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2005年6月

2005.06.30

明日から7月

 今日は先日髄膜炎から急性水頭症になった患者のシャント手術であった。理想をいえば、もう少し脳室ドレナージを継続して髄膜炎の完全な治癒を待ちたいところであるが、血小板無力症のため出血傾向がありまたドレナージが効かなくなる心配があることと、いつの時点で、検査データのどの時点で「治癒」と判断するか難しい点もあるので、家族にいろいろな可能性;シャント手術を行う方針だが術中の髄液検査で細胞数が高ければ脳室ドレナージにしてくる、シャント手術が成功しても炎症の再燃、出血などで詰まってしまいまたドレナージ手術が必要になる可能性がある;などを説明の上、手術に踏み切った。CT上水頭症は進行しており意識レベルの低下も明らかであったからである。
 この患者さんは、腰椎の手術後いろいろあり、腰仙部に大きな褥創も出来ているため、腰椎穿刺による髄液検査が出来ない。脳室に管を入れてそこから髄液を採取し緊急検査に回した。その結果がでる間、脳内視鏡手術の経験から、術中に人工髄液に近い組成の点滴薬を38℃に加温して、それを合計で約400ml用いて脳室内の洗浄を行った。脳室の中の圧をモニターしながらゆっくり注入、排出を繰り返し、肉眼的に無色透明で粘稠度がほぼ0に近い状態になったことを確認し、検査結果で髄膜炎が治癒傾向であることを判断してシャント手術を行った。手術は特に大過なく終了した。今回も手術前に血小板輸血を10単位行った。輸血した血小板の寿命は3,4日なので月曜には血小板輸血の追加が必要であろう。
 火曜日に9時間弱の手術をした患者さんはほんじつ一般病棟に戻った。水は飲めるが食事はまだ難しいようである。プリンよりアイスクリームの方が食べやすかったということで、軟らかい食事を開始する前にもう少しアイスクリームなどで様子を見ながらSTによる顔面および嚥下の訓練を始めることにした。めまいや吐き気はほとんどないようであるが、ベッドに近寄る私が床を歩いているのではなく壁から水平に立って歩いて来たように見えたという。小脳の症状か。。。まだ術後一日とちょっとなのだ。
「これから気長に頑張りましょう」と声をかけると「はい、がんばります!」と力強い返事をもらえた。
 HCUで抜管を試みた脳幹出血の方は、あすにも気管切開をすることになるだろう。
ーー
 気がつくと6月も終わりである。平成17年が半分終わってしまった。
 前にも書いたが、今年は「神戸国際フルートコンクール」が開催されるため、P楽器のサマーキャンプがない。そこであるプロ奏者の教え子達を中心とするフルート夏合宿に参加しようと目論んでいる。8月の第一週なのだがすでに外来予約を入れていたので変更を開始した。夏ものんびりとはしない。というより、折角休みがとれたら一分も無駄にしないように「遊び」に使いたいと思ってしまう。性格なのか、職業病なのか、、、いずれにしろ病的かも知れない。。。(^^;;;

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2005.06.29

集中治療室

 昨日の患者さんは、深夜、挿管のままで未覚醒で手術室を退室し予定通りICUで人工呼吸器に接続した。しかし、ほどなく覚醒して来たので自発呼吸にし、深夜であるので念のため挿管のままにしておいた。手を握れという簡単な命令に応じ、ご家族がベッドの傍に来ると目を開けてうなづいていた。
 今朝までそのまま休んでいただき、朝8時半に抜管した。術後のCTも「後出血(こうしゅっけつ)」や脳腫脹も無く問題ない。造影CTで見る限りは腫瘍は90%以上とれているようであるがMRIでなければ正確な診断は出来ない。予測通り、左の顔面神経麻痺と喉頭の麻痺(反回神経麻痺)がでているようだ。閉眼は出来るが右に比べると弱いので角膜を保護するための点眼薬を処方した。飲水、食事はもう少し経過を見てから始めた方が良さそうである。今日ICUを退室して元の一般病棟に戻っても良さそうであるが、病棟の方の都合などでもう一日ICUで管理することにした。

 ICUは「集中治療室」と日本語で表現される。なんとなくわかるようなわならないような言葉である。英語をそのまま直訳的に理解すると、「念入りに特に注意を払ってケアをする部門」ということになる。呼吸循環系の不安定な人(重症肺炎や心不全など)、心臓の手術後、くも膜下出血急性期、重症頭部外傷、多発外傷、全身火傷、てんかん重積状態、などなど、治療に手のかかる、急変しやすい、生命にかかわる状態の人が中心になる。ICU入室基準から考えると、昨日の手術後の方は本来はICU対象にはならないかも知れない。しかし、一般病棟、たとえば満床50名の病棟に夜間の看護師は3人とか4人である。術後で目をかけていなければならない患者が一人いるだけで、他の業務がおろそかになりうる。そのためにも、ICUで治療を行う意義がある。
 実際は、満床8床のICUに7名入室中であるが、脳外科は上記患者以外に2名。このブログでも書いた、「急性硬膜下血腫」術後、減圧開頭していて意識障害と呼吸不全があり気管切開をしてまだ人工呼吸器で圧補助をしている80才代の男性と、「外傷性くも膜下出血」で呼吸不全を併発し挿管の上、人工呼吸器でサポートしている人50歳代の男性である。後者はだいぶ良くなって来て、そろそろ呼吸器も離脱できそうである。名前を呼べば目を開け、返事をしそうな勢いである(管が入っているので声が出せない)。
 隣のHCU(ICUよりは重症度が落ちるものの、虚血性心疾患の急性期やペースメーカー挿入予定の不整脈、心臓カテーテル検査を要する急性期の心疾患の人や緊急手術の対象にならないような脳出血、脳梗塞の患者を入室させ、全身状態が安定したら一般病棟へあがるまでの期間、Highlyケアをする部門)には、脳幹出血で人工呼吸器から離脱は出来たものの抜管できないでいる患者さんがいる。月曜に手術した慢性硬膜下血腫のおじいちゃんもいる。脳幹出血の患者さんに抜管を試みた。喉頭浮腫もあって、呼吸が努力様、閉塞様だ。鼻腔エアウェイを入れてフェイスマスクで酸素を10l/m投与したが、酸素飽和度がだんだん下がって来た。薬物を投与して呼吸を楽にしてあげようとしたが、酸素飽和度は94%位から下がって88%まで落ちた。血圧が上がり脈も上昇し汗をかいている。呼吸が苦しいのである(脳幹出血のため四肢麻痺で意識障害もあり表現ができない)。やむを得ず再挿管した。ずっと管を入れておくと痰が固まって窒息したり不潔になるので、気管切開は必要そうである。
 病棟では、髄膜炎から水頭症になって脳室ドレナージをしていた血小板無力症の患者さんが問題である。ドレナージの管の中にすこしずつ出血が混じっていたのだが、土曜日あたりから流れが悪くなり日曜に詰まってしまったので管を抜いた。管を入れたところにはうっすらと脳内出血が出来ていた。術中は全く出血していないスムーズな手術だったのである。血小板輸血をしてもその効果は3,4日しかない。そのため、ドレナージを入れたルートから血液が滲み出たのであろう。管をぬいて3日たったが、徐々に意識状態が悪化し名前を呼んでも生返事をするだけになった。CTでは明らかに水頭症の再燃がある。脳室腹腔シャント術が必要だ。しかし、髄膜炎が完治していない。血小板無力症の問題もある。一時的に再度ドレナージで逃げて、炎症の治癒を確認してからシャント手術をするのがいいのか、血小板輸血をしてシャント手術をやってしまった方がいいのか、悩むところである。
 昨日の手術の疲れ(特にhigh speed drillで骨を削ったので右手がだるい)を癒す間もなく、これだけ悩ましい患者さんがいる。脳神経外科としては普通のことではあるが、昨日のような外科医にとっても「大手術」は「年に1個か2個でいいな〜」と思ってしまうのは日常がこうだからである。

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2005.06.28

小脳橋角部腫瘍の手術

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今日は、左聴神経腫瘍の手術。
午前中は病棟の仕事だったので、まもなく午後1時手術室入室で2時頃から執刀開始する。
顔面神経を微弱な電気刺激でモニタリングしながら、少しずつていねいに摘出して行くので時間はかかる。終了は、概算で9時間後の午後11時。ICU帰室が午前0時。帰宅できるのは早くて午前1時過ぎだろう。
患者さんのために祈っていてくださいね!
(6/28 12:55)

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2005.06.27

第一回指揮者練習

6/25(土)、26(日)と所属するアマオケの、秋の定期演奏会に向けての第一回指揮者練習があった。
山形交響楽団(常任指揮者飯森範親氏)
http://www.dewa.or.jp/〜yamakyo/
という東北で最も古いプロオケの指揮者である、工藤俊幸氏(群馬交響楽団指揮者兼任)による指導・練習である。工藤さんはこの街の出身なのだ。だから団員の中には、工藤さんの先輩という人も多くいる。
 この指揮者練習のために、私は26日(日)の日直を25日(土)に変更してもらっていた。25日は1830からの練習だから日直を終わらせても練習に間に合うからだ。
「今日も日直」で書いたような仕事を終わらせた後、練習会場にかけつけた。まずは、福田進一さんをソリストに迎える予定のロドリーゴ作曲「アランフェス協奏曲」から。フルートは1st一本と2nd Fl&Piccの二管編成。私は、2nd Fl & Piccを担当する。第3楽章で、ギターと一緒に動くところがあってとても面白い。でもピッコロは目立つのでプレッシャーだ。フルートに比べて音がまだきちんと出せないところもあり、本番まで徹底的にトレーニングが必要だ。第一楽章は6/8拍子で始まるのだが、これを2拍子に感じたり3拍子に感じたりしながら演奏する必要がある。譜面通りに演奏するとなると大変難しいところがいくつかある。そんなところは「気合い」というか、結構いい加減に吹き飛ばした。マエストロも初回だからあまり細かいことはいわない。全体の大きな流れの中で、特にアンサンブルを重視した指導である。第3楽章の練習に入っていた1940に病院からコール。ICUの患者の具合が良くない。いくつかの指示を出して、胸部レントゲン写真ができあがるであろう時間を見計らって病院に行くことにした。
幸い(?)、アランフェスの練習は20過ぎに一旦終了した(初回なのでとにかく一回あわせてみるという感じ)。
 メインのブラームス交響曲第4番の練習に入る前に、私は他のメンバーに頼んで練習会場を後にした。
 ICUでは、外傷性くも膜下出血の患者が呼吸不全になっている。体位をセミファウラーにし、経鼻的に挿管して人工呼吸器でPEEPをかけSIMV modeにして、利尿剤とステロイドホルモンを投与した。再度撮影した胸部レ線上は、チューブの位置がいいところにあることは確認できるが、肺水腫に近いような陰影。心不全ではなさそう。これらの処置によって、動脈血酸素分圧(PaO2)は、処置前の50台から180mmHGまですぐに回復した。
 一段落したら22時を回っていた。
 6/26は、午前10時からの指揮者練習。今日はブラ4中心。
 昨日、第一楽章をやったので、今日は第4楽章から。私は、こちらも2ndFl & Piccで乗る予定。できれば1stで乗りたかったが(ソロがあるので)、結構プレッシャーかかる曲であることと、仕事柄練習に穴をあける危険性もあるため少し遠慮した。
ブラ4の方も、マエストロからはあまり細かな指示は無くアンサンブルとリズムの注意が多い。2nd Flはそれなりに休みも多いので、スコアを眺めながら他のパートの練習を勉強する。特に、弦を1st, 2nd Vn、Va、Vc、Cbに分けて練習するのを聴くのは興味深い。たとえば、2nd VnとVaだけ、とかいう組み合わせで、どのパートに旋律が移っているか、今どのパートがベースを担当しているのか、などブラームスが作り出した世界を細かく解剖している様子を見学しているようだった。まだまだ自分のパートどころか、自分が吹くフレーズだけで一杯一杯の状態であるので、練習中に他のパートを聴くことが出来ていないが、あらためてアンサンブルにおいては「他のパートを良く聴くこと」の大切さがわかった。また、当然ながらリズム、単に3/4拍子というだけではなく、演奏の中にその「リズム感」を出す必要性を学んだ。昼食を挟んでたっぷり5時間。ブラ4の第2〜4楽章が一通り終わった。
 今回の土日は、日直と指揮者練習で終わった。「うん、よく練習されていると思います」との評価をされたマエストロも、次回の指揮者練習ではもっともっと厳しい注文をすることだろう。

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2005.06.25

今日も日直

当院では45才以上の医師は、宿直を免除され土日祝日の日直が割り振られる。月に1、2回は回ってくるがこれは「お勤め」と割り切って仕方なくやっている。
 午前中だけでもたくさんの患者を「さばいた」。診た、というよりテキパキと「さばいた」という感じがする。
 背部痛で来院した男性。X線写真では「石」は写っていないが尿検査で血尿+++であった。疝痛は無く排尿時痛も無いので、週明けの泌尿器科受診を指示して痛み止めを処方して水分を多めに取るように指示して帰宅させた。5日前から風邪症状と吐き気があり、食べても殆ど吐いてしまう。そのうち治るだろうと市販の風邪薬を飲みながら4、5日たっても嘔吐が収まらず39℃の高熱で来院。「もっと早く来いよ!」と思いつつ、採血、点滴、胸部・腹部写真撮影を指示。わずかに肺炎か?CRPは30近い。座薬で解熱させると「楽になりました」と。
 点滴が終了したら経口抗生物質などを処方して帰宅させようとしていたが、大腸ポリープで具合が悪い時は入院する話しになっているという患者さんを診に来た内科医が、その「風邪→肺炎」の男性も入院させるということ。お願いした。
 1ヶ月前に自宅で転んで左の臀部を打撲、その後痛くて杖歩行で夜もぐっすり眠れないという老人が来院。X線写真では、大腿骨も骨盤も骨折はなさそう。湿布と痛み止めを処方して月曜に整形外科を受診するように指示して帰宅させた。「もっと早く、平日に整形外科に来いよ」思っても口に出しては行けない。。。。
その他に高熱を出した小児。膠原病でかかっていてリューマチ熱が出て食事もとれず体力が落ちた、という人。転んで膝を打った人。トタン屋根で右手中指と薬指を切った人(この人は4-0ナイロン針で8針ずつ縫合した)、腰痛で動けなくなって救急車で来院。胸が苦しいという85才の女性、、、、いろんな人が来られる。
今日の午前中は小児が少なかったのが救いだ。土曜の午前中は開院している開業医や医院もあるからだろう。こうしてまた日直業務をこなして行くのだが、どうしても患者さんを診ているというより「さばいている」という感じになってしまうため、達成感が少なく虚しい感じを受けてしまうのだ。

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2005.06.24

外傷性くも膜下出血

病棟で仕事をしていたら、「くも膜下出血の患者が来て、今CTを撮っている」という連絡が入った。
夫婦で買い物に行ったホームセンターで妻の後ろで急に倒れて意識がなくなり、救急車で来たという。すぐに病棟の仕事から手が離せなかったので、ICU入院と可及的速やかに脳血管撮影の指示をした。
 脳血管撮影が始まった頃、仕事が終わり、アンギオ室に急いだ。
 放射線科医により3-vessel studyが始まった。右内頚動脈撮影正面、側面、順斜位、逆斜位、ステレオ撮影、左内頚動脈、左椎骨動脈、、、とスムーズに検査はすすんだがどこにも脳動脈瘤が見つからない。
アンギオ室で脳外科医2名、放射線科2名の計4名ですべての血管撮影をレビューしたがやはり「これは?」というものもない。
 CTでは、くも膜下出血とともに右側に硬膜下出血もある。bone imageを見ると、右の側頭部に骨折がありそうである。頭蓋単純X線写真を撮るとやはり骨折線がある。明らかな皮下血腫(たんこぶ)など外傷も無いし、誰も倒れたところを見ていないのだが、明らかな外傷は無かったようである。
 しかし、状況とCTおよび血管撮影の結果からは、「外傷性くも膜下出血」の可能性が高くなった。ICUで血圧管理して経過を観察し、意識状態の推移をみることにした。明日の午前中のもう一度CTだ。2週間以内にもう一度脳血管撮影が必要になるかも知れない。脳動脈瘤によるくも膜下出血は、動脈瘤が見つからないからと言って完全に否定は出来ないからだ。
 でも今日の夜、これから緊急手術ということだけは避けられた。良かった。

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2005.06.23

十分な説明と同意

Informed consentを邦訳するとこうなるそうだ。わかるようでわかりにくい。
 今日は、外来と病棟で説明することが多くてぐったり疲れた。かなり集中してお話ししなければならないからだ。
 外来では、婦人科的疾患からの転移性脳腫瘍でstage 4で(肺にも転移があったが化学療法で消えた)、手術で全摘出できなかった硬膜への転移性腫瘍の残存部が少しずつ増大しているため(硬膜ごと腫瘍は摘出したが脳に食込んでいた部分が少し残った)、また手の動きがわるくなっている患者さんに難渋した。もともとあまり理解力の良好ではない方だったが、術前、術後、外来と何回かに分けて紙にも書いて説明しているのだが、要するに不安が強くて視野が狭くなっているのだ。それはある程度仕方の無いこと。その不安をとってあげられない主治医に私に問題があるのかも知れない。友人に勧められて隣の県の高名な脳外科医のところに、勝手にsecond opinionを求めて行ったところ、「何も状況がわからないから、経過を教えて欲しい。これまでの画像診断も貸して欲しい」という手紙がその高名な先生から届いた。
 もしその先生に障害を出さずに全摘出できるならしてほしいところである(軟膜を貫いて脳実質に浸潤するような転移性腫瘍なので生物学的に無理だと思う)。診療情報提供書を2枚使って詳しい経過を書き、MRIやCTを10回分貸し出すことにした。どういう返事が返ってくるか楽しみだ。
 もう一人、退院後すぐに会議にもでていたくも膜下出血のさる企業の所長さんが隣の県に転勤になった。家族がくも膜下出血でかかったことがあるという、さる有名な脳外科施設に紹介して欲しいという希望であったので、そこあてに詳細な紹介状と術前と最新のCTのコピーをつけた。
 病棟では、来週手術予定の聴神経腫瘍の患者とその家族3名にICをとった。約1時間15分にわたる説明であった。顔面神経麻痺の可能性はもちろん、第5から第11脳神経までの出現しうる障害や対策、術後5年、10年という付き合いになるであろうことなども説明した。術前の血管撮影で脳血管の狭窄があることと、無症候性の小さな脳梗塞所見があることも問題である。麻酔の危険性、脳梗塞の拡大するリスクなどを含めてお話しした。
「先生にお任せします」
と患者さんはおっしゃる。どんなに微に入り細に入って説明しても、どんなに完璧にICをとっても、患者さんは結局「お任せします」としか言いようが無いのかも知れない。私は、「同意書は今ここでサインしなくてもいいから、部屋に持って帰ってもう一度読んで冷静になってからサインしてください。明日手術という日になって、『やっぱり手術やめます』という権利だってあるんですからね。」とお話しした。患者は家族と、丸坊主にするかGIカットみたいにするか、と既に術前の床屋のことまで話している。無用に不安をかき立てるような説明もだめだが、「そんなこと聞いてなかった!」と患者や家族に言わしめるのが一番だめな術前説明。
 医師側は説明した。患者側は同意した。はたして、その間に本当の理解があるのか?あるべきであるのだが、100%の理解は無いのだと思う。後は、人間対人間の信頼関係、であろうか。でも医師側が強い立場にあることは否定できない。自分が患者になって手術を受けたときには、「なんで俺が?!」というような被害者的な感じは全く持たず、「まな板の上の鯉」となって、信頼する主治医に(不安は拭いきれなかったけれど)すべてを任せるだけだった。皆、同じだと思う。

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2005.06.22

夏至+1

 昨日は夏至だった。ということは、今日から昼間が少しずつ短くなって行く訳だ。少しずつ冬に近づいて行く訳だ。これから「夏だ!」という感じなのに変な事実ではある。
 実感することと事実が必ずしも一致しないことは病気にもよくあることだ。
 「右目がおかしい」ということを主訴に眼科を経由して神経内科を受診した患者さんが、CTとMRIで脳腫瘍を発見され脳外科に紹介されて来た。「目がおかしい」というのは医学的に言えば、左後頭・頭頂葉の腫瘍と周囲の浮腫による「右側の視野障害」である。しかし、なかなか「視野障害」のことを自覚症状として正確に説明できる人はいない。神経膠腫を疑って入院させたが胸部X線写真を見てすぐに肺がんの可能性が高いことがわかった。
転移性脳腫瘍である可能性が高い。脳の病変は一個なので手術摘出したいところであるが、全身状態や原発の肺の状態、他臓器への転移の有無などを呼吸器内科、肺外科と相談する必要がある。
 がんの治療は進歩している。癌と診断されても「治癒」したり相当長期間有意義に生存する可能性も高くなっている。その中で肺がんは増加していると言われている。肺がんの2例に1例は脳転移を来すと言われている。原発巣の肺よりも先に、転移した脳腫瘍の症状で発見される症例も増えて来ている。腫瘍があるなら開けて取る、という単純な疾患ではない。全身の状態、患者さんの社会的・家庭的・個人的因子、転移性脳腫瘍による症状の有無、腫瘍の大きさ、部位、転移の数、呼吸機能の状態、etc.etc...総合的に診断し治療方針を立てて行かなければならない。脳への転移が見つかった段階でガンとしてはstage IVで、「治癒」を望むのは難しい状態である。しかし、上手く治療すれば相応に長期間有意義な生活を送ることはできる。家族そして本人への告知の問題も生じる。
 脳卒中とは別な次元の闘いがまた始まる。

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2005.06.21

聴神経腫瘍

 今日は、予定入院で第8脳神経の、正式には前庭神経の髄鞘が腫瘍化した、通称「聴神経腫瘍」の患者が入院した。第8脳神経は、聴覚に関する「聴神経」と平衡感覚に関する二本の(上と下がある)「前庭神経」の3本で構成され、内耳道という頭蓋骨の内側に開いた穴(ちょうど外耳道の奥にあたる)の中を顔の表情筋を支配している「顔面神経」と並んで走行している。
 前庭神経の髄鞘は、脳の中でも神経鞘腫が好発することが知られている。言葉を替えると、頭蓋内の神経鞘腫の90%は前庭神経から発生する。ちょうど、小脳と脳幹の「橋(きょう)」の間に食込むように発育するので、「小脳橋角部腫瘍」とも呼ばれる。
 前庭神経の症状で発症するよりも、並んで走る(というよりくっついて一つの神経のようになっている)聴神経の症状で発症することが多い。聴力の低下、耳鳴りがもっとも多い症状である。だから「突発性難聴」とか「メニエール氏病」と言われることが多い。しかし、きちんと経過を見て検査をすると、突発性難聴ではないことがわかるのだが、一時的に聴力が回復したりすることもあるので、「突難(とつなん)」として扱われてそれ以上検査されないこともある。
 この患者さんも2年前に開業医の耳鼻科で、聴力低下を「突難」と診断され加療を受けて聴力が一時回復した。しかし、昨年の秋から再び聴力が低下し、次第に進行し、同じ医院で加療を受けたが改善しないまま経過していた。
 今年の5月に脳ドックを受けた。MRIで直径3cmを超える袋状の成分を含む大きな脳腫瘍が見つかった。無症状で発見された訳ではない。聴力障害という症状はあった。しかしこの方の「聴力低下」と「耳鳴り」をそれまで診た医者は正しく診断できていなかったことになる。脳ドックを受けなかったら、もっと大きくなって小脳の圧迫によってふらつきであるとか、近くを走行する脳神経障害で顔面の筋力低下や知覚異常(しびれなど)が出たり、水頭症が出現してから発見された可能性もある。その場合は更に手術治療は難しくなったであろう。
 いわゆる「町医者」である開業医の先生方にもちゃんと勉強を継続していて、「突難」のようであるが聴神経腫瘍の可能性はないか?と疑って脳外科に紹介をしてくださるきちんとした方も少なくない。でもまだまだ「自分の守備範囲」で診断や治療を完結させてしまう人もいる。「後医は名医」という言葉あるように、あとから診た医者はその前に診た医者より情報が多く優位なのだから前医を批判しては行けない。でも「突難」様の症状で発症する聴神経腫瘍のことは、20年以上前から耳鼻科学会でも啓蒙されて来たはずである。2年前の「突発性難聴」と言われた時に発見されていれば、ガンマナイフ治療だけですんだかも知れないが、現在の状態では開頭によって外科的に切除することが望ましいと思われる。こういう、症状がありながらも正しく診断がついてないケースや、病気があるのに無症状のため全く気がつかない、というケースを「脳ドック」で見つけ出すことがある。水頭症で発見されるくらい大きくなった聴神経腫瘍になると、ならんで走行する顔面神経を温存できない危険性も高くなる。すなわち手術後に顔面が半分動かなくなる状態の後遺症を残してしまう可能性が高くなる。今回の症例でも顔面神経を温存しながら腫瘍を全摘出するのはかなり困難だと予測される。おそらく90〜95%くらいの摘出にとどめて顔面神経を温存することを目指すであろう。残った腫瘍はガンマナイフで治療することになるだろう。来週手術をする予定である。手術のことについてはまた改めてここで書こうと思う。

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2005.06.20

4週、半年そして一年サイクル

 外来の患者さんは「月に一回」の受診が基本的に多い。月に一回といっても30日ごとではなく、28日ごとになる。「同じ曜日の同じ時間」を予約することになるからだ。
4週前の5/23に「True Story」で書いた、あの女性が今日の外来に来られた。今日も、入院中には見られなかった(入院患者さんは同じような病院服という寝間着を貸与しているから当たり前だが)綺麗な服にお化粧をきちんとしていらっしゃった。あの「忠犬タロー」と仲良く暮らしているとのこと。
 彼女はタローのことを「おにいちゃん」と呼ぶので、最初「あれ?誰か一緒に暮らす親戚が現れたのか?」と思ったが、すぐに犬のことだとわかった。70才代の彼女にとって、80いや90才近いタローは「お兄ちゃん」なのかもしれない。または「息子」のように思っているのかも知れない。
 彼女の住所を見たら、この土日に私が同級生と泊まった宿に近いのではないか、と思ったので聞いてみると、「な〜に。先生、あそこさ、とまったなか〜?」「うちから自転車ですぐだよ〜」
とのこと。楽しかった話しを少しすると、「うちにも遊びに来てけろ」と言われてしまった。
彼女は、まったく後遺症なしで内服薬もないので、外来は6ヶ月後の12月とした。
「先生に会えなくて寂しいな〜」というので
「タローと仲良く長生きしてね!何か具合の悪いことが起きたらいつでも病院に来てくださいね。」というと
「うれしいな〜。ありがとぉ」と言ってニコニコして帰って行かれた。
今日は、たまたまだが昨年、今年と手術したくも膜下出血の患者さんが5人も外来に重なった。皆、それなりに有意義な生活を送られているようである。脳動脈瘤はきちんと手術していれば同じ部位から出血することは稀だと思うが、de novoといってその後新しく脳動脈瘤が出来ることがあることも知られている。普通は「これで10年は大丈夫ですよ」というのだが、学会報告するくらい稀なことではあるが、2,3年で元とは別の部位に新しい瘤ができてそれが破れてくも膜下出血で運ばれてくることもあるのだ。
 だから脳動脈瘤の手術後で内服薬が不要でも、半年に一回は外来に来てもらうことにしている。「半年に一回」、少し年数が経ったら「年に一回」MRIを撮ることをすすめている。半年サイクル、一年サイクルの患者さんも脳外科には少なくない。

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2005.06.19

グルメ三昧

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中学時代の同期生が私の現在住む街に遊びに来るツアーで丸一日楽しく過ごした。
先週手術した患者の状態報告や処置に関する判断を仰ぐため電話とメールが同僚からあったので適宜指示を与えたが、幸い重症患者の入院や手術になるような急患はなかった。
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土曜の昼食から、この地方でも一、二といわれる寿司屋に行き素晴らしい鮨はもちろん、美味しい新鮮なでっかい岩ガキを食べた。「おしん」でも有名になった山居倉庫やいくつかの観光スポットを回り、隣町の公共の宿に泊まった。
夕食にはこれまた岩ガキとサザエがついた和食でお腹一杯!源泉をひいたお風呂でまったりし、30年以上前の話しを肴に酒を飲んだ。
朝は、日程がタイトなため(午後に帰るので)早起きし7時半から朝食。山組と海組に別れ行動した。遊び回って、地産地消がテーマのうんめぇイタリアンに予約より10分遅れて到着!
oyster3またまた岩ガキ!モロヘイヤのソースがかかってイタリアンになってはいるが旨い新鮮な生!月山筍の生ハム巻きフリット、ホウボウののったパスタ。乳飲み仔牛のソテーなどたまた贅沢三昧。
食べ物が旨かったのはもちろん、気心の知れた友人と一緒に食べるということが更に味覚を肯定的にしてくれたのだ。
友人達に感謝!

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2005.06.17

夏至の近日

夏至自体は21日。一年でもっとも日が長い(はずの)夏至。
明日は、「夏至の近日」として全国的に夜、電気を消してキャンドルをともそう、という企画があるらしい。
「100万人のキャンドルナイト」という宣伝をこちらでも見た。
http://bistare.co.jp/candlenight/
明日の日没、日本海に沈む夕陽を同級生たちと眺めることが出来るだろうか?夕陽に向かって走りだしたりするのか?
天気予報は、明日の午後から晴れ。日没時刻は1905頃とのこと。海を臨む、海岸近くに建つ宿をとってある。
明日の夜は、日常の診療にまつわる様々な事物や人間関係を忘れてはしゃげるだろうか?お酒も用意したし、ツアコンとしての仕込みも少しした。「あがりこ大王」も待っている。。。

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2005.06.16

動きの軽さ

 他科入院中の患者さんが、原因不明の水頭症で意識障害になった。
 治療はもちろん必要だが、原因を探らなければならない。ある疾患の治療後に出血のため両下肢が麻痺し排尿障害なども出現。その後、尿路感染症から腎盂腎炎になって高熱が出て、抗生物質などでそちらは落ち着いたものの、仙骨部に褥創が出来た。それらの治療中の5月末に一度全身けいれんを起こしていた。CTが施行され、明らかな異常所見なし、という放射線科医の診断でそのまま経過観察されていた。食事は自分でほぼ全量摂っていたが、高熱が反復し状態は決して良好ではなかったらしい。
 今朝も一人でなんとか全量食事をとった、と看護記録には記載されていた。午前中に反応が鈍くなり、そのうち呼んでも目を開けないためお昼過ぎにCTを撮ったところ水頭症がみつかった。主治医はなぜか神経内科に相談。神経内科医が私に相談して来た。この時点で午後一時を過ぎていた。
 すぐに病棟にいき、患者を診察し、家族を呼び、緊急MRIを撮った。終わった時点で2時前。家族に水頭症の説明とそれに対する脳室ドレナージという手術の必要性を話した。この患者さんは血小板の機能低下があり、数は正常であっても出血時間が18,9分と高度に延長していた。そのため血液内科医に相談し血小板輸血の指示をもらい、すぐに血小板を注文した。これは血液センターから届けられるので2時間程待たなければならない。午後4時、血小板が届いたと連絡あり。すぐに投与を指示し同時に手術場に連絡した。すでに手術場と手術直後にCTを撮ることと、帰りは脳外科の病棟の個室に戻ることを各部署に連絡してあった。これぐらいテキパキと指示をして動くのが脳外科医の普通の姿である。
 さあ、手術場へ行こうと、患者の病棟に上がって行った。ここは脳外科の病棟ではない。脳外科疾患のような、急変であるとか全身状態の管理であるとかはあまり必要の無い疾患の患者さんが多い病棟である。看護師さんたちは夕方の申し送りを控え、カルテの記載に忙しく婦長(師長)はコンピュータと向き合って何か仕事している。
「さ、手術室、行きましょう!」と私。
「血小板の投与始めましたね?」と問うと
「まだです。これからです」とある看護師。
「早くやってください」と私。
「点滴ルートから落としていいんですか?」と看護師。
「いいから早く!」と私。
「さ、行きますよ!」といっても誰も振り向かずカルテを書いている。師長もパソコンにらめっこ状態のまま。カルテは?資料袋は?といっても、まだ準備されておらず。私が言ってからあたふた用意し始める始末。
「婦長さん!2時間前に手術することが決まって4時過ぎに行く予定だったのに、なんで何も用意してないんですか?」と婦長を責めるとようやく何人かが動き出してカルテ、資料袋を用意しベッドに運んで患者さんを手術場移送する用意を始めた。
 脳神経外科の病棟ではありえない。信じられないのんびりさ。動きが重い。
 でも彼女たちには、自分たちがおかしいという意識は感じられない。うるさい脳外科医が突然やって来て、早くしろとか遅いとか怒っている、という認識のように感じられた。自分たちのペースを乱されるのは誰だって嫌だと思う。しかし、慣れとはおそろしい。脳の疾患で意識障害が起きて緊急手術をしようという患者さんがいる場合、脳外科医の指示に従ってパッパッと動くのが当然だと思うのが脳外科医。いつもそうであるから。
 他科のそんなに生命に直接かかわる疾患の多くない病棟だと、こんな感じでのんびりしている。彼女たちには「のんびり」しているという意識もないだろう。人間は楽をするとすぐに堕落する。すぐに慣れが生じる。怠惰な生き物である。
ーー
 術前に予測し患者の家族に説明しておいた通り、脳室ドレナージの際に採取した脳脊髄液を検査に回すと「髄膜炎」の所見であった。高熱が続いていたのは、おそらく腎盂腎炎から髄膜炎に移行し、頭蓋内の炎症が脳脊髄液の循環吸収を障害して水頭症が起こったものと思われる。少し出血が止まりにくい印象はあったが手術は20分で終了し術後CTでも出血は無く、持続脳室ドレナージによる治療が「脳外科病棟」で始まった。

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2005.06.15

脳出血

とは、脳卒中の一つ。脳梗塞、くも膜下出血と並ぶもの。
 以前も書いたように、「高血圧性脳出血」は昭和30、40年代から減少している。生活習慣病(当時は成人病と呼ばれた)である高血圧の管理、治療、公衆衛生の発達、市民への啓蒙が功を奏したものと思われる。
 昔は、生鮮食品を日常食せる人は限られていた。塩漬けのもの、塩蔵品が多く、特に高温多湿の環境で労働する農業従事者は「しょっぱい」ものを多量にとることを風習としていた。
 「生きながら塩漬けになっている」
と私の恩師の一人である公衆衛生学の教授が言っていたように、東北地方、特に秋田、山形の人は塩分摂取量が多かった(都会の人でも、欧州に比べると塩分摂取量は日本人は非常に高いのだが)。日本人の平均塩分摂取量13gr台を大きく超えて15〜18gr/日の摂取が普通であった。
 高血圧は「家系」と思われていた。確かに遺伝的要素もあるけれど、ほとんどは「生活習慣」。おじいちゃんがしょっぱいものが好きだから、お父さんもしょっぱいものを食べ、子供も孫もしょっぱいものを多量に摂取し、自然に「高血圧」になる身体が作られて行く訳である。更に、昔の日本、殊に郡部ではタンパク質や脂質の摂取量が少なかった。血管の壁を形成する重要な要素である「コレステロール」。これが「低かった」のである。
 血圧が高くて血管が弱いから、血圧が上昇して血管が切れる。そこら中で「脳出血」で倒れる人がいた。30年くらい前までの脳外科医は、脳卒中らしい人が運ばれて片麻痺があると血管撮影をし(CTが無い時代)、何か圧迫するものがある所見があると、全例開頭して手術していた。なかには「脳梗塞」で腫れている脳を「出血」による圧迫と判断し、今考えれば無駄というか無意味な手術をしていた時代がある。
 CTの出現で「脳出血」と「脳梗塞」は簡単に見分けられるようになった。更に、時を同じくして高血圧の治療が市井の医師にも十分に周知され、塩分制限が市民に啓蒙され、高血圧が減少し、日本人のタンパク質摂取量が増加しコレステロールが「低い」人は少なくなった。そのため、プチプチ血管が切れる人は少なくなり、「脳出血(=脳内血腫)」が減少して来た訳である。それに伴い、脳外科医が脳出血を手術することも少なくなった。またその少し前から、「定位的脳手術装置」が開発、普及し、頭を大きく開かずに小さな穴一個から太めの針を刺して、CTガイドで脳内血腫に到達し、局所麻酔で血腫を吸い取る手術も普及した。私のように昭和50年代から60年代に脳外科医になった者は、それより昔の脳外科医に比べて、脳出血の手術経験数が非常に少ない。それに伴い、手術顕微鏡を扱う件数も少なくなった。
 もうすぐ夏を迎えるこの季節に、なぜか毎日のように脳出血の患者さんが入院してくる。ほとんど「高血圧性」である。血圧をきちんと管理していればならずに済んだかもしれないのに。よく、脳卒中の季節性ということが言われる。確かに寒い冬に多い。冬が厳しい北の国に多い。しかし、沖縄でも脳卒中が発症し、夏でも脳出血は起こる。高血圧の管理、飲酒の制限、体重管理、適度な運動などの当たり前のことが大事である。毎日脳出血で入院して来る患者さんを見ていると、その半分以上の人は発症せずに防げたのではないかと思うのである。
 脳外科医が「暇だ〜!」という時代が来るのならそれは喜ばしい。今のところ、おかげさまで、忙しく、繁盛していますけどねv(^^)

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2005.06.14

夏休み

のことを語るにはまだまだ早いように思われるだろうが、そろそろ考えなければならない。
 外来の患者さんは、脳外科の場合、血圧管理だけの人や頭痛薬だけ、抗てんかん薬だけの人もいる。一ヶ月に一回とか二ヶ月に一回の外来受診が普通で、中には3ヶ月に一回の人もいる。薬がなくてMRIなどのfollow upだけの患者さんは一年に一回という人もいる(一年後のMRIを予約して帰る)。
 6月の中旬になったから、2ヶ月後は8月中旬である。そろそろ休みを取る週を決めて外来患者さんをその前後に振り分けたり予約を変更しておかないと、同僚に負担をかけることになる。しかし、現在の同僚が7月一杯で移動になりそうで、8月から新しい脳外科医が下に来ることになる。当院のシステムになれない人を残して、1週間(一応、夏休みは1週間はとろう、と言ってある。本当は2週間ぐらい休みたいのであるが)病院から離れるのは私としても不安である。いつ休みを取ろうかな?
ーー
 昨年の夏休みは、パー○楽器のサマーキャンプに参加した。講師陣は、N響の神○さん、東響の○沢さん、シティーフィルの大○さんと豪華な顔ぶれであり、普段決して直接お話しする機会などない人達であるが、「キャンプ」ということで一つ屋根の下に寝起きし、夜は酒を酌み交わし面白い話しを聞いたり、講師陣の特別演奏を聴いたりした。神○さんと初見でフルート二重奏(しかも大○さんの楽器をその場で借りて)したりして、酔いに任せて(?)いい加減な演奏をしたがとても楽しかった。自分に対する指導だけでなく、空いた時間は他の人のレッスンを横で聴講しとても勉強になった。参加した生徒はその大半が音大受験を目指す相応のレベルの女子高生と現役音大生であり、社会人は7,8名くらいで男の生徒は4人しかいなかった。コンクールの課題曲などをレッスンしていたので、音楽の解釈や演奏上気をつけるべき細かい点などいろいろ参考になった。
 面白かったので今年も是非参加したいと思っていたのだが。今年は「神戸国際フルートコンクール」があるためサマーキャンプは中止と聞いた。残念である。今年の夏休みは何しようかな?いつ取ろうかな?計画を練り直さなければならない。

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2005.06.13

嬉しいこともある

 私は感情が表に出るタイプではあるけれど、気分が凸凹するタイプではない。しかし先日来少し凹みモードであるのだが、いつまでも引きずっていられない。本日の外来で、4人の患者さんが気分を少し凸にしてくれて、相殺して「チャラ」になったような感がある。
1)3月末にクリッピングをしたくも膜下出血の男性が、すでに某会社の当地所長としての仕事に復帰して会議なども無難にこなしているという。そんなに厚くはないけれど硬膜下血腫を伴うようなくも膜下出血で出血量は決して少ない方ではなかった。術後CTに硬膜下の水腫のような傾向があったので心配していた。
2、3) 昨年と今年手術した、2名の下垂体腺腫の方が、偶然今日がfollow up MRIの日であった。二人とも視力・視野障害で発症したが術後速やかに視機能は回復している。最長径3cmでお餅を網の上で焼いた時にぷっくり膨らんだようないびつな形をしていた女性患者さんの腫瘍は、海綿静脈洞と血管の部分に5mmくらいのとり残しがあるが、術後2回のMRIで増大なく無症状なのでこのまま外来でMRI followを続けて行く。次回は今年の12月だ。
春に手術した男性は、6, 7年程前に別の医師が当院でハーディ法で手術をしたが、直径3cm以上の楕円形の腫瘍は易出血性で半分近い取り残しがあったもの。今回は内視鏡を用いてかなり徹底的に摘出したので、MRI上は腫瘍残存がないように見える。術前から汎下垂体機能低下症もあったので術後ステロイドホルモンの補充療法が必要になっているが、この方も元気に仕事に復帰している。一昨日、昨日と土日も仕事であったそうだ。
「わたしと同じですね」
お互い仕事が忙しいことは感謝すべきことと笑って次回の予約をした。
4)5月に手術した、傍矢状洞髄膜腫の女性。この方はかなりいわく因縁付きの症例であった。初回手術は平成15年12月。右下肢のみのけいれんと運動麻痺で発症し、CT/MRI上、最長径6cm近い巨大な、しかもダンベル型をした腫瘍が矢状洞部とその下に連続する大脳鎌から発生していた。一回目の手術では、全摘出よりも後遺症を残さないことを最重要視し、矢状洞の中に浸潤した腫瘍は全く手をつけず、右下肢の運動野直上で橋静脈直下の腫瘍は直径5〜10mm程無理をせずに取り残した(矢状洞内に腫瘍が残る時点で、どうせ全摘出は不可能なのだから)。ものすごく硬い部分は、超音波メスやマイクロハサミは太刀打ちできず、電磁波メスを使用し、軟らかい部分は吸引管で吸えた。12時間近い大変な手術だった。
術後軽く一過性に出た右下肢麻痺もリハビリで回復し、一ヶ月半後に独歩自宅退院していた。腫瘍残存部を外来のMRIで綿密に経過観察し大きくなるような傾向があればガンマナイフ治療、と考えて本人・家族にもそう説明していた。ところが退院後第一回目のMRI(術後4ヶ月)で既に残存腫瘍が直径3cmくらいまでに急速に増大していたのだ。すぐにガンマナイフ施設に連絡を取り治療のため翌週に受診してもらった。ところが、腫瘍径が大きいので、再手術でボリュームを減じてからガンマナイフをかけたほうが良いのでは?というガンマナイフ治療医の意見であった。私もその方が良いと判断し、家族と本人に再手術の説明を行った。家族は再手術が必要な理由を少しは理解してくれたようであったが、患者本人はもともと大変神経質で心配性で不安の大きい方であったこともあり、「今はどこも悪くないし、大手術して半年もたたないうちにもう一回手術なんて嫌だ」と手術を拒否され外来で経過を追うことになった。その間にCT/MRI上腫瘍は徐々に増大し、外来で合計8回、手術の必要性を根気よく何度も説明したが、次第に家族だけを外来によこしたり薬の予約だけして顔を見せなくなっていた。顔を見せれば私にまた「手術、手術」と言われるので嫌になっていたのであろう。私は、本人だけでなく家族にも「大学病院でも、東京でも大阪でもNYでもLAでもどこでも、ここがいい、という病院や先生がいるならいつでも紹介しますよ」と言っていたのだが、とにかく手術は恐いし今困っていないし、ということだった。
 今年に入ってから(初回手術から1年2、3ヶ月)少しずつ右下肢が不自由になりだした。まだ独歩していたが次第に引きずっていたようである。CT/MRI検査だけは予約をいれるとすっぽかさず受けに来てくれた。3月のMRIでは、最長径5cm強と元の腫瘍の大きさに近づいていた。4月になって歩行が困難になり、更に右手も力が入りにくくなって来て、涙ながらに「先生、今まですみません。手術してください。」と言ってこられた。今度だって全摘出する自信はない。しかも症状を悪くして後遺症を残す可能性もある。小さいうちならそういう危険性も少なかったのだが。。。
 十分なICをとって4月下旬に手術を行った(そうだ!連続くも膜下出血が救急で来院しそのためこの人の手術を延期したんだった)。超音波メスに電磁波メスも用いて、今回は8時間強の手術だった。腫瘍が増大して、矢状洞が完全に腫瘍によって占拠され塞がっていたので、今回はこの部分も可及的に全摘出を目指した。今回はダンベル型ではなく左側だけに発育していたこともあり、摘出操作は1回目よりは困難ではなかった。肉眼的にはほぼ全摘出し、心配した症状も術後全くなく、すぐに箸を使って食事が出来、一人でトイレに歩いたのは手術した私自身がビックリした。家族も喜んでいたが患者本人が、もうニッコニコ(^^)であった。術後15日で退院し、今日が退院後第一回目の外来受診日だった。前のような投げやりな態度ではなく綺麗にお化粧をして娘さんと一緒に来られた。
「先生の言うこと聞かなくてすみませんでした。こんなに良くしてもらってありがとうございました。」(^^
「もうちょっと早く手術すればね、もっと簡単だったのに、、、お陰で難しかったんだからね。」(^^
お互い笑顔で会話が出来た。
結果よければすべてよし、かな〜。


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2005.06.12

お疲れさま

 今更ではあるが、病院というところは土日にも出勤する看護師、技師、その他のパラメディカル、そして医師によって業務が支えられている。土日に完全休日なのは、リハビリテーションと外来部門である。手術部は緊急手術に対して「待機番」といって連絡があったら自宅から駆けつける看護師たちがいるし、薬局も緊急の処方や注射、救急外来の処方などがあるので完全休日はない。食事だって毎日3食提供される訳だから、交代で休みがとれるとはいえ給食部門も土日はない。
 この中で、土日に働いても、その振替の休日がないのは、実は医師だけである。
 土日に出番であっても、入院患者のいない科や少ない科、重症患者のいない科やもともと殆ど発生しない科、救急外来に呼ばれることなど年に数回あるかないかという科は、遠くにはなれなければ何をしていてもいい。連絡さえつくところにいればいい。脳神経外科などのように、重症が多く、急変があり、救急患者が多い科は、当番の土日には病院から30分以上のところに離れる気にならない。官舎は病院の隣に建っているので、呼ばれたら夜中でも10分以内に駆けつけることは出来る。そして土日に働いても、当然のように月曜の朝からまた1週間普通に仕事である。更に、当直、宿直などをした翌日も休みではない。下手をするとほとんど眠れなかったのに朝から外来とか検査という医師もいる。最近、当院では日直も宿直も外科系医師と内科系医師1名ずつでおこなっているので、まったく一睡も出来ない宿直というのは殆どないはずではあるが、それでも分断されながら3、4時間の睡眠では翌日に影響が出てもおかしくない。
 科によって(マンパワーに余裕がある、または大学などから応援派遣を頼める)は、宿直の翌日は半日で帰宅したり年休を取ったりしている科もある。しかし、うちの脳外科でそれは物理的に出来ない。二人で日直、宿直、当番をやっている。そのうちの一人が翌日休むと、副院長+一名で外来、病棟をこなし、救急は一人で対応することになる。だから同僚の医師には宿直明けでも外来も病棟回診もいつも通りにしてもらっている。明けの日の夜の当番をあてないように工夫するくらいが関の山である。私は昨年の年休はリフレッシュ休暇としてチェコフィル三昧のために4日とったのみである。
ーー
 昨日の夜は遊んでしまった。というか、友人に借りた「白い巨塔」(最近の奴)全21回のドラマのDVDを見てしまった。山崎豊子の原作も昔読んだし、田宮二郎の映画も村上弘明のドラマも観た。唐沢寿明の演技もなかなかだったと思う。鬼気迫ったあげく自殺までしてしまった、故田宮二郎氏と比較するのは無理があると思う。
 医療ドラマには「は?なんで?」という、医療従事者には解せない、または笑止!というような穴がよくある。このドラマにだって変なところはいくつかあったが、大方はきっちり作られていた。まあ、外科医がタンホイザー序曲を口ずさみながら、執刀のイメージトレーニングをするなんてことは普通しないと思いますが。少なくとも、脳外科では顕微鏡下の繊細の手術なので、端から見ると手は動いているのかいないのかというぐらいの小さな動きなのですよ。
 一度観て内容はよく知っていたが、引き込まれ、特に最後の、財前五郎が自分の病状を悟り親友でライバルである里見を頼ってCT検査を受け、余命長くて3ヶ月と診断され、「里見、僕に不安はないよ。ただ、、、無念だ。」というシーンでは思わず涙がこぼれてしまった。そんな訳で、罪なドラマのために(別にDVDなんだから途中でやめりゃいいんだが)朝の4時前にベッドに入った。朝、6時と7時に病棟から患者のことで連絡が入り、電話で応対したが眠くて(自業自得だ)ベッドの中で応答した。目が覚めたら9時半だった!
 それからきちんと朝食はとり、10時前から回診を始めたので、1時過ぎまでかかってしまった。昨日の夕方、脳幹出血の患者が入院した。意識はほぼ昏睡で(自発呼吸はあるが)挿管して人工呼吸器でサポートしている。降圧剤と止血剤と安静で保存的に治療するしかない。家族には厳しいムンテラをした(重症だが手術できる場所ではない、この1、2日が山、遠くにいる子供は呼ぶように、それを越しても1週間以内に浮腫による悪化がある、更にその後も重篤な合併症などを起こす危険性が高い、それを乗り越えても寝たきりが関の山かもしれない)。その患者さんを発症翌日のCT検査に連れて行った。挿管中であるので医師がついて行かなければならない。幸い、出血は増量なく水頭症も起こしていない。まだ脳幹や小脳にも腫れはない。血圧も落ち着いている。意識はほぼ昏睡のままである。
 先日緊急手術をした急性硬膜下血腫の患者の手術創の抜糸を行った。外減圧(頭蓋骨を大きく切り取り外している)部は、硬くはないが盛り上がっている。骨はしばらく外したままにしておく必要がある(-80℃のフリーザーで保存中)が、人工呼吸器は外すことができ、自分の力だけで呼吸をしている。明日以降、挿管チューブも抜けるかも知れない。
 日曜とはいえ、これらのICU入院患者に加え、HCUの脳出血の方、さらに3つの病棟を全部回って必要な指示を出してくるとどんなにテキパキやっても3時間はかかる仕事である。
 「おつかれさまです」
 病棟を回ると看護師に言われた。確かに仕事は忙しいんだけど、疲れて見えるのはDVDを観ちゃったんだよ。ごめんね。。。

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2005.06.11

平穏な日々

 ここ数日、平均すれば一日一人の緊急入院はあるが、比較的軽症の方が多い。さらに3月、4月に入院されてリハビリ中だった患者さんが何名か退院された。自宅退院の方もいるし、リハビリ病院への転院の方もいる。呼吸器管理の患者さんは2名いるが、先日緊急手術をした急性硬膜下血腫の患者さん以外は落ち着いている。
 シャント手術が効果をあらわし始めているあの79才の患者さんも、介助で嚥下食を全量摂っている。このまま、ミキサー食、粥、普通食と次第に通常の食事に持っていけそうである。精神症状(=:ボケ)はまだあるが、か細い声で「おはよう」とかいろいろ話しもするようになった。もっと良くなれ!
 40代の椎骨動脈解離によるくも膜下出血の患者さんも、シャント圧を変更してようやく症状が落ち着いて来た。近々外出、外泊もできそうで今月中に退院できることを期待している。4月末から5月始めの怒濤の緊急手術の患者さんたちも、一人は既に先週退院し、一人は来週退院と決定、もう一人は脳の方はいいのだがもともと重症のリューマチがあるため関節痛で運動リハビリが進まず、自宅に帰っても面倒を見てくれる人がいない(息子は日中仕事で夜しかいない、他に家族なし)のでリハビリ転院するかどうか医療相談室で相談してもらうことになっている。
ーー
昨日は、久しぶりに(というか私にとっては1年半の間で2回目、一回は緊急手術のため不参加)外来の飲み会があった。4、5月に勤務の換わった看護師さんと医師の歓送迎会である。凹みモードから脱していなかった私は、一次会がお開きになって、同じ外来セクションを共有している眼科医師2名と部下の脳外科医1名、更に看護師3名(3名は飲まず車で帰宅)、検査技師1名を引き連れ、二次会にいった。私としては実に珍しい行動である。なじみ(といってもこれまで行ったのは4回)のショットバーで研修医を連れて呑んでいる臨床研修部副部長(!)の同僚医師にばったり。皆で楽しく呑んだ。
 九州生まれと言うと、「九州男児ですか!お酒強いんでしょ?」とよく言われるが全然強くない。でも昨日は強い酒ばかり飲んだ。ペルノーというリキュールが切れていたのでお店のおすすめで名前も知らない何とか言う度数40度ぐらいのハーブのリキュ−ルなどを試してみた。今日はなんとなくお酒が残っている感じでだるい。でも今日明日当番なので、朝からICUとHCUに3つの病棟(一人別の階の特室入院中の方がいるので)を回って来た。
ーー
 来週末には、主に東京方面から仙台の中学時代の仲の良い友人がこちらに遊びにくる。男女3名ずつ。皆家庭を持っているのだが、40代後半になると子供も手が離れ始めているので遊び歩くことが可能なようだ。なぜか、中学の同窓会で盛り上がってしまい、「サクランボ観光」などと勝手な名前をつけて昨年第一弾のツアーが実行された。その時は、私が知っている山形市内の美味い蕎麦屋と寒河江のさくらんぼ農家に連れて行き、田舎を堪能してもらった。今回は、日本海の海の幸、庄内の地産地消がテーマ。今が旬の始まりの「岩ガキ」を始め、「月山筍」など地元の食材を使う超有名なイタリアンなどに連れて行ってグルメ三昧をする予定である。
 こうしてリフレッシュしながら毎日前に進むしかない。

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2005.06.09

外来の苦痛

きのう、今日と少し凹むことがあった。
外来というのは、いろんな患者が来る。午前中に来れる状況にもかかわらず、自分の都合で午後に受診する人もいる。昨日の怪我なのに、今日の午後になって受診する人もいる。それでも医者はニコニコして「どうしたんですか?それはご心配でしょう」と患者の気持ちになって診察をしなければいけない「サービス業」らしい。
 まあ、手術中ならば無理な訳だが、会議中とか入院患者の診察中とか診断書などの書類作成中ならば、中断して外来で患者を診ることは出来る訳だ。
 昨日夕方に転んで頭を打った子供が「今朝」いつもより元気がないから心配で念のため連れて来た(午後3時過ぎに)という母親に、「症状が心配なら午前中に連れて来なさい」と言ったら「いつでも診るのが先生の仕事でしょう?」と言われたので短気な私はカチンと来て、元気に走り回る子供はナースにまかせて母親に説教をした。しなくてもよかったことである。どうせ説教しても理解するような相手ではなかったかも知れない。
「はいはい、あ〜、走り回ってるし元気ですね。頭の写真も異常ないし傷もないので大丈夫ですよ。お大事に。」とさっさと外来を終わらせればそれで済んだことであるが、わたしとしては「夜中の2時でも3時でも必要ならば私たちは診察するのだから、心配なら、症状が何かあるならすぐに連れて来なさい。」と説教をした。その母親は
「もういいです!」と吐き捨てるように帰っていった。相手も相手だが私も良くない、と自分で思う。
 親は子供のためには鬼になる、と病院では言われている。小児科は患児の診察はもちろん大事であるが殊に母親への対応が重要である。今日のその患者さんは結局なんともない、ただの頭部打撲なのだが親は「家庭の医学」などで「こんな症状があったら病院に」と調べて来たらしい。でも患児は元気で椅子をくるくる回したり、フィルムをはるシャーカステンを触ったりして遊んでいる。元気だから心配ないですよ、とそれだけ言って帰せば良かった。。。
 私は、特に軽症の、というか何か病気なの?というような、でも心配性の患者がとても苦手である。だから「日本のスタイル」の脳神経外科では外来が苦痛で仕方がない。そういうタイプの患者さんは欧米なら、家庭医から精神神経科医に回されるのが通例だと思う。脳神経外科医が診察することはまずない。今日の子供だって、家庭医か救急外来のレジデントが診察してそれでおしまいである。脳神経外科医が診察するのは、出血があるとか、大きな外傷があるとか、意識障害があるとか、そう言う場合である。「心配だから念のため連れて来た」という人を脳外科が診察することは、欧米のシステムではあり得ない。でもここは日本だ。

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2005.06.08

今日の夜は

お気に入りの寿司屋に行こうと思って電話したら
「すいませ〜ん、今日はやすませていただきま〜す。もうしわけありませ〜ん!」と若旦那。
まさかサッカーのためじゃないよね?とは聞けなかった。
仕方ないな。今日の夜は、自宅でテレビで応援するしかないな。みんなでバンコクまで気を送ろう!
ーー
妹家族は2年前まで5年間、バンコクに住んでいた。「一度遊びにおいで」と言われながら果たせず残念だった。海外には学会ではいろいろ行ったが、プライベートな旅行はない。
アカプルコ、アムステルダム、フランクフルト、ハノーバー、シンガポール、シドニー、サンアントニオ、サンディエゴ、ハワイ。しかし全部学会なのでほとんど遊んでいない。集団でちょっと観光するくらい。あとは地元の食事を楽しむくらいか?滞米中に行った学会は、ボストン、ワシントンDC、トロントくらいだったかな?
完全に遊び、プライベートでの旅行というのはなかなか出来ないものである。なぜならその間、病院を休まなければならない。一人休めば他の医師に負担がかかる。特に、私がいないと緊急の手術などでも困ることがたくさん出てくるので(ここのスタッフの他の医師ではできない手術もある)、大学病院に臨時の手伝いを頼むとか、近隣の病院にお願いしておくとか根回しが必要であるし、1ヶ月以上、できれば2ヶ月以上前から計画をたててその間の外来を休みにして前後に振り分けておくとか、準備が必要である。

 昨日の夜のギターリサイタル。スウェーデンのギタリスト、マーティン・フォーゲル。2部の最後は武満シリーズで、フェスティバルの音楽監督である福田進一氏とのデュオも聴くことが出来た。武満徹はビートルズが好きで、ギターが好きだったらしい。たくさんのギター曲を残し、ビートルズの曲をギター一本に編曲もしている。昨夜も、Hey!Jude; Here, there and everywhere; Yesterdayなどの名曲も演奏された。力強さに欠けるが、暖かい「丸い」音を奏でる人だった。ギターを抱えてちょうど心臓のあたりがギターの本体のネックよりの後ろにあたっているせいか、ギターの音を通して演奏者の心の波動が伝わってくるようだった。
凄く感動した、とか、興奮した、という演奏ではなかった。何か、じんわりと「音楽はいいよね」と感じさせるような控えめな演奏だった。そういう人柄なのかも知れない。
 デュオをした福田さんの演奏は、きわめて対照的に力強さ、エネルギー、迫力を感じた。お話しをするととても気さくに相手のことを気を使ってくださるような優しいおじさんであった。まだ一緒に呑んだ機会はないが(チャンスはあったのだが行けなかった)、一緒に呑んだオケ仲間は「呑んだらただのアル中の親父だ!」と親しみを込めて評していた。素敵な人なのであろう。二人の演奏を聴いていたら、フルートが吹きたくなった。何か、音楽を愛していますよ、という心が伝わって来たような気がした。
ーー
さて、今晩はフルートの練習は早めに切り上げてテレビの前で正座しようかな。
昔、ペレとベッケンバウアーを愛した、30年前のサッカー少年としては(高校に入ってクラブ活動を選ぶ時に、「サッカー部に入りたい」と親に相談したら、父親がやることもあって「テニスにしろ」と方向転換させられた覚えがある、ま、うちの高校のサッカー部は当時とても弱くて、噂では野球部とサッカーの試合をしてサッカー部が負けたとか言っていたし、おかげで私はテニスでインターハイまで行ったのだが、、、)、サッカーで騒ぐ青少年(含むオヤジ)はあまり気に入らないしスポーツでNationalismというのも「違うでしょう?」とは思うんだが、やはり日本人として、堂々とスポーツで朝鮮「民主主義」「人民共和」国という名前のファシズムの国には勝って欲しいと思うのだ。

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2005.06.07

人の縁

中学・高校生の頃はフォークソングが流行った。「ニューミュージック」なるジャンルも現れた。ユーミンなんかよく聴いた。フォークソングでは井上陽水と「風」のしょーやんが好きだった。友人にギターの上手い奴がいたのでまねして少しは弾いた。「22才の別れ」位は弾けた。他の人と違ってBeatlesなども高校生になって聴いた。
ギターは父が少しやっていたので、クラシックギターが家にあった。触ったことはある。しかしのめり込むことはなかった。

今日は地元でギターリサイタルがある。マーティン・フォーゲルというスウェーデンのギタリストが来る。
http://www.shonai-guitarfes.com/
これを企画している福田進一氏もプレ・コンサート4回すべてに来られている。福田さんのソロで、ロドリーゴのアランフェス協奏曲を今年の秋の定期演奏会でやる。まだ乗り番は決まっていないが、私は2nd Fl & Piccになる予定。この曲でピッコロはかなり重要なパートである。
福田さんの弟子で大活躍の人気ギタリスト村治佳織さんも夏に来る。ギターフェスティバル実行委員に便乗して一度バックステージでお会いした。綺麗な人だった。
ーー
病気でも、同じ病気の患者が続いたり同じような場所の手術が連続することがある。狙っている訳ではないのに、偶然・自然にそう言うことが重なることがある。
今年はギターに縁があるらしい。単なる「偶然」であろうが、こういうことが人間の生活や考え方を変えることがある。私がフルートに興味を持ったのは、芸大を出て現在プロのオケ・フルート奏者である友人がフルートを持っていたのに憧れただけである。それも父の転勤に伴って転校した倉敷の小学校で、転校早々鼓笛隊の小太鼓のオーディションがあって、クラス全員の前で太鼓を叩いていたら、隣のクラスだった彼が僕の太鼓を聴いていて、音楽部の先生に「今度転校して来た男の子は音楽ができるらしい」と報告したから、という縁だった。昭和40年代初頭、田舎の小学校の音楽部に男子は殆どいなかった。すぐに皆仲良くなった。というか圧倒的多数の女子に負けないように固まっていただけかも知れない。親戚にヤ○ハに勤めている人がいて、親がその人に頼んでかなりの割引で新品のフルートを買ってもらった(37年経つがまだちゃんと吹ける)。
今、アマオケに入っているのだって、13〜11年前の米国留学中にピッツバーグに脳外科を見学に来た日本のある医大の(当時)助教授が、僕が音楽をやるのを知って「帰国したら脳外科学会のオケに入りませんか?」と誘ってくれたのがまず最初。年に一回くらい、学会総会の懇親会で遊びで吹いていた。
大学病院に長く勤務したが、縁あって1年半前から現在の病院に勤務することになった。大学の医師というのは、診療の他に、教育、研究という3本柱がある。さらにそれらに派生することとして、学会発表や学会主催の準備や学生の相手、そして生活費を稼ぐためのいわゆる当直のバイトや他院の外来援助など多忙に多忙を極める。
一般病院の勤務医は、極端なことをいうと「診療」さえしていればよい。人数が少ないので忙しいことに変わりはないが忙しさの質が違う。大学病院時代は考えもしなかった、アマオケへの参加をこの病院に来てから興味が湧いた。忙しい中にも自分の時間を作れる余裕があるからだ(大学病院時代はこういう余裕はほとんどなかった)。
そして、音楽を通して、医療関係者以外の多くの友人が新しく出来た。チェコフィルのメンバーに友達が出来た。みんなでチェコフィルを聴きに首都圏に出かけたりした。来年早々にはハンガリーに演奏旅行に行くことになるかも知れない。チェコフィルのフルーティスト、ロマン・ノボトニーから「いつプラハに遊びにくるんだ?絶対来い!」と言われているのでついでにプラハに行くことになりそうである。
こういうことというのは、よくわらないけれど偶然の積み重ねのようである。人の縁そのものが偶然の積み重ねであろう。人との縁は大切にしなければいけない。偶然が人生を変えることはよくあるのだ。

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2005.06.06

のらない

今日は気分がのらない。
ただそれだけ。。。
明日はまたたくさん書くかもしれない。

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2005.06.05

オフの過ごし方

普段忙しいのでなかなかオフタイムを『のんびり』過ごせない。職業病かな?
金曜の夜、病院医局主催の飲み会があった。開院以来、新生児治療等地域の小児科医療に大きく貢献したベテラン医師が開業のため辞めるのと、五月から赴任した医師及び初期研修の研修医六名の歓送迎の会である。飲み会、といっても市内のとあるフランス料理屋でソムリエ付きでコース料理。都会のグルマンにも有名なお店。ソムリエのチョイスのオーストラリア産とチリ産ワインが美味しかった。
二日続けて夜中も働いたので眠かった。23時前に帰ったがすぐ転た寝しちゃった!
目が覚めたら、サッカーの試合が始まっている。そのまま朝まで観てしまい、勝利の興奮?で0430頃まで寝付けなかった。。。

ーー
目が覚めたら9時前。あれー?今日はゴルフだよなー。ぼーっとした頭がすぐに現実を認識した。ヤ、ヤバイ!
0850集合だった。慌てて着替えながらゴルフ場に連絡。幹事に事情を説明。第一組で回る予定だったのを最終組に変えてもらいとにかく出発。
『コースは混んでないから、慌てないでゆっくり来て下さい』と幹事。『はい、すみません!ゆっくり急ぎます』と私。
Festina lente
堂々と急げ、というような意味だったかな。イタリア系アメリカ人のJannetta先生が好きな言葉。脳外科はこうあるべき、と朝7時から3件オペして夕方にはスカッシュのラケットなどを担いで、
See Ya t'mmorrow!
と病院を後にしていた姿を思い出す。
「近くのコースで良かったー」。車の中で髭を剃りながら高速を多少ゆっくり飛ばして0942にゴルフ場に到着。0946スタートの最終組は三人がゆっくりティーショットを打って待っていてくれた。準備運動も何もなしで、いきなりドライバー。空振りしなかったー!(^O^)v
ま、スコアは想像に難くないでしょう。生まれて初めて一ラウンドで六つもOBし池ポチャもあり七ツボールを失くしました。でもパー5でバーディ一つ取ったしパーも三つ取りました。ハンディ計算のための隠しホールか゛うまく当たったのかスコア(一応90台)の割に計算されたハンディが多く、思わず賞品なんか獲得しちゃいました(^_^;
Xニアピンなんて取っちゃってボール一ダースゲット!したので元?取りました(^ー^)
なにより雨が降らず楽しくできて良かったー。

続いて1830からはプロのオケのTb奏者指導で、アマオケの秋の定期演奏会の練習。弦は別練習。
フレーズやアンサンブルに関する部分は、さすがプロ!、と思った。
夜は弦、管セクション一緒になってそれぞれのパートの先生(みんなはトレーナーと呼んでいたが)を交え懇親会。0時前にお開き。オケメンバー常連の近くの喫茶店に行き熱いコーヒーを頂いて代行車で帰宅。
なんだか慌ただしい(自分のせいだけど) 一日が終わった。
携帯はゴルフ中もそれこそ『携帯』。FOMAじゃ電波届かないといけないので、子機がわりのMOVAも携帯!幸い急患も緊急入院もなく、同僚から緊急連絡もなかった。僕が遊び歩いている間、彼が働いていた訳だが、それはお互い様。それに数日前、電話にもポケベルにも反応せず爆睡してた彼はそのため深夜に呼び出された私に対しとっても恐縮していて、私としてはちょっと強気にでれる。(笑)
こうやってオフの日も慌ただしく、ゆったりとした時間は流れない。暇な時に時間を無駄にすることがもっとも嫌いな事である。何かして有意義に過ごしたい、と思ってしまう。
『堂々と急げ』か、、、

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2005.06.03

今日はもう帰ります

って言っても、まだ6/3の午前2時ですが。
 昨日は、深夜に起こされて朝まで働いたので昼間から眠くなり、早めに帰った。はいいが、年に2回の病院ゴルフコンペ(という程盛り上がらない、Drの参加はたった3名、後は技師さんたち)が今週末あるので、久しぶりに(昨年の9月以来9ヶ月ぶり)ゴルフ練習場に行った。
 これでも一時は結構真面目にゴルフをやっていて、倶楽部の月例大会に出て優勝したり、ワンラウンドのベストは77で回ったり(レギュラーティですけど)したものだったが、昨年のラウンド数は2回。ことしはまだ0である。空振りしたりしないように練習場に行った訳だ。
 久しぶりの運動で身体も痛くなったしそろそろ帰ろうと思ったら、携帯が鳴った。急患。今度は「急性硬膜下血腫」だ。先日「慢性硬膜下血腫」のところで、「急性」は大緊急手術、と書いた。患者は意識レベルが低下している。それから家族を呼び「ムンテラ」し同時に手術準備(もう夜なので当番の麻酔科医、ナースに連絡)をした。
2230頃から始まり2時間程で終わった。結構立派な血腫だった。内側にまで及ぶ血塊をとったので脳は沈みこむくらいであったが、触診で何となく硬いのでこれから腫れて来ると予測して骨を外したままの「外減圧」にした。命は助けられた。
 勝負は明日(正確には今日の日中)からだ。
 という訳で、今日は疲れたので。帰ります。(筋肉痛もあったりして、、、)
ね・む・い・・・

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2005.06.02

まだまだ、

良くなるよね。
 一昨日の話題の79才のおばあちゃん。今日はプリンを一個口から食べました。まだ「胃ろう」から流動食を投与していますけど。
 「バンザイ、ってしてごらん」って言ったら、両手をゆっくりバンザイしてくれました。
しばらく拝見していなかった娘さんが病室にいらして、「先生、ありがとうございます」と言われました。家族の目にも改善は明らかです。
でも私は少し複雑。もしかすると、昨年シャントトラブルを起こして再建した後に、管が通っていることを確認して脳室内圧を下げるようにシャントシステムの圧をすこしずつ下げていったのですが、その度に管が通っているかは確認していない。一度「確認」した後にまたすぐ管が詰まったか流れが悪くなっていた可能性はある。それをもっと早く見抜いていれば、もしかすると半年前から今より良い状態で胃ろうなんて造設しなくて済んだのかもしれない、とさえ思う。自宅へ退院できていたかもしれない。78才、高齢、ボケ、と先入観が入ってしまったか。
反省が必要である。

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緊急入院?

深夜の3時に救急外来から呼ばれた。
81才の頭痛の患者。2,3日前から頭痛あり、昨晩(6/1の夜)我慢できない程の頭痛を訴えたため、家人が救急車を呼び当院の救急外来へ来た。
本当は、私の出番ではなかったのだが、当番の先生をポケベル、携帯などで数回コールしてもバックコールがない、ということで当直医が困って私のところに連絡して来た。
4年前に右側頭葉の脳梗塞を起こして当科に入院した経緯があり、81才ではあるが当科外来で降圧剤と抗血小板薬を投与中の人であったため、脳外科が呼ばれた。CTでは古い脳梗塞以外、くも膜下出血も脳出血もなし。診察したが、右頚部から後頭部にかけて痛みを訴える以外には所見なし。項部硬直や髄膜刺激症状も無いし熱も無い。家人に聞くと、晩ご飯は普通に食べたということ。
通常ならこのまま自宅にお帰り願ってもいいところであるが、1)強い頭痛であったこと、2)救急車で来院していること、3)夜中の3時過ぎであること、などから「経過観察入院」とした。

医療費抑制ということから考えると、この人が救急車で救急外来を受診したこと、頭痛だけでCTを撮ったこと、頭痛以外に症状が無いのに入院させたこと、これらはすべて「不要」または「過剰」の医療と言われるかもしれない。でもそうやって切り捨てていっていいのだろうか?
医療費を抑制することを現場に要求することは、(明らかに過剰な医療を除いて)グレイゾーンの患者を危険に晒しはしないのだろうか?進歩した、安全性を追求する現代医学が、お金のかかるものであることを何故否定するような動きがあるのだろうか?

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