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2005年7月

2005.07.31

急いでも仕方がない

とは、今の自分に言っているのです。
 昨日、今日と2回目の「指揮者練習」。山響の指揮者が、我々アマオケの秋の定期演奏会の曲目を指導してくれる第2回目。昨日は、序曲ベルリオーズ作曲「ローマの謝肉祭」と協奏曲ロドリーゴ作曲「アランフェス」の練習。両方ともピッコロが活躍するのだが、昨日睡眠3、4時間で一日病院をかけずり回り18時に病院を出て1830からの練習にギリギリ間に合うという余裕のなさ。疲れていて変に力が入らなかったためか、いい加減な演奏ではあったがそこそこ吹けた(と自分で思っているだけ)。
 今日は、メインのブラームス交響曲第4番の練習。朝、8時から病院に来てさっさと仕事を終わらせて10時からの練習に行こうと思ったが、昨日入院したくも膜下出血、病棟で輸血している人、先週手術した人の抜糸などなどいろいろしていたら、あっという間に10時を過ぎた。
「明日は遅れるか、午前中来れないかもしれません」
と昨日のうちに言っておいたので、当たり前の事ではあるが仕事優先!
 先ほど出した採血結果が出てくるまで休憩しながらこれを書いている。今は10:30。データを確認したら練習会場へゴー!朝のうちに車に楽器や楽譜は積んであるので直行できる、そんなに頑張んなくてもいいんじゃない、どうせアマオケなんだから。。。とは考えたくないのが私の性分である。
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というわけで、データ確認後行こうと思っていたら、ICUのくも膜下出血の人が刺激での反応で診る限り、右手足の反応が鈍い、とナースの報告あり診察すると、わずかな差ではあるが確かに右が弱いように見える。持続的に鎮静剤を静脈投与しているのでそのせいかもしれないが、水頭症や再出血の可能性を考え緊急CTを撮った。結果は、水頭症は軽度で昨日からの著名な進行はなく再出血もなく、おそらくくも膜下出血による圧迫と循環不全(広義の血管攣縮?)で少し右手足の運動障害が出ているのかも知れないと判断。特に治療方針は変わらず。
 ということで午前中はやはり練習に行けず。午後は1330練習開始という事で昼ご飯をとって1325に練習会場に行くと、既に始まっていた!慌ててピッコロを出し(ブラームスの第3楽章だったので)吹き始めるが、ウォーミングアップもせず、音合わせもせず、いきなりオケの中に入って行くのは困難。音がかすれ指がもつれる。はぁ〜。心の中でふか〜いため息が漏れる。
 20分程してようやく楽器も暖まり少しは音が出て来た。とそこへポケットベル。ピーピーピー。
 今度は救急外来に40才代の脳出血。血圧が来院時260/135だという。すぐに血圧を下げるよう指示して、指揮者とパート仲間に挨拶して練習会場を辞退。14:18には病院着。
 そして今はHCUに重症の脳出血を入院させて一息ついたところ。15:50になっている。
 こういう仕事をしている以上は最初からこんな日もあることは予測済み。というか、だからこそ今までオケなんてやる暇がなくてやっていなかった。仕事も趣味もどっち付かずになっては困る。仕事は当然全力でやるし趣味も可能な限り自分の納得のいくまでやる、というのが自分の中では当たり前。どうしてもフルートパートのトップは「自分がやりたい!」などと言えない。実力も伴わないが何よりもパートリーダーとしての責任が果たせないからだ。のんびり楽しみながらでも出来る範囲で一生懸命やって行こう。
そう、"FESTINA LENTE"である。

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2005.07.30

スカ

 昨日はICUのビールパーティ(先日のはHCU)だったが、病棟に具合の悪い方が二人いたので参加しなかった。一人は超高齢で両側内頚動脈の閉塞による全脳に近い脳梗塞の方で、昏睡状態で施設から送られて来た。もともと痴呆で施設に入所していた方である。瞳孔が開いたので家族をお呼びしていた。深夜の2時前に呼吸が止まり2時少し過ぎにお亡くなりになられた。大往生!というお年である。大脳が全部梗塞になって苦しみも何もなく静かに息を引き取られた。見事としかいいようがない。私もそういう風に2日くらいで苦しまないで行くのがいいな〜。
 病院から死亡退院されるのをお見送りして 4時前に家に帰った後寝付けず、うとうとしたのは5時半頃で既に明るくなっていた。結局9時半頃起きだして、10時過ぎに病院に来た。ICU, HCU、病棟を回り、もう一人の具合の悪い方に中心静脈栄養のルートをとって輸血を開始しようとしていたら(大酒飲みで肝硬変があるため出血傾向がある、外傷の人)、救急外来から「くも膜下出血の患者さんが他院から搬送されてきますのでよろしくおねがいします」との連絡あり。救急外来に駆けつけると、当直医、研修医、ナース、救急隊員が患者を取り囲み緊張感がみなぎっていた。様々な指示を出し放射線科医に連絡をとり、約30分後スタートで脳血管撮影の予定となった。ICUに入室し持続的な血圧モニターのための動脈ラインを確保し血圧を持続的に下げるための薬と持続的に鎮静させるための薬が混ざらないように、もう一本静脈ルートを確保。アンギオ室へ向かった。
 結果は、なんと「スカ」。というのは語弊があるが、脳動脈瘤が見つからなかった。この患者さんは特殊で、右内頚動脈が頚部の分岐部から全く造影されず閉塞していた。右の前および中大脳動脈領域は、左の内頚動脈と椎骨動脈系から後交通動脈を介して造影された。いろいろな角度から撮影したりステレオ撮影をしてもどこにも脳動脈瘤はなかった。動脈解離を疑わせる所見もない。鎮静させて月曜日に3d-CTA、MRAを行い出血減を探す努力を続ける事にした。
 脳動脈瘤が見つかって、今日または明日緊急手術を行った方が気分はずっと楽である。どこに出血源があるかわかっていないくも膜下出血の患者を安静にして管理しておく程ドキドキものはない。こういう事も稀ではあるがあるのである。一回目の脳血管撮影で脳動脈瘤が見つからなかったくも膜下出血では、1週後、2週後と脳血管撮影を繰り返すのが常識。その間に、3d-CTAなどでも調べなければ。寝ている時でも頭の隅から心配が消えないような患者を持っているのが一番ストレスである。

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2005.07.29

電気刺激療法

 パーキンソン病の人が入院している。この病院には神経内科もあるのでパーキンソン病は内科で診ている事が多いが、従来、日本では神経内科が発達しておらず脳外科医が積極的であったため、パーキンソン病も脳外科医が多く診ていた。もちろん薬物療法が主体なのであるが、昔から定位脳手術といって脳のある部分に電極を刺して治療する事を脳外科医がやっていた。
 「機能的脳神経外科」という分野がある。英語でfunctional neurosurgeryという。私のsubspecialtyはもとともとはfunctional neurosurgeryであった。パーキンソン病を始めとする不随意運動症や顔面痙攣、三叉神経痛に対する血管減圧術とかてんかん外科などが対象疾患で、筋電図をとったり電気刺激をしたり手術中に脳から直接脳波を取ったりしていた。医学博士の学位論文も、中枢性の痛みに対して脳の電気刺激を行う電極から記録された脳深部の脳波の解析というような内容である。
 さて、パーキンソン病に対する定位脳手術の歴史は古い。ガンマナイフを開発したDr. Leksellだって、元はと言えば頭に電極を刺さずに放射線でパーキンソン病の定位脳手術をやろうとして研究していたものである。定位脳手術とは、ある人の脳の中に地図の番地を付けてそこにむかって電極を入れたり何か操作を行うものである。地図の元になるのは、ドイツやフランスやアメリカで作成された死亡した人の脳から作った地図である。パーキンソン病の場合、ある特定のごく小さな部位に電極を挿入してそこを低温でゆっくり凝固すると特有の「震え」(振戦という)がピタッと停まったり、身体の硬さ・動きの遅さ(筋強剛とか無動という)が改善したりするのである。ツボにはまると、「え?!ほんと?」と驚く位に劇的な改善をみる。10年位前までは脳の中に定位的に挿入した電極で「焼く」治療が主流であったが、最近は白金製の細い電極を挿入して心臓のペースメーカーと同じような装置で微弱な電流を流して治療している。これも効果はほぼ同じで、それまで固まったように一歩も動けなかった人が電気を流した瞬間から大股でスタスタあるいたり階段を上り下りしたりできるようになる。マジで?!というような治療法である。「焼く」治療ではなく電気刺激になった理由は安全性の追求が主である。焼いてしまえばもう元には戻せない。そこを破壊した訳である。電気刺激ならば電気を切れば元の状態に戻る。壊してしまう訳ではないので副作用として運動麻痺が新たに出てしまったりする恐れがほとんどない。
 欧米では、てんかん外科も含めてパーキンソン病のような不随意運動症に対して薬の効果が薄れたり何らかの理由で内科的治療が困難になった場合、積極的に脳外科で手術治療が行われる。日本では、なぜかいつまでもダラダラと内科の外来や開業医で患者さんに漫然と薬物投与を行っている場合も少なくなく、脳外科医にてんかん外科の適応の有無やパーキンソン病の手術治療についてconsultしてくるケースが少ない。脳外科医が信用されていないのかも知れない。脳外科医の宣伝が足らないのかも知れない。それにしても欧米に比べると10分の一以下という手術数である。
 当院に長く勤務する医師が外来でず〜っと薬による治療を継続して来たパーキンソン病の患者さんであるが、drug holidayのため今回入院し、副作用を押さえるため少量投与から薬が再開されている。しかし、一日中何をしているかというと、ベッドの上でボーッとしてテレビを見るともなく見ていたり、食事は看護師の介助を得て1時間くらいかかってようやく全量摂取しあとはオムツをあてられて寝ているのである。この方はボケてはいない。痴呆症で寝たきりなのではない。運動マヒもない。強い無動のため動けないのである。だから私は大学病院の脳外科に定位脳手術治療のため紹介すべく家族を呼んで説明をした。家族は、何年か前に定位脳手術の話しを一回ちらっと聞いたという。そういう方法もある、と。しかし「焼く」ため危険も伴う、と言われそのままで今回のように詳しい説明は初めて聴いたという。
 外来で、「先生のようにいろいろ説明してくださったのは初めてです」とか「初めてこんなに詳しく聞きました」と言われる事がある。言われたこちらがビックリする。え?聞いてなかったの?今までの医師は一体何をしていたの?と思う。そう、私はしつこい性格なのだ。いい加減にお茶を濁す事が嫌いである(だから時に患者とぶつかるけど)。
 ムンテラ、とはドイツ語Mundtherapieの省略的使用であるが、本来そんな言葉はドイツでも使われていないと思う。Mund=口、のTherapie=治療、だから「口による治療」という意味になる。患者さんや家族に医師が説明する事をムンテラと呼んでいたのだが、意味が高圧的のようであったり一方的であったり、「口でうまく丸め込む」ような悪いイメージがあり今はあまり使われない。なんだか医者としての知識や技術は不十分なものの「口だけはうまくて」患者を丸め込んで無理矢理納得させる、というようなイメージが強くて、医療業界では「悪い言葉」とすら捉えられている。
 現在では、「lecture(講義)する」とか「ICを取る」とか「面談」とか表現されるが今ひとつしっくり来ない感もある。昨日書いた「しゃべること」というのは、ただ一方的に話しをするのではなく、自分の伝えたい事を相手にわかるように理解を確認しながら教えそして相談に乗り話しを進めて行く事である。これをムンテラと呼んでは行けないのであろうか?医者は口で治療する技術も必要なのではないかと改めて最近強く思うのである。

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2005.07.28

しゃべること

は、私の仕事の半分近くを占める。おしゃべりは嫌いじゃないが好きでもない。
だから外来は辛い。疲れる。今日は約4時間外来。最初のうちは、あまり変わりのない安定した患者さんが多いのですっすっと進む。1030頃から、新患、MRIなど予約していた患者さん、他科からの紹介患者などが多くなり一人にかかる時間が増える。中には一人に30分近くかかる事もある。
1)81才で洞不全症候群(心臓が凄く遅くなって気を失う)のため倒れたのだがCTで脳腫瘍が見つかったため、無症状ではあるがMRIと脳波を検査して診断について家族とともに説明し今後どうしていくかinformed consentをとる必要のある患者さん。高齢で心臓の病気もあり、脳の病気は無症状の良性の腫瘍と思われるので脳の手術は当面しないでCTだけで経過をおいましょう、というお話しをした。患者さん本人は現在痛くも痒くもないので、頭の手術どころか検査もいらない(内心はおそらく検査して大きくなったから手術しましょうと言われるのが恐い)という。これを家族に話しかけながら「検査は必要」という事の説得が必要であった。疲れる。
2)またまた81才。胃の進行癌。手術なし。抗がん剤も今はやってない。右足の麻痺が出現。少し戻った。内科では何も検査しないので脳外科でCT, MRIを急ぎ依頼して本日診察。最大で15mm位の脳腫瘍が左後頭葉に一個、その他に小さなのが3個。おそらく胃がんからの転移。余命3ヶ月くらいと内科医の意見。家族と相談して何もしないかガンマナイフかを考え、ガンマナイフのある施設の医師に適応について相談。8月にガンマナイフを施行する事になった。患者さんよりも、家族といろいろの可能性について話しをし、主治医、他院の医師とは電話で話す。疲れる。
3)3月に摘出した直径5cmくらいの前頭部の大脳鎌髄膜腫。術前から右足の麻痺があったが、術後少し悪化し現在自宅からリハビリ通院中。独歩はできるがまだ杖がいる。本日4ヶ月半後のMRI。腫瘍は肉眼的に全摘出。脳は圧迫されて変形していたのがだいぶ元に戻りつつある(なにせ最大で4cm近く移動していた訳だ)。まだ麻痺の改善がなく、摘出時の脳のダメージ、血管損傷による運動野の障害が疑われるが、MRIを説明しながら本人と家族に「大丈夫!半年は回復を期待してリハビリしましょう」と話す。疲れる。
 それ以外に昨日ふらふらとして倒れたという新患。不整脈強く心電図とると強い心房細動。循環器内科に相談し紹介状を書く。その後、脳出血の急患来院。ふ〜!
 昨日も3家族に説明を行った。今週末に退院予定。まだ40才そこそこの脳出血の方。聴神経腫瘍の方もようやく食事も水分もむせないようなって、歩きもふらつきがほとんどなくなったため、自宅退院し外来通院と通院リハビリになる。頭頂部の傍矢状洞髄膜腫の患者は、全く後遺症なくMRI上全摘出で退院となる。一昨日手術した下垂体腫瘍の方は、一般病棟。食事も飲水もOK。尿崩症もない。上手くいっている。これらの事を家族にも説明する。「順調に行っていますよ」と。
『好事魔多し』
という。気をつけなければならない。ただ偶然上手くいっている訳ではない。なんとか運良くラッキー!で治療しているつもりではない。考え、予測し、配慮しそして動いている結果だと思っている。自惚れと言われるかも知れない。謙虚さが足りないと思われるかも知れない。しかしある程度は予測の範囲、自信を持って得ている結果なのである。
 でもしゃべるのは疲れる。4時間喋るよりは4時間手術している方がずっと楽である。(^^;;;

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2005.07.27

アメリカのMedical Center

今日はガラッと変わって、米国の医学部や病院の事を書く。以前にも書いたように、米国式の医療は、専門を細分化してしかもそれをセンター化している事が多い。たとえば、日本で言えば「国立がんセンター」と「国立循環器病センター」といったような病院が集まっていたりする。
私がH11年に国費留学させて頂いたHouston Medical Centerは全米一、ということは世界一の規模のMedical Centerであった。Houstonでの生活の事は、1/31の記事に書いた。
「大きい、大きい」と言っても見た事のない人にその大きさは実感できにくい。いいものを見つけた。
Google mapという、世界中の衛星写真を公開しているもの。それでHouston Medical Centerを見てみた。
是非、下記URLをコピペして眺めて頂きたい。

http://maps.google.com/maps?ll=29.710028,-95.397720&spn=0.010251,0.014799&t=h&hl=ja
私が通ったのは、画面真ん中上方にある、Univ. of Texas Med. Schoolとその隣のHermann Hospitalであった。画面下の方にある、MD Anderson Cencer Centerにも見学に行った。このMD Anderson Cancer Centerの建物だけで、築地の国立がんセンターの2倍以上ある感じである。この画面に収まっている範囲の比較的大きな建物は全部病院か研究所である。規模が違う。注ぎ込まれている金が違う。

もう一つ。
http://maps.google.com/maps?ll=40.442538,-79.959419&spn=0.008983,0.014799&t=h&hl=ja
こちらはH4〜6年の2年間留学していた、Pittsburgh Medical Centerである。
Houstonに比べればその規模はずっと小さいが、有名で質の高い研究施設や病院が揃っている。当時は肝移植がとても有名で、日本人の外科医の多くは肝移植の実際と小腸移植の実験に明け暮れていた。漫画「メスよ輝け!」に出てくるPresbyterian University Hospitalが真ん中やや左寄りに見える。私は毎日のようにここに通っていた。懐かしい。。。
病院のすぐ脇にあるま〜るい屋根の変な建物は、Pitt Panthers、つまり大学のフットボールチームの本拠地である。周りにあったのは医学部だけではなく、公衆衛生の大学院などの建物もあった。
 アメリカの医療には建物の凄さだけでも圧倒されるが、やはり研究施設や病院へのお金のかけ方が日本とは全然違う。これは医療制度、保険制度の違いによる。アメリカでは医療はビジネスである。もちろん、愛や仁に基づいたものではあるが、日本よりもビジネスとしての側面が非常に濃い。しかも上手くやればいい商売になるし、病院も医師もお金が稼げるのである。
 米国の名の知れた脳外科医は、車を数台持ち別荘とヨットを持っているとか、人によっては自家用飛行機を持っているなどが当たり前の世界である。脳腫瘍の手術料金が一回1000万円を超えるのである。私が脳腫瘍の手術を行うと、日本の保険性で約8万点。だから全額自己負担したって80万円の手術である。米国の有名な、1000万以上の手術料を取る脳外科医が私の10倍以上の上手さで10倍に見合う治療成績を残しているかと言うとそんなことはまったくない。明らかにシステムの違いである。でも金のあるところ、著名な人のところには、人や物や金が集まるのはビジネスの世界では当然であろう。米国の大きなMedical Centerには、ターバンを頭に巻いた、明らかに石油産出国の超大金持ちっぽい人を良く見かける。そういう人達は、自分を入院治療してくれる著名な病院や医師に、1億円とか2億円というお金をポンと寄付するという話しを聞いた。病院のある階や建物の一部に人の名前がついたりする。その病院の設立や維持に貢献した人、つまり多額の寄付をしたお金持ちの名前がついたりするのである。LAの病院だと、Hollywoodのセレブが来て多額の寄付をし、ある病棟にスーパースターの名前がついたりするらしい。
 そういう、多額の寄付であるとか、驚くような投資が病院や医療ビジネスにされている世界と、まるで社会主義国のような国民皆保険制度で超セレブも生活保護の人も「格一同一料金」に設定されている日本の医療は成り立ちが根本的に違う。そして、現場の医師の頑張り、誠意、真心、思いやり、自己犠牲に頼っているのである。
 いつも思う。高級外車にお金を惜しまないような人が、なぜ医療には平等を求めるのか。もし医療「サービス」として、他の人との差を望むのであれば「料金」にも差がついて当然と思わないのだろうか?同じ料金を払っているのなら、同じサービスで我慢すべきであろう。米国と比較するなら、10分の一から100分の一に近い医療費で治療を受けているのなら、医療「サービス」の面でも10分の一から100分の一で我慢すべきではないのか?帝国ホテルでフレンチを食べるのに、立ち食いそばと同じ料金で済むと考える人はいないはず。なぜ立ち食いそばの料金しか払っていないのに、帝国ホテルのサービスを求めるのであろうか?それが「市民」が「医療人」に対して、当然受けるべきものだというどこかで誤った考えを広めている人がいるのではないだろうか?

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2005.07.26

スムーズ

 今日の手術はスムーズであった。特に大急ぎにやった訳ではないが、1時間45分で終了した。
 左の写真のようなスタイルで手術する。経鼻的(鼻の穴から操作する事)内視鏡下(内視鏡の映像を見ながら)下垂体腫瘍摘出術であった。耳鼻咽喉科医のように内視鏡の映像をモニターで見ながら鼻の穴から細い手術器具を挿入して、鼻の奥の方で鼻中隔を反対側に亜脱臼させて粘膜を切開し、鼻の一番奥の方にある鋤骨という、副鼻腔と鼻腔の間の骨を細いドリルで削って蝶形骨洞という下垂体のすぐ前の副鼻腔に到達する。そこの粘膜を剥がした後、また細いドリルでトルコ鞍底という下垂体の入った骨の器の底を削って硬膜を切開すると腫瘍に到達できる。ここまで約一時間。腫瘍は柔らかく摘出しやすかったし、今日のは長径18mm位でそんなに大きくないので簡単に肉眼的全摘出ができた。
 手術場と病理検査部をネットで繋いだので、術者も病理顕微鏡の画像を見ながら術中に病理医とdiscussionしながら判断できるようになったので、今日はその装置を用いた。パソコン画面上に綺麗な典型的腺腫構造が映し出された。あとは止血を確認し、骨片とフィブリン糊で鞍底を形成して粘膜と鼻中隔を元の位置に戻し、抗生物質の入った軟膏を付けた細長いガーゼを鼻腔内に挿入して手術を終了した。
 最初から最後までどこにも澱みがなくスムーズに手術は終了しもちろん輸血もなし。術後の麻酔の覚醒も良好で既に十分お話しが出来る。いつも1〜2時間で終わる手術ばかりだったら、脳外科も楽なんだけどな〜。

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2005.07.25

対脳卒中治療研究会

 先週末、表記研究会が行われた。もともと脳卒中登録は県の事業として、県庁内の環境衛生部かどこかでやっていた。それは県内の病院に脳卒中患者が入院したら、ある様式の紙に記入して登録するという事を義務づけていたものである。義務とは言っても強制力はないし、現場の医師にとっては忙しい診療の合間にただでさえ診断書やら紹介状やらいろいろな書類があるのに、患者登録などは「喜び勇んでやります」という仕事ではない。
 約10年前に、その登録に漏れがある事、集計も少しいい加減なところがあることを知ったうちの脳外科の教授が県庁と相談の上で、対脳卒中治療研究会というのを立ち上げその事業の一環として脳卒中登録を県の仕事から研究会に移行した。この会に属するのは県内の脳神経外科および神経内科であるので、教授の号令のもと、登録の精度はあがったと思われる。しかし、県内には未だに脳外科医も神経内科医もいないけれど「脳卒中
」の患者さんを診療し入院治療している施設も、多くはないがあるようである。その理由の一番は交通事情。山間部の奥の方に行くとなかなか近郊の大きな公的病院にすらかからなかったりする。そういう人はもっぱら症状が軽い事が多い。ちょっと右の手足がしびれた、とか、口がもつれて言葉が聞き取りにくくなった、とか、ふらふらした、位が多い。さすがに意識障害があれば救急車などで脳外科、神経内科のある施設に運ばれてくるが、意識障害がなく神経障害が軽い場合は、外来で血圧を下げる注射をうってもらった、とか血の巡りを良くする薬をもらった、などというレベルの治療を受けている人もまだいるのである。CTを撮らなければ、その症状が脳梗塞なのか脳出血なのかもわからないのに、ただ血圧をさげてもダメなのである。そんなことはもはや常識だと思われるが、まだまだ???な治療をしている医師はたくさんいる、もとい少ないとは言えない。
 脳出血は意識障害があり嘔吐して血圧が高い、というのは教科書的な記述だが、意識が清明で嘔吐もせず血圧も高くなくて運動麻痺も軽いけれど脳出血、という患者さんはたくさんいる。真面目に診察してすぐにCTを撮らなければ絶対にわからない。専門家が専門的機器を用いて診断治療をしなければいけないのに、「家庭の医学」的なことをやってすませている(土地柄、すまさざるを得ない)ところがある。
 今回の研究会事務局報告で注目すべきは、発症から専門病院受診までの時間の統計であった。以前のブログに書いたように、これは我々が入力しているのだがExcellのマクロ機能を使って、発症ー受診のタイムラグを3時間以内、6時間以内、12時以内間、24時間以内、それ以上と記入する項目がある。今回の統計は昨年H16年の上半期分であったが、これが5年前に比べて大きく変わっていた。どういうことかというと、すべての脳卒中患者さんの発症6時間以内受診は、5年前は30%程度で昨年は50%を超えていた。3時間以内の受診も30%弱になっていた。つまり、発症してから専門病院を受診するまでの時間が早くなったのである。これは、やはり我々脳外科医などがことあるごとに啓蒙して来た成果ではないかと思う。講演会、健康相談、新聞その他への投稿や脳卒中撲滅のための日本脳卒中協会の地方支部としての活動などが効を奏して来たのだと考えたい。
 来年からt-PA (tissue Plasminogen Activator)の急性期脳梗塞に対する使用が認可される予定である。欧米では以前から脳梗塞の治療に認可されていたにもかかわらず、日本では心筋梗塞にしか認められていなかった。これが来年から、発症3時間以内の虚血性脳血管障害(脳梗塞)の患者に限って使用が可能となる。これまでも超急性期にカテーテルの先端からt-PAを血栓に向けて直接流して血栓を溶かす治療は「こっそりと」行われていた。「脳梗塞」という診断名ではt-PAは通らないから現場の医師はいろいろ工夫して、超急性期に詰まった血管を溶かすべくt-PAを使っていたのである。患者さんを良くするためであるから、日本の保険診療上は認可されていなくても欧米で有効と報告されている以上、現場の医師は使用していた。しかし少し前から、だんだん積極的には使用されなくなって来ていた。それは医療訴訟などの問題のせいである。
 つまり厚生労働省が認可していない薬を使用して(それが患者さんのためであったとしても)、万が一具合の悪い事になったり副作用が出たりした場合に、患者側が訴えて来たら医師は負ける可能性が高いからである。厚生労働省の認可していない薬の使用、または保険適用を認めていない疾患への使用は、それがたとえ患者さんを助けるために行った行為だとしても「違法」または「違反」なのである。だから法的解釈においては、「誤った治療」と裁断されたとしても仕方のない事になる。そういう事態は避けたい。すると積極的な使用ができない。
 医師側はどうしたか。脳外科学会などでは、数年以上にわたって中医協や厚労省に一生懸命働きかけて来た。なかなか認可されない。学会の中では、「一体いつになったら脳卒中に使えるようになるのか?」という声が上がっていた。それがようやく来年からだ。
 ポイントは「発症3時間以内」である。今回の研究会での報告のように、3時間以内の受診が30%にちかくなった事は喜ばしい事である。でも冷静に考えてみると、まだ30%なのである。これを50%, 70%, 90%にしていく努力も、我々医師は続けなければならない。発症後急性期の脳梗塞から助かる患者さんが一人でも増えるために。

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2005.07.24

牛タン、牛タン、ぎゅう、たん、タン

ふざけてしまった。
今日は日曜だからいいでしょう(なにが?)。でも出番なので勤務してました。3件のムンテラ(註;ICの俗語)しました。火曜日には下垂体腫瘍の手術です。偽膜性大腸炎の患者さんもなんとか改善に向かっています。

 さて、仙台は牛タンで有名だ。牛タン発祥の地とされている。仙台で牛タン焼き定食を戦後の食糧難の時に始めたのは、山形は河北町出身の人だと言われている。仙台市内に店を構える「太助」の亡くなられた先代主人である。最初は、奥さんと二人で屋台を引いて牛タンを出していたらしい。
 今や、「牛タン」といえば「仙台」と言われるくらいになり、仙台駅の新幹線コンコースを出たところに、「牛タンストリート」と呼ばれるものがあるくらい。私も仙台に住んでいたので、牛タンは大好きである。知らない人は注意。韓国料理の焼き肉屋で出す「牛タン」とは全く違う食べ物だと思った方がいい。以前、テレビの番組で九州で牛タン焼きの話しをしたら、みんな焼き肉屋の牛タンの事と思って、仙台のあの塩漬けにした厚めのタンを炭火で焼いた豪快な食事を知らなかった。
 その牛タンの火が消えそうである。仙台のある名店の暖簾分けのお店が山形市にあるのだが、先日食事に行って驚いた。休日の夜なのにお店はガラガラ。焼き一人前が1600円とちょっと前に二倍の値段。お腹一杯になりたい私は、焼き二人前と食事(麦まぜご飯とテールスープがつくのが定番)を頼み、もずく酢とビール中ジョッキを注文した。それで5000円である。昔は、1000円から1500円あればお腹が満たされた。少し贅沢をしても2000円あれば良かった。
 もともと庶民の食べ物である。これでは客足も遠のく。原因はやはりBSE、米国産牛肉の輸入禁止である。オーストラリア産の牛肉もそんなにたくさん入ってこないらしい。また豪州の法律で、タンだけとかテールだけを輸出できないそうなのである。だからタンが手に入らない。入るとしても凄く高い。当然料金に跳ね返る。客が遠のく。売り上げが減る。仕入れが出来ない。。。このままだと店を畳むか、メニューから牛タンを外すしかないらしい。「牛タン屋」に牛タンがないなんて、吉野家に牛丼がない以上のショックではないか?!
 仙台の大手チェーン店には、自前で工場を持っていてかなりのタンの在庫があるのでまだなんとかやって行っているらしいが、個人経営では店を畳んだりタンが入った時だけ不定期に店をあけたり、と大変らしい。仙台では牛タン屋がどんどんやめていっているらしい。山形の名店も上手いのだが、やはり本場のもの、元祖を食べたくてたまに仙台まで牛タンを食べに行っていた。しかしその内、仙台に行っても牛タンを出す店を見つけるのが難しくなるかも知れない。私の好きな鯨の肉の刺身とはまた違った意味で大きな関心をもつ事件である(たんに食いしん坊なだけか!!!)。(^^;;;

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2005.07.23

長寿世界一に思う

正確には「世界一」なのは日本人の女性で、男性は2位である。
平均寿命とは、0才時点での平均「余命」のことで、生まれたばかりの日本人女児は平均的に85.59年生きる、ということである。寿命に影響を与えるのは、日本人の3大死因である、癌、心疾患、脳卒中その他であるのだが、自殺や事故死も当然大きく影響している。
このように日本人の寿命が世界一であるその訳については新聞記事では触れていなかったが、生活環境が衛生的で戦争や大きな事件事故が少なく、なによりも世界一のレベルと言っていい医療に支えられていることは間違いない。新生児や子供のうちに病気で死亡する人が、世界中のどの国よりも少ない。私が新聞記事で注目したのは3大死因を除外した場合の「平均寿命」である。
『男性で8.74年、女性で7.94年、それぞれ延び、平均寿命は男性が87.38歳、女性が93.53歳になる計算で、3大死因対策が急がれる。 』
「?」である。安易な新聞屋さんの感想か。なぜ急がれるのか?急いだ結果で、せいぜい8年伸びるだけなのだ。問題なのは、「ただ生きている」ことではなく、楽しく幸せに生きていることであろう。8年伸びた余生が、苦難に満ちた寂しいものだったらどうなのだろう?惚けて周りのことが認識できない状態で長生きしても人生を楽しんでいることにはならないだろう。ほぼ寝たきりで全介助に近い状態で長生きしていて幸せなのだろうか?3大死因は、すこしずつ克服されていくであろうが、人間は一体何歳まで生きるものなのだろうか?
 我々「日本人の」医師が、ヒラリー・クリントンの言葉を借りれば「まるで聖職者のような献身的精神で」働いて、たった8年しか伸びないのか?という思いもある。

 平均寿命と余命について、時々勘違いされているようであるが、たとえば今75才の方はすでに75年間事故にも事件にも遭わず自殺もせずに生きてきたのだから、平均寿命86才ー75才=11年の余命ではない。現在75才の女性に期待できる余命は、15年以上あると予測される。だから90才まで生きる可能性が高い。私が去年手術をしたくも膜下出血の患者さんがいる。78才の女性である。体力が落ちたからか、茶飲み友達とおしゃべりする以外は自宅でおとなしくしているという。私は外来で、可能な限り出かけたり何でも出来ることはするように、言っている。「もうおばあちゃんだから、、、」とその方は言う。確かに若くはないが、日本人の平均寿命86才ー78才=8年の余命ではないのだ。78才まで生きてきて今健康なのだから、まだまだ10年以上もしかすると20年近い余命が期待できる。その間、家に引きこもっていてはいけないのである。惚けてはダメなのである。残された人生を十分に楽しんで幸せに暮らして欲しい。旅行だっておしゃれだって何だってして欲しいのである。
「○○さん、家に引きこもる人生のために手術して助けたんじゃないからね!またコンサートに来て下さいよ!」と声をかけた。実は彼女の長男とその妻は、私と同じアマオケの団員でチェロとバイオリンを弾いている。旦那の方は楽団指揮者の一人でもある。今年2月のコンサートの時に、私はこの患者さんからお花を頂いた。捨てるのはもったいないのでドライフラワーにして今も部屋に飾ってある。また何回でもコンサートに来ていただきたい。寿命、余命とはただ生物として生きていることであるが、「一人の人間」として生きているということを、皆さんに、そしてこの「急がれる」と知ったような顔て書いたと思われる新聞記者、その記事の掲載を許可したデスク、その他の人たちに考えて欲しい、と思った。

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2005.07.22

世界初演

千住明作曲 交響曲第一番。
山形交響楽団の定期演奏会で、「庄内定期」と呼ばれる演奏会が本日おこなわれた。
本日のプログラムは、高木和弘氏ソロのメンデルスゾーンヴァイオリン協奏曲ホ短調とシューマンの交響曲第4番ニ短調、そして「世界初演」の千住氏の交響曲。
山響の常任指揮者でミュージック・アドヴァイザーの飯森範親氏が「山形から世界に向けて発信する」というコンセプトで千住明さんに委嘱した作品の初演が一つの目玉だった。千住氏は、テレビドラマの主題曲やコマーシャルの曲などを数多く手がけるいわゆる「売れっ子作曲家」であるが、かねてより交響曲を書きたいという意欲をお持ちで、飯森氏の希望とうまく合致してできあがった、3楽章形式およそ20分強の短めの作品であった。最近では、SMAPの中井君が主演して話題となった「砂の器」の曲を担当しているが、私はあのピアノ協奏曲「宿命」は大変好きである。非常に魅力的な旋律を書く、オリジナリティ溢れる作曲家で凄い才能をお持ちの方だと思っている。
この交響曲は、明日明後日山形市で行われる本来の山響の定期演奏会で初演されるのであるが、本日庄内で本当の意味での世界初演(実はこの演奏会の前に東京で初演されていたことを後で知りました)となったのであった。さて音楽は、、、私ごときが批評めいたことを書くのは避けたい。でも、「交響曲?」と言う印象を受けた。交響詩?というのか、短いのだ。テーマはあるけれど、いわゆる曲の中心となる動機というか、「ぐっと心に迫って残るフレーズ」はなかったように思ってしまった。何回か聴くとまた違うのかも知れないが、たとえば「運命」のダダダーンとかブラームスの甘い旋律とかに(そういう歴史上の
大作曲家と比較しちゃいけないのかも知れないが)みられる「核」というものが乏しかったような印象であった。
第一楽章:Open the Gate、第二楽章:Brilliant Phantom、第三楽章:Prayerという副題がついている。オーケストレーションは見事であったし、第二楽章などは演奏会前のプレトークで指揮の飯森氏が解説したように、「映画音楽」的雰囲気を持っていて美しかった。私は個人的に、オードリー・ヘップバーンが現れる映画の音楽のように感じた。第三楽章は、「祈り」である。この曲自体のテーマが「祈り」であると、作曲者自身のコメントもプログラムに書いてあった。その訳は、千住氏のごく親しい旧友が先日の福知山線脱線事故で亡くなられたことがおおきな影響を与えた、ということであった。3つの楽章を通して、美しく時に複雑に時にシンプルなオーケストレーションが見事でまったく眠くならずに聴き終わった。そして確かに「祈り」を感じ、自分だけでなく会場の聴衆全体がオーケストラを見ながら音楽を聴きながら祈りを捧げているように思えた、とまで書いたら大げさであろうか。できあがった交響曲がこれから世界に向けてどのように発信されていくのか、暖かく見守りたいし第二番、第三番と名作を生み出して欲しい。出来るならば、続けて山響世界初演を何作も続けていって欲しいと思う。ベートーベンだって9つの交響曲のうち、1,2番あたりになるとどんなテーマ、動機を持っているかぱっと口ずさめる人がどれくらいいるだろうか?
 飯森氏の積極的な前向きな取り組みと、それに応え才能を示した千住氏にBravo!と言おう。

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2005.07.21

予定通りに行くという事

手術は、予定通り8時間ぴったりで終わりました。
なかなか大変でしたが、矢状洞内に入り込んだ腫瘍も含めて摘出しました。ただ、全部摘出すると腫瘍で詰まっている矢状洞の腫瘍のない部分、つまり正常に血液の流れているところまで切り込まなければならず、それは大出血を起こすので避けました。
 頭の中で数回シミュレーションしておいた手術ですが、実際には身体の痛さとか手のだるさとか目の疲れとかそういったものが加わってくるので、時間が経つにつれ集中力が低下してつい操作が手荒になったりします。しかもそういう時間帯に一番肝心な部分が現れて来たりするのが常です。
 今日も、手術が始まって5時間ぐらいたったところで、右の足の運動中枢を強く圧迫して癒着している部分に達しました。いくら丁寧に腫瘍を剥がそうとしてもすでに脳がトロトロになっていてすぐに壊れそうになります。そこをいろいろな手術器具を用いながら時間をかけて剥離しました。やはり脳の表面には傷が残りましたが予想した程度の軽いものですんだと思います。矢状洞内は腫瘍で充満されていたため、大脳鎌まで切り込んで切除し、右側の半球にまで張り出した腫瘍も矢状洞の中を通して超音波メスで摘出しました。自画自賛ですがほぼ完璧な手術で、頭に思い描いていた通り、予定通りの手術が出来たと思っています。患者さんは、麻酔からの覚醒も良く、ICUのベッドサイドに並んだ家族3名の名前をすらすら答える事ができました。右手にごく軽度、右足に中等度の運動麻痺がありますが、術前からは麻痺があったのでこれも予想通りであり、術後にリハビリをすれば独歩で自宅退院できると想定しています。患者さんが素直で日頃の行いが良かったのか、私の修業がまずますだったのか、神様の御加護が大きくあったのか、そのすべてだと思いますが、「予定通り行くという事」は嬉しい事です。手術後の疲れも軽減されるようです。先ほど、医局で飲み物を飲みながら(もちろんお昼の一時少し前に、外来終了後わずか3分で流し込むように食べたカレーライス以後食事はまだですが)テレビを見ていて、またロンドンで爆発テロがあったらしいニュースを見ながら一息ついていたところです。
 患者さんは明日早々に一般病棟に戻って食事もとれると思います。最近、帰りが遅い日が多くてフルートの練習がほとんど出来ません。(;;)

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2005.07.20

髄膜腫と下垂体腫瘍

 以前にもこの2つの腫瘍の事は書いた。
 脳腫瘍とは、脳からできる腫瘍の事ではなく、頭蓋骨の中に納まっている構造物から出来た出来物はすべて「頭蓋内腫瘍=脳腫瘍」と言うならわしになっている。全年齢を通して、最も多いのは神経膠腫といって、手術摘出すれば放射線治療もいらない比較的良性なグレード1から極めて悪性で診断後の余命が半年から一年というグレード4まである。これがおよそ全体の3〜4割。次に多いのが、髄膜腫。これが2〜3割。3番目に多いのが、下垂体腺腫で1〜2割。4番目が聴神経腫瘍で1割弱、となっている。頭蓋内に発生する腫瘍を、その元となる細胞から分類した病理学的診断名でわけると50種類を超えるのであるが、この4つで約9割を占める。
 明日は、また大きな髄膜腫。今度のは、直径4.5cmを越え、周囲の浮腫(むくんで水が溜まる事)も強く既に運動麻痺が出ている。予定手術時間は7〜8時間を予定している。MRIで見る限り、腫瘍と圧迫された脳の間にまったく隙間がない。髄膜腫は脳の外から出来て脳を押し込むように発育するので、小さいうちは腫瘍と脳の間にくも膜の隙間があって、簡単にはがれる事もある。明日の腫瘍は、無理に剥がそうとすると脳の表面が傷ついて出血したり崩れてくる事が予測されるため、慎重に慎重に内減圧(内部をくりぬく事)してから攻めて行くしか無い。8時間で終わればいいが、と思っている。
 今日新しく入院し来週手術を予定している方は、下垂体腺腫。下垂体の正常の重量が0.7grぐらいで脳は1000〜1200grぐらいあるのだから、下垂体は脳の1000分の一以下の大きさなのにもかかわらず、そこに発生する腫瘍は3番目に多いのである。ホルモンの過剰分泌症状を呈する、巨人症、末端肥大症、クッシング病、無月経乳汁分泌症候群などのホルモン産生性腫瘍と、主に視力低下、視野障害に疲れやすい、多尿多飲などのホルモン低下症状で発症するホルモン非産生性腫瘍に分けられる。鼻の穴からどこも切らずに内視鏡を挿入して2時間くらいで腫瘍をとってしまう内視鏡下経鼻腫瘍摘出術を予定している。
 明日はまた気力体力勝負。手術終了は早くて夜の10時過ぎである。

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2005.07.19

多施設共同研究

 医学研究の中に(それ以外の領域でもあるけど)、表題のような研究がある。
 理由はいくつかある。多くの施設で行う事によって、必要とする対象症例を数多く集める事が出来る。特に一定期間(たとえば一年)などのように期限をきった「前向き」(prospectiveのこと)な研究では、必要症例数を確保するために同時に多くの施設で研究を行った方がよい。一カ所で研究を行うと、対象の症例に偏りが出る可能性が高くなる(たとえば80才以上の患者さんが極端に多いとか)が、これを県内全域であるとか東北地方とか全国とか言う風に広げて共同研究を行えば、偏りが少なくなる。研究には、客観的なデータと主観的なデータが含まれ、一カ所で特定の医師が研究を行った場合、その人の主観でデータ解釈が変わる危険性もあるが、逆に言えば判断の基準が安定しているとも言える。複数の施設で研究を行うと、一人の主観ではなく複数の主観になるので、一見客観性が高まるように思えるが、結局は「主観」なのであって、施設ごとの判断基準がバラバラになってしまう危険性を含んでいる。だから「多」施設共同研究は、study designといって研究を開始する前にどのような方法で行うかを十二分に検討し問題点をできるだけ少なくしてから開始する必要がある。
 頚部の超音波エコーが多くの施設で取り入れられている。脳外科や神経内科や循環器内科のある施設はもちろん、個人開業医でも導入しているところが増えている。器械が(高額なものの多い医療器械の中では)比較的廉価で装備しやすいこと、扱いが難しくない事、検査が短時間で患者さんの負担も少なく、医療収入源になる事、などなど様々な理由で導入が進んでいるように思う。
 我々が参加して始めたばかりの共同研究は、この「頚動脈エコー」の信頼性を探るものである。たとえば、他の施設から『頚動脈エコーの結果、右の頚動脈に35%の狭窄を認めますので診察お願いします』というような紹介状を持って患者さんが来る。頚動脈の狭窄があると、近い将来脳梗塞を起こす危険性がある。入院の上、脳血管撮影を行ったところ、なんと全く綺麗で狭窄などない血管だった。何故なのか?
 超音波エコーとは、ようするに魚群探知機と同じ原理である。器械の精度があがったとはいえ、所詮は超音波をあてて跳ね返って来たものを画像にして直接見えないところを探っているのである。「マグロの群れがいる」と魚群探知機に出たとして、それが本当にマグロなのか、たくさんいるのか、ある程度推測は出来るが、直接目で見た訳ではないので事実とずれがあるのである(こういうのを偽陽性、false positiveという)。頚動脈を超音波で見てみたところ、血管の壁が一部分厚くなって(動脈硬化)内腔が狭窄している、と推測されたものの、それが超音波の乱れによる偽陽性で、真実は壁は綺麗だった、ということがあり得るのである。
 そして、どの程度の所見のとき信頼性が高いのか、超音波検査がどの程度患者さんの診断や治療に貢献しうるのか、というまともな研究はまだ行われていないのである。この研究を遂行するための検査は、ある特定の疾患の患者さんの診断および治療の一環として行われる。だから研究に参加すること自体はわれわれにとっては、通常の診療業務を果たすだけなので新たな負担ではない。しかし、この研究の事を対象の患者さんに説明したり、得られたデータを記録したり、それをファイルしたり、などという新たな仕事が増えるのである。
 本当なら、こういう器械を開発した会社や対象となる疾患の治療で儲けている製薬会社やその辺りが関与して金と人を出して研究してくれればいいのだが、対象が患者さんであるだけに医師が直接かかわる必要があるし、器械を作っている会社がその器械の信頼性について研究したデータなど、客観性に乏しい(都合の悪いデータが改ざんされたりする恐れもある)ので、結局、第一線の病院に勤務している我々がやるしかないのである。こういう仕事の結果、医学・医療が進んで行っていること、患者さんの診断や治療における信頼性が高くなっている事、そういうことに関して世間は無知であると思われる。
 先日書いた、脳卒中登録などの事業など、現場の医師が行っているから得られるデータがたくさんあるのである。そのデータや共同研究の結果などを、現場を良く知らない人からあれこれつつかれるのは心地よいものではない。脳ドックも健康診断も、「心配だからCT撮って欲しい」という患者さんの希望も、すべてなしにすれば、医療費はかなり抑制できると簡単に計算できる。しかし、その中に、「心配だ、と言っていた時に調べておけばわかったのに、、、」とか「脳ドックで未破裂のうちに見つけて手術しておけば命を落とす事も無かったのに、、、」という人が、「多くはないけれど」必ずいるのである。一見無駄に思える診療行為で、命を救われる人もいるのである。人の命の問題なのだから、「効率」「経済性」「確率論」だけで論じては行けないのである。
 もし、確率論と経済性を優先して医療を行うのであれば、75才以上の人、少なくとも80才以上の人には、痛みや痒みを和らげる治療以外の医療行為は行わないのがいい。多額の金のかかる心臓の手術をして、1年後に別の病気で亡くなる可能性があるのだ。脳卒中の治療を一生懸命やって、80才の寝たきりを作るだけになるのだ。「何もしない」方が、国のため、行政のため、医療経済のためから言えばよいのである。しかし、83才のおじいちゃんにも79才のおばあちゃんにも、愛する家族や友人がいるのである。効率や確率だけで医療行為は行えないのである。そこには「愛」が介入するからである。
 医療経済の問題を論じている方、脳ドックや健康診断の廃止を唱えている方々、その他、現代医療の進歩に異を唱えている方々、あなた方の論理の中には「愛」が存在するのかを考えて欲しい、と思う。多施設共同研究を始めて、正直な気持ち「めんどくせ〜な〜」とい考えが湧き、いろいろ考えていたら「愛」の話しになってしまい、ちょっと恥ずかしい感じがしています。(^^;;;

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2005.07.18

「海の日」

 ということで「国民の祝日」です。
 しかし私は、またも全館日直であります。朝の8時過ぎに病院に出て来て、救急外来に呼ばれる前にICUとHCUで最低限の仕事をし、先ほどまで救急(時間外)外来で患者さんを診ていました。お昼ご飯を食べ終わって今、午後1時40分過ぎです。
 音ブログの新しいのをアップしようとしたら、な〜んと、今日の正午から明日の正午までサーバー移行のため「休止」だそうです。残念です。毎日一曲アップして来たのですが、ついに途切れました。
 ていうほど大袈裟な事でもないですけどね。一日一曲のペースでアップ続けたら1ヶ月でレパートリーが無くなりそうです。曲は、アップする以上は自分の練習のためでもあり(人に聴かれると思うと真剣さが違います)、ある程度はコンセプトがあるのでどんな曲でもいいとは考えていません。昨日、自宅スタジオでまた10曲近く録音し「音源」を増やしましたので、まだまだ大丈夫です。
ーー
海の日なんですが、海の事故は起こらないで欲しいな。特に溺水は一度経験すると二度と診たくないと思いますよ。皆さん、自分のため、そして家族のため、交通事故と海の事故には気をつけましょう!

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2005.07.17

アダージョ

Adadio:「くつろぐ」の意味から出た語で、アンダンテとラルゴの間の遅い速度。(音楽用語集から)

ということで今日の音ブログはアダージョ、
http://www.voiceblog.jp/balaine/12817.html#top
私の今日の一日はadadioでした。

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2005.07.16

脳ドック研究会

今日は大学のある街で表記研究会が行われた。特別講演は、会を作ったうちの教授であった。
そもそもこの研究会が出来たのは、「脳ドック」を推進しよう、ということではなく、有象無象の病院や医院でMRIをもっているだけで脳ドックができてしまうことへの警告と啓蒙であった。器械があるからできる、では困るのである。「誰が」やっているのか、「どのように」やっているのか、が重要である。
 脳ドックの現状を検証することもなく、誰がどのようにやっているのかをチェックする機関もなく無制限に行われると弊害ばかり目立ってしまう。それがK医師が3年前に文○春○に寄稿した、『脳ドックに「ノー」と言おう』などのように脳ドックの問題点を指摘される事態に繋がっていることは否定できない事実である。
 未破裂脳動脈瘤のように、何も症状のない人が病気が見つかってその治療を考えるときに、大切なことは「無症状の人は無症状のまま日常生活に戻れる」ことである。それが「脳の手術なのだから、多少の後遺症がでても仕方がない」という発想のままで治療されてはいけないのである。
 医者が明日から医者を、弁護士が明日から弁護士を、職業に貴賤はないが、たとえば八百屋の親父さんなら退院したらその日から八百屋を出きるのが理想であり、そう目指した治療が行われなければならない。脳ドックがこれほど隆盛をみるかなり前から、教授は常にそのような脳神経外科治療をおこなうよう、我々弟子を厳しく指導されてきた。私もその指導に耐え多くを学んできたつもりである。だから、以前にも書いたように、私は脳ドックを推進する立場でも反対する立場でもない。脳ドックの結果、治療が必要と考えられる人に対してどのようにアプローチすれば「そのひと」の今後の人生が豊かで明るいものになるかを考え、それを実践するだけである。神ではないのだから100%絶対成功を保証は出来ない。しかし私が手術しても予測上は100%に近い成功が得られるという感触を得られる症例にだけ手術をすすめている。手技的に難しいなと思ったり、手術による障害発生がかなりの確率で起こりそうな症例は、大学に紹介する、大学を通して血管内治療をすすめる、などのように自分よりも優れていると思う医師に迷わず紹介する。または、患者と家族に十分な説明をして手術治療を行わずに外来で経過を追っている。今、思い出せるだけで4,5人の患者さんは手術をせずに外来で経過を追っている。大学に紹介して手術を受けたものの、やはり困難な症例で動脈瘤にクリップをかけずに閉頭され頭の中に動脈瘤が残ったままの人もいる。大都市の有名な血管内治療の専門医に治療を依頼したものの、そこでもやはり治療は困難と言うことでそのまま送り返されて来た患者さんもいる。以前にもこのブログでかいたように、我々医師は"First, Do No Harm"なのである。治療できなくても、少なくとも診断される以前より悪い状態にしないこと。これを「勇気ある撤退」とみるか「敵前逃亡」とみるかは医師によって違う。しかし、「その」患者が自分の親であるとか、同胞であると仮定したときに、難しいから治療しないことを非難できるであろうか?
 脳ドックで診断がついた患者さんの治療成績は理想は100%成功でなければならない。しかし人間の営みに100%の絶対などというものはない。我々は神になろうと努力しているのではない。いずれ限りのある患者の人生が我々の介入によってさらに豊かなものになることを目指しているのだ、ということを、今日の教授の講演を聞いて再確認した。

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2005.07.15

プロムジカ体験

 昨日、ハンガリーの女性合唱団「プロムジカ」のコンサートに行った。全国ツアーの真ん中くらいであるが、県庁所在地もない庄内地方で2日にわたって2公演ある。大阪(7/20,21)、東京(7/23,25)も2公演なのだから少し驚きである。
 コンサートは「感動」の一言。合唱というよりは、パイプオルガンのような一つの楽器が奏でられているような感じであった。7/3に廣島の世界平和記念聖堂でうたったそうで、おそらく天井の高い、教会のような響きのところで聴いたら「天使の声」と聴こえるであろう。
 今日は彼女らは日本海の海で海水浴の予定である。私も関係者に誘われたが仕事なので行けない(ざんね〜〜ん!!!)。海のないハンガリーの人は海水浴でははしゃぎまくるらしい。有名な指揮者のS氏は、過去にはこの海水浴でスッポンポンになってはしゃいでいたらしい(回りはほとんど女性なのに、、、)。
 地元の町とハンガリーのソルノク市が姉妹都市の関係にあって、過去にも積極的な交流が行われて来たのが庄内で2公演ある理由である。そのソルノクを含めハンガリーに来年のお正月、アマオケのツアーが計画されている。なんとか参加したいと思っている。
 これを見て、プロムジカの存在を知った方。もしお時間があるなら是非コンサートに行かれる事をお勧めする。日常の雑事が頭から消え疲れが癒されるであろう。日本の歌も歌ってくれるが(昨日の公演では、庄内縁の「雪の降る街を」のほか、「ずいずいずっころばし」「さくらさくら」など)これも本当に素晴らしい。日本の歌を見直させてくれる。
http://www.conversation.co.jp/schedule/promusica/
http://machi.goo.ne.jp/snd/EventID_81816/cover/event.asp

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2005.07.14

9-2=

 体調が悪い時は寝るのが一番。と昨日は夜9時にはベッドに入りました。熱と薬のせいでじっとり汗をかいてしまいました。でも夜中の2時に、「救急外来ですが、、、」と緊急連絡。症状がはっきりしないけれど脳梗塞が疑われる人を診察して欲しいと当直医からの依頼。身体はだるいし熱もありそうだけど仕事ですからね。
 結局、自覚的に右手がしびれる、位の軽い症状で他覚的所見はCTも含めてなし。しかし夜中でもあり「脳梗塞疑い」で入院させ治療を開始しました。3時半過ぎに自宅に戻り、しばしボーッとして着替えて寝ました。結局、9-2=7時間の睡眠に終わりましたがそれでもいつもよりは寝たので今日は体調回復中。
 さて脳卒中登録事業も終わったし、たまっている手術記録を片付けなければ。
ーー
 そういえば2日遅れですが、人気プロレスラーが脳幹出血で亡くなられました。私は患者さんの家族に脳幹について説明する時に、「椎茸やマッシュルームの笠の部分が『大脳』で、軸の部分が『脳幹』なんです」という風に説明しています。軸がダメになれば当然笠の部分も働きません。意識の中枢、眼球運動などの中枢とともに、生命中枢とも呼ばれる呼吸機能の中枢や血圧、心血管系作動の中枢もあるため、脳幹が広汎にやられると即死に近い状態になります。そこまでいかなくてもほぼ寝たきりか植物状態になることがほとんどです。
 まだ若かったですね。ご冥福をお祈り申し上げます。音ブログは「亡き王女のためのパヴァーヌ」です。

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2005.07.13

ゾクゾク

 寄る年波には勝てず?昨日の後遺症です。
 脳腫瘍を摘出するため顕微鏡を使用していた3時間強の間、無理な姿勢で手術をしていたため、首や身体が痛くその影響で風邪気味か身体がゾクゾクします。患者さんの乗った手術台を回転させる事も出来ますが、万が一ズレタリすると行けないので極力動かしません(上下はします)。そのかわり、顕微鏡を大きく動かします。我々の言葉では「顕微鏡を振って」というのですが、回すのです。ほぼ半球に近いくらいの動きをします。
 何故そんな事をするかというと、脳と腫瘍の境をきちんと見つけて剥離(はがすこと)操作をする際に、脳をできるだけ押したりせずに手術手技を遂行するためにはいろいろな角度から侵入する事が大切なのです。昨日は手術中、一切脳ベラ(銀などで出来たやわらかいヘラ状のもので、脳を少し引いたり押したりするために使う)を使用しませんでした。超音波メスで中身をくりぬいて(みかんの中身を抜いて外の皮だけにするようなテクニック)軟らかく動かせるようになった腫瘍を引っ張ったり押したりしながら少しずつ剥がして行き腫瘍を全摘出しました。腫瘍は長径3cmくらいですが、脳表に顔を出していたのは1cm足らず。そのスペースから中身をくりぬいて、周囲を剥離して行く訳です。
 脳ベラを使わずにその操作を腫瘍の全周にわたって行うためには、顕微鏡の光軸にあわせて術者が動かなければならず、場合によっては上半身のみ45度位横に倒した格好で、じ〜〜〜っとしていなければならず(手が震えては行けないので)そんな事を繰り返していたら、総手術時間5時間(予定より1時間早く終わった)という時間よりもどっと疲れが身体に来ました。なんか少し食欲もありません。
ああ、でも残った脳卒中登録を完成させなければ。大学から催促の電話が入ったのでした。今日中に登録を終えてメールで大学の事務局宛に送る予定です。ささ、仕事、仕事!

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2005.07.12

髄膜腫の手術

今日は、午後から約6時間の予定で手術。 
手術前はなるべく余裕をもってこれからの手術以外の事は考えなくてすむようにして、集中したいのだがそうもいかない。いつも通りICUから回診を始めていた。先日、両側脳室ドレナージを行った患者さんが一昨日からお腹が張っている。内科にfiberscopeで見てもらったところ、拡張した腸の中に偽膜が認められ「偽膜性大腸炎」と診断。脳室ドレナージに対して普通の抗生物質を使い始めてまだ5日目でのことである。
 とりあえず抗生物質は中止し、経口で偽膜性大腸炎MRSAに効く薬剤の投与に変更した。その後も腹満は改善せず、今朝からは呼吸苦も出現している。CT上、脳室は小さくなり脳室内出血も流れ出しており脳室ドレナージを一時遮断として上体を45度ほど起こし、鼻から胃へ、下からも直腸へ排ガスのためのチューブを差し込んだ。麻痺性イレウスになっているので腸の動きを改善させる薬物も使っている。末梢血管が一時虚脱して点滴も刺しにくくなったので、CV line(中心静脈ライン)も取った。もう一人の若手脳外科医は朝から外来で、今日は副院長と回診であるが、こういうこまごまとした現場の手技は副院長は頼りに出来ないので自分一人でやらなければならない。病棟の回診、指示期間の切れるオーダーの確認追加、処置をやってからICUで内科医と外科医にコンサルトしつつ必要な事をやりCV lineを挿入して胸部写真でラインの位置を確認した。OKである。
 午前中の3時間ちょっとの間にこれらすべてを一人でやらざるを得なかった。何とかこなし昼食を摂った。
「午後一時以降は手術に集中するから急用以外は私に連絡するのは遠慮するように(第一選択にしないように、という意味)」と指示してパソコンの前に座ったところ。
 さあ、音ブログに、7/10に新たに録音した曲の中から今日はave verum corpusを選んでアップした。これを聴いてまず心を落ち着けよう。そして集中。
「手術がうまくいきますよう」

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2005.07.11

何も変わらない

 当たり前の話しですが、年がイッコ増えても何も変わりません。自分としては、もっと大人にならなければ(今更?今頃?)と思っていますが。
 今日は、脳卒中登録が進みました。もう少しで終わります。半年で100名以上、神経内科とあわせると160人くらいの「新患」がいます。平均的に一日に一人です。うちは脳卒中センターは無いし救命救急センターもないし、地方の一都市にある中規模の病院で、近くに似たような規模の病院が2つあるのに、これくらいは脳卒中が発生しているのです。
ーー
 明日は、傍矢状洞髄膜腫の手術。大きさは3cmくらいなので5,6時間で終わる予定である。ただ頭頂から後頭にかけてなので患者さんはうつぶせの体位で手術を受ける事になる。麻酔の時間は7,8時間になるから、その間ずっとうつぶせになっていると顔が腫れる。最新型の手術顕微鏡のデモをメーカーの方から是非お願いしますということで2週間前から受けているのであしたもこれを使う予定。標準的な装備で4000万円くらいするものである。こういった手術器械や手術技術などは進歩しているにもかかわらず、医療費抑制ということで手術料(=保険点数)が抑えられたり下げられたりするのは、何かおかしいと思うのだがこれは医者の論理なのだろうか?

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2005.07.10

納豆の日

というわけで。。。
しかし、一緒にケーキを食べてくれる人もいないので、スタジオ(=自宅(笑))に籠って、音ログ音源作りに励む日にします。

こんなサイトを紹介して今日は終わり!
「世界の言葉でHappy Birthday!」
http://www.shabbir.com/romance/bday.html
テロなんか無い世の中になって欲しいですね。

「いろんなHappy Birthday To Youの演奏」
http://www.kurarin.net/kuranet/hb/birthday.html
あなたはどれがお好み?
僕は、、、マリリン・モンローに歌ってもらいたいな。。。(><)

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2005.07.09

土曜日はお休みですけど、、、

 昨日は少し飲み過ぎた。この病院に来て1年8ヵ月で初めてHCUの看護師達との飲み会が実現した。医師は、特にHCUにお世話になる機会の多い、脳外科、循環器内科、腎臓内科(透析)の他に消化器外科と呼吸器外科の医師も参加し盛り上がった。時間制のビアホールに行ったので、みんな飲み足らず、21時にはワインとカクテルの美味しいお店に移動した。そこでは、10名ほどになったがわいわい盛り上がって楽しく飲み過ぎた。最後は、男の医者だけでラーメンを食べて1時過ぎに帰ったような記憶がある。。。。
 朝、普通に起きて重たい頭で、朝食をきちんと作って食べながらボンヤリしていたら、昨日の夜に入院させた(もう一人の脳外科医が一次会の途中で急患室に呼ばれ診察して指示を出し二次会の途中で戻って来た)小脳出血の患者がレベルダウンしているという連絡が入った。ボンヤリした頭を引きずるようにHCUに行き、診察、すぐにCTを撮ったところ、出血は増量しておらず予測通り急性水頭症になっている。すぐに家族を呼び、土曜日なので日直婦長に連絡して手術場の看護師を招集し緊急脳室ドレナージを行った。
 いざ手術、となれば頭はクリアになる。長年の経験で会得したものだろう。手術そのものはきわめて順調に、12分40秒で終わった。患者は呼べば目を開けるようになり改善はした。これからいろいろな面(小脳出血の管理、全身管理など)での総合的治療が必要である。
 2月に倒れ、4月に開頭根治手術をし、5月にシャント手術をしている、椎骨動脈解離性脳動脈瘤によるくも膜下出血の患者さん。シャントの効き過ぎ(オーバードレナージ現象)が起こっていて、体外から圧を調節する装置で最高の20cmH2Oまで上げたが、依然サイフォン現象によるスリット状脳室が続き、食欲不振、吐き気、嘔吐が続いていた。なるべく手術的治療はしたくないので、CTを撮りながら経過観察していたが圧を上げて2週間経っても3週間経っても改善が見られないため、昨日サイフォン現象を止める装置を接続する手術を行った。
 脳室腹腔シャントのチューブの途中に、抗サイフォン効果のための1cmくらいの大きさの装置を接続するだけなので簡単な手技ではあるが、これが上手く行くかどうかはわからなかった。今日の緊急手術が終わって診に行くと、水頭症で手術する直前のようなボンヤリした感じで精神症状が見られる。すぐにCTを撮ると、脳室が明らかに拡大している!サイフォン現象が収まって、今は設定圧の20cmで働いているため、水頭症が再出現したのだ。すぐに圧を12cmまで下げ、効果をみながらCTを撮って最適な圧を探って行く事にした。結果論としては、やはりサイフォン現象によるオーバードレナージだったので、もっと早く装置の接続をしてあげれば良かったのだが、人の身体に傷をつける外科的手術は慎重を期すべきとの考えで遅くなってしまった。このまま上手く行ってくれれば、予定より一ヶ月くらい遅くはなるが自宅退院できるだろう。救急車で来院した時は、血圧が下がり呼吸も止まりそうだった患者さんである。元通りの生活ができるまで良くなってくれれば治療した方としてはこの上ない喜びである。

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2005.07.08

Anniversary

 今日は、ある患者さんの手術後丸1周年だった。一年前の今日、左の大きな(長径40mm位)の聴神経腫瘍の手術をした。術後左の顔面神経麻痺と嚥下障害が出現した。術前から左三叉神経障害も出ていたので術後に左の顔面のしびれも残った。
 一年経った今日、患者さんの顔を見ただけではどちらを手術したかわからない。顔面筋を動かしてみて注意深く観察しても、「あれ?手術したのは左でしたっけ?」というくらいになっている。自覚的には、まだ左の頬あたりが少し感覚が鈍く軽くしびれているが、ふらつきもむせもなく元気に暮らしている。腫瘍は内耳道内に残存しているため外来MRIで経過観察中であり、大きくなってきたらガンマナイフに紹介予定である。
 その患者さんが、診察が終わって次回の予約を確認したところ、「先生、これ、ほんと恥ずかしいものだけど、、、」と小さな包みを渡そうとする。「手術後一年の記念のお礼ということで、、、」という。
 基本的に患者さんからお礼はうけとってはいないが、手作りの包みであったので、ありがたく頂戴した。中に手紙が入っていて、手術、その後の治療に対する感謝の言葉とともに、「確か、去年、手術後に先生の誕生日は「納豆の日」と聞いて記憶があるので、お誕生日にプレゼントとしては恥ずかしいけれど」と書かれて小さな風鈴が入っていた。プレゼントもうれしいけれど、手紙とその内容。私の誕生日を、手術後の混乱した状態、特に顔面が麻痺してパニックになっている状態で覚えていてくれた事に少し胸が熱くなる思いをした。
ーー
 昨日のギターフェスタプレコンサート。池田慎司という新進気鋭のギタリスト。これまで、アタナス・ウルグズノフ、ボリス・ガケール、マーティン・フォーゲルという、いずれも外国の気鋭の若手ギタリストがやってきた。皆素晴らしい演奏を聴かせてくれたが、私は昨日の池田氏が一番良かったと思う。好き嫌いの問題もあるかも知れないが、なかなかハンサムで負けん気の強そうな顔にも見えるのに、話しをすると腰が低くとても謙虚でさわやか。しかし、感心したのはその音色とテクニックである。日本人だから、私と同じ九州出身だから(小倉だそうだ)という身びいきではなく、今までの3人と比べても遜色ないどころか、彼が一番上手いのではないかと感じた。
 思わずCDを買って、サインまでもらってしまった。"Brazil"というタイトルのそのCD、おすすめである。
「ブラジルの水彩画」「フェリシダージ」「エスペランザ」などおなじみの曲が入っている。
 早速帰りの車の中で聴いた。演奏自体は先ほど聴いたばかりのライブの方が良かったように思った。こういう「ノリの良い」音楽はライブの方がいいだろう。聴くほうも乗るし、演奏する方も更にのせられる。でもCDでも十分に彼の凄さは表れているし、聴いていて楽しくなる。まだ28才だそうだ。これからが楽しみなギタリストである。
 福岡から一緒について来た所属会社社長とマネージャー(もしかすると社長の奥さん?)と、私が福岡生まれである話しで少し盛り上がってしまった。奥さん(?)は、なんと私の母と同じ宮崎は日向の出身で、お母様の旧姓が私と同じであった。宮崎には多い名前であるが、え〜もしかして親類かも?などと盛り上がってしまった。「母は日向で、父は延岡なんですよ」というローカルな話しを東北の片田舎でする事になるとは、彼らも驚いていたようだった。
 いずれにしろ、ギタリスト池田慎司、この名前は覚えておいた方が良い。

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2005.07.07

七夕様

 子供の頃は、短冊にいろいろな願い事を書いたものだ。今は、何か願い事があるのだろうか?願い事をしない限り、かなう事も無いのだろうから、無い物ねだりではなく実現させたい夢を「文字」にして自ら願いを呼び込まなくては。
 今日は、午後に脳卒中登録事業が少し出来た。その後、来週の髄膜腫の手術の説明を行った。予定は6時間くらいの手術である。7時から、「庄内国際ギターフェスタ」のプレコンサート最終回があるのでそろそろ出かけなくてはならない。
 音ブログ、一曲アップしたけれど、考えてみるとインターネットでの公開配信の場合は、趣味の演奏であったとしても著作権の問題が生じてしまう。JASRACに問い合わせ中である。

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2005.07.06

音ブログ

 今日は、私がこのブログを始めてちょうど半年たった記念すべき日である。そしてもうすぐ「納豆の日」=私の誕生日である。 
 ブログのお陰で、新しい仲間が出来たような気がしているし、遠く離れた親兄弟親類知人なども私の日々の生活や活動の一端を垣間みているようで、おもしろい。時々父親から「ブログ見ている。身体を心配している。」などというメールが届いてちょっと恥ずかしい。
−ー
 脳卒中登録事業をコツコツとやらなければならないのに、いろいろな事(関東のある街から単身赴任中の方が緊急入院し大掛かりな手術が必要そうなので家族とも相談し地元の大きな病院に紹介すべく電話をしたり紹介状を書いたり飛行機の便を調べて教えたり、、、ガンマナイフ治療を要する患者さんとその家族に説明しガンマナイフのある近隣の施設に連絡して入院の手はずを整えたり、、、)をしていたらあっと言う間に夕方になった。
 あるフルーティストの「音ブログ」に触発されて、素人の自分が厚顔無恥にも自分の演奏を公開できる「音ブログ」を作ってみた。作り方の書いてあるサイトに登録してから、ものの15分くらいで完成してしまった。便利な世の中になったものだ。
 「balaineの自惚れコンサート(?)」と銘打って、この「文章」ブログの両脇のリンクのところにリンクを貼った。これから少しずつ(聴くに耐えるのを選択して)自分の演奏をブログとして公開して行く予定である。世の中には、この「音ブログ」を使って、インディーズのアーティストを紹介したり、ラジオ番組のようなものを作ったり、いろいろアイデアに溢れ面白いものがたくさんある事も今日初めて知った。
 まだまだ世の中はおもしろいな〜。v(^^)

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2005.07.05

会議

 どこの世界、組織でも、人間の集合体がうまく機能するためには情報の有機的な共有が必要である。いわゆる「ホウ・レン・ソウ」である。そして組織をきちんと運営するためには「会議」が必要である。医者にも例外ではない。医者は一心不乱に医療だけに身を投じていれば良いという訳ではない。
 「病院運営会議」「経営改善会議」「薬事委員会」「保険診療委員会」「第一診療部会議」「連絡調整会議」「集中治療室運営委員会」。。。今思いつくだけでも最低これくらいの会議には出ている。その他に来年度の電子カルテ導入に向けての小委員会とか分科会とか様々にある。
 どの会議にも出席しなくても日常の診療に大きな影響は無い。しかし病院に勤務する者の一人として、今病院がどういう立場にありこれからどこへ向かって行くのかを大所高所に立って知っておく必要はあるし、何らかの機会を見つけては「脳神経外科」の立場としての主張や要求というのもしなければならない。これもこの病院で、ここの脳神経外科で治療を受ける患者のためである。
 今日は、病棟をかけずり回り、下の先生が宿直で17時からとられるため様々なことを行って(診療上のことではあるが、全部の病棟を回診した上で、点滴指示、処置、CV route刺し替え、動脈ライン固定のし直し、レントゲン写真のオーダー、手術創の消毒、抜糸、気管切開部のカニューレの交換、紹介状、2名の患者の家族への説明、手術の同意書、脳血管撮影の同意書)、その後、会議であった。
 夜は病院管理部門を中心とした会(すなわち飲み会)である。今日は、「脳卒中登録」は一人も打ち込めなかった。明日だ。

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2005.07.04

脳卒中登録事業

のことを書こうと思っていた。
 今日は、外来、病棟の仕事を終えて、昨年の一定時期の入院患者さんの中から「脳卒中」の人だけを抜き出して、パソコンにデータを登録する作業を行った。100名を越す数なのでいっぺんにはできない。「個人情報保護法」施行ですこしデータの仕様も変わり、従来のように名前を記入する項目は無くなった。しかし、一人につき30項目以上も記入することがあり(発症から来院までの時間とか、手術を含む治療法とかいろいろ)なかなか骨の折れる仕事である。こういう作業を医師が(主に脳外科医、一部の神経内科医)しているから、全国の脳卒中患者の発生数とか死亡率とかといった統計作業が行われるのである。多分、世間の人はそんなことも知らない。
 脳卒中の患者が一年に何人発生したか、自動的に登録されるぐらいに思っているかも知れない。またはクラークなど事務職の方でデータを登録していると思われるだろう。
 違うのである!
 なぜなら、統計データの元になる情報は「医療情報」なので、性別とか年齢とか発症日とかいった完全に客観的なデータならクラークでも登録できるが、脳梗塞であるとか、それが血栓性であるとか、発症から来院までの時間がどれくらいとか、治療は何をしたかとか、高血圧の治療をおこなっていたかとか、コレステロール値はいくつかとか、そういったデータは「医者」が自分で入力するしかないのである。
 もう忘れつつあったが、あのいちゃもんをつけているとしか思えなかった方の「データ解釈」も、その元になっているデータは医者が入力しているからこそ成り立っているのだ、ということをここで強調しておきたい。
ーー
さて、入力にある程度疲れて20時前に帰宅しようと思っていたら急患が来て、緊急手術なり今23時である。もちろん夕食はまだである。視床出血で脳室穿破に伴い急性水頭症があって意識障害が進行していたので大緊急で両側脳室ドレナージを行った。ICUに戻って諸々の処置をして患者を診察すると、目をあけて簡単な命令動作に応じる(口をあけろ、舌を出せ、手を上げろ、など)。著名な改善である!
 脳卒中登録事業のことなどを書き連ねようと思っていたが、疲れたので今日はやめて明日にします。

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2005.07.01

リハビリテーション

 明後日、7/3にあの長嶋さんが東京ドームで巨人ー広島戦を主治医と観戦、というニュースがでていた。
 本ブログでも書いたが、息子さんが今年私と同じ医学部を卒業したU教授である。単純に「長嶋さんと一緒に野球観戦なんて、いいな〜、うらやましい!」と思うのは私だけではないだろう。U教授はダンディでギョロっとした目が特徴だが、学会などであった時に挨拶すると「うちの息子がお世話になりました」と気さくに話してくださる。私自身野球は好きだ。子供の頃、福岡の平和台球場で西鉄ー巨人戦などを親に連れられ観戦した覚えがある。西鉄巨人連合軍対ホワイトソックスなどという試合も見たような記憶がある。長嶋、王や稲尾がまだ若手で、中西太がplaying managerだった時代である。
「巨人、大鵬、卵焼き」
男の子の好きなものの代名詞。子供の頃からどちらかというと天の邪鬼で地方都市に育ったせいか、私は
「西鉄、柏戸、目玉焼き」
などと自ら言っていたような気がする。
 話しがそれたが、長嶋さんの巨人戦観戦はとても大事なリハビリだと思う。U教授との観戦は、医学的な理由ではなく「あくまでお世話になったお礼に」と新聞には書いてあったが、違うと思う。もちろん「お礼」の意味もあろうが、血圧を含め観戦中の体調管理もあるだろうし、なによりこういう機会が初めてなので「万が一のため」という心づもりもあると思う。そしてこういう機会を少しずつ増やして行くことがリハビリそのものなのだ。長嶋さんは、これから人前にでてくる機会も増えるかも知れない。何より彼は野球人なのだ。一番の心の栄養は野球を見ることだと思う。リハビリというと、歩く練習をするとか、箸で豆をつまむとか、そういう訓練のことだと思っている向きもあろうが、「訓練」はリハビリの一部に過ぎない。「失われた機能の回復」とか「障害からの日常生活や仕事への復帰」もリハビリの目的ではあるが、現代のリハビリテーション領域ではもっと幅広く正常機能の維持とか精神的なリハビリということも考える必要がある。長嶋さんが東京ドームに観戦に来ればマスコミは放ってはおくまい。人の目にさらされある種のストレスを感じる場面に積極的に出て行くこともリハビリであると思う。
ーー
 なかなか頭が整理できないため執筆が進んでいないのだが、本家サイトに不定期連載している「フルート上達法」のために、森岡周著「リハビリテーションのための脳・神経科学入門」を読んでいる。非常に理論的に詳しく運動学習理論が書かれてある。リハビリの勉強をすることは、運動や音楽(身体的な運動による競争や表現を必要とするという意味で)の上達や競技会やコンテスト、コンクールを目指す人達に非常に資するものが得られそうである。まだ私の頭が整理されるまでに時間が必要であるが。

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