スカ
昨日はICUのビールパーティ(先日のはHCU)だったが、病棟に具合の悪い方が二人いたので参加しなかった。一人は超高齢で両側内頚動脈の閉塞による全脳に近い脳梗塞の方で、昏睡状態で施設から送られて来た。もともと痴呆で施設に入所していた方である。瞳孔が開いたので家族をお呼びしていた。深夜の2時前に呼吸が止まり2時少し過ぎにお亡くなりになられた。大往生!というお年である。大脳が全部梗塞になって苦しみも何もなく静かに息を引き取られた。見事としかいいようがない。私もそういう風に2日くらいで苦しまないで行くのがいいな〜。
病院から死亡退院されるのをお見送りして 4時前に家に帰った後寝付けず、うとうとしたのは5時半頃で既に明るくなっていた。結局9時半頃起きだして、10時過ぎに病院に来た。ICU, HCU、病棟を回り、もう一人の具合の悪い方に中心静脈栄養のルートをとって輸血を開始しようとしていたら(大酒飲みで肝硬変があるため出血傾向がある、外傷の人)、救急外来から「くも膜下出血の患者さんが他院から搬送されてきますのでよろしくおねがいします」との連絡あり。救急外来に駆けつけると、当直医、研修医、ナース、救急隊員が患者を取り囲み緊張感がみなぎっていた。様々な指示を出し放射線科医に連絡をとり、約30分後スタートで脳血管撮影の予定となった。ICUに入室し持続的な血圧モニターのための動脈ラインを確保し血圧を持続的に下げるための薬と持続的に鎮静させるための薬が混ざらないように、もう一本静脈ルートを確保。アンギオ室へ向かった。
結果は、なんと「スカ」。というのは語弊があるが、脳動脈瘤が見つからなかった。この患者さんは特殊で、右内頚動脈が頚部の分岐部から全く造影されず閉塞していた。右の前および中大脳動脈領域は、左の内頚動脈と椎骨動脈系から後交通動脈を介して造影された。いろいろな角度から撮影したりステレオ撮影をしてもどこにも脳動脈瘤はなかった。動脈解離を疑わせる所見もない。鎮静させて月曜日に3d-CTA、MRAを行い出血減を探す努力を続ける事にした。
脳動脈瘤が見つかって、今日または明日緊急手術を行った方が気分はずっと楽である。どこに出血源があるかわかっていないくも膜下出血の患者を安静にして管理しておく程ドキドキものはない。こういう事も稀ではあるがあるのである。一回目の脳血管撮影で脳動脈瘤が見つからなかったくも膜下出血では、1週後、2週後と脳血管撮影を繰り返すのが常識。その間に、3d-CTAなどでも調べなければ。寝ている時でも頭の隅から心配が消えないような患者を持っているのが一番ストレスである。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
私の掲示板のカキコにも
“検査を続け、現時点の判断ではくも膜下出血ということでした。
しかし、どこから出血しているかが、検査でもわからず、
それが確かにならないと、手術も出来ないそうで、
現在は4日後位の再検査か何かを待つ身で、ICUに入っています。
即手術と思っていたのに、そんなに時間をあけて大丈夫なのか。
3人も医師が診ているのに、何もする事が出来ないなんて、
とても信じられません。”
なんて言うのがありました。
医師からは、説明があったのでしょうが、
なかなか患者には通じないものですよね。
先日も“しゃべること”で難しさを書いていらしたけど…
投稿: mayako | 2005.07.30 21:38
2日くらいで苦しまないで行くのがいいな〜。
******************
先生はたくさんの方の最後に立ち会っておられますよね。
みんな最後はあっさりと逝くことを願っていますが、現場で、実際にそうなるケースとならないケースの違いって、何のどこにあるとご想像なさいますか?
こんなこと伺うのはちょっと気が引けるのですが・・・ いつか私も行く道なのでできるものなら心がけたいのですが。
投稿: 侘び助 | 2005.07.31 07:44
出血源が分からず、手が打てない。
母のケースとそっくりですね。
私自身は医師のICで納得しましたが、本人は何も処置してもらえない苛立ちが募りました。
医師のコミュニケーション技術の見せ所でしょうか。
高齢者の場合、くも膜下出血という病名を本人に伝えると、生きる気力を失うことがあると医師から言われ、母にはあいまいな説明をすることにしました。
そしてひたすら母の気持ちに寄り添うことだけを考えました。
倒れてから手術まで1ヶ月あまりかかった母がほぼ元通り元気になったのは、やはり運が強いということなんでしょうね。
投稿: ムンテラ | 2005.07.31 08:50
mayakoさん、きちんとした医師が複数で診てもわからない病気や治せない病気や診断がつけられないことはいくらでもあります。「医療過誤」ではなく、ふつうにやっても上手く行かない事はいくらでもあります。医療に100%を「期待」するのは理解できますが「要求」するのは土台無理というものです。自らを振り返ってみてください。どんなに気をつけて完全な安全運転をしていたとしても、100%の安全を求めるなら「車に乗らない」ということしかありません。医療に100%を求めるのであれば、病気にならない、ということでしか達成できないのではないでしょうか?
侘び助さん、よくわかりませんが、「普段の行い」でしょうか?半分冗談、半分本気です。
高血圧を治さず、好きなだけ酒を飲み、タバコを沢山吸い、不健康にいい加減に気ままに暮らして来たツケは、人生の最後の場面にも影響します。それほど重症ではない病気でもバタバタと合併症が加わって苦しむ事になるでしょう。普段の健康に気をつけていて、天寿を全うするように重症の脳卒中か進行の早いガンになるのがいいな、と思います。医者の世界では「天寿癌」という言葉があります。「天寿脳卒中」という言葉も付け加えたいと思います。健康に生きて来て、95才くらいで脳幹梗塞か何かで急激に意識が昏睡となって、家族が集まれるくらいに時間の後、家族に見守られながら天国に召されるのが、本人も苦しまず家族にも迷惑をかけず、いいなあ〜と思った訳です。
投稿: balaine | 2005.07.31 10:23
*普段の行い*
悪いやつほどよく眠るなんてことがないことを願っています。でも、時々そんな人がいそうで・・・
*天寿癌*
きれいな言葉! 心にいれておきます。
投稿: 侘び助 | 2005.07.31 18:37