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2005.05.24

広い視野を持つ事

 私はこのブログを医師の立場で、脳外科医の立場で書いている。だから私の視点にも偏りはあるだろうし、思い込みや勘違いもあるかもしれない。しかし、事実を解釈するにあたって出来る限り偏見を持たないように、リベラルな考え方をしようと心がけているつもりだ。広い視野を持つ事。

 先日紹介した、「加筆訂正」した、という件。たくさん反論したい事があったが、冷静に考えてみると、あの方の意見というか書き方は、本当に先日の「抗日デモ」を思い起こさせる事に気がついた。中国の人は、一人一人は決しておかしな人ではない。中国人の脳外科医や中国人のチェロ弾きやプロの演奏家を知っているが皆知的で素敵な人達ばかりである。何故、上海であんなに激しい「抗議行動」という名の下の暴挙(破壊行動)などが起きたのか。様々な要素がある。でも一つ確実な事は、中国では日本が第二次世界大戦中、中国を侵略し人民を惨殺した歴史を学校教育で詳しく教えているということ。しかし、その背景やその他の機会にあった人民抑圧などは教えていない可能性が高い事が伺い知れる。戦争中の帝国陸軍を中心とする旧大日本帝国はあきらかに間違っている。誤った行動、行為をいろんなところでたくさんしている。「戦争なんだから」と言い訳してはいけない。しかし、旧日本軍に強制されたかどうかは知らないが、当時の中国人そのものが人民虐殺や略奪にもかかわっているし、終戦後の混乱期、更に文化大革命の時期に粛正という名の人民虐殺も行われている。その数は2000万人とも3000万人とも言われ、旧日本軍が中国大陸で虐殺した人の数より遥かに多い(数の多い少ないの問題ではないが)。これらの事実は、中国の学校教育では教えられていない可能性がある。
 要するに、情報が偏って教育されている可能性がある。民主主義国家ではないのだから仕方が無いかもしれない。先日のような、常軌を逸したデモ暴挙は、中国だからこそ起こったといえる。ある意味で「洗脳」されている可能性がある。教えられている事実に間違いは無い。しかし教えられていない事実があるのだと思う。
 「脳外科医が多すぎる、脳ドッグは不要だ」と書いている方は、どうも自分で脳神経外科医に会ったこともなければ脳ドックを受診した事もないし、脳卒中や脳動脈瘤などの患者さんを近親者に持った経験やまして自分がそういう病気になった事が無いということが、その発言から想像できる。だから、彼(男性かどうかも存じ上げないのですが)の表現の中に出てくる数値は、「日本の虐殺行動」のように「事実」ではあるのだけど、それを解釈する上において「自分には他に知らないことはない」という前提で話しを進めているように思える。知らない事がたくさんあるのに「知らない事を知らない」という事実を無視して「判断」をくだし「行動」を起こしている。よって、まるで「抗日デモ」のように思えると思った訳である。

 ひとつひとつあげると切りがないので一例だけあげる。
 最初の書き出しの、
『図に示されているように脳卒中死亡率は長い目で見ると全体として減少している。』の部分。
これは事実である。私も当然知っている。正しい。しかしその後がいけない。
『その間どういうわけか医者の数は増え続けた。何もしなければ医師一人当たりの患者数が激減するのは明らかだろう。』
死亡率と患者数を混同しているのか?統計の見方を知らないのか。そもそも厚生労働省で発表している、患者数や罹病率などのデータを知らないのか?脳卒中の患者さんは、毎年毎年増え続けている。一度も減少した事は無い。医師数が増えても追いつかないくらい患者数が増えているのだ。
彼は続ける。
『まともな世界なら医師一人当たりの収入も大幅減になって当然だ。そんな中で存在意義を確保し医師の資格を得るための投資を取り戻すには患者数を増やさねばならない。そのために考え出したのが脳ドックと見るのが当然の流れだ』
どうして「当然」なんだろう?「まともな世界」って何だろう?
この辺になってくると理解しがたい言葉が踊りだす。
『要するに脳ドックはより多くの隠された患者を探しだしその命を救うという錦の御旗の元、脳外科医の失業を防止するための患者製造器だったのです。そして患者を作るだけでは経済的には不十分なので、科学的な裏付けの無い、医師の期待値でしかない危険性を吹聴して、患者を手術に誘導するのです。』
これは彼の意見。自由な意見は拝聴し尊重したい。しかし、無知を原因として導きだした誤った解釈からこんなとんでもない意見を作り出している。これは「自由民主主義」における言論の自由とは相反する「煽動」とすら言える。

冷静に書こうと思っていたのだが、彼の論調をみるにつけ私の心が乱されるので(それを望んでいる人なのかもしれないが)この辺でやめておこう。
ーー
彼が解釈を間違った「死亡率の減少」。何故、毎年患者数が増え続けているのに死亡率(死亡数ではない)が減っているのか?これは理由が3つ以上ある。
まず、公衆衛生活動。高血圧や生活習慣病(当時は成人病と言われた)の治療、予防。これで「脳出血」が激減した。脳卒中全体の死亡率が減った。
次に、CTなど診断機器の普及と脳外科医の前線での活動。昔は(といってもほんの30年、40年前の事)「脳卒中が疑われたら動かすな」と言われた。田舎の名医が自宅に往診して、「脳卒中の可能性が高い。血圧を下げる注射を打っておいたからこのまま静かに寝かせておくように。」とのたまって皆その言いつけを守っていた。たくさんの人がそのまま自宅で息を引き取った。何割の方が後遺症を残しながら床から出てきた。ほんのわずかな人がまた元の活動に戻った(元に戻れたのは軽症の脳梗塞やくも膜下出血であった可能性が高い)。CTが普及し、脳外科医が啓蒙活動を行い、「脳卒中になったらすぐに脳外科のある病院に運べ!」ということがコンセンサスを得た。今時、脳卒中を疑って自宅でじっと寝かせておく家族はいないだろう。そうやって今まで自宅で亡くなっていた方が、病院で早期に診断を受け治療を受けて死亡する率が減った。
 3つ目に、脳外科医が日夜急患を診察し、夜中でも休日でも緊急手術を行った。病院に来て診断がついても、治療を考えている間に症状が悪化したり死亡するケースもある。日本の脳外科医(特に私の師である教授の師、故鈴木二郎元東北大学教授たち)が超急性期の手術をどんどんやった。ヨーロッパでは、「くも膜下出血の急性期に頭を開くなんて馬鹿げている」と最初相手にしなかったが、結果が良い事を知ってまずアメリカで次ぎにドイツで同じように超急性期手術は当たり前になった。いまだに当たり前になっていない英国などでは、「くも膜下出血」との診断を内科医がつけてICUに入院させ、神経放射線科医が予約検査で脳血管撮影を行って、脳動脈瘤があったら脳外科医に相談し、脳外科に移って、予定手術を組んでクリップをかける、という「悠長」なこと(診断がついてから手術まで2週間とか)を未だにしている病院もあると聞く。あるアメリカ人の脳外科レジデントが書いた本に、「イギリスで私は信じられない光景を見た。破裂脳動脈瘤が疑われるくも膜下出血の患者が、ICUで食事をしていて、いつ手術なのか尋ねたら、再来週血管撮影だ、と言っていた翌日食事中に再破裂を起こし食事のトレーに突っ伏して死んでしまった。」という驚きの証言があった。日本では、超急性期、急性期に緊急手術をやっている。そして脳卒中の死亡率が減った。

 このように、「患者数」は増え続けているのに「死亡率」が減少しているのには、理由がある。そしてこれらの事実から、医者が多すぎる、とか脳ドックは不要、という結論はどうひねってみても導きだされないのだ。

 最後に、厚生労働省が発表している、日本人の死因のグラフ。どこかでみた事があるだろう。
いつのまにか「少々」書きかえられた「彼」のページにも出ているあのグラフ。1994年頃に、ガクンと「全脳卒中」と「脳梗塞」の死亡率の上昇が見られる。脳卒中による死亡は、それまで日本人の死因の第3位だったが、この頃、見事に(?)第2位に返り咲いている。なにが起こったのか?この年、急に全国で脳卒中による死亡者が増えたのか?
 「死因」というのは、医師が書く「死亡診断書」を元に決められている。この年、次のように変わったのだ。
脳梗塞などを発症して寝たきりになったり症状が悪化した人が、心不全を起こして亡くなっても、心臓そのものに直接原因があるのでなければ死因は脳梗塞とする、本来その患者さんが悪化する原因になったものを「死因」と判断するように改められた。それまでは、脳梗塞でも脳出血でもくも膜下出血でも、治療経過において治療のかいなくだんだん具合が悪くなって残念ながら肺炎を併発し心不全を起こして亡くなられていたような患者さん(特に高齢者に多いパターン)の死因は「心不全」と判断され(それ自体は間違っていない)、死亡診断書の死因の欄に「急性心不全」などと記載されていたのである。そうすると、脳卒中の患者さんの死亡率が見かけ上減って、心臓病の死亡率が高くなる訳である。高齢化社会を迎えその傾向が顕著となったため、この年、死亡診断書の書き方をあらためるように厚生労働省から医師に通達があった。よって、急に2位に返り咲いたのではなく、元々第2位だった死亡率がそのまま第2位と現されるようになったというあまり知られていない事実がある。
 公衆衛生活動や市民への保健に関する啓蒙活動は、生活習慣病を減らそう、予防しようと頑張っている。脳外科医も手伝わされている。というか発症してから手術して助けるより発症しない方がいいので、予防に勝る治療なし、と市民講演会などの啓蒙活動を盛んに行っている。私も2回程、市民講演にかり出された事がある。しかし、日本は世界一の長寿国(WHOの調査結果で日本の医療レベルは世界一とされている)。高齢であるという事=老化は残念ながらそれそのものが脳卒中発症の大きな危険因子である。日本から脳卒中が無くなる事は無いどころか、様々な啓蒙活動にも関わらず、脳梗塞を中心に増え続けている。寝たきり、介護などの新たな問題が山積みである。我々脳外科医がどんなに頑張っても、寝たきりを作るだけに過ぎないのならむなしいものである。よって、これまでの経験上、手術をしても命が助かるだけで寝たきりか植物状態になる可能性がきわめて高い場合は、家族にその事をお話しし必ずしも手術治療をすすめない(そうすれば亡くなるとわかっていても)というのが、一般的な日本の脳外科医のスタンスである。こういうこともわかっていない人は多いと思う(外科医なのだから手術する事が唯一の仕事と決めつけないでいただきたい)。我々は、Neuroscienceという科学を元に、外科的治療という手段を実施しうる訓練を受けた、神経学に精通した「医師」という専門集団なのである。

ついでに脳卒中の統計に関するサイトをいくつかご紹介しておこう。
http://jsa-web.org/toukei/data.html
http://jp.pg.com/attento/kaigo/07_apoplexy01.html
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/kanja/kanja99/index.html
ーー
p.s. 私は「脳ドック推進派」ではありません。私自身は脳ドックはやっておりません。脳ドックに反対も賛成もしていません。日本脳ドック学会にも入会していません。脳ドックで診断がついた患者さんが紹介されてきても(年齢や職業、家庭環境なども考慮の上)手術を勧めなかったり、入院の上の検査である脳血管撮影も勧めなかったということもある、リベラルな脳外科医と「自負」しております。

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コメント

先生は脳ドック、賛成も反対もされていないのですか?

私は脳ドックに賛成です。
経済的に余裕があれば、何年かに1度ぐらいは受けた方がいいように思っています。

確かに未破裂動脈瘤や無症候性の脳腫瘍が見つかった場合、辛い毎日が始まりますが、
病変の存在を知らなかっただけで、あると言う事実には変わりはないわけです。

いろんな事実を知って、その上で自分で判断して生きていくというのは、上の話だけでなく自分の体の場合でも同じことが言えるのではないでしょうか。

特に思うのは、私は偶然見つかった脳腫瘍を
手術してもらったので、後遺症は出ませんでしたが、(もちろん主治医の腕もいいのだと思います)
これが視野狭窄などの症状が出てからでは手術をしても元通りにはなりにくいと聞いています。

脳腫瘍も早期発見が出来たら、もっと患者のQOLも上がるように思っています。
それには脳ドックって必要ではないでしょうか!!

投稿: ふにゃ | 2005.05.24 19:23

 論理のすり替えや飛躍、詭弁がどこにあるかを見つけ出すことは本当に難しいと感じます。ましてそれが医師の裁量権の範囲で書かれているものなら尚更です。
 病気の予防を心がけるあまり、返って不健康になる人がいるように、何にでも表裏がありますよね。
 先生のように熱く語る人がいらっしゃると、勉強になります。 脳ドッグ中立派なのはちょっと意外でしたけど...
 

投稿: ムンテラ | 2005.05.24 21:07

ふにゃさん、ムンテラさん、
私は「脳ドック中立派」なんですかね?(^^)
きちんとしたシステムで運営されている脳ドックなら推奨します。そのために「日本脳ドック学会」を中心にガイドラインのようなものもつくられているようです。中には酷い「脳ドック」もあったようですから、そういう変なところはそれこど「No!ドック」でしょうけどね。
 要するに、病気を見つけたらおしまいではなく、そのケア、治療もできるし精神的な対応もできる医師などの医療職がちゃんといる病院で「手をかけ時間をかけて」行うものなんです。ドックは自由診療。保険が効きません。10万円を超える料金で力をいれて運営しているところから、3万円くらいでMRIだけ撮るような簡便(なのか手抜きなのか?)なところこもあります。検査内容とシステムと料金を比べて選ばなければなりません。

投稿: balaine | 2005.05.25 08:26

先生、コメントありがとうございます。

私はT病院の耳鼻科で、聴神経腫瘍の疑いからMRIを受けて、鞍結節部髄膜腫(1センチ×0.5センチ)が見つかり、脳外科へまわされた患者です。

手術までは、T病院の副院長であり脳外科の部長であるN先生が主治医でした。

N先生はとっても包容力のある素敵な方で、紳士といった言葉がぴったりの先生でした。

まるで寒い日中、障子をとおして射し込んでくる温かくて清潔で、そして優しい、冬の陽射しのような方でした。脳腫瘍と言う厳しい現実から先生が守ってくれました。
手術もこの先生の勧めで受けました。
私の周囲にもこの先生に助けられた人は何人もいて、患者にとても慕われている先生でした。

そんな偉大な先生が私に教えてくださったこと。
それは、放射線科の医師が熱心に丁寧に、読影したから脳腫瘍が見つかったということでした。
放射線科の先生に感謝してくださいと言われました。

患者は目で見える部分しか気づきません。
でも実際は、目に見えないところで、多くの医療従事者が熱心に丁寧に仕事をしているので、私たちは助かっているのだということに気づかされました。
放射線科の先生のお名前を知るすべもなく、お礼を申し上げることもなく終わりましたが、深く感謝しております。

このような私ですから、脳ドックについて、もちろん、読影をきちんとしてくれる医師、また、患者のショックを受け止めてくれる医師がいる所でなければ、受けてはいけないと思っています。

偉大な先生は縁の下の力持ち的な仕事をされている医師たちのことも患者にしらせてくださいました。
人間としての器が違うのでN先生のようにはなれませんが、すばらしい医師と出会えて、脳腫瘍になってよかったと思っていますよ。

投稿: ふにゃ | 2005.05.25 20:02

ふにゃさん、なるほど。わたしなぞN先生に比べたら「ガキ」ですね。
本当に、我々脳外科医が夜中や休日に手術しているということは、その前後の検査にかかわる放射線技師さんや、手術場の看護師さん、麻酔科医、そして術後の厳重な管理をするICUの看護師さんなど「総合力」が大事なのです。
 うちのくも膜下出血患者の手術成績が良い(と思う)のも、特にICUの看護師たちの献身的看護のお陰だと思っていますよ。

投稿: balaine | 2005.05.25 22:38

「ガキ」  そうかもしれませんね。
失礼!!(笑)

多分、先生は、N先生より20歳近く、年下だと思いますよ。(笑)

T病院を代表する先生でしたから、看護士さんにも患者にも慕っている人は、そりゃあ多くて。。。別格でした。
慕われるというより、尊敬されていると言ったほうが適切かもしれません。

今の主治医が頭蓋底腫瘍を得意としているからでしょうか。。。私は、入院してから今の主治医に変わってしまい、ホントにショックでした。

N先生と主治医の比較は無理。主治医がちょっと、かわいそうです。(笑)

自分のことだけでなく、他の目に見えない部分にも思いを馳せて。。。
そう、先生が言われたように想像力が必要になってきますね。

お忙しい毎日を送っていらっしゃる先生
わずかな時間でも休めたら休息をとって、体力の回復に努めて下さいね。

私は時間があれば、5分でも10分でも、それも、どこでも、いつでも、どんな格好でも眠って、体力の回復がはかれますよ。
この点だけは多忙な脳外科医に負けない自信がありますよ!!

投稿: ふにゃ | 2005.05.26 23:26

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