03

緊急後頭下減圧開頭術

 他科入院中の患者さんが昨日小脳梗塞を発症し、神経内科で診ていたが、今朝方より少し意識が低下しているということでCTの後、脳外科に転科になった。今日は私は「オフ」で、家で笛を吹きながら遊んでいたが、同僚から報告を受けていた患者の状態が心配になったので夕方HCUに診察に出て来た。
 患者は、呼べば目を開け弱々しく返事をするが、反応が低下している。
 「緊急手術!」と判断した。
小脳の腫れが浮腫をとる点滴や薬では不十分で、脳幹の意識の中枢と呼吸の中枢に影響を及ぼし始めている。多分、このまま点滴の治療だけだと夜中に呼吸が止まる、と判断した。当直師長に連絡、麻酔医と手術室ナースを招集してもらう。土曜日の夕方なので、皆これから夕餉を楽しみに自宅で寛いでいたはずだ。
 家族も呼び、状態を説明し「救命が目的」の手術である事を了承して頂いた。招集された麻酔が診察に来る。手術場のナースも到着した。手術の準備を手早く進めているはずだ。その間、私はバリカンで患者の頭を丸坊主にした。およそ2分で丸坊主。これはもう手慣れている。
 「手術室入室18:30で」と連絡が来たので、18:20現在これを書いているのである。続きは術後に。。。
ーー
 さて、今は9/3の23:00を少し回りました。緊急手術は19時半少し前に始まり21時半すぎに終わりました。ICUも戻って状態が安定したのを確認し、家族の手術の説明をし、隣のHCUの患者をチェックし医局でアイスコーヒーを入れて今デスクの前に座ったところ。
 手術場で麻酔医が挿管したところ、非常に痰が多く、内視鏡で痰を取るくらいでした。多分、あの時点で手術を決断しないでいたら夜中に痰を詰まらせて窒息したか、呼吸不全で生命の危機であったと考えられます。自分の判断が正しかったことにホッとしています。同僚の、専門医試験に受かったばかりの先生に教えながらやらせながらの開頭と硬膜切開だったので少し時間がかかりましたがスムーズに手術は終わりました。出血性梗塞に陥った小脳は赤黒く崩れるようになって、ちょっと触るとジワ〜と出血してきました。典型的な梗塞巣の脳でした。
 この部分を止血しながら一部切除して内減圧も行い、人工硬膜でゆとりをつけて外減圧を行ったので、多分自発呼吸が戻り意識も戻ると思われます。
 脳梗塞は、何科の医者が診ても結局決まった薬で治療するしかなく、リハビリ次第のところもありますが結果はあまり変わらないんじゃないかと虚しく感じる時が多いのですが、今日のように、脳神経外科医だけにしか助けられない脳梗塞の治療を行うと、脳外科をやっている事の意義を強く感じます。決して私でなくても出来る事ではありますが、脳外科医にしか出来ない事ですから。この地方(周辺人口約35万人)に常勤する脳外科医6名(3つの病院で)にしか助けられない患者さんでした。
(本日の音ブロは「太陽がいっぱい」です。)
全然太陽拝んでないけどね。

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2005.09.02

グループホームそして、、、

 グループホーム(認知症対応型共同生活介護)とは、障害を持つ人や高齢者などが普通に生活を送るために病院や老健施設ではない場所で、その様々な状態や需要に応える体勢のひとつで、全国に3000以上あると言われている。
 2年程前からグループホームに入所中の認知症(=痴呆)の患者さんが、転倒し(時々転倒していたらしい)「慢性硬膜下血腫」となって当科に緊急入院した。血腫の圧迫による麻痺は明らかであるが、高齢で認知症の上、耳も遠いらしい。神経学的所見も評価しにくい。血腫を除去する手術をしなければ自然に回復する事はなく、そのまま進行すれば命に関わるということで家族と相談の上手術を行った。もとより認知症が改善するはずはない。8日目に傷の抜糸も終わり、CT上血腫は薄い硬膜下水腫に置き換えられ麻痺も改善した。2週間以上を経過したいまでは、介助すればなんとか自力で食事をするようになった。支えれば立つ事も出来る。もう少しで歩く事も可能でありそろそろ退院を考える事となった。

 高齢者は、可能であれば家族とともに生活すべきであるが、そうはなかなか行かない。75才以上の世帯主の家庭が増えておりまた独居老人も増えている。核家族化とともに老齢者とともに暮らすことを選択する人が大きく減少しているからである。この患者さんにも家族はいるが同居しての介護は困難と考え、グループホームでの生活を送って来た訳である。我々としては、脳神経外科の治療が終了すれば「退院」となる訳であるが、退院するためには退院する先が必要である。それが決まっていないのに追い出す訳にはいかない。グループホームに連絡を取ったところ、約1週間前のちょうど抜糸を行った時点での患者の状況を家族から伝え聞いた話しで「退所を」ということになっているとの返答。よって戻れないというのだ。家族から「寝たきりに近い状態」と聞いたためである。超高齢で痴呆のある慢性硬膜下血腫の術後1週間の患者が、ハキハキと返答してすべてを自分で介助なく行え歩いたりするはずがない。食事も自分ではとれず介助で食べさせてもらっている状態を「寝たきり」という言葉に置き換えてしまっている。家族にも問題はあるが、グループホーム側にも問題がある。家族に電話すると、「今の状態を教えて欲しいというので、そのように言ったら、退所して欲しい」と言われたという。
 グループホームの管理者に電話すると、「家族と話し合って退所する事に決まった」というのだ。医学的にはそろそろ退院できるので戻って頂きたいと思っている、というと「医学的なことはわかりませんが、施設と家族の間の契約ですから」という対応である。私は大いに憤慨した。
 家族にその件について確認のためもう一度電話をしてみると、「家族としては退所は望んでおらず退院できるならグループホームに戻ってもらいたいが、施設側から『そういう状態では受け入れられない』と言われた。」という、更に「退所するという書類にサインをした訳ではないし、家財道具のようなものもまだ施設に置いてある。」とのことである。
 家族と施設側の意見が食い違う。グループホームに入所するためには最初に書いた定義のように、共同生活が出来る程度の身体的能力がないとだめである。1週間前にはその能力はなかったが、慢性硬膜下血腫が改善して状態がよくなり、今日現在自分で食事を摂れるようになって来ている。認知症と難聴を除けば、もう少しで十分にグループホームでの生活が可能ではないかと、医師が医学的に判断し「戻る事は出来ないのか?」と聞いているのにたいして、そこの管理者は「私は医学的なことはわかりません。家族と相談してください。こちらは退所することに決まっています。」という返答なのである。
 要するに、グループホームも現場で介護したりケアしたりに奔走する人だって「仕事」だからしている訳だし、現場に出ない人にとっては一つのビジネスなのだ。脳外科で手術を受けた患者さんなんかにかかわりたくないような様子(これは私の勘ぐりに過ぎないが)である。その管理者の立場も考え方も(許せないが)理解は可能である。その人の立場に立てば私も似たような事を言うかも知れない。元々グループホームにいる事が、条件にはギリギリの人だったようなのである。
 じゃあ、どうすればいいのか?!基本的には家族が世話すべき、一緒に暮らすのが理想。でもそれが出来ないからグループホームにいたのだ。とにかくもう一度、家族と施設で話し合ってもらう事にした。
 なんで、脳神経外科医がこんな事にまでかかわらなければならないか。手術した患者がちゃんと退院し、その後しっかりした生活を送るまで関わるのが医師の仕事だと思う。でも本来の「脳外科医」の仕事からは外れているような気はする。「俺は脳外科医だから、退院後どこに行こうが知らない。家族に任せるから明日退院しなさい。」とは言いたくても言えない。米国の脳外科医はこんなことにはけっして関わらない。病院の事務職やケアマネージャー達がすべてを処理する。そういうプロがいる。日本にはプロが少ないのだ。
(本日の音ブロは「シェルブールの雨傘」です。)

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2005.09.01

診断書を書き変えろ?!

 日本には「医師法」という、医師の身分と業務を規定した法律がある。故手塚治虫氏の名作『ブラックジャック』はこの医師法に背いて「無資格」で高度な技術の医療行為を「違法」ながらも行った架空の漫画の世界のことであった。
 さて、先日、外来に「自分の家族の診断書の内容について不満があるので書き直して欲しい」という方が来られた。私は最初訳がわからずに、外来ナースに案内されたこの人の話しを聞いていたが、その人が言うには私が診断書に書いた内容「元々痴呆が強い」ということが不満であったらしい。転倒して受傷した事に対する「災害保険」を受け取れないのではないか、と心配になって相談に来たという事であった。
 まず病院の受付事務、文書係、ナースの対応に腹が立った。下記のように医師の書く診断書は「公文書」である。虚偽の記載をすると「公文書偽造」という罪に問われるものである。それを家族が「保険が降りないかも知れないので書き直して欲しい」と記載した医師に依頼に来るなどというのは言語道断の事と考える。それを防げなかった病院の文書係や事務には注意を与えた。

 『●虚偽の文書作成 (間違いとは別、遺族等の頼みで行う→必ず第3者に不利益を与える)
   →責任:職責により重さが異なる (公務員は重い)
  公文書偽造は刑法第157条の適用→罰則あり
  私文書偽造は罰則なし (詐欺や公務所に提出するものは別:刑法第160条)
   死亡診断書 (死体検案書) は公務所に提出する私文書。』

 正式には、医師の診断書を保険会社に提出した後に、もしその記載内容が原因で保険が下おりないような事があった場合は、その内容が正しいのかどうか、誤った記載がないのかを本人か代理人が保険会社に相談し、保険会社の方から記載した医師に対して「公的に問い合わせ(文書で行う)」というのが筋である。これは公的病院ではほとんどの場合、事務(文書係など)が対応する。前にも書いたが「診断書料」というのは自由診療枠であり、その値段は簡単に言うと勝手に決めていい。そして記載した医師がその料金を受け取るのが本来の姿である。ところが、公立病院などでは公に「ここの診断書料はいくら」と公示しており、更に診断書料はすべて病院の収益となり医師の懐には一銭も入らない仕組みになっている。それにもかかわらずこの対応である。
 更に、患者の家族というのは通常代理人と見なしうるが、法的に代理人とするためにはそれなりの手続きや文書が必要であるのに、この「依頼」に来た家族という人は家族である証拠も提示しなければましてや「患者の代理人」である証明もなかった。もし私が「人が良くて」この「依頼」に対して、「ああ、わかりました。じゃ、ここ書き直しましょうね」なんていう対応をしていたら、公文書偽造になるかもしれないのである。おそらく、患者の家族であった事は事実だと思う。しかし、たとえばこれが他者がかかわる事故などであった場合、「その筋」の方とか厄介な人が出て来て「書き直して欲しい」とか「これこれこういう風に書き換えろ」などという「依頼」にそのまま応じていては大変な事になりうる。
 その人は、私が腹をたてた事に対して大変憤慨し不満に思い病院の対応窓口に相談したらしい。そのクレームが今日私のところに回って来た。確かに私の対応の「仕方」にも問題はあったろうが、元々外来(患者さんを診療する事が目的)の医師に対して、診断書の事で相談することによってその診療時間を奪ってしまう行為を許してしまった事務、受付や外来ナースに対しても私は毅然と注意を与えた。きっといろんな部署から私の対応を良く思われていないだろう。 しかし、あなたたち、公的な仕事に対する認識が甘いよ!
(本日の音ブロは「As Time Goes By」です。)

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