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2005.08.16

非優位半球

 本日は脳腫瘍の手術であった。予定は5時間にしていたが、非常にスムーズに3時間強で終わった。場所は右の前頭葉の深部で表面からは全く見えない場所である。手術前の3方向のMRI(軸位、冠状断、矢状断)と脳血管撮影で同定した静脈から、開頭の場所と大きさを決め、硬膜を開いて脳の表面を走る静脈の形から腫瘍が存在すると想定される方向を推測して、そこに術中超音波エコーを当てた。予想通りドンピシャで推測部位の真下2cmくらいのところに腫瘍を示すエコーの高反射映像が見えた。
 そこから脳の表面を切って奥に入り、約1.5〜2cmの深さで赤黒い腫瘍に到達した。後は、腫瘍と周囲の変色した白質の間を切除しながら腫瘍栄養血管を凝固切断し、少しずつ腫瘍を脳の中から掘り起こすようにして全摘出できた。出血はほとんどなく輸血は不要であった。手術終了後20分しないうちに、患者さんは目を覚まし、ICU/HCUに戻った頃には会話が十分可能である。
 なぜこんなに手術がスムーズに行って回復が早いかというと、右利きの人の右の前頭葉、すなわち「非優位半球」の前方にある腫瘍だったからである。非優位半球とは、言語の優位性のない大脳半球という意味である。むかしは言語中枢のある優位半球に対して「劣位半球」などと呼ばれたりしたが、それは「表日本」「裏日本」のように差別的呼称であり、今は右利きの人の左脳が優位、右脳が「非優位」と呼ばれている。
 この患者さんは右利きなので、右の前頭葉には言語中枢が存在する確率は非常に低く、しかも前方にある腫瘍であったので、浮腫によって軽く左下肢の運動障害はでていたものの、手術で運動麻痺を生じる危険性も極めて低く、決していい加減な手術ではなく慎重に切除は進めたけれど途中に懸念する部分や心配する場所もないので、「サッサッ」という感じでとれてしまった。
 非優位半球は、それじゃ何もしていない脳なのかというと、そうではない。特に側頭葉や頭頂葉は、空間認識や立体識別覚、絵画などをみて美しいとか平面の絵の中に3次元を感じる能力や、たとえば「そろばん、暗算の名手」がものすごい数の演算をやっている時にその頭の中で「算盤の珠が動いて見える」というような能力を担っているらしい。しかし、非優位半球の前頭葉の特に前方は日常生活や普通の仕事を行う上では損傷しても何の影響もない事が多い。昔からこの部分は一番先端の方から6cm、場合によっては8cmくらい切除しても何も障害を残さない、と言われている。しかし、一人一人脳のシワ(脳回)の形も場所も微妙に違う訳だし、ペンフィールド博士の脳地図に近いとは言っても一例一例皆微妙な違いがあるので、思わぬ障害が出る事だってありうる。そこで全く安全と考えられる場所を選択してそこから切除を開始した。そこは、脳室ドレナージや脳室腹腔シャント手術で脳室にチューブを差し込む部分である。右側の前頭葉のここで何か障害がでた経験は全くない。そこを中心に約2cm程の切除面を設けてそこから深部の腫瘍を掘り起こして全部取った訳である。
 だから手術時間も短く障害も全く出ずにスムーズに手術が終了できるのである。おそらく明日のCTで異常がなければ病棟に戻って食事も開始し、リハビリもせずに術後2週間以内に退院が可能であろうと思われる。
ーー
 本日の手術に入る1時間少し前に、宮城県沖で大きな地震が発生した。この病院も震度4ということで結構ゆ〜らゆ〜ら揺れた。しかし手術には何の影響もなかった。地元の高校は甲子園で精一杯頑張ったが、やはり甲子園の常連というか古豪には歯が立たなかったようだ。

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コメント

地震、大丈夫のようでよかったです。
自然災害は怖いですね・・・。

音楽も非優位半球が主に――という話もよく聞きますが、
やはり音楽を感じたりするのは非優位側なんですか?
演奏家にとってはどちらの半球がより大事なんでしょう。
そりゃあどちらもだとは思いますが。。。
(体動かんとハナシになりませんから…)

投稿: ユウ@来年研修医 | 2005.08.16 20:00

ユウさん、おっしゃる通り音楽と右半球は密接な関係があります。しかし、どの部分がどのように働いているかということになると研究段階でしょう。芸術的な事に関する脳の働きなど「劣位」と言われていた脳の機能は、「優位」半球よりも高度であるため、計測したり記録したりする事が難しいのだと思います。
余談ですが、英語などの言語能力のうち、発音やイントネーションなどは音楽的機能であり言語=論理脳とは限りません。だからユウさんだった、英語は「音楽的」にとらえればス〜ラスラのはずやけどね〜?

投稿: balaine | 2005.08.17 09:20

スラスラのはず…なんですけどね~。

投稿: ユウ@来年研修医 | 2005.08.17 10:15

仕事場からカキコしてます。
ひげ鯨先生のレクチャーはすこし難しいところもありますが、臨場感があって、とても興味あります。茂木健一郎さんなどの「脳」の話を読むようになって、理科の苦手な私でも、ほんの少し脳のからくりにアプローチできるようになりました。もちろん入り口の扉を開けたばかりですが。

投稿: 侘び助 | 2005.08.17 13:07

ユウさん、あれ?違うの?あなたのピアノを聴く限りはス〜ラスラだと思ったよ。v(^^
私はTOEIC900点超えてますから〜。音楽は英語力に密接に関係があると信じていますよ。(^^

侘び助さん、難しいところ、う〜ん、まあレクチャーっぽいですがレクチャーしているつもりはありませんので。もし、素人の方だけが対象で講義を命じられたらもっとわかりやすくお話ししますよ。脳の話し自体、中枢神経=難しい、と医師もナースも考えている人が多いのは事実です。脳の事をスラスラ話せるのは脳外科医と神経内科だけだと思います。

投稿: balaine | 2005.08.17 13:18

言葉が難しいのです。でも、ペンフィールドはわかりました。ホムンクルスでゆうめいですよね。今、書店に行くと、本がいっぱいで、わたしは、見知らぬ分野の扉を開けて、楽しんでます、このHPとともに。

投稿: 侘び助 | 2005.08.17 13:49

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