種々の話題
今日は、昨日に引き続き、くも膜下出血患者の治療成績の分析とまとめの仕事をしていた。その間に、本サイトの方でグダグダと書き連ねつつある「フルート上達法」に関連して最近注目している本の著者である、前野隆司慶応義塾大学工学部助教授にメールを送ったところ、素早く丁寧なお返事を頂いた。感謝感謝。
昔、うちの教授に教えられた事の一つに、「仕事は忙しい人に頼め」(少しニュアンスが違うかも)というのがある。常に忙しい人というのは、時間をとても大切にしている。自分の中で仕事に優先順位をつけながら手を抜かずにすべてをこなそうと計画している。そういう人にたとえば「これ、明後日までにまとめておいてほしいんだけど。明々後日の講義の資料にするからよろしく!」などと頼むと、次の日の朝にはすでに完成しておいてあったりするということ。一方、あまり忙しそうでない、時間の使い方のルーズな人に同じように頼むと、その頼んだ「明後日」になって「どう?そろそろできるかな?」などと問うと、「あ〜、まだです。これからやろうと思ってました。」というような答えが返ってきて、結局必要としている「明々後日」になってぎりぎりで帰ってきたりするのである。
何が言いたいかと言うと、前野先生は私の質問メールに対して即座に返事をされた。忙しい人にとって、私のメールへの返事はとにかく終わらせておいて本ちゃんの仕事をしなければ、という感じであったのだと想像する。さすが、だと思った。
「信頼のものさしは病院の成績公開」
http://www.mainichi-msn.co.jp/kagaku/shinrai/news/20040609ddm010070154000c.html
本日付けのネット毎日新聞にこういう記事が出ていた。内容は興味のある方が直接見て確認してほしい。うちの教授の名前が出ていて、少しだけ驚いた。
「成人病の真実」
http://www.asahi-net.or.jp/〜eh6k-ymgs/opinion/contents/seijinbyo.htm
http://www5.ocn.ne.jp/〜kmatsu/seijinbyou/94noudokku.htm
ちょっと古い記事なので今さらこれにコメントするのは違反かもしれないが、気になったので。
何かと騒がせた方だと思う。書かれてある数字などに関しては「事実」というか実際に発表されていた値に違いない。しかし、問題はその解釈とそれに対する反応または判断である。
要するに、これらの数字について検証もせずに、「こういう値が出ているのに、脳外科医はおかしな事を言っている」「現実を無視して間違った事をやっている悪い奴ら」というような論調に取れる。しかし、例えば「未破裂脳動脈瘤の破裂率は年に0.05%」という数字。これは権威ある医学雑誌に載ったから正しいものと思われても仕方が無いが、日本の脳外科医だけではなくアメリカの脳外科医なども抗議した論文である。なぜなら「海綿静脈洞」といって脳の外(頭蓋内であるが)にある動脈瘤まで対象にはいっているなど、おかしな点が多い論文なのである。海綿静脈洞の中の脳動脈瘤が万一破れるようなことがあってもくも膜下出血にはならないのだから、調査対象から外して計算しなければならないはず。このように「0.05%」という数字が一人歩きしてしまった感があるが、この著者は「それみたことか?!金儲け主義!」と言わんばかりの論調だったのは残念な事である。
従来、脳外科医が未破裂脳動脈瘤の年間破裂危険率を1〜3%と説明してきたのには背景がある。日本の脳神経外科医ならほとんど持っていると思われる教科書「太田富雄著(いまは太田先生と松谷先生の共同編集になった):脳神経外科学」。脳神経外科専門医試験(口答と面接があり6割しか合格しない厳しい試験)の受験者は、何は無くてもまずこの本を使って復習をする、というのが脳外科の世界では常識。この本の中の未破裂脳動脈瘤の項目に、いくつかの信頼できる数字が書いてある。しかし、注目すべきは最初の2行である。
「たとえ、未破裂動脈瘤の手術は危険性が少ないとはいえ皆無ではない。したがって、できれば手術したくない。しかし、破裂の危険性すなわち自然歴がぜひ知りたいが正確なデータはない。」
これは日本の脳神経外科医の常識である。だから今学会主導でUCAS Japanなどの調査が行われている。
「今頃か?!」「データも出てないのに手術を勧めていたのか?!」
こういう疑問ももっともである。しかし冷静に考えていただきたい。こういった大規模な調査は時間とお金がかかる。しかも対象は生きた人間である。「自然歴」すなわち何も治療しなかった場合にどうなるのか、ということを調べるためには、「病気がある」とわかりながら「何もしない」ということが調査の前提になる。たとえ破裂率が0.05%であったと仮定しても、10000人にこういう調査をしていると一年に5人は破裂してくも膜下出血になってしまうのであるが、調査対象になると低いながらも出血の危険性があるとわかりながら「何もせず観察する」ということになるのである。
未だにくも膜下出血で倒れると3割は命を落とすと言われている。今調査している、当院の最近の(私が勤務し始めてから)成績でも、6名18.8%が死亡している。このうち5名は、来院時余りに重症なため(呼吸が止まっているとか、血圧が下がっているとか)手術もできなかった。私が手術を行った患者さんにおいて、Hunt & Kosnikのくも膜下出血の重症度分類でいうと、1、2、3のグレードの良い患者さんは、一人を除いて全例家庭または職場に復帰している。一例だけ正常圧水頭症に対してシャント手術を行ったにもかかわらず症状が改善せず、目を開けて反応はあるけれど生活は全介助で寝たきりに近くなってしまった方がおられる。78才と高齢であった事も原因の一つであろう。
重症のグレード4、5では一人が死亡、一人がリハビリ病院へ転院、一人がまだ入院中でリハビリ中である。死亡した患者さんはグレードが最重症の5であったが、50歳代と若く、脳内血腫に脳室内血腫を大量に伴ったくも膜下出血であったので、まず脳室ドレナージをして意識状態の改善が認められたのでクリッピング術とともに血腫摘出術を行った。水頭症に対しても手術して、目を開けて返事を返すくらいに意識が良くなりリハビリを行っていたある日、おそらく下肢の深部静脈からの血栓が飛んで肺塞栓を起こしあっという間に亡くなられてしまった。入院時から下肢にはストッキングをはかせ、間欠的機械的圧迫で防止策は立てていたのだが、それでも肺塞栓を起こしてしまい、院内症例検討会と病理解剖などで検討はしたものの、結局助けられなかったのは残念である。
というわけで、私が手術を行ったグレード0(未破裂)、1〜5のすべての脳動脈瘤の患者さんでの死亡率は、3.7%になる。言い訳に聞こえるかもしれないが、上記死亡患者さん(grade 5)は、何も手術治療をしなければ間違いなく数日で亡くなられていたはずである。それが1ヶ月以上頑張った姿を見て、家族の方からは感謝の言葉をいただいた。
最近では、動脈瘤に対する治療法にクリッピングと血管内治療によるコイリングがある。これに関しても世界中でいろいろな調査研究が行われているが、最近また誤解を招きかねない論文が出ている。そこで「社団法人日本脳神経外科学会」として公的に一般市民向けに、学会理事長他数名の実名付きで責任のある公式見解を公表している。
http://jns.umin.ac.jp/public/pub_all/pub_all.html
脳動脈瘤の治療に悩まれている方の中には既に熟読された方もいらっしゃるであろうが、知らない方は是非目を通していただきたい。ちょっと難しいところもあるかもしれない。要するに、人を対象にした研究には難しい面がたくさんあるのである。そこから「Aという病気が発生する確率はxx%」などど簡単に割り切ったような数値は出ないのが本音である。「これこれこういう条件で患者さんをセレクトして、これこれこういう条件で検査をして、これこれこういう説明の上で了承した人だけを対象に、これこれこういう調査を継続して調べてみたら、これこれこういう結果が出た」という事をどのように解釈し実際の臨床に応用するのかはまた別の問題であるのだ。
「0.05%だから低い。だから手術は不当だ」などと簡単に言い切れる問題ではないのに、その点を無視している人がいるのは残念である。もしその人本人が未破裂脳動脈瘤があったりその人の家族に見つかったりしたらどうするのであろうか?脳神経外科医は危険性の高い手術で金儲けをしようとしている!と断じたごとく自分は何の治療も受けないのだろうか?90才ならばそれもいい。80才でも手術はしなくていいだろう。70才なら?60才なら?50才なら?本当に治療を受けないのだろうか?
人生は一度きり。くも膜下出血は一度起こると死亡する確立は2〜3割(低いところでも1割以上)。予防的手術で死亡0、後遺症0を、現実には0はないとしても、可能な限りこの成績に近い手術ができる人になら治療を受けた方がいいのではないだろうか?ちなみに私の成績は、「未破裂」脳動脈瘤は恐いのであまり積極的に手術していないし難しい症例は大学病院の教授に送って治療してもらっているので、参考にならないけれど、死亡率0、後遺症発生率も0である。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
>未破裂」脳動脈瘤は恐いのであまり積極的に手術していない
インターネット上の先生方もハイリスクハイリターンの手術をして、名声を得ようとしている先生か訴訟がこわくて破裂をまってから手術をしようとしている先生かはたまた本当に時期をみていろいろ天秤にかけているのかなどと憶測することもありました。
でも、先生の正直な気持ちに出会うと患者も素直な自分のきもちが言えます。
未破裂脳動脈瘤がみつかってから、本当は毎日不安でたまらない私です。リスクの少ない先生に出会えるものでしょうか?
今は、ただ主治医を信頼しようと自分を落ちつかせながら、死への準備もしなくてはと思ったり、親よりさきにはと思ったりです。
投稿: iruka | 2005.05.17 22:41
有限の時間である人生。
その中を生きている私たちは、その時期、その時期にやらなければならないことを持っています。
病気になったからといって、それを簡単に捨てられないのが人間ではないでしょうか。
QOLを維持しながら、できるだけ長く暮らすために、経過観察をしていくか、それとも治療を受けるか、どちらかを選んでいくことになると思います。
しかし手術などの安全性を示す数値がどんなに低くても、患者としては不安です。
何故なら、自分は病気の罹患率が低いのに運悪く罹っているのですから。
患者としては、医師の行う治療を批判するよりも、各病院の治療方法や実績等を具体的に報せてくれるほうがずっとありがたいのですが。。。
どうして批判的なものが出るのでしょうか?
これこそ儲け主義ではないのかと疑ってしまいます。
投稿: ふにゃ | 2005.05.17 22:52
2003年7月くも膜下出血で、クリッピング手術を受けました(50才)。仕事の途中、友人の家を訪ね、頭痛はなかったのですが頭の中で何かが起こっているという思いから、タクシーを呼んでもらい、近くの脳神経外科を受診しました。途中から意識が薄れ、救急車を呼んで転院するという看護婦さんの言葉を最後に、23日後目覚めました。
たぶん「良好な回復」で退院したのでしょうが、以前の自分を知っているのは自分だけです。何かが以前と変わっているのは何なのだろうかと悩むこともありましたが、手術後の高次脳機能傷害の症状でした。後遺症もなく以前の私に戻っていると回りの人は言ってくれますが、私は以前の私ではないと思います。
考え方を変えれば、穏やかな自分に生まれ変わったのかもしれません。運ばれた病院によって自分の運命が決まってしまうということも、自分で無意識に病院を選択しているのかなと考えると不思議ですね。
投稿: mimi | 2005.05.17 22:53
手術などの安全性→手術などの危険性
の間違いです。
またミスってしまいました。
昨日は脳外科受診。
鞄を置いたまま診察室を出ようとして、
先生に笑われてしまいました。
診察代を払おうとして、院内紹介状を診察室に忘れたことに気づきました。
診察室でミスが多いことを話していて
その帰りにもうミスを犯しているので
どうしようもありません。
相変わらずひどいです。
投稿: ふにゃ | 2005.05.17 23:11
くも膜下出血(破裂脳動脈瘤)の
死亡率は20%~50%とまちまちなのですが、
病院によって違うからなのでしょうか?
それとも死亡原因が特定できない場合
(CTをとることもできないほど重症の場合など、父もそうでしたが…)
死亡原因を脳卒中とまとめてしまうからなのでしょうか?
投稿: mayako | 2005.05.17 23:45
以前にも書きましたが、母の脳動脈瘤は破裂時2~3mm、比較的出血も少なく、一見軽症と思われたものの、合併症が次々と起こり予想通りには回復しませんでした。
病気は1つのものさしでは測れないものなのだ、ということを実感しました。いくら確率などの数値を知らされようと、発症時の重症度に始まり、持病、年齢、体質といった患者の抱える要素、そして主治医の技量によって数値が変化すると思われるからです。それでも生存率や後遺症の確率など、聞かずにはいられませんでしたけど...
「ここまで良くなるとは思わなかった」と主治医に言わせた母は、発症から7ヶ月が経つ今もリハビリ中です。そしてmimiさんのおっしゃるように、何となく以前の母とは違う気がして、評価をしながらの毎日です。
投稿: ムンテラ | 2005.05.18 10:34
たくさんのコメントありがとうございます。一つ一つにレスできないのでまとめて書きます。
「くも膜下出血」といっても、その出血量、部位、患者さんの年齢や全身状態などに応じて、「別の病気ではないのか?」と思うくらいの差があります。今まで一番軽症で治療した経験は、「風邪かな?」と思うくらいの頭痛で会議にも出て車の運転もしていた50代前半の方で、3日目に来院して精査の結果、左内頚動脈瘤があり、即日手術して経過良好で10日後に退院しすぐ仕事に復帰した方がいます。重症の方は、CPAで運ばれてきてCTを撮るのがやっとでその日のうちに亡くなられる方もいます。
Hunt & KosnikやWFNSのグレード1〜5というのと、CT出血度のFisher group 1~4が、ほとんどの場合、術後の治療結果に相関すると思います。動脈瘤の大きさは治療結果には影響しません(巨大すなわち直径25mm以上のものでない限り)。出血量も、一見少なく見えても脳のくも膜下腔(脳脊髄液が回るところ)すべてに血腫が流れていっているので、局所に少ないからというだけで軽症とはいえません。Fisher group3などの濃い強い血腫の場合は大抵具合が悪く血管攣縮や水頭症を来しやすいです。
私の母も、手術(クリッピングとシャント)を受けてから一年後までは全然鈍くて「このまま惚けるのか」と思っていました。近くに住む妹が毎日のように様子を見に行き、大きな紙に「ガスは消したか?電気は消したか?戸締まりはしたか?」などと書いて家中に貼っていたようです。
手術後4年近くなる最近は、年齢相応に動きが鈍くわりとまともな主婦ですが、やはり元通りにはなっていないと思います。
高齢(70才以上)の脳はもともと弱ってきているので、くも膜下出血の影響は若い人(40代、50代)に比べて回復が遅いか、回復しない、そういう病気なのだと思います。
投稿: balaine | 2005.05.18 13:05
先生のご説明で納得が行きました。ありがとうございました。
先生のお母様のように回復できるかどうか分かりませんが、それを目標に時には厳しく檄を飛ばしながら温かい目で母を見守っていこうと思います。
主治医がおっしゃっていました。「年齢相応に脳に隙間があったお陰で手術はやりやすかったです」って(笑)。
投稿: ムンテラ | 2005.05.18 14:23