笑ってはいけないが
笑うしか無いか、、、(^^)
先日の記事「何か恨みでも?」を、その元記事になったサイト管理者本人にメールでお知らせしたところ、「加筆訂正した」との連絡をいただいた。
覗いてビックリ。「訂正」とは程遠く、ますます強くなるばかりの根拠の乏しい反論。無礼な表現も多々ある。
「世間の荒波を受けたことのない坊ちゃん的発想の出鱈目なのです。」
「数日で亡くなったかどうかは患者が死んでしまっているので確かめようが無く、先に云ったもの勝ちだ。手術しない方が長く生きた可能性もある。」
「語るに落ちるの好例。」
「戯言は、患者の利益ためにダメ医者を切り捨てる仕組みを確立してからにして欲しい。」
こういう、元田舎の秀才タイプのインテリみたいな人には、いちいち反論しても「火に油を注ぐ」だけと思われるが。言われっぱなしもしゃくなので反論をする。
図に示されているように脳卒中死亡率は長い目で見ると全体として減少している。その間どういうわけか医者の数は増え続けた。何もしなければ医師一人当たりの患者数が激減するのは明らかだろう。まともな世界なら医師一人当たりの収入も大幅減になって当然だ。そんな中で存在意義を確保し医師の資格を得るための投資を取り戻すには患者数を増やさねばならない。そのために考え出したのが脳ドックと見るのが当然の流れだ(実際そう主張する論文を寄稿した鉄面皮の医者が居た)。要するに脳ドックはより多くの隠された患者を探しだしその命を救うという錦の御旗の元、脳外科医の失業を防止するための患者製造器だったのです。そして患者を作るだけでは経済的には不十分なので、科学的な裏付けの無い、医師の期待値でしかない危険性を吹聴して、患者を手術に誘導するのです。
たしかに「死亡率」は減少しています。しかし、罹病率、患者数はどんどん増えているのです。この事実をご存じないのですか?
患者数は増えているのに死亡率は減少し死因の1位から2位になっているのは何故だと考えますか?
公衆衛生、予防医学の普及がまず大きな要因です。もっと大きいのは現場の脳外科医が昔なら死亡していた患者の命を救っているからですよ。これは明らかな事実です。
「まともな世界なら医師一人当たりの収入も大幅減になって当然だ。そんな中で存在意義を確保し医師の資格を得るための投資を取り戻すには患者数を増やさねばならない。」
私たち脳外科医は、患者を増やしたいなんて思っていませんよ、少なくとも私は。収入がもう少し減ったとしてももっと楽をしたい。「楽」というのは、人並みの楽です。
つまり休日には休めるような、夜には寝れるような、お風呂にのんびり入れるような、そういう「楽」です。
現実は、昨日の日曜だって、私が回診、急患、病棟の急変で今朝までの間に病院で働いた時間は、0930〜1400に回診(昼食とれず)、2330-0100(お風呂に入ろうと思ってポケベルと携帯を脱衣場においておき、服を脱いでさあ入ろうと思ったらポケベルが鳴りました)に急患診察、0550-0800(病棟で患者急変、すぐCT、患者の家族を呼び説明などなど)です。そして今朝は0830から仕事になるのです。
脳外科医は余っているとか、多すぎるとか書くのであれば、実際にどこか普通の規模の(病床数500前後、脳外科医2〜5人くらい)脳外科医一人にべったり張り付いて、その人と一緒に寝泊まり食事もしながら一ヶ月過ごしてみてくださいよ。多分、普通の人にはこなせない重労働だとわかると思いますよ。
データを自己流に解釈するのは勝手ですが、自分で体験もしないで自分の目でみないで書いている内容には説得力も迫力もありませんね。
何か書けば更に反論されるような方だろうと想像していますが、私としては冷静に判断した上であなたの非礼に対処させていただきたいと考えております。
「脳外科医は殆どサラリーマン医者だから、個人的に患者を増やす必要など無い」と述べているが、これも一種の騙しだ。患者が少ない状態が5年10年続けばいずれその科は廃止される。他に能のないサラリーマンだったら一大事だろう。普通のサラリーマンにとって、勤める会社の職種のお客が少なくなったり同業が著しく増えることは、即生活の不安定に直結する。だから、「「生活が安定しません」などという表現は、事実無根で全くでたらめなのです」という言葉こそ、世間の荒波を受けたことのない坊ちゃん的発想の出鱈目なのです。
だから患者は減っていない。増え続けている。忙しさはまったく改善されない。22年目といえば一般の会社なら中堅。科長だとか部長くらす。数年目のサラリーマンとは当然立場も違い仕事内容も違うはず。私は病院全体の日直もしているし月約半分は出番をしている。ゆっくりお風呂に入りゆとりもない。
balaine氏は云う。「上記死亡患者さんは、何も手術治療をしなければ間違いなく数日で亡くなられていたはずである」と。言外に「死ななかった患者さんは手術のお陰で助かった」と云っているようだ。数日で亡くなったかどうかは患者が死んでしまっているので確かめようが無く、先に云ったもの勝ちだ。手術しない方が長く生きた可能性もある。
仮に数日の命が本当だと仮定して、それを1ヶ月に延ばせたことにどんな意義があるのか?あの過酷な脳の手術後1ヶ月で亡くなる場合、家族とまともに話せる状況にはならない例が殆どだろうから、手術を受けた患者の多くが生きていることの悦びを1ヶ月余分に感じたとはとても思えない。
くも膜下出血をおこした「破裂脳動脈瘤」と未破裂脳動脈瘤を同列に論じないでほしい。
「先に言ったもの勝ちだ」など子供の論理。
手術をしなければ100%間違いなく1週間以内、いや2、3日で亡くなられていた。未破裂脳動脈瘤ではない。破裂脳動脈瘤の患者である。
また未破裂脳動脈瘤の治療を受ける患者は、すべて脳ドックで見つかっている訳ではない。むしろそれ以外のケースが多い。それ以外とは、たとえば
「頭痛」が心配でMRIを撮ってほしいと患者が希望してきた、別の比較的軽い脳卒中で治療中に偶然見つかった、外傷や腫瘍など他の病気で精査中に偶然見つかった、などである。
脳ドックがなくなったとしても「未破裂脳動脈瘤」の患者は無くならない。14万
「本音を書くと、欧米の脳外科医と同じくらい収入が欲しいです(あちらでは、22年目のベテランなら病院勤務医でも通常3,4000万の年収で多い人は一億円ぐらいもらっているはずです)」
は、語るに落ちるの好例。欧米での22年のベテラン医師は、その価値が日本と比較にならないほど(平均値として)高い。日本では殆どのダメ医者が資格を剥奪されることなく”育てられる”ので、時が経つに連れ見せかけのベテランになれる。医療ミスリピーターも滅多なことでは資格を失わないが、そうさせているのが医師の集まり、医師会だ。ダメ医者がどんどん首にされ淘汰される欧米とは環境が違う。つまり欧米は(例外があるのはやむを得ないにしても)少数精鋭であり、技術・経験の当然の報酬として高給なのだ。戯言は、患者の利益ためにダメ医者を切り捨てる仕組みを確立してからにして欲しい。
確かに世の中には「だめ医者」もいるであろう。「だめ教師」もいるし「だめ議員」もいるであろう。何の世界にも「なんでこいつがこの仕事をしているんだ」という人はいるのであろう。ただし、私の仕事は脳神経外科医です。公衆衛生医でも厚生労働省の役人でもない。「仕組みを確立」するのは私の仕事ではない。
他の領域はいざしらず、脳神経外科は日本でも高度な専門知識と技術を要求される特殊な領域です。
これも語るに落ちるの好例だ。頭蓋骨を外し、人体の中でもとりわけ入り組んだ中で血管を切り張りする現場を想像すれば素人でも容易に想像できるが、相当の確率で事故が起こり死者が出る。手術による死亡率が1%以下に収まるとはとても思えない。balaine氏が仮定するように手術を受けるのは動脈瘤破裂の危険性のない人が大部分となるから、事故の被害者も殆ど「危険性の無かった人」であることは疑いない。「何もせず観察する」ことに耐えられない(というのはもちろん言い訳だが)が故に、「死ななくても済む人をを殺す」リスクを犯しているのだ。このことはbalaine氏も知っていて、救う方のことだけをコメントしている。
「素人の想像」など参考にもならない。
プロはプロ。あなたに銀座の名店のような寿司が握れるか、といっているのと同じ。名人はさらりというだろう。「修業すれば誰でもできますよ」と。
「手術の死亡率が1%以下に収まるとはとても思えない」
感想にすぎない。どこに根拠があるのか。
私は、すくなくとも自分が執刀した脳神経外科疾患で、「手術による死亡」は0である。当然、未破裂脳動脈瘤の死亡率も0である。
馬鹿にしないでもらいたい。
他にもいろいろ反論すべき事があるがキリがないので一つだけ・・・「欧米の脳神経外科医はほとんど朝から晩まで手術しかしていません」とある。日本の脳外科医は他にもいろいろすることがあり、貢献しているので人数が多くて当然と云うことらしいが、本末転倒に近い。読んで字の如く「脳外科医」がすべき事は明らかだ。欧米の脳神経外科医の状態が正しいのは論を待たない。頭痛の診断や対処など拒否する気があれば止められることだ。殆ど全ての領域でそうだが、供給過剰は必ず不必要な仕事を作り出す!脳ドックはそうではないと云うなら、それを証明して欲しいものだが、それは出来ないと云う・・・。「欧米の脳外科医のように振る舞いたい」という意志があるならそうして欲しいものだ!それが出来ないのは、やはり生活の安定を考えてのことだと推測するが如何?
「欧米の脳神経外科医の状態が正しいのは論を待たない。」
その根拠は?脳神経外科医は、neuroscienceに基づいて外科的治療もできる脳の専門家のことです。普通の人は「外科医」というと切った貼ったのメスをもつ者という考えがあるだろうが、我々はそんな野蛮な者ではない。内科的知識を当然もって全身が管理できる医者なのである。この論理だと「脳外科医はだまって頭だけ開いていればいいのだ」と言う感じであるが、neuroscienceがわからない人間が頭を開いてはいけないのだ。そんなことも知らない素人からこんは反論を受けるとは。厚顔無恥ということだろう。
脳卒中の患者を診た事がない、近親者にくも膜下出血に倒れた方や亡くなられた方がいない、脳神経外科医と会った事がない。働いている現場を見た事が無い、要するに本とかデータとかだけをみて、「人」をみないで解釈、講釈をしている人
幸せな人なのだろう。多分、自分の回りや家族に脳卒中で苦しんでいる人やくも膜下出血で亡くなった人、後遺症に苦しんでいる人がいないので、脳卒中になった患者がどんなに大変で、脳外科医がどんなに忙しく診療に当たっているか診た事もないのであろう。経験もないのに批判する。人のふんどしで相撲を取るとはこういう事なのではないだろうか?
データや本など活字になっているものが、「どういう意味を持つか」を理性的に科学的に分析解釈することが大事。
自分の直感や人の話しに惑わされている
自らの足で調べ歩いたり実際の現場を見た事が無いと思われる。
病院の総合受付に、「頭が痛いので診てもらいたい。脳卒中が心配だ。」と来た人を断れというのか?「脳外科で診てほしい」と言う人を拒否せよというのか。そうできるのならその方法を教えてほしい。
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