聴神経腫瘍
今日は、予定入院で第8脳神経の、正式には前庭神経の髄鞘が腫瘍化した、通称「聴神経腫瘍」の患者が入院した。第8脳神経は、聴覚に関する「聴神経」と平衡感覚に関する二本の(上と下がある)「前庭神経」の3本で構成され、内耳道という頭蓋骨の内側に開いた穴(ちょうど外耳道の奥にあたる)の中を顔の表情筋を支配している「顔面神経」と並んで走行している。
前庭神経の髄鞘は、脳の中でも神経鞘腫が好発することが知られている。言葉を替えると、頭蓋内の神経鞘腫の90%は前庭神経から発生する。ちょうど、小脳と脳幹の「橋(きょう)」の間に食込むように発育するので、「小脳橋角部腫瘍」とも呼ばれる。
前庭神経の症状で発症するよりも、並んで走る(というよりくっついて一つの神経のようになっている)聴神経の症状で発症することが多い。聴力の低下、耳鳴りがもっとも多い症状である。だから「突発性難聴」とか「メニエール氏病」と言われることが多い。しかし、きちんと経過を見て検査をすると、突発性難聴ではないことがわかるのだが、一時的に聴力が回復したりすることもあるので、「突難(とつなん)」として扱われてそれ以上検査されないこともある。
この患者さんも2年前に開業医の耳鼻科で、聴力低下を「突難」と診断され加療を受けて聴力が一時回復した。しかし、昨年の秋から再び聴力が低下し、次第に進行し、同じ医院で加療を受けたが改善しないまま経過していた。
今年の5月に脳ドックを受けた。MRIで直径3cmを超える袋状の成分を含む大きな脳腫瘍が見つかった。無症状で発見された訳ではない。聴力障害という症状はあった。しかしこの方の「聴力低下」と「耳鳴り」をそれまで診た医者は正しく診断できていなかったことになる。脳ドックを受けなかったら、もっと大きくなって小脳の圧迫によってふらつきであるとか、近くを走行する脳神経障害で顔面の筋力低下や知覚異常(しびれなど)が出たり、水頭症が出現してから発見された可能性もある。その場合は更に手術治療は難しくなったであろう。
いわゆる「町医者」である開業医の先生方にもちゃんと勉強を継続していて、「突難」のようであるが聴神経腫瘍の可能性はないか?と疑って脳外科に紹介をしてくださるきちんとした方も少なくない。でもまだまだ「自分の守備範囲」で診断や治療を完結させてしまう人もいる。「後医は名医」という言葉あるように、あとから診た医者はその前に診た医者より情報が多く優位なのだから前医を批判しては行けない。でも「突難」様の症状で発症する聴神経腫瘍のことは、20年以上前から耳鼻科学会でも啓蒙されて来たはずである。2年前の「突発性難聴」と言われた時に発見されていれば、ガンマナイフ治療だけですんだかも知れないが、現在の状態では開頭によって外科的に切除することが望ましいと思われる。こういう、症状がありながらも正しく診断がついてないケースや、病気があるのに無症状のため全く気がつかない、というケースを「脳ドック」で見つけ出すことがある。水頭症で発見されるくらい大きくなった聴神経腫瘍になると、ならんで走行する顔面神経を温存できない危険性も高くなる。すなわち手術後に顔面が半分動かなくなる状態の後遺症を残してしまう可能性が高くなる。今回の症例でも顔面神経を温存しながら腫瘍を全摘出するのはかなり困難だと予測される。おそらく90〜95%くらいの摘出にとどめて顔面神経を温存することを目指すであろう。残った腫瘍はガンマナイフで治療することになるだろう。来週手術をする予定である。手術のことについてはまた改めてここで書こうと思う。
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コメント
今脳腫瘍の勉強をしているところなので、ぴったりの話題です。問題を解くのと実際のお話を読むのとでは大違いですね。
他臓器をある程度は横断的に診られる医師がもっと増えないとダメだと思いました。
投稿: ユウ@来年研修医 | 2005.06.21 22:25
それって 私と同じですよね。私は大学付属病院の耳鼻科でまれに見るめまいのない蝸牛型メニエールと言われていました。CTは撮っていましたがMRI造影剤入りをしてませんでしたので今の病院で半年後に気づいた時は3.5cmになっていました。術中もブロゴにかいたとおり大変な手術になり結果全敵できたけど後遺症が残りました。今はずい分回復しましたが^^
モニターで顔面神経の温存を注意しながら
おこなって下さった手術でしたが
温存はしたもの麻痺が出てしまいました。
この手術だけはほんとうに後遺症で悩んでいる方が多いようです。聴神経腫瘍は手術が始まりだ・・といわれる先生もいらっしゃいます。
私もあれだけ説明を受けていながらすごく難しい手術だったこと後で調べれば調べるほど 感じる毎日です。
でも私はそういう結果が出るかもしれないと術前散々きかされ納得の上でした。
個人の考えの差ですが私は耳鳴りや頭痛がのこるより顔面が多少いがむほうが
ましだと 主治医に言い続けました。
だから今に後悔はありません^^
今日もひげ鯨先生の話に花を咲かせ
岩ガキたべたいよね~なんて 話していました。なんかダラダラコメントしてすみません。
とにかく患者に 事前に できる限り
納得理解してもらって手術をうけられ大成功されるようになること祈ってます★
投稿: 則香 | 2005.06.21 22:31
ユウさん、コメントありがとう。
脳は全身を管理する臓器なので脳外科医は当然全身管理もやります。それに比べると、眼科や耳鼻咽喉科などの「感覚器」の専門家はよほど意識勉強していないとすぐに「専門バカ」的になるおそれがあります。多臓器を横断的に診る力、はすべての医者に必要です。大事なことは「自分の専門に固執しない」こと。
「なんか違うな」と感じたら他科の医師に相談することです。開業するとそれがなかなか難しいのかもしれません。
投稿: balaine | 2005.06.22 11:38
則香さん、聴神経腫瘍というのは、「顔面神経の完全な温存」をゴールの一つに設定すると良性脳腫瘍の中でも最も難しいものになります。
術前に顔面神経麻痺が出ていなくても、長期間にわたり顔面神経はペチャンコに押されていて、「キシメン」様から「紙のように薄い」もの、はては「どこにあるのかわからない」ものまであります。私も当然電気刺激による顔面筋モニタリングをしますが、反応があるから神経が大丈夫ということにならないところが難しいのです。直径2cmを超えたら、全摘出しなくても術後に顔面神経麻痺はほとんど出てしまいます。「ほんのわずかに閉眼力が弱い」という程度から、全く閉眼できず口元が大きく歪み唾液がこぼれるレベルまで「完全な」麻痺ではなくても、かなりの確率で顔面神経の麻痺が出ます。私のこれまでの経験でも、顔面神経モニタリングをしながら亜全摘または80%程度の部分摘出でも軽い顔面神経麻痺が出ています。3ヶ月から半年ほどでほとんど左右の差がわからないくらいには回復していますが、術後一時的だとしても患者さんにはショックだと思います。
長期間にわたり「耐え難きを耐え忍び難きを忍んでいた」神経は、すこし押されたり引っ張られたりしただけで機能が低下するものと考えられます。直径2cm以下の腫瘍はガンマナイフに紹介した方がよいのでは?と個人的には考えています。
投稿: balaine | 2005.06.22 11:51
balaine先生、今日も わかりやすい説明ありがとうございました。
私も主治医にそのショックをやわらげるため本当にちからをそそいでもらいました。^^;
投稿: 則香 | 2005.06.22 17:32
私は聴神経腫瘍患者です。
顔面麻痺がつき物の病気なので難しいですよね、、、
投稿: ようちん | 2006.07.10 00:20