改革とは
私のブログでは「政治」にかかわる事はなるべく避けたいと思っている。だが医療の事を論じていて、政治と無関係という訳にも行かない。
医療はサービスではあるが、ビジネスでもある。そして、国単位の大きなシステムの中で統制されているものでもある。たとえば、医師免許。これは国家試験、つまり「国」が免許を与えている。病院開設だって、薬局開設だって国と地方自治体の許可がいる。薬の処方や手術や処置などの医療行為には「法律」があり、「保険診療」を行う医師に対しては「保険医」の許可証が地方自治体から交付されている。そういったシステムの中で管理されているものだから、「自由」ではない。
今日、第44回衆院選が公示された。郵政問題、年金問題、教育問題、、、様々な問題が争点となるのだろうが、やはり中心は郵政民営化を中心とする「改革」の話しだろうか。改革とは英語でreformである。Form=形をre=直す、作り直す、再び変える、ということ。「三○のリフォーム」などのように一度建てた家の部分的作り直しなどの意味に使われる。革命=revolutionではない。Revolutionとは、権力に叛旗を翻す=revoltに由来している。自宅のリフォームは、家族の成長や巣立ち、時代の変化、家具や電化製品の買い換え、趣味に変化、そして住人の変化などによってある目的を持って行われる。資金や土地に問題がなければ全く新しく創ってしまった方が楽かも知れない。
今回の「改革」はどうなるのだろうか。一般市民には「改革」の必要性はおよそ理解されていると思う。ただそれが今のまま進んでいっていいのか、または今以上に激しく改革を押し進める必要があるのではないのか、と???がついて回る印象を持つ。医療についてはどうなのだろうか。器械やコンピュータが自動的に「最適化」を進めていく訳ではない。人間が「改革」という名の「医療制度の作り直し」をしていくのである。日本という国に生まれ生活している我々市民の健康を守り増進して「幸せな生活を送る」ことを実現するための「改革」でなければならない。
私は憲法論者ではなく一医療人であるが、日本人である以上現行日本国憲法を再確認してみたい。
〔個人の尊重と公共の福祉〕
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
〔生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務〕
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
大筋はわかるし自由主義国家においては当然の事だと思う。問題は25条の最後の部分、「国は、、、努めなければならない」である。改革の名の下に社会福祉の向上や増進がなおざりにされていかないのか、心配である。財源あっての保険医療であり社会福祉である。高齢者が増え労働人口が減少し、ついには国の人口が減少し始めている。しかし、医療の現場は、高度な技術に基づく患者の苦痛や侵襲の少ない治療と更に高い安全性を追求してどんどん進歩、進化していっている。その流れを止める事は出来ない。さすれば医療費は増大を続ける。しかし財源はこのままでは減少していく。ならば、財源確保のために個人の負担を増やすこともやむを得まい。だがそれ以外に方法はないのだろうか?「聖域無き、、、」という言葉があるが、本当にそうしているのだろうか?医薬品製造販売会社、医療器具製造販売会社などの「ビジネス」に大きな負担を要求していくのだろうか。いや、していく「べき」なんだけどな。
最初に書いたように「医療はサービス」だと言われる。その前線にいるのは、医師、ナース、病院職員などの人間であるが、患者さんの診断や治療に際しては「診断機器」や「治療機器」や「薬剤」を用いるわけである。逆に言えば、こういった「機器」や「剤」を用いずに行える診療行為は非常に限られる。1億円や2億円という金がポンと必要になる最新診断機器を病院に導入するにしても、現場の人間には「経済感覚」であるとか「経営感覚」とかが要求されている。それらの高額医療機器や高額薬剤をもっともっと値下げできないのか?出来るはずである。しかしそれは「市場原理」と「自由競争」なので「国」は完全には管理できないのだ。現実はそういった機器や薬品の購入費も医療費に跳ね返ってくるのだから(それもかなり大きな割合で)、医療費抑制とか保険診療見直しとか介護保険とか年金問題の中には、医療で儲けている企業に対する「痛みを伴う」改革が必要なはずである。
それがなされているのか、なされようとしているのか、私には見えない。
(今日の音ブロは「Princess Mononoke」です)
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コメント
TBさせて いただきました^^;
投稿: 則香 | 2005.08.30 19:56
せいさく0319と申します。
掲載されている日記を興味深く拝見させていただきました。事後の御連絡となりましたが、当方の記事にリンクをはらせていただき、日記を紹介させていただきました。
リンクをはらせていただいた件について、何か差しさわりがございましたら、その旨、御連絡ください。何分、ブログ初心者なもので、ご容赦ください。
また、よろしければ、今後とも、そちらのサイトを拝見させていただくつもりです。よろしくお願いいたします。
せいさく0319
サイト名 気になるブログ10件
mail:noguchi0319@mail.goo.ne.jp
http://plaza.rakuten.co.jp/kininaruburogu10/
投稿: せいさく0319 | 2005.08.31 06:58
やはり私のような一般市民に見えるのは、「癒着」ですね。、、、でしょ?
うまくやる輩がたくさんいますからね。
どうしても必要という部分をうまくやる「輩」がいればいいのに、と思います。それだったら、税金がアップしたって当然と皆が納得するような。
痛みを感じて欲しいところが感じなくて、感じてはいけないところに痛みがきてますよね。
投稿: @むーむー | 2005.08.31 14:44
せいさくさん、はじめまして。TBありがとうございます。
則香さん、@むーむーさん、いつもどうもっす!
私は現場の前線で働くものですが、理想を言えば、最新鋭の診断治療機器が欲しいと思ったらすぐに導入されていつでも自分の最高の医療技術が発揮でき、しかもそれがすべて無料で患者に施され、急性期管理の時期を過ぎたら慢性期、療養型の病床が隣の建物にたくさんあって、いつでも移りたい時に移れる、そしてそこで働く職員は時間にもゆとりがあり、いつも親切で笑顔に溢れ思いやりがあって暖かい、そんな病院、医療が実践されるべきです。そのためには、ゼネコンは療養型病床の10階建てくらいのビルを一個寄付し、医療機器販売会社は一年に数千万円相当の機器を最低一個は病院に寄付する、そして医薬品は大幅に値下げされMR(Medical Representative)はいなくなり、学会や研究会などの学術会議には医療機器メーカーや医薬品メーカーの多大な寄付がなされる、これまで儲けたものを社会と医療界に還元するような貢献が必要だと思います。
投稿: balaine | 2005.08.31 15:21
私もTBさせていただきました。
投稿: mayako | 2005.08.31 18:24