進化
昨日手術した髄膜腫の患者さんは、今朝ICUに行くとニコニコしていて、右半身の麻痺はほぼ回復していた。直径4cmくらいの腫瘍だったし、脳の表面に少し浸潤性で圧迫された脳が変色して崩れやすくなっていたので、術前より一時的にせよ麻痺が悪化する事を家族にも説明していた。しかし結果は非常に良い。たまたま場所が良かったのだろうが自分の手術が上手くなったのか?と錯覚もする。
手術の技術というのは、先輩医師の手術の助手をしながら最初は糸結びなどの基本的な事から始めて、徐々にできる技術の範囲を広げて進歩させていくもの。例える事が正しいかどうかわからないが、常々「寿司職人の修行」と同じと思っている。お店の掃除、出前、板場の掃除などから始まって、シャリの準備、ネタの下ごしらえの手伝い、準備、そして握りという具合に、先輩から教わりながらまたは仕事をしながら先輩の技を盗んで研究し身に付けていくものである。
手術の技術は、教科書や現在ではビデオやDVDなどでも勉強できる。先に書いた学会でも多いに勉強できる。しかし、やはり自分でメスを握って執刀してみない事には、技術論だけでは机上の空論になってしまう。教科書を読んで旨い寿司が握れるのなら「この道何年の名人」などというのはいらない訳である。
世の中はすべてがそうであろうが、「一事が万事」だ。子供の頃、父親によく叱られてはこの言葉を聞かされた。
外科医として成長していく上でも「一事が万事」。たとえば、皮膚の縫合の糸結びをスムーズに満足にできない医師に顕微鏡手術なんてできるはずが無いのである。私も外科医としては稚拙な時代があった。今でも「名人」とか「天才脳外科医」からは程遠い「凡庸の外科医」だと思う。しかし振り返ってみると、21年間の間に学び経験したことはすべてが今の役に立っている。長く居た大学病院では、脳腫瘍や脳卒中の手術では肝心なところは教授に執刀していただき自分は助手を務めてすぐ傍で勉強させてもらった。脳内視鏡手術や定位脳手術は中心になって執刀をして後輩を指導していた。大学を離れ一般市中病院の科長になってからは、自分で最初から最後まで執刀する機会が増えた。増えたからすぐにできるようにはならないけれど、自分でも手術の技術がまだまだ進歩しているのを感じる。外科医としてうれしい。
自分が器用だとかそういう事ではなく(外科医が不器用では困るのだが)、今まで自らが執刀した事が無い手術でも教授の助手を務めていただけでもこんなに技術が身に付いていたのか、と今更ながら感心する。ただ傍でぼーっと見ているだけではだめなのである。教授のかわりに手術記録を書き、数時間の手術のエッセンスを10分くらいの手術映像に編集し、術後検討会でみんなの前で発表解説する。こういう経験をしてきた事で、あたかも自分がしていたように頭の中に映像が蘇る。あとはそのプラン通りに手、指を動かせるかどうか、その集中力が保てるかどうか、恐怖に打ち勝てるかどうか、など「心」の問題が大きいと思う。
これから外科医を目指す人もこれから寿司職人を目指す人も、先輩の技術をしっかり盗んで自分のものにしてほしい。それは自分のためではなく、手術を受ける(お寿司を注文する???)「相手」のためなのだから。
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コメント
一事が万事、深い言葉です!
手術がうまくなっていくっていうのは外科医として
成長を実感できる点でいいですよね!
僕は内科医志望なのですが、自分の成長をいつ感じることが
できるのか、うーん、予想もつきません。。。
投稿: ユウ@医学生 | 2005.04.29 22:19
進化には研鑽を積むことや精神力との闘いが必要ということですね。
私は強靭な精神力の維持にはタフな体が欠かせないと考えます。
突発性難聴で聞こえない・老眼で見えにくい・その上脳腫瘍患者である私などは最近、進化どころか老化との闘いに明け暮れています。
balaine先生のような超人はどこまでも進化されるでしょうが、私はそろそろ坂を下りかけているような気がしてなりません。
肉体的な衰えを直球勝負ではなく、からめ手から攻めることでカバーしたほうがいいのではないかと思うようになってきました。
パワフルな先生が羨ましい限りです。
今日は初夏を思わせる1日でした。
我が家の庭ではチュ-リップが終わりかけています。ちょっと名残惜しい気もしますが、カスミソウやくろ種草、デルフィニュームが出番を待っているのを見ると季節が進むのも楽しみです。
投稿: ふにゃ | 2005.04.29 23:42
ユウさん、ふにゃさん、コメントありがとうございます。
「一事が万事」これは自分への戒めでもあります。医局の机の回りや、自宅の部屋も汚いです。整理されていません。きちんとしていないのです。する時間がない、と時間のせいにしています。
内科医でも成長を感じられるときはあるでしょう。人間、常に成長することを考えていなければいけないのではないでしょうか?だって常に不完全なのですから。
ふにゃさん、私は超人でもパワフルでもありません。普通の男性です。でも弱音を吐くのは嫌いです。負けるのも嫌いです。自分に負けるのは悔しいです。だから頑張っています。脳神経外科医というのは、医者の中でも特にそういうプライドというか負けん気の強い者がなっているような気がします。
投稿: balaine | 2005.04.30 14:29
はじめまして。突然ですが、学習方法について質問があります。たまたま、家内から先生のこのページの話を聞いていて、先生の御経験が「仮想体験による学習効果を高めるための方略」として有効なのではないかと思い、お尋ねいたします。
私は現在、教育工学の研究をしております。以前から「他者の学習過程映像(経験)を編集し、要約映像を作成する方法」はリアルスキルの向上にきわめて有効なのではないか、と考えておりました。
先生の「教授のかわりに手術記録を書き、数時間の手術のエッセンスを10分くらいの手術映像に編集し、術後検討会でみんなの前で発表解説する」手法は、医学教育会では一般的な指導方法として取り入れられているのでしょうか?また、この方法の学習効果が高いことは検証されている(論文になっている)のでしょうか?とても興味深い・示唆に富んだお話で、この手法を他分野でも活かせないかと思い、お尋ねした次第です。
以上 よろしくお願いいたします。
投稿: ふにゃの夫 | 2005.04.30 15:56
「ふにゃの夫」さん、はじめまして。
ビデオ編集による術後検討会というのは、いろんな場所(大学、病院など)で行われているとは思いますが、「医学教育会(界?)で一般的」かどうかはわかりません。「医学教育学会」というのがありますがそこには属しておりません。
脳外科の世界は、手術は顕微鏡下に行われる事が多いため執刀医である術者と助手の二人ぐらいしかリアルタイムで術野を見る事はできません。器械を渡す介助ナースもテレビモニターを見ています。術後に、多くの医師と情報を共有し勉強し検討するため、手術ビデオを編集するというのは一般的です。
教育効果については、勉強の仕方、編集する人間の知識、経験によってかなり差があると思います。「わかっている人」の編集は違いますし、逆に「わかっていない人」の編集したビデオを見ると「あ、こいつ手術わかってないな、、、」と思います。
こういうことについて理論的に考えてみたいですね。
投稿: balaine | 2005.05.01 10:55
すばやいreplyありがとうございます。
マルチメディアを利用した“新しいレポート”のアイデアを持っております。「脳外科での一般的な情報共有の手法」は普通の教育現場でも一般的な方法として、学習効果を発揮すると考えております。特に後段の「あ、こいつ手術わかってないな、、、」の部分は、ビデオの再生経過時間情報(index)を書き出すことで、ベテラン評価者の知識を記述することになると思うのです。評価者の知識が外化できれば、“いつでもどこでも評価を受けられる”レポートとなるでしょう。
他分野でもこの手法が使われているか、リサーチをかけてみたいと思います。とても参考になるお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
投稿: ふにゃの夫 | 2005.05.01 13:07
ふにゃの夫さん、こちらも興味深い話しです。
確かにビデオを編集しそれをみんなの前で発表するためには勉強しなくてはなりません。更に手術をしている人(例えば教授)が、「そこで何故それをしたのか」「ここはどうしてこうしているのか」という理由とか意義付けとかを理解できなくては、短い時間に編集する場合大事なところを落としてしまったり、意味の少ない部分をだらだらと見せてしまったりという事になります。
「何故そうするのか」をわかっているという事は、人に教えられるということですから、既にその人はそれができる(すぐできなくても訓練すればすぐにできるようになる)という事だと思います。
日本は脳神経外科医の数は多く(多くても暇ではありませんが)、一人一人の脳外科医が経験できる手術数が米国に比べるとものすごく少ないのです。米国では、チーフレジデント(6、7年目の医師)が毎日2〜5件の手術にはいっています。ですから、最初の頃は「こいつ、下手だな〜」と思っていた医師が、半年も経つと「俺より上手いかも」という具合に成長していきます。一日平均3件として半年で500を超える手術数ですから日本の一般病院で経験する手術の5、6年分にあたります。上手くなっていくはずです。ビデオ編集・発表をすることは、少ない手術件数を補うよい教育方法だと思います。
投稿: balaine | 2005.05.02 09:39