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2005.07.19

多施設共同研究

 医学研究の中に(それ以外の領域でもあるけど)、表題のような研究がある。
 理由はいくつかある。多くの施設で行う事によって、必要とする対象症例を数多く集める事が出来る。特に一定期間(たとえば一年)などのように期限をきった「前向き」(prospectiveのこと)な研究では、必要症例数を確保するために同時に多くの施設で研究を行った方がよい。一カ所で研究を行うと、対象の症例に偏りが出る可能性が高くなる(たとえば80才以上の患者さんが極端に多いとか)が、これを県内全域であるとか東北地方とか全国とか言う風に広げて共同研究を行えば、偏りが少なくなる。研究には、客観的なデータと主観的なデータが含まれ、一カ所で特定の医師が研究を行った場合、その人の主観でデータ解釈が変わる危険性もあるが、逆に言えば判断の基準が安定しているとも言える。複数の施設で研究を行うと、一人の主観ではなく複数の主観になるので、一見客観性が高まるように思えるが、結局は「主観」なのであって、施設ごとの判断基準がバラバラになってしまう危険性を含んでいる。だから「多」施設共同研究は、study designといって研究を開始する前にどのような方法で行うかを十二分に検討し問題点をできるだけ少なくしてから開始する必要がある。
 頚部の超音波エコーが多くの施設で取り入れられている。脳外科や神経内科や循環器内科のある施設はもちろん、個人開業医でも導入しているところが増えている。器械が(高額なものの多い医療器械の中では)比較的廉価で装備しやすいこと、扱いが難しくない事、検査が短時間で患者さんの負担も少なく、医療収入源になる事、などなど様々な理由で導入が進んでいるように思う。
 我々が参加して始めたばかりの共同研究は、この「頚動脈エコー」の信頼性を探るものである。たとえば、他の施設から『頚動脈エコーの結果、右の頚動脈に35%の狭窄を認めますので診察お願いします』というような紹介状を持って患者さんが来る。頚動脈の狭窄があると、近い将来脳梗塞を起こす危険性がある。入院の上、脳血管撮影を行ったところ、なんと全く綺麗で狭窄などない血管だった。何故なのか?
 超音波エコーとは、ようするに魚群探知機と同じ原理である。器械の精度があがったとはいえ、所詮は超音波をあてて跳ね返って来たものを画像にして直接見えないところを探っているのである。「マグロの群れがいる」と魚群探知機に出たとして、それが本当にマグロなのか、たくさんいるのか、ある程度推測は出来るが、直接目で見た訳ではないので事実とずれがあるのである(こういうのを偽陽性、false positiveという)。頚動脈を超音波で見てみたところ、血管の壁が一部分厚くなって(動脈硬化)内腔が狭窄している、と推測されたものの、それが超音波の乱れによる偽陽性で、真実は壁は綺麗だった、ということがあり得るのである。
 そして、どの程度の所見のとき信頼性が高いのか、超音波検査がどの程度患者さんの診断や治療に貢献しうるのか、というまともな研究はまだ行われていないのである。この研究を遂行するための検査は、ある特定の疾患の患者さんの診断および治療の一環として行われる。だから研究に参加すること自体はわれわれにとっては、通常の診療業務を果たすだけなので新たな負担ではない。しかし、この研究の事を対象の患者さんに説明したり、得られたデータを記録したり、それをファイルしたり、などという新たな仕事が増えるのである。
 本当なら、こういう器械を開発した会社や対象となる疾患の治療で儲けている製薬会社やその辺りが関与して金と人を出して研究してくれればいいのだが、対象が患者さんであるだけに医師が直接かかわる必要があるし、器械を作っている会社がその器械の信頼性について研究したデータなど、客観性に乏しい(都合の悪いデータが改ざんされたりする恐れもある)ので、結局、第一線の病院に勤務している我々がやるしかないのである。こういう仕事の結果、医学・医療が進んで行っていること、患者さんの診断や治療における信頼性が高くなっている事、そういうことに関して世間は無知であると思われる。
 先日書いた、脳卒中登録などの事業など、現場の医師が行っているから得られるデータがたくさんあるのである。そのデータや共同研究の結果などを、現場を良く知らない人からあれこれつつかれるのは心地よいものではない。脳ドックも健康診断も、「心配だからCT撮って欲しい」という患者さんの希望も、すべてなしにすれば、医療費はかなり抑制できると簡単に計算できる。しかし、その中に、「心配だ、と言っていた時に調べておけばわかったのに、、、」とか「脳ドックで未破裂のうちに見つけて手術しておけば命を落とす事も無かったのに、、、」という人が、「多くはないけれど」必ずいるのである。一見無駄に思える診療行為で、命を救われる人もいるのである。人の命の問題なのだから、「効率」「経済性」「確率論」だけで論じては行けないのである。
 もし、確率論と経済性を優先して医療を行うのであれば、75才以上の人、少なくとも80才以上の人には、痛みや痒みを和らげる治療以外の医療行為は行わないのがいい。多額の金のかかる心臓の手術をして、1年後に別の病気で亡くなる可能性があるのだ。脳卒中の治療を一生懸命やって、80才の寝たきりを作るだけになるのだ。「何もしない」方が、国のため、行政のため、医療経済のためから言えばよいのである。しかし、83才のおじいちゃんにも79才のおばあちゃんにも、愛する家族や友人がいるのである。効率や確率だけで医療行為は行えないのである。そこには「愛」が介入するからである。
 医療経済の問題を論じている方、脳ドックや健康診断の廃止を唱えている方々、その他、現代医療の進歩に異を唱えている方々、あなた方の論理の中には「愛」が存在するのかを考えて欲しい、と思う。多施設共同研究を始めて、正直な気持ち「めんどくせ〜な〜」とい考えが湧き、いろいろ考えていたら「愛」の話しになってしまい、ちょっと恥ずかしい感じがしています。(^^;;;

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