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2005年8月

2005.08.31

他山の医師(石)

『医師、手術中に患者殴り停職3カ月 「痛い」と言われ』
(またAsahi.comより引用http://www.asahi.com/health/news/OSK200508300069.html)

テレビや新聞のニュースが本当に真実をきちんと伝えているのかは、我々は冷静に判断する必要がある。この記事は比較的に客観的な書き方をされていると思うが、時には記者やデスクの主観が散りばめられたニュースもあるから要注意である。
記事からすると、患者や患者の家族が訴えたのではなく、手術室のナースからの訴えで発覚した事のようであるし普段から問題があった医師のような書かれ方をしている。これも事実の確認はできないのでニュースの内容を信じるしかないのだが、どうも内部から告発されるような感じの医師であったのだろう。
 私も、患者さんには極力優しく言葉をかけ接するように心がけてはいるものの、まだまだ人間が未熟で些細な事でカッとしたりムッとしたりしてそれが言葉や態度に出る事がある。さすがに「殴り」はしないものの、局所麻酔の手術中に患者を強い力で押さえつけたり軽く叩いたりした事はある(そもそも、脳外科医というのは、患者の意識を判定するためとはいえ、患者の手足をつねったり爪を強く圧迫したり顔を軽くピシャピシャと叩いたりはするのであるが)。
手術中の医師が頭を殴れる、という状況を想像すると脳外科医である恐れが出てくる。消毒して手袋をした手で、未消毒の部分を触れば「不潔行為」なので手袋を外しもう一度「手洗い」をやり直す必要がある。局所麻酔の手術というと整形外科が一番多いかも知れないが、手袋をした手で頭を叩くことはないだろう。慢性硬膜下血腫の手術ならば頭部を消毒しdrapingといって清潔な布(最近は使い捨ての紙製敷布)で覆ってあるから、その部分なら「手洗い」をして手袋をつけた手で触っても不潔にならない。
鎮痛が不十分のためか手術中に動き出した患者さんを、手術中の医師は頭を、回りのナースは身体や手足をおさえてベッドから転落しないように患者を守るのである。局所麻酔だけでは頭皮を切開したりすると鎮痛が不十分で患者が騒ぐ事がある。特に高齢で慢性硬膜下血腫があると意識障害や認知症があって、こちらの言う事に全く従わずコントロール出来ない患者さんが少なからずいる。想像するに、このケースもそうであった可能性がある。鎮痛剤や鎮静剤は静脈ルートから、患者さんの状態(呼びかけへの反応とか動きとか血圧とか)を見ながら投与し、頭皮に局所麻酔薬をうって、執刀開始時には患者がトロンとして動かないようにしておかなくてはならない。ただ、「90代」ということは99才かも知れない訳ではあるから、そのような超高齢者に鎮静剤や鎮痛剤をうつと呼吸が抑制されたり時には止まってしまう事もあるので控えめに投与するのが常である。このケースでは、そうやっておとなしく寝ていたと思った患者さんが皮膚を切開したとたん、「イテェ」と騒ぎだし起き上がろうとしたが、医師は鎮静剤を打ったばかりだったので呼吸抑制を懸念してすぐには薬を追加せず、4cm程の小切開が終われば痛みも和らぐのでそれまでの間、暴れないように押さえつけようとして、それでも動いたので殴ったしまったという展開が推測できる。ま、ニュース記事からのあくまでも「推測」です。
 私は、なにも同業者としてこのニュースソースの医師をかばおうとしているのではない。どのような状況であれ、医師が患者に暴力を振るったりする事はあってはならない。たま〜に、患者が危険人物で暴力的であるため数を頼みに押さえつけたりその過程で少々暴力的に「確保」し、鎮静剤をうっておとなしくなるまでしばりつけたりするというような、一見非人道的なこともあるがこれは患者を守るためである。そうであっても暴力は肯定できない。しかも内部告発を受けるような医師なので普段の行いが良くなかったのだろう(この辺も耳が痛い)。
よって、「もって他山の石」とすべき医師である。普通にやっていれば何も問題はないのだが、内部から告発されたりする事のないように気をつけよう。
(今日の音ブロは「Moon River」です。)

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2005.08.30

改革とは

私のブログでは「政治」にかかわる事はなるべく避けたいと思っている。だが医療の事を論じていて、政治と無関係という訳にも行かない。
 医療はサービスではあるが、ビジネスでもある。そして、国単位の大きなシステムの中で統制されているものでもある。たとえば、医師免許。これは国家試験、つまり「国」が免許を与えている。病院開設だって、薬局開設だって国と地方自治体の許可がいる。薬の処方や手術や処置などの医療行為には「法律」があり、「保険診療」を行う医師に対しては「保険医」の許可証が地方自治体から交付されている。そういったシステムの中で管理されているものだから、「自由」ではない。
 今日、第44回衆院選が公示された。郵政問題、年金問題、教育問題、、、様々な問題が争点となるのだろうが、やはり中心は郵政民営化を中心とする「改革」の話しだろうか。改革とは英語でreformである。Form=形をre=直す、作り直す、再び変える、ということ。「三○のリフォーム」などのように一度建てた家の部分的作り直しなどの意味に使われる。革命=revolutionではない。Revolutionとは、権力に叛旗を翻す=revoltに由来している。自宅のリフォームは、家族の成長や巣立ち、時代の変化、家具や電化製品の買い換え、趣味に変化、そして住人の変化などによってある目的を持って行われる。資金や土地に問題がなければ全く新しく創ってしまった方が楽かも知れない。
 今回の「改革」はどうなるのだろうか。一般市民には「改革」の必要性はおよそ理解されていると思う。ただそれが今のまま進んでいっていいのか、または今以上に激しく改革を押し進める必要があるのではないのか、と???がついて回る印象を持つ。医療についてはどうなのだろうか。器械やコンピュータが自動的に「最適化」を進めていく訳ではない。人間が「改革」という名の「医療制度の作り直し」をしていくのである。日本という国に生まれ生活している我々市民の健康を守り増進して「幸せな生活を送る」ことを実現するための「改革」でなければならない。
 私は憲法論者ではなく一医療人であるが、日本人である以上現行日本国憲法を再確認してみたい。

〔個人の尊重と公共の福祉〕
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

〔生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務〕
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 大筋はわかるし自由主義国家においては当然の事だと思う。問題は25条の最後の部分、「国は、、、努めなければならない」である。改革の名の下に社会福祉の向上や増進がなおざりにされていかないのか、心配である。財源あっての保険医療であり社会福祉である。高齢者が増え労働人口が減少し、ついには国の人口が減少し始めている。しかし、医療の現場は、高度な技術に基づく患者の苦痛や侵襲の少ない治療と更に高い安全性を追求してどんどん進歩、進化していっている。その流れを止める事は出来ない。さすれば医療費は増大を続ける。しかし財源はこのままでは減少していく。ならば、財源確保のために個人の負担を増やすこともやむを得まい。だがそれ以外に方法はないのだろうか?「聖域無き、、、」という言葉があるが、本当にそうしているのだろうか?医薬品製造販売会社、医療器具製造販売会社などの「ビジネス」に大きな負担を要求していくのだろうか。いや、していく「べき」なんだけどな。
 最初に書いたように「医療はサービス」だと言われる。その前線にいるのは、医師、ナース、病院職員などの人間であるが、患者さんの診断や治療に際しては「診断機器」や「治療機器」や「薬剤」を用いるわけである。逆に言えば、こういった「機器」や「剤」を用いずに行える診療行為は非常に限られる。1億円や2億円という金がポンと必要になる最新診断機器を病院に導入するにしても、現場の人間には「経済感覚」であるとか「経営感覚」とかが要求されている。それらの高額医療機器や高額薬剤をもっともっと値下げできないのか?出来るはずである。しかしそれは「市場原理」と「自由競争」なので「国」は完全には管理できないのだ。現実はそういった機器や薬品の購入費も医療費に跳ね返ってくるのだから(それもかなり大きな割合で)、医療費抑制とか保険診療見直しとか介護保険とか年金問題の中には、医療で儲けている企業に対する「痛みを伴う」改革が必要なはずである。
 それがなされているのか、なされようとしているのか、私には見えない。
(今日の音ブロは「Princess Mononoke」です)

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2005.08.29

ファイナル・ガラ・コンサート

 昨日は、「庄内国際ギターフェスティバル」の最終日であった。
 ファイナル・ガラ・コンサートと銘打って、凄いコンサートが開かれた。午後2時から、休憩15分を挟んで3時間を超える長さであったがちっとも長いと感じなかった。それもそのはず、国内で今までこんな顔ぶれが並んで一緒に演奏した事ってないんじゃないか!?というメンバーだった。
Guitartickets
 音楽監督:福田進一、ゲスト主任教授:オスカー・ギリア、ゲスト出演:村治佳織、鈴木大介、大萩康治、アンサンブル指導&作曲、編曲:藤井眞吾。なんという豪華な顔ぶれ! 
 ギリア先生に客席で演奏を聴いてもらうために、一曲目に「トリ」を持って来て、藤井氏が編曲した「泥棒カササギ」のギターアンサンブル五重奏を(藤井氏以外の)上記5人で演奏。これは世界初演であり、会場ホワイエで5人のサイン入りの発売されたばかりの楽譜も売っていたので思わず購入した(ギター弾かねえだろ?)。(^^;;;
前半はその他にも面白い企画があったが、なんといっても圧巻は後半。大萩ソロ、大萩・村治デュオ、大萩・村治・鈴木トリオ、そして大萩・村治・鈴木・福田カルテットと一人ずつ増やしていって5曲演奏された。福田さんもMCしながら仰っていたが、村治・大萩デュオとか村治・鈴木・大萩トリオなんて公式の場の演奏では初めてである。「ギターの世界」に酔いしれた。
GuitarSign
アンコ−ルは、福田さんが即興的に作曲した「最上川舟歌による幻想曲」を上のカルテットで演奏してくれた。贅沢な時間を頂いた。福田さん、そして出演者にありがとう!と言いたい。
 後半の初めにこのフェスティバルでのマスタークラス受講生(ギリアクラス、福田クラス)の上位3名(実際は4名になったが)の表彰と記念演奏もあった。8才のあの少女は4位。未来の村治佳織であろうか。2位と3位はたまたま、それぞれ在日韓国人の男性と女性。テクニックの高さを示してくれた。一位は、パリのコンセルヴァトワールを首席で卒業した京都の男性。もうすでに国内リサイタルもこなしている人なので「さすが!」という感じ。
こういったレベルの高い人達が約1週間、講師と寝泊まりも共にして勉強し、最後に我々地元の人間とも交流も持ってくれた。素晴らしい企画と運営であった。
 コンサートの前と終わった後もフルートの練習をしたのだが、後の方が笛の音も響く感じがした。素晴らしい音楽家の生の演奏に触れて新しいパワーをもらった。音楽にはやはり力があると思う。
(今日の音ブロは「My Ship」です)

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2005.08.27

日直の合間をぬって

 今日はまたまた日直なので、時間の空いたときを見つけてこれを書いてみる。
 まず一つ目の話し。作曲家・指揮者の榊原栄さんが亡くなられた。そのことを知ったのは昨日だったのだが、8/11に逝去されていた。大変なショックを受けた。
 マエストロ榊原は輝かしい経歴を持ち活躍中の「若手〜中堅」の指揮者であり作曲家であった。「台所協奏曲(キッチンコンチェルト)」など子供向けのオーケストラ曲の作曲でも知られていた。
http://www.e-jam.com/sakakibara/index.html
突然の訃報に言葉が出なかった。マエストロとはH16の2月に同じステージにのらせて頂いた事がある。トヨタ・ファミリーコンサートの一環の事業として、我々のアマオケが地元でコンサートを行った。その時のスペシャルゲストは元宝塚のスター、真琴つばささんであった。真琴さんは特に寒さが苦手らしく、控え室に赤外線ファンヒータを準備して欲しいと要望があったため、私のを控え室にお貸しした思い出がある。ミュージカルナンバーなどを中心に歌い、最後は「十八番」というか自分の宣伝歌のような「つばさをください」で締めた。私たちオケは、全体の明かりを落として真琴つばささん用となったステージ照明の中で、舞台上ながらまるでオケピットのように譜面台につけるライトを使って楽譜を追い、演奏をした。マエストロの指揮は暗闇の中でもとてもわかりやすく、強くそして優しかった。笑顔がとても素敵だった。ボロディンの「イーゴリ公」の始めの方のフルートソロっぽい部分で、練習の時、曲想のイメージを伝えるためマエストロはこう言われた。
「あのね、月夜の晩に、月明かりの下で、眠った赤ん坊を、こう、優しく抱きかかえてる感じで。わかりますか?」
心に響き、そのシーンが目に浮かび、月明かりの色や気温まで感じられるような言葉であった。おかげで我々はすぐに反応できた。
 お蕎麦がお好きでいろいろ食べ歩きもされているらしかった。自身のHPにも「蕎麦狂詩曲」というページがある。これを書かれた方がすでに他界されているなんて俄には信じがたい。素晴らしい人を失った。
ーー
 さて続き。
MurajiSign 昨日は、村○佳○さんのコンサートだった。「響ホール」は大きなホールではない。室内楽やピアノソロくらいがちょうど良い、名前の通り響きの良いホールで、これまでにプロのCD用録音もけっこう行われている。世界的ピアニスト上○彩○さんもここで演奏された(別サイトで自慢しているように、その時、私の愛車の後部座席にお乗り頂くという光栄に浴した!)。
 村○さんはやっぱりスターだ。ギターの演奏はもちろん素晴らしい。更に、その人がそこにいるだけで空気が変わるような、カリスマ的雰囲気を持っている人だ。綺麗である事はいいことだ。ただ美人が故に苦労もあるかも知れない。「CD売れるのは美人だからね」とか「TVコマーシャルに出てるから」とかやっかみもあるかもしれない。でも昨日の演奏はそんなことが万一あったとしても全く気にする必要のない、すでにマエストロとも呼んでいい領域の演奏家になっているんだ、ということを思い知らされた。
 前半は、村○さんとギリア、福田両巨頭の組み合わせ。トリオとデュオ。そしてギター一本と男女混声合唱(といっても11人の小編成)の共演。後半は彼女の独り舞台。すべての曲が素晴らしかった。得意としている曲ばかりではあるが、シャコンヌも武満のビートルズナンバーも美しい響きをホールに満たしてくれた。アンコールは2曲。「タンゴ・アン・スカイ」は『カッコイイ!』の一言。女性でも彼女に惚れる、って言う感じ。弦だけでなくギターを打楽器にするその演奏は聴衆を釘付けにした。最後の最後は「アルハンブラの思い出」。名曲中の名曲。もう完全に「村○佳○の世界」。でも最後の最後に聴く者の心をこんなに掴んでおいて、「はい、終わり!」は辛いよね。
 オスカー・ギリア氏と福田進一氏は、後半は聴衆になって、真ん中の真ん中に取ってあった席の人となっていた。そこには鈴木大介氏、大萩康司氏、藤井眞吾氏というプロのギタリスト達も並んでいたし、その後ろの席にはまだ中学生で宮崎から参加した(当然オーディション合格者)受講生の女の子も座っていた。私は、その2列斜め後ろに座っていたので、聴きながら彼らの反応や拍手の仕方も観察する事が出来た。ギリア氏は時折、Bravo!のかけ声もかけていた。受講生最年少は、なんと8才の女の子。演奏を聴いた関係者によると、大人と変わらない音量とテクニックだそうで、ギリア氏のマスタークラスに入ったという事であったが、彼女はなんと一番前の真ん中に座り、本当にカブリツキで演奏を見、聴いていた。
ーー
 もう一つの話題。日本脳神経外科学会認定専門医の面接口頭試験が昨日と本日の2日間にわたって行われた。当院から受験に行った同僚が見事「合格した」とたった今電話をくれた。おめでとう!
 日本の脳神経外科専門医の認定試験は、麻酔科専門医認定試験と並んで最も古く伝統がある。更に厳しい事で有名である。専門科によっては(何科とは書けない)その年の受験者で「落第」するのが数名、という、本当に試験をしているのか?というものもあるらしい。日本の脳神経外科医は、その臨床を専門にやって6年経った者でかつ日本脳神経外科学会員になって4年を経過した者に「専門医試験」の受験資格がある。ただし「大学の脳外科の教授」など学会が認める専門医訓練施設のA項の長の推薦があってのことである。毎年およそ350名前後の受験者がありその6割ほどしか合格できない。逆に言うと、脳外科を専門に勉強して来た、世間では「脳外科医」と認められている(?)医師が受験しても4割、約130〜150人は「落ちる」のである。
 これだけ厳しい試験に合格しても、決して一人前とは言えない。むしろ「駆け出し」というか、ようやく最低限の脳神経外科学を学びこれから一人前の本物の脳神経外科医になるべく真の修練が始まる、という感じですらある。私は平成2年に専門医になったので、すでに専門医歴15年ということになるが、「まだまだ」という感じである。臨床は奥が深い。というか患者さんは「人間」なので一例一例違う。どれひとつとして同じものはない。だからすべてがtailor-madeでなくてはならない。
 時代はTailor-madeを要求しているのに、医療経済や医療政治的にはReady-madeで進んでいくように要求される事が多く感じる。そこで生まれるフラストレーションは自ら解消するしかない。患者さんやその家族は誰も我々がそんな事で悩んでいたり行き詰まっていたりする事を理解はされていないように思うのだ。 
 いかん、イカン。折角、音楽の楽しい話しだったのに。明日は、ギターフェスティバルは「ファイナル・ガラコンサート」である。講師、受講生、全員参加のきっと楽しい演奏会になるのだろう。
ーー
GuitarFesBeerG1
 夜、余目(あまるめ、と読む)駅前で庄内国際ギターフェスティバルのビアーガーデンが開かれたので顔を出して来た。福田さんもマエストロギリアもそこら辺の町民と一緒にゴザの上に座り折りたたみ足のテーブルを囲んで酒を飲んだ。
GuitarFesBeerG2
特設ステージではいろいろな催し物。最年少受講生の8才の少女も見事な腕前を披露した。
 村○さんが現れるかと思ったが、残念ながら私は救急患者で呼ばれてしまい、先ほど一人入院させたところである。ツーショット写真を撮りたいと思っていたのだが果たせなかった。残念!(><)

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2005.08.26

とりいそぎ

 台風はまだ東北地方に影響を及ぼしている。都心はもう大丈夫なのだろうか。
 さて、今日は、村○佳○さんのコンサート。ソロの他に地元の合唱団が加わったり、先日書いたオスカー・ギリア、福田進一という二人の「師匠」も加わる予定。 
 明日は、またまた日直だ。
 ということで、今日はもう帰ります。

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2005.08.25

人間だもの、、、

は、相田みつを氏の有名な言葉。
昨日のニュース(またAsahi.comから)
『厚生労働省は23日、医療費の総額「国民医療費」について、96〜02年度の7年間にわたって、計算間違いをしていたと発表した。患者の自己負担額を推計する計算式を間違えるなどして、実際より年間約670億〜2400億円多い値を出していた。計算し直し、02年度は31兆1240億円から30兆9507億円にするなど、各年度の数字を下方修正した。厚労省は同日付で、作業に携わった保健統計室の当時の室長補佐と係長6人を口頭厳重注意、監督者の担当室長3人を口頭注意の処分とした。』
 人間だもの、間違いはあるよね、誰にでも。責めちゃ行けないよね。でも医者の医療過誤やミスは厳しく責めるよね、厚生労働省は。監督官庁だもの、当然だよね。。。
 「口頭厳重注意」と「口頭注意」ってどういう風に違うんでしょうね?医者もミスを冒したら「口頭厳重注意」で済むのかな?済まないですよね。警察がでてきますもの。送検されたりしますもの。医療に対する警察の立場は、それが医学上許容される範囲であったとしても、何らかのミスが患者さんに悪影響を及ぼしたとしたら「医者が犯罪を犯した」という前提で捜査を検討するそうですよ。医者は、原則的にミスを冒しては行けない、100%の人間でいなければならない、というのが官憲の立場のようですよ。上記の役人の「ミス」は立件しないんでしょうか?しないですよね。役場の中での計算ミスのようなものですからね。
ーー
3日間、お休みを頂きました。
リフレッシュしてきました。でも今日から下の先生は、脳神経外科医にとって大事な関門である、専門医認定試験の面接口頭試問を受験するため東京に行きました。明日の午前中に試験なのですが、台風も近づいて来ているので、今日の午前中から出かけて余裕を持つようにアドバイスしました。お陰で私は、朝8:15に働き始めて、外来が13:30頃終わり、買っておいたカレーパンをかじりながら3日間溜めていた書類に目を通し診断書を3通書いて、すぐに耳鼻咽喉科の病棟に知人から頼まれた患者さんに会いにいき、その後病棟で最低限必要な仕事を済ませ、勤務中に頭部を打撲した患者さんを外来で診察し、また病棟に戻って指示だしや入力漏れを実行し外来と病棟のレセプト(診断、治療行為に合致する病名を付けたり入院患者の経過を書くこと、保険診療を認めてもらうために必要な医師の仕事)をやって、ほっと一息ついたらもう18時でした。
 このお休みの間、いろいろな所に行ってきました。
 先日、「牛タン、牛タン、ぎゅう、たん、タン、、、」のところで書いた仙台の老舗「太○」に行きました。なんと牛タン焼き「一人前1600円」と値上がりしていたのみならず、一人前の下に「3枚」と書いてありました。1.5人前のところには「4枚」と書いてありました。昔はこんな事書いてありませんでした。2年前で、麦飯とテールスープに牛タンが3、4枚とお漬け物がついて、「食事」と呼んでいますが、多分1100円か1200円でした。今では2100円という訳です。味は変わっていなかったと思いますが、「3枚」とか書いてある事が悲しくなりました。そんなせこい店ではなく、もうちょっと豪快というか、「俺は黙って焼いてるんだ。食う奴は食え!」みたいな親父さんが仏頂面で焼いている店だったのに。
 喜多方ラーメンは有名です。人口わずか3万人の街に、出前が出来るラーメン店だけで優に100件を超えるそうです。その中でも老舗は坂○食堂とま○と。月曜日に行ったら「ま○と」は定休日でした。他にも美味しい店はたくさんありますが、わざわざ行ったので久しぶりに坂○食堂に行きました。平日でもたくさんの人が並んでいます。ここはラーメンの事を「そば」といい、チャーシューメンのことを「肉そば」と呼んでいます。わからない人のためなのか、メニューの板に「そば(中華そば)」、「肉そば(チャーシューメン)」と送り仮名(というのか?)がしてありました。私は肉そばを注文。おお〜!変わらぬ肉の多さ。分厚〜〜い「煮豚」系のチャーシューが10個(枚のようなスライスではなく、『個』なんです)乗っています。麺もスープも豚肉も昔の味のまんま。お値段も850円と、そりゃ20年前に比べりゃ値上がりしたけど2年前に比べればほとんど変わりなし。
 普通の「そば」でも豚肉(チャーシューとはいいずらいので)は4,5個乗っていますが、「大盛り肉そば」というと本当に20個くらい乗っていて、麺もスープも肉のために見えないくらいなんです。26年前からこの店を知っていますが、ほとんど変わっていません。素晴らしい!
 驚くのは、今や「坂○食堂」は「坂○グループ」とかいって、都内を始め全国に数十店舗の大チェーン店を展開している事です。大丈夫なのか?と心配になります。喜多方本店と同じ味を出せているのか?土地代の高い都会で、同じようにチャーシューがゴロゴロと入った肉そばを850円で出せているのか?ファンとして不安です。でも牛タン屋の「太○」に比べればがっかりしなかった。時代の流れ、時の運、BSE問題の牛肉と無関係の豚肉の差。とはいえ、老舗2件を回ってちょっとした時事問題を実感したものでした。
ーー
 庄内国際ギターフェスティバルが始まりました。昨日は、前半はオスカー・ギリア氏のソロと後半は福田進一氏とのデュオでした。私はギターは門外漢ですが、細かい事を言えば、ミスタッチというのか、ギリア氏にはチョコチョコと見られました。多分、テクニック的な事から言えば、明日コンサート予定の村○佳○さんや8/28のガラ・コンサート出演予定の鈴○大○氏や大○康○氏の方がずっと指も動くし上手いのではないかと思います。しかし、ギリア氏の音楽はそんなものを超越している感じを聴衆に与えます。音楽を聴く喜びというかその場で共感、共有する幸せを感じます。一曲演奏終わるたびに氏が見せる、その可愛らしいとさえ言える笑顔に、私は「ギターの曲を聴いた」なんていう小さな事ではなく、「その場にいてギリア氏と同じ空気を吸っていた」ということだけで満足感を得たような気さえしています。
 やっぱり、音楽の、器楽の演奏というものは、ハート、魂、なんですね。
 人間だもの、、、ですよ。

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2005.08.21

ちょっと休憩。

わざわざこんな事を書く必要もないのですが、明日から3日間、残された夏期休暇を取る事にしました。
このブログと音ブログの方も、おそらく3日間(もしかすると2日間)お休みします。
今週は庄内国際ギターフェスティバルもあります。
http://www.shonai-guitarfes.com/
村○佳○さんにもお会いできるはず。とても楽しみです。
出羽、ちょっと出かけてきます。

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2005.08.20

老齢化社会と介護保険

昨日は医療費の事を書いた。その後、関連する記事をweb上で発見したので紹介する。断っておくが、私は日本医師会側とか何らかの政治的思想でこの事を述べているのではない。純粋に一医療職としてこの国の医療の将来を憂えているのである。紹介する記事には、私の言った事が具体的数字で書いてあるので興味のある方は見て頂きたい。
http://www.joetsu.niigata.med.or.jp/topics/details.php?rid=1121053465

 さて、今日は介護保険の事について触れる。
 8/14付けのニュースなので少々遅れているが、昨年度の介護保険のサービス利用者数は413万6300人で、01年度の調査時の利用者287万3400人から毎年40万人前後の増加が続いている、ということである。国民の30人に一人が介護保険を利用していることになる。
 まだ私も勉強中なのですべてを解明するように説明し得ないが、おおきな問題点が見えてくる。「介護保険」の財源は何か?ということである。そして「介護保険」は「介護」に使われているのか?ということである。
 参照サイト
http://www.city.nerima.tokyo.jp/kaigo/hokenryou.html
http://www.insweb.co.jp/0lifeins/03topics/01medicosts.htm

 結局、介護保険の財源は我々国民から、医療保険とは別に、または立場によっては医療保険の一部として納めているもので、サラリーマンにとってはあたかも「税金」のようなお金である。上のニュースのように介護保険の利用者が激増しているのだが、そのサービス内容は様々である。中には、「社会的入院」と言って、けっして病気に対する治療が必要で病院にいるのではなく、退院可能であっても自宅に戻れる状態(家庭の問題も含まれるが)ではないため、どこか施設入所を希望するものの受け入れる施設が不足していて退院できない、だから「入院」しているという状態がある。これに対して、介護保険認定の申請が出されれば医師としては「意見書」を書かざるを得ず、介護保険認定委員会では可能な限り申請者に有利に判断しようとすれば、認められる。
つまり、けっして病気に対する積極的治療が必要で入院している訳ではなく、受け皿さえあれば退院できるのに、それがないために病院で暮らしているような人に対して、介護保険が適用され医療費は介護保険の方から賄われたりするのである。介護保険から支払われている医療費は、国民総医療費の中に入っていると思うのだが、医療(健康)保険とは少し仕組みの違う財源である。
 高齢者が増えれば介護を要する人が増えるのは自明の理。そうしなければ「姥捨て山」の世界。介護の名の下に、しかし、入院して「医療」を受けている人がたくさんいて(入院患者の2割が『社会的入院』といわれている)、これが国民総医療費にも跳ね返っているはずである。
 昨日の話しに戻るが、その増え続ける国民総医療費を抑制しようと、上記のような矛盾点をたださずに、医師の技術料や診断料や手術料を下げようとする姿勢はなんなんだろうか?まず手をつけやすい、やりやすいところから、文句を言う人が少なさそうなところから、ということなのだろう。今、私が病棟で治療している患者さんのうち、本当に急性期病院の脳神経外科で診ていなければならない人は半分もいない。リハビリ病院でリハに打ち込むべき人、療養型病床に転院すべき人、施設に移るべき人、在宅で診ていける人、がたくさんいる。何故、それらをスムーズにそのあるべき姿に移せないのかと言うと、いわゆる(急性期病院にとっての)「後方病院、後方施設」が全く不足しているからである。
「ハイ、入院が一ヶ月になりましたから退院してください」
「あとはリハのみですから退院してください」
「在宅で診るのは難しそうなので施設に移ってください」
などとは全然言えないのである。こちらで「地域医療連携室」と「家族」の間を調整し希望を聞き、転院すべき施設に紹介し空きができて入院または入所できるようになるのを「待つ」のである。
この「待つ」の間、患者さんは「脳神経外科」の患者として入院し医療を受け医療費が発生しているのである。
問題は複雑ではあるが、どこを改善すればいいのかはいくつかは見えているような気がする。決して医者の技術料を下げる事が抜本的対策ではないことは、誰の目にも明らかであろう。

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2005.08.19

医療費のこと

 昨年度(H16年度)の医療費の事がニュースに載っていた。
ーー
(Asahi.comより)04年度の概算医療費が、前年度比6200億円増(2.0%増)の31兆4000億円になり、過去最高を更新したことがわかった。そのうち、70歳以上の高齢者の医療費は同4700億円増(3.8%増)の12兆8000億円で全体の40.6%に達し、初めて4割を突破した。
 医療費は、高齢化や医療技術の進展などで年3〜4%は自然増となる。04年度は2%増だったが、厚労省は「薬価引き下げ分などを勘案すれば、実質3%台の伸びで、基調は従来と変わらない」としている。
ーー
 この後半の二行は、前から私が言っている事。厚生労働省と中央薬事審議委員会と中央社会保険医療協議会らが薬の値段や医者の仕事の値段を決めている。そこには「良い意味での」差別化がない。一律、平等。悪平等の不公平、という奴である。
 後半二行を読み替えると、
「医療費を抑制しようと思って、医者が処方する薬の値段や医者が検査したり手術する技術料を下げたのだけど、高齢者が増えて病気の人は減らないので結局医療費は高騰を続けちゃっています(笑)」
ということである。
 技術の進歩や安全性の向上や新しい治療法の開発などはなかなか認めず、既にある検査法や治療法の値段を下げようと画策し、でも結局医療費の高騰を抑えられない。いえいえ、医療費は高騰して当たり前。下がるはずがない。だって日本は世界一の長寿国。世界一の高齢者王国。加えて、世界一の水準の医療技術。これを貧富の差に関係なく一律の料金で受けられる、「ありがた〜〜〜い」国なんですよ。
ーー
(Asahi.comより)医療機関別にかかった医療費では、大学病院などの「病院」が前年度比0.7%増の17兆1000億円、「診療所」は同2.5%増の7兆6000億円。「保険薬局」は同7.8%増の4兆2000億円。保険薬局は、ここ数年9〜16%台の大幅な伸びが続いており、厚労省は「医薬分業が進んでいる」としている。
ーー
 街中に「院外処方箋薬局」って見かけますよね。薬剤師さんが、病院で医師が作った処方箋を持って来た患者さんにその指示通りの薬を出してお金を受け取る「商売」です。これが「大幅な伸び」を示しています。「医薬分業」はいいのですが、薬局は大儲けですよ。院外処方箋受付薬局を開設する資金力があれば、薬剤師を雇って大きな病院の近くに薬局を出して、あとは左うちわですわ(ま、これは揶揄的な誇張表現も含まれます)。
 医療費の高騰を抑えるのには、まず薬の値段を大幅に下げたらいいのです。飲み薬も注射薬もまだまだ高いです。高い薬を使っても別に医者が儲けてはいないんですよ。だって「医」「薬」分業がすすむ、ということは医者が従来のように薬で儲けられない、ということですから。じゃ、誰が儲かってんだって?昔から製薬会社に決まっています。
 製薬会社は高額納税者様ですし、新聞やテレビの大大スポンサーです。大きな番組には必ずどこかの製薬会社のCFがあります。私は個人的に製薬会社に恨みはありませんが、医療費抑制のために、毎日努力して修行を続けて来た脳神経外科医の技術料、手術料が値下げされているのに、医薬品の値下げは少ないのではないか!政府は「本腰で」医療費を抑制したかったら、「薬代をさげろ!」ということになります。しかし、高額納税者様の力は強く、マスコミへの影響力も大きいので、製薬会社を悪者だ!という人はほとんどいません。「医者が悪い!」という人は一杯いるのに、です。
 製薬会社様は反論するでしょう。いや〜、薬価は下げられる一方で大変です。会社の存続がかかっています。
「は?」ですよ。今までが儲けすぎたんです。開業医担当の製薬会社社員は、朝出勤時にゴルフバッグを抱えて「では行って参ります!」と元気に外勤へ。開業医の先生と1ラウンド。その後は飲食に遊興の接待。それでその社員は売り上げNo.1でボーナスガッポガッポ。開業医様は、薬を買うとおまけとしてその倍以上の同じ薬をもらったりして、要するに薬で丸儲け。こんな時代があったんですよ。さすがに今は「ほとんど」ないでしょうけどね。薬価引き下げ、製薬業界への締め付けが始まって、彼らがやった事は、まずはリストラ。社員の口減らし。その次に、宣伝費の減少。特に医師への接待、その他の縮小。でも宣伝マン(これを従来プロパーと呼び、今はMRと呼ぶ)が本来使えるはずの宣伝費は削られたと言っても元が巨額なので結構まだあるらしい。いろんなパンフレットや宣伝グッズ(ボールペンやその他)を大量に作ってばらまきます。確かにこのボールペンなどをもらって仕事で使ったりはしていますが、ボールペンぐらい自分で買おうと思えば買えますよ。宣伝費を大幅に削って、薬価をもっと下げたらどうなんですか?医療費は何兆円の単位で削減できますよ。その分を、技術料のアップ、手術料のアップに回してください。
 努力したもの、修行しているもの、正しい事を一生懸命やっている者にもライトを当ててください。
 医学部卒業後も毎日勉強しこれまで修行した21年間の経験から今自分でなし得る最良の治療法を考えて患者さんに手術を行っているつもりです。昔に比べ侵襲の少ない(安全で痛みなどが少ないこと)検査を選択し、最新式のMRIで診断し、最先端の手術用顕微鏡と手術道具を用いて、2度の海外留学や大学病院で学んだ知識を総動員してベストの治療を行っているのに、「すべては中医協が決めた保険点数」で計られています。経験の多い少ないも、成績の良否も、関係なく、「医療費抑制のため手術料の値下げ」が数年前からず〜っと続けられています。
 一般市民の皆さんだけでなく、知識人の皆さん、国の要人の方々に問います。「プロ」をこんな扱いにしていていいんですか?イギリスみたいに医者が医療を放棄しますよ。救急医療が崩壊しますよ。
 銀座の銘店のお寿司にはたか〜〜いお金を払っても惜しくないんでしょ?なんで「いい技術」を持った医者には「たか〜〜いお金」を払わないんですか?
(医療は本来サービス。ボランティアたるべきもの。仕事の質や量をお金の額に換算するものではありません。)
↑は、私の心の中の「表」の声。その一行前までは「裏」の声でした。。。v(^^

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2005.08.18

高齢、痴呆、そして、、、

 今日のオペは、80才で痴呆がありグループホームに入所して2年以上が経っているお年寄りの「慢性硬膜下血腫」だった。慢性硬膜下血腫chronic subdural hematoma=CSHx.については、5/30の記事ほかいくつか触れている。今日の問題は、手術の内容ではなく患者さんの背景である(注意して書かないと個人情報の保護に問題が生じる)。
 日本は世界一の長寿国である。80才以上のお年寄りを見かける事も稀な事ではない。90才以上の方は、全国に101万6000人もいるそうである。日本人の125人に1人は90才以上の超高齢者なのである。昔の日本だったら、または高齢者の少ない外国だったら、80才の人に手術なんて考えないかも知れない。特に、脳卒中なら手術しても後遺症が残る可能性が高い(発症時に既に脳が破壊されているのだから)ので、手術の適応ということを十分に考える必要がある。
 しかし、脳実質に損傷の少ない、または全くない頭部外傷やくも膜下出血の場合は、手術をする事によるbenfitと手術によるriskを考えて、benefitの方が高ければ手術治療だって行うべきである。げんに、本日病棟にあがった2週間前に手術をしたくも膜下出血患者は81才。手術は成功した。患者は、60才の人の回復に比べればやはり遅いのであるが、4、5日前から少しずつご飯も食べ始め、今日は半分以上食べたし、笑顔も見られるようになって来た。このまま経過すれば独歩自宅退院が十分期待できる。本日、手術した慢性硬膜下血腫の患者さんは、80才というだけではなく元々痴呆があり耳が極度に遠い。手術して運動麻痺が回復してもそのまま寝たきりになる危険性もある。しかし、外傷であるし、手術しなければあとはそのまま血腫が脳を圧迫して左片麻痺に続いて意識障害、そして呼吸障害、そして死、に至る可能性が非常に高い(というよりまず間違いなくそうなる)。こういった場合、痴呆が改善する事は期待できないがそれでも手術で血腫を取り除いて命を救うということは無駄な事ではないと思う。黙っていたら助からない、手術をすれば助けられることがわかっていて手術をしないという脳神経外科医はどのくらいいるだろうか?
 これが、手術をしても命が助かるかどうか、助かったとしても寝たきりでほぼ植物状態に近い、というような場合は、80, 90の高齢者でなくてもたとえば60才、または50才という若さでも手術治療を行わない場合もある。家族に十分説明して、手術をして命が助かった場合のその後の事を考えてもらわなければならないのである。
 高齢で痴呆があって日常生活がままならず寝たきりかほぼ介助生活をしているような方が、命に関わるような病気になった場合、手術治療がどのような意味を持つのかは十分考えて行うのは当然である。逆に、高齢だから、痴呆だから、という理由だけで、疾患の特徴や病気の症状と予後を無視して適応を決めるようなやり方は決してやっては行けない。大事なのは、その手術治療をすると患者さんや家族が満足するか、喜ぶか、為になるかということである。医者の自己満足ではない。
 だからたとえ未破裂脳動脈瘤の予防的手術を検討する際、80才の高齢な方でも矍鑠としていて人生を謳歌していて十分な自活能力のある方には積極的に手術治療を進める事もあるし、70才でも見た感じよぼよぼでいくつかの疾患の治療中で日常生活が介助状態になっているような方には手術をすすめる事はない。
 本日の慢性硬膜下血腫は、局所麻酔で一時間以内に極めて低侵襲に終わる手術であり、運動麻痺が手術によって劇的に改善する事が期待されるので、痴呆のある80才でも十分に手術適応があると考えた。ただし、術後回復してもグループホームに戻るのであるが。
 日本の高齢化問題はこれからが大変。街中にそこら中に、80才、90才の人が一杯いて、特別養護老人ホームは空き部屋がなくて入れない。高齢の人が病院や回復期病床、療養型病床に溢れ、急性期病院にお年寄りが沢山入院していて、緊急患者さんの入るスペースが足りなくなってしまうかも知れないのである。さあ、皆さんはどうしますか?

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2005.08.17

一年

 このブログを始めたのは今年からだが、自分で勝手に「本サイト」と呼んでいる、『☆ I love flutes & piccolos ☆』の方は、昨日で満1周年であった。昨日は手術なので忘れていて今日になって気づいた。
 最初に比べると、最近はこちらとあちら(音ブログ)で忙しく、本家へ行っている暇がない。ちょっと欲張り過ぎなんだけど。
 暇、といえば、仕事は決して暇ではないがまあまあ落ち着いている。昨日オペした脳腫瘍の患者さんは術後経過良好で、本日一般病棟へあがった。脳出血で脳室ドレナージをしていた患者さんは月曜日ドレナージを抜去した後の水頭症出現はなく、まだ意識障害は強いけれど本日一般病棟にあがった。椎骨動脈解離によるくも膜下出血で水頭症の治療に苦慮している患者さんは、先週シャントを新しいのに全交換して意識障害と呼吸不全は回復したが、外転、顔面、舌咽、迷走の各神経が両側で機能低下したままである。しかしこれも徐々に改善している様子であるので、一般病棟にあがりリハビリを再開する事になった。
 先々週緊急手術をした破裂脳動脈瘤によるくも膜下出血の方は、スパズム期を過ぎるところ。今日で術後丸14日。10年前に右の脳出血を患った後遺症で軽い左麻痺があるが、ようやく自分でご飯も食べだしたところ。高齢なので寝たきりになってしまわぬよう刺激付け、リハビリが必要。ICUから一般病棟に出る予定。軽い脳梗塞の治療のため入院中、急性心筋梗塞になった方もHCUにいるのだが、心カテ(心臓のカテーテル検査のことをこう呼ぶ)では血管につまりはなく心筋酵素の上昇もなかったので、一過性の血管の痙攣だったのではないか、ということで脳外科病棟に戻れる。この二人を病棟に戻すと、なんと珍しい事に脳外科の患者がICU/HCUに「0」ということになる。少し寂しい気もするが(ICU/HCUのナースに会えないし?)これは目出度い事である。
 まあ、こんなこともある。どうせまたそのうち、イヤ!という程急患が来てICU/HCUが賑やかになり、「先生、ICUが満床なので誰か病棟に出せる患者いませんか?」という相談を受け「そんな事言われても、上の病棟に個室は空いてないし、困ったな〜」という会話がなされる事になるのだ。楽が出来る時に楽をしておこう。と思ったら診断書など書類が5冊あったので、サッさと片付けた。
 というわけで、本サイトが一周年を迎えたのも忘れていた、昨日であった。

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2005.08.16

非優位半球

 本日は脳腫瘍の手術であった。予定は5時間にしていたが、非常にスムーズに3時間強で終わった。場所は右の前頭葉の深部で表面からは全く見えない場所である。手術前の3方向のMRI(軸位、冠状断、矢状断)と脳血管撮影で同定した静脈から、開頭の場所と大きさを決め、硬膜を開いて脳の表面を走る静脈の形から腫瘍が存在すると想定される方向を推測して、そこに術中超音波エコーを当てた。予想通りドンピシャで推測部位の真下2cmくらいのところに腫瘍を示すエコーの高反射映像が見えた。
 そこから脳の表面を切って奥に入り、約1.5〜2cmの深さで赤黒い腫瘍に到達した。後は、腫瘍と周囲の変色した白質の間を切除しながら腫瘍栄養血管を凝固切断し、少しずつ腫瘍を脳の中から掘り起こすようにして全摘出できた。出血はほとんどなく輸血は不要であった。手術終了後20分しないうちに、患者さんは目を覚まし、ICU/HCUに戻った頃には会話が十分可能である。
 なぜこんなに手術がスムーズに行って回復が早いかというと、右利きの人の右の前頭葉、すなわち「非優位半球」の前方にある腫瘍だったからである。非優位半球とは、言語の優位性のない大脳半球という意味である。むかしは言語中枢のある優位半球に対して「劣位半球」などと呼ばれたりしたが、それは「表日本」「裏日本」のように差別的呼称であり、今は右利きの人の左脳が優位、右脳が「非優位」と呼ばれている。
 この患者さんは右利きなので、右の前頭葉には言語中枢が存在する確率は非常に低く、しかも前方にある腫瘍であったので、浮腫によって軽く左下肢の運動障害はでていたものの、手術で運動麻痺を生じる危険性も極めて低く、決していい加減な手術ではなく慎重に切除は進めたけれど途中に懸念する部分や心配する場所もないので、「サッサッ」という感じでとれてしまった。
 非優位半球は、それじゃ何もしていない脳なのかというと、そうではない。特に側頭葉や頭頂葉は、空間認識や立体識別覚、絵画などをみて美しいとか平面の絵の中に3次元を感じる能力や、たとえば「そろばん、暗算の名手」がものすごい数の演算をやっている時にその頭の中で「算盤の珠が動いて見える」というような能力を担っているらしい。しかし、非優位半球の前頭葉の特に前方は日常生活や普通の仕事を行う上では損傷しても何の影響もない事が多い。昔からこの部分は一番先端の方から6cm、場合によっては8cmくらい切除しても何も障害を残さない、と言われている。しかし、一人一人脳のシワ(脳回)の形も場所も微妙に違う訳だし、ペンフィールド博士の脳地図に近いとは言っても一例一例皆微妙な違いがあるので、思わぬ障害が出る事だってありうる。そこで全く安全と考えられる場所を選択してそこから切除を開始した。そこは、脳室ドレナージや脳室腹腔シャント手術で脳室にチューブを差し込む部分である。右側の前頭葉のここで何か障害がでた経験は全くない。そこを中心に約2cm程の切除面を設けてそこから深部の腫瘍を掘り起こして全部取った訳である。
 だから手術時間も短く障害も全く出ずにスムーズに手術が終了できるのである。おそらく明日のCTで異常がなければ病棟に戻って食事も開始し、リハビリもせずに術後2週間以内に退院が可能であろうと思われる。
ーー
 本日の手術に入る1時間少し前に、宮城県沖で大きな地震が発生した。この病院も震度4ということで結構ゆ〜らゆ〜ら揺れた。しかし手術には何の影響もなかった。地元の高校は甲子園で精一杯頑張ったが、やはり甲子園の常連というか古豪には歯が立たなかったようだ。

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2005.08.15

音楽の映像

 音楽、特にクラシックの演奏はできれば生で聴きたい(これはロックだってポップだってそうでしょうが)。
 音楽は「聴くもの」ではあるけれど、クラシック音楽にだって「見る」要素は多分にある。かっこいい指揮者が悲痛な表情でチャイコフスキーを振ったりすれば、男性の私でも見とれ憧れる。威厳と慈愛に満ちた風格漂う老練の指揮者がオケを従えて自在な棒を振れば、聴こえてくる音そのものに加えてその空間を支配する幸せな雰囲気が時間を共有する聴衆にも降り注いでくる。そんな時はとにかく手が重くなるのも忘れてひたすら拍手を送る。
 日本人の若手の女性演奏家に、ただ若いというだけではなくルックスを兼ね備えた実力者が多くなっていて、HPやファンクラブもあったりする。こういう事に眉を顰める向きもあろうが、私はとても良い事だと思う。クラシック音楽に対する偏見を取り除いてくれる一助になるだろう。難しい顔をして一端の評論家ぶって演奏の解釈だとか演奏者の技術だとかを批評したり感想を述べるのがクラシック音楽ではない。もっと「楽しむ」ものである。
 世界陸上で少しは男性陣も頑張ったように(?)、音楽の世界でも女性に押されていたいい波が少し男性にも来ているようである。「五嶋みどりの弟」として注目されている五島龍さん(君ではなく、あえて『さん』と呼びたい)がメジャーレーベルからCDデビューした。まだ聴いていないがとにかく素晴らしいらしい。「、、、の弟」という呼び方はもう辞めて頂きたいと思う。神戸で開催された第6回国際フルートコンクールで小山裕畿という19才の青年が一位になった。ベルフィル首席フルーティストの(憧れの)パユがこのコンクールで一位を取っている。将来性、期待が大である。まだ実際の演奏を聴いた事がないのだがとにかく素晴らしいらしい。
「若手の男性もがんばってんじゃん!」、である。
 音楽を見る、といえば、昨日放送のN響アワーは先週に引き続き司会の二人がスタジオの外に出てのものだった。日本の近代のクラシック音楽会に大きく貢献した二つの音楽堂(ホール)が紹介された。日比谷公会堂と東京文化会館。この二つには個人的な思い出がある。
 大学生の頃、知り合いの人に「来てみない?」と誘われて、日比谷公会堂での映画撮影のエキストラをやったことがある。村川透(大都会パートIIIとかで有名)という山形出身の映画監督が大藪晴彦原作「野獣死すべし」のワン・シーン;主演の故松田優作と相手役の小林麻美が日比谷公会堂にクラシックの演奏会を聴きに来ているというシーン;の一聴衆なので映画には映っていなかった(ガックシ〜)。花房晴美さん独奏でショパンのピアノ協奏曲が実際に演奏されたが、指揮は村川透監督の実の兄で、当時山形交響楽団常任指揮者(現創立名誉指揮者)の村川千秋氏であった。「なんでこんな古い建物でやるんだろう?」と当時は訳もわからずにいたが、昭和4年に竣工した由緒正しい日本のクラシック音楽シーンそのものと言えるホールだったことを昨日の放送で知った。
 東京文化会館については8/10のブログに少し触れた。小学生が対象のピアノコンクールとはいえ、一応全国大会であったし、私は中国四国地方代表だった。田舎者の小学生に「東京文化会館」なんて言ってもな〜んにも知らなかった。親に連れられるまま「発表会」に参加するノリで行った。ステージがやたら広かったのは覚えている。客席を見る余裕はなかった。緊張はしていたと思う。でも何が何だかわからないうちに終わったのだ。自らコンクールに出たいと思った訳でもなく、ピアニストになりたいと思っていた訳でもなく(小学校5年生だったがぼんやりと医者になりたいな〜と考えていた)、コンクールに出ていい成績を残そうとか全く考えていなかった。それよりも演奏した曲(課題曲と自由曲)すら、ただ譜面に書かれている通りに間違えないように弾いて先生に教えられた通り演奏する、それしかなかった。作曲者がどうとか曲のアナリーゼがどうとか全くわからないお馬鹿な小学生だった。fとかpとかそんな事の「本当の」意味すら知らず、f=大きく、p=小さく、だと思っていた。
 当時の記憶は曖昧になってはいるが、このコンクールについて覚えている事が4つある。一つは、私は「補欠」であったこと。実は中国四国地区予選で私は優勝できなかった。だから全国大会に出れるはずではなかった。それが小耳に挟んだ話しでは、その年の小学生上級部門に男子が0だったらしく、本部の方で「どこかに適当な男の子はいないのか?」となって次点だった私が拾い上げられたとの事だった。別にプライドは傷つかなかったがそんな話しが耳に入って、「次点か〜」と思っていた事は事実。2つ目は、本番で確か私の直前に演奏した仙台出身の6年生の女の子が優勝したのだが、彼女がオマセさんだったのか、彼女の演奏が終わって舞台袖ですれ違う時に「頑張ってね!」とホッペタにチュッ!とされた(ような記憶がある)。3つ目は、その時の演奏が録音されたレコードを聴いてもわかるのだが、とっても広いホール、広いステージだったので、小学生の僕がステージの真ん中に置いてあるピアノにたどり着くまで「コツコツ」という靴音が長く響いていた。4つ目は、審査が終わって審査委員長の講評のとき(どなたかは存じ上げないがきっとそれなりの著名な人であろう、女性だった)が、「今年はレベルが低い!」と言われた事。「あ〜、次点で補欠の僕なんか出てるしね。」とちらっと思ったが、そんな事は未だかつて親にも誰にも言っていなかった。子供だってわかってんだし少しは傷つくんだぞ〜!とその時の「先生」に申し上げる。(^^;;;
 その東京文化会館が5階席まであるとは昨日の放送まで知らなかった。あんなに広いホールで、私の貧弱なピアノが鳴り響く訳はないが、まあ、結果としては「上野の文化会館のステージでピアノ独奏をしたことがある」と言ってもウソをついていない事になるのだ。いつかフルートで乗るぞ!
そんなことを考えながら観ていた「N響アワー」であったが、最も感銘を受けたのは最後に流れた映像。なんとエルネスト・アンセルメが約40年前に振った映像であった。私は実際の演奏は聴いていない。噂しか知らない。そういう人の指揮、立ち居振る舞い、そして演奏が観て聴けるなんて、なんと映像記録とは素晴らしい。
 更に、先日買ったム○マ○のDVDマスタークラスシリーズ。故吉田雅夫先生に、ウィーンフィルのシュルツ氏、ミュンヘンと芸大の教授であったパウル・マイゼン氏。こんな素晴らしい人達がまるで直接教えてくれるように丁寧に楽曲を解説し解釈を述べ演奏技法を伝授してくれる。大袈裟に言えば世界のフルート界の財産のような物である。これが半永久的に手元にあるなんて素敵な事である。ケースを眺めているだけで幸せな気分になれてしまう。音楽の映像には夢がある。

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2005.08.14

脳の機能分化と同定

 今日は日曜日。お盆の中日で入院患者さんも少し減り、ICU以外は平穏な感じ。早く帰って笛でも吹こう、と思っていたが、TB先の医学生のサイトにウェルニッケ野の事が書いてあったのですこし反応する。
 私が、そもそも、脳外科医を目指した理由の一つに、Wilder Penfield博士の存在がある。カナダのモントリオール神経科学研究所(MNI)を創立した脳外科医で、医学教科書以外にもよく書かれている、運動野や感覚野の対応する身体部位のhomonculusの絵の元になる研究をした一人として知られている。20世紀前半に活躍された方なので既に他界されているが、1954年発刊の名著「Epilepsy and the Functional Anatomy of the Human Brain」(てんかんとヒトの脳の機能的解剖)は私の宝物(約20年前に買った、すでに絶版となっている)である。
 内容は素人の方にはかなりショッキング。しかし、Penfield博士の仕事のお陰で脳の研究、理解が飛躍的に進んだ事は間違いない。現在の一つ前の世代くらいの大学教授達の中にはMNIに留学した脳外科医がたくさんいる。かいつまんで言うと、頭を開いて手術をしている最中に、脳の表面に小さな電極をおいて微弱な電流を流しながら、一時的にその部分の働きを麻痺させて、その際の患者さんの反応を調べる、という仕事である。「個人情報保護法」なんて存在しない、第一次と第二次の世界大戦の間の頃の話しなので、本を読むと『患者M.N. 52才、脳腫瘍、図で示した中心前回のXXの部分に電流を流すと、「先生、右の親指と唇がしびれました」と言った』という感じで、細かく手術中の患者とのやり取りや患者の発言、反応が記録されているので、その患者が誰なのか調べようと思えば簡単に特定できてしまいそうな内容ではある。
 こんな名著はもう出ないと思っていた。なぜなら、こんな手術は全身麻酔法が未確立でリスクの高かった、彼の時代だからこそ成り立った物である。全身麻酔と言っても、今のように閉鎖式循環麻酔器などはなく、麻酔医がエーテルをぽたぽたたらしたガーゼをかがせながら患者の自発呼吸のあるままで行っていたので、麻酔が浅いと患者は痛くて暴れだし、深すぎると呼吸が停まってしまって手術台の上で死亡する、という位リスクの高い時代である。ところが、以前にも書いたように、脳は「痛み」を感じない組織である。頭で痛いのは、皮膚、一部の硬膜(という脳を包む膜)位なので、鎮静(鎮痛ではない)させて頭皮にたっぷりと局所麻酔薬をうてば全身麻酔をしなくても開頭手術が可能であったのである。ただその当時の患者さんは、いくら「ムンテラ」されたとはいえすごい度胸と忍耐力だったな〜と感銘を受ける。
 20世紀の最後の最後、1992年だったかな、にプロポフォールという薬剤が発売され世界中に広まった。この薬剤は静脈に投与する注射薬であるが、鎮静効果に優れている上、非常に切れが良い。薬を切って10分もするとグーグー寝ていた人が喋れるようになる。それを用いて、無挿管の全身麻酔(酸素をかがせながら注射薬だけで麻酔の深さをコントロールする、これはパソコンなどを麻酔器の傍において、薬物投与量と積算量と麻酔の深度を計算しながら綿密に行われる)で脳外科の手術も行われるようになった。頭を開いて顕微鏡が術野に導入される頃合いを見て、プロポフォールを切る。患者が暴れたり騒いだりしない、静かな覚醒がこの薬の持ち味。
「○○さん、わかりますか?」
薬を切って10〜15分くらいして呼びかけるとうなずきながらうっすらと目を開ける。
それまでの間に周囲に用意していた様々な機器で脳表の電気刺激による検査を始める。
事前にMRIやMEGなどを用いて検討していた、病変と切除部位の関係をナビゲーション装置や様々な最先端機器を用いながら術野に応用する。そして特別に開発した細くて柔らかくしかししっかり持てる電極を脳の表面に当てて、0.5〜10mAという弱い電流を流しながら、患者さんにいろいろな質問をする。よくやるのは、刺激に対応すると思われる手の指を「動かせ」と命じたり、スライドを見せながら「これは何か?」と答えをいわせるものである。
容易に想像できるようにものすごく手間と人手がかかる。手術を直接担当する執刀医(主に教授)、助手2名、麻酔医2名、脳表の電気刺激とそのときの脳波の記録を担当する医師2名、スライドを見せたり質問しそれを記録する医師2、3名(言語療法士や言語学の研究者をまじえる事もある)、手術野の絵を描いたり記録を行う医師1、2名などなど。最低でも8名、多いときは12名くらいの人手がいる。これに手洗いをした器械出しナース、サポートナース、手術の様子の写真やビデオを取る技師などをいれると手術室に患者以外で15名くらいの人が必要になる。一般市中病院ではこのような人手は得られないので、一人がいくつかの仕事をかけもちしたり同時に行う事になるが、結構煩雑な仕事が多いので大変である。こんな高度な最先端な事を行っても、保険診療上は「覚醒下脳腫瘍摘出術」などという項目はないので、普通の脳腫瘍の手術と同じ点数約80000点で終わりである。
だからどうしても人手が集まり研究を行う大学病院で行う事が多い。
 こうして、昔だったら「切ってみなければ後遺症が残るかどうかわかりません」「出来るだけの事はやりますが、術後に失語症がでるかもしれません」なんて言っていた時代が、ペンフィールドの人の脳の地図を参考にしながら現実の患者の脳の地図を現場で作成する事によって、100%とはいなかいもののかなり高い確率で「手術後に失語症が生じないように切除できると思います」という「ムンテラ」が行える時代になって来てはいる。まだまだ発展途上の手術法ではあるが、これが必要な患者には必須のものとなる時代も来るかも知れない。ちょっと前に現場にかかわっていた(脳の電気刺激とその記録、脳波の計測など術中神経生理検査を担当)私ではあるが、必要な患者さんは大学病院に紹介して教授に執刀して頂くようにしている。
 よりよい医療を受けるチャンスがあるのなら、その事を知っていてそのように紹介したり勧めたりするのも医師の実力のうちだと思う。何でも自分で抱え込んだり、自分の病院だけで治療を完結させようとするのは正しくない事もあるのだということである。

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2005.08.13

お盆と病院

 東京と違って田舎は今がお盆。周辺の個人開業医も昨日12日から月曜の15日まで、土日をはさんで4連休にしているところが多い様子。
 今日は病院の日直だった。そういう事情でたくさん患者さんが来るのを覚悟していたら、救急車一台、入院2名、全体としても日中の救急外来受診数40名くらいと少し拍子抜けするくらいだった。まあ、急患が少ないという事は患者さんがわにとっても医療者側にとってもいいことであろう。
ーー
 昨日の続きの話し。
 GCSの事。コメントで指摘があったように、「GCS8点」という総合点での呼び方よりも、「E3V2M3」というようなそれぞれの程度を表現する方が実際的ではあるが、救急外来にいる人や脳外科医以外の医師、看護師、技師、救急隊員などが皆同じように精通していないと、「情報の共有」にならない。
GCSの点数の付け方;
a) 開眼機能(Eye opening)「E」
 4点:自発的に、またはふつうの呼びかけで開眼
 3点:強く呼びかけると開眼
 2点:痛み刺激で開眼
 1点:痛み刺激でも開眼しない
b) 言語機能(Verbal response)「V」
 5点:見当識が保たれている
 4点:会話は成立するが見当識が混乱
 3点:発語はみられるが会話は成立しない
 2点:意味のない発声
 1点:発語みられず
c) 運動機能(Motor response)「M」
 6点:命令に従って四肢を動かす
 5点:痛み刺激に対して手で払いのける
 4点:指への痛み刺激に対して四肢を引っ込める
 3点:痛み刺激に対して緩徐な屈曲運動
 2点:痛み刺激に対して緩徐な伸展運動
 1点:運動みられず

この点数の付け方とその意義を共通に認識していないと、「E3V4M4で11点」と言ってもなんだか虚しい。
JCSでも同じように問題点がある事は昨日書いたが、GCSでも「失語症」の患者さんでは、Vが1点になってしまう。完全失語になってしまった人は、意識状態が悪くもないのになぜか開眼しない事が多く、目を開けさせようとするとかたくなにつぶってしまう人もいる。するとEが1点になってしまう。ところがMは5点で、E1V1M5=7点ということになる。これではかなり強い意識障害のある重症の人という事になるが、もし言葉が喋られる状態ならE4V5M5=14点という風になるはずである。
 JCSもGCSも、診断、治療に当たる側が、患者さんの今の意識状態を把握し、その後の治療経過で改善しているのか悪化しているのか、手術を急ぐのか、夜中でも主治医を呼ぶのか、治療が効を奏しているのか、などを判断し情報を共有するための手段である。我々はよくナースに「意識が2桁になったらすぐ呼ぶように」などと言っている。2桁とは、JCSでIIの段階、すなわち10, 20, 30の状態である。脳出血などがあって意識が2桁になるということは、出血の増量や血腫の圧迫による脳浮腫が強くなって意識が悪化し、脳ヘルニアを起こす直前までに移行している危険性がある。緊急手術が必要となる事もある状態である。すぐにCTを撮る必要があることもある。ただ、「2桁です」と言われて見に行くと実際はそんな意識ではなく、ただ眠くて目を開けようとしないだけだったり反抗的に目を開けないだけだったりする事もあり、そんなときは何らかの他の方法で現在の意識状態を探るようなちょっとしたコツがいるのである。
 さて、日直も終わったのだし家に帰って休もう!

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2005.08.12

JCSとGCS

 明日はまた全館日直なので今日は簡潔に。
 意識障害、つまり意識がクリアでない状態の、その「程度」をあらわす方法に、タイトルの2つがある。JCS=Japan Coma Scale、GCS=Glasgow Coma Scaleである。似ているけれど結構違う。
 JCSは「日本脳卒中の外科研究会(現在は学会)」が作成した、最初は「脳外科医による脳外科医のための」意識障害の程度分類であったが、いまや救急隊員や看護師も普通に使っている。別名を「3−3−9度方式」ともいう。これは、患者さんの意識をまず大きく3段階に分ける。I=何もせずにとにかく目を開けている状態;II=何か刺激を加えると目を開けるけれど放っておくと閉眼してしまう状態;III=どんな刺激を加えても目を開けない状態、の3段階にわける。そして、それぞれの段階の中を更に軽症、中等症、重症の3つの段階に分けている。たとえば、II-1というのは、「名前を呼ぶと容易に目を開ける」というような状態。II-2は、「軽く叩くなどの刺激を与えれば目を開けるが声をかけるだけではダメな状態」。II-3は、「強い刺激を与えればようやく目を開けるという状態」。このように、それぞれ、I, II, IIIの中を1, 2, 3と細分化して、3段階を更に3段階に分けた結果、全部で9段階になるので、「3−3−9度」と脳外科医のどなたかがセンスよく名付けたらしい。
点数の付け方としては、I-1とかII-1とかいうよりも、1(=I-1), 2, 3, 10(=II-1), 20, 30, 100, 200, 300という呼び方が多く使われる。
 一方、GCSは英国のGlasgow大学で作られた基準で、英語圏を中心に世界的に使われている(逆にいいうとJCSはとてもわかりやすいが世界的には通用しにくい)。GCSは、1)目をあけているか、2)手足をうごかすか、3)言葉を話すか、の3つの事柄を「自然にできる、または自由にできる」から「全く出来ない」までそれぞれの事柄別に順に4段階、6段階、5段階にわけたものである。よって最高点は4+6+5=15点で、最低点は1+1+1=3点という風にあらわす。JCSよりは統計処理に使いやすいが、たとえばある患者さんのGCSが8点といっても、それが各項目でどのようになっているのか、たとえば3+3+2なのか、2+5+1なのかは、数字を言われただけではわからない。でもテレビドラマ「ER」などで、救急隊員が患者を緊急移送して来た時にERの医師に「患者は40才男性。車にはねられ受傷。血圧は120/80でGCS9点。」などと言っているのを見た事があるかも知れない。頭部外傷などでは、GCSが8点未満の患者さんは重症で予後は不良の事が多いので緊急来院時の点数である程度の重症度、緊急度がわかるのである。
 さて、点数を付けるのいいけれど、そのためには「判断」という作業がいる。これが人によってはきちんとできない訳である。いや、脳外科医の中にもきちんとできない人がいるかもしれない。それくらい意識障害の判定というのは微妙なところがある。たとえば救急隊から急患室に電話が入る。「70才の男性。右マヒがありJCS100です。すぐに搬送します!」と言われれば、かなり重症な脳出血か脳梗塞が来るのだな、とこちらは身構える。ところが来院してみると、患者さんは目を開けている。でもこちらの命令には全く応じない。時に目をつむったりする。これは何かと言うと、左大脳半球が障害されたため、右手足の運動マヒとともに「失語症」が出現している状態である。だから何を言われても反応できないし返事もしない。そういう人が目をつむっていると、「閉眼していて刺激では目を開けず」=JCS 100(=III-1)、というあやまった判断をしてしまうのである。実際は、失語症のために何の言語反応も出来ないだけで、よく観察すると動かせる左手足では合目的的運動をし、目を開けた時には何か訴えかけるような表情をする。そういった場合、意識状態はJCS Iの段階である。しかし、これは救急隊員ばかりではなく、看護師も他科の医師もよく間違える。それは脳外科医のように毎日意識障害のある患者さんを診てトレーニングを積んでいないからである。
 「臨床研修必修化」が始まって2年目であるが、このプログラムの中で「意識障害の判定が出来る」という部分に私は不安と不満を持っている。なぜなら、研修医は脳外科を研修する必要はない。義務ではないから研修しない。しかし、他科の医師に、意識障害の見方を正しく豊富な症例とともに教育できる医師はいないと思うのである。今日はこの辺でやめておく。

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2005.08.11

診療単価

 病院の経営改善委員会に出席した。病院の赤字を減らし無駄を削減して健全な経営を行う事は、そこに勤める我々職員だけでなくそこで診療を受ける患者さんやその家族にとっても大事な事である。しかし、綺麗ごとを言ってみても要するに「儲けるように努力せよ!」ということになる。
 脳外科は、H15年度からH16年度にかけて、入院部門も外来部門も「診療単価」は上昇している。つまり「稼ぎが減っていない」ということになる。医療費削減で、注射も内服薬も検査も安くなり、手術料もより高度な手術を行うようになっても手術名が同じなら診療報酬は同じであり、最近の傾向としては値上がりを抑えられているというよりは減少させられているのである。デフレ傾向はこんなところにもみられる。
 そのような状況で「診療単価」、すなわち一人の患者さん当りから得る診療収入を増やすのは容易ではない。検査を増やし投薬を増やし手術を増やし短期間で回転する患者さんを増やすと「診療単価」はあがる。しかし、時代は「出来高払い制度」から「包括医療制度」に移りつつあるのである。こうなるといよいよ「金にならない患者さん」を長々と入院させておけばおく程、病院の損益に繋がる。公立病院だって「上」の方から覚え目出度くなく、「○○病院は赤字だ」「経営が悪い」「予算を減らす」などという脅しではなく本当のことが起こってくる。現実に、我々医師が時間外(夜間や休日)に働いた事に対する手当は予算に上限が作られ、酷いときは50%もカットされている。100時間の時間外労働をしたとして、「50時間しか時間外労働をしていない」という風に事務の方で書き換えられてしまうのである(これはなんだろう、公文書偽造とか労働基準法違反とかにならないのだろうか?)
 我々脳神経外科医の本来の仕事は、外傷、脳卒中などの緊急患者さんの診察、加療、必要に応じて手術、脳腫瘍患者さんの診療、手術、そして周術期管理である。慢性期の患者さんは、本来内科医が診るべき状態である。なぜなら、高血圧の薬、高脂血症の薬、頭痛薬を投与して年に一回くらいCTを撮ったりしているだけであるから、外来で必ずしも「脳神経外科専門医」がいつも見ている必要はない。積極的に、開業医など地元にかかりつけ医をつくりそこに患者さんを紹介して普段の診療をして頂くのが望ましい。慢性期の患者さんが減った分だけ、急性期の患者さんの診療に日夜奮闘すればいいはずである。しかし、実態は、外来では「降圧剤」だけ服薬している超慢性期(発症から7年とか)の脳出血患者や、頭痛持ちで鎮痛剤がやめられない患者が多い。入院患者も半分以上は脳卒中の慢性期で、リハビリをしているのが入院の主な理由である人や、寝たきり状態で転院する病院、施設のベッドが空くのを待っているだけの方も相当いるのである。こういう方は、「診療単価」は低い。すでに慢性期で安定しているのだから、そんなにしょっちゅう血液検査やCT/MRIなども必要ない。入院期間が長くなればなるほど、入院費も安くなる仕組みになっている。だから家族を呼んで、積極的に転院を勧める。自宅に帰れる見込みの高い人はそれでいいのであるが、帰る見込みの低い人がたくさんいる。主な理由は、脳卒中によるマヒが強くてまだまだ3ヶ月から半年くらいの入院リハビリが必要である事、食事がとれず経管栄養で胃管を挿入していたり内科的に胃ろうを増設して流動食を投与している事、などである。
 急性期病院として認められるためには、病床稼働率といってどれだけ有効にベッドを「埋めているか」、平均在院日数といってどれだけ短期で「退院させているか」にある基準が合ってそれをクリアする事を求められる。そして「診療単価」を上げるためには、簡単に言えば「診療単価」の低い患者さんをさっさと退院させる事である。言葉が悪いが、「急性期病院」としての役割分担に徹する事である。
 ところがこれがなかなか実現できない。主な原因は、「後方病院、施設」の不足である。移る病院や施設がないのだ。あっても遠かったりして家族が敬遠する。リハビリを行える施設が限られている。療養型病床でも「3ヶ月待ち」は当たり前。特老になると「123人待ち」などと言われていつになったら空くのやら見当もつかない。これでは、慢性期、超慢性期の入院患者さんを減らしたくても減らせない。本来の脳神経外科医の急性期疾患への昼夜を問わぬ診療以外に、大事な仕事ではあるけれども「役割が違うんじゃないの?」という仕事をせざるを得ないのが現実。
 いつぞやの「脳ドック廃止論」者に、「欧米の脳外科医を見習って日本の脳外科医も本来の脳外科医の仕事をすればいいのだ!」と決めつけられても、日本の保健診療の歪みと現実に慢性期医療従事者とそのベッドの不足が原因なのだから、我々の力ではどうにもならない。政治、保健診療のあり方、税制、そういった事から改革しなくては実現できない事なのだ。そして、慢性期の患者さんを脳外科医が診ているからこそ救われている命も少なくない事を最後に言っておきたい。
 「経営感覚」は医者にも必要である。しかし「経営を改善する」事を念頭に働くのは本末転倒なのだ。そういう事は経営コンサルタントなどの専門家がやるべき仕事ではないのか?会議に出ていて虚しい思いを腹の底に沈めなければならない自分が悲しかった。

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2005.08.10

平和祈念コンサートから繋がって、、、

 昨晩、某公共放送(いまさらこんな書き方古いか〜)でやっていた浦上天主堂でのコンサートを見た。
 ミッシャ・マイスキーに五嶋龍だって!さらに吉永小百合の朗読!オケのメンバーは平均年齢26才の若い才能の集まり。指揮はSIENA wind orchestraで有名な佐渡裕。熱い指揮をしていた。平和への祈りを込めた企画であった。特に吉永さんの朗読で「アンジェラスの鐘」の時に合わせて鐘が鳴っていた(もしかしてオケの打楽器かも)のも感動的であった。会場の人々が涙を流しながら聴いているのも印象的。私の遠い親戚も長崎で原爆に倒れたと父母から聞いた記憶がある。テレビでこのような企画、音楽が見られるのは素晴らしいと思う。
ーー
 テレビでの音楽番組といえば先の日曜日の「N響アワー」。現進行役の池辺晋一郎と大河内奈々子が、池辺の母校である「芸大」を訪ねるという企画であった。 
 上野公園にある文化会館には私も思い出がある。小学校時分のレベルの低い話しではあるが、○○音楽教室ピアノコンクール全国大会に中国四国地区代表の一人として出た事がある。そのときの演奏はSPのレコードになって手元にあるが、レコードプレーヤーが押し入れの奥に眠っているので久しく聴いていない(聴くに耐えない演奏なのだが)。芸大と言えば、昨年、故吉田雅夫先生追悼記念演奏会が芸大奏楽堂であったのを聴きにいった。金晶国先生が指揮をして、N響首席の中野富雄さんがオケのコンマスの位置に座り、フルートオケなどを聴いた。ピッコロからコントラバス、ダブルコントラバスまで揃うとまるでパイプオルガンのようであった。フルートオケ用の編曲を担当した、N響のもう一人の首席の神田さんにある時、そのような事を私が言ったら、「そうですね。原理が同じですからね。」と言っていた。私の大好きな高木綾子さんが、その芸大出身者、関係者で占められるフルートオケをバックにニールセンのフルート協奏曲を吹いた。「追悼記念」ということでこんなメンバーの演奏がタダで聴けた。
 吉田雅夫先生と言えば、フルート業界では老舗のム○マ○から出ているDVDによるマスタークラスシリーズをいくつか買った。元々VHSビデオで販売されていたのは知っていたがDVD化されたのを機に購入した。その中に、モーツァルトのアンダンテを解説する吉田雅夫先生の元気なお姿を拝見する事が出来る。元気とは言っても、N響も芸大も辞められた後のかなりの高齢のときで、「僕なんか、もう、入れ歯だからダメだよ!」と笑いながら言ってらしたという時代のお姿。解説しながら吹くその笛の音は、ちょっと「ありゃ〜」というものではあるが、その解説の丁寧さ、素晴らしさ、そして品の良さというか人の良さというか、がよく現れている。私が11才頃に初めてフルートを手にして独学で吹き始め、初めてついた先生は教育テレビの「フルート教室」(後の「フルートともに」)の吉田雅夫先生であった。ちょっと左卜全っぽい下唇の形もまねして吹いていたものだった(今は全く違うけれど)。音楽は、楽譜は、徹底的に時代考証を含め研究し勉強するものなのだということをよくあらわされているDVDだと思う。フルートを専攻していなくても、音楽で飯を食っていこうとする人は一度見ておいて損はないマスタークラスだと思った。

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2005.08.09

病理解剖

 治療の甲斐なく不幸にして亡くなられる方もいらっしゃる。脳外科疾患の場合、病院に搬入されて治療を開始すれば「突然死」ということは少ない。稀に「肺塞栓」といって、下肢の静脈などに出来た血の塊が肺に飛んで肺動脈や末梢の肺胞レベルでの肺への血液循環を閉塞させてしまい突然死に至る事があるが、臥床時間の長い患者さんや手術後の患者さんなどでこういう事が起こらないよう十分な対策を講じているため、昔よりは頻度が減ったように感じている。
 すると脳外科疾患の患者さんでは、ほとんどの場合、「そろそろ危ない」という時期が予測できることになる。その徴候は、いわゆる「臨床的脳死」と表現されるような状態、つまり呼吸が停止し血圧が下がり、人工呼吸器と昇圧剤や強心剤なしには生を保てないような状態である。そこに至るまでには病気の状態によって様々ではあるが、脳腫瘍や脳出血、くも膜下出血そして脳梗塞など、どのような病変でも共通しているのは、病変によって正常の脳が圧迫されて、「脳ヘルニア」が起こるのである。急激な頭蓋内圧亢進の場合には、「中心孔ヘルニア」といって、脳幹から脊髄に繋がっていく「中心孔(大後頭孔)」にむかって脳全体が圧迫されて急に呼吸が停止し血圧が降下し、場合によっては心臓が停止する事もあるが、そうなりそうな場合にはある程度(つまりいつもとは言えない)は予測が可能である。ある原因によって状態が悪くなっていることが医学的に説明可能な場合が多く、死を迎えてその原因に疑問を抱いたり原因が不明という事はそれほど多くない。御家族もなぜ具合が悪くなっているのか、説明の仕方次第ではあるが理解されている事が多い。
 出血原因が不明であったくも膜下出血の患者さんが亡くなられた。2日前の朝、呼吸が弱くなり血圧が低下したため、それまで投与していた降圧剤と軽い鎮静麻酔の薬を止めてすぐにCTを撮ったところ、くも膜下出血の再出血を認めた。今回は、初回のような脳全体のくも膜下出血ではなく、脳底動脈周囲に比較的限局した濃い出血であった。数年前に他院で撮影された脳血管撮影が届いた。我々が行った血管撮影と比較検討したが、やはり脳動脈瘤はなかった。2つの血管撮影、2回目のCTの出血部位、患者さんの状態を総合すると、一番疑わしいのは「脳底動脈の解離」である。人工呼吸器で完全調節呼吸となり、昇圧剤を持続的に投与して血圧は100/〜を保つのが精一杯。昨日の深夜からは、昇圧剤を最高量投与しても血圧が80/〜を下回るようになっていた。昨日の夕方の時点で御家族には、「まだ望みは捨てていないが、今の状態だと『今晩』ということもあり得る」とお話ししておいた。ある程度、そう予測できるからである。そして朝からはまったく血圧が上がらなくなり、8時過ぎには血圧は40以下となりまもなく心電図上心拍が確認されるだけの状態になった。
 脳動脈の解離によるくも膜下出血の事は以前にも述べた。脳底動脈は、左右1対の椎骨動脈が一本に合流して、脳幹の前面で「脳」の「底」の真ん中を走る太い血管である。ここからは脳幹に大事な血管がたくさん分岐している。そういえば、先日亡くなられたプロレスラーの死因は「脳幹出血」であったが、あの例のように、脳幹が障害されるとどんな屈強な人間でもひとたまりもないのである。「脳底動脈解離性動脈瘤破裂によるくも膜下出血」が一番疑われるのであるが、脳血管撮影は造影剤を注入して写し出される血管の内腔を見ているだけなので、血管の壁が本当にどうなっているのかはわからない事も多々ある。それで3d-CTAやMRAなども行っていた訳であるが、その2つの検査でも脳底動脈の解離はわからなかった。
 御臨終の宣言をして少し間を置いてから、私はご家族に病理解剖の必要性を説明した。出血がどこから起こったのか、何故血管撮影やその他の検査ではわからなかったのか、手術治療は本当に出来なかったのか、解剖をすればわかる可能性がある。逆に解剖をしなければそのまま「疑い」病名で終わりである。亡くなられた患者さんやその御家族にとってみれば、診断や治療に強い疑いでもない限り、いまさら病理解剖で原因が分かったところで患者さんが生き返ってくる訳ではなし、病気で苦しんだ患者さんの身体に傷をつけるなんて可愛そうだ、とか、早くお家に連れて帰りたい、とか様々複雑な気持ちがあると思う。それは理解した上で、しかし、荼毘に付してしまえば二度と死因を解明するチャンスはない訳であるし、今後同じような病状の患者さんが搬入されて来た場合やこれからの脳外科診療に資するチャンスがある訳なので、是非解剖をさせて頂きたい、とお願いした。
 御家族と親類の方でしばし協議された後、「解剖せずに連れて帰りたい」というお返事を頂いた。残念ではあるが御遺族の御意向なのでそうするしかない。結局、診断書には「直接死因=くも膜下出血」と書けるが「その原因=不明」としか書けなかった。疑いや推測では「公文書」は記載できないのである。病理解剖に同意を頂けなかったのは、私の医師としての力量不足であろう。もちろん「ムンテラ」というところで説明したごとく、口次第で訳の分からない御家族を丸め込むようなことだって出来ない訳ではないが、誠心誠意患者さんを救いたいという気持ちと態度そしてその結果が問われることにもなる。こちらがいくら一生懸命やったつもりであっても、死亡という最悪の事態はやはり結果が悪かった訳で、御家族としては仕方なく納得はしても受け入れがたい事実であろう。そこに追い打ちをかけるように「解剖」という事になるのだが、その必要性を説明し同意して頂くには、治療に当たった医師の人格が問われることにもなる。私はまだまだ未熟だ。

参考までに「病理解剖」に関するサイトをご紹介する。
http://www.city.sendai.jp/byouin/soumu/hosp/bumon/pth/PathoHP/bouken.html
http://www.uoeh-u.ac.jp/kouza/bbyori/byouri_j.html

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2005.08.08

携帯電話で画像転送

 4日間の夏休みをとりました。その間、病院ではいろいろありました。緊急患者入院、緊急手術、患者急変などなど。同僚の下の先生(変な言い回しですが)からは、携帯電話でメールが合計8通。電話が4回ありました。
 幸いFOMAが不通にはならない場所だったので連絡は取れましたが、車で移動中や携帯を部屋に置いて行動中には「すぐに」連絡が取れるという訳にはいきませんでした。
 携帯メールは、5年程前から写メやi-shotでCTやMRI、Angioなどの写真を撮影してメールに添付する事を実行しています。主に、「私が」大学の「教授宛に」連絡したり相談したり指示を受けるために使っていますが、今回のように科長である私が休みや出張の時にも威力を発揮します。
 交通外傷で両下腿骨折と頭部打撲、頭蓋骨骨折の患者さんが来ました。最初頭のCTでは頭蓋内に全く血腫はなく、下腿骨折は開放性でもあったので整形外科で緊急手術になりました。整形外科手術終了後、念のために頭のCTを撮ったところ、急性硬膜外血腫が出来ていました。意識は、整形外科の手術のための麻酔終了後のため判定が難しく、状態を報告されても今ひとつイメージが湧きません。下の先生がCTを2枚、携帯メールで送ってきました。それを見てすぐに私は返信しました。
「すぐに手術をすべき。準備をすすめつつ家族を呼んで説明し緊急手術とする事。可能なら副院長に連絡を取って手術を手伝ってもらう事」
結局その通りにすすんで患者さんは術後まだ多少意識が混沌として縛られた手足を「外してください!」と言ってはいるものの運動マヒもなく元気になっています。その他にも治療方針を変更したり決定したりする上で、携帯メールでの画像添付転送は大変役に立ちます。
 私が不在の間、結局急患入院は3名、緊急手術1件、病棟の患者さん急変2件でした。同僚の先生が頑張ってくれたので助かりました。彼が休みを取るときは私が2倍頑張る事になる訳です。

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2005.08.03

後ろ髪、、、

明日からお休みを頂くけれど、後ろ髪を引かれる気分。
本日は昨日の夜入院したくも膜下出血の手術を行った。立派なくも膜下出血。脳動脈瘤は巨大で(およそ20mm)しかも一部fusiformicな形で、動脈瘤の頚部をきちんとクリップで止められるタイプではなかった。そこで中大脳動脈にテンポラリークリップをかけて血流を一時的に遮断した。その直前に脳を保護する点滴を投与して、高齢の患者さんの脳に虚血のダメージがこないように素早く手術を進めた。
 テンポラリークリップのお陰で大きな変な形の動脈瘤は柔らかくなったので押したり引っ張ってよけたりできるようになったので、2本の大事な枝の血管を潰さないように、動脈瘤の頚部を甘めに長さ18mmのクリップをかけた。上手くかかり、しかも2本の枝は温存できた。根元に膨らんだ部分が残ったので患者本人の側頭筋を薄くそいだものを巻き付けてラッピングを施し強化した。術後運動マヒは出ておらず幸いである。
もう一つは、シャントトラブルの患者さん。サイフォン現象のため具合が悪くなっていたのでアンチサイフォンデバイスという器具を接続していたのだが、今度は水頭症が悪化した。いろいろ熟慮したあげく、いったんそのデバイスを取り外す事にした。またサイフォン現象が起きて流れすぎるかも知れないが、とにかく水頭症で意識障害が出ているのでその改善が先決である。
更に、ICUには出血源不明のくも膜下出血患者がいるし、偽膜性大腸炎の人は軽快して食事を食べ始めているとはいえまだお腹が張ってガスがかなりたまっている。肝硬変で輸血した人は結構ひどい黄疸であるがご飯は食べている。手術をした患者、待機中の患者、その他の懸案事項を別の先生のいろいろ指示し連絡をしてくるように命じておいた。どんな変化でも報告し相談してくるように、「ホウ・レン・ソウ」である。
 「夏休みなのに、、、」と思われるかも知れないが、私はここの病院の脳神経外科長としての責任を果たしているだけである。自分が出番の時は当然救急外来、ICU、2つの病棟その他から連絡が来るが、自分が出番でない時は下の先生には、「入院患者のあったとき」、「急変のあった時」、「術後患者の状態」、「その他何か変化のあったこと」を報告するように命じてある。だから私は一年365日、病院と繋がっている。国内にいて電話やメールで連絡が出来る環境にある限りは常に連絡を受けている。例外は、コンサートに出演中、前もって断って電話の電源を切っている時(映画やコンサート鑑賞)であるが、こんな事は年にせいぜい4、5回である。
 明日からの夏休みフルート合宿。堪能してきたいけれど心のどこかに病院の事、患者さんの事が引っ掛かる。それが臨床医というものだと思う。救急や重症の患者を持つ医師は皆そんなものだと思う。

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2005.08.02

むむっっっ

 出血源の不明なくも膜下出血患者は待機のまま。脳室ドレナージを行った脳出血の患者は少し意識レベルが改善。輸血を行った肝硬変のある患者は食欲は十分で少し元気になった。脳出血後遺症で、心不全、腎不全、呼吸不全のある方は海外に住むお子さんを呼び寄せていたがついに今日の午前中に力尽きてしまわれた。
 2月に発症の椎骨動脈解離によるくも膜下出血の患者さんは、脳室腹腔シャント術の調整が今ひとつ。脳室が小さくなりすぎたり大きくなったり。ここ数日は脳室拡大と軽度の意識障害があり本日シャント造影で髄液の通過障害がないのか確認した。結果は明らかな閉塞などなく髄液は通過している。すると圧調整の問題か。まだ解決できない。これさえ解決できればごく軽度の症状だけで自宅退院できそうなのになかなか改善させられずに素3ヶ月近く経過している。
 そうこうしているうちにまたくも膜下出血の患者さんが運び込まれた。10年前に別の軽い脳卒中で入院した時に、未破裂脳動脈瘤が見つかっていた。その当時の医師が、本人と家族に説明した結果、予防的な手術はしない(受けたくない)、ということになりそのまま自宅に帰り近医で治療していた。それが数日前に突然の頭痛と嘔吐で発症。自宅で我慢していたが頭痛が続き今日も嘔吐したという事で別の病院へ。そこでくも膜下出血が疑われるということで救急車で当院へ送られて来た。これから血管撮影を行い、その結果では脳動脈瘤に対して手術を行うことになる。こういう人を見ると10年までに手術しなかったのは正解だったのか不正解だったのか、わからなくなる。
 少なくとも10年間は何の問題もなく生活していた訳である。これから10年が期待できるのなら手術は行った方が良いと思われる。また「ムンテラ」の問題である。100%の正解というのはない。手術をしなければ薬で寝せて血圧を下げる、という安静治療だけになる。すると肺炎などの合併症が心配である。むむっ、という感じだ。

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2005.08.01

8月ですね。

 8月になった。今年もあと5ヶ月だ。なんてネガティブな考え方かな?
 今日も緊急患者さんの脳室ドレナージなどやった。いろいろ診療上の事でもブログのネタ(ヤな言葉だけど)はある。が今日は医療の事には触れない。

いくつか情報のご紹介。
まず最初は別サイトでツーショット写真も公開している、大好きなフルーティスト高木綾子さんの最新のCD。
http://columbia.jp/〜ayako/COCQ-84000.html
(〜はコピペ後に英数小文字に変更してくださいね)
彼女は美人なので、「ああ、美人女流音楽家、ね!」と誤解される向きもあるかもしれない。
全然違う。ものすごい笛力、エネルギーを持っているアーティストである。知らない人は是非このCDを聴いて欲しい。ただ演奏だけ聴くと外国の男性が吹いているのか、と思うくらい迫力がある。
このCD、しかも共演は日本が世界に誇るギタリストかつ指導者である福田進一さん。この秋にこの方のソロでアランフェス協奏曲をやるのだが、第3楽章で私のピッコロと福田さんのギターがデュエットのようになるかと思うと今から胸が高鳴ってしまう。(^^;;;

もう一つは、もう一人のアヤコ(なんて呼び方は失礼か)、この方とのツーショット写真も公開している(^^;;;日本が世界に誇るピアニスト、上原彩子さん。
8/24発売予定のチャイコのPコン1番。もう聴く前からBravo!!!って言ってしまいそう。
http://www.toshiba-emi.co.jp/classic/uehara/
このサイト、凄い事に1分くらいだけど録音が聴ける(圧縮された音質だが)のである。是非ご覧くだされ!

 ああ、脳外科医は忙しい、大変だ、と書いていたら常連の方々から「大変ですね、、、」と慰めのお言葉を頂いた。その方達の主治医の脳外科医も皆忙しいと。
 あ〜、すみませ〜ん。(^^;;;
私、夏休み取ります。今週後半、8/4,5,6,7と。しかも4日間フルート漬けです。昨年はPフルートのサマーキャンプで魅力的な先生方と楽しい合宿をした。今年は、前にも書いたが、神戸国際フルートコンクール(そういえば綾子さんも出るんですね)のためサマーキャンプがない。ところが灯台下暗しというか、地元の山形交響楽団首席フルート奏者の足達先生が毎年猪苗代湖近くのペンションで夏合宿をされていたのだ。
 今年はこれに参加させて頂く事にした。私は先生の門下生ではない。また飛び入りである。つくづく恥知らずというか飛び入りの好きな人なんだ、と自分で思う。いや、好きなんではなく、飛び入りするしか方法がない。普段は時間が取れないのでなかなか定期的にレッスンなど、受けたくても受けられないというのが本音。
 夏休み、楽しみ。音ブログは、多分8/5,6もしくは8/5,6,7は休むと思います。夏休みをとる、ということを「申し訳ない!」と思ってしまう自分がいます。本当は1週間とっていいんです。年休も28日くらい取れるんです。
 でも取る暇がないし、取れば取ったで他の医師に負担がかかります。特に私が休むと出来る手術ができなくなるので地域住民に及ぼす影響も考慮しなくてはなりませんし。(は〜、結局医療ネタになってんじゃん!)p(><)

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