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2005年5月

2005.05.31

シャントの効果

5/17「種々の話題」のところで、私が手術した当院の脳動脈瘤の成績を少し書いた。その中で、Hunt & Kosnikグレードの3またそれより良い患者さんで自宅に帰れなかった人が一人だけいる、と書いた。当時78才。クリッピングの手術は大過なく、脳室ドレナージを入れている間は会話も出来ていたが、ドレナージを抜いた後やはり「正常圧水頭症」になり脳室腹腔シャント術をした、一度、シャントの管が詰まって水頭症が悪化し、シャント手術の再建(入れ直し)をした。その後、目は開けているがボーッとしたままで反応が乏しく、口から食べていたご飯も全く食べなくなり、結局胃管から流動食を注入することになった、家族である子供もそれぞれ独立しており引き取れないという事で、胃ろうを増設してそこから流動食を注入しその他ほぼ全介助の状態で自宅近くの療養型の病院へ転院した。シャントがなぜ効果をあらわさなかったのか疑問もあったが(外から圧を変更できるシステムだったので、10→8→5→3cm H20と変えてみた)、造影テストでは管は通っていたし、78才で耳が遠いということで痴呆が悪化したのか、という結論であった、
 5/17の記事で思い出した訳ではないが、転院していた病院からお腹のシャントチューブを入れた傷が化膿しているという報告があり、すぐに緊急転院してもらった。皮膚が薄くなり管が見えていた。頭からお腹まで入れていたチューブをすべて取り除いて皮膚を消毒して縫い直し、管はすぐに入れずに1週間おいたところ炎症は治癒したので、シャントを入れ直した(この人にとっては3回目)。
それから1週間程経つ。水頭症がCTの形の上でも少し改善して意識状態も改善している。まったく喋らなかったのに会話が少し可能である。補聴器をつけたせいもあるが、大きな声で呼んでもボーッとしているだけだったのに、会話ができるようになってきた。私の事を知っているか?と問うと、小さな声で
「わかるよ、、、」
と答えた。ずーっとシャント機能不全だったという事か。。。
このままの調子なら口から食事も出来そうである。リハビリを今日から開始する。自宅に歩いて帰れるかもしれない。79才であるし、半年以上寝たきりだったのだから厳しいかもしれないが。もっとよくしたい!もっとよくなって欲しい!たくさん欲が出た。シャントの効果が期待される。
ーーー
昨日の記事に頂いたコメントの中にインドの医療事情の事が少し触れられていた。
同じような環境に隣国のバングラデシュがある。そこから脳外科を学びに来ていた医師を世話した事がある(大学で医局長をしていた時)。彼自身は普通の身分らしい。奥さんはゼネコンの社長令嬢でこの人も医師。結婚式は奥さんの出身地と彼の出身地で3日3晩連続してお祝いしたと聞いた。医師になるにもお金がかかるのでなかなか身分の低い低所得層から医師になれる人はいない。バングラデシュは多くの人が貧しい。医療サービスを受けられる機会は少ない。脳外科医はほとんどいない。いても手術器械がない。手術用顕微鏡がないのである。だから日本で我々がおこなっているような、1mm以下の精度でおこなっている繊細な手術なんてバングラデシュには存在しない。手術顕微鏡があっても使える人がいない。日本と同じくらいの人口1億人が暮らす国に、当時(4年前)MRIが2台しかないとも聞いた。
くも膜下出血になったらどうするのか?と聞いたことがある。
お金持ちはシンガポールに行く。インドに行く人もいる。たいていは病院で寝かせておくだけ。何割かが死亡する。何割かが寝たきりになる(バングラデシュではそのまま死亡する事に等しい)。何割かが障害を残して退院する。そんな感じなのだそうだ。戦前の日本のようである。(日本で「脳神経外科」という診療科ができたのが昭和30年代。法的に診療科として認められたのは昭和40年の医療法からである)
シンガポールに行く、といっても飛行機で行かなければならないから、飛行機に乗れるくらい軽症か元気になってからしか行けない。だから、バングラデシュには「急性期」の脳卒中手術というのは存在しない。進んだ日本の脳神経外科医療を学ぼうとそういったアジアの国々がらも留学する医師が増えている。
 だから日本の医療制度がいい、とは思わない。おかしな点、矛盾するところ、一杯ある。一番良くないのは、厚生労働省や医療行政に携わる上の方の人達に、長期を見通すビジョンが欠けているか、あってもそれを実行する行動力がないのではないかと思われる。戦後の混乱期に出来た現行の国民皆保険制度を見直す必要がある(既に破綻しているのだから制度がおかしいのである)、出来高払い保険点数を見直す必要がある(治療が上手く行かずに薬をたくさん使った方がササッと治した方よりもたくさん稼げるというおかしな制度)、医師の能力や経験に応じた医療費請求を考える必要がある(どんな立場のどんな実力の医師であるかによらず、同じ診断名、同じ手術名なら同じ料金という制度は変)、家庭医、総合内科医など総合力の高いプライマリーケアの出来る医師を養成する必要がある(脳外科など本来専門性の高い医師まで家庭医のようなことをやらざるを得ないのが現状)、医療費を抑制する事ばかり考えず不必要な部分と必要な部分の差別化をきちんとするべきである(差別化せずにみんな仲良くやりましょうというのが従来の日本の手法、無駄なところは省いて捨ててもよい、しかし最新鋭の医療機器や治療手段が導入され安全性と確実性が向上して進歩している医療が「安く」なるはずがない、国民が長寿と健康を求める以上は医療費は膨れ上がるものだという正しい認識が必要)などなど。
 破綻している国民皆保険制度をむりやり存続させて(この制度にもいいところはあり世界に誇れる部分もあることはある)膨れ上がる医療費を押さえつける事ばかり考えているのが役人。机上の空論とはこのこと。その役人が何かの病気で入院したりしたら、最新式の器械で検査をして欲しいと思う訳だし、必要のないと思われる検査まで「入院したついでに診てもらいたい」などと言う事が多いし、治ったようですし症状がないから退院しなさい、といわれても「もう少し入院させて欲しい」と無駄な医療費を使うのは間違いない。人間、自分は可愛い。
ーー
タイトルから離れてしまったが、日本ではCTもMRIも全国津々浦々まで揃っているし、脳外科医は離島以外にはだいたいいるし、脳の手術が緊急で受けられる病院が車で一時間の範囲にない、という地域はごくごく稀だと思われる。シャント手術だって管が何種類も選択可能で、世界中の道具、器械、治療法が医師の裁量によって自由に選択できる、良い国なのである。

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2005.05.30

慢性硬膜下血腫

「硬膜」というのは、脳を包んでいる3枚の膜の中で一番外側にあり一番強い膜である。脳側から順に、「軟膜」「くも膜」「硬膜」と脳を包んでいて、その外側は頭蓋骨である。骨の外には更に「骨膜」「筋肉または帽状腱膜」「皮下脂肪」「皮膚」「頭髪」と言う順に、脳を守るために幾層もの構造で囲まれている。
 硬膜は、手術の際にはハサミかメスで切らないと開かないくらい「硬い」。軟膜は不用意に押すだけで破れるくらい「軟らかい」。くも膜は蜘蛛が脳の隙間に膜を張巡らせたように細い糸状の繊維と膜状の構造で、血管や神経をぐらつかないように固定している。それぞれに役割がある。
 硬膜の下は脳の直接表面ではなく、くも膜の上になる。「くも膜下出血」という言葉はあるが「くも膜上出血」という言葉はない。その部に血が出た場合は、「硬膜下出血」「硬膜下血腫」と呼ばれる。
交通事故などで意識障害が起こって緊急に運ばれてくる患者さんや、高いところから転落して頭を打ったとか、スノーボードで転倒して意識を失い吐いた、というような患者さんの多くが「急性硬膜下血腫」である。「硬膜外」といって骨と硬膜の間の出血のこともあるが、急性硬膜下血腫の方が重症の事が多い。脳が圧迫されていて意識障害があったり、意識の低下が進行しているようなら「大」緊急手術だ。要するに有無を言わせずすぐに大きく開頭して血腫を取り除くのである。10分単位で手術が遅れるとそれだけ命の危険があるので、ムンテラしながら傍で患者さんの髪を剃り採血をして、、、というように無駄のない迅速な判断と行動が要求される。
 一方、タイトルの「慢性」の場合、5/16の記事にも書いたように治療可能な痴呆の一つにもあげられるような病気(怪我)であるので、「急性」とはまったく様相が違う。しかしCTに表れる血腫の形や脳を圧迫している形などは似ている。「慢性」の場合は、お年を召した酒好きの男性に多い。「男性」というのは多少偏見かもしれないが、実際臨床では男性が多い。年をとると脳の表面に隙間が多くなる。正しくは、脳溝という隙間が広がって脳表と骨の間に(硬膜下とくも膜下の空洞)に脳脊髄液の溜まったスペースが出来やすい。こういう人が、ちょっと酔っぱらって尻餅をついたり、壁に頭をコツンとやったりというくらいの軽微な外傷で起こるのである。本人も忘れているくらいの軽症の打撲でも起こってくる事がある。脳表の隙間にチョロっと出血してそれが吸収されずに残って表面にオブラートのような膜を作り、脳脊髄液と血液の両方が混ざったような液体が少しずつ溜まっていくのである。
 だから、「急性硬膜下血腫」は血液そのものが固まった、赤またはどす黒い血腫であるが、「慢性硬膜下血腫」はお醤油を水で薄めたような、黒褐色、薄い茶褐色、赤みを帯びた醤油色のさらさらした液体である。空気に触れるようにおいていても決して固まらずいつまでもサラサラしている。症状は、血腫が溜まって脳を圧迫しているところによって多少違うが、半側運動麻痺や言語障害も出るが、ぼけ症状とか失禁とか食事をしてもぼろぼろこぼすとか、そう言ったものがみられる。もちろん頭痛や吐き気、嘔吐なども出るが、「なんか最近おじいちゃん元気ないし食欲もないと思ったらご飯ボロボロこぼして」と思っていたら、「あらら、おじいちゃん、お漏らしちゃったよ〜」「なんかトイレに行くのに足引きずってるみたい」なんて言う感じになってくる。そしてボンヤリして家族の事もよくわからなかったり物忘れが多くなってくるのである。「慢性」の血腫なので、局所を圧迫して障害を出すだけではなく、頭蓋内全体の圧を少しずつ上昇させこのため脳全体の働きが低下してボンヤリ、物忘れ、失禁などという「痴呆」様の症状が出現してくるのである。
 「急性」と違って慢性硬膜下血腫では、局所麻酔だけで小さな傷で一円玉くらいの孔を頭蓋骨に開けて、そこkら軟らかい管を差し込んで暖かい生理食塩水で洗浄する。血腫の溜まった空洞は、オブラートのような薄い膜に囲まれていて(これを新生膜=neomembraneという)、この膜を切ると醤油を薄めたような血腫がサラサラと流れ出してくるが、それだけでは全部とれないので生食で洗浄するのである。これを数十分続けてたまった血腫が薄くなってほとんど水に少し醤油が混じったくらいの透明な感じになったら、管を穴の中(硬膜下腔、つまり骨の下)において皮膚を通して外に出し傷を縫って手術を終了する。血腫の濃さや手術のやり方によるが30分から60分で終わる手術である。
 そして、患者さんは半日もすれば速やかに回復する事が多い。もちろん80,90才という超高齢の場合、脳の可塑性と言って、血腫を取り除いた後も元に戻る力が弱いため症状の回復が遅れることもあるが、局所麻酔の一時間足らずの脳外科的には簡単と言える手術で、ボケ症状、運動麻痺、頭痛などが治るのである。
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今日の手術は、この慢性硬膜下血腫であった。ただしこの方は、2週間以上前に自宅で転倒して10程前に受診、CTで薄い「亜急性」硬膜下血腫を認めていた。これが少しずつ「慢性」硬膜下血腫に変化して来たものである。止血剤や抗脳浮腫剤などを点滴していたが、だんだん元気がなくなってしゃべらなくなり阪神運動麻痺も出て来ていた。数日前から食事も摂らなくなった。ただ、CT上は、まだ「慢性」硬膜下血腫ができつつある過程であって完成していないので、様子を見ていたのだが、ここ二日程反応が鈍くなり進行性であったので、本日手術となった。硬膜の下に、薄く白っぽい膜が存在した。間違いなく「慢性」硬膜下血腫であった。血腫は水で薄めたうす〜い茶色で、まだまだこれから濃い血腫になるような印象であった。管を挿入して置いて来たが、再貯留(一度とれた血腫がまた溜まる事)が懸念される。こういうタイプは再発(再貯留)をみる事がある。うまくいってくれればいいのだが。

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2005.05.29

反論の続きv(^^):啓蒙へ

先日来の「脳ドックは失業対策」と書いているアレである。もう他人の批判はいい加減にしようとは思うが、脳神経外科医の一人として誤った情報を公然と流しているのを見逃す訳には行かない。
また、少し書き換えてあった。今度はこうだ。
『まず患者数がどんどん増えているというのは誤りだろう。恐らく年齢調整前の実数のことを云っていると推測する。』
なぜ『〜だろう。」なのだろう?自信がないのか?データを調べていないのだろうか?
せっかく、日本脳卒中協会のサイトで公開しているデータを教えてあげたのにもかかわらず、古い、持論を展開するのに都合のいい数字を選んで表を作っている。私が言っている患者数は当然「実数」のことだ。「おそらく年齢調整前の実数の事を言っていると推測する」などという表現も詭弁的である。人口統計上の年齢調整をした統計値を論じているのではなく、実際に目の前にいる患者さん、救急車で運ばれてくる患者さんの話しをしているのだ。
彼の載せている数字は平成8年と11年。今から9年前と6年前の古い数字。しかも「疾患受療率」であって、「実数」ではない。受療率が下がったということは患者が減ったことだと思っているのだろうか?
平成14年の脳卒中患者数は137万人。毎年新たに50万人の脳卒中患者が発生していると昨日講演した内○教授も言っていた。脳卒中による死亡数は平成14年は約13万人。しかし去年脳卒中だった人は今年も脳卒中の患者である。5年前に脳卒中になった人は、今も脳卒中患者である。
脳卒中という病気は、一度なれば、症状が軽快したとしても「治癒」という事がほとんどない病気なのだ。だから患者の発生数や受療率が減ったとしても、死なない患者(平成14年だけでみても概算で137-13=124万人ということになる)が残っている以上、毎年脳卒中の患者は増えていっているのだ。その証拠に私の外来では、なんとか患者を減らそうと、慢性期の脳卒中の患者は近くの開業医に紹介したり、1ヶ月に1回の外来を二ヶ月に1回にしている。外来患者数を「減らそう」という努力をしないと、患者が増え続けて他の業務(病棟、救急、手術、検査)に支障を来すくらいなのだ。
彼のサイトには、
『脳卒中死亡率が減ることは即ち本当の患者が減っていることに他ならない。』
とまで書いてある。「本当の患者」って何だろう?よくわからない文章だ。
教えてあげましょう。脳卒中患者数というのも、実は推計値であって、実際はもっと多いはずなのである。カラクリはこうだ。国としては一つ一つの医療機関を受診する患者の数など完全には把握できない。都道府県の保健衛生にかかわる部署で、「脳卒中患者登録事業」をやっているところもあるが、たとえば脳外科も神経内科もない病院でも「脳梗塞」の受診や入院はある。しかし、それらの患者は登録事業から外れている可能性がある。報告は義務づけられてはいない。患者が発生したら登録の紙を書いて事務を通して県などに提出するが、脳梗塞の治療などにあまり興味のない熱心でない医師などは、提出を怠る事がある。以前私が勤めたことのある、脳神経外科のある総合病院では。昔からの取り決めでCTをとって出血がなければ「内科」が診る事になっていた。内科の先生は型通りの脳梗塞の治療はするが、最新の治療であるとか脳卒中撲滅とか「脳卒中登録事業」にあまり積極的ではない。他にする仕事がたくさんあるからだ。しかし、脳外科医も2名しかおらず、周辺の脳外科のない病院からは脳卒中の患者がどんどん送られてくるので、内科で診ている患者をすべて脳外科で引き受けるのは(本当はそうした方が患者さんのためなのだが)、脳外科医にとって自殺行為に等しい。過剰な労働を更に過剰にする事になるからだ。よって、年間に数十名以上の単位であらたな脳梗塞の患者の登録が漏れていたといえる。全国的にも、田舎に行けばそういうところはあると思う。だから平成14年に137万人という「実数」も、全国にそれだけ登録された患者がいた、というだけで、本当はもっと多いはずなのである。
 また死亡数といっても、先日「死亡診断書」の書き方について述べたごとく、「脳梗塞」が原因と思われる身体の不調で亡くなられた場合(肺炎や心不全が死因であっても)、死亡原因は「脳梗塞」である。だから発症数日という急性期から1ヶ月の慢性期はもちろん、発症が5年とか10年という「超」慢性期であっても、脳梗塞が死亡原因という診断はくだされる。そういった、超急性期から超慢性期のうち、脳外科の手術が関与するのは超急性期から亜急性期くらいの時期である。脳外科医の治療で命が救われても、手足の麻痺などがあり、そのままその患者さんが元気で年をとると筋力が落ちて、歩いていた人が歩けなくなり寝たきりになり(寝たきりの原因は脳卒中となる)、そして死亡すると脳卒中が原因で死亡した事になる。そういう数も「死亡数」には入っているのだということを認識している発言とは思われない。
 はっきり言おう。「啓蒙活動」はいい。医療現場を批判するのもいい。おかしな医者も確かにいる。しかし、現場を知らない医療の素人で、統計値の見方やデータの正しい解釈を勉強していないのなら、これ以上自己流の判断を公開して一般市民に誤った判断をさせるような文章の書き方はやめた方がいいと思う。「オオカミ少年」みたいに、そのうち誰からも相手にされなくなってしまいますよ。

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今日も日直なり

私は院内の医師の中では、年齢で言うと中堅の上のほうなので、平日の夜間の宿直は免除されている。そのかわり、土日祝祭日の日直は月に1、2回のペースで回ってくる。先日したばかりだと思っていたが今日も日直だ。
 今、当院では、内科系と外科系の医師2名で全館日直、宿直にあたっているので、救急車が連続して来たようなバタバタした状況でない限り、前半と後半に分けている。今日は私が後半。午後12時半から17時まで。救急外来は、急患が来なければ暇。今、3名の診察をしてX線撮影や頭部CTのオーダーをし出来上がるのを待っている。
 前半は、院内で待機していれば良かったのでその間にHCUと2つの病棟を回診した。そう、今は、ICUに患者がいない。重症の入院が少なかったとこと、重症だった患者が改善して一般病棟に移動した事、などから脳外科は0になっている。心筋梗塞を中心に、循環器内科と心臓外科の患者が占めている。「脳外科祭りですね?!」とICUの看護師に言われた時から4週間経って、一日待って手術したくも膜下出血の70才代の女性は明日退院である。後遺症はまったくない。出血が少なくグレードが2と軽かった事が幸いであった。その人の一日前に手術した50才代の人は、術後手術側の目が失明している。眼科に診てもらったところ眼底出血と硝子体出血ということで、くも膜下出血に時々合併する目の中の出血だと思うが、術後しばらくその目の回りが腫れていて眼圧(眼窩圧)が高かったので手術そのものに原因がないのか反省しなければ行けない。この失明がなければもっと早く活動を開始していたはずなので、今まだ少しボンヤリしているのはそれも一因かもしれない。でも、あと1、2週のうちに自宅独歩退院である。運動麻痺などは全くない。
 言語障害が出ていたくも膜下出血の患者さんも、笑顔を見せてかなりスムーズにしゃべるようになった。言語療法士からOKが出れば退院である。
ーー
 今日は日中は50名弱の急患数。救急車が5台。救急車搬入患者数8名。入院2名。比較的平和な救急外来であった。サッカーやバスケなどの試合中の外傷と頭痛患者の緊急受診が目立ったがほとんどたいした事はなく帰宅した。この中には、平日に来れば?という人もいるし、「CTを撮って欲しい」と言われたから撮ったけれど、脳外科医である私が診察した上では、必ずしも緊急CTは必要なかったんではないか?という人もいた。こういう人達が日本の医療保険制度を破綻させている一端を担っているのだ。しかし病院の日直、宿直医としては、救急外来を受診した患者や家族の要望のあった検査を、「不要だ!」として撮らずに後日万が一それが間違いであったり、その時は正しくても後日本当にくも膜下出血で倒れたりした時に、「あの時、急患室で診た医者が悪い」「CTを撮ってと頼んだのに、いらない、といって撮らなかったから具合が悪くなったんだ」と訴えてこられたら、当直医の立場はかなり不利である。結局、病院や自分を守る意味でも「不要かな?」と思うCTを撮ったりする事があるのである。「脳ドック不要論」よりも、こういった問題を論じて欲しいものである。
 先日行われた病院の「経営改善会議」では、未収金の問題があがっていた。つまり医療を受けたのに金を払わない患者が相当いるのだ。特に、一回だけ急患室に来た患者に多いらしい。督促状を何度も出しても払わない。なしのつぶて。その額は、積もり積もって数千万円になっているとのこと。こういう事が全国で起こっていると思う。それなのに、マスコミは医者や病院だけ叩く。どうして、不条理な、非常識な患者の事は叩かないのだろうか(答えは、その方が新聞や雑誌が売れるから、とわかってはいるのですが)。

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2005.05.28

脳卒中週間

5/25からの一週間は、日本脳卒中協会が定める「脳卒中週間」。
今日はY市で『脳卒中市民シンポジウム』が開催された。地元大学の循環器内科、神経放射線科、脳外科の医師と東○女○医大の神経内科医が講演を行った。あの長○茂○氏の主治医で時の人となった内○教授である。御本人が自己紹介を兼ねて話していたので公開して差し支えない話しだと思うが、内○教授の御子息はこの春私の母校でもある山○大学の医学部を卒業したのでY市に縁が無い訳ではない。
各先生の話しは、一般市民が対象なので平易な言葉で解りやすく解説された。御本人自身が脳卒中後遺症に苦しんでおられる協会副理事長が開会のお話しをされ、続いて平成16年度の脳卒中体験記の中から優秀賞の2編が女性アナウンサーの朗読で紹介された。会場はほぼ満席で熱心にメモを取る人の姿が目立った。
後半は消防庁救急救助課、現場の救急隊員、大学病院医師、開業医などを交えてうちの教授を座長にパネルディスカッションが行われた。
これらの構成企画はうちの教授を中心に脳外科医が実行したものである。市民啓蒙活動も大事な脳外科医の仕事なのだ。日本脳卒中協会のHPにも掲載されている「脳卒中予防十か条」を書いておこう。
1 手始めに「高血圧」から治しましょう
2 「糖尿病」放っておいたら悔い残る
3 「不整脈」見つかり次第すぐ受診
4 予防には「タバコ」を止める意志を持て
5 「アルコール」控えめは薬過ぎれば毒
6 高すぎる「コレステロール」も見逃すな
7 お食事の「塩分・脂肪」控えめに
8 体力に合った「運動」続けよう
9 万病の引き金になる「太りすぎ」
10 「脳卒中」起きたらすぐに病院へ

これを逆説的に理解させるために、世の中には「亭主を早死にさせる十か条」というのを作って啓蒙活動に使っておられるユーモア溢れる医師もいる。亭主を早死にさせたかったら「塩分・脂肪たっぷりの食事を食べさせ続けろ」、とか「お酒をどんどん呑ませましょう」とかいうもの。
「生活習慣病」は普段の食生活が関与する面が大きい。成人男性で食事を自ら作っている人は少ないだろう。家族の食事を作るのは、普通は「主婦」の仕事。だから「主婦」の啓蒙、自覚が必要なのである。家族の健康を管理するのは、妻、母のつとめともいえるのではないだろうか。
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記事を携帯電話からアップしたおいたが、時間が5/28も終わる23時台後半であったため、確認メールが返信されてきたのが日付の変わった5/29になってしまった。今日初めてわかったのだが、「記事編集」のところで公開する「日時」が変更できるので5/28に戻しておく。ついでに少し追加した。
しかし、これじゃ、(記録は残っているとしても)後から日付を変更して「ブログを始めたのは3年前です」なんて裏技(嘘ともいう)ができちゃうのかな?ブログは自分が自分のために書いているところがあるから、そんなことをしても虚しいだろう。日記を書いていて抜けた日付があっても、その日のうちに書けなければ「日記」としては空けておくのが正しいだろうな。

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2005.05.27

退院おめでとう!

今日、明日で4名程退院される。来週も退院が続く(それでも脳外科のベッド稼働率は100%を超えているが)。
元気になって「お世話になりました。ありがとう。」とお辞儀されると気分がいいものだ。
お辞儀が気分を良くするのではなく、お辞儀が出来る位元気になった患者さんから感謝された、という事がうれしい。
そういえば、あの「祭り」と言われた連休直前の週からもう1ヶ月が過ぎた。
立て続けに来られたくも膜下出血の3名のうち、一人は無症状で退院が決まった。一人は、硬膜下に水腫というか、少し脳を圧迫する所見があり、ぼんやりしているのでもう少し入院である。あと一人は、左のシルヴィウス裂を圧迫したためか、temporary clipを20分以上かけていたためか、まだ言葉がたどたどしく言語リハビリをおこなっている。MRIでは小さな虚血巣が散在している(血管攣縮のせいであろう)が運動麻痺も記憶障害もない。言語リハがすすめば自宅退院だ。
 V-P shuntをした椎骨動脈解離性脳動脈瘤の患者は、まだ水頭症の症状が改善しない。脳室拡大は改善したが、今度は脳室が小さくなってときどき幻覚のような症状を訴えたり作話的なことがあるので、シャントシステムの圧調整バルブを体外から器械を使って8→10→12→14cmH20とあげてきている。シャントが効きすぎてオーバードレナージになっている恐れもある。予想より回復が遅れていて心配ではある。なんとか水頭症の状態が正常化して欲しい。そうすれば、くも膜下出血は後頭蓋窩だったのでぼけ症状や運動麻痺も後遺症として残らないはずである。多少のふらつき位は残るかもしれないが、元気に独歩自宅退院できるはず。少しくらい時間がかかってもなるだけ早く回復して欲しい。考えてみれば、この方は、救急車で搬入された時は、意識がJCS200-300で血圧が70くらい、呼吸も休止性で、挿管して人工呼吸器につなぎ昇圧剤を使いながらICUで治療したのだった。Hunt & Kosnik grade Vである。よくぞここまで!という感慨もあるが、ここまで来たのならもっとよくなれ!という期待の方が大きい。
 もう二頑張りくらいですよ。
 Mac使いがWindows使いにならざるを得なかったDVD編集もうまく出来た。D→A変換がないので、ファイルをMPEG圧縮する以外には画質の劣化もなく、とても綺麗に出来た。これからは、手術顕微鏡の映像もずっとDVDで録画していこう(2ヶ月前からやってはいたが、編集はしていなかった、、、)。

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2005.05.26

またまたはんろ〜ん(^^)

あの、「脳ドックは失業対策」という、真面目な脳外科医にとっては侮辱ともとれるサイト。時々見ると少しずつ内容が変わっている。おそらくここでの私の意見にも反応されているのだろう。あちらに「異論、反論、オブジェクション!」する場所が用意されていないので、今日もここに少し反論(冷静に、冷静に、、、v(^^))。

『しかしこれも、脳ドックがいつから始まりどのように増え、利用者数がどうだったかと時間軸に列べて突き合わせれば事実でないことが分かる。そもそも公衆衛生、予防医学は、罹病率、患者数を減らすためのものでなくてはならない。これらの主張は、胃ガンや子宮ガンの例と全く同じ我田引水の主張だ。』

う〜ん、何を言いたいのかな〜?確かに予防医学は疾病を予防しその結果患者数や罹病率を減少させ、国民の健康を増進するのが目的である。しかし、この方は、「人間が生き物だ」ということをご存じないようである。生き物は必ず死ぬのである。事故にでも会わない限り、結局は何らかの病気になるのである。それが1960年代頃までは日本人の死因の上位を「感染症」が占めていた。結核、肺炎そういったものが「死因」だったのだ。しかし公衆衛生、抗生物質、医療の機会均等(昔は、田畑や娘を売って医療を受けざるをえない時代もあった)などによって、感染症は「治癒」する疾患となり、結核で命を落とす人はむしろ稀になった。平均寿命が50才代から、60、70、そしてついに80才代にまで伸びた。でも感染症で命を落とす人が減ったので(年寄りが増えた)、脳卒中、心筋梗塞などの動脈硬化(=すなわち血管の老化)に大きくかかわる疾患が増えた。ガンのような、自分の細胞が制御を失って暴れだす、これも老化が発症のメカニズムに関与する、病気が増えてきた。
 つまり、国民が衛生的で健康を保ち長生きすればするほど、現在の予防医学レベルでは予防できない「老化現象」によって発症機会が増える病気、ガン、脳卒中、心疾患(以上日本人の3大死因)がどんどん増えるのである。胃がんの死亡率が減少したのは自然現象ではない。脳出血の発症数が減少したのは自然現象ではない。減塩、欧米型の食生活、寒冷への対策などが大きな要素である。ではガン全体の数が減っているのかというと、たとえ胃がんが減っても肺がんが増えている。人間が老いていく過程で細胞を正常に保つ機構が故障して細胞のガン化が起こってくるのだから、いくら予防医学や、外科手術を進歩させても患者はいまのところ減らないのだ(死亡率は減らせるかもしれないけど)。団塊の世代が老人になってくると、ますます脳卒中の患者数は増える事が予想される。その後、日本人の人口が減少すれば脳卒中患者数も減少していく可能性はある。
 予防医学が発達すればすべての病が世の中から消えるのだろうか?人間は生き物だから必ず老化し病気になり死ぬ運命なのである。それをわからずして、統計の数字とか言葉だけで論じても仕方がないのだが(正しい知識を持って解釈すればもちろん数字で十分論じる事は出来ますよ)。
ま、いっか、、、

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2005.05.25

きのうと今日

昨日の夜はベッドに入った時間は0、眠った時間は合計2時間くらい、で朝から外来だったので辛かった。
 昨日、早朝に内科に入院中のネフローゼの患者さんが、脳出血、脳室内出血、急性水頭症で危険な状態になったので、脳外科に転科の上、両側脳室ドレナージ術を行った。ネフローゼのため凝固線溶系に異常を来していたためか、脳室内に刺入した柔らかいドレナージチューブの先端はすぐに血腫で詰まった。注射器を使って生理食塩水で洗浄を試みると、赤い血液の塊が引けてきて、注射器をチューブから外すとよく伸びるガムかお餅を引っ張った時みたいに、その血餅はビヨ〜〜ンと伸びた。明らかに普通じゃない事が頭の中で起きている。
 何とか助けたかったが、夕方には両側の瞳孔が開き、夜には挿管して人工呼吸器に接続し、深夜にそれまで高かった血圧が下がり始め降圧剤の持続点滴を中止せざるを得なくなり、3時頃から急速に血圧が低下して間もなく徐脈になり、4時過ぎに心臓が停止した。
 私よりも若い方であった。小学生の女の子と男の子が涙をこらえながら「おとうさん」と呼びかけているのを、それを見てそれまで毅然と振る舞っていらしたおじいちゃん(患者の父上)が目を押さえているのをみて、私もグッときてしまった。いろいろあって、早朝6時にお見送りした。家に帰ってシャワーを浴び着替えたらもう7時だったのでそのまま起きている。
ーー
 今日の外来に、なんと「脳ドック」で発見されたという「聴神経腫瘍」の方が紹介されてきた。どこかで聞いたような話しである。MRIでは、直径3cm以上で脳幹を圧迫し、腫瘍内部は液状袋状で造影される部分が少なく、聴力は既に実用を失っている。ガンマナイフよりも手術治療の適応と思われるが、もう少し検査をしてから何度か患者さんと相談して決めていきたい。でも本日会話した感じでは「ここでできるんですよね?先生にやっていただけるんですよね?」という事であった。液状袋状の腫瘍の場合、顔面神経の同定が問題となる事が多い。十分なICが必要である。
 2時過ぎの遅い昼食(兼朝食)をとって医局のレターボックスを見たら、当院で亡くなられた患者さんの奥さんから「無事に納骨が終わりました」との書状が届いていた。なかなか亡くなられた患者さんの家族が医師に手紙などくれる事はないと思うが、この方は律儀な方なのだろう。ありがたいと同時に救ってあげられなかったことを(たとえ医学的には無理な事としても)反省しなければいけないと思った。
 明日は地元の脳外科医が集まった小さな勉強会。私がこの半年間に経験した2例の椎骨動脈解離性動脈瘤破裂に対する手術について検討する予定。今までマック使いであったが、DVD videoの映像編集でWindows使いを余儀なくされている。どうもWindows系パソコンの「ださい」デザインがなじめない。

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2005.05.24

広い視野を持つ事

 私はこのブログを医師の立場で、脳外科医の立場で書いている。だから私の視点にも偏りはあるだろうし、思い込みや勘違いもあるかもしれない。しかし、事実を解釈するにあたって出来る限り偏見を持たないように、リベラルな考え方をしようと心がけているつもりだ。広い視野を持つ事。

 先日紹介した、「加筆訂正」した、という件。たくさん反論したい事があったが、冷静に考えてみると、あの方の意見というか書き方は、本当に先日の「抗日デモ」を思い起こさせる事に気がついた。中国の人は、一人一人は決しておかしな人ではない。中国人の脳外科医や中国人のチェロ弾きやプロの演奏家を知っているが皆知的で素敵な人達ばかりである。何故、上海であんなに激しい「抗議行動」という名の下の暴挙(破壊行動)などが起きたのか。様々な要素がある。でも一つ確実な事は、中国では日本が第二次世界大戦中、中国を侵略し人民を惨殺した歴史を学校教育で詳しく教えているということ。しかし、その背景やその他の機会にあった人民抑圧などは教えていない可能性が高い事が伺い知れる。戦争中の帝国陸軍を中心とする旧大日本帝国はあきらかに間違っている。誤った行動、行為をいろんなところでたくさんしている。「戦争なんだから」と言い訳してはいけない。しかし、旧日本軍に強制されたかどうかは知らないが、当時の中国人そのものが人民虐殺や略奪にもかかわっているし、終戦後の混乱期、更に文化大革命の時期に粛正という名の人民虐殺も行われている。その数は2000万人とも3000万人とも言われ、旧日本軍が中国大陸で虐殺した人の数より遥かに多い(数の多い少ないの問題ではないが)。これらの事実は、中国の学校教育では教えられていない可能性がある。
 要するに、情報が偏って教育されている可能性がある。民主主義国家ではないのだから仕方が無いかもしれない。先日のような、常軌を逸したデモ暴挙は、中国だからこそ起こったといえる。ある意味で「洗脳」されている可能性がある。教えられている事実に間違いは無い。しかし教えられていない事実があるのだと思う。
 「脳外科医が多すぎる、脳ドッグは不要だ」と書いている方は、どうも自分で脳神経外科医に会ったこともなければ脳ドックを受診した事もないし、脳卒中や脳動脈瘤などの患者さんを近親者に持った経験やまして自分がそういう病気になった事が無いということが、その発言から想像できる。だから、彼(男性かどうかも存じ上げないのですが)の表現の中に出てくる数値は、「日本の虐殺行動」のように「事実」ではあるのだけど、それを解釈する上において「自分には他に知らないことはない」という前提で話しを進めているように思える。知らない事がたくさんあるのに「知らない事を知らない」という事実を無視して「判断」をくだし「行動」を起こしている。よって、まるで「抗日デモ」のように思えると思った訳である。

 ひとつひとつあげると切りがないので一例だけあげる。
 最初の書き出しの、
『図に示されているように脳卒中死亡率は長い目で見ると全体として減少している。』の部分。
これは事実である。私も当然知っている。正しい。しかしその後がいけない。
『その間どういうわけか医者の数は増え続けた。何もしなければ医師一人当たりの患者数が激減するのは明らかだろう。』
死亡率と患者数を混同しているのか?統計の見方を知らないのか。そもそも厚生労働省で発表している、患者数や罹病率などのデータを知らないのか?脳卒中の患者さんは、毎年毎年増え続けている。一度も減少した事は無い。医師数が増えても追いつかないくらい患者数が増えているのだ。
彼は続ける。
『まともな世界なら医師一人当たりの収入も大幅減になって当然だ。そんな中で存在意義を確保し医師の資格を得るための投資を取り戻すには患者数を増やさねばならない。そのために考え出したのが脳ドックと見るのが当然の流れだ』
どうして「当然」なんだろう?「まともな世界」って何だろう?
この辺になってくると理解しがたい言葉が踊りだす。
『要するに脳ドックはより多くの隠された患者を探しだしその命を救うという錦の御旗の元、脳外科医の失業を防止するための患者製造器だったのです。そして患者を作るだけでは経済的には不十分なので、科学的な裏付けの無い、医師の期待値でしかない危険性を吹聴して、患者を手術に誘導するのです。』
これは彼の意見。自由な意見は拝聴し尊重したい。しかし、無知を原因として導きだした誤った解釈からこんなとんでもない意見を作り出している。これは「自由民主主義」における言論の自由とは相反する「煽動」とすら言える。

冷静に書こうと思っていたのだが、彼の論調をみるにつけ私の心が乱されるので(それを望んでいる人なのかもしれないが)この辺でやめておこう。
ーー
彼が解釈を間違った「死亡率の減少」。何故、毎年患者数が増え続けているのに死亡率(死亡数ではない)が減っているのか?これは理由が3つ以上ある。
まず、公衆衛生活動。高血圧や生活習慣病(当時は成人病と言われた)の治療、予防。これで「脳出血」が激減した。脳卒中全体の死亡率が減った。
次に、CTなど診断機器の普及と脳外科医の前線での活動。昔は(といってもほんの30年、40年前の事)「脳卒中が疑われたら動かすな」と言われた。田舎の名医が自宅に往診して、「脳卒中の可能性が高い。血圧を下げる注射を打っておいたからこのまま静かに寝かせておくように。」とのたまって皆その言いつけを守っていた。たくさんの人がそのまま自宅で息を引き取った。何割の方が後遺症を残しながら床から出てきた。ほんのわずかな人がまた元の活動に戻った(元に戻れたのは軽症の脳梗塞やくも膜下出血であった可能性が高い)。CTが普及し、脳外科医が啓蒙活動を行い、「脳卒中になったらすぐに脳外科のある病院に運べ!」ということがコンセンサスを得た。今時、脳卒中を疑って自宅でじっと寝かせておく家族はいないだろう。そうやって今まで自宅で亡くなっていた方が、病院で早期に診断を受け治療を受けて死亡する率が減った。
 3つ目に、脳外科医が日夜急患を診察し、夜中でも休日でも緊急手術を行った。病院に来て診断がついても、治療を考えている間に症状が悪化したり死亡するケースもある。日本の脳外科医(特に私の師である教授の師、故鈴木二郎元東北大学教授たち)が超急性期の手術をどんどんやった。ヨーロッパでは、「くも膜下出血の急性期に頭を開くなんて馬鹿げている」と最初相手にしなかったが、結果が良い事を知ってまずアメリカで次ぎにドイツで同じように超急性期手術は当たり前になった。いまだに当たり前になっていない英国などでは、「くも膜下出血」との診断を内科医がつけてICUに入院させ、神経放射線科医が予約検査で脳血管撮影を行って、脳動脈瘤があったら脳外科医に相談し、脳外科に移って、予定手術を組んでクリップをかける、という「悠長」なこと(診断がついてから手術まで2週間とか)を未だにしている病院もあると聞く。あるアメリカ人の脳外科レジデントが書いた本に、「イギリスで私は信じられない光景を見た。破裂脳動脈瘤が疑われるくも膜下出血の患者が、ICUで食事をしていて、いつ手術なのか尋ねたら、再来週血管撮影だ、と言っていた翌日食事中に再破裂を起こし食事のトレーに突っ伏して死んでしまった。」という驚きの証言があった。日本では、超急性期、急性期に緊急手術をやっている。そして脳卒中の死亡率が減った。

 このように、「患者数」は増え続けているのに「死亡率」が減少しているのには、理由がある。そしてこれらの事実から、医者が多すぎる、とか脳ドックは不要、という結論はどうひねってみても導きだされないのだ。

 最後に、厚生労働省が発表している、日本人の死因のグラフ。どこかでみた事があるだろう。
いつのまにか「少々」書きかえられた「彼」のページにも出ているあのグラフ。1994年頃に、ガクンと「全脳卒中」と「脳梗塞」の死亡率の上昇が見られる。脳卒中による死亡は、それまで日本人の死因の第3位だったが、この頃、見事に(?)第2位に返り咲いている。なにが起こったのか?この年、急に全国で脳卒中による死亡者が増えたのか?
 「死因」というのは、医師が書く「死亡診断書」を元に決められている。この年、次のように変わったのだ。
脳梗塞などを発症して寝たきりになったり症状が悪化した人が、心不全を起こして亡くなっても、心臓そのものに直接原因があるのでなければ死因は脳梗塞とする、本来その患者さんが悪化する原因になったものを「死因」と判断するように改められた。それまでは、脳梗塞でも脳出血でもくも膜下出血でも、治療経過において治療のかいなくだんだん具合が悪くなって残念ながら肺炎を併発し心不全を起こして亡くなられていたような患者さん(特に高齢者に多いパターン)の死因は「心不全」と判断され(それ自体は間違っていない)、死亡診断書の死因の欄に「急性心不全」などと記載されていたのである。そうすると、脳卒中の患者さんの死亡率が見かけ上減って、心臓病の死亡率が高くなる訳である。高齢化社会を迎えその傾向が顕著となったため、この年、死亡診断書の書き方をあらためるように厚生労働省から医師に通達があった。よって、急に2位に返り咲いたのではなく、元々第2位だった死亡率がそのまま第2位と現されるようになったというあまり知られていない事実がある。
 公衆衛生活動や市民への保健に関する啓蒙活動は、生活習慣病を減らそう、予防しようと頑張っている。脳外科医も手伝わされている。というか発症してから手術して助けるより発症しない方がいいので、予防に勝る治療なし、と市民講演会などの啓蒙活動を盛んに行っている。私も2回程、市民講演にかり出された事がある。しかし、日本は世界一の長寿国(WHOの調査結果で日本の医療レベルは世界一とされている)。高齢であるという事=老化は残念ながらそれそのものが脳卒中発症の大きな危険因子である。日本から脳卒中が無くなる事は無いどころか、様々な啓蒙活動にも関わらず、脳梗塞を中心に増え続けている。寝たきり、介護などの新たな問題が山積みである。我々脳外科医がどんなに頑張っても、寝たきりを作るだけに過ぎないのならむなしいものである。よって、これまでの経験上、手術をしても命が助かるだけで寝たきりか植物状態になる可能性がきわめて高い場合は、家族にその事をお話しし必ずしも手術治療をすすめない(そうすれば亡くなるとわかっていても)というのが、一般的な日本の脳外科医のスタンスである。こういうこともわかっていない人は多いと思う(外科医なのだから手術する事が唯一の仕事と決めつけないでいただきたい)。我々は、Neuroscienceという科学を元に、外科的治療という手段を実施しうる訓練を受けた、神経学に精通した「医師」という専門集団なのである。

ついでに脳卒中の統計に関するサイトをいくつかご紹介しておこう。
http://jsa-web.org/toukei/data.html
http://jp.pg.com/attento/kaigo/07_apoplexy01.html
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/kanja/kanja99/index.html
ーー
p.s. 私は「脳ドック推進派」ではありません。私自身は脳ドックはやっておりません。脳ドックに反対も賛成もしていません。日本脳ドック学会にも入会していません。脳ドックで診断がついた患者さんが紹介されてきても(年齢や職業、家庭環境なども考慮の上)手術を勧めなかったり、入院の上の検査である脳血管撮影も勧めなかったということもある、リベラルな脳外科医と「自負」しております。

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2005.05.23

笑ってはいけないが

笑うしか無いか、、、(^^)

先日の記事「何か恨みでも?」を、その元記事になったサイト管理者本人にメールでお知らせしたところ、「加筆訂正した」との連絡をいただいた。
覗いてビックリ。「訂正」とは程遠く、ますます強くなるばかりの根拠の乏しい反論。無礼な表現も多々ある。
「世間の荒波を受けたことのない坊ちゃん的発想の出鱈目なのです。」
「数日で亡くなったかどうかは患者が死んでしまっているので確かめようが無く、先に云ったもの勝ちだ。手術しない方が長く生きた可能性もある。」
「語るに落ちるの好例。」
「戯言は、患者の利益ためにダメ医者を切り捨てる仕組みを確立してからにして欲しい。」
こういう、元田舎の秀才タイプのインテリみたいな人には、いちいち反論しても「火に油を注ぐ」だけと思われるが。言われっぱなしもしゃくなので反論をする。

図に示されているように脳卒中死亡率は長い目で見ると全体として減少している。その間どういうわけか医者の数は増え続けた。何もしなければ医師一人当たりの患者数が激減するのは明らかだろう。まともな世界なら医師一人当たりの収入も大幅減になって当然だ。そんな中で存在意義を確保し医師の資格を得るための投資を取り戻すには患者数を増やさねばならない。そのために考え出したのが脳ドックと見るのが当然の流れだ(実際そう主張する論文を寄稿した鉄面皮の医者が居た)。要するに脳ドックはより多くの隠された患者を探しだしその命を救うという錦の御旗の元、脳外科医の失業を防止するための患者製造器だったのです。そして患者を作るだけでは経済的には不十分なので、科学的な裏付けの無い、医師の期待値でしかない危険性を吹聴して、患者を手術に誘導するのです。

たしかに「死亡率」は減少しています。しかし、罹病率、患者数はどんどん増えているのです。この事実をご存じないのですか?
患者数は増えているのに死亡率は減少し死因の1位から2位になっているのは何故だと考えますか?
公衆衛生、予防医学の普及がまず大きな要因です。もっと大きいのは現場の脳外科医が昔なら死亡していた患者の命を救っているからですよ。これは明らかな事実です。
「まともな世界なら医師一人当たりの収入も大幅減になって当然だ。そんな中で存在意義を確保し医師の資格を得るための投資を取り戻すには患者数を増やさねばならない。」
私たち脳外科医は、患者を増やしたいなんて思っていませんよ、少なくとも私は。収入がもう少し減ったとしてももっと楽をしたい。「楽」というのは、人並みの楽です。
つまり休日には休めるような、夜には寝れるような、お風呂にのんびり入れるような、そういう「楽」です。
現実は、昨日の日曜だって、私が回診、急患、病棟の急変で今朝までの間に病院で働いた時間は、0930〜1400に回診(昼食とれず)、2330-0100(お風呂に入ろうと思ってポケベルと携帯を脱衣場においておき、服を脱いでさあ入ろうと思ったらポケベルが鳴りました)に急患診察、0550-0800(病棟で患者急変、すぐCT、患者の家族を呼び説明などなど)です。そして今朝は0830から仕事になるのです。
脳外科医は余っているとか、多すぎるとか書くのであれば、実際にどこか普通の規模の(病床数500前後、脳外科医2〜5人くらい)脳外科医一人にべったり張り付いて、その人と一緒に寝泊まり食事もしながら一ヶ月過ごしてみてくださいよ。多分、普通の人にはこなせない重労働だとわかると思いますよ。
データを自己流に解釈するのは勝手ですが、自分で体験もしないで自分の目でみないで書いている内容には説得力も迫力もありませんね。
何か書けば更に反論されるような方だろうと想像していますが、私としては冷静に判断した上であなたの非礼に対処させていただきたいと考えております。


「脳外科医は殆どサラリーマン医者だから、個人的に患者を増やす必要など無い」と述べているが、これも一種の騙しだ。患者が少ない状態が5年10年続けばいずれその科は廃止される。他に能のないサラリーマンだったら一大事だろう。普通のサラリーマンにとって、勤める会社の職種のお客が少なくなったり同業が著しく増えることは、即生活の不安定に直結する。だから、「「生活が安定しません」などという表現は、事実無根で全くでたらめなのです」という言葉こそ、世間の荒波を受けたことのない坊ちゃん的発想の出鱈目なのです。

だから患者は減っていない。増え続けている。忙しさはまったく改善されない。22年目といえば一般の会社なら中堅。科長だとか部長くらす。数年目のサラリーマンとは当然立場も違い仕事内容も違うはず。私は病院全体の日直もしているし月約半分は出番をしている。ゆっくりお風呂に入りゆとりもない。

balaine氏は云う。「上記死亡患者さんは、何も手術治療をしなければ間違いなく数日で亡くなられていたはずである」と。言外に「死ななかった患者さんは手術のお陰で助かった」と云っているようだ。数日で亡くなったかどうかは患者が死んでしまっているので確かめようが無く、先に云ったもの勝ちだ。手術しない方が長く生きた可能性もある。
仮に数日の命が本当だと仮定して、それを1ヶ月に延ばせたことにどんな意義があるのか?あの過酷な脳の手術後1ヶ月で亡くなる場合、家族とまともに話せる状況にはならない例が殆どだろうから、手術を受けた患者の多くが生きていることの悦びを1ヶ月余分に感じたとはとても思えない。

くも膜下出血をおこした「破裂脳動脈瘤」と未破裂脳動脈瘤を同列に論じないでほしい。
「先に言ったもの勝ちだ」など子供の論理。
手術をしなければ100%間違いなく1週間以内、いや2、3日で亡くなられていた。未破裂脳動脈瘤ではない。破裂脳動脈瘤の患者である。
また未破裂脳動脈瘤の治療を受ける患者は、すべて脳ドックで見つかっている訳ではない。むしろそれ以外のケースが多い。それ以外とは、たとえば
「頭痛」が心配でMRIを撮ってほしいと患者が希望してきた、別の比較的軽い脳卒中で治療中に偶然見つかった、外傷や腫瘍など他の病気で精査中に偶然見つかった、などである。
脳ドックがなくなったとしても「未破裂脳動脈瘤」の患者は無くならない。14万

「本音を書くと、欧米の脳外科医と同じくらい収入が欲しいです(あちらでは、22年目のベテランなら病院勤務医でも通常3,4000万の年収で多い人は一億円ぐらいもらっているはずです)」
は、語るに落ちるの好例。欧米での22年のベテラン医師は、その価値が日本と比較にならないほど(平均値として)高い。日本では殆どのダメ医者が資格を剥奪されることなく”育てられる”ので、時が経つに連れ見せかけのベテランになれる。医療ミスリピーターも滅多なことでは資格を失わないが、そうさせているのが医師の集まり、医師会だ。ダメ医者がどんどん首にされ淘汰される欧米とは環境が違う。つまり欧米は(例外があるのはやむを得ないにしても)少数精鋭であり、技術・経験の当然の報酬として高給なのだ。戯言は、患者の利益ためにダメ医者を切り捨てる仕組みを確立してからにして欲しい。

確かに世の中には「だめ医者」もいるであろう。「だめ教師」もいるし「だめ議員」もいるであろう。何の世界にも「なんでこいつがこの仕事をしているんだ」という人はいるのであろう。ただし、私の仕事は脳神経外科医です。公衆衛生医でも厚生労働省の役人でもない。「仕組みを確立」するのは私の仕事ではない。
他の領域はいざしらず、脳神経外科は日本でも高度な専門知識と技術を要求される特殊な領域です。

これも語るに落ちるの好例だ。頭蓋骨を外し、人体の中でもとりわけ入り組んだ中で血管を切り張りする現場を想像すれば素人でも容易に想像できるが、相当の確率で事故が起こり死者が出る。手術による死亡率が1%以下に収まるとはとても思えない。balaine氏が仮定するように手術を受けるのは動脈瘤破裂の危険性のない人が大部分となるから、事故の被害者も殆ど「危険性の無かった人」であることは疑いない。「何もせず観察する」ことに耐えられない(というのはもちろん言い訳だが)が故に、「死ななくても済む人をを殺す」リスクを犯しているのだ。このことはbalaine氏も知っていて、救う方のことだけをコメントしている。

「素人の想像」など参考にもならない。
プロはプロ。あなたに銀座の名店のような寿司が握れるか、といっているのと同じ。名人はさらりというだろう。「修業すれば誰でもできますよ」と。
「手術の死亡率が1%以下に収まるとはとても思えない」
感想にすぎない。どこに根拠があるのか。
私は、すくなくとも自分が執刀した脳神経外科疾患で、「手術による死亡」は0である。当然、未破裂脳動脈瘤の死亡率も0である。
馬鹿にしないでもらいたい。


他にもいろいろ反論すべき事があるがキリがないので一つだけ・・・「欧米の脳神経外科医はほとんど朝から晩まで手術しかしていません」とある。日本の脳外科医は他にもいろいろすることがあり、貢献しているので人数が多くて当然と云うことらしいが、本末転倒に近い。読んで字の如く「脳外科医」がすべき事は明らかだ。欧米の脳神経外科医の状態が正しいのは論を待たない。頭痛の診断や対処など拒否する気があれば止められることだ。殆ど全ての領域でそうだが、供給過剰は必ず不必要な仕事を作り出す!脳ドックはそうではないと云うなら、それを証明して欲しいものだが、それは出来ないと云う・・・。「欧米の脳外科医のように振る舞いたい」という意志があるならそうして欲しいものだ!それが出来ないのは、やはり生活の安定を考えてのことだと推測するが如何?

「欧米の脳神経外科医の状態が正しいのは論を待たない。」
その根拠は?脳神経外科医は、neuroscienceに基づいて外科的治療もできる脳の専門家のことです。普通の人は「外科医」というと切った貼ったのメスをもつ者という考えがあるだろうが、我々はそんな野蛮な者ではない。内科的知識を当然もって全身が管理できる医者なのである。この論理だと「脳外科医はだまって頭だけ開いていればいいのだ」と言う感じであるが、neuroscienceがわからない人間が頭を開いてはいけないのだ。そんなことも知らない素人からこんは反論を受けるとは。厚顔無恥ということだろう。
脳卒中の患者を診た事がない、近親者にくも膜下出血に倒れた方や亡くなられた方がいない、脳神経外科医と会った事がない。働いている現場を見た事が無い、要するに本とかデータとかだけをみて、「人」をみないで解釈、講釈をしている人
幸せな人なのだろう。多分、自分の回りや家族に脳卒中で苦しんでいる人やくも膜下出血で亡くなった人、後遺症に苦しんでいる人がいないので、脳卒中になった患者がどんなに大変で、脳外科医がどんなに忙しく診療に当たっているか診た事もないのであろう。経験もないのに批判する。人のふんどしで相撲を取るとはこういう事なのではないだろうか?
データや本など活字になっているものが、「どういう意味を持つか」を理性的に科学的に分析解釈することが大事。
自分の直感や人の話しに惑わされている
自らの足で調べ歩いたり実際の現場を見た事が無いと思われる。
病院の総合受付に、「頭が痛いので診てもらいたい。脳卒中が心配だ。」と来た人を断れというのか?「脳外科で診てほしい」と言う人を拒否せよというのか。そうできるのならその方法を教えてほしい。

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True Story(感動)

今日の外来に、2月にくも膜下出血で倒れて救急搬入されて即日緊急手術を行い、3月にはいって正常圧水頭症を呈したのでシャント手術をおこなって、1ヶ月ちょっとリハビリをして自宅退院された患者さんがいらした。
 70歳代のその女性は、田舎で一人暮らし。子供は無く夫に先立たれ犬一匹と暮らしていた。妹さんが車で30分程離れた町に住んではいるが、そんなにしょっちゅう会っている訳ではなかった。3月末にも退院できそうな状態であったが、家に帰っても一人暮らしなので妹さんや他の親類が心配して「なるべく長く病院において欲しい」と言われていた。患者本人は犬の事が心配で(近所に預けられていた)早く帰りたがっていたが、週末ごとに試験的な外泊を3回程繰り返して、4月の末に退院されたのだった。
 綺麗にお化粧してニコニコしながら外来に入ってこられ、「先生、命を助けてもらってありがとう。しあわせだ〜」というのである。感謝の言葉を口にされて医者冥利につきる。よく聞くと話しに先がある。
「私は、倒れた前の日から記憶が飛んでいたんですが、自宅に帰って近所の人から評判になったんです。」
「意識も無くなって倒れていたのに、後遺症もまったくなくこんなに元気になって戻ってきて運のいい人だと言われました。」
「運がいいだけではなくて先生の腕がよかったからだ、って言ったんですよ。」
更に続きがあった。
一緒に暮らしていた犬は、16才。人間で言えば80才のおじいちゃん。しかもちいちゃい時から耳が悪かった上、年をとって両目ともほとんど見えなくなっていたらしい。いつも一緒にいてこたつで一緒に寝たりしていたとのこと。その日、患者さんは早朝頭痛とめまいがして玄関先まで来て立てなくなり、倒れてしまった。一人暮らしの老人。季節は冬。下手をするとそのまま凍死すらしてしまいかねない。
 犬の「タロー」が近所の家に一人で(一匹で)訪ねてきた。その家の人は患者さんの事も犬の「タロー」もよく知っている。「餌でももらいにきたのかな?」と思ったが、早朝に「タロー」が一人で来るなどという事は今まで無かった事。いつもその患者さんにぴったりくっついていた。「もしや○○さんに何かあったのでは?」と家を訪ねると玄関先で、倒れており嘔吐していて呼びかけても返事をしない。そこでその近所の方が救急車を呼び、妹さんに連絡をした、というのである。
 近所では犬のタローが○○さんを助けた、と大評判になっているらしい。
まるでいつぞやの「一杯のかけそば」のように「作り話」のようにいい話しではないか。しかもtrue storyなのだ。
「今、タローと一緒に暮らせてほんとに幸せだ。先生、ほんとにありがとう!」
(私)「タローとともに長生きしてくださいよ。」
 飲み薬も必要ない方なので、半年後にフォローアップのCTを予約した。ニコニコして帰られた。
 私もとても幸せな気持ちにさせていただいた。上記の不快なサイトのことなど、もうどうでもいいような気分にすらなった。(しかし真面目に働いている医師を侮辱するような発言は決して看過できない)
 昨日も、夜中の23時55分に急患で救急外来に呼ばれ、朝も5時46分に入院患者の急変で呼ばれて働いていた。当然、朝食抜きで朝8時半から脳外科医二人で回診し、午後1時過ぎまで外来だった。空腹も疲れもイライラも、しかし、こういう素敵な患者さんの話し一つでぜ〜んぶ消え去って元気になる。
 そう、私の事をコメントで超人的と言われた方がいたが、エネルギーはこういう患者さんから頂いているのである。これは間違いない!

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2005.05.22

First, Do No Harm.

「ヒポクラテスの誓い」の言葉(と信じられているが、違うという説あり)。
うちの教授もことあるごとに、この言葉をもって我々に注意される。

人間は動物の仲間。病気をしても免疫機構があり「自然治癒力」というものがある。特に内科系の疾患において医師がしている仕事は、この「自然治癒力」を助けてあげることである、とすら言える。
風邪をひいて熱が出ても、「かぜぐすり」を飲まなくても寝ていればだいたい良くなる。お腹が痛くなっても、下痢したりしてなんとかお腹に優しいものを食べたり水分をとって寝ていればそのうち良くなる。
患者さんは、「痛い」とか「高熱が出た」とか「下痢が止まらない」という『症状』を抑えてほしくて病院に来る。ようするにお薬は「対症療法」が主である。病気の本体を治す薬ではなく、患者の苦しむ症状を和らげたり取り除いたりする薬である。病気そのものは、苦しい症状を抑えている間に自分の身体が治す。自然治癒力である。
 万が一の話しではあるが(といっても架空の事ではなく毎日のようにどこかで起きている事であろうが)、医者が使う薬を間違ったり適切な量でなかったりしても病気が治る事はある。医者も患者も「薬が効いた!」と勘違いして喜んでいる事もあり得る。たまたま、間違って投与した薬が副作用を起こす量でなかったり、「その」疾患を治療する薬ではないけれど症状を悪化させる作用が無かった、とかそういうことで医療側も患者側も気がつかないうちに病気が治っている事だってありうる事だ。治れば医者も患者もうれしい。満足。
「あの先生はいい先生だ!」と勘違いしている事だってある。
人当たりが良い、笑顔がいい、ナースの対応がいい、病院が綺麗だ、などと言う事で評価されることもある。
要は結果が良ければいいのである。なにがどうなって、などという途中経過は間違っていても結果が良ければいい。内科疾患、小児疾患には自然治癒するものがたくさんある。特に炎症性疾患(感染など)。もしかすると薬を投与しなくても、治療しなくても治ったかもしれないけれど、医者にかかってよくなれば「治療のお陰」と誰もが思うだろう。

一方、外科的疾患に自然治癒はあるか?もちろんあるが内科的疾患に比べその期待は薄い。たとえば脳腫瘍などの「できもの」。本来細胞の中にある自然治癒力がおかしくなって本人の細胞が腫瘍化しているのだから、これに自然治癒を期待できない。だから手術で切り取る訳である。脳卒中にも自然治癒はある。というか、悪化を抑えたり進行を食い止める身体に備わった力はある。しかし、脳卒中は一度発症したら「元に戻る」ことは期待薄である。だから発症させないよう予防するのがベストな治療である。この「予防治療」のための薬や手術で患者に害を与える事はやっては行けない事である。
だから未破裂脳動脈瘤の手術治療において脳外科医も患者も悩む訳である。たとえ手術するしか無い脳腫瘍の治療においても、手術というのは治療法の一つの手段にすぎないのだから、全摘出にこだわらない、という考えは大事である。すべて取り去ってしまうことより、「新たな後遺症を出さない」「既にある症状を改善する」ことを主眼におくべき。
「脳の中に腫瘍ができたんだから障害が残っても仕方ないでしょう」
「脳卒中で手術したんだから手足の麻痺が出ても当然でしょう」
こんな考えの脳外科医は(30年前ならいざ知らず)もはや世の中にいない、と信じたい。たとえ腫瘍が少し残っても新たな症状を出さない事が大事。残った腫瘍は、ガンマナイフでやっつけられるかもしれない。もし再増大するならもう一回手術でとればいい。もしかすると残った小さな腫瘍はしばらくおとなしくしていてすぐには大きくならないかもしれない。後遺症は、一度出てしまえばなかなか治らない。麻酔も手術も昔に比べ格段に安全性が向上しているのだから、「一発勝負!」のような事はしなくてよいのである。
 自然治癒が期待できない疾患においては、医者は、まず症状を悪くしない事、病気を悪化させない事、に心くだいて、「治癒」を目指すのはその次だと思う。
First, Do No Harm
ヒポクラテスか、ガレンか、誰が言った言葉にしても2000年を超えて引き継がれるべき真理である。
ーーー

話しは「がらっ」と変わって。
今日、病棟を回診していたらある患者さんの枕元に漫画がおいてあった。「のだめカンタービレ」というその漫画は、実は私の愛読書。単行本は全巻持っている。そういえば第12巻がでているはず。
買いにいかなければ。
しかし、この漫画を読んでいる患者さんが、40代の男性だったので驚くとともに、そんな話しでベッドサイドで盛り上がってしまった(笑)。
知っている人にしかわからない話題でした。v(^^)

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2005.05.20

鼻からする脳外科手術

 下垂体腫瘍という病気がある。脳腫瘍(正確には頭蓋内腫瘍)の中で3番目に多い腫瘍である。
 下垂体というのは全身のホルモンを管理する役目を負った中枢機関であるが、視床下部という脳の一部からコントロールを受けて頭蓋内に、脳の「下」に「垂れて」いる女性の小指の先くらいの小さな機関で、発生学的に言うと「脳」ではない。「腺組織」である。つまり乳腺とか甲状腺とかと同じように「ホルモン」を分泌するのである。
 そのほとんどが良性ではあるが腫瘍が発生しやすい。1960年代頃までは、開頭するしかこの腫瘍を摘出する方法は無かった。1960年代から70年初め頃にかけて、カナダの脳外科医Dr. Hardyが鼻から手術する方法を確立させた。実は、20世紀初頭、1900年から1910年頃にかけて、アメリカの脳外科医Dr. Cushingとドイツの脳外科医(名前忘れたので思い出したら後で書きます)が全く別々にほぼ時を同じくして、唇の裏から鼻腔に入る方法と鼻の穴から鼻腔に入る方法を開発していた、しかし当時は手術顕微鏡もルーペ(眼鏡のようにかける拡大レンズ)もなく、光源も乏しく、鼻の奥深くの頭の底をそれこそ手探り手術して大出血したり、下垂体のすぐ上を走行する視神経を破壊して失明させたり、不潔領域である鼻から無菌領域である脳の中にばい菌を感染させたりして(抗生物質がない)、手術した1/3が死亡したり重篤な後遺症を残したため、まもなく忘れられた手術法となってしまった。
 1970年頃になって、手術顕微鏡が開発されCTが出現し優秀な抗生物質が開発されたという好条件がそろったため、ハーディ手術は瞬く間に医療先進国で普及した。下垂体腫瘍はよほど巨大なものでない限りほとんど全摘出可能となり、後遺症もほとんどなく、手術で命を落とす人もほとんどいなくなった。革命であった。
 脳の中に巨大に発育した下垂体腫瘍や、鼻から手術して取りきれないような固い腫瘍などは、今でも開頭して脳の底に到達し視神経と内頚動脈のすぐ傍で腫瘍に接近する方法を行っている。1990年頃から脳の中にも内視鏡を用いる脳外科医は現れてきた。内視鏡自体はもっと古くからあったので、有名なDr.福○も内視鏡を使った論文を、確か1970年代に発表しているし、私も1987年頃にファイバースコープを脳の中に入れて手術を試みた事があった。
 光源、高精細モニター、より細くて明るくきれいな内視鏡、内視鏡用の手術器具などが徐々に揃う事によって、ようやく1990年代中頃から脳外科領域に内視鏡が積極的に用いられるようになってきた。私も大学で1996年から内視鏡を使い始め、下垂体腫瘍には1999年に初応用した。これまでのハーディ法と決定的に違うのは、上唇の裏を切ったりせずに、耳鼻科医がやるように鼻の穴からまっすぐ鼻の奥に入っていくのである。そして奥の方で鼻中隔の粘膜を切ってドリルで骨を削って蝶形骨洞という、下垂体が存在する脳の底の一つ前の副鼻腔に到達し、そこから頭蓋の底の骨に径10〜20mmの穴を開けて、下垂体部に到達する。そしてすべてを内視鏡の映像下に(テレビ画面を見ながら)腫瘍摘出をすすめていくのである(実はこのブログのプロフィールのところにいつもある写真は、私が内視鏡で下垂体腫瘍を手術しているところなのである)。
 この方法だと、鼻中隔粘膜を切開する以外はどこも「切らない」手術であり、腫瘍摘出後、頭蓋の底の骨を糊などで固めた後は、鼻腔内に抗生物質をつけたガーゼを1〜5日くらい詰めておくだけでどこも縫わない。もちろん口の中は何も触らないし、頭を開けないので髪もそる必要が無い。だから経過が良ければ、患者さんは手術したその日のうちに水を口から飲み、翌日には食事をとってトイレに歩く。鼻の穴には綿球が詰められているがそれを除けば、「脳腫瘍」の手術をしたとは信じられない状態である。
 米国では、この方法で手術を受けた患者さんで経過良好の人は、平均術後2.4日で退院だと言う。「脳腫瘍」の摘出を受けた、次の次の日か、その次の日には退院しているという事になる(この辺りは保険制度の違いもあるので、米国の場合、多少は無理矢理退院になる事もあり、日本ではだらだら入院している事もある事は、以前「米国の医療事情」のところで書いた)。
 この「鼻からする手術」のことを正式には経鼻孔経蝶形骨洞手術 transnostril, trans-sphenoidal surgeryと呼んでいる。私の所属した大学病院脳神経外科は、この方法を日本に導入したパイオニア的脳神経外科の2、3カ所の一つとして認識されていると思う。今や内視鏡を使って手術をする施設は全国的にも徐々に増えてきており、手術手技そのものを学会で論じる機会は減った。もはや「当たり前の方法」として全国に普及し、脳腫瘍の術後の患者さんのQOLの上昇に貢献していると信じる。

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2005.05.19

手術で治る痴呆

というタイトルで簡単な講演をした。
 「痴呆」の定義は単純ではないが、簡単に言えば今までのような家庭生活や社会生活ができなくなる程の知的障害を呈している状態のことである。
 アルツハイマー型痴呆や慢性的な脳虚血などによる血管性痴呆などは手術治療法は今のところない。それに対して、「慢性硬膜下血腫」や「正常圧水頭症」などは手術によって慢性的に脳を圧迫している、「血腫」や「髄液」を除去したり減らす事によって脳の機能が改善する事が期待できる。くも膜下出血の後に、慢性的に脳脊髄液の吸収力が低下して正常圧水頭症になった場合も、ボワ〜ンとして反応が鈍くなったり幻覚のような事を言ったり失禁したりという状態が徐々に改善していくことが多い。
 「特発性正常圧水頭症」という病態がある。くも膜下出血や髄膜炎など原因になる疾患がはっきりせず、何故そうなったかはわからないけれど(特発性)調べてみたら脳室が拡大していて、脳脊髄液を抜いてみたら反応が良くなったのでシャント手術をしたら痴呆が治った、という事例もあるらしい。私自身はまだこういう患者さんに遭遇していないので自らの経験としてはわからないのだが、この「特発性NPH」を一生懸命治療している脳外科医もいるのである。
 その他には、silent areaの髄膜腫など。良性でゆっくり大きくなる腫瘍が脳を圧迫していくのだが、silent areaといって、運動野や言語野などのeloquent areaから離れている部分に存在するとかなり大きく育つまで何の症状も出ないことがある。直径で5cmや6cmにまで育っても、ぼんやりして反応が鈍くなったり家からでかけると帰って来れなくなったり、時々お漏らしをしたり、位の症状で、麻痺も失語もないしご飯は普通に食べている。家族は、「じいちゃんの年だから、そろそろ惚けてきたんでないの?」なんて暢気に言っていたりする。ところが頭痛を訴えるようになったり、食欲が低下したり、失禁が顕著になって脳外科医に来てみると直径6cmの「脳腫瘍」などということもあるのだ。こういう腫瘍を全摘出したらすぐに良くなるとは限らない。長い期間にわたってじわじわと圧迫されて脳はすぐには元に戻らない事がある。でも手術摘出で回復する事が十分期待できる「痴呆」である。

 話しは変わって、最近私のブログに注目してくださる方々がいらっしゃって、少し緊張、でもうれしい。グダグダ勝手な事を書いているとはいえ、誰かが読んでくれているということはmotivationをあげてくれる。固有の名前は出さないけれど、一般市民の方が賢く情報を解釈、取捨選択してくださっている事はうれしい事である。おそらく大半の良識ある市民はそんなに簡単にマスコミの煽動的ニュースや一部の著作による誤った情報に踊らされる事無く、しっかりと自分の考えを持っていらっしゃる事と思う。ネットの普及による情報の共有はこのようなことにこそ生かされる価値があるのだな、と思う。

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2005.05.18

何か恨みでも?

あるのでしょうか、と思うような論調の、昨日の話しの続き。
http://www5.ocn.ne.jp/〜kmatsu/seijinbyou/94noudokku.htm
(上の〜は小文字のチルダです、マックでは〜になってしまう)

 あまりにもひどいが看過できないので少し反論する。
「彼らにとって患者を作るだけでは不十分で、手術させて貰わなければ生活は安定しません。」
と書いてありますが、自分で開業でもしていない限り、普通脳神経外科医は病院勤務医です。大学や県立や市立などの公的病院が圧倒的に多いです。地方によっては、私立病院でもかなり公的な意味も持っているところもあります(会津若松など)。
 勤務医の給料は基本給+手当ですが、一般的には患者を何人診たとか、何人入院させたとか、何人手術したとかいうことは給与に影響しません。たとえば、私の場合、県立病院ですが、極論すれば年間300手術しようが10しかしなくても基本給に変わりはありません。卒業年とその病院でのポストで給与体系は決まります。ですから脳ドックで患者を無理に増やして無理に手術をしないと「生活が安定しません」などという表現は、事実無根で全くでたらめなのです。
 私の給与が増えるとしたら、それは「時間外手当」だけです。すなわち平日は830〜1700以外に勤務した場合、休日に勤務した場合は、本来は「時間外労働」ですのでそれに見合った手当を頂くのは妥当な事です。しかし、現実はこの手当も50%近く削られているのです。いわゆる「サービス残業」みたいになっています。
 カラクリはこうです。
 県には予算があります。各病院に割り振る事のできる予算には限りがあります。時間外手当としての予算にも枠があります。ある一定額以上は払えない(無い袖は振れない)ということです。夜中に緊急患者さんで呼び出されたり、夜遅くまで手術があったり、休日に術後患者さん他入院患者さんの診察に来たり、急変に対応したりというのは当然の仕事ですが、時間外に労働した場合それに見合った手当をもらっても非難はされないと考えます。医師は、自分で時間外労働をした日にちと時間を記載します。それを事務の方で集計して「労働に見合った」手当てを支給します。労働基準法で保証されている事だと思います。
 予算には上限があるので、結局病院全体の医師の時間外労働総時間は手当の予算を軽く超過してしまいます。医師各人が記載したものをそのまま提出すると、働いた時間外に見合った手当を支給していない事になるので、なんと!事務の方で勝手に削っています。差が出ないように均一に総時間が予算に収まるように、それぞれの時間外労働を削り、実際は働いたのに働いていないことにしているのです。
 そうすると、県の方では、「ああ、あの予算で何とか手当が足りるんだ。ということは来年度はもう少し削っても大丈夫なんだろう。」と、更に時間外手当の予算を削ります。病院の事務は更に「不当に」我々の時間外労働を削って予算の枠内に無理矢理おさめます。すると県の方は、「ああ、まだ余裕があるんだ」としてもっと予算を減らします。ここ5年くらいの間に、そんなこんなで医師の時間外手当は、10%, 20%,,,と減らされ続け、今や40〜60%削られているという話しです。
 人のいい、ここの病院勤務医はそんなこととは知らずに、「手当減ったな〜」といいながら働いている人もいます。県民で、自分たちの税金がこのように使われていると知っている人は少ないと思います。もしかすると県知事でさえ、病院の医師が時間外労働を不当に削られて給与を無理矢理押さえられている事を知らないと思います。

近藤某氏はこうも言っています。
「根拠がないのに普及したのは、日本に脳外科医が多い事実と無縁ではないでしょう。日本の脳外科医は約5000人。人口が倍の米国には3200人しかおらず、人口比で3倍です。それでは無症状の人を検査して、患者を一人でも増やしたくなろうというものです。そのように脳ドックが失業対策であるならば、脳外科医のがわから廃止する事態は考えにくい。・・」
 本当にものの本質や事実を理解していない方です。欧米の脳神経外科医はほとんど朝から晩まで手術しかしていません。研修医が病棟を診ています。外来は、自分に紹介されて来たこれから手術する人か、既に手術した人しか診ません。救急外来担当や病院当直なんてしていません。頭痛の患者なんて診ていません。極論すれば、脳梗塞の患者も診ていません。欧米で脳外科医といえば、脳腫瘍を取る人のことに等しいくらいです。頭痛を診るのは家庭医の仕事。急患を診るのは救急医の仕事。脳卒中を診るのは脳卒中医(ほとんどが神経内科医)の仕事。欧米の脳外科医は、ほとんどの場合、病気が見つかってほぼ診断がついて手術治療を考慮してくれ、という段階になって現れる医者なのです。米国の人気TV番組「ER」などを観てもわかるでしょう。脳外科医なんてちょっと出てきたことがあったかな?と言うくらいです。
 翻って、日本の脳外科医は、交通の便の良くない地方の隅々の病院に2人、3人と赴任して地域医療の現場を支えています。日本では脳卒中を診るのは脳外科医だと思われています。だから手術をしない脳梗塞の患者さんも、ただ血圧を管理して寝かせておく脳出血の患者さんも脳「外科」医が診ています。日本では頭痛の患者を診るのは脳外科医だと思われています。緊張性頭痛でも寝不足の頭痛でも風邪の頭痛でも偏頭痛でも、脳外科医が診てCTやMRIを撮って(多くの場合は患者の希望)除外診断(つまり脳には病気が無い事を証明すること)して鎮痛剤を処方しています。

 私の本音を書きましょう。欧米の脳外科医のように振る舞いたいです。頭痛の患者も脳梗塞の患者も軽症の脳出血の患者も診ません。病院の日直や当直もしません。救急外来には行きません。脳「外科」の患者という診断がついた人だけ診ます、手術します。これならおそらく日本に脳外科医は2,3000人位で済むのではないでしょうか?もう一つ本音を書くと、欧米の脳外科医と同じくらい収入が欲しいです(あちらでは、22年目のベテランなら病院勤務医でも通常3,4000万の年収で多い人は一億円ぐらいもらっているはずです)。

 これでも日本の脳外科医は儲け主義で、脳ドックは失業対策で、日本には脳外科医が多すぎる、と言うのでしょうか?

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2005.05.17

種々の話題

 今日は、昨日に引き続き、くも膜下出血患者の治療成績の分析とまとめの仕事をしていた。その間に、本サイトの方でグダグダと書き連ねつつある「フルート上達法」に関連して最近注目している本の著者である、前野隆司慶応義塾大学工学部助教授にメールを送ったところ、素早く丁寧なお返事を頂いた。感謝感謝。
 昔、うちの教授に教えられた事の一つに、「仕事は忙しい人に頼め」(少しニュアンスが違うかも)というのがある。常に忙しい人というのは、時間をとても大切にしている。自分の中で仕事に優先順位をつけながら手を抜かずにすべてをこなそうと計画している。そういう人にたとえば「これ、明後日までにまとめておいてほしいんだけど。明々後日の講義の資料にするからよろしく!」などと頼むと、次の日の朝にはすでに完成しておいてあったりするということ。一方、あまり忙しそうでない、時間の使い方のルーズな人に同じように頼むと、その頼んだ「明後日」になって「どう?そろそろできるかな?」などと問うと、「あ〜、まだです。これからやろうと思ってました。」というような答えが返ってきて、結局必要としている「明々後日」になってぎりぎりで帰ってきたりするのである。
 何が言いたいかと言うと、前野先生は私の質問メールに対して即座に返事をされた。忙しい人にとって、私のメールへの返事はとにかく終わらせておいて本ちゃんの仕事をしなければ、という感じであったのだと想像する。さすが、だと思った。

 「信頼のものさしは病院の成績公開」
http://www.mainichi-msn.co.jp/kagaku/shinrai/news/20040609ddm010070154000c.html
 本日付けのネット毎日新聞にこういう記事が出ていた。内容は興味のある方が直接見て確認してほしい。うちの教授の名前が出ていて、少しだけ驚いた。

「成人病の真実」
http://www.asahi-net.or.jp/〜eh6k-ymgs/opinion/contents/seijinbyo.htm
http://www5.ocn.ne.jp/〜kmatsu/seijinbyou/94noudokku.htm
 ちょっと古い記事なので今さらこれにコメントするのは違反かもしれないが、気になったので。
 何かと騒がせた方だと思う。書かれてある数字などに関しては「事実」というか実際に発表されていた値に違いない。しかし、問題はその解釈とそれに対する反応または判断である。
 要するに、これらの数字について検証もせずに、「こういう値が出ているのに、脳外科医はおかしな事を言っている」「現実を無視して間違った事をやっている悪い奴ら」というような論調に取れる。しかし、例えば「未破裂脳動脈瘤の破裂率は年に0.05%」という数字。これは権威ある医学雑誌に載ったから正しいものと思われても仕方が無いが、日本の脳外科医だけではなくアメリカの脳外科医なども抗議した論文である。なぜなら「海綿静脈洞」といって脳の外(頭蓋内であるが)にある動脈瘤まで対象にはいっているなど、おかしな点が多い論文なのである。海綿静脈洞の中の脳動脈瘤が万一破れるようなことがあってもくも膜下出血にはならないのだから、調査対象から外して計算しなければならないはず。このように「0.05%」という数字が一人歩きしてしまった感があるが、この著者は「それみたことか?!金儲け主義!」と言わんばかりの論調だったのは残念な事である。
 従来、脳外科医が未破裂脳動脈瘤の年間破裂危険率を1〜3%と説明してきたのには背景がある。日本の脳神経外科医ならほとんど持っていると思われる教科書「太田富雄著(いまは太田先生と松谷先生の共同編集になった):脳神経外科学」。脳神経外科専門医試験(口答と面接があり6割しか合格しない厳しい試験)の受験者は、何は無くてもまずこの本を使って復習をする、というのが脳外科の世界では常識。この本の中の未破裂脳動脈瘤の項目に、いくつかの信頼できる数字が書いてある。しかし、注目すべきは最初の2行である。
「たとえ、未破裂動脈瘤の手術は危険性が少ないとはいえ皆無ではない。したがって、できれば手術したくない。しかし、破裂の危険性すなわち自然歴がぜひ知りたいが正確なデータはない。」
これは日本の脳神経外科医の常識である。だから今学会主導でUCAS Japanなどの調査が行われている。
「今頃か?!」「データも出てないのに手術を勧めていたのか?!」
こういう疑問ももっともである。しかし冷静に考えていただきたい。こういった大規模な調査は時間とお金がかかる。しかも対象は生きた人間である。「自然歴」すなわち何も治療しなかった場合にどうなるのか、ということを調べるためには、「病気がある」とわかりながら「何もしない」ということが調査の前提になる。たとえ破裂率が0.05%であったと仮定しても、10000人にこういう調査をしていると一年に5人は破裂してくも膜下出血になってしまうのであるが、調査対象になると低いながらも出血の危険性があるとわかりながら「何もせず観察する」ということになるのである。
 未だにくも膜下出血で倒れると3割は命を落とすと言われている。今調査している、当院の最近の(私が勤務し始めてから)成績でも、6名18.8%が死亡している。このうち5名は、来院時余りに重症なため(呼吸が止まっているとか、血圧が下がっているとか)手術もできなかった。私が手術を行った患者さんにおいて、Hunt & Kosnikのくも膜下出血の重症度分類でいうと、1、2、3のグレードの良い患者さんは、一人を除いて全例家庭または職場に復帰している。一例だけ正常圧水頭症に対してシャント手術を行ったにもかかわらず症状が改善せず、目を開けて反応はあるけれど生活は全介助で寝たきりに近くなってしまった方がおられる。78才と高齢であった事も原因の一つであろう。
重症のグレード4、5では一人が死亡、一人がリハビリ病院へ転院、一人がまだ入院中でリハビリ中である。死亡した患者さんはグレードが最重症の5であったが、50歳代と若く、脳内血腫に脳室内血腫を大量に伴ったくも膜下出血であったので、まず脳室ドレナージをして意識状態の改善が認められたのでクリッピング術とともに血腫摘出術を行った。水頭症に対しても手術して、目を開けて返事を返すくらいに意識が良くなりリハビリを行っていたある日、おそらく下肢の深部静脈からの血栓が飛んで肺塞栓を起こしあっという間に亡くなられてしまった。入院時から下肢にはストッキングをはかせ、間欠的機械的圧迫で防止策は立てていたのだが、それでも肺塞栓を起こしてしまい、院内症例検討会と病理解剖などで検討はしたものの、結局助けられなかったのは残念である。
というわけで、私が手術を行ったグレード0(未破裂)、1〜5のすべての脳動脈瘤の患者さんでの死亡率は、3.7%になる。言い訳に聞こえるかもしれないが、上記死亡患者さん(grade 5)は、何も手術治療をしなければ間違いなく数日で亡くなられていたはずである。それが1ヶ月以上頑張った姿を見て、家族の方からは感謝の言葉をいただいた。

 最近では、動脈瘤に対する治療法にクリッピングと血管内治療によるコイリングがある。これに関しても世界中でいろいろな調査研究が行われているが、最近また誤解を招きかねない論文が出ている。そこで「社団法人日本脳神経外科学会」として公的に一般市民向けに、学会理事長他数名の実名付きで責任のある公式見解を公表している。
http://jns.umin.ac.jp/public/pub_all/pub_all.html
脳動脈瘤の治療に悩まれている方の中には既に熟読された方もいらっしゃるであろうが、知らない方は是非目を通していただきたい。ちょっと難しいところもあるかもしれない。要するに、人を対象にした研究には難しい面がたくさんあるのである。そこから「Aという病気が発生する確率はxx%」などど簡単に割り切ったような数値は出ないのが本音である。「これこれこういう条件で患者さんをセレクトして、これこれこういう条件で検査をして、これこれこういう説明の上で了承した人だけを対象に、これこれこういう調査を継続して調べてみたら、これこれこういう結果が出た」という事をどのように解釈し実際の臨床に応用するのかはまた別の問題であるのだ。
「0.05%だから低い。だから手術は不当だ」などと簡単に言い切れる問題ではないのに、その点を無視している人がいるのは残念である。もしその人本人が未破裂脳動脈瘤があったりその人の家族に見つかったりしたらどうするのであろうか?脳神経外科医は危険性の高い手術で金儲けをしようとしている!と断じたごとく自分は何の治療も受けないのだろうか?90才ならばそれもいい。80才でも手術はしなくていいだろう。70才なら?60才なら?50才なら?本当に治療を受けないのだろうか?
人生は一度きり。くも膜下出血は一度起こると死亡する確立は2〜3割(低いところでも1割以上)。予防的手術で死亡0、後遺症0を、現実には0はないとしても、可能な限りこの成績に近い手術ができる人になら治療を受けた方がいいのではないだろうか?ちなみに私の成績は、「未破裂」脳動脈瘤は恐いのであまり積極的に手術していないし難しい症例は大学病院の教授に送って治療してもらっているので、参考にならないけれど、死亡率0、後遺症発生率も0である。

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2005.05.16

怠慢

 4月末の盛岡での学会、連休直前の怒濤の急患、緊急手術、連休、そして先週の小倉での学会、とここのところ落ち着いて「書類」を処理する時間がなかった。いつも書いているように、全くない訳ではない。夜中や休日に出てきて書く事はできる。でも緊急性は無いし心情的にはなるだけ後回しにしたい仕事である(なぜなら、頑張って書いても、喜ぶのは事務だけで、患者さんがすごく助かる訳ではなく私の収入が増える訳でもなく誰からほめられる訳でもない)。
 今日は、午後は落ち着いていたので、たまっていた診断書を10通ほど書いた。まだ手術記録も溜まっているが来週末の地元での脳神経外科の検討会のために、この病院に来てから1年半の間のくも膜下出血の治療成績をまとめようと思っている。入院台帳、手術台帳、手術記録などからリストを作った。もう今日は疲れたのでこの辺でやめにして、明日は入院・外来カルテと資料袋を揃えてもらって、一例一例の再検討を行う予定である。
 こういう、治療成績の検討というのは自らの診療の反省のためにも大事な事。普段から少しずつやっておけばいいのだが、生来ものぐさで整理整頓ができない性格らしく、追い込まれたり必要に迫られないとやらないのは行けない。
 ま、あまり自分を追い込まないようにするのも、ストレスを軽減するためには必要な事であるのだが。
 やるときは真面目に、そして適当に不真面目に。Tomorrow is another day !

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2005.05.15

東北は肌寒い

今人気の「お笑い芸人」と言っていいのか、熊本出身のヒロシ風に。
「3日間、遊ばずに勉強だけして帰ってきたとです。小倉駅の新幹線ホームで、『このまま九州におりたかっ』と思ったとです、、、。」
新幹線の車内案内の声(イントネーション)が、やはりここは九州バイ、ち思たとですよね。
「唐津方面はxx番線」という声の、最後の「ばんせん」が標準語と全然違うたとです。

朝620に起きて645からのモーニングセミナーだけ聞いて、843の新幹線で博多に向かい、福岡空港1000発、羽田1200発の乗り継ぎでもう帰ってきました。先週オペした患者さんや新しく入院した患者さん中心にICUや病棟をちらっと回ってきました。
 まじめな脳外科医は本当にまじめです。朝は、軽食付きで645〜830のモーニングセミナーというのがあります。人気のあるレクチャーでは用意した椅子では足りずに立ってジーーと我慢して聴講している人もたくさんいます。早朝から脳外科医で溢れています。
 私もいろいろ聞いてみたいのですが、昨日の朝は「脳動脈瘤手術」、けさは「微小血管減圧術」のセミナーを聞きました。もちろん滅多にお目にかからないような特殊なケースや難しいケースの話しもありますが、「脳神経外科コングレス」は脳外科医の生涯教育、若手医師の勉強の場というコンセプトなので、動物実験だとか基礎的な研究とかの発表はいっさい無く臨床に直結したレクチャーが中心です。もちろん最新の知見も交えますが、「日常、脳神経外科疾患を治療していくにあたって知っておくべき『今』」という感じのレクチャーが多いのです。
 前にも書いたように人の手術の映像などを見ていて、もちろん勉強にはなるのですが、「ん?なんでこんなに術野が血だらけなの?(もちろん本当に血だらけなのではなく、回りからのじわじわと出る出血や血管を損傷したためか手術野に血がにじんでいる、ということ、つまり綺麗ではない、という事を意味する外科医の言葉です)」「げげ!なんであんなに神経をひっぱたりしてんの?」と思う事もあります。
 自分の手術だって第3者に評価してもらわなければ、みずから「うまい」とか「きれい」などと言うのは「自画自賛」「我田引水」。でも学会で人にレクチャーする講師の先生の手術より自分の方が綺麗に手術してるよな〜、脳や神経に優しく手術してるよな〜、と思う事はよくあります。
人の振り見て我が振り直せ、ですかね。

今回の小倉まで学会旅行で感じた事をいくつか。
1)山陽新幹線「こだま」の自由席は広い!ていうか山形新幹線が狭すぎる!「こだま」は横も前もゆったり4人席。山形新幹線は、おそらく「こだま」の3席分の幅で4席並んでいます。通路も狭い。席と席の間のひじかけも「こだま」は山形新幹線んの倍以上あります。
 山形新幹線には踏切が100以上あるのですが、できた当時踏み切り事故が多発してどんどんスピードが遅くなり特急なみになりました。山形県民が文句を言ったら、JR東日本は「あれは『新幹線ではございません。ミニ新幹線です。』と答えたので県民が怒ったという話しを思い出しました。
2)九州は海や山の形、色が違う!緯度、経度がちがうのですから当たり前でしょうが。だって地図で見れば、小倉や博多は山形よりは韓国の方が近いのですからね。あ〜、九州、よかね〜。
3)大学を離れて2年。研究や教育そして雑務の多い日常から診療が中心の生活になってうれしい反面、不安もたくさんあった。でも最近の学会での発表を聞いたり見たりして普段の自分の診療を振り返ると、おおきな自信が湧いてくる。
「患者さんに、ボストンの患者もロンドンの患者も東京の患者も山形の患者もない」
これはうちの教授の言葉。どんな街にいようと、どんな病院にいようと、自分のベストを尽くし自分の力の及ぶ範囲内で最高で最良の医療を提供すること。もちろんすべての事ではないが、一部の技術や治療手技においては、世界レベルでやっていると思っている。自分の手術映像を国際学会に出しても恥ずかしくないような手術をしているつもり。それよりも大学での手術後検討会などに出席して、教授にお叱りを受けないようなきちんとした丁寧で綺麗な手術を心がけている。
 私は厳しい指導を受けて恵まれているのだろう。日本国内には、「ン?」というような脳外科医もいるのではないか?。若い時分にろくにちゃんとした指導も受けられずに「外」病院に出て、そこで見よう見まねやテキストやビデオを参考にやってみて試行錯誤しながら技術を身に付けてきている医師もいるはずである。私は、なかなか執刀医にはなれなかったが、長く教授は先輩医師の助手をしていろいろ見てきた。初めてやる手術でもすでに何回も経験しているに等しかった。ただ最初の頃は、頭で思った事と手先の現実が一致しない事も少なくなかったので、手術はいつも不安と緊張であったが、今は「自信満々」とはいかないがイメージと手の動きに乖離は無いと思う。今回の学会でもそういう思いを強くした。

今回の移動中に読んでいた本にも啓発を受けて、イメージと手先の現実、運動のフィードバックとフィードフォワード、こういう観点でフルート(に限らず楽器、に限らず身体運動をともなう特殊技能、技量)の練習法をまとめていけるはずである。

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2005.05.13

小倉でお勉強

昨日は羽田発福岡空港行きのジャンボが、滑走路渋滞のため遅れて予定より15分遅れの1835福岡空港に着いた。オケの前日練習に間に合うためそこからは競歩のように歩いた。1840福岡空港発の地下鉄にぎりぎり間に合い、1850博多発の新幹線に飛び乗り小倉駅には1910に到着。会場は駅から徒歩5分。入口で少し迷って、フルートとピッコロを組み立てステージの椅子に座ったのが1920だった。福岡空港に着いてから45分後の事。練習は17時から始まっており、指揮の早川正昭先生が「では明日の朝に」とおっしゃって終わりになりかけた。
ガーン!
「今到着した人がいるので」ともう一回通しリハとなった。今回はセカンドフルートを吹くつもりで郵送されてきた楽譜で練習していたのだか、一昨日にピッコロ譜がFAXされてきて一日だけ(といっても平日の夜だったので15分足らず)練習して今回の本番。曲はブェルディのアイーダ凱旋行進曲。トランペットが大活躍する。ピッコロも第3レジスター(フルートの第4オクターブ)のBの音が出て来て結構目立つ。
空港着からリハ終了までヒヤヒヤの連続であった。
今朝は815からの開会式典に合わせて730集合音だし最終リハだったので645に起きた。もう眠くなっている。(今は昼休み)
午後一番の「てんかん外科」のプリナリーセッションでは同時通訳担当の仕事もある。

小倉に来たのは何十年ぶりだろう?大きな機能的な街になっているようだ。ホテルの部屋は23階と高いので眺めがいい。眼下に小倉駅と小倉港を見下ろし、海の方を見ると地形が入り組んでいてわかりにくいが、部屋にあった案内の絵地図を見て、巌流島、下関そして関門海峡大橋がわかった。
そういえば昨日福岡空港にランディングする直前、飛行機は玄海灘から進入したので眼下に玄海灘、志賀の島、玄海島、福岡ドームがみえた。つい先日地震があったんだよなーとは思ったが、10才まで住んでいた生まれ故郷を空から眺めるなつかしさが優った。
福岡空港から乗った地下鉄(わずか5分の乗車だが)では、中洲、天神、大濠公園、西新とか貝塚、千早という、昔自分がまたは親類が住んでいた地名が懐かしかった。気のせいか空気の匂いというか雰囲気、すれ違う人々が自分に親しい感じすらする。今住んでいる東北の地は(嫌いではない、というより気に入っている)縁もゆかりもない街。空気感とか人の雰囲気は違いを感じる。少し人種が違うのでは?とさえ思うこともある。
懐かしい土地を歩いては回れないが、せめて空気をたくさん吸って行こう!
ああ、そういえば昨日の日没時間は、山形とは2、30分違う感じがしたか゛。

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2005.05.12

学会参加

明日から、小倉で日本脳神経外科コングレス総会がある。4年前、うちの教授が会長になり我々も主催者側として準備に奔走した頃がなつかしい。あの頃、私は医局長もしていたので本当に「雑用係」(大事な仕事)で忙しかった。しかも学会開催直前(1週間前)に横浜に住む母親がくも膜下出血で倒れ、緊急手術を受ける事になった。手術前日の夜に最終の新幹線で横浜に行く予定にしていたが、学会準備の大詰めの大詰めで医局長でもあり、何とか仕事を一段落させて他の先生方に頼んで急いで家に帰ったが新幹線には間に合わず、それから自分で運転して横浜まで行った。翌日無事手術が終わって、執刀医に挨拶しとんぼ返りで車を運転して帰った。往復約900km。それまで連日深夜帰りが続いていたが、日本国内の脳神経外科関連学会で2番目に大きな総会であり、緊張感の中で働いていたせいか不思議と疲れは感じなかった。一日で横浜まで往復しても疲労感はなかった。マラソンのゴールまであと2kmくらいに迫ったランナーのような気分だった。
 小倉は福岡県。私の生まれ故郷である。明日の開会式典では、日本脳神経外科学会オーケストラ団の一員として、式典演奏を行う。2つのPlenary sessionで同時通訳担当の仕事もある。仕事が終わればさっさと戻ってこなくてはならない。仕事しにいくのだから当然と言えば当然なのだが、はるばる生まれ故郷に行ってもどこにも寄る余裕は無い。多分、福岡空港ー博多駅ー小倉駅の移動中に、懐かしい生まれ故郷の変わった姿を見て感慨にふけるのが精一杯だろう。
 小倉といえば北九州。昔は八幡製鉄(後の新日鉄)があり、若戸大橋だとか関門海峡だとか家族で車で通った覚えがある。そんな風景を見て歩く時間もまったくないタイトなスケジュールである。せめてしっかり勉強はしなくては。

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2005.05.11

水頭症の治療について

 昨日の「シャント」術後の患者さんは、まだ精神症状が治ってはいないが(一日で治るものではない)術前に比べて明らかに多弁で快活である。術前は反応が鈍くボーッとしていたのですでに効果が現れ始めているようだ。手術の傷(頭とお腹に長さ5cmくらいの傷が2カ所、右耳の後ろと右の鎖骨の少し下に1cm以下の傷が2カ所)も問題なし。
 さて、このブログに対して、最近コメントやTBを頂く事が多くなった。ウ〜ム、ますます下手は書けない、、、(^^;;;

 水頭症の治療について私の知っている事を書いてみる。
 水頭症とは何かはきのうの記事に書いた。水頭症は大きく分類すると「交通性」と「非交通性」に分けられる。
「交通性水頭症」の代表は、くも膜下出血後の「正常圧水頭症」である。昨日手術したケースがこれに当たる。簡単にいうと、脳と脊髄の回りを循環している脳脊髄液の通り道には(多少の炎症はあっても)閉塞が無く水は流れ回っているタイプ。なぜ水が頭にたまるのかというと、そのほとんどが頭のてっぺんの方に存在する「くも膜顆粒」と呼ばれるくも膜の一部で脳脊髄液が吸収されて静脈に注ぎこれが血液循環に戻るのであるが、そのくも膜顆粒が炎症(出血でも感染でも起こる)で機能が低下して、吸収が悪くなっている場合である。ようするに「脳脊髄液はブロックされずに交通しているのに溜まってくるタイプ」の事を指す。
一方、「非交通性水頭症」はどこかで脳脊髄液の循環がブロックされて起こるもの。一番多いのは「中脳水道」という大脳の中の脳室(名前としては第3脳室と側脳室)と小脳の中の脳室(第4脳室)をつないでいる細いトンネルのようなところが何らかの原因(出血、脳腫瘍、炎症)などで潰されたり閉塞して流れがブロック(交通が無い)されて起こるものである。小脳の脳室である第4脳室から脳の表面に回ってきて、脳と脊髄がこの脳脊髄液の中に浮かんでいる事になるのだが、その表面への出口(マジャンディー孔、ルシュカ孔)が塞がっても非交通性水頭症になる。
 どちらのタイプでも、脳の中の脳室が膨れて(場合によってはその幅だけで正常の4倍にも5倍にもなる)自らの脳を圧迫するのである。第3脳室や中脳水道の回りは、意識や覚醒に関する脳の働きが集まっているので、ここが圧迫されると意識障害が起こる。第4脳室(小脳の中)が膨れて、脳幹が圧迫されると、意識障害に加えて呼吸障害まで起こる。大脳の中にある側脳室(脳室ドレナージやシャントの管がほとんどの場合ここに挿入される)が膨れて大脳を圧迫すると、記憶障害、覚醒障害、失禁などが起こる。膨れて脳を圧迫している脳室から脳脊髄液を抜けば圧迫が解除されて症状が戻る事が多い。これを期待して行うのが「脳室ドレナージ」である。しかし頭の外に出しただけでは、また溜まってくるので身体の中に管を埋め込んで身体の他の部分に流して吸収してもらわなければならない。これが「脳室ー腹腔短絡術=シャント」である。
 最近では、脳内視鏡(ほとんど場合ファイバースコープ)を用いて、第3脳室の床にあたる薄い壁に孔をあけて、中脳水道や第4脳室の出口でブロックされた脳脊髄液をその孔から別ルートで脳の回りに循環するように変える手術が行われている。これは数年前から保険適応にもなっている。私も保険適応になる前の平成11年から行っている。脳室ドレナージを行うのと同じような1円玉くらいの小さな穴を額の5〜10cm後方の頭に開けて、そこから側脳室の前角に管を刺し、その管を太さ5〜6mmの太いものに変えて、その管の中を直径3〜5mm(多くは4mm)の太さのファイバースコープを通す。後は、スコープ先端の映像をモニターで見ながら手元で操作して、モンロー孔という直径5mm位の短いトンネルを抜けて第3脳室にはいり、スコープを更に奥に進めて第3脳室の床の前の方の安全な部分を探して、そこに穴を開けるのである。ここには4,5mmの範囲内に下垂体柄といってホルモンの中枢の茎の部分があったり、乳頭体といって記憶に関する回路の一部があったり、床(第3脳室底と呼ぶ)の向こう側には脳底動脈という脳の深部の太い大事な動脈が走っていたりする。よって単純に穴を開ける、といってもチェックの上にチェックし慎重の上に慎重に作業をすることになるが、注意深く行えばさほど高度な技術ではない(難しい脳動脈瘤にクリップをかけたり聴神経腫瘍を顔面神経にまったく影響を与えずに全摘するなどという事に比べれば)。しかし特殊な技術ではある。昔の映画「ミクロの決死隊」そっくりの画像がモニターに展開される(血液の細胞に攻撃されたりするほどには小さくないが)。
 今まで経験したこの「内視鏡による第3脳室底開窓術」の中で、これは本当にこの手術が開発されてよかった!という症例がある。小児期または先天的な病気によって閉塞性水頭症(非交通性水頭症)を来して、10何年も前にシャント手術を受けていて、成長に伴ってシャントシステムの不具合(水が流れなくなって詰まる、とか身体が成長して管の長さが足らなくなるとか)のため再手術を受けていた、成人の方で、久しぶりにシャントシステムの機能が悪くなって、急性水頭症を来した人がいた。シャントなど、脳脊髄液をどこか脳の外に流すものが無くては生きていけない身体になっている。この方にファイバースコープで第3脳室の床に穴を開けて水の流れを変えたところ、水頭症が治った。シャントチューブも不要になり抜去できた。脳の表面のくも膜顆粒での脳脊髄液の吸収は正常だったため、髄液の循環する道を変えただけで治ったのである。すぐに元気になって退院した。チューブがはいっていないため、今後この不具合を気にする必要は無い。一生これで水頭症から解放される訳である。こういう症例に治療が行える事は多くはないが、上手く行って元気に過ごされている姿を見ると本当にうれしい。

 このように医学は進歩している。
 最近また新聞に「医療費抑制」という言葉が踊っていた。もちろん「無駄」はいけない。しかし進歩している医学が、より高度な最先端機器を使い、安全性と確実性が高くなっている医療が、昔より安く上がる訳が無いではないか!と医療者側の意見としては書かざるを得ない。もちろんこれら高度な医療が地球上の人々に差別無く等しく無料で提供できればそれは理想であるが、それは「税金」という名の個々の負担があればこその話しであろう。どこかから勝手にお金が湧いてくる訳ではないのだから。

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2005.05.10

脳室腹腔短絡術

 今日は、午後からこのオペである。英語では、ventriculo-peritoneal shuntといい、通称「シャント手術」とか、簡単に「シャント」と呼んでいる。
 様々な原因で水頭症が起こる。脳の中で、脈絡ソウ(漢字が出ない)から脳脊髄液が一日に400〜600ml産生されている。脳の中の脳室や回りのくも膜下腔、脊髄周囲のくも膜下腔にはこの脳脊髄液が循環している。その隙間はおよそ120〜150mlと言われている。つまり単純に計算すると、プールの水が循環して浄化されるように、脳の中や回りの「水」は一日4、5回取り替えられていることになる。
 くも膜下出血は、この脳脊髄液が循環し吸収されていくくも膜下腔に血液が充満する状態。手術で取り除いたり、自然に溶けて消えては行くが完全にはなくならない。出血量が多かったり、手術で取り除きにくい場所にたくさん出たり、脳脊髄液の循環による洗い流しが不十分だったりすると、少しずつ「水」が「頭」にたまってくる。これが「水頭症」である。出血後などに1、2日で起こるのを「急性水頭症」といい緊急手術が必要である。たいていは「脳室ドレナージ」といって、頭蓋骨に1円玉位の穴を開け、そこから柔らかい細いストローのような管を入れて「水=脳脊髄液」を外に排出する(ドレナージ)ことで切り抜ける。これが急性期を過ぎても管が必要である場合、外に出しておくのは細菌感染などの面で限界があるので身体に埋め込む必要がある。また、くも膜下出血後の慢性期(1〜3ヶ月くらい)に、じわじわと脳脊髄液の循環吸収が不十分なために「水」がたまってきたような「正常圧水頭症」においては最初から管を身体に埋め込む必要がある。
 これが「シャント手術」である。
 側脳室の前角にチューブを留置し、それを頭の皮膚、首の皮膚、胸部の皮膚、腹部の皮膚とず〜っと皮膚の下をくぐらせて(細い金属の管を挿入してそのトンネルの中をチューブを誘導してくる)、お腹に5、6cmの傷を作ってそこから腹筋の脇を剥離(わけること)して、腹壁に達し、お腹の薄い膜を開けて、腸や大網(胃の上にかぶっている脂肪のネット)を確認してお腹の中に20〜30cmチューブをおいてくる手術である。これによって、頭の中で処理できない脳脊髄液が管を通ってお腹に流れ、腹膜という組織の血管に吸収されて血液循環の中に戻るのである。頭の中でくも膜から吸収されていく「水」も同じように血液循環の中に戻るので、結局は同じ事になる。途中の経路が違うだけ。この手術が確立してから、水頭症によって命を落としたり後遺症を残す人は激減した。
 くも膜下出血の患者さんでは多い施設で半分以上、私のところで20〜30%くらいの人に正常圧水頭症が起こる。シャント手術をするとほとんどの人が症状が消えて元気になる。記憶障害、意識障害、失禁、歩行障害などの症状が消えて、歩けるようになり自分で尿意がわかってトイレに行き、記憶が正常になる。つまり「普通の人」に戻るのである。
 今日のシャントは、4月に成功させた椎骨動脈解離性脳動脈瘤の患者さん。シャント手術は通常は若手医師が執刀する手術。私自身がこの手術をもっともたくさん執刀した時期は、脳外科医の研修中、3、4年目の頃。逆に言えばあの頃はこれしかやらせてもらえなかったとも言えるが。今日は、12年目の既に中堅のベテランの域にはいる同僚と22年目の私で手術をするが、せっかくここまで治療が上手く行っているので、自分の責任においても私が執刀する予定である。
 では手術に行ってきます。

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 ということで、シャント手術は一時間で無事終了。1ヶ月半前に脳室ドレナージをしていたのでその部分の肉芽の除去に少し手間取った以外はスムーズに終了しました。その後、もう一件小さな手術をして「運営会議」に出席し、一息ついたところです。シャントが効いてくれれば、食欲が改善し意識が清明になりリハビリが進んで1ヶ月せずに退院できるのではないかと思っています。

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2005.05.08

連休後半の入院(5/8の2つ目)

は、なんと2名だけでした。軽い脳梗塞が二人だけ。
 私はフルートの発表会もあり今日を含め3日間休んでいましたが、その間の患者さんのことや入院の事は同僚からメールで連絡を受けていました。必要な場合には、携帯のカメラ機能を使ってCTやMRI、血管撮影の画像を添付します。これは私の所属する大学医局では5年前からやっています。当時は携帯電話でカメラ機能が優れているのは後のVodaphoneしかありませんでした。しかも出始めの頃は12万画素とかで画質も悪かったけど、CTで出血があるなどは十分わかりました。今ではDoCoMoも200万画素になっていますから、結構細かい脳血管撮影なども教授に転送して手術の指示を仰いだりできるので便利です。
 
 こちらに戻って最初にした事は病院に行き、ICU, HCUの手術後の患者、新入院の患者を診ること。3日間診てなかったので患者さんに忘れられたかと思い、「わたしのことわかりますか?」と先週の火曜日に手術した70歳代のくも膜下出血術後の方に聞いたら、笑いながら「わかりますよ〜」と言われてしまった。明日で手術後14日になる50歳代の方と、7日目になる一人でクリッピングをした方は、それぞれに軽い失語症状がまだ残っている。言語リハビリを開始しなくては。明日、MRIを撮像して虚血の領域、血管などを確認する予定である。
 連休にはいる前に症状が出ていたのだが、4月の上旬に大変な手術だったと書いた椎骨動脈解離によるくも膜下出血の患者さんが正常圧水頭症(NPH)の症状を出している。5/2のCTで明らかに脳室が拡大傾向で、いわゆるperiventricular lucency(側脳室周囲の大脳白室に脳脊髄液が滲みだしていってCT上の脳の色が黒っぽくなる事)も出現している。今週前半に脳室腹腔短絡術(通称V-P shuntを約してシャント術という)を行わなければならない。くも膜下出血(この人の場合は2回の破裂)で、脳脊髄液を吸収する脳表のくも膜顆粒の部分が無菌性炎症(血液が付着してそれが溶ける時に膜が反応性に厚くなったり固くなったりする事)を起こし、徐々に脳室に脳脊髄液がたまっていき脳全体の、特に深部白室の脳循環が低下するために起こってくるものである。早い場合はくも膜下出血後2、3週間でも発生するが、1ヶ月以上たって出てくる事が多い。中には3、4ヶ月経過してから症状が前面に出てくる。しかし、3、4か月経って急に悪くなった訳ではなく、しっかり観察していると毎日少しずつ何らかの変化(あれ?なんかおかしいぞ)というのがあるのである。しかし、くも膜下出血後というのはそういう感じであるので、すぐに「水頭症!」と騒がず経過をみるのが通常である。安易にシャント手術をするといろいろ問題が起こる事もある。
 この患者さんは、水頭症は大丈夫かな〜?と思っていたのだが、2週間程前から少しずつ食欲の低下、軽い記憶障害などが出てきていた。一時的に水頭症症状があっても自然に乗り越えられるときもあるのだが、1週間程前から症状が顕著になってきたので5/2にCTを撮ったところ上記のような所見であった。シャント手術が効果を現すと、こんなに元気になるんですか?!と家族の方が驚く程患者さんの状態は変わる事が多い。中にはシャント手術をしても変化が乏しい方もいるが、たいていは70, 80才のの高齢で元々少し痴呆傾向があったり、出血が強かったりなどの問題がある人が多い印象がある。シャント手術をスムーズにおこなってすっきり元気になっていただきたい。

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痛み止め(5/8の1つ目の記事)

 友人と話していて興味深いことを聞いた。「痛み止め」がどこに効くのか、ということである。
 「痛み止め」「鎮痛剤」などいろいろな呼び方があるが、薬剤によって作用機序はいろいろある。普通に「頭が痛い」「歯が痛い」「腰が痛い」などに対して薬を使う場合、いわゆる「痛み止め」をのむ。つまり錠剤や粉薬の内服である。静脈内投与や筋肉内投与の鎮痛剤注射薬は医療機関にいかなければ投与できないので手軽ではない。病院でもらう鎮痛薬もあるが、市販の薬が多く用いられているであろう。この「痛み止め」はそのほとんどが「脳」に働いて痛みを鎮めているものである。
 痛みの認知には、次のような順番がある。
1 痛みを招来する侵害刺激(例;針で指を刺した、包丁で切った、熱いやかんに触った、歯に虫歯ができた、など)
2 侵害刺激受容体の興奮(全身に分布する痛覚センサーが痛みの刺激を感知すること)
3 侵害刺激の脳への伝播(末梢神経ー>脊髄ー>脳)
4 侵害刺激の「痛覚」としての認識(脳内において、電気信号が「痛覚」となること)
5 痛覚の認知、記憶などの学習(痛覚を苦しいもの、嫌なもの、避けるべきものと記憶する事)
 この回路の中で、普通の鎮痛剤は3,4の間に働くことによって効果をもたらす。つまり「侵害刺激」が脳に伝わって「痛いよ〜!」という感覚になるところでその電気信号の伝播を抑えるのである。
 その友人は、「痛み止めは、体の痛いところ(歯なら歯、頭なら頭)に薬が流れていって効くのだと思っていた」というのだ。専門的知識のない人にとっては、そのように考えても仕方ない。左の下の奥歯が痛い時に痛み止めを飲んだら痛みがスーッととれていった場合、薬が「左の奥歯」に効いた、と考えても不思議ではなかろう。のどが痛い時に鎮痛剤を飲んだらのどの痛みが和らいだ場合、くすりが「のど」に効いた、と考えるのが素直な考え方かもしれない。
 違うのである。鎮痛剤は、「痛み」という感覚になる前の「侵害刺激信号」が脳に伝わって、「痛い!」という感覚を引き起こすところでブロックするのである。だから「痛い!」という感覚の原因になる侵害刺激を取り去っていない限り、薬が切れるとまた「痛いよ〜」となるわけである。もし虫歯を取ったら歯の痛みが消えるのであれば、根本的には痛み止めを飲むのではなく虫歯をとる治療を受けるべきなのであるが、「今痛い」ときにすぐ歯が抜ける訳でもないのでまず痛みを和らげる治療が行われる。
 頭痛にしても同じ。「頭が痛い」その言葉通り。しかし、「頭」とはどこなのか?よく、「頭が痛いので脳卒中が心配です」という患者さんがいるが、脳=頭、ではない!頭痛の多くは、頭蓋骨の外にある頭の皮膚、筋肉などの軟部組織に起こる。痛み止めを飲んで頭痛が和らぐのは、この頭の筋肉にある痛覚受容体が刺激されてそれが頭皮にある末梢神経から脊髄または直接脳(この場合は三叉神経というもの)に入って、「痛覚」として認知されるところでブロックしているのである。
 内服薬以外では注射の痛み止めも脳で効果をもたらすのは同じ。痛み止めの多くが、「痛覚」を抑制すると同時に脳の興奮を抑制する働きももっているので、「ボーっとする」とか「眠くなる」という感覚が起こる。これらは必ずしも副作用ではなく、主たる作用に伴うものである。そのほかの痛み止めとしては、ブロック注射。これは「痛いとこ」、正確に言えば「脳の中で痛覚と認知する痛みの信号を起こしている侵害刺激情報が発生している現場」からその刺激が末梢神経を伝わって脊髄そして脳へと伝えられていくことをその名のとおりブロックする。左人差し指を傷めた場合、その現場より中枢側、すなわち脳に近いほうの神経が走っている皮膚の下に「麻酔薬」を注入して、侵害刺激の伝播を起こさないように神経を麻痺させるのがブロック注射である。即効性があるし、効けば驚くほど痛みがなくなる。麻酔をかけているのだから当たり前といえば当たり前。「ブロック注射」は「侵害刺激情報」だけを選択的にブロックはできない。末梢神経から脳に伝わる「体性感覚」を、注射したその現場ですべてブロックする。だから触覚であるとか、深部感覚という大事な情報もブロックされる。歯が痛い時に歯茎に痛み止めを注射される(ブロック注射!)と、しばらく歯茎やほほなどがしびれて感覚が麻痺する、あれである。
 たとえるならば、内服などの鎮痛剤は高速道路からICを出るときの料金所で、暴走族だけを捕まえてその他の車は通しているようなもの。ただ検問しているので普通の車にも通行に影響は出る。ブロック注射は、高速道路上を閉鎖するようなもの。暴走族も普通の車も通れない。
 このブロック注射の大好きな患者さんたちがいる。腰や膝の痛い、お年寄りの多くは女性、すなわち「お婆ちゃん」たち。特に他の医院や医師にブロックを何回かして貰って味をしめていると大変。

患者「先生、膝に注射うってくれ!」
私「私は脳神経外科医ですから膝の痛みの治療は整形外科に行ってください」
患者「前の先生は、膝に注射してくれたのに」
私「痛みにブロック注射を繰り返すより、痛みの原因を探ってそれを治したほうがよい」
患者「注射してくれないのか?」
私「できないわけではないけれど、ブロック注射の経験は少ないですから。私は膝や肩の治療をする医師ではないので、専門の医師の所に行きなさい」
患者「・・・・・」(嫌な医者だよ、、、けち、、、無能、、、前の先生が良かった、、、と思っているかどうかはわかりませんが、そんな雰囲気は漂います)
私「・・・・・」(ブロック注射の功罪をここで詳しく説明しても理解されないだろうしこちらも疲れるし、、、)

 痛みをとること、これは医者が患者さんに行う医療行為の中でも大事なことである。極論すれば病気が治らなくても痛みが取れればいい、ということすら言える。痛み=苦痛だからである。人間は動物だから、必ず老い死ぬ運命。ならば無理に病気を治すことよりも、苦痛を取る、和らげる、そのために知識・経験・技術を発揮するのも医者の重要な役目。しかし、つい我々は「病気を治す」ことに必死になってしまう。
 患者側からすれば「病気が治る」ことよりまず「苦痛が取れる、やわらぐ」ことを求める。これは当然ではある。しかし、今おこなっている医療行為の目指すところが何なのかを、医者も看護師も患者もともに考えるべきなのである。お互いの幸せのためにも。(世田谷の妹宅にて。5/8 10:50)

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2005.05.07

医者が選ぶ病院???

クエスチョンマークを3つ付けておいたが、100個くらい付けてもいいくらい。
今日、たまたま東京駅の本屋で何気なく見かけて目を通してみたら、(平静を装ったが)本当は吐き気がするくらいだった。
 一応、会社の名誉もあろうから、出版社と本の名前は伏せておくが、この出版社の関係者がこの記事を読むことがあったら、私の意見を真摯に聞いてほしいものである。

 私は脳神経外科医だから、当然その領域しか見ていないが、この本においては「脳血管の病気」というようなくくり方になっていた。この出版社の出版物を購読している(ほぼ)開業医を対象にアンケートを行って、「信頼するに足る病院」または「自分が患者を紹介するとしたら、この病気ならこの医師」というものをまとめたようである。
 発想、着眼点は素晴らしいと思う。しかし、おそらくアンケートが杜撰なのだと思う。アンケート調査というのは、それを行う対象をきちんとしなければならない。アンケートの方法も厳密でなければならない。これがきちんとできていなかったのだろう。なぜ、私がそう決め付けるのかと言うと、たとえば東京、たとえば神奈川県、たとえば宮城県という都道府県別に見ていった場合でも、脳神経外科医を21年もやっていれば「脳外科医として信頼できる脳卒中の専門医」、「自分が脳卒中になったら診てもらいたい病院」というのがおよそ分かるわけであるが、これが半分くらいしか入っていない。半分入っているということは、素晴らしい結果なのかもしれないが、「なぜこの病院が選ばれてんの?」「なぜこの人が入ってるの?」というような結果も少なくなかった。
 私が勤務する病院も、私の名前もあがってはいなかった。それはそれでもよい。昨年行ったアンケートなら、一昨年までの実績かもしれない。私が今の病院にきたのは一昨年の暮れなのでアンケート調査の対象期間にはほとんど私は今の病院にいない。
 いや、私のことはどうでもよい。庄内地方には、信頼するに足る脳神経外科施設が少なくとも他に2つあるが、そのどちらの病院も入っていない。どちらの科長も長年地元の脳卒中医療に貢献している。手術の腕も確かであることは私も知っている。どちらか一つが選ばれてもおかしくない。このどちらも選ばれていないにもかかわらず、山形県内陸部のとある病院Aが入っているのだ。ここは私の所属する医局の関連病院なので実情は良く知っている。ある事情があって脳卒中の手術は私の現在所属する病院の5分の一にも満たない。手術件数も内容も足元にも及ばない。一昨年、その病院の医長をしていた医師は今私の部下である。ここに送られたくも膜下出血はほとんどが別のある病院Bに転送されてそこで手術を受ける。山形県内で一番脳動脈瘤手術を行っているこの病院Bは、アンケート結果の中に名前すら入っていなければ、そこの科長の名前もあがっていない。
「なんなんだ!これは!」
こんないいかげんな調査結果を公表し金をとって売り物の本にしている。それを信じる患者さんや一般の医師もたくさんいるのではないだろうか?もちろん、「この病院なら」「この医師なら」というのも入ってはいる。しかし、「なんでここがはいっていないの?」「なんでここが脳卒中で入ってるの?」というものが山形県だけではなく全国的にたくさん目に付いた。
 こんな誤った結果を導き出した理由はなんだろう。
 おそらくアンケートをとった対象(この本を出した出版社が出している出版物を定期購読している開業医)に偏りがあるのだろう。庄内地方の開業医が非常に少ないかいなかった。ある公立病院に長年勤めて開業した医師がたまたま多く居た。ある先生とつながりのある医師がたまたま多かった。アンケートのみで結果をまとめるには、決定的に調査対象者数が少なすぎた。他にもまだあるだろうが、不備な理由がたくさんあるのだと思う。山形県内の脳卒中に関する信頼できる病院で、たしか上位8位くらいまでがあがっていたが、下位は同じ得票で3,4病院が並んでいるのだがその得票数が「3票」なのである。
「?」私は目を疑った。30票ならばまだ分かる。3票???一位に選ばれている病院から掲載されている病院すべての得票を合わせても(数えてこなかったのでうろ覚えの記憶で申し訳ありませんが)40票くらいである。一つの県の中のある病気に対する信頼しうる病院をアンケート調査するのに、対象が40票?この県内には常時手術が出来る脳神経外科のある施設は12,3あるはずである。選択の対象となる病院数、地域の人口、疾病率、罹患率、一つ一つの病院の治療件数、手術件数などを下データとして揃えてはいないのであろう。単純に、「地方の、地域の開業医が選ぶ病院」としたのだろう。先にも述べたように発想はいい。しかし対象が、その出版社の出版物の購読者という時点で大きなバイアスがかかっているしアンケート調査対象の絶対数が少ない。
しかも、たとえば「くも膜下出血」のような代表的な「脳の血管の病気」の患者さんは、一般開業医にかかってから脳外科施設に紹介されることは、あるにはあるが、非常に少ない。本人または家族が救急車を呼んで直接病院に来る。退院後も手術した患者さんだから、(地元の開業医に紹介して普段の診療をお願いする人もいるけれど)執刀医が自分の外来でずっと診ている患者さんも多い。すなわち、「地元の開業医」にお世話にならない、ほとんどかかわらない患者さんが多いのである。だから逆にいうと、地元の開業医にとっては直接救急車で病院に運ばれる患者さんに関する情報は0に等しく、そういう病気においては「信頼できる病院」などという認識はまったく無く、自分の足で歩いて開業医にきた軽症の脳梗塞患者さんを病院に紹介した場合お世話になった、信頼できた、というような意識、認識の偏りが生じるはずである。
 よってこのアンケート結果は不備であり、これを公表することは現実とは違うことを世に流布している、もしかすると「嘘の情報を公然と流している」=「罪」、という自覚をこの出版物の関係者は持つべきであろう。
 私個人および私の病院が選ばれていないから頭に来ているのではないことは再度強調しておきたい。しかし、「なぜこの病院が選ばれていないの?」と言うのと同時に「なんでこの病院が選ばれてんの?」というのが目に付く。対象を、県内の「全」開業医にして得られた結果なら納得もできるしおのずと正しい結果が導き出されたはずである。このような杜撰なアンケートに時間と人を使いそれを公表するということは、いわば公然と人をだましているとすらいえる。多分、出版した人たちはそういう認識はないはずである。「このアンケート調査はおもしろい、正しい」と思ったから出版までしたのだろうから。せめて出版する前に検証してほしかったな。

 最近、「良い病院」「この病院」「名医」などのうたい文句の本や雑誌が良く出される。これはこれでいいことだと思う。但し調査方法、調査結果の検証はきちんとやってもらわなければ困る。ある「名医」の雑誌には、脳外科学会では「脳卒中」で有名な先生が「脳腫瘍の名医」として名前が載っていたりする。われわれはあきれて見ているのだが、この私のブログ記事のように「馬鹿言うな!怒ってるぞ!」と声をあげないと、読む読者はもちろん出版した人たちも「正しい情報」と信じているかもしれないのである。
あ〜あ。。。

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2005.05.06

明日は発表会

ということで実家に向かっている。
一昨日、昨日と緊急入院はなし。やはり予測通り?(期待通り?)先週殺人的に忙しかった分、少し安息の時間が生まれているようだ。
私の実家は横浜なのだが、都内に住む妹家族も参加して甥っ子姪っ子の好きなバー○ア○に中華を食べに行くか?という案がでている。中華料理の銘店の多い横浜に来てそりゃないでしょう!(>_<。)
明日は発表会。40組近い出演者の中でピアノの先生と伴奏合わせをしていないのは私だけ。本番前のリハーサルが一回切りの勝負。ピアニストが素晴らしいので私は私のペースで集中してやるだけ。それにしても無謀ではある。
顕微鏡下手術の緊張に耐える心と集中する力が活かされるかな?ステージに立つと手術よりも緊張する。初めての時は唇が震えて止まらず、震えによるビブラートがかかったなー。

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2005.05.05

連休後半へ突入

昨日は回診、ムンテラ、中心静脈栄養カテーテル挿入などの仕事に加え、レセプト処理を少しこなした。
昨日今日と二日間緊急入院はない。頭を打った子供のCTを撮ったら骨折が疑われるということで救急外来に呼ばれた。確かにbone imageでヒビが疑われるが違うようである。単純頭部X線写真を撮って確認するとやはり骨折ではなかった。
術後の患者さんは皆落ち着いており、一昨日オペしたクモ膜下出血の患者さんも食事を開始した。先週オペした患者さんも抜糸できた。
月始めなのでレセプトが外来と病棟に届けられている。これがまた面倒な仕事である。ちゃんと書いたつもりでも高額医療の場合はまるで始めから減額ありき、のような査定が帰ってくる事がよくある。まったく頭にくるのだ。例えば破裂脳動脈瘤と未破裂脳動脈瘤があり、まず破裂脳動脈瘤の手術と脳室ドレナージを行い、3週後に反対側の未破裂瘤の根治術を行った患者。一ヶ月内に二つの大きな脳の手術をすれば医療費がたくさんかかるのは当然である。そこからどれだけ減額するか、が保険審査員の仕事。しかし、二週間の脳室ドレナージ中に菌交替現象を考慮して最初の一週間と次の一週間で使用する抗生物質を変えて治療したところ、初めの一週間の抗生物質が全部削られた。2回の手術両方で同様に使用したフィブリン糊製剤。硬膜閉鎖時に脳脊髄液の漏出を防ぐため使っている。これが2回目の未破裂瘤の手術分だけ減額査定されている。一回目の手術では使用を認めているのだ。査定した根拠が全くわからない。
よくわからないが、目につく高い薬を削ることが目的であって内容なんか見ていないとしか思えない。一生懸命治療に当たっている医師をばかにしているとしか思えない。真面目に仕事をしているとはとても考えられない!担当した保険審査委員に直接会ってイヤミの一つや二つ言ってやりたくなる。一点も削らせないようきついコメント書いて再審査請求した。こういう、あえて言うなら、無駄な仕事までやらなくてはならない。しかも事務処理が優先で締切りがあるので、我々は夜中か休みの日にやらなければならない。それを当然としているような体制はどうやったら変えられるのだろう。

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2005.05.03

お天気ですね。

 昨日はオペのあと、医局に戻ってコンピュータをいじっていたら午前2時半になってしまった。
 3時過ぎに床について、朝は7時前に病棟からの電話で起こされた。「まだ早いな」ともう一眠りして目を覚ましたら9時40分だったので慌てて飛び起きた。
 昨日の手術患者さんは、術後CTでは新たな出血や梗塞巣はなく、術側の左大脳半球が全体的に腫れているものの水頭症の出現も無い。目は開けるが発語が少なくたどたどしい。軽い失語症状である。おそらく言語中枢のある左前頭葉と側頭葉のシルヴィウス裂面を引っ張ったり押したりしたことと、20分間temporary clipをかけていた事と、5分くらいであるがM2の分岐部をクリップが狭窄していたためであろう。浮腫をとる点滴に血管れん縮の治療薬などを使い始めたので少しずつ改善してくれるであろう。

 昨日予定していた「ムンテラ」(医療上の説明のこと)が2件キャンセルになっていたのでそれを行い、各病棟を回りHCUでは中心静脈栄養のためのカテーテルを挿入した。ほとんど平日と変わらない仕事内容。外来がないだけ楽ではある。患者さんや家族にきちんと説明する事は厭わないが、本来は外来などで患者さんと話しをするのは嫌いなのかもしれない。本当は医者には向いていないのかな〜。(5/3 17:00)

 フルートの練習をしなくちゃ。5/7は発表会。でもこんな体調では「音」がでないんだよな〜。

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2005.05.02

祭りの続き

この文章はアンギオ室で携帯で書いている。
またクモ膜下出血!ICUはこれで患者4名全員脳外科の患者。3名がSAH、一名が小脳出血。さながら脳外科専用ICUの様相を呈している。そして今アンギオ中。これが終わったらオペになる。]

ーー
日付が変わって、5/3の午前1時半。
手術は5/2の19時前に始まり、5/3の0時過ぎに終わった。
左中大脳動脈の分岐部にできた大きめの破裂脳動脈瘤だった。上をまたぐような静脈が邪魔をする上に、動脈瘤の頚部がちょうど90度曲がってターンする中大脳動脈の最初の枝に乗っかったような形をしていて、なかなかきれいにクリップがかからなかった。上手くかかったと思ったら動脈瘤はいいけれど中大脳動脈を狭窄してしまうので、もう一個クリップをdomeよりにかけておいてずらしながら処理した。中大脳動脈の狭窄は解除できたが、今度はneckに少し膨らみが残ってしまう。仕方ないのでここには側頭筋を小さく切って貼付けwrappingを追加した。術後まだ麻酔から覚めていないが手足の動きは左右差はなく、術中temporary clipを20分使用したり一時的に動脈が狭窄した影響はでていないようである。
 ICUとHCUに現在8名入院中で、そのうち6名が脳外科の患者さんである。
 働き過ぎに注意!と言ったって、働きたくてこんなに働いている訳ではない。連休中、少し平和になってほしい。

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2005.05.01

今日も日直

です。
外は凄くよいお天気のようです。でも出かけられません!
先週末に盛岡に行った時にこちらの桜は咲き始め、4/24日曜には8分咲き位だったと思います。
昨日、病院から歩いてアパートへ帰る時に病院脇の川の堤に並ぶ桜を見たらほとんど葉桜になってました。花びらは1、2割くらい残っているだけです。
「今年はゆっくり桜を愛でられなかったな〜」
仕方ないですね。多分見頃だった4/25〜4/28くらいは毎日緊急手術や急患に追われていて、帰宅するのは夜中とか午前様が毎日続きましたから。
あれ?気がついてみると、このブログは「ですます調」だったら「だある調」だったりマチマチですね、、、

さて、今日から5月。「風薫る」と形容されるのだが。
救急外来にはまだインフルエンザの患者さんが来る。それも一人や二人ではない。今、約一時間の間にインフルエンザが陽性であった人だけで4名(全員A型)もいた。今年のインフルエンザはなにか変だ。
朝鮮半島方面から日本をウィルスで攻撃なんかしていないだろうな?ここ数日「黄砂」も凄い。洗車してポリマーコーティングしていた愛車もマッ黄色!という感じある。
どうせ今日は夕方の5時まで救急外来。その後、もう一度病棟をさっと見て回ると6時過ぎる。あとは家に帰ってフルートの練習と休養するだけである。

18:07 結局今日の日直で診た(もう一人の日直医と二人で)患者さんは50数名。普段の救急外来の患者数からみるとたいした数ではない。
やはり皆さん、GW、連休は遊ぶ方が大事なのだろう。熱があっても来院した人は軒並み38,39度という高熱の本当に具合の悪そうな方ばかりであった。高熱の方に全員インフルエンザの検査を行ったところ、陰性にでたのは二人しかいなかった。後付けで「急性上気道炎」と「尿路感染症」と診断した二人以外、全員インフルエンザのA型であった。5月になってもまだ半日で20名近いインフルエンザ。何かがおかしい!

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